文化のはざま

あなたは異文化をどこまで許容できるだろうか?或いは、自分の文化をどこまで守って、どこから先は移住国に合わせられるだろうか?

リセッションでガラガラになったショッピング・モールに入ってきたビジネスはいくつかあった。モールの管理会社にとっては、金を持ってさえいれば猿でもカバでもよかったのかもしれない。

新しくネイル・サロンが入った。ベトナム人経営のビジネスで、雇われている女の子は最低限の英語しか話せない。しかし、指先が器用で料金が一番安いので、ベトナムのネイル・サロンは割と人気なのだ。
客はほとんど白人だった。オーナーはおっさんで、店にいたことがないのでモールの誰もがほとんど知らなかった。

ここからは、ジャネットの情報だが、おっさんは一言も英語が分からないのだという。YesもNoも言えないのだという。

管理会社のローランドとフレッドがノーティスをだしたり、電話を掛けたりしてもおっさんは英語が分からないので、一切通じなくて困っていた。

唯一英語がわかるのは、おっさんのハイスクールに行っている娘だけ。ええ歳をしたローランドとフレッドが娘を捕まえようとするのだが昼間学校に行っているので、大変らしい、と。

ベトナム人が馬酔木を縁起の悪い木として嫌がってモールの馬酔木を枯らしてしまったことがあったが、おばちゃんはベトナム文化にいちゃもんつける気はなかったし、それはネイル・サロンの美観の問題であったのでスルーしていた。

ところが、困ったことが出てきた。
ある日おばちゃんが裏口をあけてリサイクル缶に空瓶を捨てた時、ベトナムの女の子たちが何かを地面に撒いているのを見てしまった。これが初めてではなく、何度か同じ光景を見た記憶があるが調べなかったのだ。

この時は、いったい何を撒いているのだろうとおばちゃんは見に行ってみた。むろん、女の子たちが全員引っ込んだ後で。

米だった。
おばちゃん、深田祐介も、近藤紘一も大好きだったから何をしていたかわかってしまった。彼女たちは野生の雀に餌をやっていたのだね。ベトナムなら放生すべきところ、放つ生き物もいなかったからせめて養うため/生かすために米を撒いていたのだと思う。

これは困る。
たぶん先進国ではみんな衛生基準に引っ掛かる。米はRodentsを呼び寄せるのだ。平たく言うとネズミ。ネズミが居つくとビジネスが困る。保健所がでてくる。おばちゃんは管理会社のフレッドも大嫌いだったけど、これはビジネスの存続に関係するので報告するしかなかった。

彼らにとっては生き物がスズメだろうが、ネズミだろうが、ゴキブリだろうが一視同仁。生きし衆生を慈しむのは仏教を生きることだったと思う。ベトナムならOKなんだろうけどね。

アメリカは自由の国だ。
それぞれの宗教信条は尊敬を払われるべきだったけど、この場合は衛生基準にさわらない方法にしないと。動物園とか、保護施設とかに金銭を寄付するとかね?

オンライン・ショッピング

携帯自体も出始めでIphoneどころか、BlackberryやNokiaがぽつぽつと使われ始めたころ社会はまだ携帯文化に慣れていなかった。他人と一緒の時に携帯電話をいじるのは、人を無視した無礼なマナーという合意があったような時代。

人は一人でやってきてアメリカ人がでっかい指先でBlackberryをポチポチさわる。よそから電話を受けて他人に耳障りな会話を平気でする。おばちゃん、そういう客が目障りでどうしたもんかなぁと悩んでいた。繰り返すが携帯電が珍しかった時代。

おばちゃんは勤務時間が長く碌に買い物に行けなかったから、オンラインショップを多用するようになっていた。EbayでInstantBuyかアマゾン。どうしてもアメリカにないものは日本で買って転送で送らせていた。

携帯電話の迷惑を何か防げるグッズがないか、検索していたおばちゃんは見つけてしまったのですね。
邪魔ー。携帯電話の電波を邪魔ー。

おばちゃんはふと黒い心がムクムクもたげ色々調べてしまった。当時携帯の電波の状況は安定していなくて、しょっちゅうつながらないとかトラブルがあるようだった。

もし、ウチでつながらなくてもそれはよくある話よね?その会社はイスラエルにあり、邪魔―の他にも怪しげなグッズがいろいろあった。

ただ、アメリカ国土で邪魔ーは許されていない。もし、所持していたら連邦犯罪になるのかも。

邪魔―がOKなのはオーストラリアと日本だった。おばちゃんは会社にメールをして、日本に送れる?と聞いたらば、日本は禁止国じゃないから大丈夫よ。と返事が来た。

そうか、理論上イスラエルで物を買い、日本の転送住所に送って、転送からアメリカに来るよね。おばちゃんは無害のコンピューターパーツを買ってみたら日本経由で普通に届いた。むろんイケナイものは何も買っていない。

ある時はラップトップの調子がおかしいので、予備のハードディスクを買っておこうかと、近場で一つポチる。セラーから送ったよ~、通関があるから、。とメールが来てえっ?通関?何故?同じ州内で、どうして通関?

ハード・ディスクは3日も4日も届かず、1週間以上も経ってからやっと届いた。カナダから。EbayのアイテムのロケーションはCAだった。CAはCaliforniaだろう普通?!カナダの会社ならCANADAって書けよ。

ある時はEbayでエスニック風のパンツ(タイ産)が気に入って、ただ値段がGBPと書いてあったので、Sellerに問い合わせたらブリティッシュ・ポンドだという。アイテムのロケーションはオーストラリアである。変だなぁと思いながらも欲しかったので買ったらなんとドイツから届いた。
ネットには魑魅魍魎が巣食っている。

生き延びる

アッコちゃんが窓の外を見ながら、ぽつんと言った。
「ああ、あのアスファルトを均している人だって、資格や技能を持ってて仕事をしてるんだよね」

外の駐車場はアスファルトの敷直し最中でローラー車両に乗ったメキシカンが熱いアスファルトを均しているのだった。駐車場が半分使用不可能なので、客は来ず暇だった。

おばちゃんは、アッコちゃんが言うことが痛いほどわかった。好きな国で生きていくためには、何か技能がいるのである。

好きな仕事か、やりがいがあるのとか、そうでないのとか、、そんなこと以前に、ちゃんと雇われてお金がもらえる仕事が必要なのである。雇ってもらえる技能、仕事がもらえる技能。安定して暮らしていける仕事。

アッコちゃんは多磨美の卒業だったから、フォトショップもイラストレーターも扱えるのである。デザイン関係ならどうなのよ。と何時か聞いたことがある。
「私くらいの才能はその辺にいくらでもいるんです」

アッコちゃんはその後ウチをやめ、サポートしてくれる会社を見つけて、グリーンカードを取った。アメリカのビジネスの新陳代謝はとても早い。時流に遅れてた会社、時流を見ていない会社は消え新しいビジネスは生まれるが、いつまで持つか誰も知らない。

親方日の丸にすり寄っても、本家の長い不況のために営業所を縮小したり、いつ完全撤収してもおかしくない。ヤマハも人を減らし、リコーは突然アトランタに移転をした。家を売ってついてこれない従業員は首。

そしてまさか、世界のトヨタがテキサスにヘッドクオーターを移転するなどとカリフォルニアの従業員は誰も想像もつかなかった。日系社会は動転した。家を売ってテキサスに引っ越すか、やめるか。外地の将来はいつも真っ暗。先は読めない。

グリーンカードは取れたけど、アッコちゃんは結局接客業を選んだ。
人が好きなのだ。コロナのパンデミックの中、死んだほうがまし!くらいの苦境に立たされたことは想像できる。できれば逞しく生き延びていて欲しいと思う。

税金は滞納するな

税金は滞納しないほうがいい、
何故なら後でしっぺ返しを食らうからだ。これはウチのベストのお客さんだったボブと孫ヒューイの話である。

ボブはニューヨークの生まれだった。離婚した後カリフォルニアに移って、AT&Tを長く勤めてリタイアした。いい歳だったんだろうけど、肌はしわもなく頬はピンクで元金髪だった白髪がふさふさしていた。一人暮らだが、娘が近くに住んでいたのでカレッジを卒業した孫ヒューイがよく一緒に来た。

ボブはいつもヒューイに説教していた。カレッジを卒業しただけで、大学に行かないことを嘆いていた。
若くて怖いもの知らずのヒューイはまだ25で、ボブの言うことをてんで相手にしていなかった。

美人のガールフレンドはいるし、高級取りだったから。ガテン系の仕事なのだが、高所作業する職だそうで大学出の資格でもなかなか稼げない金を稼いでいたのだ。

しかし稼いだ金は遊びに使ってしまい、納税時期になると所得税も州税も払えなくて未納金に利子が付き、督促に追われていた、ボブにも泣きついていたようだった。

そんな時にメキシコ湾原油流出事故が起こった。ヒューイは税金未納のトラブルをほっておいて(税金を払えば済むはなしなのだが)テキサス州メキシコ湾に逃げた。
とりあえずカリフォルニア州にいなければ、未納金も追っかけてこないと思ったのだろう。多分、普通はあまり追っかけてこないと思う。

流出した石油の処理にメキシコ湾にはリグが建てられ、高所作業できる技術者が高い給料で募集されていたのだ。ヒューイとしては、テキサスでうんと稼いでカリフォルニアの税金を払えばいいと思っていたのだと思う。

ところが、カリフォルニア州はヒューイの上手をいった。ヒューイの給料が全額抑えられたのだ。裁判も経ずにいきなり給与を抑えられるはずないのだが?

実はテキサス州がヒューイに払うはずの給料は、カリフォルニア州から債券をテキサスが借りて支払うことになっていたのだ。

カリフォルニア州はテキサスの事故処理ペイロールにヒューイを発見して、さぞかし喜んだろう。
ヒューイ君、愕然。あてにしていた収入が全く入らず、文無しでカリフォルニアにシオシオ戻ってきた。

ボブのおじいちゃんは、激怒である。だから、言ったろ。税金問題を片づけておけって。弁護士費用なら出してやるって言ったろ?ばーかたれ。

ヒューイはストレスのあまりドカ食いしたのか、見分けがつかないほど真ん丸なデブになっていた。
教訓 税金の滞納はやめよう

アーノルド

モールの前の管理会社のマネージャーはアーノルドと言った。汚らしい歯をした痩せたジジイで、スクルージはこいつがモデルだったのだと思う。

土曜日・日曜日になるとモールの裏を後手にひょこひょこ歩いていた。ジャネットによると土日はよくモールを見張りに来るという。ビジネスの中にはめったに入ってこない。

おばちゃんがビジネスを買うときに、モールの面接をしたのがこのアーノルドだった。
おばちゃんは面接用に作ったビジネスモデルのコピーを一部アーノルドに渡し、経営ポイントの3つの数字を説明していったが、アーノルドはろくに数字を見もせず興味が無さそうに傍らにうっちゃった。

面接をするだけでこちらは$200ドル支払っているのに。

面接の結果は2週間から3週間で知らせるから。とアーノルドとの会見は終わった。経済は好調でビジネス売買も盛んだったが、モール側のマネージャーがNoと言えば、売り手と買い手が売買に合意していてもテナントの売買は成立しない。

2週間たってもアーノルドからは連絡がなく、不動産エージェントにもコンタクトがない。向こうがもったいをつけているのは分かっていたが、売買を進めるにはこちらから連絡するしかなかった。

売り手も私もエージェントも3人そろってたまたま女で、売り手のオーナーがアーノルドに電話を掛けた。
「ヘイ、アーノルド。面接の結果はどうなの。私?私はテナントのミカコ(仮名)よ。3年間商売してるじゃない。忘れたの?」
するとアーノルドは新しい看板のイメージを今度はオフィスにもってこいと言うのだった。

管理会社のオフィスはすぐ近くだったのでアポを取って訪れると、くすんだオフイスの外には真っ赤なイタリア車が止まっていた。オフィスに一歩入ると、秘書とアシスタントがいるのにシンとして物音一つしない。

アーノルドとアポがあるのだがというと、秘書は怯えた目をしアシスタントはごくっと息をのんで、ボスは今グッドムードじゃないから。と奥を指さした。

アーノルドは一番奥のデスクにひっくり返り、なんとデスクに足を乗せていた。デスクの正面に来客用のいすがあるので、おばちゃんは椅子の背を引き寄せ座ろうとした。

するとジジイは「座るな!」と言ったのである。
来いと言ったのはアーノルドだ。私は聞き間違えたのかと思ってもう一度椅子に座ろうとしたら、ホームレスを追い払うかのように、座るな、看板のイメージを置いて出てけ。とシッと手で追い払われたのだった。

おばちゃんは憤然として出口に向かったが、秘書は知らんぷりアシスタントは下を向いたまま「アーノルドに逆らっちゃダメなんだよ」とささやいた。

この時の秘書はマリアとか言ったが、売買エスクローが開始した後に辞め、以後オフィスに電話を掛けるたびに違う名前の秘書が答えるのだった

アーノルドがさんざんもったいをつけてOkを出したときにはすでに7月に入っており、面接から2か月半たっていた。エスクローはオープンして、おばちゃんは会社の設立などで忙しかったが、突然アーノルドから電話がきて、テナントの補償金を上げると通告された。

理由としては、おばちゃんたちにビジネス経験がないことだと。エージェントだってエスクローがすでにオープンした後に、補償金を吊り上げるなんて、聞いたことない、と言う。

エスクローは売買金額で合意があり頭金もすでに支払われているから、ここで売買をキャンセルしても、おばちゃんの頭金は戻ってこない。絶対逃げられなくなってから、補償金を吊り上げてきたのは汚いやり方だった。

むろん、エスクロー会社だってそんな追加条件は聞かされていない。エスクロー書類は全部作成し直しになる。

アーノルドはEmailに答えないので、ファックスで秘書と何度もやり取りして追加の支払金額と支払方法を確認して、小切手で支払った。

その時までおばちゃんはパン屋のクリスがアーノルドにどれだけ嫌がらせをされたか、全く知らなかったのだった。

エスクローがクローズするまで、売り手のミカコとエージェントのタカコ(仮名)とおばちゃんの3人女はあれこれと連絡を取り合うことになる。

お客様は神様じゃない

ある朝、いつものようにコーヒーを買いに隣のパン屋に寄って、ジャネットがマグにディカフェを入れてくれる間に
ぼ~っと正面の壁を見ていると、メニュー表の上にプレートが貼ってあった。
We reserve the right to refuse service to anyone

なんだか穏やかでないから、ジャネットにあれは何?と聞いたら「ああ、Right to refuseね。あまりひどいお客さんは
うちにはいないけど、念のため」ふう~ん。

おばちゃんは自分のユニットに帰って、さっそく調べた。アメリカのサービス業の普通のポリシー宣言だ。うちは誰であってもお客にサービスしない権利があります。キリッ!

日本の小売業は「お客様は神様です」だ。これはキモチわるい。誰がそんなことを言い出したか、昭和生まれのおばちゃんは実は覚えている。

演歌歌手の三波春夫が広く広めた。ファンサービスの言葉だったんだよ。
彼がファンに媚びるのは勝手だが、このフレーズが日本でどんどん独り歩きして、日本の小売業・サービス業にまで広がってしまった。

お客というものは媚びて持ち上げてヒザまずくとどんどん冗長するものだ。結果、日本の小売業・サービス業は客にへりくだって、客自身は神様のように思い上がり、サイトに星をつけずに罵詈雑言を書いたり、するとサービス側は委縮してさらに這いつくばり風評を異常に気にして客を腫れ物に触るように仕える。

おばちゃんは、ばかげた風潮だと思う。
お客は神様ではない。お客と店は対等だ。そもそもお客と店は物品やサービスを介して相対するものであってどちらが神様か奴隷かという関係ではない。

アメリカでもウオールマートのおっさんがが「Customers are always right」というフレーズを大々的にぶっ放したが、
(オリジナルの発言者ではない、三波春夫と一緒)アメリカ社会では必ずしも賛成されていない。

理性的な判断だと思う。
日本のようにいったん大勢が決してしまうと流れに流される社会とは異なり、アメリカ社会というのは極端な意見はチェック補正能力が働くようである。

さて、とんでもないことを言い出す白人のお客やこれまたC国人などと日々戦っていたおばちゃんはこの
Right to refuseがスト~ンと胸に落ちた。力強い味方

おばちゃんはさっそくサイン屋にプレートを注文して、カウンターのよく見える壁に掲げた。このプレートはサービス業の護符だ。プライドだ。十数年の営業期間のうち、おばちゃんは何回かプレートを指さしてモンスターが退店した。

日本に帰ってきて小売業がお客様は神様です!と言っている割には客に便利がいいことはあんまりしようとしないことに
これまたおばちゃんは頭をひねった!

だって、醤油ラーメンと塩ラーメンが同じ値段でソフトクリームとセットなのは醤油だけなんだよ。おばちゃんは塩ラーメンとソフトクリームのセットがいいからセットを塩に変えて?と頼んだら、ウチは醤油だけがセットにしてるんです、だって。
醤油も塩も作る手間も値段も一緒よ?チェーン店なのにバカじゃないかしら?

ーーーここでちょっと閑話休題
おばちゃんは、融通の利かなさの原因をある程度推測できる。
① メニューを書き換えるのが嫌。
② レジに打ち込めないから困る。
スモールビジネスではレジに大規模ポスシステムをなかなか入れられないんだね。費用がかさむから。
あるいは一番単純なポスシステムを買う。ポスの設定は最初の一回業者がしてくれて、あとの変更は現場では
わかんないやつしかいない。

そうでなければ単品のレジを買って紙の伝票で処理するんだ。こういう小売店は頭が悪くてレジのLookUpTableをきっちり作り上げる人がいないのよ。

LookUpTableというのは、レジ機器の内部に物品のリストと値段を表にし記録させておくのよ。だいたい2000品ぐらい余裕で設定できるのよ。

だからフードコートのレジはキーの101をたたくと、醤油セット890円とレシートが出るのだね。塩セットを102に追加すれば解決じゃない。

物品の名前や金額を変えようと思ったらレジの数字ボタンをたたいて、気が狂いそうになりながら1字1字名前を編集し金額を変えたりする。そんな面倒くさいことはやりたくないって?バカみたい。

コンピューターと接続して、LPテーブルを編集すりゃいいのよ。たいていのレジはコンピューターとつながるから。紙のメニューは1回印刷屋で書き直すと3万はかかる。プラスティックのメニューならもっと。

でも、そういう客の好みとオーダーの幅を理解してレジに客の好みを追加していけば、客にも喜ばしく、売り上げも上がるのに、な~んにもできない無能の経営者が言葉だけはお客様は神様という。客がわがままだという。
それは違うよ。とおばちゃんは言う。

マーケティングは小売業の基本だ。客の好みが売り上げに直結する以上、
客の好みを把握してより広い顧客を獲得する。そのためにオプションとチョイスを選べるようにする。レジの編集ができなくて、なにが経営か?レジの売り上げ記録というのは思いがけない発見があるものだ。

レジとメニューくらいなんとかせい。そうすればセットものの追加なんて、自由自在にできるようになる。店も売り上げアップでWin客も好きなものが買えてWin
ーーーーーーーーーーー閑話おしまい

お客様は神様です、と言いながら客の便宜はあんまり払わないのが日本の小売業、サービス業だ。

AliExpressのほうが日本の小売業より融通が利くよ。いったん開封したら返品不可なんて、日本のルールは
おかしすぎる。XXXXオーヤマさんとか。返品されたらロスになるって?そんなこたぁない。

返品絶対不可だとお客さんは怒っちゃって戻ってこない。だから返品は初期不良と一緒にFactory Refurbish
(自社工場で点検修理で完成品としてまた出荷する)として安く売りゃいいのよ。

あのダイソンでさえやっている。購入客は返品できてWinFactory Refurbishで安く買える客がいてWin
売り手もロスがでなくてWin

とにかく日本の商業:小売り、サービス業というのは変な歪みがある。過度にへりくだったりイケ高だったり。
おばちゃんは力強く言いたい。お客とお店は対等よ

Costco コスコ

おばちゃんが渡米したときはPrice Club(プライス・クラブ)と言っていた。従業員がローラースケートで巨大な店舗の中を走っていた。ウソやおまへん!

ホントにびっくりして、こんな巨大な倉庫をてくてく歩くのはスケートじゃないと間に合わないよね、
おばちゃんだってローラースケートが欲しいと思った。滑れなかったけど。

プライス・クラブはその後合併してCostco (発音はコスコ tは無性音) となった。事故が多いので従業員はローラー・スケートから自転車になった。
(これはウソです)

普通のブランド製品が大量に安く売っているので消耗品を買いに行くのだけど、カートに山盛りでまさに買い出しだった。
一番丈夫なキッチンペーパーのBauntyとScottのトイレットロールでカートの半分は埋まり、アローヘッドの2ダースの飲料水と2ケースのバドワイザーを買うと軽かった当時のおばちゃんにははカートが重すぎて押すのが大変だった。

肉とチーズとCrestの歯磨きやら積んで入口から出口のサプルメントまで延々と歩かないと買い物が済まないし、
週末のレジ待ちの行列は半端なく長い。Costcoに行くのは間違いなく買い出しで力仕事だった。

おじちゃんはCostcoのアボカドが一番品質がいいと言って買うのだが食品はポーションが大きすぎて、ウチはクロワッサンもブルーベリーマフィンも横目で見るだけ。せめて半ダースだったらいいのに。

ただ、ペストリーとスイーツ売り場に”タライ”サイズのFlanがあって、おばちゃんはプリンが好きなのでいっぺん食べてみたいと思っていてずっと目が離せなかった。

ある時すごく疲れていた時についにFlanを買った。アメリカのパーティサイズ。直径30センチを超えるくらい、高さは5センチ。日本のプリンよりもっと濃厚で甘くて金属のスプーンでも差して倒れないくらいの固さのフラン。

クリームドリュブレに近い濃厚さなので、おじちゃんと二人でスプーンを持ちよーいドンで巨大な容器のフランを両側から攻略した。

3日目くらいに胸やけがしてギブアップした。3分の1くらいしか食べられなかった。あれがもっと小さなサイズだったらもっと頻繁にCostcoに行ったのに。

返品文化

買った商品がDefect(欠陥品)や動作しなかったわけではなく気に入らなかったという理由でも購入後30日の間にレシートをもっていけば大抵はリファンドか商品を取り換えてくれる。

ホリデーシーズンの後はカスタマーサービスに長い長い行列ができる。送り主がギフト用のレシートを同封してくれるので購入店にもっていけば好きな商品に取り換えられるからだ。

おばちゃんはTargetで安い扇風機を買ったが羽がペナペナで力がなかったので返品しに行き、代わりに加湿器を買った。
加湿器をしばらく使い、水のタンクの掃除がしにくいのでまた返品に行ってヒーターに取り換えた。季節は寒くなっていたので。

アメリカ全体に返品OKの”返品文化”が行き渡っているので、例えば日本の会社のように、”売買は常にファイナル・セール、初期不良品以外は返品不可”などとポリシーを規定すれば、アメリカ人から総スカンを食らってビジネスが立ち行かないことは明らかだと思う。

日本製のテレビや電化製品だってアメリカ国内で販売されている限りどんどん返品できる。

知り合いはDVDを買って堪能するまで見た後、ケースにビニールを再包装して(彼は仕事で包装する機械を持っていた)見なかったことにして返品していた。

パーティ用のドレスを買ってプライス・タグを取らずに人から見えないように内側に押し込んで、パーティが終わったら帰しに行く人。

口紅を半分も使ったのに気に入らないから別の色に取り換える人。

アパレルの日本向けオンライン・ショップ立ち上げて、商品がもし売れなかったら購入したショップに返品しようという企画していた知り合いもいた。実現はしなかったけど。

実現しなかったのにはちゃんとした理由があって、商品の仕入れがTargetなら年間の?返品金額が1500ドルに達するとブラックリストに載り購入ができなくなるという裏情報があった。

その情報が正しいのか都市伝説なのかは確かめなかったけれど、返品を想定してオンライン・ショップはさすがにやりすぎだと思う。

返品文化の弊害は第一に小売業の利益を圧迫する。いかに返品率を下げるかというのはアメリカ企業の頭痛の種だと思う。
Pain in the assと言うやつ。
ただ、アメリカ人でもかつて経営者Harry Gordon SelfridgeがCustomer is always right.とか言っちゃったもんだから、今さらアメリカ人の返品文化を別の方向へ修正するのはものすごく困難だと思う。
日本では”お客様は神様”と言うやつ。

返品文化の弊害は消費者自体にも跳ね返ってくるわけで、90年代から2000年前後、売り場の商品で箱に開封したあとが有れば返品された商品で、大抵ねじなどの部品が一つ二つ足りなかったり、故障していたりしてた。

だから商品を選ぶときは開封の後があるかどうか確かめて、商品が売り場で最後に残った一つだった場合は買ってはいけない。大抵カスをつかむから。

日本に帰国して寒い日本の冬のために猫用のヒートパッドをオンラインで購入したら、電気ケーブルがいやに短く
ナナちゃんが匂いを嗅いだだけで近寄りもしてくれなくて使えなかったから、ア〇〇スオー〇マに返品したいと連絡したら、開封しました?と質問されそりゃ、開封しますよ。使えるかどうか開封しないと分かんないじゃないですか?
そうしたら、一度開封したら返品不可です。と切り口上で以降返事がなかった。

おばちゃんは開封はしたけど使用はしてないのよ。商品としては何も棄損していないのだけど。
日本人は開封すると商品が穢れるとでも恐れているのかしらね。
日本の小売店のお客様は神様じゃないわ。ほとんど返品ができないから。

英語の達人

アメリカで暮らしている間に英語の達人は何人も見た。
某、麺会社の支社長は機関銃みたいに英語を繰り出し、取引相手?か、白人のおっさんもタジタジ、社長は口も挟ませず相手にすきを与えない。

某宗教の現地大学の教師も、切れ目がないほど喋りまくる。社会学の教師で話すのが商売なのだから話さないと話にならない。
もう一人の彼女も教師だった。目をじっと見て、あらゆるレトリックとロジックを使って、相手を導き、自分のもつ結論に導いていく。

そういう達人の人たちの英語は、仕事や生活を通じて獲得した能力の一つで、自分の目的を達成するためにある力だった。英語が身を立てるためのゴールではなくて、ゴールを達成するために英語は必要条件なだけ。
判断力、交渉能力、場を読む力は語学に関係ないのであった。

ある時、日本人コミュニティに新顔が増えた。
駐在員家族ではない。いかなる会社も関係していない。アラサー夫婦に小学生が2人。全員留学生ビザと帯同者ビザだという?コミュニティの日本人が頭をひねる、何故?

家族全員で英語を取得するためだという。アラサーの大人が語学学校に3年いたとしてABCニュースを50%理解できてそれでどうなんだ。どの国で生きるつもりなのか。

小学生を数年現地の学校にやって、ぺらぺらと日常会話ができるようになるのは確かだが、それで日本に帰国して、実際どの程度実生活に役に立つかは疑問だ。

さらに、おとうちゃんは学生で収入がないのに一家全員アメリカに移住できるとか、どんな家なのだろう?

アメリカで食って生活している周りの日本人は皆同じ事を思っていたはず。
アメリカで英語ができるのは当たり前、その他の能力がないとここでは生きていけないのに。だから看護学校に進学する。金融・ビジネスを学ぶ。アメリカでは薬剤師が信頼される職業の上位だから、教育費をバイトで必死に貯める。だからみんな、なんだかなぁ、とぬるくその一家族を見守っていた

日本で会社内の公用語を英語にした会社があるそうだ。
例のブログの大家さんの駐在員はToeicの点数だけで選ばれたのだろうか?
実をいうと、おばちゃんはこの耳で、ブログの大家さんの駐在員が現地雇いのローカルの英語がうまいとか、ヘタとか、一緒に赴任した同僚だかの”英語の棚卸”をしているを聞いた。
あほ、じゃないかと思った。

英語ができるだけで仕事ができると思ったのか?


さらに、日本の有名大企業のあのCMを聞くたびにおばちゃんんは苦痛でならない。Inspire the next, , , , ,  と言うやつ。

Next what? 
何をInspireしたいのさ?とイライラしてしまう。Nextの次に来る単語が一番重要です。
だから何を言いたいのかよくわからない。英語スピーカーはみんな同じことを思っていると思う。
日本人のいいたことよくわからない。

1)Future/Lifeーーー inspire the next futureこれが一番しっくりくるけど
  平凡で訴える力が弱いよね。へぇ~それで?ていう。
2)Generation/Technologyー これも同じよね。具体的なビジョンが見えてこない
3)Peopleーーー inspire the next people
これだとCMを作る人の意図が違ってくるよね。
  ものを作ってる会社だし。
Inspire the next Chronosome おう、人類に貢献しそう
Inspire the next Ibaraki 地元貢献は大事
Inspire the next US president アハハ
何か言いたいことを考えてみよう!

おばちゃんも書いたフライヤーの文章がおかしいとか、ネイティブから指摘されて直したよ。
英語としておかしいんだから正しい英語に直せば?と思う。開き直って、ウチの会社のスローガンなんだよ。日本風の表現なんだよ。禅なんだよ。ってか。これは調べたら結構有名らしい。
素直に直しゃいいのに。

ローカルテレビなのかな、おばちゃんがよく見せられるCMがある。
Try the next.
だから何をTryしたいのさ?
これは大学のCMなの。大学・・・!笑える。何を教えるんだろう? わっはっは!

移住のすすめ

明治の文豪は書いた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

昭和の時代も平成の時代も日本は変わらなかった。おばちゃんには、いつも住みにくかった。

人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

人でなしの国イギリスは漱石には住みにくかったのだね。黄色人種にとって、当時のイギリスが住みやすい国であるわけがなかったけれど。

今は事情が変わった。
日本人でなしところへ引っ越すと、楽に呼吸ができるようになる場合もある。ただし、己の力が100とすると、日本人でなしの国は常に120%の力がいる。日本人でなしの国で打ち勝つには200%の力がいる。
80%の力で生きて生きたいなら、日本で窮屈になるばかりだ。

生きにくいなぁ
と思ってたら、生きやすい場所を探してみればいいじゃないか。おばちゃんの周りの若い子は、1年、ある子は2年きついバイトをしてアメリカにやってきた。

間借りやルーム・シェアしてボロの車を買って宿題とテストに泣き英語の発音を馬鹿にされて、くやしさに憤慨しつつ言い返すことを覚え、戦って自分の居場所を作っていく。
皆知っていたのだ、人でなしの国が住みにくければ、日本へ帰るしかないことを。

おばちゃんは初めから強かったわけではない。
昭和の昔に姉妹の末っ子に生まれ、自営業の両親は忙しかったので、放し飼いで育った。
近くに気が合う年ごろの子供がいなかったので、好きなことを自分で見つけて一人遊びし、失敗すると親が後始末をしてくれた。

長じて大学に行くとダンナと知り合い、卒業後結婚を申し込まれて結婚した。自分で稼ぐのは面倒くさかったので養ってもらおうと思ったのである。結婚してもデート時代と同じように外食し、ある時映画に行く前にキャッシュカードでお金を下ろそうとしたら、残高不足だった。

ダンナは銀行窓口の知り合いに電話を掛けたが、間違いではなく、ダンナが生活費として引き出して残高は3桁だったのだ。結婚わずか1か月後だった。

おばちゃんは末っ子だったが、ダンナも末っ子だった。ダンナも失敗すると、おっきいお兄ちゃんお姉ちゃんが何とかしてくれたのであった。

困ったわ~。
おばちゃんは、両親から結婚に反対されてて、式には出てくれたものの蔵書とバイクだけが嫁入り道具で新生活を始めたのだった。ダンナがあてにならないなら、自分でも稼がなければならない。おばちゃんは英文科卒という、世の誰もが認める職業生活に必要な技能とも資格とも無縁の人だった。

どうせならと趣味だったバイク屋に就職した。
雇った方は営業もやらせようとしたようだったが、まるっきり無能だったので僻地の支店に飛ばされて事務になった。昭和の時代であった。

そのバイク屋の2年足らずの事務職がわずかに会社組織で働いた経験で、今に至るまで組織の中ではまともに働いたことがない。つくづく組織がなじまない人なんだ。

背が高くて運動神経がよくてスポーツクラブに勧誘されたけれど、チームスポーツは絶望的にあっていない。もくもくと泳ぐ水泳ならできた。でも秒を争う競技として、そんなの意味あるの?他人と速さを競って何が面白い?スポーツって自分でやって面白さを楽しむものでないの?なんだか必死すぎてバカみたい。

というわけで組織と無縁の人生を送り、先輩もなければ後輩もなく常にSole Playerである。

ランチ お弁当

アイ子さんはアメリカ人と結婚して落ち着いた後、義理妹がバージニアから近くに引っ越してきた。
お互い息子がいるのでおしゃべりでもしませんかと義理妹にランチに誘われ、アパートにお邪魔した。

リビングでおしゃべりしていてそろそろお昼だしお腹も減ったのだが、部屋に入った時から料理の匂い
は全くしなかった。冷蔵庫にでも 料理がしまってあるのかしら。

義理妹がお腹が減った?ランチにする?と言うのでキッチンに行くと義理妹は冷蔵庫を開け
パン、ハム、チーズを取り出すと、はい、好きなものを挟んで、と言う。

これがランチ?!
義理といえども人を招いたんだからちょっとましなものが出てきてもよかったんだけど、、。
アメリカだし、アメリカ人だし。アイ子さんはモソモソとサンドイッチを食べた。

私が最初のころ通ったカレッジでは教室からキャフェテリアへはかなり距離があって、ランチを買って帰ると次の授業に間に合わない。それで、お弁当を持っていくことにした。

ごく普通の日本的お弁当である。
タッパに白いごはんと、卵焼き、ウインナー、ゆでたブロッコリー夕べの残りのチキンとか、。

作文のクラスが終わって、私がお弁当を取り出し持ってきた本を読みながら箸で食べ始めると、
机の端に誰かが立った。そしてその隣に影が増えた。気が付くと私の机をぐるりと人垣が取り囲んでいた。

クラスにはアジア系が多かったのだが、中国系やコリアンのおばちゃんたちが私のお弁当をしげしげと観察していた。私が顔を上げると好奇心ではちきれそうになったクラスメートたちが
これはナニ?
玉子焼き、ちょっと甘い、
えっ卵が甘いの?デザート?
違う。甘辛いBakedEgg.
なんで卵が甘いの?
そういうもんなんだよ。
口ぐちに質問されるので食べるどころではない。

ほうれん草のお浸しを持って行ったときは、この緑の野菜は何か?から始まり、料理法を逐一説明させられて、えっ!ほうれん草を茹でるの?炒めるんじゃなくて!茹でるんだって!と言葉がさざ波のように人波に広がり、ほうれん草を茹でて何がおかしい!と
一人県民ショウを演じたいわけじゃない、
私はランチを食べたいだけなんだよ。

お弁当に懲りて次は季節だった柿をむいてタッパに詰めていった。タッパを開けた瞬間また人垣ができ、これはナニ?私:Persimmonです。
Persimmonって?人垣同士が質問しあいKakiじゃね?
そうだ、そうだKakiだわ。
チャイニーズ・スーパーにも売ってたわよ。
どうやら台湾ではPersimmonよりKakiの方が理解が早いようだった。

若きおばちゃんは好奇心の人垣に疲れたのでカレッジのランチに何を食べたらよいか悩んだ。
スーパーでこれだ!と思ったのがバナナ。とにかくバナナなら誰も寄ってこないだろう。
あら?今日のランチはバナナなの?でも簡単でいいわよね。と教師に言われた。
お前も見てたんかい!

午後一のクラスが終われば、2時前には家に帰れる。それから何かを食べることにしようかな。
ただ朝から2時までは食べないままではつらいので、おばちゃんはおにぎりを作った、大き目の。

朝おじちゃんを仕事に送っていきそのまま学校に行く。運転しながらおにぎりを食べる。これなら誰にも文句を言わせない。

そうしたら、ある日おじちゃんが同僚の板橋から言われたんだって、”俺は出勤するときにお前のカミさんと道ですれ違うんだが、お前のカミさんが大口を開けてなんか食ってる。
あれは何だ!”

幹線道路でお互い時速55マイルですれ違ってんのよ、。どうして私だってバレるのよ、
何を食べたっていいじゃない!


アメリカでおいしいランチを食べるには

アメリカのランチは”アメリカ料理以外”が美味しい。

南カリフォルニアのレストランで数が多い料理店はたぶん
1イタリアン(含むピザ屋)
2番目は日本料理
3番目はメキシカン 
(おばちゃんの独断調べ)
どこにでもあるイタリアンでもおいしいかどうかは別。
Laguna Beachの人気のイタリアンに入ったところ、ベキべきに折られたカッペリーニが出てきたことがあった。忙しすぎてシェフがカッペリーニを真っ二つに折って、茹でたのである。その方が早く茹るから。

日本料理は、入る前に味を知っているし。どうせ、肉はメキシカンが焼いている。
メキシコ料理はどうか?おばちゃん、タコは胃が持たれる。

したがって、土曜日・日曜日のランチはイタリアンでも日本でもメキシカンでも、もちろんアメリカンでもないレストランに行く。

インド料理、中国、タイ、ベトナム、イラン。
それらの料理店を選ぶ際に、どこを見ればおいしい店が選べるか、コツがある。
入口のガラス窓から店内を覗くのだ。
もし、客の頭髪と肌色が明るい色だったら味はまずい

アメリカナイズされた甘い甘い酢豚。ぐたぐた煮たような野菜炒め。ぬるくて生臭いフォー。
窓がなくてドアを開けて入ったら、客がアメリカ人ばかりだった時は、間違えたと言って出てくる。

修業したベトナムのベトナム人が作るフォー。インド人がインド人のために作るカレー。
香辛料や辛さがなじまない場合もあるが、同国人が認める味。

同国人さえ寄り付かぬアメリカ人御用達しのエスニックは壊滅的な料理が出てきたりするのである。
観光旅行でアメリカ料理にへきへきし、日本料理にがっかりし、おいしいものを食べたくなったら
レストランの窓から店内を覗いてみよう。アメリカ人がいなかったら当たりだ。
 
客のほとんどがアメリカ人であるにも関わらず、美味しい店が1軒だけある。
それはダンナがベトナム人、カミさんがタイ人で(もしかして反対かも)ベトナム料理の店だった。

ニューポート・ビーチのパシフィックコーストハイウエイ沿いを1ブロック入る。店内にアジア系客はほとんどいないがメニューはベトナム系である。フォーはリトルサイゴンのフォー屋では絶対お目にかかれない、或いはベトナム人ならこれはフォーではないと怒るかもしれない。

フォーは、シンプルな白のスープ皿に入って供される。スープはあくまでも澄んで雑味がなく、ヌードルは申し訳程度。フォーというより、英語でNodle Soupである。むろんスープ・スプーンが付いている。

絶品。フォーが昇華されて究極のコンソメヌードルとして全人類が喜ぶ味、ただし、ベトナム人は除く。何故ならフォーはお母ちゃんが作ってくれて、わしわし食べてきた家庭・故郷の味ーーから遥~かにアウフヘーベンしてしまっているからだと思う。

悲しいかな、この店には致命的な欠陥があるのである。ビルの1階なのだが、もともとアパレルのブティックだったようで店内にトイレがない。

まず、トイレに行きたいとサーバーに申し出て、鍵をもらう。ドアを開けて、ビルの外に出てから端っこに付いている階段を降り、地下の駐車場のトイレに行って帰ってこなければいけない。女同士でおしゃべりできない。デートに使えない。

多分今頃は常連のリッチなアメリカ人がスポンサーになって、もっとまともな場所に店を出しているかもしれない。

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