移住5年目の春

Photoshopはおばちゃんのお気に入りのソフトなので、チラシもポスターもこれでデザインしていた。キャンバスのどこに何を配置してレタリングをどこに持ってくるか、何色がふさわしいか。タテ・ヨコの話

それがお庭の園芸になると、タテとヨコに奥行きと高さが入ってくるわけ。背の低いお花は手前に背が高いのは奥に。ど素人もこのくらいは分かった。

ところが、園芸はさらに時間を考えないといけないのよ。
3か月後に手前のお花と後ろのお花がどう育ってるか想像しないといけない。この手前のダーラは15センチくらいでこじんまりおさまるはずだったのに、意外と横に這っちゃうとか、シロタエギクが大きくなりすぎて一番後ろのデルフィニウムが隠れちゃうとか、そこんとこをよく考えて春植えないといけない。ああ、複雑!

そしてさらに日当たりと温度と土壌
陽が当たっていい植物と枯れちゃう植物がある。園芸店で売っている苗のラベルには日陰、半日蔭、陽なた、って書いてあるからそれを参考にする。でもうちの日影がどのくらい日陰なのかわかんない。西日ってのはどうすんのさ。植えてみるしかわかんないじゃない?

そのうえ、温度
これは苗を買う時の温度じゃないから。
宿根草だとして、真夏の一番暑い温度と、真冬の寒さ。うちの庭の真夏の暑さに耐えられるのかしら?半日陰に植えたら真夏も大丈夫?

気温5度というのは冬越しできるかどうかの境目らしい。うちの庭は冬は霜が降りるし、たまに5度以下にもなる。根だけで生きていけるのか。それとも株を掘り上げて軒下で春まで活けたほうがいいのか。種を落として次の春にまた出てきてくればいいのだけど。

それから大事なのは、
NHKの園芸王子も言ってたわ。風通しが大事って。
あまり込み入ったところに植えると、風が通りにくくて雨が続くとカビが生えちゃってダメになることがある。ムレちゃうと腐るのよ。ブルーデイジーが好きなのに、うちの庭じゃどうしても育たないのよ。だから風通しは大事。

この風通しは、植えるときの風通しじゃなくてその苗と周囲の苗が育った後でも風が通るかを考えないといけない。
あ”~預言者にならないといけない。

お花のも大事。
うちの日陰だと緑が濃くてお花の色が深い色だと沈んでしまうのよ。日陰には斑入りの明るくしてくれる植物が欲しいわ。

おばちゃん、土壌をわすれただろうって?
土壌?素人上がりのおばちゃんはまだ土壌まで頭が回らないのよ。どのお花にはどういう肥料がいいのかって、そこまで覚えきれないわよ。しらん。

台所の生ごみを発酵させて作った自家製肥料をやってみたり、秋の落ち葉を集めて腐葉土を作ってみたり。どれがどこにいいか正直わかんない。窒素?リン?カリュウム?
知らない、わからない、ほっといて。

発酵牛糞とかその時ある肥料を一律全部庭に施しちゃうから。お花から好き嫌い言われても困るじゃない。
一応、栄養なんだからさ。これは嫌いとか、窒素が多すぎとか。贅沢は言わないで。おばちゃん、もう全員の都合は考えきれないから。

ウチんちのムスカリはみんな葉っぱが細ネギみたいに長いのよ。
スパゲッティみたいに地面を這ってる。なぜかは知らない。

表に植えたムスカリも裏に植えたムスカリも、買ってきて植えたらみんな葉っぱがネギになるのよ。花は咲くわよ、ちゃ~んとムスカリ。これはやっぱり肥料の成果かしらん。何かが多すぎるのね。

3か月先の縦・横・高さ・奥行き・時間・日当たり・温度・風を考えながら、今3月の枯れ枝の散らばる荒野みたいな地面に苗を植えるのよねぇ。異常に雨が降る8月とかさ。カンカン照りつづきとかさ。
当たるも八卦、当たらぬも八卦。とりあえず植えてみるしかないじゃない!


引っ越してきた時はお隣の別荘は草ぼうぼう!
ススキやカヤや不気味な黒いサルビアが茂り放題で怖かった。蚊がひどいし。うちの庭をせっせと草とりをしていたら地つづきだからお隣まで行てっちゃったのよ。しょうがないじゃない地続きだから。

ススキも抜いて一年め花壇が更地になって、さんさんと陽を浴びたのね。
2年目にお隣さんがは~るか昔に気まぐれで植えたらしいチューリップの葉が一枚だけ出てきた。3株。

おばちゃんは、あら~と思ったのね。それで手が滑って肥料も捲いてしまった。
次の年3年目に葉っぱが2枚になった。ほっとくと雑草だらけになるから、せっせと草取りをするの。また手が滑って肥料をまいてしまった。

4年目に葉っぱが3枚になったら花が咲いたのよ。ぽっかり。まあ、かわいらしいわ。
そして今年、びっくりしたわ。お隣さんは結構数を植えてたのね。今年は7株も葉っぱが出てきた。何把咲くか楽しみ。

ちゃ~んとお隣さんには話してあるわよ。
地続きなんで草取りをしてたら気が付かないうちにお宅の草も抜いてしまいました。って。そしたらあら、すいませんってゼリーの詰め合わせをもらいました。年に1回か2回くらいしかおいでにならないのでどうしても手が回らないのね。うちとどうしても地つづきだからついでってことがあるしね。

お隣りのチューリップ

たまに、手が滑ってエリゲロンの苗が飛んでったり、トレニアやアノマテカの種が飛んでったりするだけよ。

アジュガはうちの境目に植えただけよ。お隣まで這って行ったのは植物だからしょうがないわ。お花が薄紫でとてもかわいいの。ススキよりましじゃない?


庭開き

風は少し冷たかったけど快晴!やっと庭開き。
吹き溜まった落ち葉と枯れ枝を掻く。去年のシダやガウラの枯れ枝を切り取り、アクセントに植えたツタには正直困っている。何せ素人が植えたいものを取り合えず植えたしまった結果が困る。

おばちゃんはツタが好きなのである。ツタの這う石垣なんてのに憧れがあったのだ。まず、ヘデラを石垣に植えて、前庭の縁取りに植えて、ハツユキカズラを一目見て可憐な白の花びらのような葉っぱに恋してしまい、そこら中に植えた。フリーマーケットでワイヤープランツを見て、かわいくて生垣の根元に植えた。黄金カズラ定家カズラというやつも4株植えた。そうだ、ジャスミンも植えた。

な~ンにも知らないのでみんな地植えで植えた。4年たったら正体が分かった。
ワイヤープランツは危険。ヘデラは家の周りに植えないほうがまし。ハツユキカズラは野生の緑の葉っぱと化し、手入れをしないと白くもならない。ツタ系に関してはとりあえず植えてみる方針は考え直したほうがよさそうだ。

ワイヤープランツをバッサリ根元で切り、ハツユキカズラもなるべく太い枝だけ残し、前庭に植えてしまったヘデラはあまりにも根を下ろしているので、春と秋にトリミングをしていくしかないか。

ここで困るのはおじちゃんである。おじちゃんはモノを捨てるのが嫌い。引っ越してきて洗面器がないのに気が付いて、とりあえず買ったプラスティックの洗面器は不要になったので捨てようと思った。おじちゃんに気配を悟られないようにごみ袋の一番下にそっと潜ませて捨てたはずだったのだが、おじちゃんがごみ捨ての係なので、気が付いたらベランダに回収されていた。
あたし、捨てたかったのよ。なんで取っておくのよ。
庭に水やりに使うから。水やりはジョウロがあるでしょ。いや、バケツから水をくむのに使うから。
使えるものを捨てるのが嫌い。ねぎの根元の輪ゴムとイチゴのパックをとっておくタイプ。

木を切るのも嫌い。せっかく植えた藤の木は抜かない。だって、素人は木がどのくらい大きくなるか植えるときに想像できないので、4本も植えちゃって近い将来藤棚は大変なことになるに決まっているのに、抜かない。切らない。
50センチ間隔で梅の木を2本植えてしまった。河津桜と山桜が30センチ間隔で植わっている。ダメだ!っていうのに現実にダメなのがわかるまで絶対手を付けない。困ったものだ。

もし、おばちゃんが先に死んじまったら庭のツタ類は大変なことになるに違いない。家がヘデラに埋もれてしまうかもしれない。そんなことを考えながら、手入れをしているといろんな芽が出ているのを発見する。

黄色のクロッカスや白のクロッカス(白は植えた覚えがないんだけど?)ヒヤシンスがあちこちに。花が咲きそうなフキノトウ。先代のおばちゃんが植えたクリスマスローズがついにつぼみがついた。お隣のチューリップと同じ。

庭の手入れがされないと、お花や球根は眠ってしまう。雑草が払われて陽が当たるようになると、様子見で葉が一枚出てくる。
2年目は2枚になり、ここでおばちゃんが気が付いて肥料をやり3年目でぽっかり隣のチューリップに花が咲いた。

球根は毎年花が咲くものと、一度咲くと力を使い果たし球根がやせてしまうものがある。

チューリップは球根は小さく痩せて花を咲かせる力がなくなってしまうので堀り上て保存するといい。というのだがやっぱり次の年は花が小さい。それでおじちゃんは毎年11月にチューリップ・チューリップと買い込んで、毎年植える。

お隣は別荘でかつて気まぐれで植えたチューリップがそのまま長い年月を眠り、おばちゃんがおせっかいで草取りをして肥料をやったので、去年ぽっかりと花を咲かせた。
先代のおばちゃんのクリスマスローズも去年は葉っぱが4枚まで増えたから、今年やっと花が咲く。庭のあちこちにはそんな遺産が埋まっていて時折発見できるのがうれしい。

たった3時間ほどの大した作業でもないのに、おばちゃんの足太ももと膝がプルプルしてきた。運動不足がこれほどひどかったとは思わなかった。そろそろ、撤収するかとおじちゃんに声をかけられて、(おじちゃんはゴーヤ棚を直してもらうつもりだった)おじちゃんは、ゴーヤ棚の下をきれいに更地にしていた。

あんた、バコパはどうしたの?私のバコパ!夏の日照りに弱いから上にゴーヤで影を作ってもらったんでしょ?
え?ないよ。みんな枯れてたよ?
枯れるもなにも、宿根草じゃんか。根っこ掘り返してくれてどこやっちゃたのよ。
いや、根っこまで枯れてたから。

おじちゃんはいつもこの言い訳をする。チューリップとヒヤシンスの区別はつくが、宿根草に花が咲いてないと雑草と区別がつかない。枯れてたから!と掘り返して更地にしてしまう。

おばちゃんのバコパ!10株はあったのに!おじちゃんとは庭の植栽で方針が合わない。エニシダとヒュペリカムとチェリーセージとよりにもよって横に枝を張るものを30センチ間隔に植えられた。
み~んな横に枝を張るものをんんでここに植えたのさ!アッと言う顔をするのだが植えなおすとは言わない。
だからおばちゃんもゲリラ戦でおじちゃんが別の作業をしているときに切る。

どうも邪魔な梅が2本と柿の木が一本あるんだよねえ。


アイタタタ、タ

胆石だと診断されたのが2週間前。

石だと思うのですけどとドクターに言ったら、まあ検査してみましょうと。
「胆石です。」だから、石だと言ったのに。

去年の10月、豚カツを食べて夜中に七転八倒して救急車を呼ぼうと思った。その時石かもしれないと思い食生活を昭和初期風にしたら落ち着いて、危ないものを食べない限りケロッとしていた。

12月のクリスマス・イブにブログのお引越しで頑張ったからご褒美を上げるつもりで「雪苺娘」を二つ買った。
夕食後に一つ食べたら悶絶した。まだ、一つ残っているのに。
石を抱えている限りもう「雪苺娘」は二度と食べられないのか。くやしい。どこも傷んでいない雪苺娘をゴミ箱に捨てながら石を切ろうと決意した。(おじちゃんは血糖値が高いのでケーキは食べない)
今年の初めに受診してあちこち回されて胆石だと診断された。だから最初っから石ですって言ってるのに。

で、どうします?
どうもこうも、雪苺娘が食べたいので切ってくださいとお願いしたら、今コロナで入院手術の予定が立ちません。と。
そこをなんとか!とは誰かのようにごり押ししない。

ただ、いつ痛みが起きるかもうわからないし痛み止めで治まらなくなったらどのようにしたらいいですか?と聞くと
その時はもう病院に来ちゃってください。胆石症が悪化すると破裂しちゃうこともあるので、緊急で切ります。

おばちゃんは、ついアメリカに住んでいた時の癖で、緊急で手術するときと、スケジュールして手術するときと費用はかわりますか?って。金額を確かめた。いや、費用は変わりません。

変な患者だと思われたかもしれない。
とにかく、今は緊急性のある患者の手術が優先なのでおばちゃんの番がいつになるかわからない。春は免許証を書き換えたり、携帯の機種変更をしたりワクチンの3回目を射ったり庭開きで忙しいのに。

そしたら、夜中の4時ごろから痛み始めた。
痛み止めを飲んで、くそ~と寝返りばっかりうって、うとうとして夢を見た。担当医が、にやにやしながらいや~偶然ですね。
3月3日であなたが3月生まれの3の付く3ぞろえの患者さんです~。アタリ。手術です、とか言われて目が覚めた。

目が覚めたら3月3日だから3ぞろ目の日。緊急入院用のバッグなんか用意しておいたほうがいいのかな。ラップトップは持っていくように心づもりしているのだが。
もし、ブログの更新がぱったり止まったら石を切りに入院中だと思って。

闘病記ー時系列

アイタタタ、タ

五臓五腑になる入院記

再入院のお知らせ

発覚

告知

闘痛記

日本のチーム医療・パッケージ治療

異色・入院雑記

娑婆に復帰

総武本線 内房まわり

ぼちぼち動いてます

術後2か月目

闘病記さまざま

ガンの光線力学療法

経過観察中 4か月目

がんのゲノム解析

・ドクターに聞いてみよう

ドクターに聞いてみよう・2

・経過観察6か月目

川島なお美の場合

術後7か月

ベンツ切開


ジビエはいかが?

おじちゃんを歯医者に連れて行って山に帰ってくるととっぷり陽が暮れていて、大変なものに遭遇してしまった。イノシシ。
アスファルトの道を左から右に横切って、あれっと思った時には丸々としたお尻だけがヘッドライトに映った。おいしそうなお尻。

山のサークルでは秋から春先にかけて猪鍋を食べに行くバスツアーがあって、あっという間に満席になってしまう。行きたいと思っても予約しそこねるので、道の駅で冷凍の猪肉を買って鍋にする。

まったく獣臭くない。白い脂身がちじれて口の中で溶ける。里の畑からかすめたサツマイモや百合の根や筍を食べているのでまずいわけがない。

今夜の猪は茶色の豚のような大きな丸いお尻だった。お父さんかお母さんかはわからない。
いつかの夜は母子に遭遇した。

道路の右端のカーブミラーの根元に何やら動く黒い影があって、車を止めて観察していたらウリボウが一匹、左に道路を横切った。縞があって丸々とした猫くらいの大きさ。続いてまた一匹。また一匹。トータルで6匹のウリボウが道を横切り、最後にお母さんがガンをつけながら悠々と子供たちの後を追った。

お母さんと喧嘩をしたらうちの軽自動車が負ける。ぶつけて倒して猪鍋に~とはいかないのだ。ウリボウだったらウチのオーブンに入る。ねぇ、おじちゃん、あんた猪はさばける?
誰が、馬鹿なことを。

うちの父は高圧線に触れておっこちてきた雉も、川で取ったフナやウナギも自分で捌けた。川に出す船は先祖代々の木の船が腐ったので、溶接ができる母の弟をそそのかして鉄の川船を自作し川で魚とりをした。男は捕まえた獲物と乗り物の手入れくらいはできるものであって欲しい。C.W.ニコルかいな。

おじちゃんが札幌で一時期働いていた時、地元の同僚の家に訪ねると、不幸にも崖から落っこちて亡くなったシカ肉のタタキが出てきた。シカは害獣指定されていなかったので、おっちょこちょいでつまずいて死んでしまったシカらしい。ねっとりと妖艶な肉。熟成した牛のヒレのようで柔らかくおいしかった。ショウガ醤油がよく合う。

一昨年の春に庭でコジュケイのお母さんに襲われた。羽を精一杯広げて大きく見せながら、ギギギ叫びながらと突っかかってくるのである。
おばちゃんは自分ちの庭なのに思わずタスケテとおじちゃんに救いを求めた。白と黒のダンダラ羽のコジュケイは行き過ぎては戻りまたおばちゃんに突っかかってくる。

気が付くと庭の端の水路に子コジュケイが一羽落っこちて、40センチの深さの水路を登ってこれずに底をうろうろと迷っているのだった。兄弟は土手の上の雑草の茂みでお母さんを待っている。
おばちゃんが水路に近づいたのでお母さんが迷い子・コジュケイを守ろと襲ってきたのだった。母の愛であった。コジュケイはおいしいと聞いたことがある。が、けなげな母を食べたら鬼畜と言われそうだ。

いずれにせよ山は鳥獣保護区なので、トマトをアナグマに取られても明日は咲くというユリの根っこを猪に掘られても、罠さえかけられない。なまじ罠にかかってしまったら保護区内では殺すことができずにおりの中で餓死させるしかないという。
それはいくらなんでもかわいそうすぎる。

野生人のように川で漁をし猪を捌く田舎暮らし番組のお父さんはすごいなぁ、と感心しつつテレビを眺める。猪のソーセージなどいかにもおいしそうではないか。
自然はたっぷりあって食べごろのジビエもその辺を走り回っているのだが、とっ捕まえ方も捌き方もわからず、指をくわえている半端田舎人のな~んちゃって田舎暮らしなのだ。


仙人になれる暮らし

山で暮らすことのネガティブな点は寒さと湿気。
ポジティブ・ポイントは人との物理的距離が取れること。

ただし、昔ながらの田舎じゃなくて移住者だけ集まった地域。周りからよそ者だと思われているので、十分な物理的距離と心理的距離をとることができる。里までたった20分なんだけどね。

お向かいの中野のおばちゃんによると、四十数年前この山に家を建て里のお肉屋さんにお肉の注文をしたとき、「旅の衆」と呼ばれたそうだ。昭和の話である。

田舎暮らしにあこがれている人、都会で人との付き合いに疲れている人には、山の世界はほっとできる避難所。ヒノキの林にひっそりと建つ隠れ家に住むことができる。
お隣の生活音は全く聞こえない。

壁を挟んでお隣のテレビが聞こえてくるような生活に疲れて倦んだ人が、田舎に引っ越してくると静かすぎるかもしれない。たとえ隣に家があっても、年に数回しか来ない別荘である場合も多い。車は頻繁に通るものではないので、郵便屋さんのバイクはすぐわかる。夜は自然が立てる音以外静まり返る。

雪が降って除雪車が来る前は、雪が音を吸ってここ以外の世界が滅亡したのかもしれないと思うほど静か。ただ、シンと音がない。

里に下りるのも嫌になれば、山のセブンは配達をしてくれる。お弁当は2つから配達可。昼過ぎにはセブンのレジの横にデリバリー予定の買い物籠がいくつも並んでいる。宅配サービスだかを頼むと山を下りることも忘れてしまうのだそうだ。その気になれば本当にな~んちゃって仙人の生活ができる。

山に引っ越してくるような住人の3分の1は人づきあいが嫌いな変人。山でお散歩をしているじい様バア様に「こんにちは」と声をかけても返事が返ってこないことがある。都会での人づきあいに疲れたので、今更もう面倒なお付き合いはしたくないわ、なのかもしれない。

そこまで仙人にならなくてもいい人のためには、山にはサークルもいろいろある。囲碁でも麻雀でもハイキングでも飲み会でもお付き合いを求めている人は好きな分野のサークルで住民交流することができる。ゴルフ場はテッペンと中腹と2つある。お高いものでも町営でもお好きに。

おばちゃんは、卓球を選んだ。
ただこのコロナで活動も停止したり再開したり練習日は安定はしていない。この前、緊急事態宣言が解除されたときに、久しぶりに幹事さんに会ったら、卓球サークルに若い新人が入ったと。
それはめでたいと寿いだら、幹事さんは続けて、若い新人とは実は早期退職の54歳だった。一体うちのサークルの平均年齢はどうなんだ?気になって計算したら平均が「74歳」だったと。

おばちゃんも思わず絶句して、新人さんが平均年齢を引き下げる前ですか後ですか?
“うん。引き下げた後で74歳!”
最長老の先生は去年87歳だったから、早期退職一人ではどうにもならなかった。こんな状態だから、あと10年たつと山はもっと静かになるだろう。

コロナが始まる前年の12月に卓球サークルの忘年会があって、皆さんお年なのでお酒はそれほど召し上がらず和やかにお開きになった。


幹事さんの車に乗り合わせて山に戻る途中、新しく完成した町の火葬場を通り過ぎ、長老がとうとう完成したんか?ここが一番近いから儂はここで焼かれるんじゃな、と感想に実感がこもっていて同乗者一同アハハと同意した。
見晴らしがよくきれいな施設である。高くなければいいが。

山にはいろんなタイプのログハウスがある。薪ストーブを据え付けて山小屋暮らしの雰囲気はたっぷり味わえる。てっぺんに住む弓子さんとお知り合いになっておうちに招かれた。

ログハウスというのは壁と間仕切りを極端まで排除したつくりである。壁で仕切ると、ストーブの暖房が行き渡らなくなるから。


目隠しの衝立のような壁はあるがトイレとお風呂には壁を作ってない。お風呂はストーブと対角線上の端っこにあるので、一番寒いらしい。お風呂エリアに石油ファンが一つあれば寒くなくなると思うのだが、薪ストーブの矜持か?意地か?か導入する気になれないらしい。窓にプチプチを張ると冷えが和らぐよと提案したら実行したようだ。

山に一人住むくらいであるから弓子さんも変わっている。大手の会社に勤め早期退職して女の細腕一本の稼ぎでログハウスを建てた。保護猫と売れ残りのノルウエージャンとしっぽがそそけてセールで安くなったモモンガと暮らしている。

弓子さんも日本の会社で戦ってきた人だから、おばちゃんが話しても引かれないない、素でお付き合いできるからありがたい。

この間の雪はうちでうっすら5センチの降雪。車は冬タイヤで里に下るのは問題なかった。

うちより上にはバスが登って行けずに管理事務所で待機だそうだ。車で里に降りる時、山の入り口が境目になって、警備室の上は雪。下は雨。笑ってしまうほど天気が分かれた。
車の屋根に雪を乗せたまま町を走った。ちょっと恥ずかしい

たかがミカンされどミカン

日本の今この季節というと、スーパーも道の駅でもJAでもミカンはある。ひょいと一袋買って、ああ、なんとう贅沢かなと思う。炬燵に潜ってミカンをつかんで皮をむいて袋の筋を取る。

カリフォルニアのスーパーの売り場の前でどうしようかな、買おうかな、高いかな、12月と1月の寒い時期だけに日本スーパーに出てくるミカン。
薩摩(サツマ)と呼ばれたミカンは甘みが抜けていたり、すっぱかったり日本のミカンにはとても及ばなかった。それでもサツマが出ると正月を思い起こさせて売り場で立ち止まってしまう。味が恋しいわけではない。雰囲気が恋しいのだ。

日本のミカンはアメリカに移植されたときに、薩摩という品種を移植したのか、ミカンと呼ばれず「satsuma」と呼ばれている。カリフォルニアでは多分気候が暖かすぎるのだろう、北部か別の州で栽培されているのかもしれない。2000年前後にやっと市場に出るようになってそれ以前はサツマだろうがミカンはなかった。

ミカンは重心が低くて皮が滑らかで薄く手に持つとずしっとする実が甘くてジューシーだが、サツマは皮がゴツゴツして小ぶりでオレンジみたいに丸くて重心が高い。皮は厚いくて剥きにくい。それでいてオレンジより高額で、売り場で買うか買うまいか悩んだのだった。

正月らしいことはしていないので、まあミカンだけでもと買ってキッチン・カウンターの籠に盛ってみる。日本の冬の果物。日本の香り。食後に一つづ食べようと思うが、もったいなくて眺めているうちに暖かいカリフォルニアの気候のせいで痛んで捨てる羽目になる。
たかがミカン、されどミカンである。

おばちゃんの家ではまだ霜が降りる。
明け方は5度か6度でお昼にやっと10度になりストーブはつけっぱなしだ。山をぐるっと登って降りると熱海、湯河原にでる。駿河湾が見下ろせる斜面にはミカン畑があちこちにあって、のんびりと陽を浴びている。暖かいのか?ミカンの産地だと、霜も降りないのか?

ここでおばちゃんの頭はぐるりとツイストしてしまって、ミカンはあったかい土地でとれる果物でもカリフォルニアでは冬の果実だったな。暑すぎるから北部に植わってたはず。寒い土地の果実。
でも、熱海や湯河原の暖かい土地でこのミカンがとれる。
日本のどこに住もうかと考えてあったかい伊豆を選んだのに山の上は寒かった。一体おばちゃん家は暖かいと言っていいのか寒いっていいのか。
考えると激しく混乱するので、思考を停止する。

日本に生まれて日本で育てば当たり前のことを疑うこともないし、何の変哲もないものが他の国では全く手に入らなくて、さらに日本の常識も通用しないということを経験しない。


おばちゃんの意見では、“当たり前のことが当たり前であるのはおかしいこと“であるのを人類は知っておいたほうがいいのじゃないか?
国連かなんかが音頭を取って、全人類は人生の中で2年くらい別の国、別の気候、別の法律で暮らしてみる”取り換えっ子プログラム”を施行してみてもいいのじゃないかと思う。

そうすれば“切ないミカン”とか“悲哀のナメコ”とか“切望のシャウエッセン”とかの気持ちが人類で共有できる。国際紛争もきっと減るはずだ。当たり前という観念ほど厄介なものはない。

風はまだ冷たいのだが来週はもう3月だ。
なんだかお尻が落ち着かなくなって中伊豆の園芸店まで園芸用土と肥料を買い出しに行った。
山のてっぺんは2週間前に降った雪が道路際に掻き寄せられていて山の陰にはまだ30センチの高さで消え残っている。気温は8度だ。

幹線道路は混むので山道を抜けると修善寺に出る。ここの里ではとっくに菜の花が咲いている。気温は15度だ。川沿いの中伊豆は陽がまぶしくて園芸店の店頭は春だった。
おばちゃんが一番好きなリナリアもネメシアも苗はとっくに出ている。今ここで苗を買っても、自宅の庭にはまだ霜が降りるし、もう一度くらい雪が降るかもしれない。じっと我慢である。

庭はまず冬の間にたまった落ち葉と枝を掻いて、宿根草の枯れた葉を取り除く。伸びすぎている枝を払って痩せてしまった気がする土に、栄養と追加の園芸土を足してやる。今年は何を植えるか計画を考えてウキウキしながら明るい中伊豆を後にする。

地方の行政はあからさまである。
集落のはずれに来ると道はいきなり1車線になってアスファルトの舗装は薄く貧弱になり山の道に入る。山影でいきなり気温が2度落ちた。高度が上がるにつれて気温はシュルシュルと下がって、家に着くと10度だった。
留守にしていた家は冷たく冷えていて、猫たちはコタツから出てくるのであった

二つの故郷

「私が帰る二つの国」 ドウス・昌代(文春1985年)が昭和の末に出版されて
当時のおばちゃんも読んだ。40年近くたっても日米にまたがる人間の事情はさほど変わっていない。

確かにアメリカには次々に日本のビジネスが進出している。現地日本スーパーは日本の品ぞろえに近い商品が並んでいて100均だってできたから、物に関しては不自由ない。なんだったら楽天から転送経由で好きな物を買えばいいし。

不自由がないと言いつつ、選択肢がないのも事実。
南加の日本スーパーの売り場は、いまだに魚売り場がどこでパンがどのコーナーだったか思い出せる。何十年も通ってたわけだから、うんざりしていた気分も同時に思い出す。一番嫌だったのは、アジの干物。日本から冷凍で運ばれたアジの干物は、焼くとどうしても不快な冷凍臭があって、鼻に一撃くる。あれだけは嫌だ。It’s enough!

日本にも家が残っていて、好きな時に2国の家を行き来すのが“いいとこどり”の一番贅沢な2国の味わい方なのだろうが、庶民は働かねばならんのである。

稼いで税金を払って暮らす国と、たまに帰る(あるいは行く)国の日本。いいとこどりどころか、リップ・バン・ウインクルみたいのも珍しくない。子育てだって忙しいし。家族分のチケットを買えば一財産になるのである。
そうそう行き帰りできるかっての。

生活のために働いていると、あっという間に15年は経つ。
15年経つと、子供はアメリカのこどもに育って、日本の従妹とかおばあちゃんに会いたとかも言わなくなるし、日本語の敬語も無理かもしれない。結局自分一人で実家に帰る、骨休めのつもりで。

昔の友達はスケジュールを合わせてくれてうれしい。何から話していいか、生活の違いを面白おかしくべらべらしゃべると、楽しんでいてはいてくれるが、気が付くと彼女の生活とは全く無縁な別世界の話で上滑りしてるな、と心が寒くなる。

何が寂しいか言えば、日本の親友とは、アメリカで起こる問題は相談のしようもなくなってしまう。アメリカで起こるトラブルは起こる理由も処理の仕方も、日本の友達には理解の範囲外だから、愚痴をこぼすにも同感も得にくい。
この辺で40代の後半だ。

アメリカに帰ると、ああ、家に帰ってきたと思う。
けれどこの国が心の底から自分の国とは思えない。端っこにいさせてもらっているだけ。なんでも話す親友はこっちにもいる。同じ外国にいる仲間だから問題も共通で相談もできる。

生活に流されるとまた10年経ってしまう。
まだ、50代でも若いつもり。40代の延長だから。でも60代を過ぎるとリタイアは射程距離に入ってくる。体力的に不足は感じないけどあと何年このままでいけるか?60代後半になったら、健康に不安が起きたら?医療費がネックだなって。

おばちゃんたちの場合は、ビジネスの区切りがよかった。続けるとなるとまた10年契約になる。パートナーのどちらでも何かあると二人で生きるのが大変になるから。自分たちと猫が老後に安心して暮らせる隠れ家を用意しなきゃと思った。

日本移住の手配は大した問題ではない。売り手市場なら家はあっという間に売れる。
問題は心の始末のつけ方。

負ける気がする。日本に帰るのが負けた気がする。アメリカの社会でず~と戦ってきたから。負けたくないって。せっかく取った永住権を捨てることになる。

実際に帰国してみるとなんか肩の荷が下りてしまった。戦わなくていいのがこ~んなに楽だったのか。おばちゃん、いったいどんだけ戦っていたんだよ。と戦わなくなってから初めてずっと戦っていたんだと気が付いた。

アメリカに帰りたいか?と聞かれれば帰りたい。でも、アメリカには黒い土でできた庭と畑がない。四季がない。伊豆の穏やかな芳醇な自然にからめとられてしまって、この庭と離れるなんてできないと思う。

もう、私たちは人生の第三コーナーを回って、ホームに向かってる。
コレステロールの多い食事をしていたから、おばちゃんたちの寿命は、日本の平均余命よりきっと短いと思う。
どこの国でという問題ではなく、最後のゴールに向かってどんな走り方をするかが問題なの。


タコは尻にできるか

お尻にタコができた。
尻にタコができたのは人生で2度目である。
一度目は27か28の時に無職になって2年くらい毎日本だけ読んでいたら、座っていた座椅子のウレタンが尻の形につぶれ、座椅子の形に畳が沈んだ。ほとんど読書廃人である。

今回は本ではなくてラップ・トップを抱えてブログ廃人かもしれない。
朝9時ごろに目が覚めてリビングにでて、朝ご飯のドーナツをつまみながらまずメールの確認である。ドーナツで血糖値が上がると、目と頭がシャキッと覚めるのでワードを立ち上げて、記事の下書きをする。

前の晩、寝つく前に頭の中を走り回っていた文章がうるさくてたまらないので、ワードに取り出す。少しすっきりする。買い物に出ない日はそのまま夜の12時までラップトップを抱え、人間をだめにするクッションに寝そべってコタツに足を突っ込んでいる。

去年のクリスマス前から、この態勢なのでコタツ敷にぺったりついたお尻にタコができた。
年を取って尻の頬っぺたも薄くなってその分、コタツ敷につく面積が大きい。硬くなって、お肌がザリザりになってタコになった。

トイレに行く時と茶を入れるとき、猫と遊ぶとき以外に床から立ちたくない。猫にボールを投げてやると、追っかけはするが咥ええて持ってこないので、おばちゃんが立ってボールを拾いまた投げてやらないといけない。息が切れる。
運動不足もここに極まって、山の冬がもし4か月以上続くならこのまま寝そべったまま再起不能になるかもしれない。

幸い3月には庭が生き返るのでコタツからずり出て、庭の手入れに直立するようになるだろうがそれまでは寝そべる。カリフォルニアの過去の仕事の日々は、横になれるのは1日8時間だけだった。あとはずっと立ちっぱなしだったので、そのぶん今存分に寝そべらせてもらう。ざまぁみろ。

好きなだけ文章を書けるのはありがたい。
ジオシティで日記などを書いていた時に、おじちゃんの会社ネタを書いていいか?と聞いたらば、お前は俺の首を飛ばす気か?と釘をさされて身辺雑記はご法度になった。
もっとも、日系社会は超狭かったから、日本のフリースペースで海外ネタを書いたとしてもすぐ身バレする恐れもあった。詮索が入る環境で当たり障りのないものだけ書くのもつまらなかった。

二人で仕事を始めたら本を読む時間さえ無くなり、書くものといえば英語の業務連絡とGrievanceになってしまいおばちゃんの脳内言語環境内の日本語はめちゃくちゃになった。
家庭内の話しことばの日本語も今から思い出すと、かなり門切り型の決まりきった表現に陥っていた気がする。

それが、平成が終わることに帰国して周りの言語が日本語だけになってしまった。好きなだけ見られる日本のテレビにおじちゃんは夢中になった。いろんな日本語の固有名詞と表現がつけっぱなしのテレビで流れてきて、おばちゃんの脳内の言語回路がゆっくりと息を吹き返し始めたのかもしれない。

庭を造るのが面白くて草取りが楽しくてお花の写真を撮るうちに、文章に残しておきたくなった。フリーブログを借りて、写真をアップし、ぽつぽつと文章を書く。この間のブログのお引越しの時に読み直すと初期の短い文章はとても使い物にならないひどいものだった。

その日本語の文章が変わり始めたのは、去年の夏だった。しゃがんで無心で草取りをしている間に、頭の中を日本語の文章が走り始めた。文面が面白いので一人ニヤニヤ笑いをしながら草をむしる婆は、限りなく危ない婆ばぁだったに違いない。

今でも覚えているがしつこく湧いてくる文章を、ワードで一気に取り出したのが「エンドレスの草取り」、「日本のイチゴは獰猛である

中途半端な文章なのは本人がわかっているので、今更どうにかする気もない。もう時間もないし。おばちゃんはもう人生の第三コーナーを回って、ホームを目指しているのである。十代のころに夢見た文章を書く生活を今実現してそれなりに満足だ。

人気有名ブログなどを拝見すると、華やかな写真にオサレな室内。いかにも豪奢である。おばちゃんのような文章だけのブログは極めて異質だなぁ。通勤電車の暇つぶしにでも楽しんでいただけたらと思う。


引退後の海外移住

Yahooで「リタイア後にマレーシアに移住した老夫婦の悲劇」なんて記事が載っていた。
もし、コロナの禍がなかったら移住(死ぬまで永住計画)は成功していたのだろうか?とおばちゃんは自問するが、どうだろ、。どちらかが病気になった/亡くなった時に日本に帰国したんじゃないかと思う。

おばちゃんたちより数年前に日本に帰国していた古い友達は、マレーシア移住計画団?に携わっていて、おばちゃんもマレーシアに行かない?って誘われましたわ。
いやぁ、帰ってきたばっかりだし。マレーシアは知らないし。

海外移住の仕方は知っている。
もし、会社勤めで今度はマレーシア、これが最後だから3年お願いって言われたら。3年は暮らすかも。10年は困る。10年後だと、日本に落ち着き場所を作るのが遅くなるから。

実際、このマレーシア移住推進団体ってどうなのよ、。とちょっと調べてみたら、いくつかあって、マレーシア政府も肩入れしている本気の移住の場合は、参加年齢の上限があった。

若い日本人に来てもらって、マレーシアを開発してもらって子供もマレーシアの子として育ってもらって、と自国を別の国の人に開発してもらおうという意図が見えた。ふ~ん。
これは本気の移住なんで、老後にヤシの木陰で昼寝がしたい人向きではない。

別な移住計画では、これはリタイアの人用だと思うけれど、永住権を与える条件として現地通貨での預金を要求してくるのね。現地通貨で最低限500万日本円を預金してもらうとか、その他資産額だとか、年金額がいくらだとか申請条件がある。

移住計画では、現地の生活費は日本に比べてどのくらい安いかとか、お手伝いさんを雇えるとか、日本のお医者さんもおりますとか、いろいろ夢をあおってくるのね。ヤシの木陰で昼寝の夢を見ましょうってわけね。

例えば現役時代に2か国くらい駐在経験がある夫妻が、10年くらいの期間限定でマレーシアとかシンガポールとかフィリピンに暮らすのはありかなと思う。

でも70代以降には体のメンテがいろいろ必要になるし、日本人の医者がいますから、って信じちゃいけない。
アメリカでさえ、日本人の医者はいたけど、心臓外科、脳外科って全科目いるわけでなし。いざややこしい病気になったら、日本に帰って入院するかって、よくあることだからね。マレーシアの現地の病院にどれだけ医療器具がそろっているかもあてにならない。

そういう外地事情を知らない人、海外生活をしたことがない日本人で、それも70代夫妻がいきなりマレーシアに移住しちゃった!って、無謀だと思う。

おばちゃんなら、500万円を現地通貨で銀行に入金!ってとこで、まずレッド・フラグだと思う。

リンギット!?なにそれ、強いの?美味しいの?
絶~対いや。ドル口座ならまし。億単位の資産を持っている人なら、はした金だろうけど、リンギットの預金を言い張るならこの話はなしね。

でも、この老夫婦の場合は、それが永住権の要件だから預金してしまうのね。手持ちの資金でアパートだかを買って、運用しようとした。ところが、コロナでマレーシア経済もあえなく沈んで物件は売ろうにも売れないし、リンギットも大暴落。奥さんは日本に帰国して、70代で離婚だって。

70代に永住・移住を進めてしまうって犯罪でしょう?乗っちゃったほうもヤシの木に憧れすぎ。
その国に子供もいなくて、夫婦二人だけの場合、どちらかが病気したとき、あるいは亡くなったとき、外地で暮らすのは無理があるよ。初めての外国で。


資産を手放しちゃだめだよね。日本の家は貸して、10年のロングステイで昼寝を楽しむだけで十分だったのにね。


町のイタリアンと味のクオーテーション

日本の地方都市で切実に求められるのは、ハンバーグが出てこないイタリアンと昭和でないパン屋さん。
山の上のレストランのスパゲッティは普通だったので、町のイタリアン・レストランも普通だと思った。三色の国旗が掲げてあれば、イタリアンだと思うよね。

田舎のレストランは女子会かママ会が多いのか、スパゲッティがあって、ハンバーグランチがあってオムライスが出てくるのである。

いつ見ても駐車場がいっぱいなイタリアン・レストランでスパゲッティを頼んだら、
「アルデンテなんで、早く食べてくださいね、伸びるから。」と言われて驚いた。蕎麦屋じゃあるまいし。

食べると芯があったのである、ポキポキと。
固い。モソモソする。生まれて初めて、ポキポキする芯があるスパゲッティを食べた。

さらに驚いたことには、ほんとに時間がたつと伸びるのである。芯があったくせに腰がなくなってクタとなる。

目を丸くして芯があるよ、伸びるよ。
おじちゃんは私がパスタをオーダーすると凄く嫌な顔をする。パスタのゆで加減について文句を言うので、また始まったかと。

しかし、このスパゲッティは問題外。
Laguna BeachのArt Festivalの最中のビーチのレストランで、カッペリーニを頼んだら、真っ二つに麺をへし折ってゆでられてそれもフナフナでくっつきあった麺が出てきて、殺意が沸いて以来。

何か非常な誤解があるのである。この日本の地方の町では。
多分「アルデンテ」という単語がキーだと思う。

都会の人が集まる料理の激戦区から遠く外れたこの町では、アルデンテという言葉が料理の教科書とは別に独自に独り歩きしたに違いない。

麺の中心に糸一本を残して茹で上げて「アルデンテ」で、ソースと絡めて麺に完全に火が入る、デュラエモリナなら。

ところが、このスパゲッティはお客のテーブルの上でアルデンテなのだ。じゃあ、キッチンでゆで上げたときはマッチ棒くらい生があったのか、。それはちょっと、いや大分違うだろう。

麺のクオリティも相当低い。スーパーで売っているあの赤い包装のマ〇ー、純粋日本製の小麦粉スパゲッティだと思う。

青い包装のディラセモリナ粉でできたパスタなら、ここまで身を持ち崩してフナフナになるはずがない。

だけど、アメリカのレストランではフナフナ麺が出てきたではないか?
そのとおりである。あれは、バイトをしている女の子に理由を聞いた。

営業時間が始まる前に一遍ゆでておくのだそうだ。それでオーダーが入ったらもう一度茹でる。アメリカ人はアルデンテなんて気にもかけずフナフナで十分だから。ちゃんとしたイタリアンは最初からキチンとゆでる。

あまりにもショッキングな経験だったので、あちこちの3色の旗が出てるお店に行ってみたが3回に2回ポキポキのマ〇ーが出てくるので絶望した。どうしてサ〇ゼリアにできて、町のイタリアンにできないのだろう?

話は、脱線するが
おばちゃんがサイゼリアをほめるのは、これ以上原材料を落としたらみすぼらしくなるお料理を、ギリギリ手前で踏みとどまって、
最大公約数の満足をさせる味付けへ変身するサーカスみたいな芸が成功しているから。
サイゼリアが作り上げたこのビジネス・モデルがすごいと思っている。

値段が今の2倍なら奇跡のサーカスではなく、やる気のないただのファミレス。アメリカに持ってきても、人件費材料費など諸費用の点で絶対に日本と同じにできないので、今のところ日本だけで咲いている世界で一つの花?

味と値段のクオーテーションがある。
クオーテーションが正しければ、客は満足する。えっ?そんなものがあるの? うん、おばちゃんが今作った。

例えば普段に食べるS店のペペロンチーノがワンコイン500円とする。
有名シェフが厳選したイタリア直輸入のスパゲッティとオリーブオイル+日本の最高級のニンニクを取り寄せて、腕によりをかけて作ったA店のペペロンチーノ2500円とする。

A店2500円はS店の500円の5倍だ。味も純粋に5倍おいしいかというと、5倍にならない。
一流店でも2.5倍くらいではないか。これが5倍なら本当にすごい。おばちゃんは、常連さんになる。

ところが実際の味の倍数はせいぜい2~3倍。これはおかしくないか?
値段の半分は純粋に味を構成する素材以外の付加価値から成り立っている。

シックな店の雰囲気・内装、こぎれいなウエイター、広告費、シェフの生活費に付加価値分が回されるから。

おばちゃんは、お正月の番組の「格付けチェック」を見るのは2回目だったけど、あれを見れば人間の「舌」なんて店の雰囲気とメニューの能書きで何とでもなるとよくわかる。

このクオーテーションの倍率が正確であれば、人の満足は大きくなる。
人が普段行くS店のメニューPを基準にして、別の店の味が2倍増しで、値段も2倍に近ければかなり上出来。

今日は付加価値(ゆったりした雰囲気)にお金を払いたいと思えば、C店。
クオーテーションは技術サービスのビジネスでも使えるから、基準の店を決めれば、エステやネイルサロンに自分が一体何にお金を払っているのか、本体の技術か付加価値か?一遍見直してみると賢い消費者になれるのではないか。

サ〇ゼリアに戻ると、何の能書きもない当たり前の素材で当たり前のシェフが料理して、7割の客に8割の満足を与える芸がすごいのだ。おばちゃんは料理をほめていない、芸をほめている。

ここは地方都市だけど、美味の国、日本に帰国してきたのだ。ハンバーグが出てこなくてキッチンでアルデンテのスパゲッティが食べられるイタリアン・レストランがどこかにあるに違いない。おじちゃんと捜索中である。

カラムとは俺のことかとカラム言い

  • footer