きらめくシャンデリア プール 螺旋階段

ひと月$700の最初のアパートの部屋にはシャンデリアがぶら下がっていた。普通に学生も住む標準のアパートである、築後30年は経っていたと思う。新しいこじゃれたアパートになるほど、古臭いシャンデリアは姿を消し、天井埋め込みの間接照明が多くなる。

最初の昔ながらのシャンデリアは、小さなロウソク型の電球がぐるりと半ダースもついて、ダイニングエリアにぶら下がっていた。
鎖が意外と長くて、たくし上げるのも面倒くさかったから、テーブルの席によっては、ダイニングテーブルから勢いよく立ち上がると、頭にぶつかりそうになるのであった。

ダイニングの照明はそれ一つであったから、ソファに座るととても本など読める明るさではなかった。フロアスタンドを買って、一番明るい100Wを付けてソファ周りは明るさがあるが、それでも部屋の天井や隅は薄暗かった。

新しめのアパートに引っ越してもリビングの照明は一か所。薄暗い部屋はなにか貧乏くさい感じがする。と当時のおばちゃんは思った。キッチンの天井のライトをつけ、リビングの照明をつけ、フロアライトの100Wを付けて、すみずみまで明るくなって、ようやく幸せな生活になった気がする。

夜の10時に主人をピックアップして帰ってくると、3階の我が家だけが、パーキングに入る前に目に飛び込んでくる。何故ならひときわ明るくきらめいていたからだ。前後左右すべてのアパートでそんなにも明るい部屋はどこにもなかった。若きおばちゃんは、何か田舎者になったようて恥ずかしくなってフロワーライトの電球を40Wに落としたのであった。

蛇足だが、アメリカのフィラメント電球は売っているときから「切れて」いることがある。先人の日本人のおばさまから、買うときに確かめてから買うようにとアドバイスをいただいたものだ。

私は何を言っているのかしら、このおばさまと思ったのであるが、本当だったのである。商品の電球を持って、振る。シャラシャラと音がするなら切れている。

おばちゃんは、今でもホームセンターでフィラメント電球を買う時振ってしまう。日本で今のところ不良品には出くわしたことがない。

プール付き

家にプールがある人は珍しくない。馬小屋が付いてる場合だってある。住み移ったアパートにはみんな25メートルプールが付いていた。のちに買った家にはアソシエーションのプールがあった。蒸し暑い夏は、何度か泳いだこともあるが、大人はそうそう泳がない。日焼けしたくないし

知り合いは自宅にプールを自分で掘って作った。土木的には難しい構築ではない。2008年に掘り始めたら、サブプライムの不況が襲ってきて、庭に掘りかけたまま大きな穴をさらしていた。2年ほど穴をさらしていて、金が回り始めたらようやく完成したようだ。

水不足のカリフォルニアでプールに一旦水を張ると、そうそう水の入れ替えはできない。フィルターとポンプで漉しているといっても水の状態はけして良くない。夜の間にガ、アメンボ、甲虫、バッタなどのありとあらゆる昆虫が盛大に水に飛び込む。この虫を掬って始末するための専用の長~い玉アミが売っているほどだ。

プールのメンテ会社も好景気には繁盛していた。メンテ会社に払う金を惜しめば、父ちゃんが昆虫アミをもってくそ熱い土曜の朝からせっせと虫を掬わねばならない。なんで、俺がこんなことをするんだろうとブツブツぼやきながら、息子にやらせればいいのだが、息子は金曜の夜からいない。

プールは面倒くさいので、大きさがもっと手ごろなJacuzzi(ジャク―ジ CUにアクセント)を買って庭に置いてみたいと思うだろう?
シャンパンを片手に、緑の芝生を背景に美女と笑いさざめくのだ。が、プールと同じことで、ふたをするのが面倒くさい、蓋をしないと虫が入る。しっかりと入れた塩素剤がポンプでブクブクされると、実に塩素がのどに来て痛い。髪も肌もバサバサになる。

水道代も電気代もバカにならない。油断するとハロウィーンの夜には、近所の悪ガキに洗剤をいれられてバブルのスイッチもオンにされ、あわぶくが1メートルも芝生にあふれることになる。思っていたロマンチックな幻想がぶち壊されて、瞬く間に邪魔くさい無用の長物となって、カミさんにうざがられる。

そんな事情で中古のジャク―ジはわりと余っている。
あなたも一つどうだろうか?

螺旋階段

アメリカだから、らせん階段があるのよね?と日本の幼い子にと聞かれて困ってしまった。らせん階段?をしずしずと美女が降りてくる?中世のヨーロッパだろうか

階段をらせん状にする理由はスペースが狭いからだと思う。アメリカの豪邸にある場合、どちらかと言えば宝塚かな。あるいはラスベガスか。
吹き抜けのホールに、左右合流するだ~んと広い階段。LAは別だが、郊外は広大に広がっていて普通の一軒家は普通に階段があり、大豪邸はだ~んと宝塚。

郊外の都市に高層ビルがなくて、びっくりしたものだった。高層ビルに邪魔されない郊外の空は、広~くハレバレとしていた。土地はたっぷりあるので、ビルを高くする必要がなかった。

有名ショッピングモールでもほとんど平屋か2階まで。延々と何ブロックにでもまたがっているので、何か所もある駐車場は目当てのショップに近いものを選ばないと、長く歩く羽目になる。

日本にも進出してきたCostco(コスコと発音する Tは無性音)は1990年代初め、店員はローラースケートを履いて移動していた。嘘やおまへん! ホンマどす。テコテコと店内を歩かねばならない客の私はうらやましかったものだ。

自動ドア

カリフォルニアにはほとんど自動ドアがなかった。ドアは自分で開けるもの、開ける際に後ろを見て、人がいたらドアを押さえるものと教わった。
押さえてくれる人がいたら、ありがとうと礼を言う。

帰国したらほとんど自動ドアだった。たまに自分で開けるドアの場合、後ろの人のためにドアを押さえていると、後ろの人は何も言わずに通っていく。
会釈も笑顔も返さない。2人目も3人目も幸いとばかりずんずん通る。

大体観察していると、人がドアを開けるとき、本人は後ろを見ていない。後ろの人は他人とばかり、手を放して後ろの人の顔の前でバタンと閉まる。
すごくショックである。
建物のドアで私のために開けてくれ押さえていてくれる日本人は、今のところ主人だけである。
なんか、悲しい。

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