September 11 2001  What if

September 11 2001
貿易センタービルが崩壊した日
あの日、いつものように主人を仕事に送ってゆき、家に帰ってきてテレビをつけると、映画の特撮シーンが何度も映った。頭が理解を拒否していたのだと思う。

送っていったばかりの主人はどうしているか、この映像のこの飛行機の衝突の瞬間に何人の命が失われているのか、この崩れ行くビルの間に何人の人がいるのか、恐怖にしびれているのだが、映像から目を背けることができなかった。
親友ジョイスに電話を掛けると、彼女も動揺していて娘を心配していた。彼女の長女は、当時ダナ・キャランNYのチーフデザイナーでもしかして現場近くにいるかもしれず、気が気ではないのが分かった。ダンナのデイビッドは何か情報があるかどうか、電話をかけまくっているのだという。

電話を切って何も手がつかず、かといってテレビを消すと、沈黙で返っていたたまれなくなるのだった。次の日も次の日も、人は非常な緊張のもと日常生活を送ってはいたのだったが、足が地についているのか心もとない日々だった。生者は静かに死者を悼み、アメリカは喪に沈んだ。

May, 19 2003
大統領ジョージ・ブッシュは
My fellow citizens, at this hour,
American and coalition forces are in the early stages of military operations
to disarm Iraq, to free its people and to defend the world from grave danger.

ブッシュの宣言でアメリカ領土を飛行するすべての航空機の飛行をキャンセルされ、アメリカはイラクに反撃を開始した。

2日後に甥の結婚式に出席するはずだった私はフライトのキャンセルを強いられた。長く会っていなかった母が姪と一緒に去年カリフォルニアに来るはずだったのが、転んで腰骨を折ったので会うことかなわず、結婚式で再会を楽しみにしていた。5か月後に母はクモ膜下出血で亡くなり、ついに会えることはなかった。

テロの記憶はアメリカ人一人ひとりに深く刻み込まれ、ソーシャル・セキュリティのアカウントにログインするときにの3つの秘密の質問には911あの時あなたはどこにいましたか という質問が含まれていた。誰も忘れようがないのだあの日のことは。

2021年7月

あの時私はおじちゃん、おばちゃんテレビニュースを見ていたら、アメリカで親しかった人が突然画面に現れてびっくりしてしまった。

随分、お痩せになったようだ。
コロナの中大変な苦労をなさったのだと思う。とっくにリタイアのお年だけれど、ビジネスをやっていれば従業員への責任もあるし、簡単にやめるわけにいかない。それは私たちもすごくよくわかる。

今日は熱海のニュースを聞いた知り合いから、安否の電話をいただいきLAの知り合いがコロナで2人亡くなったことを知った。

あの時、ビジネスを畳まなかったら、もし、今もOCにいたら、もし、帰国しなかったら、テレビの知人とは別にお世話になった先人がいて彼はそれこそ昭和の半ばに渡米され手広くビジネスを展開して隆盛を誇った方だった。

我々が帰国を決めて報告した時、彼は”帰国するといってビジネスを畳む人は沢山見てきたが、本当にきっちり日本へ帰国できる人はほとんどいない”のだそうだ。

苦労して取った永住権が捨てられない住み慣れた家を売りたくない、売れない、子供が学校の途中だ。日本の知り合いに聞いたら職探しが難しいとか、なんとなくまだアメリカにチャンスがありそうでぐずぐずしてしまい居残って、、。
  

帰国の決心はまったく後悔していないが、伊豆には今夜も雨が降るのである。熱海には土石流が流れ、この山はどうなるのかなぁ?おばちゃんの人生はいつも先が真っ暗なのであった。

mikie@izu について

海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。
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