蟻ンコの戦い

おばちゃんが大学を卒業して最初に働いた職場は貿易会社だったが、おばちゃんはとことん無能だった。

コピーを取る。これはOKだった。ハンコを押す。これはダメだった。ハンコの向きやインクのムラがあって無茶苦茶だった。ハンコを押すのが目的なら、5度傾いていたからと言ってそれがどうしたと。

輸出する車の車検証を別規格の紙にタイプライターでタイプしていくのだが、タイプミスをする。英文科の出身だからタイプライターはできるが、無意味な数字とアルファベットの組み合わせでは目が滑って頻繁にタイプミスをする。無意味なアルファベットの組み合わせが悪いのだ。

おばちゃん仕事全体の流れの中でどのような役割を持っているのか理解していないと、興味も集中もできなかったのである。パーツとして使うには最低な部品だったね。


お局様は東京でバリバリやってました有能秘書感満々の人でおばちゃんは深く劣等感にさいなまれるのだった。貿易会社は英文科卒の実務能力ゼロの女の子にいったい何をさせたかったのか?と今では思うのだが。

会社が終わり駅でとりあえずビール(昭和の時代は駅に自動販売機があった)をプシュッと一缶開けないと実家に帰れなかった。いろいろあって、貿易会社を3か月で辞め、実家を飛び出しおじちゃんのアパートに転げ込んでそのまま結婚した。

結婚後も働いた。次の職場はまたしても事務職だったがやはり無能だった。
会社はついでに営業もやらせようとしたがもっと無能だった。小さな会社だったのである程度仕事の全体像と流れは読めたのだが、やはり人に商品を売るということに意味が持てるわけでなくパーツになれなかった。

日本の人は優秀だと思う。人の粒がそろっている。
皆さんそれなりの学歴がありさわやかに仕事をこなしている。おばちゃんはいつも蟻ンコになった気がしていた。蟻ンコ、ちっちゃなちっちゃな蟻ンコ。

酒の量が増えてきておじちゃんが帰宅することにはほろ酔いという習慣ができてきた。
おじちゃんがいて、安定した(ささやかな)生活があっても、蟻ンコからはどうしても抜けられなかった。

おばちゃんくらいの能力の人は日本に五万といる。おばちゃんなんかいくらでも取り換えが効く。個性もない。おばちゃんは何かユニークでありたかった。趣味はバイク!愛読書!だがそれがどうした?何か創造的なことをしたかったが、何をどうしたいのかわからなかった。

暮らしているこの場所でおばちゃんは一体何を要求されているのだろう?おばちゃんに与えられた人生で、いったい何をすべきなのだろう?蟻ンコにはわからなくて酒の量だけ増えた。

勤めたり辞めたり飲んだくれてある日とうとうこのままここに居ては自分が死んでしまうと思った。
部屋で暴れて帰宅したおじちゃんがずたずたになった本にショックを受けた。
おじちゃんに“日本にはいられない、どこか日本でないところへ連れて行ってほしい。”と要求した。おじちゃんが見送っていた海外赴任の話があったから。

渡米して初めて自分に欠けていたものが分かった。
実務であり基礎知識であり、実際の目標だった。それはアメリカで生きていくためにも必要なものだった。目標を実現するためには、まず学校に戻って必要知識を身につけなければならない。

おばちゃんを取り巻いていた日本の社会の壁はなくなり、アジア系の女の子がクラスに交じっていようが年齢だろうが、誰も意外に思わなかった。何をしてもよい。自分の好きなことを好きなようにやって誰も指さす人がいない社会。

入院がきっかけで酒もやめた。酒浸りではアメリカで生きていけない。自分の全機能の120%増しで必要だから。

ゴールはおじちゃんの独立だった。自分でビジネスプランを考え、そのためにどんな資料を集めて何を研究すればよいか、初めておばちゃんは具体的な目標が見えた。

見渡せばそんな日本人はいくらでもいた。
州のライセンスをひとつづつ取っていって最初はアパートで、あるいは出張フェイシャル・マッサージなどのビジネスを始めたひと。

最初はちっちゃなスペース、お客さんがつくともっと大きなスペース、最終的にモールのテナントとしてエステサロンを開業した女性。人を雇ってより大きくよりポピュラーなモールに引っ越して最終的には2店舗を構えるオーナーになった人。

最初は同じく自宅で、次は大手の学校が使わない夜間の教室を借りて開業し、余裕ができたら自前でテナントを借りさらに大きな教室を開いたやはり女性。

誰も、XXXセミナーや開業セミナーなんかに通ったわけではない。
自分の手が届くところから始めて大きくしていった。人が欲しがっているサービスを提供できれば人も喜ぶ、自分もうれしい。Win & Win 


それが何かは、目をおっぴろげて社会を観察し自分がイケる感じたところを自分で創造していく。こうあるべき、こうすべきという型にはまったセオリーは必要ない。日本の固定観念は役にたたないから。自分が作りたい理想を自分で考えて自分で作れ。

十数年、おじちゃんと二人で商売をやった。
自分の人生が何をするために生まれてきたのか、何をすべきだったのか、、一応の成果は達成したと思う。おじちゃんの夢を実現させることは同時におばちゃんを生かすことでもあって、余裕ができれば他の人を生かすことでもあった。

自分が何のために生まれてきたのかわからない時に、他人を生かすことはできない。社会に責任を持つこともできない。おばちゃんはあの時代あの町でおばちゃんの役割を果たした。

おばちゃんの人生のフューズにはいくつもの段階があって、ビジネスの役割を果たした後は、おじちゃんと猫たちがいかに健やかに余生を暮らせるかを考え日本に帰ってきた。

第三コーナーを回って、残りの人生が見えてきたときおばちゃんは書き残していたくなった。おかしいと思うことを発信したいと思った。需要がどれほどあるかわからんが。

昭和の末期、おばちゃんが蟻ンコになっていた時に、日本であのまま酒浸りでいたら人生をつぶしただろう。おじちゃんの夢を実現させることも人を生かすこともできず確実にアル中で死んでいただろうと思う。一つの人生を無駄にするよりは、生きられる場所を探して生きればよい。

日本の社会は戦いにくい。
アメリカなら苦情はここで、そこで解決しなかったら次はここへと社会のシステムがクリアだが、日本はあいまいなので自分の相手が誰なのかどれが窓口なのかそこがまずわからない。窓口が判明したところで、質問をしてもYesでもNoでもない答えが返ってくる。返ってこない場合もある。

戦う相手が大きすぎるとおばちゃんの発信なんか、蟻ンコの「屁」くらいかなと憂鬱になる。ひいきのユーチューバーさんも全く同じことを言っていた。ただ、発信するだけなんですっと。

1万の再生と1千のPVとその他のブロガー、ユーチューバーの記事と放送が、ちょろちょととした流れから怒涛のような奔流となって天までとどけ!って言いたいが、毛筋くらいの影響でも天に与えられることを祈ろう。
あんまり考えるとまた蟻ンコになっちゃうからな。


mikie@izu について

海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。
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1件のコメント

  1. 本当に私たちの人生って蟻っこだと思います。私が大学を出た当時は、コネがないと就職は難しく、更に自宅通勤が好まれ、その面接では「結婚したら辞めます」と言うのが模範解答だったんです。私は親のコネもほとんどなく、自宅通勤でもなかったので、大した仕事はなかったんですが、それでもコネなしで大手一部上場の子会社に就職しました。しかし、アパ-ト代と食費その他をカバ-するのにはその給料ではきつ過ぎました。給料日の前はホカ弁すら買うお金がなかった事もあります。会社の帰りはお金ないので本屋によって立ち読みしながら泣きそうでした。それで転職しようとして、必死で転職しやすいだろうと思われるスキル習得のために夜間は学校に通ったりしていました。沢山の会社の中途採用に応募し、なんとか一年後には条件の良い外資系に入社できたんですが、給料も男女平等で昇進もあり、大学院も行けて、ラッキ-だったと思っています。でも、大学院の準備のためには平日は夜間学校に行っていたし、土日も一日中図書館に籠っていました。海外の支店でも働けたし。。30代後半まではあっという間の人生でした。

    私はM子さんの人生を見ていて、せっかく降嫁したんだし、一度本当に自分の力で生きてみたらどうかと思うんですよ。親からお金を一切もらわないで、就職も自分の身の丈にあったところで、人に頼らないで自分の頭だけで仕事をする。まだ50年以上もある人生でもったいないと思います。自分で成し遂げた事って、お金では買えないし、誰もそれに触れませんからね。今、考えないと絶対後で後悔すると思います。

  2. りんどう

    「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルの本がありました。確か、筆者が自信喪失に陥っていた時に手渡されたアメリカの詩の一節であったと記憶しています。と、同時に生き方は自分で選んでいくことができるとも書かれていました。確かに気の毒な一面もあるかとは思いますが、眞子さんにこれほどの批判が集まるのは「自分が望んで選んだことであるにもかかわらず、周囲のサポートやお膳立てにすがっているように見える」ところなのでしょう。

    私自身を振り返ると、幼いころから家庭や周りで海外や外国の方とのかかわりが多かったせいか、逆に日本を意識することも多かったのは良かったのかな‥と感じます。「遠くを見る目と近くを見る目」とでも言ったらよいのでしょうか。
    厳しく導いてくださった方々の存在を年齢を重ねた今も有難いと感じます。

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