告知

C宣告があると患者は時間的に:不信・怒り・拒絶・反抗・受容などの心理状態を経験していくらしい。
おばちゃんはよっぽど性格がひねくれているので、フジコ・ヘミングウエイを見せられた時に足が少し冷えたが、不信や拒絶や怒りなどは感じなかった。

「こう来たか?」と思った。
アメリカでずっといろんなものと戦って常にHowで生きてきたような気がする。
戦う相手が自分と比較にならない程大きい場合はできる限り自分の犠牲が少なくなる方法を探る。自己憐憫とか絶望とかは贅沢な話。そんなことをしていたらアメリカで生きていけない。

今回は相手が大きいのでおばちゃんとおじちゃんをより良く生かすため、どのシナリオで戦うのが一番良いか考えた。

胆嚢Cはたちがよろしくない。膵臓Cと同レベルだ。胆嚢Cにはキモ・セラピーがほとんど効かない。吐き気で行動不能になって数週間人生が伸びるだけの選択肢は選ばない。
さらに検査で見つかった大腸のポリープは転移か?単発Cか?単なるポリープか?術前の面会で再度リンパ節の切除はやめてもらうように主張する。

大腸と肝臓の細胞診の結果が悪性なら積極的治療はやめて、緩和治療を紹介してもらいなるべく健やかに残った宿題をやり終えたいと思う。
なんちゅか、ほかの闘病記の方と違って、まず病気ではなく日本のドクターの標準医療観念と戦うことになりそうだ。

切ってみないと正確な状況は分からない。
ゴールデンウイークが終わったころには結果が出ているだろう。2だったけど5年大丈夫でした。な~んちゃってもあるかもしれない。

困っているのは、おじちゃんが怒っていることである。
積極的な治療を止めてくれと主張するおばちゃんと、この切除が有効ですという医師の言葉にしがみつくおじちゃんと。

45年も一緒にいるので、おじちゃんはおばちゃんが一分でも長く生きる選択肢をしなかったことに怒ってしまった。ショックでご飯を食べなくなり口をきかなくなって2日間コタツでうつらうつら眠ってばっかりいた。
おばちゃんが彼を見捨てた、置いていかれると感じて閉じこもってしまったのである。

おばちゃんは逃避しているわけにいかないので、頭の中でタイムラインとやるべきことのリストアップで忙しかった。

45年も一緒にいるので、おじちゃんを生かす方法も知っている。彼は彼がやるべき仕事とタイムラインを示されると動けるのである。

6月には彼のソーシャルセキュリティの申請手続きをせねばならない。先に帰国した知り合いによると、死ぬほど面倒くさかったと言っていた。
在米のうちから日本の会計事務所で年金手続きのサービスがあることを確認しておいたので、有料サービスを使うこともできる。とにかくこれはやらねばならない。

おじちゃんの携帯の特訓と車の運転練習と事務能力ゼロ者のためにマニュアルを作らねばならない。おじちゃんが飛ばないといけないハードルを示すとおじちゃんも少し持ち直した。
知り合いと友達に報告もせねばならんし、忙しい。

小室問題も追っかけねばならぬ。
ここだけの話、去年の「小室圭の税金疑惑」の記事を書いたときにIRSには手紙を送っておいた。彼と妻が享受しているサービスはFair ValueでおおよそXXXXくらいだが、Mr. & Mrs Komuroはちゃんと申告しているか?日本から毎月送金されているはずだが申告されているか?調査をすべし、などなど。

日系デジタル博物館へは、日系人のために設立された組織を特定の個人のためビザサポートなどのためには利用しないでほしい。Fairであってほしいとメールを送っておいた。
投書が増えればIRSも無視できなくなるかもしれない。日本の不正をただすために発信しよう。


闘病記

1-アイタタ、タ
2-五臓五腑になる入院記
3-再入院
4-発覚
5-告知
6-日本のチーム医療・パッケージ治療
7-闘痛記
8-異色・入院雑記

発覚

おばちゃんはネガティブなワードが嫌いだからこのカテゴリはポジティブなワードに置き換えて書く。日本語の濁った発音も嫌いだから、耳に不快でないCを使う。

この新しいブログカテゴリは「闘病記」
闘病記はたくさんあるし、病自体は今や二人に一人が罹患する別に珍しい病気でもない。生還者も無論たくさんいる。おばちゃんは病そのものと闘うというよりは「おばちゃんのより良い人生」のために闘うといったほうが正確かも。

つまり、なるべく身体的に不快でなくQOLが高くて自分のやりたいことをやって人生を過ごしたいというのがゴールだ。全身を弱らせてもC細胞自体を撲滅するためにキモを頑張るつもりはまったくない。Cも身のうちだから。

一秒でも長くというのは意味がない。少しでも長く生きればいいというわけではない。自分がいかに満足して自分の人生を使い切るかが問題。だから、そのために闘う。余分な治療は却下する。治療のための治療は却下する。

むろん、最初の手術で病が寛解この先10年オールクリアという場合もある。


担当医から見せられた物体は(切除の胆嚢)はフジコ・ヘミングウエイの髪の色や雰囲気に似ていた。

偉大なアーティストには申し訳ないがあの人は昔話の「ヤマンバ」に似ている。
灰色でおどろおどろしい。

早期発見でしたんで、急いで再手術のスケジュールを組みますと。
ちょっと待て、何の手術をするわけ?
胆嚢と接していた肝臓の一部とリンパを郭清します。と言う。

肝臓への浸潤や転移がはっきりしているのですか?Cマーカーで出ていますか?
いや、早期発見の場合はCマーカーに出ないことが多いです。胆嚢の場合はCマーカーに反応がしにくいということもあります。

おばちゃんは、納得できない。効果がわかっていない時点でいろいろ追加で切るのが嫌なのだ、フジコ・ヘミングウエイを見た後では。たかだか10分の会談で手術のスケジュールと特化検査が組まれてしまった。

どうも、納得できないので家で復習と予習をしてみる。
担当医が言う、「早期発見」は胆嚢Cに関してはまれ。
胆嚢Cは自覚症状がほとんどなく隣の肝臓に進出して黄疸がでてから発見されることも多い。発見されたときにすでにステージ3か4。その意味では、たまたま胆石で切ったら見つかったから早期発見でした。という言い方は言えないわけではない。

が、胆嚢Cのステージは胆嚢表皮にとどまっている場合は0か1である。
この時点なら本当の早期発見。
ここで切除すれば5年生存率は80-90%


数字に幅があるのは症例が少ない小さいクリニックほど%結果をよさげにしているように見えるから。難しい症例は大学病院かがんセンターに送ってしまうのであろう。自分たちでできる症例だけやればそれは成績が良くなるに決まっている。

おばちゃんのフジコ・ヘミングウエイは外に飛び出したヤマンバであった。ステージが0や1でなく明らかに2、他の臓器に浸潤があれば3だ。遠隔転移があれば4である。

2の場合、5年チャンスは30%を切る。とても早期とは言えない。肝臓、胆のう、すい臓は難治性である。それでいて近いリンパを郭清するという。

おばちゃんは無駄な知識だけは山というほど蓄積しており、アメリカでは乳がんだろうが何だろうがリンパの郭清はほとんどやらないということを知っている。乳がんだからと言って必ず脇のリンパ節を切除することはない。アメリカの統計ではリンパの郭清をした場合と、しない場合と5年の成績はほとんど変わらないという統計もあったはずだ。

リンパ液が流れる節をとってしまうと、リンパ液が滞ってむくみやいろんな症状に悩まされるという。腕があげられないひきつるなどの直接的症状もでる。おばちゃんの場合は、腹部内部のリンパ節だからいろいろ液が溜まりそうだ。

Big Letter Cは1週間や1月でできるものではない。何年かかかって誕生するものである。その何年かの間、リンパ管は毎日元気にリンパ液を他の部位に流すというお役を果たしているのである。Letter Cが発覚したからと言って、慌てて隣のリンパ節を切除したとしてなんの役に立つのか?

日本のドクターはリンパ節も一緒に切除するのを標準治療としている。予防措置・再発防止措置と言って。

フジコ・ヘミングウエイは明らかに1年物ではない。少なくとも3年くらいかけて成長してきたブツのようだ。その間、おばちゃんのリンパ節は毎日元気に体液を流していたのである。今更、予防といわれても切除に意味はない。違うか?

意味があるのはドクター側で、標準の治療パッケージとして確立されているということだけだろう。リンパを一緒に切っておけば、やらないよりはちっと(何か月)か生存率がましということだけではないか?

患者のQOLは?
標準治療パッケージは個々の患者のケースに対応しているわけではないので患者側に選択肢を提示されるケースは少ないのだろうと思う。

つまり患者にオプションを知らせず、とりあえずやっちゃいましょうという戦法である。
次の2日間、おばちゃんは胃カメラと大腸検査がメニューに入っていた。胃カメラと大腸検査の結果、転移が見つかれば手術の内容は大きく変わるわけで、これは納得できないから胃カメラの前に主治医に面会を求めた。

胃と大腸のカメラでは転移を探すためにメニューを入れたわけではないですよ。
おばちゃんはえっ?である。
転移でなくて単発の別口Cがあるのではないかと検査をします。と担当医が言う。

おばちゃん、思わず 単発の別口・Cがそうそう見つかってたまるかいな。と否定的だった。とにかくスケジュールが組まれてしまい胃カメラをこなし、大腸検査をしたら1センチのポリープがあった、らしい。主治医が飛んできて見ていったという。単発の別口が見つかってたまるか、と思ったら見つかったわけだ。

3日後の手術の前にポリープの細胞診の結果は出ない。手術前日にもう一度術法について説明があるので、リンパ節の切除は断りたい。腹膜に播種があったら肝臓の一部切除もやめてもらいたいと思う。
あちこちよく観察して切らずに閉じてもらいたいと思う。その場合は3ー4日くらいで出てくるだろう。


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再入院のお知らせ

胆石手術の3週間後にフォローアップで再診。全快宣告をもらうつもりが再入院が決まった。

さらに特化した検査を行って26日火曜日に再手術と2週間入院である。今度は割腹なのでもっと痛い。ヤダね。どう転んでも楽しい計画ではない。

今年のゴールデンウイークは雨らしいが、天もおばちゃんのために同情してくれているのだろう。ごめんよ。雨をふらしちゃって。

おばちゃんが入院中に小室母の状況がきっと動くに違いない。
ああ、病院にWifiがあったら。携帯の機種交換とプランを変更は終わったので、長い記事でないなら病院でもアップできる。最初の5日は動けないだろうから掲示板かこの記事をコメント版として使っていただくのもOK

おばちゃんの使命は今度は「発信」らしいのでできるだけ書いていこうと思う。身辺雑記にカテゴリを一つ追加しておいた。さあ、いろいろやらなきゃ。


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五臓五腑になる入院記

手術室まで歩いていきましょうと看護師さんに従ってガラガラとIVスタンドを押して着いたところはガレージだった。
申し訳ない日本の外科医さんたち。おばちゃんはERやGrey’s Anatomyの白く明るい手術室を見すぎていたのである。

国立病院の手術室は天井が低くだだっ広くメディカル機器のある手術室というより車の修理工場に一番似ていた。車の代わりにおばちゃんが乗った手術台が中央に置かれるわけだ。

先に手前に置かれたベッドに寝ろと言われ深呼吸をさせられる。これから「全身麻酔の処置をします」と言われ、いきなりタンがからまったので言おうとしたらおばちゃんのスイッチが切れた。
ぷっつりブラックアウト。

徐々に視野が暗くなり走馬灯が飛んで、ああ、これから手術なのね。と納得しつつ眠りに落ちるはずだったのに!ただ、電源スイッチが切れただけ。これはずるい。ドラマがない。

次に井戸の上から「おなかの手術が終わりましたよ。わかります?」と声が降ってきて、いやいや目が覚めた。
ずっと寝かせていてくれればいいのに。全部治りましたよ~と回復するまで麻酔を効かせてくれていればいいのに。

当日と次の日は覚えておいてもしょうがない。術後に麻酔が切れて追加を頼んでも猫3匹が前足でおなかをひっかきまわしている夢を見た。
アメリカの知り合いは二人胆石で手術したが一人はアメリカ人の麻酔医がアメリカ人並みにたっぷり麻酔を入れてくれたので、48時間後に退院しても1週間ほどうつらうつらしていたそうだ。
日本の医者はきっちり仕事をしたので、おばちゃんは手術後きっちり目が覚めて痛かった。

腹腔鏡だったので体への浸襲は最低限だったはずだが、どてっぱらに穴が4つあいて五臓六腑の一腑がなくなったのだから、おばちゃんの体の中は結構慌てていたのだろう。
いろんな管がつながれていて痛みと消耗が半端でないので、ウオークインで手術後帰宅なんてありえないと分かった。日本人では無理だよね。

入院

手術は生まれて初めてだし日本の総合病院のシステムもまだよくわかってないから、会話には気を付けた、つもり。その検査は幾らになりますかと費用を聞かない。ドクターと呼ばず先生という。なるべく英語を使わないように言葉を探しながら話したつもりだが、手術の立ち会いに来たおじちゃんは看護師さんに「奥様は日本人ですか」と聞かれたそうだ。
日本の普通はもうわかんないのでしょうがないよね。

最初の総合病院も次の国立病院も胆石症と診断を付けた後「胆石です」
担当ドクターは「で? どうします?」と型にはまったようにまったく同じ質問をされた。

おばちゃんは即答で、できる限り早く切ってください。と答えると担当医は「へ?」と気の抜かれたような態度をとった。これも二人とも同じ。
考えるにきっと「手術を避けるにはどうしたらいいか?」とか「薬で溶かせませんか?」とかの返答が多いのだろうね。

胆石は1週間1か月でできるものでなし何年かかって畜養したものだから本人はいまいち危機感から遠いのだ。今すぐどうこうするよりまず当座の対症療法。食生活にかなりの制限をかけて、それでも発作が続くようなら、覚悟を決めて手術で切る方向に変える。だから手術は60代70代が一番多くなるのだろう。

手術を先伸ばしにして、食べたいものを食べられないならせっかく美食の国に帰ってきた甲斐がないではないか。

石は小さいほうが動きやすいという。
高脂肪コレステロール食物でいつ石が動くかわからないし、炎症を繰り返せば周囲の臓器と癒着ができる可能性が高くなり、待つほど手術のリスクは高まる。癒着のない若年齢で切除すればリスクは低く回復は比較的早かろう。

腹腔鏡なら切開でないので体への浸襲が低い。そういう条件を考えると胆嚢切除が一番リスクが低くてQOLがいい。ハードルを一つ飛べばあと十年は好きなものを食べられる。

痛みの数量化

ただ、ハードルを越えた先の地面がどれだけ深いか=痛いかは予想がつかなかった。病院経営の方々はこのハードルをできるだけ明解に患者に解説してくださるといいと思う。

手術室に曳かれる前に、若い手術看護師さんは術前講義として硬膜外麻酔の絵図と解説を一生懸命してくれたのだが、ごめんよ、おばちゃんは全身麻酔だから。彼女は自分がすべっていることに気が付いていなかったのでおとなしく話を伺っておいた。

おばちゃんの60年を超える人生の経験を思うと、術前に麻酔の方式を解説してくれても患者の不安はなくならない。手術の成否もあるが、痛みの度合いが推測できなくて不安。

手術の成否は別にして、せめて苦痛の「レベルと時間」があらかじめわかっていると、“終わりなき苦しみ“”越えるべきハードル“になる。苦しみの終わりの見当がつかないと、人生は苦しみの中で炒られることになってしまう。

つまり、いつ終わるかわからないからつらさが苦しみになる。ところが、このくらいのつらさで推定XX日で終わると具体的な見積もりを言われると、苦しみは超えるべきハードルに変わる。常に自分のゴールと目標を明確にしておく。期限を決める。そうすると耐えられる。

痛みのスタンダード化

例えば痛みの比較スタンダードを男女用いくつか用意する。スケール1から10まで作る。
女性用のスケールは出産の痛みを10として、男なら膀胱結石・痛風発作を10とする。
男女共通なら痔の発作とかぎっくり腰の痛みとか歯の歯根根幹治療が必要なかなりいかれた虫歯痛。外科内科皮膚科歯科などでコンフェランスでもやって、痛みの数値化していただきたい。

麻酔が切れた後の痛みの度合いを、腹腔鏡の穴三つの場合なら、出産痛 スケール5とか。
男性の腹部切開なら傷んだ虫歯の痛み10とか、
そして重要なのは耐えるべき「時間」よ。

手術覚醒後1日目 xxxスケール8 終日
術後2日目 xxxスケール6 半日
術後5日目 xxxスケール1 終日笑ってもOKとか。

そうか、xx手術なら大体、3日あの痛みXXXを耐えればいいのかとわかっていれば、手術を受ける不安と恐怖がずいぶん変わるとはず。

飛び越えるハードルの高さと辛さの時間の予想がつけば、じゃあひとつ飛んでみようかと希望の先を考えることができる。想像がつかない苦しみというより、具体的な苦痛のハードルがわかるほうがはるかにいい。

ちなみにおばちゃんは硬膜外麻酔の説明をしたほうでないベテラン看護師に、例えば胆石発作痛と今回の術後の痛みとどちらが強いですか?と聞いたのだが、彼女は困って「人によって痛みの度合いが違いますので」と答えた。
これも事実には間違いない。

ただ、痛みスケール・スタンダードを真剣に構築してくれると患者のためになるのだけどな。痛み経験の患者からアンケート方式で回答をとって統計化しケースを平均化すれば予想できる痛みと辛さがわかるではないか。まあ、こんなことを聞くから変な人と思われるのだろう。

ちなみに腹腔鏡穴4つ、胆嚢除去 術後の痛みのスケールは 手術当日はぎっくり腰9が終日つづき 2日目は根治治療必要虫歯痛なら スケール5が8時間くらい。 3日目は片頭痛2くらい。
同室の方はもっと大きな手術をなさっていて胆石なんかて~んで下っ端だったことを述べておく。

退院する

3日目の昼食にかぼちゃの煮物がでて煮汁にぷかぷか浮いていたので、退院することにした。かぼちゃが嫌いだったからではない。煮汁に泳いでいるかぼちゃは嫌いだ。

ドクターが患者に退院を許す状態は何だろう?と考えたとき、熱はあるかないか(感染がない)、患部・傷口に炎症があるか、食欲はでたか、どのくらい体力がもどったか(トイレはひとりで行けるか)。あたりだろう。

おばちゃんの自己チェックでは:熱はない。抗生物質の点滴は術後2か目で終わっている。傷口はきれい。トイレは自分で行けたし、売店でプリンとパウンドケーキとチョコレートを買って食べてる。食欲は戻った・病院食以外は。
次の日の回診に担当医にリクエストを言うだけだ。

次の日はまず、髪をとかして整えた。洗面用具になぜかアイラインだけあったからアイラインを引いた。眼鏡をかけて人間に見えるようにした。回診のドクターに
「熱がないです。」
「トイレに自分で行けます」
「ご飯は食べてます。(嘘)」
「痛みは体をよじった時くらい」
とどめに、パジャマをパッとめくって傷口を見せると、ドクターが「うん、傷口はきれいだね」というので
すかさず「明日退院していいですか?」というと、つられて「うん」とドクターが言った。
よかったうれしい。と喜ぶおばちゃん。

ここでもう一つ「ドクターの腕がいいから回復も早いわよね」と言える性格だったらビジネスで大成功してたろう。

手術後3日くらいで自分で運転して帰るつもりだったので、術後4日目なら順当ね。

蛇足


おばちゃんは確認することが一つあった。自宅に帰ってからおじちゃんに聞いてみた。
担当医は合併症があったか無いか手術について何と言っていたか?

驚くべきことに胆嚢の持ち主であった本人のおばちゃんに手術過程結果について何も解説がなかったから。

トロフィー

予想した通り、おじちゃんは私にへんてこな顔をして、実はドクターからお話がありますって呼びこまれて、ビンに入れた胆石を見せられて要りますか?って聞かれたらしい。
担当医曰く「結構大きく育ったのがあったんで」と。

おじちゃんはもちろん否定して、「うちのカミさんははたぶん興味がないから捨ててください」と言った。ドクターはちょっと残念そうだったと言っていた。

やっぱりね。父が脳腫瘍を摘出した時も、担当医は摘出した腫瘍を母や姉に見るかと聞いたから。

ドクターのトロフィーなんだから胆石をガロン瓶にコレクションすれればいいのに。削ったあごの骨を客寄せディスプレーみたいにしてる韓国の整形外科医みたいに。


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