ニャーにゃん

日本から連れていった猫は完全室内猫で日本の地面を歩いたことがなかった。おばちゃんたちの都合で、よその国に連れていってニャーにゃんに何かあったらどうしようかと心配したが、最初の1年を過ぎると年中温暖な気候で冬毛も生えなくなって、リビングの窓から緑の芝生を日がな眺めて穏やかに毎日過ごしていておばちゃんも幸せだった。

試しに首輪にリースをつけて芝生に出してみると、へっぴり腰でヘタって歩けないのだった。
抱き上げてほ~ら鳥さんだね。ブタさんが散歩してるね(ちょうどミニブタのブームだった)
芝生の前庭には街路樹があって、その一本は根元から緩やかに横に張り出していて、人間でも猫でも登ってくれと言っているようだった。

ニャーにゃんも抱かれて外に出るのが慣れたころ街路樹の枝にニャーにゃんを乗せてみた。
爪を立てて身をすくめていたが、危険がないと分かると静かに通りを眺めていた。

たまに通行人がニャーにゃんに気が付いてそれはなんていう動物?と聞くのがおもしろかった。
猫だよ。
ニャーにゃん7Kgもある白キジの男の子だった。90年代の初めに、ペットの猫を外国に連れていくなんておかしな人はあまりいなくて、猫の移住の資料はほとんどなかった。

飛行機会社は料金を払えばチケットはとれた。アメリカの検疫が心配だったので、LAXの検疫に電話
をかけてもらったが、日本で得られる情報以上の詳細は分からなかった。

かかりつけの獣医さんと相談して、うてる予防注射は全部うった。生まれてからのカルテを全部英訳してもらった。100%室内猫を移動中に怯えさせないように、2日ほど預けてニャーにゃんにあう安定剤を選んでもらった。後はニャーにゃんに耐えてもらうしかない。

おばちゃん、飛行中は息子のニャ―にゃんが無事かどうか心配で喉がカラカラだった。LAXのラッゲジクレームで水色のキャリアーを確認したときは、キャリアーに抱きついてオイオイ泣きそうになった。Jalのスカーフをしたスチワーデスのお姉さんたちが、心配して寄ってきたほどだった。

アパートに辿り着くと、ニャーにゃんはベッドの下に滑り込み1週間出てこなかった。
水とご飯はベッドの下に差し入れた。当時 使い捨ての砂はまだなくて、トイレはなかなか面倒だったから、おばちゃんが人間トイレでできるように訓練した。おっきい方は愛用のバスケットで出来る。代々の猫で一番賢い子だった。3歳だった。

ニャーにゃんは日本生まれの日本育ちだったから、和食しか食べなかった。魚味のカリカリ、おかか、煮干し、かまぼこ。おやつは焼きのりとオカキ(醤油味で海苔付きだとなお可)

アメリカの常識だと、猫は家禽類をたべるもの。猫缶はチキンかターキーが主流。
魚味の猫缶は少数で、ニャーにゃんはマグロとかサケは見向きもしなかった。
缶を開けると、見るからに鮮度が悪そう。人間も肉食の国だから、魚の猫缶のクオリティは
日本とダンチでおいしくなかった。日本育ちのグルメが飛びつくわけがないよね。

引っ越し荷物に入れた日本のカリカリが尽きる前に、ニャ―にゃんが食べられるカリカリをとっかえひっかえ買ってみた。お試しサイズがあったので、それは助かった。不満でもミックス味は食べると分かったから、主食が決まって一安心。

ニャーにゃんはお食事マナーもキレイであった。おばちゃんが、テーブルには絶対乗らないように、自分のお席(厚めのクッションを引いて)に座って食べるようにしつけた。
テーブルマットに主食と副食2を乗せて今日はどれを召し上がる?これ?これ?これか~?
と3つの皿を順々に指すと、ニャーにゃんはこれ~!と一つの皿を指さすので、おばちゃんか、おじちゃんが手のひらに載せてニャ―にゃんに召し上がっていただくのである。

ただ、焼きのりが食卓にある場合は別。ニャ―にゃんの目を盗んでこっそり食べるか、
ニャ―にゃんに一枚あげて彼が召し上がっている間におじちゃんとおばちゃんが大急ぎで食べるのであった。そうでないと、テーブルに乗り出してくるから。

おじちゃんが仕事で同僚に”ウチは海苔も食べられないんだよ、。”と愚痴をこぼすと、おじちゃん家は海苔も買えない貧乏と思われた。

海岸線が長いくせにアメリカの魚はだめだが、海老・カニは意外と安い。特にチャイニーズ・スーパーに行くと水槽があって、活けのロブスターもいた。一匹7~8ドルだったと思う。誕生日だったかな、
おばちゃんはきばって一匹ロブスターを買ってきた。シンクに置いた紙袋の中でガサガサ音がする。
ニャーにゃんは警戒心まるだしで、恐る恐るキッチンに入ってきた。

おばちゃんはいたずらっ気をだして、動いているロブスターの胴体を持つとほらっ!とニャーにゃんに見せた。

その瞬間、ニャ―にゃんのしっぽは最大に膨らみ恐怖のあまりキャッと40センチほどジャンプしたのであった。そして盛大にちびった。

生まれて初めての粗相であったから、ごめんよぉ、とおばちゃんは掃除した。

もう、お母ちゃんが悪かった。ニャーにゃんに謝り倒したのだが、このトラウマは終生残ってしまったのだった。どういう風にと言うと、気に入らないことがあるとか、気に入らないことがあったとか、おしっこを掛けるようになってしまった。

おばちゃん、西海岸で一番という獣医さんにかかっていたからニャ―にゃんを連れてカウンセリングに行ったのであった。
獣医のTomは西海岸で最初に猫だけのクリニックを開いた伝説の人でクリニックの中には、クリニックの飼い猫なんだか長期入院の猫だかわからない猫が自由にのったり徘徊していた。

ニャーにゃんは診察テーブルに乗って、トムが手を伸ばした途端聞いたこともないほど、ぐるんごろん喉を鳴らして
自分から体をすりつけていった。お母ちゃん以外にこんなになついたことがないのに!

トムは猫たらしだった。
多分、猫にまみれているせいで猫の匂いが染みついているのだわ。カールした灰色の髪に深く落ち着いた声でゆっくりしゃべる。
「去勢手術をしても、10匹に1匹くらい雄の本能が蘇るケースがあります。」
トムは静かな声で、いつも致命的な宣言をするのだった。生きたロブスターを見せて以来、おしっこスプレーをするように
なってしまったニャ―にゃん。蘇るって、えっ、どうなんの?

トムはうっすらと微笑みながら安定剤を処方してくれた。クリニックのそばの人間用の処方箋薬局ではニャ―にゃん用のちっちゃなハート型をした安定剤をくれた。
こ~んなちっちゃな錠剤見たことがない。
ところでなんの薬だろう?
ボトルにはヴァリューム(Valium)と書いてあった。
ひぇ~、あの人間用のヴァリューム?!
かの有名なヴァリューム!誰もがご厄介になると言うヴァリューム、うつ病の!

ちっちゃなハート型の錠剤をニャ―にゃんに飲ませると、ニャ―にゃんはぬいぐるみになってしまった。
日がなソファーの背に箱ずわりして目を半眼にしたまま動かなくなった。
英語の家庭教師のスージーに話すと、スージーはひっくり返って笑った。猫にヴァリューム!

トムはそもそもスージーから紹介されたんである。人間に効くからもちろん猫に効くのよ。それでおばちゃんは、ニャ―にゃんのお薬を一錠試してみることにした。

効き目はものすごかった。!眠くてしょうがない、とろとろズルズル。な~んかだるくて何もする気になれない。
気が付くとうたた寝していて2日ぐらい役に立たなかったのであった。ニャ―にゃんは7キロあったが、1錠で人間も寝てしまう安定剤は合わないのではないか?

おばちゃんは、ニャ―にゃんにスプレーを止めてほしかったので、ぬいぐるみが欲しいわけではなかったおばちゃんはトムに再びアポイントメントを取ったのだった。獣医のトムの声は静かで深~くて、ニャ―にゃんだけでなくおばちゃんもごろにゃ~んとなつきたくなるほど安心する響きだった。

おば:人間用のヴァリュームで大丈夫なんですか?
トム:猫には違った効き方をするんだよ。
ヴァリュームの他の薬を試してみようか。

次の薬もやっぱり人間用の安定剤だったが、ニャ―にゃんはぬいぐるみから解凍された。動く猫のゾンビくらいになった。

三白眼でゆるく歩きカリカリを食べ、宙をにらんで放心していたと思うと、むっくり起き上がってトイレに行った。帰ってくるとごろんとリビングに寝転んだ。おばちゃんはリビングのコヒーテーブルで宿題をやりながらニャ―にゃんを見守っていた。

おばちゃんはトイレに行こうと、よっこらしょと立ち上がり膝をコーヒーテーブルにぶつけた。その瞬間カタンと小さな音がした。

トイレから帰ってくると、ニャ―にゃんはコーヒーテーブルの影にかがんで「カリカリカリ」と何かを食べていた。
おばちゃんの人生のなかで3番目くらいに怖ろしい音だった。コーヒーテーブルから安定剤の瓶が落ちており、
ふたが開いてこぼれた錠剤をニャ―にゃんは無関心にただポリポリと噛んでいた。

おばちゃんはひぃと悲鳴をあげトムのクリニックにエマージェンシーだからこれからすぐ猫を連れていきますと叫んだ。
トムは最初信じなかった。
でもおばちゃんが、ニャ―にゃんがぼりぼり食べていたんです。ホントです。というと処置室に連れていった。後で電話をするから待てと。

夕方トムから電話があり、
胃洗浄をしたら、思ったよりたくさんの錠剤が出てきてどれだけ吸収されたか分からないので、
今夜はクリニックで様子を見ると言われた。どうしよう。おばちゃんは胸が潰れそうだった。

たった一人の息子なのに。眠れぬ夜をすごして、翌日の昼過ぎクリニックから
迎えに来ていいよと電話があった。

ニャ―にゃんはよだれをたらしていてトロンとしていた。トムが胃洗浄をしたときに、歯が一本折れてしまった。でも、いまは安定しているから連れて帰っていいよ。トムの大きな白い手の甲には生々し血のにじんだ切り傷があった。

ニャ―にゃんはアディクトになってたんでしょうか?自発的にポリポリ食べてたんですよ?
トムは、動物はアディクトになりませんね。
自発的に薬物を取らないので、。
そうかなぁ?

おばちゃんはこの日以来、ニャ―にゃんのスプレーを直すことは諦めた。ニャ―にゃんは顔が三角で耳と目が大きな美猫で今までで一番賢い息子だから。猫生に一つくらい傷があるものよ。と腹をくくった。もとはと言えば、おばちゃんがロブスターを見せたせいだし。

ニャ―にゃんのスプレー場所はソファだった。おばちゃんが一番長くいる場所なので、何か不満があると
やってきて読んでいる本から顔をあげないと、ソファの横に行って、しっぽを上げる。おばちゃんが気が付いてニャ―にゃん、何がしたいの?ご飯?遊ぶの?

おばちゃんが気付いてくれないと、立てたしっぽをプルプルと振ると同時におしっこを掛ける。雄猫のおしっこというのはたまらんほど臭い。

布張りのソファの生地を石鹸と漂白剤で洗い、猫用の洗剤とスプレーで洗い、いくら洗っても、また同じ場所に掛けるので
ソファはとうとう穴が開いてしまった。布はやわだからダメだわ。引っ越しの時にソファは捨てて、革のカウチを買った。

日本にいるときは、あまり鳴きもしない静かな子だったのに、スプレーをし始めてから、本来の利かん気が花咲いたのか、
ニャーにゃんは不満があると、大きな声で鳴くようになった。おばちゃんが何かに気を取られていると、その近くで不満をぶつける。
ソファーにスプレーし、キッチンの柱にスプレーし、プリンターにスプレーした。

健康診断でニャ―にゃんをクリニックに連れていってトムに愚痴を言うのだったが、そばの看護婦がスプレー掛けは一生治らないから、普通に飼うのは無理よ、、ね。

聞こえるか聞こえないかぐらいで言った。彼女の口ぶりの百分の1くらいに、眠らせるしかないかも。という響きが含まれているのを、まぎれもなく聞き取った。
ふん、アメリカ人は問題があるペットを眠らせることがあるから。
おばちゃんはニャ―にゃんがおしっこ掛けをするからと言って、見放したりしない!ふん!

しかし、ニャ―にゃんはシッポをフルフルするだけで、おばちゃんが慌てて駆けつけてなんでもしてくれるのを学習してずんずん増長していった。革のソファもやっぱり被害にあり、ただ掃除はまだ楽だった。
キッチンの柱は洗剤であまりにも洗うので、ペイントが落ちてしまった。

このアパートから引っ越すときに、臭いはどうしても取れず、清掃代としてなんぼか支払わねばならなかったのだ。
アパートのマネージャーは事務的に処理したが、
引っ越し屋さんはそうではなかった。

前のアパートから今のアパートへ引っ越すときに、一番近い運送屋さんを頼んだのだが、偶然にまた同じ引っ越しクルーに当たった。クルーのチーフはまだ若い金髪の男だったが、革のソファを肩に担いでトラックに積んだ後部屋に戻ってきた。

カンカンに怒っていた。
アンタ、あのソファに猫のおしっこがついてたぞ。俺は猫のシッコを顔に付けるために、引っ越し屋をやってるんじゃねぇ!
とおばちゃんにすごんだ。

ソファは掃除してあったはずだけど、革に染みこんだ臭いはやはり落ちなかった。
おばちゃんはしまったぁ!と思ったのだが、ここで金髪男にヘソを曲げられると引っ越しができない。

本当にごめんなさい。
ウチの猫がきっと引っ越しでナーバスになっていて、知らない間に、おしっこを掛けたのかもしれない。
貴方の顔につくとは私も全く知らなかった。これで、クリーニングをしてください。と20ドル札をお兄ちゃんの胸ポケットに押し込んだのであった。

手下の小柄なメキシカンがボスは、月曜日が嫌いなんだ。月曜日はいつも機嫌が悪いんだよ。ネバーマインドと慰めてくれた。

ニャ―にゃんは日本にいた時から完全室内猫だったから他の猫を見た経験がなかった。カリフォルニアの最初のアパートは1階だったので、リビングからでもベッドルームからでも外が見えた。窓から街路樹を走るリスや芝生を食べるウサギや
鳥が飛んでいくのは映画のように楽しかったのだろう。

日がな眺めているのはいいのだが、困るのは偶に近所の飼い猫が窓の外を横切っていくことだった。途端にシャーっと尾を膨らませ、ついでにスプレーもするのだった。おばちゃん、段ボールをばらして30センチくらいの幅に切り、外が見えるすべての窓にガムテープで止めた。

そのころ二階に引っ越してきた中国人は時間を全く無視して、夜の11時に掃除機を掛けたりカンカン中華鍋を振って料理をし始めるので、おばちゃんはイライラしていた。管理オフィスにどうにかしてくれと文句を言うと、掃除・洗濯・料理などの生活に必要な活動は住人に権利があって制限をすることができないと教えられた。

夜の10時過ぎにパーティー・音楽などがうるさければ、隣人は警察にリポートする権利はあるそう。まぁ、子どもいるような人は、迷惑を掛けないように一階に、頭上がうるさいのが嫌な人は、上の階がいいわよ。ウチの他のアパートで上の階が開いているところがあれば引っ越せるから。

おばちゃんは3ブロック先に3階建ての3階の部屋を見つけ引っ越した。ニャ―にゃんは他の猫に神経質になることはなくなった。

3階でエレベーターはなかったけど、築浅で広いし小奇麗だし、玄関にゴミ袋を出しておけばアパートの管理が持って行ってくれるし、クリーニングが必要な服をビニール袋に入れドアノブにぶら下げておくと、クリーニング屋さんに出してくれる。高かったが、。

ちっちゃなデッキがリビング側に付いていて、おじちゃんがプランターに花唐辛子を植えた。なかなかにぎやかな色でかわいらしかったが、どういうわけか、鳩が巣を作った。

日本よりず~っと小柄な鳩のつがいが、ぷーぽぷーぽと鳴き、ニャ―にゃんが見守って麗しい愛の家族が実現したのだった。つがいはタマゴを3つ産んで温めある晩気付くとヒナに孵っていた。

んま~、おじちゃんもおばちゃんもメルヘン気分になって、ヒナが順調に育っていくのが楽しみだった。
一緒のお家で育つからみんな家族!と思っていたのは人間だけで、ある晩帰ってくるとドア閉め忘れたデッキに鳩の巣が散らばっていた。ヒナは一羽デッキの上で死んでいた。もう二匹はどうした?おじちゃんとおばちゃんは一階の垣根に落ちたかも、。パニックになりながら探したけれど、ヒナも見つからず、親鳩は二度と戻ってこなかった。

ニャ―にゃんは大慌てしている私たちを横目でちらっと見ながら毛づくろいをしていた。おじちゃんが、ニャ―にゃんがやったんでしょ。可愛かったのに、。ニャ―にゃん、ここは3階だからプランターに飛びついて落ちたらどうするの?
ヒナさん死んじゃったから、ニャ―にゃんも死んじゃうよ。

アパートは2年ごとの契約更新で随分高くなってきたのでおばちゃんは家を買う決心をした。外が見えるリビングが1階じゃなくて、ニャ―にゃんが落ちるような危険がない家。そんな家あるのかしら。
あったのである。

おばちゃん カリフォルニアで家を買う暑くも寒くもない10月の休みの日、風がないのでおじちゃんと
家のそばの公園でバドミントンをして遊んでいた。帰ってくるとニャ―にゃんはオイラも遊んでくれよ、
とふくらはぎに体をぶつけてきた。ニャ―にゃんのお気に入りの黄色い猫じゃらしで

いつものように”遮蔽物からこんにちは、パタパタはどっちだ”を遊んでいると、ニャ―にゃんの息がだんだん上がってきて、突然向こう向きに倒れた。

お腹は呼吸で上下しているので、ニャ―にゃんどうしたの?と正面に回ると、ニャ―にゃんは半眼で泡を吹いてた。
クリニックのトムに電話を掛けると、その状態なら提携しているクリティカル治療のエマージェンシーに
直接行ってくれと言われて始めてニャ―にゃんをアニマル・エマージェンシーに連れていった。

診察が終わるのを待っていると、ナースが現れてニャ―にゃんは心臓に原因があって一晩心電図を取らないと
正確な診断ができないこと、料金は$900ドルだがやるかどうか聞かれた。無論やる。

おばちゃんたちは暗澹と家に帰った。次の日ニャーにゃんをピックアップすると、検査結果と診断はトムに送ってあるから、詳しい話はトムから聞いてくれと言うことだった。

ニャーにゃんは拡張型心筋症だった。心臓移植ができれば助かるかもしれないが、とトムが言った。原因は何ですか?
タウリンが不足すると発症する場合があります、。ではタウリンを処方してください。
発症してしまった後に、どれほどの効果があるかでもおばちゃんは一縷の望みをかけて薬局でタウリンを買った。

ニャーにゃんの食欲はほとんど無くなって、好きなかまぼこもパックを切ったその日だけほんの少量口をつけた。
おばちゃんは少しでもましなかまぼこや練り物、魚を求めてOC中を走り回った。

かまぼこや竹輪は冷凍の状態で日本から輸入される。どこの食料品店でも、解凍して売っているのだった。これでは食欲の落ちたニャーにゃんには食べてもらえない。自分でかまぼこは作れないの?

ネットからかまぼこの作り方を印刷した。おじちゃんは魚屋に鯛を一本注文し、届いた鯛を下ろしてフードプロセッサーにかけ、驚くべきことにレシピはペーストを水で洗えとあるのだった。

取っておいたかまぼこ板にペーストを塗りつけて蒸し3本のかまぼこはできた。ニャーにゃんは申し訳程度に食べてくれた。その頃になると、ニャ―にゃんはトイレに歩くのがやっとでベッドにはもう飛び上がれなかった。
ベッドに抱き上げようとニャーにゃんを抱くとギャーとすごい悲鳴をあげる。心臓が痛むのだと思う。

ニャーにゃんをベッドで寝かせるのはあきらめて、私たちが床に降りることにした。寝るときはリビングに毛布を敷き、ニャ―にゃんのトイレバスケットと水を周りにセットして休んだ。

おばちゃんは一度寝付くと目を覚まさないのだが、明け方キッチンの電話がなり最初のリングで目が覚め床から起き上がり、2度目のリングで受話器を取った。日本からの、母の訃報だった。

おじちゃんはニャーにゃんがいるから日本には行かない。Jalに電話をかけて当日のチケットを取った。

2~3日前からOCには灰が降っていた。北のランチョー・クーカモンガで大規模な山火事が発生しており、
その灰がOCまで流れて降っていたのだった。LAXに着いた時も空は不気味な鉛色で、チェックインするどころか出発便はどれもキャンセルされていた。Jalに聞いても空の状態が悪すぎるので、いつ飛べるか分からないと。

ひょっとしたら別のキャリアなら飛べるのではないかと望を抱いて、反対側のANAのカウンターでどれか飛ぶ飛行機はありませんかと聞いた。そうしたら、
「空の気象状況はウチのせいじゃないんで、そんなことを聞かれても困る」
おばちゃんは飛ばないことを責めていたんじゃない。飛ぶかどうか聞いただけ。ANAは生きている限り使わない。その時決めた。

7時間LAXでひたすらアナウンスを聞いて、夕方ついに飛行機は飛んだ。着陸したとき成田はすでに真夜中近くで、おばちゃんはJalの配慮で東京にホテルを取った。ほとんど眠ることなく朝一番の新幹線で実家に着くと、
姉がアンタ喪服はどうするの?私は母から私用の喪服を作って保管してあると聞かされていたので、お母さんが作ってくれているから、お母さんに聞いて。と言ってしまって、そうだ、その母が亡くなってもう居ないのだと呆然とした。

ニャーにゃんは葬儀から帰ってきてもまだ生きていた。ある日、よろよろと立ち上がると玄関に向かい、
ドアを開けろとしぐさをした。玄関デッキにでて青い空を見ていた。痩せて力が亡くなった体はふらふら揺れていた。

おばちゃんが夜中にふと目を覚ますと、毛布の上のニャ―にゃんがいなかった。おじちゃんにニャーにゃんがいないとゆすって起こしどこに行ったか二人で探すと、バスルームの床で冷たくなっていた。

おばちゃんたちは冷たくなったニャーにゃんをバスタオルで包みトムのクリニックに連れていった。渡米以来ずっと知ってるちょっと冷たくてつっけんどんの受付のおばちゃんが、哀れみを浮かべてAshes to Ashes, Dust to Dust と言った時おばちゃんは我慢が切れて号泣してしまった。ニャーにゃんは真っ白なサラサラの灰になって帰ってきた。

mikie@izu について

海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。
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