海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。

テン・ジュニア FIP闘病記9      バイアグラ秘話

10‣2日
体重は3240gで先週と変わらず。熱は平熱38.5度。
自宅のキッチン用・秤ではテンが暴れるので体重計測が不可能になった。私が抱いてタニタのに乗り、テンをおろしてからもう一度体重を計って差し引きする。一瞬3500gになった日もあったったんだが。

テンはこの1週間活発でよく動き食欲もある。投薬を再開してから3週間とちょっと。体重4キロはやはり無理な目標だったか。高栄養食も食べているのにアバラが触れる。テンにはなかなか筋肉と脂肪がついてくれない。せめて3.5キロは越えてほしいなぁ。

今日は採血をしたが、ウイルス薬の影響でFIPの所見は血液に出てこないだろう。だから薬剤の影響で肝臓・腎臓などに障害が出ていないのを確認するための検査だった。

見かけ上は正常に見えるがFIPが駆逐されたかどうかは、わからない。CTでも血液検査でも所見が出ないだろうから。
先月のように「12週が終わった、寛解です」と治療を終了して一気にウイルスが勢いを取り戻したような愚は繰り返せない。

テンの体重増加が治療の終了目安なのだが、その頼みの体重が停滞しているので止め時がわからない。
ドクターが提案したのは、薬量を今の20㎎から15㎎に減らしてみて様子を見る。もし元気がなくなればウイルスがまた勢いを盛り返してきた証拠かもしれない。
それはそうだ。それが唯一の判定方法か。難しいなぁ。ロシアンルーレットみたいだ。

先生、ほかのウイルス治療薬で併用できそうなのはありませんかねぇ?
まぁ、ウイルスのタイプが違えば効果があるかどうかはわからないので。う~ん、もう一つは、薬をMutianにしてみる手もあるかもしれません。

Mutianは特効薬の本尊である。
今使っているウイルス剤のモルヌピラビルは後発薬で薬の値段はMutianの半額だ。猫のFIPの治療薬はすべて政府から認定が降りていないので、本尊のMutianも後続薬もすべて中国からの個人輸入になる。

Mutianを持っていてFIPの治療にあたっている動物病院は限られている。
治療には薬代、検査料、診察料で軽く新車1台分を超える費用が必要だ。それでもFIPの寛解率は100%ではない。この治療費の高さと専門のクリニックの少なさ、が敷居となって猫FIPの治療は難しいものになっている。

テンのFIPのトドメを刺すために紹介状をもらって専門クリニックに行きMutianを処方してもらう。という手もあるとうちのドクターは言っているのだ。

標準の12週間投薬の必要はないかもしれない。
だが、専門クリニックで血液の精密検査、エコー、CTをすべてやり直し、カルテのデーター・コピーを出してMutianを処方してもらうことを考えると踏ん切りがつかない。ここまで快癒したんだから。8合目まで来たから。それにペット保険の限度額はすでに使い切った。

Mutianを持っているクリニックから、うちのドクターが薬を購入することはできない。薬事法違反でどちらの獣医も獣医師免許が取り消しになってしまう。

そうするとMutianの輸入代理店の情報がわかれば、私が個人輸入をするか、あるいはドクターがMutianの個人輸入をするか。いったい代理店はどこか?

その辺の情報は漏れてこないんですよね。
同業者なのに?
ん~~、同業者でMutianを持っている人で、聞けるような人がXXXにいますから一遍
その辺を聞いてみようかな。

おう!?先生、ぜひ聞いて。
教えてくれるか教えてくれないか、あるいは代理店に頼んでもテンの治療に間に合うかどうかわからないけれど。
とりあえずまた1週間はモルヌ20mgを処方してもらった。

―――ここから昔ばなしである。―――――――
今から30年ほど前、まだおばちゃんがアホウブだったころ。
アメリカのローカルの知り合いに石を投げれば、日本との輸出入の仕事をしていた誰かにあたった。

アメリカの工場から流出したナイキのシューズを日本に送る。
サーファー御用達しの人気Tシャツを日本に送る。
日本の物をアメリカに輸入する。
仕事のメインか小遣いかの規模の違いはあったが、誰もが輸出入を手掛けていたような時代だった。今、日本では何がブームか?

そこにバイアグラがでた。
アメリカでバイアグラが普及した時、日本ではまだ未認可で夢の薬だった。
ただ、未認可の薬でも個人輸入は自由だ。一般日本人は夢の薬!へぇ~~と思うだけだったのだが、勇気と〇欲に目がくらんだ日本人はアメリカ在住の誰かれの伝手を探す。
どうにかして輸入できないか、と。

この情勢を感じて抜け目ないわが同胞・在米日本人(誉め言葉)はさっそくバイアグラの輸出を開始した。一錠5ドルがいくらに化けたか?おおぴらに言わないが誰かが濡れ手に粟でボロもうけをしているらしいと噂があった。

輸出入と縁がなかった私にも、日本向けにバイアグラ輸入代理店のウエブ・ページを作ってくれないだろうかと相談が持ち込まれた。その当時はオンラインの代金決済が簡単でなくセキュリティ上の決済プログラムは私の手には負えないので断った。

代金の受け取りを日本親族にしておけばできるかもしれないけど、XXXさん、それはそうと一体バイアグラはどこで仕入れるの?処方箋薬じゃない?
へへっ、XXXcityの○○薬局ならあるんだよ。
私が輸出入のビジネスとはまったく無縁だったからポロっと口が滑って教えてくれた。
ここで終わっていればウラミを受けることはなかったかもしれない。

そのあと別な知人Aさんに会った時、案の定、彼も輸出入を手掛けていて、いま日本では何が当たるかなぁ?バイアグラだったら絶対当たるのに、。XXとか○○とか、バイアグラで当たっているらしいから。一体バイアグラはどこで手に入るんだろうな?

で、私はポロっとXXXcityの○○薬局だそうよ。と漏らしてしまった。
その後、別の関係者から、場が荒れるだろうが!と
グレたデューク・東郷みたいなおっさんから凄まれたのであった。
その後、在米者で手が出せるものは我もと手を出し、相場は崩れ日本でバイアグラの認可が下りた後はビジネスチャンスは消滅したのであった。
ウブで間抜けなおばちゃんでした、すいません。

ここで念を押しておくが、FIPの治療薬に関しては日本の個人輸入のクリニックではほとんど薬代マージンを取っていない。
これは確か。

アメリカでもファイスブックにFIPの治療グループがあって、FIP症状や治療法について情報公開をしているが、Mutianの値段に関しては為替を考えずに日本もアメリカも薬値はほとんど変わりがない。

山の猫友がFIPの治療をした時もMutian輸入時の値段と処方された時の請求書を見比べて計算したら「利」はほとんど乗っておらず、輸入した薬値と変わりがなかったと言っていた。日本の獣医さんは良心的で「治療薬」では欲をだしていない。立派である。

まぁ、バイアグラを欲しがる男から多少の利をとっても後ろめたさはあまりなかったかもしれない。当時の在米日本人を擁護しておく。

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日米年金 比較 インフレで年金はどのくらいスライドする?

日米の年金比較2である。
老後資金・年金はインフレに弱い。余生が20年あるとして物価の上昇に日米の年金はどのくらいスライドするのか?
この記事のポイントはインフレ・スライドに焦点をあてて日米の年金を比較してみる。
参考とするのは日本年金局とSSAからの統計

まず日本の年金はどうか。
厚生年金・国民年金の年金スライド率・改定率 推移統計を発見!
見やすく表にしてみた。

http://www.office-onoduka.com/nenkinblog/2008/04/post_138.html

2000年ごろから日本経済の沈下が顕著になったのだろうか。
令和になってから支給額上がったと思えばマクロ引き下げもある。

コロナとウクライナ危機、円安のせいで電気・ガス・ガソリン・灯油などのパワー、食品、物価すべてが上昇してる。今年来年にかけて果たして年金は実働どれだけ上がるのか。賃金も上昇しているとはいえ、上がっているのは大企業が主であって、下じもの民の時給が上がっているという実感はあまりない。
物価の上昇に時給はとても追いつかないが年金の調整はもっと緩い。

来年度の改定はどうなのだろう?
2024年度インフレスライドアップをすれば年金受給者すべての受給者が対象になるので、わずかな%でも政府は莫大な資金が追加必要になる。現役世代の社会保障費負担はすでに、いっぱいいっぱい。

日本の年金は来年インフレ加算があったとしても、まわりまわって物価・税金・社会保障費などで年金生活者の手元から搾りとられるのではないかと思う。

米国年金はどうか?
アメリカの年金Social Security にはSocial Security Cost-Of-Living Adjustments 略してCOLAインフレ・スライド制度がある。毎年10月に消費者物価指数Consumer Price Index/ CPIが発表されCPIが3%を超えるとCOLAが発動する。
https://www.ssa.gov/oact/cola/colaseries.html
COLA変動の推移を表にしてみた。

過去5年で米国年金は20.3%上がった。
今年2023年10月13日に来年の調整%が発表予定だが、前分析では3.2%あたりになるのではないかと予想されている。

アメリカ政府は死ぬまで年金を上げ続けてくれる。年金生活者に気前がいい。アメリカのほうが恵まれているかも、おっと?早まってはいけない。どうしてスライドアップが毎年のようにできるのか?

アメリカは若い国で老齢人口率も日本よりは低い。常に若年層の流入がある国。経済の新陳代謝が早い。―――そしてアメリカ人の平均寿命は短い!!!

アメリカ人の一般人の平均寿命は日本人よりず~~と短い。
男性の平均寿命73.5歳 女性79.1歳。80歳にも届かないのだ。

さらにアメリカの年金の受給開始年齢は67歳だが、毎年受給開始年齢が遅くなる。10年も年金を支給しないうちに国民が死んでくれる。年金のインフレ・スライドを十分享受しないうちに死ぬアメリカ人が多いということかもしれない。

やった!来年もCOLAで年金額が増える!と喜ぶアメリカ人年金受給者の寿命は日本人より短かった!あらま?

ただ~、この統計の平均寿命というやつはあくまでも統計。
アメリカ人の平均寿命が短いのは、実は若年層が若いうちに亡くなる率が高く統計上は平均寿命が短くなる、と言われていたりする。

実際のところアメリカ人でも富裕層は長生きだ。
運動をし健康的な食生活を心掛けカバーの厚い健康保険を持っている。
貧乏人ほどジャンクを食べ太って病気にかかりやすい。ろくな健康保険も入っていないので早く死ぬ。アメリカ人の寿命と資産の額は正比例すると思う。

年金をあてにしなくてもいい健康なジジババ富裕層がCOLAの恩恵を受けてますます年金を増やし、生活費ではなくて、お小遣いや投資用に回してたりしてね。

若いころからせっせと働いてきた庶民層は、きっとどの国でも節約や就労を強いられているのが実情かもしれない。抜け目なく強いドルを生かそうと思えば、通貨が安くて治安がよい国へ移住するが吉か。

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日本の年金だけで老後を生きようと思ったら無理。
それなりの老後資金の準備がいる。それが世を沸かせた2000万円問題だった。

では、アメリカの年金だけで老後を過ごせるか?ム・ム・ム無理かな?
実はアメリカで老後に必要な資金は50万ドルといわれる。高い医療費もあるしね。
$500.000、50万ドル、1ミリオンの半分。

半分の25万ドルでも準備ができているアメリカ人は少ないのではないだろうか?4人に一人は貯金が0といわれるアメリカ人であるし。

さらに、アメリカの年金額はどうか
日本の公的年金は国民年金+厚生年金。アメリカの年金はSocial Security Payment
統計では2023年 アメリカ人の平均SS受給額は月額$1,827/1人、夫婦なら$2700。都市部で住む家のローンがすでに終わっていたとしても夫婦での生活はできない。働かねばならない。

よく聞いたアメリカ人のリタイア・プランというのは、若いうちに都市部で家を買いチャンスがあればより資産価値の高い家に住み替える。年金だけではなく401Kなどがある会社で働く。
リタイアの時期が来れば、都市部の家を売って売却益をもって物価の安い州に引っ越して、貯金を崩しながら年金で暮らす。ソーシャルセキュリティで暮らすなら物価指数の低いテキサス州や市などの情報があるので住み替えの参考にできる。

自宅を持っているかどうか、がリタイアの大きなポイントであったと思う。
アメリカの住宅は2000年から比べて現在では3~4倍ほどの価格になっているはず。定石通りに家を売って物価の安い州に引っ越せば、年金が月3000ドルでも夫婦悠々の生活ができるかもしれない。

ローンが終わった家があってもそのまま都市部に住み続けようとするなら、夫婦月3000ドルの年金では生活は難しい。せめて4000ドルは必要。そうでなければパートタイマーで働くか。あるいはBobのように間借り人を置くとか。

老後のための投資は401K は?
アメリカ人の4人に一人は貯蓄がゼロ。
会社を首になったり。
会社は2 Week Noticeを出せば従業員を解雇できる。雇用を守る義務は会社にない。
働く会社自体がつぶれて消滅したり、配偶者が出産や病気で一馬力になったり、、そんなことはいつでも起こるアメリカ社会である。

会社が首尾よくつぶれもせず合併も売却もされず40年同じ会社で働いた、、などとはごくごくまれなケースではないか。波乱万丈のアメリカ社会を生き抜いて、お宝の貯蓄と投資を守り抜いた勝者は一握りかもしれない。
持つ者、持たざる者がはっきり分かれてしまうのがアメリカ

スーパーでも小売店でもアメリカ人高齢者は働いていた。
Marshallなんてレジはジジババがほとんどで、何をするにも遅くて愛想が悪かった。就労への敷居は日本より低いかもしれない。

富裕層は別にして、一般アメリカ庶民も年金が足りなければ節約して老後でも働かねばならない。物価の安い州あるいは国境を越えて引っ越すとか、アジア系なら子供と同居するとか、あれやこれやで何とか工夫して暮らす。

サブプライムからのリセッションでアメリカの中間所得層はかなり力を削がれ、Covid-19のせいでさらに中間層は沈み、アメリカは富裕層と下層に2極化がひどくなっているのではないか。
年金だけで暮らせるアメリカ庶民はたぶん多くないと思う。

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ややこしい虫刺され

今日はおじちゃんを皮膚科クリニックに連れて行った。
毎年私が虫刺されでご厄介になるところである。

3週間ほど前におじちゃんがブヨだか、やぶ蚊に顔を刺された。この人は自分は刺されにくいとタカをくくってネット付き帽子をかぶらない。

刺された場所がややこしくて、顔の“ほくろ”を刺された。さほど大きくはないが茶色くてどちらかというとシミに近いほくろだった。20年ほど前からシミが出てきて私が毎日見ているから間違いない。

そのシミに近かったホクロが刺されてから小豆のようにぷっくり膨れあがり、皮がペロリと剥けてきた。しばらく触らずにいると皮が張るのだが、またかゆくなって掻くと皮がむける。

またややこしいところを刺されたものだ。
人の肌でゴム化しているような角質層の皮膚、例えば手の甲の関節の上だとか、かかとだとか、そんな場所を蚊に刺されると厄介なことになる。

おばちゃんが手の関節の皺の上を蚊に刺されたときは、普通の皮膚と違って塗り薬を縫っても浸透せず、はれ上がって何度も皮がむけた後は黒く膠のように、まるで空手をやっている人の関節のようになってしまった。6年前に刺されたのにいまだに夏になると皮がむける。

おじちゃんの顔のこめかみのシミは、確かにこんなアズキほど膨れ上がってはいなかった。それがかゆいかゆいとうるさくて四六時中触る。見てくれという。こんなに膨れ上がって異常ではないかと聞く。

ほっとけばそのうちかゆみはおさまるだろうけど、皮は剥けるね。気になるならホクロ自体をとってもらうとか。あんまり触るとガン化するかも。ガン化という言葉がおじちゃんの恐怖の引き金を引いたようだ。

皮膚科に行きたい。でも自分ではどう話していいかわからないのでおばちゃんが電話しろという。それが金曜日。

クリニックの受付はどうなさいました?
おばちゃんは、主人がややこしい場所を虫に刺されたので見ていただきたい、というと、
〇X〇ですか?と急に声を潜めて質問してきた。
おばちゃんは低い声を聴きとれず、あ~、はいはい。と適当に返事した。

何時おいでになりますか?というので、
来週の月曜日の早い時間で、と答えると、
そんなにゆっくりでよろしいのですか?と畳み込んでくる。
えぇ?だって顔だし、あれっ?なんか勘違いされていないか?
えぇっと、、、。
すると受け付けはさらに声を潜めて陰・部を刺されたんですよね、月曜日まで待って大丈夫ですか??
ああ、すいません、すいません、ややこしいといっても顔のホクロなんです。

このクリニックは患者の待合室と受付はオープンスペースで壁が一切ない。
だから受付や看護師の問診は待っている患者に丸聞こえな作りなのだ。患者さんに聞かれまいとして声を低くしたんだろうが、低すぎて耳が衰えたおばちゃんには聞こえなかったのよ。

田舎というのは虫刺されが多い。そりゃ自然がいっぱいだから。
洗濯物のパンツにハチが紛れ込んで、ふろ上がりにパンツを穿いたらハチに刺されたとか、バスタオルの中にムカデが紛れ込んで刺されたとか、ネットの書き込みでちょいちょい見かける。
予約ではそんな行き違いがあったのだが、月曜日にはちゃんと診察をしてもらえた。

ドクターは、ホクロじゃなくてこれはイボですよ。かなり荒れてますけど。
いや、刺される前はホクロでこんなに膨らんでなかったですけど。この人はいじりすぎるんでガン化したら困るから、。
おじちゃんの不安を取り除いてあげようとそう説明した。

ドクターは、ガン化はしないでしょうが液体窒素でイボ自体を取りましょうか?と聞いた。
なんという偶然!前の晩、液体窒素でスズメバチを退治する動画を見たばっかりだった。おばちゃんは内心、やった!見てみたいと思った。
お願いしますと即答した。

クリニックの看護師も優秀で、ドクターが液体窒素と言った瞬間にもうもうと煙が立つ容器を診察室に運んできた。手際がいい!

湯沸かしポットほどの大きさの金属製のコンテナからコップになにか少量そそがれた。煙が濃くて液体がよく見えなかった。ドクターは枝の長い綿棒をコップの底に浸すと、何の躊躇も衒いもなく、おじちゃんの顔のホクロに綿棒を押し付けた。じゅっと小さな煙が上がった。再度綿棒を浸して、顔に押し付けること7~8回。
スズメバチ退治ほど劇的ではなかった。

アメリカで知り合いのおばさんがお年でもシミ一つないきれいなお肌だったので、肌がおきれいですねと言ったら、シミは液体窒素で焼いたの。と答えたので、へぇ~どんなふうに焼くんだろう?と長年疑問だったが、実演を見せていただいて満足である。

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ああ、ダイソン

うちには3本のダイソンのスティック掃除機がぶら下がっている。2本がアメリカ製で一本は日本で買ったものだ。変圧器をかませて使っていたUS製ダイソンが、とうとう2本ともバッテリーに限界が来た。

M子ちゃんのダンナは今月 日本出張の予定はあるだろうか?
Amazonで交換バッテリーを買ってM子ちゃん家に送って、彼女の旦那が出張の時にスーツケース手荷物で持ってきてもらう、とか。

前回と同じ手を使ってもいいが、今度は替えバッテリー3つ頼むとかさばるし、Amazonの受け取りも頼まないといけないし、いずれその替えバッテリーも消耗するなぁ。

おう!そうだ。
ダイソンUSAから直接日本に送ってもらえばいいじゃないか?
盲点だった。
早速US DysonでポチろうとするとシッピングはUS内だけである。FAQに海外発送の回答はない。チャットでも海外発送が出てこない。

メールで問い合わせをするとすぐさま回答が返ってきた。えらい早いやないか?
–Our machines are not multi-voltage and we do not recommend using a converter with any of our products.—

東芝のコンピューターなんかインターナショナル・サポートなんだけどなぁ。

ああ、Dyson――なんだか疲れてしまった。
使えば消耗するバッテリー。つけっぱなしの変圧器。

実は、この変圧器も懸念だったりする。
中華製の変圧器をオンラインで購入したら届いた製品は電源ランプがつかなかった、動くんだけど。レビューで星を低くして報告したら、すぐさま販売店からメールが来て別の製品をすぐ送りますからレビューを書き直してくださいと、助詞の使い方が変?な文章だった。

この変圧器は、南海トラフと同じくらいの確率で、いつか火を噴くのではないかとおばちゃんは疑っている。
ヤバイ変圧器と使えば減るダイソンのバッテリー

でも、日本製のダイソンがあるからこれからメインで使えばいいではないか。でも、日本製ダイソンのブラシ付きワーヘッドはUS製より小さいのよ。だからUSダイソンをパワーブラシで、日本製のダイソンを先っちょ外してハンディとして使ってたわけさ。

なんだかUS製を使い続けるのが面倒くさくなって、日本の売れ筋掃除機を検索してみた。するとマキタの掃除機が出てきた。

Makitaあの緑の工具!
世界のDIY憧れの工具!
イギリスの園芸動画でも業者がマキタのトリマーを嬉しそうに使っていた。

Home Depoでは高いマキタにはとても手が出ず、おじちゃんは Black Deckerしか買えなかったのだが、。そうか、マキタが掃除機を作っているのか?それは面白しそうだ。

マキタの売れ行きトップのパッテリー式掃除機の解説を読むとこんな文章が出てきた。

――ヘッドが軽い。回転ブラシをつけておらずわずか140g 空洞ヘッドだから軽い
毛先8ミリ以上のじゅうたんの中のホコリはあきらめると割り切って、先端部は空洞のまま。----

そうか!?きっぱりあきらめたのか!
いさぎよいのぉ。

この文章がとにかくに気に入ってしまいおばちゃんはアマゾンでマキタのカプセル式バッテリー掃除機を買った。予備のバッテリーもすかさず一緒に。

次の日届いたアマゾンの箱は小さかった。
アマゾンの箱を開けるとさらに小さな箱があった。軽すぎる。おもちゃではないか?
箱を開けると、解説文通りにヘッドは毛さえついていなかった。手のひらサイズ。軽~。

うむ~~~~。
これはメインの掃除機にはならない。こんなちっこいヘッドで家中を掃除するのか。
牛刀をもって鶏を割くの反対というか、しゃもじの代わりにスプーンが出てきたというか?

あああぁ、これはアレだな、DIYでノコを引いて木くずが飛んだらちょいちょいと掃除をするための掃除機か、、。

明るい面を見れば、予備バッテリーは満タンにして置き、使用中にパワーが尽きたらバッテリーを入れ替える。充電時間は短い。

ヘッドがちっこいのでカウチの下もテレビ台の下も椅子の下も掃除がしやすい。飛び散った猫砂も気軽に吸う。そのほかマキタ共通バッテリーは同じ充電器で充電できる。10Aなら、。


というわけで、US製のダイソン2本はアマゾンの空箱にいれて仕舞った。テンの病気が完治したらグアムあたりに買い物ツアーにでも行こう。それまでは休眠である。

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●日本の洗濯物はくさい

鬼のかみさん

CTスキャンをとって会計を済ませたら午後2時を回っていた。
病院の駐車場はアスファルトの輻射熱で温室の中を歩いているようだった。

おじちゃんとおばちゃんの前には160センチそこそこの老夫婦が駐車場の同じ方向に向かってゆっくりと歩いていた。足の長いおばちゃんは二人を追い越し、その時に小柄で総銀髪のおじいちゃまが妻に言っている言葉が聞こえた。

「お前はゆっくり歩いてくればいいよ。僕は先に行って車を冷やしておいてあげるから。」

まぁ、なんと麗しい夫婦愛!アンタ聞いた?
おばちゃんは声が聞かれない距離まで来ると、おじちゃんにささやいた。
おじちゃんは、ふんっ!と言った。

わたしの背中が痛いという訴えを主治医は割と真面目にとって、CTスキャンをオーダーした。CTの画像診断は放射線科の医師に読んでもらったそうだ。CT画像には胆管も腎臓にも何も異常なし。
診察室を出ておじちゃんに異常なしだったというと、殴られた子犬のような怯えが目から霧消した。帰りはスーパーに寄っていこうとおじちゃんはしゃいでいた。

おじちゃんは例えば、私の足が不自由になったとしても、多分「先に行って車を準備してあげてるから」とは言わないだろう。先読みをしてテキパキと計画を立てるタイプではないから。暑くても寒くてもとにかく自分より背の高い妻を抱えてゆっくり二人で車に歩くだろう。車についたら、じゃあ運転してね。というかもしれない。

私とおじちゃんが出会ったのは、大学の2年。私が19歳の時だった。まぁ、ずいぶん長い付き合いだ。大学を卒業して半年後に、おじちゃんと結婚すると言ったら親は泣いた。

結婚させるためにお前を大学までやったんではないのに、。
おじちゃんとは身長も育った環境も随分違い、親どころか同級生さえも驚いた。親が何を忖度していたか、友達が何に引いていたのか、そんなことはどうでもよかった。人間の価値は背の高さや学歴や職業で決まるものではない。“職業に貴賎なし”日頃の父の口癖であった。娘はそれを実行しただけだか。
スカーレットのように、私は決めた。私は結婚するのだ。“Merry she would!”

おじちゃんも若かったので、まさか世間知らずの大学生がタケノコの皮を剥ぐようにアマゾン族の戦士まで化けるとは思ってもみなかったに違いない。おばちゃんは自分でも化けた自覚は大いにある。

プライドと夢は高いものの、実現するための地道な努力は大嫌い。
ものぐさで本や酒に逃げ込んで自分の置かれた現実から目を背けるのは得意。実務の才能はゼロ。人付き合い経験値は地を這う。頭を下げるのが嫌いなかたくなで独りよがりな性格。集団になじまない異分子の小娘。それが10代20代のおばちゃんだった。

タケノコは竹に成長するが、私はどう成長するか自覚もないまま脱皮と変体を繰り返してきて60代のバアになった。30代で日本に居たままだったら間違いなくアル中になり結婚も人生も無駄にしていただろう。

おじちゃんと結婚したあと、変わらない自分と日本の社会の閉塞感に窒息しかけていたから、おじちゃんの尻を叩いて日本を脱出した。

この間、山の卓球サークルのバーベキューがあり、そこでなんでまたアメリカに行ったの?と聞かれたので、
日本では窒息しそうだったので、ダンナの尻を叩いてアメリカに連れてった。と答えたら、
間髪入れず、「それはご主人がかわいそう」と声が飛んだ。
そうなのか?!
おじちゃんはかわいそうな子だったのか?

アンタは私と結婚しなかったらアメリカに行くことはなかったね。と言うと素直に「うん」と言い、アメリカ生活も日本では絶対できなかったことを経験してきたから満足に思っているようだった。

アメリカの社会は自由に呼吸できた。その代わり未来は全く見えなかった。
未来は自分で切り開いて作るしかなかった。政治経済には全く興味がなかったのに、生きていくためにはファイナンスやビジネス・マネージメントを学ぶしかなかった。アメリカの社会でみじめに野垂れ死にたくないと思えば、自分を変えて戦うしかない。

かっと目を見開いてチャンスが漂ってくれば掴む。
ワラでも小枝でもつかんで自分の巣を作ってゆくのだ。理想の巣を作るためには戦うのは必須だった。

平成が終わるころ日本に帰国して人生の第四コーナーが始まった。
日本に帰ろうか?と言ったらおじちゃんは「うん」と言ったからだ。

年金を請求するまで山でバイトをした。コロナが拡大していくさなかで、おじちゃんのバイトの事業所は素早く廃業解散を決めた。オーナーが中国人だったのでやはり決断が速いと感心したものだった。中国人とアメリカ人は同じくらいビジネスの見極めが早い。

おばちゃんは下手に動いてもいいことは何もなさそうだと判断して、日夜ネットで政府の支援策やコロナの給付政策をチェックしていた。
おばちゃんたちが使えそうな支援策は申請した。
山で親しくしていた人も仕事がなくなり萎れてきて愚痴をこぼすことが多くなったから政府の支援策を教えて応援した。

現役時代は大企業の総合職で優秀な人だったらしい。細腕一本で山に自分の家を建て、都会の駅近マンションは貸し出しているはず。自分と同じ匂いがする。戦ってきた来た人だと直感して親近感を覚えた人だったのさ。様々なメディアで政府のコロナ支援策が発表されているのに、それも日本語で、なぜ情報が取れないのだろうと不思議だった。

その彼女とこの間お茶をしたら、おばちゃんを評して「肉食系」と、、。思わず口が滑ったようだ。


言いたいことはわかる。
おばちゃんは誰かを狙って食いついたわけではない。上昇するために誰かを蹴倒したこともない。

自分の家族と猫を守る時には(誰かを傷つけるのではなくて)条件があれば、条件を合わせて、利用できる制度があれば利用する。それだけだ。
傍から見ればぬるい湯につかって愚痴をこぼしあう中で、欲しいものをぐいぐい切り取っていくおばちゃんの行動力が肉食系と映るのかもしれない。

自分を憐れんで愚痴を言って泣いている暇があったら、自分たちを生かせる方法を探す。それが平成の間アメリカ社会で学んだことだと思う。

山のサークルの爺様あたりからは、ひそかに鬼嫁と呼ばれているかもしれない
うっせいわ。

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テン・ジュニア FIP闘病記8

獣医は3日前の血液検査の結果をひらひらさせて、
「何もないんですがねぇ。」と思い切り悪く言った。
しかし診察テーブルで計ったテンの体重は3キロ。
投薬終了宣言をしてからわずか7日で200g落ちた。
3200gしかなかったテンにとって200gの体重は大変なロスだ。しかも熱は39度5分ある。
「待合室でずいぶん待たせましたからぁ」と言い訳がましく獣医が言ったが、猛暑の外と違って待合室はキンキンに冷えていた。

諦めが悪い。
獣医は初めてのFIPの治療は見事成功!と夢にしがみつきたかったらしかった。ここで見切り発車してもねぇと、まだ名残惜しそうだ。

そこでおばちゃんは、確かに見切り発車かもしれないが、いま薬を再開しないとさらに症状は右肩下がりになって治療は難しくなる。テンは死ぬと思います。見切り発車でいいので今投薬を再開してください。投薬をしても害はないじゃないですか?

「ですかねぇ。
それでは16mgで薬を3日分出します。3日後にまた診察をいれて様子を見ましょう。」

その晩からウイルス薬を再開し、獣医から勧められた高栄養食をテンに与えた。Hills のadとういう栄養食は犬猫兼用で、小さなお試しサイズが無かった。幸いテンの好きなチキンフレーバーだったので普通食に追加して2日で1缶を食べさせた。3日目の診察では50gだけだが体重が増え熱は38.5分に下がった。

やっぱり。
虚弱で体力のないテンは体力をつけ薬の効果をブーストする必要があったのだ。
次の診察では薬の容量を18mg/体重に上げることにした。5日分の処方だ。
4日目に体重は3100gに戻ったので、次の週の処方量は20㎎で1週間分。
Adの栄養食とウイルス薬のおかげでテンはまた活発になり、毎晩紫音と運動会を繰り広げるようになった。薬が20㎎に増えてから2日目には体重が3300gに到達した。

テンの父はクリーム・タビーの大きなボスで、母はオカメ・タビーの胴の長い毛並みのつやつやした子だった。テンは発育不良でFIPを発症したが、遺伝子的には小柄な猫ではないのだ。

テンの体長は9か月で紫音とほぼ同じ、ただ、背骨と肋骨が浮いて見えるやせた体だった。高栄養食を食べさせ紫音と遊んで運動をして、投薬を再開してから2週間。体重はついに3400gを超えた。

うれしい。
薬はウイルスを抑えているようだ。
FIPを抑え込んで駆逐してウイルスから逃げ切るためには体重4キロを目指そう。しっかり発達した筋肉と脂肪を蓄えた基礎体力のある猫に育てればきっとFIPから逃げ切れる。

9・19 今日は再診で、体重を確認した獣医は驚いた。
FIP の猫は子猫が多くて3キロ後半を超えるような子はほとんどいないのだという。
FIP症例では体重3.8キロがモルヌピラビルの処方上限体重として載っているらしく、それ以上の体重のFIPの子を想定していないみたいだった。

FIPの発症が子猫に多くて、またFIPは発育不良を誘発するのでそもそも大きな猫に育ちにくいという理屈があるのではあったが、。

私としては症例にかかわらず、療養食とケアでテンを4キロ半に育てるのも夢ではないと思う。大きくして見せる。FIPを克服して丈夫な男の子に育てるのだ。

体重が増加するにつれて薬の処方量gと薬の料金が上がっていく。
今日でペット保険の使用上限に達した。来週から自費になる。

体重が4キロを超えると多分一日の薬代+高栄養食で4500円以上なる。2週間ごとの血液検査も簡易検査と精密検査では倍の違いがある。

ワッハッハ。
おじちゃんとおばちゃんのバイト代を足しても半月分に追っつかない。幸い為替はここ最近147円台に張り付いているので誠にありがたい。
年内はこのレートでいっていただきたいものだ。

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FIPは甘くなかった。

これで84日、12週が終わりました。治療完了ですねと、獣医が宣言したのが先週の月曜日だった。
天が薬を吐いた時用に予備でもらっておいたウイルス剤がまだ2日分残っており、何せ高い薬を捨ててしまうわけにもいかず、獣医が言うには2日分くらい飲ませても差し支えはないだろうというので水曜日の夜まで飲ませた。

これで本当におしまいなのか、何か気が抜けるような気がしたが子猫に返ったテンは「アン、アン」と上機嫌で鳴きながら紫音と走り回っていた。

木曜日も本当に治療はこれで終わったのか、テンのはしゃぐ姿をずっと目で追っていた。
金曜日は運動会のあとスイッチが切れるのが早く、土曜日の夜はお気に入りの場所の猫タンスの上に飛び乗ろうとして右後ろ脚が滑ってよろけた。

日曜日は昼寝が長く、夕方も昼寝してご飯を食べるときは起き上がるが、座っている後ろ右足がかすかにふるえていた。体重は3.1Kに減った。寝ているテンの頭に手をやると熱いようだ。寝てばっかりいて一緒に遊ばないテンに不満な紫苑が、人間に向かって遊べとヒステリーを起こす。FIPが発覚する前の5月と同じ状況がよみがえってきた。

次の月曜日に診察。
熱があるかもしれないこと。体重が減ったこと。昼寝が増えたこと。元気がないこと。足が震えること。獣医に説明してもう一度血液検査をしてもらった。総蛋白とアルブミンのバランスがわずかだが下がっていた。

獣医はこの数値の下がり方ではまだ再発とも言えません。さらに血液検査を外注の精密検査に回してもらう。投薬が終わったのはわずか5日前だ。数字に出てくるだけの違いはないかもしれない。
獣医が再発と考えたくない気持ちはわかる。

私は再発ではないと思う。これは再発ではなくてFIPウイルスを完全にたたききれなかった完治していない状態なのだろうと思う。完治してはいなかった。

考えてみれば、テンは2か月の時に600グラム足らずでうちにひき取ってきた。手だけに真菌があるというブリーダーの説明とは裏腹に体中に真菌にまみれていた。獣医の診断では発育不良で無事に育つかは半々と言われた子。

おじちゃんと二人がかりで薬を塗り毎日マットを消毒して4月でやっと2キロを超えた。隔離を解いて紫音とやっと遊べるようになったテンは標準体重の子猫にはとても追いついていなかった。5月には寝るのが多くなり膀胱炎になりそのあと高い熱を出した。
この子は健康で体力がある時期がほとんどなかったのだ。

FIPの診断が出た後、発覚が割と早かったし若いから治療のチャンスがあることに賭けた。
モルヌピラビルは効いた。ただ、FIPも甘くなかったのだ

猫の死病FIPは食欲不振、貧血、嘔吐、神経症状、発熱、臓器の炎症、腹水などと様々な症状となって現れる。腫瘍を切除して寛解というわけにいかない病気なのだ。ウイルスが神経あるいは臓器のどこかに潜伏していても現在でも検査の方法がない。テンのように腹水がたまらないドライタイプでは臓器の所見も異常がなければ判断が難しいのだろう。
FIPはそれだけ一筋縄ではいかないとらえどころのない病気だ。

念のためにエコーを取ったのだがやはりエコーでは異常が見当たらなかった。テンの神経症状が一番ひどく表れているのは右後ろ脚である。再び現れた右足の弱りはウイルス以外では考えられない。

私の思うに薬を再投与しなければテンは助からないだろう。
投薬再開に一番のリスクは肝臓障害。渡された血液検査の結果には肝臓数値は平常値より若干高い74で「H」がついていた。
この肝臓の限界数値はどのくらいイケますか?と質問すると、猫の場合は意外と耐えられて200くらいでも平気です。と。

神経系統に巣くっているウイルスを撲滅するために、もっと効果的なウイルス薬の投薬方法として注射や点滴はないだろうかと聞くと、人間コロナ用のレムデシベルはあるという。ただ、人間用で入手が困難だし恐ろしく高価につくだろうと。

獣医は投薬を再開とは言わず、もう少し様子を見させてくださいというのでさらに4日後に診察の予約を取った。

毎日、テンの昼寝時間は長くなってきた。
お気に入りの猫タンスにはもう登る気配を見せない。ソファには踏み台を上がってやっと登る。詩音との運動会は発作的に起きるが、ジャンプはしない。後ろ脚が踏み切れないからだ。食欲はあるが、体重は3キロに落ちた。

発育不良で体力のないテンがFIPを打ち負かすにはウイルス薬のほかに何かいる。薬の効果をブーストする体力とエネルギーの塊の何かがいると思う。高栄養の療養食とかビタミンやサプリ。テンの体力を強化する何かがいる。

明日獣医に聞いてみよう。

After Life

今年の庭はもうダメだ。
日照りが続きすぎた後に台風の影響で土砂降り。
どっぷり湿った後にまたカンカン照りでお花の根っこも葉っぱも茹でられてしまったようだ。
あまりにも蒸し暑い。庭に出るのが嫌になってしまってリビングに籠っている。

おじちゃんは雑草が伸びすぎたお向かいの庭が気になって、涼しい午前中に草刈をしてた。順子さんはもう来れないから。ほっておくと順子さんの大事なお庭がジャングルになってしまう。

“こんにちわ、うふふ、ミキさんお元気?”張りのある声ももう聴けないのだ。
ウチのみょうがは出たかしら?インパチェンスはもう咲いた?

みょうがは順子さんがお出でになれないうちに花が咲いちゃいましたよ。インパチェンスはトレニアに負けて出てこないですね。それより婿どののブルーベリーは3本もカミキリムシにやられてしまいました。それから、順子さんが教えてくれたタヌキですけど、。

お隣の敷地の草むらに巣があると順子さんが言っていたタヌキ。
あのタヌキがうちの床下でケンカしたみたいですよ。ネコのような犬のような悲鳴が夜中に床下から聞こえて、うちの猫たちはおびえてしまったんですが、次の日におじちゃんが頭を怪我したタヌキがお隣の敷地からヒョコヒョコとウチの敷地の端を登っていくのを見たんですって。次の日には、順子さんのおうちの玄関近くで、子タヌキが一匹キャアキャアお母さんを呼んでましたって。きっと順子さんが見てたタヌキの子孫ですよ。

それから2~3日後に、私もその子タヌキを見ました。
おじちゃんが急にオフィスから私をオイデしたので何かと思ったら、窓の下を指さすので、下を覗くと猫ほどの子タヌキが用水路のコンクリートの土手をとコトコト登ってきて上流に消えていきました。婿どののブルーベリーやおばちゃんの好きなキンカンを食べて育ってきたのかも。お母さんは怪我で死んじゃったかもしれませんが、タヌキの一家は綿々と生き延びていたんですね。

ところで、お庭の北側の斜面はどうすんですか?
不動産屋のKさんに階段をつけて段々の庭にするって言ったから、Kさんが適当に斜面をけずっちゃって土留もしてないから雨のたびに崩れますよ。斜面の一番下にクチナシを2本植えたでしょ?アレ、雑草と雑木に埋もれちゃいましたから。表の庭の芝生は芝より雑草が多くなっちゃいましたよ。ホントに斜面どうしたらいいんですか?それとクリスマスに山のレストランでコーラスをやりたいって言ってたでしょ。
まだやることがいっぱいあるのに、順子さん。聞いてます?

手術後1年

胆嚢がん 手術後1年4か月

胆嚢がん 1年4カ月 

テンの治療も終わりが見えてきた。
おばちゃんは、おなかが痛い。
3週間ほど前から、背中と右わき腹が痛い。微熱と下痢。
なんだろう?胆管炎だろうか?9月の検査まで待つのをやめて予約の前倒しをした。

おじちゃんにちょっと調子が悪いから明日は病院に行くと言うと、殴られた子犬のような眼をして黙ってテレビを見ていたが、しばらくすると眠ってしまった。

次の日、病院はお盆の直後で台風がやっと通過したばかりだったから患者が待っていた割には血液検査とCTは早めに済んだ。

血液検査の結果は、炎症はなし、CA-19 は6月より上がっているが正常値。CEAも正常値。内臓に怪しい影はない。背中が痛むのでと言うと主治医は背中を触診して、どこかで捻りましたか?と聞く。

胆管炎の可能性は?と聞くと、胆管炎は高熱が出ますが痛みはないと言う。
おばちゃんは何だろう?もしかしてアレかな?

バイトは立ち仕事だったからぎっくり腰予防に腰痛ベルトをしている。日本に帰国してきてから新しい腰痛ベルトを買ったのだが、その時たまたま商品のMサイズが売り切れていて、SとLしか残っていなかったので、Sサイズを買った。ちょっと短かった。

悔しいのでおばちゃんはふんっと息を吐いてからベルトを締めて仕事をしていたのだが、もしかしてそれが悪かったのだろうか?

見栄をはってSサイズのベルトをきつく締めたのが肝臓に悪かったですかね?と
タヌキ主治医に言うと、
いや、そういうことで痛むことはないですよ。
主治医はケケケと笑った。重くなりがちな診察室の空気を少し明るくしてあげた。

遺伝子パネル検査は結局この病院でできるのかどうか。`6月に主治医は調べると言っていたのに、宿題をしていなかったようである。もう一度調べてみると言った。

おばちゃんも調べものついでに、病院のウエブをチェックしたら胆のうガン患者数が掲載されていた。ここの消化器外科では年間十人だそうだ。意外と少ない。

おばちゃんが貴重な患者のデーターを増やして差し上げるから、主治医に少し興味を持ってもらえるといいのだが。


手術前の診察では、胆のうガン患者の術後の成績はどうなっていますかと質問をしたのだ。その時の主治医の返事は、「手術と外来で手一杯。患者の予後までとても追っかけて記録していられないのでわかりません。」とぬかした。

年間たった10人の胆のうガン患者の予後など記録をとるまでもあるまいが、。どうせ半々だから余計なことは言うまいとしたのだろう。ホント、大事なことは何も言わぬ主治医だ。

とりあえず痛みからくる不安はなくなったので、おじちゃんとスーパーに寄って帰ることにした。テンの投薬は来週が最後なので、終わった後はどこかに出かけたい。次の朝も暑かったが、おじちゃんとどこへ出かけるか考えていると、玄関のベルが鳴った。

ベルが鳴るのは宅急便くらいだが近頃何も買っていない。おじちゃんが玄関に出ると、家を買った時の不動産やさんKさんが居た。

Kさんが運んできたのは訃報だった。
お向かいの中野のおばちゃんが亡くなって明日告別式だと、、、?!

おばちゃんは中野の本宅を耐震構造に改築中で、山の家にそろそろ来るはずだった、台風も通過したことだし。おばちゃんは82歳だったけど、音大の声楽科で鍛えた声は語尾までよく通り朗らかで、死の影なんかどこにもなかった。
先月は心臓の動脈が細くなっていて動くと息が切れると自分では言っていたが、何せ声に張りがあるのでおしゃべりをしているといつも年齢を忘れるのだった。

おばちゃんが主催しているコーラスの生徒さんは、おばちゃんより年齢が上の人も多くて、本人はいつまでも生きるつもりだった。来月に心臓のステント手術の予定だと言っていたし、何しろ長生きするつもりだから、自宅の耐震工事もやっていたのだ。

山の家にやってきて、庭仕事が一段落すると、静岡のおいしいお茶とおばちゃんのお土産の東京の銘菓をいただきながら、おじちゃんが帰ってこいと電話があるまでおしゃべりを楽しんでいたのに。

中野のおばちゃんが居なくなったら、わたしは、誰とおしゃべりをしたらいいのか?
赤いおそろいの長靴を履いて、宿根草の手入れをするはずだったのに。
困るわ、順子さん。

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