海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。

ウチで育つお花

おばちゃんは張り切って庭の手入れを始めたのよ。
朝起きると気温一桁だけどお昼過ぎには二けたになるから、もうフル装備で帽子と虫よけネットと長靴を履いて、落ち葉と枯れ枝はごみ袋に4袋ぐらい始末したわ。

枯れ枝の満天星生垣に冬咲きクレマチス

ヘデラは玄関庭以外思い切って引っこ抜いた。蔓ジャスミンも始末することにする。お隣さんもかなり昔に石垣にジャスミンを植えたと見えてジャングルになるのよ。花なんか1輪も咲かないのに。

ホームセンターの店先ではポットにピンクのジャスミンが咲いているのに、地植えにして次の年から咲かなくなるのよ。なんで?ツタ系は怖いわね。

おばちゃんが張り切って庭開きだ!っと言ったところで、当のお花のほうはクロッカス以外はまだ寝てるのよ。去年一昨年で嫌っというほど植えた宿根ネメシアやリナリアはまだ2センチしか育ってない。
サルビアも生きているか死んでいるかわかんない。チューリップもまだ3センチだし。

おじちゃんは出てきたチューリップ芽の少なさにスイッチが入って、去年もっと植えておけばよかった。

追加で買う!とか言ってて今更もう球根なんて売ってないわよ。ダリアと去年のグラジオラスが地面で腐ってたんですって。
だからユリでもグラジオラスでもとにかく球根を植えたいから明日中伊豆に買いに行こうと言う。

おばちゃんは困ったことに宿根草の“何” を“どこ”に植えたか忘れてしまった。半年過ぎると名前まで忘れた。サルビアの種類だと思うのだが名前のピックがどっかへ行ってしまってわからない。地上の株が枯れなかったほうが珍しいから今見えている葉っぱがあの草だかこの草なのどうなんだ。

しっかりせい!春は来た目覚めよ!と
おばちゃんが叱咤激励しようとお花はまだ眠けまなこだおばちゃんは困ってしまう。去年のお花が育ってくれないことには、新しいお花をどこに植えていいかわからない。

ちっちゃなスコップをズバッと地面に突き刺すと、なんか根っこを切ってしまった。しまった!去年秋に植えた“猫のヒゲ” かもしれない。白と紫と2株植えたのに。なんかいい具合に隙間が空いていたから、新しいデルフィニウムを植えようと思って掘ってしまった。

サルビアはどこ?

土だけの地面を見ているとこうしちゃいられないと思ってしまう。お花屋さんの店先はルピナスもジュリアンもベルフラワーも色の奔流なの。皆植えて!っていうから。ペンステモン・モーリーが欲しい。ペンステモン ハスカーレッドでもいいの。

あ”~。
マーガレットが枯れた!軒並み全滅した。真っ黒になって死んじゃった。
雪は3回くらいしか降ってないのに寒すぎたのかしら?霜よけは役に立たなかったの?おばちゃんは庭の西の段々にはピンクのマーガレットを生垣のように咲かせたかったのよ。植えては枯らし、それでも去年は5株は残ってたのに。ショック!
マーガレットはうちの庭には寒すぎるのね。悲しい。

毎年こうして家では育たないお花が発覚する。
今年の課題は「耐寒性のある宿根草」よ。マーガレットはあきらめて、うちで育つガウラで並木にするわ。

おばちゃんはコタツ寝たきり廃人からいきなり起き上がったので、太もももふくらはぎもパンパンになって、一歩歩くたびにプルプル震えてしまい庭から上がるとイタタと移動しながら、でもかまってられなくて、明日は何を植えようかと考えるのだった。


移住5年目の春

Photoshopはおばちゃんのお気に入りのソフトなので、チラシもポスターもこれでデザインしていた。キャンバスのどこに何を配置してレタリングをどこに持ってくるか、何色がふさわしいか。タテ・ヨコの話

それがお庭の園芸になると、タテとヨコに奥行きと高さが入ってくるわけ。背の低いお花は手前に背が高いのは奥に。ど素人もこのくらいは分かった。

ところが、園芸はさらに時間を考えないといけないのよ。
3か月後に手前のお花と後ろのお花がどう育ってるか想像しないといけない。この手前のダーラは15センチくらいでこじんまりおさまるはずだったのに、意外と横に這っちゃうとか、シロタエギクが大きくなりすぎて一番後ろのデルフィニウムが隠れちゃうとか、そこんとこをよく考えて春植えないといけない。ああ、複雑!

そしてさらに日当たりと温度と土壌
陽が当たっていい植物と枯れちゃう植物がある。園芸店で売っている苗のラベルには日陰、半日蔭、陽なた、って書いてあるからそれを参考にする。でもうちの日影がどのくらい日陰なのかわかんない。西日ってのはどうすんのさ。植えてみるしかわかんないじゃない?

そのうえ、温度
これは苗を買う時の温度じゃないから。
宿根草だとして、真夏の一番暑い温度と、真冬の寒さ。うちの庭の真夏の暑さに耐えられるのかしら?半日陰に植えたら真夏も大丈夫?

気温5度というのは冬越しできるかどうかの境目らしい。うちの庭は冬は霜が降りるし、たまに5度以下にもなる。根だけで生きていけるのか。それとも株を掘り上げて軒下で春まで活けたほうがいいのか。種を落として次の春にまた出てきてくればいいのだけど。

それから大事なのは、
NHKの園芸王子も言ってたわ。風通しが大事って。
あまり込み入ったところに植えると、風が通りにくくて雨が続くとカビが生えちゃってダメになることがある。ムレちゃうと腐るのよ。ブルーデイジーが好きなのに、うちの庭じゃどうしても育たないのよ。だから風通しは大事。

この風通しは、植えるときの風通しじゃなくてその苗と周囲の苗が育った後でも風が通るかを考えないといけない。
あ”~預言者にならないといけない。

お花のも大事。
うちの日陰だと緑が濃くてお花の色が深い色だと沈んでしまうのよ。日陰には斑入りの明るくしてくれる植物が欲しいわ。

おばちゃん、土壌をわすれただろうって?
土壌?素人上がりのおばちゃんはまだ土壌まで頭が回らないのよ。どのお花にはどういう肥料がいいのかって、そこまで覚えきれないわよ。しらん。

台所の生ごみを発酵させて作った自家製肥料をやってみたり、秋の落ち葉を集めて腐葉土を作ってみたり。どれがどこにいいか正直わかんない。窒素?リン?カリュウム?
知らない、わからない、ほっといて。

発酵牛糞とかその時ある肥料を一律全部庭に施しちゃうから。お花から好き嫌い言われても困るじゃない。
一応、栄養なんだからさ。これは嫌いとか、窒素が多すぎとか。贅沢は言わないで。おばちゃん、もう全員の都合は考えきれないから。

ウチんちのムスカリはみんな葉っぱが細ネギみたいに長いのよ。
スパゲッティみたいに地面を這ってる。なぜかは知らない。

表に植えたムスカリも裏に植えたムスカリも、買ってきて植えたらみんな葉っぱがネギになるのよ。花は咲くわよ、ちゃ~んとムスカリ。これはやっぱり肥料の成果かしらん。何かが多すぎるのね。

3か月先の縦・横・高さ・奥行き・時間・日当たり・温度・風を考えながら、今3月の枯れ枝の散らばる荒野みたいな地面に苗を植えるのよねぇ。異常に雨が降る8月とかさ。カンカン照りつづきとかさ。
当たるも八卦、当たらぬも八卦。とりあえず植えてみるしかないじゃない!


引っ越してきた時はお隣の別荘は草ぼうぼう!
ススキやカヤや不気味な黒いサルビアが茂り放題で怖かった。蚊がひどいし。うちの庭をせっせと草とりをしていたら地つづきだからお隣まで行てっちゃったのよ。しょうがないじゃない地続きだから。

ススキも抜いて一年め花壇が更地になって、さんさんと陽を浴びたのね。
2年目にお隣さんがは~るか昔に気まぐれで植えたらしいチューリップの葉が一枚だけ出てきた。3株。

おばちゃんは、あら~と思ったのね。それで手が滑って肥料も捲いてしまった。
次の年3年目に葉っぱが2枚になった。ほっとくと雑草だらけになるから、せっせと草取りをするの。また手が滑って肥料をまいてしまった。

4年目に葉っぱが3枚になったら花が咲いたのよ。ぽっかり。まあ、かわいらしいわ。
そして今年、びっくりしたわ。お隣さんは結構数を植えてたのね。今年は7株も葉っぱが出てきた。何把咲くか楽しみ。

ちゃ~んとお隣さんには話してあるわよ。
地続きなんで草取りをしてたら気が付かないうちにお宅の草も抜いてしまいました。って。そしたらあら、すいませんってゼリーの詰め合わせをもらいました。年に1回か2回くらいしかおいでにならないのでどうしても手が回らないのね。うちとどうしても地つづきだからついでってことがあるしね。

お隣りのチューリップ

たまに、手が滑ってエリゲロンの苗が飛んでったり、トレニアやアノマテカの種が飛んでったりするだけよ。

アジュガはうちの境目に植えただけよ。お隣まで這って行ったのは植物だからしょうがないわ。お花が薄紫でとてもかわいいの。ススキよりましじゃない?


庭開き

風は少し冷たかったけど快晴!やっと庭開き。
吹き溜まった落ち葉と枯れ枝を掻く。去年のシダやガウラの枯れ枝を切り取り、アクセントに植えたツタには正直困っている。何せ素人が植えたいものを取り合えず植えたしまった結果が困る。

おばちゃんはツタが好きなのである。ツタの這う石垣なんてのに憧れがあったのだ。まず、ヘデラを石垣に植えて、前庭の縁取りに植えて、ハツユキカズラを一目見て可憐な白の花びらのような葉っぱに恋してしまい、そこら中に植えた。フリーマーケットでワイヤープランツを見て、かわいくて生垣の根元に植えた。黄金カズラ定家カズラというやつも4株植えた。そうだ、ジャスミンも植えた。

な~ンにも知らないのでみんな地植えで植えた。4年たったら正体が分かった。
ワイヤープランツは危険。ヘデラは家の周りに植えないほうがまし。ハツユキカズラは野生の緑の葉っぱと化し、手入れをしないと白くもならない。ツタ系に関してはとりあえず植えてみる方針は考え直したほうがよさそうだ。

ワイヤープランツをバッサリ根元で切り、ハツユキカズラもなるべく太い枝だけ残し、前庭に植えてしまったヘデラはあまりにも根を下ろしているので、春と秋にトリミングをしていくしかないか。

ここで困るのはおじちゃんである。おじちゃんはモノを捨てるのが嫌い。引っ越してきて洗面器がないのに気が付いて、とりあえず買ったプラスティックの洗面器は不要になったので捨てようと思った。おじちゃんに気配を悟られないようにごみ袋の一番下にそっと潜ませて捨てたはずだったのだが、おじちゃんがごみ捨ての係なので、気が付いたらベランダに回収されていた。
あたし、捨てたかったのよ。なんで取っておくのよ。
庭に水やりに使うから。水やりはジョウロがあるでしょ。いや、バケツから水をくむのに使うから。
使えるものを捨てるのが嫌い。ねぎの根元の輪ゴムとイチゴのパックをとっておくタイプ。

木を切るのも嫌い。せっかく植えた藤の木は抜かない。だって、素人は木がどのくらい大きくなるか植えるときに想像できないので、4本も植えちゃって近い将来藤棚は大変なことになるに決まっているのに、抜かない。切らない。
50センチ間隔で梅の木を2本植えてしまった。河津桜と山桜が30センチ間隔で植わっている。ダメだ!っていうのに現実にダメなのがわかるまで絶対手を付けない。困ったものだ。

もし、おばちゃんが先に死んじまったら庭のツタ類は大変なことになるに違いない。家がヘデラに埋もれてしまうかもしれない。そんなことを考えながら、手入れをしているといろんな芽が出ているのを発見する。

黄色のクロッカスや白のクロッカス(白は植えた覚えがないんだけど?)ヒヤシンスがあちこちに。花が咲きそうなフキノトウ。先代のおばちゃんが植えたクリスマスローズがついにつぼみがついた。お隣のチューリップと同じ。

庭の手入れがされないと、お花や球根は眠ってしまう。雑草が払われて陽が当たるようになると、様子見で葉が一枚出てくる。
2年目は2枚になり、ここでおばちゃんが気が付いて肥料をやり3年目でぽっかり隣のチューリップに花が咲いた。

球根は毎年花が咲くものと、一度咲くと力を使い果たし球根がやせてしまうものがある。

チューリップは球根は小さく痩せて花を咲かせる力がなくなってしまうので堀り上て保存するといい。というのだがやっぱり次の年は花が小さい。それでおじちゃんは毎年11月にチューリップ・チューリップと買い込んで、毎年植える。

お隣は別荘でかつて気まぐれで植えたチューリップがそのまま長い年月を眠り、おばちゃんがおせっかいで草取りをして肥料をやったので、去年ぽっかりと花を咲かせた。
先代のおばちゃんのクリスマスローズも去年は葉っぱが4枚まで増えたから、今年やっと花が咲く。庭のあちこちにはそんな遺産が埋まっていて時折発見できるのがうれしい。

たった3時間ほどの大した作業でもないのに、おばちゃんの足太ももと膝がプルプルしてきた。運動不足がこれほどひどかったとは思わなかった。そろそろ、撤収するかとおじちゃんに声をかけられて、(おじちゃんはゴーヤ棚を直してもらうつもりだった)おじちゃんは、ゴーヤ棚の下をきれいに更地にしていた。

あんた、バコパはどうしたの?私のバコパ!夏の日照りに弱いから上にゴーヤで影を作ってもらったんでしょ?
え?ないよ。みんな枯れてたよ?
枯れるもなにも、宿根草じゃんか。根っこ掘り返してくれてどこやっちゃたのよ。
いや、根っこまで枯れてたから。

おじちゃんはいつもこの言い訳をする。チューリップとヒヤシンスの区別はつくが、宿根草に花が咲いてないと雑草と区別がつかない。枯れてたから!と掘り返して更地にしてしまう。

おばちゃんのバコパ!10株はあったのに!おじちゃんとは庭の植栽で方針が合わない。エニシダとヒュペリカムとチェリーセージとよりにもよって横に枝を張るものを30センチ間隔に植えられた。
み~んな横に枝を張るものをんんでここに植えたのさ!アッと言う顔をするのだが植えなおすとは言わない。
だからおばちゃんもゲリラ戦でおじちゃんが別の作業をしているときに切る。

どうも邪魔な梅が2本と柿の木が一本あるんだよねえ。


ウイスコンシン下衆計画

最も素直な観客は天皇陛下だったそうだ。
昭和の時代のマジシャンの証言である。右手か左手に球を隠すマジックをご覧入れて、右か左かどちらに球があるでしょう?とお聞きすると「右~」と指をさしておしゃったと言う。疑うことをご存じないのだという。

悲しいかな、おばちゃんは一般庶民の生まれなので、疑うことばっかりである。手品は所詮手品だからタネがあると思ってしまう。一般人だから事実を調査するすべもない。

フォーダム大入学工作をした弁護士や大学に質問状が行ってると言われれば、そうなのか?と思い、ウイスコンシン大学とリモート入学の合意が済んだと言われればまさかと思うしかない。情報ソースが確かなのか、事実を検証すべきすべもない。

小室圭の学力について外務省がF認定をしたのは確かなのだろう。ビザ切れでスポンサー企業が見つからなかったら帰国させればよいのに。日本はいつからKINGの王国になったのか。

Kingが王国の機関を手足のように使うのは理解できる。日本は戦後民主主義国家になり天皇は国の象徴となったはずである。象徴のかたは由緒正しく暮らしておられる。

The next 〇mperor to beの方が政府の機関と人と金を私して使うのはおかしくないのか?
なぜ法で規制されていないのか?

政府機関の役人が、別系統の命令で動いているというのが不思議でたまらない。外務省はいつからThe next 〇mperor to bの直属機関になったのだろう。
政府が勝手に動いている外務省をコントロールできないというのも理解が不能だ。
手品に種があるのは確か。その仕掛けの種を知ることは一般人には永久に無理なのだろう。

ウイスコンシン州のDiploma Privilege を使って何とでも弁護士資格を取らせようなどという“下衆な発想”はおばちゃんには無理だ。

試験を突破できないのは学力不足と本人の素養が不足しているからNYBEをパスできないのだ。その根本原因こそ小室圭という本人自身にあるので計画自体が公序良俗に反している。


どうせ卒業後1年の実務を積ませれば、国際弁護士資格ができるので日本に呼び戻せば奥野法律事務所が引き受けるのだろう。先日、奥野弁護士が小室圭のサポート体制に協力するなどを改めて表明したのは、Marquette大学との入学合意ができたからと考えたらよいのか。

ウイスコンシン計画が本当に始動し始めたとして、2つの見方ができるのではないか。
1)まずMarquette大学もよくよく危機管理が薄い大学なのか。フォーダムで何が起こったか知りたくも理解もしていないから入学に合意した。

2)もう一つは、現在NYBAフォーダム大学、NY法曹界などの疑惑糾弾は極めて限定的であるかもしれないこと。(ただし、工作の張本人弁護士たちには十分弁護士資格への危機だとおもう)

ジャーナリスト篠原氏が伝える糾弾のムーブメントは、実際は氏が伝えるほど強力でも大規模な抗議でもなく、他州の法律大学にとってそれほどのスキャンダルや危機とは認められていないかもしれない。

かつ外務省はMarquetteに否定できない何かの申し出をしたか。
情報はすべて伝え聞くしかない現在、果たしてこの情けないウイスコンシン下衆計画は始動しつつあるのだろうか?


西海岸の総領事館

LAの総領事館は、ダウンタウンの一方通行ばっかりあるファイナンシャル・ディストリクトのGrand Ave とOlive streetの交差点近く、丘のてっぺん近くのCalifornia Plazaビルにある。
パスポートの書き換えとか、めったに行くところではないので何度も迷って一方通行をぐるぐる回った。回り方によって絶対領事館にはたどり着けない。

ナビがなかったころは紙の地図を飽きるほど研究して赤マジックでルートを書いても間違えたことがある。S Grand Aveだったか一部地下にもぐっているトンネルみたいな道路があって、それを道路として考えるとあさっての方に行く。

ナビをつけても北からGrand Aveに向かうと、わき道を1っ本手前に入り損ねるのでぐるぐる丘を回ることになる。何度も煮え湯を飲まされた。

California Plazaの地下駐車場も、利用者のための駐車場だと思うと怒髪天をつく。
financial Districtをぐるぐる3周くらい回ってやっとのことでCalifornia Plazaに到着して地下駐車場があるじゃないかと、10年前は確かに来たはずだと思う。地下要塞のような駐車場に入っていくと、平日で端が見えない地下トンネルのようなロットをぐねぐねと走ってやっと空ロットを見つけてやれやれと思う。

用事を済ませて車を出そうとするとExitの出口の料金支払い機はクレジットカード・オンリーだった。キャッシュ?紙もコインも入れるスロットはない。

それもそのはず、California Plazaの駐車場料金は10分で$4.5。地下駐車場からエレベーターに乗って地上に出て、そこからさらにビルの内部に入り、受付を済ませて上部の領事館にたどり着くまでに10分以上かかる。窓口で待てば用事がすむまで小一時間かかるのに駐車場料金だけでランチ代じゃないか!

だから紙の紙幣を受け付ける機械を設置していないのだ。アメリカ人はキャッシュをそれほど持っていないから。
こんなド高い超高額なビルに入居している領事館を呪いながら出口の遮断器にクレジットカードを差し込む。

次に領事館に行く用事ができたときは、地下駐車場の教訓を思い出して、近くの地上の駐車場にしようと思う。一遍入り口を通り過ごすと、丘のてっぺんに露天の駐車場がある。ここもまた曲者なのだった。

なぜというと丘の上に斜面を下って作られている。つまり、道路から駐車場に入るところは水平だが、パーキングロット自体は下り斜面に作られている。メキシカンのお兄ちゃんが数人いて入り口を降りてチケットをもらう。あとはキーを渡してメキシカンに駐車してもらう。

一度前が混んでいてメキシカンが出払ったので、自分で駐車しようとして下りかけて恐怖した。ロットの切り方がおばちゃんの常識を超えるものであった。

車のヘッドライトが坂の上、テールが下なら駐車はできる。バックで出るとき車は落ちるが、落ちた先に他人の車がある。車のヘッドが坂を垂直に横切るように止めると、助手席か運転席のドアを開けるとドアが重力でパタンと落ちる。開けた先に他人の車が、、。

どっちかに切り返そうとして坂をパニックになってブレーキを目いっぱいサイドを引いて飛び出した。メキシカンはにやにや笑ってやってきたので「やって」とキーを渡した。
なにせこのbanker’s hillはLAでも地価が高い一等地なのである。どんな土地でも金にすると方針ははっきりしているのであった。

そういう一等地に建ってるCalifornia Plazaの上層階で家賃が一体いくらになるのか気が遠くなるようなレントであるには間違いない。

”邦人の保護”という言葉を聞くたびにおばちゃんは「ケッ」と思う。
プラザの中階にチェッキング・カウンターがあり黒いスーツを着たでっかいSSみたいな黒人がエレベーターに乗ろうとする人間をここで堰き止めている。なんの目的で領事館に行くのかパスポートを見せてチェックインをパスしない限り、領事館行のエレベーターには乗れない。

「邦人の保護?」
あれかな?映画のサイゴン陥落で混乱のさなか、助けを求めて領事館の門をたたき間一髪滑り込んで、領事館員に救出される邦人!なんてね。映画だから!

アメリカ大使館では救ってくれるだろうが、日本大使館では無理よ。扉を閉められちゃうかも。

LAのダウンタウンでホールドアップされ財布もパスポートも盗まれたらとりあえず領事館に行くしかない。プラザの関所で止められて英語が喋れなかったら、一番いい方法は床に座り込んで大声でわんわん泣くといいと思う。時々Japaneseと言うと効果的かもしれない。

屈強のセキュリティもお手上げだから領事館にすぐ連絡してくれると思う。坂を下りきるとLAPDがあるからここでわんわん泣いて連れてきてもらうのもいい方法かもしれない。

プラザの上階から下ってきた領事館員は間違いなく“迷惑そうに”声をかけてくると思う。一般人が外国で強盗にあったって領事館からしたら迷惑でしかないからな。

領事館は超エリートの集まりで邦人に奉仕する人達というより、海外邦人の頂点に立つ人達。
あの人たちが頭を下げるのは自分たちより偉い人よ。1990年代なんて、窓口のおばさんの口の利き方は昭和の役場か警官に近かったね。つまりエラそうだった。今はましだろうが、意識が変わったからではあるまい。

いろんなエッセイで外務省外交員などの奥さんが人間関係のプレッシャーで第一子は大抵ダメになるか死産も普通。大使館の専属料理人が大使から奴隷のようにこき使われて人格破壊されて日本帰国なんて珍しい話ではないらしい。

そういう人たちが、”わがままで厄介な夫婦に振り回されて困惑してます的”な印象を醸造しつつ、内心では30過ぎても自分でアパートさえ見つけられず、学歴も半端、職歴もバラバラ、経済信用度低い夫婦を馬鹿にして、本人たちには屈辱的なウイスコンシン大学入学などという計画に大まじめに取り組んでいるフリを考えると、失笑する。
同情はしない。


インドは世界の薬品工場

UCLAの皮膚科ドクターに処方してもらった美白クリームの効果はものすごかった。
薬局で一本175ドルと言われた時は、絶対聞き間違いだと思ってファーマシストに聞き直したのね。

そしたら値段を言ったファーマシストも驚いて見直したのだけど、やっぱり1本175ドルだったのよ。おばちゃんは3本分処方されていたけど、高いのでとりあえず一本だけ買った後でものすごく後悔した、3本全部買えばよかったって。

おばちゃんは寝る前に色素沈着ができた場所に塗った。
よく伸びるクリームだったから、真珠大で頬の半分くらい少量でカバーできた。薬の注意書きにはトレチノインとハイドロキノンともう一つナンとかが含まれていて、太陽光線に当たること厳禁と書いてある。

おばちゃんはレーザー焼けを調べていた時、この二つの薬剤のことをよく読んでいたからベッドルームのカーテンは2重にして朝日も絶対当たらないように気を付けた。朝には薬を洗い流して、出勤のドライブの時もスカーフをかぶる。仕事中は外に出ないし夜に帰宅するので、気を付けるのは朝の出勤の時だけだった。

3日目くらいに顔全体の皮が一枚めくれた。日焼けした皮膚がむけるみたいにすると、色素沈着は消しゴムで消したように消え、顔全体のお肌は2段くらい明るくなって、しかもつやつやぷりぷり若返っている。

おばちゃんを見る人皆から、どうしたの?って聞かれるほど。レーザーで焼かなかった場所のシミも薄くなっ化粧をすればもうシミは見えない。

でも、気をつけなければならないのはこのクリームを使っている間は、お肌の紫外線に対する感受性が高くなりちょっと油断して日に当たるといつもより日焼けしやすい。間の悪いことに季節は6月だったから、紫外線のシャットアウトはなかなか骨だった。

最初の一本目を使い終わる前に、薬局に戻ってさらにもう一本買おうとしたら、ファーマシストが残念ですけど、この薬は現在在庫がありませんと言われて驚いた。いつ頃再入荷します?と聞いてもファーマシストでは分からないと言われた。

日を変えて寄ってみるのだが返事は相変わらず在庫がない。それでネットで製造会社を調べてみると一時的に製造中止とある。ん~残念。

それからしばらくして、知り合い経由でインドの会社から美容の薬品を共同購入しないかというお誘いがあった。オンライン購入でインドの会社から購入・直接輸入できるし、薬品の値段がインド値段なのだという。ラティースが一本5ドルなんだって。

ちょっと待て!
おばちゃんはUCLAの皮膚科の待合室で待っているときに、飾り棚に麗々しく並べられたラティースに一本350ドルの値札があったのを見ている。(2008年頃)

インド産なんてバッタモンじゃないの?安すぎ。すると知り合いは、本物ですよ。インドは世界の薬品工場でアメリカに輸入されている薬品はそもそもインド製品が多くなっているのだという。おばちゃんはそうなんだ、じゃあいっぺん試してみよう。

2週間ほどでインドから届いたパッケージをみんなで分けて、おばちゃんはラティースを右目だけつけてみた。

5日ではっきり差が分かった。右目だけまつ毛が濃くて長い!本物だわ。おばちゃんは感嘆して、両目まつ毛に付けた。伸びる、どんどん伸びる。
知り合いのおばさんはラティースを塗ったらまつ毛が伸びすぎて瞬きすると眼鏡のレンズにさわさわ触れるのだという。
まあ、すごい。薬品は本物だったし、値段はホントにインド値段。

おばちゃんは処方箋の例のクリームが忘れられず、知り合いにハイドロキノンとトレチノインが手に入らないか、聞いてもらったが、今忙しいのでオンラインのURLを教えるから自分で買って、と。

オンライン・ショップは普通のショップと変わらなかった。ただ、ショッピング・カートがいつもテンポラリー故障中になっている以外は

トレチノインもハイドロキノンも安かった。インド値段で一本2ドルとか3ドル。送料の25ドルは大容量でも買わない限り同じなので、5人でも集まれば一人5ドル分担で済む。でも支払いはショッピングカートが故障中ならどうやって支払えばいいの?

紹介者に聞いたら国際為替を買って郵便で送っていたという為替を買うのは面倒くさいので、カスタマーサービスに電話をすると、クレジットカードでもOKという。だって、ショッピングカートが故障中じゃない?そしたら電話口で読み上げてくれればチェックアウト出来るから。

品物は無事届いたけど、直後におばちゃんのクレジットカードが不正に使われているとカード会社から連絡がありおばちゃんはカードを作り直した。


国際為替はやっぱり面倒くさいのでそれ以降その会社から購入していないが、いまだにおばちゃんのアドレスにメールくる。ひと月ぐらい前少し心が動いて、日本に送れるか聞いたらNoProblemsと返事が来たオンライン・ショップのショッピング・カートは相変わらずテンポラリー故障中である。


領事館に在留届

日本に住んでおられる人たちが誤解しないように在留届について書いてみる。
日本以外の国で3か月以上滞在する場合は、領事館に在留届を提出しなければならない。おばちゃんたちは紙に手書きで領事館に郵送の時代だった。

90年代の初めは、質の悪い「わら半紙」のようなレターサイズの紙に、氏名住所と電話番号を書く欄だけのすっかすっかの届け出書だった。

一回出しておけばそれでよいのだが、出さなくとも罰則は明記されていない。
国が言うには、海外で緊急事態が発生した場合には、日本国大使館や総領事館よりメールによる通報や迅速な援護が受けられますーー。ということだが。

赴任してすぐに提出しておいたが、LAの暴動が始まっても、大規模山火事(夏のお約束)が家に迫ってきても、911の時も、アメリカがアフガンにファイトバックした後も、領事館からはただの電話一本もらったことがない。

そのくせ、家を買って引っ越したら、どうして新住所を調べたものか、在留届の提出をお願い、などと手紙が来た。領事館に気遣ってもらったこともないが、書類の提出のお願いはされた。オンラインサービスが始まったあとでも、メールで何かのお知らせをもらったわけでもない。

在留が長い邦人、あるいは永住権をとってしまった在外日本人は、日本領事館や日本の外務省が何かをしてくれるなどという期待は全く持っていない。

何か自然災害、暴動戦乱などが起こったとしても住んでいたアソシエーションやシティの避難指示のほうがよほど頼りになる。

現在の在留届は、日本の連絡先や実家の連絡先や、仕事場など細かく記入をさせようとしているがそんなものを記入したところで、ただの平民の安否を領事館が心配してくれるわけがない。形だけの書類だろう。

平民でない人には、住むところから警備の手配まで専用のスタッフまで配置し細かく手厚く保護しているようである。小室夫妻がニューヨークに在留しているのを一番よく知っているのは、外ならぬ外務省と領事館である

自分が手配をして住まわせているのだから、小室番が部屋にも直接お伺いに行くに違いない。今更在留届を出せなどととんだ茶番である。

一朝、戦乱暴動などがあるとき、在留届在留邦人のリストに載っていなくても、外務省が真っ先に救出に向かうのが小室夫妻だろう。

それを在留届が出ていない、個人情報を出すのを懸念する小室圭、困惑する外務省などの記事を出したのはどのような魂胆があるのか?


最近は日本に一時帰国して「ジャパン・レールパス」を購入するときに、在留届のコピーを見せないと購入ができないように指示しているようだ。かつてはグリーカードの提示だけで買えたのに。嫌がらせをするにはよく知恵が働くと思う。


アイタタタ、タ

胆石だと診断されたのが2週間前。

石だと思うのですけどとドクターに言ったら、まあ検査してみましょうと。
「胆石です。」だから、石だと言ったのに。

去年の10月、豚カツを食べて夜中に七転八倒して救急車を呼ぼうと思った。その時石かもしれないと思い食生活を昭和初期風にしたら落ち着いて、危ないものを食べない限りケロッとしていた。

12月のクリスマス・イブにブログのお引越しで頑張ったからご褒美を上げるつもりで「雪苺娘」を二つ買った。
夕食後に一つ食べたら悶絶した。まだ、一つ残っているのに。
石を抱えている限りもう「雪苺娘」は二度と食べられないのか。くやしい。どこも傷んでいない雪苺娘をゴミ箱に捨てながら石を切ろうと決意した。(おじちゃんは血糖値が高いのでケーキは食べない)
今年の初めに受診してあちこち回されて胆石だと診断された。だから最初っから石ですって言ってるのに。

で、どうします?
どうもこうも、雪苺娘が食べたいので切ってくださいとお願いしたら、今コロナで入院手術の予定が立ちません。と。
そこをなんとか!とは誰かのようにごり押ししない。

ただ、いつ痛みが起きるかもうわからないし痛み止めで治まらなくなったらどのようにしたらいいですか?と聞くと
その時はもう病院に来ちゃってください。胆石症が悪化すると破裂しちゃうこともあるので、緊急で切ります。

おばちゃんは、ついアメリカに住んでいた時の癖で、緊急で手術するときと、スケジュールして手術するときと費用はかわりますか?って。金額を確かめた。いや、費用は変わりません。

変な患者だと思われたかもしれない。
とにかく、今は緊急性のある患者の手術が優先なのでおばちゃんの番がいつになるかわからない。春は免許証を書き換えたり、携帯の機種変更をしたりワクチンの3回目を射ったり庭開きで忙しいのに。

そしたら、夜中の4時ごろから痛み始めた。
痛み止めを飲んで、くそ~と寝返りばっかりうって、うとうとして夢を見た。担当医が、にやにやしながらいや~偶然ですね。
3月3日であなたが3月生まれの3の付く3ぞろえの患者さんです~。アタリ。手術です、とか言われて目が覚めた。

目が覚めたら3月3日だから3ぞろ目の日。緊急入院用のバッグなんか用意しておいたほうがいいのかな。ラップトップは持っていくように心づもりしているのだが。
もし、ブログの更新がぱったり止まったら石を切りに入院中だと思って。

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平均的アメリカ人が一生に何回訴訟に関係するか

平均的アメリカ人が一生のうちで訴訟と関係するのは何回くらいだろう?ふと思った。
ドナルド・トランプが抱えている訴訟3500件 
彼の会社が訴えているのは1900件。 訴えられているのは1450件。 破産訴訟とかのその他150件、連邦法だと169件である。

アメリカで一年のうちにファイルされる訴訟の数も統計にあるが、一般的なアメリカ人が人生で何回訴訟に巻き込まれるか、は統計に出てこない。検索場所か、検索ワードが悪いのか。

アイ子ちゃんは、アメリカで暮らすなら身内に弁護士がいなけりゃ怖くて暮らせないじゃない。と言って、自分の旦那を弁護士にした人である。私が知っているだけで少なくとも交通事故の訴訟で2回、学校関係で1回やっていると思った。

〇谷さんの奥様は壁の塗り替えを日本人業者に頼んだ。そしたらアシスタントのメキシカンが家具を部屋の中央に集め、上から汚れ防止にビニールをかぶせ、(ここまでは良かった)そのビニールを紙テープで止め新品のカーペットの上からカッターで切った。新品のカーペットがカッターでズタズタ。

業者が言い訳ばっかり言うので「日本人だからってタカくくっているならなら訴えるわよ」日本人業者が焦って新品カーペットを保証した。これは訴訟にならなかったが、〇谷さんの会社が日本の特許を持っているアメリカの唯一の代理店なので、アメリカ人がチャレンジしてくる件が多かったそうだ。

アッコちゃんはマネージャーとしてスモールコートに証人として何回も出廷した。パートタイマーのアメリカ人がオーバータイムがついていないと一発でスモールコートに訴えてくるから。

〇子さんは、客に会社のサービスのネガティブなことをしゃべって、会社からワーニング・レターをもらい「もう一度このようなことがあれば解雇もありうる」という文言を脅迫だと訴訟をファイルするとか騒いでいた。

訴訟には被告と原告と双方の弁護士がいるが全員日本人だと、同じ場所でバッティングして気まずくなったことがある。日本人が集まる場所は限られているから、お互いこれはもう避けようがない。

一度も原告にならず被告にもならずに平和にアメリカで人生を全うできる人がいれば、きわめて幸運な人なのだろう。(集団訴訟は数にいれないとしての話。集団訴訟を数に入れると、たぶん一生訴訟に関係しない人はアメリカにいなくなってしまうから。)

訴訟にならないまでも、諸庁諸組織にcomplainをファイルした経験のある数ならもっと多いだろう。

渡米して3年目に救急車で救急病院に運ばれ、ERの担当ドクターに「肝臓の数値がすごいことになってる。なんで飲むんだ!」って怒鳴られたからおばちゃんもつい反応して「曰く言い難し」と怒鳴り返したら、カルテに反抗的って書かれた。

なんでそんなことを知っているかといえば、チャート(カルテは英語ではチャート)のmedical releaseをかけたから。ドクターが持っているすべてのレコードをコピーして取った。

このERのドクターKelvinにはチャートにその他ないことないこと書かれてしまい、のちに大変なことになったのでおばちゃんはCalifornia Medical Boardにコンプレインをファイルすることにまで発展した。

コンプレインは受理されなかったが意見書が返ってきて例えば事実が疑わしいものであってもドクターが信じるところをメディカル・チャートに記述した場合、訂正を求めることはボードとしてもできがたい。とボートの意見が述べられていた。

そうか、。渡米して3年目だったしおばちゃんもよく考えずにしゃべったことを記録されてしまったのであった。端的に無防備であった。
アイ子ちゃんも同じような経験をしていて、こちらは交通事故だったが、ぶつけられて同乗していた10代になるかどうかの子供が最初にポリスの事情聴取に応じて話したことが調書に載ってしまい、子供の勘違いを訂正しようにも弁護士の旦那の力でも、がんとして修正できなかった。
アメリカでは用心深くあらねばならぬ。おばちゃんは心に誓った。

次は、日系だというだけでかかりつけに登録したドクターは3分診療どころか1分診療。こちらの症状を話し終えたときにはドクターは処方箋を書いていて、受け取って顔を上げたらもういなかった。
ある時、おばちゃんは耳の調子が悪くて耳鼻科の専門医に診てもらいたかった。ところがこの時のHMOという管理健康保険は患者はまずかかりつけの内科医にかかることになっていた。

HMOは保険会社が医療費を抑えるためにできたシステムで、かかりつけ医が患者にジャンジャン検査をすると金がかかるので、できるだけ検査をしない。専門医にも回さないようにする。患者を専門医に回すとかかりつけ医のHMO内の評価がさがるっていう噂もあった。胃が痛い、じゃあ制酸薬を処方して様子を見ましょうね。胃がんが悪化して死亡なんてこともあった保険システム。

この内科医が専門医に回したほうがいいね、と紹介状をだして初めてHMO内の別の専門医に掛かれる。
この日系ドクターに耳の不調を訴えて耳鼻科で聴力テストを受けたいと言ったら、こいつは簡易聴力テストの器具をとりだしてポンポンと3回鳴らした。聞こえますか?そりゃ聞こえるわさ。じゃ、異常なし。なんだって?たった3回よ。

この日系ドクターはウナギのようにすばしっこくアッという間に診察室をでて次の患者に向かっているのだ。おばちゃんはナースを捕まえて、話は終わってないと抗議するのだったが「ケエレ」と言われて切れた。

かかりつけ医に登録した後に、この日系医のうわさでいいものは何もなかった。どうもボンクラでアメリカのメディカル・スクールでやっていけなかったからフィリピンの医学校を出たとか。患者に心電図の大きな装置をしょわせて何日か検査させてたのにスイッチを入れるのを忘れていたとか、誰さんが手遅れでなくなったとか、。

登録したかかりつけを変えるには手続きと時間がかかる。
ましな医者に代わる前に言いたいことは言ってやろうと、HMO保険にcomplainをファイルした。
このドクターに苦情を寄せるのはおばちゃんが初めてではなかったのかもしれない。割と早く保険会社からhearingを開くからと通知が来た。そのころには別の医者に登録をして耳の検査も済ませていたから、怒りのエネルギーもしぼんでいた。

Hearingを開くってHMOもかなり本気で受け取ってるよ、どうするやる?ってテリーさんから聞いて、あの医者の評判も随分落ちただろうからもういいやって、そこで手じまいにした。

家を買った後は、住人とアソシエーションがビルダーを訴えていてセトルした後だった。壁が設計図より薄いとか、断熱材が入っていないとかバスタブに穴が開きやすいとか様々な手抜き工事が明らかになって、ビルダーが無償で補修工事を行うことで決着していた。

先人の日本人おば様によれば、このごろはビルダーは家を建てた後は会社を解散して家を買った住人が訴えようとしてもも会社が無くなてってできないことが多いのだと。ウチの家のビルダーは逃げ足の遅い奴だったので住民に捕まったのだった。ラッキー。

EDD(Employment Development Department)の裁判はインナー裁判だった。永住権を取った後、イミグレがおじちゃんのステータスをビザから永住権に書き換えるのを忘れたので、失業保険が下りなかった。もぅ、アホみたいなイミグレのミステークで裁判をやった。

ライセンスを持っていないエステティシャンにレーザー治療を受けて色素沈着しちゃったときは、おばちゃん自分で裁判をファイルした。自分訴訟というやつ。
相手は金を持っていないとわかっていたから少額裁判にした。自分でできるセルフ裁判な~んてウエブがあったので、おばちゃんはお昼寝をする代わりにせっせとページを読んで手順を踏み自分で裁判をファイルした。裁判の当日にコート外で和解したけど全額分捕った。勝負には勝った。

アメリカでずっと死ぬまで暮らしていたらあと何回裁判に関係しただろう?被告には一度もなっていないが、その後も訴えられずに一生を全うできただろうか?商売を続けていれば難しかったのではないか。

ちょっとのきっかけで訴えてくる社会は社会としておかしいではないかと、正論を言ったところで、自分がまっとうに生きていても訴訟は降りかかってくるものだと覚悟したほうがいい。訴えられて何もしなかったら確実に負けるのだから応戦するしかない。

おばちゃんのカンでは平均的アメリカ人は訴えたり訴えられたり、3回~5回くらい?人によってはもうちょっと多いかな。

集団訴訟は通知が回ってくるからこれは数のうちに入らない。
口座がある銀行だとか、物を買ってユーザー登録をした人だとか、サービスのアカウントがあるからとか、。弁護士団が勝手に住所を調べてくれて、こちらにお知らせを送ってくるからサインをして送り返すだけ。あとは弁護士団が和解金を分捕って分配してくれる。もちろん自分たちもたっぷり懐に入れる。

日本に帰国してからも一件、銀行の「和解金の小切手」が追っかけて届いた「125ドル」転送住所をあっちこっちさまよっていたので、伊豆に届いたときは有効期限が切れていた、。かなし~い。
おばちゃんが参加している集団訴訟で係争中がまだ一つある。いくら配ってくれるか楽しみ。


クリスマスの奇跡

ジビエはいかが?

おじちゃんを歯医者に連れて行って山に帰ってくるととっぷり陽が暮れていて、大変なものに遭遇してしまった。イノシシ。
アスファルトの道を左から右に横切って、あれっと思った時には丸々としたお尻だけがヘッドライトに映った。おいしそうなお尻。

山のサークルでは秋から春先にかけて猪鍋を食べに行くバスツアーがあって、あっという間に満席になってしまう。行きたいと思っても予約しそこねるので、道の駅で冷凍の猪肉を買って鍋にする。

まったく獣臭くない。白い脂身がちじれて口の中で溶ける。里の畑からかすめたサツマイモや百合の根や筍を食べているのでまずいわけがない。

今夜の猪は茶色の豚のような大きな丸いお尻だった。お父さんかお母さんかはわからない。
いつかの夜は母子に遭遇した。

道路の右端のカーブミラーの根元に何やら動く黒い影があって、車を止めて観察していたらウリボウが一匹、左に道路を横切った。縞があって丸々とした猫くらいの大きさ。続いてまた一匹。また一匹。トータルで6匹のウリボウが道を横切り、最後にお母さんがガンをつけながら悠々と子供たちの後を追った。

お母さんと喧嘩をしたらうちの軽自動車が負ける。ぶつけて倒して猪鍋に~とはいかないのだ。ウリボウだったらウチのオーブンに入る。ねぇ、おじちゃん、あんた猪はさばける?
誰が、馬鹿なことを。

うちの父は高圧線に触れておっこちてきた雉も、川で取ったフナやウナギも自分で捌けた。川に出す船は先祖代々の木の船が腐ったので、溶接ができる母の弟をそそのかして鉄の川船を自作し川で魚とりをした。男は捕まえた獲物と乗り物の手入れくらいはできるものであって欲しい。C.W.ニコルかいな。

おじちゃんが札幌で一時期働いていた時、地元の同僚の家に訪ねると、不幸にも崖から落っこちて亡くなったシカ肉のタタキが出てきた。シカは害獣指定されていなかったので、おっちょこちょいでつまずいて死んでしまったシカらしい。ねっとりと妖艶な肉。熟成した牛のヒレのようで柔らかくおいしかった。ショウガ醤油がよく合う。

一昨年の春に庭でコジュケイのお母さんに襲われた。羽を精一杯広げて大きく見せながら、ギギギ叫びながらと突っかかってくるのである。
おばちゃんは自分ちの庭なのに思わずタスケテとおじちゃんに救いを求めた。白と黒のダンダラ羽のコジュケイは行き過ぎては戻りまたおばちゃんに突っかかってくる。

気が付くと庭の端の水路に子コジュケイが一羽落っこちて、40センチの深さの水路を登ってこれずに底をうろうろと迷っているのだった。兄弟は土手の上の雑草の茂みでお母さんを待っている。
おばちゃんが水路に近づいたのでお母さんが迷い子・コジュケイを守ろと襲ってきたのだった。母の愛であった。コジュケイはおいしいと聞いたことがある。が、けなげな母を食べたら鬼畜と言われそうだ。

いずれにせよ山は鳥獣保護区なので、トマトをアナグマに取られても明日は咲くというユリの根っこを猪に掘られても、罠さえかけられない。なまじ罠にかかってしまったら保護区内では殺すことができずにおりの中で餓死させるしかないという。
それはいくらなんでもかわいそうすぎる。

野生人のように川で漁をし猪を捌く田舎暮らし番組のお父さんはすごいなぁ、と感心しつつテレビを眺める。猪のソーセージなどいかにもおいしそうではないか。
自然はたっぷりあって食べごろのジビエもその辺を走り回っているのだが、とっ捕まえ方も捌き方もわからず、指をくわえている半端田舎人のな~んちゃって田舎暮らしなのだ。


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