日系社会のピラミッド

西海岸でも東海岸でも日本人日系社会の構造というのは大体同じではないだろうか。

ピラミッドの構成というのは下からこうなっている。

自分探し

30代に入る直前から30代の後半まで、離婚組も多い。子供まで連れてくる猛者もいた。F1の学生ビザだが、語学学校だけでカレッジに正式入学するだけの学力も根性も金も計画もないので、1~2年うろうろして帰国する。

この辺はアメリカに住んでいるという住人枠にも入れにくい。昭和の時代に「アメしょん」という言葉があった。アメリカでおしっこをしてきた人という意味である。むろん自分の幻想以上に素晴らしい自分がアメリカで落っこちているわけではないので金が尽きたら帰る。

留学生

語学留学か、ユニバーシティを卒業する留学生かに分かれる。語学留学は自分探しと大差がない。留学をする芸人はこの辺。アパートを2・3人でシェアするか、個人宅に間借りする。

ユニバーシティを卒業するだけの学力がある留学生の場合。
卒業後の進路は分かれる。OPTでもう一年アメリカにいるか運よくH1Bのスポンサーになってくれる日本の会社を見つけてビザをとるか。
抽選で半分以上ハネられるので非常に運がいい人がビザを取れる。取れなければ日本に帰る。
卒業するだけの学力があるので、日本でも大手企業に就職するチャンスがある。未来の駐在員候補だ。

ビザの会社員

ラッキー!ビザが取れてスポンサー企業に勤められるが贅沢できるような給料はもらえない。でも安い1Bのアパートには何とか住めるか、あるいは2人でシェアする。勤めている間に永住権のスポンサーになってくれる企業を探す。目指せ永住権!!グリーンカードさえ手に入れば、もっと稼げる会社に移る

駐在員

この人たちは別枠。
日本の企業から派遣されて日本企業で働いて日本の本社に向かって仕事をしている人達なので、現地の人間関係より会社の人間関係のほうが大事。

現地ローカルの日本人と友達になる場合もあるが、いづれ帰国することが決まっているので会社の人とは話せないことを話すあとくされのない関係を築く。日本に帰った時に自慢できるようにできるだけアメリカを旅行し、どれだけ子供に英語をたたきこめるか必死。
3年から最長7年で日本に帰る人。お辞儀の習慣を忘れない人たち。
なので、現地のローカル日本人社会からはいずれ帰る人枠。
ただし、現地ローカルの日系催しもののスポンサーだの、チャリティーだのにはしっかり協賛してもらう。


やっと永住権

やった~!やっと取れた。これで堂々アメリカで生きていける!
同じく永住権を持ってる彼女と結婚して家を買った。2人で稼いだらローンが払える。在米の企業の寿命は短く、つぶれたり合併したりするから親方日の丸は安心だと思って、日本の会社のローカルにもぐりこんだのに、、日本に撤収しちゃった!

あの、トヨタがテキサスに引っ越す!日本スーパーがトヨタを追っかけてテキサスに行く!うちのカミさんは、スーパーなのに?リコーはアトランタに引っ越すって?嘘だろっ?

必死でためていた貯金を崩して職探し。永住権を取って明日は安泰と思っていたのに、実はお先真っ暗なのに気が付く。日本には帰れない。だって今帰ったら負けじゃん。

自営業者・永住権

もうピンキリ。
ドカンと当たって御殿を建てる成功者から、夜なべに広告を織り込みをする細々とした自営業。ネットワークビジネスをてがけて次は当たるかも
とネットワークまみれになっている人。日本?帰らないよ。帰ったら負けじゃん。

ゆうゆう永住権

もともと資産を持っていた裕福な層で永住権もさほど苦労なく取り、勤めている企業でも管理者かオーナー。がつがつ働く必要もなく、子供は現地の大学を出て医者とか弁護士とか将来安泰なコースに乗っている。ボンボンで育ちすぎて、あ~、こりゃ親の会社を継いだらつぶすわ!という2代目もいないわけではない。

こういう層の日本人1世-2世が日系協会で役をやったり寄付を出したり、賞をもらったり日本企業の駐在員役員とゴルフをしたり総領事館などの上の人とお付き合いをするのである。
日本?東京に家があるからたまに帰るわ。で?

市民権と超優秀な日本人

永住権を取って5年以上たつと市民権の申請資格ができる。
仕事も家もあり日本人でいる優位性がないと考える人は市民権をとる。永住権者は福祉で保護されないが、アメリカ市民は福祉の権利がある。考えたくはないが、仕事をしくじって最悪の結果になったとき市民権持ちなら、アメリカ国家が面倒を見てくれる。

または、アメリカで育った子供はアメリカ人になっちゃって、もう将来家族で日本帰国の選択肢はゼロになって、市民権をえらぶ親も多い。日本?今更帰ってもしょうがない。

超優秀な日本人は
ぐいぐい頭角を現すので、アメリカ社会に進出していき10年もたつと日本食なんかなくても生きていけるし日系スーパーにもたまによる程度で、日系にかかわらず生きている。アメリカの企業が自分の実力を評価してくれるのだ。なんで今更日系企業に?

やっと永住者、自営業永住者、ゆうゆう永住者、市民権者は
もう日本のニュースは見ない。Yahooのヘッドラインくらいは見るが内容は興味もないから読まない。

日本の総理大臣?誰?
ゆうゆう生活者以外、遊んでいる暇がないわ。仕事が忙しい、子育てがある。学校からfundraisingのが回ってきて、寄付に回るかクッキーを売りに行くか、子供がスポーツでレギュラーになるかどうかの瀬戸際だから、仕事を早めに終わってもやらないといけない。二つ仕事を掛け持ちしてる。
日本?はっ?だれか死んだ?家族でも死なない限り当分帰国できないし。

50代中ごろまで、ひーひー仕事と子育てに手いっぱいだ。稀の休暇に安いチケットを買って日本に「行く」
永住権を取って家を買って子どもを産むと、自分のいるべき本拠地はアメリカになるので、自然と「帰る」という言葉は使わなくなる。

日本は「行く」ところで、アメリカの家が「帰る」ところ。
日本に住む人を「日本の人」という。ローカルの自分たちはいずれアメリカで死んで土になるので、新1世

この50代半ばまで、仕事と子育てに追われるのは日本の社会でも同じだろうと思う。
ただ、アメリカの社会は日本よりずっと浮き沈みが激しい。コロナの蔓延でエンターテイメント、旅行、フードサービス、流通にどれくらいの痛手を被ったか想像することが恐ろしい。

私は、永住権を目指してアメリカ人とデートを繰り返す女の子に言い聞かせた。「永住権」というのはただのステータスだ。グリーンカードを持っていても、アメリカ国土での「生活能力」を保証する魔法のカードではない。
企業の破産、解散、首切りはしょっちゅうある。爪を磨くより、技能を磨け!看護師になれ、。看護師はリーマンショックでもレイオフがなかったわ。


50代過ぎの永住権者

永住者の運命は50代半ばから大きく変わっていくのだ。
在米日本人は24時間全力疾走している。
寝ている間も英語で夢を見るように努力する。昼間、アメリカ人/中国人にこんなこと言われてああ言ってやればよかった、こう言い返せばよかったと寝入る間にクチクチ考える。

夢にあいつが出てきたら英語で言ってやろう。ちゃんと言えた、ざまミロ。普段の生活でもとっさの時には
Watch Out!とか Dorop it. とかOuch!とか英語で出てくるようになる。

あなたの姓名はタナカかスズキか?
タナカか?それはよかった。
アメリカ人がわかる日本人の名前はスズキかタナカくらいだ。コ~ムロだとか、なんとかいう姓だったら死にかかっても意識不明でも英語で自分の姓を言う練習をせねばならない。なんでか?

2009年5月の土曜日、うちの従業員が出勤してこなかった。真面目でいい子だったから何かあったに違いない。ガールフレンドも部屋に帰ってこなかった彼を心配してポリスに電話をしていた。おばちゃんも心配でポリスに電話をした。そうしたら言われたね。
”21歳以上でしょ?大人が行方不明の場合72時間経過しないと捜査をしない。名前?そんな名前の事故者はいないね。”

何かに巻き込まれたに違いないのだ。何度ポリスに電話をしても答えは同じで、ガールフレンドに部屋にある車の登録証のコピーを探せといった。
たまたま知り合いに元シェリフがいたので車の登録証のコピーを渡してポリスに照会してもらったところ、救急病院のICUで意識不明で見つかった。JohnDoe として。


あなたが長年住んでる永住権者でも事故で意識不明ならJaneDoeだ。
包帯をぐるぐる巻きで、顔もわからない彼を見て、ICUのナースに医療費はいくらくらいになりそうか聞いたら、一晩15000ドルくらいだと聞いて、膝から崩れおれそうになったのはまた別の話。

ID?そんなものは事故現場で燃えてしまった。
パラメディックスによると、レスキューした当時は意識はあったけど本人の名前がわからなかったと。日本人の名前なんか、言ったってわかんないくせに。アメリカで独身者なら、死にかかっても名前を言えないと。永久に身元は分からないよ。誰かが探してくれなければ。

そんな50代でも仕事さえ順調ならアメリカに住んでいられる。仕事をしくじったら?ある日、首になったら?50代だと再就職がなぁ。日本だって難しいだろうが、外地なら余計パイが狭いんだ。いろんな伝手を探して田舎の州に行くとか。

家を売れば一息付ける。カリフォルニア州の不動産が高いから、
ローンが残っていても家を売ればおつりがくる。ラスベガスに移るとか、あそこはカリフォルニアで仕事がなくなった人が、最後にすがるとこであったりする。景気が良かったころはね。

会社がコケずに家のローンもほとんど終わって、目出度く60代に入ったとしよう、仲良し6人組も、何とか生き延びてきた。毎週ランチに集まってくる元気な60代。日本に生きている60代よりず~とEnegetic!なんせ、アメリカを生き延びてきたからさ。

で、ある日突然一人がぽくっといく。美容に気を付けていて細身で元美人。
脂身は食べないとか砂糖は取らないとか細かいことを言ってた人。

次にもう一人がガンで倒れる。
残りの仲良しがクッキーかなんか持ってお見舞いに行く。アメリカの医者は保険によって治療しても効果がないとわかると治療してくれない。ホスピスに移ると毎月5000ドルが飛んでいく。

もう一人はランチをすっぽかすようになった。
認知症だった。
生活には不自由がなくて、ずっと働いたことがなかった人だし。ランチの約束しても忘れるし、貸したものは返ってこないし友達の関係では面倒が見切れなくて結局、離婚した元旦那が施設に入れた。
一人息子以外はアメリカに誰も身寄りがいない。日本の弟とは親の遺産の取り分でもめて縁が切れた。親の介護に指一本上げていないのに、遺産を主張するのはどうかな。

そうこうしていると、もう一人はアーカンソーに移るという。
旦那がもともとアーカンソーの出身なのだ。子供はアメリカ人に育ったから、サンクスギビングとクリスマスには顔を見せるよ。それだけよ。アーカンソーで旦那が先に死んだら、冬は地面の1メートル下まで凍るという州でたった一人アメリカ人の中で暮らす。

60代半ばから70代にかけてさらに運命が大きく変わっていく。
友達?
外国で老いた身の始末をするには、友達なんか100人いても役に立たない。クッキーをもってお見舞いに来るだけだ。

子供からしたらどうか?日本生まれの一人娘は40代でアメリカでも不自由なく生活している。残った母を施設に入れて、2月に一回訪れると母が泣く。
そこそこの財産があったのに、入居時にバカっと入居料を取られてさらに施設の施設料が「毎日5ドルずつ」上がるのだ。医療費はまた別。みるみるうちに財産が減っていき、娘の前で早く死にたい。と泣く。


アメリカでリタイアして老後を過ごすには、年金のほかに50万ドルが必要といわれる。家やアパートを一棟持っていたとしても、施設と医療費が計算よりずっとかかって呆然とする。

施設は100%アメリカ風だから、和食なんてお目にかかることはない。カリフォルニアでも日系が経営している施設は片手の指で足りるはずだ。フィリピン産のナースが、ミセス今日はSushiよというからまさかと思ったら、グリーンサラダに茹でたコメがまぶしてあったと言う話がある。

残った肉親を一人で支えるのも大変。今更日本の親族にも頼れない。長い間に疎遠になってしまってアメリカの従妹?あなた誰だっけ?と言われる。

施設費用や医療費にもびくともしない財産があるゆうゆう永住権者の一人息子が、クリニックを開業してこれからというときに日本人特有の病気にかかっているのが判明した。アメリカでその病気の専門医はコロラドにしかいないという。コロラドに通うか日本に帰って治療するか。

アメリカでクリニックを開き医者をやっていると、それは成功者と考えるのだが、一時期かかっていたドクターはオフィスが3つあり、クリニックの間を走り回っていた。

いつ電話をしても、フリーウエイを走っていると患者で噂になった。むろんドクターが一人で患者さんを診るので、一人で3つ掛け持ちするしかない。
考えてみれば、一人で開業している医師は一人自営主。妻子がいても妻は働いていないから、ご主人に何かあったときはそれでお終いじゃないか。ドクターでも弁護士でも一人自営業はつらいなぁと思うのである。

50代末から70代の人生の変遷を観察して、アメリカで平和な老後を迎えるには絶対必要な3つがあることを痛感する。むろん配偶者が健在であることが前提でのことだが
1、金 2、複数の子供 3、健康

先住の日本人の奥様、〇谷さんが「永住権を持っていても60過ぎるころになると、急に日本に里心がつくのか帰国する人が多く出るのよ」
〇谷さん、それは里心と違う。里心で帰国するのではない。

3つの条件を全部持っている永住権者はそんなに多くない。子供がいない夫婦という点で、まずアメリカで余生を過ごすのは難しい。それに気が付くのは50を過ぎてからだ。


全力疾走で走ってきてある日ふと前と回りを見て、これはだめだと感じる。危機管理の中で生きてきた人間だから、自分の前に待ち受けているものが見えてしまう。

先が見える人と見たくない人。決意ができる人とできない人。
永住権を捨てられない人。子供を連れていけない人。市民権をとってしまった人。アメリカに足をとられたまま、決断ができず莫大な医療費を抱えたような時には、日本に帰るのが遅すぎるのだ。

アメリカの平均余命は持っている資産と比例する。金持ちほど健康で若く見えスポーツをし元気で長生き。金があるからいい保険にも入れ治療を受けられ寿命が長い。
アメリカで成功して生き延びて90過ぎても元気な、妖怪みたいな長老は非常にまれだが日系にも生息している。

生きにくかった日本を脱出して、あこがれていた海外の生活のためにいろんなものを捨てて24時間全力疾走をしてきた。そして人生の終わりが見えてくる時に、今度はアメリカで築いたものを捨てて最終的に守らなければならぬものがあるのに気づく。

死に物狂いで生きて来たから、撤収しても別に悔いはないか。終わりが見えてくるまで走れるだけ走ればよい。

世界のどこでも医療技術者は尊敬されて受け入れられている。別の世界で生きてみたかったら、爪を磨くより、技能を磨け。

mikie@izu について

海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。
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1件のコメント

  1. ボンカレー

    私はこのサイトが本当に貴重だと思っています。
    おばちゃんの語りには、いつも人生の哲学を感じています。

    淡々と粛々とこれまでの「生きて来た事実」を記してくれていることが、
    逆に「生きる」という言葉の意味をあぶりだしてくれているように思います。

    韓国映画「ミナリ」が話題になりました。
    でも、あの映画よりもこの記事のほうがもっと生々しく、
    一人の在米日本人の生涯を鮮やかに見た気がしました。

    本当にいつもありがとうございます。

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