ウチで育つお花

おばちゃんは張り切って庭の手入れを始めたのよ。
朝起きると気温一桁だけどお昼過ぎには二けたになるから、もうフル装備で帽子と虫よけネットと長靴を履いて、落ち葉と枯れ枝はごみ袋に4袋ぐらい始末したわ。

枯れ枝の満天星生垣に冬咲きクレマチス

ヘデラは玄関庭以外思い切って引っこ抜いた。蔓ジャスミンも始末することにする。お隣さんもかなり昔に石垣にジャスミンを植えたと見えてジャングルになるのよ。花なんか1輪も咲かないのに。

ホームセンターの店先ではポットにピンクのジャスミンが咲いているのに、地植えにして次の年から咲かなくなるのよ。なんで?ツタ系は怖いわね。

おばちゃんが張り切って庭開きだ!っと言ったところで、当のお花のほうはクロッカス以外はまだ寝てるのよ。去年一昨年で嫌っというほど植えた宿根ネメシアやリナリアはまだ2センチしか育ってない。
サルビアも生きているか死んでいるかわかんない。チューリップもまだ3センチだし。

おじちゃんは出てきたチューリップ芽の少なさにスイッチが入って、去年もっと植えておけばよかった。

追加で買う!とか言ってて今更もう球根なんて売ってないわよ。ダリアと去年のグラジオラスが地面で腐ってたんですって。
だからユリでもグラジオラスでもとにかく球根を植えたいから明日中伊豆に買いに行こうと言う。

おばちゃんは困ったことに宿根草の“何” を“どこ”に植えたか忘れてしまった。半年過ぎると名前まで忘れた。サルビアの種類だと思うのだが名前のピックがどっかへ行ってしまってわからない。地上の株が枯れなかったほうが珍しいから今見えている葉っぱがあの草だかこの草なのどうなんだ。

しっかりせい!春は来た目覚めよ!と
おばちゃんが叱咤激励しようとお花はまだ眠けまなこだおばちゃんは困ってしまう。去年のお花が育ってくれないことには、新しいお花をどこに植えていいかわからない。

ちっちゃなスコップをズバッと地面に突き刺すと、なんか根っこを切ってしまった。しまった!去年秋に植えた“猫のヒゲ” かもしれない。白と紫と2株植えたのに。なんかいい具合に隙間が空いていたから、新しいデルフィニウムを植えようと思って掘ってしまった。

サルビアはどこ?

土だけの地面を見ているとこうしちゃいられないと思ってしまう。お花屋さんの店先はルピナスもジュリアンもベルフラワーも色の奔流なの。皆植えて!っていうから。ペンステモン・モーリーが欲しい。ペンステモン ハスカーレッドでもいいの。

あ”~。
マーガレットが枯れた!軒並み全滅した。真っ黒になって死んじゃった。
雪は3回くらいしか降ってないのに寒すぎたのかしら?霜よけは役に立たなかったの?おばちゃんは庭の西の段々にはピンクのマーガレットを生垣のように咲かせたかったのよ。植えては枯らし、それでも去年は5株は残ってたのに。ショック!
マーガレットはうちの庭には寒すぎるのね。悲しい。

毎年こうして家では育たないお花が発覚する。
今年の課題は「耐寒性のある宿根草」よ。マーガレットはあきらめて、うちで育つガウラで並木にするわ。

おばちゃんはコタツ寝たきり廃人からいきなり起き上がったので、太もももふくらはぎもパンパンになって、一歩歩くたびにプルプル震えてしまい庭から上がるとイタタと移動しながら、でもかまってられなくて、明日は何を植えようかと考えるのだった。


たかがミカンされどミカン

日本の今この季節というと、スーパーも道の駅でもJAでもミカンはある。ひょいと一袋買って、ああ、なんとう贅沢かなと思う。炬燵に潜ってミカンをつかんで皮をむいて袋の筋を取る。

カリフォルニアのスーパーの売り場の前でどうしようかな、買おうかな、高いかな、12月と1月の寒い時期だけに日本スーパーに出てくるミカン。
薩摩(サツマ)と呼ばれたミカンは甘みが抜けていたり、すっぱかったり日本のミカンにはとても及ばなかった。それでもサツマが出ると正月を思い起こさせて売り場で立ち止まってしまう。味が恋しいわけではない。雰囲気が恋しいのだ。

日本のミカンはアメリカに移植されたときに、薩摩という品種を移植したのか、ミカンと呼ばれず「satsuma」と呼ばれている。カリフォルニアでは多分気候が暖かすぎるのだろう、北部か別の州で栽培されているのかもしれない。2000年前後にやっと市場に出るようになってそれ以前はサツマだろうがミカンはなかった。

ミカンは重心が低くて皮が滑らかで薄く手に持つとずしっとする実が甘くてジューシーだが、サツマは皮がゴツゴツして小ぶりでオレンジみたいに丸くて重心が高い。皮は厚いくて剥きにくい。それでいてオレンジより高額で、売り場で買うか買うまいか悩んだのだった。

正月らしいことはしていないので、まあミカンだけでもと買ってキッチン・カウンターの籠に盛ってみる。日本の冬の果物。日本の香り。食後に一つづ食べようと思うが、もったいなくて眺めているうちに暖かいカリフォルニアの気候のせいで痛んで捨てる羽目になる。
たかがミカン、されどミカンである。

おばちゃんの家ではまだ霜が降りる。
明け方は5度か6度でお昼にやっと10度になりストーブはつけっぱなしだ。山をぐるっと登って降りると熱海、湯河原にでる。駿河湾が見下ろせる斜面にはミカン畑があちこちにあって、のんびりと陽を浴びている。暖かいのか?ミカンの産地だと、霜も降りないのか?

ここでおばちゃんの頭はぐるりとツイストしてしまって、ミカンはあったかい土地でとれる果物でもカリフォルニアでは冬の果実だったな。暑すぎるから北部に植わってたはず。寒い土地の果実。
でも、熱海や湯河原の暖かい土地でこのミカンがとれる。
日本のどこに住もうかと考えてあったかい伊豆を選んだのに山の上は寒かった。一体おばちゃん家は暖かいと言っていいのか寒いっていいのか。
考えると激しく混乱するので、思考を停止する。

日本に生まれて日本で育てば当たり前のことを疑うこともないし、何の変哲もないものが他の国では全く手に入らなくて、さらに日本の常識も通用しないということを経験しない。


おばちゃんの意見では、“当たり前のことが当たり前であるのはおかしいこと“であるのを人類は知っておいたほうがいいのじゃないか?
国連かなんかが音頭を取って、全人類は人生の中で2年くらい別の国、別の気候、別の法律で暮らしてみる”取り換えっ子プログラム”を施行してみてもいいのじゃないかと思う。

そうすれば“切ないミカン”とか“悲哀のナメコ”とか“切望のシャウエッセン”とかの気持ちが人類で共有できる。国際紛争もきっと減るはずだ。当たり前という観念ほど厄介なものはない。

風はまだ冷たいのだが来週はもう3月だ。
なんだかお尻が落ち着かなくなって中伊豆の園芸店まで園芸用土と肥料を買い出しに行った。
山のてっぺんは2週間前に降った雪が道路際に掻き寄せられていて山の陰にはまだ30センチの高さで消え残っている。気温は8度だ。

幹線道路は混むので山道を抜けると修善寺に出る。ここの里ではとっくに菜の花が咲いている。気温は15度だ。川沿いの中伊豆は陽がまぶしくて園芸店の店頭は春だった。
おばちゃんが一番好きなリナリアもネメシアも苗はとっくに出ている。今ここで苗を買っても、自宅の庭にはまだ霜が降りるし、もう一度くらい雪が降るかもしれない。じっと我慢である。

庭はまず冬の間にたまった落ち葉と枝を掻いて、宿根草の枯れた葉を取り除く。伸びすぎている枝を払って痩せてしまった気がする土に、栄養と追加の園芸土を足してやる。今年は何を植えるか計画を考えてウキウキしながら明るい中伊豆を後にする。

地方の行政はあからさまである。
集落のはずれに来ると道はいきなり1車線になってアスファルトの舗装は薄く貧弱になり山の道に入る。山影でいきなり気温が2度落ちた。高度が上がるにつれて気温はシュルシュルと下がって、家に着くと10度だった。
留守にしていた家は冷たく冷えていて、猫たちはコタツから出てくるのであった

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