おじちゃんとおばちゃんはかつて工事現場で暮らしたことがある。工事現場に行って、キャンプしたのではなく、自宅が工事現場になってしまった。
それはこういうわけだった。
おばちゃんが家を買う前から、家を建てたビルダーを家の住人+管理組合が訴えていた。曰く、壁に設計通りの断熱材が入っていない、設置されたヒーターがジャンク品バスタブがバッタモンですぐ穴が開く玄関デッキの床が設計ミスで漏る、、など。
おばちゃんが家を買った後に、ビルダーと住人側が修理賠償で最終決着した。住民ミーティングで修理の計画が発表され、詳細は各戸に通知されることになる。届いた手紙にはうちの修理箇所と修理スケジュール、家のオーナーがすべき準備の詳細が書かれていた。
ウチのユニットの場合、リビングの壁とメインバスルームのバスタブ玄関デッキ、ガラージの壁、となる。
オーナーが準備するのは、隣と共有するリビングの壁からすべての家具を除くこと。玄関デッキを建築当時の原状に戻すこと。
玄関デッキは前の住人がリモデルし、石とレンガでオサレに張り直してあったからだ。これをぶっ壊せってか?
前の住人からは、契約時にこんなことを聞いていない。前の住人が作ったのだから、彼が払うべきだ!とオンラインWhitePageで前の住人の行方捜査を開始した。
彼の新住所ダラスに手紙をだして、玄関デッキの除去費用を払うように要請したのであったが、Fredは、それは自分のさらに前の住人がやったので俺の責任とちゃがう。という。不動産エージェントは、AsIsのコンディションで買った場合諦めろという。
おばちゃん、しぶしぶハンディマンを雇って玄関デッキをぶっ壊した。
次はリビングの壁である。壁には本棚が5つあった。6段本棚が5つ。本ぎっしり。引っ越しと同じじゃない。壁の修理が終わったらまた戻すんである。くそ、と言いながら本棚と中身をオフィスとメインベッドルームに移した。
アメリカ人の朝は早い。
7時半にモーニンと玄関を入ってくる。おばちゃん、おじちゃんまだねぼけてパジャマである。メキシカンの作業員はリビングの一番大きな壁をぶっ壊した。
すごいホコリ。
表面の次になんか漆喰みたいなボードもある。これもぶっ壊した。おばちゃん、見ていられなくなって逃げる。夕方5時に、今日はこれでお終いっと帰ってしまう。
壁はベニヤ板がむき出しである。天井近くはすき間があって空間は隣とつながっているようだ。隣はその当時、中国人であっち側のしゃべり声もかすかに聞こえる。夜7時ころには、ニンニクのニオイいっぱい。空心菜のニンニクいためか?
6週~7週間、おばちゃんと、おじちゃんがどういう風にリビングでご飯を食べたか、あまり記憶がない。メキシカンの大工はリビングとキッチンとオフィスとの境目にビニールシートでカーテンをたらしてシールした。
メキシカンの兄ちゃんが壁にとりついている間おばちゃんはカーテンを開けてキッチンでコーヒーをいれて、カーテン閉めてオフィスに籠る。
住宅地のユニットを丸ごと修理にかかっているので、工事は遅遅として進まない。夜になってやっと静かになり、おじちゃんと二人で裸になった壁をしみじみ調べるのだった。
断熱材を入れ漆喰ボードをいれなんかぬるぬるしたペーストを塗り、最後にペイントを吹き付けて、何週間かかけてリビングの壁は完成した。そのころにはおばちゃんはホコリのアレルギーになっていた。
次は玄関デッキである。ハンディマンが表面の石とモルタルをはがしたら、下にはオイルシートが貼ってあった。何せ建築当時のオイルシートである。古くてところどころ破れている。
デッキの工事の前日、メキシカンのおっさんは何を思ったかいきなり水をかけてデッキブラシでこすった!何やっているのよ。オイルシートを洗ってどうするの?英語が分からないのか、メキシカンのおっさんはニカニカ笑ってOk、Okという。
オイルシートは当然破れる、水は階下に染みる。下はウチのガレージである。案の上、真っ白なガレージの天井に茶色のシミができていた。おばちゃんキィーである。
ガレージの壁もキャビネットを外せと言われた。おじちゃん、ぶつぶつ言いながらでっかいキャビネットを外した。ガンガン内側から壁を破っている。何をどう直すのか?買い物から帰ってきたら、当の壁に外が見える大きな穴が開いていた。
もう我慢できない。おばちゃんは壁の穴と天井のシミと、玄関デッキの写真を撮ってプリントアウトすると、コミュニティの中に設置された工事監督のトレーラー迄歩いて行った。
見てよ、このうちの損害!壁に穴が開いちゃったのよ!すると白人の監督は、It happens all the time. No problem.心配すんな。ちゃんとペイントするからと面倒くさそうにと言いよった。
メキシコ人のNoProblemは信用できない。アメリカ人のNoProbolemも用心したほうがいい。
修理が最終課程に入って、ウチのガレージの穴はまだ開いたままだった。穴はいつ修理してくれるのと、プリントアウトをもって何度も管理トレーラーに行った。
その後いつやったのか、ある日ガレージの壁の穴は魔法のように消えており、天井のシミだけが残っていた。
おばちゃんはまたもやトレーラーに行くと、監督はメキシカンを呼びよせウチのガレージに行かせた。
監督補佐みたいなメキシカンは白のスプレー缶をシャカシャカ振ると天井のシミに向かってシャーとペイントを吹きかけた。お終い!
えっ?これでお終い?
おっさんは、ガレージの天井にこれ以上何をしろと?と帰っていった。
深田祐介のエッセイに、アメリカ製の車ががたがた音がするので、調べたらボディの間からコークの瓶が出てきた!というエピソードがあるが、ウチの場合は、ガレージの穴が開いた壁の間にソーダのアルミ缶があった。壁をふさぐ前におばちゃんもソーダのかわりに記念として何か入れておけばよかった。
のちのち先人の日本人おばさまに工事の愚痴をこぼすと、あら~、あなたラッキーだったじゃない。
アメリカのデベロッパーは住宅地を完成させて売った後、会社を解散しちゃうのよ。あとで訴えられた時困るから。
そうか、おばちゃんはラッキーだったのか、うちのビルダーは逃げ足が遅い、トロい奴やったんや。
とアメリカ土民化したおばちゃんは思った。