投資ビザEB5とは

投資ビザEB5とは何か
創設されたのは2000年より前。アメリカ経済のテコ入れをするためか投資カテゴリビザに新しいビザ枠が新設された。脚光を集め始めたのは2007~8年前後だった気がする。


当時、ジョイスの夫の不動産エージェントのデービッドが大忙しでフル稼働していたから、一体どうしたのか聞いたら、EB5ビザの案件がものすごく増えて家探しも有卦に入ったのだという。
デービッドの一族は、もともとは上海出身だったのでデービッドは上海語ができる。中国共産党の金を持っている層が、我も我もと投資ビザEB5と永住権を狙いにアメリカに渡ってきたのだという。

EB5(イー・ビー・ファイブ)の「5」は50万ドルを意味している。米国内で50万ドル以上の投資をすると永住権が付帯されるのだ。(*プログラムによっては90万ドルの案件もある)
ビザカテゴリといいながら実質永住権の付与に他ならない。
よくあるのは、現地のレストランを丸ごと買い取る。現地雇用が10人いるので、中-大規模のレストランを買収してオーナーになる。総額が50万ドル以上の投資になれば、永住権が取れる。続々と大陸から中国人が渡米してきた。アメリカで起業する

商売の元ができて永住権が取れたら次は家だ。そこでデービッドが物件を仲介する。言葉ができるし中国人は同じ中国人のエージェントを探すから。
家を買ったら次は車だ。デービッドは車のディーラーも紹介してフル回転の意味が分かった。とにかく生活に必要なものは一式まとめて全部世話をする。

新築住宅の売り出し会場が中国人の客で満杯。中国人エージェントが中国語のパンフィレットを撒いたのが地元でショッキングなニュースになった。
同時に空飛ぶ中国人妊婦がニュースになり、おばちゃんはこの目で妊婦たちを見た

中国人客が中華系弁護士事務所にビザ申請に押しかけていくのを、現地アメリカ弁護士事務所がうらやましくてたまらない。ところが中国人の弁護士が簡単に増やせるわけがない。

誰か中国語を話せるのはいないか?と血眼で探し回りなんとウチのパイポにまでもバイトの声をかけてきた。
おばちゃん、オレ週2日弁護士事務所でバイトすんですよ。
あれ?アンタいつから中国を話せるようになったん?
いや、話せないっす。黄色い顔しているから中国人が安心して頼みに来るかもって!とりあえず中国語の挨拶は練習しました。

中国人で弁護士なら人に雇われず自分で起業しようとするからな。
ユダヤ人だろうがホワイト・アメリカ人は中国人をよくわかってない。
「甘い汁が吸えるなら、自分で吸おう!」が中国人よ。わざわざなんでアメリカ人にピンハネされて給料をもらわんといかんの?

ホワイト・ユダヤ系弁護士事務所が中国語が話せる通訳を雇ったところで、通訳はチャンスと思うと中国人の客と直取引をしてしまう。客だって中国人なんで、通訳がもっと安くできますよと耳打ちすれば同胞の事務所に行ってしまう。

つ~わけで、中国人がEB5がらみでバンバン金を使うのを、ホワイト・アングロ・ユダヤ系は指をくわえてみていた。パイポもすぐにバイトを首になった。

さて、このEB5の要件だが今調べたら今はEB5専門の仲介会社までできていたわ。イミグレから年間発行数は9940件ある。永住権が欲しければ、こういう仲介会社に駆け込んで買収会社や投資ビジネスの面倒を見てもらうわけだ。

あなたに経営できそうな会社はこれです。現地の会社を丸ごと買い取るか、自分で作るか、仲介会社は相談に乗ってくれるのだろう。Webのページにある「estimate見積」というボタンが恐ろしいね。

投資金額は50万ドル以上1ミリオン以下。
米国で10人以上の現地雇用を創生することが条件。2年後にビザの条件を満たしていればビザを延長して5年後には市民権の道がまっすぐ開けている。


小室圭がこのEB5を取ろうとするとき当然ビザのための会社がいる。ニューヨークの寿司屋を1軒買うよりは「ベンチャー企業」のほうがカッチョイイと思ったのかもしれない。中規模のレストランでも経営に失敗すれば億単位の負債ができるので、レストランの買収はやばいと敬遠したのかもしれない。

小室圭が「ベンチャー」の意味を知っているかどうか不明。日本の銀行でさえ仕事ができずに持て余された彼に、どんな経営ができるか不明。
会社の利益を出し2年後から満5年後までの間にビザの要件を満たしつづける。誰がどれだけ彼らのの赤字補填をするのか。そして5年後に彼らは市民権だ。

失効しかけている留学生ビザが莫大な資金がいるEB5をとる?ありえない。まったくの前代未聞なのだ。
メロン農家のベトナム人農業研修生 グエン・ヌグエン君が、日本のIT企業買収して日本就労ビザをゲットてか?あるかい、そんな案件。


「ベンチャー企業」の単語を聞いた瞬間、おばちゃんは一人のタレントが頭に浮かんだ。
「俺って、ビッグだから」
小室圭をとことん勘違いさせた支援部隊にこれ以上彼らの支援をさせるな。

#NOと言おう

#小室圭にベンチャー企業をあたえるな

小室圭 野望の行方

駐在ビザと支援隊

おばちゃんの「駐在のLビザ」推論の弱点は、小室圭の雇用問題だった。
支援団のメインメンバーが雇用主で、雇用は書類をどのようにでも処理できる立場にいたわけだから、当然ビザの支援をするものだと思っていた。
一橋のビジネスローが法科大学卒業資格に変身してしまう手品に比べれば、単純に作文できるはずだったのにそれをしなかったのか、できなかったのかそれとも事情があって進展していないのか。

見切りをつけられたのか?
これも推測にすぎないけれど、もしかして見切りをつけられたのか。
個人的な感情としてはアメリカ側のゲーリー森脇氏や右腕の滝川氏などが、小室圭のLビザに手を貸さなかった。かもしれないならうれしく思う。フォーダム大学の工作で本来なら起きるべきはずでなかったネガティブな評判が立ったから。日系人のために尽くしてきた方に、晩節を汚していただきたくない。

ただ、Lビザは一番敷居が低く、実現しやすかった。これは永住権を取る場合はもうひと踏ん張りしないと駄目なビザである。
日本本社とアメリカ支社で縛り付けられており、永住権はさらにこのビザスポンサー会社から申請しないといけなかったから。だからおばちゃんはそれほどカッカとしなかったのだ。Lビザくらいなら、と。

EB5と永住権

ところが、永住権を投げ与えてやるとなると、まったく別問題。
小室圭に「ベンチャー企業を一つ用意する」ということは、在米の日本人がテスト勉強をし、試験を受け努力をし、ダブルジョブをこなし永住権を取って、闘いながらアメリカ社会で居場所を築いてきたすべての努力を愚弄するものだ。

情報のソースはどこか
おばちゃんはテーミスという雑誌は読んでいない。
「テーミス」の記事で、「ベンチャー企業を一つ用意しろ」と小室圭が政府関係者に要求した、という。ジャーナリスト篠原氏が動画放送で語った。

この小室Issueでは、関係者が弁護士であればそこからは絶対情報が出てこない。
出世と地位が大事な官僚も情報を漏らさない。情報の出どころといえば、いやいや支援業務をしている下級官僚が憤懣やるせなくこぼす愚痴がソースなのだろう。


「ベンチャー企業を一つ用意しろ」という唐突なコメントが何を意味するか、たぶん日本の方は意味が不明だと思う。金が欲しいのか?と。違う、永住権が取れるからだ。

在米の日本人なら学生ビザとのつながりが瞬時に理解できると思う。
あまりにもふてぶてしい図々しい要求なので、まさかそんなウルトラC、空中逆回転3回ひねりみたいな品性下劣・無道の要求ができるものだと、おばちゃんは我慢の一線を越えてしまった。こんなサーカスは前代未聞である。

ウイスコンシン計画の目的

政府の役人が勝手に画策したという(やっぱりね)ウイスコンシン計画の根底にある目的は、曲がりなりにも二人の自立であるとにかく弁護士資格を取らせて自分たちで稼げるようにすること、1年アメリカで実務をさせれば日本に帰国させても国際弁護士として自活させられるからである。その辺の目論見は陳腐だが、よく理解できる。

自立なんかする気がなかった
ところが、小室圭は自分で努力して資格を取り就労ビザを取る自立の道なんか、まったく目ざしていなかった。自分の立場を利用して、うまいことをしようという目論見だけだ。政府の懐を狙って、「ベンチャー企業を一つ用意しろ」と要求する。ふざけるな、と思う。

政府の用意した企業を一つ使ってEB5の永住権を取り、自分で努力も労働もせずアメリカで暮らしていこうとしているのである。もし、政府が彼の要求をのめば永住権は手の届くところにあるのである。
NetFlixにストーリーを一つ売れば、のうのうとニューヨークで暮らしていけるだあろう。

ロイヤル・ストーリー、ロイヤル・ブランド ロイヤル・アフィリエイトを売る
ロイヤルストーリーを売って、日本国民の感情がどうなろうと彼には興味の外だろう。むろん日本国民の皇室への感情は地に落ちるにちがいない。


いや、会社を一つ与えるのだから、それを経営すればよいだろう?と。彼にその能力はあるか?
会社系絵に失敗して瞬く間に困窮し、群がってくるアメリカのメディアに何かを売り始めるだろう。ロイヤル・ストーリーを売るか売らないかという問題ではなく、いつ売り始めるかと言う問題。

留学をさせるところから間違っていたのだ。
後記:さすがの外務省もこの小室圭のべらぼうな要求は聞かなかった。その代わりウイスコンシン計画を進めるようだ。

#Noと言おう
#小室圭にベンチャー会社をくれてやるな

ベンチャー企業を一つ用意しろ!の意味

留学生の頭の中には「カラー・タイマー」があって、ビザの失効までの時をカチカチと刻んでいる。アメリカのビザで生きていた人は、皆理解いただけるとおもう。

小室圭のF1学生ビザはOPTも5月で失効しようとしている。
カラー・タイマーがもう最後の点滅を始めているのだ。F1が失効する前に就労ビザに変更せねば、ビザは無効になり彼は米国を出国せねばならない。

彼と妻は居心地のいいニューヨークから日本へ帰国するつもりはない。
しかし、ビザに切り替えねば5月過ぎに帰国せねばならない。奥野弁護士の協力があれば、Lビザを楽に狙えた。しかし、奥野、ゲーリー森脇・滝川・支援ラインは、切られたのかもしれない。

1)専門ビザH1Bは申請しても半分以上抽選で落ちる。
2)駐在ビザLは日本側の協力がなければ取れない。
3)ウイスコンシンはLSATの申込期限が過ぎ、今年の9月学期入学は難しい。ウイスコンシンの9月の新学期に間に合うためには5か月前にI-20の切り替えを行わねばならない。
後記:本人たちが知らないウイスコンシン計画は外務省が進めるようだ。

アメリカ合衆国で息をするためには合法的な滞在資格がいる
アメリカで永住権を取った日本人の方には理解できると思う。

駐在員Lビザで日本親会社からサポートされて、ほそぼそと生きることなど小室圭は考えていなかった。突拍子もないので最初から可能性を排除していたビザがあった。ビザのスポンサー企業を必要としない永住権を取る方法があった。

ベンチャー企業を一つ用意しろと政府に要求した」これが事実ならEB5永住権取得の足掛かりにするためだ。

ウイスコンシンを卒業しても、誰かがサポートしてくれない限りH1BもLビザも取れない。3年後も今と全く同じ状態になるのだ。弁護士資格を取れたとしてもそのあと、ビザと永住権への道がある。

そんなものをすっ飛ばすウルトラCが「政府に用意させるベンチャー企業」だ。会社が一つ用意できれば、ビザ用の雇用主など必要ではない。自分が企業オーナーとしてEB5永住権が取れる。グリーンカードだ。

これほど甘い話があるもんか。ところが、日本政府が小室圭の要求をのめば実現可能なのだ。

辛抱強く永住権をサポートしてもらってグリーンカードをとった在米の日本人諸君、
「ベンチャー企業を一つ用意しろ」という意味が分かるよね。
1/31日時点で、Kei Komuroがオーナーである企業は合衆国でまだ登記されていない。野望が野望である間につぶさねば。

後記:外務省はさすがにこの要求はのまなかった。


K君ついに暴かれるビザへの道

2/2日
新情報が発覚し、小室圭が狙っているビザはEB5永住権だということがわかりました。
したがって、以降の記事はLビザ取得を仮定して書かれていたので、訂正書き直しました
EB5永住権へはこちら記事

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今回発覚した投資ビザEB5/永住権と駐在ビザLがどのように違い、何が異常なのか解説していく。

駐在ビザL

これは二国間にまたがった企業の従業員に発行されるビザで、日本から派遣される駐在に発行される。Lビザはアメリカ支社の従業員である間だけ有効。会社を辞めたらビザは無効。最長は7年。

留意してもらいたいのは企業が人を雇うことでビザのスポンサーになる。ビザが欲しければスポンサーになってくれる企業がないかぎりビザは取れない。

投資ビザE EB5
ところが投資Eビザは違う。スポンサー企業が必要でない。

専門資格を持っていなくても(弁護士でなくても)自分で投資の会社を立ち上げアメリカに50万ドル(50万ドルは最低限ー1ミリオンまで)以上の投資をする条件で、永住権が与えられる。ビザのカテゴリと言いながら実際は永住権である。ビザの条件を5年間クリアできれば、アメリカ合衆国市民権をとれる。

アメリカが2000年前に、投資と経済の活性化のために新設したビザカテゴリだ。金さえ出せば永住権が取れるので、共産党幹部が争ってEB5を取りアメリカに入り込んできた。審査時間がずっと短い。審査の優先順位が高い。

駐在ビザLであったなら、私はこのような危機感を覚えなかった。
なぜなら、雇用を通じたLビザはアメリカの支社に縛り付けられるからだ。彼の場合、Lビザであったら、給与もアメリカ支社の基準にのっとったものであっただろう。

細々と駐在ビザは最長年数がある。さらに永住権を申請する場合は、この支社を通して申請することになる、申請審査にパスするには数年がかかることになる。だから、ほそぼそとニューヨークで暮らす分には、それほどの危機感を覚える必要はなかったからだ。

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アメリカでは就労ビザを持っていて初めて営利のビジネスに関与できるからだ。言い換えると
小室圭は就労ビザに切り替えなければ、いかなるビジネスもできないし5月以降アメリカに滞在することができない。

最もあり得ない可能性として最初から排除していたのが「永住権」
F1の留学生に雇用を通じての「永住権」がいきなりとれる可能性はほぼ0だ。F1から雇用を通じて企業が雇うのはビザであって、まず永住権もない。

そのウルトラCを可能にするのが投資ビザEB5.
50万ドル以上の資金をもって会社を興しアメリカに投資して永住権を取る。繰り返すが、誰かにやとわれてビザをスポンサーされる必要はなく、自分が企業オーナーとしてEB5を申請できる。

先月、松居ー代がEB1を取って、Yahooのニュースヘッドラインになったが、彼女は自分の資金で自分の会社でEB1を申請してパスした。いろいろあるが、彼女自身の実力である。

小室圭に何があるか?借金の他に、。
彼に投資会社を一つ立ち上げる能力も無くて経営の才能もあるかどうかも不明。
その彼が、こともあろうに政府関係者に「会社を一つ用意しろ」と要求したという。


50万ドルと会社と永住権をくれてやるのか?ここまで日本政府はしてやるのか

永住権が取れれば、どんなビジネスも可能になり、ウイスコンシンに行く必要もなければ弁護士資格も必要ではない。
アメリカのうなるほど金を持っているセレブは弁護士を雇う。弁護士より金を持っているから雇うほうだからセレブなのだ。

彼らが永住権を取った暁、「皇族の位を降りた私」などという告白本がアメリカ社会に売られるのか?NetFlixで、もとプリンセスのライフ・スタイルなどというシリーズがリリースされるのか?
EB5は永住権だ!ただの就労ビザではない、。こんな野望はもう看破できない。

後記:外務省はさすがにこのべらぼうな要求はのまなかった。その代わりウイスコンシン計画を遂行している。

人種差別

人種差別はあったかというと、いろいろ人間の区別もあったし、移民のうちらからすると、そんなことをいちいち気にしていられないというか、

アメリカで訴える

弁護士あるある
それはビジネスが安定し始めて、3年ぶりくらいに半日休んで友達の集まりに出たのであった。自分にご褒美を上げるつもりで。そこで、友達の顔におかしな斑点があるのに気が付いた。勘のいいひとはお分かりだろうが、レーザーである

夜明け前が一番暗い

おばちゃんは引き続き、US系でいろんな検索をかけていたら、驚きの統計やら変なものがひかっかった。

まず、驚きの統計から。
Covidではアメリカが世界で一番多くの犠牲者を出し、経済でも深刻な影響が続いている。
おばちゃんが去年のサンクスギビングの前に、カリフォルニアに出した普通郵便はいまだに着いていない。(Jan.30 22)

アイ子ちゃんから連絡を受けて、EMSで同じ書類を再度送った。町の郵便局ではアメリカ側で大変な滞納でているからEMSでもいつ着くかもわからないという。通常5日から7日で着くEMSが未だ着かない。アメリカからのクリスマスカードはクリスマス前に届いたのに、届けられたアメリカ側では処理ができないのだ。

アイ子ちゃんによると、息子が務める会社でも半数の人員が出社できずに人手が足りないのだという。感染の療養中か、待機中か、ワクチン未接種で待機か。

先の記事でアメリカも今が踏ん張り時だから。と書いたのだが「お前は日本でぬくぬくと暮らしているくせに無責任に、、」と思う在米の方が居られこともあると思う。

その方々には、明るいニュースかも。例の問題で検索をかけていたらひょんなことにUS Censusにぶち当たってしまったのである。いきなりグラフが!

アメリカで頑張っている皆さんにまず見ていただきたい。

グラフは月別のビジネス申請数の推移だ。
おばちゃんもえっと驚いた。
2020年がCovidで一番落ち込んでいるが、去年21年から今年の申請数はスカイロケットと言っていい。

Covidで社会の在り方が変わってしまったので、それを新しいビジネスのチャンスととらえる人もいるのだ。申請スタートしたビジネスがすべて成功すると確約されたわけではないけれど、過去15年の平均申請数の2倍近くのビジネスがスタートしているのは確か。

アメリカはとっくにCovidとともに活動し始めている。
アメリカの社会は10年くらいを単位に変わってきた気がするな。
のんびりした90年代、テロで始まった2000年代、リセッションを挟んだ2010年代、近年10年はセルフォンの10年。

新時代のビジネスがどんな分野と傾向なのか、Censusをもっと詳しく分析すればわかるかもしれない。

さて、その新ビジネスの台頭する場所だが、人口が密でアメリカの進化の最先端であった都市と州は残念ながら回復がまだ遅いようだ。

マップで寒色が濃い州はビジネス申請数が前年月よりマイナス
オレンジ色が濃くなればプラス

感染被害が最大だったカリフォルニアは-4.8 テキサスは-0.3 イリノイ-1,7
ニューハンプシャー+8.3アイダホ+5.7 オレゴン+0.9 バーモント+5 ミシガン+1.1 ニューヨーク+0.9ニューヨークは意外と頑張ってる。

カリフォルニアはまだ始動しきれなくて、オレゴンは好調なわけだ。昔からカリフォルニアからオレゴンにビジネス・チャンスを求めて移動する人はいた。Grays Anatomyでシアトルタワーは見慣れたものになったし。

アイダホは遥か遠い気がするが、ジャガイモ不足を考えると思い切ってアイダホで温かくなるまで働くのもいいかもしれない。

夜明け前が一番暗いという。今少し踏ん張ろう。

あとは出くわしたおまけのスクリーンショット。
誰かがこんなニセ・アカウントを作っていた。イカンですね。

インドおばちゃん

お向かいの中野のおばちゃんとは、妙に馬が合っておばちゃんが中野に帰った後も、電話で長話をする。最初は、庭の垣根の向こうからお隣のおばちゃんが、こんにちはと声をかけてきた。

おばちゃんもこんにちわ、初めまして~。と言うと
中野のおばちゃんが、「どちらからいらしたの?」と聞くので、
「アメリカです」
「まあ、アメリカのどちら?」
「カリフォルニアです」
「カリフォルニアのどちら?」
「南ですLAとサンディエゴの間」
「そう?うちはニューヨークだったの。7年。姉がサンフランシスコ」

山のあいさつは、どちらからいらっしゃいました?なのだ。住人のたぶん9割は他県からの移住者である。

おしゃべりをするうちに、中野のおばちゃんは、現上皇后陛下が卒業なさった学校の出身だということ。クラスメートは、ちょうどその時代、上皇のお相手の年代の子女だったので当局からお声がかかりそうな人は卒業もやめて慌てて結婚したのよ。と言っていた。

仲のよい友達の一人は静かで控えめな人で、インドの貿易商と結婚したのだという。その親友が60年の時を経て、近くに引っ越してきた。

ご主人が現役の時代は、フィリピンやインドで暮らし、リタイアした後九州に住んでいたが、ご主人が先日亡くなって一人で広い家に住むのもむなしく、中野のおばちゃんの別荘にしばらく滞在していた。

一人娘はでっかいワンコたちと箱根の邸宅に住んでいるので、近場のこの山を気に入ってしまい、でも庭なんかいらないから、もっと暖ったかい便利な熱海に物件を買っておいて、。と中野のおばちゃんに買い物を頼んで自分は九州の家に帰った。

インドおばさん、お庭がお好きなんですか?
「この前うちにいた時は、あなたよくそんな汚い土に触れるわね?って言ってたわよ。九州やインドの館に庭があったけど、人にやらせていただけよ。虫なんか出てきてよく我慢できるわね、気持ち悪いですって」
あ~ら、まあ

それでも中野のおばちゃんは張り切って 物件を探しては写真を送るのだが、狭いとか、収納がないとか贅沢をいう。

「んまー、私も娘からわがままって言われますけど、彼女はお気に入りの家具が全部入る物件じゃないと嫌とか、看護婦のためにベッドルームがもう一つ欲しいとか、ホントに好き放題言うのよ。学生時代は控えめな人だったのに、結婚してからそりゃ変わったの。」

「静かな人だったに、んま~よくしゃべるわよ。そりゃ、インド人のご主人も人をもてなすのがうまくて、ずっとしゃべりっぱなしで愉快な人でしたけどね、。そのご主人そっくり。ホント言うとね、時々うるさい」

あ~、インド人のおしゃべりね。わかります。ほっとけば機関銃みたいにしゃべってますもんね。口を挟まなければずーっと相手の好きなように持ってかれますもん。自分の言いたいことやりたいことがあれば、対抗してしゃべらないと。
長年夫婦だったから、そりゃおしゃべりになりますわ。

「ほーんと、もうインド人になっちゃって、ご主人みたいにインドは世界で一番素晴らしい国だとか、インドのここが素晴らしいとか、彼女もインド人なんだから」


中野のおばちゃんが見つけた物件で納得したインドのおばちゃんは現金購入してクリスマス前に引っ越しが決まった。

中野のおばちゃんがエプロンをもって引っ越しに立ち会うと、あなたはどうせエプロンなんか用意してないから私が2人分持ってきたわよ。」


「エプロンって何よ、って言うのよ彼女。ひどいわよね?」
「エプロンですか?私も持ってないですけど。」
「あら、いやだ。ここにもおかしなのがいたわ。彼女はエプロンなんかつけやしなかったわよ。みんな人にやらせるんですもん。ついてきた看護婦さんにもあれを持って、ここに入れて、ここに運んで?てそりゃぁ人を使うのがうまいわよ。」
ほお?

その晩私も泊まってお風呂をいただいて上がったでしょ。そしたら彼女が、お風呂上りって昔そんなことをしていたわね。って言うの。ほら、浴室に小さいタオルを持って出るときに体をふくでしょ?

ちっちゃいタオル?えっ?何のためです?
何のためって体がビショビショだから水気をとるでしょ?彼女はバスタオルを直接体にまくのよ?
えっ?
ぇっ?はぁ?
バスタオルを直接巻いておかしいですか?浴室の中で体を拭くんですか?バスローブを着れば簡単でしょ?

「はぁ、ここにもおかしなのがいたわ。ええっとね、家族が沢山いるとバスマットもびしょびしょになるから、浴室でちっちゃいタオルでまず水気をとるのよ」


お~、なるほどわかりました。

「やれやれ、あっちこっちに日本人じゃないのがいるから。うちの娘だって小学生の時は学校でちゃんときれいなお辞儀をしつけてもらったのに、ニューヨークで7年いる間にお辞儀のマナーを忘れちゃったのよ。ホントにねぇ」

今まで人にやらせていたので自分ひとりで生活できるかどうかわからないから、近くにもう一人昔からのお友達がいて熱海は長いから、インドおばさんの面倒を見てくれるように頼むわ。時々クルーズに出かけて日本からいなくなっちゃうけど。今はコロナだから多分ずっといると思うし。

それから「白洋舎」があるかどうか探してくれないかしら?
「白洋舎」ですか?
そう、彼女は絨毯をクリーニングに出したいんですって。
白洋舎じゃないとだめですか?材質と大きさはわかります?
「あれは、ペルシャじゃないと思う。パキスタンかベルギーかしら。ウールと何かの混紡?絹のペルシャならすぐわかるから」中野おばちゃんはニューヨークの後に、エジプト駐在でペルシャ絨毯を買って帰国したのだ。

それで、夕べ中野のおばちゃんから電話がかかってきて、
ねぇ、インドおばちゃんは熱海クルーズおばさんからパン屋さんだとか、美容院だとかいろいろ教わっているみたい。ところがこの間やってくれてね。

熱海クルーズおばさんが言うには、
「一番いい針治療のクリニック施術者を紹介してください」っていきなり言われたそうよ。電話番号を教えたら自分で行ったみたい。

「一番いい針治療」って聞くのはどう思う?
それでまだ先があって、先方の針治療の先生?が言うには、インドおばちゃんは施術者がガーゼのマスクをしているの見て、不織布のマスクをしてください。って言ったらしいの。

ねぇ、どう思う?インドおばちゃん、ぶしつけで失礼じゃない?

はあ、インドおばちゃんですもんね。Self centralの人ですから、自分のリクエストははっきりしてるので、そのまま言ったまでですよね。リクエストをして相手が不織布してくれたら要求が通って満足ですから、言ったもん勝ち。

相手は客商売だから、よほどの非常識なリクエストでない限り要望はある程度聞くと思いますが。日本人の客商売の人って、気は優しいですよね。

そうお?言ったもん勝ち?
でもねぇ。“一番いいの“を紹介しろって、。不織布のマスクをしろって、上皇后陛下の母校の奥ゆかしいはずの生徒がインド人になっちゃって。

インド、パキスタン、中近東――あの辺の人は、人間のカテゴリが少ないですよ?
なに、人間のカテゴリって?

つまり、一番大事なのが自分の“血“がつながった家族、それから親族、友達、商売相手、仲間なんかが、対等に付き合う人間。それ以外は使用人か敵。相手のサービスに金を払うなら、使用人カテゴリでしょうね。

もし、インドおばさんを紹介してハリ治療の先生とか親しい美容師の気を悪くしたくなかったら、あらかじめ根回しをしといたほうがいいかもしれませんね。インドおばさんは悪気はないんだって、。習慣と文化が違っちゃっただけって。

おばちゃんも、役場だとか銀行だとか質問をしているだけなのに、クレームとか受けているみたいに、相手の顔が引きつっていたり、引いていたりするのにたま~に気が付くので、人のことを批判する資格はないかもしれない。

疑惑のガソリン

ジョイスがあそこのガス・ステーションは何かおかしいという。ジョイスはそのころ早朝のエクササイズのクラスをとっていて朝5時半にメインストリートを通るのだという。すると茶色一色で車体にロゴが入っていないボロッボロのタンクローリーがガソリンのサプライをしている場面に出くわすのだという。

美食の国

日本の食べ物はおいしいねぇ!
とちおとめを初めて食べて、漫画のように目が点になりその後ハートになったわ。コンビニ・スイーツでさらに衝撃を受けて、そのあと値段で驚愕して日本は大変なグルメな国だったんだと再発見した。
「苺娘」がアメリカで販売されたら、ケーキ屋さんには行列ができる。グルメだったデービッドやTに食べさせてやりたい。オイオイ(泣き)

この前、地味な見かけのピスタチオ・プティングを見つけて、これはおいしいのではないかと直感で買って、案の定飛び切りの美味だったのでコンビニに行くたびに探す。イオンでも探したのだがお目にかかれない。たった143円だった。日本の味のレベルはすごい。

レストランで一番驚いたのは「す〇や」と「サ〇ゼリア」。人に話すと馬鹿にされるのでここ書く。
この“人に話すと馬鹿にされるチェーン店”の味の水準は、アメリカで超えるものはほとんどないのだ。
入った客の7割が満足し、食べてさらに8割が納得して、支払いで10割が満足する「す〇や」。こんなレストランはアメリカで金輪際あるもんか。

ちょっとショッパめ「吉〇家」はアメリカにもファースト・フードレストランの「Beef Teriyaki Bowl」を出していいるが、日本人に完食できるかどうかわからない。

炒めた牛肉とゴリゴリの湯で加減のブロッコリが、めっちゃ甘辛いネトネトの餡が絡まって、時にぐしょぐしょのご飯の上にかかっている。

アメリカの普通の家族用イタリアン・レストランのパスタは大抵ふなふなでコシがない。イタリア系の経営者のイタリアンに行くと、ちゃんとしたパスタが食べられるが、値段はサ〇ゼリアの4倍くらいだ。それも探さないとどこだかわからない。

「サ〇ゼリア」でドンぴしゃの湯で加減のペペロンチーノを生まれて初めて食べて、本当に衝撃だった。アメリカのイタリアンにペペロンチーノはなかったから。

麺の質と湯で加減とシェフの味加減がばっちり出てしまい、さらに「肉」が入っていないパスタはアメリカで売れないだろうから。

ディアボロソースだっけ?アメリカ人なら瓶で買うから売ってくれって言うね。
それで、お会計の時に3度目のびっくり。これだけ食べて二人で2000円でおつりがくるの?チップも要らないの?

まぁ、なんと美食家の天国みたいな国。
おばちゃんは心底感激していたので、オリンピック・ボランティアのセミナーで「海外からいらっしゃった外国人に日本のどんなところをお勧めしたらよいか?」というトピックで「サ〇ゼリア」と「す〇や」を力説した!

グループのボランティアの皆様は、きっと普通のお育ちだったと見え、最初はあきれて、次におばちゃんを「憐み」最後は何を言ってるんだろうこの婆さんはという困り顔が悔しかった。

アメリカではまず、「食える」かどうかが問題で、「味」と「値段」ははるか先にある哲学的な悩み。
遠出して、知らない街で周りにアメリカのファミリーレストランしかなかったら、まず魚料理は排除する。焼きすぎか味がついてないか、生臭いから。

ビーフはアメリカでも高いが安ければ固い。高ければ噛み切れるけどしょっぱいか、味がついていないか焼き過ぎ。
残るのはチキンだけど、フライドチキンは下手をすると口の中を怪我をする。固くて粉も多めのバリバリに揚げてあるから。結局サラダと、ピザを頼めばお腹は膨れる。サイコロのロゴがついたピザはまずい。

だから、おばちゃんとおじちゃんは普段ハンバーガーを食べない。In & Outは別だが、。
どうにもならなくなったときにハンバーガーを食べるしかない時が多いので、普段は食べないようにしておく。

美術館と博物館はかなり高い確率で食べられる選択肢が全滅し、バーガーしかなくなったりするのだ。
ただ、ゲッティ・センターは味はどちらかというとマシ。値段は5割増し。ゲッティ・ビラはうまい。値段は市中の倍。

冷凍のホウレンソウとピザはまずいが、「サ〇ゼリア」「す〇や」は日本の宝だと思う。感謝しないといけない。アメリカから「普通」のアメリカ人がやってきたら、この二つのレストランに連れて行けば喜ばれると思う。


人に直接言ったらまた馬鹿にされた。
「サイゼリア?」貧乏人?舌が貧しいの?美味しいものを知らないの?
おばちゃんは悔しい。ミシシッピとは言わない。アリゾナかコロラドに3か月くらい島流しにしたい。

朝はドーナッツで始まる。昼はバサバサのパンのサンドイッチか、ギトギトのピッザ、バーガー。白いご飯?無いぞ。クタクタのパスタに生のブロッコリかゆですぎたブロッコリ。醤油をかけてもなんともならない。
シーフード?あなたの思っているシーフードは存在しあい。エビか鮭が食べたいの?それ以外のシーフードって何?
砂糖のアイシングでネトネトのペストリー、甘すぎて歯にしみるケーキ。さっぱりしたものが食べたいって?サラダとスープね。マカロニ・チーズ食べる?

3か月くらいで息も絶え絶えになったら、サイゼリアに行ってよし。きっとオイオイ泣くから。たかが3か月じゃん。軟弱!おばちゃんたちその100倍以上居たから。


ジョイスとガールズトーク

ジョイスと知合ったのは、カレッジのグラマーか英作文のクラスだったと思う。
アジア系が多いクラスで、韓国系と台湾系がグループを作り、頭は悪くないが性格が悪そうなグループだったので、おばちゃんは輪には入らず、一人で机に座っていた。

ジョイスは常に遅刻してくるので、私の隣くらいしか席が空いておらず、自然と話をするようになった。彼女はその当時でOCにはすでに20年くらい住んでいたと思う。達者にしゃべるのでなんで今さらグラマーなんか取るんだろうと、思った。

英語が達者にしゃべれるのと、ちゃんとした英文が書けるのは別の能力らしい。
たしかバーバラ・ボクサーが副社長を務めていた保険会社でしばらく働いていたそうだが、ミーティングの後にリポートを書いて出せといわれて、書くのがものすごい苦痛だったのだそうだ。

それで、学校に戻ってグラマーでも取ってみようかということらしかった。
だって、あなたペラペラしゃべれるじゃない、そのまま書けば?と言うのだが、なんか構えてしまい文章にならないのだそうだ。

超おしゃれな教師のマッディ・ベンソンから、エッセイの書き直しを7回もさせられて、うんざりしてジョイスに愚痴をいうと、金持ちマダムの台湾系には愛想がいいのだそうだ。

ジョイスによると、クラスが終わった後に台湾系マダムに取り囲まれて、社交クラブのような会話を交わし、マッディの方からマダム夫の職業を聞いたりするらしい。それで金持ち風のマダム生徒には作文にも意地悪な批評をしないという。

おしゃべりをしてて来週の宿題を聞き漏らしたりするので、家に帰ってくるとまたジョイスから電話がきたりする。レストランに行ったり、お互いの家に行ったり長い付き合いになった。

一言でいえばガールズ・トークである。
ジョイスはセレブ大好きゴシップも好き、ブランド好き。旦那もイケメンで、女のプライドと面子をものすごく大事にしている。

おばちゃんは頭の中にちっちゃいおっさんを飼っているので、ジョイスが語るガールズの半分もわからなかった。お互い全く性格が違うので、見栄の張りようもなくおばちゃんは見え透いたお世辞を絶対言わなかったので、彼女は空振りすることが多かったかもしれない。

だって、ねえあたしはいくつに見える?って聞かれたところで子供を4人も生んで下の子がそろそろ中学生なんだから、年相応に見えるねと答えるのだから、ジョイスは不満だったろう。

おばちゃんはとにかく将来に向けて、アカウンティンングやコンピューターのクラスをとるようになったのだが、ジョイスは過去にアカウンティングに挑戦して、玉砕したらしい。

ねえねえ、収入はcreditで増えればプラスでしょ?費用はdebitで増えればマイナスでしょ?
お金で考えればね。でも数字だけで考えるとDebitでもプラスになるし、アカントによってはcreditでもマイナスだし、先生がラテン語でcredit左側debitは右側という意味だから、借りとか貸とかの意味を考えないほうがいいんじゃない?
と言うと、自分には理解できないトリックが私に理解できるのがすごく理不尽で不満のようだった。

Excelのクラスをとると、ねぇrelative cellとAbsolute cellとどう違うの?
Absolute cellはuniqueな特定のセルのことでrelativeの場合はどこでもいいのよ、計算式をコピーしていくときに便利だから。

だ・か・ら、relativeって何なのよ。

ねえ、中国語でもエクセルの参考書があるでしょ?中国の本屋さんで売ってない?と言うとおばちゃんより英語が達者な自分がなんで、中国語の参考書なんか今更読まないといけないんだって、憮然として口を利かなくなる。

ジョイスから電話がかかってきて、あそこで会いましょう。ねえ聞いてほしい話があるの。

ねぇ、聞いてこの頃デービッドの帰りがすごく遅いの!
デービッドは不動産エージェントである。おばちゃんの家の売買もデービッドがエージェントをやってくれた。手数料を友達価格で1%くらい負けてくれるんじゃないかと期待したのだがきっちり3%だった。

なんでもオフィスに新しい女の子:ビビアンが入ったらしい。エージェントの勤務時間はあってないようなもので、客の都合でいくらでも伸びる。

デービッドが遅くなるからと言われて、ベッドルームに上がって待っていると、ガレージがあく音が聞こえ、そのあとリビングでデービッドが話している声が聞こえるのだという。それでベッドルームから出て、階下を覗くとデービッドが若い(ジョイスよりは)女と親しげにおしゃべりをしているのだという。

11時過ぎに、同僚・上司の家のリビングに入り込むか?ジョイスはカッカと血が上った。夜も遅いし、パジャマだしとにかく早く帰らないかとイライラしたという。

中国女は藪をたたきまわったりしない。そのままズバリと問い詰める。
ねぇ、あの女は誰?ーービビアン。

なんで家まで連れてきたの?ーー 帰り道の途中でコーヒーでも飲むかと思って、。

何をあんなに親しげに話していたの?ーー 仕事と会社の話、。

あなたどう思っているの?ーーー同僚

デービッドは台湾軍のパイロットだった。若くて輝かしいイケメンだった。
ジョイスも若くて美人のうち?だったので、自分の求て婚者としてはデービッドは及第だったのだが、簡単にOKして安い女に思われても悔しいので、じらしてじらして追っかけれやっと落ちたふりをしてプロポーズを受けた。

中国男はまめだ。
全部とは言わないが、デービッドは夢見る女の子のジョイスの期待に訓練されたのか、誕生日にはカードを贈るし結婚記念日には映画のようなサプライズをするし、ジョイスのロマンティックな女のプライドとメンツを十分満たしてきたのだったが、なんせかつての美貌のジョイスも50を過ぎたし、デービッドだって相応の年だったし、
ちっとばかし、若い女性と刺激的なおしゃべりだってしたくもなるだろうな、とおばちゃんは思ってた。

ジョイスは全く納得していなかった。

それからジョイスの呼び出しは、ビビアンのとデービッドの話題に限られてきておばちゃんは正直うんざりした。
ねぇ、聞いて!あんただったらどう思う?どうしたらいいの?
夕べもビビアンはデービッドとおしゃべりをしていて、
ジョイス:He was flirting with her at the downstairs.
おば:はぁ?He was floating with her at the downstairs?
ジョイス:No, not “floating”. F・ l・ i ・r・ t ・i・ n ・g  He was flirting with her!!!!!

その頃の愛読書はJames Herriotだったので、おばちゃんはflirtingなんて単語とは無縁だった。牛や犬はflirtingしないからな。学校では習わなかった単語を沢山ジョイスから教わるのだった。

ねえ、あなたは私の立場だったら、いったいどう思う?
どうしたらいいの?

両手を胸の前で広げるので、その拍子にワインとかサングリアとかのグラスを倒す。
Oh!っつって、ナプキンでぬれたテーブルを拭きながら、

うちのおじちゃんは、ビビアンなんか連れてこないしFlirtingする根性なんかないから。

どうすればいいかと、聞かれたので、こうすればどう?と答えたのだが余計火を注いだみたいで
ジョイスは返事なんかまったく聞いてなくて、ひたすらビビアン、ビビアンと呪いの呪文のように繰り返すので往生した。

デービッドはこのごろMaking love してくれないのよ、と女のメンツをかなぐり捨てて憤懣をぶちまけられると、おばちゃんにはお手上げだったのである。

最近、「ライトはつく?」コピペを見つけて、これだ!と思った。

おばちゃんは、解決法を提案するんじゃなくて、ひたすら聞いてあげてジョイスに共感すればよかったのか?
でも「Sorry for you」なんてもし言っていたら、プライドの高いジョイスは絶対憐れまれたと思って許してくんなかったと思う。
男なんて馬鹿だ!と言っておけばよかったのかな。


永住権 泣き笑い

駐在で3年くらいたつと、頭の後ろに黒い焦りが張り付いて取れなくなる。
できればこのままアメリカに居たい。

数年ごとにビザの更新があって、手続きが面倒くさいが首尾よく更新が済めばまだいられる。更新を繰り返して7年まで。すでに3年が経過して、あと4年で限界かと思うと焦りがわいてくるのだ。

日本であった人間関係のゴタゴタ、生きづらさ。あちこちでぶつかる日本社会の壁みたいなもの。閉塞感。日本での先の見えない人生のもどかしさ。

そんなものがすべて吹っ飛んだ外国。
あまりにも青くてすこ~んと澄み切ったカリフォルニアの空の下で、もっと自由に息をしてこのまま暮らしていきたい。そんな渇望に心があぶられるようになる。

駐在ビザの最長期限は7年である。いずれその時が来る。何もせずにその時までカリフォルニアを楽しむか。それとも目の前のチャンスをつかむか。

アメリカ経済の浮き沈みは会社の業績にもろに反映し、人員整理に直結している。もし日本本社が支社長を変えれば、新支社長の方針次第で人事の移動もありうる。下手をすると従業員の誰かに日本帰国があるかもしれない。

ビザを持つ会社と、その会社に働く従業員は圧倒的な立場の違いがある。従業員には何も切れるカードがない。仕事ができるから別の会社に誘われても、現会社を辞めればビザはパーである。会社がアメリカ滞在の命綱を握っている。
これが駐在員。就労ビザの実態。

駐在員を一人アメリカに派遣する場合1000万かかるといわれている。
駐在ビザを取り住居と中身を用意して本人と家族家財道具を日本から送り出すとそのくらい費用が飛んでいく。

グリーン・カード永住権は従業員が持てる唯一の切り札。
会社が首だ!と言ってもアメリカで生きていける。会社の意向、支社長の意向をうかがわなくても、自分の意志で会社が移れる。もっといい給料をだすという会社に大手を振って移れる。会社に「ベー」と言ってやれる。

大手会社によっては、駐在派遣の駐在員がグリーン・カードを申請したら首っ!という会社もある。会社が金をかけてアメリカまで連れてきてやったのに、グリーンカードを取るなんて、独立の下心でもあるのだろう。ケシカラン!

永住権の抽選

ケシカラン!と言われてもグリーンガードが取れたら勝ち。
おばちゃんたちが移住した直後にガバメントが永住権の抽選プログラムを始めて、この抽選に当たった兄妹がいた。あたったというと、運がいいだけに聞こえるので、この場合は永住権を当てに行った。

最初の抽選プログラムはうっかりしたことに、申請書の数に制限をつけるのを忘れた。
この兄妹は二人で実に200通の申請書を書き、ワシントンDCに飛行機で飛んで、抽選プグラムのガバメント当局に一番近い郵便局に申請書をだして、見事兄弟二人と親戚分の永住権を手に入れた。
当たり前だが、この申請書の数はその後1人1通に制限され穴はふさがれた。しかし、2年か3年後だった。

おばちゃんたちは、抽選プログラムのことも知らず、下手に会社にグリーンカードのスポンサーになってくれと言うと首になるかもしれないので悩んでいた。が、マネージャーのテリーさん(ベトナム2期サービスで市民権を取った人)に相談した。

大丈夫よ。会社がスポンサーになるにしても申請手続きの金を出すのが嫌なだけで、自分で費用を持ちますといえば申請しても構わない。
だって、支社長は英語がわかんないから、実際の書類を用意するのは僕よ。やってあげるから大丈夫。
ありがたい。おばちゃんはさっそく移民弁護士を探して、申請を依頼した。

優先順位

会社の雇用を通しての永住権の申請は「優先順位」が高くない。
優先順位が高いのは、アメリカ人の配偶者、子供、親。アメリカ人と結婚すれば、早ければ2~3か月でワーキングパーミットがとれ、1年後には永住権を手にできる。

雇用を通した永住権の申請は、アメリカの労働市場に不足した技術を持っていれば、比較的早くワーキングパーミットが下りる。古くは日本人の庭師(日本人は手先が器用で庭仕事に才能があると思われていた)寿司シェフ、IT技術者などは比較的早く下りた。
おばちゃんたちは、申請を出した後、思い出したように移民局からリクエストが来る書類を提出し、待つこと3年。ついに永住権を手にした。
これで一安心である。アメリカで大手を振って暮らしていける資格ができたのだ、。会社が何と言おうと、首にされても他で生きていける。

欲しい、欲しい、永住権が欲しい。
雇用を通じての申請が難しい場合、結婚を通じて永住権を狙うしかない。
アメリカ映画でもグリーン・カードは題材になったが、事実はあんなに生易しいものではなかった。これは人間として正しいのか?と思ったケースもあった。とても書けない。軽いケースだけ書くと、

珍しいが、ある男の子の例である。
前提として、日本人の女の子が裕福なアメリカンと結婚をしてグリーンカードを取った。結婚はうまくゆかず泥沼の離婚裁判となって、日本人の女の子はかなりの資産を分捕った。永住権を市民権に切り替え彼女はアメリカ人になった。

彼女は生物的時間が迫っていてどうしても子供が欲しかった。それで同じ日本人の男の子に目を付けた。彼は、就労ビザを狙っていたのだが、要件が足りないのである。日本の親は早く帰って来いという。専制的な親から逃げるためにアメリカに来た。でも、帰りたくない。永住権を取って、アメリカで生きて生きたい。

そこに、彼女から申し込み。
種をくれという。子供が欲しいので種を提供してくれたら結婚してあなたの永住権をサポートしてあげる。その後別れてもいい。子供を養っていく財産は有るので、親としての義務は持たなくてよい。
子供は生まれた。彼は永住権を取っただろう、でもおばちゃんは幸せなその後を想像できない。

同じく永住権はすでに持っていた独身の男。結婚を考える日本人の女の子がいた。
永住権者が、何も持っていない女の子の永住権のスポーンサーになることはできるが、優先順位が低いので彼女が永住権をとるまで7年から10年かかると言われていた。

そのため彼は市民権を取り、彼女のサポートをすることにしたのだが、。
市民権が取れた後、ある女が近づいてきて結婚してくれれば2万ドル払うと言った。そこで、彼は心が動いたのである。

書類上の結婚をして、付き合っている彼女との結婚生活の資金にしようとした。2万ドルを手にして、女の永住権を申請して取ってやった。すると、女が行方不明になった。

計画ではこの後、女と離婚して付き合っていた彼女と結婚するはずが、女は行方をくらませて離婚ができない。青くなっているところに女から連絡が来て、金をだせ。出せば離婚してやる。

自業自得としか言えないのだが。
裁判になれば彼は金欲しさに永住権の詐欺をやったとして不利になるし、裁判費用が掛かるし、でも裁判以外に解決法がなかった。最終的に離婚はできて、彼女と結婚したけれど、高くついた偽装結婚だった。

乱闘のケースは2件知っている。
1件は二世の男をめぐって、女が床で取っ組み合いをした。もう一件はアメリカ人の男をめぐって、3人の女が乱闘。自分以外の女を追い出せば家と永住権も手に入るから。

おばちゃんたちは、割とすんなりとれたほうだ。3年待っただけなので。
今日本に帰ったら負けだと思う。アメリカ社会に負けた気がする。能のない奴が負けて日本に帰った。俺は負けたくない、日本に帰りたくない。帰ってたまるかと思う。

ビジネスを始めて人の関係が広がると、そこでもここでも永住権が欲しい悩みを聞かされる。しかし、永住権はアメリカで生き延びられる魔法のカードではない。

永住権を取った後、人生はまだ続くのだ。

LAの暴動があり、セプテンバー・イレブンがあり、バブルがはじけリセッションが始まり、知人のアメリカ人の不動産エージェントはホームレスとなって娘と車で生活していた。

社長だった男が元社員に連れられて、レストランでおごってもらっていた。
試験を受けてライセンスを取って、会社に勤められたと思ったら、会社が持ちこたえられずに解散してしまった。

不動産の暴落で気が付いたら家の査定額はローンの残高より下になってしまった。これでは家を売ってもローンしか残らない。

会社を当てにして暮らしていた人は耐え切れずに日本に帰国するかどうかの選択を突き付けられた。永住権を持っていても役に立たないのだ。

夫を当てにしていた人は夫が亡くなるとひっくり返った亀になる。財閥系の会社でローカルを下に見てた人が、独立したとたんに相手にされなくなって、自分の価値は後ろ盾の財閥の看板だったのだとわかる。

このコロナ禍で、アメリカ社会はまためちゃくちゃになった。
昔の取引先で亡くなった方もいる。ビジネスが成り立たなくなって、一時帰国している方もいるだろう。もうすぐ卒業なのに、という学生諸君もいるだろう。ここが踏ん張りところだと思う。

アメリカ社会の立ち直りは早い。
これは帰国して日本の社会と比べてみると実感する。アメリカの実労働層はずっと若くて活力があって流動性がすごく高い。昭和の高度成長期を思わせるポテンシャルの高さ。


大恐慌もリーマンショックのリセッションも最低最悪だったのは3年。今は踏ん張るとき。泣いても誰も助けてくれないから、泣く暇があったら生きるために動け。

生き残れるかどうかは、自分の才覚による。本当に能力がある人間だけが生き残れる。
だからおばちゃんは、男を狙うより学校に行けという。爪を磨くより、技能を磨け。というのだ。


Respect should be earned not given

スカーレットの黒人乳母のマミーがこう言った。
He is a mule in racehorse harness fooling nobody

ラバに競走馬の鞍をつけたって、ラバはラバだに。誰もだませねぇだよ。ーーラバは上流階級でも下流でもどちらにもいるだで。
愛読書Gone with the windの話だ

牧場ではないその辺の野っぱらで生まれた駄馬を捕まえてきて、サラブレッド養成ギブスをつけて、叱咤激励してもレースに出すのは難しいでしょ?
群馬育ちのブラジル人に日本語がペラペラだって個人教授つけて勉強をさせたところで、試験に通るかって誰が保証するよ?

だよねぇ。
大学の話も、パズルみたいな謎があってそれで皆さんイライラと憤懣を募らせていたわけだが、おばちゃんは、こんなズルしやがってと黒い気持ちや憎しみまでは持ちきれない。

なんでかっていえば、やっぱりダメな人はアメリカから故国(日本だけではない)に帰るのを長年見てきたから。

人を当てにする人、人のせいにする人、自分で戦わない人、努力をしない人、酒かドラッグの問題がある人、家族の問題がある人。そういう人達はアメリカで自分の居場所を築いて何かを成し遂げることができずに故国に帰国した。

二人は自分達の才覚でこれまで何かをなしとげたのかな?
日本での職場は、どちらでも職場でも使いものにならなかったと聞く。日本の社会に馴染みづらかったんです。っていうならアメリカで自分で一から行動できたかっていえば、住むところさえ手配できない。

ムカムカさえもできないのは、尊敬をするところが何一つないからである。
尊敬できない人に、妬み嫉みで熱くはなれない。ただ、ああ、アカン奴っちゃな、と。

おばちゃんはいろいろな留学生を知っている。留学は金がかかるものである。学生ビザを取るためには、銀行の残高証明をイミグレに提出することが必要だ。最低200万の残高があることを証明せねばならない。

おばちゃんが知っている留学生は、ドラ息子やドラ実ちゃんではなかった。高校を卒業した後、2~3年働いて自分で金を貯めた。

稼げる職を探し深夜居酒屋で長時間働いて、あるいは道路工事で肉体労働をして目標額の200万から300万の自分で金を貯めた。Hey! Shame on you.

そしてカリフォルニアにやってきて最初は学費が安いコミュニティカレッジで2年、それから自分の学びたい専門がある大学にトランスファーした。

突発的な事情で日本の親に援助を頼むことなどもなかった訳ではない。だが、彼らは原則として自分で稼いだ金で留学生活を送り卒業した。よくやったと思う。

尊敬とは自分で獲得するものである。
Respect should be earned not given.

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