園芸家の12か月

カレル・チャペク「園芸家の12か月」はおかしな人達の話だった。
せっかちでこらえ性がなく、思い道理にいかないことに怒って変なこだわりがある人たち。人を笑っていたころが懐かしい。

11月も終わりになると、伊豆の山も雑草さえ休眠の準備に入る。春のためのチューリップを植え付けるのが最後。寝ている子を起こしてもしょうがないので、春になったら何をするかなぁと空計画を練る。
ブックオフで買った趣味の園芸 宿根草編をなめるように見る。

サルビア系をもっとそろえてみようかとか、カンパニュラの小輪が欲しいとか、クレマティスを生垣に這わせて、薄ピンクの小花がびっしり咲く種類が欲しいなぁと空想をたくましくする。

お気に入りの園芸店を訪ねてみるが、お花はほとんどなくてさびれている。がっかりして、何も買わずに帰る。

1月、
下界の町は水仙が伸びてとっくに花を咲かせている家もあるのに、山の庭は水仙もチューリップも音沙汰がない。朝、寒すぎて庭に降りる気もせず、ああ、霜が5センチもあるのかとベランダから覗く。

2月
イライラして来る。
3か月も庭をいじっていない。暖かい日もあるのだから、チューリップもムスカリももっと伸びていいはずだ。今のうちに肥料をやった方がいいかしら。

3月
春だ、もう春よ。
ガーデンセンターと園芸店をぐるぐる回る。1年草でもなんでも、とにかく花を植えたい。ぱっと明るくなる黄色い花を植えたい。それにしても何故ウチのムスカリは葉っぱがスパゲッティのように長く伸びるのだろう?

4月
チューリップの咲きがわるい。
球の小さいものが悪かったようだ。今から買って植えるのは遅いだろうか?代りにグラジオラスを買って、生垣のすき間に植えてみる。

5月
去年からの園芸計画が評価されるシーズンである。3月に焦って買ってしまったシーズン草はやっぱりすぐ終わってしまうので、宿根草にすべきだった。リナリアが耐寒性・宿根性が出ていたので、
飛びついて買う。ああ、春の花が終わってしまう。しまった、夏の花の準備ができていない。ガーデンセンターと園芸店を回る。

6月
ウの目タカの目草取りの目になってしまう。

雨が降って、1日油断すると雑草が伸びる。ツツジの根の間からドクダミが生える。雨が降ると庭を見ながらぶつぶつ言う。

7月
よそのお宅では咲いていてヤキモキしていたグラジオラスがやっと咲く。
〇が少ない通知表をもらったようだ。ウチの子もなかなかだと思う。

8月
山の緑に負けそうだと思う。真夏の花は期待していたより少なくて、もっと植えておけばよかったと思う。植え木が伸びすぎて枝を伐採するときだ。しまった、切りすぎて日陰のヒューケラが丸出しになってしまった。西日が強すぎる。何とかしないと。それとも高温に強い花を探さねば。

9月
庭はまだまだいける。
菊の株が少ないかな。もっと増やすには、クロッカスをどうにかしないといけない。台風よ!

10月
また台風よ!ウチの庭にも紅葉するツタがあればよかった。春に手に入れことにしよう。
チューリップも八重が欲しい。ガーデンセンターは球根が出はじめる。

11月
雑草が伸びないわ。
土が固い。掃いても掃いても落ち葉が出る。もう嫌。

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熱い人

中伊豆で園芸用の土を買い来年の春用のマーガレットの苗を買って、でもおじちゃんはいい葉物の苗がないという。
三島の園芸店で買ったブロッコリーは一番元気がよくて三島のお店に寄りたいという。

三島の園芸店は敷地の半分がメダカ屋さんになっていて、えらく高そうな金銀のメダカがひしめいている。あとから来たお客さんが店主らしいおっさんにパンジーやビオラはまだないの?と聞くとおっさんはオヤッということを客に言った。

奥さんね、ほかの店ではビオラがもう出てるのは知ってるの。あるのよ。でも俺は売らないの。なんでかっていうとまだ気温が高いのよ。いまビオラやパンジーを買うと1週間で2倍に伸びちゃうよ。冬の花は気温が20度を切らないとダメ。だからうちにはまだないの。

おばちゃんは2人の会話を背中で聞いていてふう~んと思った。2週間前にビオラを植えちゃって、ひょろひょろを伸びた
茎を見るととても来年まで持ちそうになかったから。

おじちゃんの白菜の苗をお会計してもらうときに思い切っていろいろ質問してみた。

おば:パンパスが欲しいんだけど。

おっさん:パンパスの植え時は、春だぁ。

おば:じゃあ、春に買う。

おっさん:仕入れてもいいけど根つくかどうかわかんないよ。修善寺から三島までだいたい同じような気温だけど、
5度を切ると根つかないかもしれない。ダメなものはダメなんだね。土地には土地にあった植物があるんだ。

おば:なるほど。

おっさん:それとね、昔と気候が違っちゃったのよ。夏の気温が半端なく高くて、、。生活も変わっちゃったのよ。今の若い人は共稼ぎでやっと家を買って、庭に庭木を植えてももう手入れができないでしょう?

夏の庭は暑すぎて水もやれないし。だから、庭を造る人がいなくなって年間で2000店園芸店が閉店してるのよ。うちも昔は売り場が倍の広さだったんだけど、縮小したのよ。

おば:(は~ん、それで半分メダカに宗旨替えしたんだ)じゃあ、気温が高くなっちゃってるから、冬のお花はいつ買ったらいいの?

おっさん:11月だね。11月になったらいろいろ入るから。

おば:私はヒューケラがすごく好きなんだけど、うちの庭にはどうしても元気よく育たないの。どうしてだろう? かんかん照りがだめだから垣根の根元に植えたの。

っさん:土壌でしょう。ヒューケラは木の根元に植えたがるのよ。みんな。でも木の根元っつうのは根が張ってるのよ。ヒューケラが根を伸ばせないのよ。

おば:!なるほど!
(20年物の満天星ツツジの根元は根が張りまくってておばちゃんは浅くしか植えられなかった。)

おば:でもうちの庭は西日がかんかんに当たるので、日影がいいとおもったから。

おっさん:ヒューケラはね一ぺん根つけば、西日くらいへーき。土壌が大事なのよ。

おばちゃんは、今までの疑問がぱ~っと溶けて植物を熱く語るおっさんに目を見張った。

おばちゃんはこれまでなん十株というヒューケラを買い、写真に映えそうな苔の生えた溶岩石の根元だの、桜の根元だの、シダと苔が張った山際だのに植えてきてことごとく失敗して枯らしてきた。

園芸店でヒューケラを買い足してそのたびに、また、そいつ?とおじちゃんに嫌味を言われながらそれでも私はヒューケラが好きなのよ、さし芽で増やそうと2年頑張った。庭のどこかできっと育つはず!!!と懲りずに植えてきた。

親父の代から数えると、60年園芸店をやってるという。気候と社会が変わっちゃって園芸への情熱を半分メダカに移さざる得なかったおっさんに敬意を払って、おっさんの店に通うことにしよう。

実をいうとメダカも好きだ。
おじちゃんとおばちゃんは結婚した後に5年以上熱帯魚に入れ込んでいたから。

春先に植えた時と3分の2のサイズになってしまったヒューケ。アジュガを半分抜いてヒューケラのナーゼリーにしてみた。

ここは山の土じゃなくて園芸用の土でできてる場所なので、多少日当たりは悪いけど回復してくれると信じたい。

ダイバーシティ

おばちゃん、玄関でしゃがんで一心に草取りをしていたら郵便屋さんが来て、ハローって言われてしまったわ。しょっちゅう海外郵便が来るから、もともと疑われていたわね。

コロナの前でも熱海の梅園に梅を見に行った時に、売店のお兄ちゃんにハローって言われたから、二人とも雰囲気が変なのかしらね。

お兄ちゃんも客商売で熱海の観光客を長年見え来たはずで、たぶんおばちゃんたちは日本人に見えなかったのだろう。服装と表情と身のこなし。

おじちゃんの顔は大陸か半島か?区別がつかない風の顔で、オレンジ・カウンティでも日本語をしゃべると、日本語がお上手ですね?って言われてたし。

私はジョイスによると、どこのProvinceか分からないけど、絶対大陸の中国人顔なんだそうだ。中国スーパーでもしょっちゅう中国語で話しかけられていたしね。まあ英語をしゃべれば発音で日本人ってばれちゃうけど。

おばちゃんは客商売をしていたから、最初の一瞥でアジア系のお客様なら、顔の輪郭と目、頬骨などから中国系、韓国系、ベトナム、タイを大体75%~80%判別できる。声をかけて声を聞けば95%くらいまで識別可能だわ。

たまに韓国系でも日本人そっくりの人がいて母方のおじさんのまんまの人がいてどう聞いてもおじさんがしゃべっているとしか思えない人もいるのよ。新家のおじさんじゃない?

ところがアメリカで生まれて育った2世になると物凄く識別が難しくなるのよ、同じアジア系なのにね。
ファッションはアメリカンキッズだし、声を聴いても訛りが無いからね。

日本人でも2世顔があるけれど韓国と中国も2世代目は顔の輪郭が変わってくるの。主に食べるものの違いであごの発達が変わってくるのね。だからみんな2世顔になる。

この山の住人はそれほど人種は賑やかではないわ。色んな人がもっといてもいいのにね。おばちゃんたちがAwayな気分もちょっと薄らぐかも。

このブログの書き始めは、日本語がなかなか出てこなかった。
ぽつぽつとしか書けなかったのに、書けば書くほど日本語がbrush upされてきて、その代わりのものすごい速度で英語の綴りがダメになるのよ。

bussy ってたしか”S”だよね”z”じゃないよね?簡単な単語すら出てこなくなるからものすごく怖い。
スピーチもメタメタというより、喋ってないから!だって、人がいないし。

Toeflのテストの有効期間がたった1年てのは驚いたけれど、それはそうだわ。言語能力なんてあっという間に消えゆく能力かも。

山の家と除湿器

おじちゃんとおばちゃんは乾燥に強い。
真夏のヒートウエーブが襲ってくると、唇がひび割れ笑うと切れて痛い。口を開けるとひゅっと口が乾く。まつ毛が枝毛になる。

脱水をしたジーンズをうっかりベランダに掛けて忘れていると、2時間でカリカリに固まる。そういう元は砂漠みたいな土地で何十年もさらされているうちに、皮膚の皮脂腺が多分活発になって乾燥に拮抗した結果だと思われる。

今はTVで加湿器のCMが盛んだが、ウチにはない。除湿器が今も稼働している。

ぽつんと一軒家が大人気だが、山に移住する人に一言言っておきたい。山の家は湿気る。ウチの家は足がタカイタカイしているので、まだマシのはずだが、夜服を脱いで床に放置すると朝起きた時にじんわり湿った感じがする。

山の自然というのはヒノキ、杉木、シダ・クマザサなど草木に囲まれていて、なおかつ呼吸する黒い大地の上に家が建っている。だから冬でも湿気はある。

山側に面する窓は一年を通して開けない。家の構造で外に近い押し入れは物がカビるので注意。
ホームセンターで売っている「湿気取り」なんて気休め。2.3Lの除湿機を入れて稼働させると一晩で水が満杯になる。

うちよりさらに標高の高い所に家を建てた人によると、皮製品は置き場所がどこであろうとすべてカビが生えたと言っていた。
革靴と皮のバッグが全滅。その家は富士山を独り占め!と真正面に見えるほど景観が良いのだが、標高が高いので下の里で晴れていても、家ではうっすらと霧が漂っていたりする。

平らな大地で基礎の上に建てられている。が、コンクリートの基礎を深く打っても湿気というのはコンクリートから
這い上がってくるらしい。夏でも空気は涼しいがカラッとしているわけではない。

おばちゃんの家は足がタカイタカイをしているので、湿気についてはまだましなのだがなんせ砂漠から来たイラン人と同じで湿気が気持ち悪いので真冬でも除湿器をかける。

山の向こうのミカ子さんチは、ダ~ンと駿河湾を見下ろせる崖に建ってるすごい家だ。すごいというのは豪奢という意味ではない。ベランダから身を乗り出しすぎると、相模湾に転げ落ちそうな崖に建っている。

玄関は道路に面してリビングに入れる。突き当りの窓からは濃紺の相模湾が見えて遮るものは何もない。ついでに床下も何もない。高所恐怖のおばちゃんは窓際に寄れない。こんな素晴らしい景色って見られて幸せとミカ子は気に入っている。

斜面に合わせて部屋があるのでお風呂とトイレは階段を下りる。日本に来れないときは家が湿気るので、ホームセンターに行ったら「水とり象さん」とか「湿気とり」を見つけてものすごく感心し、(だって、そんなもの30年前にはなかったから)
こんなすごいものが日本にあるんだ!と驚喜していくつか買い込んで押し入れにいれたから大丈夫と安心していた。

コロナ騒ぎでラスベガスから来れないので家じゅうカビちゃうから早く来たほうがいいよ、とおばちゃんが注意を促すと、「湿気取り」があるから大丈夫と言うので、そんなもん役に立つかい、一晩で1L以上水がたまるのにと念を押した。

おばちゃんは今日も押し入れの除湿器のスイッチを入れ、布団乾燥機のホースをベッドとマットレスの間に突っ込んで湿気を追い払っている。

12月についにミカ子は山の家を売ったとLineが来た。コロナでおいそれと日本にこれなくなって売りに出したらリモートワークで別荘地の物件が大人気でたった1週間で売れてしまったという。

ディカフェ コヒーを買う

隣のパン屋によって朝ごはんのペストリーとコーヒーを買う。おばちゃんは肝臓を壊してから、カフェイン過敏になったので飲むのはいつもディ・カフェだった。ただ!隣のコーヒーはディ・カフェもレギュラーも全く同じ黒のポットに保存されていて、ロシアンルーレットほどの確率で中身は入れ替わっていた。

コーヒーを飲みながら売り上げを記帳していると、心臓がどきどきしてきて、息が上がってくる。
はぁはぁしながら、ジャネットのおばちゃんまた、レギュラーカフェと間違えた、と。

アメリカはドリップ用の粉のコーヒーもディ・カフェがあるし、お湯を注ぐだけのインスタントのディ・カフェもある。インスタントだと、がくっと味が落ちるブランドが多いが、Folgerの緑ラベルはレギュラーに引けを取らないほどうまかった。

おばちゃんは日本でも普通にディ・カフェが買えると思っていたのにディ・カフェとは何ぞや?と聞かれるとこから始まるので自分でオンラインの捜索を開始した。

日本のCostcoで買えるMJBは味が嫌いだ。Folgerは扱ってない。輸入食品店ではドイツ製のインスタントもあったが日本製の3倍の値段であった。一瓶ポチって見たが、焦げすぎ苦すぎでうむ~という味だった。

UCCの一人用ドリップでディ・カフェがあったので嬉しさに箱で買ってしまった。このUCCおいしい。ところが心臓がどきどきしてきた。明け方まで眠れない。カフェインが大量に残っているようだ。

おばちゃん、Folgerの緑ラベルをAmazonUSから取り寄せようと思ったが、あまりの高さに憤慨した。もういいや、おばちゃん拗ねてしまって地元のスーパーでNescafeの黒ラベルを買ったのである。

むろん、デイ・カフェではない。ところが、黒ラベルはFolgerの味に近かった。うまい。なおかつ、おばちゃんのカフェインセンサーは反応しない。おばちゃん、以来黒ラベルの愛飲者。
幸せの青い鳥は身近にいたのだ。

スパイスを求めて

コロンブスがアメリカ大陸を偶然発見したそのそも理由はスパイスを求めて航海していたからである。
と世界史で習った。

中学生だったおばちゃんは、ホントか?たかがコショウくらいで大の大人がはるばる航海するかしら?
田舎の子供にしてみれば香辛料と言われたって、ラーメンに掛けるコショウしか思いつかない。教えている先生だってわかっているか怪しいものだ。

還暦を過ぎておばちゃんは”あるかな”と思う。何故ならおばちゃんはアメリカで使っていた数々の香辛料が恋しくてならないからだ。

スパイスを手に入れるために未知の航海に行こうじゃないか。
もう一ぺん食べたい。と意地汚く思う。チャイニーズスパーやイラニアンスーパーやら、ごくごく安い値段で本場のシーズニングやら調味料があった。

おじちゃんは嫌いだったけど、五品香が入ったもち米を砕いた調味料とか瓶入りの大根の漬物とか、
ガラスの棚でしまわれていたXOジャンとか甘酸っぱいソース、生のベトナム麺。

イラニアンではミックスされたシーズニング。日本人のおばちゃんに分かる材料は黄色いサフランと微塵のコリアンダーだけ、。牛挽肉に混ぜてカバブで焼くとか、ヨーグルトに混ぜて骨付きチキンを漬け込んで焼くんだ。再現をしようにもお手上げ!英語のレシピも見たことがない。魔法のスパイス。

アマゾンUSには売っているので取り寄せて冷凍するのだけど、香りは飛ぶし使えば減る。

中華食材は横浜中華街にあるのは知っている。
近くに住んでいたから。1缶50セント(ホント)だったフクロ茸の缶詰を500円だとか水煮のクワイが300円とかとんでもない値段で正直腹がたつ。買うと負ける気がする。

それでふと思いついたのが上野 アメ横。
カバブ屋さんがいるというし、そしたらスパイスがあるのではないか?おじちゃんに言ったら乗り気になってアメ横に遠征に行くことにした。スパイスを求めて東京上野へ。

カバブ屋さんはいた。
でもシーズニングは売ってないというのよ。スパイスがあるとしたら西日暮里だって。

コロンブスだってインドに行くはずがアメリカに着いちゃったんだから西日暮里なら近いじゃない。中華食材で五品香いりもち米の粉を買った後、電車に乗った。

西日暮里のイラン料理のご主人は来てくれたのは嬉しいけど売ってないと言った。
さらに、あのパックしたシーズニングと言うのは,結婚したけどまだ料理がよくできないという若奥さんが使うようなもんだって。
料理ができるようになった奥さんはサフランとかなんか混ぜて自分で味付けするんだって。

サフランが欲しかったら小伝馬町に行くといいよ。
小伝馬町か、サフランだけ手に入ってもおばちゃんには他に混ぜるスパイスが分からない。

おばちゃんたち伊豆から出てきたから胸のカラータイマーがピコピコ点滅し始めているんである。今日はとりあえずここまで。

次はおばちゃん神奈川県大和に行きたい。ベトナム人の定住センターがあったところだ。どうしても生麺が欲しい。

移住のすすめ

明治の文豪は書いた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

昭和の時代も平成の時代も日本は変わらなかった。おばちゃんには、いつも住みにくかった。

人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

人でなしの国イギリスは漱石には住みにくかったのだね。黄色人種にとって、当時のイギリスが住みやすい国であるわけがなかったけれど。

今は事情が変わった。
日本人でなしところへ引っ越すと、楽に呼吸ができるようになる場合もある。ただし、己の力が100とすると、日本人でなしの国は常に120%の力がいる。日本人でなしの国で打ち勝つには200%の力がいる。
80%の力で生きて生きたいなら、日本で窮屈になるばかりだ。

生きにくいなぁ
と思ってたら、生きやすい場所を探してみればいいじゃないか。おばちゃんの周りの若い子は、1年、ある子は2年きついバイトをしてアメリカにやってきた。

間借りやルーム・シェアしてボロの車を買って宿題とテストに泣き英語の発音を馬鹿にされて、くやしさに憤慨しつつ言い返すことを覚え、戦って自分の居場所を作っていく。
皆知っていたのだ、人でなしの国が住みにくければ、日本へ帰るしかないことを。

おばちゃんは初めから強かったわけではない。
昭和の昔に姉妹の末っ子に生まれ、自営業の両親は忙しかったので、放し飼いで育った。
近くに気が合う年ごろの子供がいなかったので、好きなことを自分で見つけて一人遊びし、失敗すると親が後始末をしてくれた。

長じて大学に行くとダンナと知り合い、卒業後結婚を申し込まれて結婚した。自分で稼ぐのは面倒くさかったので養ってもらおうと思ったのである。結婚してもデート時代と同じように外食し、ある時映画に行く前にキャッシュカードでお金を下ろそうとしたら、残高不足だった。

ダンナは銀行窓口の知り合いに電話を掛けたが、間違いではなく、ダンナが生活費として引き出して残高は3桁だったのだ。結婚わずか1か月後だった。

おばちゃんは末っ子だったが、ダンナも末っ子だった。ダンナも失敗すると、おっきいお兄ちゃんお姉ちゃんが何とかしてくれたのであった。

困ったわ~。
おばちゃんは、両親から結婚に反対されてて、式には出てくれたものの蔵書とバイクだけが嫁入り道具で新生活を始めたのだった。ダンナがあてにならないなら、自分でも稼がなければならない。おばちゃんは英文科卒という、世の誰もが認める職業生活に必要な技能とも資格とも無縁の人だった。

どうせならと趣味だったバイク屋に就職した。
雇った方は営業もやらせようとしたようだったが、まるっきり無能だったので僻地の支店に飛ばされて事務になった。昭和の時代であった。

そのバイク屋の2年足らずの事務職がわずかに会社組織で働いた経験で、今に至るまで組織の中ではまともに働いたことがない。つくづく組織がなじまない人なんだ。

背が高くて運動神経がよくてスポーツクラブに勧誘されたけれど、チームスポーツは絶望的にあっていない。もくもくと泳ぐ水泳ならできた。でも秒を争う競技として、そんなの意味あるの?他人と速さを競って何が面白い?スポーツって自分でやって面白さを楽しむものでないの?なんだか必死すぎてバカみたい。

というわけで組織と無縁の人生を送り、先輩もなければ後輩もなく常にSole Playerである。

トム・ガール Tom Girl

おばちゃんが協調性のない性格に育ったのはヨシハル君のせいじゃないかと思うの。
近所に同じような年ごろの子はヨシハル君くらいしかいなくてヨシハル君は私より小っちゃくてスピードが遅かったのね。おばちゃんはせっかちで待ってられなかったから一人で遊ぶようになっちゃったのよ。

タモをもって田んぼの水路にタナゴを掬いに行ったり。暗渠には小魚が集まるのよ。ドジョウなんて雑魚だから。婚姻色がでたタナゴが宝物だったから。すごくキレイなの。

大きい池の場合は手が届かないので裏の竹藪から竹を切って物置に落こってた浮きをつけて、餌はどうしていいか分かんなかったから、駄菓子屋さんに買いに行ったの。売っていなかったわ。

タナゴは捕まえたあと、水槽に入れて飼うんだけど淡水魚は水が流れている環境じゃないと自然の美しさが褪せてしまうのね。池があるといいなぁって。それでおばちゃんは玄関の坪庭にスコップで穴を掘った。そして父から叱られた。

上のお姉ちゃんたちは相手にしてくれないし、隣の敷地の従弟ももう高校生になってて小汚い
男の子みたいなちっちゃな従弟には興味が無くてオートバイを乗り回していた。
バイクっていいなと思ったのよ。好きなところにどこへでも行けるじゃない。行動の自由があるってすごいわよね。

保育園の時からみんなで一緒に行動しないといけないのがイヤだった。良く脱走して隣の小学校のプールの基礎の下に逃げたわ。絵本もかくしてあったし。目の前の田んぼのオタマジャクシを見てる方が幸せだったし。

ヨシハル君も遊び相手にならないし、お姉ちゃんたちも相手にしてくれないからおばちゃんは本を発見した。文字の読み方は教わった記憶がないの。一人で本を見つけた気がする。一冊の本に一つの世界が詰まっていて衝撃だった。

自分の知らない世界、川の向こうや山の向こうの世界。おばちゃんは小学校の図書館でせっせと本を借りだした。少年少女世界文学全集なんて繰り返し読んだわね。偉人伝は避けた。1冊読んだらつまんなかったんですもの。

不運な境遇にも負けず親孝行しながらコンナ偉大な人になりました。なんて馬鹿じゃねぇ、気持ち悪いし。

16歳になるまで長かったわ。原付の免許が取れるのが16歳高校生。高校生がバイトできる時代でも環境でもなかったからおばちゃんはまだ我慢するしかなかった。その代わりにバイクの雑誌を買って研究した。どのモデルがカッチョいいか?原付の免許はこっそりとった。

大学。念願の一人暮らし。
最初の夏休みに車の免許も取ったからもう車なら公道も走れるの。初めてのバイトをして少~しづつ貯金をして2年目の秋についにバイクを買ったの。

一人でバイク屋さんに行って、下見をしておいたスズキのマメタンを指さしてこのバイクをくださいって。
背もたれのシーシーバーを特注で付けてね。納車の日、ヘルメットを片手にバイク屋さんに行って
残金を払ってキーをもらったのね。

それでおばちゃんは思い切ってバイク屋さんのお兄さんに、どうやって運転するんですか?って聞いたの。だってバイク雑誌にはエンジンのかけ方が載ってないから。

おばちゃんの運動神経はいいのよ。
野っぱら駆け回ってたから短距離と障害物競争は1番よ。学校も自転車で通ってたしね。バイク屋さんでエンジンのかけ方を教われば、アパートまで帰れた。駐車場は近くに借りたし。

バイクの運転テクニックというのは自分で転んで覚えるしかなかったわ。昭和の末に女の子がバイクを乗ること自体がまれだったから、同好の女子は存在しなかったの。大学では幻のスズキと言われていたらしい。

その当時おばちゃんにとってバイクとは移動の手段の中で好ましい乗り物であって、バイク人生とかバイク文化を目指していたわけではなかった。バイクの運転技術とか性能とかそれほど興味が無かったしね。バスとか通勤電車のように他人と接することがない一人で風の中を移動できる快適さが快かったの。

何がやりたいのかまだモヤモヤとして形になってなかったわ。もっと広い世界に行ってみたかった。
学校とクラスメートとサークルとバイトの世界。自分とは少し違うけど変数の内に収まるタイプの人々。一度ナニナニ方面ナニナニ風タイプと定義されると、その定義に合うように一生懸命努力する人と人生。

な~んか違うんじゃないかな。
なんだかよく分からないけど卒業して結婚して子供を産んでという一般コースはどうしても魅力的に思えなかったの。

おばちゃんの父は長男で、3人女の子が続いた4子がまた女の子だったから、子供のころからお前が女の子だったらと言われ続けて育ったのよ。これは地方のご先祖さまのプレッシャーを考えると、父も母も大変だったと思う。渡米してからこういう女の子をトム・ボーイならぬトム・ガールTomGirlと言うんだと知ったわ。

医者はサービス業

学校の成績がいいから医学部を狙うという。ちょっと待て!
頭がいいから医者になるのか、日本では?医者はサービス業だよ?

頭がいいから病気をケロリケロリと治せるわけではない。患者は人間なので患者に寄り添って治療できるのがドクター。医療サービスmedical servicesを患者に提供して報酬を得るのが医者。Emotional Jobでもある。頭がいいだけでやっていける商売でもない。アメリカでも多分ヨーロッパでも分類はサービス業だと思う。

頭のよさもさることながら患者に奉仕する精神に欠けていれば医業にはふさわしくない。ハーバードメディカル・スクールでも確か入学の課題エッセイの出来が大いに物をいったはず。

考えてみればいいじゃないか。人間の心と体は機械でもなく化学物質でもない以上病気は理数計算で処理できないから。
学校の成績がいいからと言って医者を目指すのは間違っている。頭はイイケド指先が鈍感な人、頭はイイケド応用が利かない人頭はイイケド人の立場に立って考えられない人、みんな患者が迷惑する。

頭はイイケドぶきっちょが医者になってしくじったらどうなるか?
アメリカの医者が患者から訴えられる率は日本と比べ物にならないくらい高いのである。

医療過誤で訴えられたときにカバーする保険の掛け金が値上がりして15年ほど前の時点で1月$7000ドルなどととんでもない金額になり、いくら稼いでも保険料で消えてゆくと、医師を廃業するひとが出始めたとABCニュースで放映されたりした。

HMO医療保険に加入している医師は患者から訴えられないので一時期HMO保険に鞍替えする医師もあった。

個人でクリニックを開業している医師は丸裸だ。医療過誤保険だけが頼りである。
一旦訴えられたら、自分を守ってくれる所属病院や所属医療ネットワークがないないからだ。

アメリカの医師は病気の症状を軽く言わない。もし悪化したら医師のせいで訴えられる。重く言って軽く済めば医師のおかげ。DNR救命拒否なのに半端に心臓マッサージで脳死患者ができちゃったら、一生OnCallで働いても賠償金が払えない。

そういう社会であったから医師を志す人は、使命感と目的をもった人でないと、頭がいいだけでは務まらない。日本の社会もそのうちそうなるのではないか。

How can I help you today?
「今日は何をさしてもらいまひょ?」とと診察室に入ってくるアメリカの医者に慣れてしまって、
(全員ではないが)おばちゃんは日本のドクターに大いに面食らうことになる。なんだ~この上から目線?と。相手もなんだ~この患者?と思ったかも。

ついでに弁護士もサービス業だ。Legal serviceおばちゃんはローカルの市民相談でしなびた里芋のような弁護士を発見
し、なんだ~この弁護士?相手も、なんだ~この相談者?とビシバシとガンを飛ばしてくるので、バシバシ跳ね返しておいた。

September 11 2001  What if

September 11 2001
貿易センタービルが崩壊した日
あの日、いつものように主人を仕事に送ってゆき、家に帰ってきてテレビをつけると、映画の特撮シーンが何度も映った。頭が理解を拒否していたのだと思う。

送っていったばかりの主人はどうしているか、この映像のこの飛行機の衝突の瞬間に何人の命が失われているのか、この崩れ行くビルの間に何人の人がいるのか、恐怖にしびれているのだが、映像から目を背けることができなかった。
親友ジョイスに電話を掛けると、彼女も動揺していて娘を心配していた。彼女の長女は、当時ダナ・キャランNYのデザイナーでもしかして現場近くにいるかもしれず、気が気ではないのが分かった。ダンナのデイビッドは何か情報があるかどうか、電話をかけまくっているのだという。

電話を切って何も手がつかず、かといってテレビを消すと、沈黙で返っていたたまれなくなるのだった。次の日も次の日も、人は非常な緊張のもと日常生活を送ってはいたのだったが、足が地についているのか心もとない日々だった。生者は静かに死者を悼み、アメリカは喪に沈んだ。

May, 19 2003
大統領ジョージ・ブッシュは
My fellow citizens, at this hour,
American and coalition forces are in the early stages of military operations
to disarm Iraq, to free its people and to defend the world from grave danger.

ブッシュの宣言でアメリカ領土を飛行するすべての航空機の飛行をキャンセルされ、アメリカはイラクに反撃を開始した。

2日後に甥の結婚式に出席するはずだった私はフライトのキャンセルを強いられた。長く会っていなかった母が姪と一緒に去年カリフォルニアに来るはずだったのが転んで腰骨を折ったので来れず、結婚式で再会を楽しみにしていた。5か月後に母はクモ膜下出血で亡くなり、ついに今生で会えることはなかった。

テロの記憶はアメリカ人一人ひとりに深く刻み込まれ、ソーシャル・セキュリティのアカウントにログインするときにの3つの秘密の質問には911あの時あなたはどこにいましたか という質問が含まれていた。誰も忘れようがないのだあの日のことは。

2021年7月

ある時私はおじちゃんとテレビ・ニュースを見ていたら、アメリカで親しかった人が突然画面に現れてびっくりしてしまった。

随分、お痩せになったようだ。
コロナの中大変な苦労をなさったのだと思う。とっくにリタイアのお年だけれど、ビジネスをやっていれば従業員への責任もあるし、簡単にやめるわけにいかない。それは私たちもすごくよくわかる。

今日は熱海のニュースを聞いた知り合いから、安否の電話をいただいきLAの知り合いがコロナで2人亡くなったことを知った。

あの時、ビジネスを畳まなかったら、もし、今もOCにいたら、もし、帰国しなかったら、テレビの知人とは別にお世話になった先人がいて、彼はそれこそ昭和の半ばに渡米され手広くビジネスを展開して隆盛を誇った方だった。

我々が帰国を決めて報告した時、
彼は”帰国するといってビジネスを畳む人は沢山見てきたが、本当にきっちり日本へ帰国できる人はほとんどいない”のだそうだ。

苦労して取った永住権が捨てられない住み慣れた家を売りたくない、売れない、子供が学校の途中だ。日本の知り合いに聞いたら職探しが難しいとか、なんとなくまだアメリカにチャンスがありそうでぐずぐずしてしまい居残って、、。
  

帰国の決心はまったく後悔していないが、伊豆には今夜も雨が降るのである。熱海には土石流が流れ、この山はどうなるのかなぁ?おばちゃんの人生はいつも先が真っ暗なのであった。

カラムとは俺のことかとカラム言い

相変わらずWordpressの分けのわかんなさに苦慮してる。
編集のツールがつぎはぎみたいであっちにこっちにあるの?って、気がする。ダッシュボードはなんでこんなに使いにくく遅いのか?

テーブルをテーブルって呼ぶのがよっぽど嫌いなのかしら。ブロックとギャラリー・コラムはどう違うか。
1マスだけのテーブルがブロックでしょう?コラムはセルが複数のテーブル?なんで、同じものを違った名で呼ぶのかな?
余計な混乱を起こすだけではないのかしら。ああ、違うの。ブロックはblock、コラムはcolumnか面倒くせえな。

WPの編集ツールでカラムという単語が出てきて、
おばちゃん、真剣に考えた。カラムってcolumnコラムのこと?columnはいつから日本でカラムになったの?

「ギョオテとは俺のことかとゲーテ言い」ってあれかい?
column コラム/囲み 
column-ist コラムニスト/囲み記事を書く人 
columnistは昔からコラムニストって表記をしていたよね。

コラムがカラムになるんだったら、コラム記事を書く人はカラミ二ストだよね。なんだか絡む人みたい。いつ書き方がかわっちゃったの?

渡米してコミュニティカレッジに行ったとき、気が付いたのはアメリカの発音記号は日本の英語の音声学の
表記法と違う。
あの辞書に「」の中に書いてあるアルファベットの記号だ。おばちゃん外語だったんで音声学は必須科目だった。
面食らったよ。「th」は日本語で「ð]って習ったから。なんだそれ?って聞かれたし。あら?いや嫌だ、イギリス英語の発音記号も表記が違うんだって?!

発音記号の:law 例にとると
日本の音声記号 law [lɔː]
アメリカの音声記号 law [lô]
イギリス英語の音声記号 law [ˈlɔː]
Dictionary.comの音声記号 [law]
カレッジの教科書の発音記号はDictionary.comとほぼ同じだったね。

ところでGoogleさんは発音と発音記号を教えてくれるよね。Googleさんがどの国の発音記号を使っているかというと
law [lô] アメリカ表記ところが column になると [ˈkäləm]イギリス表記
ちなみにDictionary.comは  [kol-uhm]

困ったわ、Googleさんイギリス音声記号とアメリカ音声記号と表記がめちゃくちゃ?それでGoogle さん columnの日本語訳は 「カラム」なの?おばちゃんは頭を抱えてしまった。

あれ、ついでになんかGoogleさんcolumnの訳語の情報が出てきた

翻訳として日本語カラムの使用度が3段階で3頻度コラムの使用頻度は3段階で2 頻度ですって。コラムって書くほうが減ってきちゃったの?

ところがcolumnistの訳は「コラムニスト」使用頻度は3段階の3でカラム二ストの使用例はそもそもない。
やっぱりコラムニストやんけ!なにやっとんじゃ? 
もしかして、日本でカラムとコラムと表記法がが入り混じっているのは
あんたのせいじゃない?

Columの’発音記号はイギリス式で[ˈkäləm]
アメリカ式で [kɑːləm]
Dictionary.com [kol-uhm]

上二つのただ発音記号の「ˈkä」はどうひっくり返っても日本語のカタカナ「カ」とは違う。カタカナ「コ」[kol-uhm]のほうがずっと近い

発音→コ→ カ
 コ○●○○○カ 5段階の2くらいで「コ」に近い。
試しにさ
colombia coffee column coffin とGoogle 翻訳に打ち込んで
しゃべってもらうと、
コロンビア ヵォフィー コァラム コフィン って聞こえる。
カランビア カッフィー カラム カフィン とは聞こえないね。
Colossians colonel collection ”pina colada”
corleage collecte collecto collegiate colony colonial Colorado

朝はカフェオレとカラワッサン 
戦争映画ではイエッサー、カラネルとか
パリ春の新カレクションを見て~ とか
ハワイのビーチでピナ・カラーダを飲むとか、
毎朝カリゲート歯磨きで歯を磨こうとか、
このお家は植民地風カラニアル・スタイルとか
スキーをしにカララドに行くんだ!とか
なんだかコックニーみたいだ。

比較的カ[kuh]に近い発音の単語は
collar [kol-er]
college[kuh-lahzh]
colour「kuhl-er 」 だね。

おばちゃん、いやいやWPの勉強をしているのに、こんなコラムに引っかかって、ちっとも勉強が進まない。

どうでもいいけどさ、かの有名な車のモデルcorollaって発音は同じくCOで始まっているから[kəˈrələ]コローラかな。
ところが、あらら?Dictionary.comでは[ kuh-rol-uh]になってるね?
花束・花冠?の意味だっけ?でも車のディーラーでも、保険屋でも一般アメリカ人はほとんど「コ」寄りのコローラって言ったよ[kəˈrələ]Corollaの上位モデルのcoronaはコロナなんだよね。

あ~、勉強が進まない。

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