NetFlixが12億円の申告漏れを指摘され2億円の追徴課税をされるのだという。
NetFlixは国民を楽しませてくれていておばちゃんもサービスの内容には満足している。日本法人が追徴課税2億要求される時に、ニューヨークの小室夫妻は年間に8億のサービスを受けてむろん日本でもアメリカでも申告も納税もしないだろう。
こういう事実を思うとクダを巻きたくなる。
大昔に酒をやめたのでおばちゃんはブログでクダをまくわけだ。ここからは徒然なるクダなので、小室新情報はない。
プレジデント・オンライン記事「天皇は国民から非難される行動はしない、、、昭和天皇は国民の不満に敏感であった」コラムニスト矢部真紀子
https://news.yahoo.co.jp/articles/b12e16447003a1db752e5279434ebf744e0ffc50
んで?
このコラム記事は徒然草文章で3回ぐらい持ってぐるぐる回るので、結論としていえるのは最後の10パラグラフくらい。それも何が言いたいのかよくわからない。
宮内庁長官が詳細にとったメモを「昭和天皇拝謁記」として出版されている。そこに昭和天皇の肉声が細かく記されている。その昭和天皇の発言をいくつも紹介しつつ、悠仁さまの筑附進学が国民から批判された理由を検証しようとする記事。
戦後の皇室も国民も貧しい時代に天皇は国民の不満に敏感であったと。しかしコラムニストはだから今も天皇は敏感であらねばならない。国民に不満を持たすなとは書かない。重要ポイントを置き去りにして昔は国民は均一だったと書く。
–今の国民に不満を与えたのは、悠仁さまの筑附進学で公正な競争でないという印象を国民に与えた。しかし本来皇室は国民と対等な競争をせねばならないのか?、皇室の歩む道が狭くなっていると。—-
何を言っとんねん?と
前振りの“昭和天皇は国民の不満に敏感で、国民から非難される行動はしない。”はどっかに消して、結論として国民の不満は国民側で勝手に沸き起こったとでも言いたいのか?
天皇が東大に行こうが結婚しようが宮内庁長官もそういう認識に立ち、そこに国民との齟齬もない。「昭和天皇拝謁記」はそういう時代だったと。遠い、遠い、夢のような時代だった。
今はそういう夢のような時代じゃないから不満が出てるんでしょうよ。
この件は姉の結婚から飛び火したのだ。
姉の結婚相手が悪すぎる。皇統とっては汚点のような人間と知りながら、あえて結婚させてずるずると一般人としては信じられない援助を国を挙げて税金で続ける。その結果、国民の目は宮家がやることに向いたのだ。
国民は大反対、齟齬ありあり。
そもそも平民に下った元皇族が不正・専横・政治の私用と思われるような特権を乱用しているから国民が非難し不満を持つのだ。
その原因に目をつぶって、国民の質が均一じゃなくなった。社会が変わった。皇子も平等に受験戦争に競争すべしと国民は不満を抱いている、ような書き方はおかしい。原因があって結果が生じる。
彼女が引用する「昭和天皇謁見記」夢のような昔の皇室の時代は一般国民に情報なんかとても洩れてこなかった。知る立場にはなかった。内閣や宮内庁や皇室内部で国民に知られたくないことは、知らせてこなかったではないか。
引退をした侍従が回顧録を書いて出版して、当たり障りのないエピソードを知るばかり。
国民がこれだけ宮家の在り方と降嫁した皇族の結婚について多大な関心を持ち、かつ発言できるようになったのは戦後初めてではないか?
それというのも、世の中が変わったからだ。
ネットとツールが世の中を変えたのだ。
コラムニストが書く遠い夢のような昭和の時代には、ネットもUtubeもTwitterもオンライン・ニュースもなかったのだ。ジャーナリストがネタを掴めば、個人のUtubeチャンネルやTwitterで瞬時に全世界に流れる。
宮内庁が知られたくない情報までSNSで流れたから。なぜ情報が流れ出るかといえば、宮内庁でさえおかしいと思うことが起きたからだろう。
夢のような遠い昔は、皇室を憚って黒いスクープが握りつぶされる件も少なくからずあったはずだ。闇に葬られた国民に知られたくない情報が数多く埋もれているはずだ。国民はただ知らなかっただけ。
小室親子のようなあまりにも怪しさ満載の人物が現れれば、一般人であっても相当な情報を掘り出せるということを今回は証明した。
ネットとSNSがなければフォーダム大学疑惑や情報を共有するということなどは、過去のどの時代でも不可能だった。夢のような昔の時代には皇室に怪しい縁者ができても我々一般国民に知るすべがまずなかったのだ。
不満を世に与へる事を控えるーこれこそが、今と「昭和天皇拝謁記」をつなぐキーワードだろう。象徴天皇制にあって、「世=国民」の不満は絶対に避けねばならないものだ。
そして今日本の皇室はかつてあり得なかったほど国民の不満を知る機会に恵まれているのである。
この記事を書いたコラムニスト矢部万紀子は何故はっきりと明確に書かないのだろう?
皇室の歴史上もっとも国民を身近に直接的に知りえる今、国民の不満に耳を傾けるべきである。と。昭和天皇は国民の不満に敏感であった。ーと書いておきながら。
コラムニスト彼女がこう思っているのか、「謁見記の侍従」が思っているのか主語が不明だからわからんが、彼女が上記のように思っているならコラム最後の結論らしきものは論旨とずれる。
「世」が変わり、そこに生きる「国民」が変わった。国民の質が均一でなくなったことが大きいと思う。国民がみんな貧しかったころの皇室と、国民が格差社会を生きる時代の皇室。
この文章を訳すと:
戦争に負けて貧しかった国民は、天皇家の人がやることに目くじら立てへんかった。天皇さんが東大に行こうと結婚しようと天皇さんやから。国民一同、宮内庁も長官もそんな風に思おてましたんえ?
ころが、今は国民の格差がありすぎて、ほら「親ガチャ」とか言葉がありまんな。だから国民の考えが一枚岩やないのえ。天皇さんも、東大行きたかったらちゃんとみんなと一緒試験受けてんか?ちゅう人がおるようになってんねん。天皇さん、やったらあかんことが増えましたんぇ。嫌な世の中やなぁ。---
で、「世=国民」の不満は絶対に避けねばならないものだ、と書きながら、結局不満を抱く国民の方がおかしいと。
国民の質が均一に見えたのは、金太郎アメのように同じ意見を持たなければ生きづらかった時代だったからじゃないか。均一でなくなって自分の思うところを言えるなら結構な世ではないか、フン。と思う。
留学して西洋世界を知る日本人もいれば、苦学して成功者もいれば、価値観も様々な社会のほうがバランスが正常だ。
国民に何も知らせず、国民は知る方法もなく、軍部が支配する均一日本が第二次世界大戦に突入したのだ。ただ日本の頂点の皇室をありがたがるだけの世界より、自分の意見を発信できる非均一社会のほうがよほど正常だと思う。情報チェック・発信機構がある今のほうが何千倍も社会としてましかしれない。
一般人には知らせずに好きなようにやりたいという勢力には好ましくない世には違いない。が。
こんな徒然草コラムは何が言いたいかわからん。これが週刊朝日の副編集長だった人?