海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。

崖っぷちのひと

アメリカでは崖っぷちの人がいっぱいいた。

アメリカのビジネスは浮き沈みが激しい。時代はものすごい勢いで動くので順調だったビジネスでも気が付いたら売り上げが落ちていて、ビジネスを売りに出して捨て値に近い金額で売って、さらに一時所得で税金を取られると何も残らないという事態によくある。

そのビジネスを拾うのがコリアンか中国人だ。韓国は国を挙げて国民の「移民」を奨励していたからアメリカに移住をする韓国人に国が金を貸した。その金で日本人の寿司屋を買いあさったので、カリフォルニア州の日本料理店の経営者の8割は韓国人か中国人と言われた。

さらにアメリカ政府が移民の懐を狙って、新しいEB5というビザカテゴリを新設した。50万ドル以上の投資をするなら永住権をあげましょう、というやつ。これがほとんど中国人御用達しになって、カリフォルニアに住む中華系不動産や会計士や弁護士が大陸からやってくる共産党上部のEB5ビザ相手に大忙しになった。

なんせ、50万ドルのビジネス物件をポンと買い、ついでに紹介すれば自宅と車をキャッシュでボンボコ買う。この中国人たちがトランプの政策で中国人ヘイトが高まると、一斉に家を売ってどこかに消えた。中華系の不動産や弁護士は一気に客がいなくなった。

バブルの前でも日本人経営者の日本人向けの日本レストランは全体の2割くらいしか無かった。日本本土の不況のために、米国支社をどんどん縮小閉鎖して駐在員も日本に帰ってしまうので、日本人だけを客層としていると経営が先細りになり気が付いたら煮えカエルになっている。

あるオーナーは次々とビジネスを買収して地元では成功者として知られていた。
夫妻で旅行に出かけた時、上空でひどいタービュランスにあってこれで最後と覚悟して、留守の息子に電話をかけた。事務所の金庫にはキャッシュで30万ドルあるから、遺言と金庫のダイアルナンバーを教えた、。という逸話を当の本人から聞いた。飛行機は無事に着陸したものの日本から来たビジネスが近所で営業を開始したら、経営が傾き商売はコリアンに売った。

朝起きたら銀行に入金があるというネットワークビジネスのトップに近い人。
日本でもよく知られているネットワークビジネスで日本の創業者?に近い人は、カリフォルニアの自宅が7億に近いといわれていた。遊んで暮らしていたが、超~退屈らしく”金持ちのための金持ちによる金持ちのサロン”を作りたいと趣味でサロンを開業してしまった。

抜かりなく広告も打ちまくったので、金持ちでない一般の日本人も店舗に行列をなす騒ぎになった。残念ながら価格は金持ち用に設定されていたので、ぼったくられた日本人客は2度行かず、オーナー本人の意図とは裏腹に、実は彼が思うような金持ち人口はそれほどエリアに存在しない事実が明らかになってしまった。行列に並んだ日本人がネガティブ・キャンペーンのソースになるという逆宣伝になってしまい見る間に客がいなくなった。

ネットワークビジネスから入る収入は全部つぎ込んでも赤字の補填に追い付かず奥さんに泣きついて融資を断られ、家を売るか、という土壇場に追い詰められた。

道楽の商売でも商売の赤字というのはとんでもない金額になる。
リーマンショックが襲ってくると、知り合いの不動産会社は解散。コミュニティ新聞のクラシファイドには売り店舗がずらずら並び、販売価格がゼロというのも珍しくなかった。とにかく経営権を引き継いでくれればいいので店舗価格はゼロ。

あっちこっちでレイオフがあり、来月のローンが払えない。夫婦二人で無職になっちゃって、家を出ても行くところがないから裁判所が退去手続きをすますまで家に居座る人たち。

すごかったのは、政府からスモールビジネス用の資金を借り出し
Grant?あんなものは返さなくていいんだよ。と政府に返済せず、家はローンが払えなくなってforeclosureになったが引き渡しまで時間があるので、借家人を入れて家賃を取り、それを自分が住む安ホテルの費用と生活費にしていた人。さらに幸い?けがをして障害年金をしっかりもらうことになってこれだけふてぶてしいと脱帽するしかない。

ビジネスの寿命は短い。一時期隆盛を誇っても、20年後は保証されていない。いい大学をでて上場会社に就職をすれば生涯安泰なんて日本の夢は存在しない。

トヨタはテキサスに移転しちゃうし。そんな、外地で生き延びるには、すばしっこさと抜け目なさと叩かれ強さ崖っぷちで踏みとどまる粘り強さがいる。

不況が襲ってきたら?まず売り上げに貢献しない人を切る。会社は家族でもお父ちゃんでもない。切る。
切って身を小さくして生き延びて嵐が過ぎ去ったらまた人を雇う。

アメリカの経済の立ち直りが早いのは、雇用を企業に強要する労働法がないからだ。雇用、雇用と日本政府がお題目を唱える限り、日本の企業が赤字を垂れ流しながら不要の雇用を抱えて、結果として日本経済の立ち直りは遅い。政府が払う失業保険を企業に肩代わりさせているのと同じだ。

コロナのせいで世界中は崖っぷちだ。崖っぷちなんだから、まずできるだけ身軽になる。誰かが救ってくれるかもしれないなんて、考えるだけ無駄だ。身をちっちゃくしてどこの隙間ditchだったら生き延びていけるかしぶとくなろう。

工事現場で暮らす

おじちゃんとおばちゃんはかつて工事現場で暮らしたことがある。工事現場に行って、キャンプしたのではなく、自宅が工事現場になってしまった。

それはこういうわけだった。
おばちゃんが家を買う前から、家を建てたビルダーを家の住人+管理組合が訴えていた。曰く、壁に設計通りの断熱材が入っていない、設置されたヒーターがジャンク品バスタブがバッタモンですぐ穴が開く玄関デッキの床が設計ミスで漏る、、など。

おばちゃんが家を買った後に、ビルダーと住人側が修理賠償で最終決着した。住民ミーティングで修理の計画が発表され、詳細は各戸に通知されることになる。届いた手紙にはうちの修理箇所と修理スケジュール、家のオーナーがすべき準備の詳細が書かれていた。

ウチのユニットの場合、リビングの壁とメインバスルームのバスタブ玄関デッキ、ガラージの壁、となる。
オーナーが準備するのは、隣と共有するリビングの壁からすべての家具を除くこと。玄関デッキを建築当時の原状に戻すこと。

玄関デッキは前の住人がリモデルし、石とレンガでオサレに張り直してあったからだ。これをぶっ壊せってか?
前の住人からは、契約時にこんなことを聞いていない。前の住人が作ったのだから、彼が払うべきだ!とオンラインWhitePageで前の住人の行方捜査を開始した。


彼の新住所ダラスに手紙をだして、玄関デッキの除去費用を払うように要請したのであったが、Fredは、それは自分のさらに前の住人がやったので俺の責任とちゃがう。という。不動産エージェントは、AsIsのコンディションで買った場合諦めろという。
おばちゃん、しぶしぶハンディマンを雇って玄関デッキをぶっ壊した。

次はリビングの壁である。壁には本棚が5つあった。6段本棚が5つ。本ぎっしり。引っ越しと同じじゃない。壁の修理が終わったらまた戻すんである。くそ、と言いながら本棚と中身をオフィスとメインベッドルームに移した。

アメリカ人の朝は早い。
7時半にモーニンと玄関を入ってくる。おばちゃん、おじちゃんまだねぼけてパジャマである。メキシカンの作業員はリビングの一番大きな壁をぶっ壊した。
すごいホコリ。

表面の次になんか漆喰みたいなボードもある。これもぶっ壊した。おばちゃん、見ていられなくなって逃げる。夕方5時に、今日はこれでお終いっと帰ってしまう。

壁はベニヤ板がむき出しである。天井近くはすき間があって空間は隣とつながっているようだ。隣はその当時、中国人であっち側のしゃべり声もかすかに聞こえる。夜7時ころには、ニンニクのニオイいっぱい。空心菜のニンニクいためか?

6週~7週間、おばちゃんと、おじちゃんがどういう風にリビングでご飯を食べたか、あまり記憶がない。メキシカンの大工はリビングとキッチンとオフィスとの境目にビニールシートでカーテンをたらしてシールした。
メキシカンの兄ちゃんが壁にとりついている間おばちゃんはカーテンを開けてキッチンでコーヒーをいれて、カーテン閉めてオフィスに籠る。

住宅地のユニットを丸ごと修理にかかっているので、工事は遅遅として進まない。夜になってやっと静かになり、おじちゃんと二人で裸になった壁をしみじみ調べるのだった。

断熱材を入れ漆喰ボードをいれなんかぬるぬるしたペーストを塗り、最後にペイントを吹き付けて、何週間かかけてリビングの壁は完成した。そのころにはおばちゃんはホコリのアレルギーになっていた。

次は玄関デッキである。ハンディマンが表面の石とモルタルをはがしたら、下にはオイルシートが貼ってあった。何せ建築当時のオイルシートである。古くてところどころ破れている。

デッキの工事の前日、メキシカンのおっさんは何を思ったかいきなり水をかけてデッキブラシでこすった!何やっているのよ。オイルシートを洗ってどうするの?英語が分からないのか、メキシカンのおっさんはニカニカ笑ってOk、Okという。

オイルシートは当然破れる、水は階下に染みる。下はウチのガレージである。案の上、真っ白なガレージの天井に茶色のシミができていた。おばちゃんキィーである。

ガレージの壁もキャビネットを外せと言われた。おじちゃん、ぶつぶつ言いながらでっかいキャビネットを外した。ガンガン内側から壁を破っている。何をどう直すのか?買い物から帰ってきたら、当の壁に外が見える大きな穴が開いていた。

もう我慢できない。おばちゃんは壁の穴と天井のシミと、玄関デッキの写真を撮ってプリントアウトすると、コミュニティの中に設置された工事監督のトレーラー迄歩いて行った。

見てよ、このうちの損害!壁に穴が開いちゃったのよ!すると白人の監督は、It happens all the time. No problem.心配すんな。ちゃんとペイントするからと面倒くさそうにと言いよった。

メキシコ人のNoProblemは信用できない。アメリカ人のNoProbolemも用心したほうがいい。
修理が最終課程に入って、ウチのガレージの穴はまだ開いたままだった。穴はいつ修理してくれるのと、プリントアウトをもって何度も管理トレーラーに行った。

その後いつやったのか、ある日ガレージの壁の穴は魔法のように消えており、天井のシミだけが残っていた。
おばちゃんはまたもやトレーラーに行くと、監督はメキシカンを呼びよせウチのガレージに行かせた。

監督補佐みたいなメキシカンは白のスプレー缶をシャカシャカ振ると天井のシミに向かってシャーとペイントを吹きかけた。お終い!
えっ?これでお終い?
おっさんは、ガレージの天井にこれ以上何をしろと?と帰っていった。

深田祐介のエッセイに、アメリカ製の車ががたがた音がするので、調べたらボディの間からコークの瓶が出てきた!というエピソードがあるが、ウチの場合は、ガレージの穴が開いた壁の間にソーダのアルミ缶があった。壁をふさぐ前におばちゃんもソーダのかわりに記念として何か入れておけばよかった。

のちのち先人の日本人おばさまに工事の愚痴をこぼすと、あら~、あなたラッキーだったじゃない。
アメリカのデベロッパーは住宅地を完成させて売った後、会社を解散しちゃうのよ。あとで訴えられた時困るから。

そうか、おばちゃんはラッキーだったのか、うちのビルダーは逃げ足が遅い、トロい奴やったんや。
とアメリカ土民化したおばちゃんは思った。

ガレージの攻防

ウチのアパートの部屋のガラージの前に、まっ白いBMWを停める隣の小太りで白人のおっさんがいた。たびたび止めるので、私はガラージから車を出すのに、思いっきり切り返さないと出られない。

ある日、当のおっさんがランドリールームから帰ってきたらしく、自分の部屋に入ろうとするので、文句を言った。するとそいつは
「俺の部屋のガラージ・ドアが壊れて、
 アパートの管理オフィスに修理をするように言ったが、
 修理がまだ来ねえんだ。だから文句はオフィスに言え」
「そんなの関係ねぇ。ウチの前に停めるのが邪魔だってんの。
  あんたの目の前にパーキングがあるからそこに停めろ」
アメ人「俺の愛車をそこへ停めたら、誰かぶつけたんだ。
  このへっこみ見てくれや」
「そんなの関係ねぇわ。どけろ、ガラージから出にくい」
アメ人「If you can’t get out from that garage, drive different county」と私の人種にあてこすってバカにしてきたのだ。
それで、私は「Then, you drive!」と

手に持っていた私の愛車の鍵を、おっさんの頭を狙って思いっきり投げつけてやった。
すると、何ということか!

おっさんはランドリーを抱えたまま右手でひょいと鍵を受け止めやがって、怒髪天ついている私をすりぬけて私の車に乗り、一動作で車を出してきやがったのだ。こうなったら止められない。

私はアパートの管理事務所に駆け込み、たった今あったことをチクって対処を要請した。すると、オフィスのお姉ちゃんは3枚複写の紙をくれた。

人のガラージ・ドアの前に停めるのは交通違反だから、もし次に違反駐車を発見したら、この違反リポート・チケットに時間と場所と相手の車のナンバーを記入して、ここに持ってきてね。ここから警察に回るので、彼は罰金を払うことになるから。若きおばちゃんは、違反チケットを握って思った。やったる!と思った。

おばちゃんは待ち伏せに入った。
違反切符を車に張れるのは現行犯の時のみである。隣のおっさんがいつ車を止めるのか、まずは知らねばならない。アパートの部屋からはガラージ・ドアが見えないので、頻繁に斥候にでる。

結果、おっさんは夜8~11時に帰宅し、朝は5~6時に出勤することが分かった。当時私は夜10時半から11時に主人を迎えに車を出すので、違反を捕まえるなら、夜がいい。ところが敵もさるもの、奴の帰宅時間が遅くなって
どうしても現場が捕まらない。

おばちゃん、早起きは大っ嫌いだったけど彼奴をとっちめるために早起きをして、ついに違反駐車を抑え、違反シールをあいつの車に張ることに成功した。複写の違反切符を管理事務所に届けて、おばちゃん勝利宣言である。ざまみろ。

その夜、ダンナを迎えに行こうとガラージの前まで来ると、あいつの車に貼ったはずの違反切符が丸めて、ウチのがラージ・ドアの前に捨ててあった。腹いせだろう。ふん!
おばちゃんはアメリカに勝った。

悲しい熱帯魚 冬の到来

ねぇ、日本はどこに帰る?
ニセコなんてどうよ?ウチらには住みやすそうだけど。
寒~いぞ!
雪が降るの?
あったり前だ。スキー場だからな。
じゃあ、暖かいところがいい。東京から近くてあったかくて
温泉があって、。

あっ、静岡なんてどうよ。
東京から近くて熱海があって海岸線がすごく長いよ。
ミカンの産地よね。
静岡っと、あっ物件がいっぱい出てきた。
景色がいいし畑ができそうだし、おう、温泉付き物件がある。
Promising
ポチったろ。

帰国してとりあえず千葉の空き家へGo。
空港を一歩出たら寒いやん。ああ寒。
何、この家、暖房はどこなの?
え?無い?炬燵だけ?

猫が炬燵に入った切り出てこない。ウチらも入れて。
背中寒い。凍死する。
明日、灯油を配達してもらう。
灯油きた。

ストーブついた、。
くっさ、頭痛い。
足が冷たい。肩が冷える。あかん、あったかい服を買いに行こう。

おう、これがしまむら?ダウンジャケット欲しい。
え?もう2月の末だからダウンジャケットなんか置いてない?
売れ残りがこれだけ。

裏起毛下着?なにそれ、裏起毛靴下?
男性用タイツ?モモヒキの進化系?
手が紫色やん、耳が痛い。手袋も、マフラーと帽子も。
明け方顔が冷たい。布団から出たくない。

おばちゃん、来てみ。
まぁ!庭が白い。地面が光ってる。霜?氷が張ってるの。
冷蔵庫以外で氷をみるのは30年ぶり。
大変、ナナちゃんがお腹を壊した!
雪降ってきた!千葉は暖かいのと違うの?
知らん。

車買った。スタッドレス? がいるって。
えっ、Threadless? ちょっと違う?
Stag?オス鹿? 違った Stud? オス馬?がどうしたの、関係ない?
ああ、stuck-lessでしょ?雪に嵌らないんでしょ?違う?
違う?studless?わかんな~い。
冬タイヤください。買えた!

静岡だからあったかいよね。ミカンができるし。
ああ、家がタカィタカィしてる。
床下が何にもないね。空気だけ。
お風呂、見て2面ガラス窓。庭と山が見える。
露天風呂と一緒!わ~い。
見えないじゃん。真っ暗じゃん。
露天風呂じゃないじゃん。
山ン中に夜は明かりが無いからな。

見て~、見て~。バスタブの底に氷が張ってる!
ここ静岡でしょう?暖かいんでしょ?
ミカンができるんだよね。
知らん。
灯油ストーブをもう一つ買おう。

ナナちゃん、この頃太った?
違うわ、あらぁ~この子冬毛が生えてる!
ショートコートなのに。
おばちゃんたちも冬毛を生やした~い。

日系社会のピラミッド

西海岸でも東海岸でも日本人日系社会の構造というのは大体同じではないだろうか。

ピラミッドの構成というのは下からこうなっている。

自分探し

30代に入る直前から30代の後半まで、離婚組も多い。子供まで連れてくる猛者もいた。F1の学生ビザだが、語学学校だけでカレッジに正式入学するだけの学力も根性も金も計画もないので、1~2年うろうろして帰国する。

この辺はアメリカに住んでいるという住人枠にも入れにくい。昭和の時代に「アメしょん」という言葉があった。アメリカでおしっこをしてきた人という意味である。むろん自分の幻想以上に素晴らしい自分がアメリカで落っこちているわけではないので金が尽きたら帰る

留学生

語学留学か、ユニバーシティを卒業する留学生かに分かれる。語学留学は自分探しと大差がない。留学をする芸人はこの辺。アパートを2・3人でシェアするか、個人宅に間借りする。

ユニバーシティを卒業するだけの学力がある留学生の場合。
卒業後の進路は分かれる。OPTでもう一年アメリカにいるか運よくH1Bのスポンサーになってくれる日本の会社を見つけてビザをとるか。
抽選で半分以上ハネられるので非常に運がいい人がビザを取れる。取れなければ日本に帰る。
卒業するだけの学力があるので、日本でも大手企業に就職するチャンスがある。未来の駐在員候補だ。

ビザの会社員

ラッキー!ビザが取れてスポンサー企業に勤められるが贅沢できるような給料はもらえない。でも安い1Bのアパートには何とか住めるか、あるいは2人でシェアする。勤めている間に永住権のスポンサーになってくれる企業を探す。目指せ永住権!!グリーンカードさえ手に入れば、もっと稼げる会社に移る

駐在員

この人たちは別枠。
日本の企業から派遣されて日本企業で働いて日本の本社に向かって仕事をしている人達なので、現地の人間関係より会社の人間関係のほうが大事。

現地ローカルの日本人と友達になる場合もあるが、いづれ帰国することが決まっているので会社の人とは話せないことを話すあとくされのない関係を築く。日本に帰った時に自慢できるようにできるだけアメリカを旅行し、どれだけ子供に英語をたたきこめるか必死。
3年から最長7年で日本に帰る人。お辞儀の習慣を忘れない人たち。
なので、現地のローカル日本人社会からはいずれ帰る人枠。
ただし、現地ローカルの日系催しもののスポンサーだの、チャリティーだのにはしっかり協賛してもらう。


やっと永住権

やった~!やっと取れた。これで堂々アメリカで生きていける!
同じく永住権を持ってる彼女と結婚して家を買った。2人で稼いだらローンが払える。在米の企業の寿命は短く、つぶれたり合併したりするから親方日の丸は安心だと思って、日本の会社のローカルにもぐりこんだのに、、日本に撤収しちゃった!

あの、トヨタがテキサスに引っ越す!日本スーパーがトヨタを追っかけてテキサスに行く!うちのカミさんは、スーパーなのに?リコーはアトランタに引っ越すって?嘘だろっ?

必死でためていた貯金を崩して職探し。永住権を取って明日は安泰と思っていたのに、実はお先真っ暗なのに気が付く。日本には帰れない。だって今帰ったら負けじゃん。

自営業者・永住権

もうピンキリ。
ドカンと当たって御殿を建てる成功者から、夜なべに広告を織り込みをする細々とした自営業。ネットワークビジネスをてがけて次は当たるかも
とネットワークまみれになっている人。日本?帰らないよ。帰ったら負けじゃん。

ゆうゆう永住権

もともと資産を持っていた裕福な層で永住権もさほど苦労なく取り、勤めている企業でも管理者かオーナー。がつがつ働く必要もなく、子供は現地の大学を出て医者とか弁護士とか将来安泰なコースに乗っている。ボンボンで育ちすぎて、あ~、こりゃ親の会社を継いだらつぶすわ!という2代目もいないわけではない。

こういう層の日本人1世-2世が日系協会で役をやったり寄付を出したり、賞をもらったり日本企業の駐在員役員とゴルフをしたり総領事館などの上の人とお付き合いをするのである。
日本?東京に家があるからたまに帰るわ。で?

市民権と超優秀な日本人

永住権を取って5年以上たつと市民権の申請資格ができる。
仕事も家もあり日本人でいる優位性がないと考える人は市民権をとる。永住権者は福祉で保護されないが、アメリカ市民は福祉の権利がある。考えたくはないが、仕事をしくじって最悪の結果になったとき市民権持ちなら、アメリカ国家が面倒を見てくれる。

または、アメリカで育った子供はアメリカ人になっちゃって、もう将来家族で日本帰国の選択肢はゼロになって、市民権をえらぶ親も多い。日本?今更帰ってもしょうがない。

超優秀な日本人
ぐいぐい頭角を現すので、アメリカ社会に進出していき10年もたつと日本食なんかなくても生きていけるし日系スーパーにもたまによる程度で、日系にかかわらず生きている。アメリカの企業が自分の実力を評価してくれるのだ。なんで今更日系企業に?

やっと永住者、自営業永住者、ゆうゆう永住者、市民権者は
もう日本のニュースは見ない。Yahooのヘッドラインくらいは見るが内容は興味もないから読まない

日本の総理大臣?誰?
ゆうゆう生活者以外、遊んでいる暇がないわ。仕事が忙しい、子育てがある。学校からfundraisingのが回ってきて、寄付に回るかクッキーを売りに行くか、子供がスポーツでレギュラーになるかどうかの瀬戸際だから、仕事を早めに終わってもやらないといけない。二つ仕事を掛け持ちしてる。
日本?はっ?だれか死んだ?家族でも死なない限り当分帰国できないし。

50代中ごろまで、ひーひー仕事と子育てに手いっぱいだ。稀の休暇に安いチケットを買って日本に「行く」
永住権を取って家を買って子どもを産むと、自分のいるべき本拠地はアメリカになるので、自然と「帰る」という言葉は使わなくなる。

日本は「行く」ところで、アメリカの家が「帰る」ところ。
日本に住む人を「日本の人」という。ローカルの自分たちはいずれアメリカで死んで土になるので、新1世

さあ、アメリカで永住権もとれて50過ぎたとする。ここからが問題だ。

この50代半ばまで、仕事と子育てに追われるのは日本の社会でも同じだろうと思う。
ただ、アメリカの社会は日本よりずっと浮き沈みが激しい。コロナの蔓延でエンターテイメント、旅行、フードサービス、流通にどれくらいの痛手を被ったか想像することが恐ろしい。

私は、永住権を目指してアメリカ人とデートを繰り返す女の子に言い聞かせた。「永住権」というのはただのステータスだ。グリーンカードを持っていても、アメリカ国土での「生活能力」を保証する魔法のカードではない。
企業の破産、解散、首切りはしょっちゅうある。爪を磨くより、技能を磨け!看護師になれ、。看護師はリーマンショックでもレイオフがなかったわ。


50代過ぎの永住権者

永住者の運命は50代半ばから大きく変わっていくのだ。
在米日本人は24時間全力疾走している。
寝ている間も英語で夢を見るように努力する。昼間、アメリカ人/中国人にこんなこと言われてああ言ってやればよかった、こう言い返せばよかったと寝入る間にクチクチ考える。

夢にあいつが出てきたら英語で言ってやろう。ちゃんと言えた、ざまミロ。普段の生活でもとっさの時には
Watch Out!とか Dorop it. とかOuch!とか英語で出てくるようになる。

あなたの姓名はタナカかスズキか?
タナカか?それはよかった。
アメリカ人がわかる日本人の名前はスズキかタナカくらいだ。コ~ムロだとか、なんとかいう姓だったら死にかかっても意識不明でも英語で自分の姓を言う練習をせねばならない。なんでか?

2009年5月の土曜日、うちの従業員が出勤してこなかった。真面目でいい子だったから何かあったに違いない。ガールフレンドも部屋に帰ってこなかった彼を心配してポリスに電話をしていた。おばちゃんも心配でポリスに電話をした。そうしたら言われたね。
”21歳以上でしょ?大人が行方不明の場合72時間経過しないと捜査をしない。名前?そんな名前の事故者はいないね。”

何かに巻き込まれたに違いないのだ。何度ポリスに電話をしても答えは同じで、ガールフレンドに部屋にある車の登録証のコピーを探せといった。
たまたま知り合いに元シェリフがいたので車の登録証のコピーを渡してポリスに照会してもらったところ、救急病院のICUで意識不明で見つかった。JohnDoe として。


あなたが長年住んでる永住権者でも事故で意識不明ならJaneDoeだ。
包帯をぐるぐる巻きで、顔もわからない彼を見て、ICUのナースに医療費はいくらくらいになりそうか聞いたら、一晩15000ドルくらいだと聞いて、膝から崩れおれそうになったのはまた別の話。

ID?そんなものは事故現場で燃えてしまった
パラメディックスによると、レスキューした当時は意識はあったけど本人の名前がわからなかったと。日本人の名前なんか、言ったってわかんないくせに。アメリカで独身者なら、死にかかっても名前を言えないと。永久に身元は分からない。誰かが探してくれなければ。

そんな50代でも仕事さえ順調ならアメリカに住んでいられる。仕事をしくじったら?ある日、首になったら?50代だと再就職がなぁ。日本だって難しいだろうが、外地なら余計パイが狭いんだ。いろんな伝手を探して田舎の州に行くとか。

家を売れば一息付ける。カリフォルニア州の不動産が高いから、
ローンが残っていても家を売ればおつりがくる。ラスベガスに移るとか、あそこはカリフォルニアで仕事がなくなった人が、最後にすがるとこであったりする。景気が良かったころはね。

会社がコケずに家のローンもほとんど終わって、目出度く60代に入ったとしよう、仲良し6人組も、何とか生き延びてきた。毎週ランチに集まってくる元気な60代。日本に生きている60代よりず~とEnegetic!なんせ、アメリカを生き延びてきたからさ。

で、ある日突然一人がぽくっといく。美容に気を付けていて細身で元美人。
脂身は食べないとか砂糖は取らないとか細かいことを言ってた人。

次にもう一人がガンで倒れる。
残りの仲良しがクッキーかなんか持ってお見舞いに行く。アメリカの医者は保険によって治療しても効果がないとわかると治療してくれない。ホスピスに移ると毎月5000ドルが飛んでいく。

もう一人はランチをすっぽかすようになった。
認知症だった。
生活には不自由がなくて、ずっと働いたことがなかった人だし。ランチの約束しても忘れるし、貸したものは返ってこないし友達の関係では面倒が見切れなくて結局、離婚した元旦那が施設に入れた。
一人息子以外はアメリカに誰も身寄りがいない。日本の弟とは親の遺産の取り分でもめて縁が切れた。親の介護に指一本上げていないのに、遺産を主張するのはどうかな。

そうこうしていると、もう一人はアーカンソーに移るという。
旦那がもともとアーカンソーの出身なのだ。子供はアメリカ人に育ったから、サンクスギビングとクリスマスには顔を見せるよ。それだけよ。アーカンソーで旦那が先に死んだら、冬は地面の1メートル下まで凍るという州でたった一人アメリカ人の中で暮らす。

60代半ばから70代にかけてさらに運命が大きく変わっていく。
友達
外国で老いた身の始末をするには、友達なんか100人いても役に立たない。クッキーをもってお見舞いに来るだけだ。

子供がいればどうか?
日本生まれの一人娘は40代でアメリカでも不自由なく生活している。残った母を施設に入れて、2月に一回訪れると母が泣く。
そこそこの財産があったのに、入居時にバカっと入居料を取られてさらに施設の施設料が「毎日5ドルずつ」上がるのだ。医療費はまた別。みるみるうちに財産が減っていき、娘の前で早く死にたい。と泣く。


アメリカでリタイアして老後を過ごすには、年金のほかに50万ドルが必要といわれる。家やアパートを一棟持っていたとしても、施設と医療費が計算よりずっとかかって呆然とする。

施設は100%アメリカ風だから、和食なんてお目にかかることはない。カリフォルニアでも日系が経営している施設は片手の指で足りるはずだ。フィリピン産のナースが、ミセス今日はSushiよというからまさかと思ったら、グリーンサラダに茹でたコメがまぶしてあったと言う話がある。

残った肉親を一人で支えるのも大変。今更日本の親族にも頼れない。長い間に疎遠になってしまってアメリカの従妹?あなた誰だっけ?と言われる。

施設費用や医療費にもびくともしない財産があるゆうゆう永住権者の一人息子が、クリニックを開業してこれからというときに日本人特有の病気にかかっているのが判明した。アメリカでその病気の専門医はコロラドにしかいないという。コロラドに通うか日本に帰って治療するか。

アメリカでクリニックを開き医者をやっていると、それは成功者と考えるのだが、一時期かかっていたドクターはオフィスが3つあり、クリニックの間を走り回っていた。

いつ電話をしても、フリーウエイを走っていると患者で噂になった。むろんドクターが一人で患者さんを診るので、一人で3つ掛け持ちするしかない。
考えてみれば、一人で開業している医師は一人自営主。妻子がいても妻は働いていないから、ご主人に何かあったときはそれでお終いじゃないか。ドクターでも弁護士でも一人自営業はつらいなぁと思うのである。

50代末から70代の人生の変遷を観察して、アメリカで平和な老後を迎えるには絶対必要な3つがあることを痛感する。むろん配偶者が健在であることが前提でのことだが
1、金 2、複数の子供 3、健康

先住の日本人の奥様、Kさんが「永住権を持っていても60過ぎるころになると、急に日本に里心がつくのか帰国する人が多く出るのよ」
Kさん、それは里心と違う。里心で帰国するのではない。

3つの条件を全部持っている永住権者はそんなに多くない。子供がいない夫婦という点で、まずアメリカで余生を過ごすのは難しい。それに気が付くのは50を過ぎてからだ。


全力疾走で走ってきてある日ふと前と回りを見て、これはだめだと感じる。危機管理の中で生きてきた人間だから、自分の前に待ち受けているものが見えてしまう。

先が見える人と見たくない人。
決意ができる人とできない人。
永住権を捨てられない人。
子供を連れていけない人。
市民権をとってしまった人。
アメリカに足をとられたまま、決断ができず莫大な医療費を抱えたような時には、日本に帰るのが遅すぎるのだ。

生きにくかった日本を脱出して、あこがれていた海外の生活のためにいろんなものを捨てて24時間全力疾走をしてきた。そして人生の終わりが見えてくる時に、今度はアメリカで築いたものを捨てて最終的に守らなければならぬものがあるのに気づく。

死に物狂いで生きて来たから、撤収しても別に悔いはないか。終わりが見えてくるまで走れるだけ走ればよい。

”会社は家族” 説が崩壊した日

「ねぇ、奥さん、あなたのために世界は回っているのではないんですよ」
電話の弁護士はホントにこう言った。渡米して2か月後のことだった。

渡米して最初の給料日が来ると、日本でサインしたはずの契約書とは全然足りない給料が渡された。え?
ダンナも日本から一緒に来た同僚たちも頭をかしげたのだ。アメリカのペイチェックは2週間に一度だった。もらった給料は、契約書で約束された月額の2分の1にも全然届かない。どういうことなんだろう?
福利厚生はどうなっているのだろう?日本での契約条件では現地の健康保険も加入するはずだったのに。

会社はアパートと最低限の家具を用意しておいてくれた。おばちゃんとおじちゃんは夫婦だったから、ワンベッドルームを。他の独身従業員は4人で3ベッドルームをシェアし寮として使用する。
4人が3ベッドでは、最初から数が合わない。誰かひとりジャンケンで負けて、大き目のウオークイン・クローゼットで寝ることになり、押し入れで人を寝かせるのか!、、と独身者みんな不満を募らせていた。

先発していた支社長と夫人は2ベッドルームで家具もベッドもランクが上だと、陰では非難と愚痴をささやきあっていた。そして、この給料である。会社に対して不信と不満が爆発した。

独身者の一人が明日全員で支社長に聞こうじゃないか。そうだそうしよう。意見はすぐまとまった。翌日、日本での契約交渉の本人だった支社長を囲んで皆が口々に不満を訴えると、支社長はしれっととんでもないことを言った。契約書の給与は税込みの総支給額である。なんでかというとアメリカの所得税を知らんかったんで。

はぁ!
この業界は給与の開示は、手取りが表示が慣習だった。アメリカの所得税が分からん?調べりゃすぐわかるだろう?なんだぁ?この会社は!支社長の上の日本の専務を呼べ。

新規の支社立ち上げのため、同行していた専務は2週間でとっくに帰国していた。面の皮が厚くにぶい支社長は、皆の不満がいまいち理解できないようで、さらに、爆弾を落とすのである。
「大丈夫 生活できるって、この国は日本より物価が安いから。」

わなわなと震えるとか、血が上って視野が暗くなるとかは本当に起こる。物価が安いからって?そういう問題じゃないだろう。

契約書!契約書には給与の条件が書いてなかっただろうか?会社の契約違反を訴えることはできるのだろうか?ここは日本ではないし、来たばっかりで右も左も分からない状態だった。

若きおばちゃんは、日系スーパーで現地のフリーペーパーを手に入れ、広告を探した。A法律事務所、xxxトラブル無料相談、C社電話相談!
これだ!とおばちゃんは電話をかけ生まれた初めて弁護士と名の付く人
と話したのであった。

電話の弁護士は、まず私の素性を聞き出した。氏名、会社の名、住所電話番号。正直に答えて、おばちゃんは説明にかかった。

会社の契約違反ではないだろうか?
こんな非道を許されていいのか?

そうしたら弁護士は事務的な声で、あなたは何ビザを持ってます?そのビザを取ったのは会社ですか?おばちゃんは、会社がビザを取ってアメリカに来たと述べた。

そうしたら、弁護士は面倒くさそうに、会社がビザを持っているんで、会社がビザを取り消せばあなたたちはこの国で働けないんですよ。日本へ帰るしかないんです。

そんな馬鹿な!
そしたら弁護士は冒頭の言葉を吐いたんである。

「ねぇ、奥さん、あなたのために世界は回っているのではないんですよ」弁護士はさらに追い打ちをかけ、この電話相談は50ドルですから、事務所に小切手を送ってください。

ぇ?無料電話相談じゃなかったの? どこに無料って書いてあります?おばちゃん、名前も住所も申告してたから、泣く泣く小切手を切るしかなかった。

会社は従業員を守ってくれる存在ではなかった。会社は家族でもない。養っていかねばならぬ義務も法律もないのであった。おばちゃん、おじちゃんのマナコからウロコがバラバラと落ちた瞬間だった。

アメリカのお役所と戦う

日本は物事がするする運んでスペースシャトルを打ち上げるアメリカが、なんでトラブルばっかりだったんだろう。役所のミスも多かった。

友達はDMV(免許車両登録局?)で免許試験をパスし、1月経っても免許が届かないのでアメリカ人の夫とDMVに問い合わせに行った。
窓口のおばちゃんは「アンタは試験に落ちてる」と言うのである。彼女はテストに受かった時にくれる引換証を見せても、とにかくDMVのコンピューター・システムには彼女がパスしたというレコードがない。
でもここにパスした引換証があるじゃない!と言ってもとにかくシステムがそうなんだからどうしようもない。

そんなのおかしいわ。彼女は窓口で激高して、だが旦那はあきらめた。6フィートのスカンジナビア系の旦那に襟をつかまれてズルズル窓口から引き離されて、その間中、彼女は:I hate America. I hate Americaと叫び続けたという。

結局彼女は、DMVがテストに落ちたと主張する日には日本にいたという証拠のパスポートを提出して無事免許証を手にした。

私が何回目かの免許更新の時、写真撮影のラインに並んでいたら隣のカウンターに80歳くらいのよろよろしたじい様が、紙切れを持ってカウンターの女の子に差しだした。アジア系の女の子は受け取って、ポンポンハンコを押しテストに合格したから、これは本免許が届くまでの臨時のレシートよ、と2枚つづりの一枚をじい様に差しだそうとしたときには、じい様すでに踵をかえして出口に向かおうとしていた。

女の子はヘイ!グランパ、と呼びかけたのだがじい様は止まらなかった。耳が遠かったのだ。女の子はハンコを押した紙をなんと、Whatever!ひらッとその辺にほかしたのだ!

移民局には書類を無くされた。プロセスの最後の健康診断をパスして、書き留めで移民局に送り無事配達のレシートも届いている。それなのに移民局からの通告書には健康診断書が提出されていない。
提出せねば移民申請を取り消すなどと高圧的な通知を送ってきた。移民局と争っても無駄だから健康診断書をもう一度送んなさいとアドバイスされた。

おじちゃんの場合はもっとひどかった。グリーンカードも受け取っていたのに、移民局はビザから永住権にレコードを書き換えるのを忘れた。おじちゃんは知らない間に、ビザ切れで違法状態になっていたのである。


それが分かったのは、おじちゃんの働いていた会社が日本に撤収し失業保険を申請したときだった。EDD(労働局?)は何度移民局に照会してもおじちゃんの永住権ナンバーはなくて、ビザは失効しているからケースはクローズすると。そんな馬鹿な。

事情を確認するためにはまず移民局に行かねばならない。移民局の予約を取るのは大変だった。予約を取るだけのためにオフィスの玄関にある予約システムで予約を取って、当日にまた来てやっと建物に入れる。おばちゃんは、永住権を申請していた3年間の移民局とやり取りした書類をすべて持参して窓口に辿り着いた。

窓口の女は、コンピューターを検索しておじちゃんのレコードは永住権が取れたときにビザから永住権に書き換えるのを忘れていたようだと言った。
そうか、おじちゃんはもう一度EDDに失業保険を申請するので、移民局がステイタスのアップデートを忘れたというステートメントを書いてくれと職員に言った。
やらない、と職員は言った。
では、移民局が間違えたのだという証拠を出してくれと言った。
ありません、と言った。

ねぇあんた、移民局が間違えたのは確かで、おじちゃんはEDDに失業保険を再申請するためには移民局のミステイクだと証明しなくちゃいけないのよ。分かる?

すると、窓口は移民局はいかなるステートメントも書かないし出しません。と言い切った。
じゃあ、どうすんだよ。あんたたちが間違えたんじゃん。職員はさすがに可哀そうだと思ったのか、ガバメントはいかなるステートメントも書かないけど、この窓口の私XXXという名前の職員が、レコ―ドのアップデートを忘れたようだと言っている。
と、アンタが自分でステートメントを書け。と言った。

おばちゃんはふざけるなと思ったのだが、じゃあ、おじちゃんのステータスはアクティブな永住権であると証明をしてくれと言った。そうしたら、レコードはすでにアップデートされている。証明も出す気がないのだった。

EDDの失業保険の再申請を認められるためには、最終的に裁判をするしかなかった。

EDDを訴える

EDD(労働局?)を訴える以外失業保険の再申請が出来ないと分かったので、おじちゃんは裁判をファイルした。大事な裁判だし、ここは通訳を頼んだ方がいいだろう。ガバメントのインナー裁判なので言語サポートとして料金は無料だった。

おじちゃんとおばちゃんはジャケットを着て、指定されたガバメントのビルの一室に辿り着いたのだが、そこは、、、、、。

チェックのシャツを着て袖をまくりあげてジーンズを穿き、ぶっといベルトをしたどこから見ても建設作業員みたいなおっさん達がうろうろしていた。誰もジャケットを着ていない。ここは本当に裁判室なのか?

時間になると別室に呼ばれて、そこには太った白人の裁判官?がいた。紺色の幼稚園児が着るようなフロックを着ている。普通のオフィスのようでデスクが一つ部屋の真ん中にあり、イスが向かい合わせに置いてあった。

通訳はどこだろう?後から来るのかな。裁判官はおじちゃんのファイルを取り出すと、氏名を確認した。おばちゃんは通訳を頼んだのですがと言うと、
そうだね、ではとデスクの上の電話の受話器を取り上げた。
えぇ?電話?!
ああ、君が予定の通訳かな?スタンバイしてくれ。では始めよう。
と電話の3ウエイボタンを押した。

裁判官は私たちに向き合ってこう言ったのである。
Well, appellant 何が起こったか説明してください」
それから電話のスピーカーがたどたどしい日本語で
お客さん、今日はジャッジが聞きたがってあります。しゃべるあります」

おばちゃん、椅子から転げ落ちそうなほどびっくりした。原告・訴人Appellant が“お客さん”!?法廷通訳が法廷用語を知らずにどうして、通訳ができるのだ?こんな通訳に任せたら勝てるものも負ける。
真っ青になった。

それでジャッジに、私はこの通訳がしゃべっている日本語が分からない。この人の日本語より私の英語の方がましだから、私が英語で話します。すると、ジャッジはあなたはすでに通訳を選んだのだから、認められない。と

しかし、ジャッジの質問ひとつ毎に通訳からはファニエスト外語学院みたいな日本語が電話から流れてきて、おばちゃんはおじちゃんと顔を見合わせ、ジャッジに英語で何を言っているのか分からない、ジャッジに直接英語で質問に答えた。

EDDは主人の永住権ナンバーがないと言っているのですが、主人は永住権を持っていてこれがグリーンカードです。移民局で確認したところグリーンカードに切り替える時ステイタスのアップデートを忘れたのです。

EDDの間違いではなく、移民局がミステイクをしたのです。
その頃にはジャッジは電話から聞こえる通訳の英語を無視して、何だと、グリーンカードがあるのに失業保険を拒否しただと!
話にならん。馬鹿げてる!木槌をバンと叩いておじちゃんのケースは決着した。

おばちゃん役所で暴れる

売買エスクローがオープンしてから、おばちゃんは会社の登録に忙しかったエスクローの必須事項をクリアしていくためにスケジュールをたて必要なライセンスの取得、物品の購入、テナント内の改装、業者の選定と契約などすべてをビジネスがオープンする日に向けて収斂させていかねばならない。

一番面倒くさいのは、ビジネスに必要なXYライセンスだったがこのXYだけは申請・登記して済むものではなく2~4か月かかるややこしい手続きがあった。

アメリカ人は大概フレンドリーで嫌な奴もたまにはいたが、役所の奴は違う。一番不快で下劣な奴がそろっているのが移民局で次が税務署。

市役所はややましだったライセンスの役所は電話をかけても待ち時間が長く、今どんな課程にあるの質問してももうちょっととか、いつ頃かと聞く前に電話が切れてしまうのだった。

ビジネスをオープンさせる日を決めるにはエスクローがクローズするのか知らねばならない。エスクローがいつクローズするかは、ライセンスがいつ登録完了するのかにかかっている。

そのライセンスがどうなっているのか、エージェントのタカコに聞いても”え~と?”と頼りない。
エスクロー会社に役所から何か通知があるか聞いても分からない、と。
おばちゃんは胃がキリキリとして役所に申請課程を確かめに行くしかないのであった。

お役所は古いガバメントのビルの5階にあり窓口にはすでに長い行列ができていた。窓口は4つあるのに、稼働しているのは2つだけで窓口から見える中のオフィスでは、職員のおばさんが何かぐだぐだとしゃべって笑っているのだった。

おばちゃんが申請書の受付ナンバーを言ってライセンスのステータスを聞くのだが、黒人のおばちゃん職員は早口で、今プロセスが何たらでこうたらするとどうなる、ネ~クスト、とおばちゃんの次を呼んだ。

おばちゃんはかッとして、そんなに早口で言われても分からない。
もう一度言って!と頼んだ。
黒人のおばちゃんは、明らかに揶揄する感じで何たらがどうなのよ、は~ん。早口で繰り返した。

おばちゃんこれが勘所のライセンスなのも、ここが役所なのも忘れた。
「あなたは毎日同じ仕事をしてて、自明のことだろうけど
 私はこれが初めてだから。わかりやすいように説明してよ」

窓口のおばちゃんも唇を突き出して、
ふん、だからさっきから言ってるじゃない。おばちゃんは窓口のカウンターを両手でバンバンたたき叫んだ。あんたの言うことは分かんないわよ。
黒人のおばちゃんも引けなくなって、
窓口で2人の女が怒鳴りあう事態になった。

おばちゃんは気が付かなかったが、いつの間にか管理職らしい上役が後ろにおり、ちょっとこっちへと白人おばさんのオフィスに導かれた。

窓口の黒人職員も同罪とみなされ一緒に連れてこられたもし、おばちゃん一人だけ連行されたのだったら、おばちゃんはもっとぐれて、ライセンスは取れずにビジネスはぱ~だったかもしれない。

この時の管理職の白人おばちゃんはわりと公平で冷静に何があったのか二人に尋ね、お互いの謝罪を促した。おばちゃんはライセンスが取れなかったらどうしようと氷点下まで冷えていたので、職員に謝罪した。こういう時、外国語は便利である。決まり言葉をつるつる言えばいいし。

その後もお役所仕事はのたくらと進んでいくのであった。

アメックスがアメリカを所有している

おばちゃんはマーチャントサービスのアメックスとは3か月でケンカして切った。

銀行経由でビザ、マスター、アメックスと契約していたけれどアメックスの売り上げはいつ入金されるのかさっぱり分からない。

同じグリーンのアメックスでもポイントが付くのか、タイプが違うのか、3日目か6日目か1週間後か、売上伝票をそろえていてもどれが入金されたか分からない。おまけに手数料が3.5%だった。

ビザ・マスターは高いものでも2.5%くらいで収まり次の日に銀行に入金があるのである。同じマーチャントサービスで同じ仕事もできないくせに手数料だけは高く取る。

それが3か月目におばちゃんに電話をしてきたのである。アメックスだがビジネス・オーナーはいるか?私だというと、おう、ちゃんとビジネスやってっか?天下のアメックスがお前のビジネスのサポートをしてやってるんだせいぜいがんばれよ。
えらそうなしゃべり方をする奴だった。さらに驚いたことにはなぁ、あんたは外国人だから知らないようだが、アメックスが世界のビジネスを支えてるんだ。それからな、大事なことを教えてやろう。アメックスはクレジットカードじゃない。

おば:えっ?カードじゃなかったら何なんだよ。

アメ:アメックスはな信用を売っているんだ。 American Express owns America.と言いやがったんである。
Don’t be so cookie.おばちゃんはむかむかして電話を切った。

アメックスと契約していて何かメリットはあるか?何もない。デメリットだけ。入金は遅い、手数料は高い、セールスは傲慢。クレジットカード決済の銀行に電話してアメックスの契約を切った。

アメックスの引き受け店はどんどん減っているのである。
Costcoがグリーンの年間タダ・アメックスと提携していたせいでアメリカ人のほとんどがアメックスをもっていたかもしれないが、引き受ける中小ビジネスのマーチャントはどんどん減っていたから、もし、アメックスカードだけを持って生活しようとしたら困ること間違いないのだ。

アメックスを持ってる客はビザとマスターも確実に持っているんである。アメックスが使えないと分かったら、ビザかマスターが出てくるだけで、おばちゃんは全く困らない。カードメンバーから年会費をとり、マーチャントから手数料を取りCostcoからは近年ついに提携を解消された。傲慢な商売の結果だと思う。

アメックスカードがステータスだと思っているあなた、マーチャントから見たら売り上げから3.5%持ってかれる客が嬉しい訳がない。
プライベート・ジェットか自分のヨットかロールスロイスを買うときにプラチナでもブラックでも出したらよろしい。
それ以外では喜ばれていない。

ポンコツ従業員

Don’t scream at me!
とマネージャーは言ったけど、これが叫ばずにいられるかって。客のオーダー表を無くしたのは一体誰なんじゃい。日本では考えられないことが起こるんである。

おばちゃんはビジネスのオープンに向けて発注した機器の納期を何か所かに順番コンファームしていたのである。
ベトナム系や中国系の場合、返事は軽いが仕事はいい加減なので直前でまた確認を取らないと納期に配達されるか確証がない。

アメリカ系の大手チェーン店はまだ仕事がしっかりしていたが、命令系統の中に仕事ができない奴が入っているとどうなるかわからない。カタログを見て機械を決め店舗に現在在庫はないけれどオーダー表にモデルナンバーと連絡先を書けば取り寄せると店員は言ったのである。

おばちゃんはバインダーに挟まれたスペシャル・オーダー表に記入した。ぺら一枚の紙だったがそれまでに20以上のオーダーがすでに書き込まれていたそれがひと月前。

なのに店舗に確認の電話をしたら、スペシャルオーダー?それなんのこと?知らない。聞いてない。分からない。だったので、おばちゃんは激怒して
”マネージャーを出せ”と叫んだのであった。マネージャーが出ると、オーダー表を誰が管理してたのさ。私のオーダーは1週間後に必要なんだから。

そしたらマネージャーが
”私が無くしたんじゃないのよ。怒鳴らないでよ。”
あなたがマネージャーなんだから責任を取ってよ!
分かったわよ、マネージャーの声が裏返っていた。

おばちゃんだって怒鳴りたくは無い。店員を問い詰めても金輪際解決しないし、マネージャーに変わった時点で不満(怒鳴る)を表明しておかないと、後回しにされる。
なんたって私の他に同じ事情の客が20人はいるのだから。修羅場の時には静かな客ほど対応は後回しだ時と場合によって怒鳴るというのは解決の一番の早道だったりして。

アメリカの会社と言うのは問題の塊だったりする。従業員の能力に差がありすぎるのである。一握りの有能な人材が、無能と普通を引っ張って会社が成り立ってる。信じられないかもしれないが郵便局で簡単な掛け算・暗算ができないのが窓口にいるから。
数学のテストでは電卓持ち込みOKで九九を覚えていないアメリカ人はごろごろいるから。

人材会社?のスキル判定のためにいろいろなテストがあるがこんなテストもある。
・アルファベット順にファイリングをします。
・次の5つの名前のファイルをABC順に並べてください。
な~んてね。アルファベットの順番が分からないという人がいるわけ信じられないかもしれないが。

アメリカ人の自己評価だけはすごく高い。スペイン語とフランス語の挨拶くらいしか知らないのに語学できますと平気で言っちゃう。仕事ができるだろうと思っていると、とんでもないポンコツが混じっているの。

で、マネージャーは次の日に電話をかけてきて機械は探したのでXXの店舗あったから。行ってピックアップして。どうやら彼女は有能の方だったようだ。当たり前だけど、ごめんなさいとか申し訳ないとか謝罪は一切ない。
やればできるじゃん。

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