異色・入院雑記

おばちゃんはコントロールされるのが嫌いだ。
山、高きが故に貴からず。親だからと言って教師だからと言ってその言に従うわけではない。相手に論理と根拠があれば耳を傾けるかもしれない。

腹腔鏡で胆嚢除去手術なら順調にいって4~5日から7日ほど入院らしい。3日目にこんなところに7日も居てたまるかと思った。

主な原因は病院食である。
作ってくださっている栄養士と調理師の皆さんには申し訳ないが、患者には塩分やらなにやらの制限があり、さらに予算の制限があり、時間の制限がある中で何百人分もの患者の食事を用意するのは大変であろうと思う。


ただ、煮汁にぷかぷか浮いているカボチャは論外であるし、キューリをすりおろして大葉と混ぜ酢だけで味付けをしてそれを5分粥のおかずに食べろとは無理目であった。

最初の入院では食欲が戻ってきたが、今回の入院ではさっぱり。
自家製の梅干しから作った梅ソースで粥は食べられるがその他おかず乳製品には胃が拒否権を発動していたのであった。鼻がむやみに敏感になっていて、食器の生臭さとも相まってお手上げであった。

かぼちゃに懲りて、今回持ち込んだ非常食はカロリーメイト、ビスコ、キットカット、ビタミンゼリー、フルーツ飴、日本茶パック。業務スーパーでカップヌードルに手をかけたところダメだ!とおじちゃんから制止された。

初回の入院はとにかく口から食品を入れると体が吸収して回復する実感があった。食事が食べられれば回復が早い。おばちゃんは病院に修行に来ているわけではない。口に突っ込めば吐いてしまうであろう食品をあえて口にして回復を遅らせる必要はない。体の修理に入院していて目的は体の回復である。食べられるものを食べればよいのだ。

次はカロリーメイトを試したが、これは意外とハズレだった。あまりにもドライでパサつくので飲み物がないと呑み込めない。売店のパウンドケーキのほうがましかな?病室から売店は遥かかなたで、ビザを取って北朝鮮に行くくらい遠かった。

導尿の管が入っているときはトイレに一人で行くのがやっと。
導尿が抜けると少しは自由度が高まるが、首の点滴が2本とひじが1本、硬膜下が1本ぶら下がっているので、立ち上がって移動時には、首の点滴をよっこらしょと肩にかけキャスターがバカになっているポールをガラガラと押しながら時々あさっての方に曲がりたがる点滴のキャスターを蹴っ飛ばす。


熱湯が出る休憩室にマグカップをもって遠征する。売店はさらにエレベーターに乗って下に降りねばならない。途中4回くらい休憩が必要であった。

硬膜下の点滴は外れ痛み止めはロキソニンになった。ロキソニン!か。この痛み止めの副作用は広く知られているようだから詳しくは書かない。

病室に帰ると昼食が来たが、おばちゃんはため息をついた。
看護師さんがどうしました?と聞くので痛むからロキソニンは飲みたいが食欲がないので、持ち込んだどの非常食を食べてからロキソニンを飲もうかなと考えてます、正直が駄々洩れした。

看護師はその後担当医にチクったようであった。
次の回診の時に担当医が食べたいものがあったらどんどん食べてよし、ただし看護師さんには軽く申告しておいてね、というのでその時初めて、病院では好きに食べてよくはないらしいということが分かった。

どうでもええやん。そんなこと。
アイ子ちゃんは帝王切開で入院した時に、病院食を一目見て出前を取りたいといった人であった。さすがに病院側から止められ3食ご主人に差し入れをさせた。

私もアイ子ちゃんも考え方は同じで、入院の目的は体の修理と回復である。修行でも病院の食事の規則を守ることも目的でもない。

最初の入院では食欲が出た後は回復が早く、担当医にプレゼンして5日目に退院した。
今回はどのようにプレゼンをしたらよいか?


担当の看護師も昼夜で毎日変わるのだが、担当医に言われた事:売店で買ってでも食べる。を看護師が変わるごとに申告しておいた。めでたく売店に行って日清カップヌードルを買い、ナースステーションの前を見よがしに通った。
リハビリ療法士は断った。スキップはまだできないけど今日は売店まで往復してきましたから!

お風呂に入りましょうという看護師には、私の目標は明後日家のお風呂に入ることなんで、大丈夫!ゴールと目標を強調する。

極めつけは朝の回診の時に、担当医におばちゃんの切り札のカードをさらした。「うん、それはうちに帰ったほうが絶対早く回復するね」と誰もが納得の情報だった。
これはおばちゃんの企業秘密なので公開できない。

めでたく術後9日目で退院した。ロキソニンはゴミ箱に捨てAdvilを飲んで家でシャワーを浴びた。


翌日はアイ子ちゃんにLine
越後屋さん、あなたいくらで円に換えた?

アイ子ちゃんは4月の初めに南加の家に帰り、私の入院中に円ドルがどこまで変わるか手ぐすねを引いて待機していたのである。


131円、手数料なし!
えっ?手数料なし?
そう、投資口座の円建てで手数料なしで投資できるのである。指値で131円。さらに投資口座なので利率がつく。食えない女である。越後屋~!

蛇足
大部屋の他の患者さんは皆さん従順であった。
患者さんは何人も変わったが、必ず皆さん主治医に聞くのである「私は何時お風呂に入れますか?」自分が入れる気分になったら入ればいいやん。回復の証拠だし、そんなことを何故医者に聞く?

退院時期も同じこと、導尿が取れて点滴が抜けて食事ができて自分でトイレに行け、痛みが我慢できる状態なら退院できるであろう。自分の体の声を聞けばよいのに。
今回は羊の群れに紛れ込んだシベリアンハスキーだったような気がしないでもない。


闘病記

1- アイタタ、タ
2-五臓五腑になる入院記
3-再入院
4-発覚
5-告知
6-日本のチーム医療・パッケージ治療
7-闘痛記
8-異色・入院雑記

日本のチーム医療・パッケージ治療

*この記事は入院中に書き退院してから手を入れてUpしました。記事の時間列が多少前後しております。

日本の医療体制:病院というのはがっちりシステムが組みあがっている。評価はまず横に置く。
何せ平成の間は日本にいなかったから、日本の医療進化過程はわからない。この国立病院ではとにかく大容量の人が動いていて巨大な有機体のようなチームが仕事をしている感じ。

治療の標準的手順などがカッチリ決まっていて、そこに患者個人の意思が入る隙間が極めて少ない。文句を言われないため。待たせないためのシステム。国立病院では患者が受診するところからお会計までいかにスムースに処理できるかに全力を集中している。


最初の総合病院に行った時もひっくり返るほど驚いたが、何かの受診番号だか指示書を受け取って衆人環視のなかで30秒紙を見て動かないと病院のスタッフが飛んでくる。
おばちゃんは人が飛んでくるまでの時間を計ったから。


このお手伝いスタッフの数も相当な人数だった。右も左もわからないおばちゃんにとっては助かったし便利だったが、ビジネスを経営したおばちゃんから見ると「不気味で腹の底が冷えた」現象だった

これらの膨大な人員を「お客=患者」が困ったときのためにトレーニングしサーポートだけのために勤務させるための人件費は一体いくら必要なのか。おばちゃんは人を雇うほうだったからどのくらいの期間トレーニングが必要か、人件費と社会保障費は半端ないことを実感として知っている。

そういう組織が作り上げられている総合病院で治療体制はどうなるのか、、というと。
そこそこ有能でベテランの専門家医がいる。一旦診断がつくと標準治療パッケージというやつが待っている。病気のステージごとにカテゴライズされてやるべき治療の指針と方法が決まっているようだ。

ステージ1で他に浸潤がないならついでにリンパ腺温存。
2では浸潤が目に見えない場合が多いから、用心のためにとりあえず切除。リンパ腺も廓清。3次いで化学療法。化学療法が効くか効かないかではなく「皆さんやっているから」標準としてパッケージであてがわれる。

診断からいかにスムーズに治療退院までもっていくかに医師とナースと組織が全力を挙げている。そういう流れの中に、「おまかせ」で治療をしてほしくない患者が混じるとどうなるか。

臓器の浸潤が目に見えない場合、手術中にサンプルをピックして病理検査結果が半時間で帰ってくる?1センチのがんは1億の細胞の集まり。それでやっと肉眼で確認できるわけだから、1つのゆで卵の正中線でサンプルをとり、細胞診でがん細胞が発見されなかったといってゆで卵全体ががん細胞フリーという意味ではない。目に見えない状態で播種があっても調べきれない。それはその通りである。

だが、目に見えないからという理由、予防のためだからととりあえず切ってしまえ。切られる患者としては大いに問題ではないか。
切り取られることで体への痛みとダメージは半端ない。その後に生涯続く影響があるのである。リンパ浮腫などはその代表だ。

乳がんのリンパ節郭清はアメリカではあまりやらないが、砂浜の一つまみをピックアップしてそこにCが混じっているかどうかは運に過ぎない。とにかく切ってしまったほうが医師としては一番楽。

「悪いところは全部取りました。再発を防ぐためにリンパ節の郭清をしました。念のために化学療法を始めましょう」日本の慣用句である。がん治療のお任せ治療パッケージである。

だからおばちゃんは転移がはっきりしない状態でリンパをとるのはどうなのか?予防の為とおっしゃるが、おばちゃんのフジコ・ヘミングウエイはFresh Madeではない。1年物でもなく少なくとも3年からの長い成育歴があるように見えた。過去3年の間リンパ節はせっせと体液を流していたのだ。

さらに言えば、再発予防にリンパ節を取って、それまでリンパ節に流れていた体液はその後どうなるのだ?溜まっていくわけ?担当医は、いや体の他に吸収されます。他に流れます。

やっぱり他に流れるのじゃん。
体液が効果的に流れるように自然が設計したリンパ節を取って、リンパ節をとって体液が他の部分に非効率的に流れるリンパの流れの改悪をどう理解したらいいのだ。いずれにせよ体液が流れるという点で、どこか肝臓付近に存在するかもしれないC細胞の移動と転移を止める目的は完全に達成はできないよね。

主治医は、ベテランで悪い人ではない。
プライベートでお話をしたら多分愉快な人だろうとおもう。がおばちゃんの治療に関しては何十年日本の医療界で生きてきた常識から一歩も出てこない。
アメリカの医師もアメリカの医療界の常識から一歩も出てこないので、その辺は一緒だが。

ただ、アメリカも常識から出てこないが、患者の意思は尊重してくれる
医療行為であっても裸にされて治療を受けるのは人間の尊厳を損なうので、裸で治療は拒否する人がいる。輸血を拒否する信仰もある。心臓停止の場合の救命措置拒否リクエストDNRがあれば尊重される。

日本のお任せ医療では主治医との術前のコンサルテーションは、病院が用意した免責事項を読み上げて患者にサインをさせる時間である。患者のオプションを指定できる約定ではない。


病状の説明と手術内容の解説時間は短い。
宣告と手術までの間は、きわめて短くて十分主治医と二人で検討したとはいいがたい。何せゴールデンウイークが迫っていて、早くスケジュールを組まないといけません。
主治医が提示する診断と手術内容をパッケージで差し出されてそれにサインしますか?しませんか?と言われているだけ。

それでもおばちゃんは、腹膜に播種があったらリンパ節の郭清と肝臓に手を付けるのもやめてもらって、観察して写真を撮って閉じてもらいたいと言った。
腹膜に播種があったら切りません。切っても無駄なんでと主治医は言った。
とりあえず、ここは同意ができた。

肝臓はどの部分をどのように切ります?こことここです。とイラストを見せてもらう。この2葉は肝臓全体ではなん%に当たりますか?予後QOLがかかっているからね。
大体20%ほどです。30%いかなくてよかった。肝臓は出血しやすいらしい。手術中に大出血もあるかもしれない。後記:結局3分の1切除した。念のために。

術中の大出血緊急事態に陥った場合のために、4年前作った「日本尊厳死協会」の会員証とリビングウイルのコピーと最終治療のやってほしくないリクエストを見せる。チャートに閉じてもらうつもりだったのに担当医は見るだけで受け取らない。

担当医は日本尊厳死協会の会員証をへぇー?初めて見ました。と言った。
そうなの?
おばちゃんは帰国してからいろいろ調べてこの協会にぶち当たったからおじちゃんと二人で加入した。日本の医療業界でも普通かと思っていたのだが、違うのか?

意思表示ができない状態になった時の「患者のやってほしくないリスト」に目を通して、ふ~んと言ったがまあここの辺は今は関係ないし、術中になんかあったとしても助かると思ったら僕はやりますから。

ここのへんで、おばちゃんは到底分かり合えない溝を確認した。
心臓が止まったら止まったら止まったでいいんだ。それが患者の意思なんだけど。

担当医さんにはニューヨークの治安の悪い総合病院のERで2年くらい働いてもらって、DNRを助けちゃって患者が医療費の支払いにパンクして予後が悪いから仕事もなくなった人からバンバン訴訟をされると、彼の常識もかなり変わると思う。

おばちゃんは20分では担当医の常識を変えられないので術中のDNRはあきらめた。

手術の当日、朝の回診でこの記事を書いているところに担当医が顔を出してどうですか?変わりはないですかと聞く。お互いちょっと緊張している。

何やってるの?ブログを書いてます。読者がいます。やりにくい患者だろうな、。
さぁ、あと4時間で手術だ。


闘病記

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闘痛記

今度の痛みのスケールは10のうちの11
二人の刀鍛冶が溶鉱炉になったおばちゃんの腹の上で日本刀を鍛えていた。次の日は関取が餅つきをしていた。

今は小錦がおばちゃんの肝臓の端っこを三つ折りにしてその上にどっかりと胡坐をかいている。重くて痛い。

術前のコンセントで担当医と改めて痛み止めについて確認をしおいた。
限界ギリギリまで硬膜下麻酔と痛み止めは入れてください。手術は受けるが一番いやなのは痛みであって、痛みを我慢するストレスだけは味わいたくないです。

一回目の胆嚢除去の時も、麻酔はたっぷり痛み止めは贅沢にお願いしやす。はい、わかりましたということだったのに、いざとなると看護師は麻酔のお替りは禁止。だって、限界量が決まっているのでそれ以上はダメなんです、っと。


だから、今度の手術の前のコンセントはそこんとこを担当医に指摘して、再度
麻酔はたっぷりお替りで痛み止めは贅沢に」と念に念をいれて念を押したつもりだった。

ところが日本のチーム医療というのは非~常に多くの人員で構成されていて、担当医一人がその気になって患者に何かを請け負っても、看護師たちには申し渡しがいきわたらないのである。

それで、3日目のお昼に硬膜下麻酔が切れ始めたときにすぐにナースコールしてお代わりを頼んだらなんと、普通の痛み止めの点滴を持ってきておばちゃんの痛みはマックスになった。
これじゃ効かない、硬膜下麻酔を入れてくれというと今の痛み止めが普通ですという。その普通が嫌なんだ。

これで、申し渡しが全くいきわたっていないことが分かった。
それでナースにおばちゃんは担当医とは術前で麻酔と痛み止めはたっぷりお替りという合意ができている。だから担当医さんは許可が出ているはずというと。

担当先生に確認しますが、担当先生は今手術中ですという。手術が終わるのは午後4時です。と抜かす。おばちゃんはもううなり声も出ない。

確認が取れて麻酔が届いたのは6時。
今度の量はいつまで持ちますかと聞くとおおよそ2日は効いているという。
じゃ、そのあともお代わりをお願いしますというと、もうこれで限界です。ふつうはこれ以上やりません。もしやったりすると、感染などのリスクがでてきますから。

おばちゃんは、嘘つけ、と思う。
トータル3回6日間ぐらいは平気だろうと思う。なぜというにアメリカで手術後日本人がぱかぱか死んでいないからだ。日本の2重3重の責任回避と及び腰の体制を考えると、感染がでて(リスクはそれほどあるとも思えないが)病院と医師が責任を取りたくないからだ。
責任を取るより患者に我慢してもらったほうが楽。

アメリカの麻酔痛み止めの限界は日本の医学の普通とされる限界より可なり上だろう。
タイレノールの有効成分量を日米で比較してみるとよい。

今このブログを書いて気が付いたが担当医はたぶん誤解しているのである。
アメリカで無痛医療に慣れている患者=おばちゃんが日本でも同じ扱いを求めていると
と~んでもない。

まったく反対であった。
アメリカでは、麻酔の量を減らしてくれ、薬の量を減らして、弱い薬にして!
イラニアンの歯医者で抜歯をすることになったとき、歯医者が持ってきた注射器は戦慄するものだった。薬液が7~8センチはたっぷり入っている。

歯茎にぶっすり打たれ麻酔をもうこれ以上受けつられないと、当の歯茎から余分なノボカインが口の中にシャワーのように降りそそぎ、窒息しないために麻酔を必死で飲み込んで「これはもしかするとシャレにならないかもしれない。下手すると麻酔で持ってかれる」と真っ青になった。

歯医者と助手はさらにおばちゃんに麻酔ガスをかがせようとしてくる。
朦朧としてマスクを避けようとするおばちゃんと、かぶせようとしてくる歯医者。思うように舌が動かないので、enough, enoughというのだがit’s okとマスクをかぶせられて、深呼吸をしたとき「ああ~、おばちゃん終わった」と意識が飛んだ。

抜歯が終わっても立てず、クリニックに回復室はないので料金を払って帰れと言われ、よろめき出たクリニックの外の石のベンチで4時間死んだ。
公衆電話を掛けに行く力さえなかったのである。

かずこさんはきゃしゃで150センチもないが、何かの治療で注射を打たれてその場で失神した。そんな日本人の話はそこら中転がっているのだが、いざ手術などの必要が出てくると日本人の麻酔科医がいないか探すことになる。そんなものは安全で新鮮な「牡蠣」くらい珍しい。

だからかかりつけのドクターを選ぶ時も、中国系ドクターを選んだ。
ドクターが薬を処方するときに、アメリカ人と同じだとグロッギーになってしまうので軽い量の処方をお願いと頼んだところ、ドクター・チェンはをしびれを切らしたように

アメリカの医学スクールは人種ごとに薬の量が違うとは教えてない。とおばちゃんに断言した。

確かに人類として厳密な許容量がきっちり決まっている薬剤はあるらしい。でも日本の医学界と厚生省の麻酔上限は、アメリカの限界量より絶対低いと思う。ドクター・チェンとうちの担当医にはそれぞれの経験と知識をじっくり腹を割って話してほしいものだとおもう。

アメリカの量と日本の量を足して2で割るとちょうどいいのだ。

ただし、ドクターチェンはもう現役ではない。その次にアポを取ろうとした時に秘書からチェンドクターはおやめになりました。と聞かされたから。
どうしておやめになったの?と質問すると秘書が「ドクターってしんどすぎてもうやっていけないんですって」


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五臓五腑になる入院記

手術室まで歩いていきましょうと看護師さんに従ってガラガラとIVスタンドを押して着いたところはガレージだった。
申し訳ない日本の外科医さんたち。おばちゃんはERやGrey’s Anatomyの白く明るい手術室を見すぎていたのである。

国立病院の手術室は天井が低くだだっ広くメディカル機器のある手術室というより車の修理工場に一番似ていた。車の代わりにおばちゃんが乗った手術台が中央に置かれるわけだ。

先に手前に置かれたベッドに寝ろと言われ深呼吸をさせられる。これから「全身麻酔の処置をします」と言われ、いきなりタンがからまったので言おうとしたらおばちゃんのスイッチが切れた。
ぷっつりブラックアウト。

徐々に視野が暗くなり走馬灯が飛んで、ああ、これから手術なのね。と納得しつつ眠りに落ちるはずだったのに!ただ、電源スイッチが切れただけ。これはずるい。ドラマがない。

次に井戸の上から「おなかの手術が終わりましたよ。わかります?」と声が降ってきて、いやいや目が覚めた。
ずっと寝かせていてくれればいいのに。全部治りましたよ~と回復するまで麻酔を効かせてくれていればいいのに。

当日と次の日は覚えておいてもしょうがない。術後に麻酔が切れて追加を頼んでも猫3匹が前足でおなかをひっかきまわしている夢を見た。
アメリカの知り合いは二人胆石で手術したが一人はアメリカ人の麻酔医がアメリカ人並みにたっぷり麻酔を入れてくれたので、48時間後に退院しても1週間ほどうつらうつらしていたそうだ。
日本の医者はきっちり仕事をしたので、おばちゃんは手術後きっちり目が覚めて痛かった。

腹腔鏡だったので体への浸襲は最低限だったはずだが、どてっぱらに穴が4つあいて五臓六腑の一腑がなくなったのだから、おばちゃんの体の中は結構慌てていたのだろう。
いろんな管がつながれていて痛みと消耗が半端でないので、ウオークインで手術後帰宅なんてありえないと分かった。日本人では無理だよね。

入院

手術は生まれて初めてだし日本の総合病院のシステムもまだよくわかってないから、会話には気を付けた、つもり。その検査は幾らになりますかと費用を聞かない。ドクターと呼ばず先生という。なるべく英語を使わないように言葉を探しながら話したつもりだが、手術の立ち会いに来たおじちゃんは看護師さんに「奥様は日本人ですか」と聞かれたそうだ。
日本の普通はもうわかんないのでしょうがないよね。

最初の総合病院も次の国立病院も胆石症と診断を付けた後「胆石です」
担当ドクターは「で? どうします?」と型にはまったようにまったく同じ質問をされた。

おばちゃんは即答で、できる限り早く切ってください。と答えると担当医は「へ?」と気の抜かれたような態度をとった。これも二人とも同じ。
考えるにきっと「手術を避けるにはどうしたらいいか?」とか「薬で溶かせませんか?」とかの返答が多いのだろうね。

胆石は1週間1か月でできるものでなし何年かかって畜養したものだから本人はいまいち危機感から遠いのだ。今すぐどうこうするよりまず当座の対症療法。食生活にかなりの制限をかけて、それでも発作が続くようなら、覚悟を決めて手術で切る方向に変える。だから手術は60代70代が一番多くなるのだろう。

手術を先伸ばしにして、食べたいものを食べられないならせっかく美食の国に帰ってきた甲斐がないではないか。

石は小さいほうが動きやすいという。
高脂肪コレステロール食物でいつ石が動くかわからないし、炎症を繰り返せば周囲の臓器と癒着ができる可能性が高くなり、待つほど手術のリスクは高まる。癒着のない若年齢で切除すればリスクは低く回復は比較的早かろう。

腹腔鏡なら切開でないので体への浸襲が低い。そういう条件を考えると胆嚢切除が一番リスクが低くてQOLがいい。ハードルを一つ飛べばあと十年は好きなものを食べられる。

痛みの数量化

ただ、ハードルを越えた先の地面がどれだけ深いか=痛いかは予想がつかなかった。病院経営の方々はこのハードルをできるだけ明解に患者に解説してくださるといいと思う。

手術室に曳かれる前に、若い手術看護師さんは術前講義として硬膜外麻酔の絵図と解説を一生懸命してくれたのだが、ごめんよ、おばちゃんは全身麻酔だから。彼女は自分がすべっていることに気が付いていなかったのでおとなしく話を伺っておいた。

おばちゃんの60年を超える人生の経験を思うと、術前に麻酔の方式を解説してくれても患者の不安はなくならない。手術の成否もあるが、痛みの度合いが推測できなくて不安。

手術の成否は別にして、せめて苦痛の「レベルと時間」があらかじめわかっていると、“終わりなき苦しみ“”越えるべきハードル“になる。苦しみの終わりの見当がつかないと、人生は苦しみの中で炒られることになってしまう。

つまり、いつ終わるかわからないからつらさが苦しみになる。ところが、このくらいのつらさで推定XX日で終わると具体的な見積もりを言われると、苦しみは超えるべきハードルに変わる。常に自分のゴールと目標を明確にしておく。期限を決める。そうすると耐えられる。

痛みのスタンダード化

例えば痛みの比較スタンダードを男女用いくつか用意する。スケール1から10まで作る。
女性用のスケールは出産の痛みを10として、男なら膀胱結石・痛風発作を10とする。
男女共通なら痔の発作とかぎっくり腰の痛みとか歯の歯根根幹治療が必要なかなりいかれた虫歯痛。外科内科皮膚科歯科などでコンフェランスでもやって、痛みの数値化していただきたい。

麻酔が切れた後の痛みの度合いを、腹腔鏡の穴三つの場合なら、出産痛 スケール5とか。
男性の腹部切開なら傷んだ虫歯の痛み10とか、
そして重要なのは耐えるべき「時間」よ。

手術覚醒後1日目 xxxスケール8 終日
術後2日目 xxxスケール6 半日
術後5日目 xxxスケール1 終日笑ってもOKとか。

そうか、xx手術なら大体、3日あの痛みXXXを耐えればいいのかとわかっていれば、手術を受ける不安と恐怖がずいぶん変わるとはず。

飛び越えるハードルの高さと辛さの時間の予想がつけば、じゃあひとつ飛んでみようかと希望の先を考えることができる。想像がつかない苦しみというより、具体的な苦痛のハードルがわかるほうがはるかにいい。

ちなみにおばちゃんは硬膜外麻酔の説明をしたほうでないベテラン看護師に、例えば胆石発作痛と今回の術後の痛みとどちらが強いですか?と聞いたのだが、彼女は困って「人によって痛みの度合いが違いますので」と答えた。
これも事実には間違いない。

ただ、痛みスケール・スタンダードを真剣に構築してくれると患者のためになるのだけどな。痛み経験の患者からアンケート方式で回答をとって統計化しケースを平均化すれば予想できる痛みと辛さがわかるではないか。まあ、こんなことを聞くから変な人と思われるのだろう。

ちなみに腹腔鏡穴4つ、胆嚢除去 術後の痛みのスケールは 手術当日はぎっくり腰9が終日つづき 2日目は根治治療必要虫歯痛なら スケール5が8時間くらい。 3日目は片頭痛2くらい。
同室の方はもっと大きな手術をなさっていて胆石なんかて~んで下っ端だったことを述べておく。

退院する

3日目の昼食にかぼちゃの煮物がでて煮汁にぷかぷか浮いていたので、退院することにした。かぼちゃが嫌いだったからではない。煮汁に泳いでいるかぼちゃは嫌いだ。

ドクターが患者に退院を許す状態は何だろう?と考えたとき、熱はあるかないか(感染がない)、患部・傷口に炎症があるか、食欲はでたか、どのくらい体力がもどったか(トイレはひとりで行けるか)。あたりだろう。

おばちゃんの自己チェックでは:熱はない。抗生物質の点滴は術後2か目で終わっている。傷口はきれい。トイレは自分で行けたし、売店でプリンとパウンドケーキとチョコレートを買って食べてる。食欲は戻った・病院食以外は。
次の日の回診に担当医にリクエストを言うだけだ。

次の日はまず、髪をとかして整えた。洗面用具になぜかアイラインだけあったからアイラインを引いた。眼鏡をかけて人間に見えるようにした。回診のドクターに
「熱がないです。」
「トイレに自分で行けます」
「ご飯は食べてます。(嘘)」
「痛みは体をよじった時くらい」
とどめに、パジャマをパッとめくって傷口を見せると、ドクターが「うん、傷口はきれいだね」というので
すかさず「明日退院していいですか?」というと、つられて「うん」とドクターが言った。
よかったうれしい。と喜ぶおばちゃん。

ここでもう一つ「ドクターの腕がいいから回復も早いわよね」と言える性格だったらビジネスで大成功してたろう。

手術後3日くらいで自分で運転して帰るつもりだったので、術後4日目なら順当ね。

蛇足


おばちゃんは確認することが一つあった。自宅に帰ってからおじちゃんに聞いてみた。
担当医は合併症があったか無いか手術について何と言っていたか?

驚くべきことに胆嚢の持ち主であった本人のおばちゃんに手術過程結果について何も解説がなかったから。

トロフィー

予想した通り、おじちゃんは私にへんてこな顔をして、実はドクターからお話がありますって呼びこまれて、ビンに入れた胆石を見せられて要りますか?って聞かれたらしい。
担当医曰く「結構大きく育ったのがあったんで」と。

おじちゃんはもちろん否定して、「うちのカミさんははたぶん興味がないから捨ててください」と言った。ドクターはちょっと残念そうだったと言っていた。

やっぱりね。父が脳腫瘍を摘出した時も、担当医は摘出した腫瘍を母や姉に見るかと聞いたから。

ドクターのトロフィーなんだから胆石をガロン瓶にコレクションすれればいいのに。削ったあごの骨を客寄せディスプレーみたいにしてる韓国の整形外科医みたいに。


アイタタタ、タ

胆石だと診断されたのが2週間前。

石だと思うのですけどとドクターに言ったら、まあ検査してみましょうと。
「胆石です。」だから、石だと言ったのに。

去年の10月、豚カツを食べて夜中に七転八倒して救急車を呼ぼうと思った。その時石かもしれないと思い食生活を昭和初期風にしたら落ち着いて、危ないものを食べない限りケロッとしていた。

12月のクリスマス・イブにブログのお引越しで頑張ったからご褒美を上げるつもりで「雪苺娘」を二つ買った。
夕食後に一つ食べたら悶絶した。まだ、一つ残っているのに。
石を抱えている限りもう「雪苺娘」は二度と食べられないのか。くやしい。どこも傷んでいない雪苺娘をゴミ箱に捨てながら石を切ろうと決意した。(おじちゃんは血糖値が高いのでケーキは食べない)
今年の初めに受診してあちこち回されて胆石だと診断された。だから最初っから石ですって言ってるのに。

で、どうします?
どうもこうも、雪苺娘が食べたいので切ってくださいとお願いしたら、今コロナで入院手術の予定が立ちません。と。
そこをなんとか!とは誰かのようにごり押ししない。

ただ、いつ痛みが起きるかもうわからないし痛み止めで治まらなくなったらどのようにしたらいいですか?と聞くと
その時はもう病院に来ちゃってください。胆石症が悪化すると破裂しちゃうこともあるので、緊急で切ります。

おばちゃんは、ついアメリカに住んでいた時の癖で、緊急で手術するときと、スケジュールして手術するときと費用はかわりますか?って。金額を確かめた。いや、費用は変わりません。

変な患者だと思われたかもしれない。
とにかく、今は緊急性のある患者の手術が優先なのでおばちゃんの番がいつになるかわからない。春は免許証を書き換えたり、携帯の機種変更をしたりワクチンの3回目を射ったり庭開きで忙しいのに。

そしたら、夜中の4時ごろから痛み始めた。
痛み止めを飲んで、くそ~と寝返りばっかりうって、うとうとして夢を見た。担当医が、にやにやしながらいや~偶然ですね。
3月3日であなたが3月生まれの3の付く3ぞろえの患者さんです~。アタリ。手術です、とか言われて目が覚めた。

目が覚めたら3月3日だから3ぞろ目の日。緊急入院用のバッグなんか用意しておいたほうがいいのかな。ラップトップは持っていくように心づもりしているのだが。
もし、ブログの更新がぱったり止まったら石を切りに入院中だと思って。


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