たかがミカンされどミカン

日本の今この季節というと、スーパーも道の駅でもJAでもミカンはある。ひょいと一袋買って、ああ、なんとう贅沢かなと思う。炬燵に潜ってミカンをつかんで皮をむいて袋の筋を取る。

カリフォルニアのスーパーの売り場の前でどうしようかな、買おうかな、高いかな、12月と1月の寒い時期だけに日本スーパーに出てくるミカン。
薩摩(サツマ)と呼ばれたミカンは甘みが抜けていたり、すっぱかったり日本のミカンにはとても及ばなかった。それでもサツマが出ると正月を思い起こさせて売り場で立ち止まってしまう。味が恋しいわけではない。雰囲気が恋しいのだ。

日本のミカンはアメリカに移植されたときに、薩摩という品種を移植したのか、ミカンと呼ばれず「satsuma」と呼ばれている。カリフォルニアでは多分気候が暖かすぎるのだろう、北部か別の州で栽培されているのかもしれない。2000年前後にやっと市場に出るようになってそれ以前はサツマだろうがミカンはなかった。

ミカンは重心が低くて皮が滑らかで薄く手に持つとずしっとする実が甘くてジューシーだが、サツマは皮がゴツゴツして小ぶりでオレンジみたいに丸くて重心が高い。皮は厚いくて剥きにくい。それでいてオレンジより高額で、売り場で買うか買うまいか悩んだのだった。

正月らしいことはしていないので、まあミカンだけでもと買ってキッチン・カウンターの籠に盛ってみる。日本の冬の果物。日本の香り。食後に一つづ食べようと思うが、もったいなくて眺めているうちに暖かいカリフォルニアの気候のせいで痛んで捨てる羽目になる。
たかがミカン、されどミカンである。

おばちゃんの家ではまだ霜が降りる。
明け方は5度か6度でお昼にやっと10度になりストーブはつけっぱなしだ。山をぐるっと登って降りると熱海、湯河原にでる。駿河湾が見下ろせる斜面にはミカン畑があちこちにあって、のんびりと陽を浴びている。暖かいのか?ミカンの産地だと、霜も降りないのか?

ここでおばちゃんの頭はぐるりとツイストしてしまって、ミカンはあったかい土地でとれる果物でもカリフォルニアでは冬の果実だったな。暑すぎるから北部に植わってたはず。寒い土地の果実。
でも、熱海や湯河原の暖かい土地でこのミカンがとれる。
日本のどこに住もうかと考えてあったかい伊豆を選んだのに山の上は寒かった。一体おばちゃん家は暖かいと言っていいのか寒いっていいのか。
考えると激しく混乱するので、思考を停止する。

日本に生まれて日本で育てば当たり前のことを疑うこともないし、何の変哲もないものが他の国では全く手に入らなくて、さらに日本の常識も通用しないということを経験しない。


おばちゃんの意見では、“当たり前のことが当たり前であるのはおかしいこと“であるのを人類は知っておいたほうがいいのじゃないか?
国連かなんかが音頭を取って、全人類は人生の中で2年くらい別の国、別の気候、別の法律で暮らしてみる”取り換えっ子プログラム”を施行してみてもいいのじゃないかと思う。

そうすれば“切ないミカン”とか“悲哀のナメコ”とか“切望のシャウエッセン”とかの気持ちが人類で共有できる。国際紛争もきっと減るはずだ。当たり前という観念ほど厄介なものはない。

風はまだ冷たいのだが来週はもう3月だ。
なんだかお尻が落ち着かなくなって中伊豆の園芸店まで園芸用土と肥料を買い出しに行った。
山のてっぺんは2週間前に降った雪が道路際に掻き寄せられていて山の陰にはまだ30センチの高さで消え残っている。気温は8度だ。

幹線道路は混むので山道を抜けると修善寺に出る。ここの里ではとっくに菜の花が咲いている。気温は15度だ。川沿いの中伊豆は陽がまぶしくて園芸店の店頭は春だった。
おばちゃんが一番好きなリナリアもネメシアも苗はとっくに出ている。今ここで苗を買っても、自宅の庭にはまだ霜が降りるし、もう一度くらい雪が降るかもしれない。じっと我慢である。

庭はまず冬の間にたまった落ち葉と枝を掻いて、宿根草の枯れた葉を取り除く。伸びすぎている枝を払って痩せてしまった気がする土に、栄養と追加の園芸土を足してやる。今年は何を植えるか計画を考えてウキウキしながら明るい中伊豆を後にする。

地方の行政はあからさまである。
集落のはずれに来ると道はいきなり1車線になってアスファルトの舗装は薄く貧弱になり山の道に入る。山影でいきなり気温が2度落ちた。高度が上がるにつれて気温はシュルシュルと下がって、家に着くと10度だった。
留守にしていた家は冷たく冷えていて、猫たちはコタツから出てくるのであった

海外送金と贈与税

確定申告の時期だから、こんな記事が出るのだろうか
https://news.yahoo.co.jp/articles/570cf92fd12afbf6bc990ce433e01e77a446142a?page=1
2/21幻冬舎 Gold Online
日本語がわからないから理解が難しいなぁ。前提も一部抜粋のような気がする。
理解を容易にするために該当の単語に仮名に置き換えることにする、OK?

以下の記事は奥野弁護士が小室圭にした支援を返済してもらおうと思わない、という発言を前提としています。

引用ー贈与税は、財産をもらった人(受贈者=小室圭)が申告する税金です。また海外送金で預金の贈与をした場合、税務署の調査対象になりやすいといわれています。
贈与税の納税義務者は、奥野弁護士と小室圭の住んでいる国や国籍で取り扱いが異なります。

中略―日本に住んでいない受贈者=小室圭でも、非居住無制限納税義務者に該当した場合には、国内外すべての贈与財産が贈与税の対象です。非居住無制限納税義務者の判定は、日本国籍の有無によって異なりますーー

おかあさ~ん、何言ってんのこの人。

日本に居住していないけど日本国籍を有するので、小室圭は非居住無制限納税義務者になるってこと?国内外の贈与財産の申告が必要となる。って、日本でも申告が必要なの?


引用ー無制限納税義務者に該当する場合には、世界に所在するすべての財産が贈与税の対象になるのです。しかし、贈与財産の所在地の判定は財産の種類ごとに異なり、事務所が日本にある場合には国内財産として贈与税の対象となる可能性もあります。ー引用終わり

小室圭が受けた援助は海外送金である。日本の銀行法によって、非居住者(住民票がない海外在住者)は日本の銀行口座があっても凍結される。だから奥野弁護士は支援金を海外送金するしかない。

日本の裕福層の贈与税金逃れの対策のための記事なので、ここでちょと驚く例外が出てくる。

生活費として海外送金をする場合には贈与税は非課税
へ~?!
引用ー財産を無償で渡す場合には贈与に該当しますが、扶養している子や孫への生活費や教育費の贈与については、贈与税は非課税です。生活費とは、一般的な日常生活をするために必要な費用で名目だけではだめ。-引用

自分の娘がパリス・ヒルトン・30歳無職でアメリカに渡って法学大学に留学中だとすると、送金する生活費は全額・贈与税非課税なわけ。パリス・ヒルトンなら月額50万の送金なんて一瞬で消費するよね。それでも彼女にとっては生活費だから。金額の上限は書いてない。

で、記事の後半は日本の税務署が海外送金の贈与を把握する手法を解説している。
引用ー国税組織が海外資産の情報を集める手段は4種類あります。
100万円を超える海外送金は送金調書でわかる。100万以下の場合は銀行調査で分かる。租税条約を結んでいる相手国ととの情報の交換をする。ーとかね。

日本の贈与税はもらったほうが払う。アメリカの贈与税は上げたほうが払う。
日本とアメリカは租税条約を結んでいる。援助をもらった小室圭はアメリカに住んでいて、非居住者無制限納税義務者なのだよね?前述のように小室圭は日本に申告して贈与税を払うのか?
なんとニューヨーク領事館にさらにヒント記事が書かれていた。あらま!
引用―米国内に居住されている日本人居住予定期間が1年以上であれば、一般的には日本の所得税法上の「非居住者」で、日本の所得税の納税義務はありません。

無制限納税義務者について
無制限納税義務者とは、次の者が含まれます。

留学生
学術・技芸の習得のために米国に留学している方で、かつ日本国内にいる者の扶養親族となっている方。
② 非居住無制限納税義務者
米国に居住されている方でも、日本国籍を有し、かつ自分自身または被相続人(贈与の場合は贈与者)が被相続人の死亡日(贈与の場合は贈与日)から過去前10年以内のいずれかの時において日本国内に住所を有していたことがある方。

外国税額控除制度について
米国居住者の場合、米国のみならず全世界所得が連邦所得税の課税対象となり、日本の国内源泉所得については日本の所得税の課税対象ともなるため二重課税が生じます。逆に、日本居住者の場合は、米国源泉所得について日米双方の課税を受けることになります。

同様に、相続または贈与により取得した財産についても、日本の相続税・贈与税と米国の連邦遺産税・贈与税の双方の課税対象となる場合があります。
このような二重課税を回避するため、日米両国は外国税額控除制度を設けており、居住地国での課税に際しては相手国で課された税額の全額または一部控除が認められます

この条項は贈与者と受贈者の二人について言っているのかな。小室圭はアメリカで贈与税を支払う必要はないが、奥野弁護士は日本の法律なら贈与税を支払う義務がないので、どちらの国でも贈与税を支払わない!な~んてことは絶対ない!
両方でとられるか片っぽで取られたらもう一つの国で払った分だけ控除ということか。

米国で支援を受け取った小室圭は贈与を超えた分は連邦の所得税の対象になる。贈与税については非居住無制限納税義務者なので、日本の贈与税の申告義務があるということ?アメリカから日本にe-Taxで申告はできないと思う。


しか~し、これは日本の富裕層が海外送金して贈与税・相続税などを避けようとする抜け道を防ぐための税務署のアピール記事である。それよりももっと効率的に税金を払わなくてよい方法がある。

金は貸してあるだけ。

弁護士という職業の著名な方がお手本を示してくださっている。借与という言う名目でゆる~い借用書・返済計画書を作っておき、どんどん資金を流せばよい。
受け取るほうは金は借りているだけ。受贈者ではないので贈与税ははらわない。収入ではないので所得税は払わなくてよくて、一生返す気がないだけ。

金を遣るほうは「貸して」いるだけで贈与税は払わなくていい。貸しっぱなしで一生返ってこない「貸し倒れ」なだけ。損金処理ができないけど、贈与税も相続税も払わなくていいから。

日本の富裕層、相続税で困りそうな方々。奥野弁護士のようにお金は貸そう。貸せば税金は払わなくていいぞ。


質問状の行方

アングロ・サクソンは論理がなければ動かない。それはビジネスを始めてからも痛感した。
「朝、起きると頭の中に論理しかない」とブリティッシュが書いたエッセイを読んで、大いに膝を打った。

日本の社会と根本的に違うのはアメリカではまず論理があって、非難、誹謗、糾弾は感情の発露にすぎない。何が言いたいのかその次に「主張と要求」を言わなければならない。
ところが日本の場合、非難、誹謗、糾弾が「抗議」としての「主張」なわけ。感情を表現してそれを相手にくみ取れ、相手に何とかしろと言っている。それではアメリカでもヨーロッパでも通用しない

小室問題で一連の疑惑の焦点はフォーダム大とゲーリー森脇氏と奥村弁護士が書類の工作を担ったと点と思われる。全員弁護士と弁護士の教師だ。

こういう弁護士あるいは組織に非難抗議の手紙を書いても無駄、返事は帰ってこない。Grievanceというフォルダーに保存されるだけ。もし、バンダリズムなどの被害があれば、潜在的可能性のある加害者リストとして真っ先に警察にだす資料。私ならそうする。

弁護士が「あなたはこういう不正をやりましたね」と弁護士に質問状を送ったとして返事があるわけがない。相手が弁護士だからと言って、答えねばならない法的義務も根拠もない。弁護士は記者会見も開かないしインタビューも受けないし、ましてお詫び会見なんか絶対やらないから。情報は自分から漏らさないね。

相手が、法の根拠のある権威authorizationがあって、答えねばならない義務がある場合:NYBEAがフォーダムに正式な質問状を出す場合、かNYBAが質問状を出す場には答える義務はあるかと思う。ただBar Associationという組織は同業者の不正摘発に熱心ではないという印象がある。

ありそうなシナリオとしては、
段階A
NYBEAが不正といわれる事実をフォーダムに問いただし、フォーダムは不正ではないと信じる証拠をだす。こういう弁護士答弁が行き来するわけだ。この過程でゲーリー氏や他の弁護士にもNYBEAから質問状が行くのではないか。

質問状がやり取りされていても公表はしないし、聞かれたほうは世間に何も言わないから。

この時点で二人の小室はHotな人たち。この人たちのために何か支援工作をしようとする人は相当鈍い世間知らずだと思う。浮世離れしたピアニストとかね。

篠原氏は最近の放送で“米法務省にも質問がいってる“と発言があって、「何が」いっているのか正確にはわからない。
段階B
US Law Departmentに不正への注意喚起を求める手紙が送られたのか、
段階C
それとも正式なcomplainがファイルされたのか、これは非常に大きな違い。地検に手紙が送られたのか告訴状が提出されたのかそのくらいの違い。
段階C complainならその不正を信じる相当の証拠が固まったと思わなければならない。
NYBEAがフォーダムに情報開示を求めているような今の時点ではCまで発展するとは考えにくい。

なぜなら前NY総領事も当然関与していたとされるので日本政府も関係してくるが、こんな不正は全力で抑え込みたいであろう、なぁ?!

篠原氏は外交問題になるかもとおっしゃっているが、外務省が関係しているからこそ外交問題にならないように火消しにかかるのではないか?

娘にビザの件で泣きつかれ、父が新領事と会談をしても、これ以上米国でビザ工作をするのは危険。二人を米国において置くのが危険な状態なのだが、危機管理から一番ほど遠い人達1)が無理押しして2)ゴネているので誰かが引導を渡すべきだろうね。


二つの故郷

「私が帰る二つの国」 ドウス・昌代(文春1985年)が昭和の末に出版されて
当時のおばちゃんも読んだ。40年近くたっても日米にまたがる人間の事情はさほど変わっていない。

確かにアメリカには次々に日本のビジネスが進出している。現地日本スーパーは日本の品ぞろえに近い商品が並んでいて100均だってできたから、物に関しては不自由ない。なんだったら楽天から転送経由で好きな物を買えばいいし。

不自由がないと言いつつ、選択肢がないのも事実。
南加の日本スーパーの売り場は、いまだに魚売り場がどこでパンがどのコーナーだったか思い出せる。何十年も通ってたわけだから、うんざりしていた気分も同時に思い出す。一番嫌だったのは、アジの干物。日本から冷凍で運ばれたアジの干物は、焼くとどうしても不快な冷凍臭があって、鼻に一撃くる。あれだけは嫌だ。It’s enough!

日本にも家が残っていて、好きな時に2国の家を行き来すのが“いいとこどり”の一番贅沢な2国の味わい方なのだろうが、庶民は働かねばならんのである。

稼いで税金を払って暮らす国と、たまに帰る(あるいは行く)国の日本。いいとこどりどころか、リップ・バン・ウインクルみたいのも珍しくない。子育てだって忙しいし。家族分のチケットを買えば一財産になるのである。
そうそう行き帰りできるかっての。

生活のために働いていると、あっという間に15年は経つ。
15年経つと、子供はアメリカのこどもに育って、日本の従妹とかおばあちゃんに会いたとかも言わなくなるし、日本語の敬語も無理かもしれない。結局自分一人で実家に帰る、骨休めのつもりで。

昔の友達はスケジュールを合わせてくれてうれしい。何から話していいか、生活の違いを面白おかしくべらべらしゃべると、楽しんでいてはいてくれるが、気が付くと彼女の生活とは全く無縁な別世界の話で上滑りしてるな、と心が寒くなる。

何が寂しいか言えば、日本の親友とは、アメリカで起こる問題は相談のしようもなくなってしまう。アメリカで起こるトラブルは起こる理由も処理の仕方も、日本の友達には理解の範囲外だから、愚痴をこぼすにも同感も得にくい。
この辺で40代の後半だ。

アメリカに帰ると、ああ、家に帰ってきたと思う。
けれどこの国が心の底から自分の国とは思えない。端っこにいさせてもらっているだけ。なんでも話す親友はこっちにもいる。同じ外国にいる仲間だから問題も共通で相談もできる。

生活に流されるとまた10年経ってしまう。
まだ、50代でも若いつもり。40代の延長だから。でも60代を過ぎるとリタイアは射程距離に入ってくる。体力的に不足は感じないけどあと何年このままでいけるか?60代後半になったら、健康に不安が起きたら?医療費がネックだなって。

おばちゃんたちの場合は、ビジネスの区切りがよかった。続けるとなるとまた10年契約になる。パートナーのどちらでも何かあると二人で生きるのが大変になるから。自分たちと猫が老後に安心して暮らせる隠れ家を用意しなきゃと思った。

日本移住の手配は大した問題ではない。売り手市場なら家はあっという間に売れる。
問題は心の始末のつけ方。

負ける気がする。日本に帰るのが負けた気がする。アメリカの社会でず~と戦ってきたから。負けたくないって。せっかく取った永住権を捨てることになる。

実際に帰国してみるとなんか肩の荷が下りてしまった。戦わなくていいのがこ~んなに楽だったのか。おばちゃん、いったいどんだけ戦っていたんだよ。と戦わなくなってから初めてずっと戦っていたんだと気が付いた。

アメリカに帰りたいか?と聞かれれば帰りたい。でも、アメリカには黒い土でできた庭と畑がない。四季がない。伊豆の穏やかな芳醇な自然にからめとられてしまって、この庭と離れるなんてできないと思う。

もう、私たちは人生の第三コーナーを回って、ホームに向かってる。
コレステロールの多い食事をしていたから、おばちゃんたちの寿命は、日本の平均余命よりきっと短いと思う。
どこの国でという問題ではなく、最後のゴールに向かってどんな走り方をするかが問題なの。


カリフォルニアのサーファー

毎年11月にサン・クレメンテの海岸で日系サーファー大会が開かれる。大会のスポンサーはあのオリンピック選手のおウチだ。

大会には南カリフォルニアのすし屋 (Sush Chef) が集まってしまう。すし屋がサーフィンをやっているというより、サーフィンやりたさに渡米した元学生やその他色々が、その後スシ・シェフになって永住権を取りすし屋で働いていると言った方がいい。

当時グリーンカードの申請ではスシ・シェフになるのが早道だった。日本人であるということで圧倒的優位を誇っていた。だったので、スシ・シェフで永住権を取った後サーフィン三昧の人生を送るのだった。


xxxというすし屋はビーチの前にあって、仕事を終わるとユニフォームを脱いで3分で海に入れるという評判で、サーファー・スシシェフが切れなかった。

知り合いの半分はサーフィンをやっていた。この前ポリネシアンと間違われました~、とか肌が東南アジア系と見まごう程焼きこんでいて髪が天然赤毛?みたいな在米日本人はサーフィンをやっていると思ったらいい。

海岸近くに引っ越して、夫婦で海にでてから出勤してくる子もいた。朝から落ち込んでいたからどうしたのと聞くと、先に岸に向かったダンナが振りかえって手を振り回すからなんだと思ったら私の後ろにシャークがいたんです!主人が戻ってくれると思ったら振り返らずに全力で岸に泳いだんです。
私は置いてかれた~と、離婚の危機に陥ったりするんである。

夫婦でハワイに転勤リクエストを出していて、転勤希望が通ったんです!ハワイに引っ越します!と人がいなくなってしまったりする。


カノア君も大きくなったと思う。次のパリオリンピックでもサーフィンはあるのだろうか?
ぜひ活躍して欲しいものだ。

夜明け前が一番暗い

おばちゃんは引き続き、US系でいろんな検索をかけていたら、驚きの統計やら変なものがひかっかった。

まず、驚きの統計から。
Covidではアメリカが世界で一番多くの犠牲者を出し、経済でも深刻な影響が続いている。
おばちゃんが去年のサンクスギビングの前に、カリフォルニアに出した普通郵便はいまだに着いていない。(Jan.30 22)

アイ子ちゃんから連絡を受けて、EMSで同じ書類を再度送った。町の郵便局ではアメリカ側で大変な滞納でているからEMSでもいつ着くかもわからないという。通常5日から7日で着くEMSが未だ着かない。アメリカからのクリスマスカードはクリスマス前に届いたのに、届けられたアメリカ側では処理ができないのだ。

アイ子ちゃんによると、息子が務める会社でも半数の人員が出社できずに人手が足りないのだという。感染の療養中か、待機中か、ワクチン未接種で待機か。

先の記事でアメリカも今が踏ん張り時だから。と書いたのだが「お前は日本でぬくぬくと暮らしているくせに無責任に、、」と思う在米の方が居られこともあると思う。

その方々には、明るいニュースかも。例の問題で検索をかけていたらひょんなことにUS Censusにぶち当たってしまったのである。いきなりグラフが!

アメリカで頑張っている皆さんにまず見ていただきたい。

グラフは月別のビジネス申請数の推移だ。
おばちゃんもえっと驚いた。
2020年がCovidで一番落ち込んでいるが、去年21年から今年の申請数はスカイロケットと言っていい。

Covidで社会の在り方が変わってしまったので、それを新しいビジネスのチャンスととらえる人もいるのだ。申請スタートしたビジネスがすべて成功すると確約されたわけではないけれど、過去15年の平均申請数の2倍近くのビジネスがスタートしているのは確か。

アメリカはとっくにCovidとともに活動し始めている。
アメリカの社会は10年くらいを単位に変わってきた気がするな。
のんびりした90年代、テロで始まった2000年代、リセッションを挟んだ2010年代、近年10年はセルフォンの10年。

新時代のビジネスがどんな分野と傾向なのか、Censusをもっと詳しく分析すればわかるかもしれない。

さて、その新ビジネスの台頭する場所だが、人口が密でアメリカの進化の最先端であった都市と州は残念ながら回復がまだ遅いようだ。

マップで寒色が濃い州はビジネス申請数が前年月よりマイナス
オレンジ色が濃くなればプラス

感染被害が最大だったカリフォルニアは-4.8 テキサスは-0.3 イリノイ-1,7
ニューハンプシャー+8.3アイダホ+5.7 オレゴン+0.9 バーモント+5 ミシガン+1.1 ニューヨーク+0.9ニューヨークは意外と頑張ってる。

カリフォルニアはまだ始動しきれなくて、オレゴンは好調なわけだ。昔からカリフォルニアからオレゴンにビジネス・チャンスを求めて移動する人はいた。Grays Anatomyでシアトルタワーは見慣れたものになったし。

アイダホは遥か遠い気がするが、ジャガイモ不足を考えると思い切ってアイダホで温かくなるまで働くのもいいかもしれない。

夜明け前が一番暗いという。今少し踏ん張ろう。

あとは出くわしたおまけのスクリーンショット。
誰かがこんなニセ・アカウントを作っていた。イカンですね。

US Archives

おばちゃんは昭和のSFフアンであった。
少年少女空想科学小説全集からのたたき上げのSFファンで、早川や創元から出版されたハードカバー・文庫はもちろんのこと、雑誌SFマガジンと奇想天外は渡米するまでの号はほとんど収集した。SFMの創刊号から30号くらいがちょっと歯抜け。

高校2年の夏休みには京都へ、結婚後は東京で開催されたSF大会に参加した。一人で。
動いて息をしている本物のSF作家から大会プログラムにサインをもらって、そのお宝プログラムとコレクション本は実家に眠っていてどうにかしてくれと言われている。

50代の中盤からぱったり本が読めなくなったけど、どこかに「わくわく好奇心」が残っていて、たまに「カラパイア」「TOCANA」とか見ると、心が動いたりする。

この前、テレビでケネディー暗殺の新事実が発見さる!てのが放映されてNational Archivesから新リリースがあったとか放送されたわけ。

そうだわ。そうだった。
National Archivesよ!ここにはArea 51 やUnidentified Flying Objects情報も格納されているのよ。

歴代の大統領は当選してホワイトハウスで勤務を始めると、Area 51は本当にあるのか皆聞くんだって。聞くだけでなく、実際大統領は情報にアクセスと関与ができたのかな?おばちゃんは知りたい。
トランプは嫌いだったけど、UFO情報をリリースするように命令したことは評価する。

ああ、エリア51っていったいどうなってるのだ?
頭の大きな小人のような生物の遺体が保存されているのか?ただのフェイクなのだろうか。

前オバマ大統領が任期中だった時に、謎の物体の映像が放映されてどう思ったかとリポーターに聞かれ

Former president Barack Obama recently told James Corden in an interview that he had asked questions about extraterrestrial matters when the latest videos of the phenomena had been made public during his administration.
オフィスにきて、国にはどこかにラボがあってエーリアンの標本や宇宙船が保存されているのか?と聞いたら、ちょっと知らべて「ありません」という答えだった。

“When I came into office, I asked, is there the lab somewhere where we’re keeping the alien specimens and a spaceship?” “They did a little bit of research and the answer is no,” he continued.

でも何が本当なのか、私は本当に真面目なはなし、それが何かわからない空の物体の録画と記録があるんだ。
“But what is true and I’m actually being serious here, is there are, there’s footage and records of objects in the skies that we don’t know exactly what they are.”

(しめくくりで)他の大統領らもこの現象に注意を払っている。ビル・クリントンはロズウエル(Roswell1947)の事件についてはすべて目を通している。公表されているものはない。
Other former presidents have also looked into the phenomena. Bill Clinton had all the files reviewed on the famous incident in Roswell, New Mexico, but found nothing to share with the public.—-これはIndipendentの記事

Roswell事件からすでに75年は経過しているのだが、この事件の記録はいつリリースされるのだろう?ところが、

試しにArchivesの検索でArea 51と打ち込むと
Project BLUE BOOK – Unidentified Flying Objectsが上がってくる。おお、アメリカは意外と本気だったんだな。

https://www.archives.gov/

あ~、Roswell事件についても書いてある。
1994年にSteven Schiff議員の要求で、Roswell事件に関するすべての記録を監査するように要求して、空軍長官 Sheila WidnallRoswell事件に関する記録の調査を完了したって報告がある。その報告は出版されたって。

“The Roswell Report: Fact vs. Fiction in the New Mexico Desert”
ロズウェル・リポート: ニューメキシコの砂漠における真実とフィクション

ISBNナンバーISBN 0-16- 048023-Xだってお。たいていのガバメントの図書館にありますって。そうなの?

さらに個別のarea51の検索ではとんでもない膨大なファイルが上がってきて、ベトナム戦争時代のコンバット・リポートから始まっている。
ミッションの名前や戦闘エリアや軍の分類なんかは意味か分からない。

見る人によっては宝の山なんだけど、悲しいことにデータの読み方がわからないわ。無機質で意味がないことはお墨付き!退屈なリポートがてんこ盛りである。ワクワクなストーリーはどこにあるのだ?

SFファンより、ミリタリおたくの方が楽しめたりして。

美食の国

日本の食べ物はおいしいねぇ!
とちおとめを初めて食べて、漫画のように目が点になりその後ハートになったわ。コンビニ・スイーツでさらに衝撃を受けて、そのあと値段で驚愕して日本は大変なグルメな国だったんだと再発見した。
「苺娘」がアメリカで販売されたら、ケーキ屋さんには行列ができる。グルメだったデービッドやTに食べさせてやりたい。オイオイ(泣き)

この前、地味な見かけのピスタチオ・プティングを見つけて、これはおいしいのではないかと直感で買って、案の定飛び切りの美味だったのでコンビニに行くたびに探す。イオンでも探したのだがお目にかかれない。たった143円だった。日本の味のレベルはすごい。

レストランで一番驚いたのは「す〇や」と「サ〇ゼリア」。人に話すと馬鹿にされるのでここ書く。
この“人に話すと馬鹿にされるチェーン店”の味の水準は、アメリカで超えるものはほとんどないのだ。
入った客の7割が満足し、食べてさらに8割が納得して、支払いで10割が満足する「す〇や」。こんなレストランはアメリカで金輪際あるもんか。

ちょっとショッパめ「吉〇家」はアメリカにもファースト・フードレストランの「Beef Teriyaki Bowl」を出していいるが、日本人に完食できるかどうかわからない。

炒めた牛肉とゴリゴリの湯で加減のブロッコリが、めっちゃ甘辛いネトネトの餡が絡まって、時にぐしょぐしょのご飯の上にかかっている。

アメリカの普通の家族用イタリアン・レストランのパスタは大抵ふなふなでコシがない。イタリア系の経営者のイタリアンに行くと、ちゃんとしたパスタが食べられるが、値段はサ〇ゼリアの4倍くらいだ。それも探さないとどこだかわからない。

「サ〇ゼリア」でドンぴしゃの湯で加減のペペロンチーノを生まれて初めて食べて、本当に衝撃だった。アメリカのイタリアンにペペロンチーノはなかったから。

麺の質と湯で加減とシェフの味加減がばっちり出てしまい、さらに「肉」が入っていないパスタはアメリカで売れないだろうから。

ディアボロソースだっけ?アメリカ人なら瓶で買うから売ってくれって言うね。
それで、お会計の時に3度目のびっくり。これだけ食べて二人で2000円でおつりがくるの?チップも要らないの?

まぁ、なんと美食家の天国みたいな国。
おばちゃんは心底感激していたので、オリンピック・ボランティアのセミナーで「海外からいらっしゃった外国人に日本のどんなところをお勧めしたらよいか?」というトピックで「サ〇ゼリア」と「す〇や」を力説した!

グループのボランティアの皆様は、きっと普通のお育ちだったと見え、最初はあきれて、次におばちゃんを「憐み」最後は何を言ってるんだろうこの婆さんはという困り顔が悔しかった。

アメリカではまず、「食える」かどうかが問題で、「味」と「値段」ははるか先にある哲学的な悩み。
遠出して、知らない街で周りにアメリカのファミリーレストランしかなかったら、まず魚料理は排除する。焼きすぎか味がついてないか、生臭いから。

ビーフはアメリカでも高いが安ければ固い。高ければ噛み切れるけどしょっぱいか、味がついていないか焼き過ぎ。
残るのはチキンだけど、フライドチキンは下手をすると口の中を怪我をする。固くて粉も多めのバリバリに揚げてあるから。結局サラダと、ピザを頼めばお腹は膨れる。サイコロのロゴがついたピザはまずい。

だから、おばちゃんとおじちゃんは普段ハンバーガーを食べない。In & Outは別だが、。
どうにもならなくなったときにハンバーガーを食べるしかない時が多いので、普段は食べないようにしておく。

美術館と博物館はかなり高い確率で食べられる選択肢が全滅し、バーガーしかなくなったりするのだ。
ただ、ゲッティ・センターは味はどちらかというとマシ。値段は5割増し。ゲッティ・ビラはうまい。値段は市中の倍。

冷凍のホウレンソウとピザはまずいが、「サ〇ゼリア」「す〇や」は日本の宝だと思う。感謝しないといけない。アメリカから「普通」のアメリカ人がやってきたら、この二つのレストランに連れて行けば喜ばれると思う。


人に直接言ったらまた馬鹿にされた。
「サイゼリア?」貧乏人?舌が貧しいの?美味しいものを知らないの?
おばちゃんは悔しい。ミシシッピとは言わない。アリゾナかコロラドに3か月くらい島流しにしたい。

朝はドーナッツで始まる。昼はバサバサのパンのサンドイッチか、ギトギトのピッザ、バーガー。白いご飯?無いぞ。クタクタのパスタに生のブロッコリかゆですぎたブロッコリ。醤油をかけてもなんともならない。
シーフード?あなたの思っているシーフードは存在しあい。エビか鮭が食べたいの?それ以外のシーフードって何?
砂糖のアイシングでネトネトのペストリー、甘すぎて歯にしみるケーキ。さっぱりしたものが食べたいって?サラダとスープね。マカロニ・チーズ食べる?

3か月くらいで息も絶え絶えになったら、サイゼリアに行ってよし。きっとオイオイ泣くから。たかが3か月じゃん。軟弱!おばちゃんたちその100倍以上居たから。


ジョイスとガールズトーク

ジョイスと知合ったのは、カレッジのグラマーか英作文のクラスだったと思う。
アジア系が多いクラスで、韓国系と台湾系がグループを作り、頭は悪くないが性格が悪そうなグループだったので、おばちゃんは輪には入らず、一人で机に座っていた。

ジョイスは常に遅刻してくるので、私の隣くらいしか席が空いておらず、自然と話をするようになった。彼女はその当時でOCにはすでに20年くらい住んでいたと思う。達者にしゃべるのでなんで今さらグラマーなんか取るんだろうと、思った。

英語が達者にしゃべれるのと、ちゃんとした英文が書けるのは別の能力らしい。
たしかバーバラ・ボクサーが副社長を務めていた保険会社でしばらく働いていたそうだが、ミーティングの後にリポートを書いて出せといわれて、書くのがものすごい苦痛だったのだそうだ。

それで、学校に戻ってグラマーでも取ってみようかということらしかった。
だって、あなたペラペラしゃべれるじゃない、そのまま書けば?と言うのだが、なんか構えてしまい文章にならないのだそうだ。

超おしゃれな教師のマッディ・ベンソンから、エッセイの書き直しを7回もさせられて、うんざりしてジョイスに愚痴をいうと、金持ちマダムの台湾系には愛想がいいのだそうだ。

ジョイスによると、クラスが終わった後に台湾系マダムに取り囲まれて、社交クラブのような会話を交わし、マッディの方からマダム夫の職業を聞いたりするらしい。それで金持ち風のマダム生徒には作文にも意地悪な批評をしないという。

おしゃべりをしてて来週の宿題を聞き漏らしたりするので、家に帰ってくるとまたジョイスから電話がきたりする。レストランに行ったり、お互いの家に行ったり長い付き合いになった。

一言でいえばガールズ・トークである。
ジョイスはセレブ大好きゴシップも好き、ブランド好き。旦那もイケメンで、女のプライドと面子をものすごく大事にしている。

おばちゃんは頭の中にちっちゃいおっさんを飼っているので、ジョイスが語るガールズの半分もわからなかった。お互い全く性格が違うので、見栄の張りようもなくおばちゃんは見え透いたお世辞を絶対言わなかったので、彼女は空振りすることが多かったかもしれない。

だって、ねえあたしはいくつに見える?って聞かれたところで子供を4人も生んで下の子がそろそろ中学生なんだから、年相応に見えるねと答えるのだから、ジョイスは不満だったろう。

おばちゃんはとにかく将来に向けて、アカウンティンングやコンピューターのクラスをとるようになったのだが、ジョイスは過去にアカウンティングに挑戦して、玉砕したらしい。

ねえねえ、収入はcreditで増えればプラスでしょ?費用はdebitで増えればマイナスでしょ?
お金で考えればね。でも数字だけで考えるとDebitでもプラスになるし、アカントによってはcreditでもマイナスだし、先生がラテン語でcredit左側debitは右側という意味だから、借りとか貸とかの意味を考えないほうがいいんじゃない?
と言うと、自分には理解できないトリックが私に理解できるのがすごく理不尽で不満のようだった。

Excelのクラスをとると、ねぇrelative cellとAbsolute cellとどう違うの?
Absolute cellはuniqueな特定のセルのことでrelativeの場合はどこでもいいのよ、計算式をコピーしていくときに便利だから。

だ・か・ら、relativeって何なのよ。

ねえ、中国語でもエクセルの参考書があるでしょ?中国の本屋さんで売ってない?と言うとおばちゃんより英語が達者な自分がなんで、中国語の参考書なんか今更読まないといけないんだって、憮然として口を利かなくなる。

ジョイスから電話がかかってきて、あそこで会いましょう。ねえ聞いてほしい話があるの。

ねぇ、聞いてこの頃デービッドの帰りがすごく遅いの!
デービッドは不動産エージェントである。おばちゃんの家の売買もデービッドがエージェントをやってくれた。手数料を友達価格で1%くらい負けてくれるんじゃないかと期待したのだがきっちり3%だった。

なんでもオフィスに新しい女の子:ビビアンが入ったらしい。エージェントの勤務時間はあってないようなもので、客の都合でいくらでも伸びる。

デービッドが遅くなるからと言われて、ベッドルームに上がって待っていると、ガレージがあく音が聞こえ、そのあとリビングでデービッドが話している声が聞こえるのだという。それでベッドルームから出て、階下を覗くとデービッドが若い(ジョイスよりは)女と親しげにおしゃべりをしているのだという。

11時過ぎに、同僚・上司の家のリビングに入り込むか?ジョイスはカッカと血が上った。夜も遅いし、パジャマだしとにかく早く帰らないかとイライラしたという。

中国女は藪をたたきまわったりしない。そのままズバリと問い詰める。
ねぇ、あの女は誰?ーービビアン。

なんで家まで連れてきたの?ーー 帰り道の途中でコーヒーでも飲むかと思って、。

何をあんなに親しげに話していたの?ーー 仕事と会社の話、。

あなたどう思っているの?ーーー同僚

デービッドは台湾軍のパイロットだった。若くて輝かしいイケメンだった。
ジョイスも若くて美人のうち?だったので、自分の求て婚者としてはデービッドは及第だったのだが、簡単にOKして安い女に思われても悔しいので、じらしてじらして追っかけれやっと落ちたふりをしてプロポーズを受けた。

中国男はまめだ。
全部とは言わないが、デービッドは夢見る女の子のジョイスの期待に訓練されたのか、誕生日にはカードを贈るし結婚記念日には映画のようなサプライズをするし、ジョイスのロマンティックな女のプライドとメンツを十分満たしてきたのだったが、なんせかつての美貌のジョイスも50を過ぎたし、デービッドだって相応の年だったし、
ちっとばかし、若い女性と刺激的なおしゃべりだってしたくもなるだろうな、とおばちゃんは思ってた。

ジョイスは全く納得していなかった。

それからジョイスの呼び出しは、ビビアンのとデービッドの話題に限られてきておばちゃんは正直うんざりした。
ねぇ、聞いて!あんただったらどう思う?どうしたらいいの?
夕べもビビアンはデービッドとおしゃべりをしていて、
ジョイス:He was flirting with her at the downstairs.
おば:はぁ?He was floating with her at the downstairs?
ジョイス:No, not “floating”. F・ l・ i ・r・ t ・i・ n ・g  He was flirting with her!!!!!

その頃の愛読書はJames Herriotだったので、おばちゃんはflirtingなんて単語とは無縁だった。牛や犬はflirtingしないからな。学校では習わなかった単語を沢山ジョイスから教わるのだった。

ねえ、あなたは私の立場だったら、いったいどう思う?
どうしたらいいの?

両手を胸の前で広げるので、その拍子にワインとかサングリアとかのグラスを倒す。
Oh!っつって、ナプキンでぬれたテーブルを拭きながら、

うちのおじちゃんは、ビビアンなんか連れてこないしFlirtingする根性なんかないから。

どうすればいいかと、聞かれたので、こうすればどう?と答えたのだが余計火を注いだみたいで
ジョイスは返事なんかまったく聞いてなくて、ひたすらビビアン、ビビアンと呪いの呪文のように繰り返すので往生した。

デービッドはこのごろMaking love してくれないのよ、と女のメンツをかなぐり捨てて憤懣をぶちまけられると、おばちゃんにはお手上げだったのである。

最近、「ライトはつく?」コピペを見つけて、これだ!と思った。

おばちゃんは、解決法を提案するんじゃなくて、ひたすら聞いてあげてジョイスに共感すればよかったのか?
でも「Sorry for you」なんてもし言っていたら、プライドの高いジョイスは絶対憐れまれたと思って許してくんなかったと思う。
男なんて馬鹿だ!と言っておけばよかったのかな。


永住権 泣き笑い

駐在で3年くらいたつと、頭の後ろに黒い焦りが張り付いて取れなくなる。
できればこのままアメリカに居たい。

数年ごとにビザの更新があって、手続きが面倒くさいが首尾よく更新が済めばまだいられる。更新を繰り返して7年まで。すでに3年が経過して、あと4年で限界かと思うと焦りがわいてくるのだ。

日本であった人間関係のゴタゴタ、生きづらさ。あちこちでぶつかる日本社会の壁みたいなもの。閉塞感。日本での先の見えない人生のもどかしさ。

そんなものがすべて吹っ飛んだ外国。
あまりにも青くてすこ~んと澄み切ったカリフォルニアの空の下で、もっと自由に息をしてこのまま暮らしていきたい。そんな渇望に心があぶられるようになる。

駐在ビザの最長期限は7年である。いずれその時が来る。何もせずにその時までカリフォルニアを楽しむか。それとも目の前のチャンスをつかむか。

アメリカ経済の浮き沈みは会社の業績にもろに反映し、人員整理に直結している。もし日本本社が支社長を変えれば、新支社長の方針次第で人事の移動もありうる。下手をすると従業員の誰かに日本帰国があるかもしれない。

ビザを持つ会社と、その会社に働く従業員は圧倒的な立場の違いがある。従業員には何も切れるカードがない。仕事ができるから別の会社に誘われても、現会社を辞めればビザはパーである。会社がアメリカ滞在の命綱を握っている。
これが駐在員。就労ビザの実態。

駐在員を一人アメリカに派遣する場合1000万かかるといわれている。
駐在ビザを取り住居と中身を用意して本人と家族家財道具を日本から送り出すとそのくらい費用が飛んでいく。

グリーン・カード永住権は従業員が持てる唯一の切り札。
会社が首だ!と言ってもアメリカで生きていける。会社の意向、支社長の意向をうかがわなくても、自分の意志で会社が移れる。もっといい給料をだすという会社に大手を振って移れる。会社に「ベー」と言ってやれる。

大手会社によっては、駐在派遣の駐在員がグリーン・カードを申請したら首っ!という会社もある。会社が金をかけてアメリカまで連れてきてやったのに、グリーンカードを取るなんて、独立の下心でもあるのだろう。ケシカラン!

永住権の抽選

ケシカラン!と言われてもグリーンガードが取れたら勝ち。
おばちゃんたちが移住した直後にガバメントが永住権の抽選プログラムを始めて、この抽選に当たった兄妹がいた。あたったというと、運がいいだけに聞こえるので、この場合は永住権を当てに行った。

最初の抽選プログラムはうっかりしたことに、申請書の数に制限をつけるのを忘れた。
この兄妹は二人で実に200通の申請書を書き、ワシントンDCに飛行機で飛んで、抽選プグラムのガバメント当局に一番近い郵便局に申請書をだして、見事兄弟二人と親戚分の永住権を手に入れた。
当たり前だが、この申請書の数はその後1人1通に制限され穴はふさがれた。しかし、2年か3年後だった。

おばちゃんたちは、抽選プログラムのことも知らず、下手に会社にグリーンカードのスポンサーになってくれと言うと首になるかもしれないので悩んでいた。が、マネージャーのテリーさん(ベトナム2期サービスで市民権を取った人)に相談した。

大丈夫よ。会社がスポンサーになるにしても申請手続きの金を出すのが嫌なだけで、自分で費用を持ちますといえば申請しても構わない。
だって、支社長は英語がわかんないから、実際の書類を用意するのは僕よ。やってあげるから大丈夫。
ありがたい。おばちゃんはさっそく移民弁護士を探して、申請を依頼した。

優先順位

会社の雇用を通しての永住権の申請は「優先順位」が高くない。
優先順位が高いのは、アメリカ人の配偶者、子供、親。アメリカ人と結婚すれば、早ければ2~3か月でワーキングパーミットがとれ、1年後には永住権を手にできる。

雇用を通した永住権の申請は、アメリカの労働市場に不足した技術を持っていれば、比較的早くワーキングパーミットが下りる。古くは日本人の庭師(日本人は手先が器用で庭仕事に才能があると思われていた)寿司シェフ、IT技術者などは比較的早く下りた。
おばちゃんたちは、申請を出した後、思い出したように移民局からリクエストが来る書類を提出し、待つこと3年。ついに永住権を手にした。
これで一安心である。アメリカで大手を振って暮らしていける資格ができたのだ、。会社が何と言おうと、首にされても他で生きていける。

欲しい、欲しい、永住権が欲しい。
雇用を通じての申請が難しい場合、結婚を通じて永住権を狙うしかない。
アメリカ映画でもグリーン・カードは題材になったが、事実はあんなに生易しいものではなかった。これは人間として正しいのか?と思ったケースもあった。とても書けない。軽いケースだけ書くと、

珍しいが、ある男の子の例である。
前提として、日本人の女の子が裕福なアメリカンと結婚をしてグリーンカードを取った。結婚はうまくゆかず泥沼の離婚裁判となって、日本人の女の子はかなりの資産を分捕った。永住権を市民権に切り替え彼女はアメリカ人になった。

彼女は生物的時間が迫っていてどうしても子供が欲しかった。それで同じ日本人の男の子に目を付けた。彼は、就労ビザを狙っていたのだが、要件が足りないのである。日本の親は早く帰って来いという。専制的な親から逃げるためにアメリカに来た。でも、帰りたくない。永住権を取って、アメリカで生きて生きたい。

そこに、彼女から申し込み。
種をくれという。子供が欲しいので種を提供してくれたら結婚してあなたの永住権をサポートしてあげる。その後別れてもいい。子供を養っていく財産は有るので、親としての義務は持たなくてよい。
子供は生まれた。彼は永住権を取っただろう、でもおばちゃんは幸せなその後を想像できない。

同じく永住権はすでに持っていた独身の男。結婚を考える日本人の女の子がいた。
永住権者が、何も持っていない女の子の永住権のスポーンサーになることはできるが、優先順位が低いので彼女が永住権をとるまで7年から10年かかると言われていた。

そのため彼は市民権を取り、彼女のサポートをすることにしたのだが、。
市民権が取れた後、ある女が近づいてきて結婚してくれれば2万ドル払うと言った。そこで、彼は心が動いたのである。

書類上の結婚をして、付き合っている彼女との結婚生活の資金にしようとした。2万ドルを手にして、女の永住権を申請して取ってやった。すると、女が行方不明になった。

計画ではこの後、女と離婚して付き合っていた彼女と結婚するはずが、女は行方をくらませて離婚ができない。青くなっているところに女から連絡が来て、金をだせ。出せば離婚してやる。

自業自得としか言えないのだが。
裁判になれば彼は金欲しさに永住権の詐欺をやったとして不利になるし、裁判費用が掛かるし、でも裁判以外に解決法がなかった。最終的に離婚はできて、彼女と結婚したけれど、高くついた偽装結婚だった。

乱闘のケースは2件知っている。
1件は二世の男をめぐって、女が床で取っ組み合いをした。もう一件はアメリカ人の男をめぐって、3人の女が乱闘。自分以外の女を追い出せば家と永住権も手に入るから。

おばちゃんたちは、割とすんなりとれたほうだ。3年待っただけなので。
今日本に帰ったら負けだと思う。アメリカ社会に負けた気がする。能のない奴が負けて日本に帰った。俺は負けたくない、日本に帰りたくない。帰ってたまるかと思う。

ビジネスを始めて人の関係が広がると、そこでもここでも永住権が欲しい悩みを聞かされる。しかし、永住権はアメリカで生き延びられる魔法のカードではない。

永住権を取った後、人生はまだ続くのだ。

LAの暴動があり、セプテンバー・イレブンがあり、バブルがはじけリセッションが始まり、知人のアメリカ人の不動産エージェントはホームレスとなって娘と車で生活していた。

社長だった男が元社員に連れられて、レストランでおごってもらっていた。
試験を受けてライセンスを取って、会社に勤められたと思ったら、会社が持ちこたえられずに解散してしまった。

不動産の暴落で気が付いたら家の査定額はローンの残高より下になってしまった。これでは家を売ってもローンしか残らない。

会社を当てにして暮らしていた人は耐え切れずに日本に帰国するかどうかの選択を突き付けられた。永住権を持っていても役に立たないのだ。

夫を当てにしていた人は夫が亡くなるとひっくり返った亀になる。財閥系の会社でローカルを下に見てた人が、独立したとたんに相手にされなくなって、自分の価値は後ろ盾の財閥の看板だったのだとわかる。

このコロナ禍で、アメリカ社会はまためちゃくちゃになった。
昔の取引先で亡くなった方もいる。ビジネスが成り立たなくなって、一時帰国している方もいるだろう。もうすぐ卒業なのに、という学生諸君もいるだろう。ここが踏ん張りところだと思う。

アメリカ社会の立ち直りは早い。
これは帰国して日本の社会と比べてみると実感する。アメリカの実労働層はずっと若くて活力があって流動性がすごく高い。昭和の高度成長期を思わせるポテンシャルの高さ。


大恐慌もリーマンショックのリセッションも最低最悪だったのは3年。今は踏ん張るとき。泣いても誰も助けてくれないから、泣く暇があったら生きるために動け。

生き残れるかどうかは、自分の才覚による。本当に能力がある人間だけが生き残れる。
だからおばちゃんは、男を狙うより学校に行けという。爪を磨くより、技能を磨け。というのだ。


  • footer