移住のすすめ

明治の文豪は書いた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

昭和の時代も平成の時代も日本は変わらなかった。おばちゃんには、いつも住みにくかった。

人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

人でなしの国イギリスは漱石には住みにくかったのだね。黄色人種にとって、当時のイギリスが住みやすい国であるわけがなかったけれど。

今は事情が変わった。
日本人でなしところへ引っ越すと、楽に呼吸ができるようになる場合もある。ただし、己の力が100とすると、日本人でなしの国は常に120%の力がいる。日本人でなしの国で打ち勝つには200%の力がいる。
80%の力で生きて生きたいなら、日本で窮屈になるばかりだ。

生きにくいなぁ
と思ってたら、生きやすい場所を探してみればいいじゃないか。おばちゃんの周りの若い子は、1年、ある子は2年きついバイトをしてアメリカにやってきた。

間借りやルーム・シェアしてボロの車を買って宿題とテストに泣き英語の発音を馬鹿にされて、くやしさに憤慨しつつ言い返すことを覚え、戦って自分の居場所を作っていく。
皆知っていたのだ、人でなしの国が住みにくければ、日本へ帰るしかないことを。

おばちゃんは初めから強かったわけではない。
昭和の昔に姉妹の末っ子に生まれ、自営業の両親は忙しかったので、放し飼いで育った。
近くに気が合う年ごろの子供がいなかったので、好きなことを自分で見つけて一人遊びし、失敗すると親が後始末をしてくれた。

長じて大学に行くとダンナと知り合い、卒業後結婚を申し込まれて結婚した。自分で稼ぐのは面倒くさかったので養ってもらおうと思ったのである。結婚してもデート時代と同じように外食し、ある時映画に行く前にキャッシュカードでお金を下ろそうとしたら、残高不足だった。

ダンナは銀行窓口の知り合いに電話を掛けたが、間違いではなく、ダンナが生活費として引き出して残高は3桁だったのだ。結婚わずか1か月後だった。

おばちゃんは末っ子だったが、ダンナも末っ子だった。ダンナも失敗すると、おっきいお兄ちゃんお姉ちゃんが何とかしてくれたのであった。

困ったわ~。
おばちゃんは、両親から結婚に反対されてて、式には出てくれたものの蔵書とバイクだけが嫁入り道具で新生活を始めたのだった。ダンナがあてにならないなら、自分でも稼がなければならない。おばちゃんは英文科卒という、世の誰もが認める職業生活に必要な技能とも資格とも無縁の人だった。

どうせならと趣味だったバイク屋に就職した。
雇った方は営業もやらせようとしたようだったが、まるっきり無能だったので僻地の支店に飛ばされて事務になった。昭和の時代であった。

そのバイク屋の2年足らずの事務職がわずかに会社組織で働いた経験で、今に至るまで組織の中ではまともに働いたことがない。つくづく組織がなじまない人なんだ。

背が高くて運動神経がよくてスポーツクラブに勧誘されたけれど、チームスポーツは絶望的にあっていない。もくもくと泳ぐ水泳ならできた。でも秒を争う競技として、そんなの意味あるの?他人と速さを競って何が面白い?スポーツって自分でやって面白さを楽しむものでないの?なんだか必死すぎてバカみたい。

というわけで組織と無縁の人生を送り、先輩もなければ後輩もなく常にSole Playerである。

mikie@izu について

海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。
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