仙人になれる暮らし

山で暮らすことのネガティブな点は寒さと湿気。
ポジティブ・ポイントは人との物理的距離が取れること。

ただし、昔ながらの田舎じゃなくて移住者だけ集まった地域。周りからよそ者だと思われているので、十分な物理的距離と心理的距離をとることができる。里までたった20分なんだけどね。

お向かいの中野のおばちゃんによると、四十数年前この山に家を建て里のお肉屋さんにお肉の注文をしたとき、「旅の衆」と呼ばれたそうだ。昭和の話である。

田舎暮らしにあこがれている人、都会で人との付き合いに疲れている人には、山の世界はほっとできる避難所。ヒノキの林にひっそりと建つ隠れ家に住むことができる。
お隣の生活音は全く聞こえない。

壁を挟んでお隣のテレビが聞こえてくるような生活に疲れて倦んだ人が、田舎に引っ越してくると静かすぎるかもしれない。たとえ隣に家があっても、年に数回しか来ない別荘である場合も多い。車は頻繁に通るものではないので、郵便屋さんのバイクはすぐわかる。夜は自然が立てる音以外静まり返る。

雪が降って除雪車が来る前は、雪が音を吸ってここ以外の世界が滅亡したのかもしれないと思うほど静か。ただ、シンと音がない。

里に下りるのも嫌になれば、山のセブンは配達をしてくれる。お弁当は2つから配達可。昼過ぎにはセブンのレジの横にデリバリー予定の買い物籠がいくつも並んでいる。宅配サービスだかを頼むと山を下りることも忘れてしまうのだそうだ。その気になれば本当にな~んちゃって仙人の生活ができる。

山に引っ越してくるような住人の3分の1は人づきあいが嫌いな変人。山でお散歩をしているじい様バア様に「こんにちは」と声をかけても返事が返ってこないことがある。都会での人づきあいに疲れたので、今更もう面倒なお付き合いはしたくないわ、なのかもしれない。

そこまで仙人にならなくてもいい人のためには、山にはサークルもいろいろある。囲碁でも麻雀でもハイキングでも飲み会でもお付き合いを求めている人は好きな分野のサークルで住民交流することができる。ゴルフ場はテッペンと中腹と2つある。お高いものでも町営でもお好きに。

おばちゃんは、卓球を選んだ。
ただこのコロナで活動も停止したり再開したり練習日は安定はしていない。この前、緊急事態宣言が解除されたときに、久しぶりに幹事さんに会ったら、卓球サークルに若い新人が入ったと。
それはめでたいと寿いだら、幹事さんは続けて、若い新人とは実は早期退職の54歳だった。一体うちのサークルの平均年齢はどうなんだ?気になって計算したら平均が「74歳」だったと。

おばちゃんも思わず絶句して、新人さんが平均年齢を引き下げる前ですか後ですか?
“うん。引き下げた後で74歳!”
最長老の先生は去年87歳だったから、早期退職一人ではどうにもならなかった。こんな状態だから、あと10年たつと山はもっと静かになるだろう。

コロナが始まる前年の12月に卓球サークルの忘年会があって、皆さんお年なのでお酒はそれほど召し上がらず和やかにお開きになった。


幹事さんの車に乗り合わせて山に戻る途中、新しく完成した町の火葬場を通り過ぎ、長老がとうとう完成したんか?ここが一番近いから儂はここで焼かれるんじゃな、と感想に実感がこもっていて同乗者一同アハハと同意した。
見晴らしがよくきれいな施設である。高くなければいいが。

山にはいろんなタイプのログハウスがある。薪ストーブを据え付けて山小屋暮らしの雰囲気はたっぷり味わえる。てっぺんに住む弓子さんとお知り合いになっておうちに招かれた。

ログハウスというのは壁と間仕切りを極端まで排除したつくりである。壁で仕切ると、ストーブの暖房が行き渡らなくなるから。


目隠しの衝立のような壁はあるがトイレとお風呂には壁を作ってない。お風呂はストーブと対角線上の端っこにあるので、一番寒いらしい。お風呂エリアに石油ファンが一つあれば寒くなくなると思うのだが、薪ストーブの矜持か?意地か?か導入する気になれないらしい。窓にプチプチを張ると冷えが和らぐよと提案したら実行したようだ。

山に一人住むくらいであるから弓子さんも変わっている。大手の会社に勤め早期退職して女の細腕一本の稼ぎでログハウスを建てた。保護猫と売れ残りのノルウエージャンとしっぽがそそけてセールで安くなったモモンガと暮らしている。

弓子さんも日本の会社で戦ってきた人だから、おばちゃんが話しても引かれないない、素でお付き合いできるからありがたい。

この間の雪はうちでうっすら5センチの降雪。車は冬タイヤで里に下るのは問題なかった。

うちより上にはバスが登って行けずに管理事務所で待機だそうだ。車で里に降りる時、山の入り口が境目になって、警備室の上は雪。下は雨。笑ってしまうほど天気が分かれた。
車の屋根に雪を乗せたまま町を走った。ちょっと恥ずかしい

たかがミカンされどミカン

日本の今この季節というと、スーパーも道の駅でもJAでもミカンはある。ひょいと一袋買って、ああ、なんとう贅沢かなと思う。炬燵に潜ってミカンをつかんで皮をむいて袋の筋を取る。

カリフォルニアのスーパーの売り場の前でどうしようかな、買おうかな、高いかな、12月と1月の寒い時期だけに日本スーパーに出てくるミカン。
薩摩(サツマ)と呼ばれたミカンは甘みが抜けていたり、すっぱかったり日本のミカンにはとても及ばなかった。それでもサツマが出ると正月を思い起こさせて売り場で立ち止まってしまう。味が恋しいわけではない。雰囲気が恋しいのだ。

日本のミカンはアメリカに移植されたときに、薩摩という品種を移植したのか、ミカンと呼ばれず「satsuma」と呼ばれている。カリフォルニアでは多分気候が暖かすぎるのだろう、北部か別の州で栽培されているのかもしれない。2000年前後にやっと市場に出るようになってそれ以前はサツマだろうがミカンはなかった。

ミカンは重心が低くて皮が滑らかで薄く手に持つとずしっとする実が甘くてジューシーだが、サツマは皮がゴツゴツして小ぶりでオレンジみたいに丸くて重心が高い。皮は厚いくて剥きにくい。それでいてオレンジより高額で、売り場で買うか買うまいか悩んだのだった。

正月らしいことはしていないので、まあミカンだけでもと買ってキッチン・カウンターの籠に盛ってみる。日本の冬の果物。日本の香り。食後に一つづ食べようと思うが、もったいなくて眺めているうちに暖かいカリフォルニアの気候のせいで痛んで捨てる羽目になる。
たかがミカン、されどミカンである。

おばちゃんの家ではまだ霜が降りる。
明け方は5度か6度でお昼にやっと10度になりストーブはつけっぱなしだ。山をぐるっと登って降りると熱海、湯河原にでる。駿河湾が見下ろせる斜面にはミカン畑があちこちにあって、のんびりと陽を浴びている。暖かいのか?ミカンの産地だと、霜も降りないのか?

ここでおばちゃんの頭はぐるりとツイストしてしまって、ミカンはあったかい土地でとれる果物でもカリフォルニアでは冬の果実だったな。暑すぎるから北部に植わってたはず。寒い土地の果実。
でも、熱海や湯河原の暖かい土地でこのミカンがとれる。
日本のどこに住もうかと考えてあったかい伊豆を選んだのに山の上は寒かった。一体おばちゃん家は暖かいと言っていいのか寒いっていいのか。
考えると激しく混乱するので、思考を停止する。

日本に生まれて日本で育てば当たり前のことを疑うこともないし、何の変哲もないものが他の国では全く手に入らなくて、さらに日本の常識も通用しないということを経験しない。


おばちゃんの意見では、“当たり前のことが当たり前であるのはおかしいこと“であるのを人類は知っておいたほうがいいのじゃないか?
国連かなんかが音頭を取って、全人類は人生の中で2年くらい別の国、別の気候、別の法律で暮らしてみる”取り換えっ子プログラム”を施行してみてもいいのじゃないかと思う。

そうすれば“切ないミカン”とか“悲哀のナメコ”とか“切望のシャウエッセン”とかの気持ちが人類で共有できる。国際紛争もきっと減るはずだ。当たり前という観念ほど厄介なものはない。

風はまだ冷たいのだが来週はもう3月だ。
なんだかお尻が落ち着かなくなって中伊豆の園芸店まで園芸用土と肥料を買い出しに行った。
山のてっぺんは2週間前に降った雪が道路際に掻き寄せられていて山の陰にはまだ30センチの高さで消え残っている。気温は8度だ。

幹線道路は混むので山道を抜けると修善寺に出る。ここの里ではとっくに菜の花が咲いている。気温は15度だ。川沿いの中伊豆は陽がまぶしくて園芸店の店頭は春だった。
おばちゃんが一番好きなリナリアもネメシアも苗はとっくに出ている。今ここで苗を買っても、自宅の庭にはまだ霜が降りるし、もう一度くらい雪が降るかもしれない。じっと我慢である。

庭はまず冬の間にたまった落ち葉と枝を掻いて、宿根草の枯れた葉を取り除く。伸びすぎている枝を払って痩せてしまった気がする土に、栄養と追加の園芸土を足してやる。今年は何を植えるか計画を考えてウキウキしながら明るい中伊豆を後にする。

地方の行政はあからさまである。
集落のはずれに来ると道はいきなり1車線になってアスファルトの舗装は薄く貧弱になり山の道に入る。山影でいきなり気温が2度落ちた。高度が上がるにつれて気温はシュルシュルと下がって、家に着くと10度だった。
留守にしていた家は冷たく冷えていて、猫たちはコタツから出てくるのであった

二つの故郷

「私が帰る二つの国」 ドウス・昌代(文春1985年)が昭和の末に出版されて
当時のおばちゃんも読んだ。40年近くたっても日米にまたがる人間の事情はさほど変わっていない。

確かにアメリカには次々に日本のビジネスが進出している。現地日本スーパーは日本の品ぞろえに近い商品が並んでいて100均だってできたから、物に関しては不自由ない。なんだったら楽天から転送経由で好きな物を買えばいいし。

不自由がないと言いつつ、選択肢がないのも事実。
南加の日本スーパーの売り場は、いまだに魚売り場がどこでパンがどのコーナーだったか思い出せる。何十年も通ってたわけだから、うんざりしていた気分も同時に思い出す。一番嫌だったのは、アジの干物。日本から冷凍で運ばれたアジの干物は、焼くとどうしても不快な冷凍臭があって、鼻に一撃くる。あれだけは嫌だ。It’s enough!

日本にも家が残っていて、好きな時に2国の家を行き来すのが“いいとこどり”の一番贅沢な2国の味わい方なのだろうが、庶民は働かねばならんのである。

稼いで税金を払って暮らす国と、たまに帰る(あるいは行く)国の日本。いいとこどりどころか、リップ・バン・ウインクルみたいのも珍しくない。子育てだって忙しいし。家族分のチケットを買えば一財産になるのである。
そうそう行き帰りできるかっての。

生活のために働いていると、あっという間に15年は経つ。
15年経つと、子供はアメリカのこどもに育って、日本の従妹とかおばあちゃんに会いたとかも言わなくなるし、日本語の敬語も無理かもしれない。結局自分一人で実家に帰る、骨休めのつもりで。

昔の友達はスケジュールを合わせてくれてうれしい。何から話していいか、生活の違いを面白おかしくべらべらしゃべると、楽しんでいてはいてくれるが、気が付くと彼女の生活とは全く無縁な別世界の話で上滑りしてるな、と心が寒くなる。

何が寂しいか言えば、日本の親友とは、アメリカで起こる問題は相談のしようもなくなってしまう。アメリカで起こるトラブルは起こる理由も処理の仕方も、日本の友達には理解の範囲外だから、愚痴をこぼすにも同感も得にくい。
この辺で40代の後半だ。

アメリカに帰ると、ああ、家に帰ってきたと思う。
けれどこの国が心の底から自分の国とは思えない。端っこにいさせてもらっているだけ。なんでも話す親友はこっちにもいる。同じ外国にいる仲間だから問題も共通で相談もできる。

生活に流されるとまた10年経ってしまう。
まだ、50代でも若いつもり。40代の延長だから。でも60代を過ぎるとリタイアは射程距離に入ってくる。体力的に不足は感じないけどあと何年このままでいけるか?60代後半になったら、健康に不安が起きたら?医療費がネックだなって。

おばちゃんたちの場合は、ビジネスの区切りがよかった。続けるとなるとまた10年契約になる。パートナーのどちらでも何かあると二人で生きるのが大変になるから。自分たちと猫が老後に安心して暮らせる隠れ家を用意しなきゃと思った。

日本移住の手配は大した問題ではない。売り手市場なら家はあっという間に売れる。
問題は心の始末のつけ方。

負ける気がする。日本に帰るのが負けた気がする。アメリカの社会でず~と戦ってきたから。負けたくないって。せっかく取った永住権を捨てることになる。

実際に帰国してみるとなんか肩の荷が下りてしまった。戦わなくていいのがこ~んなに楽だったのか。おばちゃん、いったいどんだけ戦っていたんだよ。と戦わなくなってから初めてずっと戦っていたんだと気が付いた。

アメリカに帰りたいか?と聞かれれば帰りたい。でも、アメリカには黒い土でできた庭と畑がない。四季がない。伊豆の穏やかな芳醇な自然にからめとられてしまって、この庭と離れるなんてできないと思う。

もう、私たちは人生の第三コーナーを回って、ホームに向かってる。
コレステロールの多い食事をしていたから、おばちゃんたちの寿命は、日本の平均余命よりきっと短いと思う。
どこの国でという問題ではなく、最後のゴールに向かってどんな走り方をするかが問題なの。


タコは尻にできるか

お尻にタコができた。
尻にタコができたのは人生で2度目である。
一度目は27か28の時に無職になって2年くらい毎日本だけ読んでいたら、座っていた座椅子のウレタンが尻の形につぶれ、座椅子の形に畳が沈んだ。ほとんど読書廃人である。

今回は本ではなくてラップ・トップを抱えてブログ廃人かもしれない。
朝9時ごろに目が覚めてリビングにでて、朝ご飯のドーナツをつまみながらまずメールの確認である。ドーナツで血糖値が上がると、目と頭がシャキッと覚めるのでワードを立ち上げて、記事の下書きをする。

前の晩、寝つく前に頭の中を走り回っていた文章がうるさくてたまらないので、ワードに取り出す。少しすっきりする。買い物に出ない日はそのまま夜の12時までラップトップを抱え、人間をだめにするクッションに寝そべってコタツに足を突っ込んでいる。

去年のクリスマス前から、この態勢なのでコタツ敷にぺったりついたお尻にタコができた。
年を取って尻の頬っぺたも薄くなってその分、コタツ敷につく面積が大きい。硬くなって、お肌がザリザりになってタコになった。

トイレに行く時と茶を入れるとき、猫と遊ぶとき以外に床から立ちたくない。猫にボールを投げてやると、追っかけはするが咥ええて持ってこないので、おばちゃんが立ってボールを拾いまた投げてやらないといけない。息が切れる。
運動不足もここに極まって、山の冬がもし4か月以上続くならこのまま寝そべったまま再起不能になるかもしれない。

幸い3月には庭が生き返るのでコタツからずり出て、庭の手入れに直立するようになるだろうがそれまでは寝そべる。カリフォルニアの過去の仕事の日々は、横になれるのは1日8時間だけだった。あとはずっと立ちっぱなしだったので、そのぶん今存分に寝そべらせてもらう。ざまぁみろ。

好きなだけ文章を書けるのはありがたい。
ジオシティで日記などを書いていた時に、おじちゃんの会社ネタを書いていいか?と聞いたらば、お前は俺の首を飛ばす気か?と釘をさされて身辺雑記はご法度になった。
もっとも、日系社会は超狭かったから、日本のフリースペースで海外ネタを書いたとしてもすぐ身バレする恐れもあった。詮索が入る環境で当たり障りのないものだけ書くのもつまらなかった。

二人で仕事を始めたら本を読む時間さえ無くなり、書くものといえば英語の業務連絡とGrievanceになってしまいおばちゃんの脳内言語環境内の日本語はめちゃくちゃになった。
家庭内の話しことばの日本語も今から思い出すと、かなり門切り型の決まりきった表現に陥っていた気がする。

それが、平成が終わることに帰国して周りの言語が日本語だけになってしまった。好きなだけ見られる日本のテレビにおじちゃんは夢中になった。いろんな日本語の固有名詞と表現がつけっぱなしのテレビで流れてきて、おばちゃんの脳内の言語回路がゆっくりと息を吹き返し始めたのかもしれない。

庭を造るのが面白くて草取りが楽しくてお花の写真を撮るうちに、文章に残しておきたくなった。フリーブログを借りて、写真をアップし、ぽつぽつと文章を書く。この間のブログのお引越しの時に読み直すと初期の短い文章はとても使い物にならないひどいものだった。

その日本語の文章が変わり始めたのは、去年の夏だった。しゃがんで無心で草取りをしている間に、頭の中を日本語の文章が走り始めた。文面が面白いので一人ニヤニヤ笑いをしながら草をむしる婆は、限りなく危ない婆ばぁだったに違いない。

今でも覚えているがしつこく湧いてくる文章を、ワードで一気に取り出したのが「エンドレスの草取り」、「日本のイチゴは獰猛である

中途半端な文章なのは本人がわかっているので、今更どうにかする気もない。もう時間もないし。おばちゃんはもう人生の第三コーナーを回って、ホームを目指しているのである。十代のころに夢見た文章を書く生活を今実現してそれなりに満足だ。

人気有名ブログなどを拝見すると、華やかな写真にオサレな室内。いかにも豪奢である。おばちゃんのような文章だけのブログは極めて異質だなぁ。通勤電車の暇つぶしにでも楽しんでいただけたらと思う。


引退後の海外移住

Yahooで「リタイア後にマレーシアに移住した老夫婦の悲劇」なんて記事が載っていた。
もし、コロナの禍がなかったら移住(死ぬまで永住計画)は成功していたのだろうか?とおばちゃんは自問するが、どうだろ、。どちらかが病気になった/亡くなった時に日本に帰国したんじゃないかと思う。

おばちゃんたちより数年前に日本に帰国していた古い友達は、マレーシア移住計画団?に携わっていて、おばちゃんもマレーシアに行かない?って誘われましたわ。
いやぁ、帰ってきたばっかりだし。マレーシアは知らないし。

海外移住の仕方は知っている。
もし、会社勤めで今度はマレーシア、これが最後だから3年お願いって言われたら。3年は暮らすかも。10年は困る。10年後だと、日本に落ち着き場所を作るのが遅くなるから。

実際、このマレーシア移住推進団体ってどうなのよ、。とちょっと調べてみたら、いくつかあって、マレーシア政府も肩入れしている本気の移住の場合は、参加年齢の上限があった。

若い日本人に来てもらって、マレーシアを開発してもらって子供もマレーシアの子として育ってもらって、と自国を別の国の人に開発してもらおうという意図が見えた。ふ~ん。
これは本気の移住なんで、老後にヤシの木陰で昼寝がしたい人向きではない。

別な移住計画では、これはリタイアの人用だと思うけれど、永住権を与える条件として現地通貨での預金を要求してくるのね。現地通貨で最低限500万日本円を預金してもらうとか、その他資産額だとか、年金額がいくらだとか申請条件がある。

移住計画では、現地の生活費は日本に比べてどのくらい安いかとか、お手伝いさんを雇えるとか、日本のお医者さんもおりますとか、いろいろ夢をあおってくるのね。ヤシの木陰で昼寝の夢を見ましょうってわけね。

例えば現役時代に2か国くらい駐在経験がある夫妻が、10年くらいの期間限定でマレーシアとかシンガポールとかフィリピンに暮らすのはありかなと思う。

でも70代以降には体のメンテがいろいろ必要になるし、日本人の医者がいますから、って信じちゃいけない。
アメリカでさえ、日本人の医者はいたけど、心臓外科、脳外科って全科目いるわけでなし。いざややこしい病気になったら、日本に帰って入院するかって、よくあることだからね。マレーシアの現地の病院にどれだけ医療器具がそろっているかもあてにならない。

そういう外地事情を知らない人、海外生活をしたことがない日本人で、それも70代夫妻がいきなりマレーシアに移住しちゃった!って、無謀だと思う。

おばちゃんなら、500万円を現地通貨で銀行に入金!ってとこで、まずレッド・フラグだと思う。

リンギット!?なにそれ、強いの?美味しいの?
絶~対いや。ドル口座ならまし。億単位の資産を持っている人なら、はした金だろうけど、リンギットの預金を言い張るならこの話はなしね。

でも、この老夫婦の場合は、それが永住権の要件だから預金してしまうのね。手持ちの資金でアパートだかを買って、運用しようとした。ところが、コロナでマレーシア経済もあえなく沈んで物件は売ろうにも売れないし、リンギットも大暴落。奥さんは日本に帰国して、70代で離婚だって。

70代に永住・移住を進めてしまうって犯罪でしょう?乗っちゃったほうもヤシの木に憧れすぎ。
その国に子供もいなくて、夫婦二人だけの場合、どちらかが病気したとき、あるいは亡くなったとき、外地で暮らすのは無理があるよ。初めての外国で。


資産を手放しちゃだめだよね。日本の家は貸して、10年のロングステイで昼寝を楽しむだけで十分だったのにね。


町のイタリアンと味のクオーテーション

日本の地方都市で切実に求められるのは、ハンバーグが出てこないイタリアンと昭和でないパン屋さん。
山の上のレストランのスパゲッティは普通だったので、町のイタリアン・レストランも普通だと思った。三色の国旗が掲げてあれば、イタリアンだと思うよね。

田舎のレストランは女子会かママ会が多いのか、スパゲッティがあって、ハンバーグランチがあってオムライスが出てくるのである。

いつ見ても駐車場がいっぱいなイタリアン・レストランでスパゲッティを頼んだら、
「アルデンテなんで、早く食べてくださいね、伸びるから。」と言われて驚いた。蕎麦屋じゃあるまいし。

食べると芯があったのである、ポキポキと。
固い。モソモソする。生まれて初めて、ポキポキする芯があるスパゲッティを食べた。

さらに驚いたことには、ほんとに時間がたつと伸びるのである。芯があったくせに腰がなくなってクタとなる。

目を丸くして芯があるよ、伸びるよ。
おじちゃんは私がパスタをオーダーすると凄く嫌な顔をする。パスタのゆで加減について文句を言うので、また始まったかと。

しかし、このスパゲッティは問題外。
Laguna BeachのArt Festivalの最中のビーチのレストランで、カッペリーニを頼んだら、真っ二つに麺をへし折ってゆでられてそれもフナフナでくっつきあった麺が出てきて、殺意が沸いて以来。

何か非常な誤解があるのである。この日本の地方の町では。
多分「アルデンテ」という単語がキーだと思う。

都会の人が集まる料理の激戦区から遠く外れたこの町では、アルデンテという言葉が料理の教科書とは別に独自に独り歩きしたに違いない。

麺の中心に糸一本を残して茹で上げて「アルデンテ」で、ソースと絡めて麺に完全に火が入る、デュラエモリナなら。

ところが、このスパゲッティはお客のテーブルの上でアルデンテなのだ。じゃあ、キッチンでゆで上げたときはマッチ棒くらい生があったのか、。それはちょっと、いや大分違うだろう。

麺のクオリティも相当低い。スーパーで売っているあの赤い包装のマ〇ー、純粋日本製の小麦粉スパゲッティだと思う。

青い包装のディラセモリナ粉でできたパスタなら、ここまで身を持ち崩してフナフナになるはずがない。

だけど、アメリカのレストランではフナフナ麺が出てきたではないか?
そのとおりである。あれは、バイトをしている女の子に理由を聞いた。

営業時間が始まる前に一遍ゆでておくのだそうだ。それでオーダーが入ったらもう一度茹でる。アメリカ人はアルデンテなんて気にもかけずフナフナで十分だから。ちゃんとしたイタリアンは最初からキチンとゆでる。

あまりにもショッキングな経験だったので、あちこちの3色の旗が出てるお店に行ってみたが3回に2回ポキポキのマ〇ーが出てくるので絶望した。どうしてサ〇ゼリアにできて、町のイタリアンにできないのだろう?

話は、脱線するが
おばちゃんがサイゼリアをほめるのは、これ以上原材料を落としたらみすぼらしくなるお料理を、ギリギリ手前で踏みとどまって、
最大公約数の満足をさせる味付けへ変身するサーカスみたいな芸が成功しているから。
サイゼリアが作り上げたこのビジネス・モデルがすごいと思っている。

値段が今の2倍なら奇跡のサーカスではなく、やる気のないただのファミレス。アメリカに持ってきても、人件費材料費など諸費用の点で絶対に日本と同じにできないので、今のところ日本だけで咲いている世界で一つの花?

味と値段のクオーテーションがある。
クオーテーションが正しければ、客は満足する。えっ?そんなものがあるの? うん、おばちゃんが今作った。

例えば普段に食べるS店のペペロンチーノがワンコイン500円とする。
有名シェフが厳選したイタリア直輸入のスパゲッティとオリーブオイル+日本の最高級のニンニクを取り寄せて、腕によりをかけて作ったA店のペペロンチーノ2500円とする。

A店2500円はS店の500円の5倍だ。味も純粋に5倍おいしいかというと、5倍にならない。
一流店でも2.5倍くらいではないか。これが5倍なら本当にすごい。おばちゃんは、常連さんになる。

ところが実際の味の倍数はせいぜい2~3倍。これはおかしくないか?
値段の半分は純粋に味を構成する素材以外の付加価値から成り立っている。

シックな店の雰囲気・内装、こぎれいなウエイター、広告費、シェフの生活費に付加価値分が回されるから。

おばちゃんは、お正月の番組の「格付けチェック」を見るのは2回目だったけど、あれを見れば人間の「舌」なんて店の雰囲気とメニューの能書きで何とでもなるとよくわかる。

このクオーテーションの倍率が正確であれば、人の満足は大きくなる。
人が普段行くS店のメニューPを基準にして、別の店の味が2倍増しで、値段も2倍に近ければかなり上出来。

今日は付加価値(ゆったりした雰囲気)にお金を払いたいと思えば、C店。
クオーテーションは技術サービスのビジネスでも使えるから、基準の店を決めれば、エステやネイルサロンに自分が一体何にお金を払っているのか、本体の技術か付加価値か?一遍見直してみると賢い消費者になれるのではないか。

サ〇ゼリアに戻ると、何の能書きもない当たり前の素材で当たり前のシェフが料理して、7割の客に8割の満足を与える芸がすごいのだ。おばちゃんは料理をほめていない、芸をほめている。

ここは地方都市だけど、美味の国、日本に帰国してきたのだ。ハンバーグが出てこなくてキッチンでアルデンテのスパゲッティが食べられるイタリアン・レストランがどこかにあるに違いない。おじちゃんと捜索中である。

カラムとは俺のことかとカラム言い

インドおばちゃん

お向かいの中野のおばちゃんとは、妙に馬が合っておばちゃんが中野に帰った後も、電話で長話をする。最初は、庭の垣根の向こうからお隣のおばちゃんが、こんにちはと声をかけてきた。

おばちゃんもこんにちわ、初めまして~。と言うと
中野のおばちゃんが、「どちらからいらしたの?」と聞くので、
「アメリカです」
「まあ、アメリカのどちら?」
「カリフォルニアです」
「カリフォルニアのどちら?」
「南ですLAとサンディエゴの間」
「そう?うちはニューヨークだったの。7年。姉がサンフランシスコ」

山のあいさつは、どちらからいらっしゃいました?なのだ。住人のたぶん9割は他県からの移住者である。

おしゃべりをするうちに、中野のおばちゃんは、現上皇后陛下が卒業なさった学校の出身だということ。クラスメートは、ちょうどその時代、上皇のお相手の年代の子女だったので当局からお声がかかりそうな人は卒業もやめて慌てて結婚したのよ。と言っていた。

仲のよい友達の一人は静かで控えめな人で、インドの貿易商と結婚したのだという。その親友が60年の時を経て、近くに引っ越してきた。

ご主人が現役の時代は、フィリピンやインドで暮らし、リタイアした後九州に住んでいたが、ご主人が先日亡くなって一人で広い家に住むのもむなしく、中野のおばちゃんの別荘にしばらく滞在していた。

一人娘はでっかいワンコたちと箱根の邸宅に住んでいるので、近場のこの山を気に入ってしまい、でも庭なんかいらないから、もっと暖ったかい便利な熱海に物件を買っておいて、。と中野のおばちゃんに買い物を頼んで自分は九州の家に帰った。

インドおばさん、お庭がお好きなんですか?
「この前うちにいた時は、あなたよくそんな汚い土に触れるわね?って言ってたわよ。九州やインドの館に庭があったけど、人にやらせていただけよ。虫なんか出てきてよく我慢できるわね、気持ち悪いですって」
あ~ら、まあ

それでも中野のおばちゃんは張り切って 物件を探しては写真を送るのだが、狭いとか、収納がないとか贅沢をいう。

「んまー、私も娘からわがままって言われますけど、彼女はお気に入りの家具が全部入る物件じゃないと嫌とか、看護婦のためにベッドルームがもう一つ欲しいとか、ホントに好き放題言うのよ。学生時代は控えめな人だったのに、結婚してからそりゃ変わったの。」

「静かな人だったに、んま~よくしゃべるわよ。そりゃ、インド人のご主人も人をもてなすのがうまくて、ずっとしゃべりっぱなしで愉快な人でしたけどね、。そのご主人そっくり。ホント言うとね、時々うるさい」

あ~、インド人のおしゃべりね。わかります。ほっとけば機関銃みたいにしゃべってますもんね。口を挟まなければずーっと相手の好きなように持ってかれますもん。自分の言いたいことやりたいことがあれば、対抗してしゃべらないと。
長年夫婦だったから、そりゃおしゃべりになりますわ。

「ほーんと、もうインド人になっちゃって、ご主人みたいにインドは世界で一番素晴らしい国だとか、インドのここが素晴らしいとか、彼女もインド人なんだから」


中野のおばちゃんが見つけた物件で納得したインドのおばちゃんは現金購入してクリスマス前に引っ越しが決まった。

中野のおばちゃんがエプロンをもって引っ越しに立ち会うと、あなたはどうせエプロンなんか用意してないから私が2人分持ってきたわよ。」


「エプロンって何よ、って言うのよ彼女。ひどいわよね?」
「エプロンですか?私も持ってないですけど。」
「あら、いやだ。ここにもおかしなのがいたわ。彼女はエプロンなんかつけやしなかったわよ。みんな人にやらせるんですもん。ついてきた看護婦さんにもあれを持って、ここに入れて、ここに運んで?てそりゃぁ人を使うのがうまいわよ。」
ほお?

その晩私も泊まってお風呂をいただいて上がったでしょ。そしたら彼女が、お風呂上りって昔そんなことをしていたわね。って言うの。ほら、浴室に小さいタオルを持って出るときに体をふくでしょ?

ちっちゃいタオル?えっ?何のためです?
何のためって体がビショビショだから水気をとるでしょ?彼女はバスタオルを直接体にまくのよ?
えっ?
ぇっ?はぁ?
バスタオルを直接巻いておかしいですか?浴室の中で体を拭くんですか?バスローブを着れば簡単でしょ?

「はぁ、ここにもおかしなのがいたわ。ええっとね、家族が沢山いるとバスマットもびしょびしょになるから、浴室でちっちゃいタオルでまず水気をとるのよ」


お~、なるほどわかりました。

「やれやれ、あっちこっちに日本人じゃないのがいるから。うちの娘だって小学生の時は学校でちゃんときれいなお辞儀をしつけてもらったのに、ニューヨークで7年いる間にお辞儀のマナーを忘れちゃったのよ。ホントにねぇ」

今まで人にやらせていたので自分ひとりで生活できるかどうかわからないから、近くにもう一人昔からのお友達がいて熱海は長いから、インドおばさんの面倒を見てくれるように頼むわ。時々クルーズに出かけて日本からいなくなっちゃうけど。今はコロナだから多分ずっといると思うし。

それから「白洋舎」があるかどうか探してくれないかしら?
「白洋舎」ですか?
そう、彼女は絨毯をクリーニングに出したいんですって。
白洋舎じゃないとだめですか?材質と大きさはわかります?
「あれは、ペルシャじゃないと思う。パキスタンかベルギーかしら。ウールと何かの混紡?絹のペルシャならすぐわかるから」中野おばちゃんはニューヨークの後に、エジプト駐在でペルシャ絨毯を買って帰国したのだ。

それで、夕べ中野のおばちゃんから電話がかかってきて、
ねぇ、インドおばちゃんは熱海クルーズおばさんからパン屋さんだとか、美容院だとかいろいろ教わっているみたい。ところがこの間やってくれてね。

熱海クルーズおばさんが言うには、
「一番いい針治療のクリニック施術者を紹介してください」っていきなり言われたそうよ。電話番号を教えたら自分で行ったみたい。

「一番いい針治療」って聞くのはどう思う?
それでまだ先があって、先方の針治療の先生?が言うには、インドおばちゃんは施術者がガーゼのマスクをしているの見て、不織布のマスクをしてください。って言ったらしいの。

ねぇ、どう思う?インドおばちゃん、ぶしつけで失礼じゃない?

はあ、インドおばちゃんですもんね。Self centralの人ですから、自分のリクエストははっきりしてるので、そのまま言ったまでですよね。リクエストをして相手が不織布してくれたら要求が通って満足ですから、言ったもん勝ち。

相手は客商売だから、よほどの非常識なリクエストでない限り要望はある程度聞くと思いますが。日本人の客商売の人って、気は優しいですよね。

そうお?言ったもん勝ち?
でもねぇ。“一番いいの“を紹介しろって、。不織布のマスクをしろって、上皇后陛下の母校の奥ゆかしいはずの生徒がインド人になっちゃって。

インド、パキスタン、中近東――あの辺の人は、人間のカテゴリが少ないですよ?
なに、人間のカテゴリって?

つまり、一番大事なのが自分の“血“がつながった家族、それから親族、友達、商売相手、仲間なんかが、対等に付き合う人間。それ以外は使用人か敵。相手のサービスに金を払うなら、使用人カテゴリでしょうね。

もし、インドおばさんを紹介してハリ治療の先生とか親しい美容師の気を悪くしたくなかったら、あらかじめ根回しをしといたほうがいいかもしれませんね。インドおばさんは悪気はないんだって、。習慣と文化が違っちゃっただけって。

おばちゃんも、役場だとか銀行だとか質問をしているだけなのに、クレームとか受けているみたいに、相手の顔が引きつっていたり、引いていたりするのにたま~に気が付くので、人のことを批判する資格はないかもしれない。

疑惑のガソリン

ジョイスがあそこのガス・ステーションは何かおかしいという。ジョイスはそのころ早朝のエクササイズのクラスをとっていて朝5時半にメインストリートを通るのだという。すると茶色一色で車体にロゴが入っていないボロッボロのタンクローリーがガソリンのサプライをしている場面に出くわすのだという。

美食の国

日本の食べ物はおいしいねぇ!
とちおとめを初めて食べて、漫画のように目が点になりその後ハートになったわ。コンビニ・スイーツでさらに衝撃を受けて、そのあと値段で驚愕して日本は大変なグルメな国だったんだと再発見した。
「苺娘」がアメリカで販売されたら、ケーキ屋さんには行列ができる。グルメだったデービッドやTに食べさせてやりたい。オイオイ(泣き)

この前、地味な見かけのピスタチオ・プティングを見つけて、これはおいしいのではないかと直感で買って、案の定飛び切りの美味だったのでコンビニに行くたびに探す。イオンでも探したのだがお目にかかれない。たった143円だった。日本の味のレベルはすごい。

レストランで一番驚いたのは「す〇や」と「サ〇ゼリア」。人に話すと馬鹿にされるのでここ書く。
この“人に話すと馬鹿にされるチェーン店”の味の水準は、アメリカで超えるものはほとんどないのだ。
入った客の7割が満足し、食べてさらに8割が納得して、支払いで10割が満足する「す〇や」。こんなレストランはアメリカで金輪際あるもんか。

ちょっとショッパめ「吉〇家」はアメリカにもファースト・フードレストランの「Beef Teriyaki Bowl」を出していいるが、日本人に完食できるかどうかわからない。

炒めた牛肉とゴリゴリの湯で加減のブロッコリが、めっちゃ甘辛いネトネトの餡が絡まって、時にぐしょぐしょのご飯の上にかかっている。

アメリカの普通の家族用イタリアン・レストランのパスタは大抵ふなふなでコシがない。イタリア系の経営者のイタリアンに行くと、ちゃんとしたパスタが食べられるが、値段はサ〇ゼリアの4倍くらいだ。それも探さないとどこだかわからない。

「サ〇ゼリア」でドンぴしゃの湯で加減のペペロンチーノを生まれて初めて食べて、本当に衝撃だった。アメリカのイタリアンにペペロンチーノはなかったから。

麺の質と湯で加減とシェフの味加減がばっちり出てしまい、さらに「肉」が入っていないパスタはアメリカで売れないだろうから。

ディアボロソースだっけ?アメリカ人なら瓶で買うから売ってくれって言うね。
それで、お会計の時に3度目のびっくり。これだけ食べて二人で2000円でおつりがくるの?チップも要らないの?

まぁ、なんと美食家の天国みたいな国。
おばちゃんは心底感激していたので、オリンピック・ボランティアのセミナーで「海外からいらっしゃった外国人に日本のどんなところをお勧めしたらよいか?」というトピックで「サ〇ゼリア」と「す〇や」を力説した!

グループのボランティアの皆様は、きっと普通のお育ちだったと見え、最初はあきれて、次におばちゃんを「憐み」最後は何を言ってるんだろうこの婆さんはという困り顔が悔しかった。

アメリカではまず、「食える」かどうかが問題で、「味」と「値段」ははるか先にある哲学的な悩み。
遠出して、知らない街で周りにアメリカのファミリーレストランしかなかったら、まず魚料理は排除する。焼きすぎか味がついてないか、生臭いから。

ビーフはアメリカでも高いが安ければ固い。高ければ噛み切れるけどしょっぱいか、味がついていないか焼き過ぎ。
残るのはチキンだけど、フライドチキンは下手をすると口の中を怪我をする。固くて粉も多めのバリバリに揚げてあるから。結局サラダと、ピザを頼めばお腹は膨れる。サイコロのロゴがついたピザはまずい。

だから、おばちゃんとおじちゃんは普段ハンバーガーを食べない。In & Outは別だが、。
どうにもならなくなったときにハンバーガーを食べるしかない時が多いので、普段は食べないようにしておく。

美術館と博物館はかなり高い確率で食べられる選択肢が全滅し、バーガーしかなくなったりするのだ。
ただ、ゲッティ・センターは味はどちらかというとマシ。値段は5割増し。ゲッティ・ビラはうまい。値段は市中の倍。

冷凍のホウレンソウとピザはまずいが、「サ〇ゼリア」「す〇や」は日本の宝だと思う。感謝しないといけない。アメリカから「普通」のアメリカ人がやってきたら、この二つのレストランに連れて行けば喜ばれると思う。


人に直接言ったらまた馬鹿にされた。
「サイゼリア?」貧乏人?舌が貧しいの?美味しいものを知らないの?
おばちゃんは悔しい。ミシシッピとは言わない。アリゾナかコロラドに3か月くらい島流しにしたい。

朝はドーナッツで始まる。昼はバサバサのパンのサンドイッチか、ギトギトのピッザ、バーガー。白いご飯?無いぞ。クタクタのパスタに生のブロッコリかゆですぎたブロッコリ。醤油をかけてもなんともならない。
シーフード?あなたの思っているシーフードは存在しあい。エビか鮭が食べたいの?それ以外のシーフードって何?
砂糖のアイシングでネトネトのペストリー、甘すぎて歯にしみるケーキ。さっぱりしたものが食べたいって?サラダとスープね。マカロニ・チーズ食べる?

3か月くらいで息も絶え絶えになったら、サイゼリアに行ってよし。きっとオイオイ泣くから。たかが3か月じゃん。軟弱!おばちゃんたちその100倍以上居たから。


コタツよ永遠に

コロナでリモート暮らしを選んだ人はご存じだろうが、田舎暮らし、それも山の一軒家は湿気るだけでなく冬は寒い。
山は景観がいい崖地か、安定の平地で隣の家の屋根が見える場所。家が建つ場所は二者択一である。

おばちゃんは庭があるのを選んだので、がけ地。そんなに急な斜面でもない。どちらかというと高所恐怖があるので、飛び降りて足を折るくらいの高さなら大丈夫。
だから斜面に段々を作れば庭も作れる。ただし、家の半分は斜面に乗りだして立っているので、床下は空気。冬もシミシミとした冷たい空気。だから床下から冷える。

絨毯を買って、寝室からリビング手洗いまで引くと猫も絨毯の上しか歩かない。

最初の冬は雪が数回降って、猫も人間も震え上がった。
どのくらい寒いかというと朝にはベッドルームで吐く息が白い。首から下は羽毛布団で、ぬくぬくしているが鼻が凍れる。ナナちゃん、生まれて初めておねしょをした。猫のトイレはベッドルームにも一つあるのだが、あまりの寒さにお布団から出るのが嫌で、一緒に寝ていたお布団の中でやってしまった。

これは、おばちゃんも大ショック。
何とかせねばならない。もともとカリフォルニア育ちで、帰国して気温が20度を切るとおなかを壊すようになったから。寝室を温めないと。

ここで厄介なのは、おじちゃん。
とにかく目ざとい、耳聡い。ファンの音がするのは嫌。風が来るといや。匂いがするのは嫌。

それじゃあ、オイルヒーターしかないやんけ。それでデロンギのオイルヒーターを買って、寝室に置き襖を締め切りに近くするとあったまる。電気代が高いというので、買うときに質問したら24円/時間だという。一晩200円か。

次の月に電気代の領収書を受け取って開いたら、これまでの人生で見たことがない5桁の数字が並んでいて、領収書を持ったまま固まった。
カリフォルニアの家なら全力で24時間ACをつけっぱなし、毎晩ご飯にオーブンでチキンの丸焼きを作ってさらに、毎日洗濯乾燥機をぶんまわすとこんな金額になるかもしれない。
日本の電力基本料金はアメリカの3倍になるから、昼間はコタツがつけっぱなしだったしな。

さて、おばちゃんはまた考えた。
保温をするにはどうしたらよいか?熱が逃げるところはどこか? 窓。

景観を味わうお家の作りで、ちっちゃいくせに家には12個の窓がある。
窓際に立つと空気ははっきりと冷たいのがわかるのだ。
すべての窓を断熱ガラスに取り換えれば保温に効果があるだろうが、コストパフォーマンスに人生の指針を切り替えたので代替えの策を考えた。

里のホームセンターには様々な防寒用品がある。目を付けたのは、ウレタンの屏風のようなパネル。普段は窓の両脇に畳んで置き、夜は繰り出して寒さが和らぐ。ちょっとだけ。

パネルを伸ばしたり畳んだりしているときにピカリとひらめいた。おばちゃんは雨戸を引き出すと裏側からパネルをあてがってみた。やっぱり!サイズがピッタリ!
うれしくなって、ホームセンターでパネルを買い込んで、すべての雨戸の裏に張り付けた。さらに断熱効果が抜群であるという窓にはる透明なビニールシートを買い小窓を残して窓に張った。
比較に100均で買えるエアシートも張ってみたが、効果はほとんど同じ。
夕方冷え込み始める時間には雨戸をしめ、さらにウレタンシートの屏風を伸ばすと格段に保温効果が上がった。

寝室のデロンギをかたづけ、寝具も毛布が一枚に羽毛布団だけで十分な温かさになった。

さて、リビングの暖房器具はファンヒーターである。それも灯油タンク90リッター外付けのファンヒーターで朝起きた時から寝るまでつけっぱなし、。それにコタツ。

ああ、炬燵・コタツ!この暖房器具は天才日本人の究極の発明だわ!
人間疲れて帰ってきた時、アームチェアにオットマンを足して、どかっと座っても、カウチにごろっと寝っ転がってもなんだかもう一つ体が弛緩しない。いまいち体から最後の緊張が解けないのである。

ところが、コタツは違う。
寝そべる。基本床に寝そべって、ごろ寝体制。
半身起き上がるにも、ビーズクッションから。
この人間をだめにするクッションという名前にまずほれ込んで、日本から輸入しようとしたのだけど、商品より高い送料にあきらめていたクッション。

引っ越してコタツを仕立てて、人間をだめにするクッションを置いて、ずっぷりクッションに潜って寒い時はそのままこたつに潜って、緊張という緊張はなくなった。怠惰。ああ、幸せ。

キリッとまなじりを決して戦う生活は終わったのである。人生は別のフューズに入ったのである。戦士は山の隠れ家にこもって日々ラップトップを置いて好きなことをしてよいのだ。おばちゃんはこの先、少しづつ欲を捨てて仙人になるつもりだ。

ただ、いまは一つ欲しいものがあって、それはマジック・ハンド。
コタツから出たくないので、ティシュでもミカンでもなるべくマジックハンドで取れるものならみんな取りたい。


帰国してぶつかる逆カルチャーショック

逆カルチャーショックの定義とは

ホスト国の文化や生活習慣に慣れた後に自分の国へ戻ると、その現実に溶け込むことが大変だと感じる。ホスト国にいる間に、留学生の多くは、自分の文化的アイデンティティーを再度模索したりする。

★逆カルチャーショックとは、海外生活を終えて自分の慣れ親しんだ環境(文化圏や国)に戻ってきた者が経験する、自分の文化への再適応に伴い感じてしまう驚きや戸惑いのこと
逆カルチャーショックの起きる原因は、自分の帰る場所が『HOME』ではないから

――――な~んだって。
留学生や駐在員が経験する逆カルチャーショックなのだそうだ。

おばちゃんとおじちゃんは社会人として、日本で暮らしたよりアメリカでの社会人経験のほうが長かった。生まれた故郷を捨て海を渡りアメリカのどこで死んでも結構、散骨してOK。

ただ、余生を暮らすにしてはカリフォルニアは高すぎ、オレゴンやシアトルの気候は素晴らしいとも思えないし、アーカーンソーで凍えて暮らすのはまっぴら、そうだ!老後を暮らすなら「日本」という州もあったな?!というケースである。

慣れ親しんだ環境?Home?
おじちゃんの同僚のテリーさんは不法滞在の挙句、ベトナム戦争中に市民権プログラムに参加してアメリカ市民になった人だった。日本人の文化とか常識とか習慣はとっくに捨てちゃって、日本人とかの定義もどうでもよくなっている人

自分が日本人であるということがどうでもよくなっている場合、どこで暮らそうが日本人かどうかとか文化とかは関係なくて、どこが暮らしやすいかどこで暮らしたいか?という問題ではないだろうか?

おばちゃんたちは、テリーさんほどアメリカ人ではないが、リタイアのために「日本州」に引っ越してきた。血縁地縁もまったくない電車で降りたこともない地方カウンティ。

自分たち半外国人に住みやすそうなポイントを考えて州を選んだ。違う州なんで習慣や考え方が違っているだろうとは予想できるので、なるべく地元の人の迷惑にならないようにカウンティ地元でもよそ者が住む場所に家を買った。

最初に移住したときに違う国の常識にぶつかってびっくりした経験則と対処法はしっかり蓄積されている。日本州の考え方が違うのは当たり前だと思っている。帰国者が「ホーム」に帰ってきたと思うから、違和感のあまり適応障害で鬱になったりするのだろう。

CA州では簡単だったのにね。とか日本州ではここが不便ねとか、そんなことは山ほどある。しかし、違う州なので州の常識があるのだ。
日本州のいいところは取り入れる。
コタツというのは秀逸な暖房器具・家具だわ。おばちゃんと猫は惚れ込んで二度と手放せない。食べ物もおいしいわ。食に関してアメリカは後進国よ。

アメリカでは日本語放送のCMで「あなたの中の日本が不足していませんか」とか言われると、ああ、日本の温泉というものにもう一度は入って見たいなぁ、とずっとあこがれていて、帰国して何十年ぶりに町営の温泉大浴場に入ったときは冷汗が流れるほど困惑した。

何をどうして、どこから始めてよいか全くわからなかった。そこはそこ、アメリカで修羅場にあったことはいくらでもあるので、まず人の観察をする。
なるほど、まずロッカーを確保するのか、次は脱いでロッカーに入れる。裸で大浴場に入ると、。
そこは、学生時代に行ったことのある、銭湯だった!

ピンク色のトドやオットセイが湯舟の波打ち際に乗り上げて、憩っている。温泉は1度で充分であった。温泉を娯楽と思う感性はおばちゃんにとっくに失われてしまっていたのだ。

地方の自治体の手続きというのもなかなかスリリングだった。こちらが専門用語・日本語がわからないので、窓口も困惑しているのだが、何せ手続き文書の日本語が日本語なのに意味不明という説明不能な状態なので聞くしかない。

申請書に申請理由を書いてください。と言われても日本語はもう手で書けないし、コンピューターのキーボードがなければ無理よ。それでも紙に書けと?わずか2行の理由を何分かかけてちびちびとひらがなが多い申請用紙が完成した。

いろいろ疑問に思うことがあるが日本州地方カウンティに怒ったりしない。

地方自治体のシステムにチャレンジすること自体が賢いとは思えない。相手が何を要求しているのか、相手のルールに従って、要件を満たすことが生きていくことの一番の早道。

よその国のシステムが不満なら自分の国に帰る。世界で共通するポリシーだね。

脱線するけど、移住したのに子供に兵役につかせるのは嫌!って理屈は通らないよね。ブラジルにすればよかった。

おばちゃんが知り合ったブラジル人留学生は、若いのに兵役はいかなくていいの?って聞いたら徴兵リストから外れたからいいんだって。ラテン系のお国がらで、毎年徴兵を募るとき、姓名のAからとっていくので、アルファベットの後ろの姓は定員が埋まって、永遠に徴兵が来ないんだと!いい国だろう!って笑ってた。

本題に戻る。

外国人が他所の国に好きで来て、生活が苦しいから生活を保護してくださいって、世界中で受け入れにくいでしょう?迷惑じゃない。自分の国でまず保護しないといけない弱者がいるときに、外国人まで面倒みられません、とりあえず自国に帰ってみては?と言うのは当たり前だと思う。

日本州の地方カウンティ人というのは、話すときにまず相手が男性か女性かが重要な要素らしいというのは驚いた。だいたい、車関係とか建築関係に多い。

やたらぺこぺこ頭を下げるのはおばちゃんたちには少し無理かも。
頭を下げるときは後頭部にかけて防御が困難になるから、人様にはなるべく晒したくない。

おばちゃんの長い経験をいかせるなら、地方カウンティのお役に立ちたいと思いボランティア活動に応募したことがあった。

CAでは警察にボランティア登録制度があって、英語がよくわからない同国人のために通訳サポートをするシステムがあった。登録をしておくと、警察から拘束されている同国人の通訳などをするボランティアがあったのだ。

おばちゃんは、この地方カウンティの国際交流ボランティア例会に出席してみたら、そこではどこかの短大の講師が「外国人と一緒に暮らすとはどういうことか」とかの講義があって、グループに分かれてディスカッションをしましょうと。

例会の最後には町で暮らしているベトナム人の女の子に「日本人にいかにお世話になったか、私の幸せな日本体験」の作文を読ませた。
むろん、出席者全員であったかい拍手をするのである。

おばちゃんは、英語でサポートが必要な外国人のためにお役に立てるようボランティアにお応募するつもりだったのに、外国人が少なくサポートの需要もまだないのだった。



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