ボブは25歳だった

ボブのおじいちゃんは2012年に亡くなった。
ウチのオープンからの守護天使みたいなお客さんだった。最初は前立腺がんが発覚し最新レーザーで手術した。治療のすばらしい成功例として、病院のプロモーションビデオに撮られたんだ、と自慢していた。

その1年後のフォローアップで胃癌が見つかった。転移ではなく単発の胃癌だった。頬っぺたはつやつやとピンクでとてもガンを抱えているように見えず、たまたま居合わせた外科医もあの人なら助かるよ、と断言するくらい元気に見えた。

当時注目されていた免疫を高めるという評判の海藻のサプルメントを買って、ボブに飲むように渡した。ウチの子が一人ボブの家に間借りをしてボブの一番のお気に入りだったが、胃がんが発覚した頃にはすでに卒業して日本に帰国してしまっていた。

ボブは代わりにカンボジアの留学生に部屋を貸したが、今度の子はヒトミほどフレンドリィーじゃないよ。ほとんど部屋から出てこなくて、話もしない。ヒトミはいい子だった、今どうしてる?と私に聞くのだった。

ボブは抗がん剤を始め、食欲が落ちた。
病院の抗がん剤治療って、すごいんだよ。患者がずらずら~と並んで、あんたはこのカクテルこの人はこのカクテルって、流れ作業みたいに射つんだ。ボブ、サプルメントを忘れずに飲んでね。

ボブは年のせいで膝も痛めてウチまでドライブしてきても、車からでるだけで3分もかかるようになった。この役立たずの膝め。とうとうボブはドライブをあきらめ、車を寄付してしまった。

ボブ大丈夫?生活に不自由はない?
すると、近くに住んでいる娘が、出勤前に寄ってスープだとかキャセロールだか置いてって、夕方また寄るんだ。看護婦の訪問もあるしな。

ただ寒くなってきてリビングにいても足が冷えて傷むんだ。私は使っていない電気毛布をボブに持って行った。

ある日、ボブの好物をもって家を訪れると、ボブは友達らしい男の人と話していた。やぁ、これは古い友達。俺はロングタイムケアホームにトライしてみることにしたから。

娘がな、ロングタイムホームがあるから行ってみないかと言うんで。ずっと行きっぱなしじゃなくて、ちょっと試しに1週間とかな。

たぶんボブはその時、もう自宅に戻ってくることはないと覚悟があったのかもしれない。友達ともお別れのつもりだったのかも。

ボブはもともとニューヨークの出身だった。結婚もニューヨークにいる時。ウチのカミさんがcheatして離婚したんだ。息子と2人の娘がいて、娘二人はカリフォルニアの近くに住んでいる。孫のヒューイは娘の子だ。

息子はどうしたのと聞くと、妻と別れた時に妻側と暮らしていたが、どう掛け違ったのかボブにいろんなトラブルを持ち込んでしりぬぐいさせるのだった。

重い口調で、息子は飛行機が好きで免許を取って飛行機に乗るが趣味だが、中古のセスナを買って払いきれずにボブにボブに泣きついてきた。離婚の時に見捨てられ親としてしてくれることもなかったのにセスナの残金くらい出せと。一度きりじゃなくて、ローンが払いきれずに最後はボブに押し付けてくる。

息子の話題が出たのは一度きりで、それ以降は娘の話や孫のでき。テキサスに行ってしまったヒューイの話をぽつぽつとした。

次の週から、ボブにメールを送っても返事が来なくなった。前は、頻繁に面白画像だの面白記事だのメールでやり取りしていたのにパタッと返事が止まった。

ボブはラップトップはもっていなかったから、娘がデスクトップをホームにもっていけるのだろうか?返事がないまま夏に入り、ある夜の明け方。夢を見た。

金髪で若いがっしりした体格の青年が両手を肩で広げて(ボブは肩幅は広くない、むしろ華奢)
Hi, M  I’m 25 now. Who am I? とおどけて言った。
ボブだ!すぐわかったよ。と目が覚めた。
ああ、ボブは死んだんだ。

しばらくしてボブの孫のヒューイが友達とやってきた。一時期風船みたいに太っていたが、もとのサイズに戻っていた。ボブは亡くなったのね?
ヒューイはうなずいて、夏に亡くなった。やっぱり。
おばちゃんは夢の事を話すと、ボブらしいや。きっとボブならやるね。

家は売りに出されていてZillowで家の中の写真を見ることが出来た。家具は処分されてもう何もなかった。返事は来ないけど、たまにボブにメールを書いた。
RIP

mikie@izu について

海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。
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