Kinky Plum 変態梅

ホームセンターと、JAと、村の駅と園芸店を巡回する。

一昨日はコメリでペンステモン・ハスカーレッドが一株298円で売っていたので狂喜して3株とカンパニュラを3株買った。宿根草シリーズが一律298円である。

同じブランドの宿根草は自宅の里近くのホームセンターでは倍の598円だ。

田舎の園芸店では時々値段付けがおかしい店が見つかるので、園芸店の巡回は必須だ。昨日はスーパー隣の園芸店でネメシアが一枚2ダース24ポット)で1000円を見つけてクラクラした。むろん在庫の2シート全部買う。税込みの48株2000円!

重すぎて両手でやっと持ち上がる1ケース24株

耐寒性・多年草なので普通は1ポット400円から500円する。400円として4ダース19,200円のはずが2000円。超超お得!

チェーン店のホームセンターではこういう狂った値段付けは期待できない。

白だけが伸びすぎていたが切り詰めると5月まで咲く。
うちの庭の寒さでは宿根草でもすべて根付くわけではない。過去3年間、しつこく宿根ネメシアを植えて、ようやく4,5株付いたくらい。うちの子のネメシアはまだ2センチくらいで花が咲くにはあと1.5月はかかるのだ。

それまで荒野の大地に耐えられないのでインチキして中抜きネメシアを植えてしまう。うまくすると年越しして、来年買う必要がないかもしれない。

ネメシアはゴマノハグサ科なのだという。おばちゃんの頭の中で意味がゼロだったのだが、
キンギョソウを植えるときに何げなくラベルを見たら「ゴマノハグサ科」と書いてあり、
ジキタリスを植えるときに何げなくラベルを見たら「ゴマノハグサ科」と書いてあり、
愛しのダーラを植えるときに何げなくラベルを見たら「ゴマノハグサ科」と書いてあり
リナリアを植えるときに何げなくラベルを見たら「ゴマノハグサ科」と書いてあり
バコパを植えるときに何げなくラベルを見たら「ゴマノハグサ科」と書いてあり
ペンステモンを植えるときに何げなくラベルを見たら「ゴマノハグサ科」と書いてあって、

姿かたちがこれだけ違うお花がなぜ同じゴマノハグサ科なのか、好きなお花がゴマノハグサ科なのか、それとも選んだらゴマノハグサ科だったのか?おばちゃんは心底驚いて何か強い因縁を感じるのである。もしかしておばちゃんは前世はゴマノハグサ科の養子だったのではあるまいか?

ネメシアを48株植えたら3時間かかった。疲れたゾウ。
2000円でもなかなかいい仕事をしてくれた。

おじちゃんは球根に執着するタイプ。
チューリップ、ヒヤシンス、グラジオラスと球根・球根とうるさい。
ダリアの球根は水はけが悪い場所だったのか根腐れしてしまいユリはイノシシに掘られて食われたので、おじちゃんは毎年球根を植えたいのだ。

そこで里でチューリップやヒヤシンスが咲き始めたころに園芸店を回ると、売れ残りの球根がセールで見つかる。一つ50円!のカサブランカ、アマリリスの巨大な芋みたいな球根がなんと300円!

伊豆半島はぐるりと国道が取り巻いていて、あったかくなると関東ナンバーの行楽客がやって来る。135号線が渋滞で動かなくなると10分で行けるところが30分かかるようになる。
おばちゃんはコロナで出かけられないときに、山をぐるぐる回って、地図の中の糸のように細い国道を見つけたのである。

春と秋の山菜取りに地元の人が入る細い1本道。かなり昔に舗装はされたようだ。この木こり道は伊豆半島の中にいくつもあって地元の人が渋滞を避けて走る。

コメリに行くには木こり道を通って山を一つ下り、幹線道路を横切ってまた2つくらい山を超えると1時間ほどで着けるのだ。里に出るまでは信号は交差点の1か所だけ。

コメリの駐車場は軽トラと軽が主流だ。
道の駅にはオサレな4WDの別荘族が多いが、年に数回来るだけの別荘でガーデニングは出来ないからやっぱりコメリは近所の農家の御用達し。農耕器具や肥料がえっ?という値段で売っている。

引っ越してきたばかりのおばちゃんたちは免疫がなくてコメリで河津桜の苗を見つけて舞い上がってしまい興奮して庭に植えた。鼻の穴を膨らまして、家に桜!

庭木は吟味して植えたほうがいいね。心から忠告する。
河津桜は他の桜に先駆けて咲く。だから一刻も早く花見をしたいと思うのだが、河津桜は桃のようにピンクが濃くて小ぶりで枝にへばりつくように咲く。散り際には蕊が濃い赤褐色なのでちょっと見苦しいなと残念。
そんなことも知らずただ舞い上がって河津桜を植えてしまい5年で幹の太さは倍になったがまだ一度も咲いていない。

この梅も家に梅の木!っと興奮状態で買ってしまった梅の木。

あまりにも枝がくねくねしていて、剪定しても剪定してもクリクリ縮れた陰毛のような枝が出てくるので、おばちゃんは心の中でkinky plumと呼んでいる。

この梅も花がほとんど咲かない。一遍植えた木は断固として死守するおじちゃんがいるからこの先もkinky hairみたいな枝をさらすに違いない。

一昨年植えた姫こぶしが今年初めて咲いた。猫柳のようなポヤポヤしたつぼみが開くと赤んぼの手のひらくらいの可憐な花。あっ!だからコブシって言うのかな?

アメリカ製家電

アメリカに赴任して家具と家電は会社が用意してくれていた。Kenmoreとの遭遇である。
冷蔵庫
Sears製ブランドKenmor冷蔵庫は何というか一言でいえば「冷蔵する箱」であった。
こざかしい機能は何一つついていない。チルド室何それ?卵用ラック?なし。箱ただの箱。

一番下には24本入りバドワイザー段ボールがすっぽり横でも縦でも入り、ガロンのミルクボトルがドアラックに2本入る。3度の引っ越しについてきて在米中一度も壊れなかった。今でもきっとどこかで動いているのではないか。

2度目の引っ越しの時に発見してびっくりしたことがあった。
引っ越し屋さんに運んでもらって新しいアパートのキッチンに仮置きしてもらったときに、後ろ向きに置かれていた冷蔵庫の裏板は妙に波打っていた。

不思議に思って近づいてしみじみ観察してみると、板だと思っていたパネルは紙だった、段ボールを押し固めたような厚紙。それが何年か経って劣化して、ゆがんできたわけ。それでも破れているわけでもヒビが入っているわけでもなかった。冷蔵庫の裏なんて誰も見ないから材質が何であろうと気にしないから。

厚紙の裏板には不安になって、もしこの冷蔵庫が壊れたら同じものを買い替えるのにいくらかかるか?とシアーズに行って同じようなモデルを調べたら600ドルだった。キリでもなくピンでもない普及品としてのモデル。

細やかな機能も細やかな仕切りも全くついていなかったが、質実剛健で冷蔵する箱として壊れることもなかったしアメリカの食生活を支える箱としてとにかく不自由が全くなかった。壊れればもう少し機能がある新モデルに変えてもいいのだがとにかく壊れなかった。

日本のテレビ番組やCMは見られたから日本の最新冷蔵庫の情報も知ることができた。
日本の冷蔵庫はいろいろついているらしかった。でもKenmoreで困ることがなかったのよ。

ライフスタイルが違うからだろうか。買ってきたものを痛まないように保存して、残ったものを保存して。バドワイザーを1ケース買ってすっぽり入るのに毎回よくできてるわぁ、と感心したものだ。

日本に帰ってきてさて家電はどうすると考えたとき、質実で十分と思った。別に親切で繊細な機能はいらないのよ。おばちゃん、アメリカ化してがさつになちゃった?

お刺身なんてその日に食べるし。野菜室も普通の箱で十分。それでいまでも困ってないし。今うちで動いている冷蔵庫は中古で7000円だった。七万ではない七千。全然役に立ってる。

掃除機
アメリカの掃除機は、うるさい、重い、コードが絡む。
ダイソンが出てくるまでは基本1960年代のアメリカ映画に出てくるフーバーからあまり進化していなかったと思う。

ヘッドにブラシはついているが見てくれだけで回転はしないし、曲がらないヘッドと柄は重たいし、本体も重くて持って階段を上がると思うとうんざりする使い勝手の悪さ。
そのうえ音がうるさい。クローゼットを開けただけで猫が飛んで逃げるほどうるさい。

コードは巻取り式ではないので、使うときはまず本体にぐるぐる巻いてあるコードをほどき、柄に沿わして手元まで引き伸ばし、それからよっこらせと肩にかける。そうしないと長くて重いケーブルが掃除機の車輪に絡んで取り回しが厄介になるから。
いいとこなし。

ただし、カーペットクリーナーだけは他に置き換えができない役に立つ家電だった。
乾燥したカリフォルニアではオールシーズン使えたが、中西部から東海岸ではどうだったか知らない。

カーペットとは汚れるものだ。玄関からリビングからキッチンからベッドルームへの動線はけもの道のように、毛足が寝て薄汚れてくる。3ケ月に一回くらいシャンプーするといい。

カーペットのクリーニングをするには専門業者のサービスを雇うか、それともカーペットクリーナーを買って自分でやるか。業者の2回分の費用でクリーナーが買える300ドル前後。

まず水が入るタンクが掃除機のヘッドに乗っている。
電源を入れると水もあったまり、クリーナーの持ち柄のレバーを引くと、掃除機のヘッドからカーペット洗浄液が噴霧される。で、ヘッドから水流がでてブラシが回転してカーペットをシャンプーし、バキューム機能で吸い取られて水タンクに戻る。タンクの中の水はみるみる濁り、カーペットの汚れを吸い取っていくのがわかる。

むろんシャンプーして洗ったカーペットは濡れているが、カリフォルニアなら朝洗って、夜にはそこそこ乾いている。カーペットの色が一段明るくなる。

帰国する時に上げてしまったが、日本ではちっちゃいシミ取りスポット・クリーナーしかないと知って、しまったぁと思う。

洗濯機
これはいろいろ言いたい。
自宅にはKenmoreの洗濯機・乾燥機がついてたが、これも壊れなかった。

Kenmoreの洗濯機と乾燥機は先代のオーナーから家ごと買い取ったもんで、それまで動いていたのをいれると20年故障なしで動いていたと思う。日本の業者さんが大手の洗濯機でも部品保障は10年。10年後に部品が壊れたらもう洗濯機を買い替えるしかないんだって。どうしてそんなに壊れやすいの?


アメリカの水は硬質で洗剤が溶けにくいから、洗濯機はボイラーから配給したお湯で洗うことができた。お湯を選んで洗剤と漂白剤を入れてゴンゴン回すだけ。汚れ?落ちるよ。取り出して、乾燥機に入れる。50分回せばデニムでも毛布でも乾く。

日本の東芝ドラム式ザブ~ンはもうきめ細やか。何を洗いますか・おしゃれ着ですかニットですか?何回すすぎますか?あんまり細かすぎて面倒くさい。

Kenmoreは16年間繊維くずをとった記憶がない。東芝君はフロアマットを洗ったら、排水フィルターに繊維が詰まって排水がうまくいかなくなり、おばちゃんは混乱して3回も洗濯サイクルを繰り返して脱水ができなくてパニックになった。

結局排水フィルターが細かすぎてマットの繊維が詰まって排水ができなくなってたよ。ポカポカ赤い警告ランプがつきっぱなしでどうしていいかマニュアルを調べ、機体下についている排水フィルターを開けたとたんに床に水があふれた。とっても洗濯機が繊細。2回やった。

乾燥機は、デリケート、ニット、毛布などのいろんな区別があって、1時間半乾燥機を回しても毛布は乾かない。シーツは標準乾燥で縮むだけ縮んだので布団にかけようとしたらどんぶりにラップをかけた状態になった。嘘やおまへん。

何年もアメリカで使ったコットンシーツが、ざぶ~んの標準乾燥で縮んでしまったのだ。

ツイン用の敷シーツが、軒並み太鼓に張った皮みたいに敷き布団がそっくり返って使えなくなってきたので、ニトリに行って新しいシーツを買った。シーツのサイズは式布団210センチにぴったりのサイズを買った。

この敷き布団マットというのはニトリでベッドを買ったとき、お客様は背が高いですから敷き布団は210センチにしたらどうですか?と言われてうっかり買ってしまったマットである。

ベッド自体が200センチなのにマットだけ210センチを買うことがおかしいのだが、とにかく買ってしまって配達されたときにありゃ?と思ったのだが、アメリカ製のツイン用の敷きシーツはフィットしたのだ。最初は。

んで、洗濯乾燥をするたびにすべてのシーツが縮んで、敷き布団にシーツをかけようとすると、ついに太鼓に皮を張った皮状態になってしまった。

おばちゃんはむかついた。
東芝製のざぶ~んに腹を立て、210センチの敷き布団に腹を立て、一体どう始末をつけたらよいか?新しいシーツを買っても乾燥のたびに縮むのである。
大き目のシーツを買うか?いやである。横幅はぶかぶかになるから。

では、マットを買い替えるか?ごみ捨ては日本では大仕事である。買って2年しかたたないの200センチに2人分買い替えるのも面倒で出費に腹が立つ。いまさらながら、なぜ210センチだったのだ。それでおばちゃんは決意した。

マットを切ったのである。
マットの下端をカミソリで切り開いて、中のワタを10センチ分切って捨てマットの皮だけは余るから内に袋縫いで縫い込んだ。問題解決。ベッドにも合うサイズになってむろん縮んだシーツもフィットするようになった。

あ~、やれやれ。機械が繊細で融通が利かず華奢なのは困るわぁ。
ニットだとか毛布だとかいろんな設定があるくせに一番耐久性があるコットンが縮む。設定らしい設定もないKenmoreの乾燥機が50分で乾いて縮みもしないのに。

昔から思っていたのだけど、日本製の家電というのはいらんものがありすぎる。
無駄な機能を排除してほしい。シンプルで頑丈で十分。

これぞ中心パーツというのを標準化すれば30年経っても部品は共通ってできるでしょう?消費者が本当に欲しいものを作ってほしい。壊れにくい自動車を作れる日本人が30年もつ洗濯機を作れないはずがない。


日本語は徒然草

帰国してびっくりしたのは日本ではいまだに「日本語は習得するのに非常に難しい言語」定説がはびこっていること。


読みと書きに関してはカナ・カタカナ・漢字が入り混じっていて取得するには確かに大きな壁かもしれない。しかし日本語を「聞く・話す」に関しては世界一難しい言語とは言いかねる。

嘘だと思ったら、アメリカの日本ビジネスを訪ねてみるといい。
裏方でメキシコ人が働いているだろうから、彼らの話す日本を聞けば日本生まれと聞き間違うほど完璧だ。

スペイン語の母音は「a」「e」「i」「o」「u」日本語の母音は「あ」「い」「う」「え」「お」母音がほとんど同じなので、メキシカンが「おはようごぜま~す」と出勤してくるのに言葉の違和感は全くない。
同時に日本人がスペイン語をカタカナ発音をするとスペイン語の達人に聞こえる。嘘やおまへん。

おじちゃんの会社のメキシカンなんて先代から務めているのもいたから本当に日本語がうまかった。おじちゃんを送って行って、風邪気味なのよねぇと咳をすれば後ろから「お大事に~」って言葉が返ってきたから。
だから、聞く話すに関しては日本語はとんでも難しい言語ではないのよね。

でも、なぜか日本の人は日本語は世界一取得に難しい言語なんだと、幾分誇らしげに言うわけ。掲示板とか新聞雑誌とか、どっかから資料を探してきて載せて、やっぱりこんなに日本語は難しいんだとやる。自分はしゃべってるのにさ。

そういう難しい言語を苦も無く話している自分が誇らしいのか?ーわからない。
日本語が世界一難しい言語なら、より優しい英語は学びやすいわけで、それなのに日本人が英語を簡単に話せないのはどうしたわけか?


漢字かな交じり文章が特に難しくて海外民族に読んでもらえない、というのはメリットにならないのに。

コリアンは言語については自分たちが発明したと誇らしげに言う。
で、もっとも固着している思想は“誰が文化の始祖か”
彼らの論理とは、手づかみでものを食べる蛮族の間で最初にを発明し文明化されたのが我ら韓民族。

その箸文化をまねしたのが日本民族。だから、文明文化の先輩である韓民族は日本人より上、偉い。今現在の韓国の経済・社会の状況がどうであれ世界で最初に発明した(文明化された)我々に尊敬を払え。我々が兄。という論法論理。
そんな論理は現世界でどうでもいいのだが、彼らだけは理解していない。

韓民族にとっては、我々が始祖・論理で始まる。フードコートで隣になったコリアンのおっさんから「トンカス」は韓国人が最初に発明したのだと、食事をしている間中つばをとばして力説されたから。「トンカツ」とまず発音できないのを自覚していただきたい。

この文明始祖思想は昔から韓国に“がん”としてはびこっているようで、近年イタリアの“ピザ”は韓国人が発明した。ラテン語の起源は韓国語などとぶち上げて、世界中の失笑をかったのだが、ただの自己自賛、自己中心論理である自覚もなければ反省もしていない。民族を挙げての思い込みというのはどうしても変えられないようだ。

日本人にとっての固着の思想は、外国人にとっては取得不可能なほど難しい日本語、となるのだが。
本当に言語として難しいのか?というより「何を言っているのかわからない」から理解が不能のほうが多いのではないかと思っている。

まず、主語が略される。論理的でない。2文3文を一つの文にくっつけるから、主語と述語が揺らぐ。形容詞がどこにかかっているのかわからない。やたら受動態を使う。公文書にも敬語を使う。

ちょっと脱線するが、--帰国してびっくりしたのは「させていただく」
自分という第一人称主語を使うと、それほど日本では攻撃されるのであろうか?私はこうします。と言わずに私はこうさせていただきます。2段も3段もへりくだって地べたに土下座して物を言う感じ。

なぜ、それほど自信がないしゃべり方をせねばならないのか。こんな語法はいつから始まったのか?日本社会が自立した個人を嫌い、自ら身を潜めなければならないほど攻撃的な世の中になったのか?おばちゃんはいや~な危機感を覚える。

そういう地べたに這いつくばった言語を話す人間が、世界の外交や政治の世界で論理的に自国の利益を主張できるのか? ここ30年で日本がへりくだり外交になったのは、見苦しいほど日常にはびこっている「へりくだり日本語」も一役買っているのではないか?

論理的でない
ワクチン接種のために「問診表」に記入しようとした困ってしまった。
●現在病気で、治療や投薬を受けていますか?Yes, No

おばちゃんにとって、この日本語文書はナンセンスだ。原文に「、」がある。要素が2つあり、どちらが重要かで意味もゆらぐ。
現在病気か と 治療投薬を受けているか というのは2つの異なった質問である。それをなぜ1文にせねばならないか?

おばちゃんの胆石は大きいものはカルシュウム化していて薬では金輪際溶けない。病気だが薬も飲んでないし治療もしてない。痛風持ちのお人や偏頭痛、群発性頭痛とか病気はあるが投薬していない病気症状は世にたくさんある。


だからこの質問は2問に分けるべき設問である。1)病気はあるか2)あるならなら病名と治療内容を書け。

●アナフラキシーとか蕁麻疹がでたようなアレルギーはありますか?
この文も同じ。アレルギーがあるか、蕁麻疹アナフィラキシーが起きたことがあるか?2つの質問。

質問者が「重篤なアレルギーがあるかどうか」だけを知りたいなら、「過去にアナフィラキシーか蕁麻疹を起こしたことがありますか、Yesなら原因のアレルゲンを書け」とすればよいのに。が、重篤だけでは本来の問診表としては不足だ。やはり、アレルギーはあるか、重篤はあるかと2つにわけないと正確ではない。

アメリカでさんざん問診を書かされたが、常にアレルギーはリストを書く方式だった。
もっとも論理的に正確で回答者が誤解できないように設計されていたのは生命保険の申請書だった。
Do you currently have, or have you been diagnosed with, or treated for, any of the following conditions?
YES. NO

こんな質問なら誤解も嘘つけないし。

で、おばちゃんは役場からのお知らせとか政府のパンフレットを読みながら、うわぁ~と日本語がわからなくてペンを握り占めるわけだ。日本語は難しい。

主語がないとか、論理的でないというのは言語的な膠着語という構造もあって今に始まったことではないが、さかのぼれば原因は「つれづれ草」とかにあるのではないか?とふと思った。

徒然なるままに日暮ぐらし、硯に向かいて心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく
書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

おばちゃんは、日本語を全否定するわけではない。日本文学は大好きだ。つれづれ草のリズムの良さの美しさは十分味わえるのだが、、
問題は”凡人”が「よしなし事」を「そこはかとなく」書きつくると主語がぼけて、何が言いたいのかわかんなくなってしまうのだ。

徒然草から1000年もずるずると思ったことを脈歴もなくかきつくる随筆というジャンルが成立したのだ。だからずるずる書けば、とりあえず随筆です、と言う。

小学校から高校まで作文・小論文でも「思ったこと=よしなし事」を起承転結なしに「そこはかとなく」書いてしまっても、先生本人たちも、ものぐるほしけるから、それでよしとなってきた伝統があるのだ、きっと。

だから、役所ではいまだにさっと読んで理解できる明快な日本語文章が書けず、おばちゃんはものぐるほしけるのだ。

この間、おばちゃんがファンの西原理恵子を読んでいて大笑いした。
高校生の息子さんが古文のわけのわからなさを西原の母に訴えるのだが、
「今どきの女子の会話だって何言ってんのかさっぱりわかんないのに、千年前の牛車に乗ったニートの腐女子の妄想文だよ?それのシク活用だよ。もう全く歯が立たない。犬と話すほうがまだマシ」


The春の寿司!

篠原氏の放送を聞いている最中に地震。
皆さん、お怪我はないですか?
揺れが一番激しいときにオフィスの壁の額縁が床に落下。床に置いてあったアンティーク風ランプの火屋を直撃。粉々。

猫の紫音があまりにも活動的で頻繁にデスクやタンスに飛び乗るので危ないから、わざわざオフィスの床にランプ置いたところ、デスクに乗ってブックエンドを蹴落として、ランプの火屋に落ちて一度ガラスが欠けた。
泣く泣くアロンアルファでくっつけてデスクから遠い壁の近くの床に安置していたところ、地震で落ちた額で火屋が粉々になった。悲すい。

紫音がいる限りランプは飾れないのだからあきらめるしかないね。もっとひどい被害にあわれた方がいらっしゃるかもしれない。これ以上被害が広がらないことを祈って。

春だし、昨日スーパーでアナゴを買ったから照り焼きにして、お祭り風チラシ寿司風にした。術前検査で栄養状態が少し悪いといわれたから、食べられるものを食べておこう。
冷蔵庫にあった マグロの中落、たらこ、カニカマ、菜の花!自家製のショウガ、錦糸卵など手あたり次第乗っけた。

ちょっとMessyだけど色だけはカラフル、The春の寿司!

冬タイヤを取り換えに行ったら、夏タイヤはスリップサインが出てもう危険なほど減っているんですって。だから新しいタイヤに変えた。
携帯も機種変更して春は何かと更新が多いわね

こころに半旗を

2年働いてくれたピップが一家でタイに帰国せねばならないからウチを辞めると告げに来た。
ピップは高校生の頃に親に連れられてアメリカにやってきた。

永住権を申請して長い間待ってやっと前年にとれたばかりだった。幼稚園に通う子供を育てながら、これから順調なはずだったのにタイ人の旦那に病気が見つかりどうしてもアメリカでは治療の見込みが立たないので、永住権を捨ててタイに帰るのだと暗い顔で言った。

「帰りたくない。病気の治療こととだけではなくて。」
私がなぜかと聞いたら、プミポン国王は国民から尊敬を受けている賢王であったが、次期王位後継者がとても受け入れがたい人物なのだと言った。

若いころは王位後継の順位が低かったので海外で勝手気ままに暮らし恋人や妻をとっかえひっかえプレーボーイとして有名だった。

ピップは英語であえて「プレーボーイ」という言葉を使ったが、「プレーボーイ」という言葉では収まり切れない、もっと不快なスキャンダルの臭いがあった。スポーツカーをすごいスピードで走らせて人をひっかけて王族特権でもみ消すとか、およそ王族として人の尊敬を集められる人となりではないのだという。

ネットのニュースではピップが言うほどネガティブな記事は出てこなかったが国民なら別の情報ソースがあるのだろう。

タイと日本は西洋勢力に侵略されずアジアで独立を守りぬいたたった2つの国だった。
そのタイの誇り高き王国民が、次期王位後継者の人格に尊敬を払えず憂いに沈んでいた。
やがて問題の次期国王が治めるであろう祖国に帰らねばならぬピップを、非常に気の毒に思った。他の国の話だったのだが、。

ジャーナリストは外務省に抗議しよう、小室夫妻への国を巻き込んだ援助をやめさせよ、と唱える。こういうごり押しの謀略を何十万人の日本人が憂いて嘆いて心を砕いているか。不敬罪はなくなったが日本人の心の中ではいまだに生きている。“誰が“という言葉はいまだに日本人の口ははばかられる。

日本で省と名がつく役所で働く舎人は、自らを国民に奉仕する下僕だと思っていない。
国民の上に立つ国を動かしている立役者だと思っている。物を売って成り立つ民間の企業と違って国民の批判でつぶれる省組織ではない。私だって寝てないんですと経営が危うくなった超一流民間会社とは違う。

こういう役所の役人は抗議や非難の手紙をもらっても心を動かされることはないし、行動を改めることもない。それは自分がやっていることではない。省の方針なのだから。

手紙を送ってSpamと書かれた段ボールに放りおかれるか、資料室のような下っ端が読んで、脅迫や危害を予告するような文言が見つかれば警察や保安関係に渡すファイルに綴じられるのではないか。

税金を使い命令系統をごり押しして組織を使うのはどうでしょう?といさめるような役人がいるとしたら、そもそもこういう小室計画は進んでいるはずがない。舎人は舎人であってアメーバーのように個々の意思を持たず自ら考えることなく新陳代謝しながら組織として動く。

おおよそ皇統にふさわしくない人物を婚約者として認めてしまった自分の目のなさを認めたくないばっかりに、国政を巻き込んで誤りに誤りの上塗りをしている。糞にせっせと金メッキをしても、金メッキをした糞ができるだけである。

小室母の詐欺疑惑で詐取したとした総額はおおよそ2千5百万である。小室息子と平民の妻との警備費用・必要予算は年間で8億である。

金額だけを考えても8億を通して2千5百万のはした金を問題にするとは考えにくい。皇室の姻族の刑罰がかかっているのである。

ウイスコンシン計画をあくまでも遂行しようと補正予算まで取った。その理由である中心人物の母を刑事事件で有罪にさせる度量が果たして政府にあるのだろうか?姻族が有罪になれば、今まで糞に施してきた金メッキがすべて無駄になる。

東京地検でつぶされるか、問題噴出の神奈川県警で受けるふりをして証拠不十分でなかったことにされるか。
私には不正をただされる未来が見えない。

政府という一般市民に手が届かない組織へどのように国民の意思を届けられるだろう。タイのピップはどうしているか?日本も気の毒な国だと思っているだろうか?

民は幸せではない。


ウチで育つお花

おばちゃんは張り切って庭の手入れを始めたのよ。
朝起きると気温一桁だけどお昼過ぎには二けたになるから、もうフル装備で帽子と虫よけネットと長靴を履いて、落ち葉と枯れ枝はごみ袋に4袋ぐらい始末したわ。

枯れ枝の満天星生垣に冬咲きクレマチス

ヘデラは玄関庭以外思い切って引っこ抜いた。蔓ジャスミンも始末することにする。お隣さんもかなり昔に石垣にジャスミンを植えたと見えてジャングルになるのよ。花なんか1輪も咲かないのに。

ホームセンターの店先ではポットにピンクのジャスミンが咲いているのに、地植えにして次の年から咲かなくなるのよ。なんで?ツタ系は怖いわね。

おばちゃんが張り切って庭開きだ!っと言ったところで、当のお花のほうはクロッカス以外はまだ寝てるのよ。去年一昨年で嫌っというほど植えた宿根ネメシアやリナリアはまだ2センチしか育ってない。
サルビアも生きているか死んでいるかわかんない。チューリップもまだ3センチだし。

おじちゃんは出てきたチューリップ芽の少なさにスイッチが入って、去年もっと植えておけばよかった。

追加で買う!とか言ってて今更もう球根なんて売ってないわよ。ダリアと去年のグラジオラスが地面で腐ってたんですって。
だからユリでもグラジオラスでもとにかく球根を植えたいから明日中伊豆に買いに行こうと言う。

おばちゃんは困ったことに宿根草の“何” を“どこ”に植えたか忘れてしまった。半年過ぎると名前まで忘れた。サルビアの種類だと思うのだが名前のピックがどっかへ行ってしまってわからない。地上の株が枯れなかったほうが珍しいから今見えている葉っぱがあの草だかこの草なのどうなんだ。

しっかりせい!春は来た目覚めよ!と
おばちゃんが叱咤激励しようとお花はまだ眠けまなこだおばちゃんは困ってしまう。去年のお花が育ってくれないことには、新しいお花をどこに植えていいかわからない。

ちっちゃなスコップをズバッと地面に突き刺すと、なんか根っこを切ってしまった。しまった!去年秋に植えた“猫のヒゲ” かもしれない。白と紫と2株植えたのに。なんかいい具合に隙間が空いていたから、新しいデルフィニウムを植えようと思って掘ってしまった。

サルビアはどこ?

土だけの地面を見ているとこうしちゃいられないと思ってしまう。お花屋さんの店先はルピナスもジュリアンもベルフラワーも色の奔流なの。皆植えて!っていうから。ペンステモン・モーリーが欲しい。ペンステモン ハスカーレッドでもいいの。

あ”~。
マーガレットが枯れた!軒並み全滅した。真っ黒になって死んじゃった。
雪は3回くらいしか降ってないのに寒すぎたのかしら?霜よけは役に立たなかったの?おばちゃんは庭の西の段々にはピンクのマーガレットを生垣のように咲かせたかったのよ。植えては枯らし、それでも去年は5株は残ってたのに。ショック!
マーガレットはうちの庭には寒すぎるのね。悲しい。

毎年こうして家では育たないお花が発覚する。
今年の課題は「耐寒性のある宿根草」よ。マーガレットはあきらめて、うちで育つガウラで並木にするわ。

おばちゃんはコタツ寝たきり廃人からいきなり起き上がったので、太もももふくらはぎもパンパンになって、一歩歩くたびにプルプル震えてしまい庭から上がるとイタタと移動しながら、でもかまってられなくて、明日は何を植えようかと考えるのだった。


移住5年目の春

Photoshopはおばちゃんのお気に入りのソフトなので、チラシもポスターもこれでデザインしていた。キャンバスのどこに何を配置してレタリングをどこに持ってくるか、何色がふさわしいか。タテ・ヨコの話

それがお庭の園芸になると、タテとヨコに奥行きと高さが入ってくるわけ。背の低いお花は手前に背が高いのは奥に。ど素人もこのくらいは分かった。

ところが、園芸はさらに時間を考えないといけないのよ。
3か月後に手前のお花と後ろのお花がどう育ってるか想像しないといけない。この手前のダーラは15センチくらいでこじんまりおさまるはずだったのに、意外と横に這っちゃうとか、シロタエギクが大きくなりすぎて一番後ろのデルフィニウムが隠れちゃうとか、そこんとこをよく考えて春植えないといけない。ああ、複雑!

そしてさらに日当たりと温度と土壌
陽が当たっていい植物と枯れちゃう植物がある。園芸店で売っている苗のラベルには日陰、半日蔭、陽なた、って書いてあるからそれを参考にする。でもうちの日影がどのくらい日陰なのかわかんない。西日ってのはどうすんのさ。植えてみるしかわかんないじゃない?

そのうえ、温度
これは苗を買う時の温度じゃないから。
宿根草だとして、真夏の一番暑い温度と、真冬の寒さ。うちの庭の真夏の暑さに耐えられるのかしら?半日陰に植えたら真夏も大丈夫?

気温5度というのは冬越しできるかどうかの境目らしい。うちの庭は冬は霜が降りるし、たまに5度以下にもなる。根だけで生きていけるのか。それとも株を掘り上げて軒下で春まで活けたほうがいいのか。種を落として次の春にまた出てきてくればいいのだけど。

それから大事なのは、
NHKの園芸王子も言ってたわ。風通しが大事って。
あまり込み入ったところに植えると、風が通りにくくて雨が続くとカビが生えちゃってダメになることがある。ムレちゃうと腐るのよ。ブルーデイジーが好きなのに、うちの庭じゃどうしても育たないのよ。だから風通しは大事。

この風通しは、植えるときの風通しじゃなくてその苗と周囲の苗が育った後でも風が通るかを考えないといけない。
あ”~預言者にならないといけない。

お花のも大事。
うちの日陰だと緑が濃くてお花の色が深い色だと沈んでしまうのよ。日陰には斑入りの明るくしてくれる植物が欲しいわ。

おばちゃん、土壌をわすれただろうって?
土壌?素人上がりのおばちゃんはまだ土壌まで頭が回らないのよ。どのお花にはどういう肥料がいいのかって、そこまで覚えきれないわよ。しらん。

台所の生ごみを発酵させて作った自家製肥料をやってみたり、秋の落ち葉を集めて腐葉土を作ってみたり。どれがどこにいいか正直わかんない。窒素?リン?カリュウム?
知らない、わからない、ほっといて。

発酵牛糞とかその時ある肥料を一律全部庭に施しちゃうから。お花から好き嫌い言われても困るじゃない。
一応、栄養なんだからさ。これは嫌いとか、窒素が多すぎとか。贅沢は言わないで。おばちゃん、もう全員の都合は考えきれないから。

ウチんちのムスカリはみんな葉っぱが細ネギみたいに長いのよ。
スパゲッティみたいに地面を這ってる。なぜかは知らない。

表に植えたムスカリも裏に植えたムスカリも、買ってきて植えたらみんな葉っぱがネギになるのよ。花は咲くわよ、ちゃ~んとムスカリ。これはやっぱり肥料の成果かしらん。何かが多すぎるのね。

3か月先の縦・横・高さ・奥行き・時間・日当たり・温度・風を考えながら、今3月の枯れ枝の散らばる荒野みたいな地面に苗を植えるのよねぇ。異常に雨が降る8月とかさ。カンカン照りつづきとかさ。
当たるも八卦、当たらぬも八卦。とりあえず植えてみるしかないじゃない!


引っ越してきた時はお隣の別荘は草ぼうぼう!
ススキやカヤや不気味な黒いサルビアが茂り放題で怖かった。蚊がひどいし。うちの庭をせっせと草とりをしていたら地つづきだからお隣まで行てっちゃったのよ。しょうがないじゃない地続きだから。

ススキも抜いて一年め花壇が更地になって、さんさんと陽を浴びたのね。
2年目にお隣さんがは~るか昔に気まぐれで植えたらしいチューリップの葉が一枚だけ出てきた。3株。

おばちゃんは、あら~と思ったのね。それで手が滑って肥料も捲いてしまった。
次の年3年目に葉っぱが2枚になった。ほっとくと雑草だらけになるから、せっせと草取りをするの。また手が滑って肥料をまいてしまった。

4年目に葉っぱが3枚になったら花が咲いたのよ。ぽっかり。まあ、かわいらしいわ。
そして今年、びっくりしたわ。お隣さんは結構数を植えてたのね。今年は7株も葉っぱが出てきた。何把咲くか楽しみ。

ちゃ~んとお隣さんには話してあるわよ。
地続きなんで草取りをしてたら気が付かないうちにお宅の草も抜いてしまいました。って。そしたらあら、すいませんってゼリーの詰め合わせをもらいました。年に1回か2回くらいしかおいでにならないのでどうしても手が回らないのね。うちとどうしても地つづきだからついでってことがあるしね。

お隣りのチューリップ

たまに、手が滑ってエリゲロンの苗が飛んでったり、トレニアやアノマテカの種が飛んでったりするだけよ。

アジュガはうちの境目に植えただけよ。お隣まで這って行ったのは植物だからしょうがないわ。お花が薄紫でとてもかわいいの。ススキよりましじゃない?


庭開き

風は少し冷たかったけど快晴!やっと庭開き。
吹き溜まった落ち葉と枯れ枝を掻く。去年のシダやガウラの枯れ枝を切り取り、アクセントに植えたツタには正直困っている。何せ素人が植えたいものを取り合えず植えたしまった結果が困る。

おばちゃんはツタが好きなのである。ツタの這う石垣なんてのに憧れがあったのだ。まず、ヘデラを石垣に植えて、前庭の縁取りに植えて、ハツユキカズラを一目見て可憐な白の花びらのような葉っぱに恋してしまい、そこら中に植えた。フリーマーケットでワイヤープランツを見て、かわいくて生垣の根元に植えた。黄金カズラ定家カズラというやつも4株植えた。そうだ、ジャスミンも植えた。

な~ンにも知らないのでみんな地植えで植えた。4年たったら正体が分かった。
ワイヤープランツは危険。ヘデラは家の周りに植えないほうがまし。ハツユキカズラは野生の緑の葉っぱと化し、手入れをしないと白くもならない。ツタ系に関してはとりあえず植えてみる方針は考え直したほうがよさそうだ。

ワイヤープランツをバッサリ根元で切り、ハツユキカズラもなるべく太い枝だけ残し、前庭に植えてしまったヘデラはあまりにも根を下ろしているので、春と秋にトリミングをしていくしかないか。

ここで困るのはおじちゃんである。おじちゃんはモノを捨てるのが嫌い。引っ越してきて洗面器がないのに気が付いて、とりあえず買ったプラスティックの洗面器は不要になったので捨てようと思った。おじちゃんに気配を悟られないようにごみ袋の一番下にそっと潜ませて捨てたはずだったのだが、おじちゃんがごみ捨ての係なので、気が付いたらベランダに回収されていた。
あたし、捨てたかったのよ。なんで取っておくのよ。
庭に水やりに使うから。水やりはジョウロがあるでしょ。いや、バケツから水をくむのに使うから。
使えるものを捨てるのが嫌い。ねぎの根元の輪ゴムとイチゴのパックをとっておくタイプ。

木を切るのも嫌い。せっかく植えた藤の木は抜かない。だって、素人は木がどのくらい大きくなるか植えるときに想像できないので、4本も植えちゃって近い将来藤棚は大変なことになるに決まっているのに、抜かない。切らない。
50センチ間隔で梅の木を2本植えてしまった。河津桜と山桜が30センチ間隔で植わっている。ダメだ!っていうのに現実にダメなのがわかるまで絶対手を付けない。困ったものだ。

もし、おばちゃんが先に死んじまったら庭のツタ類は大変なことになるに違いない。家がヘデラに埋もれてしまうかもしれない。そんなことを考えながら、手入れをしているといろんな芽が出ているのを発見する。

黄色のクロッカスや白のクロッカス(白は植えた覚えがないんだけど?)ヒヤシンスがあちこちに。花が咲きそうなフキノトウ。先代のおばちゃんが植えたクリスマスローズがついにつぼみがついた。お隣のチューリップと同じ。

庭の手入れがされないと、お花や球根は眠ってしまう。雑草が払われて陽が当たるようになると、様子見で葉が一枚出てくる。
2年目は2枚になり、ここでおばちゃんが気が付いて肥料をやり3年目でぽっかり隣のチューリップに花が咲いた。

球根は毎年花が咲くものと、一度咲くと力を使い果たし球根がやせてしまうものがある。

チューリップは球根は小さく痩せて花を咲かせる力がなくなってしまうので堀り上て保存するといい。というのだがやっぱり次の年は花が小さい。それでおじちゃんは毎年11月にチューリップ・チューリップと買い込んで、毎年植える。

お隣は別荘でかつて気まぐれで植えたチューリップがそのまま長い年月を眠り、おばちゃんがおせっかいで草取りをして肥料をやったので、去年ぽっかりと花を咲かせた。
先代のおばちゃんのクリスマスローズも去年は葉っぱが4枚まで増えたから、今年やっと花が咲く。庭のあちこちにはそんな遺産が埋まっていて時折発見できるのがうれしい。

たった3時間ほどの大した作業でもないのに、おばちゃんの足太ももと膝がプルプルしてきた。運動不足がこれほどひどかったとは思わなかった。そろそろ、撤収するかとおじちゃんに声をかけられて、(おじちゃんはゴーヤ棚を直してもらうつもりだった)おじちゃんは、ゴーヤ棚の下をきれいに更地にしていた。

あんた、バコパはどうしたの?私のバコパ!夏の日照りに弱いから上にゴーヤで影を作ってもらったんでしょ?
え?ないよ。みんな枯れてたよ?
枯れるもなにも、宿根草じゃんか。根っこ掘り返してくれてどこやっちゃたのよ。
いや、根っこまで枯れてたから。

おじちゃんはいつもこの言い訳をする。チューリップとヒヤシンスの区別はつくが、宿根草に花が咲いてないと雑草と区別がつかない。枯れてたから!と掘り返して更地にしてしまう。

おばちゃんのバコパ!10株はあったのに!おじちゃんとは庭の植栽で方針が合わない。エニシダとヒュペリカムとチェリーセージとよりにもよって横に枝を張るものを30センチ間隔に植えられた。
み~んな横に枝を張るものをんんでここに植えたのさ!アッと言う顔をするのだが植えなおすとは言わない。
だからおばちゃんもゲリラ戦でおじちゃんが別の作業をしているときに切る。

どうも邪魔な梅が2本と柿の木が一本あるんだよねえ。


アイタタタ、タ

胆石だと診断されたのが2週間前。

石だと思うのですけどとドクターに言ったら、まあ検査してみましょうと。
「胆石です。」だから、石だと言ったのに。

去年の10月、豚カツを食べて夜中に七転八倒して救急車を呼ぼうと思った。その時石かもしれないと思い食生活を昭和初期風にしたら落ち着いて、危ないものを食べない限りケロッとしていた。

12月のクリスマス・イブにブログのお引越しで頑張ったからご褒美を上げるつもりで「雪苺娘」を二つ買った。
夕食後に一つ食べたら悶絶した。まだ、一つ残っているのに。
石を抱えている限りもう「雪苺娘」は二度と食べられないのか。くやしい。どこも傷んでいない雪苺娘をゴミ箱に捨てながら石を切ろうと決意した。(おじちゃんは血糖値が高いのでケーキは食べない)
今年の初めに受診してあちこち回されて胆石だと診断された。だから最初っから石ですって言ってるのに。

で、どうします?
どうもこうも、雪苺娘が食べたいので切ってくださいとお願いしたら、今コロナで入院手術の予定が立ちません。と。
そこをなんとか!とは誰かのようにごり押ししない。

ただ、いつ痛みが起きるかもうわからないし痛み止めで治まらなくなったらどのようにしたらいいですか?と聞くと
その時はもう病院に来ちゃってください。胆石症が悪化すると破裂しちゃうこともあるので、緊急で切ります。

おばちゃんは、ついアメリカに住んでいた時の癖で、緊急で手術するときと、スケジュールして手術するときと費用はかわりますか?って。金額を確かめた。いや、費用は変わりません。

変な患者だと思われたかもしれない。
とにかく、今は緊急性のある患者の手術が優先なのでおばちゃんの番がいつになるかわからない。春は免許証を書き換えたり、携帯の機種変更をしたりワクチンの3回目を射ったり庭開きで忙しいのに。

そしたら、夜中の4時ごろから痛み始めた。
痛み止めを飲んで、くそ~と寝返りばっかりうって、うとうとして夢を見た。担当医が、にやにやしながらいや~偶然ですね。
3月3日であなたが3月生まれの3の付く3ぞろえの患者さんです~。アタリ。手術です、とか言われて目が覚めた。

目が覚めたら3月3日だから3ぞろ目の日。緊急入院用のバッグなんか用意しておいたほうがいいのかな。ラップトップは持っていくように心づもりしているのだが。
もし、ブログの更新がぱったり止まったら石を切りに入院中だと思って。

闘病記ー時系列

アイタタタ、タ

五臓五腑になる入院記

再入院のお知らせ

発覚

告知

闘痛記

日本のチーム医療・パッケージ治療

異色・入院雑記

娑婆に復帰

総武本線 内房まわり

ぼちぼち動いてます

術後2か月目

闘病記さまざま

ガンの光線力学療法

経過観察中 4か月目

がんのゲノム解析

・ドクターに聞いてみよう

ドクターに聞いてみよう・2

・経過観察6か月目

川島なお美の場合

術後7か月

ベンツ切開


ジビエはいかが?

おじちゃんを歯医者に連れて行って山に帰ってくるととっぷり陽が暮れていて、大変なものに遭遇してしまった。イノシシ。
アスファルトの道を左から右に横切って、あれっと思った時には丸々としたお尻だけがヘッドライトに映った。おいしそうなお尻。

山のサークルでは秋から春先にかけて猪鍋を食べに行くバスツアーがあって、あっという間に満席になってしまう。行きたいと思っても予約しそこねるので、道の駅で冷凍の猪肉を買って鍋にする。

まったく獣臭くない。白い脂身がちじれて口の中で溶ける。里の畑からかすめたサツマイモや百合の根や筍を食べているのでまずいわけがない。

今夜の猪は茶色の豚のような大きな丸いお尻だった。お父さんかお母さんかはわからない。
いつかの夜は母子に遭遇した。

道路の右端のカーブミラーの根元に何やら動く黒い影があって、車を止めて観察していたらウリボウが一匹、左に道路を横切った。縞があって丸々とした猫くらいの大きさ。続いてまた一匹。また一匹。トータルで6匹のウリボウが道を横切り、最後にお母さんがガンをつけながら悠々と子供たちの後を追った。

お母さんと喧嘩をしたらうちの軽自動車が負ける。ぶつけて倒して猪鍋に~とはいかないのだ。ウリボウだったらウチのオーブンに入る。ねぇ、おじちゃん、あんた猪はさばける?
誰が、馬鹿なことを。

うちの父は高圧線に触れておっこちてきた雉も、川で取ったフナやウナギも自分で捌けた。川に出す船は先祖代々の木の船が腐ったので、溶接ができる母の弟をそそのかして鉄の川船を自作し川で魚とりをした。男は捕まえた獲物と乗り物の手入れくらいはできるものであって欲しい。C.W.ニコルかいな。

おじちゃんが札幌で一時期働いていた時、地元の同僚の家に訪ねると、不幸にも崖から落っこちて亡くなったシカ肉のタタキが出てきた。シカは害獣指定されていなかったので、おっちょこちょいでつまずいて死んでしまったシカらしい。ねっとりと妖艶な肉。熟成した牛のヒレのようで柔らかくおいしかった。ショウガ醤油がよく合う。

一昨年の春に庭でコジュケイのお母さんに襲われた。羽を精一杯広げて大きく見せながら、ギギギ叫びながらと突っかかってくるのである。
おばちゃんは自分ちの庭なのに思わずタスケテとおじちゃんに救いを求めた。白と黒のダンダラ羽のコジュケイは行き過ぎては戻りまたおばちゃんに突っかかってくる。

気が付くと庭の端の水路に子コジュケイが一羽落っこちて、40センチの深さの水路を登ってこれずに底をうろうろと迷っているのだった。兄弟は土手の上の雑草の茂みでお母さんを待っている。
おばちゃんが水路に近づいたのでお母さんが迷い子・コジュケイを守ろと襲ってきたのだった。母の愛であった。コジュケイはおいしいと聞いたことがある。が、けなげな母を食べたら鬼畜と言われそうだ。

いずれにせよ山は鳥獣保護区なので、トマトをアナグマに取られても明日は咲くというユリの根っこを猪に掘られても、罠さえかけられない。なまじ罠にかかってしまったら保護区内では殺すことができずにおりの中で餓死させるしかないという。
それはいくらなんでもかわいそうすぎる。

野生人のように川で漁をし猪を捌く田舎暮らし番組のお父さんはすごいなぁ、と感心しつつテレビを眺める。猪のソーセージなどいかにもおいしそうではないか。
自然はたっぷりあって食べごろのジビエもその辺を走り回っているのだが、とっ捕まえ方も捌き方もわからず、指をくわえている半端田舎人のな~んちゃって田舎暮らしなのだ。


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