蟻ンコの戦い

おばちゃんが大学を卒業して最初に働いた職場は貿易会社だったが、おばちゃんはとことん無能だった。

コピーを取る。これはOKだった。ハンコを押す。これはダメだった。ハンコの向きやインクのムラがあって無茶苦茶だった。ハンコを押すのが目的なら、5度傾いていたからと言ってそれがどうしたと。

輸出する車の車検証を別規格の紙にタイプライターでタイプしていくのだが、タイプミスをする。英文科の出身だからタイプライターはできるが、無意味な数字とアルファベットの組み合わせでは目が滑って頻繁にタイプミスをする。無意味なアルファベットの組み合わせが悪いのだ。

おばちゃん仕事全体の流れの中でどのような役割を持っているのか理解していないと、興味も集中もできなかったのである。パーツとして使うには最低な部品だったね。


お局様は東京でバリバリやってました有能秘書感満々の人でおばちゃんは深く劣等感にさいなまれるのだった。貿易会社は英文科卒の実務能力ゼロの女の子にいったい何をさせたかったのか?と今では思うのだが。

会社が終わり駅でとりあえずビール(昭和の時代は駅に自動販売機があった)をプシュッと一缶開けないと実家に帰れなかった。いろいろあって、貿易会社を3か月で辞め、実家を飛び出しおじちゃんのアパートに転げ込んでそのまま結婚した。

結婚後も働いた。次の職場はまたしても事務職だったがやはり無能だった。
会社はついでに営業もやらせようとしたがもっと無能だった。小さな会社だったのである程度仕事の全体像と流れは読めたのだが、やはり人に商品を売るということに意味が持てるわけでなくパーツになれなかった。

日本の人は優秀だと思う。人の粒がそろっている。
皆さんそれなりの学歴がありさわやかに仕事をこなしている。おばちゃんはいつも蟻ンコになった気がしていた。蟻ンコ、ちっちゃなちっちゃな蟻ンコ。

酒の量が増えてきておじちゃんが帰宅することにはほろ酔いという習慣ができてきた。
おじちゃんがいて、安定した(ささやかな)生活があっても、蟻ンコからはどうしても抜けられなかった。

おばちゃんくらいの能力の人は日本に五万といる。おばちゃんなんかいくらでも取り換えが効く。個性もない。おばちゃんは何かユニークでありたかった。趣味はバイク!愛読書!だがそれがどうした?何か創造的なことをしたかったが、何をどうしたいのかわからなかった。

暮らしているこの場所でおばちゃんは一体何を要求されているのだろう?おばちゃんに与えられた人生で、いったい何をすべきなのだろう?蟻ンコにはわからなくて酒の量だけ増えた。

勤めたり辞めたり飲んだくれてある日とうとうこのままここに居ては自分が死んでしまうと思った。
部屋で暴れて帰宅したおじちゃんがずたずたになった本にショックを受けた。
おじちゃんに“日本にはいられない、どこか日本でないところへ連れて行ってほしい。”と要求した。おじちゃんが見送っていた海外赴任の話があったから。

渡米して初めて自分に欠けていたものが分かった。
実務であり基礎知識であり、実際の目標だった。それはアメリカで生きていくためにも必要なものだった。目標を実現するためには、まず学校に戻って必要知識を身につけなければならない。

おばちゃんを取り巻いていた日本の社会の壁はなくなり、アジア系の女の子がクラスに交じっていようが年齢だろうが、誰も意外に思わなかった。何をしてもよい。自分の好きなことを好きなようにやって誰も指さす人がいない社会。

入院がきっかけで酒もやめた。酒浸りではアメリカで生きていけない。自分の全機能の120%増しで必要だから。

ゴールはおじちゃんの独立だった。自分でビジネスプランを考え、そのためにどんな資料を集めて何を研究すればよいか、初めておばちゃんは具体的な目標が見えた。

見渡せばそんな日本人はいくらでもいた。
州のライセンスをひとつづつ取っていって最初はアパートで、あるいは出張フェイシャル・マッサージなどのビジネスを始めたひと。

最初はちっちゃなスペース、お客さんがつくともっと大きなスペース、最終的にモールのテナントとしてエステサロンを開業した女性。人を雇ってより大きくよりポピュラーなモールに引っ越して最終的には2店舗を構えるオーナーになった人。

最初は同じく自宅で、次は大手の学校が使わない夜間の教室を借りて開業し、余裕ができたら自前でテナントを借りさらに大きな教室を開いたやはり女性。

誰も、XXXセミナーや開業セミナーなんかに通ったわけではない。
自分の手が届くところから始めて大きくしていった。人が欲しがっているサービスを提供できれば人も喜ぶ、自分もうれしい。Win & Win 


それが何かは、目をおっぴろげて社会を観察し自分がイケる感じたところを自分で創造していく。こうあるべき、こうすべきという型にはまったセオリーは必要ない。日本の固定観念は役にたたないから。自分が作りたい理想を自分で考えて自分で作れ。

十数年、おじちゃんと二人で商売をやった。
自分の人生が何をするために生まれてきたのか、何をすべきだったのか、、一応の成果は達成したと思う。おじちゃんの夢を実現させることは同時におばちゃんを生かすことでもあって、余裕ができれば他の人を生かすことでもあった。

自分が何のために生まれてきたのかわからない時に、他人を生かすことはできない。社会に責任を持つこともできない。おばちゃんはあの時代あの町でおばちゃんの役割を果たした。

おばちゃんの人生のフューズにはいくつもの段階があって、ビジネスの役割を果たした後は、おじちゃんと猫たちがいかに健やかに余生を暮らせるかを考え日本に帰ってきた。

第三コーナーを回って、残りの人生が見えてきたときおばちゃんは書き残していたくなった。おかしいと思うことを発信したいと思った。需要がどれほどあるかわからんが。

昭和の末期、おばちゃんが蟻ンコになっていた時に、日本であのまま酒浸りでいたら人生をつぶしただろう。おじちゃんの夢を実現させることも人を生かすこともできず確実にアル中で死んでいただろうと思う。一つの人生を無駄にするよりは、生きられる場所を探して生きればよい。

日本の社会は戦いにくい。
アメリカなら苦情はここで、そこで解決しなかったら次はここへと社会のシステムがクリアだが、日本はあいまいなので自分の相手が誰なのかどれが窓口なのかそこがまずわからない。窓口が判明したところで、質問をしてもYesでもNoでもない答えが返ってくる。返ってこない場合もある。

戦う相手が大きすぎるとおばちゃんの発信なんか、蟻ンコの「屁」くらいかなと憂鬱になる。ひいきのユーチューバーさんも全く同じことを言っていた。ただ、発信するだけなんですっと。

1万の再生と1千のPVとその他のブロガー、ユーチューバーの記事と放送が、ちょろちょととした流れから怒涛のような奔流となって天までとどけ!って言いたいが、毛筋くらいの影響でも天に与えられることを祈ろう。
あんまり考えるとまた蟻ンコになっちゃうからな。


EB5とコリアンと日本食レストラン

2000年からしばらくたって、まだ不況の影響が残るころ、
エリアの日本料理店が次ぎ次とコリアンや中国人に売られていった。客にはまったく売買の動向がわからないので、土曜日のランチに久しぶりに行きつけの日本レストランに行ってみると看板が変わったいた。

フロントガラスに貼られているメニューはアメリカ人向けのコンビネーションばかりになって、焼き魚とか生姜焼き定食だとか純粋日本食は姿を消した。

ほかの店に回る時間的な余裕がなければ、意を決して入るしかない。
案の定、出てきた味噌汁はただの味噌湯。ガリガリに揚げられた天ぷら。甘い甘いタレのチキン照り焼き。食べられそうな冷ややっこに醤油をしこたまかけて白いご飯で掻き込んですぐに出る。

当時の韓国政府はアメリカやカナダに移民する自国民に資金を貸した。
まさか口減らしに国民を移民させたわけではあるまいが、資金をだして他国で稼がせ、本国への経済支援をさせようとの心づもりがあったのかもしれない。が、それは必ずしも成功しなかったようだ。

韓国政府からの資金でカリフォルニア州南部の日本人レストランを買収しEB5ビザ(投資ビザ)から永住権を取る。首尾よく取れれば次のコリアンに店を売りさらにEB5で“永住権を取る”EB5の輪”が広がるケースもあった。

ただ、買収するのは日本レストランが多かった。なぜかコリアン・レストランを自前でオープンしようとする輩は少なかった。理由は簡単で、寿司、和食はインターナショナルな味覚としてアメリカではすでにポピュラーだったが、コリアン・フードは未開の地に近かった。コリアンレストランをオープンしてもアメリカ人客は引き付けられず、小さなコリアン人口だけではビジネスの成長が見込めなかったから。

コリアン自身もコリアン・レストランより日本レストランのほうが「格」が上と思い込んでいる節があった。なるべく日本人客に知られないように秘密裡に売買交渉を行い従業員もそのまま、経営だけこっそり買い取って営業するオーナーもいた。むろんメニューも一切変えない。

日本人は意外と知らないが、韓国本国でも日本スタイルのすし屋というのはあるらしく、すし屋業何十年というコリアン寿司職人もいて、日本人から店を買った後カウンターで握っている。英語以外しゃべらない。ウエイトレスはわざわざ募集して日本人を置いているのでアメリカ人の客からは純粋の日本人寿司職人だと思われていた。

ただ、日本人が入ればあれ?と思うことがあるので常連になることはない。焼酎にキュウリの薄切りが入っていたりするし。

ある程度の料理の修行ができているオーナーが買収するならまだましなのだが、レストラン業をなめてかかっている階層が日本レストランをオープンしたりすると悲惨なことになる。
味噌汁とは湯に味噌を溶かすもの。味付けができないので、テーブルに唐辛子ソース、しょうゆ、ソースを置いて自分で味付けをしてくれと。

アッコちゃんはダブルジョブをしていた時そんなコリアン?寿司レストランで働いたことがあるという。
日本人からレストランを買って、見よう見まねで寿司を握るから、日本人客はあっという間にいなくなり味覚障害のアメリカ人客ばかりになった。

あるランチタイムの終わりごろ、客が入ってきて和風の定食を頼んだがあいにく白米はなくなってしまっていた。照り焼きと天ぷらのコンビネーションなどには白いご飯がつくが、コリアンのおかみさんからすれば要するにご飯なら何でもいいだろうと思うので、すし飯を茶碗にもって出そうとする。

アッコちゃんは、仰天してNo, no, no! Not sushi rice.
おかみさんはダメという理由がわからないので、It’s ok, never mind.
アッ子ちゃんはNo, not sushi rice.

白飯はないので、とにかくオーナーは出せというので、仕方なく定食をだしたら客はご飯を一口食べて出て行った。

コリアン・オーナー夫婦は、日本食には全く才能がないが、アッコちゃんの賄いはものすごくうまいスンドーブや焼き肉を食べさせてくれるのだという。アッコちゃんはこんなにおいしいコリアン料理ができるのだからコリアンレストランにすればいいのに、とオーナーに言ったらしいが、コリアン・レストランじゃ客が来ないからと、そのまま寿司屋をつづけて店をつぶした。
コリアン人口もまだ少なかった頃。

隣国であるということ、一時期日本領土としたことがあること歴史上のあれやこれやがあるので、まったくの外国人として接するのが難しい人たちではあった。

ある晩、おじちゃんと居酒屋にいたときは、商売相手らしい日本人とコリアンが飲んでいた。日本人のおっさんは完全に酔っぱらってきて、

I’m sorry, I apologized what our father’s generation did to your country,,, (申し訳ない。父の世代があんたたちの国にしたことをお詫びする。)

と店全体に響き渡るような声で、ひたすらapologize, soooorryとかうるさく騒ぐ、コリアンの商売相手は、なんか言っていたがこっちも相当酔っぱらっていて揶揄するようにこんなことを言った。

I don’t care whatever while you are losing your money dealing with us.(あんたがうちとの商売で損をしてる間は、気にしないよ)

このころには日本人はべろべろになっていたので何を言われたかきっと聞いていなかったろう。この時ばっかりは、コリアンのほうが一枚上手と思った。

それからコリアンと言わずものすごい勢いでアジア系の人口が増えた。
日本レストランのオーナーが日本人である経営は全体のたった2割といわれるようになってしまった。

そこそこ大手の不動産屋と話す機会があって、(ハワイが本社のあの不動産会社)そのリアルターが、実をいうとコリアン相手でEB5の日本料理の買収をしたのは主にうちの会社でした、と告白した。あそこの店も、この店も?と私が聞いて、そうですという。

好奇心に駆られて、ねぇ、日本食店をコリアンが買収して経営がうまくいったのは何割ぐらいあるの?と尋ねると、
彼は一瞬黙った後、ゼロです。と言った。
彼らもうまくいかないのを学習したので、今は誰も日本食店を買おうとしません。

コリアンからは日本人はずる賢いと思われているのは知っている。一瞬、否定できないかもと思ったのは確か。


平均的アメリカ人が一生に何回訴訟に関係するか

平均的アメリカ人が一生のうちで訴訟と関係するのは何回くらいだろう?ふと思った。
ドナルド・トランプが抱えている訴訟3500件 
彼の会社が訴えているのは1900件。 訴えられているのは1450件。 破産訴訟とかのその他150件、連邦法だと169件である。

アメリカで一年のうちにファイルされる訴訟の数も統計にあるが、一般的なアメリカ人が人生で何回訴訟に巻き込まれるか、は統計に出てこない。検索場所か、検索ワードが悪いのか。

アイ子ちゃんは、アメリカで暮らすなら身内に弁護士がいなけりゃ怖くて暮らせないじゃない。と言って、自分の旦那を弁護士にした人である。私が知っているだけで少なくとも交通事故の訴訟で2回、学校関係で1回やっていると思った。

〇谷さんの奥様は壁の塗り替えを日本人業者に頼んだ。そしたらアシスタントのメキシカンが家具を部屋の中央に集め、上から汚れ防止にビニールをかぶせ、(ここまでは良かった)そのビニールを紙テープで止め新品のカーペットの上からカッターで切った。新品のカーペットがカッターでズタズタ。

業者が言い訳ばっかり言うので「日本人だからってタカくくっているならなら訴えるわよ」日本人業者が焦って新品カーペットを保証した。これは訴訟にならなかったが、〇谷さんの会社が日本の特許を持っているアメリカの唯一の代理店なので、アメリカ人がチャレンジしてくる件が多かったそうだ。

アッコちゃんはマネージャーとしてスモールコートに証人として何回も出廷した。パートタイマーのアメリカ人がオーバータイムがついていないと一発でスモールコートに訴えてくるから。

〇子さんは、客に会社のサービスのネガティブなことをしゃべって、会社からワーニング・レターをもらい「もう一度このようなことがあれば解雇もありうる」という文言を脅迫だと訴訟をファイルするとか騒いでいた。

訴訟には被告と原告と双方の弁護士がいるが全員日本人だと、同じ場所でバッティングして気まずくなったことがある。日本人が集まる場所は限られているから、お互いこれはもう避けようがない。

一度も原告にならず被告にもならずに平和にアメリカで人生を全うできる人がいれば、きわめて幸運な人なのだろう。(集団訴訟は数にいれないとしての話。集団訴訟を数に入れると、たぶん一生訴訟に関係しない人はアメリカにいなくなってしまうから。)

訴訟にならないまでも、諸庁諸組織にcomplainをファイルした経験のある数ならもっと多いだろう。

渡米して3年目に救急車で救急病院に運ばれ、ERの担当ドクターに「肝臓の数値がすごいことになってる。なんで飲むんだ!」って怒鳴られたからおばちゃんもつい反応して「曰く言い難し」と怒鳴り返したら、カルテに反抗的って書かれた。

なんでそんなことを知っているかといえば、チャート(カルテは英語ではチャート)のmedical releaseをかけたから。ドクターが持っているすべてのレコードをコピーして取った。

このERのドクターKelvinにはチャートにその他ないことないこと書かれてしまい、のちに大変なことになったのでおばちゃんはCalifornia Medical Boardにコンプレインをファイルすることにまで発展した。

コンプレインは受理されなかったが意見書が返ってきて例えば事実が疑わしいものであってもドクターが信じるところをメディカル・チャートに記述した場合、訂正を求めることはボードとしてもできがたい。とボートの意見が述べられていた。

そうか、。渡米して3年目だったしおばちゃんもよく考えずにしゃべったことを記録されてしまったのであった。端的に無防備であった。
アイ子ちゃんも同じような経験をしていて、こちらは交通事故だったが、ぶつけられて同乗していた10代になるかどうかの子供が最初にポリスの事情聴取に応じて話したことが調書に載ってしまい、子供の勘違いを訂正しようにも弁護士の旦那の力でも、がんとして修正できなかった。
アメリカでは用心深くあらねばならぬ。おばちゃんは心に誓った。

次は、日系だというだけでかかりつけに登録したドクターは3分診療どころか1分診療。こちらの症状を話し終えたときにはドクターは処方箋を書いていて、受け取って顔を上げたらもういなかった。
ある時、おばちゃんは耳の調子が悪くて耳鼻科の専門医に診てもらいたかった。ところがこの時のHMOという管理健康保険は患者はまずかかりつけの内科医にかかることになっていた。

HMOは保険会社が医療費を抑えるためにできたシステムで、かかりつけ医が患者にジャンジャン検査をすると金がかかるので、できるだけ検査をしない。専門医にも回さないようにする。患者を専門医に回すとかかりつけ医のHMO内の評価がさがるっていう噂もあった。胃が痛い、じゃあ制酸薬を処方して様子を見ましょうね。胃がんが悪化して死亡なんてこともあった保険システム。

この内科医が専門医に回したほうがいいね、と紹介状をだして初めてHMO内の別の専門医に掛かれる。
この日系ドクターに耳の不調を訴えて耳鼻科で聴力テストを受けたいと言ったら、こいつは簡易聴力テストの器具をとりだしてポンポンと3回鳴らした。聞こえますか?そりゃ聞こえるわさ。じゃ、異常なし。なんだって?たった3回よ。

この日系ドクターはウナギのようにすばしっこくアッという間に診察室をでて次の患者に向かっているのだ。おばちゃんはナースを捕まえて、話は終わってないと抗議するのだったが「ケエレ」と言われて切れた。

かかりつけ医に登録した後に、この日系医のうわさでいいものは何もなかった。どうもボンクラでアメリカのメディカル・スクールでやっていけなかったからフィリピンの医学校を出たとか。患者に心電図の大きな装置をしょわせて何日か検査させてたのにスイッチを入れるのを忘れていたとか、誰さんが手遅れでなくなったとか、。

登録したかかりつけを変えるには手続きと時間がかかる。
ましな医者に代わる前に言いたいことは言ってやろうと、HMO保険にcomplainをファイルした。
このドクターに苦情を寄せるのはおばちゃんが初めてではなかったのかもしれない。割と早く保険会社からhearingを開くからと通知が来た。そのころには別の医者に登録をして耳の検査も済ませていたから、怒りのエネルギーもしぼんでいた。

Hearingを開くってHMOもかなり本気で受け取ってるよ、どうするやる?ってテリーさんから聞いて、あの医者の評判も随分落ちただろうからもういいやって、そこで手じまいにした。

家を買った後は、住人とアソシエーションがビルダーを訴えていてセトルした後だった。壁が設計図より薄いとか、断熱材が入っていないとかバスタブに穴が開きやすいとか様々な手抜き工事が明らかになって、ビルダーが無償で補修工事を行うことで決着していた。

先人の日本人おば様によれば、このごろはビルダーは家を建てた後は会社を解散して家を買った住人が訴えようとしてもも会社が無くなてってできないことが多いのだと。ウチの家のビルダーは逃げ足の遅い奴だったので住民に捕まったのだった。ラッキー。

EDD(Employment Development Department)の裁判はインナー裁判だった。永住権を取った後、イミグレがおじちゃんのステータスをビザから永住権に書き換えるのを忘れたので、失業保険が下りなかった。もぅ、アホみたいなイミグレのミステークで裁判をやった。

ライセンスを持っていないエステティシャンにレーザー治療を受けて色素沈着しちゃったときは、おばちゃん自分で裁判をファイルした。自分訴訟というやつ。
相手は金を持っていないとわかっていたから少額裁判にした。自分でできるセルフ裁判な~んてウエブがあったので、おばちゃんはお昼寝をする代わりにせっせとページを読んで手順を踏み自分で裁判をファイルした。裁判の当日にコート外で和解したけど全額分捕った。勝負には勝った。

アメリカでずっと死ぬまで暮らしていたらあと何回裁判に関係しただろう?被告には一度もなっていないが、その後も訴えられずに一生を全うできただろうか?商売を続けていれば難しかったのではないか。

ちょっとのきっかけで訴えてくる社会は社会としておかしいではないかと、正論を言ったところで、自分がまっとうに生きていても訴訟は降りかかってくるものだと覚悟したほうがいい。訴えられて何もしなかったら確実に負けるのだから応戦するしかない。

おばちゃんのカンでは平均的アメリカ人は訴えたり訴えられたり、3回~5回くらい?人によってはもうちょっと多いかな。

集団訴訟は通知が回ってくるからこれは数のうちに入らない。
口座がある銀行だとか、物を買ってユーザー登録をした人だとか、サービスのアカウントがあるからとか、。弁護士団が勝手に住所を調べてくれて、こちらにお知らせを送ってくるからサインをして送り返すだけ。あとは弁護士団が和解金を分捕って分配してくれる。もちろん自分たちもたっぷり懐に入れる。

日本に帰国してからも一件、銀行の「和解金の小切手」が追っかけて届いた「125ドル」転送住所をあっちこっちさまよっていたので、伊豆に届いたときは有効期限が切れていた、。かなし~い。
おばちゃんが参加している集団訴訟で係争中がまだ一つある。いくら配ってくれるか楽しみ。


クリスマスの奇跡

二つの故郷

「私が帰る二つの国」 ドウス・昌代(文春1985年)が昭和の末に出版されて
当時のおばちゃんも読んだ。40年近くたっても日米にまたがる人間の事情はさほど変わっていない。

確かにアメリカには次々に日本のビジネスが進出している。現地日本スーパーは日本の品ぞろえに近い商品が並んでいて100均だってできたから、物に関しては不自由ない。なんだったら楽天から転送経由で好きな物を買えばいいし。

不自由がないと言いつつ、選択肢がないのも事実。
南加の日本スーパーの売り場は、いまだに魚売り場がどこでパンがどのコーナーだったか思い出せる。何十年も通ってたわけだから、うんざりしていた気分も同時に思い出す。一番嫌だったのは、アジの干物。日本から冷凍で運ばれたアジの干物は、焼くとどうしても不快な冷凍臭があって、鼻に一撃くる。あれだけは嫌だ。It’s enough!

日本にも家が残っていて、好きな時に2国の家を行き来すのが“いいとこどり”の一番贅沢な2国の味わい方なのだろうが、庶民は働かねばならんのである。

稼いで税金を払って暮らす国と、たまに帰る(あるいは行く)国の日本。いいとこどりどころか、リップ・バン・ウインクルみたいのも珍しくない。子育てだって忙しいし。家族分のチケットを買えば一財産になるのである。
そうそう行き帰りできるかっての。

生活のために働いていると、あっという間に15年は経つ。
15年経つと、子供はアメリカのこどもに育って、日本の従妹とかおばあちゃんに会いたとかも言わなくなるし、日本語の敬語も無理かもしれない。結局自分一人で実家に帰る、骨休めのつもりで。

昔の友達はスケジュールを合わせてくれてうれしい。何から話していいか、生活の違いを面白おかしくべらべらしゃべると、楽しんでいてはいてくれるが、気が付くと彼女の生活とは全く無縁な別世界の話で上滑りしてるな、と心が寒くなる。

何が寂しいか言えば、日本の親友とは、アメリカで起こる問題は相談のしようもなくなってしまう。アメリカで起こるトラブルは起こる理由も処理の仕方も、日本の友達には理解の範囲外だから、愚痴をこぼすにも同感も得にくい。
この辺で40代の後半だ。

アメリカに帰ると、ああ、家に帰ってきたと思う。
けれどこの国が心の底から自分の国とは思えない。端っこにいさせてもらっているだけ。なんでも話す親友はこっちにもいる。同じ外国にいる仲間だから問題も共通で相談もできる。

生活に流されるとまた10年経ってしまう。
まだ、50代でも若いつもり。40代の延長だから。でも60代を過ぎるとリタイアは射程距離に入ってくる。体力的に不足は感じないけどあと何年このままでいけるか?60代後半になったら、健康に不安が起きたら?医療費がネックだなって。

おばちゃんたちの場合は、ビジネスの区切りがよかった。続けるとなるとまた10年契約になる。パートナーのどちらでも何かあると二人で生きるのが大変になるから。自分たちと猫が老後に安心して暮らせる隠れ家を用意しなきゃと思った。

日本移住の手配は大した問題ではない。売り手市場なら家はあっという間に売れる。
問題は心の始末のつけ方。

負ける気がする。日本に帰るのが負けた気がする。アメリカの社会でず~と戦ってきたから。負けたくないって。せっかく取った永住権を捨てることになる。

実際に帰国してみるとなんか肩の荷が下りてしまった。戦わなくていいのがこ~んなに楽だったのか。おばちゃん、いったいどんだけ戦っていたんだよ。と戦わなくなってから初めてずっと戦っていたんだと気が付いた。

アメリカに帰りたいか?と聞かれれば帰りたい。でも、アメリカには黒い土でできた庭と畑がない。四季がない。伊豆の穏やかな芳醇な自然にからめとられてしまって、この庭と離れるなんてできないと思う。

もう、私たちは人生の第三コーナーを回って、ホームに向かってる。
コレステロールの多い食事をしていたから、おばちゃんたちの寿命は、日本の平均余命よりきっと短いと思う。
どこの国でという問題ではなく、最後のゴールに向かってどんな走り方をするかが問題なの。


投資ビザEB5とは

投資ビザEB5とは何か
創設されたのは2000年より前。アメリカ経済のテコ入れをするためか投資カテゴリビザに新しいビザ枠が新設された。脚光を集め始めたのは2007~8年前後だった気がする。


当時、ジョイスの夫の不動産エージェントのデービッドが大忙しでフル稼働していたから、一体どうしたのか聞いたら、EB5ビザの案件がものすごく増えて家探しも有卦に入ったのだという。
デービッドの一族は、もともとは上海出身だったのでデービッドは上海語ができる。中国共産党の金を持っている層が、我も我もと投資ビザEB5と永住権を狙いにアメリカに渡ってきたのだという。

EB5(イー・ビー・ファイブ)の「5」は50万ドルを意味している。米国内で50万ドル以上の投資をすると永住権が付帯されるのだ。(*プログラムによっては90万ドルの案件もある)
ビザカテゴリといいながら実質永住権の付与に他ならない。
よくあるのは、現地のレストランを丸ごと買い取る。現地雇用が10人いるので、中-大規模のレストランを買収してオーナーになる。総額が50万ドル以上の投資になれば、永住権が取れる。続々と大陸から中国人が渡米してきた。アメリカで起業する

商売の元ができて永住権が取れたら次は家だ。そこでデービッドが物件を仲介する。言葉ができるし中国人は同じ中国人のエージェントを探すから。
家を買ったら次は車だ。デービッドは車のディーラーも紹介してフル回転の意味が分かった。とにかく生活に必要なものは一式まとめて全部世話をする。

新築住宅の売り出し会場が中国人の客で満杯。中国人エージェントが中国語のパンフィレットを撒いたのが地元でショッキングなニュースになった。
同時に空飛ぶ中国人妊婦がニュースになり、おばちゃんはこの目で妊婦たちを見た

中国人客が中華系弁護士事務所にビザ申請に押しかけていくのを、現地アメリカ弁護士事務所がうらやましくてたまらない。ところが中国人の弁護士が簡単に増やせるわけがない。

誰か中国語を話せるのはいないか?と血眼で探し回りなんとウチのパイポにまでもバイトの声をかけてきた。
おばちゃん、オレ週2日弁護士事務所でバイトすんですよ。
あれ?アンタいつから中国を話せるようになったん?
いや、話せないっす。黄色い顔しているから中国人が安心して頼みに来るかもって!とりあえず中国語の挨拶は練習しました。

中国人で弁護士なら人に雇われず自分で起業しようとするからな。
ユダヤ人だろうがホワイト・アメリカ人は中国人をよくわかってない。
「甘い汁が吸えるなら、自分で吸おう!」が中国人よ。わざわざなんでアメリカ人にピンハネされて給料をもらわんといかんの?

ホワイト・ユダヤ系弁護士事務所が中国語が話せる通訳を雇ったところで、通訳はチャンスと思うと中国人の客と直取引をしてしまう。客だって中国人なんで、通訳がもっと安くできますよと耳打ちすれば同胞の事務所に行ってしまう。

つ~わけで、中国人がEB5がらみでバンバン金を使うのを、ホワイト・アングロ・ユダヤ系は指をくわえてみていた。パイポもすぐにバイトを首になった。

さて、このEB5の要件だが今調べたら今はEB5専門の仲介会社までできていたわ。イミグレから年間発行数は9940件ある。永住権が欲しければ、こういう仲介会社に駆け込んで買収会社や投資ビジネスの面倒を見てもらうわけだ。

あなたに経営できそうな会社はこれです。現地の会社を丸ごと買い取るか、自分で作るか、仲介会社は相談に乗ってくれるのだろう。Webのページにある「estimate見積」というボタンが恐ろしいね。

投資金額は50万ドル以上1ミリオン以下。
米国で10人以上の現地雇用を創生することが条件。2年後にビザの条件を満たしていればビザを延長して5年後には市民権の道がまっすぐ開けている。


小室圭がこのEB5を取ろうとするとき当然ビザのための会社がいる。ニューヨークの寿司屋を1軒買うよりは「ベンチャー企業」のほうがカッチョイイと思ったのかもしれない。中規模のレストランでも経営に失敗すれば億単位の負債ができるので、レストランの買収はやばいと敬遠したのかもしれない。

小室圭が「ベンチャー」の意味を知っているかどうか不明。日本の銀行でさえ仕事ができずに持て余された彼に、どんな経営ができるか不明。
会社の利益を出し2年後から満5年後までの間にビザの要件を満たしつづける。誰がどれだけ彼らのの赤字補填をするのか。そして5年後に彼らは市民権だ。

失効しかけている留学生ビザが莫大な資金がいるEB5をとる?ありえない。まったくの前代未聞なのだ。
メロン農家のベトナム人農業研修生 グエン・ヌグエン君が、日本のIT企業買収して日本就労ビザをゲットてか?あるかい、そんな案件。


「ベンチャー企業」の単語を聞いた瞬間、おばちゃんは一人のタレントが頭に浮かんだ。
「俺って、ビッグだから」
小室圭をとことん勘違いさせた支援部隊にこれ以上彼らの支援をさせるな。

#NOと言おう

#小室圭にベンチャー企業をあたえるな

夜明け前が一番暗い

おばちゃんは引き続き、US系でいろんな検索をかけていたら、驚きの統計やら変なものがひかっかった。

まず、驚きの統計から。
Covidではアメリカが世界で一番多くの犠牲者を出し、経済でも深刻な影響が続いている。
おばちゃんが去年のサンクスギビングの前に、カリフォルニアに出した普通郵便はいまだに着いていない。(Jan.30 22)

アイ子ちゃんから連絡を受けて、EMSで同じ書類を再度送った。町の郵便局ではアメリカ側で大変な滞納でているからEMSでもいつ着くかもわからないという。通常5日から7日で着くEMSが未だ着かない。アメリカからのクリスマスカードはクリスマス前に届いたのに、届けられたアメリカ側では処理ができないのだ。

アイ子ちゃんによると、息子が務める会社でも半数の人員が出社できずに人手が足りないのだという。感染の療養中か、待機中か、ワクチン未接種で待機か。

先の記事でアメリカも今が踏ん張り時だから。と書いたのだが「お前は日本でぬくぬくと暮らしているくせに無責任に、、」と思う在米の方が居られこともあると思う。

その方々には、明るいニュースかも。例の問題で検索をかけていたらひょんなことにUS Censusにぶち当たってしまったのである。いきなりグラフが!

アメリカで頑張っている皆さんにまず見ていただきたい。

グラフは月別のビジネス申請数の推移だ。
おばちゃんもえっと驚いた。
2020年がCovidで一番落ち込んでいるが、去年21年から今年の申請数はスカイロケットと言っていい。

Covidで社会の在り方が変わってしまったので、それを新しいビジネスのチャンスととらえる人もいるのだ。申請スタートしたビジネスがすべて成功すると確約されたわけではないけれど、過去15年の平均申請数の2倍近くのビジネスがスタートしているのは確か。

アメリカはとっくにCovidとともに活動し始めている。
アメリカの社会は10年くらいを単位に変わってきた気がするな。
のんびりした90年代、テロで始まった2000年代、リセッションを挟んだ2010年代、近年10年はセルフォンの10年。

新時代のビジネスがどんな分野と傾向なのか、Censusをもっと詳しく分析すればわかるかもしれない。

さて、その新ビジネスの台頭する場所だが、人口が密でアメリカの進化の最先端であった都市と州は残念ながら回復がまだ遅いようだ。

マップで寒色が濃い州はビジネス申請数が前年月よりマイナス
オレンジ色が濃くなればプラス

感染被害が最大だったカリフォルニアは-4.8 テキサスは-0.3 イリノイ-1,7
ニューハンプシャー+8.3アイダホ+5.7 オレゴン+0.9 バーモント+5 ミシガン+1.1 ニューヨーク+0.9ニューヨークは意外と頑張ってる。

カリフォルニアはまだ始動しきれなくて、オレゴンは好調なわけだ。昔からカリフォルニアからオレゴンにビジネス・チャンスを求めて移動する人はいた。Grays Anatomyでシアトルタワーは見慣れたものになったし。

アイダホは遥か遠い気がするが、ジャガイモ不足を考えると思い切ってアイダホで温かくなるまで働くのもいいかもしれない。

夜明け前が一番暗いという。今少し踏ん張ろう。

あとは出くわしたおまけのスクリーンショット。
誰かがこんなニセ・アカウントを作っていた。イカンですね。

ジョイスとガールズトーク

ジョイスと知合ったのは、カレッジのグラマーか英作文のクラスだったと思う。
アジア系が多いクラスで、韓国系と台湾系がグループを作り、頭は悪くないが性格が悪そうなグループだったので、おばちゃんは輪には入らず、一人で机に座っていた。

ジョイスは常に遅刻してくるので、私の隣くらいしか席が空いておらず、自然と話をするようになった。彼女はその当時でOCにはすでに20年くらい住んでいたと思う。達者にしゃべるのでなんで今さらグラマーなんか取るんだろうと、思った。

英語が達者にしゃべれるのと、ちゃんとした英文が書けるのは別の能力らしい。
たしかバーバラ・ボクサーが副社長を務めていた保険会社でしばらく働いていたそうだが、ミーティングの後にリポートを書いて出せといわれて、書くのがものすごい苦痛だったのだそうだ。

それで、学校に戻ってグラマーでも取ってみようかということらしかった。
だって、あなたペラペラしゃべれるじゃない、そのまま書けば?と言うのだが、なんか構えてしまい文章にならないのだそうだ。

超おしゃれな教師のマッディ・ベンソンから、エッセイの書き直しを7回もさせられて、うんざりしてジョイスに愚痴をいうと、金持ちマダムの台湾系には愛想がいいのだそうだ。

ジョイスによると、クラスが終わった後に台湾系マダムに取り囲まれて、社交クラブのような会話を交わし、マッディの方からマダム夫の職業を聞いたりするらしい。それで金持ち風のマダム生徒には作文にも意地悪な批評をしないという。

おしゃべりをしてて来週の宿題を聞き漏らしたりするので、家に帰ってくるとまたジョイスから電話がきたりする。レストランに行ったり、お互いの家に行ったり長い付き合いになった。

一言でいえばガールズ・トークである。
ジョイスはセレブ大好きゴシップも好き、ブランド好き。旦那もイケメンで、女のプライドと面子をものすごく大事にしている。

おばちゃんは頭の中にちっちゃいおっさんを飼っているので、ジョイスが語るガールズの半分もわからなかった。お互い全く性格が違うので、見栄の張りようもなくおばちゃんは見え透いたお世辞を絶対言わなかったので、彼女は空振りすることが多かったかもしれない。

だって、ねえあたしはいくつに見える?って聞かれたところで子供を4人も生んで下の子がそろそろ中学生なんだから、年相応に見えるねと答えるのだから、ジョイスは不満だったろう。

おばちゃんはとにかく将来に向けて、アカウンティンングやコンピューターのクラスをとるようになったのだが、ジョイスは過去にアカウンティングに挑戦して、玉砕したらしい。

ねえねえ、収入はcreditで増えればプラスでしょ?費用はdebitで増えればマイナスでしょ?
お金で考えればね。でも数字だけで考えるとDebitでもプラスになるし、アカントによってはcreditでもマイナスだし、先生がラテン語でcredit左側debitは右側という意味だから、借りとか貸とかの意味を考えないほうがいいんじゃない?
と言うと、自分には理解できないトリックが私に理解できるのがすごく理不尽で不満のようだった。

Excelのクラスをとると、ねぇrelative cellとAbsolute cellとどう違うの?
Absolute cellはuniqueな特定のセルのことでrelativeの場合はどこでもいいのよ、計算式をコピーしていくときに便利だから。

だ・か・ら、relativeって何なのよ。

ねえ、中国語でもエクセルの参考書があるでしょ?中国の本屋さんで売ってない?と言うとおばちゃんより英語が達者な自分がなんで、中国語の参考書なんか今更読まないといけないんだって、憮然として口を利かなくなる。

ジョイスから電話がかかってきて、あそこで会いましょう。ねえ聞いてほしい話があるの。

ねぇ、聞いてこの頃デービッドの帰りがすごく遅いの!
デービッドは不動産エージェントである。おばちゃんの家の売買もデービッドがエージェントをやってくれた。手数料を友達価格で1%くらい負けてくれるんじゃないかと期待したのだがきっちり3%だった。

なんでもオフィスに新しい女の子:ビビアンが入ったらしい。エージェントの勤務時間はあってないようなもので、客の都合でいくらでも伸びる。

デービッドが遅くなるからと言われて、ベッドルームに上がって待っていると、ガレージがあく音が聞こえ、そのあとリビングでデービッドが話している声が聞こえるのだという。それでベッドルームから出て、階下を覗くとデービッドが若い(ジョイスよりは)女と親しげにおしゃべりをしているのだという。

11時過ぎに、同僚・上司の家のリビングに入り込むか?ジョイスはカッカと血が上った。夜も遅いし、パジャマだしとにかく早く帰らないかとイライラしたという。

中国女は藪をたたきまわったりしない。そのままズバリと問い詰める。
ねぇ、あの女は誰?ーービビアン。

なんで家まで連れてきたの?ーー 帰り道の途中でコーヒーでも飲むかと思って、。

何をあんなに親しげに話していたの?ーー 仕事と会社の話、。

あなたどう思っているの?ーーー同僚

デービッドは台湾軍のパイロットだった。若くて輝かしいイケメンだった。
ジョイスも若くて美人のうち?だったので、自分の求て婚者としてはデービッドは及第だったのだが、簡単にOKして安い女に思われても悔しいので、じらしてじらして追っかけれやっと落ちたふりをしてプロポーズを受けた。

中国男はまめだ。
全部とは言わないが、デービッドは夢見る女の子のジョイスの期待に訓練されたのか、誕生日にはカードを贈るし結婚記念日には映画のようなサプライズをするし、ジョイスのロマンティックな女のプライドとメンツを十分満たしてきたのだったが、なんせかつての美貌のジョイスも50を過ぎたし、デービッドだって相応の年だったし、
ちっとばかし、若い女性と刺激的なおしゃべりだってしたくもなるだろうな、とおばちゃんは思ってた。

ジョイスは全く納得していなかった。

それからジョイスの呼び出しは、ビビアンのとデービッドの話題に限られてきておばちゃんは正直うんざりした。
ねぇ、聞いて!あんただったらどう思う?どうしたらいいの?
夕べもビビアンはデービッドとおしゃべりをしていて、
ジョイス:He was flirting with her at the downstairs.
おば:はぁ?He was floating with her at the downstairs?
ジョイス:No, not “floating”. F・ l・ i ・r・ t ・i・ n ・g  He was flirting with her!!!!!

その頃の愛読書はJames Herriotだったので、おばちゃんはflirtingなんて単語とは無縁だった。牛や犬はflirtingしないからな。学校では習わなかった単語を沢山ジョイスから教わるのだった。

ねえ、あなたは私の立場だったら、いったいどう思う?
どうしたらいいの?

両手を胸の前で広げるので、その拍子にワインとかサングリアとかのグラスを倒す。
Oh!っつって、ナプキンでぬれたテーブルを拭きながら、

うちのおじちゃんは、ビビアンなんか連れてこないしFlirtingする根性なんかないから。

どうすればいいかと、聞かれたので、こうすればどう?と答えたのだが余計火を注いだみたいで
ジョイスは返事なんかまったく聞いてなくて、ひたすらビビアン、ビビアンと呪いの呪文のように繰り返すので往生した。

デービッドはこのごろMaking love してくれないのよ、と女のメンツをかなぐり捨てて憤懣をぶちまけられると、おばちゃんにはお手上げだったのである。

最近、「ライトはつく?」コピペを見つけて、これだ!と思った。

おばちゃんは、解決法を提案するんじゃなくて、ひたすら聞いてあげてジョイスに共感すればよかったのか?
でも「Sorry for you」なんてもし言っていたら、プライドの高いジョイスは絶対憐れまれたと思って許してくんなかったと思う。
男なんて馬鹿だ!と言っておけばよかったのかな。


イミグレとはどういう役所か

デイリー新潮 クルーズ船 1/14(金) 6:00配信 記事
おばちゃんはせっせと正しいビザ知識記事を挙げているが、徒労なんだろうか?

まず、「信じたい事実」が人の心にあってそれが正しい知識の理解を妨げているのかな?メディアやUtubeが一部を除いてほとんど間違っているという理由もある。
また、特別配慮のせいで通常起きるはずのない事態が起きて、それがまた憶測と誤解を呼んでいる。

M子さんがESTA/Visa Weaver/観光ビザで出国した という誤解。
なぜならビザが異常に早く発行されたから。留学生ビザF2がそんなに早く出るわけがないので、観光ビザだろうという誤解。速さだけが憶測の材料であった。

彼ら二人のゴールはアメリカで邪魔されない生活を営むことである。
そのために取らないといけない滞在資格はまず留学生ビザ、卒業してからの就業ビザ。段階的に切り替えていくことが計画の一部である。

観光ビザvisa weaverは90日間アメリカで滞在できる。切れる前に帰国せねばならない。
夫婦のうち夫が学生ビザでビザの有効期間が最長7年あるときに、なぜ妻が観光ビザを取らねばならないのか。妻だけが90日に達する前に、米国外に出国して再び米国に入国せねばならない。
これを頻繁にやるとアメリカの入管で捕まる

夫のビザと妻のビザが連動していないと、切り替え時が同時でないので不自由する。
観光ビザを避けるべき一番の大きな理由は、観光ビザで米国に入国した後、就労ビザを申請することが不可能だからだ

アメリカに潜り込んで働きたいという人間は何十億人といる。まず、観光ビザで入国してそれから就労へ!計画をつぶすために、観光ビザから就労ビザには変更できない。

複雑性PTSDで本来は学生ビザの配偶者F2でも発行されないのに、通ってしまったではないか?ロイヤルの威光でイミグレも特別配慮して超高速ワープでF2発行したのだろ?だから、観光ビザで入国しても何とかなるのじゃないか?

違~~う。
米国のイミグレ U.S. Immigration and Customs Enforcementは移民とビザをコントロールする役所で、市民でない人間からは、絶対油断してはいけない役所である。

グリーン「カード」の有効期限は10年。リニュアルは最優先である。日本のパスポートなんか切れても何とかなるが、グリーンカードが切れれば何が起こるかわからない。イミグレから出頭せよと通知が来れば、平日に仕事を休んで並ぶのだ。

永住権で安泰と思っていてはいけない。市民権を取ってやっとイミグレの支配下から逃れられる。
何故かといえば、米国内でFelony重罪を犯せば、永住権は無効になる場合がある。このFelony重罪を殺人とか強盗とかと考えるのが間違い。子供の虐待child AbuseでもFelonyである。DVdomestic Violenceも十分Felonyになりえる。

知り合いは里帰りで日本から帰米する空港で止められ日本に追い返された。米国に入国できなかった。
米国内・家庭内でやったチャイルド・アビュースとDVがレコードに出てきてしまったからだ。

アメリカは日本政府が渇望してやまないマイナンバーカード/Social Security Numberで国民と移民を管理する国である。

このSSナンバーの下で学校に行き、就職し給料をもらい税金と年金を払い、銀行・証券の口座とクレジットカードを取り、健康保険に加入して、その健康状態・手術歴とかも、個人の情報が生まれた時からすべて紐付けられている

永住権を持っていても警察や児童相談所が介入するチャイルド・アビュースとDVをおこしたら情報はSSナンバーと永住権ナンバーとともに警察のデータベースに記録されてしまう。
イミグレは永住権ナンバーから個人情報にアクセスできる。このお役所がU.S. Immigration and Customs Enforcementである。

アメリカ国外にある米国大使館。外国人がアメリカ滞在のビザを申請するアメリカ大使館は、イミグレはイミグレでも出先の「交番」みたいなものである。

アメリカのUSICEが警視庁なら、東京の大使館ビザ窓口は「交番」だ。落とし物を届けると、交番のおまわりさんは親切ではないか?

「交番」で新規(情報が何もないサラの状態)で留学ビザでF2を申請するくらいなら、融通は利くと思う。去年のビザ窓口は、ちょっとFlatteredしたと思うぞ。イミグレの役人で元プリンセスのビザをプロセスするチャンスなんて、そうないから。

アメリカ入国後

一歩アメリカ国内に入国したら、事情は違う。
イミグレが支配する留学生ビザF1は学校の出席・成績・取得した学位も筒抜け。小室圭さんがOPTを申請して許可された後は、学業が終了するというF1ビザの終了期日がI-20にがっちり書かれている

このI-20に書かれている日時(5月の末)より前に、就労ビザに変更手続きを開始しなくてはならない。学生ビザの配偶者が観光ビザなら彼女のビザの変更はできない。

彼女が観光ビザVisa Weaverなら、最長は90日なのでいずれにしろ彼女は3月末以前にアメリカを1度出国せねば違法滞在になる。

彼女が観光ビザで入国したという情報は誤りである

パスポートのちらっと見えた色が違うから日本人でないとか、社員名簿に載ってないから首になったとか、小さなディーテールを捕まえて憶測をしても情報がゆがんでいくばかりだ。

次は、奥さんがぺったんこシューズを履いていた!とかのニュースになるのかもしれない。

アメリカで起業する方法とは

アメリカで起業するのに一番簡単な方法は、1)すでに稼働しているビジネスを買い取ることだ、と書いた。
まぁ、現在日本にいてアメリカの就労ビザ永住権を持っていない人間にはまずビザの壁が大きく立ちはだかる。それはそうだ。

松居一代さんはEB1ビザをとって超速でアメリカの永住権を取ったが、松居一代さんでなくてもあなたに資金さえ用意があるならアメリカでビジネスの起業と永住権の取得がいっぺんにできる方法がある。

EB5という投資ビザがある。

2010年前後か?ガバメントが外国人の懐をかっぱぐと同時にアメリカの経済・雇用のブーストにも効果があるように、役人がこしらえたビザ・カテゴリだとおばちゃんは考えてる。


中国大陸の金をざくざく持っている共産党幹部が、我もとEB5を取り、そのおかげで米国中国人弁護士、不動産屋が大繁盛した、ガバメントの狙い通り。アメリカ人にもおこぼれが回ってきたはずだが、中国人はまず同国人を頼るという習性をガバメントの役人は知らなかったと見える。

EB5の5は$500,000ドルを意味する。とみんな知っている。50万ドル。ミリオンの半分 日本円が1:1として5千万円の資金をアメリカで投資するという条件をクリアできる外国人に発行される。

この50万ドルの投資は「現地ですでに稼働しているビジネスを買い取る」ことでもクリアできる。
1)の方法と同じではないか? このEB5はビジネスを買い取ると永住権がついてくる。これは美味しい。

すでに米国で就労ビザか永住権を持っている場合でも、ビジネスを買い取って起業しようと思うと、業種によって最低10万ドルから20万ドルはかかる。

EB5の場合は、50万ドルなので1)よりは投資金額が多い。それはしょうがない。だが、自分のビジネスと永住権が買えると思うと安いかもしれない。


すでに稼働しているビジネスは、つぶれずに利益を生み出してきたというのが証明されている。つまり引き継げば、自分でゼロから起業してクライアントもつかずに借金を抱えて、あえなく沈没というリスクを最初から回避できるわけだ。

超らくちんじゃん、と思うあなたはあんまりビジネスに向いていないかも。頭が悪すぎる。
恒常的に利益を生み出してきたドル箱のビジネスが、容易に売り物に出るわけがない。下り坂だから、経営者が見切りをつけたから売りに出されるのだ。

別のことをしたいから儲かっているけれど、このビジネスを売って資金にしたい、あるいはもうリタイアしたい。傷がない“売り物”はめったにない。そんな出物があったとしても、世情がわからない外国人に見分けられるわけがない。

「日本の海外進出をサポートする企業」は日本にある。アメリカで起業希望の日本人・日本企業相手に手厚いサポート・パッケージを用意している。起業には成功したがその後アメリカで生き延びていけるか?そんなところまでは誰も保証しない。

具体的には、おばちゃんから言えばどうでもいいセミナーを開催して、現地事情や商習慣・税制・法律などを解説し、食いついてくる企業や個人にはさらに現地セミナーを企画して修学旅行のように日本人をアメリカを連れまわしてアメリカンドリームを醸造する。セミナー産業。

実際起業の手続きには、現地の会計事務所・弁護士事務所と提携して会社設立の一連の業務で、さらに金を吸い取られることになっている。

買い取って投資しようというビジネスは、現地の不動産屋で出ている物件とそれほど違うわけではない。が、海外進出企業サポート産業が、見込みのある投資として紹介しお世話をして成り立っている。日米でかっぱぎの軍団が待ち構えているわけだ。

「セミナー」という単語がでたら、おばちゃんは用心する。金だけかかって内容がないからだ。なんなら、おばちゃんが企画してもできる。95%のオンラインで調べられる資料に5%に現地でしかわからない情報を混ぜる。人はこの5%に金を払う。

日本人がだれでも知っている小売り企業ドXXXXXは、こんなサービスを使わなかった。現地の不動産屋と会計事務所を使って米国内のチェーン・スーパーを買収した。

用心深いことには、いきなりアメリカ大陸に上陸せず、ハワイでスタートした。
ハワイは日系人が多いので日本のビジネスをそのまま持ってきて営業しながら、自分のビジネスのどこがアメリカにそぐわないのか、そこで予備訓練をしてから、アメリカ本土に上陸してビジネスを展開してきた。食えないやっちゃ、と思う。

セミナーに参加して明日は海外進出なんてふわふわ夢を見ている時点で、ダメだ。
今は、オンラインで米国内の弁護士・会計士・不動産屋に直接アクセスできるし、掲示板にはビジネス売りますの広告がある時代。

アメリカで起業できるビジネスは何か?何がアメリカでうけるか?日本にあってアメリカでは競争相手がなくて、受けそうなビジネスは何か?

アメリカでも日本でも世界でも「汎用」なビジネスは何か?何故かといえば、アメリカの日本人が渇望している日本の物であっても、汎用性がない場合、ビジネスの規模は日本人だけのローカルに留まる。

アメリカの日本人はラーメン屋に来てほしいと思っているが、アジア系にもアメリカ人にも受けなければビジネスは大きく育たない。汎用性=世界で通用するテイスト。

ビジネスの分野を絞る。最短で最速、しかも自分の実力で突破できそうな道はどこか?戦略と戦術を立てる。
最低資金でできるプランA,最敷居が低いプランB,最短プランC そのくらいのプランが立てられなければ起業をする能力がない。あきらめよう。

おばちゃんが警告しておくが、第二次世界大戦が終わってから日本人の渡米や企業進出が出来るようになっても、ある一つの日本のビジネスは、様々な時代にいろんな日本人がアメリカに持ってきてはやらせようとしたが、誰も成功しなかった。

そのビジネスはパチンコである。

日本で衰退がささやかれ始めたがこの巨大娯楽ビジネスはアメリカにはそぐわない。汎用性がない。カジノのスロットがある国でパチンコは徹底的にアメリカ人には受けない。アメリカのパチンコ起業は討ち死の歴史である。


おばちゃんのおすすめ記事

さあ、寄ってってね。読んでってね。おばちゃんが面白い記事をお勧めするわ。

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ガレージの攻防

アメリカは何も持っていないベトナムに負けた。アメリカ人はそっぽをむきながらも渋々負けたことを認める。
We were in different league! !

アメリカで起業

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日系社会のピラミッド

西海岸でも東海岸でも日本人日系社会の構造というのは大体同じではないだろうか。ピラミッドの構成というのは下からこうなっている。自分探し。30代に入る直前から30代の後半まで、離婚組も多い。

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