2000年からしばらくたって、まだ不況の影響が残るころ、
エリアの日本料理店が次ぎ次とコリアンや中国人に売られていった。客にはまったく売買の動向がわからないので、土曜日のランチに久しぶりに行きつけの日本レストランに行ってみると看板が変わったいた。
フロントガラスに貼られているメニューはアメリカ人向けのコンビネーションばかりになって、焼き魚とか生姜焼き定食だとか純粋日本食は姿を消した。
ほかの店に回る時間的な余裕がなければ、意を決して入るしかない。
案の定、出てきた味噌汁はただの味噌湯。ガリガリに揚げられた天ぷら。甘い甘いタレのチキン照り焼き。食べられそうな冷ややっこに醤油をしこたまかけて白いご飯で掻き込んですぐに出る。
当時の韓国政府はアメリカやカナダに移民する自国民に資金を貸した。
まさか口減らしに国民を移民させたわけではあるまいが、資金をだして他国で稼がせ、本国への経済支援をさせようとの心づもりがあったのかもしれない。が、それは必ずしも成功しなかったようだ。
韓国政府からの資金でカリフォルニア州南部の日本人レストランを買収しEB5ビザ(投資ビザ)から永住権を取る。首尾よく取れれば次のコリアンに店を売りさらにEB5で“永住権を取る”EB5の輪”が広がるケースもあった。
ただ、買収するのは日本レストランが多かった。なぜかコリアン・レストランを自前でオープンしようとする輩は少なかった。理由は簡単で、寿司、和食はインターナショナルな味覚としてアメリカではすでにポピュラーだったが、コリアン・フードは未開の地に近かった。コリアンレストランをオープンしてもアメリカ人客は引き付けられず、小さなコリアン人口だけではビジネスの成長が見込めなかったから。
コリアン自身もコリアン・レストランより日本レストランのほうが「格」が上と思い込んでいる節があった。なるべく日本人客に知られないように秘密裡に売買交渉を行い従業員もそのまま、経営だけこっそり買い取って営業するオーナーもいた。むろんメニューも一切変えない。
日本人は意外と知らないが、韓国本国でも日本スタイルのすし屋というのはあるらしく、すし屋業何十年というコリアン寿司職人もいて、日本人から店を買った後カウンターで握っている。英語以外しゃべらない。ウエイトレスはわざわざ募集して日本人を置いているのでアメリカ人の客からは純粋の日本人寿司職人だと思われていた。
ただ、日本人が入ればあれ?と思うことがあるので常連になることはない。焼酎にキュウリの薄切りが入っていたりするし。
ある程度の料理の修行ができているオーナーが買収するならまだましなのだが、レストラン業をなめてかかっている階層が日本レストランをオープンしたりすると悲惨なことになる。
味噌汁とは湯に味噌を溶かすもの。味付けができないので、テーブルに唐辛子ソース、しょうゆ、ソースを置いて自分で味付けをしてくれと。
アッコちゃんはダブルジョブをしていた時そんなコリアン?寿司レストランで働いたことがあるという。
日本人からレストランを買って、見よう見まねで寿司を握るから、日本人客はあっという間にいなくなり味覚障害のアメリカ人客ばかりになった。
あるランチタイムの終わりごろ、客が入ってきて和風の定食を頼んだがあいにく白米はなくなってしまっていた。照り焼きと天ぷらのコンビネーションなどには白いご飯がつくが、コリアンのおかみさんからすれば要するにご飯なら何でもいいだろうと思うので、すし飯を茶碗にもって出そうとする。
アッコちゃんは、仰天してNo, no, no! Not sushi rice.
おかみさんはダメという理由がわからないので、It’s ok, never mind.
アッ子ちゃんはNo, not sushi rice.
白飯はないので、とにかくオーナーは出せというので、仕方なく定食をだしたら客はご飯を一口食べて出て行った。
コリアン・オーナー夫婦は、日本食には全く才能がないが、アッコちゃんの賄いはものすごくうまいスンドーブや焼き肉を食べさせてくれるのだという。アッコちゃんはこんなにおいしいコリアン料理ができるのだからコリアンレストランにすればいいのに、とオーナーに言ったらしいが、コリアン・レストランじゃ客が来ないからと、そのまま寿司屋をつづけて店をつぶした。
コリアン人口もまだ少なかった頃。
隣国であるということ、一時期日本領土としたことがあること歴史上のあれやこれやがあるので、まったくの外国人として接するのが難しい人たちではあった。
ある晩、おじちゃんと居酒屋にいたときは、商売相手らしい日本人とコリアンが飲んでいた。日本人のおっさんは完全に酔っぱらってきて、
I’m sorry, I apologized what our father’s generation did to your country,,, (申し訳ない。父の世代があんたたちの国にしたことをお詫びする。)
と店全体に響き渡るような声で、ひたすらapologize, soooorryとかうるさく騒ぐ、コリアンの商売相手は、なんか言っていたがこっちも相当酔っぱらっていて揶揄するようにこんなことを言った。
I don’t care whatever while you are losing your money dealing with us.(あんたがうちとの商売で損をしてる間は、気にしないよ)
このころには日本人はべろべろになっていたので何を言われたかきっと聞いていなかったろう。この時ばっかりは、コリアンのほうが一枚上手と思った。
それからコリアンと言わずものすごい勢いでアジア系の人口が増えた。
日本レストランのオーナーが日本人である経営は全体のたった2割といわれるようになってしまった。
そこそこ大手の不動産屋と話す機会があって、(ハワイが本社のあの不動産会社)そのリアルターが、実をいうとコリアン相手でEB5の日本料理の買収をしたのは主にうちの会社でした、と告白した。あそこの店も、この店も?と私が聞いて、そうですという。
好奇心に駆られて、ねぇ、日本食店をコリアンが買収して経営がうまくいったのは何割ぐらいあるの?と尋ねると、
彼は一瞬黙った後、ゼロです。と言った。
彼らもうまくいかないのを学習したので、今は誰も日本食店を買おうとしません。
コリアンからは日本人はずる賢いと思われているのは知っている。一瞬、否定できないかもと思ったのは確か。