海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。

言語の混線

アメリカで仕事をするということは基本複数言語で生活するということになる。客には英語、従業員にはスペイン語と日本語と英語。仕事中の言語は聞く、話す、書くというFunctionで3言語が入り混じることになり、この最中に混線が起きる。

客の注文は英語で聞き英語で答えてメモが必要なら英語か日本語でとる。
この時、英語でメモを取った方が後の作業に楽なものと日本語でメモを取った方がいいものと異なる場合ががある。英語で聞いて英語でメモを取るのが一番楽で間違いが少ない。

英語で聞いて日本語でメモを取る時にバグが出やすい。頭ん中の言語線がなんだか英語をひょいと間違った日本語で「書く」。自分は間違った自覚がない。
もう一つは日本語でも英語でも聞いてそれを復唱する時に間違った単語を「しゃべる」手は別の単語を「書いている」

いつだか従業員のマー君が、「おばちゃん、おばちゃん、違いますって!」と私を制するので何かと思ったら、おばちゃんは英語単語をしゃべりながら全く別の日本語を「書いて」いたという。おばちゃんは全然自覚がなかった。

本人は釈然としないのよ。自分では正しい単語をしゃべっている/書いていると思っているので。

この言語の混線は従業員の誰でもたまにあるので、もし、本人が間違った自覚が無くても2人以上の証人がいる場合は「言語の混線間違い」と認定することにした。認定したところで混線が減るわけではないが、誰の混線が原因かを明らかにするだけで、職場全体のストレスが多少減る。

もう一つは、ちょっと違う種類の混線だが、おばちゃんが英語の「Government」 を日本語に翻訳しようとするとGoverment=幕府で変換してしまうのでおばちゃんはいつもバ・バ・幕府でどもってしまうのだった。
何故Government=幕府なのか理由は分からない。海外生活で「政府」という日本語は一番不要な単語だったからかもしれない。

追記:どういうことか考えてみたのだけど、
30年近くアメリカに住んでいると、日本政府の政策やニュースや政府自体がどう成り代わっても、海外生活者にはほとんど何の影響も与えない。日本語で「政府」と発音する必要さえないので、不要になってしまったと思われる。

Eate you alive!

ほんの出来心だったんである。軽い冗談のつもりだった。

ニャ―にゃんは相変わらずおしっこ掛けが止まらず、おばちゃんは絶望的にソファの拭き掃除をして、その日チャイニーズ・スーパーに行ったら生の竹の子が買えたので、おばちゃんは嬉しくてキッチンで竹の子の皮を剥いでディスポーザーで砕いて始末しようとしたら、繊維が詰まってディスポーザーが壊れてしまい、

アパートの管理に電話をして、修理をリクエストし、メキシカンのハンディマンがやってきて壊れたディスポーザーを外して、すぐ戻ってくると出て行ったきり夕方になっても戻ってこず、

そういえば今日は金曜日で、5時過ぎにメキシカンが間違っても仕事に戻ってくるはずがないことが確定してしまい、この間、怪我をした右足の甲はズキズキ痛んで、

それと言うのもシ、シアーズにショッピングに行ったらつるつるのビニール包装の重い重いブロックが胸の高さに積んであって、それが滑って足の甲を直撃しおばちゃんは怪我をし打撲と流血だったにも関わらずシアーズの裏の事務所でバンドエイドを一枚張っただけでソーリーとも言われずに、むかむかしていたんである。

スーパーの買い物を下ろそうにも、ウチのパーキングのロットは部屋から遠いので、一番そばのロットにとりあえず止めて荷物だけ下ろそうとしたところ、ロットの持ち主に怒られてしまい、

おばちゃんは足が痛いので、ケンケンをしながら
荷物を一つ一つ部屋に運んで、、、キッチンのディスポーザーが壊れたんである。いろいろ、フツフツと人生が煮えた。

斜め向かいのベトナム人は最近子犬を飼ったらしく、一日中ひゃんひゃんと鳴いているのが傷に響いた。
これは家庭教師だったスージーの憶測だが、斜め向かいのベトナム人は家族で、観察するところガバメントの何かのプログラムにあずかっているのではないか、と。働いているようではないし、例えば難民プログラムだとか。

税金を払っているかどうかはおばちゃんはどうでもいいが、犬はしつけて欲しい。子犬を飼ったらドッグスクールに連れていって、最低限のしつけをして欲しい。散歩に連れていっているようではないので、子犬が無駄鳴きするのも飼い方を知らないのかもしれない。

とにかく暑くて窓は全開にしている季節だったから、子犬の鳴き声はよく響いておばちゃんのイライラを増幅した。おばちゃんはもう6時だしバドワイザーをブシュッと開けた。バドはかったるいビールだと思う。

味が頼りないのでおばちゃんはジムビームに切り替えた。香ばしい花のような飲み口でその晩はどんどんグラスがすすんでしまい、おばちゃんはすっかり酔っぱらってしまった。

そうしたら、例の子犬がヒステリックに鳴き始めおばちゃんはキッチンに行くと網戸にした窓から子犬に向かって

「黙れバカ犬、黙らないと生きたまま食っちまうぞ」
と英語で叫んだ。
それが聞こえたか聞こえなかったかは知らないが、子犬はどこかへやられたようだ。犬を食べる民族と思われたのかもしれない。

おばちゃんは自分が書いたブログを読み返してみて、いたいけな子犬を脅かしたり、役所の職員を怒鳴ったり
近所の人と喧嘩をしたり、短気でがさつでこらえ性のないアカン人のように見えて、ちょっと落ち込んでいるのである。

おばちゃんは本来争いごとが嫌いで、対戦するようなスポーツはとてもできず、一人本を読んだりコンピューターをいじったりすくない友達を大事にしてたまにおしゃべりする静かな人であった。はず。

東京ボンバーズ

若い人は知らないかもしれないが(これをいっぺん言ってみたかった!)東京ボンバーズって知っているかしらん?
ローラーゲーム!70年代のアメリカ直輸入のスポーツ番組で傾斜したトラックを2チームのローラースケートチームが相手をつぶしあいながら、トラックを何週かごぼう抜きすると勝が決まる。

長い金髪をなびかせたアメリカ人の女の子が、日本人選手をどつき、髪を引っ張ったり、蹴倒すなど悪行の限りを尽くす。
お茶の間に放映されたがこんな野蛮なゲームを女の子は見てはイカンと親に禁止されたスポーツ?番組だった。

アメリカ人チームは悪辣で、日本チームのエース佐々木ヨーコを審判に見えないように背後から髪を引っ張ってバランスをくずさせ、倒れたヨーコを別のアメリカ人チームメートが蹴るのである。

華奢なヨーコは、海老のように丸まりそれでも憤然と立ち上がってコースにもどり前に出ようとするところを、さらに肘ウチを食らって、レールにもんどりを打つのであった。

番組の終了10分前になると、またも足を引っかけられ倒れたヨーコは審判にアピールするのだが、アメリカ人の違反の時だけあさっての方を見ている審判はノーカウントを宣言する。

怒りのあまりヨーコはついに自分のヘルメットをトラックにたたきつけて、トラックに猛然と突進し、邪魔するアメリカ選手を肘ウチでレールにすっ飛ばし、つかみかかってくる金髪を肩で突き飛ばす。

日本人チームメートのアシストを受けて、ヨーコは彗星のようにグループの先頭に飛び出し、満身創痍の勇者はコースを一周し、東京ボンバーズは勝つのだった。

忍び難きをしのび、耐えがたきを耐えてから相手をぶちのめし、勝利を勝ち取るのである。

相手が何もしないのにいきなりキレたら、それはただのアブナイ人である。

おばちゃんも「忍び難き」と「耐えがたき」がいろいろあったのだが、「忍び難き」はあんまり思い出したくない。「耐えがたき」を思い出すと暗くなる。
おばちゃんが怒鳴ったり喧嘩したりしたが、それは忍び難きと耐えがたきがあったからと思っていただきたい。

おばちゃんは今静かに、伊豆の山で庭の草取りをしながら、おだやか~な生活に感謝している。
おばちゃんは静かな人である、スイッチを入れなければ。

ケンカの達人 ジョイス

アメリカで戦い方を教えてくれたのはいろんな人だった。なかでも親友のジョイスは、アメリカ人にどんなふうに交渉すればいいか目の前でお手本を見せてくれたときもあった。当て逃げのアメリカ人を通せんぼして止めたのも彼女だった。

ジョイスは客家系の台湾人である。中国人がケンカをするとき、相手のしゃべるのを聞きながら自分もしゃべり、双方同時にしゃべりながら言い合いをする。相手もジョイスもしゃべるのを止めない。自分がしゃべっているのに、相手の言うことを聞いているの?聞いてる、とジョイスは言った。
中国人は特殊だと思う。

普通のアメリカ人も同時にしゃべり倒して言い合いをしているのはよくある景色だった。相手のしゃべることをたぶん聞いてはいるが理解していない。
おばちゃんも、何度も相手と言い合いになった時があり、その中でふと相手が何を言っているか聞こうとして、自分のしゃべりを止めると、、負ける。

150センチあるかどうかの小柄なジョイスが、大きなアメリカ人に一歩も引かず、相手の矛盾をつぶしていきついには相手が黙ってしまうのだった。

私がかかりつけ(PCP)ドクターにアポを取りたいのだが、電話をしても受付で予約がいっぱいで2週間先になると言われてしまった。と愚痴をこぼすと、ジョイスはもう一度電話をしてこう言えと言った。If somethinge happen on me, Dr. A is all responsible under the law.私が教わった通りに秘書に言うと、秘書はエマージェンシー料金を25ドルもらうがいいかと聞き、次の日に予約をねじ込んだ。やれば、できるじゃないか!

とにかくPushせいと言われた。色んな所で、いろんな人がPUSHしろ言った。物事を動かすためにはPushが必要。
Fightともいわれた。この場合のファイト/戦う は物理的に争うことではなくて、自分の立場を明確にし自分の立場をサポートしてくれる意見や証拠や人を固めて、正義のラインを自分の方に引き寄せること。

保険の査定や契約違反や交通違反で捕まった時や行列に横入りする奴をはじき出すときも戦う。戦って決着がつかなければ、法廷に行って解決が気に入らなければ、結局コブシでカタつけるいると言うのもまたアメリカだった。

遅刻の達人

ジョイスは約束の時間が守れなかった。”貴方が来れる時間に”って約束するのだけど、約束の時間に間に合ったことがなかった。サンフランシスコで1度、ラスベガスで1度、飛行機を遅らせたことがあるからたぶん治らないと思う。

渡米して最初の年にESLで知り合ったのだが台湾系の客家だった。その時点で彼女は20年ほど住んでいたので、英語のおしゃべりに不自由があったわけではなく、文法がダメとか英文が書けないとかの自覚があったみたいで、カレッジの作文クラスや文法のクラスをとっていた。ただし、ファイナルまで受けてクラスを終了することはほとんどなかった。

何故かというと彼女の親戚たちは学校の試験時期などお構いなしに訪ねてきて、そうするとジョイスは親戚のおもてなしが最優先になってテストをほっぽらかす。学校の事務局からはこれ以上ドロップするクラスが増えるともうクラスの登録さえ許さないと最後通告を受けていたが、どれほど止む得ない理由があったかと窓口で力説するので事務の方が根負けするのだった。

電気ガスなどのユティリティの支払いは請求書を受け取って期限までに支払えないので、ガス電気水道アソシエションなどすべてのハウスホールドにかかわる支払いの窓口(地上オフィス)の場所を知っていた。

期限当日に請求書をもって窓口まで行くから約束のレストランで待っていて彼女が走ってくると、まず、なぜ遅れたのか事情を15分は聞かされる。誠実な人柄で信義に厚いのだが、時間と納期だけは守れない。

旦那デービッドの愚痴やガールズトークなどおばちゃんの英会話は彼女で鍛えられたようなものだった。レストランでご飯を食べ2時間おしゃべりをしてそれ以上テーブルを占領するのも申し訳ないから外に出て、駐車場で立ち話で話していると、アメリカ人のティーンががやがやと側を抜けてファーストフードに入り、出てきたら同じティーエージャーが同じ場所に立っておしゃべりを続けている私たちにあきれて、女ども早よウチ帰れ!と言われた。

ある時はショッピングモールのフードコートで待ち合わせ、さんざんおしゃべりをして周りのテーブルにも人がいなくなり、モップを持ったジャニターが掃除を始めても動かず、でも膀胱の方が満タンになってきたので二人で御手洗いに行ったら用をたしている間にトイレも電気が消された。

フードコートにはもう誰もいなくて無論電気も消えていた。キャー怖い!と私が言うとジョイスは前はどこそこのモールで閉じ込められたと言っていた。出口の鍵はまだかかっていなかったので助かった。

家族とか親族とか友達にはとことん尽くす。アメリカ人に理不尽なことを言われたら、こう言いかえせとかこう戦えとか、アメリカで生きていくためには何をわきまえて何をすればならないのか教えてもらった。ただ、時間は守れなかったけど。

直伝の餃子

ジョイスは客家出身で台湾経由でアメリカに来たから、ジョイスが作る餃子が中国人の伝統餃子だと断言はできない。ある時、夕食に招かれていたので時間に行ったら大慌てで準備中だった。若きおばちゃんは料理が嫌いではなかったので、一緒に作ろうと言って手伝った。

餃子の具や包み方は家それぞれの伝統があるのだという。ジョイスは白菜を微塵に刻んでいた。ボールの白菜を短い時間電子レンジにかけ、ギューッと水を絞った。
味付けの塩や調味料を入れた。(ここはよく見てなかった)ひき肉を混ぜて白ワインを少し足した。台湾だったら紹興酒なのかも。ネギも玉ねぎもニラもニンニクも入れない。

焼き方はフライパンで蒸し焼き、鍋貼だった。もしかして私のことを考えて、あえて鍋貼だったのかもしれない。出来上がった餃子は唐辛子ソースオイル?HotOilをつけて食べる。酢醤油は付けないの?と聞いたら酢醤油って何?とそういえばレストランでも酢醤油はないもんね、。

ジョイスはFreshなおかずはいつ作るの?と私に聞いた。FreshFoodsが分からない。いろんな角度から話して分かったことは、ジョイスは家族全員がそろっている日曜日に大鍋いっぱいのスープを作る。これが今週のスープ。それと何種類かのおかず。

で、次の日はスープを温めておかずを温めて、目先を変えてスーパーの蝋肉(チャーシュー)を買ってきておかずに追加したりするらしい。

はぁ、そうかそれで分かった。このさっきから何だろうと思っていた黒いチャーシューは何回目かにチンした中華スーパーの蝋肉(チャーシュー)だったのだ。私もよく買ったけど、買った当日は赤っぽいのね。何回かチンすると黒くなってくるのだ。

油の使用量も質問がかみ合わなかった。ジョイスは1月に30リッター缶を何缶使うの?と聞くのだが私は3~4か月に500ミリを1本使うかなぁ?と答えたりしてお互い質問が間違って聞こえてるのだと思っていた。ジョイスはその時下の娘が3人家にいたから5人家族で多分30リッターの油を2~3缶使っていたのだろう。


お互いの食文化が違いすぎて信じられなかった。だって、ほうれん草のお浸しは塩を一つまみ入れて茹でると言ったら、えっ?青菜は油を入れて茹でるものでしょう?と返事が返ってきてお互い驚いた。

ジョイスの家はきれいだったけど、この油の使用量のせいで中国人の住んだ家は買うものじゃないと言われていた。インド人のキッチンもスパイスが染みつくので同じく買うものじゃないと言われていた。

まぁ、ジョイスみたいに今週のスープとおかずを週末にまとめてお料理をするのがどれほど中国的に伝統的一般的なのか分からないけれど、二人でおしゃべりをして夜の9時に帰ってもジョイスはチンすれば家族に夕食を出せるわけでそれが女二人でゆっくりおしゃべりできる秘密だったのだろう。

純白のジャガー

ジョイスの前の旦那は台湾人で母親が宝石商だった。乗っていた車がジャガーで、ジョイスは何かジャガーに特別な思い入れがあるようだった。

中国人も韓国人もベンツ大好きなのに?ジョイスはあくまでもジャガー、白のジャガー。

デービッドが乗っていたのは古いホンダでジョイスはBMWだった。ホンダが限界になりとうとう真っ白なジャガーを買った。ジョイスのBMWはデービッドに下げ渡しになり、普段はジョイスがジャガーを運転していた。

ある時二人で旅行社に行ってバケーションの相談をして外に出ると、ジャガーの周りをポリスが取り囲んでいる。運転手はお前か?と聞かれデービッドがそうだと答えると登録証を出せという。

ポリスは登録証をパトカーに持ち込んで照会を掛けた。さらにポリスはこの車はお前の車ではないといい、押収するから車から自分の持ち物を出せといい、トランクも開けてテニス用具だとか荷物を全部下ろさせた。レッカー車を呼んで引いて行ってしまった。

その頃には、モールのにいた買い物客も野次馬になって眺めている。
デービッドは何を言ってもポリスに相手にされず恥ずかしさと困惑でわなわな震えていたという。物静かな人が、。

タクシーで家に帰って電話をかけまくると、ドジをやったのはローンを組んだ銀行だと分かった。ディーラーから買って名義変更を忘れたのだ。ジャガーを取り戻さねばならない。

真っ白な新車のジャガーはその時、ポリス御用達しの露天のジャンクヤードに放置されていて、引き取りに行ったときは、新車のボディに擦り傷がつき運転席はドロドロに汚れていたという。

デービッドは激怒してとにかくドジをやったのは銀行なので今月のローンは絶対払わないし傷ついたボディを何とかせい!と抗議していた。名義変更を忘れるのもアメリカよね。

先日、これまた物静かでホントにいいひとだったSさんが荒れ狂って一枚の写真を公開していた。家の中がハリケーンが通ったみたいにひっちゃかめっちゃかになった写真。
奥さんと一緒に家に帰ってきたらドアが開けっ放しで惨状が見えたそう。めちゃくちゃにしたのはFBIだった。隣の家と間違えて家宅捜索したんだって!

留学生あるある 恋愛と永住権

おばちゃんはこれから世界に羽ばたこうとしている若者の夢を壊すつもりもなければ、勇気をくじく意図があるわけでもない。どちらかと言えば、おばちゃんのこのブログを読んで異国の地で墜落や沈没せぬよう励ましのつもりである。

日本の最新ファッションはOCでもわかる。日系スーパーに行くと、その時々の日本の最新ファッションに身を包んだ留学生がいるからだ。ある時はみんなチロル帽みたいな帽子をかぶり、リュックを背負って底が厚い靴を履いた女の子が見られた。
ある時はショーツに黒いタイツでつま先をㇵの字して唇を突き出した女の子がいた。
元々曲がった足をㇵの字にすると、さらに姿勢は悪くなってただでさえ見苦しいスタイルがますます醜い。

この国では、小っちゃくて可愛い女の子を喜ぶひ弱でオタクな男はいない。いやん、と身をよじって上目づかいでシナを作っても、寄ってくるのは同じくスタイルの悪い日焼けでくすんだ駐在員だ。

なんだか勝手が違うから、ひらひらのスカートをやめ染めた髪も褪めるままに、化粧も変わり意思表示をはっきりし、気が強くなって現地化してゆく。

留学生は、語学学校からカレッジさらにユニバーシティとトランスファーしていかねばならない。現地の語学学校は最初こそ目新しいが、やっていることと言えば日本でもやった文法やイデオムであったりするから、ダレてきて休む。

休んでも学校は何も言わないからバイトに精を出したりする。学校としては、全生徒が出席するととても教室が足りないので、
適当に休んでくれた方がありがたい。留学生ビザをキープするためには語学学校に所属し、学校が発行するI-20に金を払わねばならない。留学生は大切なお客さんなのである。

志高く目的をもって来た留学生ばかりではない。おばちゃんが聞いた一番情けない例はバイトも見つからず部屋を追い出され、語学学校に泣きついて(経営者も日本人だったから無下にできなかったのかも。)

学校が経営する他分野のビジネスに留学生を雇った。食べさせて住まわせて働かせて給料はなし。何のことはない、無料の従業員を飼っているようなものだ。異国で生活していく最低限の才覚がない留学生なら、おばちゃん、「日本へケエレ」と思う。

日系人の家に間借りして、禁止されているのにボーイフレンドを連れ込んで追い出されたり、夏休みにルームシェアの仲間が一人帰り家賃増加分がなくて貸してクレクレ

DUIで捕まって違反記録を消すのに弁護士費用がなくてクレクレ交通違反でポリスに止められ、文句を言ったらペッパースプレーを掛けられた、、、あるある。

めでたく語学学校を出て多少英語に自信が付きとりあえずカレッジに入る。留学生の授業料は、アメリカ人の7~8倍に設定されている。クラスによっても授業料に違いがある。年間の必要ユニットを取得するには何クラス取ればよいか?自分のゴールを達成するための最短最低費用のクラスはどれだ。自分の懐具合と、カリキュラムをにらめっこである。

おばちゃん、麻雀はやったことがないが、上がりにはいろんな「手」があるそうね。上がるだけを目的にして、安い牌だけ集めても大した報酬になるわけではないそうな。

当たり前だけど、自分の後半生がこのクラスに左右されるわけだから何の手で上がるか考えようよ。誰もが取れるCommnicationの手は安いよ。

恋愛と永住権

おばちゃんは、金髪に惚れるなと若い子に教えていたが、アメリカ人と結婚して永住権(グリーンカード)を取ったとしても
グリーンカードはアメリカで安住して暮らしていけるパスポートではない、と繰り返し言った。

ビザしか持っていない間は、安心して滞在できて仕事を選べる永住権が欲しくてたまらないが、永住権を手に入れたとしても、永住権が食と職を保証してくれるわけではないのである。

手に職をつけること、スキルを身につけること。看護婦は職が安定しているし、会計士も固い。文章能力が高いならパラリーガルもねらい目だ。

結婚することと、自分の能力を磨いてスキルをつけキャリアを積むことは別物だ。
結婚したからといって、スキルもいらない日銭を稼げるだけの仕事になぜ流れるのだろう?誰でもができる仕事はすぐ見つかるが、すぐに無くなる仕事でもある。

リーマンショックで一番先に夜逃げしたのは、ネイルサロンだった。たった1か月のネイル・スクールで身に付けられる技術で一生食っていけると思うのがおかしい。

あなたが仕事を首になっても家や車のローンを助けてくれる親や親族はこの国に誰もいないのだ。学校に戻れるうちに戻れ、と。

ポルシェを買う

おばちゃんがポルシェを買うわけがない。おばちゃんもダンナも根っからの庶民である。身の丈を知っているので、たとえ軽なみに安かったりしてもポルシェは買わない。「腐っても鯛」は信じない。
腐ったら鯛は食えないから買ってはイカンのである。鰯でいい。

ある時、ウチの女の子が「お話があるんですが、」と切り出した。この「お話があるんですが、、」というやつが一番どきっとする。いい話であったためしがない。給料日の後だと、金額が間違っていたとか?まさか辞める相談ではなかろうかとどきどきする。

「実は相談にのっていただきたくて、、、」
「ポルシェを買ったんですが、」
え?
「ポルシェを買ったんですが」
えっ、
「あんたがポルシェを買ったぁ?」

おばちゃんはこのやっと二十歳を過ぎた女の子が、何を言っているのかさっぱり分からなかった。「実は人に頼まれて、ディーラーでポルシェを買ったんです」ナルホド、そういう話か、、。で、?

BMWもそうだがポルシェもヨーロッパから正規代理店を通して日本で買うと高い。アメリカで新車を買いオーナー登録をしてから、中古車として日本に輸出すると、正規輸入よりぐっと安くなる。ポルシェのカイエンが日本で800万代になる。

同じ名前のオーナーが日本に何台も輸出すると、目を付けられるので、車の登録をしてくれる名義人が必要だった。数百ドルで名義を貸してくる間抜けな学生が必要だったと。

で、あんたが食いついたと。代行業者が輸出手続きを済ませて、車を日本へ送り出した後、州のDMV(自動車登録局)からあんたにポルシェの自動車税を払えと通知が来たから困ったって?

でもポルシェは売って、名義はすでに変わったと主張しても、DMVはでは名義が変わったという証拠を見せろと、。業者に連絡しても返事がないと、。
やれやれ。

色々調べるとDMVが税金をこちらの名義人に請求して来るということは、車の登録証はまだ変更されていないということで、手元に残っていたピンクスリップか登録証なしでは日本での売買ができない。

業者もやっと気が付いたようなので、登録証は絶対渡すな、税金分の金を支払えば、売買契約書のコピーなどの証明書類と引き換えに送ってやると連絡をしろと。ぐずぐずいう業者をがんという態度を見せて事態は収束したのであった。

アメリカの車事情

アメリカ人の懐事情は車で一番わかる。ウチの女の子が男と付き合うときは、相手の男がどんな車に乗っているか、しっかり見ろと教えていた。

身の程を知らず無理をして家を買い、キューキューしてローンを払っているアメリカ人なら、車にはとても手が回らない。車を見れば、懐具合を図る目安になる。家を買う前のまだ若い世代ではどうか。BMWに乗っていたら要注意である。何故か?

BMWは日本で買うより、アメリカではず~っとお手軽価格になっている。ベンツやレクサスにとっても手が届かないけど、気分だけリッチになった気がするBMWはぴーぴー言っている貧乏世帯にも何とか手が届く。
な~んちゃって外車なのだ。

新車のカローラとかビッツより安かったりすることもあるのである。身の程知らずの見えっぱりに引っ掛からないように、おばちゃんは教えるのである。

ちなみに、金持ちになると車はどうなるか?世帯収入が20万ドル(2千万以上)前後が一番ベンツやレクサスに乗って見せたがるようだ。

1億を超えるような本物のセレブの場合、事情は変わる。どこにでもあるようなバン、見てくれは普通だがカスタム仕様でバレット・プルーフ。強盗と誘拐が一番怖いからだ。

おばちゃんが実際知り合ったのは、自宅はプライベート・ビーチ付きの55億
(当時、今はたぶん2倍の100億くらいだろうか)。車がトヨタのエスティマで(どんな装備が施されているかわからない)自宅には専属メカニックが住み込んでいた。

きらめくシャンデリア プール 螺旋階段

ひと月$700の最初のアパートの部屋にはシャンデリアがぶら下がっていた。普通に学生も住む標準のアパートである、築後30年は経っていたと思う。新しいこじゃれたアパートになるほど、古臭いシャンデリアは姿を消し、天井埋め込みの間接照明が多くなる。

最初の昔ながらのシャンデリアは、小さなロウソク型の電球がぐるりと半ダースもついて、ダイニングエリアにぶら下がっていた。
鎖が意外と長くて、たくし上げるのも面倒くさかったから、テーブルの席によっては、ダイニングテーブルから勢いよく立ち上がると、頭にぶつかりそうになるのであった。

ダイニングの照明はそれ一つであったから、ソファに座るととても本など読める明るさではなかった。フロアスタンドを買って、一番明るい100Wを付けてソファ周りは明るさがあるが、それでも部屋の天井や隅は薄暗かった。

新しめのアパートに引っ越してもリビングの照明は一か所。薄暗い部屋はなにか貧乏くさい感じがする。と当時のおばちゃんは思った。キッチンの天井のライトをつけ、リビングの照明をつけ、フロアライトの100Wを付けて、すみずみまで明るくなって、ようやく幸せな生活になった気がする。

夜の10時に主人をピックアップして帰ってくると、3階の我が家だけが、パーキングに入る前に目に飛び込んでくる。何故ならひときわ明るくきらめいていたからだ。前後左右すべてのアパートでそんなにも明るい部屋はどこにもなかった。若きおばちゃんは、何か田舎者になったようて恥ずかしくなってフロワーライトの電球を40Wに落としたのであった。

蛇足だが、アメリカのフィラメント電球は売っているときから「切れて」いることがある。先人の日本人のおばさまから、買うときに確かめてから買うようにとアドバイスをいただいたものだ。

私は何を言っているのかしら、このおばさまと思ったのであるが、本当だったのである。商品の電球を持って、振る。シャラシャラと音がするなら切れている。

おばちゃんは、今でもホームセンターでフィラメント電球を買う時振ってしまう。日本で今のところ不良品には出くわしたことがない。

プール付き

家にプールがある人は珍しくない。馬小屋が付いてる場合だってある。住み移ったアパートにはみんな25メートルプールが付いていた。のちに買った家にはアソシエーションのプールがあった。蒸し暑い夏は、何度か泳いだこともあるが、大人はそうそう泳がない。日焼けしたくないし

知り合いは自宅にプールを自分で掘って作った。土木的には難しい構築ではない。2008年に掘り始めたら、サブプライムの不況が襲ってきて、庭に掘りかけたまま大きな穴をさらしていた。2年ほど穴をさらしていて、金が回り始めたらようやく完成したようだ。

水不足のカリフォルニアでプールに一旦水を張ると、そうそう水の入れ替えはできない。フィルターとポンプで漉しているといっても水の状態はけして良くない。夜の間にガ、アメンボ、甲虫、バッタなどのありとあらゆる昆虫が盛大に水に飛び込む。この虫を掬って始末するための専用の長~い玉アミが売っているほどだ。

プールのメンテ会社も好景気には繁盛していた。メンテ会社に払う金を惜しめば、父ちゃんが昆虫アミをもってくそ熱い土曜の朝からせっせと虫を掬わねばならない。なんで、俺がこんなことをするんだろうとブツブツぼやきながら、息子にやらせればいいのだが、息子は金曜の夜からいない。

プールは面倒くさいので、大きさがもっと手ごろなJacuzzi(ジャク―ジ CUにアクセント)を買って庭に置いてみたいと思うだろう?
シャンパンを片手に、緑の芝生を背景に美女と笑いさざめくのだ。が、プールと同じことで、ふたをするのが面倒くさい、蓋をしないと虫が入る。しっかりと入れた塩素剤がポンプでブクブクされると、実に塩素がのどに来て痛い。髪も肌もバサバサになる。

水道代も電気代もバカにならない。油断するとハロウィーンの夜には、近所の悪ガキに洗剤をいれられてバブルのスイッチもオンにされ、あわぶくが1メートルも芝生にあふれることになる。思っていたロマンチックな幻想がぶち壊されて、瞬く間に邪魔くさい無用の長物となって、カミさんにうざがられる。

そんな事情で中古のジャク―ジはわりと余っている。
あなたも一つどうだろうか?

螺旋階段

アメリカだから、らせん階段があるのよね?と日本の幼い子にと聞かれて困ってしまった。らせん階段?をしずしずと美女が降りてくる?中世のヨーロッパだろうか

階段をらせん状にする理由はスペースが狭いからだと思う。アメリカの豪邸にある場合、どちらかと言えば宝塚かな。あるいはラスベガスか。
吹き抜けのホールに、左右合流するだ~んと広い階段。LAは別だが、郊外は広大に広がっていて普通の一軒家は普通に階段があり、大豪邸はだ~んと宝塚。

郊外の都市に高層ビルがなくて、びっくりしたものだった。高層ビルに邪魔されない郊外の空は、広~くハレバレとしていた。土地はたっぷりあるので、ビルを高くする必要がなかった。

有名ショッピングモールでもほとんど平屋か2階まで。延々と何ブロックにでもまたがっているので、何か所もある駐車場は目当てのショップに近いものを選ばないと、長く歩く羽目になる。

日本にも進出してきたCostco(コスコと発音する Tは無性音)は1990年代初め、店員はローラースケートを履いて移動していた。嘘やおまへん! ホンマどす。テコテコと店内を歩かねばならない客の私はうらやましかったものだ。

自動ドア

カリフォルニアにはほとんど自動ドアがなかった。ドアは自分で開けるもの、開ける際に後ろを見て、人がいたらドアを押さえるものと教わった。
押さえてくれる人がいたら、ありがとうと礼を言う。

帰国したらほとんど自動ドアだった。たまに自分で開けるドアの場合、後ろの人のためにドアを押さえていると、後ろの人は何も言わずに通っていく。
会釈も笑顔も返さない。2人目も3人目も幸いとばかりずんずん通る。

大体観察していると、人がドアを開けるとき、本人は後ろを見ていない。後ろの人は他人とばかり、手を放して後ろの人の顔の前でバタンと閉まる。
すごくショックである。
建物のドアで私のために開けてくれ押さえていてくれる日本人は、今のところ主人だけである。
なんか、悲しい。

日本の洗濯物は臭い

手続きのために一時帰国して、主人の兄の家にご厄介になった時。使ってね、と渡されたバスタオルは臭かった。あら、お義姉さん几帳面な方なのに、使用済みと間違ったのかしら。忙しさにまぎれて深く考えなかった。

一か月後猫も引き連れて永久帰国して来ると、主人の実家の空き家に落ち着いた。縦型の洗濯機があった。乾燥機はついていない。
洗濯が終わったら干すんだっけか?なぁ~んだろう?なんか変なにおいがする。ず~と昔昭和の子供のころ、こんなニオイを嗅いだ記憶がある。湿って酸っぱくて雑巾のようなニオイ。

アメリカの洗濯物は全くニオイがしなかった。お兄ちゃん猫にアトピーが出たため、家庭内の要らないケミカルを排除したからウチは柔軟剤も使っていなかった。だから、乾燥機から出した綿製品はコットンの匂いがするだけだった。

縦型洗濯機だから臭うのだろうか、イヤだなと思いつつ家を買って引っ越すと、先代のおばちゃんが残した東芝のドラム式乾燥機つき洗濯機があった。

山の生活では、ガス乾燥機を取り付けるのは現実的でないと分かったので、ドラム式乾燥機付きで気楽な洗濯生活ができるとホッとした。

ところがである。
最初うっすらだったニオイが洗濯機を使うにつれて強くなってきた。洗濯後に臭う物は、乾燥機をかけても畳むころには、また雑巾のニオイがしてくる。コインランドリーで洗濯するときはほとんど臭くないから、洗濯ものが悪いわけではなく、洗濯機が原因なのだ。

その時初めて、テレビの洗剤・漂白剤・柔軟剤のCMがうるさいほどにぎやかなのに気が付いた。

日本の洗濯物はくさい一体何が原因なのだろう?ドラム式のふたを開けて、中をのぞいてみた。なんとなくドラムにさわって揺らすとちゃぷちゃぷ音がする?
洗濯槽の水が抜けていない!

水がある限り日本の湿度の高い気候では、バクテリアが繁殖するに違いない。水を抜かなければ。ところがいくら脱水をかけても、水は抜けず、壊れてると思っておばちゃんは東芝に電話を掛けたのであった。

カスタマーセンターのお姉ちゃんは、水は抜けません。設計でそうなっているのです。仕様です。
おばちゃんはコンピューターでさんざん経験を積んでいるので、この「仕様です」という言葉は自分の設計の失敗を開き直って、使用者にすべての責任をおっつける言葉だと知っている。

おばちゃんは、ホームセンターで一番細くて長いスポイドを買ってきて、ゴミ取り口から水を抜こうとした。出来なかった。
その時、洗濯機に洗濯槽のクリーニングスイッチがあるのを発見し6時間のクリーニングの結果、ニオイはややましになった。

そのうちに、先代の洗濯機は壊れた。
おばちゃんは、期待をもって新しいドラム式乾燥機付きを買った。


余談だが、「ざぶ~ん」というネーミングは秀逸だと思う。ネーミング大賞をあげたい。コインランドリー「しゃわしゃわ」という店もあったがこれも好きだ!

無臭だったのは最初の2か月だけで、新品の東芝はまたニオイ始めた。大体、原子力プラントを買ってコンピューターを作る会社がどうして、洗濯機から水がぬけないのだろう?バクテリアが繁殖しない温度で洗濯できる洗濯機が作れないのだろう?

東芝8社とか言って東芝の駐在員は、アメリカで洗濯機は売っていなかったがテレビとかコンピューターは売っていたね。東芝とソニーのテレビは一番高くて手が出なかったね。性能も素晴らしかったし。


8社の颯爽とした駐在員は、熱いお湯で洗濯ができる大容量のアメリカ製の洗濯機とドライヤーで、快適な洗濯生活を楽しんでいたと思うが、日本に帰国したとたん、自社製の洗濯機で洗濯をして何やら臭いに困惑しないのだろうか?
できるなら、日本初の熱いお湯で洗濯ができ雑菌が繁殖しない洗濯機を開発していただきたい。ついでに乾燥機のオプションには「高温ダニ殺し」スイッチをつけてください。
おばちゃんからのお願いです。

海外の嫁姑事情

海外にも嫁姑問題はあるのか?
ある。

親友ジョイスは大雑把に言えば台湾系で、カナダ経由でカリフォルニアに渡った。ダンナも同じく台湾系だが上海出身でやはり台湾からカナダに流れた。

台湾というか、中国も日本の戦前の家族観が続いていると思ったらよい。家族法も日本でいう旧法のようで相続は長子の男子総取だったりする。親友のジョイスは、実はバツイチで一子あり、ダンナより4歳年上。
このジョイスが結婚するとき、ダンナの母(姑)は荒れに荒れた。新婚旅行に同行し、夜は嫁を別室にして自分が息子と眠った。

面と向かえば非難と批判に糾弾である。新婚家庭に数か月居座り、彼女が料理をしても食べない。中国女は気が強いが、ジョイスは儒教に縛られていて姑には言い返さなかった。ビザがない姑が長くいられるわけもなくアメリカと台湾で別居したところで東西冷戦状態に突入した。

ダンナの父が亡くなった時は、葬儀に台湾に帰ったがジョイスはホテルに滞在した。彼女は葬儀には出ず先に帰米した。葬儀が終わってダンナも帰国してきたが、ダンナが持ち帰ったお土産がJを大爆発させた。これは嫁にやれ、と壊れたドライヤーを姑に持たされたのだ。

「ねぇ、どう思う!どう思う!」ダンナがアホじゃないかと思うのだが、
ん~とか、あ~とか冬彦さんはアメリカにもいるのかと思った。ちょうど日本でドラマになったころである。

その他家族事情中国人の家族「ファミリー」の観念はちょっと日本と違う。父方か、母方か従妹の関係を一言で表す言葉が豊富らしい。

ジョイスには姉が何人かいて姉の一人が結婚した。ダンナには幼い妹がいて、ジョイスの姉が母替わりで養育した。ところがダンナのギャンブルと酒が問題で結婚は破綻した。

ジョイスの姉の元ダンナの妹は、のちにカリフォルニアの中華系と結婚し、この中華系がIC製造で大成功して長者になる。パシフィック・パリセリードで大豪邸を構え、クルーズ船をチャーターして、一族をクルーズに連れてゆくのである。

ジョイスも一族としてヨーロッパを回り、私はイタリア土産のバルサミコ酢をもらった。

姉の元夫の妹は、IC富豪が自分の親族にバカバカ金を使うのに心穏やかでない。係累が少ない自分の親族をあらん限り呼ぼうとする。自分の兄の元妻の妹も親族として大盤振る舞いをしないと公平ではないと思う。

だからIC長者からすると、自分の妻の兄の元妻の妹も十分にファミリーとして範疇になるらしい。

時は過ぎて、ジョイスの知り合いの中国人が娘を持ち娘は大学の同級生の韓国系2世と結婚した。両民族(ファミリー)は結婚を祝福したのであったが、アメリカ育ち2世の結婚は最初はうまくいっていたのだが、韓国系ダンナが中国系妻を殴り、気の強い中国系妻が親に泣きついて、一挙に民族闘争と化すのであった。

中国系は親戚の男手を集め、ついでに得物(火器ではない、捕まるがな!)としててんでにバットや棒を持ち、中国系は韓国系実家に殴り込みに行ったのである。20世紀が終わるころの実話である。

アサちゃんの場合は

ウチの仕事に来た時、アサちゃん(仮名)はすでに子供が一子いた。アメリカ人のご主人は、彼の母親のお気に入りのBoyらしかった。ストレートでダイレクトなアメリカ人が、歯に絹きせずに物いうとどうなるかというと。

I hate you。と
私のお気に入りの息子を取ったお前が嫌いだ。銃があるなら撃ってやりたいよ。アサちゃんも、アメリカにもまれて経験を積んでいる。

姑の顔に触れそうなまで自分の顔を近づけて、そうか、撃てるもんなら撃ってみな!そう言ってやったんですよ。アサちゃんは鼻息を荒くして私に言った。

二人の女は天敵である。同じ部屋にいることはない。アサちゃんは子供の数は増えたが、ダンナはアリゾナに行き、今は離婚して平和だ。

ミドリちゃんは、バイトの同僚だった金髪ブルーアイズと結婚した。ダンナが日本趣味でわざわざしゃぶしゃぶ屋でバイトをしたのだが、実は、金には全く困っていなかった。

海岸沿いの広大な土地に代々の墓があるような、地主の息子だった。シンデレラの物語は本当にあったが、結婚生活には鬼婆の姑がもれなく付いていたのである。

鬼婆はミドリちゃんにむかって、ストレートを撃つ。
「あんたはウチの金が目当てで息子と結婚したのよこの ビッチ!bitch」って言うって。ミドリちゃんは子供を抱え、撃たれっぱなしだった。

自分が戦って強くならねば、誰も守ってくれない。子供ものためにも強くならねば、国を撤退することにもなりかねない。戦え!戦って強くなれ。

花粉症はよその国に行けば治る

昭和の終わりにおばちゃんはスギ花粉症になった。大した林や公園あるわけではなし、スギ花粉が盛大に飛んでたとも思えなかったが、とにかく花粉症になったのであった。

渡米が決まった時、スギ花粉症がこれ以上悪化しては困るなと思っていた。ところが、南カリフフォルニアの郊外都市ではあまりスギや針葉樹が見当たらなかった。ヤシの木、ジャカランダ、ユーカリの街路樹ブーゲンビリアやハイビスカスの生垣。

くしゃみと鼻水にすっかり無縁になったころ、ホームセンターに行って、うっかりCeder Tree(ヒマラヤ杉)で作られた虫よけボールをさわってしまった。鼻水大噴出でその日一日使い物にならなかった。カリフォルニアでスギ花粉症に危険な場所は、ホームセンターだったのだ。

おじちゃんはDIYが好きでホームセンターの木材売り場をしょっちゅうのぞくのであったが、おばちゃんは遠巻きにして近づかぬことにした。やっぱりスギは危険ね、そのうちアレルギー検査を受けておいた方がいいかも。
ところがおばちゃんが加入していた健康保険は、アレルギー検査を受けさせてくれなかった。ドクターによれば、あんなものはあてにならぬのだそうだ。

医療費に敏感な健康保険は加入者がむやみにテストを受けたり要らん治療を却下するのであった。おばちゃんの知り合いの奥さんはひどい花粉症が治らずとうとう、グアムに移住した。

グアムのフローラは針葉樹がなく、空気中の水分も多いので、たとえ花粉が飛んでも重くなって落ちるそうだ。

そうして平成の世が終わるころ、おばちゃんは日本に帰ってきた。買った家は山の中である。堂々たるヒノキの林の中である。
と言ってもおばちゃんはヒノキもスギはよく区別がつかず、これは大変な事をした思ったのである。時は5月で花粉の時期には遅かったのか、目がしばしばすることもなければ、鼻水で赤むけになることもなかった。次の年は、花粉が飛ぶ前にヒノキの葉っぱを毟って、お茶にして飲んでみた。

ヒノキ茶が効いたか効いてないかどうだか、花粉症の症状はなにも出なかった。これはもしかして、おばちゃんお土産をもらったのかもしれないと思い始めた。
平成の間に日本の杉花粉からきっぱりと隔絶されたため、おばちゃんの免疫バリアーがリセットされたのではあるまいか?ラッキー!

花粉症はよくなっていたが、おばちゃんはマンゴー・アレルギーを発症していた。仕事が終わって自宅に帰ると11時前後になっている。それからヘビーな食事はできないので、果物、ヨーグルト、缶スープなどで軽い食事をとるのだった。

果物王国のカリフォルニアでは、メロンもマンゴーもむしゃむしゃ食べられるほど安い。スーパーで真っ赤に熟したマンゴーを箱買いである。8個で12ドルとかその辺。毎晩1個づつむしゃむしゃやっていたら、逆流性食道炎になった。
胃や食道がキヤキヤする。やはり寝る前に食べるのが良くないのだよねぇ。

ある晩、おじちゃんから指摘された。
おじ:おまえ、唇が真っ赤じゃん。
おば:ぇっ!
おじ:唇ブリブリ。それアレルギーじゃん。
おば:朝には治ってるけど?
おじ:アレルギーじゃん!

おばちゃんは、以後マンゴープリンもマンゴーケーキもドライマンゴーも全く無縁の生活を強いられ、食道炎らしきはマンゴーをやめたら治った。帰国後は、日本のマンゴーが1個800円とか、1000円とか、宝石を買うのか?というほど高くとてもむしゃむしゃ食べる値段ではなく手も出ないのであった。アレルギーはよその国に行くと治る

元号が覚えられない カタカナが怖い

LAの総領事館のオフィスがまだ下方の階で、広くって超高学歴・完璧バイリン”風”の窓口の大使館員おばさんがいたころ、もっと偉そうでつっけんどんだったころ。
窓口には、戦争後に来たんじゃないかという、日本人のお婆様が申請フォームを手に、もう日本語なんか書けないし、言葉も色々忘れちゃってるから、バイリン風窓口のおばさん大使館員が、くどいくらいあれこれ日米両言語で問いただしてた。

窓口の上方の壁には横1メートル・縦50センチくらいのでっかいサインボードがあって、老眼鏡も絶対必要ないだろうという大きさで
「今年は平成 X 年です」と書いてあった。
まぁ私も見たときは ああ、もう X年なんだと思うのだが、次に領事館に来るときは当然ながら年が変わっているわけで、ああ、X年なんだ。とまた思うわけ。

日常生活で日本の年号を目にすることもないし、ネットはまだ黎明期で、Yahoo!か朝日新聞がようやく稼働を始めたかという時期だったから。日本は今、年号で何年になるのかさっぱり覚えられなかった。

渡米した日本人に共通していることだけど、渡米すると自分の中の日本の時が止まる。記憶の中の日本は昭和 X年、あるいは平成 X年なんだね。その代わり、渡米してからの経過年数は絶対忘れない。
自分の年を忘れても、アメリカに来てからの年は忘れない。死んだ子の年を数えるみたいに。

私も当時の窓口の婆様になりかかったころに日本に帰国してきたから、当然平成年号が記憶できていない。おばちゃん、平成が何年で終わったかも覚えてないから西暦でしか生活できない。
でも、年齢を引き算するには西暦の方が絶対便利よ?


実をいうと、日本語が書けない。
コンピューターのキーボードがないと書けない。手書きで書けるのは自分の名前と住所。これは帰国してから練習した。だって、アメリカでは日本語を書く必要がなかったから。

領事館で証明書類を申請するときくらいで、電話債権を売るのに在留証明を取らないといけなかった。その在留証明にはなぜ在留証明をとりますか、理由を書け、とかあった。

なぜ理由を聞く?。
と思いながら債権?そんな漢字が書けるわけもなく、こんなところで日本語を書かせるのがまず間違ってると、ぷんぷん怒りながらひらがなで理由を書いた。

仕事中に書くメモも日本語だったわけではない。頭が半部英語モードで動いていると日本語に切り替えるのがすごくつらい。
あの、ひらがなというやつが曲者だった。一番困るのは「な」「ね」「の」「ぬ」
止めのところがどちらかにくるっと曲がるのがどっちだったか?右か?左か?自信がない。「な」ってこっちに曲がるんだっけ?と従業員に聞いても、ん~ん、そのように見えますが、彼女だって自信がないのだ。

アルファベットだと文字数はたった26文字で全部書けるのにね。それにというものは何十年もやっていないと、書き方も忘れてしまうのだ。

ひらがなも困るが、カタカナは嫌いだ。
渡米する際には日本から文豪ワープロとインクリボンを持って行った。当時のアメリカでは日本語を書けるコンピューターがなかった。Windows 3.1では日本語が書けず、印刷するプリンターもなかった。Windows95が発売されてやっと日本語が書けるようになった。

キーボードがあれば日本語メールを書くのに不自由はなかったので、買い物メモもToDo Listも日本語である必要がなかった。
ジャガイモはPotatoって書けばカタカナより早いし。周りの日本人はみんなそうだったからね。中国人のサマンサだってジョイスだって、漢字は書けないって言っていた。日本語のニュースはネットや書物で読んでいたから、読む能力は衰えていなかったが。

何年かに一度、親戚友人などがやってくるとディズニーランドへ案内した。親戚・知人は日本語の園内地図を選びおばちゃんは英語を選んだ。カタカナが読めないから。

おばちゃんは、カタカナしか書いてないMapを見るとパニックになってしまう。「ウエスタンランド」というカタカナの音がWestern Landだということを変換するのに時間がかかるから。すごくつらい。

日本語のつづり(カタカナ)は英語の音をあらわしていない。
ラリルレロの綴りは 「L」か「R」かバビブベボは 「B」か「V」か「th」はどうするか?だから頭がフリーズして日本語への変換を拒否していたのだ。

日本で一番の恐怖の場所はDVDや音楽CD売り場。
頭痛と吐き気が止まらない。パッケージのラベルがカタカナ表記で、さらに日本語語順 ア イ ウ エ オでカテゴライズされてたから。Tayler Swiftが「」行にあるんだよ?

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