二世の交渉術 二世いろいろ

2世のトオル君は舌を巻くほど交渉がうまかった。商才もあった。小さ体にリュックを背負っている小学生のころから、同級生に爪楊枝とかコークを売って稼いでいた。「爪楊枝?」

おばちゃんが驚くと、学校だとガムが禁止されているので、んか口に入れる味が付いたものだったら売れるんですよ。ミントの味が付いた爪楊枝があるんです。

コークはね歯を腐らすとか言って大人からは嫌われてるんで、リュックに入るだけ入れて持ってくと、ぬるくても売れるんですねぇ。

こうして稼いだ金をコンピューターや日本のアニメにつぎ込んでいた。トオル君は完ぺきに近いバイリンだったから、長じて大学に入っても、日系の店ではバイトとして喜ばれた。

サンクスギビングの翌日はブラック・フライデーである。今年はどんな目玉商品が出るのか、電気屋や小売り業界の広告が話題になる季節だった。トオル君とつるんでいる日系の子弟は、サンクスギビングのディナーをパスしてどこの店に並ぶか決める。
なにせ目当てのコンピューターやグラフィック・カードが定価の半額とか3分の1になる年に1回のチャンスなのだ。

2世グループは首尾よくBestBuyの先頭近くに並び、イワタニのガスコンロで鍋を食べながら時間をつぶしていた。

すると、ねぇおばちゃん別のグループが近づいてきたんですよ。そいつらは俺たちの順番を買いたといって。
金を出すから順番を譲ってくれと。そいつらも欲しいものがあって、順番が先じゃないと売り切れる心配があるから。

それで俺らは相談して、今全員の順番を売って列の最後尾に並び直しても、先頭からXX番目になって、
俺たちの欲しいものは何とか手に入るかもしれない。だから一人あたり順番はXXドルで売ればもうかる。

売買は無事成立して、アメリカグループも満足2世グループも余剰の小遣いが稼げて満足。
おばちゃんはこの話を聞いて、トオル君にアンタは弁護士が向いているから、今からでも遅くない。
大学のコースを弁護士に変えなさいと言った。

嫌ですよ。俺、日本に行くんですもん。だから大学は最短で最小限の努力で済むように一番簡単なクラスをとってるんですから。トオル君はバイリンのくせに大学で、日本語のクラスを取りまくっていたのである。

おばちゃん、「電車でGo」のクラスがあるんですよ。信じられます?トオル君にとっては遊んでいるようなクラスである。

日本語上級クラスを総なめにしたけど、悲しいかな卒業単位が1クラス分足りないんである。電車にGoの日本人先生に相談したら、お前が取るクラスはもうない。自分で課題を見つけて提出するようにと言われてしまって
頭を抱えていた。

おばちゃんの言うことも聞かず、トオル君は大学を卒業して日本へ行ってしまった。おばちゃんも親の言うことを聞かない人なのでトオル君を責められないが、トオル君!君は弁護士に向いている、日本での人生に疲れたら学校に戻りなさい。

ある日このRobert って誰ですか?よく見るけど。トオル君は伝票を見ながら、おばちゃんに聞いた。

「はぁ?ロバートってボブじゃない。よく来るボブのおじいちゃんだよ」
「なんでロバートがボブなんですか?」
「知らんがな。ボブはロバートの愛称だよ。あんたこの国に生まれて何年育ってんのよ。」
「ボブってロバートの愛称だったんですかぁ!」
「じゃあ、ビルは何の愛称だか言ってみ?」
「ビル?」
「Williamじゃ、ビル・クリントンの正式名称はウイリアム・クリントン」

2世のトオル君は日系社会でも珍しい、完璧バイリンに近かったが、時々ポカっと言語や文化の穴がある。
両親は日本人で親戚はこの国にいないから、生活を通してアメリカの歴史や文化を伝えてくれる親戚身内や
従妹もおじさんもいないから。

トオル君は日本語の発音には全く訛りがない。僕、英語をしゃべるとテキサス出身かって聞かれるんですけど。
テキサス訛りみたいなのがあるらしいです。なんででしょうね?

トオル君のお母さんはトオル君が5つの時に夫婦喧嘩をして、トオル君を連れて日本に逃げた。日本に1年いてカリフォルニアに帰ってきて、元鞘にもどったがトオル君はきれいさっぱり英語を忘れていた。

お母さんから、なんであんた英語を忘れるのよと怒られて幼稚園に戻って英語を思い出した。トオル君の日本語がキレイなのはこの体験のせいかもしれない。

アメリカで生まれて育つと自動的にバイリンガルになると考えたりするかもしれないけれど、大~きな間違いである。

日本語に訛りがないのがまず珍しい。さ・し・す・せ・そ が シャ・シ・シュ・シェ・ショになりやすい。
資生堂がシシェイ堂に聞こえる。可愛いけどね。

のちに面接した2世の男の子はかすかにシャ・シュ・ショだったが、「僕、あんまり日本語は話したくないんです。英語の発音が悪くなるから」ふぅん?

トオル君の友達もシャ・シュ・ショ2世だ。自分達でも発音の自覚があるので、1世の親世代の私たちには
あまり日本語を話したがらない。

アメリカで子供が生まれて外の世界に出るようになるころ、両親も子供も最初の言語のコンフリクトに遭遇する。お母さんが幼稚園に送っていくと子供が親に言う。
「マミー、英語をしゃべって!」自分の親が他と違う言語をしゃべるのが恥ずかしくなるから。
子供が小学生の高学年になると
「マミー、日本語をしゃべって」
自分の親の英語の発音が恥ずかしくなるから。

これらの子供に日本人としての自覚を持たせて日本語と文化を伝えていくのがどれほど難しいことか。日本語学校は土曜日・日曜日にある。親しい友達が週末にキャンプに行ったりフェスティバルに行こうと誘われたりするのに、2世は断って日本語学校に行かねばならない。

日本語で日本の社会だの歴史だのやるのだ。日本語と日本の教育を受けてアメリカでどんなアドバンテージがあるだろう?電車でGoができるとか?


漢字が読めるようになってもそれがどうした?英語でデベートに勝てるわけではない。日本の伝統文化を受け継いだところで、それがどうした。興味を持つアメリカ人はたいていアメリカ社会の主流ではない。


実際アメリカ社会で、日本人であることが有利に働くことは少ない。体格もアジア系で華奢にできていて、スポーツでもレギュラー・メンバーに入ることが難しい。

日本語学校は大抵遠い。子どもを送っていき迎えに行き、親が必死になって土曜日・日曜日を全部つぶしたのに!当の子どもは日本語学校に行くモチベーションも薄れ、日本語をしゃべるのも面倒くさくなる。
お母さんがしゃべりかけても英語で返事をするようになる。

Mammy never mindお母ちゃん、キ~となる。夫婦ふたり働いていて、とても子供のために週末をつぶせない場合、バイリンは絶望的である。

日系社会は日本語と文化の喪失を恐れて、いろんなプログラムを組織してきた。交換で中学生を日本に遊びに行かせる旅行滞在型研修?ブルーなんとか言ったと思う。

知り合いのお嬢さんが選ばれて、1週間日本に行ったのだが、お嬢さんはかすかにシャ・シュ・ショ2世だったから、お母様が日本滞在中は日本語を話すなと彼女に命じた。お嬢さんは言いつけ通り、日本語が分からないふりをして現地の皆様が彼女のことをどう話すかたっぷり聞いた。

最後に空港に送られて、お嬢さんは日本語できちんと挨拶をして機上の人となった。見送り方はポカンと、、。

まぁ、お母様も日本に生まれた日本人であって、故国では英語だけを話す人間を日本人がどのように遇し
日本語が頼りない日本人をどのように軽んじるかよく知っていたから。

パイポ・カナイナ 波乱万丈 人生記

森鴎外に「渋江抽斎」という小説があって、片っ端から本という本を読み漁っていたおばちゃんは、薄いな、と思って手に取った。鴎外だし品質は保証されているから、どんな物語が展開するのかとワクワクしながらページを開いたが、、、、、。

なんじゃぁ?これ。
地味~なおっさんの地味な人生を鴎外が検証してゆく。無味乾燥な文章から抽斎の人生を抜き出し解剖し再構成していく。ナニコレ?波乱万丈の人生?違うじゃん。ワクワクする急展開、無いじゃん。ああ、終わった。

カビくさいおっさんの人生はいくら鴎外が蘇らせても10代の娘にはちっとも面白くなかった。若い人間が読む作品ではない。
じゃあ誰が読むと面白いかといえば誰か知らんが、
一番楽しかったのは間違いなく書いていた鷗外だな。
読者としては格調高くなくていいから面白い一代記を読みたかったと思う。

おばちゃんの周りには一杯いたぞ。波乱万丈な言葉そのままの人たちが。
格調?それ食えるの?美味しいの?生き残るためにぎりぎりの人生を送っている人達に格調なんかいらない。下じもの人生に必要なのはしぶとさと生きるエネルギー。おばちゃんが見たしぶとい人たちはこうだった。

2世のパイポの名はハワイ好きでサーフィン好きのお父ちゃんの趣味でつけられた。
パイポ・カナイナ(仮名)
このカナイナ家はパイポと妹を除き、全員日本生まれで最初にアメリカに渡ってきたのは、パイポのお父ちゃんカナイナ家。

パイポの母とばあちゃんのケカウルオヒ一家。ケカウルオヒのばあちゃんは最初は日本で結婚し娘(パイポの母)をもうけたがその後娘と二人で渡米した。渡米後、ドイツ人と結婚してケーキ職人として働いていた。もう一系統カライママフ一家のおじいちゃんと出会って「結婚した」。

「結婚した」と書いたのは実はこのおじいちゃんが、日本に戸籍上の妻を残しておりアメリカに渡ってきたから。そこでケカウルオヒのばあちゃんと連れ子の娘と出会い再婚した。

ばあちゃんのドイツ人の夫がどうなったのか詳らかではないし、じいちゃんに日本の妻がいたからアメリカの婚姻届けはどうなっているのかわからない。

パイポはおばあちゃんと結婚したカライママフ爺を小さいころからおじいちゃんと呼でおり、考えると血はつながっていないはずなのだが、パイポにはおじいちゃんなのだった。おじいちゃんはビジネスでそこそこ成功しており、ばあちゃんと連れ子娘と一時期一緒に暮らしていたのは確かだが、その後ばあちゃんは別居しておもに娘のケカウルオヒと生活していた。

娘ケカウルオヒはパイポの父カナイナと大学時代に会い、まだ若いうちに結婚してパイポと妹のキナウを生んだ。高校時代にアメリカに連れてこられ、その後日本語教育も受けなかったので、お母ちゃんは英語の方が得意でパイポとキナウは日本語がほとんどしゃべれなかった。

しばらく親子4人で幸せな家族生活があったのだろうが、パイポが小学生の頃に離婚してパイポはお父ちゃんへ、妹のキナウはお母ちゃんと生活するようになった。お互いの家は近くにあるので、子供たちも頻繁に行き来していた。

パイポに言わせれば、お父ちゃんとお母ちゃんは嫌いあって離婚したのではなく今でもお互いが好きなのだが、どうも離婚するしかなかったのだという。パイポの幻想かもしれないがいつかはお父ちゃんとお母ちゃんが再婚するという夢を語っていた。

CAのおかあちゃんは稼ぎがよくて、それに目を付けたフィリピンのやさ男でしょっちゅう失業しているボーイフレンドが一緒に住んでいて、フィアンセと名乗っていた。かれこれ7~8年もフィアンセだったが、パイポはこのフィリピン人の寄生虫ボーイフレンドが嫌いだった。
家に行きたくないが妹のキナウと祖母ちゃんもいるので顔を出す。母ちゃんは稼ぎがいいけど給料が入ると、ボーイフレンドに乗せられてすぐ旅行や車にパーッと使って貯蓄というものができなかった。

パイポと一緒にいるお父ちゃんはどうだったかというと、お父ちゃんは人好きのする丸顔で陽気。誰でもすぐ友達なれる性格で人から好かれた。現地の日本企業の営業で、口は立つし売り込みがうまいのでいい成績を挙げるのだが日本企業の理屈に合わない旧弊な制度なんかにぶち当たると嫌になってしまいやめる。

そしてバイトで食いつなぎ切羽詰まってくると日系企業に就職してまた営業で成績をあげる。若いころに2Bのコンドミニアムを買っていたので、ローンは安く何とかパイポと二人暮らしていた。

パイポが中学生くらいになると、お父ちゃんが家を掃除しておけと命令する時がある。パイポはいやいや掃除をする。父ちゃんがガールフレンドを連れてくるのだ。父ちゃんは人好きがするからすぐにガールフレンドができて、ただあまり長く続く人はいなくて、いずれはお母ちゃんと復縁を夢見ているパイポにはガールフレンドはうれしくない。


ここにリーマンショックが襲ってきた。お母ちゃんのクレジット・カードの枠は一杯で、フィリピン男のフィアンセは自分の小遣い以外に稼ぐ能力がなく、お母ちゃんはシフトを少し削られて残業手当もなくなると、貯蓄はもともとないので、家のローンが焦げ付いた。

ばあちゃんも年金があるのかないのか、自分の生活が手いっぱいで娘と暮らしているのでローンの手助けは手に余る。じいちゃんは何回か助けてやったらしいがとうとう家を出る羽目になった。

父ちゃんもその当時付き合っていたガールフレンドが家賃を払えなくなり、でっかいラブラドールと一緒にコンドに転げ込んできたとパイポがこぼしていた。
パイポも犬が好きだから犬は構わないが、女ってなんであんなに沢山の服がいるんだ?山ほどの服がメインベッドルームに入りきらずリビングに積み上げられたんだという。

さあ、母ちゃんとおばあちゃんに妹のキナウはどこで暮らせばいいか。切羽詰まって、ばあちゃんが知恵を絞った。

アメリカにはシニア・ハウスという老人用の住宅があってこのシニア・ハウスの家を買う条件は年齢が65歳以上で金融資産が30万ドル以上なんて、条件が付いている。家の価格はずいぶん安いので自宅を売って老後は移り住む人がいるわけだ。
ばあちゃんは、むろん資産などないから買えはしないがシニア・ハウスに住んでいたが住人が亡くなった家に目を付けた。子供の相続人がいるのだが、不況のさなかで家が売れない。毎月施設共益費が別口でかかるので、子供が困っていた。住むには年齢制限がある。そこでばあちゃんが共益費+家賃を払うので住まわせてくれと安い家賃で借り上げに成功した。

ただ、このシニアハウスはゲートがあるのである。日本では理解しにくいが、コミュニティの住宅全部をフェンスで囲ってしまい敷地に入るには、ゲートが1か所しかない。人間の門番がいるか、リモートかパスワードを打ち込んでゲートを開けるしかない。あいにくこのシニアハウスは人間の番人がいた。

ばあちゃんは歳なので、文句なしにゲートは通過できるが、母ちゃんとパイポの妹は若いので門番に止められる。シニアハウスを訪問する子供孫は当たり前にいるが、毎日出入りしたらおかしいだろう?だから母ちゃんとキナウは車の座席の下に深く身を伏せてゲートを通過していた。フィリピン人のボーイフレンドはどっかに行ったみたいだ。

こんなシニアハウスで1年くらい過ごした後、お母ちゃんの給料も徐々に回復して市中のアパートに移った。パイポとそっくりな丸顔の妹キナウは運動神経がよく、サーフィンや新体操で優秀な成績を上げ新聞に載った。

パイポもローカルのUC大学に合格して、祖父ちゃんがお祝いに新車を買ってくれた。ただし、車の名義は100%じいちゃん。使わせてもらうだけ。うれしくて飛び回って喜んでいたパイポは10日後、絶望に突き落とされた。新車を引き上げられたから。

名義が100%じいちゃんだと、パイポが事故を起こしたとき、結局じいちゃんに責任がかかってくるのがわかってビビったじいちゃんは車を取りあげててディーラーに返し、その代わりに1500ドルの中古車をパイポにやった。
この1500ドルという金額が血がつながっているかいないかの微妙な線なんだな。

天国から地獄とは言わないけど煉獄あたりにひっかかったパイポはしばらく憮然としていたが、父ちゃんは絶対金を出してくれないので自前の車ができて満足するしかなかった。
父ちゃんは日本から進出してきたフードサービスの会社の現地マネージャーに収まり、美味しい汁を吸えるらしいので、大学を卒業したらパイポもそこに引っ張るつもりだった。

この辺でおばちゃんはアメリカを引き上げたのだが、日本のおばちゃんにパイポがメールでウチで働いていた在籍証明をくれないかというのでウチのペイロールだった銀行を教えてコピーを取らせた。

そして、コロナが襲ってきてフードサービスの父ちゃんとパイポ、飛行機業界のお母ちゃんが一体どんなことになったか?カナイナ家もケカウルオも子孫が増えたかもしれず、きっと波乱万丈の人生が続いているに間違いないと思う。

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