仙人になれる暮らし

山で暮らすことのネガティブな点は寒さと湿気。
ポジティブ・ポイントは人との物理的距離が取れること。

ただし、昔ながらの田舎じゃなくて移住者だけ集まった地域。周りからよそ者だと思われているので、十分な物理的距離と心理的距離をとることができる。里までたった20分なんだけどね。

お向かいの中野のおばちゃんによると、四十数年前この山に家を建て里のお肉屋さんにお肉の注文をしたとき、「旅の衆」と呼ばれたそうだ。昭和の話である。

田舎暮らしにあこがれている人、都会で人との付き合いに疲れている人には、山の世界はほっとできる避難所。ヒノキの林にひっそりと建つ隠れ家に住むことができる。
お隣の生活音は全く聞こえない。

壁を挟んでお隣のテレビが聞こえてくるような生活に疲れて倦んだ人が、田舎に引っ越してくると静かすぎるかもしれない。たとえ隣に家があっても、年に数回しか来ない別荘である場合も多い。車は頻繁に通るものではないので、郵便屋さんのバイクはすぐわかる。夜は自然が立てる音以外静まり返る。

雪が降って除雪車が来る前は、雪が音を吸ってここ以外の世界が滅亡したのかもしれないと思うほど静か。ただ、シンと音がない。

里に下りるのも嫌になれば、山のセブンは配達をしてくれる。お弁当は2つから配達可。昼過ぎにはセブンのレジの横にデリバリー予定の買い物籠がいくつも並んでいる。宅配サービスだかを頼むと山を下りることも忘れてしまうのだそうだ。その気になれば本当にな~んちゃって仙人の生活ができる。

山に引っ越してくるような住人の3分の1は人づきあいが嫌いな変人。山でお散歩をしているじい様バア様に「こんにちは」と声をかけても返事が返ってこないことがある。都会での人づきあいに疲れたので、今更もう面倒なお付き合いはしたくないわ、なのかもしれない。

そこまで仙人にならなくてもいい人のためには、山にはサークルもいろいろある。囲碁でも麻雀でもハイキングでも飲み会でもお付き合いを求めている人は好きな分野のサークルで住民交流することができる。ゴルフ場はテッペンと中腹と2つある。お高いものでも町営でもお好きに。

おばちゃんは、卓球を選んだ。
ただこのコロナで活動も停止したり再開したり練習日は安定はしていない。この前、緊急事態宣言が解除されたときに、久しぶりに幹事さんに会ったら、卓球サークルに若い新人が入ったと。
それはめでたいと寿いだら、幹事さんは続けて、若い新人とは実は早期退職の54歳だった。一体うちのサークルの平均年齢はどうなんだ?気になって計算したら平均が「74歳」だったと。

おばちゃんも思わず絶句して、新人さんが平均年齢を引き下げる前ですか後ですか?
“うん。引き下げた後で74歳!”
最長老の先生は去年87歳だったから、早期退職一人ではどうにもならなかった。こんな状態だから、あと10年たつと山はもっと静かになるだろう。

コロナが始まる前年の12月に卓球サークルの忘年会があって、皆さんお年なのでお酒はそれほど召し上がらず和やかにお開きになった。


幹事さんの車に乗り合わせて山に戻る途中、新しく完成した町の火葬場を通り過ぎ、長老がとうとう完成したんか?ここが一番近いから儂はここで焼かれるんじゃな、と感想に実感がこもっていて同乗者一同アハハと同意した。
見晴らしがよくきれいな施設である。高くなければいいが。

山にはいろんなタイプのログハウスがある。薪ストーブを据え付けて山小屋暮らしの雰囲気はたっぷり味わえる。てっぺんに住む弓子さんとお知り合いになっておうちに招かれた。

ログハウスというのは壁と間仕切りを極端まで排除したつくりである。壁で仕切ると、ストーブの暖房が行き渡らなくなるから。


目隠しの衝立のような壁はあるがトイレとお風呂には壁を作ってない。お風呂はストーブと対角線上の端っこにあるので、一番寒いらしい。お風呂エリアに石油ファンが一つあれば寒くなくなると思うのだが、薪ストーブの矜持か?意地か?か導入する気になれないらしい。窓にプチプチを張ると冷えが和らぐよと提案したら実行したようだ。

山に一人住むくらいであるから弓子さんも変わっている。大手の会社に勤め早期退職して女の細腕一本の稼ぎでログハウスを建てた。保護猫と売れ残りのノルウエージャンとしっぽがそそけてセールで安くなったモモンガと暮らしている。

弓子さんも日本の会社で戦ってきた人だから、おばちゃんが話しても引かれないない、素でお付き合いできるからありがたい。

この間の雪はうちでうっすら5センチの降雪。車は冬タイヤで里に下るのは問題なかった。

うちより上にはバスが登って行けずに管理事務所で待機だそうだ。車で里に降りる時、山の入り口が境目になって、警備室の上は雪。下は雨。笑ってしまうほど天気が分かれた。
車の屋根に雪を乗せたまま町を走った。ちょっと恥ずかしい

たかがミカンされどミカン

日本の今この季節というと、スーパーも道の駅でもJAでもミカンはある。ひょいと一袋買って、ああ、なんとう贅沢かなと思う。炬燵に潜ってミカンをつかんで皮をむいて袋の筋を取る。

カリフォルニアのスーパーの売り場の前でどうしようかな、買おうかな、高いかな、12月と1月の寒い時期だけに日本スーパーに出てくるミカン。
薩摩(サツマ)と呼ばれたミカンは甘みが抜けていたり、すっぱかったり日本のミカンにはとても及ばなかった。それでもサツマが出ると正月を思い起こさせて売り場で立ち止まってしまう。味が恋しいわけではない。雰囲気が恋しいのだ。

日本のミカンはアメリカに移植されたときに、薩摩という品種を移植したのか、ミカンと呼ばれず「satsuma」と呼ばれている。カリフォルニアでは多分気候が暖かすぎるのだろう、北部か別の州で栽培されているのかもしれない。2000年前後にやっと市場に出るようになってそれ以前はサツマだろうがミカンはなかった。

ミカンは重心が低くて皮が滑らかで薄く手に持つとずしっとする実が甘くてジューシーだが、サツマは皮がゴツゴツして小ぶりでオレンジみたいに丸くて重心が高い。皮は厚いくて剥きにくい。それでいてオレンジより高額で、売り場で買うか買うまいか悩んだのだった。

正月らしいことはしていないので、まあミカンだけでもと買ってキッチン・カウンターの籠に盛ってみる。日本の冬の果物。日本の香り。食後に一つづ食べようと思うが、もったいなくて眺めているうちに暖かいカリフォルニアの気候のせいで痛んで捨てる羽目になる。
たかがミカン、されどミカンである。

おばちゃんの家ではまだ霜が降りる。
明け方は5度か6度でお昼にやっと10度になりストーブはつけっぱなしだ。山をぐるっと登って降りると熱海、湯河原にでる。駿河湾が見下ろせる斜面にはミカン畑があちこちにあって、のんびりと陽を浴びている。暖かいのか?ミカンの産地だと、霜も降りないのか?

ここでおばちゃんの頭はぐるりとツイストしてしまって、ミカンはあったかい土地でとれる果物でもカリフォルニアでは冬の果実だったな。暑すぎるから北部に植わってたはず。寒い土地の果実。
でも、熱海や湯河原の暖かい土地でこのミカンがとれる。
日本のどこに住もうかと考えてあったかい伊豆を選んだのに山の上は寒かった。一体おばちゃん家は暖かいと言っていいのか寒いっていいのか。
考えると激しく混乱するので、思考を停止する。

日本に生まれて日本で育てば当たり前のことを疑うこともないし、何の変哲もないものが他の国では全く手に入らなくて、さらに日本の常識も通用しないということを経験しない。


おばちゃんの意見では、“当たり前のことが当たり前であるのはおかしいこと“であるのを人類は知っておいたほうがいいのじゃないか?
国連かなんかが音頭を取って、全人類は人生の中で2年くらい別の国、別の気候、別の法律で暮らしてみる”取り換えっ子プログラム”を施行してみてもいいのじゃないかと思う。

そうすれば“切ないミカン”とか“悲哀のナメコ”とか“切望のシャウエッセン”とかの気持ちが人類で共有できる。国際紛争もきっと減るはずだ。当たり前という観念ほど厄介なものはない。

風はまだ冷たいのだが来週はもう3月だ。
なんだかお尻が落ち着かなくなって中伊豆の園芸店まで園芸用土と肥料を買い出しに行った。
山のてっぺんは2週間前に降った雪が道路際に掻き寄せられていて山の陰にはまだ30センチの高さで消え残っている。気温は8度だ。

幹線道路は混むので山道を抜けると修善寺に出る。ここの里ではとっくに菜の花が咲いている。気温は15度だ。川沿いの中伊豆は陽がまぶしくて園芸店の店頭は春だった。
おばちゃんが一番好きなリナリアもネメシアも苗はとっくに出ている。今ここで苗を買っても、自宅の庭にはまだ霜が降りるし、もう一度くらい雪が降るかもしれない。じっと我慢である。

庭はまず冬の間にたまった落ち葉と枝を掻いて、宿根草の枯れた葉を取り除く。伸びすぎている枝を払って痩せてしまった気がする土に、栄養と追加の園芸土を足してやる。今年は何を植えるか計画を考えてウキウキしながら明るい中伊豆を後にする。

地方の行政はあからさまである。
集落のはずれに来ると道はいきなり1車線になってアスファルトの舗装は薄く貧弱になり山の道に入る。山影でいきなり気温が2度落ちた。高度が上がるにつれて気温はシュルシュルと下がって、家に着くと10度だった。
留守にしていた家は冷たく冷えていて、猫たちはコタツから出てくるのであった

移住1年目

小輪
花を植え始めてから私はハタと気が付いた。
私は小輪の花が好き!
小さくて可憐な、花が群れを成して咲くとうっとりしてしまう。

最初にとりこになったのが、リナリアとネメシア。春にメダカが群れるような黄色のリナリアが咲き誇ると、ステップを踏みたくなるほどうれしい。

2色の花弁のネメシアが咲くと、ゴージャスなレースのフリフリ服に見えないかしら?
春にはぜひ咲いてほしいので、リナリアとネメシアをしつこく植えるのだけど、10月には枯れてしまい、次の春にも地面からは音沙汰がない。種もこぼれているのよ。

10月に透明ビニールで囲いを作っても、やはり枯れてしまう。どうも、気温のせいではないらしい。
しつこくホームセンターの花売り場を物色していると、「宿根リナリア」とラベルを発見!私が宿根草に目覚めた瞬間である。毎年、山ほどリナリアを植えて、枯らさなくていい!宿根草なんて素敵、でも高い!

リナリアの次に取り込まれたのは、ガウラ 
道端に生えていたガウラを一目ぼれしてガーデンセンターで買い集め。これはまぎれもない多年草よ。

毎年植えなくてもいいことよ。買ったときは20センチほどの苗だったのが、夏に向かってみるみる育ち、花壇の手前に植えたもんだから奥の勿忘草が隠れてしまった。
しまった!

背が高くなるお花は奥に植えなくては!おばさん、空間認識の発見である。ついでに時間認識も発見した。

背が高くなったり、横に張り出す未来を考え、前後左右に空間を置くべし、。この奥義を発見するまで、ほぼ3年という月日がかかった。

愛しのダーラ
ピンクで小輪の花ならダーラ。
ダーラは小輪でコケティッシュで愛らしい。山の冬を越してくれるのは数株なので、毎年ガーデンセンターを巡回して買い足す。外国産の種がオンラインで一店舗だけ売っていて、でも、種から育ったのはたったの一株。種まきって難しいわ。

朝には高いトーンでなくホトトギスがいる。若い歌い手の気がする。
キンちゃん鳥も歌う。キンチャ-ン キンチャン キンチャン と三回鳴く。たま~にPeople get her  People get her People get herと鳴く鳥がいる。何の鳥だろう?

風が見たい

山梨県の忍野八海(おしのはっかい)なんと雅な名前!ここに行ったとき、人家の植え込みに見事な風知草ががあった。ご近所に何軒も。風知草がこの辺のトレンドらしかった。おばちゃんも、伊豆の山を渡る風が見たくて風知草を植えてみたた。

ベランダの窓から庭を覗いても、風があるかどうかわからない。風知草があれば風が見える。さよさよと美しい風が見える。

これはアミガサ茸だろうか?
チャイニーズ・スーパーで確か見たことがあるわ。そんな高級なキノコがおばちゃん山の庭に生えていいわけ?
レストランでもアミガサだけはかなり、高価な料理だったわよ。うちの庭の日陰に生えてきたブツ。さわった触感はゴムのようにかなり弾力がある。とりあえず写真を撮ってみて、なんか嬉しい。

思えば、前世紀の南加の日本スーパーでは生のナメコはなかったの。赤だしでナメコの味噌汁は好きだったのに。ちっこ~い缶詰のナメコが一缶6ドルで、とても買う気になれなかった。

たかがナメコに、6ドル出してたまるかと。
永住権が取れて、7年ぶりに帰国したらスーパーに袋入りのナメコが山と積まれていて、ナメコだ!わ~い、ナメコがある。とはしゃいだら恥ずかしいからやめてと、姉に言われた。

一時帰国するまで日本で食べたかった食べ物は、シャ〇エッセンとラーメンと日本そば。シャ〇エッセンのような肉製品は輸入制限があって、アメリカで見ることもできなかった。
食べたくて食べたくて、7年間夢に見たシャ〇エッセンを一時帰国の時にスーパーで早速買って茹でて食べたとき、舌はとっくに味を忘れていたのよ。
アメリカのスパイスが効いた肉製品を食べていると、気が抜けて感じられるたのね。悲しい思い出。

今?
今はIn & OutのハンバーガーとCalifornia Pizza Kitchenの4チーズとジャンバラヤそしてPho, Pho, Pho!!!を夢見るわ

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