西海岸の総領事館

LAの総領事館は、ダウンタウンの一方通行ばっかりあるファイナンシャル・ディストリクトのGrand Ave とOlive streetの交差点近く、丘のてっぺん近くのCalifornia Plazaビルにある。
パスポートの書き換えとか、めったに行くところではないので何度も迷って一方通行をぐるぐる回った。回り方によって絶対領事館にはたどり着けない。

ナビがなかったころは紙の地図を飽きるほど研究して赤マジックでルートを書いても間違えたことがある。S Grand Aveだったか一部地下にもぐっているトンネルみたいな道路があって、それを道路として考えるとあさっての方に行く。

ナビをつけても北からGrand Aveに向かうと、わき道を1っ本手前に入り損ねるのでぐるぐる丘を回ることになる。何度も煮え湯を飲まされた。

California Plazaの地下駐車場も、利用者のための駐車場だと思うと怒髪天をつく。
financial Districtをぐるぐる3周くらい回ってやっとのことでCalifornia Plazaに到着して地下駐車場があるじゃないかと、10年前は確かに来たはずだと思う。地下要塞のような駐車場に入っていくと、平日で端が見えない地下トンネルのようなロットをぐねぐねと走ってやっと空ロットを見つけてやれやれと思う。

用事を済ませて車を出そうとするとExitの出口の料金支払い機はクレジットカード・オンリーだった。キャッシュ?紙もコインも入れるスロットはない。

それもそのはず、California Plazaの駐車場料金は10分で$4.5。地下駐車場からエレベーターに乗って地上に出て、そこからさらにビルの内部に入り、受付を済ませて上部の領事館にたどり着くまでに10分以上かかる。窓口で待てば用事がすむまで小一時間かかるのに駐車場料金だけでランチ代じゃないか!

だから紙の紙幣を受け付ける機械を設置していないのだ。アメリカ人はキャッシュをそれほど持っていないから。
こんなド高い超高額なビルに入居している領事館を呪いながら出口の遮断器にクレジットカードを差し込む。

次に領事館に行く用事ができたときは、地下駐車場の教訓を思い出して、近くの地上の駐車場にしようと思う。一遍入り口を通り過ごすと、丘のてっぺんに露天の駐車場がある。ここもまた曲者なのだった。

なぜというと丘の上に斜面を下って作られている。つまり、道路から駐車場に入るところは水平だが、パーキングロット自体は下り斜面に作られている。メキシカンのお兄ちゃんが数人いて入り口を降りてチケットをもらう。あとはキーを渡してメキシカンに駐車してもらう。

一度前が混んでいてメキシカンが出払ったので、自分で駐車しようとして下りかけて恐怖した。ロットの切り方がおばちゃんの常識を超えるものであった。

車のヘッドライトが坂の上、テールが下なら駐車はできる。バックで出るとき車は落ちるが、落ちた先に他人の車がある。車のヘッドが坂を垂直に横切るように止めると、助手席か運転席のドアを開けるとドアが重力でパタンと落ちる。開けた先に他人の車が、、。

どっちかに切り返そうとして坂をパニックになってブレーキを目いっぱいサイドを引いて飛び出した。メキシカンはにやにや笑ってやってきたので「やって」とキーを渡した。
なにせこのbanker’s hillはLAでも地価が高い一等地なのである。どんな土地でも金にすると方針ははっきりしているのであった。

そういう一等地に建ってるCalifornia Plazaの上層階で家賃が一体いくらになるのか気が遠くなるようなレントであるには間違いない。

”邦人の保護”という言葉を聞くたびにおばちゃんは「ケッ」と思う。
プラザの中階にチェッキング・カウンターがあり黒いスーツを着たでっかいSSみたいな黒人がエレベーターに乗ろうとする人間をここで堰き止めている。なんの目的で領事館に行くのかパスポートを見せてチェックインをパスしない限り、領事館行のエレベーターには乗れない。

「邦人の保護?」
あれかな?映画のサイゴン陥落で混乱のさなか、助けを求めて領事館の門をたたき間一髪滑り込んで、領事館員に救出される邦人!なんてね。映画だから!

アメリカ大使館では救ってくれるだろうが、日本大使館では無理よ。扉を閉められちゃうかも。

LAのダウンタウンでホールドアップされ財布もパスポートも盗まれたらとりあえず領事館に行くしかない。プラザの関所で止められて英語が喋れなかったら、一番いい方法は床に座り込んで大声でわんわん泣くといいと思う。時々Japaneseと言うと効果的かもしれない。

屈強のセキュリティもお手上げだから領事館にすぐ連絡してくれると思う。坂を下りきるとLAPDがあるからここでわんわん泣いて連れてきてもらうのもいい方法かもしれない。

プラザの上階から下ってきた領事館員は間違いなく“迷惑そうに”声をかけてくると思う。一般人が外国で強盗にあったって領事館からしたら迷惑でしかないからな。

領事館は超エリートの集まりで邦人に奉仕する人達というより、海外邦人の頂点に立つ人達。
あの人たちが頭を下げるのは自分たちより偉い人よ。1990年代なんて、窓口のおばさんの口の利き方は昭和の役場か警官に近かったね。つまりエラそうだった。今はましだろうが、意識が変わったからではあるまい。

いろんなエッセイで外務省外交員などの奥さんが人間関係のプレッシャーで第一子は大抵ダメになるか死産も普通。大使館の専属料理人が大使から奴隷のようにこき使われて人格破壊されて日本帰国なんて珍しい話ではないらしい。

そういう人たちが、”わがままで厄介な夫婦に振り回されて困惑してます的”な印象を醸造しつつ、内心では30過ぎても自分でアパートさえ見つけられず、学歴も半端、職歴もバラバラ、経済信用度低い夫婦を馬鹿にして、本人たちには屈辱的なウイスコンシン大学入学などという計画に大まじめに取り組んでいるフリを考えると、失笑する。
同情はしない。


人種差別

人種差別はあったかというと、いろいろ人間の区別もあったし、移民のうちらからすると、そんなことをいちいち気にしていられないというか、。
アメリカのメインストリームはやはり白人なので、訴えるにしても白人以外が白人を訴えるという図式がよくある構造だった。

デニーズで席に案内されるのを待っていて遅いから早くしてくれないといった中国系の男性にデニーズの従業員がそんなに待てないならお向かいのチャイニーズレストランに行けば?という発言をして訴訟になった。
デニーズに勝ち目がなさそうで何ミリオンで決着がつくのかという噂になったから、まともなアメリカ市民は人種差別を連想させるような表現は避けていた。

日系の3世のおばちゃんたちは他人種の客のことを
Who are they?とは聞かず
What’s language do they speak?と聞いた。
もし、口が滑ったらやられるかもしれない。

珍しい例だが日本の寿司屋が人種差別と白人から名指しされることがあった。経営者が日本人で、評判を聞いて白人が入ってくるとすし飯がなくなったから今日は店じまいというのだそうだ。オーナーに親しい人から言わせると、そんなことは一言も言ってないと否定するのだが。

アイ子ちゃんとアメリカ人のご主人が晩御飯を食べに行って、ご主人がカリフォルニアロールを頼んだら、オーナーが怒ってそういうものは置いてないと機嫌が悪くなったのは事実。

一番の人種差別・人間差別があったところ。
それは合衆国政府の役所:移民局だった。今思い出しても腹が立つ!

永住権の最終段階で移民局から指紋の採取に出頭せよとハガキが来て、LAの移民局の場所と日時が指定されていた。ほとんど着ることもないジャケットを二人で直用し、待ち行列が長いよと脅かされて2時間も前に到着したところ、3ブロックぐらい離れた専用駐車場から延々と色のついた人達が
歩いてゆく。誰もジャケットなんか来ていない。

政府のビルが見えてくると、人の行列がビルを何周にも取り巻いていた。おばちゃんたちは時間を指定してあるハガキを持っているので、迷わずビルを入り列の先頭に行こうとするのだが、まず、ビルの入り口で追い払われた。本当に追い払われた。

アポがあるのだとハガキを見せるのに、列に並べ。ハガキがあっても並べ。しっ、と言われビルを出されて今来た道を戻って、さらに道にまではみ出した行列の最後尾についた。

何度ハガキを見てもアポのハガキなのに。列はじりじりとしか動かず、追い出されたビルの入り口に再度たどり着くまで2時間かかった。

やっと内部に入ると、ゴールデン・ウイークのディズニーのようにロープを張り巡らして、その行列の先がどこの窓口に行くかもわからない。アポの時間は迫ってくるし、誰かに聞くための窓口に行くために、誰かに聞かねばならないのに、その誰かも窓口もわからない。

ロープで仕切られていないフロアを行列とは違う政府職員の白人が通っていくので、思わずロープをくぐって二人組に呼びかけたのが、驚くべきことに私は透明人間だった。
ハガキを見せているのにも関わらず、声をかけているにも関わらずまるっきり人間がいないものとして扱われたのは人生初だった。

屈辱に顔が赤くなって又行列に戻りさらになん十分も待って、最初の窓口についた。ハガキを見せるとオマエラはあっちの窓口と指をさされる。この時は腹が立つというより、早くアポに行かねばと焦っていてこの列に並べっといったのはオマエラだと言い返すこともできず。

ガラガラの窓口では黒人のおっさんと隣の窓口のおばさんが噂話か陽気に笑っており、誰も並んでいないのでおっさんにハガキを出すと、いきなり表情が変わって仏頂面になってなんだと顎をしゃくられた。


フン、指紋をとるから右手を出せいい、おばちゃんが手を出すと不潔なものでも触るように手首をつかみこのパッドに指を乗せろ、おばちゃんの指をつまんでインクパッドに押し付け採取用の紙にぐりぐりと押し付けるのだが、プリントの付き方が悪いらしく、チット舌うちをされた。

10本の指紋をとるのに、何度も舌打ちをされた。
アメリカに来て以来最も人間扱いをされてない不快な体験だった。この指紋採取が終わればおばちゃんたちは面接を免除されているので晴れて永住権が取れるのだが、隣のロープの中を延々と進んでいる色のもっと濃い人たちは請の過程、その過程で問題がある人、返事が来ない人、ステータスを聞くための人で、永住権からまだまだ遠い人達なのだった。

たまにその列の中に、白人と別人種の女性がカップルでいることがあり、その白人の男性が職員に聞いたり食って掛かったり、おばちゃんがやられたような透明人間の扱いではなかったが、やはりケンもホロロ、つっけんどんに扱われていた。

アメリカ人が他国人と結婚して移民局で妻の永住権手続きをしようと、政府職員とよくケンカになる。妻のことを人間扱いしないので口論になるのはよくある話だと知った。

この政府のビルの中では唯一はっきりしたルールは、窓口の中にいるのが人間、窓口の外に並んでいるのは人間以下。アメリカで永住権の申請過程にいる人はまだ人間ではない。

移民局での経験を経て永住権を手にしたが、アメリカ人と同等になったわけではない。法的な身分は持てたが、
今度は別なハードル:


へたくそな英語、なまりのある英語、教育程度、
社会的な信用度、安定した職、資産の額、自宅


などの人種以外の壁が立ちはだかっているのだ。それらのハードルを戦って超えていくことがアメリカで生きていくことだった。

アメリカ社会での生活が長くなってくると、小さなことは気にしていられないが、相手をみて言葉尻をとらえれば訴訟に持っていけなくない場合もあることに気づく。それをチャンスとして考えるかは人それぞれ。

デニーズの件もそうだ。
実際向かいのチャイニーズレストランに行けば?というのは人種差別というより待てないお客に嫌味を言ったというレベルだが、相手が全米チェーンのレストランでDeep Pocketだと思えば一つやってやろうかと思うのも理解できる。
別に中国人だから中国レストランに行っておかしくもなんともないが、嫌味を言われて相手が白人で自分が黄色なら人種偏見だとゴネられると思う。相手がパパママレストランなら大した金が取れないなら誰もやらないだけ。

アジア系の人口が多かったけれど、裕福で安全な街だったので、ひどい差別があるというわけではなかった。貧しい南部の州などはアメリカのもっと深い暗部が潜んでいたであろうとは思う。

トリスタンとミコ

うちのビジネスにはトリスタンというメキシカンがいて、物静かでよく働いてくれた。

ビジネスを始めたあと、思ったより忙しく手が足りなくなったのでスペイン語と英語で求人広告を書いて、メキシカンが多く住むアパートの近くに張ったりした。問い合わせがあるのだが、どうも採用までたどり着かない。
おじちゃんもおばちゃんも休みが取れず疲れ切ってしまって、
どうしてもフルタイムがもう一人必要だった。

するとトリスタンのほうから飛び込んできた。いきなりドアを開けて「仕事無いけぇ~?」おばちゃんは、これは神のお導き!と気づき
「ようおこし。まぁ、こっちゃへどうぞ」とトリスタンを導き入れ捕まえた。
「いつから働ける?」
「週末だけなら」
「さよか、ほな来週待ってるでぇ!」

平日は他のビジネスで働いているので、週末だけ働くという。しばらく働きを観察していて、おじちゃんに使えるかどうか聞くと、何とかなるだろうとの返事。頃をみて、
「なぁ、トリスタン。あんた別のところでいくらもらってるねん?」
「2000/月で毎年$50ドルずつ昇給する約束アルヨ」
「ほう、さよか。ほなうちもおんなじだけ給料をあげるし、+αでフルタイムで週末まで、どや?」
「シ、セニーョラ、ムチャスグラシアス Si señora. Muchísimas gracias!」契約成立である。

トリスタンは無口なメキシカンだった。どういうことかというと泣かない赤んぼくらい珍しい存在なのだ。メキシカンといえばヒバリかスズメかというくらいにぎやかで囀りまくりあっという間に中国語も韓国語も覚えてしまい、謝謝とかXXハセヨとか黙れと言っても喋りまくる語学の達人か!くらいな人たちだったのに、ウチのトリスタンは静かだった。

「あー、マーム俺、シンコデマヨは来れないである。LAでデモあるヨ」
当時の大統領スモール・ブッシュが移民政策を強化して、怒ったメキシカンがLAでデモを計画していたから。
「さよか。シ、Ok」てな感じで日本語は無理でも英語は覚えるだろうと思っていたら、無口なぶん語学は苦手なのか5センテンス以上の英語は何年たってもなかなかしゃべれないのだった。

トリスタンも自分の語学下手を知っているのか、仕事場にスペイン語/英語辞書を持ち込んでいて暇なときに勉強をしていた。ある時、昼休みに休憩に行っていいよとというとトリスタンは辞書を忘れていった。

おばちゃんは何気なく辞書を見てみると、ペンが挟んであった。
何を勉強していたのかしらん?とペンのあるページをパタリと開くと下線を引いた単語が目に入った。
[rise]
おばちゃん、おう!思いましたね。
給料を上げてほしいんかい?
おばちゃんは、辞書をそっと閉じた。

ミコちゃん

ウチにはミコちゃんという子もいてこのミコちゃんもまた逸話の持ち主だった。面接のときにハキハキと返事をするので採用した。最初のシフトで自らメモ用紙を取り出し、おばちゃんのいうことをせっせとメモを取るので、これは仕事が期待できるな、と勘違いしたのだった。

ミコちゃんは生れた時から2本ぐらいネジがついてなくて、母親からはうるさいほど「お前は不注意」だからといわれて育ったという。新しいことを3つ聞くと最初の1つを忘れるので、メモ用紙は彼女の人生に必須なのだった。

くるくる動くのだが何故か空回りしていることが多い。黙って立ってろというと、頭の中の音楽を聴いているように膝や足が何かのリズムをとっていて、突然雀が飛び立つように動く。

メモ用紙や電卓やペンも頻繁に落とす。客からの預かり物を落として割る。掃除機を引っ張りすぎて壊す。製品を間違える。キャッシャーを打ち間違える。金額も間違える。釣銭も間違える。ありとあらゆる間違いをして、おばちゃんはこんな間違い方もあったのか?という目も覚める奇想天外な間違いを起こしてくれるので、そのしりぬぐいをする。

再び失敗をすることがないように操作マニュアルと業務システムを修正(ミコちゃん仕様)する。とにかくミコちゃんが直感的にすんなり業務ができたら、それは誰でも使える優秀なシステムで普通の新人なら楽勝だった。

ミコちゃんが意図してやっているのではないということはわかっているし、人手が少なかったからすぐ首にはできなかった。ガチャンと音がするとスイマセン!という謝罪が聞こえてミコちゃんなのだった。

ある日、ミコちゃんがシフトでないのに通りすがりで子供を連れて寄ってくれた。子供は5歳でミコちゃんよりしっかりしているように見えた。
ミコちゃんは横浜で高校を卒業して日本人の男性と結婚・離婚して、同じく離婚したお母さんと一緒にアメリカに来た。どういうことかというと、アメリカ人と結婚した知り合いの中国人が、日本にいたお母さんの写真を見せたらアメリカ男が乗り気になって呼び寄せ結婚したという。

中国人のお母さんはと結婚相手とは結婚するまであったことがなく(戦前ではないです21世紀の話)写真結婚みたいなの。そこにミコちゃんと娘がオマケでくっついてきた。

ミコちゃんの色彩センス/美的センスは割とよくて、キレイ目の色の服をスリムな体に合わせて着ていた。ある時は、レギンズとヘソ見せのホルターだけだったので、ミコちゃんこれからジムでも行くの?と聞いたら
いいえ、これは私の普段着です。

中国人の母の血のせいか、ミコちゃんの足はすんなりと伸びてまっすぐだ。
脂肪も全くついていないので、シャムネコのようにしなやかでエキゾチックである。この姿であちこち歩いたら男がよく釣れるだろう。中国人の母はそれを期待しててそのままにしているのかな?

ネイルなどの綺麗な作業は好き!といっていたから、美容系の仕事についたら才能が発揮できたかもしれない。本人はハーバードに入学してジャーナリストになりたいとか、保母さんになりたいとか言っていたが、、、。
ハーバードがどんな大学か知っているとは思えないので論外として、
娘が5歳まで生き延びられたのは、
①娘が丈夫、で
②ミコちゃんの娘で耐性があった、からだと思えるので、
生き物を預かる系とか病院系はやめてほしい。

そんなミコちゃんはトリスタンとシフトが被ることが多かった。

トリスタンを雇ってすぐにトリスタンの最初の子供が生まれて、洗礼とお祝いで一日休みが欲しいというので、おばちゃんは隣のパン屋にケーキをオーダーしてトリスタンに贈った。
その時はたしか25・6歳だと思ったが、その後カトリックのトリスタンは順調に子供を増やし、3人くらいになっていたかもしれない。

トリスタンは文句も言わず、相変わらず真面目に働いていたが、おばちゃんとおじちゃんの目の届かないところでは、他の従業員に割と偉そうな口をきいていたかもしれない。自分がナンバー3だと思っていた節がある。


おばちゃんとしては、よく働いてくれるし感謝していたのだが、ある日ミコちゃんから話があるといわれた。
ミコちゃんは、何度も何度も同じ仕事を繰り返すと、やっと仕事のパターンが体にしみこむようで、一旦そうなると決められたことはこなせるようになっていた。せっかく使えるようになったというのに、
ああ、嫌よこのパターン。辞めるの?

ミコちゃんから聞かされたのは思いもかけない話だった。私、トリスタンからストーカーされているんです。
はぁ!?
トリスタンが好きだって言ってきてスト―レージで抱きしめられてキスされそうになったんです?はぁ!? ウチのスト―レージでか?

それにうちの母と義理のお父さんと一緒に日曜の朝に教会に行くと、出てきたところでトリスタンが待ってるんです。おばちゃん、いったいどうしたらいいですか?

う~んう~ん。
色恋の話はおばちゃんに一番縁遠い話だ。正直、知らんがな。と言いたいが何か事故が起こっても困る。

ミコちゃんは独身だけど、トリスタンはカミさんがいて子供も3人いるし、オペラのような悲劇は起こりそうでもないが。とりあえず、ミコちゃん来週のシフトはお休みして。その間に考える。

考えたところで、
トリスタンの色恋を覚ます方法はおばちゃん知らんし、シャムネコみたいなミコちゃんに風呂敷をかぶしておくわけにいかんし。知り合いのビジネスオーナーに話して、そっちでミコちゃんのシフトを増やしてもらい、
うちはエマージェンシー以外入れないことにした。

ず~っと後になってそのオーナーから聞けば、ミコちゃんはそっちでもなんかやったらしい。何も着ていないようなしなやかな肢体を見せびらかして、誰かがへっついてきたみたい。
どうやらミコちゃんは、メキシカン・ホイホイだったようだ

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