アメリカで起業する

アメリカの移民はスモール・ビジネスが多い。
なんでか?
アメリカの企業が雇ってくれないからだ。英語に訛りがあって、米国の大学卒でもなく、正体も分からないからだ。だから、移住者は自分でビジネスを始める。
屋根屋、洗濯や、大工、電気屋、レストラン、ヘアサロン、不動産屋、会計士、弁護士。

客から考えた場合、
同じ日系人のビジネスなら騙されないという安心感がある。いい加減なことをすれば、狭い日系コミュニティですぐ噂が広がるし、多少高めでも行くのである。アメリカでスモールビジネスを起業すると、同胞は客として見込めるのだ。

永住権を取得していて技術があって資金があるなら、アメリカで起業をすることはさほど難しくない。一番簡単なのは、すでに稼働しているビジネスを買い取ることだ。

ショッピングモールを観察して洗濯屋でも、これ!といったビジネスが欲しければフラワーショップでもギフトショップでも、不動産屋が売買を仲介しいてくれる。

自分の手持ちの資金でビジネスの規模が決まる。
10万ドル、20万ドルの規模なら小売店のパパママで経営するビジネスの経営権が買えるだろう。
流れを書いてみるなら
まず、自分の資金で手が届くビジネスを見つけたとする。不動産エージェントに連絡し、相手オーナーに買いのオッファーを出す。相手からカウンターオッファーが返ってくる場合もある。
買い手売り手双方が金額に同意したとして、次のテージはモールの審査だ。

モールの管理会社が新テナント候補の審査をする。むろん審査を落とす場合もある。資金・資産不足、経験不足など。
インタビューの予約を取り、(審査予約で申請料を取るモールも多い)自分が経営することになるビジネスモデルを作成してインタビューでプレゼンテーションをする。

事務能力・スピーチ能力に自信のない人は会計事務所とか弁護士に代行を頼むこともできる。小売り・サービス業を開業しようという人間が事務能力とプレゼンテーションの能力がないとは、はなはだビジネスの将来が頼りないのであるが。

審査には資産状況、学歴、職歴の開示が必要なのは言うまでもない。アメリカでの逮捕歴や交通違反でもDUIなどの違反が出てきてしまうと、ビジネス・ライセンスが下りない場合がある。

モール側の審査が通れば不動産売買の仲介会社Escrow会社が間に立ち、売り手と買い手の双方に売買のアサイメントを指示してくる。

買い手はエスクローが支持してきた手続き:会社の設立、営業名称の登録、ビジネスライセンスの取得、銀行口座の開設などをこなしていく。

連邦は州のライセンスを取るのにさらに面接があったりするわけだが、必要フォームに記入して提出するだけのライセンスもあるし、辛抱強くこなしていけばライセンスは取れる。時間が多少かかるライセンスもある。

営業に必要なライセンスがすべて取れたら、次は実際営業をするテナント内部のリモデルの計画を遂行する。業者に必要な見積もりを出し業者の選定をし、営業開始日からさかのぼって施工の予約をる。

言語能力?そんなものはできるのが当たり前のこと。

言語能力だけあって実務能力がなくてもこれまた困るのだが。日本で生活している中国人、ベトナム人イラン人、が何ができて何ができないか?
他国で生きていくために何が第一に必要か彼らを見れば答えがわかると思う。

タックス・リターン

トオル君はその時まだ未成年で学生だったから、TaxReturn/税申告はお父さんとジョイントだったと思う。
バイトのペイロールからごっそりひかれていた税金が戻ってきたと喜んでいた。次の年、アニメ関係であぶく銭を稼いだけど、お父さんに扶養家族になれと言われて、またタックス・リターンでちびっと税金が戻ってきた。

”夏には日本のコミケ行くんすから。航空チケット代を稼がないと。”
アニメグッズでおいしい思いをしたので、2世仲間と会社を作って日本のアニメグッズを輸入して売ろうという夢を見始めた。

トオル「おばちゃん、会社を作るにはどうしたらいいんですか?」
おば「個人会社だと簡単だねぇ。Retail License を取って、ビジネスネームを登録する。銀行口座はそれでできるから
物を売るの? 
「ふ~ん」
おば「それから、タックス・リターンはセールの額で違うからね。」
トオル「タックス・リターン?」
怪訝な顔のトオル君を見て、おばちゃんぴ~んと来た。

おば「あんた、所得税のIncome Tax申告だと思ってるだろう?」
トオル「4月にガバメントから帰ってくるやつでしょ?」

おばちゃんはチッチッチッと顔の前で人差し指を振り
「Wroooong! あんたは2つの勘違いをしてる。第一にIncomeタックスではなくて、Salesタックス/消費税よ。小売業だと消費税が発生するから。

毎月か3か月に一回タックス・リターン。第二にタックスを返してくるのがガバメントだと思ってるでしょう?

間違い!
消費税はもともとガバメントの物なの
それをガバメントの代わりに小売業が消費者から徴収して、ガバメントに返すReturnするのがタックス・リターンとアンクル・サム(古いな)は考えている。
自分の物だと思ってるから、消費税を申告しない奴、返さない奴はどこまでも追っかけてくるよ」

トオル君、ワンコがスカンクの屁を嗅いだように憮然としていた。おおかた、片耳で聞いたいろんな控除を使えば税金なんかへいちゃらと考えていたに違いない。Wrooong!

生き延びる

アッコちゃんが窓の外を見ながら、ぽつんと言った。
「ああ、あのアスファルトを均している人だって、資格や技能を持ってて仕事をしてるんだよね」

外の駐車場はアスファルトの敷直し最中でローラー車両に乗ったメキシカンが熱いアスファルトを均しているのだった。駐車場が半分使用不可能なので、客は来ず暇だった。

おばちゃんは、アッコちゃんが言うことが痛いほどわかった。好きな国で生きていくためには、何か技能がいるのである。

好きな仕事か、やりがいがあるのとか、そうでないのとか、、そんなこと以前に、ちゃんと雇われてお金がもらえる仕事が必要なのである。雇ってもらえる技能、仕事がもらえる技能。安定して暮らしていける仕事。

アッコちゃんは多磨美の卒業だったから、フォトショップもイラストレーターも扱えるのである。デザイン関係ならどうなのよ。と何時か聞いたことがある。
「私くらいの才能はその辺にいくらでもいるんです」

アッコちゃんはその後ウチをやめ、サポートしてくれる会社を見つけて、グリーンカードを取った。アメリカのビジネスの新陳代謝はとても早い。時流に遅れてた会社、時流を見ていない会社は消え新しいビジネスは生まれるが、いつまで持つか誰も知らない。

親方日の丸にすり寄っても、本家の長い不況のために営業所を縮小したり、いつ完全撤収してもおかしくない。ヤマハも人を減らし、リコーは突然アトランタに移転をした。家を売ってついてこれない従業員は首。

そしてまさか、世界のトヨタがテキサスにヘッドクオーターを移転するなどとカリフォルニアの従業員は誰も想像もつかなかった。日系社会は動転した。家を売ってテキサスに引っ越すか、やめるか。外地の将来はいつも真っ暗。先は読めない。

グリーンカードは取れたけど、アッコちゃんは結局接客業を選んだ。
人が好きなのだ。コロナのパンデミックの中、死んだほうがまし!くらいの苦境に立たされたことは想像できる。できれば逞しく生き延びていて欲しいと思う。

税金は滞納するな

税金は滞納しないほうがいい、
何故なら後でしっぺ返しを食らうからだ。これはウチのベストのお客さんだったボブと孫ヒューイの話である。

ボブはニューヨークの生まれだった。離婚した後カリフォルニアに移って、AT&Tを長く勤めてリタイアした。いい歳だったんだろうけど、肌はしわもなく頬はピンクで元金髪だった白髪がふさふさしていた。一人暮らだが、娘が近くに住んでいたのでカレッジを卒業した孫ヒューイがよく一緒に来た。

ボブはいつもヒューイに説教していた。カレッジを卒業しただけで、大学に行かないことを嘆いていた。
若くて怖いもの知らずのヒューイはまだ25で、ボブの言うことをてんで相手にしていなかった。

美人のガールフレンドはいるし、高級取りだったから。ガテン系の仕事なのだが、高所作業する職だそうで大学出の資格でもなかなか稼げない金を稼いでいたのだ。

しかし稼いだ金は遊びに使ってしまい、納税時期になると所得税も州税も払えなくて未納金に利子が付き、督促に追われていた、ボブにも泣きついていたようだった。

そんな時にメキシコ湾原油流出事故が起こった。ヒューイは税金未納のトラブルをほっておいて(税金を払えば済むはなしなのだが)テキサス州メキシコ湾に逃げた。
とりあえずカリフォルニア州にいなければ、未納金も追っかけてこないと思ったのだろう。多分、普通はあまり追っかけてこないと思う。

流出した石油の処理にメキシコ湾にはリグが建てられ、高所作業できる技術者が高い給料で募集されていたのだ。ヒューイとしては、テキサスでうんと稼いでカリフォルニアの税金を払えばいいと思っていたのだと思う。

ところが、カリフォルニア州はヒューイの上手をいった。ヒューイの給料が全額抑えられたのだ。裁判も経ずにいきなり給与を抑えられるはずないのだが?

実はテキサス州がヒューイに払うはずの給料は、カリフォルニア州から債券をテキサスが借りて支払うことになっていたのだ。

カリフォルニア州はテキサスの事故処理ペイロールにヒューイを発見して、さぞかし喜んだろう。
ヒューイ君、愕然。あてにしていた収入が全く入らず、文無しでカリフォルニアにシオシオ戻ってきた。

ボブのおじいちゃんは、激怒である。だから、言ったろ。税金問題を片づけておけって。弁護士費用なら出してやるって言ったろ?ばーかたれ。

ヒューイはストレスのあまりドカ食いしたのか、見分けがつかないほど真ん丸なデブになっていた。
教訓 税金の滞納はやめよう

アーノルド

モールの前の管理会社のマネージャーはアーノルドと言った。汚らしい歯をした痩せたジジイで、スクルージはこいつがモデルだったのだと思う。

土曜日・日曜日になるとモールの裏を後手にひょこひょこ歩いていた。ジャネットによると土日はよくモールを見張りに来るという。ビジネスの中にはめったに入ってこない。

おばちゃんがビジネスを買うときに、モールの面接をしたのがこのアーノルドだった。
おばちゃんは面接用に作ったビジネスモデルのコピーを一部アーノルドに渡し、経営ポイントの3つの数字を説明していったが、アーノルドはろくに数字を見もせず興味が無さそうに傍らにうっちゃった。

面接をするだけでこちらは$200ドル支払っているのに。

面接の結果は2週間から3週間で知らせるから。とアーノルドとの会見は終わった。経済は好調でビジネス売買も盛んだったが、モール側のマネージャーがNoと言えば、売り手と買い手が売買に合意していてもテナントの売買は成立しない。

2週間たってもアーノルドからは連絡がなく、不動産エージェントにもコンタクトがない。向こうがもったいをつけているのは分かっていたが、売買を進めるにはこちらから連絡するしかなかった。

売り手も私もエージェントも3人そろってたまたま女で、売り手のオーナーがアーノルドに電話を掛けた。
「ヘイ、アーノルド。面接の結果はどうなの。私?私はテナントのミカコ(仮名)よ。3年間商売してるじゃない。忘れたの?」
するとアーノルドは新しい看板のイメージを今度はオフィスにもってこいと言うのだった。

管理会社のオフィスはすぐ近くだったのでアポを取って訪れると、くすんだオフイスの外には真っ赤なイタリア車が止まっていた。オフィスに一歩入ると、秘書とアシスタントがいるのにシンとして物音一つしない。

アーノルドとアポがあるのだがというと、秘書は怯えた目をしアシスタントはごくっと息をのんで、ボスは今グッドムードじゃないから。と奥を指さした。

アーノルドは一番奥のデスクにひっくり返り、なんとデスクに足を乗せていた。デスクの正面に来客用のいすがあるので、おばちゃんは椅子の背を引き寄せ座ろうとした。

するとジジイは「座るな!」と言ったのである。
来いと言ったのはアーノルドだ。私は聞き間違えたのかと思ってもう一度椅子に座ろうとしたら、ホームレスを追い払うかのように、座るな、看板のイメージを置いて出てけ。とシッと手で追い払われたのだった。

おばちゃんは憤然として出口に向かったが、秘書は知らんぷりアシスタントは下を向いたまま「アーノルドに逆らっちゃダメなんだよ」とささやいた。

この時の秘書はマリアとか言ったが、売買エスクローが開始した後に辞め、以後オフィスに電話を掛けるたびに違う名前の秘書が答えるのだった

アーノルドがさんざんもったいをつけてOkを出したときにはすでに7月に入っており、面接から2か月半たっていた。エスクローはオープンして、おばちゃんは会社の設立などで忙しかったが、突然アーノルドから電話がきて、テナントの補償金を上げると通告された。

理由としては、おばちゃんたちにビジネス経験がないことだと。エージェントだってエスクローがすでにオープンした後に、補償金を吊り上げるなんて、聞いたことない、と言う。

エスクローは売買金額で合意があり頭金もすでに支払われているから、ここで売買をキャンセルしても、おばちゃんの頭金は戻ってこない。絶対逃げられなくなってから、補償金を吊り上げてきたのは汚いやり方だった。

むろん、エスクロー会社だってそんな追加条件は聞かされていない。エスクロー書類は全部作成し直しになる。

アーノルドはEmailに答えないので、ファックスで秘書と何度もやり取りして追加の支払金額と支払方法を確認して、小切手で支払った。

その時までおばちゃんはパン屋のクリスがアーノルドにどれだけ嫌がらせをされたか、全く知らなかったのだった。

エスクローがクローズするまで、売り手のミカコとエージェントのタカコ(仮名)とおばちゃんの3人女はあれこれと連絡を取り合うことになる。

ボブは25歳だった

ボブのおじいちゃんは2012年に亡くなった。
ウチのオープンからの守護天使みたいなお客さんだった。最初は前立腺がんが発覚し最新レーザーで手術した。治療のすばらしい成功例として、病院のプロモーションビデオに撮られたんだ、と自慢していた。

その1年後のフォローアップで胃癌が見つかった。転移ではなく単発の胃癌だった。頬っぺたはつやつやとピンクでとてもガンを抱えているように見えず、たまたま居合わせた外科医もあの人なら助かるよ、と断言するくらい元気に見えた。

当時注目されていた免疫を高めるという評判の海藻のサプルメントを買って、ボブに飲むように渡した。ウチの子が一人ボブの家に間借りをしてボブの一番のお気に入りだったが、胃がんが発覚した頃にはすでに卒業して日本に帰国してしまっていた。

ボブは代わりにカンボジアの留学生に部屋を貸したが、今度の子はヒトミほどフレンドリィーじゃないよ。ほとんど部屋から出てこなくて、話もしない。ヒトミはいい子だった、今どうしてる?と私に聞くのだった。

ボブは抗がん剤を始め、食欲が落ちた。
病院の抗がん剤治療って、すごいんだよ。患者がずらずら~と並んで、あんたはこのカクテルこの人はこのカクテルって、流れ作業みたいに射つんだ。ボブ、サプルメントを忘れずに飲んでね。

ボブは年のせいで膝も痛めてウチまでドライブしてきても、車からでるだけで3分もかかるようになった。この役立たずの膝め。とうとうボブはドライブをあきらめ、車を寄付してしまった。

ボブ大丈夫?生活に不自由はない?
すると、近くに住んでいる娘が、出勤前に寄ってスープだとかキャセロールだか置いてって、夕方また寄るんだ。看護婦の訪問もあるしな。

ただ寒くなってきてリビングにいても足が冷えて傷むんだ。私は使っていない電気毛布をボブに持って行った。

ある日、ボブの好物をもって家を訪れると、ボブは友達らしい男の人と話していた。やぁ、これは古い友達。俺はロングタイムケアホームにトライしてみることにしたから。

娘がな、ロングタイムホームがあるから行ってみないかと言うんで。ずっと行きっぱなしじゃなくて、ちょっと試しに1週間とかな。

たぶんボブはその時、もう自宅に戻ってくることはないと覚悟があったのかもしれない。友達ともお別れのつもりだったのかも。

ボブはもともとニューヨークの出身だった。結婚もニューヨークにいる時。ウチのカミさんがcheatして離婚したんだ。息子と2人の娘がいて、娘二人はカリフォルニアの近くに住んでいる。孫のヒューイは娘の子だ。

息子はどうしたのと聞くと、妻と別れた時に妻側と暮らしていたが、どう掛け違ったのかボブにいろんなトラブルを持ち込んでしりぬぐいさせるのだった。

重い口調で、息子は飛行機が好きで免許を取って飛行機に乗るが趣味だが、中古のセスナを買って払いきれずにボブにボブに泣きついてきた。離婚の時に見捨てられ親としてしてくれることもなかったのにセスナの残金くらい出せと。一度きりじゃなくて、ローンが払いきれずに最後はボブに押し付けてくる。

息子の話題が出たのは一度きりで、それ以降は娘の話や孫のでき。テキサスに行ってしまったヒューイの話をぽつぽつとした。

次の週から、ボブにメールを送っても返事が来なくなった。前は、頻繁に面白画像だの面白記事だのメールでやり取りしていたのにパタッと返事が止まった。

ボブはラップトップはもっていなかったから、娘がデスクトップをホームにもっていけるのだろうか?返事がないまま夏に入り、ある夜の明け方。夢を見た。

金髪で若いがっしりした体格の青年が両手を肩で広げて(ボブは肩幅は広くない、むしろ華奢)
Hi, M  I’m 25 now. Who am I? とおどけて言った。
ボブだ!すぐわかったよ。と目が覚めた。
ああ、ボブは死んだんだ。

しばらくしてボブの孫のヒューイが友達とやってきた。一時期風船みたいに太っていたが、もとのサイズに戻っていた。ボブは亡くなったのね?
ヒューイはうなずいて、夏に亡くなった。やっぱり。
おばちゃんは夢の事を話すと、ボブらしいや。きっとボブならやるね。

家は売りに出されていてZillowで家の中の写真を見ることが出来た。家具は処分されてもう何もなかった。返事は来ないけど、たまにボブにメールを書いた。
RIP

クリスマス・ペイント

12月に入るとウエスト・コートにペイントの染みだらけのTシャツを着た白人のおっさんが現れる。

ヘイ!今年もシーズンだね?アンタのドアはいつがいい?
ヘラルドは毎年、時だけやってきてテナントの正面のガラスにクリスマス用のアクリル絵を書いて金を稼ぐのだった。

アクリル絵の具は赤・緑・白の3色だけ。山、モミの木、サンタ、鈴、雪など決まりきった単純な絵を書く。ある年はウチの子が、おばちゃんこの絵にいくら払ったんですか?$20ドル。
え~、私ならタダでもっとうまく書いてあげるのに?アンタ、クリスマスシーズンは忙しくて、ウチに来ないじゃん?

ヘラルドは、いつも間口の大きなテナントから書いてゆき、夕方はウチが最後になる。終わるとしばらく世間話をして帰ってゆく。
いつの年だったかは、隣のモールのテーラーに絵を書いたとき、現金の代わりにカスタム・オーダーのスーツを一着もらったんだと。すごいだろうと自慢をしていた。

が、おばちゃんはジャネットから件のテーラーの噂を聞いていた。
なんでも隣のモールのオーナーがショッピングモールの全面改装を計画し、駐車場を広げるためにテーラーの建物(モールの敷地に飛び地で一軒だけ建っていた)を取り壊す予定だったのだが、このテーラーがガンとして出ていかず家賃を供託して頑張っていた。

おっさんがもらったスーツは確かにカスタム・オーダーだったが、オーダー主が取りに来なかった何年も前のヤツだ。

おばちゃんが飲み物を出すと、ヘラルドは腰を落ち着けて今度結婚したんだ。例のチャイニーズの女の子だっけ?そう、その彼女と中国からインポート・ビジネスも始めたんだ。

俺はナイトスクールでナンとかの学位を取ったから、上海の大学に呼ばれてるとか、50近くのおっさんの妄想だか夢だかわからん話を語るのだった。ソーダを飲み干すと、古いぼこぼこのシボレーに乗って帰って行った。

うちのウェスト・コートがリモデルした後は、管理会社のフレッドからクリスマス・ペイントを禁止するレターが来て、その年からおっさんの仕事は無くなった。

おばちゃんは、ヘラルドには悪いけど、ほっとした。
クリスマスの飾りはすぐ外すと寂しいので、だいたい年内いっぱいはそのままにする。そして新年の休みが明けて、最初の仕事がこのペイントはがしだから。

このアクリルペイントというやつは、溶剤で落とすのも時間がかかるのだ。
おばちゃんが溶剤で溶かしてこすったら、色が混じった汚い絵の具がガラスに広がってしまい、全部落とすのに溶剤の瓶が一本使うし、空ぶきまですると軽く2時間はかかってしまう。

新年初めに、2時間早出して絵の具落としなんてうんざりするのだ。
せっせとタオルで落としていると、パン屋のクリスが”何やってるんだ。アクリル絵の具はスクレーパーでこすり落とした方がいいよ”と。

クリスマスの25日の夕方から正月の7日過ぎまで、毎年長い休暇を取るクリスも、新年初営業の時には早めに来て、絵の具を落とす。溶剤ではなく、スクレーパーでカリカリと削り落とすと早いという。

おばちゃんもスクレーパーを買ってきて削り落とすのだが、ヘラルドが落とすところまでやってくれるならもう20ドル支払っていいのにと、いつも同じことを思ってた。

ヘラルドには気の毒だが、中国相手の輸出入りで、尻毛抜かれずに儲かるならこんなクリスマス・ペイントみたいな出稼ぎにもならない仕事をするよりましだろうから、頑張ってほしい。

トリスタンとミコ

うちのビジネスにはトリスタンというメキシカンがいて、物静かでよく働いてくれた。

ビジネスを始めたあと、思ったより忙しく手が足りなくなったのでスペイン語と英語で求人広告を書いて、メキシカンが多く住むアパートの近くに張ったりした。問い合わせがあるのだが、どうも採用までたどり着かない。
おじちゃんもおばちゃんも休みが取れず疲れ切ってしまって、
どうしてもフルタイムがもう一人必要だった。

するとトリスタンのほうから飛び込んできた。いきなりドアを開けて「仕事無いけぇ~?」おばちゃんは、これは神のお導き!と気づき
「ようおこし。まぁ、こっちゃへどうぞ」とトリスタンを導き入れ捕まえた。
「いつから働ける?」
「週末だけなら」
「さよか、ほな来週待ってるでぇ!」

平日は他のビジネスで働いているので、週末だけ働くという。しばらく働きを観察していて、おじちゃんに使えるかどうか聞くと、何とかなるだろうとの返事。頃をみて、
「なぁ、トリスタン。あんた別のところでいくらもらってるねん?」
「2000/月で毎年$50ドルずつ昇給する約束アルヨ」
「ほう、さよか。ほなうちもおんなじだけ給料をあげるし、+αでフルタイムで週末まで、どや?」
「シ、セニーョラ、ムチャスグラシアス Si señora. Muchísimas gracias!」契約成立である。

トリスタンは無口なメキシカンだった。どういうことかというと泣かない赤んぼくらい珍しい存在なのだ。メキシカンといえばヒバリかスズメかというくらいにぎやかで囀りまくりあっという間に中国語も韓国語も覚えてしまい、謝謝とかXXハセヨとか黙れと言っても喋りまくる語学の達人か!くらいな人たちだったのに、ウチのトリスタンは静かだった。

「あー、マーム俺、シンコデマヨは来れないである。LAでデモあるヨ」
当時の大統領スモール・ブッシュが移民政策を強化して、怒ったメキシカンがLAでデモを計画していたから。
「さよか。シ、Ok」てな感じで日本語は無理でも英語は覚えるだろうと思っていたら、無口なぶん語学は苦手なのか5センテンス以上の英語は何年たってもなかなかしゃべれないのだった。

トリスタンも自分の語学下手を知っているのか、仕事場にスペイン語/英語辞書を持ち込んでいて暇なときに勉強をしていた。ある時、昼休みに休憩に行っていいよとというとトリスタンは辞書を忘れていった。

おばちゃんは何気なく辞書を見てみると、ペンが挟んであった。
何を勉強していたのかしらん?とペンのあるページをパタリと開くと下線を引いた単語が目に入った。
[rise]
おばちゃん、おう!思いましたね。
給料を上げてほしいんかい?
おばちゃんは、辞書をそっと閉じた。

ミコちゃん

ウチにはミコちゃんという子もいてこのミコちゃんもまた逸話の持ち主だった。面接のときにハキハキと返事をするので採用した。最初のシフトで自らメモ用紙を取り出し、おばちゃんのいうことをせっせとメモを取るので、これは仕事が期待できるな、と勘違いしたのだった。

ミコちゃんは生れた時から2本ぐらいネジがついてなくて、母親からはうるさいほど「お前は不注意」だからといわれて育ったという。新しいことを3つ聞くと最初の1つを忘れるので、メモ用紙は彼女の人生に必須なのだった。

くるくる動くのだが何故か空回りしていることが多い。黙って立ってろというと、頭の中の音楽を聴いているように膝や足が何かのリズムをとっていて、突然雀が飛び立つように動く。

メモ用紙や電卓やペンも頻繁に落とす。客からの預かり物を落として割る。掃除機を引っ張りすぎて壊す。製品を間違える。キャッシャーを打ち間違える。金額も間違える。釣銭も間違える。ありとあらゆる間違いをして、おばちゃんはこんな間違い方もあったのか?という目も覚める奇想天外な間違いを起こしてくれるので、そのしりぬぐいをする。

再び失敗をすることがないように操作マニュアルと業務システムを修正(ミコちゃん仕様)する。とにかくミコちゃんが直感的にすんなり業務ができたら、それは誰でも使える優秀なシステムで普通の新人なら楽勝だった。

ミコちゃんが意図してやっているのではないということはわかっているし、人手が少なかったからすぐ首にはできなかった。ガチャンと音がするとスイマセン!という謝罪が聞こえてミコちゃんなのだった。

ある日、ミコちゃんがシフトでないのに通りすがりで子供を連れて寄ってくれた。子供は5歳でミコちゃんよりしっかりしているように見えた。
ミコちゃんは横浜で高校を卒業して日本人の男性と結婚・離婚して、同じく離婚したお母さんと一緒にアメリカに来た。どういうことかというと、アメリカ人と結婚した知り合いの中国人が、日本にいたお母さんの写真を見せたらアメリカ男が乗り気になって呼び寄せ結婚したという。

中国人のお母さんはと結婚相手とは結婚するまであったことがなく(戦前ではないです21世紀の話)写真結婚みたいなの。そこにミコちゃんと娘がオマケでくっついてきた。

ミコちゃんの色彩センス/美的センスは割とよくて、キレイ目の色の服をスリムな体に合わせて着ていた。ある時は、レギンズとヘソ見せのホルターだけだったので、ミコちゃんこれからジムでも行くの?と聞いたら
いいえ、これは私の普段着です。

中国人の母の血のせいか、ミコちゃんの足はすんなりと伸びてまっすぐだ。
脂肪も全くついていないので、シャムネコのようにしなやかでエキゾチックである。この姿であちこち歩いたら男がよく釣れるだろう。中国人の母はそれを期待しててそのままにしているのかな?

ネイルなどの綺麗な作業は好き!といっていたから、美容系の仕事についたら才能が発揮できたかもしれない。本人はハーバードに入学してジャーナリストになりたいとか、保母さんになりたいとか言っていたが、、、。
ハーバードがどんな大学か知っているとは思えないので論外として、
娘が5歳まで生き延びられたのは、
①娘が丈夫、で
②ミコちゃんの娘で耐性があった、からだと思えるので、
生き物を預かる系とか病院系はやめてほしい。

そんなミコちゃんはトリスタンとシフトが被ることが多かった。

トリスタンを雇ってすぐにトリスタンの最初の子供が生まれて、洗礼とお祝いで一日休みが欲しいというので、おばちゃんは隣のパン屋にケーキをオーダーしてトリスタンに贈った。
その時はたしか25・6歳だと思ったが、その後カトリックのトリスタンは順調に子供を増やし、3人くらいになっていたかもしれない。

トリスタンは文句も言わず、相変わらず真面目に働いていたが、おばちゃんとおじちゃんの目の届かないところでは、他の従業員に割と偉そうな口をきいていたかもしれない。自分がナンバー3だと思っていた節がある。


おばちゃんとしては、よく働いてくれるし感謝していたのだが、ある日ミコちゃんから話があるといわれた。
ミコちゃんは、何度も何度も同じ仕事を繰り返すと、やっと仕事のパターンが体にしみこむようで、一旦そうなると決められたことはこなせるようになっていた。せっかく使えるようになったというのに、
ああ、嫌よこのパターン。辞めるの?

ミコちゃんから聞かされたのは思いもかけない話だった。私、トリスタンからストーカーされているんです。
はぁ!?
トリスタンが好きだって言ってきてスト―レージで抱きしめられてキスされそうになったんです?はぁ!? ウチのスト―レージでか?

それにうちの母と義理のお父さんと一緒に日曜の朝に教会に行くと、出てきたところでトリスタンが待ってるんです。おばちゃん、いったいどうしたらいいですか?

う~んう~ん。
色恋の話はおばちゃんに一番縁遠い話だ。正直、知らんがな。と言いたいが何か事故が起こっても困る。

ミコちゃんは独身だけど、トリスタンはカミさんがいて子供も3人いるし、オペラのような悲劇は起こりそうでもないが。とりあえず、ミコちゃん来週のシフトはお休みして。その間に考える。

考えたところで、
トリスタンの色恋を覚ます方法はおばちゃん知らんし、シャムネコみたいなミコちゃんに風呂敷をかぶしておくわけにいかんし。知り合いのビジネスオーナーに話して、そっちでミコちゃんのシフトを増やしてもらい、
うちはエマージェンシー以外入れないことにした。

ず~っと後になってそのオーナーから聞けば、ミコちゃんはそっちでもなんかやったらしい。何も着ていないようなしなやかな肢体を見せびらかして、誰かがへっついてきたみたい。
どうやらミコちゃんは、メキシカン・ホイホイだったようだ

ブスのターニャ

ターニャはすっごいブスだった。
前の女の子が別の業種に移るので、代わりに仕事ができる子だと紹介してくれたのだった。

紹介者からブスだと聞いていて、ホントにブスだったので笑ってしまった。鼻が思いっきり平たく胡坐をかき鼻の穴も大きかった。一重の目は腫れぼったく細く口も大きくて、ただ色は白かった。

中国系のタイ人なのだという。大柄なのに動きはしなやかで、今まで一番仕事が早かった。素早く動いているように見えないのに、気が付くと仕事が終わっているのだった。

このターニャは妙に客受けが良かった。ブスなんだが愛嬌があって、客から好かれた。接客を見ていると、いかにも客が好きそうなことをいう。適当な調子がいいことを言う。

しばらくいると、化けの皮がすこ~しはがれ始めた。出勤時間が守れない。雨が降ると来るかどうかわからない。これは頭を抱えた。水曜日9時45分に(私がすでに出勤している時間だと知っているので)電話をしてきて、遅れる/風邪を引いた/だの

風邪なら這ってでも来い!と言ったら、前の晩からサンタモニカの家だから、そっち出勤するには、2時間かかると言われれば諦めるしかない。来れば仕事はできるから、首にする決心はつかなかった。

タイ人はもう一人いて、ターニャとも知り合いだったから、ピンに、そもそもなんであいつの家がそんなに遠いサンタ・モニカなんだと聞いた。結婚したアメリカ人のダンナが住んでいる家で、ターニャはシフトがない月曜から火曜にサンタ・モニカに帰るのだという。

OCの他の店でもシフトが入っているのに、なんだか変だ。もうすぐサンクスギビングだけどターニャはどうすんだ、とピンに聞いたら、OCの友達と遊ぶんだと言っていたよ。

私がサンクスギビングにサンタモニカにも帰らないんだって?そうしたら、ピンがやけに慌てて、早口で、夫婦だけど友達とも仲がいいから。
「へ~ぇ、サンクスギビングに夫婦一緒に過ごさず、別行動ね?」

次にターニャが働いているときにサンクスギビングはダンナと一緒じゃないんだって?ダンナとはどこで知り合ったの? どういう人?ターニャは落ち着いて、
「アメリカに来てからの長い友達。ネイティブアメリカンなの。」
”長~い、知り合い”で 結婚したと?!ダンナはもともとサンタモニカに家があったと、、、!ふ~ん。
それでグリーンカードは取れたのか?
「もうすぐ取れる」いくら払ったんだろ?

聞き間違い

世の中には聞き間違いで堂々巡りをしたりすることがある。ブスのターニャは雨が降ると出勤して来るか分からなくて非常に困った。

朝9時半にその日のシフトをキャンセルされてもおばちゃんが代りを探すのは非常に難しい。(それはブスのターニャも分かっていた)なのでウエブを見れば同僚のアクセスも分かるようにしておき、おばちゃんに電話を掛けるより、先に同僚にシフトの代わりを頼めと徹底させた。

ターニャはタイ系中国人だ。中国人はGの発音が弱くてGoが濁音無しの「コ」に聞こえることがある。それで9時45分に電話をかけてきて、今日は具合が悪い。仕事に行けない
ー:I’m not comming today.
  Are you going? Are you comming?と言うので
おば:Yeah I’m here already. もう仕事に来てっから。
ー:No, Are you going?
おば:I’m here. だから、来てっから。この堂々巡りを3分ぐらい続けて、

このバカ・ターニャ何を言っとるのか?とおばちゃんがキレかかった時ふいに分かった。ウチにはアユ子ちゃん(Ayuko)という子がいて、ターニャは
Ayuko is going.
と言っていたのだ。あゆ子ちゃんはターニャから電話を受けいて代りにシフトに入った。

これは聞き間違いと言うより、2世代にまたがっ伝え間違いの話。日本食レストランで昼ご飯をいただいていた時、斜め向かいに2世らしきおばさんが2人で席に着いた。おばさんは英語でチキンの照り焼きとサーモンのおにぎりを頼んだ。

おにぎりに関しては日本語だった。オニ・ギ~リって感じ。サーバーがオーダーの品をテーブルに置くと、おばさんはちょっと切れた。何よこれ、私はサーモンのオニ・ギーリを頼んだのよ。これはオム・スービじゃない。

サーバーの女の子は日本人で困惑して目を白黒させていた。おばちゃんと友達はブフォっと吹き出してしまい他人にたしなめることもできず笑いをこらえた。多分1世のお母さんから、丁寧に言う時は「お」を付けるのよと教わったに違いない。だから「にぎり」には「お」をつけたのだ。

1世のお母さんは「おにぎり」は「おむすび」と言う家庭だったのだね

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