日本とカリフォルニアの美しいもの

硬膜下麻酔が切れてお代わりが届くまでの半日ほど痛みに耐えていた間、気をそらすために考えていたことがある。

思い出せる一番古い記憶から、美しかったもの、楽しかった思い出、うれしかったシーンなどを一つ一つ思い出して意識を飛ばしていたのだよ。
おばちゃんの人生は日本・アメリカと真っ二つに割れている。幼少から青年期までは日本。社会人からリタイアまでアメリカ。

不思議なことに幼少期の日本の記憶のほうが鮮やかで、楽しかった感情も生き生きとして思い出せる。家族でバーベキューやいちご狩りに行った思い出。その時に着ていたお気に入りの服とか。からし色でジャージの生地まで思い出せる。
ああ、そうだった。炭火で生のシイタケを焼いて醤油だけの味付けなのにこんなにおいしいものか驚愕だった。あれ以上のおいしさのシイタケには出会ってない。

日本の自然は美しいんだ。
清冽な水の流れがあって、翡翠の新緑があって。前半生の美しい記憶は自然の美しさが必ずバックグラウンドになっている。

西海岸の思い出は自然ではなかった。元が砂漠だからさ。
ジャカランダの花のカーテンが美しくても背景の一か所の感じ。カリフォルニアのばさついた大地と植物フローラを美しいと感じる感性はどうしても生まれなかった。

これがカルフォルニアの木「ジョシュアツリ・ツリー」ですってガイドに言われたときは、がっかりして石をぶつけたくなったさ。
4季がある中西部から東海岸ならきっと雄大で目を見張る自然の美しさがあったに違いない。

アメリカの美しい記憶楽しかった思い出は人間が作った美しいものだったね。
建築物の壮麗さと美的センス。計画されて建築された都市の整然。デザインの美しさ。色彩の統一感。

おばちゃんたちはLACMAが好きで、あそこのホールの円天井のタイルはすごい。ゲッティセンターもそれなりの規模なんだが、LACMAの重厚さはやっぱり税金をたっぷりかけただけあると感心していた。
美術館の収集品もLACMAとゲッティは豊で、一日文化の粋に囲まれて過ごせる静かなところだった。

LAのサイエンスミュージウムは人類に感動するところだ。
人間が作ったスペースシャトルに感動する。スペースシャトルの打ち上げのナサのビデオで臨場感を高めて、スペースシャトルが「おんぶ」でLAに飛んできてサイエンスミュージアムまでの路上の牽引されて無事ミュージアムのスペースに収まるまでの動画。最後に実際のスペースシャトルと対面できる。

スペースシャトルの外装がタイルと石綿だと自分の目で確認出来て、それは衝撃だった。これで本当に宇宙を飛んだのか?!ああ、すごいものを見た。
シャトルを路上けん引したトラックはToyota Tacomaだ。日本でもトヨタのピックアップトラックを見ると無条件に好感を持つ。

人間が作った美しいものと、日本の自然の美しいものともう一度見てみたいと思う。
滋賀県の醒ヶ井という古いマスの養殖場があって俗化はしているのだが、山の清流と魚が美しいんだ。
明後日、再診の予定。
肝臓とリンパ腺と大腸のポリープの細胞診の結果がわかる。

異色・入院雑記

おばちゃんはコントロールされるのが嫌いだ。
山、高きが故に貴からず。親だからと言って教師だからと言ってその言に従うわけではない。相手に論理と根拠があれば耳を傾けるかもしれない。

腹腔鏡で胆嚢除去手術なら順調にいって4~5日から7日ほど入院らしい。3日目にこんなところに7日も居てたまるかと思った。

主な原因は病院食である。
作ってくださっている栄養士と調理師の皆さんには申し訳ないが、患者には塩分やらなにやらの制限があり、さらに予算の制限があり、時間の制限がある中で何百人分もの患者の食事を用意するのは大変であろうと思う。


ただ、煮汁にぷかぷか浮いているカボチャは論外であるし、キューリをすりおろして大葉と混ぜ酢だけで味付けをしてそれを5分粥のおかずに食べろとは無理目であった。

今回の入院はガンの拡大手術で肝臓を3分の1切る。胆のう周りのリンパ節も切る。入院期間はどのくらいかわからなかった。


最初の入院では2日目に食欲が戻ってきたが、今回の入院ではさっぱり。
自家製の梅干しから作った梅ソースで粥は食べられるがその他おかず乳製品には胃が拒否権を発動していたのであった。鼻がむやみに敏感になっていて、食器の生臭さとも相まってお手上げであった。

かぼちゃに懲りて、今回持ち込んだ非常食はカロリーメイト、ビスコ、キットカット、ビタミンゼリー、フルーツ飴、日本茶パック。業務スーパーでカップヌードルに手をかけたところダメだ!とおじちゃんから制止された。

初回の入院はとにかく口から食品を入れると体が吸収して回復する実感があった。食事が食べられれば回復が早い。おばちゃんは病院に修行に来ているわけではない。口に突っ込めば吐いてしまうであろう食品をあえて口にして回復を遅らせる必要はない。体の修理に入院していて目的は体の回復である。食べられるものを食べればよいのだ。

次はカロリーメイトを試したが、これは意外とハズレだった。あまりにもドライでパサつくので飲み物がないと呑み込めない。売店のパウンドケーキのほうがましかな?病室から売店は遥かかなたで、ビザを取って北朝鮮に行くくらい遠かった。

導尿の管が入っているときはトイレに一人で行くのがやっと。
導尿が抜けると少しは自由度が高まるが、首の点滴が2本とひじが1本、硬膜下が1本ぶら下がっているので、立ち上がって移動時には、首の点滴をよっこらしょと肩にかけキャスターがバカになっているポールをガラガラと押しながら時々あさっての方に曲がりたがる点滴のキャスターを蹴っ飛ばす。


熱湯が出る休憩室にマグカップをもって遠征する。売店はさらにエレベーターに乗って下に降りねばならない。途中4回くらい休憩が必要であった。

硬膜下の点滴は外れ痛み止めはロキソニンになった。ロキソニン!か。この痛み止めの副作用は広く知られているようだから詳しくは書かない。

病室に帰ると昼食が来たが、おばちゃんはため息をついた。
看護師さんがどうしました?と聞くので痛むからロキソニンは飲みたいが食欲がないので、持ち込んだどの非常食を食べてからロキソニンを飲もうかなと考えてます、正直が駄々洩れした。

看護師はその後担当医にチクったようであった。
次の回診の時に担当医が食べたいものがあったらどんどん食べてよし、ただし看護師さんには軽く申告しておいてね、というのでその時初めて、病院では好きに食べてよくはないらしいということが分かった。

どうでもええやん。そんなこと。
アイ子ちゃんは帝王切開で入院した時に、病院食を一目見て出前を取りたいといった人であった。さすがに病院側から止められ3食ご主人に差し入れをさせた。

私もアイ子ちゃんも考え方は同じで、入院の目的は体の修理と回復である。修行でも病院の食事の規則を守ることも目的でもない。

最初の入院では食欲が出た後は回復が早く、担当医にプレゼンして5日目に退院した。
今回はどのようにプレゼンをしたらよいか?


担当の看護師も昼夜で毎日変わるのだが、担当医に言われた事:売店で買ってでも食べる。を看護師が変わるごとに申告しておいた。めでたく売店に行って日清カップヌードルを買い、ナースステーションの前を見よがしに通った。
リハビリ療法士は断った。スキップはまだできないけど今日は売店まで往復してきましたから!

お風呂に入りましょうという看護師には、私の目標は明後日家のお風呂に入ることなんで、大丈夫!ゴールと目標を強調する。

極めつけは朝の回診の時に、担当医とおつきの医者たちにおばちゃんの切り札のカードをさらした。「うん、それはうちに帰ったほうが絶対早く回復するね」と誰もが納得の環境だった。
これはおばちゃんの企業秘密なので公開できない。

めでたく術後9日目で退院した。ロキソニンはゴミ箱に捨てAdvilを飲んで家でシャワーを浴びた。


翌日はアイ子ちゃんにLine
越後屋さん、あなたいくらで円に換えた?

アイ子ちゃんは4月の初めに南加の家に帰り、私の入院中に円ドルがどこまで変わるか手ぐすねを引いて待機していたのである。


131円、手数料なし!
えっ?手数料なし?
そう、投資口座の円建てで手数料なしで投資できるのである。指値で131円。さらに投資口座なので利率がつく。食えない女である。越後屋~!

蛇足
大部屋の他の患者さんは皆さん従順であった。
患者さんは何人も変わったが、必ず皆さん主治医に聞くのである「私は何時お風呂に入れますか?」自分が入れる気分になったら入ればいいやん。回復の証拠だし、そんなことを何故医者に聞く?

退院時期も同じこと、導尿が取れて点滴が抜けて食事ができて自分でトイレに行け、痛みが我慢できる状態なら退院できるであろう。自分の体の声を聞けばよいのに。
今回は羊の群れに紛れ込んだシベリアンハスキーだったような気がしないでもない。


闘病記ー時系列

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・ドクターに聞いてみよう

ドクターに聞いてみよう・2

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川島なお美の場合

術後7か月

ベンツ切開

日本のチーム医療・パッケージ治療

*この記事は入院中に書き退院してから手を入れてUpしました。記事の時間列が多少前後しております。

日本の医療体制:病院というのはがっちりシステムが組みあがっている。評価はまず横に置く。
何せ平成の間は日本にいなかったから、日本の医療進化過程はわからない。この国立病院ではとにかく大容量の人が動いていて巨大な有機体のようなチームが仕事をしている感じ。

治療の標準的手順などがカッチリ決まっていて、そこに患者個人の意思が入る隙間が極めて少ない。文句を言われないため。待たせないためのシステム。国立病院では患者が受診するところからお会計までいかにスムースに処理できるかに全力を集中している。


最初の総合病院に行った時もひっくり返るほど驚いたが、何かの受診番号だか指示書を受け取って衆人環視のなかで30秒紙を見て動かないと病院のスタッフが飛んでくる。
おばちゃんは人が飛んでくるまでの時間を計ったから。


このお手伝いスタッフの数も相当な人数だった。右も左もわからないおばちゃんにとっては助かったし便利だったが、ビジネスを経営したおばちゃんから見ると「不気味で腹の底が冷えた」現象だった

これらの膨大な人員を「お客=患者」が困ったときのためにトレーニングしサーポートだけのために勤務させるための人件費は一体いくら必要なのか。おばちゃんは人を雇うほうだったからどのくらいの期間トレーニングが必要か、人件費と社会保障費は半端ないことを実感として知っている。

そういう組織が作り上げられている総合病院で治療体制はどうなるのか、、というと。
そこそこ有能でベテランの専門家医がいる。一旦診断がつくと標準治療パッケージというやつが待っている。病気のステージごとにカテゴライズされてやるべき治療の指針と方法が決まっているようだ。

ステージ1で他に浸潤がないならついでにリンパ腺温存。
2では浸潤が目に見えない場合が多いから、用心のためにとりあえず切除。リンパ腺も廓清。3次いで化学療法。化学療法が効くか効かないかではなく「皆さんやっているから」標準としてパッケージであてがわれる。

診断からいかにスムーズに治療退院までもっていくかに医師とナースと組織が全力を挙げている。そういう流れの中に、「おまかせ」で治療をしてほしくない患者が混じるとどうなるか。

臓器の浸潤が目に見えない場合、手術中にサンプルをピックして病理検査結果が半時間で帰ってくる?1センチのがんは1億の細胞の集まり。それでやっと肉眼で確認できるわけだから、1つのゆで卵の正中線でサンプルをとり、細胞診でがん細胞が発見されなかったといってゆで卵全体ががん細胞フリーという意味ではない。目に見えない状態で播種があっても調べきれない。それはその通りである。

だが、目に見えないからという理由、予防のためだからととりあえず切ってしまえ。切られる患者としては大いに問題ではないか。
切り取られることで体への痛みとダメージは半端ない。その後に生涯続く影響があるのである。リンパ浮腫などはその代表だ。

乳がんのリンパ節郭清はアメリカではあまりやらないが、砂浜の一つまみをピックアップしてそこにCが混じっているかどうかは運に過ぎない。とにかく切ってしまったほうが医師としては一番楽。

「悪いところは全部取りました。再発を防ぐためにリンパ節の郭清をしました。念のために化学療法を始めましょう」日本の慣用句である。がん治療のお任せ治療パッケージである。

だからおばちゃんは転移がはっきりしない状態でリンパをとるのはどうなのか?予防の為とおっしゃるが、おばちゃんのフジコ・ヘミングウエイはFresh Madeではない。1年物でもなく少なくとも3年からの長い成育歴があるように見えた。過去3年の間リンパ節はせっせと体液を流していたのだ。

さらに言えば、再発予防にリンパ節を取って、それまでリンパ節に流れていた体液はその後どうなるのだ?溜まっていくわけ?担当医は、いや体の他に吸収されます。他に流れます。

やっぱり他に流れるのじゃん。
体液が効果的に流れるように自然が設計したリンパ節を取って、リンパ節をとって体液が他の部分に非効率的に流れるリンパの流れの改悪をどう理解したらいいのだ。いずれにせよ体液が流れるという点で、どこか肝臓付近に存在するかもしれないC細胞の移動と転移を止める目的は完全に達成はできないよね。

主治医は、ベテランで悪い人ではない。
プライベートでお話をしたら多分愉快な人だろうとおもう。がおばちゃんの治療に関しては何十年日本の医療界で生きてきた常識から一歩も出てこない。
アメリカの医師もアメリカの医療界の常識から一歩も出てこないので、その辺は一緒だが。

ただ、アメリカも常識から出てこないが、患者の意思は尊重してくれる
医療行為であっても裸にされて治療を受けるのは人間の尊厳を損なうので、裸で治療は拒否する人がいる。輸血を拒否する信仰もある。心臓停止の場合の救命措置拒否リクエストDNRがあれば尊重される。

日本のお任せ医療では主治医との術前のコンサルテーションは、病院が用意した免責事項を読み上げて患者にサインをさせる時間である。患者のオプションを指定できる約定ではない。


病状の説明と手術内容の解説時間は短い。
宣告と手術までの間は、きわめて短くて十分主治医と二人で検討したとはいいがたい。何せゴールデンウイークが迫っていて、早くスケジュールを組まないといけません。
主治医が提示する診断と手術内容をパッケージで差し出されてそれにサインしますか?しませんか?と言われているだけ。

それでもおばちゃんは、腹膜に播種があったらリンパ節の郭清と肝臓に手を付けるのもやめてもらって、観察して写真を撮って閉じてもらいたいと言った。
腹膜に播種があったら切りません。切っても無駄なんでと主治医は言った。
とりあえず、ここは同意ができた。

肝臓はどの部分をどのように切ります?こことここです。とイラストを見せてもらう。この2葉は肝臓全体ではなん%に当たりますか?予後QOLがかかっているからね。
大体20%ほどです。30%いかなくてよかった。肝臓は出血しやすいらしい。手術中に大出血もあるかもしれない。後記:結局3分の1切除した。念のために。

術中の大出血緊急事態に陥った場合のために、4年前作った「日本尊厳死協会」の会員証とリビングウイルのコピーと最終治療のやってほしくないリクエストを見せる。チャートに閉じてもらうつもりだったのに担当医は見るだけで受け取らない。

担当医は日本尊厳死協会の会員証をへぇー?初めて見ました。と言った。
そうなの?
おばちゃんは帰国してからいろいろ調べてこの協会にぶち当たったからおじちゃんと二人で加入した。日本の医療業界でも普通かと思っていたのだが、違うのか?

意思表示ができない状態になった時の「患者のやってほしくないリスト」に目を通して、ふ~んと言ったがまあここの辺は今は関係ないし、術中になんかあったとしても助かると思ったら僕はやりますから。

ここのへんで、おばちゃんは到底分かり合えない溝を確認した。
心臓が止まったら止まったら止まったでいいんだ。それが患者の意思なんだけど。

担当医さんにはニューヨークの治安の悪い総合病院のERで2年くらい働いてもらって、DNRを助けちゃって患者が医療費の支払いにパンクして予後が悪いから仕事もなくなった人からバンバン訴訟をされると、彼の常識もかなり変わると思う。

おばちゃんは20分では担当医の常識を変えられないので術中のDNRはあきらめた。

手術の当日、朝の回診でこの記事を書いているところに担当医が顔を出してどうですか?変わりはないですかと聞く。お互いちょっと緊張している。

何やってるの?ブログを書いてます。読者がいます。やりにくい患者だろうな、。
さぁ、あと4時間で手術だ。


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闘痛記

今度の痛みのスケールは10のうちの11
二人の刀鍛冶が溶鉱炉になったおばちゃんの腹の上で日本刀を鍛えていた。次の日は関取が餅つきをしていた。

今は小錦がおばちゃんの肝臓の端っこを三つ折りにしてその上にどっかりと胡坐をかいている。重くて痛い。

術前のコンセントで担当医と改めて痛み止めについて確認をしおいた。
限界ギリギリまで硬膜下麻酔と痛み止めは入れてください。手術は受けるが一番いやなのは痛みであって、痛みを我慢するストレスだけは味わいたくないです。

一回目の胆嚢除去の時も、麻酔はたっぷり痛み止めは贅沢にお願いしやす。はい、わかりましたということだったのに、いざとなると看護師は麻酔のお替りは禁止。だって、限界量が決まっているのでそれ以上はダメなんです、っと。


だから、今度の手術の前のコンセントはそこんとこを担当医に指摘して、再度
麻酔はたっぷりお替りで痛み止めは贅沢に」と念に念をいれて念を押したつもりだった。

ところが日本のチーム医療というのは非~常に多くの人員で構成されていて、担当医一人がその気になって患者に何かを請け負っても、看護師たちには申し渡しがいきわたらないのである。

それで、3日目のお昼に硬膜下麻酔が切れ始めたときにすぐにナースコールしてお代わりを頼んだらなんと、普通の痛み止めの点滴を持ってきておばちゃんの痛みはマックスになった。
これじゃ効かない、硬膜下麻酔を入れてくれというと今の痛み止めが普通ですという。その普通が嫌なんだ。

これで、申し渡しが全くいきわたっていないことが分かった。
それでナースにおばちゃんは担当医とは術前で麻酔と痛み止めはたっぷりお替りという合意ができている。だから担当医さんは許可が出ているはずというと。

担当先生に確認しますが、担当先生は今手術中ですという。手術が終わるのは午後4時です。と抜かす。おばちゃんはもううなり声も出ない。

確認が取れて麻酔が届いたのは6時。
今度の量はいつまで持ちますかと聞くとおおよそ2日は効いているという。
じゃ、そのあともお代わりをお願いしますというと、もうこれで限界です。ふつうはこれ以上やりません。もしやったりすると、感染などのリスクがでてきますから。

おばちゃんは、嘘つけ、と思う。
トータル3回6日間ぐらいは平気だろうと思う。なぜというにアメリカで手術後日本人がぱかぱか死んでいないからだ。日本の2重3重の責任回避と及び腰の体制を考えると、感染がでて(リスクはそれほどあるとも思えないが)病院と医師が責任を取りたくないからだ。
責任を取るより患者に我慢してもらったほうが楽。

アメリカの麻酔痛み止めの限界は日本の医学の普通とされる限界より可なり上だろう。
タイレノールの有効成分量を日米で比較してみるとよい。

今このブログを書いて気が付いたが担当医はたぶん誤解しているのである。
アメリカで無痛医療に慣れている患者=おばちゃんが日本でも同じ扱いを求めていると
と~んでもない。

まったく反対であった。
アメリカでは、麻酔の量を減らしてくれ、薬の量を減らして、弱い薬にして!
イラニアンの歯医者で抜歯をすることになったとき、歯医者が持ってきた注射器は戦慄するものだった。薬液が7~8センチはたっぷり入っている。

歯茎にぶっすり打たれ麻酔をもうこれ以上受けつられないと、当の歯茎から余分なノボカインが口の中にシャワーのように降りそそぎ、窒息しないために麻酔を必死で飲み込んで「これはもしかするとシャレにならないかもしれない。下手すると麻酔で持ってかれる」と真っ青になった。

歯医者と助手はさらにおばちゃんに麻酔ガスをかがせようとしてくる。
朦朧としてマスクを避けようとするおばちゃんと、かぶせようとしてくる歯医者。思うように舌が動かないので、enough, enoughというのだがit’s okとマスクをかぶせられて、深呼吸をしたとき「ああ~、おばちゃん終わった」と意識が飛んだ。

抜歯が終わっても立てず、クリニックに回復室はないので料金を払って帰れと言われ、よろめき出たクリニックの外の石のベンチで4時間死んだ。
公衆電話を掛けに行く力さえなかったのである。

かずこさんはきゃしゃで150センチもないが、何かの治療で注射を打たれてその場で失神した。そんな日本人の話はそこら中転がっているのだが、いざ手術などの必要が出てくると日本人の麻酔科医がいないか探すことになる。そんなものは安全で新鮮な「牡蠣」くらい珍しい。

だからかかりつけのドクターを選ぶ時も、中国系ドクターを選んだ。
ドクターが薬を処方するときに、アメリカ人と同じだとグロッギーになってしまうので軽い量の処方をお願いと頼んだところ、ドクター・チェンはをしびれを切らしたように

アメリカの医学スクールは人種ごとに薬の量が違うとは教えてない。とおばちゃんに断言した。

確かに人類として厳密な許容量がきっちり決まっている薬剤はあるらしい。でも日本の医学界と厚生省の麻酔上限は、アメリカの限界量より絶対低いと思う。ドクター・チェンとうちの担当医にはそれぞれの経験と知識をじっくり腹を割って話してほしいものだとおもう。

アメリカの量と日本の量を足して2で割るとちょうどいいのだ。

ただし、ドクターチェンはもう現役ではない。その次にアポを取ろうとした時に秘書からチェンドクターはおやめになりました。と聞かされたから。
どうしておやめになったの?と質問すると秘書が「ドクターってしんどすぎてもうやっていけないんですって」

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前線復帰しました

ご心配いただきありがとうございました。
おばちゃん、無事前線に復帰しました。入院前は胡乱なコメント書き込みが増えていてセキュリティを強化するためにプラグインを入れて、怪しいIPの制限をしたのだがやりすぎてしまったようだ。

閲覧できなかた?方には申し訳ない。今はみんな制限を外したつもり。何か不都合があるようでしたら詳細をご連絡ください。

新情報をどんどんUpしてください。

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再・退院のお知らせ

明日退院できることになりました。

小室圭が、SECで就労するんですって!?

また外務省と政府が手を回しましたね。国家の威信とか信頼とか、ことごとく踏み潰されて行きます。

病室のベッドで、小室母の告訴状がいつ受理されるか不受理になるか?国民を1番刺激しない時はいつかを考えるとゴールデンウィーク中の半ばの平日が1番怪しいのでは無いかと考えてました。遊びに忙しい時にコッソリ臭い通知が届くようにする。私なら、今日の月曜日を狙いましたが。

だから、早く退院をしたかったのですけど。

SECって市民権を持ってなくて大丈夫だったでしたっけ?政府系のジョブはバックグラウンドチェックが信じられないほど厳しいです。パトロンが日本政府なら確実ですわ。disgusting !

もとSECの議長だったMadoffは最大規模の投資詐欺でとっ捕まり、この前獄中で死んだ。息子だか家族に密告されて逮捕されたんですね。

SEC ロクでもない役所

記事のカギは現在何もついていないです。

小説フォーダム大の猫ピロ氏をアプしたら広告クラッシャーが、踏み潰しに来たので、一時的にパスワードをつけました。時事カテゴリーの1番深いところに入っていますので存分に読んでください。

ではまた明日Hasta la vista, baby


闘病記

1-アイタタ、タ
2-五臓五腑になる入院記
3-再入院
4-発覚
5-告知
6-日本のチーム医療・パッケージ治療
7-闘痛記
8-異色・入院雑記

告知

C宣告があると患者は時間的に:不信・怒り・拒絶・反抗・受容などの心理状態を経験していくらしい。
おばちゃんはよっぽど性格がひねくれているので、フジコ・ヘミングウエイを見せられた時に足が少し冷えたが、不信や拒絶や怒りなどは感じなかった。

「こう来たか?」と思った。
アメリカでずっといろんなものと戦って常にHowで生きてきたような気がする。
戦う相手が自分と比較にならない程大きい場合はできる限り自分の犠牲が少なくなる方法を探る。自己憐憫とか絶望とかは贅沢な話。そんなことをしていたらアメリカで生きていけない。

今回は相手が大きいのでおばちゃんとおじちゃんをより良く生かすため、どのシナリオで戦うのが一番良いか考えた。

胆嚢Cはたちがよろしくない。膵臓Cと同レベルだ。胆嚢Cにはキモ・セラピーがほとんど効かない。吐き気で行動不能になって数週間人生が伸びるだけの選択肢は選ばない。
さらに検査で見つかった大腸のポリープは転移か?単発Cか?単なるポリープか?術前の面会で再度リンパ節の切除はやめてもらうように主張する。

大腸と肝臓の細胞診の結果が悪性なら積極的治療はやめて、緩和治療を紹介してもらいなるべく健やかに残った宿題をやり終えたいと思う。
なんちゅか、ほかの闘病記の方と違って、まず病気ではなく日本のドクターの標準医療観念と戦うことになりそうだ。

切ってみないと正確な状況は分からない。
ゴールデンウイークが終わったころには結果が出ているだろう。2だったけど5年大丈夫でした。な~んちゃってもあるかもしれない。

困っているのは、おじちゃんが怒っていることである。
積極的な治療を止めてくれと主張するおばちゃんと、この切除が有効ですという医師の言葉にしがみつくおじちゃんと。

45年も一緒にいるので、おじちゃんはおばちゃんが一分でも長く生きる選択肢をしなかったことに怒ってしまった。ショックでご飯を食べなくなり口をきかなくなって2日間コタツでうつらうつら眠ってばっかりいた。
おばちゃんが彼を見捨てた、置いていかれると感じて閉じこもってしまったのである。

おばちゃんは逃避しているわけにいかないので、頭の中でタイムラインとやるべきことのリストアップで忙しかった。

45年も一緒にいるので、おじちゃんを生かす方法も知っている。彼は彼がやるべき仕事とタイムラインを示されると動けるのである。

6月には彼のソーシャルセキュリティの申請手続きをせねばならない。先に帰国した知り合いによると、死ぬほど面倒くさかったと言っていた。
在米のうちから日本の会計事務所で年金手続きのサービスがあることを確認しておいたので、有料サービスを使うこともできる。とにかくこれはやらねばならない。

おじちゃんの携帯の特訓と車の運転練習と事務能力ゼロ者のためにマニュアルを作らねばならない。おじちゃんが飛ばないといけないハードルを示すとおじちゃんも少し持ち直した。
知り合いと友達に報告もせねばならんし、忙しい。


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おばちゃんはネガティブなワードが嫌いだからこのカテゴリはポジティブなワードに置き換えて書く。日本語の濁った発音も嫌いだから、耳に不快でないCを使う。

この新しいブログカテゴリは「闘病記」
闘病記はたくさんあるし、病自体は今や二人に一人が罹患する別に珍しい病気でもない。生還者も無論たくさんいる。おばちゃんは病そのものと闘うというよりは「おばちゃんのより良い人生」のために闘うといったほうが正確かも。

つまり、なるべく身体的に不快でなくQOLが高くて自分のやりたいことをやって人生を過ごしたいというのがゴールだ。全身を弱らせてもC細胞自体を撲滅するためにキモを頑張るつもりはまったくない。Cも身のうちだから。

一秒でも長くというのは意味がない。少しでも長く生きればいいというわけではない。自分がいかに満足して自分の人生を使い切るかが問題。だから、そのために闘う。余分な治療は却下する。治療のための治療は却下する。

むろん、最初の手術で病が寛解この先10年オールクリアという場合もある。


担当医から見せられた物体は(切除の胆嚢)はフジコ・ヘミングウエイの髪の色や雰囲気に似ていた。

偉大なアーティストには申し訳ないがあの人は昔話の「ヤマンバ」に似ている。
灰色でおどろおどろしい。

早期発見でしたんで、急いで再手術のスケジュールを組みますと。
ちょっと待て、何の手術をするわけ?
胆嚢と接していた肝臓の一部とリンパを郭清します。と言う。

肝臓への浸潤や転移がはっきりしているのですか?Cマーカーで出ていますか?
いや、早期発見の場合はCマーカーに出ないことが多いです。胆嚢の場合はCマーカーに反応がしにくいということもあります。

おばちゃんは、納得できない。効果がわかっていない時点でいろいろ追加で切るのが嫌なのだ、フジコ・ヘミングウエイを見た後では。たかだか10分の会談で手術のスケジュールと特化検査が組まれてしまった。

どうも、納得できないので家で復習と予習をしてみる。
担当医が言う、「早期発見」は胆嚢Cに関してはまれ。
胆嚢Cは自覚症状がほとんどなく隣の肝臓に進出して黄疸がでてから発見されることも多い。発見されたときにすでにステージ3か4。その意味では、たまたま胆石で切ったら見つかったから早期発見でした。という言い方は言えないわけではない。

が、胆嚢Cのステージは胆嚢表皮にとどまっている場合は0か1である。
この時点なら本当の早期発見。
ここで切除すれば5年生存率は80-90%


数字に幅があるのは症例が少ない小さいクリニックほど%結果をよさげにしているように見えるから。難しい症例は大学病院かがんセンターに送ってしまうのであろう。自分たちでできる症例だけやればそれは成績が良くなるに決まっている。

おばちゃんのフジコ・ヘミングウエイは外に飛び出したヤマンバであった。ステージが0や1でなく明らかに2、他の臓器に浸潤があれば3だ。遠隔転移があれば4である。

2の場合、5年チャンスは30%を切る。とても早期とは言えない。肝臓、胆のう、すい臓は難治性である。それでいて近いリンパを郭清するという。

おばちゃんは無駄な知識だけは山というほど蓄積しており、アメリカでは乳がんだろうが何だろうがリンパの郭清はほとんどやらないということを知っている。乳がんだからと言って必ず脇のリンパ節を切除することはない。アメリカの統計ではリンパの郭清をした場合と、しない場合と5年の成績はほとんど変わらないという統計もあったはずだ。

リンパ液が流れる節をとってしまうと、リンパ液が滞ってむくみやいろんな症状に悩まされるという。腕があげられないひきつるなどの直接的症状もでる。おばちゃんの場合は、腹部内部のリンパ節だからいろいろ液が溜まりそうだ。

Big Letter Cは1週間や1月でできるものではない。何年かかかって誕生するものである。その何年かの間、リンパ管は毎日元気にリンパ液を他の部位に流すというお役を果たしているのである。Letter Cが発覚したからと言って、慌てて隣のリンパ節を切除したとしてなんの役に立つのか?

日本のドクターはリンパ節も一緒に切除するのを標準治療としている。予防措置・再発防止措置と言って。

フジコ・ヘミングウエイは明らかに1年物ではない。少なくとも3年くらいかけて成長してきたブツのようだ。その間、おばちゃんのリンパ節は毎日元気に体液を流していたのである。今更、予防といわれても切除に意味はない。違うか?

意味があるのはドクター側で、標準の治療パッケージとして確立されているということだけだろう。リンパを一緒に切っておけば、やらないよりはちっと(何か月)か生存率がましということだけではないか?

患者のQOLは?
標準治療パッケージは個々の患者のケースに対応しているわけではないので患者側に選択肢を提示されるケースは少ないのだろうと思う。

つまり患者にオプションを知らせず、とりあえずやっちゃいましょうという戦法である。
次の2日間、おばちゃんは胃カメラと大腸検査がメニューに入っていた。胃カメラと大腸検査の結果、転移が見つかれば手術の内容は大きく変わるわけで、これは納得できないから胃カメラの前に主治医に面会を求めた。

胃と大腸のカメラでは転移を探すためにメニューを入れたわけではないですよ。
おばちゃんはえっ?である。
転移でなくて単発の別口Cがあるのではないかと検査をします。と担当医が言う。

おばちゃん、思わず 単発の別口・Cがそうそう見つかってたまるかいな。と否定的だった。とにかくスケジュールが組まれてしまい胃カメラをこなし、大腸検査をしたら1センチのポリープがあった、らしい。主治医が飛んできて見ていったという。単発の別口が見つかってたまるか、と思ったら見つかったわけだ。

3日後の手術の前にポリープの細胞診の結果は出ない。手術前日にもう一度術法について説明があるので、リンパ節の切除は断りたい。腹膜に播種があったら肝臓の一部切除もやめてもらいたいと思う。
あちこちよく観察して切らずに閉じてもらいたいと思う。その場合は3ー4日くらいで出てくるだろう。


闘病記ー時系列

アイタタタ、タ

五臓五腑になる入院記

再入院のお知らせ

発覚

告知

闘痛記

日本のチーム医療・パッケージ治療

異色・入院雑記

娑婆に復帰

総武本線 内房まわり

ぼちぼち動いてます

術後2か月目

闘病記さまざま

ガンの光線力学療法

経過観察中 4か月目

がんのゲノム解析

・ドクターに聞いてみよう

ドクターに聞いてみよう・2

・経過観察6か月目

川島なお美の場合

術後7か月

ベンツ切開

再入院のお知らせ

胆石手術の3週間後にフォローアップで再診。全快宣告をもらうつもりが再入院が決まった。

さらに特化した検査を行って26日火曜日に再手術と2週間入院である。今度は割腹なのでもっと痛い。ヤダね。どう転んでも楽しい計画ではない。

今年のゴールデンウイークは雨らしいが、天もおばちゃんのために同情してくれているのだろう。ごめんよ。雨をふらしちゃって。

おばちゃんが入院中に小室母の状況がきっと動くに違いない。
ああ、病院にWifiがあったら。携帯の機種交換とプランを変更は終わったので、長い記事でないなら病院でもアップできる。最初の5日は動けないだろうから掲示板かこの記事をコメント版として使っていただくのもOK

おばちゃんの使命は今度は「発信」らしいのでできるだけ書いていこうと思う。身辺雑記にカテゴリを一つ追加しておいた。さあ、いろいろやらなきゃ。


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ドクターに聞いてみよう・2

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蟻ンコの戦い

おばちゃんが大学を卒業して最初に働いた職場は貿易会社だったが、おばちゃんはとことん無能だった。

コピーを取る。これはOKだった。ハンコを押す。これはダメだった。ハンコの向きやインクのムラがあって無茶苦茶だった。ハンコを押すのが目的なら、5度傾いていたからと言ってそれがどうしたと。

輸出する車の車検証を別規格の紙にタイプライターでタイプしていくのだが、タイプミスをする。英文科の出身だからタイプライターはできるが、無意味な数字とアルファベットの組み合わせでは目が滑って頻繁にタイプミスをする。無意味なアルファベットの組み合わせが悪いのだ。

おばちゃん仕事全体の流れの中でどのような役割を持っているのか理解していないと、興味も集中もできなかったのである。パーツとして使うには最低な部品だったね。


お局様は東京でバリバリやってました有能秘書感満々の人でおばちゃんは深く劣等感にさいなまれるのだった。貿易会社は英文科卒の実務能力ゼロの女の子にいったい何をさせたかったのか?と今では思うのだが。

会社が終わり駅でとりあえずビール(昭和の時代は駅に自動販売機があった)をプシュッと一缶開けないと実家に帰れなかった。いろいろあって、貿易会社を3か月で辞め、実家を飛び出しおじちゃんのアパートに転げ込んでそのまま結婚した。

結婚後も働いた。次の職場はまたしても事務職だったがやはり無能だった。
会社はついでに営業もやらせようとしたがもっと無能だった。小さな会社だったのである程度仕事の全体像と流れは読めたのだが、やはり人に商品を売るということに意味が持てるわけでなくパーツになれなかった。

日本の人は優秀だと思う。人の粒がそろっている。
皆さんそれなりの学歴がありさわやかに仕事をこなしている。おばちゃんはいつも蟻ンコになった気がしていた。蟻ンコ、ちっちゃなちっちゃな蟻ンコ。

酒の量が増えてきておじちゃんが帰宅することにはほろ酔いという習慣ができてきた。
おじちゃんがいて、安定した(ささやかな)生活があっても、蟻ンコからはどうしても抜けられなかった。

おばちゃんくらいの能力の人は日本に五万といる。おばちゃんなんかいくらでも取り換えが効く。個性もない。おばちゃんは何かユニークでありたかった。趣味はバイク!愛読書!だがそれがどうした?何か創造的なことをしたかったが、何をどうしたいのかわからなかった。

暮らしているこの場所でおばちゃんは一体何を要求されているのだろう?おばちゃんに与えられた人生で、いったい何をすべきなのだろう?蟻ンコにはわからなくて酒の量だけ増えた。

勤めたり辞めたり飲んだくれてある日とうとうこのままここに居ては自分が死んでしまうと思った。
部屋で暴れて帰宅したおじちゃんがずたずたになった本にショックを受けた。
おじちゃんに“日本にはいられない、どこか日本でないところへ連れて行ってほしい。”と要求した。おじちゃんが見送っていた海外赴任の話があったから。

渡米して初めて自分に欠けていたものが分かった。
実務であり基礎知識であり、実際の目標だった。それはアメリカで生きていくためにも必要なものだった。目標を実現するためには、まず学校に戻って必要知識を身につけなければならない。

おばちゃんを取り巻いていた日本の社会の壁はなくなり、アジア系の女の子がクラスに交じっていようが年齢だろうが、誰も意外に思わなかった。何をしてもよい。自分の好きなことを好きなようにやって誰も指さす人がいない社会。

入院がきっかけで酒もやめた。酒浸りではアメリカで生きていけない。自分の全機能の120%増しで必要だから。

ゴールはおじちゃんの独立だった。自分でビジネスプランを考え、そのためにどんな資料を集めて何を研究すればよいか、初めておばちゃんは具体的な目標が見えた。

見渡せばそんな日本人はいくらでもいた。
州のライセンスをひとつづつ取っていって最初はアパートで、あるいは出張フェイシャル・マッサージなどのビジネスを始めたひと。

最初はちっちゃなスペース、お客さんがつくともっと大きなスペース、最終的にモールのテナントとしてエステサロンを開業した女性。人を雇ってより大きくよりポピュラーなモールに引っ越して最終的には2店舗を構えるオーナーになった人。

最初は同じく自宅で、次は大手の学校が使わない夜間の教室を借りて開業し、余裕ができたら自前でテナントを借りさらに大きな教室を開いたやはり女性。

誰も、XXXセミナーや開業セミナーなんかに通ったわけではない。
自分の手が届くところから始めて大きくしていった。人が欲しがっているサービスを提供できれば人も喜ぶ、自分もうれしい。Win & Win 


それが何かは、目をおっぴろげて社会を観察し自分がイケる感じたところを自分で創造していく。こうあるべき、こうすべきという型にはまったセオリーは必要ない。日本の固定観念は役にたたないから。自分が作りたい理想を自分で考えて自分で作れ。

十数年、おじちゃんと二人で商売をやった。
自分の人生が何をするために生まれてきたのか、何をすべきだったのか、、一応の成果は達成したと思う。おじちゃんの夢を実現させることは同時におばちゃんを生かすことでもあって、余裕ができれば他の人を生かすことでもあった。

自分が何のために生まれてきたのかわからない時に、他人を生かすことはできない。社会に責任を持つこともできない。おばちゃんはあの時代あの町でおばちゃんの役割を果たした。

おばちゃんの人生のフューズにはいくつもの段階があって、ビジネスの役割を果たした後は、おじちゃんと猫たちがいかに健やかに余生を暮らせるかを考え日本に帰ってきた。

第三コーナーを回って、残りの人生が見えてきたときおばちゃんは書き残していたくなった。おかしいと思うことを発信したいと思った。需要がどれほどあるかわからんが。

昭和の末期、おばちゃんが蟻ンコになっていた時に、日本であのまま酒浸りでいたら人生をつぶしただろう。おじちゃんの夢を実現させることも人を生かすこともできず確実にアル中で死んでいただろうと思う。一つの人生を無駄にするよりは、生きられる場所を探して生きればよい。

日本の社会は戦いにくい。
アメリカなら苦情はここで、そこで解決しなかったら次はここへと社会のシステムがクリアだが、日本はあいまいなので自分の相手が誰なのかどれが窓口なのかそこがまずわからない。窓口が判明したところで、質問をしてもYesでもNoでもない答えが返ってくる。返ってこない場合もある。

戦う相手が大きすぎるとおばちゃんの発信なんか、蟻ンコの「屁」くらいかなと憂鬱になる。ひいきのユーチューバーさんも全く同じことを言っていた。ただ、発信するだけなんですっと。

1万の再生と1千のPVとその他のブロガー、ユーチューバーの記事と放送が、ちょろちょととした流れから怒涛のような奔流となって天までとどけ!って言いたいが、毛筋くらいの影響でも天に与えられることを祈ろう。
あんまり考えるとまた蟻ンコになっちゃうからな。


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