テン・ジュニア FIP闘病記9      バイアグラ秘話

10‣2日
体重は3240gで先週と変わらず。熱は平熱38.5度。
自宅のキッチン用・秤ではテンが暴れるので体重計測が不可能になった。私が抱いてタニタのに乗り、テンをおろしてからもう一度体重を計って差し引きする。一瞬3500gになった日もあったったんだが。

テンはこの1週間活発でよく動き食欲もある。投薬を再開してから3週間とちょっと。体重4キロはやはり無理な目標だったか。高栄養食も食べているのにアバラが触れる。テンにはなかなか筋肉と脂肪がついてくれない。せめて3.5キロは越えてほしいなぁ。

今日は採血をしたが、ウイルス薬の影響でFIPの所見は血液に出てこないだろう。だから薬剤の影響で肝臓・腎臓などに障害が出ていないのを確認するための検査だった。

見かけ上は正常に見えるがFIPが駆逐されたかどうかは、わからない。CTでも血液検査でも所見が出ないだろうから。
先月のように「12週が終わった、寛解です」と治療を終了して一気にウイルスが勢いを取り戻したような愚は繰り返せない。

テンの体重増加が治療の終了目安なのだが、その頼みの体重が停滞しているので止め時がわからない。
ドクターが提案したのは、薬量を今の20㎎から15㎎に減らしてみて様子を見る。もし元気がなくなればウイルスがまた勢いを盛り返してきた証拠かもしれない。
それはそうだ。それが唯一の判定方法か。難しいなぁ。ロシアンルーレットみたいだ。

先生、ほかのウイルス治療薬で併用できそうなのはありませんかねぇ?
まぁ、ウイルスのタイプが違えば効果があるかどうかはわからないので。う~ん、もう一つは、薬をMutianにしてみる手もあるかもしれません。

Mutianは特効薬の本尊である。
今使っているウイルス剤のモルヌピラビルは後発薬で薬の値段はMutianの半額だ。猫のFIPの治療薬はすべて政府から認定が降りていないので、本尊のMutianも後続薬もすべて中国からの個人輸入になる。

Mutianを持っていてFIPの治療にあたっている動物病院は限られている。
治療には薬代、検査料、診察料で軽く新車1台分を超える費用が必要だ。それでもFIPの寛解率は100%ではない。この治療費の高さと専門のクリニックの少なさ、が敷居となって猫FIPの治療は難しいものになっている。

テンのFIPのトドメを刺すために紹介状をもらって専門クリニックに行きMutianを処方してもらう。という手もあるとうちのドクターは言っているのだ。

標準の12週間投薬の必要はないかもしれない。
だが、専門クリニックで血液の精密検査、エコー、CTをすべてやり直し、カルテのデーター・コピーを出してMutianを処方してもらうことを考えると踏ん切りがつかない。ここまで快癒したんだから。8合目まで来たから。それにペット保険の限度額はすでに使い切った。

Mutianを持っているクリニックから、うちのドクターが薬を購入することはできない。薬事法違反でどちらの獣医も獣医師免許が取り消しになってしまう。

そうするとMutianの輸入代理店の情報がわかれば、私が個人輸入をするか、あるいはドクターがMutianの個人輸入をするか。いったい代理店はどこか?

その辺の情報は漏れてこないんですよね。
同業者なのに?
ん~~、同業者でMutianを持っている人で、聞けるような人がXXXにいますから一遍
その辺を聞いてみようかな。

おう!?先生、ぜひ聞いて。
教えてくれるか教えてくれないか、あるいは代理店に頼んでもテンの治療に間に合うかどうかわからないけれど。
とりあえずまた1週間はモルヌ20mgを処方してもらった。

―――ここから昔ばなしである。―――――――
今から30年ほど前、まだおばちゃんがアホウブだったころ。
アメリカのローカルの知り合いに石を投げれば、日本との輸出入の仕事をしていた誰かにあたった。

アメリカの工場から流出したナイキのシューズを日本に送る。
サーファー御用達しの人気Tシャツを日本に送る。
日本の物をアメリカに輸入する。
仕事のメインか小遣いかの規模の違いはあったが、誰もが輸出入を手掛けていたような時代だった。今、日本では何がブームか?

そこにバイアグラがでた。
アメリカでバイアグラが普及した時、日本ではまだ未認可で夢の薬だった。
ただ、未認可の薬でも個人輸入は自由だ。一般日本人は夢の薬!へぇ~~と思うだけだったのだが、勇気と〇欲に目がくらんだ日本人はアメリカ在住の誰かれの伝手を探す。
どうにかして輸入できないか、と。

この情勢を感じて抜け目ないわが同胞・在米日本人(誉め言葉)はさっそくバイアグラの輸出を開始した。一錠5ドルがいくらに化けたか?おおぴらに言わないが誰かが濡れ手に粟でボロもうけをしているらしいと噂があった。

輸出入と縁がなかった私にも、日本向けにバイアグラ輸入代理店のウエブ・ページを作ってくれないだろうかと相談が持ち込まれた。その当時はオンラインの代金決済が簡単でなくセキュリティ上の決済プログラムは私の手には負えないので断った。

代金の受け取りを日本親族にしておけばできるかもしれないけど、XXXさん、それはそうと一体バイアグラはどこで仕入れるの?処方箋薬じゃない?
へへっ、XXXcityの○○薬局ならあるんだよ。
私が輸出入のビジネスとはまったく無縁だったからポロっと口が滑って教えてくれた。
ここで終わっていればウラミを受けることはなかったかもしれない。

そのあと別な知人Aさんに会った時、案の定、彼も輸出入を手掛けていて、いま日本では何が当たるかなぁ?バイアグラだったら絶対当たるのに、。XXとか○○とか、バイアグラで当たっているらしいから。一体バイアグラはどこで手に入るんだろうな?

で、私はポロっとXXXcityの○○薬局だそうよ。と漏らしてしまった。
その後、別の関係者から、場が荒れるだろうが!と
グレたデューク・東郷みたいなおっさんから凄まれたのであった。
その後、在米者で手が出せるものは我もと手を出し、相場は崩れ日本でバイアグラの認可が下りた後はビジネスチャンスは消滅したのであった。
ウブで間抜けなおばちゃんでした、すいません。

ここで念を押しておくが、FIPの治療薬に関しては日本の個人輸入のクリニックではほとんど薬代マージンを取っていない。
これは確か。

アメリカでもファイスブックにFIPの治療グループがあって、FIP症状や治療法について情報公開をしているが、Mutianの値段に関しては為替を考えずに日本もアメリカも薬値はほとんど変わりがない。

山の猫友がFIPの治療をした時もMutian輸入時の値段と処方された時の請求書を見比べて計算したら「利」はほとんど乗っておらず、輸入した薬値と変わりがなかったと言っていた。日本の獣医さんは良心的で「治療薬」では欲をだしていない。立派である。

まぁ、バイアグラを欲しがる男から多少の利をとっても後ろめたさはあまりなかったかもしれない。当時の在米日本人を擁護しておく。

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米国留学 F1―先の闇

昨日買い物のために山を下ったらふもとに早咲きの桜がすでに咲いていた。
そういえば、去年の5月には、再び桜は見られないかもしれないなと思っていた。桜は見られた。来年はどうか知らんが。

日本社会は閉塞感が満ちている。悲しいことだ。
海外脱出日本人が過去最多だそうだ、留学生は減っているのに。
出稼ぎXXとか、LAXで若い韓国女性が止められたのはリーマンショックの後だった。いまは日本女性がやるわけか、。

おばちゃんは、海外・留学・移住・進出に賛成。若者は世界を生きてみるべきと思っているが、火事場的な脱出をしても身につくものはなく、かえって将来を誤ると思う。

若者が自らを袋小路に追い詰めることがないように書いてみる。
海外移住するなら、ビザはまっとうに取れ。
不法就労、オーバーステイになった瞬間、その国での未来は閉ざされる。ビザ、就労許可証というのは日本で育った日本人が考えるよりず~っと重大なライセンスである。ビザを持っていなければその国で息をしてはいけない。

アメリカを例にすると、
まず留学生ビザを取る。ちゃんとした学校からI-20を取れ。この学校の選択を間違って留学生商売で生きている語学学校のI-20をとると、学力不足でカレッジやユニバーシティにトランスファーできずアメリカで沈没することになる。

自分に何の才能があるか、アメリカでも日本でも大学を卒業後「食って」いける職業ゴールを定めよ。アメリカはSTEM Science, Technology, Engineering, Mathematicsを専攻する学生は大事にしてくれる。国の発展の基礎になる資源だから。
医療はねらい目だ。看護学校はしんどくてクラスメート同志で泣きながらテスト勉強してたと逸話も聞く。看護師免許さえあれば永住権への道も開かれている。

富裕層にとっては海外移住は簡単である。
資金さえあれば金で買える永住権があるからだ。今の日本、今の自分たちを何とか打破したいそのために海外渡航を考える普通の人たちにとっては、金で買える永住権は残念だが手に届かない。まっとうに努力してまっとうに移住のチャンスを狙う。その場合はSTEMにチャンスがある。

Yahooのコメントに「うちは夫婦高所得なので、子供の教育のために海外移住を考えています。」があったが、おばちゃんは「高所得」で引っかかった。「所得」が「勤労所得」なら海外移住は、日本での勤労所得を捨てることである。ツテも縁もない外国に移住して、移住先で収入がなければ貯金は蒸発する。

または、能力が高ければ、海外の日本企業の求人に応募してビザをサポートしてもらう狭き門もある。配偶者の就労ビザがついているかは定かではない。また雇用してくださった会社がビザを持っているのでビザの奴隷。会社が床掃除をしろと言ったらする。靴を磨けと言ったら磨く。首になればビザも消滅する。


夫婦と子供が移住するには、富裕層でなければ、日本の企業の駐在で派遣されるばかりだ。夫婦が高所得だけでは外国の就労ビザの壁が突破できない。

とりあえず留学生ビザで渡航して生活資金は何とかなるだろうと思っている人は、なんともならない。
留学資金を貯め、ビザを取り、学校を卒業し、就労ビザか永住権を狙う。
現地に住めば生活費を稼ぐ仕事があるだろうと思うかもしれないが、不法就労を雇うと雇用主に罰金が科せられるのだ。

おばちゃんが人を雇ったときは面接し、彼・彼女のSocial SecurityナンバーをW4フォームに記入してペイロール会社へ提出するする。ペイロール会社はSSナンバーを照会して異常があると返信してくる。


「SSナンバーが照会できませんでした、あるいは存在しないSSナンバーでした。雇用してはなりません。」メキシカンなどは偽造したSSカード(マイナンバーカード)を出してくるので油断がならないわけ。

留学生や就労不可のビザだとSSナンバーがそもそも取れない。
おばちゃんの会社のペイロールに乗せることが不可能なのだ。雇えない。

それでも闇で不法就労を雇って給料をだして、それがバレた場合は、不法就労ひとりにつき罰金が$5000である。2度目にバレれば2倍の1万ドルになる。そんな危険を冒すよりは、すでに永住権を持っている在住者を雇う。

渡米して皿洗いでもすれば稼げるというのは戦前の話。去年のニュースで、ニューヨークのレストランで年収20万ドルで皿洗いを募集しても人が来ない、というのがあったが、ビザなし、就労許可なしの不法滞在は、皿洗い求人に応募する資格さえない

ここからは今まで書けなかったアメリカの日系社会の闇の話。
KK問題でF1ビザの問題でF1が失効したらその先は闇、、、と。

密入国のメキシカンが合法的ビザや就労ビザも持たないのに、アメリカ社会で道路工事や日雇い労働で生きている事実がある。同じようなことを日本人同胞がやっているとなると、できるだけ目をそらし、知らなかったことにしたい。

滞在できないはずの日本人が米国内に生息していて遭遇することがある。
どうしてそうなった?

周囲の話をつなぎ合わせると、留学ビザF1かあるいは観光ビザで入国してきた。I-20を発行する語学学校は、先生も日本人なら生徒も日本人。日本国内の英語学校と何ら変わりなく授業の内容も退屈。出席しなくても学校側はビジネスだからうるさい警告はないし、なんとなく学校に行かなくなった。

そこで気が付けばI-20をキープしている限り米国内滞在は合法であった。卒業をしなくても大学にトランスファーしなくても語学学校に在籍して1-20がある限り就労は不可だが違法滞在ではない。


英語学校は1-20を授業料という名で売っているのである。1-20の授業料を払い続けることがアメリカにいられる保証になって、卒業や目的がなくなってもずるずると滞在を続けてしまう。

一度出国すると、再入国ができるかどうか危ういので日本の親が病気でも一時帰国ができない。4年5年たっても事情は変わりないので、思い切って親にはハワイに出てきてもらう。ハワイなら親に会える。

目的意識が低く流されてしまった人はついにF1も失効し、1-20に払う金さえも窮してビザを失ってしまう。ID=運転免許証だけはあるので生活はしている。完全違法滞在者というのが生息している。1-20だけというグレーゾーンの留学生崩れも生息している。
ただし、米国を出国してしまうと、2度と入国できないので日本に帰国する決心もつかずずるずるとその日を送っている。

なぜか、みな故国日本には帰りたくない。
今更日本に帰ってもしょうがないと言う。アメリカにいる方がそのうち何かいいことがありそうな気がする。アメリカにいられる、アメリカに居るというのが目的になる。

非合法の身分から抜け出す方法は、男なら一発逆転は大統領の恩赦。若い女ならアメリカ人男性との結婚。

非合法のままずるずると何十年もアメリカにいて、まともな職もなければ資格も取れない幽霊の状態のままガンになって最後は知り合いの日本人の世話になって亡くなった方もいた。

今日、円ドルレートは130円だ。
たとえ日本の貯金がそこそこでも海外移住にベストな時ではない。ビザの壁は高くアパートのレントも日本の倍に届こうとしている。

今は準備の期間だとしよう。
バネは矯めれば矯めるほど程、跳ねる力が大きくなるから。何だったら食っていけるか、自分の能力を伸ばすために海外に移住してみよう。

くれぐれも自分なんか探しに行くな、そんなものは外国の地面におっこちていない。
自分は自分で変えていくものである。

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新しい海外移住

Thinkpad バッテリーの換装

Thinkpadのバッテリーがヘタっている。
Amazonではリチュウム・バッテリーの海外発送は嫌がる業者が多かったので、Ebayでコンパチのバッテリーらしき型番を落としたのだが、実際に合うかどうかは換装してみないとわからない。

中国人の業者はOK,ok, No problemと言いよったが中国人のNo Problemはあてにならないので、返品返金OKを確認しておいた。春節前に届けられるかも、って言ったくせに春節がとっくに終わった先週に届いた。コロナ バリバリの中国からのパッケージであるから開けずにアルコール消毒薬をシュッシュしてひっそりと風呂場に置いおいた。

当日外装の段ボールだけ切れ目を入れコンピューターとバッテリーをPCデポに渡した。
日本製ではないので届いたバッテリーが実際合うかどうかわからないけど、換装お願いね?!
しばらくたってPCデポの受付おじさんは、裏蓋を開けたThinkpadと替えバッテリーをしずしずと持って帰ってくると、確かにバッテリーはオリジナルの型番と同じように見えますが、、、このピンがついてるんで~~~~。と指さして言う。

バッテリーの右から6ピンか8ピンの細っそいケーブルの端が本体に刺さってる。
で?とおばちゃんが顔を上げると、
このピンを抜かないといけないんですが?
そらそうだろ。
おばちゃんはピンセットを使って抜いて刺すようなラップトップの細かい仕事が苦手なんで、PCデポに来たんだが。

このピンを抜いて、新しいのを刺すときつぶしちゃうと本体がダメになって起動しなくなるかもしれないんですぅ~~~~。
バッテリーの接続はできなくなるだろうが、本体が立ち上がらなくなるかどうかまではいかないと思うが、要するにPCデポは壊したといわれたくない。責任持てませんと言いたいわけね。

やらなければバッテリーを買った意味もなくなる。
バックアップは今朝とったからやって!起動しなくなったらそこの中古のThinkpadを買うから。ドクターに「胆石を切って」と同じノリで“やっちゃって”と言った。

修理部屋にいるのは昔からのコンピューター小僧改めコンピューターおじさん達で、ほっそいピンの抜き差しなど毎日やっているに決まっている。
ただ、Thinkpadの純正ピンを見て嫌~な予感がしたのだろう。
純正品だらけのPCっつ~のは汎用品で代用できないから困ったものだ。DellとかSonyとかね。嫌~な予感というのは10回に1回は現実になるので、ピンをつぶしてコンピューターを壊してお客さんがごねたら嫌だなと思う気持ちもわかる。

おじさんは修理部屋に戻っていき、おばちゃんは中古PCの在庫を観察した。
安くなったもんである。新機を買うには2500ドルは覚悟したもんだった。自分でパーツを組んでもそのくらいの総額になったからOS自体も高かったし。
それが今では片手でそこそこのスペックが買えるのだからコンピューターショップのビジネスは難しい時代に来ている。
多分、新品1台売って粗利は15%くらいではないか?PCデポがサブスクリプションの契約に走って、批判されるのもよくわかる。

10分ほどでおじさんは戻ってきて、では電源を入れます。
愛機は無事立ち上がっておばちゃんは拍手した。えらいわ~。素敵~。ほな、おいくらでっか?
換装は5500円で済んで、バッテリーも60ドルだったから買い替えずに安くてよかった。ヤバそうなことがするすると済んでおばちゃんほっとした。こういうことは日本はスムースでありがたい。

これで商工会議所のコンピュータークラスに持っていくこともできるようになった。
プログラミングはスクラッチしかないから、子供用でも我慢してのぞいてみるか、それとも日商英語検定2級クラスを冷かしてみるか?

日商2級のビジネスレターのサンプルを読んだら、重要度の低そうなIssueをまどろっこしい遠回しな英語で書いてあったので笑ってしまった。しかし、5年以上も英語を話す機会がなくて、頭の回路が日本語専用に変わりつつあるので、英単語が出にくくなってしまった。綴りは恐ろしいことになりつつある。

コロナでいろんな集会の制限がなくならないとおばちゃん英語もダメになりそうだ。

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おばちゃん就職を目指す

崖っぷちの人

国籍法第11条 その2 二重国籍

国籍法第11条
1、日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う。
2、外国の国籍を有する日本国民は、その外国の法令によりその国の国籍を選択したときは、日本の国籍を失う

第12条
 出生により外国の国籍を取得した日本国民で国外で生まれたものは、戸籍法(昭和二十二年法律第二百二十四号)の定めるところにより日本の国籍を留保する意思を表示しなければ、その出生の時にさかのぼつて日本の国籍を失う。
国籍法:https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=325AC0000000147

国籍法第11条にも関わらず二重国籍になる人が出るかといえば、世界は二重国籍を認める国と認めない国が混在し、他国の市民権(国籍)を取ったとき本国に自動通知されるような国際システムが無い。国籍法で日本国籍の自動喪失を日本が宣言したところで、他国の市民権を取ったあと国籍喪失届を律義に手続きする日本人のほうが稀かもしれない。つまり何もしない故に二重国籍になる。

喪失届をださなくても特に罰則はない。第16条―日本国籍 選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない。―――努力義務

複数のパスポートを使うことで入管法に触ることがあるかもしれないが、厳罰を受けた例をあまり聞いたことがない。
罰則がなければ法律にチャレンジしても特に不利益がないと考える人は一定数いる。特にフレキシブルな考えを持っている関係方面とかね。法律で罰則規定があれば抑止力があるからあえてチャレンジしようと考える人も少なくなるかもしれない。

さて、日本国が断固として二重国籍者の排除に向かっているかというといままではそうでもない。
元記事のコメントには鋭い指摘があった。

ペルーのフジモリ元・大統領の亡命事件だ。
フジモリ元大統領は日系2世のれっきとした2重国籍者。
一世の両親が大使館に出生届を出したため日本国籍をとった。一方ペルーの法律では二重国籍者が大統領になることを禁じている

さらに
国籍法の改正:1984年以前から日本国籍と外国籍の双方を保持している者は1985年1月1日の改正国籍法施行の日に外国籍を取得したものと見なされるので成人の場合2年以内(1986年12月31日まで)に国籍の選択をしなければ自動的に日本国籍の選択の宣言をしたとみなされる

彼は2国の国際法をくぐった2重国籍者であるようだ。

ところがフジモリ大統領への弾劾と追訴が起こって彼が2000年11月、APEC首脳会議の帰途東京に入国した後、日本国は彼を日本人として保護した。事実上の亡命

改正法の何もしなければ自動的に日本国籍を選択したとみなされているわけ。
ところが、ところが、彼は2005年10月、2006年に行われるペルー大統領選挙に出馬するために日本を離れた。改正法ならば成人後、彼はペルー国籍を放棄したとみなされるのではないんかい?

Wikiより
同法第16条第2項には、国籍の選択宣言をした日本国民が自己の志望で外国の国籍の必要な公務員になった場合に、その就任が日本の国籍を選択した趣旨に著しく反すると認めるときは、法務大臣は聴聞を経て日本国籍を喪失させることができる旨の規定があるが、フジモリは「みなし選択宣言者」で「実際に選択宣言を届け出た者」とは区別されるため、この第16条は適用されないーーーではペルー国籍はしっかり保持しているわけ?!

当時の首相は小渕 恵三、外務大臣は麻生太郎であった。ええかげんな人達やのう。

フジモリ氏もペルー人と日本人をカメレオンのように使い分ける人であったようだが、日本の国籍法も相手次第でカメレオンのように適用されるようである。

日本人とみなしたり、大統領選に出馬する時にはペルー人になったり。それを擁護した外務省、法務省、日本政府。
自分が恥知らずと知っている恥じらずは、突っ込まれるのが嫌さに人の欺瞞に鈍感になるのかもしれない。目糞が鼻糞を笑っているような。

このような歴史的な背景もあって、日本国はなにがなんでも二重国籍を強固に排除する姿勢ではなかった。ちっちゃい声で言うのだが、二重国籍は2つの国で税金を払ってる。本来なら定住の国で租税を払うだけでよいのだが、戸籍と住民票を維持するには税金がかかるから。

おばちゃんはモニカ・ルインスキーのスキャンダルの時に、アメリカ大統領が恥ずかしくていたたまれなくなり、アメリカ国籍は金輪際取るまいと思った。2021年、アメリカ市民権と永住権者の放棄が過去最高になったという記事があった。パンデミックのせいか。

日本の在外領事館は一般日本人はゴミだから保護なんかめったにしてくれない。アメリカはアメリカ市民が他国で戦乱に巻き込まれたときは、特別機を準備してすぐ救出にむかうから、そこは頼もしいと思う。

参考:
こちらはカリフォルニアの日系雑誌の法律相談ページだ。市民権をとるかどうかと悩む場合に実際のどのような違いがあるかまとめられている。
https://www.us-lighthouse.com/life/feature-articles/citizenship-vs-greencard-02.html

こちらは35歳にしてアメリカ国籍があったことが発覚して、アメリカ国籍を放棄した人のブログ
https://dailyportalz.jp/kiji/161031197945

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しぶとい人たち

この前アイ子ちゃんが来た時に2年分のおしゃべりをした。
日系社会は狭いのでお互いの仕事・友人関係は重なり合うことが多い。アイ子ちゃんがよく行くビジネスのオーナーがうちのお客さんだったりした。

アイ子ちゃんは人のうわさ話をそれほどする人ではないが、そういえばXXXXさんってあの人はビジネスを売ったのよ。55億ですって!

え~~~!?もちろん円ではなくてドル。55 Million Dallars
あの人のビジネスで55ミリオンは高すぎやしない?と聞けば、全米の日系スーパーに納入するようになったからその値段になったんだと。

XXXXXさんは小さな小売店から始めた。25年ほど前か?
おじちゃんとおばちゃんもオープンしたと聞いてすぐ行った。ピンとこなかったからしょっちゅう行くことはなくて、でもうちの従業員の一人がXXXXさんの小売店と掛け持ちをしていたから内情をよく聞かされた。親近感がわくからたまには店舗に行ってみるのだが店舗は隣のテナントを買い取って大きさが倍になっていた。

休日だというのにオーナーは外壁に植えたゴーヤのカーテンを眺めていた。普通の目立たない日本人のおっさんであった。ゴーヤーを一ついかが?と頂いたが苦すぎて食べられなかった。早朝から仕事をはじめ一日中店舗にいて子供が生まれると店舗でランチを食べて子供もそこで大きくなったようなものだ。

商売は日本人だけではなくアジア系と地域の白人にもうけ、日曜などは行列ができて買うのが大変なので、xxxx掛け持ちの従業員に買ってもらったりしていた。

さらにうちのもう一人の従業員のご主人は、XXXXX業界の製造機械のメーカー営業でしょっちゅう彼のオーナーに新機械を売り込んで営業成績を上げていたのだ。営業に行けば一台数万ドルの機械も買ってもらえるのでうちの子のご主人は業績トップで確か会社からご褒美をもらったはずであった。

そのうち、売り込みはもっと大掛かりになり工場を建てるという話になった。リーマン・ショックの不況から数年後だったから工場を建ててそれほど需要があったっけ?とおばちゃんなんか疑問だったが。

おばちゃんたちはその後帰国してしまったが、工場は無事に稼働し始めたらしかった。
それが55Million
税金で半分取られても孫の代まで安泰だろう。すなおに敬意を払いたい。自分の時間と労働と努力をすべて注ぎ込んで作り上げたビジネスを55ミリオンという金額で評価されたというのは経営者として誇れるべきことだと思う。

自分の力で稼いだものでもない歳費をためた1億円の貯金とか、俺をYRHと呼べとか、自分たちの力で獲得するものがあってから言ってくれ。つくづく情けない夫婦である。

アメリカ人社会で日本人が活躍するのはよほどの才能か努力のたまものである。
アメリカで活躍する著名な日本人がテレビに映る時おこぼれのように映る日本人がいる。

アイ子ちゃんとそのおこぼれの方の彼を見ながら、彼はまだ頑張ってるね、。あの人はさんざん取り込んだからね。昔はあんなことやこんなことをやってため込んだから。

日本人社会は狭いので、どんなふうに成り上がってきたか絶対昔を忘れないのだ。
アイ子ちゃんも昔から知っているから、彼も相当変だよね。しぶといよね。xxxで損をして乗り越えて、リーマンショックも乗り越えて、コロナでもしぶとく生きていて、ずっと仕事をつづけて仕事中にぽっくり死ぬんじゃないかな?

そうね、しぶとくないとアメリカで生きていけないものね

永住権・グリーンカードいろいろ

手にしたグリーンカードはちっともグリーンじゃなかった。
カリフォルニアで発行された永住権カードはむしろホログラフが目立つピンクといっていい色合いだった。有効期限の10年が過ぎカードをニューアルすると今度はクリーム色になった。

知り合いの夫婦はたぶん70年代後半に中西部で取ったグリーンカードで、本来の由来のグリーンがかったデザインのものだと思うが、さらに彼らのカードには10年の期限がない。
そう、昔はカードの期限が記載されないグリーン・カードがあったのだ。
夫婦のグリーンカードにはリニュアルの通知が来ない。いいなぁ、と思ったのだが。

人生のほとんどをアメリカで過ごして、彼らはおばちゃんより3年早く日本に帰国した。
ご主人の故郷が九州なので両親はとっくにいないが彼は生まれた土地に帰った。助けてくれる家族も誰もいない中西部で自分の力だけで生き抜いてきた人たちなので、日本の知らない土地に移住を決めたとしても何も困らなかったと思うが。

奥様K子さんは東京生まれの東京育ちで日系二世と結婚して、いきなり中西部で広大な農地をトラクターを運転する農家の嫁になった。一子を設けたがその後数年で離婚した。子供を抱えたシングルマザーが、アメリカ中西部の農村地帯でどうやって生きていけたか。

雇ってくれたのはマクドナルドだけだったと言う。
トイレ掃除に窓や床磨き。ハンバーガーを焼き接客をし一人で店のクロージングまでやらされて、時給は$3.25。マネージャーはオーバータイムの残業代なんかつけてくれない。何度も抗議しても英語に訛りのあるアジア女が、移民の奴隷労働者が、として相手にされなかった。マックを辞めたらどこにも雇ってくれるところがないことはマネージャーに見すかされていたから。

7年奴隷労働をしたあと、他州に移る目途ができてマネージャーに辞めることを伝えたらマネージャーもいくばくかのうしろめたさがあったのかもしれない、コカ・コーラの株を何株か退職金替わりにくれたという。


80年代前後の株なので、現在なら一財産になっているはず。売らないのかと聞いたら、このコカコーラの株は私が奴隷のようにアメリカで働いた証し。私の体と時間をすりつぶしてもらった株なので生きているうちは絶対売らないと言っていた。

このK子さんはその後日本人のご主人と再婚してカリフォルニアに移った。
カリフォルニアでも長年接客の仕事をしていたが接客逸話の持ち主。一度来客した客は顔・名前・職業などわかるものはみんなメモをして覚える。次に来店した時のためにそのメモ帳を肌身離さず身に着けていたという。
他の同僚からすごいねと褒められると、何分もう年で脳みそが限られているからメモして覚えるほかないからと。

そのK子さんが60代半ばに脳出血を起こした。
莫大な医療費が飛んでいって、回復はしたが健康保険の保険料は倍になった。そこで夫妻は人生の大検算をしたのだね。1に1足して2を引くと幾ら残るか?
幸いアメリカ経済はリーマンショックから立ち直っていて、家は不況前より高く売れた。

K子さんの一人息子は中西部でアメリカ人として育ってしまった。一人で生活を支えるシングル・マザーが息子に日本語や日本の文化教育は到底不可能だったからだ。息子は早く巣立ちアメリカ人の女の子と結婚して孫が出来た。その孫も成年になっていたから日本に帰国を決めた時も、今更K子さんがアメリカに残って何かをし残したことはない。
それでご主人と日本に帰ってきた。

場所はご主人の出生地・九州の南部である。
東京生まれでアメリカで生活してきたK子さんにとっては故国というよりまた別の国であったかもしれない。地元の人の話す言葉がよく聞き取れないと言っていたし。

ご主人の同級生とか親戚の薄い縁はまだ残っていたとはいえ、K子さんは地元の人から見れば異邦人であったと思う。

ずっとあったかい土地で過ごしたから服は体を締め付けない薄いものが良いといってコットンのTシャツとレギンズだけ履いていた。スカートをはいているわけではない。ロングTシャツというわけでもない。
確かサウスウエストエアーだかのドレスコードに引っ掛かったのと同じような服装である。

九州南部の旧弊な地元の婦人方はさぞかしびっくりなさったのではないか。K子さんはきょとんとしてTシャツとレギンズのどこが変なのか理解していない。気にもしていない。長年培った接客術で今では地元の女子会のメンバーだという。たぶん九州南部だろうがアフガニスタンだろうがスマトラだろうが彼女は暮らすに場所に不自由しないと思う。

K子さん夫妻は緑のグリーン・カードを持って、毎年1回はアメリカに帰って孫の顔を見て友達を訪ねついでに税申告Tax Returnをしてゆく。
ところが何分期限がないグリーン・カードなもんで、毎回LAXの入管でちょっとこちらへと別室に呼ばれて毎回2時間の取り調べがあるのだと言う。
毎回?2時間?

コロナでアメリカに渡航できずに3年我慢していたらひ孫が生まれていた。
K子さん、もう大ショックである。一刻も早くひ孫が見たいのにコロナでいろんな制限が厳しくてアメリカに入国できなかった。


先月の7月にやっとアメリカに帰ってシカゴに飛び、シカゴからはレンタカーでインディアナポリスまでロングドライブである。たどり着いたらひ孫は二人目も生まれて3か月になっていた。グラン・グランマである。

1月たっぷりアメリカを満喫して日本に帰ってきた。
長く留守にしたので畑の野菜が枯れてしまったのが悲しいと残念がる。最初の結婚では広大な畑をトラクターで耕すような農業だったので、日本の家の片隅の畑に夫婦が食べられるだけ数種類の野菜を植えて育てるとやっと本当の農業!って気がするのだそうだ。

来月は函館に旅行に行くそうなので帰りに熱海に途中下車するので6年ぶりで再会である。楽しみ。

平均的アメリカ人が一生に何回訴訟に関係するか

平均的アメリカ人が一生のうちで訴訟と関係するのは何回くらいだろう?ふと思った。
ドナルド・トランプが抱えている訴訟3500件 
彼の会社が訴えているのは1900件。 訴えられているのは1450件。 破産訴訟とかのその他150件、連邦法だと169件である。

アメリカで一年のうちにファイルされる訴訟の数も統計にあるが、一般的なアメリカ人が人生で何回訴訟に巻き込まれるか、は統計に出てこない。検索場所か、検索ワードが悪いのか。

アイ子ちゃんは、アメリカで暮らすなら身内に弁護士がいなけりゃ怖くて暮らせないじゃない。と言って、自分の旦那を弁護士にした人である。私が知っているだけで少なくとも交通事故の訴訟で2回、学校関係で1回やっていると思った。

〇谷さんの奥様は壁の塗り替えを日本人業者に頼んだ。そしたらアシスタントのメキシカンが家具を部屋の中央に集め、上から汚れ防止にビニールをかぶせ、(ここまでは良かった)そのビニールを紙テープで止め新品のカーペットの上からカッターで切った。新品のカーペットがカッターでズタズタ。

業者が言い訳ばっかり言うので「日本人だからってタカくくっているならなら訴えるわよ」日本人業者が焦って新品カーペットを保証した。これは訴訟にならなかったが、〇谷さんの会社が日本の特許を持っているアメリカの唯一の代理店なので、アメリカ人がチャレンジしてくる件が多かったそうだ。

アッコちゃんはマネージャーとしてスモールコートに証人として何回も出廷した。パートタイマーのアメリカ人がオーバータイムがついていないと一発でスモールコートに訴えてくるから。

〇子さんは、客に会社のサービスのネガティブなことをしゃべって、会社からワーニング・レターをもらい「もう一度このようなことがあれば解雇もありうる」という文言を脅迫だと訴訟をファイルするとか騒いでいた。

訴訟には被告と原告と双方の弁護士がいるが全員日本人だと、同じ場所でバッティングして気まずくなったことがある。日本人が集まる場所は限られているから、お互いこれはもう避けようがない。

一度も原告にならず被告にもならずに平和にアメリカで人生を全うできる人がいれば、きわめて幸運な人なのだろう。(集団訴訟は数にいれないとしての話。集団訴訟を数に入れると、たぶん一生訴訟に関係しない人はアメリカにいなくなってしまうから。)

訴訟にならないまでも、諸庁諸組織にcomplainをファイルした経験のある数ならもっと多いだろう。

渡米して3年目に救急車で救急病院に運ばれ、ERの担当ドクターに「肝臓の数値がすごいことになってる。なんで飲むんだ!」って怒鳴られたからおばちゃんもつい反応して「曰く言い難し」と怒鳴り返したら、カルテに反抗的って書かれた。

なんでそんなことを知っているかといえば、チャート(カルテは英語ではチャート)のmedical releaseをかけたから。ドクターが持っているすべてのレコードをコピーして取った。

このERのドクターKelvinにはチャートにその他ないことないこと書かれてしまい、のちに大変なことになったのでおばちゃんはCalifornia Medical Boardにコンプレインをファイルすることにまで発展した。

コンプレインは受理されなかったが意見書が返ってきて例えば事実が疑わしいものであってもドクターが信じるところをメディカル・チャートに記述した場合、訂正を求めることはボードとしてもできがたい。とボートの意見が述べられていた。

そうか、。渡米して3年目だったしおばちゃんもよく考えずにしゃべったことを記録されてしまったのであった。端的に無防備であった。
アイ子ちゃんも同じような経験をしていて、こちらは交通事故だったが、ぶつけられて同乗していた10代になるかどうかの子供が最初にポリスの事情聴取に応じて話したことが調書に載ってしまい、子供の勘違いを訂正しようにも弁護士の旦那の力でも、がんとして修正できなかった。
アメリカでは用心深くあらねばならぬ。おばちゃんは心に誓った。

次は、日系だというだけでかかりつけに登録したドクターは3分診療どころか1分診療。こちらの症状を話し終えたときにはドクターは処方箋を書いていて、受け取って顔を上げたらもういなかった。
ある時、おばちゃんは耳の調子が悪くて耳鼻科の専門医に診てもらいたかった。ところがこの時のHMOという管理健康保険は患者はまずかかりつけの内科医にかかることになっていた。

HMOは保険会社が医療費を抑えるためにできたシステムで、かかりつけ医が患者にジャンジャン検査をすると金がかかるので、できるだけ検査をしない。専門医にも回さないようにする。患者を専門医に回すとかかりつけ医のHMO内の評価がさがるっていう噂もあった。胃が痛い、じゃあ制酸薬を処方して様子を見ましょうね。胃がんが悪化して死亡なんてこともあった保険システム。

この内科医が専門医に回したほうがいいね、と紹介状をだして初めてHMO内の別の専門医に掛かれる。
この日系ドクターに耳の不調を訴えて耳鼻科で聴力テストを受けたいと言ったら、こいつは簡易聴力テストの器具をとりだしてポンポンと3回鳴らした。聞こえますか?そりゃ聞こえるわさ。じゃ、異常なし。なんだって?たった3回よ。

この日系ドクターはウナギのようにすばしっこくアッという間に診察室をでて次の患者に向かっているのだ。おばちゃんはナースを捕まえて、話は終わってないと抗議するのだったが「ケエレ」と言われて切れた。

かかりつけ医に登録した後に、この日系医のうわさでいいものは何もなかった。どうもボンクラでアメリカのメディカル・スクールでやっていけなかったからフィリピンの医学校を出たとか。患者に心電図の大きな装置をしょわせて何日か検査させてたのにスイッチを入れるのを忘れていたとか、誰さんが手遅れでなくなったとか、。

登録したかかりつけを変えるには手続きと時間がかかる。
ましな医者に代わる前に言いたいことは言ってやろうと、HMO保険にcomplainをファイルした。
このドクターに苦情を寄せるのはおばちゃんが初めてではなかったのかもしれない。割と早く保険会社からhearingを開くからと通知が来た。そのころには別の医者に登録をして耳の検査も済ませていたから、怒りのエネルギーもしぼんでいた。

Hearingを開くってHMOもかなり本気で受け取ってるよ、どうするやる?ってテリーさんから聞いて、あの医者の評判も随分落ちただろうからもういいやって、そこで手じまいにした。

家を買った後は、住人とアソシエーションがビルダーを訴えていてセトルした後だった。壁が設計図より薄いとか、断熱材が入っていないとかバスタブに穴が開きやすいとか様々な手抜き工事が明らかになって、ビルダーが無償で補修工事を行うことで決着していた。

先人の日本人おば様によれば、このごろはビルダーは家を建てた後は会社を解散して家を買った住人が訴えようとしてもも会社が無くなてってできないことが多いのだと。ウチの家のビルダーは逃げ足の遅い奴だったので住民に捕まったのだった。ラッキー。

EDD(Employment Development Department)の裁判はインナー裁判だった。永住権を取った後、イミグレがおじちゃんのステータスをビザから永住権に書き換えるのを忘れたので、失業保険が下りなかった。もぅ、アホみたいなイミグレのミステークで裁判をやった。

ライセンスを持っていないエステティシャンにレーザー治療を受けて色素沈着しちゃったときは、おばちゃん自分で裁判をファイルした。自分訴訟というやつ。
相手は金を持っていないとわかっていたから少額裁判にした。自分でできるセルフ裁判な~んてウエブがあったので、おばちゃんはお昼寝をする代わりにせっせとページを読んで手順を踏み自分で裁判をファイルした。裁判の当日にコート外で和解したけど全額分捕った。勝負には勝った。

アメリカでずっと死ぬまで暮らしていたらあと何回裁判に関係しただろう?被告には一度もなっていないが、その後も訴えられずに一生を全うできただろうか?商売を続けていれば難しかったのではないか。

ちょっとのきっかけで訴えてくる社会は社会としておかしいではないかと、正論を言ったところで、自分がまっとうに生きていても訴訟は降りかかってくるものだと覚悟したほうがいい。訴えられて何もしなかったら確実に負けるのだから応戦するしかない。

おばちゃんのカンでは平均的アメリカ人は訴えたり訴えられたり、3回~5回くらい?人によってはもうちょっと多いかな。

集団訴訟は通知が回ってくるからこれは数のうちに入らない。
口座がある銀行だとか、物を買ってユーザー登録をした人だとか、サービスのアカウントがあるからとか、。弁護士団が勝手に住所を調べてくれて、こちらにお知らせを送ってくるからサインをして送り返すだけ。あとは弁護士団が和解金を分捕って分配してくれる。もちろん自分たちもたっぷり懐に入れる。

日本に帰国してからも一件、銀行の「和解金の小切手」が追っかけて届いた「125ドル」転送住所をあっちこっちさまよっていたので、伊豆に届いたときは有効期限が切れていた、。かなし~い。
おばちゃんが参加している集団訴訟で係争中がまだ一つある。いくら配ってくれるか楽しみ。


クリスマスの奇跡

永住権 泣き笑い

駐在で3年くらいたつと、頭の後ろに黒い焦りが張り付いて取れなくなる。
できればこのままアメリカに居たい。

数年ごとにビザの更新があって、手続きが面倒くさいが首尾よく更新が済めばまだいられる。更新を繰り返して7年まで。すでに3年が経過して、あと4年で限界かと思うと焦りがわいてくるのだ。

日本であった人間関係のゴタゴタ、生きづらさ。あちこちでぶつかる日本社会の壁みたいなもの。閉塞感。日本での先の見えない人生のもどかしさ。

そんなものがすべて吹っ飛んだ外国。
あまりにも青くてすこ~んと澄み切ったカリフォルニアの空の下で、もっと自由に息をしてこのまま暮らしていきたい。そんな渇望に心があぶられるようになる。

駐在ビザの最長期限は7年である。いずれその時が来る。何もせずにその時までカリフォルニアを楽しむか。それとも目の前のチャンスをつかむか。

アメリカ経済の浮き沈みは会社の業績にもろに反映し、人員整理に直結している。もし日本本社が支社長を変えれば、新支社長の方針次第で人事の移動もありうる。下手をすると従業員の誰かに日本帰国があるかもしれない。

ビザを持つ会社と、その会社に働く従業員は圧倒的な立場の違いがある。従業員には何も切れるカードがない。仕事ができるから別の会社に誘われても、現会社を辞めればビザはパーである。会社がアメリカ滞在の命綱を握っている。
これが駐在員。就労ビザの実態。

駐在員を一人アメリカに派遣する場合1000万かかるといわれている。
駐在ビザを取り住居と中身を用意して本人と家族家財道具を日本から送り出すとそのくらい費用が飛んでいく。

グリーン・カード永住権は従業員が持てる唯一の切り札。
会社が首だ!と言ってもアメリカで生きていける。会社の意向、支社長の意向をうかがわなくても、自分の意志で会社が移れる。もっといい給料をだすという会社に大手を振って移れる。会社に「ベー」と言ってやれる。

大手会社によっては、駐在派遣の駐在員がグリーン・カードを申請したら首っ!という会社もある。会社が金をかけてアメリカまで連れてきてやったのに、グリーンカードを取るなんて、独立の下心でもあるのだろう。ケシカラン!

永住権の抽選

ケシカラン!と言われてもグリーンガードが取れたら勝ち。
おばちゃんたちが移住した直後にガバメントが永住権の抽選プログラムを始めて、この抽選に当たった兄妹がいた。あたったというと、運がいいだけに聞こえるので、この場合は永住権を当てに行った。

最初の抽選プログラムはうっかりしたことに、申請書の数に制限をつけるのを忘れた。
この兄妹は二人で実に200通の申請書を書き、ワシントンDCに飛行機で飛んで、抽選プグラムのガバメント当局に一番近い郵便局に申請書をだして、見事兄弟二人と親戚分の永住権を手に入れた。
当たり前だが、この申請書の数はその後1人1通に制限され穴はふさがれた。しかし、2年か3年後だった。

おばちゃんたちは、抽選プログラムのことも知らず、下手に会社にグリーンカードのスポンサーになってくれと言うと首になるかもしれないので悩んでいた。が、マネージャーのテリーさん(ベトナム2期サービスで市民権を取った人)に相談した。

大丈夫よ。会社がスポンサーになるにしても申請手続きの金を出すのが嫌なだけで、自分で費用を持ちますといえば申請しても構わない。
だって、支社長は英語がわかんないから、実際の書類を用意するのは僕よ。やってあげるから大丈夫。
ありがたい。おばちゃんはさっそく移民弁護士を探して、申請を依頼した。

優先順位

会社の雇用を通しての永住権の申請は「優先順位」が高くない。
優先順位が高いのは、アメリカ人の配偶者、子供、親。アメリカ人と結婚すれば、早ければ2~3か月でワーキングパーミットがとれ、1年後には永住権を手にできる。

雇用を通した永住権の申請は、アメリカの労働市場に不足した技術を持っていれば、比較的早くワーキングパーミットが下りる。古くは日本人の庭師(日本人は手先が器用で庭仕事に才能があると思われていた)寿司シェフ、IT技術者などは比較的早く下りた。
おばちゃんたちは、申請を出した後、思い出したように移民局からリクエストが来る書類を提出し、待つこと3年。ついに永住権を手にした。
これで一安心である。アメリカで大手を振って暮らしていける資格ができたのだ、。会社が何と言おうと、首にされても他で生きていける。

欲しい、欲しい、永住権が欲しい。
雇用を通じての申請が難しい場合、結婚を通じて永住権を狙うしかない。
アメリカ映画でもグリーン・カードは題材になったが、事実はあんなに生易しいものではなかった。これは人間として正しいのか?と思ったケースもあった。とても書けない。軽いケースだけ書くと、

珍しいが、ある男の子の例である。
前提として、日本人の女の子が裕福なアメリカンと結婚をしてグリーンカードを取った。結婚はうまくゆかず泥沼の離婚裁判となって、日本人の女の子はかなりの資産を分捕った。永住権を市民権に切り替え彼女はアメリカ人になった。

彼女は生物的時間が迫っていてどうしても子供が欲しかった。それで同じ日本人の男の子に目を付けた。彼は、就労ビザを狙っていたのだが、要件が足りないのである。日本の親は早く帰って来いという。専制的な親から逃げるためにアメリカに来た。でも、帰りたくない。永住権を取って、アメリカで生きて生きたい。

そこに、彼女から申し込み。
種をくれという。子供が欲しいので種を提供してくれたら結婚してあなたの永住権をサポートしてあげる。その後別れてもいい。子供を養っていく財産は有るので、親としての義務は持たなくてよい。
子供は生まれた。彼は永住権を取っただろう、でもおばちゃんは幸せなその後を想像できない。

同じく永住権はすでに持っていた独身の男。結婚を考える日本人の女の子がいた。
永住権者が、何も持っていない女の子の永住権のスポーンサーになることはできるが、優先順位が低いので彼女が永住権をとるまで7年から10年かかると言われていた。

そのため彼は市民権を取り、彼女のサポートをすることにしたのだが、。
市民権が取れた後、ある女が近づいてきて結婚してくれれば2万ドル払うと言った。そこで、彼は心が動いたのである。

書類上の結婚をして、付き合っている彼女との結婚生活の資金にしようとした。2万ドルを手にして、女の永住権を申請して取ってやった。すると、女が行方不明になった。

計画ではこの後、女と離婚して付き合っていた彼女と結婚するはずが、女は行方をくらませて離婚ができない。青くなっているところに女から連絡が来て、金をだせ。出せば離婚してやる。

自業自得としか言えないのだが。
裁判になれば彼は金欲しさに永住権の詐欺をやったとして不利になるし、裁判費用が掛かるし、でも裁判以外に解決法がなかった。最終的に離婚はできて、彼女と結婚したけれど、高くついた偽装結婚だった。

乱闘のケースは2件知っている。
1件は二世の男をめぐって、女が床で取っ組み合いをした。もう一件はアメリカ人の男をめぐって、3人の女が乱闘。自分以外の女を追い出せば家と永住権も手に入るから。

おばちゃんたちは、割とすんなりとれたほうだ。3年待っただけなので。
今日本に帰ったら負けだと思う。アメリカ社会に負けた気がする。能のない奴が負けて日本に帰った。俺は負けたくない、日本に帰りたくない。帰ってたまるかと思う。

ビジネスを始めて人の関係が広がると、そこでもここでも永住権が欲しい悩みを聞かされる。しかし、永住権はアメリカで生き延びられる魔法のカードではない。

永住権を取った後、人生はまだ続くのだ。

LAの暴動があり、セプテンバー・イレブンがあり、バブルがはじけリセッションが始まり、知人のアメリカ人の不動産エージェントはホームレスとなって娘と車で生活していた。

社長だった男が元社員に連れられて、レストランでおごってもらっていた。
試験を受けてライセンスを取って、会社に勤められたと思ったら、会社が持ちこたえられずに解散してしまった。

不動産の暴落で気が付いたら家の査定額はローンの残高より下になってしまった。これでは家を売ってもローンしか残らない。

会社を当てにして暮らしていた人は耐え切れずに日本に帰国するかどうかの選択を突き付けられた。永住権を持っていても役に立たないのだ。

夫を当てにしていた人は夫が亡くなるとひっくり返った亀になる。財閥系の会社でローカルを下に見てた人が、独立したとたんに相手にされなくなって、自分の価値は後ろ盾の財閥の看板だったのだとわかる。

このコロナ禍で、アメリカ社会はまためちゃくちゃになった。
昔の取引先で亡くなった方もいる。ビジネスが成り立たなくなって、一時帰国している方もいるだろう。もうすぐ卒業なのに、という学生諸君もいるだろう。ここが踏ん張りところだと思う。

アメリカ社会の立ち直りは早い。
これは帰国して日本の社会と比べてみると実感する。アメリカの実労働層はずっと若くて活力があって流動性がすごく高い。昭和の高度成長期を思わせるポテンシャルの高さ。


大恐慌もリーマンショックのリセッションも最低最悪だったのは3年。今は踏ん張るとき。泣いても誰も助けてくれないから、泣く暇があったら生きるために動け。

生き残れるかどうかは、自分の才覚による。本当に能力がある人間だけが生き残れる。
だからおばちゃんは、男を狙うより学校に行けという。爪を磨くより、技能を磨け。というのだ。


駐在員の奥様会

ああ、怖ろしい。
おばちゃんは禁断の領域に踏み込んでしまうのかしら。伏字だらけになりそう。

おじちゃんの会社は商社でもなく独身社員とローカル社員だったので、もちろん奥様会などという怖ろしいものはなかった。

駐在員は長くても7年ほどで帰国するから、おばちゃんが永住権を取って一回りすると交友関係は同じ永住権者とローカルが中心になった。

友達のアイ子さんは駐在奥様に人気のお習い事を教えていた関係で、駐在の奥様たちと交友があった。日本を代表する一流企業の駐在員の奥様は何年かに一回奥様会を催すのだった。

アイ子さんはその中の一人、知り合いの奥様からどうしたらいいかしらと泣きつかれて困っていた。親睦を深めるため奥様会が今度あるのだが、その席で当然ながら自己紹介をせねばならない。It sounds normal. それで?と思うのだが

この自己紹介が大変なのだという。
自分のざっとした履歴:上の人の奥様より華々しいと大変!どのように”抑え”て紹介するか、会社の社員であるご主人とのなれそめエピソード!つまんないエピソードでは受けが悪い。

かといってロマンチック過ぎると”上の方”の妬みを買うかもしれない。つまらなすぎず華々し過ぎず、適度にユーモアを散らして自分の地位=ダンナの役職にふさわしい自己紹介を考えないといけないらしい。

服装バッグも上の人を超えてはいけない。アイ子さん、どうしたらいいでしょう?どんなエピソードを話したらいいのかしら。まるっきりのウソではバレるわよね?

かつての□コ□奥様会は、上座から下座まで地位順に席が作ってあったのだが、さすがに対外に聞こえが悪いと反省したのか、近年は席を決めるのにくじを引くそうだ。途中に軽いゲームを行って、さらに席替えをするのだそうだ。

ある情報によると、XXXの奥様会は集合時に席に座っていらっしゃった奥様は会社の上様のお局で、他の出席者が誰一人手を付けられないお茶と茶菓子をおひとりだけ悠々と召し上がっておられたそうである。

お局様は”卒業式から結婚式”とご自分の経歴を披露なさり、社会生活に穢れることなく、ひたすらご主人と会社のために尽くしてこられたことがご自慢であられたそうな。21世紀の時代に?!いくら席をシャッフルしようとも、”お局様”がどなたかは一目瞭然だったという。

○○○の場合はもう少し小規模の会社で割と皆さん庶民派で和気あいあいだったらしい。

X菱の場合は、超一流にも関わらず奥様会が無かった。
元社員の本人から聞いたが、かつてX菱奥様会でバトルがあったのだそうだ。奥様同士がご主人を巻き込んで会社を2分するような紛争が起きたそうで、以来ではX菱奥様会はご法度らしい。

深田祐介は奥様会や駐妻生活はあまり書かなかったけど、一流商社の△△△△の奥様によれば、ダンナは仕事・仕事・夜討ち・朝駆け・出張・出張で子供を抱えていて学校関係の手続きも自分でやり病気でも引っ越しでもダンナはあてにできず母子家庭と同じ環境なの!とこぼした。

商社マンの勤務は激務で、重圧のあまり同僚で気が狂う人も珍しくないのだ、とおっしゃっていた。△△△△の毎月の給与明細には、支給額の他に今月退職するとしたらあなたの退職金=金額が記載されているのだという。

日本に帰国したときに日本の教育に遅れないように日本語学校の宿題も付きっ切りになって奥様が教えていた。

ダンナは一流商社で働いていて頭がいいのは証明済みなので、子供の出来が悪ければ奥様の出来が悪いことになってしまう。奥様だって想像もできないほどの重圧にさらされていて無論壊れてしまう方もいる。アパートのドアから一歩も出られないようになって、こうなると日本に送り返すしかない。

奥様会ほどの大げさなものではなくても駐妻持ち回りのお茶会があって、今週はこの方、次はこの方とめぐっていく会社もあった。会社は奥方を現地の文化や学校で自分磨きをさせるために派遣したのではないので、現地交流禁止などとオフレを配布する会社もあった。

会社を一歩外に出ればただの知り合い、会社と配偶者は無関係といかないのが日本社会のややこしい文化であった。(アメリカでもあるが日本ほど支配が濃密でもない)

英語の達人

アメリカで暮らしている間に英語の達人は何人も見た。
某、麺会社の支社長は機関銃みたいに英語を繰り出し、取引相手?か、白人のおっさんもタジタジ、社長は口も挟ませず相手にすきを与えない。

某宗教の現地大学の教師も、切れ目がないほど喋りまくる。社会学の教師で話すのが商売なのだから話さないと話にならない。
もう一人の彼女も教師だった。目をじっと見て、あらゆるレトリックとロジックを使って、相手を導き、自分のもつ結論に導いていく。

そういう達人の人たちの英語は、仕事や生活を通じて獲得した能力の一つで、自分の目的を達成するためにある力だった。英語が身を立てるためのゴールではなくて、ゴールを達成するために英語は必要条件なだけ。
判断力、交渉能力、場を読む力は語学に関係ないのであった。

ある時、日本人コミュニティに新顔が増えた。
駐在員家族ではない。いかなる会社も関係していない。アラサー夫婦に小学生が2人。全員留学生ビザと帯同者ビザだという?コミュニティの日本人が頭をひねる、何故?

家族全員で英語を取得するためだという。アラサーの大人が語学学校に3年いたとしてABCニュースを50%理解できてそれでどうなんだ。どの国で生きるつもりなのか。

小学生を数年現地の学校にやって、ぺらぺらと日常会話ができるようになるのは確かだが、それで日本に帰国して、実際どの程度実生活に役に立つかは疑問だ。

さらに、おとうちゃんは学生で収入がないのに一家全員アメリカに移住できるとか、どんな家なのだろう?

アメリカで食って生活している周りの日本人は皆同じ事を思っていたはず。
アメリカで英語ができるのは当たり前、その他の能力がないとここでは生きていけないのに。だから看護学校に進学する。金融・ビジネスを学ぶ。アメリカでは薬剤師が信頼される職業の上位だから、教育費をバイトで必死に貯める。だからみんな、なんだかなぁ、とぬるくその一家族を見守っていた

日本で会社内の公用語を英語にした会社があるそうだ。
例のブログの大家さんの駐在員はToeicの点数だけで選ばれたのだろうか?
実をいうと、おばちゃんはこの耳で、ブログの大家さんの駐在員が現地雇いのローカルの英語がうまいとか、ヘタとか、一緒に赴任した同僚だかの”英語の棚卸”をしているを聞いた。
あほ、じゃないかと思った。

英語ができるだけで仕事ができると思ったのか?


さらに、日本の有名大企業のあのCMを聞くたびにおばちゃんんは苦痛でならない。Inspire the next, , , , ,  と言うやつ。

Next what? 
何をInspireしたいのさ?とイライラしてしまう。Nextの次に来る単語が一番重要です。
だから何を言いたいのかよくわからない。英語スピーカーはみんな同じことを思っていると思う。
日本人のいいたことよくわからない。

1)Future/Lifeーーー inspire the next futureこれが一番しっくりくるけど
  平凡で訴える力が弱いよね。へぇ~それで?ていう。
2)Generation/Technologyー これも同じよね。具体的なビジョンが見えてこない
3)Peopleーーー inspire the next people
これだとCMを作る人の意図が違ってくるよね。
  ものを作ってる会社だし。
Inspire the next Chronosome おう、人類に貢献しそう
Inspire the next Ibaraki 地元貢献は大事
Inspire the next US president アハハ
何か言いたいことを考えてみよう!

おばちゃんも書いたフライヤーの文章がおかしいとか、ネイティブから指摘されて直したよ。
英語としておかしいんだから正しい英語に直せば?と思う。開き直って、ウチの会社のスローガンなんだよ。日本風の表現なんだよ。禅なんだよ。ってか。これは調べたら結構有名らしい。
素直に直しゃいいのに。

ローカルテレビなのかな、おばちゃんがよく見せられるCMがある。
Try the next.
だから何をTryしたいのさ?
これは大学のCMなの。大学・・・!笑える。何を教えるんだろう? わっはっは!

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