戦闘 配置につけ

おばちゃんは腹を立てると生きる気力がわいてくるタチである。

あらかじめ断っておくが、以下の話は別のパラレルワールドの別の地球の州での話であって実在の人物ましてやおばちゃんとは全く関係のない、知らないおばちゃんの話である。

パラレルワールドの知りらないおばちゃんはある日女の子から相談を受けた。
ルームレントしていた女の子が部屋をでて引っ越したのだが、大家がセキュリティ・デポジット(敷金だな)を返してくれないのだという。
引っ越しの日には大家が部屋を点検した後に修復箇所があれば修復して、敷金から引いて残りはチェックで引っ越し先に郵送するということだったのに、2週間たっても1月たっても音沙汰がなく電話をかけメッセージを残しても返事がないのだという。

若いので大家からなめられているのであった。
パラレルワールドのカリフォルニアでは、退去の後大家は修復した場合ならその明細を明らかにし2週間以内にテナントに敷金の残りを返金しなければならないという法律がある。

おばちゃんは、ランドロード・テナント州法ページをプリントして、女の子に敷金の返還を要求するDemand Letterを大家に書けと言った。プリントした州法も同封して送れと。

大家から返事があったが、修理修復の明細はなんだかんだと敷金より多いと言い張っているらしい。請求書もやはりださない。大した修復もないのに金に汚い大家だ。

そこでおばちゃんは大家を調べた。
なんでかというと、大家は毎月のレントをキャッシュオンリーで要求していたのであった。現金のみ。記録が残る小切手はお断り。

へ~イ!「現金のみ」
わかりやすい大家さんである。大家さんが一番怖いのは、IRS(税務署)ですね。
それでルームレントを集中検索すると、大家さんのテナント募集の広告が上がってきた。一番古い広告の履歴もプリントアウトして、女の子に渡し $600/月X12=$7200 一部屋分 X 何年分
大家さんがレント分の収入もちゃんと申告しているのかどうかIRSに聞いてみると言ってやれと教えた。
女の子は無事敷金の返還を受けたようであった。

これもまたパラレルワールドで3つくらいずれた世界の話である。
知らないおばちゃんはビジネスを営んでいたが、出始めの携帯電話がウザかった。ふと思いついて邪魔があったらなと思い検索をかけたらイスラエルのオンラインショップが出てきた。さすが世界の武器庫みたいな国である。危ないものがゴロゴロあった。

邪魔も当たり前にあった。
邪魔はパラレルワールド米国では違法であった。
連邦法に引っかかるのだと思う。持ってるだけで違法。ところが、オーストラリアと日本では合法だったのだ、当時ほえ~。

カスタマーサービスメールで問い合わせると、米国は違法だから売れないが日本とオーストラリアなら売ってあげると言う。なるほど。おばちゃんはパラレルワールドの日本に転送住所があったのである。

日本なら売ってくれるよね?No problemってわけでイスラエルのハードウエアショップはあるものを日本の転送住所に送ってくれた。日本の転送は米国のおばちゃんに送ってくれた、コンピューター部品として。何の引っ掛かりもなく届いた。
むろん邪魔ではない。連邦法違反をする気はなかったから。

その代わりXXXを買った。イスラエルのショップの品ぞろえを見たら携帯電話の件はどうでもよくなり、別計画が浮かんだのであった。当時悩んでいたことで。

相手が正攻法でぶつかっても大きすぎて勝ち目がないときは、まず相手が何に一番弱いか考える。相手のビジネスを規制する役所はどこか、ライセンスを管理するのはどこの役所か?申告はしているのかどうか?ETCを調べる。

オンラインのカスタムオーダーでXXXのxxを作った。出来上がったxxはLAの転送住所から手に入れた。別のXXXで、ビジネスあるあるの相談をして返事をゲットした。その返事の主語をチビっと変え宛名をある人物にして印刷した。その手紙とイスラエルで買ったXXXを同封して、XXXのXX宛に、同時に別封筒でXXXXのXXにこちらはXX承りますのオンライン資料を印刷してXXもつけて投かんした。
XXとXXがXXXするように。

xxxとXXに入るのは何か?
税務署 仕事 喧嘩 恋愛 チワワ 誕生日 事務所 水泳 競争 人類 平和 機関銃 原爆 INS 監査 兄弟 ユダヤ カード 名刺 警察 操作

別のパラレル地球の話であった。正解がわかったらあなたはよっぽど頭がおかしいか性格が悪い。

日本とカリフォルニアの美しいもの

硬膜下麻酔が切れてお代わりが届くまでの半日ほど痛みに耐えていた間、気をそらすために考えていたことがある。

思い出せる一番古い記憶から、美しかったもの、楽しかった思い出、うれしかったシーンなどを一つ一つ思い出して意識を飛ばしていたのだよ。
おばちゃんの人生は日本・アメリカと真っ二つに割れている。幼少から青年期までは日本。社会人からリタイアまでアメリカ。

不思議なことに幼少期の日本の記憶のほうが鮮やかで、楽しかった感情も生き生きとして思い出せる。家族でバーベキューやいちご狩りに行った思い出。その時に着ていたお気に入りの服とか。からし色でジャージの生地まで思い出せる。
ああ、そうだった。炭火で生のシイタケを焼いて醤油だけの味付けなのにこんなにおいしいものか驚愕だった。あれ以上のおいしさのシイタケには出会ってない。

日本の自然は美しいんだ。
清冽な水の流れがあって、翡翠の新緑があって。前半生の美しい記憶は自然の美しさが必ずバックグラウンドになっている。

西海岸の思い出は自然ではなかった。元が砂漠だからさ。
ジャカランダの花のカーテンが美しくても背景の一か所の感じ。カリフォルニアのばさついた大地と植物フローラを美しいと感じる感性はどうしても生まれなかった。

これがカルフォルニアの木「ジョシュアツリ・ツリー」ですってガイドに言われたときは、がっかりして石をぶつけたくなったさ。
4季がある中西部から東海岸ならきっと雄大で目を見張る自然の美しさがあったに違いない。

アメリカの美しい記憶楽しかった思い出は人間が作った美しいものだったね。
建築物の壮麗さと美的センス。計画されて建築された都市の整然。デザインの美しさ。色彩の統一感。

おばちゃんたちはLACMAが好きで、あそこのホールの円天井のタイルはすごい。ゲッティセンターもそれなりの規模なんだが、LACMAの重厚さはやっぱり税金をたっぷりかけただけあると感心していた。
美術館の収集品もLACMAとゲッティは豊で、一日文化の粋に囲まれて過ごせる静かなところだった。

LAのサイエンスミュージウムは人類に感動するところだ。
人間が作ったスペースシャトルに感動する。スペースシャトルの打ち上げのナサのビデオで臨場感を高めて、スペースシャトルが「おんぶ」でLAに飛んできてサイエンスミュージアムまでの路上の牽引されて無事ミュージアムのスペースに収まるまでの動画。最後に実際のスペースシャトルと対面できる。

スペースシャトルの外装がタイルと石綿だと自分の目で確認出来て、それは衝撃だった。これで本当に宇宙を飛んだのか?!ああ、すごいものを見た。
シャトルを路上けん引したトラックはToyota Tacomaだ。日本でもトヨタのピックアップトラックを見ると無条件に好感を持つ。

人間が作った美しいものと、日本の自然の美しいものともう一度見てみたいと思う。
滋賀県の醒ヶ井という古いマスの養殖場があって俗化はしているのだが、山の清流と魚が美しいんだ。
明後日、再診の予定。
肝臓とリンパ腺と大腸のポリープの細胞診の結果がわかる。

な~んちゃってリベラルの人

居りましたなぁ。
進歩的・開明的リベラルを主張する若者。

Y子ちゃんは事情があって中学生からたった一人でアメリカに移住した。親戚知り合い友人は誰もいない。アメリカ大陸でたった一人。
アメリカ人の若いホストファミリーの元で中学後半・高校・大学を出た。その間同じホスト・パパとホスト・ママに育てられた。いい人たちに当たったと思う。

ホスト両親はユタの生まれ。
そう、二人ともモルモンの出身であった。酒はもちろんコーヒーも禁止というあのモルモンである。そのモルモンが嫌で大学はカリフォルニアにでて、出身に反抗してコーヒーを飲み酒も面白おかしく、その上楽しい葉っぱもエンジョイしていたらしい。

出身が同じで理解しあえる二人は結婚し、カリフォルニアで子供を産みリベラルで明るい家庭を築いていたらしいが、子供はベビーからすぐ大きくなりそこにY子ちゃんもやってきた。

そこでホスト・ママとホスト・パパは“はた”と現実に目覚めたのである。慌てちゃったと言っていた。

自分たちはモルモンに反抗したけれど、自分たちの子供を育てるにあたって、子供たちにも野放図に酒たばこ葉っぱその他いろいろを許すべきなのか?
リベラルを自任する親としての葛藤があったようであった。それでY子ちゃんもひっくるめて一家はテキサスに移住したのであった。

ユタには戻りたくないがカリフォルニアでは自信がなくて思い切ってテキサスで人生を仕切り直し。だからY子ちゃんはテキサスの大学を出てる。

日本人夫婦でも子供を産んだとたん親として目覚めて、ドラッグまみれの土地で子供をコントロールして育てる自信がないと日本に帰ってしまった夫婦がいた。
困りましたよ、おばちゃんたちは。このご夫婦は技術を持っていたので、いなくなって困った。

K子ちゃんのアメリカ人の婚家はご主人の兄がゲイだった。
高校時代までに女の子の話題がないと大体親にもわかってしまうものだが、K子ちゃんの義理実家は兄の恋人を受け入れて(いい人なんだ料理がうまくて)サンクスギビングとクリスマスは家族として参加する。

難しいなというケースもある。
両親リベラル、ちょっとやんちゃな青春時代。子育てが終わって安定した職と生活があって、娘が肌の色の濃い人を連れて帰ってきた時。

まあ、彼はそこそこいい子。そこそこ成績もよく受け答えも尋常で人生の目標もあり、いい子なんだが、、。

彼の叔父さんがドラッグディーラーで刑務所に入っているとか、叔母さんがドロップアウトで行方が知れないとか、。本人のせいではないが問題がぞろぞろ出てくるのである。

肌の色が濃いということは同時に歴史的に長い積み重ねがあって、色の濃い人たちの置かれた環境は社会的地位が低くて困難が多かった。その環境の結果のだらしないと映る習慣もある。その歴史の積み重ねは彼氏の一部でもある。それは娘の彼氏のせいではない、のだが、。

そのうちいい子だと思った彼氏からも問題がぞろぞろ。

娘には人種性別差別反対ドラッグ解禁・デモクラットでリベラル応援してきた手前納得させるのが難しい。娘は親の豹変を納得できず親が対話を逃げたのだろう。

暴走する世間知らずの娘は、世間の迷惑そのもの。
娘にしてみれば正義の道を進んでいるのである。迷惑の自覚はない。

親が親として目覚めるのはいつか?
現実から目を背け憲法24条を持ち出して親の義務を放擲する人。国と人の援助で成り立っている娘の生活の問題を指摘して人生の仕切り直しをさせるのは親のほかにだれがいるのか。


蟻ンコの戦い

おばちゃんが大学を卒業して最初に働いた職場は貿易会社だったが、おばちゃんはとことん無能だった。

コピーを取る。これはOKだった。ハンコを押す。これはダメだった。ハンコの向きやインクのムラがあって無茶苦茶だった。ハンコを押すのが目的なら、5度傾いていたからと言ってそれがどうしたと。

輸出する車の車検証を別規格の紙にタイプライターでタイプしていくのだが、タイプミスをする。英文科の出身だからタイプライターはできるが、無意味な数字とアルファベットの組み合わせでは目が滑って頻繁にタイプミスをする。無意味なアルファベットの組み合わせが悪いのだ。

おばちゃん仕事全体の流れの中でどのような役割を持っているのか理解していないと、興味も集中もできなかったのである。パーツとして使うには最低な部品だったね。


お局様は東京でバリバリやってました有能秘書感満々の人でおばちゃんは深く劣等感にさいなまれるのだった。貿易会社は英文科卒の実務能力ゼロの女の子にいったい何をさせたかったのか?と今では思うのだが。

会社が終わり駅でとりあえずビール(昭和の時代は駅に自動販売機があった)をプシュッと一缶開けないと実家に帰れなかった。いろいろあって、貿易会社を3か月で辞め、実家を飛び出しおじちゃんのアパートに転げ込んでそのまま結婚した。

結婚後も働いた。次の職場はまたしても事務職だったがやはり無能だった。
会社はついでに営業もやらせようとしたがもっと無能だった。小さな会社だったのである程度仕事の全体像と流れは読めたのだが、やはり人に商品を売るということに意味が持てるわけでなくパーツになれなかった。

日本の人は優秀だと思う。人の粒がそろっている。
皆さんそれなりの学歴がありさわやかに仕事をこなしている。おばちゃんはいつも蟻ンコになった気がしていた。蟻ンコ、ちっちゃなちっちゃな蟻ンコ。

酒の量が増えてきておじちゃんが帰宅することにはほろ酔いという習慣ができてきた。
おじちゃんがいて、安定した(ささやかな)生活があっても、蟻ンコからはどうしても抜けられなかった。

おばちゃんくらいの能力の人は日本に五万といる。おばちゃんなんかいくらでも取り換えが効く。個性もない。おばちゃんは何かユニークでありたかった。趣味はバイク!愛読書!だがそれがどうした?何か創造的なことをしたかったが、何をどうしたいのかわからなかった。

暮らしているこの場所でおばちゃんは一体何を要求されているのだろう?おばちゃんに与えられた人生で、いったい何をすべきなのだろう?蟻ンコにはわからなくて酒の量だけ増えた。

勤めたり辞めたり飲んだくれてある日とうとうこのままここに居ては自分が死んでしまうと思った。
部屋で暴れて帰宅したおじちゃんがずたずたになった本にショックを受けた。
おじちゃんに“日本にはいられない、どこか日本でないところへ連れて行ってほしい。”と要求した。おじちゃんが見送っていた海外赴任の話があったから。

渡米して初めて自分に欠けていたものが分かった。
実務であり基礎知識であり、実際の目標だった。それはアメリカで生きていくためにも必要なものだった。目標を実現するためには、まず学校に戻って必要知識を身につけなければならない。

おばちゃんを取り巻いていた日本の社会の壁はなくなり、アジア系の女の子がクラスに交じっていようが年齢だろうが、誰も意外に思わなかった。何をしてもよい。自分の好きなことを好きなようにやって誰も指さす人がいない社会。

入院がきっかけで酒もやめた。酒浸りではアメリカで生きていけない。自分の全機能の120%増しで必要だから。

ゴールはおじちゃんの独立だった。自分でビジネスプランを考え、そのためにどんな資料を集めて何を研究すればよいか、初めておばちゃんは具体的な目標が見えた。

見渡せばそんな日本人はいくらでもいた。
州のライセンスをひとつづつ取っていって最初はアパートで、あるいは出張フェイシャル・マッサージなどのビジネスを始めたひと。

最初はちっちゃなスペース、お客さんがつくともっと大きなスペース、最終的にモールのテナントとしてエステサロンを開業した女性。人を雇ってより大きくよりポピュラーなモールに引っ越して最終的には2店舗を構えるオーナーになった人。

最初は同じく自宅で、次は大手の学校が使わない夜間の教室を借りて開業し、余裕ができたら自前でテナントを借りさらに大きな教室を開いたやはり女性。

誰も、XXXセミナーや開業セミナーなんかに通ったわけではない。
自分の手が届くところから始めて大きくしていった。人が欲しがっているサービスを提供できれば人も喜ぶ、自分もうれしい。Win & Win 


それが何かは、目をおっぴろげて社会を観察し自分がイケる感じたところを自分で創造していく。こうあるべき、こうすべきという型にはまったセオリーは必要ない。日本の固定観念は役にたたないから。自分が作りたい理想を自分で考えて自分で作れ。

十数年、おじちゃんと二人で商売をやった。
自分の人生が何をするために生まれてきたのか、何をすべきだったのか、、一応の成果は達成したと思う。おじちゃんの夢を実現させることは同時におばちゃんを生かすことでもあって、余裕ができれば他の人を生かすことでもあった。

自分が何のために生まれてきたのかわからない時に、他人を生かすことはできない。社会に責任を持つこともできない。おばちゃんはあの時代あの町でおばちゃんの役割を果たした。

おばちゃんの人生のフューズにはいくつもの段階があって、ビジネスの役割を果たした後は、おじちゃんと猫たちがいかに健やかに余生を暮らせるかを考え日本に帰ってきた。

第三コーナーを回って、残りの人生が見えてきたときおばちゃんは書き残していたくなった。おかしいと思うことを発信したいと思った。需要がどれほどあるかわからんが。

昭和の末期、おばちゃんが蟻ンコになっていた時に、日本であのまま酒浸りでいたら人生をつぶしただろう。おじちゃんの夢を実現させることも人を生かすこともできず確実にアル中で死んでいただろうと思う。一つの人生を無駄にするよりは、生きられる場所を探して生きればよい。

日本の社会は戦いにくい。
アメリカなら苦情はここで、そこで解決しなかったら次はここへと社会のシステムがクリアだが、日本はあいまいなので自分の相手が誰なのかどれが窓口なのかそこがまずわからない。窓口が判明したところで、質問をしてもYesでもNoでもない答えが返ってくる。返ってこない場合もある。

戦う相手が大きすぎるとおばちゃんの発信なんか、蟻ンコの「屁」くらいかなと憂鬱になる。ひいきのユーチューバーさんも全く同じことを言っていた。ただ、発信するだけなんですっと。

1万の再生と1千のPVとその他のブロガー、ユーチューバーの記事と放送が、ちょろちょととした流れから怒涛のような奔流となって天までとどけ!って言いたいが、毛筋くらいの影響でも天に与えられることを祈ろう。
あんまり考えるとまた蟻ンコになっちゃうからな。


真子様はすでに仕事を始めている???

デイリー新潮
3/29(火) 6:00配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/dcb6b208f489d276c2abff5ab457ab51d5d72a64

眞子さんはすでに仕事を始めており、給与を得ていると聞いています」と話すのは、ある宮内庁関係者。

「具体的な仕事内容や、それがパートタイムなのか否かも含め、わかっていないことのほうが多いのですが、眞子さん自身、コミュニケーション能力をはじめとする力量は折り紙付きですし、元皇族という肩書きもお持ちです。引く手あまたとまでは言いませんが、結構な数のアプローチがあると聞いています。コロナ禍やウクライナの問題が落ち着き、日常が戻るにつれ、そういった声も高まって行くのではないでしょうか–引用終り

不法就労

”コミュニケーション能力”があろうがなかろうが、”就労ビザを持っているか”どうかでアメリカ国土で合法に働けるかどうかが決まる。

米国内で違法就労をすれば、元皇族だろうが移民法違反。元首相・犬養毅の孫の犬養道子が米国内で違法就労の結果、強制退去になっている。

小室真子さんは夫小室圭の妻として留学生ビザF2を取ったと思われている。F2は就労不可のビザ。それともF2ではなくて”Jビザ”でも取っていたのか?

就労ビザなのか学生ビザなのか、「PTSD」だったのに、実は就労可能なビザを取ってましたと言うなら、そういうインチキが国民の怒りを誘うのだ。

続報を待ちたい

アメリカ製家電

アメリカに赴任して家具と家電は会社が用意してくれていた。Kenmoreとの遭遇である。
冷蔵庫
Sears製ブランドKenmor冷蔵庫は何というか一言でいえば「冷蔵する箱」であった。
こざかしい機能は何一つついていない。チルド室何それ?卵用ラック?なし。箱ただの箱。

一番下には24本入りバドワイザー段ボールがすっぽり横でも縦でも入り、ガロンのミルクボトルがドアラックに2本入る。3度の引っ越しについてきて在米中一度も壊れなかった。今でもきっとどこかで動いているのではないか。

2度目の引っ越しの時に発見してびっくりしたことがあった。
引っ越し屋さんに運んでもらって新しいアパートのキッチンに仮置きしてもらったときに、後ろ向きに置かれていた冷蔵庫の裏板は妙に波打っていた。

不思議に思って近づいてしみじみ観察してみると、板だと思っていたパネルは紙だった、段ボールを押し固めたような厚紙。それが何年か経って劣化して、ゆがんできたわけ。それでも破れているわけでもヒビが入っているわけでもなかった。冷蔵庫の裏なんて誰も見ないから材質が何であろうと気にしないから。

厚紙の裏板には不安になって、もしこの冷蔵庫が壊れたら同じものを買い替えるのにいくらかかるか?とシアーズに行って同じようなモデルを調べたら600ドルだった。キリでもなくピンでもない普及品としてのモデル。

細やかな機能も細やかな仕切りも全くついていなかったが、質実剛健で冷蔵する箱として壊れることもなかったしアメリカの食生活を支える箱としてとにかく不自由が全くなかった。壊れればもう少し機能がある新モデルに変えてもいいのだがとにかく壊れなかった。

日本のテレビ番組やCMは見られたから日本の最新冷蔵庫の情報も知ることができた。
日本の冷蔵庫はいろいろついているらしかった。でもKenmoreで困ることがなかったのよ。

ライフスタイルが違うからだろうか。買ってきたものを痛まないように保存して、残ったものを保存して。バドワイザーを1ケース買ってすっぽり入るのに毎回よくできてるわぁ、と感心したものだ。

日本に帰ってきてさて家電はどうすると考えたとき、質実で十分と思った。別に親切で繊細な機能はいらないのよ。おばちゃん、アメリカ化してがさつになちゃった?

お刺身なんてその日に食べるし。野菜室も普通の箱で十分。それでいまでも困ってないし。今うちで動いている冷蔵庫は中古で7000円だった。七万ではない七千。全然役に立ってる。

掃除機
アメリカの掃除機は、うるさい、重い、コードが絡む。
ダイソンが出てくるまでは基本1960年代のアメリカ映画に出てくるフーバーからあまり進化していなかったと思う。

ヘッドにブラシはついているが見てくれだけで回転はしないし、曲がらないヘッドと柄は重たいし、本体も重くて持って階段を上がると思うとうんざりする使い勝手の悪さ。
そのうえ音がうるさい。クローゼットを開けただけで猫が飛んで逃げるほどうるさい。

コードは巻取り式ではないので、使うときはまず本体にぐるぐる巻いてあるコードをほどき、柄に沿わして手元まで引き伸ばし、それからよっこらせと肩にかける。そうしないと長くて重いケーブルが掃除機の車輪に絡んで取り回しが厄介になるから。
いいとこなし。

ただし、カーペットクリーナーだけは他に置き換えができない役に立つ家電だった。
乾燥したカリフォルニアではオールシーズン使えたが、中西部から東海岸ではどうだったか知らない。

カーペットとは汚れるものだ。玄関からリビングからキッチンからベッドルームへの動線はけもの道のように、毛足が寝て薄汚れてくる。3ケ月に一回くらいシャンプーするといい。

カーペットのクリーニングをするには専門業者のサービスを雇うか、それともカーペットクリーナーを買って自分でやるか。業者の2回分の費用でクリーナーが買える300ドル前後。

まず水が入るタンクが掃除機のヘッドに乗っている。
電源を入れると水もあったまり、クリーナーの持ち柄のレバーを引くと、掃除機のヘッドからカーペット洗浄液が噴霧される。で、ヘッドから水流がでてブラシが回転してカーペットをシャンプーし、バキューム機能で吸い取られて水タンクに戻る。タンクの中の水はみるみる濁り、カーペットの汚れを吸い取っていくのがわかる。

むろんシャンプーして洗ったカーペットは濡れているが、カリフォルニアなら朝洗って、夜にはそこそこ乾いている。カーペットの色が一段明るくなる。

帰国する時に上げてしまったが、日本ではちっちゃいシミ取りスポット・クリーナーしかないと知って、しまったぁと思う。

洗濯機
これはいろいろ言いたい。
自宅にはKenmoreの洗濯機・乾燥機がついてたが、これも壊れなかった。

Kenmoreの洗濯機と乾燥機は先代のオーナーから家ごと買い取ったもんで、それまで動いていたのをいれると20年故障なしで動いていたと思う。日本の業者さんが大手の洗濯機でも部品保障は10年。10年後に部品が壊れたらもう洗濯機を買い替えるしかないんだって。どうしてそんなに壊れやすいの?


アメリカの水は硬質で洗剤が溶けにくいから、洗濯機はボイラーから配給したお湯で洗うことができた。お湯を選んで洗剤と漂白剤を入れてゴンゴン回すだけ。汚れ?落ちるよ。取り出して、乾燥機に入れる。50分回せばデニムでも毛布でも乾く。

日本の東芝ドラム式ザブ~ンはもうきめ細やか。何を洗いますか・おしゃれ着ですかニットですか?何回すすぎますか?あんまり細かすぎて面倒くさい。

Kenmoreは16年間繊維くずをとった記憶がない。東芝君はフロアマットを洗ったら、排水フィルターに繊維が詰まって排水がうまくいかなくなり、おばちゃんは混乱して3回も洗濯サイクルを繰り返して脱水ができなくてパニックになった。

結局排水フィルターが細かすぎてマットの繊維が詰まって排水ができなくなってたよ。ポカポカ赤い警告ランプがつきっぱなしでどうしていいかマニュアルを調べ、機体下についている排水フィルターを開けたとたんに床に水があふれた。とっても洗濯機が繊細。2回やった。

乾燥機は、デリケート、ニット、毛布などのいろんな区別があって、1時間半乾燥機を回しても毛布は乾かない。シーツは標準乾燥で縮むだけ縮んだので布団にかけようとしたらどんぶりにラップをかけた状態になった。嘘やおまへん。

何年もアメリカで使ったコットンシーツが、ざぶ~んの標準乾燥で縮んでしまったのだ。

ツイン用の敷シーツが、軒並み太鼓に張った皮みたいに敷き布団がそっくり返って使えなくなってきたので、ニトリに行って新しいシーツを買った。シーツのサイズは式布団210センチにぴったりのサイズを買った。

この敷き布団マットというのはニトリでベッドを買ったとき、お客様は背が高いですから敷き布団は210センチにしたらどうですか?と言われてうっかり買ってしまったマットである。

ベッド自体が200センチなのにマットだけ210センチを買うことがおかしいのだが、とにかく買ってしまって配達されたときにありゃ?と思ったのだが、アメリカ製のツイン用の敷きシーツはフィットしたのだ。最初は。

んで、洗濯乾燥をするたびにすべてのシーツが縮んで、敷き布団にシーツをかけようとすると、ついに太鼓に皮を張った皮状態になってしまった。

おばちゃんはむかついた。
東芝製のざぶ~んに腹を立て、210センチの敷き布団に腹を立て、一体どう始末をつけたらよいか?新しいシーツを買っても乾燥のたびに縮むのである。
大き目のシーツを買うか?いやである。横幅はぶかぶかになるから。

では、マットを買い替えるか?ごみ捨ては日本では大仕事である。買って2年しかたたないの200センチに2人分買い替えるのも面倒で出費に腹が立つ。いまさらながら、なぜ210センチだったのだ。それでおばちゃんは決意した。

マットを切ったのである。
マットの下端をカミソリで切り開いて、中のワタを10センチ分切って捨てマットの皮だけは余るから内に袋縫いで縫い込んだ。問題解決。ベッドにも合うサイズになってむろん縮んだシーツもフィットするようになった。

あ~、やれやれ。機械が繊細で融通が利かず華奢なのは困るわぁ。
ニットだとか毛布だとかいろんな設定があるくせに一番耐久性があるコットンが縮む。設定らしい設定もないKenmoreの乾燥機が50分で乾いて縮みもしないのに。

昔から思っていたのだけど、日本製の家電というのはいらんものがありすぎる。
無駄な機能を排除してほしい。シンプルで頑丈で十分。

これぞ中心パーツというのを標準化すれば30年経っても部品は共通ってできるでしょう?消費者が本当に欲しいものを作ってほしい。壊れにくい自動車を作れる日本人が30年もつ洗濯機を作れないはずがない。


EB5とコリアンと日本食レストラン

2000年からしばらくたって、まだ不況の影響が残るころ、
エリアの日本料理店が次ぎ次とコリアンや中国人に売られていった。客にはまったく売買の動向がわからないので、土曜日のランチに久しぶりに行きつけの日本レストランに行ってみると看板が変わったいた。

フロントガラスに貼られているメニューはアメリカ人向けのコンビネーションばかりになって、焼き魚とか生姜焼き定食だとか純粋日本食は姿を消した。

ほかの店に回る時間的な余裕がなければ、意を決して入るしかない。
案の定、出てきた味噌汁はただの味噌湯。ガリガリに揚げられた天ぷら。甘い甘いタレのチキン照り焼き。食べられそうな冷ややっこに醤油をしこたまかけて白いご飯で掻き込んですぐに出る。

当時の韓国政府はアメリカやカナダに移民する自国民に資金を貸した。
まさか口減らしに国民を移民させたわけではあるまいが、資金をだして他国で稼がせ、本国への経済支援をさせようとの心づもりがあったのかもしれない。が、それは必ずしも成功しなかったようだ。

韓国政府からの資金でカリフォルニア州南部の日本人レストランを買収しEB5ビザ(投資ビザ)から永住権を取る。首尾よく取れれば次のコリアンに店を売りさらにEB5で“永住権を取る”EB5の輪”が広がるケースもあった。

ただ、買収するのは日本レストランが多かった。なぜかコリアン・レストランを自前でオープンしようとする輩は少なかった。理由は簡単で、寿司、和食はインターナショナルな味覚としてアメリカではすでにポピュラーだったが、コリアン・フードは未開の地に近かった。コリアンレストランをオープンしてもアメリカ人客は引き付けられず、小さなコリアン人口だけではビジネスの成長が見込めなかったから。

コリアン自身もコリアン・レストランより日本レストランのほうが「格」が上と思い込んでいる節があった。なるべく日本人客に知られないように秘密裡に売買交渉を行い従業員もそのまま、経営だけこっそり買い取って営業するオーナーもいた。むろんメニューも一切変えない。

日本人は意外と知らないが、韓国本国でも日本スタイルのすし屋というのはあるらしく、すし屋業何十年というコリアン寿司職人もいて、日本人から店を買った後カウンターで握っている。英語以外しゃべらない。ウエイトレスはわざわざ募集して日本人を置いているのでアメリカ人の客からは純粋の日本人寿司職人だと思われていた。

ただ、日本人が入ればあれ?と思うことがあるので常連になることはない。焼酎にキュウリの薄切りが入っていたりするし。

ある程度の料理の修行ができているオーナーが買収するならまだましなのだが、レストラン業をなめてかかっている階層が日本レストランをオープンしたりすると悲惨なことになる。
味噌汁とは湯に味噌を溶かすもの。味付けができないので、テーブルに唐辛子ソース、しょうゆ、ソースを置いて自分で味付けをしてくれと。

アッコちゃんはダブルジョブをしていた時そんなコリアン?寿司レストランで働いたことがあるという。
日本人からレストランを買って、見よう見まねで寿司を握るから、日本人客はあっという間にいなくなり味覚障害のアメリカ人客ばかりになった。

あるランチタイムの終わりごろ、客が入ってきて和風の定食を頼んだがあいにく白米はなくなってしまっていた。照り焼きと天ぷらのコンビネーションなどには白いご飯がつくが、コリアンのおかみさんからすれば要するにご飯なら何でもいいだろうと思うので、すし飯を茶碗にもって出そうとする。

アッコちゃんは、仰天してNo, no, no! Not sushi rice.
おかみさんはダメという理由がわからないので、It’s ok, never mind.
アッ子ちゃんはNo, not sushi rice.

白飯はないので、とにかくオーナーは出せというので、仕方なく定食をだしたら客はご飯を一口食べて出て行った。

コリアン・オーナー夫婦は、日本食には全く才能がないが、アッコちゃんの賄いはものすごくうまいスンドーブや焼き肉を食べさせてくれるのだという。アッコちゃんはこんなにおいしいコリアン料理ができるのだからコリアンレストランにすればいいのに、とオーナーに言ったらしいが、コリアン・レストランじゃ客が来ないからと、そのまま寿司屋をつづけて店をつぶした。
コリアン人口もまだ少なかった頃。

隣国であるということ、一時期日本領土としたことがあること歴史上のあれやこれやがあるので、まったくの外国人として接するのが難しい人たちではあった。

ある晩、おじちゃんと居酒屋にいたときは、商売相手らしい日本人とコリアンが飲んでいた。日本人のおっさんは完全に酔っぱらってきて、

I’m sorry, I apologized what our father’s generation did to your country,,, (申し訳ない。父の世代があんたたちの国にしたことをお詫びする。)

と店全体に響き渡るような声で、ひたすらapologize, soooorryとかうるさく騒ぐ、コリアンの商売相手は、なんか言っていたがこっちも相当酔っぱらっていて揶揄するようにこんなことを言った。

I don’t care whatever while you are losing your money dealing with us.(あんたがうちとの商売で損をしてる間は、気にしないよ)

このころには日本人はべろべろになっていたので何を言われたかきっと聞いていなかったろう。この時ばっかりは、コリアンのほうが一枚上手と思った。

それからコリアンと言わずものすごい勢いでアジア系の人口が増えた。
日本レストランのオーナーが日本人である経営は全体のたった2割といわれるようになってしまった。

そこそこ大手の不動産屋と話す機会があって、(ハワイが本社のあの不動産会社)そのリアルターが、実をいうとコリアン相手でEB5の日本料理の買収をしたのは主にうちの会社でした、と告白した。あそこの店も、この店も?と私が聞いて、そうですという。

好奇心に駆られて、ねぇ、日本食店をコリアンが買収して経営がうまくいったのは何割ぐらいあるの?と尋ねると、
彼は一瞬黙った後、ゼロです。と言った。
彼らもうまくいかないのを学習したので、今は誰も日本食店を買おうとしません。

コリアンからは日本人はずる賢いと思われているのは知っている。一瞬、否定できないかもと思ったのは確か。


こころに半旗を

2年働いてくれたピップが一家でタイに帰国せねばならないからウチを辞めると告げに来た。
ピップは高校生の頃に親に連れられてアメリカにやってきた。

永住権を申請して長い間待ってやっと前年にとれたばかりだった。幼稚園に通う子供を育てながら、これから順調なはずだったのにタイ人の旦那に病気が見つかりどうしてもアメリカでは治療の見込みが立たないので、永住権を捨ててタイに帰るのだと暗い顔で言った。

「帰りたくない。病気の治療こととだけではなくて。」
私がなぜかと聞いたら、プミポン国王は国民から尊敬を受けている賢王であったが、次期王位後継者がとても受け入れがたい人物なのだと言った。

若いころは王位後継の順位が低かったので海外で勝手気ままに暮らし恋人や妻をとっかえひっかえプレーボーイとして有名だった。

ピップは英語であえて「プレーボーイ」という言葉を使ったが、「プレーボーイ」という言葉では収まり切れない、もっと不快なスキャンダルの臭いがあった。スポーツカーをすごいスピードで走らせて人をひっかけて王族特権でもみ消すとか、およそ王族として人の尊敬を集められる人となりではないのだという。

ネットのニュースではピップが言うほどネガティブな記事は出てこなかったが国民なら別の情報ソースがあるのだろう。

タイと日本は西洋勢力に侵略されずアジアで独立を守りぬいたたった2つの国だった。
そのタイの誇り高き王国民が、次期王位後継者の人格に尊敬を払えず憂いに沈んでいた。
やがて問題の次期国王が治めるであろう祖国に帰らねばならぬピップを、非常に気の毒に思った。他の国の話だったのだが、。

ジャーナリストは外務省に抗議しよう、小室夫妻への国を巻き込んだ援助をやめさせよ、と唱える。こういうごり押しの謀略を何十万人の日本人が憂いて嘆いて心を砕いているか。不敬罪はなくなったが日本人の心の中ではいまだに生きている。“誰が“という言葉はいまだに日本人の口ははばかられる。

日本で省と名がつく役所で働く舎人は、自らを国民に奉仕する下僕だと思っていない。
国民の上に立つ国を動かしている立役者だと思っている。物を売って成り立つ民間の企業と違って国民の批判でつぶれる省組織ではない。私だって寝てないんですと経営が危うくなった超一流民間会社とは違う。

こういう役所の役人は抗議や非難の手紙をもらっても心を動かされることはないし、行動を改めることもない。それは自分がやっていることではない。省の方針なのだから。

手紙を送ってSpamと書かれた段ボールに放りおかれるか、資料室のような下っ端が読んで、脅迫や危害を予告するような文言が見つかれば警察や保安関係に渡すファイルに綴じられるのではないか。

税金を使い命令系統をごり押しして組織を使うのはどうでしょう?といさめるような役人がいるとしたら、そもそもこういう小室計画は進んでいるはずがない。舎人は舎人であってアメーバーのように個々の意思を持たず自ら考えることなく新陳代謝しながら組織として動く。

おおよそ皇統にふさわしくない人物を婚約者として認めてしまった自分の目のなさを認めたくないばっかりに、国政を巻き込んで誤りに誤りの上塗りをしている。糞にせっせと金メッキをしても、金メッキをした糞ができるだけである。

小室母の詐欺疑惑で詐取したとした総額はおおよそ2千5百万である。小室息子と平民の妻との警備費用・必要予算は年間で8億である。

金額だけを考えても8億を通して2千5百万のはした金を問題にするとは考えにくい。皇室の姻族の刑罰がかかっているのである。

ウイスコンシン計画をあくまでも遂行しようと補正予算まで取った。その理由である中心人物の母を刑事事件で有罪にさせる度量が果たして政府にあるのだろうか?姻族が有罪になれば、今まで糞に施してきた金メッキがすべて無駄になる。

東京地検でつぶされるか、問題噴出の神奈川県警で受けるふりをして証拠不十分でなかったことにされるか。
私には不正をただされる未来が見えない。

政府という一般市民に手が届かない組織へどのように国民の意思を届けられるだろう。タイのピップはどうしているか?日本も気の毒な国だと思っているだろうか?

民は幸せではない。


西海岸の総領事館

LAの総領事館は、ダウンタウンの一方通行ばっかりあるファイナンシャル・ディストリクトのGrand Ave とOlive streetの交差点近く、丘のてっぺん近くのCalifornia Plazaビルにある。
パスポートの書き換えとか、めったに行くところではないので何度も迷って一方通行をぐるぐる回った。回り方によって絶対領事館にはたどり着けない。

ナビがなかったころは紙の地図を飽きるほど研究して赤マジックでルートを書いても間違えたことがある。S Grand Aveだったか一部地下にもぐっているトンネルみたいな道路があって、それを道路として考えるとあさっての方に行く。

ナビをつけても北からGrand Aveに向かうと、わき道を1っ本手前に入り損ねるのでぐるぐる丘を回ることになる。何度も煮え湯を飲まされた。

California Plazaの地下駐車場も、利用者のための駐車場だと思うと怒髪天をつく。
financial Districtをぐるぐる3周くらい回ってやっとのことでCalifornia Plazaに到着して地下駐車場があるじゃないかと、10年前は確かに来たはずだと思う。地下要塞のような駐車場に入っていくと、平日で端が見えない地下トンネルのようなロットをぐねぐねと走ってやっと空ロットを見つけてやれやれと思う。

用事を済ませて車を出そうとするとExitの出口の料金支払い機はクレジットカード・オンリーだった。キャッシュ?紙もコインも入れるスロットはない。

それもそのはず、California Plazaの駐車場料金は10分で$4.5。地下駐車場からエレベーターに乗って地上に出て、そこからさらにビルの内部に入り、受付を済ませて上部の領事館にたどり着くまでに10分以上かかる。窓口で待てば用事がすむまで小一時間かかるのに駐車場料金だけでランチ代じゃないか!

だから紙の紙幣を受け付ける機械を設置していないのだ。アメリカ人はキャッシュをそれほど持っていないから。
こんなド高い超高額なビルに入居している領事館を呪いながら出口の遮断器にクレジットカードを差し込む。

次に領事館に行く用事ができたときは、地下駐車場の教訓を思い出して、近くの地上の駐車場にしようと思う。一遍入り口を通り過ごすと、丘のてっぺんに露天の駐車場がある。ここもまた曲者なのだった。

なぜというと丘の上に斜面を下って作られている。つまり、道路から駐車場に入るところは水平だが、パーキングロット自体は下り斜面に作られている。メキシカンのお兄ちゃんが数人いて入り口を降りてチケットをもらう。あとはキーを渡してメキシカンに駐車してもらう。

一度前が混んでいてメキシカンが出払ったので、自分で駐車しようとして下りかけて恐怖した。ロットの切り方がおばちゃんの常識を超えるものであった。

車のヘッドライトが坂の上、テールが下なら駐車はできる。バックで出るとき車は落ちるが、落ちた先に他人の車がある。車のヘッドが坂を垂直に横切るように止めると、助手席か運転席のドアを開けるとドアが重力でパタンと落ちる。開けた先に他人の車が、、。

どっちかに切り返そうとして坂をパニックになってブレーキを目いっぱいサイドを引いて飛び出した。メキシカンはにやにや笑ってやってきたので「やって」とキーを渡した。
なにせこのbanker’s hillはLAでも地価が高い一等地なのである。どんな土地でも金にすると方針ははっきりしているのであった。

そういう一等地に建ってるCalifornia Plazaの上層階で家賃が一体いくらになるのか気が遠くなるようなレントであるには間違いない。

”邦人の保護”という言葉を聞くたびにおばちゃんは「ケッ」と思う。
プラザの中階にチェッキング・カウンターがあり黒いスーツを着たでっかいSSみたいな黒人がエレベーターに乗ろうとする人間をここで堰き止めている。なんの目的で領事館に行くのかパスポートを見せてチェックインをパスしない限り、領事館行のエレベーターには乗れない。

「邦人の保護?」
あれかな?映画のサイゴン陥落で混乱のさなか、助けを求めて領事館の門をたたき間一髪滑り込んで、領事館員に救出される邦人!なんてね。映画だから!

アメリカ大使館では救ってくれるだろうが、日本大使館では無理よ。扉を閉められちゃうかも。

LAのダウンタウンでホールドアップされ財布もパスポートも盗まれたらとりあえず領事館に行くしかない。プラザの関所で止められて英語が喋れなかったら、一番いい方法は床に座り込んで大声でわんわん泣くといいと思う。時々Japaneseと言うと効果的かもしれない。

屈強のセキュリティもお手上げだから領事館にすぐ連絡してくれると思う。坂を下りきるとLAPDがあるからここでわんわん泣いて連れてきてもらうのもいい方法かもしれない。

プラザの上階から下ってきた領事館員は間違いなく“迷惑そうに”声をかけてくると思う。一般人が外国で強盗にあったって領事館からしたら迷惑でしかないからな。

領事館は超エリートの集まりで邦人に奉仕する人達というより、海外邦人の頂点に立つ人達。
あの人たちが頭を下げるのは自分たちより偉い人よ。1990年代なんて、窓口のおばさんの口の利き方は昭和の役場か警官に近かったね。つまりエラそうだった。今はましだろうが、意識が変わったからではあるまい。

いろんなエッセイで外務省外交員などの奥さんが人間関係のプレッシャーで第一子は大抵ダメになるか死産も普通。大使館の専属料理人が大使から奴隷のようにこき使われて人格破壊されて日本帰国なんて珍しい話ではないらしい。

そういう人たちが、”わがままで厄介な夫婦に振り回されて困惑してます的”な印象を醸造しつつ、内心では30過ぎても自分でアパートさえ見つけられず、学歴も半端、職歴もバラバラ、経済信用度低い夫婦を馬鹿にして、本人たちには屈辱的なウイスコンシン大学入学などという計画に大まじめに取り組んでいるフリを考えると、失笑する。
同情はしない。


インドは世界の薬品工場

UCLAの皮膚科ドクターに処方してもらった美白クリームの効果はものすごかった。
薬局で一本175ドルと言われた時は、絶対聞き間違いだと思ってファーマシストに聞き直したのね。

そしたら値段を言ったファーマシストも驚いて見直したのだけど、やっぱり1本175ドルだったのよ。おばちゃんは3本分処方されていたけど、高いのでとりあえず一本だけ買った後でものすごく後悔した、3本全部買えばよかったって。

おばちゃんは寝る前に色素沈着ができた場所に塗った。
よく伸びるクリームだったから、真珠大で頬の半分くらい少量でカバーできた。薬の注意書きにはトレチノインとハイドロキノンともう一つナンとかが含まれていて、太陽光線に当たること厳禁と書いてある。

おばちゃんはレーザー焼けを調べていた時、この二つの薬剤のことをよく読んでいたからベッドルームのカーテンは2重にして朝日も絶対当たらないように気を付けた。朝には薬を洗い流して、出勤のドライブの時もスカーフをかぶる。仕事中は外に出ないし夜に帰宅するので、気を付けるのは朝の出勤の時だけだった。

3日目くらいに顔全体の皮が一枚めくれた。日焼けした皮膚がむけるみたいにすると、色素沈着は消しゴムで消したように消え、顔全体のお肌は2段くらい明るくなって、しかもつやつやぷりぷり若返っている。

おばちゃんを見る人皆から、どうしたの?って聞かれるほど。レーザーで焼かなかった場所のシミも薄くなっ化粧をすればもうシミは見えない。

でも、気をつけなければならないのはこのクリームを使っている間は、お肌の紫外線に対する感受性が高くなりちょっと油断して日に当たるといつもより日焼けしやすい。間の悪いことに季節は6月だったから、紫外線のシャットアウトはなかなか骨だった。

最初の一本目を使い終わる前に、薬局に戻ってさらにもう一本買おうとしたら、ファーマシストが残念ですけど、この薬は現在在庫がありませんと言われて驚いた。いつ頃再入荷します?と聞いてもファーマシストでは分からないと言われた。

日を変えて寄ってみるのだが返事は相変わらず在庫がない。それでネットで製造会社を調べてみると一時的に製造中止とある。ん~残念。

それからしばらくして、知り合い経由でインドの会社から美容の薬品を共同購入しないかというお誘いがあった。オンライン購入でインドの会社から購入・直接輸入できるし、薬品の値段がインド値段なのだという。ラティースが一本5ドルなんだって。

ちょっと待て!
おばちゃんはUCLAの皮膚科の待合室で待っているときに、飾り棚に麗々しく並べられたラティースに一本350ドルの値札があったのを見ている。(2008年頃)

インド産なんてバッタモンじゃないの?安すぎ。すると知り合いは、本物ですよ。インドは世界の薬品工場でアメリカに輸入されている薬品はそもそもインド製品が多くなっているのだという。おばちゃんはそうなんだ、じゃあいっぺん試してみよう。

2週間ほどでインドから届いたパッケージをみんなで分けて、おばちゃんはラティースを右目だけつけてみた。

5日ではっきり差が分かった。右目だけまつ毛が濃くて長い!本物だわ。おばちゃんは感嘆して、両目まつ毛に付けた。伸びる、どんどん伸びる。
知り合いのおばさんはラティースを塗ったらまつ毛が伸びすぎて瞬きすると眼鏡のレンズにさわさわ触れるのだという。
まあ、すごい。薬品は本物だったし、値段はホントにインド値段。

おばちゃんは処方箋の例のクリームが忘れられず、知り合いにハイドロキノンとトレチノインが手に入らないか、聞いてもらったが、今忙しいのでオンラインのURLを教えるから自分で買って、と。

オンライン・ショップは普通のショップと変わらなかった。ただ、ショッピング・カートがいつもテンポラリー故障中になっている以外は

トレチノインもハイドロキノンも安かった。インド値段で一本2ドルとか3ドル。送料の25ドルは大容量でも買わない限り同じなので、5人でも集まれば一人5ドル分担で済む。でも支払いはショッピングカートが故障中ならどうやって支払えばいいの?

紹介者に聞いたら国際為替を買って郵便で送っていたという為替を買うのは面倒くさいので、カスタマーサービスに電話をすると、クレジットカードでもOKという。だって、ショッピングカートが故障中じゃない?そしたら電話口で読み上げてくれればチェックアウト出来るから。

品物は無事届いたけど、直後におばちゃんのクレジットカードが不正に使われているとカード会社から連絡がありおばちゃんはカードを作り直した。


国際為替はやっぱり面倒くさいのでそれ以降その会社から購入していないが、いまだにおばちゃんのアドレスにメールくる。ひと月ぐらい前少し心が動いて、日本に送れるか聞いたらNoProblemsと返事が来たオンライン・ショップのショッピング・カートは相変わらずテンポラリー故障中である。


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