冬支度 霜よけ

今年は変な天気だったが結局台風が来なかったのはありがたかった。
雨が少なく妙に日中日差しがでるとあったかいので、日日草、ペチュニア、虎の尾さえまだ咲いていて、それなのに冬の花:山茶花は咲いてしまった。

四方からくる落ち葉はすごいので2~3日置きに掻いていたのがキリがなくて嫌になってくる。毎年の通例だ。
更に毎年悩むのは、吹きたまった落ち葉はお花からしてみれば冬の寒さを避ける“お布団“になって、却ってはがさないほうがいいのではないか?立ち枯れた花の枝は根元から切らないほうが霜除けになっていいのではないか?

試しに今年は花が終わったガウラやキバナコスモスをそのまま放置しようと思う。一応去年卓球の長老から頂いた竹の枝をあちこちに刺していつ霜が来てもいいようにしておいた。

山に引っ越してきたとき麓の冬の畑には奇妙な枝が林立するのだ。
野菜でもない細い枯れ枝が畑の支柱に張り巡らされた紐からぶら下がっていたり、地面に刺さっていたりするのだ。
おばちゃんは一度も見たことがない光景に頭をひねっていたのだが、誰だかが霜よけじゃないか?と言った。

な~るほど。
明け方の非常に冷たい空気は地表に向かって下がってくるのだが、細竹などに触れるとその表面に霜の水分がつく。すると地表まで冷気がおりにくくなるという理屈。100%霜がつかないというわけではないが、やっぱり霜柱は地表にできるが、植物の葉が霜で焼ける(葉っぱが真っ黒になって枯れる)ことが少なくなる。
冬も葉がある宿根草にはありがたいのかもしれない。

それで去年、竹林の手入れをしていた卓球の長老に払った枝をいただいたのだ。初冬に地面に突き刺して2月に抜く。さらに地表に落ち葉をたっぷりかぶっていれば霜柱も立ちにくいかもしれない。
今年は思い切って落ち葉も放置してみようかしら。

おじちゃんに作ってもらったクレマチスの棚はなかなか立派。
元気な冬咲きクレマチスはつぼみをたくさんぶら下げた。白いベル型の花が咲く、あとひと月も後の厳冬に!庭はそろそろ冬眠に入るというのに。もちろんおばちゃんたち以外誰も満開のクレマチスを見ない。冬の間はネギを抜きに降りるくらいになってしまう。

スーパーでゆり根が割引になっていた。花屋で球根を買うより安くないか?おばちゃんはゆり根を食べるのは嫌いである。苦いから。おじちゃんはチューリップとユリの花が好き。
明日ユリを植えたら長い冬が始まる。

経過観察6か月目

10月の初旬に突然食欲のスイッチが切れてしまってからひと月。
吐き気と喉の違和感は逆流性食道炎からくるものが多かったみたいで、ガスター10をひと箱のんだらずいぶん吐き気が軽くなった。食欲の回復はいまいちである。犬でも猫でも食べなくなったらなんかおかしいのだ。

美食の国のおいしいものだらけなのに、肉類や油ものにはいまいち食指が動かない。コンビニのちっちゃなスイーツと梨があると嬉しい。体重は少し落ちた。脂肪率は3%落ちた。体重がさほど変わらず体脂肪率が落ちるということは、筋肉がなくなったか水分が増えたか。


どうも今の体重にしては顔と足にむくみがあるような気がする。60年以上もこの体と付き合っていればこの体重なら頬っぺたと足はこのくらいの細さであるべき基準があるからね。

右わき腹の違和感はずっとある。鈍い痛みは胆のうがあった場所に陣取ってまれに背中も痛むことがある。食前と食後でも痛みの方向や強さは変わらない。

一言でいえば正常ではない。何がどうなっているのか一番やばそうなシナリオから考えてみる
食事の有無でも痛みが変わらないということは、Oddi括約筋の異常とは考えにくく胆管自体に何か異常があるのかしら。例えば胆管に変な癒着があるとか、あるいは胆管が詰まりかけているとすると他にどんな症状が出るか考えてみる。

胆汁の通りが悪くなるわけだから便の色が薄くなる。眼球の白い部分が黄色みがかる。要は黄疸だね。ここのところ毎朝、トイレで観察を続けてきたが、ブツの色はかなり薄い。フラグを立ててもいいくらいの黄色。

眼球は生まれたての赤子でもあるまいし、冴え冴えと白!ではなくて初老のオフホワイトである。

黒褐色の尿がでるかどうか。
胆汁に含まれるビルビリンが胆管を通らず血液中に流れると黒褐色の尿になる。

おばちゃんは胆のうを切る数か月前の明け方、トイレに行って小用を足しフラッシュするときに何げなく見ると便器が黒かったのでぎょっとした。ほとんど寝ぼけていたので何かの感違いだろうと2度寝してすっかり忘れていた。人体からあんな黒い液体が出るわけがない。おじちゃんが先に使ってきっと流すのを忘れたのだろう、と。

胆石症と診断されて主治医から黒褐色の尿が出ませんでしたかと聞かれて、その時に初めて思い出した。あの場合は小さな胆石が動いて胆管をふさいだためビルビリンが尿にでて黒色になったのだ。

さて現在にもどると、胆石も胆のうもすでに切除したので、もし尿が黒色になるようなことがあれば胆管が詰まっているのである。何で詰まっているかが問題。

熱は出るか
胆管が詰まると十二指腸から逆流することがあり細菌感染から熱が出る。胆管炎。38度以上の熱らしい。夕べ電気毛布の温度が熱すぎたせいで、上布団を蹴っ飛ばして寝ていたという。だからちょっと今朝は熱っぽい。ささやかな微熱。胆管炎ではないな。

さぁて、どうしたもんかなと思う。
食欲のなさと朝に出すものの「色」を考えると病院にGo!なのだが、あと3週間でCTの予約が入っている。3週間待てば、症状がもっとはっきりするだろうからCTだってはっきり映るかもしれない。3ミリより小さければ見落とすかもしれないし。

どうすっかなぁ?
予約を2週間前倒しに変更すると言ったらおじちゃんはどう感じるだろう。言うのも憂鬱だ。
3週間後のCTまでの期間は要観察期間中でおじちゃんを脅かすのは何もなく平和な時間なのだ。前倒しにしておじちゃんがまた丸まって寝るばっかりになったらどうしよう。

どうすっかな?
明日はアメリカ大使館からソーシャル・セキュリティの申請受付の電話インタビューが来る予定である。日本に帰国した時から米国年金手続きをすることが日本に定住する一つの目標だったのだ。これさえすませばおばちゃんの肩の大きな荷が下りる。

明日手続きを済ませてから病院予約の変更はまた考えよう。

闘病記ー時系列

アイタタタ、タ

五臓五腑になる入院記

再入院のお知らせ

発覚

告知

闘痛記

日本のチーム医療・パッケージ治療

異色・入院雑記

娑婆に復帰

総武本線 内房まわり

ぼちぼち動いてます

術後2か月目

闘病記さまざま

ガンの光線力学療法

経過観察中 4か月目

がんのゲノム解析

・ドクターに聞いてみよう

ドクターに聞いてみよう・2

・経過観察6か月目

川島なお美の場合

術後7か月

ベンツ切開

専業主婦の年収を換算すると1314万円

時々、コストも経費の観念も欠如している人間が湧く。
コンタクト・レンズの「原価」が一枚「5円」ということを耳に挟んで、たった原価5円の製品に数百倍もの金額を払わされてる、と憤慨するアホウ。
じゃあ、おばちゃんが5円あげるからコンタクトを一枚作ってみ?

莫大な開発費と精密工場の建築費、生産コストに輸送コスト、医師の検眼費用とクリニックなどがあって、初めて原価5円のコンタクト・レンズが消費者に手に入る。

さらに市場原理の観念も抜けている人が、時々ネットに沸いて炎上する。
瀬戸麻希という人はどういう人なのだろう?Amazonブランド登録専門とアカウントのタイトル名があるが?就労している社会人であることには間違いない。専業主婦は黒いスーツは着ないから。

その彼女が書くには
専業主婦の家事育児料金が時給1500円として24時間勤務 休日ゼロで1年365日を休みなしで働くと年収1341万円に換算できるそうだ。

そういう職業が成立するかどうか、考えてみなはれ。
求人広告で家政婦の月給を調べてみればよい。


アホ:いやいや、持ち場の家庭は夜勤もある24時間の仕事ですから、求人広告は月給でしか収入がないのはおかしいですよ。
だったら、24時間勤務の家政婦承ります。1500円時給24時間年収1341万円で雇ってください。と広告を出してみればよい。誰が雇ってくれるのか?職業として成立しない。市場で成立しない職業の年収を言い立てて、あんた頭は大丈夫か?

むろん瀬戸麻希さんは職業=24時間専業主婦が成立するとは思っているわけではないに違いない。なにか、専業主婦におもねって売り込みのターゲットにでも持ち上げるつもりで滑ったののだろ。

さらに経費だ。
おばちゃんは仕事で清掃サービスと契約していたが、彼らは自前の掃除道具と洗剤を持参して仕事をする。
専業主婦が職業であるなら主婦の職場は家、食費、衣料費、衛生費などの生活費などの必要経費と社会保障費、所得税、住民税、健康保険料は自腹で払ってくれ。

自分の職に必要な経費も雇い主のまる抱え、寝ている間も時給をはらえと。そんな従業員を雇う雇用主だどこにいる?
いるとしたらあなた(専業主婦)の夫だけだろう。あなたの夫は職業=主婦業をさせるために雇ったわけではく、愛があったので結婚したのだろう。

愛に時給を要求するのはやめれ!
愛に時給を請求していいのは夜の嬢だけかもしれない。
アホ:いいえ、そっちは請求に入ってません。
そんなら別会計か?

あなたの親はあなたが生んで嫁に出すまで(25歳としようか)親業を24時間体制で行いあなたを育てた。それから親の扶養から抜けて夫の扶養に入った。
1500円X24時間X365日X25年間=3億3525万円だ。父と母二人なので合計6億7050万円となる。食費、教育費、医療費、住居費などは一切含まれていない、最低限の両親の時給だけだ。

自分の夫や子供への家事育児を時給で計算するなら、あなたは自分の親の愛の時給も払うべきかもしれない。
それから自分の子供へも養育費を提示するか?

自分の時間をクライアントにそっくり請求する職業はおばちゃんが知っている限り一つある。
アメリカの弁護士だ。1案件いくらではなくて、時給請求の弁護士。
自分の時間をクライアントの問題解決のために○○時間使ってついでに朝ご飯のドーナツとランチ代まで請求書に載っている。砂時計を持っているのは本当だからな。

自分の時間と働きに報酬が欲しければ弁護士になったらどうだ?
時給ミニマム100ドルで、裁判所に出廷なら最低600ドル時給からだ。専業主婦よりずっと高い。インフレだから今はもっと上がっているだろう。
好かれるかって?んなわけない。

専業主婦が本当に言いたいことは、自分の働きが褒められることも少なければ認められることも少ないステイタスだ、と。自分の年収を換算するより夫と向き合え。
自分の労働と奉仕を家庭できちんと評価して受け止めてくれない夫だったら、さっさと家を出て離婚するか弁護士になろう

シウマイ弁当

おばちゃんは学校が横浜だったのでシウマイ弁当は1個260円だったころから愛好家だ。何せサークルの野外活動はランチがシウマイ弁当だったので青春の味なのだった。

横浜市内の大きな駅なら大抵シウマイ弁当は買えたのだが、アメリカには崎陽軒がなかった。当たり前だ。
シャウエッセンは現地のソーセージで埋め合わせがついたが、シウマイ弁当は口にするのが不可能だった。グリーンカードが取れた年に一時帰国して弁当はしっかり食べたが、持ち帰りは無理なので真空パックのシウマイだけをお土産に帰った。それから日本へ永住帰国するまで幻の味覚だった。

静岡と神奈川は隣り合っているが、シウマイ弁当が買えるのは東名上り 海老名サービスエリアだった。なんで上りなの?これから横浜方面上りに向かう人にまだお土産は必要ないでしょう?
横浜を離れる人にさあどうぞと下り海老名で売るべきものではないか?メロンパンなんかどうでもいいんだ。

東名で何度も煮え湯を飲まされて、この間シウマイ弁当を買える場所で検索をしたら足柄SEが出てきた。なんだ海老名より近いじゃない。
でも、伊豆から出撃して足柄でシウマイ弁当を買ってトンボ帰りするのは60歳過ぎてあまりにも人聞きがわるい。アホと違うか。もうちょっと別な方面でついでに弁当を買った体で大人の体面を保ちたい。

おお、小田原駅にあるではないか。高速料金を払わなくてもいい。
そうだ!小田原駅に行こう!

9時過ぎに家を車を出して、10時半には小田原駅の崎陽軒についた。
本日は、弁当の入荷が遅れておりまして12時半に到着予定でございます。
あら~!それじゃその時間に戻ってきます。


おじちゃんとおばちゃんは小田原の駅前で、伊豆より都会だねぇ。人が多くなったねぇ。とぶらついていたが、しかし、不安に駆られた。崎陽軒には行列ができる。以前静岡駅の弁当売り場でおばちゃんの前の人でシウマイ弁当が売り切れて悔しい思いをした。
行列が長くてもし買いそびれたらどうしよう?弁当の予約はできるかしらと、また構内に引き返して弁当の予約をした。

さらに駅をぶらついてパンを買ったり金目鯛の開きを買ったり(沼津港より安いじゃん)忘れずに竹輪とかまぼこも購入して、12時半に崎陽軒に戻った。首尾よく買えてルンルン。

また海沿いの国道をトコトコと走り、真鶴を超えて熱海の峠を越えて無事家に着いた。2時だった。


お茶を入れてウキウキと黄色い弁当のヒモを解き蓋を取った。
おばちゃんは家の女王さまであるから、おばちゃんのポジションはコタツのそばのビーズクッションである。人間をだめにするソファにどっかりとめり込んで、シウマイ弁当を召し上がろうと思った。

箸袋を破いて右手に箸を持ち左手で弁当本体を持ち上げようとしたら左手首がへたった。
ノリ佃煮を除くおかずが全部クッションとコタツ布団にこぼれた。
ああ!おばちゃんのシウマイ弁当が!

ご存じのようにシウマイ弁当のご飯は若干のもち米が混ぜられていてモチモチする。ご飯はしっかり弁当箱にへばりついて落下した米粒は一つもなかった。きっと弁当箱を逆さにしても落ちないだろう。
しばらくご飯とこぼれたおかずを眺めて、おばちゃんは箸でまずぶりの照り焼きを拾った。次は黄色い卵焼きだ。細かく散っているのはタケノコの煮つけだ。箸でつまんで弁当箱にもどす。汁気がなくてよかった。

やたらタケノコが多い。唐揚げはどうした?大事な唐揚げは1っ個しかないのに。
シウマイは?5個のシウマイの安否は?
シウマイは無事全部回収した。カマボコは白いのでよく目だった。回収する。大事なデザートのアンズはどこだ。私の大好きなアンズ?

今日のアンズはあまりにも小さくタケノコの大きさとほとんど変わらなかったので、タケノコにまじってすでに回収が済んでいた。
よく見ると、たった一つのから揚げも今日は極小でやはり回収済であった。

無事おかずがそろったのでおばちゃんは食べ始めた。
コロナのせいで3年ぶりくらいだ。
今日のぶりは少ししょっぱい。タケノコがいやに多いぞ。おじちゃんがタケノコの煮物はいつもより甘いなと言う。
シコシコとするシウマイはおいしくいただいて、極小だったアンズは甘酸っぱくて以外にも大変うまかった。デザートが上出来だったのでおばちゃんは満足。900円だ。

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ど~うでもいい話だが、
小田原駅の新幹線ホームの音楽は「お猿の駕籠屋」だ。
え~っさ、え~っさ、えさほいさっさ。
お猿の駕籠屋だ ほいさっさ。
小田原ちょうちんぶらさげて
ほら、やっとこ どっこい ほいさっさ。

食えない人

アイ子ちゃんが来た。
怒涛のようにやってきて嵐のように去っていった。

9月の2週目に来日して京都で懐石料理を食べまくって、それから日本海へ出て蟹をむさぼってから伊豆にやってきた。

今年は暑すぎたので彼女の好きなマツタケはまだ八百屋に出ていなかったから伊東の道の駅でイノシシ肉を買い、修善寺を観光でさっと流し「静岡の宝」と地元民が誇るレストランでランチ。夜はイノシシキムチ鍋。2日後は三島の老舗で鰻。

書斎に布団を引いてトイレと洗面所の案内して、コーヒーを飲むかと聞いたら“うん“と言うので、インスタントを入れたら、次から自分でコーヒーを入れて飲んでいたので気を使わなくて楽。

アイ子ちゃんが静かなのは、食べているときと寝ている時。
怒涛のように喋りまくって、今回初めて会ううちの猫は目を見張っていた。彼女のお父さんはいろんな動物を飼っていた家なので(猿もいたという)、あまり人馴れしていないうちの猫にはおびえさせるような動きを見せることもなく、しかし猫に遠慮することもなく喋り捲ったので、猫はどうしていいかわからず戸惑っていた。
うちの猫たちにしてみればこんなニギヤカな生き物は見たことがなかったから、目を真ん丸にして観察していた。

ここのところ、コロナで日米の行き来がなかなか面倒くさかった。アイ子ちゃんと会えたのは3年ぶりだ。アイ子ちゃんはおばちゃんの人生でも極めつけの才能を持った稀代の怪物である。

普通のおばさんに見えるが煮ても焼いても食えない人間。英語学校を経営したり家を転がしたりして遊んで暮らせるだけの資産は貯めたので仕事はリタイアした。夏はテニスとゴルフ冬はスキーで、多分使い過ぎの関節痛のほかは病気もせず最強の免疫を誇る。

アメリカ人の旦那を育てて弁護士にしたのは彼女。
旦那の資質を見抜いて学校に女子大の英語教師として勤めさせて、阪神大震災で経営していた“自分の”英語学校のビジネスがダメージを受けるとパートナーに売り、それから旦那に何がやりたいと聞いた。

アメリカ人のご主人は勉強しなおして弁護士を目指したいというので夫婦で渡米して旦那をロースクールに入れた。とにかくアイ子ちゃんの言う通りにすると自分の運が向いてくるので、今でも弁護士の旦那はアイ子ちゃんのことを僕のラッキー・チャームと呼んで彼女の言うことは至上命令なのだ。

おばちゃんもビジネスを経営していた時に、ご主人に契約書を見てもらったりアドバイスをもらって大いに助かった。

とにかくアイ子ちゃんはもう働くのはやめたのでスキーをしたいときは日本のアルプスへ。美味しいものを食べたいときは日本へ。将来は日本とアメリカと半々に過ごす予定だという。

うっとりするような美味が日本にある。
新鮮な魚介類。秋なら栗、薩摩芋、松茸きのこ。今ならモンブランが美味しい、アイ子ちゃんにモンブランと連呼されても、おばちゃんはいまだに地元でおいしい洋菓子店を見つけられていない。パン屋、イタリアン、フレンチと洋菓子は、都市部なら切磋琢磨して感激する美味が見つかるのだけど、ここのローカルの町ではまだ探し回っている最中。

山は山と繋がっているのでおばちゃんの裏山をちょっと走ると箱根に出てしまう。箱根の森美術館でアートを鑑賞しレストランにはモンブランがなかった。ああ、栗の生クリーム!

ホテルでお茶をすべく、沼津のホテルに行った。
ウエイトレスにモンブランはないかと聞くと“無い”と即答されたので、じゃあケーキ・セットがいいが今日のケーキは何?と質問する。
ウエートレスは銀のトレーに3種のケーキ盛りを席にもって来くると、アイ子ちゃんはと「ふ~ん、おいしそうなケーキじゃないから飲み物だけでいいわ」とけろっという。
可哀そうなウエイトレス。
アメリカ生活が長すぎて思っていることがそのまま口から出てしまうのだ。

3年前は2泊3日でうちに泊まり、彼女の大学卒業から最初の離婚までの人生譚をたっぷり聞いた。今回は4泊5日だったのでお母さまをアメリカに連れてくるための日本の不動産の売却の詳細を聞いた。その当時はまだ私たちもビジネスで忙しく、ゆっくりお茶をする暇もなかったからお母さまをアメリカに連れてきた当時の詳細は知らなかったのだ。

30世帯のアパート物件を売却するためには借家人の退去をしたほうが高く売れる。
通常は弁護士のサポートなども使うのだが、彼女はほとんど一人でやった。30世帯の退去には普通3000万かかるというところをほとんどゼロにしたので、地元の不動産関係者が目をむいて「XXX町・不動産の奇跡」と呼ばれたという。

20代の初めから親の不動産の経営の後を継ぎ、ついでに金貸しもやっていたから、さらにいろんなビジネスをやって成長したアイ子ちゃんにとって、30世帯の借家人との交渉は大したことではなかったのだろう。

一軒一軒の借家人の希望を聞いて、年老いた借家人には娘の住む町に別の住居を借りてやるとか、施設の手配をしてやるとか、相手の言うことを理解して相手の望むところを世話してあげたら感謝されて出て行った。私としては普通のことをやっただけという。自分の要求だけを押せば刺されるとケロケロと笑う。こういう人が自分は専業主婦だといい一見奥様のようにふるまうから恐ろしい。

アイ子ちゃんは、せっかく伊豆に来たからやっぱり温泉にもつかりたいという。露天風呂。のぼせるので、絶対露天風呂じゃないとダメという。

一方、おばちゃんは在米中一度も温泉に行けなかったので日本の温泉への郷愁が半端なかったのだが、いざ日本に帰国してあこがれていた温泉に入ったら、温泉=大浴場はトドの生育地だった。温泉に対するあこがれが一発で胡散霧消してしまった。

浴槽のへりに白いトドやピンクのトドがのたうって、憩っているというのを見て大いにショック。それ以来、見ず知らずの他人が入る温泉浴槽はご一緒したくない。

それでは客室についているプライベート浴槽はどうか?伊東にはごろごろ見つかったのだが、宿泊費用をみてぶっ飛んだ。どこかの社長様が若い彼女を連れて昼間はゴルフ、夜は二人でテラスの露天風呂!なのだろう。

アイ子ちゃんも伊東のプライベート温泉は“タカイ!”という。ミリオンも貯めこんだくせに。
鄙びた昔ながらの旅館の露天風呂でもいい、と言う。それなら近場にある。

おばちゃんは温泉は必要ないから近場の和風旅館に彼女を送って、次の日にはピックアップして一緒に鰻を食べて、アイ子ちゃんの知り合いが待つ別の町に送っていった。そこから彼女は日本アルプスで紅葉を見に向かうのである。

おじちゃんもおばちゃんも2匹の猫も、アイ子ちゃんを見送った後はちょっと酔ったみたいでふか~い深呼吸をするのだった。

追記。
次の日、ラインで起こされたらアイ子ちゃだった。
昨夜はすごかったんだって。すし屋でコースが予約されていて、アルプスのスキー仲間はガンガン飲み最後は運転手付きのロールスロイスで送ってくれたって。どんなスキー仲間だよ。

くらえ、カプサイシン

うちの庭に巣くうモグラどもは激辛好きなのかもしれん。

大事なヒューケラやペンステモンの下を穴だらけにしやがって。これ見よがしに出口もぼこぼこ作りやがって!

ーーーモグラは強いにおいが嫌いです、この棒にはモグラが嫌う唐辛子をたっぷり浸見込ませモグラ撃退用の新武器「来ん棒」です。モグラに荒らされたくないお庭に来ん棒を突き刺してください。モグラが嫌がって退避すること間違いなし。ーーってほんとかよ。

ジキタリスやカンパニュラ、ペンステモンが被害を受けないように、モグラの通り道にせっせと来ん棒を差したった。100本差したったから。ほんとにカプサイシンがしみ込んでるんやろな?うちの猫はくしゃみもせずに臭いを嗅いどったで?

どないなっとるんや、登りの段々庭はモコモコトンネルが増えとるやんけ。出口があちこちに、“こんにちは”しとるやんけ。ふざけるな。容赦せんからな。
くらえ!、おっちゃんが作ったハバネロ煮出し液!穴の出口にこれでもかとスプレーでハバネロ液を噴射してやったんねん。

唐辛子の1000倍のカプサイシンに触れて死んでしまえ!って。スプレーを握っていた右手でうっかり、むずがゆかった鼻をこすってしまい、あ~っ熱と激痛が。

宿根ネメシアがどうなっるかもう知らん。露出している穴にはスプレーしまくったった。
もう秋やからこれから新たに植える花はあまり無いねん。大事な花は掘り起こして避難させたわ。

雨上がりに庭に降りたら、ヒューケラの株がプルプルと微妙に揺れてる。
そしたら、いきなりミミズの上半身が土から躍り出てきて、地面の上でぴょんぴょん跳ねてるのさ。撃たれた松田優作のように、「なんだこりゃ!!」とおばちゃんは思ったわけよ。

ヒューケラの株と根もとの土がさらにモコモコ動いた。
Oh,LaLa!!!
モグラがミミズを追っかけてかぶりついたところが、死に物狂いのミミズは、最後の力で地上に飛び出したのか。力足らずに下半身は食われて上半身だけになったミミズは地面の上で絶命した。
ナンマイダブ。


人生60余年、モグラのハンティングをこの目で見るとは思わんかった。地下のモグラは見ておらんがのぉ。

来ん棒はどうした?ハバネロ液はどうした!お前らカプサイシン好きなんけ?
この庭はな、何年も放置されて草ボウボウのところをおじちゃんとおばちゃんが草取りをして、耕して園芸土と肥料を入れてフカフカにした庭なんや。ミミズは豊かな土壌の証なんや。それをタダで食い散らかしに来やがって。

今までなん十株も高かっい宿根草を植えて、おばちゃんがどんだけ金を使ったと思っとんねん。振動撃退機や捕獲機や忌避剤やチューインガムを全部コケにしやがって、それほどおばちゃんが憎いか。
見えんことをいいことにして、宿根草の根元にトンネルを掘りまくりやがって、花の根っこがみんな浮いてしまって高い花は枯れて死んだんや。お前らのせいや。
死ねぇ~、死んでしまえ!残ったハバネロを穴ぼこにぶち込んだ。

くっそ。地面の下では、ここでちょっとチーズでもあると味変でできまんな、と激辛好きのモグラどもがミミズの晩餐を味わっとるのではないやろか。
おばちゃんは、ピーターラビットの童話を今ではそれほど愛らしいと思わん。

女性上位

うちの猫は代々女性上位だ。
小柄で女王タイプのお母ちゃん猫に小心な息子。
おっとりして臆病なお兄ちゃんにきっつい釣り目の妹。

コタツがセットされて大喜びで潜りこんだお兄ちゃん猫の後から、気の強い妹が続いて入った。テーブルの脚がゴンと鳴り天板がバコンと動いて、お兄ちゃんのアメショーが追い出された。
子猫の時に一緒のツグラに寝ていたのに仲良くコタツで丸く眠れぬものか。

家じゅうの一番居心地が良い場所、夏なら涼しく風が来ないところ。冬ならあったかく静かなところ。今日も寒いのでこたつの中は一等地である。妹の紫音が天下を取ってコタツで長々と紐状で伸びている。

この子は子猫の時に、頭がいい天才猫かと思った。うちに来て自分の名前とパタパタ(猫じゃらし)という言葉をすぐ覚えたので歴代では一番賢い子じゃないかと思った。しばらくしたら化けの皮がはがれた。

自分の欲望だけに素直である。
遊んで欲しいときはパタパタを咥える。近づいておばちゃんの腕をトントンする。抱かれるのは死んでも嫌。膝には乗らない。
ところがオフィスでデスクトップを起動させると、キーボードを踏む。踏ん張って動かない。ちぎって捨てても床からよじ登ってくる。ずりずりとモニターに体をこするので、重たいブックエンドが落ちて、床に避難させていたアンティーク風ランプを割った。大損害である。

優雅な肢体から想像ができない程食い意地が張っていてアメショーのご飯をとるのがうまい。ものすごいスピードで自分のお茶碗からご飯を3分の2食べる。それから隣で食べているアメショーに近づく。

アメショーはいつもおっとりと味わいながらご飯を食べるのだが、舌なめずりしている妹が近づくと食欲をなくしてベッドルームに逃げてしまう。
紫苑はお兄ちゃんのお茶碗に顔を突っ込んで、たっぷり残ったご飯を全部平らげる。それから自分の茶碗に戻って残り3分の1を食べる。アメショーの倍ご飯を食べるのに痩せてスレンダーだ。運動量がすごいせいもある。全身筋肉でできてますねぇ、と獣医さんが感心してた。

リビングのキャットタワーでアメショーが寝ていると、小柄な紫音がのっそり近づいてどけという。アメショーは抵抗もせずにシオシオとタワーを降りてベッドルームのキャットタワーに落ち着く。くつろいで毛づくろいしているアメショーに、紫苑がまたやってくる。とどけという。お兄ちゃんはうろうろと家をうろついて落ち着ける場所を探す。うちで唯一のソファの下でぺったりと寝ていることがある。あまりにもしつこく紫苑が付け回すと、たまに切れる。

伏せ耳で妹にとびかかりトムとジェリーごっこが始まる。オフィスからリビング。リビングからベッドルーム。ものすごいスピードで紫音が逃げ、床が鳴る。紫苑がついにリビングのおばちゃんが寝そべっているコタツテーブルに逃げ込んできて、お兄ちゃんに追いつかれて首をかまれる。
ギャウンと紫音が一声鳴くと、おじちゃんもおばちゃんもお兄ちゃんアメショーを叱る。

お嬢様が止めてって言ってるじゃないか。鼻息荒いお兄ちゃんアメショーは、ベッドルームに引き上げてふてくされて横になる。アメショーは紫苑を本気噛みしているわけではないが、紫音はわざと大げさに悲鳴を上げる。困ったときだけはお嬢さんになる。その他の時は王女様だ。女王は?無論おばちゃんに決まってる。とにかく紫苑は家中が自分の縄張りだと思っている。

アメショーの天(テン)は不憫な子だった。
うちに来た時からウイルス性の風邪をひいていて、耳の感染症も頻繁にかかるので病院に行くことが多かった。一時期、感染症が重篤になりすぎて熱が42度まで上がって抗生物質の注射と服薬では収まらず、このままでは助からないと思ったおばちゃんが、大丈夫か、病院に入院しようかと言ったら、おばちゃんの目を見て一声「ニャン」と鳴いた。

天はうちに来た時から風邪気味で声が出なかったからほとんど鳴かない子で、声を聞いたことがなかった。獣医に連れて行って、注射では助からないから点滴でお願いしますと2日入院させて、大枚が飛んで行った。

成長期にそんな病気がちだったから、自分の名前を呼ばれても反応しない。ちょっと頭が悪いかもしれない。鳴かない子だが、治療でも暴れないしおっとりして獣医には評判がいい。天ちゃんは、すごくいい子です。去勢手術の前には、キャリアでぐうぐう寝ていたそうでクリニックでは「大物」と呼ばれている。

写真写りがやたらいい。いつ写しても絵になる。紫苑は、、?
紫苑は写真に写らない。動きが速すぎてブレしか撮れない。たまに撮れると、ラクダかロバに似ている。写真をお向かいのおばちゃんに見せたら、嫌だ、ほんとにロバみたいと言われたからやっぱりロバに似ているのだ。

天はそこそこ健康になったがやっぱり今でも鳴かない。
妹から逃げてベッドでくつろいでいるところに、おばちゃんがそっと近づき、手のひら全体でゆっくりお腹をさすってやると股を広げてゴロゴロいう。気持ちがいいと、左手がパーに開く。開いた水かきのところに指を突っ込んでモミもみするとブッホと鼻を鳴らす。ウイルス性鼻炎で鼻の通りが悪くなったのだ。

一応、天はおじちゃんの息子、紫苑はおばちゃんの娘ということになっているが二人とも抱かれるのが嫌いだし、息子・娘の自覚があるかどうかわからない。
とりあえず今日も女性上位で紫苑の天下だ

小さな暮らし

ミニマリストになりたいとは思わないが気持ちはわかる。
自分の暮らしになるべく余分なものを纏いたくない。身一つでいたい。着るもの数着、コンピューターもタブレットもなし、携帯1台。ヤカンとマグカップが一つ。寝袋で寝るーーという極端な生活も目に入る物もないほどすがすがしい、、かもしれない。

そこまでいかなくても、家は小さいほうが好きだ。
田舎の実家はだだっ広くて建て増ししたので家族がどこにいるかわからない。母屋か、離れか、作業所かガレージか、はたまた畑か?こに2階住居部分を考慮に入れると範囲が広すぎて探せない。だから昔から2階建ての家が嫌い。住居は平屋がいい。

小さな平屋で身の回りのものはコタツの周りにあるのがいい。できれば家具メーカーさんにコタツに引き出しをいっぱいつけて欲しい。爪切りと耳かきとかゆみパッチ、目薬にヘアブラシなどサクサクと収納できる引き出しが欲しい。

人間をだめにするビーズクッションがあれば他にソファもいらない。
ビーズクッションは使うとヘタる。クッションの皮が伸びるというあなた、朗報です。ビーズクッション用に伸びない人工皮革のカバーがあるのだ。多少沈み込みとフィット感が薄れるが、ビロビロとだらしなく伸びきっていくことはない。

蔵書も陶器も帰国の時にほとんど処分したから今の本棚と食器棚に収まるだけであとの人生をやっていくことにする。
小さな家は小さなリビングで床面積も狭いからダイソンでくるくるするのもあっという間に終わる。猫がお砂を散らかしたらこまめにダイソンする。フローリング用の掃除ワックスシートをモップする。

先代のおばちゃんの残したモップとシートを見て日本人はなんて頭がいいんだろうと感激したね。シートの四隅を穴に押し込むだけでシートが固定できるなんで信じられなかったから。シートをセットするときはなんか楽しくないか?
ニャンコたちがお風呂のタイルを歩いた後でリビングのフロアに小梅ちゃんをスタンプしてしまったときは、モップでくるくるするのは嫌じゃない。さらにテレビで電動モップをみて感心してそれがリサイクルショップで売っていたので買ってしまった。

電動モップは、ウインウインと2枚のモップが反対方向に回転する。モップの柄は軽く支えるだけ。仕事をするワンコに綱をつけて散歩させている感じ。ご飯の後、誰がお茶碗を洗うかと一瞬の沈黙が落ちるとき、さりげなく立ち上がってダイソンでバキュームから電動モップでウインウインすると勝ったという気がする。床はきれいになるし。

自分たち二人の小さな家で自分たちで掃除をして修理をして庭の花を飾り、畑でとれたキュウリとナスを料理する。冷蔵庫だって70リッターの小さいものだ。ガロン入りの水も売ってないから日本では小さな冷蔵庫で十分じゃない。おじちゃんは四季それぞれにぎやかな日本のスーパーを覗くのが好きなのだ。

アイ子ちゃんはもう自分で掃除なんかしたくないと言う。
白人のテニスクラブのおばさんたちは、雑巾ってどうして使うの?って雑巾を絞って使うことも知らない人ばっかりなのよ。私は年を取ってそれなりの資産もできたから、掃除なんてもうしないわ。メイドサービスで掃除してもらうの。

コロナのせいでスーパーで買い物に行くよりアマゾンでみんな買うようになったので、時間が余るようになったそうだ。ゴルフの打ちっぱなしの練習を増やしたのと言っていた。運転するのも最低限になってきたと言う。

現役のころのおばちゃんは、朝出勤して寝に帰ってくるまで家は誰も住んでいない。家で食事をするのは定休日の夕ご飯だけだっただったからさして汚れもせず。平日はキッチンも使わないので お茶っ葉さえごみに出なかった。ケンモアのでかい冷蔵庫の中は水と調味料くらい。おおよそ生活しているというより出動して帰宅する基地みたいなものだった。
天井は高くSwiss Coffeeの真っ白な壁の家を愛してはいたけど、最後の十年はそこでしみじみ生活を営んだ記憶があまりない。

伊豆のちっちゃな家は好きだ。
床磨き溶剤を選んで、ウインウインしながら床をピカピカになったらささやかな満足感と幸せがある。ミニ洗濯機もなかなか楽しい。畑の大根を間引いて細い大根を炒め煮にしようか、漬物にしようかと考えるのが楽しい。コロナが収束してまた何か始めるとした吹っ飛んでしまうかもしれないささやかな生活である。

できればこの先も自分の力でできるだけの大きさで、小さな生活をしてゆきたい。

前略、越後製菓 様

もと日東製菓の「味千両」を販売してくださってありがとうございます。
なんというか、老舗の一家のお父ちゃんが放蕩して家業をつぶして一家離散のところを越後製菓が2代目の息子を引き取って養ってくれているようなありがたさというか、。

「味千両」は私の生まれ故郷に工場があり、子供のころから親しんできた大好きなあられです。
遡ること50年前、うちの中学校では夏休みにフィールドトリップとして山奥のキャンプ場で2泊3日のキャンプをする伝統がありました。ボーイスカウトの厳しいおっさんの罵倒と叱咤指導のもとにキャンプ設営が終わったころから、天気がおかしくなり夜半に入ると近づいてきた台風の暴風雨圏に入ったのか、大変な吹き降りでテントも吹き飛びそうになりました。

生徒は雨風と不安で眠れませんでしたがそれは教師も同じだったようです。深夜まで論議を重ねてキャンプは中止の結論を出したようで、翌朝に全員撤収の発表がありました。

キャンプ場はゴロタ石ばかりで眠ろうにも背中が痛く飯盒炊爨のご飯はひどい味。撤収が決まってうれしかったのですが、1年生230人の接収バスがありません。
帰宅予定は3日目の午後なのですから、一日早い撤収にバス会社も配車ができなかったようです。なんと徒歩で中学まで帰宅行軍ということになりました。

季節は夏なので八甲田山のように生徒がばったばったと死んじまうことはなかったのですが、何せ山奥で有名なキャンプ場なので里まで50Km以上はあったはずです。
クラス別に2列縦隊で山から徒歩で降りて来たのですが、急な撤退で飲み物食事も十分でなく前夜は暴風雨で生徒もほとんど寝てません。

朝からとぼとぼ歩き続けながら午後の3時ころにはみな疲労困憊していました。
教師がここで休憩、と指さす場所は工場敷地でした。川沿いの広い敷地に大きな岩が転がっていて、そこに生徒がてんでに座り込みました。きゃしゃで体力がなかった私はひざから下が熱をもって足がだるくてたまりません。工場には日東製菓の大きな看板が見えました。

ここがあの「味千両」と「サラダあられ」のちの「サラダ・セブン」を作っている工場なんだと思いあたりました。
もしかして、工場長が台風でキャンプを中止し徒歩で帰宅せねばならないかわいそうな生徒たちを気の毒に思い、元気づけに「味千両」あられでも配ばってくれるのではないかという私の「卑しい」希望はもちろん実現せず、230人を快く休憩させていただいただけで日東製菓さんに今でも感謝しています。

その後私は大学で横浜に出て東海圏から外れると「味千両」は関東のスーパーには売っていないのがショックでした。あられロスです。


ほろほろと崩れ程よい塩加減で袋を開けると止まらなくなる究極のあられが「味千両」。それがいきなり人生から消滅してしまって私は非常に絶望しましたが、割と好きな物に執着するタイプなので、その代わり「サラダあられ」があって救いになりました。

結婚してアパートにまぎこんできた野良猫の息子も、サラダあられの「醤油味」がお気に入りでした。平成になったばかりの頃、思い立って猫ともどもカリフォルニアに移住しました。

どんな日本食が手に入るかわかりませんでした。
まともな日本食がなくても、おばあちゃん自家製の紅ショウガか、ふりかけの「のりたま」があればとにかく食える。思い切って丸美屋食品に手紙を書いて、カリフォルニアでも「のりたま」が手に入るかどうか問い合わせたのですが、返事がきませんでした。
んで「のりたまふりかけ」と「サラダあられ」を引っ越し荷物として送りだしました。

心配したものの日系スーパーはありました。サラダあられもありました。ただし在庫が切れるといつ入ってくるかわかりませんでした。売り場にあったら買う。そこが勝負です。


日本から肉製品の輸入は禁止なので、好きだった日本のソーセージのシャウエッセンも食べられず、そのうちシャウエッセンの味も忘れてしまって、どうでもよくなった2010年前後、お菓子売り場に忘れもしない黄色とオレンジの袋「味千両」があるではないですか?

夢かと思って2袋買って帰って、奇跡の入庫なのにたった2袋を買って私は何をやっとるか?とまたスーパーに引き返して売り場の「味千両」を全部買い占めました。 次にいつ入荷するかわからないから。
それっきり2度と入荷しませんでしたが、。

買い占めた「味千両」がなくなると名残惜しくてパッケージの日東製菓の住所を切り取りました。次の日休憩時間に日東製菓のお客様相談室相手に、自分がいかに昔から「味千両」が好きで愛してきたかを切々としたため、航空郵便で日本に送ったのでした。返事は半年ほどたって忘れたころに来ました。

平成が終わるころ、帰国して静岡に落ち着きました。
「サラダあられ」あるいは「サラダ・セブン」はスーパーにあったりなかったり。オンラインでいろいろ調べてみるとなんと!日東製菓がなくなったと?!バブルで投資に失敗したらしい。オンラインで「サラダセブン」を買いあさりました。

ある日地元のスーパーでレジに並んでぼんやりしていると、レジ横に特設!越後製菓コーナーがありました。赤が特徴の越後製菓のラインの中に黄色とオレンジのデザインの「味千両」 があるではないですか?迷わず全部買い占めました。

袋の裏の製造会社を見てみると越後製菓となっていました。
越後製菓があの日東製菓の「味千両」を拾って保護していた!
捨てる神あれば拾う神あり。ありがたや。

私の勝手な想像ですが、こんなんではなかったでしょうか。
老舗の日東製菓さんはバブルの投資に失敗して、会社の清算という苦渋の決断を下した。が、その製品プロダクトラインすべてを閉鎖・廃版にするには社長はじめ工場長、事務員に至るまで身を切られるようにつらかったに違いない。


殿、せめて「サラダあられ」と「味千両」だけは生す手立てはないものでありましょうか?

同業他社の皆様、卒爾ながら情けをかけてはいただけぬか、
越後製菓、武士の情けじゃ。手を挙げてくだされ、弊社がお引き受けいたそうぞ。
かたじけない。しからば ここな「味千両」のレシピと工場長を新潟県に、、、、。
工場長、(涙、涙)われら日東の遺志をついでたもれ。
かしこまってござる、長として一生をかけ「味千両」を守りぬく所存。
恐惶敬白
~~みたいなことがあったのかもしれない。

それからは私はオンラインで「味千両」を12袋箱買いして非常に満足であります。再び巡り合った「味千両」は50年前と同じようにほろほろと口の中で砕け軽くて繊細なあられの傑作なのでした。
ただし、塩が昔と少し違う気がする。

越後製菓様、
「味千両」は「まま子」のような存在かもしれません。越後製菓コーナーに味千両が置いてあるのはまれ。あっても売切れればほとんど補充されません。生産量が少ないのかもしれません。よその子ですから。それでも老舗の粋を引いた直系の製品ですから末永く生産をつづけてやってください。
お願いです。

永住権・グリーンカードいろいろ

手にしたグリーンカードはちっともグリーンじゃなかった。
カリフォルニアで発行された永住権カードはむしろホログラフが目立つピンクといっていい色合いだった。有効期限の10年が過ぎカードをニューアルすると今度はクリーム色になった。

知り合いの夫婦はたぶん70年代後半に中西部で取ったグリーンカードで、本来の由来のグリーンがかったデザインのものだと思うが、さらに彼らのカードには10年の期限がない。
そう、昔はカードの期限が記載されないグリーン・カードがあったのだ。
夫婦のグリーンカードにはリニュアルの通知が来ない。いいなぁ、と思ったのだが。

人生のほとんどをアメリカで過ごして、彼らはおばちゃんより3年早く日本に帰国した。
ご主人の故郷が九州なので両親はとっくにいないが彼は生まれた土地に帰った。助けてくれる家族も誰もいない中西部で自分の力だけで生き抜いてきた人たちなので、日本の知らない土地に移住を決めたとしても何も困らなかったと思うが。

奥様K子さんは東京生まれの東京育ちで日系二世と結婚して、いきなり中西部で広大な農地をトラクターを運転する農家の嫁になった。一子を設けたがその後数年で離婚した。子供を抱えたシングルマザーが、アメリカ中西部の農村地帯でどうやって生きていけたか。

雇ってくれたのはマクドナルドだけだったと言う。
トイレ掃除に窓や床磨き。ハンバーガーを焼き接客をし一人で店のクロージングまでやらされて、時給は$3.25。マネージャーはオーバータイムの残業代なんかつけてくれない。何度も抗議しても英語に訛りのあるアジア女が、移民の奴隷労働者が、として相手にされなかった。マックを辞めたらどこにも雇ってくれるところがないことはマネージャーに見すかされていたから。

7年奴隷労働をしたあと、他州に移る目途ができてマネージャーに辞めることを伝えたらマネージャーもいくばくかのうしろめたさがあったのかもしれない、コカ・コーラの株を何株か退職金替わりにくれたという。


80年代前後の株なので、現在なら一財産になっているはず。売らないのかと聞いたら、このコカコーラの株は私が奴隷のようにアメリカで働いた証し。私の体と時間をすりつぶしてもらった株なので生きているうちは絶対売らないと言っていた。

このK子さんはその後日本人のご主人と再婚してカリフォルニアに移った。
カリフォルニアでも長年接客の仕事をしていたが接客逸話の持ち主。一度来客した客は顔・名前・職業などわかるものはみんなメモをして覚える。次に来店した時のためにそのメモ帳を肌身離さず身に着けていたという。
他の同僚からすごいねと褒められると、何分もう年で脳みそが限られているからメモして覚えるほかないからと。

そのK子さんが60代半ばに脳出血を起こした。
莫大な医療費が飛んでいって、回復はしたが健康保険の保険料は倍になった。そこで夫妻は人生の大検算をしたのだね。1に1足して2を引くと幾ら残るか?
幸いアメリカ経済はリーマンショックから立ち直っていて、家は不況前より高く売れた。

K子さんの一人息子は中西部でアメリカ人として育ってしまった。一人で生活を支えるシングル・マザーが息子に日本語や日本の文化教育は到底不可能だったからだ。息子は早く巣立ちアメリカ人の女の子と結婚して孫が出来た。その孫も成年になっていたから日本に帰国を決めた時も、今更K子さんがアメリカに残って何かをし残したことはない。
それでご主人と日本に帰ってきた。

場所はご主人の出生地・九州の南部である。
東京生まれでアメリカで生活してきたK子さんにとっては故国というよりまた別の国であったかもしれない。地元の人の話す言葉がよく聞き取れないと言っていたし。

ご主人の同級生とか親戚の薄い縁はまだ残っていたとはいえ、K子さんは地元の人から見れば異邦人であったと思う。

ずっとあったかい土地で過ごしたから服は体を締め付けない薄いものが良いといってコットンのTシャツとレギンズだけ履いていた。スカートをはいているわけではない。ロングTシャツというわけでもない。
確かサウスウエストエアーだかのドレスコードに引っ掛かったのと同じような服装である。

九州南部の旧弊な地元の婦人方はさぞかしびっくりなさったのではないか。K子さんはきょとんとしてTシャツとレギンズのどこが変なのか理解していない。気にもしていない。長年培った接客術で今では地元の女子会のメンバーだという。たぶん九州南部だろうがアフガニスタンだろうがスマトラだろうが彼女は暮らすに場所に不自由しないと思う。

K子さん夫妻は緑のグリーン・カードを持って、毎年1回はアメリカに帰って孫の顔を見て友達を訪ねついでに税申告Tax Returnをしてゆく。
ところが何分期限がないグリーン・カードなもんで、毎回LAXの入管でちょっとこちらへと別室に呼ばれて毎回2時間の取り調べがあるのだと言う。
毎回?2時間?

コロナでアメリカに渡航できずに3年我慢していたらひ孫が生まれていた。
K子さん、もう大ショックである。一刻も早くひ孫が見たいのにコロナでいろんな制限が厳しくてアメリカに入国できなかった。


先月の7月にやっとアメリカに帰ってシカゴに飛び、シカゴからはレンタカーでインディアナポリスまでロングドライブである。たどり着いたらひ孫は二人目も生まれて3か月になっていた。グラン・グランマである。

1月たっぷりアメリカを満喫して日本に帰ってきた。
長く留守にしたので畑の野菜が枯れてしまったのが悲しいと残念がる。最初の結婚では広大な畑をトラクターで耕すような農業だったので、日本の家の片隅の畑に夫婦が食べられるだけ数種類の野菜を植えて育てるとやっと本当の農業!って気がするのだそうだ。

来月は函館に旅行に行くそうなので帰りに熱海に途中下車するので6年ぶりで再会である。楽しみ。

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