兵隊さんと一緒に学ぶ

簿記には全く興味はなかったが、将来のために登録した夏クラスは首尾よく取れた。
ところが、どうもクラスの場所が分からない。
コミュニティ・カレッジの住所と違う。学生課に聞いたら、やっぱり学校内ではなくて。近くの空軍の施設の中であるのだそうだ。

家の近くをドライブするとどこからでも見える大きなドームのある空軍ベース。
大統領が西海岸にやってくるときエア・フォース・ワンはここに降り立つ。かまぼこ型ドームは、規模がよくわからないほどデカく扉が開いていると、ヘリが飛びながら入っていくのだが、おもちゃのように小さく見える。

このベースの中で簿記のクラスは行われるのだが、最初の日はとても緊張した。ベースの入口は何も遮るものがない一本道で両側に関所がある。ゲートのバーが開いているので、そのまま通行する。帰りはゲートに車の列ができていた。おばちゃん、皆なんで止まっているか分からず、辛抱強く待っていた。

ゲートの直立不動の兵隊さんの横で、前の車がいったん停車しすッと出て行った。おばちゃんもとりあえず兵隊さんの横で止まる。それから車を出すと、兵隊さんの後ろにいたちょっと違った制服の兵隊さんが物凄い形相でわめきながらおばちゃんの車の前に飛び出てきた。

「なんでお前は止まらないんだ!」
おばちゃん、超怖かったが殺されてはたまらないので「だ、誰も止まれって言っていないよ?」
「お前間抜けか?こいつが止まれのサインをしてるだろうが!!」と直立不動の兵隊さんを指さした。

兵隊さんは、相変わらず直立不動でただし、左腕を斜め30度左下に差していた。
これが止まれ?そんなもん知るか。おばちゃん、ビビってたけどムカッついて

「サ・サ・サイン?それが止まれのサイン?
世界共通なの?私ボディサイン知らない」

エライさんは虚を突かれた顔をしてIDを見せろと言った。そしてぶっきらぼうに”行け”と言った。
おばちゃんは震えながら車を出した。ゲートで止められたのはそれ以降ほとんどなかった。

簿記のクラスの初日は50人くらいは入れる教室が満室で座れない生徒は、後ろで立っていた。私の前の生徒はどう見ても高校はでてます!兵隊やってます、というクールカットの襟足も青いお兄ちゃんなのであった。

観察すると、あちこちに兵隊さんらしいのが何人もいる。除隊したときに困らないように簿記を取るとしたら正しい判断である。

先生のテリーは複式簿記(Double Accounting)というのはなんでも2回記帳するのだ、2つの項目にまたがって記帳するとどっちかが間違ってもすぐわかるから。この2重記入が近代の会計を大きく変えたのである。

お前たちはこれから同じ数字を2つの項目に何度も何度も記帳することになる。DebitとCreditという二つの言葉で混乱せぬように。教科書とワークブックを用意して、チャプター1を読んでくるように命じた。

教科書は電話帳より厚くて重かった。ワークブックも同じお厚みがある。夏休みのたった6週間の間に、この教科書を全部済ませるのだ、できるか知らん。
チャプター1を読み通すのに辞書を引いたが、日本語辞書の経済用語はおばちゃんをますます混乱させた。


2回目の授業でテリー先生はDebit(借り方)Credit(貸方)という言葉に惑わされるな。
簿記では2つの言葉に英語の意味はない。ラテン語でDebit Creditというのは左側右側という意味だ。いいか、英語の意味を忘れろ。左側と右側だ。

なまじ英語の意味に囚われなかった(英語が染みこんでいなかった?)私はテリー先生の言うことを丸のみにするのだった。

クラスメートは軍人さんを含めてアメリカ人だったからどうしても丸のみにできない生徒もいた。
Debit借り方は ネガティブ借りじゃないか、どうして増えるとプラスになるんだ?Credit貸方はプラスなんだから増えればプラスだろ?なんで下がるわけ?
どうしても言葉の「意味」から離れられなかった生徒は最初の1週間でごっそり減った。

クラスの50席はところどころ空き始めた。テリーはものすごい有能な先生だった。教科書を解説して宿題を答え合わせしていく。生徒を指して行く。この答えは?次、この時のCreditは何を意味してる?次、、、。
次から次へ生徒を指して、生徒が分かりませんというと、何が分からないと質問し、口ごもるとすぐ次の生徒に飛んだ。1時間半の授業の間、緊張が途切れない。

宿題量もものすごい量で終わっておかないと、次の授業では置いてけぼりになってしまうので土日を全部つぶしてもワークブックをやった。テリーの言う通り、同じ数字を何度も何度も書くので人差し指はあっという間にペンだこができた。
毎週、生徒が減っていく。生徒が少なくなると、ますますテリーの質問が早くめぐってくる。質問に答えられてホッとすると前の席のお兄ちゃんの頭が目にはいる。

兵隊さんの頭の地図はすっかり見慣れて白人でもぶつけて怪我をすると、傷がハゲになるんだな。とか、うなじの白い肌にニキビができるとみっともないね。先週より増えたかも、とか。

ファイナル・テストの前になると、生徒はたった7人になった。もう、3分ごとに質問があてられる。
一秒も気が抜けない。最後の週のファイナル・テストが終わるとテストの点数なんかもうどうでもよくて終わってくれたことが嬉しかった。

おばちゃんは、このクラスのせいですっかり体力を使い果たし腱鞘炎と膀胱炎になってしまった。

mikie@izu について

海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。
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