バンカメと戦う

アメリカで起こるトラブルは、電話一本でするすると直る、ってなことはまずない。
2回電話をかけてもらちが明かず3回でもどうだろう。
解決しない主な理由は、カスタマーサービスの人の質が低くてトラブル解決システムがきちんと動かないせい。

クレジットカードのカスタマーサービスは特にひどくて、バンカメ・カード事件は次のように起こった。
アメリカのクレジットカードの有効期間は短い。たいてい2年くらいだ。
当時持っていたバンカメBank of Americaがリニュアルしておばちゃんは新しいカードを受け取って
スーパーとか小売店で3~4回 使った後に、何気なくカードを見ると、
おばちゃんの名前と全く違っていた?

氏名であっていたのは、ラストネームの最初のアルファベット2文字。
なんじゃこれ!
おじちゃんのラストネームはスペルを並べると日本人に見えない。いつも行く銀行の窓口のおばちゃんは、
あなたの名前はフィリピンのタガログ語では「海」って意味よ。と教えられた。イヤ、タガログじゃなくて日本人だけど。
カードの赤の他人のスペルと似てるっちゃ似てる。

そのバンカメ・カード名義にびっくりしてすぐカスタマーサービスに電話を掛けた。
別人のカードを送ってきて、使っちゃったわ!あ~、私のカードは今どこよ。すぐキャンセルして。

あ~、ハイハイ、あなたのカードはまずキャンセルしました、と。
使っちゃったんですか~?
うん、90ドルちょっと使ったわ、ビルはちゃんと送って払うから。

で、カードのステートメントが届くと請求額が$0なんだね。どうなってるんだこれ。

で、また電話をかける。
あ~、カードが間違って届いて間違って使っちゃったから請求を送ってもらうはずだったのにチャージされていてないよ。
あ~、ハイハイ。忘れましたか?つけときます。来月払ってね。

次の月、また請求額がついてない。
電話をかける。
カスタマーサービス、間違って使われた名義人があなたを訴えると言ってます。
払わないとあなたを訴え、、、、、

だから最初から払うよって、言ってるじゃん。2月前から電話をかけてんじゃん、払うって、。
あれ、(記録を調べて)ほんとだ。じゃ、請求書送ります。
もう、いい加減にしてよ。何回電話をかけてると思ってんのさ。

次の月、請求書の請求額$0.どうなってんだこれ!怒!
カスタマーサービス:相手はdisputeして、払わないって言ってます。
おう、だから払うって言ってんじゃん。お前話を聞いてんのか?
お前じゃもう埒あかないから、スーパーバイザーと代われ。

スーパーバイザー:ポリシーを調べたところ、他人名義の支払いはできないことがわかりました。
なんだって?それがわかったんなら、なぜ説明しない。自分で使った分は自分で払うから。

スーパーバイザー:できません。他人のアカウントに支払いはできないんです。
おば:相手はdisuputeして払わないんだから、私が払うって言ってんじゃん。どうやったら払えるの?
スーパーバイザー:……………..

払えといったり、払おうとしたら払えませんと言ったり。延々と6か月ももめた。

決定的におばちゃんが切れたのは、払えというカスタマーサービスにぶつかったときに、銀行のバンカメの窓口で払えます。と言われOK,分かった家から近いバンカメの支店でこれから支払うから、店長に電話をかけておけと、支店の名前と住所と電話番号をいい、これから行くから。

バンカメの支店に着いたら、支店長にもちろん電話は来てないわ、クレジットカードとはそもそも組織が違うので、カードの支払いはできませんとマネージャーに言われ、カンカンになった。カードのカスタマーセンターのスージーだかナンシーができるといったんだよ。

それでとうとう堪忍袋の緒が切れて、おばちゃんはジオシティにバンカメ用のページを作って、最初の事件の発端から、カスタマーサービスの回答を時系列で並べて当のカードのアップ写真を載せて(名前とナンバーはバッテンで消したが)。

URLとページのコピーを同封して、カスタマーサービスに手紙でガンガン送った。バンカメは、おばちゃんにはっきり説明もせず事態はうやむやに終わった。

働く人の質は低いが、バンカメは使いやすい銀行なのだ。
オンラインバンキングも、何も知らなくても直感ですいすい振り込みも支払いも操作に悩むことなくできる。

ところが、自分の有利なようにコロコロポリシーを変えるという癖がある。
ビジネスをスタートした後、便利で近かったのでもう一度口座を開いたおばちゃんに、最低預金限度額minimum balanceを何度も変えて煮え湯を飲ませたのだった。

最低限度額はいくら?$0です。本当に?本当です?
今だけで将来は変わるんでしょ?いいえ、Forever$0です。キリッ!
って言ったんだよ。

それで1年後に、銀行から手紙が来て、来月から限度額は$100になります。限度額を下回るとペナルティで1月$15の口座手数料を頂戴します。

嘘つき!2回やられた。

サブプライムのババをごっそり掴んでリーマンショックの大不況でバンカメは大きな痛手をこうむった。
アメリカ政府の援助を受けて生き延びたのだった。
税金で生き延びたのにシレっと口を拭って、相変わらず好き勝手なビジネスを展開していたが、
Heartland だかHeartfordだかの保険会社と提携をして、毎月ステートメントに保険のパンフレットを
同封して送ってくるようになった。

あんまり評判のいい保険会社でもないが、補償額のわりに掛け金が極端に安いし、同封の加入申込用紙にチェックマークをいれるだけ、切手もいらない返信用紙に同封して送り返すだけの
超~お手軽さについつい、ひっかかって事故賠償保険月掛け4ドル?に申し込んでしまった。

アメリカの場合は印鑑なんて必要ないし、銀行印ももちろんないし、バンカメが提携しているので、
バンカメの口座から引き落としだから、面倒なことは何もない。
日本の申し込みが面倒なのとは対照的ね。

そんで、保険加入で半年くらい経った後にHeartlandから手紙が来た。先月の引き落としができてません。
先月分のお支払いをlate fees遅延の罰金’と一緒に送ってください。

おばちゃんは唖然とした。銀行引き落としなのに銀行が何で引き落とせなかったの?
残高はあるのに。限度額も勝手に上げて、$100ドルを下回ることはないのにさ。さらに遅延金を私が払うの?それは筋が違わなくない?
バンカメのミスを私がしりぬぐいするの?

あほと違うか、 電話でHeartlandのカスタマーサービス 電話をかけて、バンカメに来月2か月分を引き落とすように言ってやって。

Heartlandのカスタマーサービスに文句を言っても、そういう処理はできないんです。小切手で引き落とし不足分と遅延金をHeartlandに払ってください。
むかむかして保険なんか怒りでどうでもよくなっちゃって、おばちゃんはHearlandに苦情の手紙を書いた。

Hearlandさんへ、バンカメがミスしたんですね。銀行口座自動引き落としができないような銀行と提携したんですね。late feesをとるならバンカメから取ってね。

そもそもサブプライムで大やけどして国の税金を受けて生き延びたような銀行と手を組んだ、あんたが間抜け。バンカメのミスはバンカメに責任を取らせて。バンカメから遅延金を払わせられないようなら、保険をキャンセルしてね。
バイ!

アメリカの味 コーンド・ビーフ

アメリカでまずいのはアメリカ料理。
ただ、例外は少数あってハンバーガーとか肉料理にうまいものがある。

単純にゆでるか、オーブンで焼くかかする料理が多いい。料理が下手なアメリカ人庶民にとって、
いわゆる”炒めるwok”という技術は高度すぎ、ほとんどのアメリカ人はフライパンで炒めるという技が
できない。したがって、アメリカの料理法はみんなめちゃくちゃシンプルである。

その一、茹でる。
塩漬け牛肉をゆでる。corned beef

大人の手首から肘くらいで、厚みが10センチくらいの牛の塩漬け肉。香辛料と塩水で牛バラ肉を漬け込んだコーンドビーフがつけ汁ごとパックされて、スーパーで売っている。大きいものを選ぶと鍋に入らないので、2Kgくらいのを選ぶ。

そのままゆでると塩っぱすぎるから、鍋に流水を張ってしばらく塩抜きをするのだが困るのは、肉によって塩加減と厚みが違うので、どのくらい塩抜きすればいいかわからない。
薄すぎる肉は早めに止める。さもないと茹でたときに旨味が全部スープに逃げ、肉はダシガラになってしまう。

塩抜きができたら、鍋に肉を入れ水を張って一緒にパックについていたベイリーフや粒胡椒などのスパイスをいれて、水からゴトゴトと茹でる。沸騰したら弱火にして2時間以上、火が通るまで茹でるのだ。

茹であがる20分くらい前に、皮をむいて半切りのジャガイモ、ニンジン、丸のトウモロコシ、4分の1にバッサリカットした芯をつけたままのキャベツなどを鍋に放り込んで、一緒にゆでる。肉からでた塩味でちょうどよい野菜も味がつくことになってる。だから、肉の塩抜き加減が一番難しい。

澄んだ黄金色のスープの中にピンクの肉と野菜が沈んでいる。おばちゃんは西洋オデンと呼んでいた。

野菜も煮えたらいったん肉を取り出して、7ミリ~8ミリくらいにスライスして器に盛り、粒マスタードを付けて召し上がれ。

次の日は鶏の手羽かドラムスティックを追加する。
ビーフの出汁にチキンが追加されてスープはさらにリッチになる。鶏が煮えるころにはキャベツがクタクタのトロトロ。

おばちゃんはこのスープと肉とキャベツをすくって、白いご飯にかけるのが好き!サラサラといくらでも食べられる。

さらに肉が残ったら薄切りにして、バターとマスタードを塗ったパンにはさんで、コーンドビーフ・サンドイッチもうまい。この肉を食べ過ぎると、半端なくオナラが臭いんだ。肉のつけ汁に相当量のニンニクが入っているせいだね。

いつの大統領だったか、連日の外交晩さん会で手の込んだフレンチ料理が続いて、うんざりしていたところ、ホワイトハウスのスタッフの昼食がコーンド・ビーフだと知った大統領がスタッフのランチを横取りして、執務室でむさぼり食べて、やっぱりアメリカの家庭料理はほっとするわと言った逸話があった。

アメリカの家庭の味。

インドカレー

アメリカのインド料理屋ではどうして、ボールを出してくれないのか?とず~っと不満だった。

ラッシーというあのヨーグルトが好き。日本料理のお手皿のような銀色のちっちゃなボールにラッシーやデザートをよそう様になっていたのだが、おばちゃんはカップでもいいのでごくごく飲みたかった。塩味でさっぱりするじゃない。

アメリカのインド料理はほとんどバッフェスタイルで、そうでない店はあまり流行っていなかった。おじちゃんはこの食べ放題が大好きで、カレーが好きだったのもあるのかも。

ガーリック・ナンもお代わりがいくらでもできたけど、ナンはおなかに貯まる。
サラサラのジャスミンライスも好きなので、お代わりのナンを残さずに食べるといつも食べすぎになるのだった。

客の3分の1は常にインド系の客で、本国のお客も通う店なのだから水準程度の味ではあった。タンドーリ・チキンも食べ放題だが、骨付きをナイフとフォークでさばくのはなかなか面倒で手がだるくなるので、紙ナプキンでドラムスティックの足を包んでむしゃむしゃ食べる。

アメリカ人のテーブルマナーは日本人同じようなものなんで、手づかみでチキンを食べても目をひそめられることはかなったし、何よりインド料理は手で食べるのではないか?

ただし、おばちゃんは何十年とお店のお客を観察したけれど、インド人のお客ですら手でコメとカレーを
すくっている人がいなかった。アメリカナイズされましたって、ことなのか。まぁ、フォークの方が手が汚れないし。

何十年と通って、いつも同じおっさんのウエイターが、アイスティーとガーリンクなんだろ?とOk,Okとオーダーを受けた。おっさんは何年通っても、ぜんぜん年を取らないように見えたが、インド人は老けにくいのかしら。

代表的カレーはチキン。辛いのと辛くないの。マトンのカレー。豆のカレー。それとチーズのカレー。
おばちゃんは辛くないカレーと小さめのはんぺんみたないな大きさのチーズが入ったカレーが好きだった。
それにグリーンのちょっとすっぱめの漬物みたいな味がするレリッシュをちょっとかける。ラッシーをボールが小さいので2皿よそって、まずラッシーを片付けて次にタンドーリ・チキンに行く。

おじちゃんは早くもチキンの骨で皿の上にこんもりと山を築いており、それでもアメリカ人の骨のピラミッドよりはかわいらしいものだった。カレー味のジャガイモが入ったサモサもかじってみるが、野菜よりやはり肉。

チキンカレーをサラサラ米と一緒に流し込んで、皿のカレーをガーリック・ナンですくって汚れをとって、お代わりのチキンとマトンのカレーをよそいに行く。おばちゃんはもう満腹でデザートのカクテルフルーツが入ったヨーグルトで〆める。

ランチがカレーの日は、夜もおなかが空かない。軽くスープか果物で夜を済ませておしまい。夜寝るまで、指先にはカレーのスパイスの匂いがする。

日本に帰ってきたら、セブンのバターチキンがうまい。少し甘すぎるけど。ナンも妙に甘いのがあるけど、あれはどうしてだろう?

イラニアン・ケバブ

土曜日のランチによく行っていたのはイラニアン・レストラン。
店を一歩入った途端かおるサフランのにおい。

メニューは一通り試したけど、好きなのはソリターニ。肉とコメ。
牛ひき肉にスパイスを混ぜて味付けは塩だ。それを金属の長い串にガマの穂のように巻き付けて
グリルで焼く。もう一種類はやはり牛肉でブリスケッットかヒレあたりではないのかと思うのだが、
切れ目のない長い肉を串に刺して焼いたもの。筋も脂身も口に触らなくて柔らかい。

その2種類の肉が串を抜いてバスラミックライスの上にど~んと横たわっている。
付け合わせは焼いたホールトマトだけ。肉と米。

この米がまたひじょ~に軽い。どのくらい軽いかというと一度くしゃみをしたら、コメが吹っ飛んだくらい軽いコメ。その米が大皿に多分どんぶり2杯くらいの量。Rice of Bedという。

細長いバスラミックライスは、つやつやしてて一粒一粒油でコーティングされていて、軽く塩味がついている。白いコメの1割くらい黄色くサフランで染まったコメが混じっている。

テーブルにはイラン産の赤バジルの粉末がボトルであって、アクセントが欲しくなると軽く振りかける。もう、日本の振りかけの”ゆかり”そっくり。塩が入ってないだけ。
何度も言うけど、肉と米。

そのほかには、おじちゃんと”ザブトン”と呼んでいたイラン風のパンと”生の玉ねぎ”がある。
肉のひき肉のシーカカバブを一口食べ、柔らかいほうのブリスケットを食べて口が脂っぽくなったら、
半切りになった別皿の生の玉ねぎをナイフでくしに切る。

フォークで食べると雰囲気が出ない。左手に生玉ねぎをつまんで右手にフォーク。肉と米をフォークですくって、合間に左手の玉ねぎをかじって口直しをする。

おばちゃんは、ムダな教養がありすぎるからついつい旧約聖書を思い出してしまう。
モーゼに連れ出されたユダヤの民が砂漠で食べ物を嘆くシーン。エジプトでは肉を食べ玉ねぎをかじって腹いっぱい食べたのに、ここ砂漠には肉も玉ねぎもない!

読んだ当時のおばちゃんは、なんで玉ねぎ?まぁ、煮込みにするなら玉ねぎもいるかも。と思ったのだが、。シーカカバブの焼き肉は、生の玉ねぎのほうがうまい。

ちくわみたいに真ん中に穴が開いたひき肉を食べ、コメを食べる。
軽いコメは箸なんかでは面倒見切れないほどサラサラなので、ホークですくって食べる。軽いからどんぶり一杯分くらいは女でも食べられる。ブリスケットを食べ玉ねぎをかじる。

金曜日の夜に来ると、ベリーダンスのショーがあって、シンドバッドの冒険に出てきそうな衣装:ブラとスカートとたくさんのアクセサリーを付けた、とても40以下に見えないイラニアンのおばさんが髪を金髪に染め、それでもウエストラインはかなり絞っていて、腰をくねらせながら客席の間を踊る。

腰のスカートに5ドル札を挟むと、片頬で笑ってくれて腰を10回くらい振ってくれる。10ドル札だともう少し長くテーブルの周りをまわってくれる。日本からのお客さんを連れて行くととても喜ばれるレストランだった。

飲み物は発酵したヨーグルト。
甘みを付けたヨーグルトは後味を引くが、この発酵したヨーグルトは塩味がついていて肉料理にはさっぱりして飲める。一度発酵しているので、ソーダのようにプチプチと炭酸風味だ。おじちゃんは嫌っていたがおばちゃんは好き。

肉とコメという嫌われる要素がない料理なので、いろんな民族から好かれ、イラニアンスーパーのコーナーにも、シーカカバブコーナーができて、長い行列待ちだった。

同じケバブを食べようと思ったら東京までいかないとだめなのかしら?

ここでおばちゃんにちょっと脱線させって。
おばちゃんは英文科だから、英文学における聖書みたいなクラスもあって、新約も旧約も読んでる。
いろんなバージョンがあるが一番読みやすく面白かったのは文庫で出てる小説:旧約聖書。
エジプトで生ぬるく暮らしているユダヤの民をモーゼが脱出させる「出エジプト記」だ。

ユダヤの民に危機感をあおり、約束の地に民族を連れ出すモーゼ。民族の大脱出。連れ出したなら一直線にイスラエルに向かえばよいのに、モーゼは何故かシナイの砂漠をさまようのだわさ。

食うものもない砂漠でモーゼは神に祈り、天からマナ(パン)が降ってくるのだね。毎日マナを食ってれば生き延びられるのだが、そこでエジプトですべての財産を捨てさせられて身一つで逃れてきたエジプト生まれのユダヤ人がぶつくさ文句を言うわけだ。

この砂漠には肉もなければ玉ねぎもない。毎日同じマナばっかり。

やっぱり、食いものの習性はしぶとく残るのさ。
中には貧乏性がいて、明日マナが降らなかったらどうしようとか、今日降ってきたのをたくさん集めてためておこうとかね。

人間性の問題だからだから、おばちゃんもやりそうだ。貯めたマナはカビが生えて腐っちゃった。それでモーゼが怒るわけだ。神はちゃんと約束してマナを降らせるのに、神を疑ったってね。

モーゼのおっさんは、自分の民に相当手を焼いたんだね。信じられないのは延々とシナイの砂漠をさまようのね。40年だっけ?来る日も来る日も。

これが日本民族だったら、

「拙者モーゼは神に誓ったので、この命にかけても主らを約束の地に連れ申そうぞ!できなかったら、この皴腹をかっ切って詫びる」

とか言っちゃって土下座して、死に物狂いで日本人団を連れて砂漠を横断したにきまってる。
そんで、日本生まれがイスラエルの地に着いて、ああでもないこうでもない。日本ではこうだったとか、文句をたれまくって、イスラエルの統一国家誕生の大きな妨げになったに違いないわ。

モーゼはのらりくらりとうるさい仲間をかわしながら、砂漠を延々とひっぱってエジプト生まれがくたばっていくのを冷静に待った。連れ出した当の仲間が一人一人死んでいくのを待つのだね。

この信仰とか論理と鉄のメンタルがすごいね。日本民族は絶対できない。
自分がエジプトから引っ張り出した張本人なのに、仲間が砂漠で死に絶え、砂漠で生まれた神を信じる子供たちの民だけになってから、蜜と乳が流れる約束の地に入場した。

おばちゃんが恐ろしいと思うのは、モーゼが自分の民の絶滅計画・選別を決めたのはエジプト脱出の計画の当初からだったのか?
それとも砂漠をさまよっていた間に結論に至ったのか?
計画当初からだったなら、恐ろしいね。

民族と信仰と国家いう大きなものをコントロールするために壮大な計画を立て自分の民の選別をしていく。死んでいく人間からはモーゼなんか詐欺師じゃん。

ただ、大きなピクチャーから見れば、ユダヤの神を信じるユダヤの民の純粋を守ることとユダヤの国を建設するためには必要な戦略だったと。

こういう子孫がアメリカでも繁栄している。金融界、法曹界、不動産業、政界、宝石業界。名前の語尾がバーグ、スタイン、ゴールド、シルバー、ランドとかがついていれば子孫。

割と目先のことに熱くなり感情で動きやすい日本人は、個人の人間を殺しても民族を守るという大きな視野はないのじゃないだろうか?
まぁ、日本人のヒーローは感情的で自己犠牲が好きで、体力と気力が持たず早々と死んじまうから。
個の日本人がこのユダヤのネットワークにぶつかったりすると、て~んで歯が立たなかったりする。
当たり前か。

お客様は神様じゃない

ある朝、いつものようにコーヒーを買いに隣のパン屋に寄って、ジャネットがマグにディカフェを入れてくれる間に
ぼ~っと正面の壁を見ていると、メニュー表の上にプレートが貼ってあった。
We reserve the right to refuse service to anyone

なんだか穏やかでないから、ジャネットにあれは何?と聞いたら「ああ、Right to refuseね。あまりひどいお客さんは
うちにはいないけど、念のため」ふう~ん。

おばちゃんは自分のユニットに帰って、さっそく調べた。アメリカのサービス業の普通のポリシー宣言だ。うちは誰であってもお客にサービスしない権利があります。キリッ!

日本の小売業は「お客様は神様です」だ。これはキモチわるい。誰がそんなことを言い出したか、昭和生まれのおばちゃんは実は覚えている。

演歌歌手の三波春夫が広く広めた。ファンサービスの言葉だったんだよ。
彼がファンに媚びるのは勝手だが、このフレーズが日本でどんどん独り歩きして、日本の小売業・サービス業にまで広がってしまった。

お客というものは媚びて持ち上げてヒザまずくとどんどん冗長するものだ。結果、日本の小売業・サービス業は客にへりくだって、客自身は神様のように思い上がり、サイトに星をつけずに罵詈雑言を書いたり、するとサービス側は委縮してさらに這いつくばり風評を異常に気にして客を腫れ物に触るように仕える。

おばちゃんは、ばかげた風潮だと思う。
お客は神様ではない。お客と店は対等だ。そもそもお客と店は物品やサービスを介して相対するものであってどちらが神様か奴隷かという関係ではない。

アメリカでもウオールマートのおっさんがが「Customers are always right」というフレーズを大々的にぶっ放したが、
(オリジナルの発言者ではない、三波春夫と一緒)アメリカ社会では必ずしも賛成されていない。

理性的な判断だと思う。
日本のようにいったん大勢が決してしまうと流れに流される社会とは異なり、アメリカ社会というのは極端な意見はチェック補正能力が働くようである。

さて、とんでもないことを言い出す白人のお客やこれまたC国人などと日々戦っていたおばちゃんはこの
Right to refuseがスト~ンと胸に落ちた。力強い味方

おばちゃんはさっそくサイン屋にプレートを注文して、カウンターのよく見える壁に掲げた。このプレートはサービス業の護符だ。プライドだ。十数年の営業期間のうち、おばちゃんは何回かプレートを指さしてモンスターが退店した。

日本に帰ってきて小売業がお客様は神様です!と言っている割には客に便利がいいことはあんまりしようとしないことに
これまたおばちゃんは頭をひねった!

だって、醤油ラーメンと塩ラーメンが同じ値段でソフトクリームとセットなのは醤油だけなんだよ。おばちゃんは塩ラーメンとソフトクリームのセットがいいからセットを塩に変えて?と頼んだら、ウチは醤油だけがセットにしてるんです、だって。
醤油も塩も作る手間も値段も一緒よ?チェーン店なのにバカじゃないかしら?

ーーーここでちょっと閑話休題
おばちゃんは、融通の利かなさの原因をある程度推測できる。
① メニューを書き換えるのが嫌。
② レジに打ち込めないから困る。
スモールビジネスではレジに大規模ポスシステムをなかなか入れられないんだね。費用がかさむから。
あるいは一番単純なポスシステムを買う。ポスの設定は最初の一回業者がしてくれて、あとの変更は現場では
わかんないやつしかいない。

そうでなければ単品のレジを買って紙の伝票で処理するんだ。こういう小売店は頭が悪くてレジのLookUpTableをきっちり作り上げる人がいないのよ。

LookUpTableというのは、レジ機器の内部に物品のリストと値段を表にし記録させておくのよ。だいたい2000品ぐらい余裕で設定できるのよ。

だからフードコートのレジはキーの101をたたくと、醤油セット890円とレシートが出るのだね。塩セットを102に追加すれば解決じゃない。

物品の名前や金額を変えようと思ったらレジの数字ボタンをたたいて、気が狂いそうになりながら1字1字名前を編集し金額を変えたりする。そんな面倒くさいことはやりたくないって?バカみたい。

コンピューターと接続して、LPテーブルを編集すりゃいいのよ。たいていのレジはコンピューターとつながるから。紙のメニューは1回印刷屋で書き直すと3万はかかる。プラスティックのメニューならもっと。

でも、そういう客の好みとオーダーの幅を理解してレジに客の好みを追加していけば、客にも喜ばしく、売り上げも上がるのに、な~んにもできない無能の経営者が言葉だけはお客様は神様という。客がわがままだという。
それは違うよ。とおばちゃんは言う。

マーケティングは小売業の基本だ。客の好みが売り上げに直結する以上、
客の好みを把握してより広い顧客を獲得する。そのためにオプションとチョイスを選べるようにする。レジの編集ができなくて、なにが経営か?レジの売り上げ記録というのは思いがけない発見があるものだ。

レジとメニューくらいなんとかせい。そうすればセットものの追加なんて、自由自在にできるようになる。店も売り上げアップでWin客も好きなものが買えてWin
ーーーーーーーーーーー閑話おしまい

お客様は神様です、と言いながら客の便宜はあんまり払わないのが日本の小売業、サービス業だ。

AliExpressのほうが日本の小売業より融通が利くよ。いったん開封したら返品不可なんて、日本のルールは
おかしすぎる。XXXXオーヤマさんとか。返品されたらロスになるって?そんなこたぁない。

返品絶対不可だとお客さんは怒っちゃって戻ってこない。だから返品は初期不良と一緒にFactory Refurbish
(自社工場で点検修理で完成品としてまた出荷する)として安く売りゃいいのよ。

あのダイソンでさえやっている。購入客は返品できてWinFactory Refurbishで安く買える客がいてWin
売り手もロスがでなくてWin

とにかく日本の商業:小売り、サービス業というのは変な歪みがある。過度にへりくだったりイケ高だったり。
おばちゃんは力強く言いたい。お客とお店は対等よ

ウーマンリブの誕生

ウーマンリブの始まりにおばちゃんは居合わせた。
アメリカで女が社会に進出し、経済力と力と発言力を得た課程は実は以下のようだったのだった。

おばちゃんはある日フードコートにいてジョイスとおしゃべりをしていたが、隣のテーブルにはAll Americanの家族が座って食事をしていた。

40代手前のお父さん、少し若いお母さんと2~3歳の男の子。教育・経済的ごく普通の平均的家庭休みの日らしい穏やかなランチ風景。

お母さんは男の子がご飯を食べるのを手伝いながら、私はXXXが欲しいわ!と言った。(XXXはよく聞き取れなかった)さっき見たXXXが素敵、あれがあるといいわね。
するとお父さんが、
お父さん:ウチにもXXXがあったんじゃないか?
お母さん:あるけど古いのよ。
お父さん:まだ使えるだろう?
お母さん:でも、でも、はぁ、、もういいわ。

この会話を読んでピンとこないあなたは男。そうなのよ、というのは女。

XXXを買う決定権はお母さんには無いのだね。お父さんが生活費のほとんどを稼ぎそして管理している。

お母さんは小切手と家族カードを持っているだろうけど、月一のステートメントが来ればお母さんの支払いもお父さんにきっちりチェックされるだろう。お母さんには自由になるお金がないのかもしれない。

だから女がXXXを自由に買うためにはパートでも働きにでて自分のお金を稼がないと言いたいことやりたいことができない。だから女は社会に進出していった。

アメリカの男は自分で稼いだ金を100%自分で管理する。
当たり前だ、どうして人に任せねばならない?

妻は自分で稼いだ金を管理する(好きなものを買う)。
アメリカ人の家庭で妻と夫が全く同等というわけでもないが、自分も稼ぐようになった妻は負けてはいない。ホントの話、おばちゃんは日本人の男が愚痴をこぼしているのをたまたま聞いてしまった。

日本生まれの男にしては珍しくアメリカ人の妻と結婚してしまったらしい。
彼が言うには、ハニー?水曜日の午後にはデービッドをあなたが迎えに行って歯医者に連れて行ってね。
ウチのサリー(仮名)がそう言うんだぜ!俺にどうしろっての?

水曜日の午後から会社を休めってか?(おばちゃん)そうだよ、お前が休めよ、と心で思ったりする。

家庭によって、力関係は若干変わる。
ウチの子の一人はアメリカ人と結婚して子供に手がかからなくなったので、働きに出た。

ダンナとの話し合いで、彼女が稼いだ給料は月に200ドルは家計に入れ、残りは自分で好きにしていいと言われていた。シフトが増えると収入が増えるのだが、ダンナにそれがバレると家計に入れる額が増やされるので、臨時のシフト分は黙っていてくれとお願いされた。

彼女の場合は、カードもダンナの支払いだったから経済的には余裕があった方だが、ダンナがオンラインでカードの使用を全部見ているのだという。

今、XXXのモールでショッピングした?と電話がかかってくると言っていた。ダンナと対等になるためにはダンナと同じだけ稼いで家の名義もローンも家事も育児も折半となるけどそういう関係もなかなかシンドイのだった。

メキシカンの場合は戦前の時代。
ダンナが稼ぎ、カミさんは家事と育児、子供が多いから。

買い物に行くときは家族全員でスーパーも家族連れでぞろぞろレジに並んで、支払いはお父ちゃんがする。

おじちゃんが会社のメキシカンに毎月家計費をカミさんにやれば?と言ったら、金を持ちなれないカミさんは
欲しいものを買ってあっという間に使い果たしてしまうのだという。

メキシカンがXXXが欲しい!自分で働いて買おう!と覚醒する日はたぶんすぐ来るだろう。それまではダンナに付いてきてもらってアレ買って!と言うしかない。

Costco コスコ

おばちゃんが渡米したときはPrice Club(プライス・クラブ)と言っていた。従業員がローラースケートで巨大な店舗の中を走っていた。ウソやおまへん!

ホントにびっくりして、こんな巨大な倉庫をてくてく歩くのはスケートじゃないと間に合わないよね、
おばちゃんだってローラースケートが欲しいと思った。滑れなかったけど。

プライス・クラブはその後合併してCostco (発音はコスコ tは無性音) となった。事故が多いので従業員はローラー・スケートから自転車になった。
(これはウソです)

普通のブランド製品が大量に安く売っているので消耗品を買いに行くのだけど、カートに山盛りでまさに買い出しだった。
一番丈夫なキッチンペーパーのBauntyとScottのトイレットロールでカートの半分は埋まり、アローヘッドの2ダースの飲料水と2ケースのバドワイザーを買うと軽かった当時のおばちゃんにははカートが重すぎて押すのが大変だった。

肉とチーズとCrestの歯磨きやら積んで入口から出口のサプルメントまで延々と歩かないと買い物が済まないし、
週末のレジ待ちの行列は半端なく長い。Costcoに行くのは間違いなく買い出しで力仕事だった。

おじちゃんはCostcoのアボカドが一番品質がいいと言って買うのだが食品はポーションが大きすぎて、ウチはクロワッサンもブルーベリーマフィンも横目で見るだけ。せめて半ダースだったらいいのに。

ただ、ペストリーとスイーツ売り場に”タライ”サイズのFlanがあって、おばちゃんはプリンが好きなのでいっぺん食べてみたいと思っていてずっと目が離せなかった。

ある時すごく疲れていた時についにFlanを買った。アメリカのパーティサイズ。直径30センチを超えるくらい、高さは5センチ。日本のプリンよりもっと濃厚で甘くて金属のスプーンでも差して倒れないくらいの固さのフラン。

クリームドリュブレに近い濃厚さなので、おじちゃんと二人でスプーンを持ちよーいドンで巨大な容器のフランを両側から攻略した。

3日目くらいに胸やけがしてギブアップした。3分の1くらいしか食べられなかった。あれがもっと小さなサイズだったらもっと頻繁にCostcoに行ったのに。

返品文化

買った商品がDefect(欠陥品)や動作しなかったわけではなく気に入らなかったという理由でも購入後30日の間にレシートをもっていけば大抵はリファンドか商品を取り換えてくれる。

ホリデーシーズンの後はカスタマーサービスに長い長い行列ができる。送り主がギフト用のレシートを同封してくれるので購入店にもっていけば好きな商品に取り換えられるからだ。

おばちゃんはTargetで安い扇風機を買ったが羽がペナペナで力がなかったので返品しに行き、代わりに加湿器を買った。
加湿器をしばらく使い、水のタンクの掃除がしにくいのでまた返品に行ってヒーターに取り換えた。季節は寒くなっていたので。

アメリカ全体に返品OKの”返品文化”が行き渡っているので、例えば日本の会社のように、”売買は常にファイナル・セール、初期不良品以外は返品不可”などとポリシーを規定すれば、アメリカ人から総スカンを食らってビジネスが立ち行かないことは明らかだと思う。

日本製のテレビや電化製品だってアメリカ国内で販売されている限りどんどん返品できる。

知り合いはDVDを買って堪能するまで見た後、ケースにビニールを再包装して(彼は仕事で包装する機械を持っていた)見なかったことにして返品していた。

パーティ用のドレスを買ってプライス・タグを取らずに人から見えないように内側に押し込んで、パーティが終わったら帰しに行く人。

口紅を半分も使ったのに気に入らないから別の色に取り換える人。

アパレルの日本向けオンライン・ショップ立ち上げて、商品がもし売れなかったら購入したショップに返品しようという企画していた知り合いもいた。実現はしなかったけど。

実現しなかったのにはちゃんとした理由があって、商品の仕入れがTargetなら年間の?返品金額が1500ドルに達するとブラックリストに載り購入ができなくなるという裏情報があった。

その情報が正しいのか都市伝説なのかは確かめなかったけれど、返品を想定してオンライン・ショップはさすがにやりすぎだと思う。

返品文化の弊害は第一に小売業の利益を圧迫する。いかに返品率を下げるかというのはアメリカ企業の頭痛の種だと思う。
Pain in the assと言うやつ。
ただ、アメリカ人でもかつて経営者Harry Gordon SelfridgeがCustomer is always right.とか言っちゃったもんだから、今さらアメリカ人の返品文化を別の方向へ修正するのはものすごく困難だと思う。
日本では”お客様は神様”と言うやつ。

返品文化の弊害は消費者自体にも跳ね返ってくるわけで、90年代から2000年前後、売り場の商品で箱に開封したあとが有れば返品された商品で、大抵ねじなどの部品が一つ二つ足りなかったり、故障していたりしてた。

だから商品を選ぶときは開封の後があるかどうか確かめて、商品が売り場で最後に残った一つだった場合は買ってはいけない。大抵カスをつかむから。

日本に帰国して寒い日本の冬のために猫用のヒートパッドをオンラインで購入したら、電気ケーブルがいやに短く
ナナちゃんが匂いを嗅いだだけで近寄りもしてくれなくて使えなかったから、ア〇〇スオー〇マに返品したいと連絡したら、開封しました?と質問されそりゃ、開封しますよ。使えるかどうか開封しないと分かんないじゃないですか?
そうしたら、一度開封したら返品不可です。と切り口上で以降返事がなかった。

おばちゃんは開封はしたけど使用はしてないのよ。商品としては何も棄損していないのだけど。
日本人は開封すると商品が穢れるとでも恐れているのかしらね。
日本の小売店のお客様は神様じゃないわ。ほとんど返品ができないから。

愛しのブルーベリー 

どこのホームセンターでも、園芸店でもブルーベリーの苗は大量に売られている。ブルーベリーが美味しく実のるには、日本の気候は少し気温が低いような気がするとおばちゃんは思うのだが、。

果物王国の南カリフォルニアの大粒ブルーベリーをどんぶりサイズのボールに入れて、ヨーグルトをぶっかけてワシワシ食べていたころを考えると、比べると残念ながら日本産は手が出ない。

おばちゃんはブルーベリーは嫌いではないが、かつて飛んでもなく高いブルーベリーを食べた経験があり、さらに日本のスーパーのお高いブルーベリーは見るだけ。

それは、6月の埃っぽい月曜日だった。内陸のTemeculaに観光農場があり、ブルーベリーのピッキングをしてアウトレットでご飯を食べて、ショッピングという予定を立てた。ナビはカサカサの内陸地方へ車を導き、白っぽい荒地のフリーウエイを走る。

内陸は暑い。
華氏95を軽く超えエアコンがフル稼働しても日差しが暑い。幹線道路からも離れた辺鄙な農場には、アメリカ人の肩の高さに剪定したブルーベリーの畝が、何列も並んでいた。

実を摘んでいる間はいくらでも食べていい。親指の先ほどあるふっくらと柔らかい実は、太陽に焙られて生あったかかった。熟した実を選んで、持ち帰り用コンテナに入れ、口に運びねぇ、あたしたちなんか、農作業してるみたいね。
ブルーベリー・ピッキングってこう何かファンシーでロマンチックにならないのかしらん?
私たち農夫じゃん。湿度は極端に低いので、汗をかくそばから蒸発してゆく。もういいや、ってくらい口とコンテナに詰め込んでから料金を払って、一路アウトレットへ。

フリーウエイの15番だかを北上しているときに、ホンダがグンと後ろに引っ張られた。回転数のメーターがスコンと左に落ちる。途端に車内が暑くなってきた。

エアコンが止まった。スピードも落ちてきて、アクセルを踏んでも反応しない。結局、車はフリーウエイを降りて停め牽引を頼んで近くの修理工場に入れてもらった。

「It’s a bad news, ma’am. 」
悪いニュースを伝える時、人はなんで嬉しそうなんだろう。
Alternatorが壊れていて替えの部品はないんだと。

ウチの出入りのガラージに再度けん引してもらうしか方法はない。本日二度目のAAAを呼んで、オレンジ・カウンティまで$320以上の牽引代。

Alternatorは工賃込みで$1700を超える支払いになり、我々は疲労困憊して、次の日にお隣のジャネットにおすそ分けのブルーベリーを上げるのだが
ジャネット、これは一粒2ドルか3ドルだから大事に食べてね。と弱弱しく言った。

魚を買いに行く

Newport Beachのピアの付け根にちっちゃな魚売り場がある。地元の漁師が自分の漁船をだして、捕れた魚をそこで売る。朝の7時か8時にはその日取れた魚が並んでいる。

日本のギンダラそっくりのButter Fish, タラの仲間のSand Bass真っ赤なキンキそっくりのCats Eye
ハマチYellow Tail いずれもサイズは30~50センチはある。

漁師のおっさんは、お客の注文に合わせて頭をゴンと落した後、よくしなうフィレ・ナイフでシュパッと両身をフィレにしてしまうと、頭と中骨は大きなまな板の下に置いたポリバケツに捨ててしまう。

これに悲鳴をあげたのが中国系。
なんてもったいない、白人の奥さんが要らないなら私に売って。
白人の漁師はこんなもん食うのか?と最初は我々を犬か猫のように見なしていたのが、アジア系が増えてくると、立派な商売になるのに気が付いた。

頭と中骨の扱いはもう少し上等になり、のこのこと昼過ぎに表われた我々は、皿に盛られた頭しかない時もあった。それでも取れたてのキンキやギンダラは美味だった。

早起きして丸ごとのキンキが手に入った時は、ウロコを落とし中身を洗って塩を振り、あからじめオーブンを上火に350度にセットして15分くらい温めた後に、オーブンの中段にキンキを入れて焼く。
新鮮すぎて身がハゼてしまうのだった。至福の時だった。

サンド・バスはおじさんがよく船釣り釣ってきたが、臭みがあって日本から連れてきた魚食専門猫も、フンと顔を背けてまたいで行った。

煮ても焼いても臭いので片栗をつけて空揚げにし、玉ねぎとトマトを乱切りにしたサルサに一日漬け込むとまあまあ食べられるようになる。

ギンダラは味噌に漬けるとうまい。
ただ、一般家庭だと切り身にして味噌だねを作って漬けて食べごろに出して、焦げやすいのを焼くのはかなり面倒だ。ギンダラを1本丸ごと買うと30~40ドルするのでハードルも高かった。

美味しい魚を食べるのは、中国人に買われないように早起きをしないといけないし、PCHの渋滞を潜り抜けないといけないし、なにかと大変なので魚から遠くなる生活になってしまった。

南カリフォルニア郊外の自然

ハミングバード

可愛らしくて美しいハミングバードはよく飛んでいたの。
蜂鳥と言われるくらいだから、甘い蜜を吸う。だからくちばしの長いハミングバードのために甘いシロップが入ったフィーダーを軒下に吊すの。

ハミングバードは赤と黄色が好きだそうで、吸い口は赤と黄色の花を模したプラスチックよ。
粉ジュースみたいなシロップを水で溶かしてフィーダーの胴体部分に入れてハミングバードが来るのを待った。

小っちゃいわよ。
小柄なものは100円ライターくらい。褐色や緑っぽい色や、日本の玉虫の羽みたいなメタルグリーンもいるから。鳥の鳴き声とは違うんだけど、ジジっとか、バチッとか音を立てるので、ハミングバードが来たなってわかるの。長~いくちばしをフィーダーの花に差し込んでホバリングしながら蜜を飲んでるの。

ちっちゃなハミングバードのさらにちっちゃな卵も見たことある。おばちゃんの小指の爪より小さかった。フィーダーが釣り下がっているのを覚えてくれて頻繁に来てくれると嬉しかったわぁ。

写真に撮るのはすごく難しかった。携帯なんてない時代だから、フイルムカメラを用意しておいて逃げないように素早くドアを開けて撮るのは不可能に近かったわよ。

動く宝石と言われて羽ばたきが撮れるような写真はものすごい値段がつくと言われてたこともあった。

ジャカランダ

ウチの目の前にも一本ジャカランダの木があって、家を買ったときにはまだ2メートルにも足らず、花も申し訳程度にしか咲いていなかった。帰国の前にはいつの間にか駐車場の屋根を超す高さに育っていてシーズンには空と地面が青く染まるようになっていた。

店の子の一人のアパートは植栽がジャカランダだったから、5月6に尋ねたときは、びっしりと花を咲かせたジャカランダアパートの敷地中に咲き誇って青紫の霞がかかったようになっていた。

落ちた花は地面を青紫と淡い青のグラデーションの絨毯を敷きつめたようになっていた。花にはかすかに甘いような香りがあって梢の花を摘み取ると、蜜よりももっと粘性の高いヤニみたいな粘りがあってこすっても落ちなかった。葉はねむの木に似ていて風によくそよいぎ、6月の微風にはさやさやと葉擦れがした。

カリフォルニアの初夏は気温が高くなることはあっても湿気が少なくて木陰は気温が下がるから、
肌もサラサラして過ごしやすい。ホントにスコ~ンと音がしそうなほど晴れた空、どこまでも青く澄んだ空。

カレッジに続く道路は中央分離帯に植えられたヤシの木が何キロも続いている。多分シティでも昔に植えらたと思われるヤシの木は手入れが行き届いていて一番太くたぶん根元は1メートル近く、高さは30メートル以上で、天辺のクラウンも大きく形よくティでは一番立派だったと思う。

この道とパシフィックコーストハイウエイをドライブするのはいかにもカリフォルニアと思われて快かった。

気候が変わると、爽やかな空気に心持も変わって明るい色彩の服を着たい、袖のない服がいい。襟元もあまり閉めたくない。

ヤシの木の根元の緑の芝生でゴロンとしたいと思うのだがこれだけはちょっと、お勧めしない。
乾燥している土地なので近づくと芝生はちょっとハゲちょろで、犬のXXXXの臭気がしたりするから。

草枯れる

ゴールデン・ステート州の気候は最高よ。カリフォルニアの夏の季語の一つは「草枯れる」
7月末を過ぎると毎日スコ~ンと青い空が広がり、まばらな雑草はチリチリと枯れ上がる。

フリーウエーから見える丘はまっ黄で夏の到来である。ヒートウエーブが襲ってきて唇は乾いて割れ鼻の穴も痛い。洗濯したジーンズを乾燥機に入れ忘れてうっかりベランダに置き忘れたりすると3時間後にはオブジェのように乾燥して固まっている。

雨なんか間違っても降らない。

ブッシュファイアー

こうなってくるとちょっとした不始末や雷で火事が発生する。ブッシュファイアーである。
93年?だかの時はひどかった。

大学の裏まで炎が迫ってきて、朝から灰が降り続け町はきなくさい臭いに包まれていた。

大学の裏の丘は火事の照り返しで赤く、テレビのニュースではそばの高級住宅地から住民が続々と避難してきて警察は住宅地の入口道路をブロックしてしまうのだった。

ペットのキャリアが見つからなかったのか、それとも動転するペットをキャリアに入れられなかったのかペットをカーペットでぐるぐる巻きにして逃げてきた住人もいた。

灰が降るアパートに一人、おばちゃんは真剣に避難を考えた。
炎がもっと近づいてきたらニャーにゃんをキャリアに入れ、おじちゃんの会社に避難しよう。

ところがおじちゃんが仕事から帰ってくると、会社のオフィスはすでに共同経営の会社の副社長一家が避難しているという。夜が明けると、消火隊は大学に迫りくる炎にバックファイアーを放射し炎の前線は燃えるものが無くなって止まった。

毎年夏のブッシュファイアーは慣れっこになってしまったが、2015年を過ぎて、干ばつはますますひどくなった。おじちゃんは町の東側の山の上にある湖で釣りをするのが楽しみだったのに、毎年岸が後退して水を追っかけて10メートルも下がらなけばいけなくなり、浅くなった水に藻が大量繁殖して、お魚さんも水を求め一番深い湖の真ん中に避難してしまった。

岸からの投げ釣りにはもう藻しか引っ掛からなくなった。2年前は30センチを超えるブラウントラウトやレインボーが釣れたのに。次の年には釣り場は閉鎖された。寂しかったね。

アソシエーション

おばちゃんが住んだOCの町はどの通りも絵葉書のように美しかった。
ヤシの木やジャカランダの街路樹にトリミングされた緑の芝生。

落葉樹はそれほどなかったが、道路はローラー付きのバキューム車が定期的に清掃する。商業エリアと住宅地は厳密に分かれているので、車で走ると様々な色やデザインの商業看板が道路沿いにあふれたり季節商品の旗がはためいたりすることはったくない。

おばちゃんが後にビジネスを立ち上げる時も、看板の大きさデザイン素材など、シティの規格にあっていないと申請が却下される。好き勝手に旗や看板を出すことは出来なかったし、公共の道路に何かの看板を出すことは公式にはほぼ不可能だった。

きっと信じてもらえないかもしれないけれど、おばちゃんが住んだコミュニティが外観の修復をしたとき、ドアも外側を塗り直すから、希望の色を3種類から選ぶように通知が来た。

カリフォルニアのランチスタイルの建築で屋根はオレンジがかったレンガ色、外壁はオフホワイトだったので、それに合わせるドアの色は:モスグリーン、テラコッタ、白。自分の好きな色を塗る選択肢はなかった。

前庭に植える植栽もコミュニティが選んだ植物がリストになっていて、その中からしか植えられない。
家の外の構造に手を加えるのは許されていなかった。

最初に引っ越した時に玄関にスクリーンドアをつけ、窓の外にラティースを立てかけ朝顔を植えようとしたら、アソシエーションからラティースを撤去せよと通知が来た。

3メーター近いラティースをホームセンターからウチのセダンで運ぶのは大変だったのに!ニャーにゃんをフロントデッキで遊ばせるのに、デッキの入口にペット用の柵を取り付けたら、いつ見られたのかそれも撤去せよと通知が来た。
アソシエーションの規則は住んでいるうちにだんだん厳しくなり、家に何かを追加するような変更を行うときは、
まず、アソシエーションの申請書を取り寄せ、変更する場所と追加の施工の内容と設計図をつけ、左右隣お向かいの4軒のOKをもらって、申請料200ドルをつけてアソシエーションの許可を取ること。
に進化した。

ウチはホリデーのしつらえはそれほど奨励されていなかったので楽だった。
知り合いの家のアソシエーションは、ハロウイーン、サンクスギビング、クリスマスは必ず前庭にホリデーのデコレーションをすることの規約があって中々大変だった。

外見を美しく整えること。そのためには色も規制し絵葉書ができるくらいに美しい景観が誕生するね。厳しいアソシエーションの規約があるコミュニティは外観が美しく保たれて結果財産価値も低下が食い止められる。

美しい家、美しい街路、美しい街を作るにはシティの規制とコミュニティの規制の上で、住民一軒一軒が
アソシエーション費用を毎月払うことで成り立っている。

アソシエーションが嫌で何も規制が無い住宅地に住むと、それぞれの家は好き勝手に色を塗り構造を変え通りの統一感は全くなくなりなんとなく”荒れ”が感じられるようになる。

すると敏感な白人層が逃げ出し、次に買って住む人は外観を気にしない傾向があって、ますます手入れをしなくなり”荒れ”が加速するようになり、ついには不動産価格が落ちてスラムとは言わないが低い下層が住む通りになる。

住人の肌色がだんだん濃くなるという傾向もあるのが事実だ。

おばちゃんが伊豆で家を買ったとき、環境保全費があって月額が高いね!と聞いたら年額だと!びっくりした。

OCの町の2か月分だった。その金額でこのコミュニティを美しく維持できるのだろうか?
雑草を刈り街路樹をトリミングし、ゴミ捨て場を清潔に保つ。これら最低の環境を整えるには費用が掛かるのだ。

自分の門の中だけをきれいにしても街並みは美しくならない。
日本の家も屋根の色と壁の色を3種類くらいに制限して商業用の看板は建物の外壁上だけに(飛び出さない)とどめるようにすれば、ぐちゃぐちゃした日本の街の外観も随分変わるのじゃないかしら。

黒瓦に白壁の伝統的日本の町並みと言うもなかなかすがすがしい光景だと思うわ。

パンツの話

米国で暮らして衣類で困ったことは、下着だった。パンツがでかすぎる。

おばちゃんの身長はアメリカでも中の上で不自由しなかったが、お尻はアメリカ人の広大なヒップには及びもつかない。黒人のおばちゃんなど、腰のくびれはしっかりあって横にもさらに”後ろ”にも張り出していて、まっすぐ立っていても腰の後ろにテラスができて缶コークの一本でも置けそうである。

90年代の初頭は小さなアジア系が少なかったので、下着もSサイズは見つけるのに苦労した。
困って子供用を試してみたことがあるが、おしりの頬っぺたはよいのだが、ウエスト部分が狭すぎた。

子供サイズと広大な大人サイズの中間がない。日本人の先人に聞くと、アメリカ人の女の子は子供だと思っていても、ある日突然大人の体サイズになるのだという。本当かぁ?

本当でもウソでも、中間のティーンサイズはなかった。おばちゃんはポンと手を打ち、そうだアジア系が多いリトルサイゴンでも覗けばちょうどいいサイズがあるのではないか?

おばちゃんはリトルサイゴンまで遠征し、香港製のパンツを発見したのであったが、10年ほど倉庫で寝ていたのではあるまいかと疑うほど古臭いデザインで、「下ばき」とでも言いたい代物であった。

燃えよドラゴンに出てくる中国人娘が身に着けていてそうなパンツ。その後、時勢にそってビクトリアン・シークレットがアジアサイズを売るようになったので、不自由はなくなった。

日本に帰国してからは、下着ではないボトムのパンツに不自由している。おばちゃん、足が長いのですべてのボトムがちんちくりんである。

トールサイズのお店に行けば?といわれたが周囲50キロにはたぶんトールサイズ店舗はない。面倒くさいのでおばちゃんは、オンラインでアメリカ人サイズのボトムをオーダーしている。

  • footer