パイポ・カナイナ 波乱万丈 人生記

森鴎外に「渋江抽斎」という小説があって、片っ端から本という本を読み漁っていたおばちゃんは、薄いな、と思って手に取った。鴎外だし品質は保証されているから、どんな物語が展開するのかとワクワクしながらページを開いたが、、、、、。

なんじゃぁ?これ。
地味~なおっさんの地味な人生を鴎外が検証してゆく。無味乾燥な文章から抽斎の人生を抜き出し解剖し再構成していく。ナニコレ?波乱万丈の人生?違うじゃん。ワクワクする急展開、無いじゃん。ああ、終わった。

カビくさいおっさんの人生はいくら鴎外が蘇らせても10代の娘にはちっとも面白くなかった。若い人間が読む作品ではない。
じゃあ誰が読むと面白いかといえば誰か知らんが、
一番楽しかったのは間違いなく書いていた鷗外だな。
読者としては格調高くなくていいから面白い一代記を読みたかったと思う。

おばちゃんの周りには一杯いたぞ。波乱万丈な言葉そのままの人たちが。
格調?それ食えるの?美味しいの?生き残るためにぎりぎりの人生を送っている人達に格調なんかいらない。下じもの人生に必要なのはしぶとさと生きるエネルギー。おばちゃんが見たしぶとい人たちはこうだった。

2世のパイポの名はハワイ好きでサーフィン好きのお父ちゃんの趣味でつけられた。
パイポ・カナイナ(仮名)
このカナイナ家はパイポと妹を除き、全員日本生まれで最初にアメリカに渡ってきたのは、パイポのお父ちゃんカナイナ家。

パイポの母とばあちゃんのケカウルオヒ一家。ケカウルオヒのばあちゃんは最初は日本で結婚し娘(パイポの母)をもうけたがその後娘と二人で渡米した。渡米後、ドイツ人と結婚してケーキ職人として働いていた。もう一系統カライママフ一家のおじいちゃんと出会って「結婚した」。

「結婚した」と書いたのは実はこのおじいちゃんが、日本に戸籍上の妻を残しておりアメリカに渡ってきたから。そこでケカウルオヒのばあちゃんと連れ子の娘と出会い再婚した。

ばあちゃんのドイツ人の夫がどうなったのか詳らかではないし、じいちゃんに日本の妻がいたからアメリカの婚姻届けはどうなっているのかわからない。

パイポはおばあちゃんと結婚したカライママフ爺を小さいころからおじいちゃんと呼でおり、考えると血はつながっていないはずなのだが、パイポにはおじいちゃんなのだった。おじいちゃんはビジネスでそこそこ成功しており、ばあちゃんと連れ子娘と一時期一緒に暮らしていたのは確かだが、その後ばあちゃんは別居しておもに娘のケカウルオヒと生活していた。

娘ケカウルオヒはパイポの父カナイナと大学時代に会い、まだ若いうちに結婚してパイポと妹のキナウを生んだ。高校時代にアメリカに連れてこられ、その後日本語教育も受けなかったので、お母ちゃんは英語の方が得意でパイポとキナウは日本語がほとんどしゃべれなかった。

しばらく親子4人で幸せな家族生活があったのだろうが、パイポが小学生の頃に離婚してパイポはお父ちゃんへ、妹のキナウはお母ちゃんと生活するようになった。お互いの家は近くにあるので、子供たちも頻繁に行き来していた。

パイポに言わせれば、お父ちゃんとお母ちゃんは嫌いあって離婚したのではなく今でもお互いが好きなのだが、どうも離婚するしかなかったのだという。パイポの幻想かもしれないがいつかはお父ちゃんとお母ちゃんが再婚するという夢を語っていた。

CAのおかあちゃんは稼ぎがよくて、それに目を付けたフィリピンのやさ男でしょっちゅう失業しているボーイフレンドが一緒に住んでいて、フィアンセと名乗っていた。かれこれ7~8年もフィアンセだったが、パイポはこのフィリピン人の寄生虫ボーイフレンドが嫌いだった。
家に行きたくないが妹のキナウと祖母ちゃんもいるので顔を出す。母ちゃんは稼ぎがいいけど給料が入ると、ボーイフレンドに乗せられてすぐ旅行や車にパーッと使って貯蓄というものができなかった。

パイポと一緒にいるお父ちゃんはどうだったかというと、お父ちゃんは人好きのする丸顔で陽気。誰でもすぐ友達なれる性格で人から好かれた。現地の日本企業の営業で、口は立つし売り込みがうまいのでいい成績を挙げるのだが日本企業の理屈に合わない旧弊な制度なんかにぶち当たると嫌になってしまいやめる。

そしてバイトで食いつなぎ切羽詰まってくると日系企業に就職してまた営業で成績をあげる。若いころに2Bのコンドミニアムを買っていたので、ローンは安く何とかパイポと二人暮らしていた。

パイポが中学生くらいになると、お父ちゃんが家を掃除しておけと命令する時がある。パイポはいやいや掃除をする。父ちゃんがガールフレンドを連れてくるのだ。父ちゃんは人好きがするからすぐにガールフレンドができて、ただあまり長く続く人はいなくて、いずれはお母ちゃんと復縁を夢見ているパイポにはガールフレンドはうれしくない。


ここにリーマンショックが襲ってきた。お母ちゃんのクレジット・カードの枠は一杯で、フィリピン男のフィアンセは自分の小遣い以外に稼ぐ能力がなく、お母ちゃんはシフトを少し削られて残業手当もなくなると、貯蓄はもともとないので、家のローンが焦げ付いた。

ばあちゃんも年金があるのかないのか、自分の生活が手いっぱいで娘と暮らしているのでローンの手助けは手に余る。じいちゃんは何回か助けてやったらしいがとうとう家を出る羽目になった。

父ちゃんもその当時付き合っていたガールフレンドが家賃を払えなくなり、でっかいラブラドールと一緒にコンドに転げ込んできたとパイポがこぼしていた。
パイポも犬が好きだから犬は構わないが、女ってなんであんなに沢山の服がいるんだ?山ほどの服がメインベッドルームに入りきらずリビングに積み上げられたんだという。

さあ、母ちゃんとおばあちゃんに妹のキナウはどこで暮らせばいいか。切羽詰まって、ばあちゃんが知恵を絞った。

アメリカにはシニア・ハウスという老人用の住宅があってこのシニア・ハウスの家を買う条件は年齢が65歳以上で金融資産が30万ドル以上なんて、条件が付いている。家の価格はずいぶん安いので自宅を売って老後は移り住む人がいるわけだ。
ばあちゃんは、むろん資産などないから買えはしないがシニア・ハウスに住んでいたが住人が亡くなった家に目を付けた。子供の相続人がいるのだが、不況のさなかで家が売れない。毎月施設共益費が別口でかかるので、子供が困っていた。住むには年齢制限がある。そこでばあちゃんが共益費+家賃を払うので住まわせてくれと安い家賃で借り上げに成功した。

ただ、このシニアハウスはゲートがあるのである。日本では理解しにくいが、コミュニティの住宅全部をフェンスで囲ってしまい敷地に入るには、ゲートが1か所しかない。人間の門番がいるか、リモートかパスワードを打ち込んでゲートを開けるしかない。あいにくこのシニアハウスは人間の番人がいた。

ばあちゃんは歳なので、文句なしにゲートは通過できるが、母ちゃんとパイポの妹は若いので門番に止められる。シニアハウスを訪問する子供孫は当たり前にいるが、毎日出入りしたらおかしいだろう?だから母ちゃんとキナウは車の座席の下に深く身を伏せてゲートを通過していた。フィリピン人のボーイフレンドはどっかに行ったみたいだ。

こんなシニアハウスで1年くらい過ごした後、お母ちゃんの給料も徐々に回復して市中のアパートに移った。パイポとそっくりな丸顔の妹キナウは運動神経がよく、サーフィンや新体操で優秀な成績を上げ新聞に載った。

パイポもローカルのUC大学に合格して、祖父ちゃんがお祝いに新車を買ってくれた。ただし、車の名義は100%じいちゃん。使わせてもらうだけ。うれしくて飛び回って喜んでいたパイポは10日後、絶望に突き落とされた。新車を引き上げられたから。

名義が100%じいちゃんだと、パイポが事故を起こしたとき、結局じいちゃんに責任がかかってくるのがわかってビビったじいちゃんは車を取りあげててディーラーに返し、その代わりに1500ドルの中古車をパイポにやった。
この1500ドルという金額が血がつながっているかいないかの微妙な線なんだな。

天国から地獄とは言わないけど煉獄あたりにひっかかったパイポはしばらく憮然としていたが、父ちゃんは絶対金を出してくれないので自前の車ができて満足するしかなかった。
父ちゃんは日本から進出してきたフードサービスの会社の現地マネージャーに収まり、美味しい汁を吸えるらしいので、大学を卒業したらパイポもそこに引っ張るつもりだった。

この辺でおばちゃんはアメリカを引き上げたのだが、日本のおばちゃんにパイポがメールでウチで働いていた在籍証明をくれないかというのでウチのペイロールだった銀行を教えてコピーを取らせた。

そして、コロナが襲ってきてフードサービスの父ちゃんとパイポ、飛行機業界のお母ちゃんが一体どんなことになったか?カナイナ家もケカウルオも子孫が増えたかもしれず、きっと波乱万丈の人生が続いているに間違いないと思う。

混血と遺伝子サイコロ

日本人と欧米系の混血の場合、お尻の蒙古斑が若干薄くなるのよ。薄くなっても蒙古斑として依然とある場合が多く、時として事件になる。

蒙古斑の知識がない医療関係者や育児関係者にお尻の青あざを児童虐待と疑われて警察に通報されてしまい、ローカルの警察なども蒙古斑の遺伝的知識が無い時があると親は逮捕、子供も取り上げられて大変な事になる場合がある。

だから日本人の血を引いているなら蒙古斑を医学的に解説したプリントアウトなどを万が一のために用意しているものだった。蒙古斑はMongolian spotと言う。

Mix Race 或いは Mixed Race 公式的にはMultiracialと言うがおばちゃんの友達は何人も国際結婚がいたから、国際結婚から生まれたお子さんたちはMixedRaceだった。生まれた直後の身体的特徴はあまりあてにならず成長に従ってころころ変わっていく。

知り合いのお母さんは東ヨーロッパ出身で金髪だった。顔の彫は深くなかった。生まれたお嬢さんは小学校の低学年まできれいな金髪で父親の日本人の遺伝子はまるっきりで見えなかった。
小学生の高学年になるころには髪が暗色に濃くなっていき子供のころは目立たなかった目頭が純粋の白人よりはかすかに蒙古ひだを思わせるシェープになった。
東ヨーロッパはフン族とかアッチラに何度も蹂躙されたからお母さんの遺伝子にアジア系が残っているのかもね。

スカンジナビアン系と結婚した友達は二人の娘に恵まれた。やはり幼いころの方が髪の色が薄かった。同じカップルから産まれた姉妹なのに、二人の髪の明るさは微妙に違い、外出したときに二人の頭に手を同時に乗せると、明るい髪の方が明らかに温度が低いのだという。


目はヘイゼルから茶色またヘイゼルへと目まぐるしく変化し、お姉ちゃんはヘイゼル、妹は薄い茶色に落ち着いたそう。背の高さは日本人の血を引た。彼女たちの子供にはひょとしてスカンジナビアンの背の高さが遺伝するかもしれないね。

別な知り合いは黒人と結婚して男の子と女の子をもうけた。お兄ちゃんの方が黒人の血がよく出て、髪は少し伸びると天然のアフロになる。柔らかそうに見えるが実際はキシキシしていて絡まりあっている。


誰が教えたのでもなく、お兄ちゃんは小さなものを隠すとき髪の中に隠すのだという。便利そうでびっくりした。妹は生まれた直後の写真では日本人の赤ちゃんと言っても不思議ではない容貌だったわ。髪も直毛だった。

お兄ちゃんが育つと、しなやかな足は驚くほど長い。腰の高さが日本人と比べ物にならないほど、高い位置についている。運動能力は日本人のお母さんにはついていけない高い。

欧米の白人とアジア系のミックスはユーラシアンと呼ばれたりするがキアノ・リーブスのようなアジア系からも白人からも強烈に引き付けられるいいとこどりの当たりが出たりする。もちろんその反対もいるわけだが。つくづく国際結婚と混血子は遺伝子サイコロだと思う。

崖っぷちのひと

アメリカでは崖っぷちの人がいっぱいいた。

アメリカのビジネスは浮き沈みが激しい。時代はものすごい勢いで動くので順調だったビジネスでも気が付いたら売り上げが落ちていて、ビジネスを売りに出して捨て値に近い金額で売って、さらに一時所得で税金を取られると何も残らないという事態によくある。

そのビジネスを拾うのがコリアンか中国人だ。韓国は国を挙げて国民の「移民」を奨励していたからアメリカに移住をする韓国人に国が金を貸した。その金で日本人の寿司屋を買いあさったので、カリフォルニア州の日本料理店の経営者の8割は韓国人か中国人と言われた。

さらにアメリカ政府が移民の懐を狙って、新しいEB5というビザカテゴリを新設した。50万ドル以上の投資をするなら永住権をあげましょう、というやつ。これがほとんど中国人御用達しになって、カリフォルニアに住む中華系不動産や会計士や弁護士が大陸からやってくる共産党上部のEB5ビザ相手に大忙しになった。

なんせ、50万ドルのビジネス物件をポンと買い、ついでに紹介すれば自宅と車をキャッシュでボンボコ買う。この中国人たちがトランプの政策で中国人ヘイトが高まると、一斉に家を売ってどこかに消えた。中華系の不動産や弁護士は一気に客がいなくなった。

バブルの前でも日本人経営者の日本人向けの日本レストランは全体の2割くらいしか無かった。日本本土の不況のために、米国支社をどんどん縮小閉鎖して駐在員も日本に帰ってしまうので、日本人だけを客層としていると経営が先細りになり気が付いたら煮えカエルになっている。

あるオーナーは次々とビジネスを買収して地元では成功者として知られていた。
夫妻で旅行に出かけた時、上空でひどいタービュランスにあってこれで最後と覚悟して、留守の息子に電話をかけた。事務所の金庫にはキャッシュで30万ドルあるから、遺言と金庫のダイアルナンバーを教えた、。という逸話を当の本人から聞いた。飛行機は無事に着陸したものの日本から来たビジネスが近所で営業を開始したら、経営が傾き商売はコリアンに売った。

朝起きたら銀行に入金があるというネットワークビジネスのトップに近い人。
日本でもよく知られているネットワークビジネスで日本の創業者?に近い人は、カリフォルニアの自宅が7億に近いといわれていた。遊んで暮らしていたが、超~退屈らしく”金持ちのための金持ちによる金持ちのサロン”を作りたいと趣味でサロンを開業してしまった。

抜かりなく広告も打ちまくったので、金持ちでない一般の日本人も店舗に行列をなす騒ぎになった。残念ながら価格は金持ち用に設定されていたので、ぼったくられた日本人客は2度行かず、オーナー本人の意図とは裏腹に、実は彼が思うような金持ち人口はそれほどエリアに存在しない事実が明らかになってしまった。行列に並んだ日本人がネガティブ・キャンペーンのソースになるという逆宣伝になってしまい見る間に客がいなくなった。

ネットワークビジネスから入る収入は全部つぎ込んでも赤字の補填に追い付かず奥さんに泣きついて融資を断られ、家を売るか、という土壇場に追い詰められた。

道楽の商売でも商売の赤字というのはとんでもない金額になる。
リーマンショックが襲ってくると、知り合いの不動産会社は解散。コミュニティ新聞のクラシファイドには売り店舗がずらずら並び、販売価格がゼロというのも珍しくなかった。とにかく経営権を引き継いでくれればいいので店舗価格はゼロ。

あっちこっちでレイオフがあり、来月のローンが払えない。夫婦二人で無職になっちゃって、家を出ても行くところがないから裁判所が退去手続きをすますまで家に居座る人たち。

すごかったのは、政府からスモールビジネス用の資金を借り出し
Grant?あんなものは返さなくていいんだよ。と政府に返済せず、家はローンが払えなくなってforeclosureになったが引き渡しまで時間があるので、借家人を入れて家賃を取り、それを自分が住む安ホテルの費用と生活費にしていた人。さらに幸い?けがをして障害年金をしっかりもらうことになってこれだけふてぶてしいと脱帽するしかない。

ビジネスの寿命は短い。一時期隆盛を誇っても、20年後は保証されていない。いい大学をでて上場会社に就職をすれば生涯安泰なんて日本の夢は存在しない。

トヨタはテキサスに移転しちゃうし。そんな、外地で生き延びるには、すばしっこさと抜け目なさと叩かれ強さ崖っぷちで踏みとどまる粘り強さがいる。

不況が襲ってきたら?まず売り上げに貢献しない人を切る。会社は家族でもお父ちゃんでもない。切る。
切って身を小さくして生き延びて嵐が過ぎ去ったらまた人を雇う。

アメリカの経済の立ち直りが早いのは、雇用を企業に強要する労働法がないからだ。雇用、雇用と日本政府がお題目を唱える限り、日本の企業が赤字を垂れ流しながら不要の雇用を抱えて、結果として日本経済の立ち直りは遅い。政府が払う失業保険を企業に肩代わりさせているのと同じだ。

コロナのせいで世界中は崖っぷちだ。崖っぷちなんだから、まずできるだけ身軽になる。誰かが救ってくれるかもしれないなんて、考えるだけ無駄だ。身をちっちゃくしてどこの隙間ditchだったら生き延びていけるかしぶとくなろう。

日系社会のピラミッド

西海岸でも東海岸でも日本人日系社会の構造というのは大体同じではないだろうか。

ピラミッドの構成というのは下からこうなっている。

自分探し

30代に入る直前から30代の後半まで、離婚組も多い。子供まで連れてくる猛者もいた。F1の学生ビザだが、語学学校だけでカレッジに正式入学するだけの学力も根性も金も計画もないので、1~2年うろうろして帰国する。

この辺はアメリカに住んでいるという住人枠にも入れにくい。昭和の時代に「アメしょん」という言葉があった。アメリカでおしっこをしてきた人という意味である。むろん自分の幻想以上に素晴らしい自分がアメリカで落っこちているわけではないので金が尽きたら帰る

留学生

語学留学か、ユニバーシティを卒業する留学生かに分かれる。語学留学は自分探しと大差がない。留学をする芸人はこの辺。アパートを2・3人でシェアするか、個人宅に間借りする。

ユニバーシティを卒業するだけの学力がある留学生の場合。
卒業後の進路は分かれる。OPTでもう一年アメリカにいるか運よくH1Bのスポンサーになってくれる日本の会社を見つけてビザをとるか。
抽選で半分以上ハネられるので非常に運がいい人がビザを取れる。取れなければ日本に帰る。
卒業するだけの学力があるので、日本でも大手企業に就職するチャンスがある。未来の駐在員候補だ。

ビザの会社員

ラッキー!ビザが取れてスポンサー企業に勤められるが贅沢できるような給料はもらえない。でも安い1Bのアパートには何とか住めるか、あるいは2人でシェアする。勤めている間に永住権のスポンサーになってくれる企業を探す。目指せ永住権!!グリーンカードさえ手に入れば、もっと稼げる会社に移る

駐在員

この人たちは別枠。
日本の企業から派遣されて日本企業で働いて日本の本社に向かって仕事をしている人達なので、現地の人間関係より会社の人間関係のほうが大事。

現地ローカルの日本人と友達になる場合もあるが、いづれ帰国することが決まっているので会社の人とは話せないことを話すあとくされのない関係を築く。日本に帰った時に自慢できるようにできるだけアメリカを旅行し、どれだけ子供に英語をたたきこめるか必死。
3年から最長7年で日本に帰る人。お辞儀の習慣を忘れない人たち。
なので、現地のローカル日本人社会からはいずれ帰る人枠。
ただし、現地ローカルの日系催しもののスポンサーだの、チャリティーだのにはしっかり協賛してもらう。


やっと永住権

やった~!やっと取れた。これで堂々アメリカで生きていける!
同じく永住権を持ってる彼女と結婚して家を買った。2人で稼いだらローンが払える。在米の企業の寿命は短く、つぶれたり合併したりするから親方日の丸は安心だと思って、日本の会社のローカルにもぐりこんだのに、、日本に撤収しちゃった!

あの、トヨタがテキサスに引っ越す!日本スーパーがトヨタを追っかけてテキサスに行く!うちのカミさんは、スーパーなのに?リコーはアトランタに引っ越すって?嘘だろっ?

必死でためていた貯金を崩して職探し。永住権を取って明日は安泰と思っていたのに、実はお先真っ暗なのに気が付く。日本には帰れない。だって今帰ったら負けじゃん。

自営業者・永住権

もうピンキリ。
ドカンと当たって御殿を建てる成功者から、夜なべに広告を織り込みをする細々とした自営業。ネットワークビジネスをてがけて次は当たるかも
とネットワークまみれになっている人。日本?帰らないよ。帰ったら負けじゃん。

ゆうゆう永住権

もともと資産を持っていた裕福な層で永住権もさほど苦労なく取り、勤めている企業でも管理者かオーナー。がつがつ働く必要もなく、子供は現地の大学を出て医者とか弁護士とか将来安泰なコースに乗っている。ボンボンで育ちすぎて、あ~、こりゃ親の会社を継いだらつぶすわ!という2代目もいないわけではない。

こういう層の日本人1世-2世が日系協会で役をやったり寄付を出したり、賞をもらったり日本企業の駐在員役員とゴルフをしたり総領事館などの上の人とお付き合いをするのである。
日本?東京に家があるからたまに帰るわ。で?

市民権と超優秀な日本人

永住権を取って5年以上たつと市民権の申請資格ができる。
仕事も家もあり日本人でいる優位性がないと考える人は市民権をとる。永住権者は福祉で保護されないが、アメリカ市民は福祉の権利がある。考えたくはないが、仕事をしくじって最悪の結果になったとき市民権持ちなら、アメリカ国家が面倒を見てくれる。

または、アメリカで育った子供はアメリカ人になっちゃって、もう将来家族で日本帰国の選択肢はゼロになって、市民権をえらぶ親も多い。日本?今更帰ってもしょうがない。

超優秀な日本人
ぐいぐい頭角を現すので、アメリカ社会に進出していき10年もたつと日本食なんかなくても生きていけるし日系スーパーにもたまによる程度で、日系にかかわらず生きている。アメリカの企業が自分の実力を評価してくれるのだ。なんで今更日系企業に?

やっと永住者、自営業永住者、ゆうゆう永住者、市民権者は
もう日本のニュースは見ない。Yahooのヘッドラインくらいは見るが内容は興味もないから読まない

日本の総理大臣?誰?
ゆうゆう生活者以外、遊んでいる暇がないわ。仕事が忙しい、子育てがある。学校からfundraisingのが回ってきて、寄付に回るかクッキーを売りに行くか、子供がスポーツでレギュラーになるかどうかの瀬戸際だから、仕事を早めに終わってもやらないといけない。二つ仕事を掛け持ちしてる。
日本?はっ?だれか死んだ?家族でも死なない限り当分帰国できないし。

50代中ごろまで、ひーひー仕事と子育てに手いっぱいだ。稀の休暇に安いチケットを買って日本に「行く」
永住権を取って家を買って子どもを産むと、自分のいるべき本拠地はアメリカになるので、自然と「帰る」という言葉は使わなくなる。

日本は「行く」ところで、アメリカの家が「帰る」ところ。
日本に住む人を「日本の人」という。ローカルの自分たちはいずれアメリカで死んで土になるので、新1世

さあ、アメリカで永住権もとれて50過ぎたとする。ここからが問題だ。

この50代半ばまで、仕事と子育てに追われるのは日本の社会でも同じだろうと思う。
ただ、アメリカの社会は日本よりずっと浮き沈みが激しい。コロナの蔓延でエンターテイメント、旅行、フードサービス、流通にどれくらいの痛手を被ったか想像することが恐ろしい。

私は、永住権を目指してアメリカ人とデートを繰り返す女の子に言い聞かせた。「永住権」というのはただのステータスだ。グリーンカードを持っていても、アメリカ国土での「生活能力」を保証する魔法のカードではない。
企業の破産、解散、首切りはしょっちゅうある。爪を磨くより、技能を磨け!看護師になれ、。看護師はリーマンショックでもレイオフがなかったわ。


50代過ぎの永住権者

永住者の運命は50代半ばから大きく変わっていくのだ。
在米日本人は24時間全力疾走している。
寝ている間も英語で夢を見るように努力する。昼間、アメリカ人/中国人にこんなこと言われてああ言ってやればよかった、こう言い返せばよかったと寝入る間にクチクチ考える。

夢にあいつが出てきたら英語で言ってやろう。ちゃんと言えた、ざまミロ。普段の生活でもとっさの時には
Watch Out!とか Dorop it. とかOuch!とか英語で出てくるようになる。

あなたの姓名はタナカかスズキか?
タナカか?それはよかった。
アメリカ人がわかる日本人の名前はスズキかタナカくらいだ。コ~ムロだとか、なんとかいう姓だったら死にかかっても意識不明でも英語で自分の姓を言う練習をせねばならない。なんでか?

2009年5月の土曜日、うちの従業員が出勤してこなかった。真面目でいい子だったから何かあったに違いない。ガールフレンドも部屋に帰ってこなかった彼を心配してポリスに電話をしていた。おばちゃんも心配でポリスに電話をした。そうしたら言われたね。
”21歳以上でしょ?大人が行方不明の場合72時間経過しないと捜査をしない。名前?そんな名前の事故者はいないね。”

何かに巻き込まれたに違いないのだ。何度ポリスに電話をしても答えは同じで、ガールフレンドに部屋にある車の登録証のコピーを探せといった。
たまたま知り合いに元シェリフがいたので車の登録証のコピーを渡してポリスに照会してもらったところ、救急病院のICUで意識不明で見つかった。JohnDoe として。


あなたが長年住んでる永住権者でも事故で意識不明ならJaneDoeだ。
包帯をぐるぐる巻きで、顔もわからない彼を見て、ICUのナースに医療費はいくらくらいになりそうか聞いたら、一晩15000ドルくらいだと聞いて、膝から崩れおれそうになったのはまた別の話。

ID?そんなものは事故現場で燃えてしまった
パラメディックスによると、レスキューした当時は意識はあったけど本人の名前がわからなかったと。日本人の名前なんか、言ったってわかんないくせに。アメリカで独身者なら、死にかかっても名前を言えないと。永久に身元は分からない。誰かが探してくれなければ。

そんな50代でも仕事さえ順調ならアメリカに住んでいられる。仕事をしくじったら?ある日、首になったら?50代だと再就職がなぁ。日本だって難しいだろうが、外地なら余計パイが狭いんだ。いろんな伝手を探して田舎の州に行くとか。

家を売れば一息付ける。カリフォルニア州の不動産が高いから、
ローンが残っていても家を売ればおつりがくる。ラスベガスに移るとか、あそこはカリフォルニアで仕事がなくなった人が、最後にすがるとこであったりする。景気が良かったころはね。

会社がコケずに家のローンもほとんど終わって、目出度く60代に入ったとしよう、仲良し6人組も、何とか生き延びてきた。毎週ランチに集まってくる元気な60代。日本に生きている60代よりず~とEnegetic!なんせ、アメリカを生き延びてきたからさ。

で、ある日突然一人がぽくっといく。美容に気を付けていて細身で元美人。
脂身は食べないとか砂糖は取らないとか細かいことを言ってた人。

次にもう一人がガンで倒れる。
残りの仲良しがクッキーかなんか持ってお見舞いに行く。アメリカの医者は保険によって治療しても効果がないとわかると治療してくれない。ホスピスに移ると毎月5000ドルが飛んでいく。

もう一人はランチをすっぽかすようになった。
認知症だった。
生活には不自由がなくて、ずっと働いたことがなかった人だし。ランチの約束しても忘れるし、貸したものは返ってこないし友達の関係では面倒が見切れなくて結局、離婚した元旦那が施設に入れた。
一人息子以外はアメリカに誰も身寄りがいない。日本の弟とは親の遺産の取り分でもめて縁が切れた。親の介護に指一本上げていないのに、遺産を主張するのはどうかな。

そうこうしていると、もう一人はアーカンソーに移るという。
旦那がもともとアーカンソーの出身なのだ。子供はアメリカ人に育ったから、サンクスギビングとクリスマスには顔を見せるよ。それだけよ。アーカンソーで旦那が先に死んだら、冬は地面の1メートル下まで凍るという州でたった一人アメリカ人の中で暮らす。

60代半ばから70代にかけてさらに運命が大きく変わっていく。
友達
外国で老いた身の始末をするには、友達なんか100人いても役に立たない。クッキーをもってお見舞いに来るだけだ。

子供がいればどうか?
日本生まれの一人娘は40代でアメリカでも不自由なく生活している。残った母を施設に入れて、2月に一回訪れると母が泣く。
そこそこの財産があったのに、入居時にバカっと入居料を取られてさらに施設の施設料が「毎日5ドルずつ」上がるのだ。医療費はまた別。みるみるうちに財産が減っていき、娘の前で早く死にたい。と泣く。


アメリカでリタイアして老後を過ごすには、年金のほかに50万ドルが必要といわれる。家やアパートを一棟持っていたとしても、施設と医療費が計算よりずっとかかって呆然とする。

施設は100%アメリカ風だから、和食なんてお目にかかることはない。カリフォルニアでも日系が経営している施設は片手の指で足りるはずだ。フィリピン産のナースが、ミセス今日はSushiよというからまさかと思ったら、グリーンサラダに茹でたコメがまぶしてあったと言う話がある。

残った肉親を一人で支えるのも大変。今更日本の親族にも頼れない。長い間に疎遠になってしまってアメリカの従妹?あなた誰だっけ?と言われる。

施設費用や医療費にもびくともしない財産があるゆうゆう永住権者の一人息子が、クリニックを開業してこれからというときに日本人特有の病気にかかっているのが判明した。アメリカでその病気の専門医はコロラドにしかいないという。コロラドに通うか日本に帰って治療するか。

アメリカでクリニックを開き医者をやっていると、それは成功者と考えるのだが、一時期かかっていたドクターはオフィスが3つあり、クリニックの間を走り回っていた。

いつ電話をしても、フリーウエイを走っていると患者で噂になった。むろんドクターが一人で患者さんを診るので、一人で3つ掛け持ちするしかない。
考えてみれば、一人で開業している医師は一人自営主。妻子がいても妻は働いていないから、ご主人に何かあったときはそれでお終いじゃないか。ドクターでも弁護士でも一人自営業はつらいなぁと思うのである。

50代末から70代の人生の変遷を観察して、アメリカで平和な老後を迎えるには絶対必要な3つがあることを痛感する。むろん配偶者が健在であることが前提でのことだが
1、金 2、複数の子供 3、健康

先住の日本人の奥様、Kさんが「永住権を持っていても60過ぎるころになると、急に日本に里心がつくのか帰国する人が多く出るのよ」
Kさん、それは里心と違う。里心で帰国するのではない。

3つの条件を全部持っている永住権者はそんなに多くない。子供がいない夫婦という点で、まずアメリカで余生を過ごすのは難しい。それに気が付くのは50を過ぎてからだ。


全力疾走で走ってきてある日ふと前と回りを見て、これはだめだと感じる。危機管理の中で生きてきた人間だから、自分の前に待ち受けているものが見えてしまう。

先が見える人と見たくない人。
決意ができる人とできない人。
永住権を捨てられない人。
子供を連れていけない人。
市民権をとってしまった人。
アメリカに足をとられたまま、決断ができず莫大な医療費を抱えたような時には、日本に帰るのが遅すぎるのだ。

生きにくかった日本を脱出して、あこがれていた海外の生活のためにいろんなものを捨てて24時間全力疾走をしてきた。そして人生の終わりが見えてくる時に、今度はアメリカで築いたものを捨てて最終的に守らなければならぬものがあるのに気づく。

死に物狂いで生きて来たから、撤収しても別に悔いはないか。終わりが見えてくるまで走れるだけ走ればよい。

駐在員時代

簿記のクラスで教師のテリーがチャート・オブ・アカウント(勘定項目?)を解説していた。小売業の場合経費として減価償却費とか修繕費は理解できるのだけどInventory Loss(在庫減)がどういう状況で起こるのか分からなかったのでテリーに質問してみた。

商品在庫が減っちゃうんですか?どうしたら減るんですか?
う~ん、従業員が盗むんだ、。
おばちゃんはびっくりしてアメリカの簿記ってのは従業員の盗みまで「勘定」に入れるわけ?盗みを見込んで経費を考えるって、消耗しそうと思った。

そうしたらおじちゃんの会社でも物が消えるらしい。棚卸をすると目も当てられないくらい在庫が消えてるのだそうだ。支社長は性善説を口にし、従業員はみな家族!みんな仲良くとお題目を唱えるだけで対処をしようとしない。在庫がなくなると実際の管理するおじちゃんが困る。

従業員を家族だと言っているのは支社長だけで、そのくせ人件費が増えそうになるとシフトを容赦なく削っていく。会社に都合のいいことしかしない彼はパートのメキシカンから相当恨まれていた。しかし英語が全くできない支社長はメキシカンを含め現地で雇った従業員の不満を読めないのだった。

日本で契約した雇用条件はむろん健康保険などの福利厚生も含まれていたが、いざ渡米してみると支社長の裁量で適用されなかった。カリフォルニア州の法律では新規雇用の従業員には3か月間は試用期間として健康保険を加入させなくてもいいという規定がある。

日本での契約を無視して、渡米した限りは3か月は保険を入れなくていいんだと都合よく解釈して保険契約を放置した。4人部屋の同僚の一人が膵炎になって入院してしまった。
保険無しの入院である。10日あまりの入院で2万ドル請求されたと聞いた。従業員本人に支払い能力がないので、会社がかぶったのだ。

会社宛てに公的郵便物が届くと封を開けて見るらしい。当然読めないので、デスクに入れてそのままなのだという。秘書役のマネージャーに渡せばいいのだが、そのまま放置されるので期限切れの再通告が来てから知ったマネージャーが怒っていた。

日本での支社長を知っていた人の噂では彼が勤務した日本の支店では業績がすべて落ちたのだという。移動させる支店が無くなってアメリカに捨てられたんじゃないかという憶測もあった。

中年を過ぎて結婚したこれも同じ会社のお局さまは、専務のお手付きだったといううわさもあった。誰がこんなXXを支社長に据えたんだよ。日本の本社へも不満がたまった。ついに従業員の誰かが匿名で本社に手紙を送ったらしい。
すると、うわさされた専務が出張でやってきて「支社長は間違ったことをするかもしれないが、従ってやってくれ」なんだそれ?
間違ったことに従ったら会社がつぶれるじぇねえか?
ダメだこりゃ。

支店長は英語ができなかったが、スペイン語も覚えようとしなかった。パートのメキシカンを人として見ていなかったふしがある。誰かが誰かを馬鹿にしているときは言葉を知らなくても分かるものだ。

おじちゃんは英語よりスペイン語のほうが性に合っていたらしく辞書を片手にメキシカンと休憩時間などおしゃべりをしてこんなことやあんなことがあったと面白がっていた。コークをおごってやって英語日本語スペイン語ちゃんぽんでバカ話をする。

3ベッドルームに4人押し込められていた本社契約の同僚は、膵炎が日本に帰国したので3人に減って一部屋づつ使えるようになっていた。

支店長暗殺さる

ある時外の公園で、おじちゃんたち日本人とメキシカンが休憩時間バカ話をしていると見慣れない顔のメキシカンが混じっていた。パートのメキシカンが友達を連れてきたようだ。
いつものことだが会話は会社の不満、支店長への不満シフトを削られた怒りに流れるのだったが、その時に件のメキシカンが、そんなに嫌な奴ならAssassin/アサンシンしてやろうか?と尻ポケットをポンと叩いた。

Assassinという日常会話を超えた単語が不思議と一瞬で皆に理解されてしまい、日本勢は息を呑んだ。えっ!?メキシカンはすかさず300ドルでどうだ? と追い打ちをかけた。具体的な金額にも驚いたが、たった300ドル?誰も答えなかった。
たった300ドルでも自分がポケットから出すならもったいない金額だったからかもしれない。

別のメキシカンが沈黙を破って、話題は別に移り件のメキシカンはどこかに消えた。休憩が終わって仕事に戻ると300ドルの値段をつけられた支店長は、あ~、今度の日曜日の昼は暇?ウチのお局子がなんか作るからみんなで飲もうよ。

お局さんのメインディッシュは冷凍餃子と焼いたウインナーだったので、魅力がなかったのだがなかなかNoと言える雰囲気ではなく日曜日にアパートの歩道をプラプラ歩いて、巨大なユーカリの枝が幽霊みたいに垂れ下がっている支店長のアパートの階段を上るのだった。

支店長がホールドアップ

メキシカンから命は300ドルと値段をつけられた支店長はいつも元気だった。この人がメゲている時はほとんど見たことがない。ただ、支店長も1度だけ真っ青になった時があった。

支店の開業の時に会社の車として従業員も乗せられるワンボックスカーと支店長が通勤私用につかうセダンとの合計2台の車があった。無論2台とも会社名義の登録車である。最初にセダンを買って、次にワンボックスを買った。だから登録の更新・支払い通知も最初はセダンでひと月遅れにワンボックスが来る。

更新支払いが終わればライセンスプレートに貼る新しいステッカーが届く新しいステッカーを車のプレートに貼る。これだけ。更新料を払わなければ新しいステッカーがないから、人のステッカーを盗んで貼ったり偽造したりする輩もある。
ポリスはパトロールで登録切れの車を止めて、違法移民だったら車ごと押収するし、盗難車の場合もあるから、車内からDMVに照会し登録情報を確認するのだ。

ある時、支店長がワンボックスを運転していると、後ろにパトカーが付いた。支店長は気にせず平和に運転していた。ところがパトカーはライトを点滅させて路肩に止めるようにマイクで呼びかけた。支店長は自分の事だと思ってもいないし、心当たりも全くない訳だから平和に運転を続ける。

呼びかけを無視して逃げるワンボックスにパトカーは応援を呼んだ。わんわんうるさくて支店長はようやく気が付いたらしかったが、怖くなって一心に走る。ポリスはさらに応援を呼ぶ。
支店長はポリスが何を言っているか分からないから、とにかく安全なところに逃げたい。会社の駐車場に辿り着いたころにはパトカーが7台に増えていて前後左右どころか、円形に車を囲まれて降りてきたポリスに銃を向けらて、支店長は真っ青になってホールドアップした。

支店長はまだ更新がきていないワンボックスの方にセダン用のシールを間違って貼ってしまっていたのだった。見たかったわ支店長のホールドアップ。

名古屋が逃亡罪で逮捕

膵炎が一人日本に帰国したので、同僚は3人になっていた。そこそこアメリカにもなれたし、独身の同僚たちは好きに独身生活を送っていたようだ。

名古屋と根暗と板橋(それぞれ仮名)が残っていた。根暗はあこがれていたアメリカに来られたことが嬉しくてCostcoに行っては大きなステーキ肉を買い、休みはゴルフ場かアパートのプールで嬉しさをかみしめているようだった。名古屋もゴルフにつき合うのだが、アメリカの食事を片っ端から貶し、俺の口に合わないと不満をこぼした。3ベッドルームで一人がクローゼットに寝る羽目になっときは自分でなかったのを喜んでいた。

それを現地のおばさん事務員に、支店長からひどい仕打ちをされていると愚痴をいう。契約書と実際の給料が違うと一番うるさかったのは名古屋だった。
ところがいざ支店長と話し合うときは、一言もしゃべらず、意見を言う同僚を上目づかいに見て、でも支店長の言うことも一理あるし。と豹変した。

そのころ、おじちゃんを除いてみな免許を取り車を買ってそれぞれ出勤するようになっていた。ある朝、名古屋が出勤してこなかった。アパートにも帰ってこなかったらから板橋と根暗が心配していた。

名古屋は前の晩に日系のクラブで飲みすぎヨタヨタ運転するところをパトカーに目をつけられて、停止命令を無視して逃げて逮捕されていた。名古屋も英語があまりできなかったから、日系のボランティアがポリスから電話を受け通訳をして会社に電話をしてきて発覚した。
停止命令を無視して逃げようとしたことで罪状に逃亡罪が加算されて、罰金はシャレにならんことになるらしい。

名古屋は逮捕されたショックのあまり、こんな国に誰が居るか、何千ドルの罰金?!嫌や、払らわへん。俺は日本に帰るんやとヒステリーを起こしていた。そのあと名古屋は本当に日本に帰国してしまった。

アパートに届いた裁判の収監状を見て、会社のマネージャーがこの人はもうアメリカは入国出来ませんよ。と言った。おばちゃんたちは驚いて、どうしてと聞くと、逃亡罪がついてて裁判を無視したら重罪ですから、罰金どころか入国禁止になります。ハワイもグアムも一歩も足を踏み入れられませんね。ほう。
その後、本社から派遣された研修員の一人が強制送還の憂き目にあった。

強制送還


テクニカルな問題である。ビザ・ウエイバーではビザを取らずにアメリカに入国して90日間滞在できる。ただ~し、日付変更線を考えねばならない

オーバーステイで捕まったのだ。ある人物は’入国管理官にちょっとこちらへと別室に連れていかれ後ろでに手錠を掛けられたという。彼はなぜ拘束されるのか原因も分からず弁護士を呼ぶことも拒否され、10時間後一本だけ電話をゆるされて会社に電話を掛けてきた。

僕は手錠を掛けられてご飯も食べさせてくれないんです。次のJALで強制送還されるんですおいおいと泣きながら電話で話した、という。可哀そうに、いい子だったのに。

移民弁護士に聞くと、それは当然だと言った。
何故なら、ビザウエイバ90日間の時間は成田を出国しーまた成田に入国するまでの間をカウントする。出国から入国までがアメリカでの滞在時間とみなす。
もし、アメリカで90日間滞在し飛行機に乗るとハワイで日付変更線を過ぎてさらに1日プラスになる。つまり91日になってしまうのだ。北海道は90日目に飛行機に乗ったので、成田に到着して税関をくぐったら91日間アメリカにいたことになるのだった。

ナベさん

会社のマネージャーのナベさんは、色々な逸話があった。
もとはベトナム戦争の末期に渡米してきて気が付いたらビザが切れて違法状態になってしまった。その当時、兵隊さんに応募してベトナムに2期務めて除隊するとアメリカはイリーガルでも市民権をくれた。

california

ナベさんは思い切って軍に応募したら兵隊さんになってベトナムに連れていかれた。戦闘の前には2つのカプセルが渡されるのだという。一つは怖くなくなる薬。もう一つはベトコンにつかまって痛い思いをしたくない時に飲む薬。まぁ、二度と何にも感じなくなるんだけど。

戦闘の合間の休暇に佐世保に何回か寄ったのだそうだ。軍服を脱いで脱走してしまえば、日本人にまぎれて逃げられるわけだが、我慢した意味がなくなってしまうから出来なかったと。

外見はどこから見ても無害に見える小柄なその人は、サイドから髪をかぶせて頭頂をバーコードにして丸い眼鏡をかけている。目だけは感情がなかった。めったに瞬きをしない丸い目はなぁ~んも映してなかった。修羅場を超えてすぎて色んなものがそぎ落ちてしまっているのだった。

ナベさんは割と遠くに住んでいて、通勤に1時間以上かかる。引っ越せばと言われても絶対引っ越さなかった。健康保険も自分が掛けているものがあるので、会社の健康保険には入らなかった。

たぶん日本の会社がいつ撤退するか分からないから信用していなかったんだと思う。軍で通訳もやったから会社のややこしい手続きや交渉も任された。
アメリカの規制やルールが面倒くさいと、支店長や同僚は「でも日本ではXXXだったよぉ?」

ナベさんが「はィ?」と丸い目をゆっくり向ける。”日本では”という言葉はナベさんにはまったく意味がないのだった。”でも日本の常識では、、”と言いかけるとナベさんの目はまばたきもせず空白で、言いかけた日本の常識が
バラバラと崩れて飛散していくのだった。

彼がランチを取るところに出くわしたことがある。メニューに驚いた。
まず、味噌汁を食べる。フォークで。彼にとっては味噌汁はメインディッシュの前にいただくミソスープである。で、その日のメインディッシュはかけそばだった。

フォークで巻いて音をたてずに食べる。箸は2本あるので、持つのが面倒くさいらしい。もうサンマやアジがランチにでても区別はつかないのだと
言っていた。たぶん私生活では魚なんか食べないと思う。箸と炊飯器が自宅にあるかどうかも疑問だった。

ナベさんは市民権が取れたときに日本国籍は放棄してその時にいろんな物(文化とか感情とか色々)も捨ててしまったのだと思う。

法的にも100%アメリカ人なのだが日本語をしゃべって蕎麦を食べるナベさんを見ると、一体ナベさんの日本人はどのくらい残っているのか、ナベさん自身は自分を何人だと思っているのか疑問が消えないのだった。
たぶん一番近い答えは、何人かなんてどうでもいい、かもしれない

セクシャル・ハラスメント訴訟

本社雇用の板橋は本来は所長級の人なのだという。日本でいろいろあって、アメリカ支社を志願したらしい。仕事ができる明るい人だったが、ど~しても、昭和のおっさんだった。事務のおばさんや現地雇いの女性に軽口を言ってしまう。

私服のキャミソールを
曰く:おっ、いいねぇ。セクシーだね。
曰く:リリアちゃん今日も可愛いね。
日本のモーニング娘って知ってる?
リリアちゃは足がきれいだからきっとショーツが似合うよ!
ボーイフレンドはいるの?
日本人と付き合ったことあるの?とか、。

タイ人だろうがベトナム人だろうが日本人だろうが若い女性であれば挨拶代わりに、なにか容姿について言うことが、誉め言葉とコミニュケーションと固く信じて疑わない人だった。人柄は悪くないし日本では見過ごされるレベルであったから板橋さん、クリスティー嫌がってるじゃない。いやいや、意識してるだけだよ。まったく暖簾に腕押しだった。

それでやられたのである。
セクシャル・ハラスメントで会社が訴えられた。証言が沢山集まっていたので法廷に行けば負けるかもしれないし、何より訴えられたことが広まるのを恐れて会社=支社長は和解に走った。それで告訴すれば金を出す会社と現地で密かに広まったのだと思う。

セクシャル・ハラスメントで訴えられた事件は、多分同じく昭和のおっさんだった支社長にとっては、キャンプしてたら雷が落ちたとか、路肩を工事中の道路を走ってたらハンドルとられて脱輪した、という程度の”自然災害にあった”くらいの理解だったふしがある。
事故が過ぎ去れば元通り。和解した後も従業員に注意するくらいで終わらせてしまった。

この時に会社のポリシーに:禁止事項、罰則、相談窓口など両言語で明記して社内教育を徹底的にすべきだった。やっていたら、会社はもう1度訴えられることはなかっただろうに。
2回目はもう、誰も擁護しなかった。支社長は和解の条件をどれだけ下げるかに奔走した。

帰国したら、昭和どころか平成生まれでも挨拶・ギャグだとかのつもりでハラスメントが日常的に発信されているので、おばちゃんはショックだった。とてもこの人たちは世界に出せない。和解1回で会社の利益が何万ドルが飛んでいくのである。SEXIAL HARRASMENT IS CRIME.

駐在員メキシコに行く

 
メキシカンたちはいつも陽気だった。スペイン語と日本語は母音が同じだからメキシカンたちの日本語もメキメキ上達していった。おばちゃんがダンナをピックアップするとき、風邪を引いていて咳をしたら、「お大事に」と言われてびっくりした。ホセだった。前の会社からの引継ぎだから、後ろを向いて聞いていると日本語ネイティブに聞こえる。

ランチにはお互いの食べ物を交換したりして、本場もののタコをふるまってくれるのだ。生のグリーン唐辛子を左手にかじりながらタコを食べるのは日本人には無理だった。

メキシコに行ってみよう。休みを取っておじちゃんの同僚たちとティワナに行った。
フリーウエイの5番を下りサンディエゴを過ぎさらに南下すると国境に出る。車に乗ったままゲートを過ぎ、メキシコはティワナである。国境を過ぎたとたん道路は埃っぽく白くなり、休憩のトイレではお湯は全くでない。
赤い蛇口を一生懸命ひねっていると、そばのアメリカ人おばさんがWe are in Mexico.と言った。

ティワナのメインストリートは臭かった。なんの匂いかわからない。饐えた腐敗臭。リカーショップと土産物屋とドラッグストアが多い。おじちゃんは鮮やかなソンブレロが気に入って、スペイン語で高い高いと値切ろうとしてうまくいかなかった。売り子はおっさんや娘だが目が笑っていなかった。

染みが付いた歩道を裸足の6~7歳の女の子が手に砂糖でギトギト毒々しい菓子を差し出して買ってくれという。通りの歩道には動物がいた。
おばちゃんはどう見てもおかしいから目が離せなかった。シマシマのようだけど、シマウマではなさそうで
顔はどう見てもロバ。あまりにも不思議なので、近くまで寄るとなんと!
ロバにペンキでシマシマが書いてあったのだね。観光客を乗せて写真を撮るらしい。やっぱりラテン系だわ。どこか底が抜けていて明るい。

屋台村のようなメキシコ!っというレストランもあったのだが食中毒が怖いので残念だけどハードロックカフェでタコを食べる。メキシコの下痢はモンテスマの復讐と言う。ドリンクに入れる氷も汚染されていることがあって、とんでもない下痢を起こすことがあるのだ。

土産も買ったので夕暮れになってからティワナをうろつく勇気はない。引き上げることにした。国境のゲートでは行きと違って、全員のパスポートを要求された。おじちゃんたちはグリーンカードをだし、うっかりパスポートを忘れた。ティワナならアメリカと同じような気がして、。

同僚はパスポートを出し、ゲートの管理官が運転手役のパスポートのビザをみて学生か?と聞く。そうだStudentだと彼が答えるとI-20を見せろという。彼は答えに詰まってニューヨークの部屋に忘れてきたと。
おじちゃんたちも他も驚いて、タツヤ君(仮名)I-20 が無いの?
タツヤ君も青くなったが私たちも青くなった。どうしよう?
”忘れた”としばらく係官と問答をして、係官があちらのナンとか局に行けと遠くのオフィスを指さす。

入国ゲートは7,8レーンもあって端っこのオフィスはかなり遠かったから、タツヤ君は車を走らせたが中々近づけない、レーンは何方面かに分かれていて気が付くとオフィスに近づくはずがぐいんとカーブを描いてそのままフリーウエイに出てしまった。むろん逆走は不可能だった。
あれ、?これ5番じゃね?と誰かが言い、
そうだ5番だ。このまま走っちゃえ!

学生なのにI-20 忘れたなんて、メキシコだというのにパスポートを忘れたおじちゃんとおばちゃんは自分のことを棚に上げた。
もし国境でタツヤ君だけ止められたら、とんでもないことになるとこだった。タツヤ君一人を置いて帰るわけにいかなかったのだ。なんでかと言うと、タツヤ君は留学中の日本・本社社長の息子だった。のちの3代目若社長であった。

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