国際結婚あるある

おばちゃんが見た国際結婚のカップル色々である。
あくまで私見であって見たままである。

日本で米国籍と知り合って結婚し、アメリカで暮らしている国際結婚カップルの場合、米国内で知り合って国際結婚したカップルの場合を比べると、前者の場合が問題が多いようである。

カップルは女性が日本人である場合がほとんどである。
日本に住む日本人女性が来日した米国人と知り合う。そして結婚して渡米する。そこで自分が結婚したダンナがメキシコ系アメリカ人であって、自分の姑と舅が家庭内ではスペイン語を話している人たちであるのをその時始めて自覚する。
そういえば、姓がラテン系だった!

日本でいた時は英語の訛りに気がつかないし、肌の色も英語をしゃべっている限り白人と信じ込んでいる。ダンナは自分の卒業した高校・大学の話をしないし、給料が幾らかも教えてくれない。
移り住んだアパートは気が付いてみれば、ゴミゴミした治安のよくない場所にある。隣人もスペイン語を話す家庭が多い。

日本で知り合うと、米国人のステータスは分からない。どの程度の裕福層・貧乏層に生まれたか、教育程度とか、職歴とか、親戚とか:刑務所に行っているオジサンや従弟がいるかどうかとか。

子供が生まれてしまって、夫の現実が見えて愕然として何とかしなくちゃと職探しに行く。日本食レストランでサーバーとして働き、姑に子供を預けているので、子供はスペイン語を話し始めてる。
ストレスで倒れて入院しても保険がどうなっているのか、支払いがどうなるのか分からず、自分のバッグは入院中に盗まれた。子供が3歳になる前に逃げるように日本に帰ってきて離婚した。

あるいは、金髪で細身のアメリカ人に選ばれたのが嬉しくて、結婚して渡米したのはいいが、ダンナはその時点で無職だし(日本に来ていた米国人が帰国したら大体無職だわ)親兄弟は南部に住んでいて貧乏だった。
彼の英語が南部の訛りだなんて知らなかったし。彼はやっと会社に勤めるがなんだかんだ不満ばっかり言ってすぐやめる。
彼の同級生や知り合いは海外でプラプラしていなかったから、その間に順調にキャリアを積んでいて、スキルや経験ない彼に勧められる職はない。

日本人妻がたまりかねて知り合いの日本人の会社に雇ってもらうと、日本人の下で働くのが嫌なのか、文句ばっかり言って怠ける。気の毒で雇った日本人オーナーでもあまりにも仕事ができないので首にする。

米国内の日本人経営のビジネスに”妻のツテ”で雇われたアメリカ人が優秀である場合は少ない。米国なので英語教師で食っていくという最低技も使えない。
英語を話すからと言って誰もちやほやしてくれない。自国では教育と本人能力スキルの真実が明らかになってしまう。

日本に駐在・寄港していた軍属の男性と結婚した場合はもっと特殊だ。軍人は給料が安い。地位が上で給料が高い階級は日本人の女の子と結婚しない。
軍には軍属で使うサービスがあって、日常の買い物や保険や医療など、軍属が使えるネットワークがあるので給料が安くても軍の中だけで暮らすことが可能だ。いずれ除隊するときまでに教育カリキュラムを使って資格を取ったりして一般社会で就職できる、優秀であれば。

同じ軍属と結婚した日本人妻同士が知り合って、ミリ妻とネットワークを作っていたりする。やはり特殊なステータスであって駐在員の奥様軍人との国際結婚であるとしゃべったら、口をきいてくれなくなったと泣くミリ妻もいた。離婚率は高い。

日本にやってくるアメリカ人男はえてしてアメリカ人女にヘキヘキしている場合がある。アメリカ女でなければ誰でもいい。あるいは英語をしゃべるだけでちやほやしてくれる日本人女!自分の言うことを何でも聞いてくれる日本人女、楽勝。本国では、ああせい、こうしろ要求と自我が強いアメリカ女の相手にほとほと疲れているから。

何もdiscussionしなくて言いなりになりかつ尊敬してくれる女性を手に入れて有頂天というのもあった。英語をしゃべるだけですごく尊敬してもらって、右も左も分からぬアメリカで、たった一人頼れるのはアメリカ人の夫。

いままで受けたことがないような全幅の信頼を受ける誇らしさ。自分がなにか大いなる庇護者になった気がするアメリカ男。
パスポートもグリーンカードも取り上げて、買い物も一緒に出かけ、金は絶対持たせない。自分が妻のすべてをコントロールする全能感。
日本人同士のおしゃべりに出かけてもダンナが迎えに来る。まったくのかごの鳥で、彼女自身もこれはちょっと異常なのではないかと思い始めていた。

大体は、ダンナが本国でそれほど稼げる学歴資格も職歴も無いのが発覚し、幻想が色あせる。かごの鳥から飛び出して自分で働けるようになると、ダンナの本性が見えてきてうまくいかなくなるカップル。子供でも生まれたら最後である。

アメリカはアメリカ人の子供の出国に敏感だ。アメリカ人の子供はアメリカに属しているので、離婚しても日本に連れ出すのは難しい。
親権をとるためにはまず市民権を取らねば同等に戦えない。
離婚裁判でも女性に経済力が無ければ、ダンナに親権を取られてしまう。日本人女性が親権をとるのは難しい。国際結婚で子供をもうけたら日本に帰れないと思ったがいい。

日本人同士の結婚であっても離婚率は3組に1組とか言われる現在で、文化・習慣・社会が違う国際結婚はシンドイ。
社会で戦って、夫婦で戦って、育ってきた子供と戦って。
日本に来ている外国人の本当の素性と能力を見抜く力はあなたにあるだろうか。英語をしゃべることや外見に夢を見てはいけない。
あこがれの米国に着いたら正反対の現実にぶち込まれる場合もある。

United フライト3411

April 9, 2017 
ユナイテッド航空機からアジア系のきゃしゃな乗客がシカゴの警察官によって飛行機から引きずり出される映像が世界中に流れた。
おじちゃんとおばちゃんは映像を見た瞬間、お互い目を見合わせこれぞ千載一遇の瞬間!と同じことを思った。アメリカ生活が長すぎたんである。

このベトナム系のDaoというおじさんは生涯もう金に困ることはない、ユナイテッドが大しくじりをしたんである。
男性が67歳ベトナム系アメリカ人のドクターで、きゃしゃでまったく抵抗せず警官が彼を座席から引きずりだすときに鼻の骨を折り、歯を2本なくし裂傷を負い、血を流す動画が撮影されてしまった。被害者としてのプロフィールは100%完璧。

彼の入院した病院には全米から弁護士の電話が殺到したであろう。彼の自宅にも弁護士が押し掛けたであろう。 Contingency成功報酬でやります!ぜひうちの事務所へ!誰もが同じことを思った。

これだけ完璧な動画という証拠があると、ユナイテッドのレギュレーションなど吹っ飛ぶ威力がある。ユナイテッドのCEOはOscar Munozが次の日「オーバーブッキングによる乗客の退去の手順に従っただけ。乗客は反抗的で好戦的だった」声明を発表して世論に火を注いだ。

ユナイテッドの株価は0.2%落ち、2日後にユナイテッドは許されることではなかった。と謝罪した。大統領のトランプさえユナイティッドを批判した。

事件からたった半月で2017年4月27日ユナイテッドとベトナム人ドクターDaoはamicable settlement 友好的和解をしている。和解額は不明だ。

これほど完璧な被害者=原告もないし:もし、被害者が何か瑕瑾がありそうな人物だったらユナイテッドがまず徹底的に洗っただろう。そして若いころの逮捕歴とか麻薬の使用歴とか穿り出して、世論に対抗しようとしたかもしれない。
でも、このDaoはドクターで、華奢、無抵抗でこれ以上ないという理想的な被害者でPlaintiffなんだわ。ユナイテッドのような一流企業は弁護士も超一流がついている。ちょっとした事故では市中の弁護士などユナイテッドに歯が立たない。

この時は、アメリカの成人人口の2億6千万くらいが「やったな!」と思い
120万人くらいが、「チクショウ!どこの弁護士が取ったんだ?こんな美味しい案件」と悔しがり
3千人くらいのユナイティッドとシカゴ警察関係者が、早くSettleしてくんないかな?と頭をすくめていたと思う。

長引けば長引くほど動画が繰り返し人の目に触れ、陪審員裁判になったら、懲罰的賠償金額がどんだけ吊り上がるからユナイテッドの関係者と弁護士は気が気でなかっただろう。二桁くらいかなぁ?

アメリカに行ってすぐ覚える日本の教科書に出ない英語第一。
「SUE」「スー」この上なく覚えやすく脱力するような優しい響きだ。
スー なんだか抜けてた発音ね?と言っている間はアメリカになじんでない。

I sue you と言われたら So, do Iとでも返せるようになってThen, see you in the court.で一人前。間違ってもテニスなんかやらないよ。

人種差別

人種差別はあったかというと、いろいろ人間の区別もあったし、移民の我々からすると、そんなことをいちいち気にしていられないというか、。
アメリカのメインストリームはやはり白人なので、訴えるにしても白人以外が白人を訴えるという図式がよくある構造だった。

デニーズで席に案内されるのを待っていて遅いから早くしてくれないといった中国系の男性にデニーズの従業員がそんなに待てないならお向かいのチャイニーズレストランに行けば?という発言をして訴訟になった。
デニーズに勝ち目がなさそうで何ミリオンで決着がつくのかという噂になったから、まともなアメリカ市民は人種差別を連想させるような表現は避けていた。

日系の3世のおばちゃんたちは他人種の客のことを
Who are they?とは聞かず
What’s language do they speak?と聞いた。
もし、口が滑ったらやられるかもしれない。

珍しい例だが日本の寿司屋が人種差別と白人から名指しされることがあった。経営者が日本人で、評判を聞いて白人が入ってくるとすし飯がなくなったから今日は店じまいというのだそうだ。オーナーに親しい人から言わせると、そんなことは一言も言ってないと否定するのだが。

アイ子ちゃんとアメリカ人のご主人が晩御飯を食べに行って、ご主人がカリフォルニアロールを頼んだら、オーナーが怒ってそういうものは置いてないと機嫌が悪くなったのは事実。

一番の人種差別・人間差別があったところ。
それは合衆国政府の役所:移民局だった。今思い出しても腹が立つ!

永住権の最終段階で移民局から指紋の採取に出頭せよとハガキが来て、LAの移民局の場所と日時が指定されていた。ほとんど着ることもないジャケットを二人で直用し、待ち行列が長いよと脅かされて2時間も前に到着したところ、3ブロックぐらい離れた専用駐車場から延々と色のついた人達が
歩いてゆく。誰もジャケットなんか来ていない。

政府のビルが見えてくると、人の行列がビルを何周にも取り巻いていた。おばちゃんたちは時間を指定してあるハガキを持っているので、迷わずビルを入り列の先頭に行こうとするのだが、まず、ビルの入り口で追い払われた。本当に追い払われた。

アポがあるのだとハガキを見せるのに、列に並べ。ハガキがあっても並べ。しっ、と言われビルを出されて今来た道を戻って、さらに道にまではみ出した行列の最後尾についた。

何度ハガキを見てもアポのハガキなのに。列はじりじりとしか動かず、追い出されたビルの入り口に再度たどり着くまで2時間かかった。

やっと内部に入ると、ゴールデン・ウイークのディズニーのようにロープを張り巡らして、その行列の先がどこの窓口に行くかもわからない。アポの時間は迫ってくるし、誰かに聞くための窓口に行くために、誰かに聞かねばならないのに、その誰かも窓口もわからない。

ロープで仕切られていないフロアを行列とは違う政府職員の白人が通っていくので、思わずロープをくぐって二人組に呼びかけたのが、驚くべきことに私は透明人間だった。
ハガキを見せているのにも関わらず、声をかけているにも関わらずまるっきり人間がいないものとして扱われたのは人生初だった。

屈辱に顔が赤くなって又行列に戻りさらになん十分も待って、最初の窓口についた。ハガキを見せるとオマエラはあっちの窓口と指をさされる。この時は腹が立つというより、早くアポに行かねばと焦っていてこの列に並べっといったのはオマエラだと言い返すこともできず。

ガラガラの窓口では黒人のおっさんと隣の窓口のおばさんが噂話か陽気に笑っており、誰も並んでいないのでおっさんにハガキを出すと、いきなり表情が変わって仏頂面になってなんだと顎をしゃくられた。


フン、指紋をとるから右手を出せいい、おばちゃんが手を出すと不潔なものでも触るように手首をつかみこのパッドに指を乗せろ、おばちゃんの指をつまんでインクパッドに押し付け採取用の紙にぐりぐりと押し付けるのだが、プリントの付き方が悪いらしく、チット舌うちをされた。

10本の指紋をとるのに、何度も舌打ちをされた。
アメリカに来て以来最も人間扱いをされてない不快な体験だった。この指紋採取が終わればおばちゃんたちは面接を免除されているので晴れて永住権が取れるのだが、隣のロープの中を延々と進んでいる色のもっと濃い人たちは申請の過程、その過程で問題がある人、返事が来ない人、ステータスを聞くための人で、永住権からまだまだ遠い人達なのだった。

たまにその列の中に、白人と別人種の女性がカップルでいることがあり、その白人の男性が職員に聞いたり食って掛かったり、おばちゃんがやられたような透明人間の扱いではなかったが、やはりケンもホロロ、つっけんどんに扱われていた。

アメリカ人が他国人と結婚して移民局で妻の永住権手続きをしようと、政府職員とよくケンカになる。妻のことを人間扱いしないので口論になるのはよくある話だと知った。

この政府のビルの中では唯一はっきりしたルールは、窓口の中にいるのが人間、窓口の外に並んでいるのは人間以下。アメリカで永住権の申請過程にいる人はまだ人間ではない。

移民局での経験を経て永住権を手にしたが、アメリカ人と同等になったわけではない。法的な身分は持てたが、
今度は別なハードル:


へたくそな英語、なまりのある英語、教育程度、
社会的な信用度、安定した職、資産の額、自宅


などの人種以外の壁が立ちはだかっているのだ。それらのハードルを戦って超えていくことがアメリカで生きていくことだった。

アメリカ社会での生活が長くなってくると、小さなことは気にしていられないが、相手をみて言葉尻をとらえれば訴訟に持っていけなくない場合もあることに気づく。それをチャンスとして考えるかは人それぞれ。

デニーズの件もそうだ。
実際向かいのチャイニーズレストランに行けば?というのは人種差別というより待てないお客に嫌味を言ったというレベルだが、相手が全米チェーンのレストランでDeep Pocketだと思えば一つやってやろうかと思うのも理解できる。
別に中国人だから中国レストランに行っておかしくもなんともないが、嫌味を言われて相手が白人で自分が黄色なら人種偏見だとゴネられると思う。相手がパパママレストランなら大した金が取れないなら誰もやらないだけ。

アジア系の人口が多かったけれど、裕福で安全な街だったので、ひどい差別があるというわけではなかった。貧しい南部の州などはアメリカのもっと深い暗部が潜んでいたであろうとは思う。

アメリカの医療

洗礼

病院のベッドにヘロヘロで横たわっていた時、備え付けのテレビが映していたのは、オームに突入している警官だった。不吉だと思った、こんな時に。

そのあとに流れたのは、医療ミスのニュースで右モモを切断するはずが、左を切断されてしまった。こういう右左の取り違えはよくあるのですね。だから、自分の疾患が左右のどちらかだったら間違っている方にこんな風にバッテンをしてWrongSideと書いておきましょう。レポーターがマジックをもって、自分の足にバッテンを書いていた。 縁起でもない。

おばちゃんは脱水とメタボリック・アシドーシスを起こして、救急病院に運ばれたのであった。直接の原因は膀胱炎と日本製の膀胱炎治療薬のせいであったが、飲みすぎで肝臓の数値はかなり高くなっていたらしい。

バイタルとられて血液検査の結果を見てERのドクターは処置室に飛び込んできて「なんでこんなに飲むんだ!」と無礼なことを叫ぶので、おばちゃんもかっとなり、
「曰く言い難し!」と言い返したら、カルテに反抗的と書かれた。

患者が死にそうでないとわかったら、アメリカの病院では必要なコードをつけて転がしておくだけである。その晩は日曜日・母の日で救急病院も大忙しであったから、おばちゃんは廊下の端っこのベッドで転がされていた。


脱水がひどいので一日補液をしたほうが良いからと個室に移れた。おばちゃんは渡米3年目でアメリカの医療制度をまだよくわかっていない。そんなときにテレビに映ったのがニュースがオウムと医療過誤。

アメリカの病院のガウンというのは、なんというか人間の尊厳を覆う衣料ではなかった。コットンでできた半そでのかっぽう着みたいなもん。後ろはひもで結んであるだけ。ガウンの下は素っ裸。大柄なアメリカ人のおっさんが超ミニの水玉のかっぽう着で、IVのスタンドを持ちながら廊下をガラガラ歩いてくのが見えた。後姿はお尻丸見えである。

そのうちERで私に怒鳴った担当医がやってきて、膝を立てろだの、右わき腹が固いだと言ってお前知ってるかガンマGTPが900越えだとかぬかすのである。おばちゃんのアシドーシスのきっかけは膀胱炎だったのだから、抗生物質を処方してくれと頼んだら、なんということか、退院した後にかかりつけに見てもらえと。おばちゃん憤然であった。

退院してかかりつけ(Primary Ccare Physician)に電話しても混んでいれば予約がいつになるかわからない。なんつー血も涙もないドクターか。

夕食はナースが注文を取りに来て、メインディッシュはチキンか魚かチョイスがあるのであった。運ばれた夕食は、昔の映画で出てくるような大きな半円形の銀色の覆いがかぶさっているのであった。味はそれほどまずくない。星は3点。

浮袋ほど大きい点滴を2袋も打たれて、B12の無痛化されてない注射をお尻に討たれた後、退院となった。退院の前にはまたナースがやってきて、
ディナーのパンは付けました?朝ごはんの時のコーヒーはお代わりしました?おばちゃんは、こまケェな?と退院したのであった。

1週間後、血液検査ラボやガス検査室やらERドクターやら病院やらから、請求書が続々と舞い込み始めたのである。この請求書がいつ止まるのか、おばちゃんは真っ青になった。

アメリカの健康保険

おばちゃんは何故いろんな請求書がラボやERのドクターや病院から別々に来るのか分からなかった。ナースの看護費も別で請求が来るのか?救急病院に入院したのだから、病院が一括して請求するのではないか?

救急車料金も別だった。救急隊員からサイレンを鳴らすかどうか聞かれた。鳴らすと高くなる。

距離のマイレージもかかる。健康保険と提携していない救急車だと、保険でカバーされない。病院の入院費は一晩700ドルだった。

明細にBedpanレンタル1.50ドル。こんな単語を目にすると思わなかった。
まさかと思って辞書を引いて単語確認したけど、私はおまるは使わなかった。ナースの間違いである。
いつ、治療費の全貌が分かるのだろう?

最終的に医療費の総額は$2700となった。う~~ん。う~~ん。おばちゃん、補液されて寝てただけである。ビタミン注射が一本である。膀胱炎も治療してもらえなかった。

アメリカの健康保険は100も200もあり、制度もHMOやPPOは1回聞いただけではさっぱりわからないほど奇々怪々である。

似ているものとしては車の任意保険かもしれない。まず、補償限度額があり、自己負担の免責額があり、免責額が高ければ、月々の保険料は安い。
保険の提携ネットワークがあって行ける病院と行けない病院がある。どこでも行ける健康保険は高いと思ったらいい。

会社で加入する場合は会社が保険料をある程度負担してくれる。保険料を決めるのは年齢と健康状態である。同じ保険会社で若いころからずっと加入していて保険をあまり使わない健康体なら掛け金があまり上がらないので、
転職しても会社の保険に加入せず、自分で保険を払う人もいる。

転職先の会社がどんな健康保険を入れるか、どんな医療サービスがあるか予想がつかないしまた、万が一持病があって今の会社の保険なら加入後に発病として治療が効くが、別に新加入する場合、既往症として治療お断りという事象が発生する。保険加入自体がお断りということもある。

会社がつぶれて保険が無くなったとか、子どもが成年に達して掛け金が変わるとか、もう、とにかく色々あるのである。健康保険がないときはどうするかというと、現金プログラムをやっている病院クリニックもある。
病気の時だけいって、現金で払う。高すぎるならあきらめる。
この無保険の問題は長年アメリカ社会の課題であって、ヒラリーも皆保険を実現させようとしていたができなかった。

オバマ・ケア オバマの健康保険

オバマが政府の保険を作ったが、さらに問題を産んだだけだった。健康保険に入れない低所得者層に政府が補助をするのだが、その補助額が支援として所得税の対象になる。また、政府の保険に加入しなければ、罰金Penaltyをとる制度などと非難轟轟だった。

それでも施行された保険制度は、3年目にもなると政府の補助を足した後も掛け金が初年度の3倍にもなり、さらに、払えなくて加入できない所得層が出てきた。何故なら、今まで保険に加入できなかった層が医療サービスを一気に使い始め、病院はたまらず保険会社は掛け金を吊り上げたのであった。

仕事があって、会社が保険をいくらか補助してくれてでも、癌になったら医療費で家が一軒無くなる。と言われていた。

アメリカの治療費用

アメリカの健康保険がいろいろあって掛け金も違うと、で、一体治療値段はどうなんだ?と思ったあなた、鋭い質問である。

治療の値段はピンキリである。

例えば、おじちゃんの咳が止まらないので保険で受診してレントゲンを一枚撮ったら診察料込みで$80であったと、。別の病院で別の機会にキャッシュで払う現金プログラムだったら$50だった。

交差点で追突されて、救急病院で診察を受けレントゲンを撮った。この場合、交通事故なので相手の保険にレントゲン一枚$1200請求された。

脳のCTスキャンをするかどうか、現金プログラムだといくらか聞くと$2000 保険を使うと$200から$400
知り合いが腹部の腫瘍で手術をしたとき、CTスキャンの料金だけで病院から保険に請求された金額は$10,000。

知り合いは癌の手術で保険カバー後の、支払額は$70,000だった、いい保険だと聞いていたのだが。別の知人は胃潰瘍の手術で$20,000保険が違えば同じ治療同じ手術でも違う値段になってしまう。医療の定価がわからない。

さらにアメリカの法律では、救急搬送された患者に対して、医療を拒否することができない。
救急医療の金額は、現金プログラムや保険を使った費用の20倍だと思ったらよい。盲腸炎で救急搬送、手術なら$30,000を超えても不思議はない。つまり、救急は目玉の飛び出る金額になるよっと。

知り合いは、自動車事故で救急搬送された。車は炎上して全損するような事故。ところが、金を持っていないので病院に払わなかったという。$ゼロ!確かに払わなかったが、信用度はなくなった。車のローンすら組めなくなる可能性がある。病院は医療費を取れるところから毟り取るという図式が成り立つ。

だからアメリカ人は風邪ひき程度では病院に行かない。子どもが健康で病気一つしないから、掛け金がもったいなくなる親はいる。長く健康で保険に入らなかったとしても、いざ保険に加入しようとしたとき、無保険であった年月が長すぎると、何か病気を隠してると考える保険会社はある。

アメリカで医療費を抑えるためには、安定した会社に勤め、健康保険の半分を払ってもらいバランスの良い食事とエクササイズを欠かさず、定期的に健康診断をして予防を欠かさないこと。これが一番安上がりである。

病院の会計はタフでなければならない

タフでなければ生きていけない。あれはいつだったか、救急病院で診察を受け、経過観察のため、1週間後に再受診した。支払いは後日請求書を送るということで待っていたのだが、2通同時に着いた。小切手に1通めと2通めの請求額を合計した金額を書き、小切手の右上には請求書にあった私の患者ナンバーを覚えに書き郵送した。

2週間後、病院から再度請求書が来た。
小切手の処理が遅くて、会計がいれちがいで再度請求書を発行することはままあるのでほうっておいたが、2週間後また請求書が来た。うざいので、病院に電話をしてすでに支払った旨を伝えると、会計はもらってないという。
そんなわけはない。
ちょっと待ってろと、銀行のステートメントを確認すると、間違いなく当の小切手は現金化されている。

すると相手はアカウントのXX1は支払われているが、アカウントXX2が未払いなので支払えという。
”あぁ?アカウント1も2も合計した金額を払ったろ?”
会計:んにゃ、あんたは小切手にアカウント1と書いたからアカウント1に全額入れた。
おば:”んだあぁ?! アカウント1に全額入れて、2に未払いってバカか!じゃあ1の余分を2に入れればいいだろうが” すると
会計:”会計はそんなやり方はできない。とにかく未払いのアカウント2を払え”
おば:今から病院に行く(ババアそこで待ってろとは言わなかったけど)腹が立って腹が立って。


銀行のステートメントをもって、救急病院の地下牢のような暗い会計部に行くとデブで人相の悪いババアが二人いた。とにかく、電話で言ったことを繰り返し、そっちで処理しろというとがんとして拒否する。

だったら、アカウント1の払い過ぎの分を今返せ!そしたらそれでアカウント2を払う。するとババアは返金は本部のテキサスしか扱わないので返金はできないという。一度金を握ったアメリカ人から金をとり返すのは大変なのだ。

おばちゃんは敗退して帰った。
テキサス本部の病院の会計部に手紙を書き、払いすぎたアカウント1の余剰分の返金を要求した。無しのつぶてだった。1月後に債権回収会社CollectionAgencyから電話がきた。病院から未払いのアカウント2が回収会社に回されたのだという。

心底ん~ざりして、加入している健康保険のカスタマーサービスのマネージャーに電話をして、事情を説明するといいわ私が交渉してあげるという。

それからしばらくして、マネージャーから電話があり、「うふふ、解決したわ!」と報告を受けた。

どんなふうに解決したの?と聞くと、あっちが使った同じ債権回収会社に、私が支払いすぎたアカウント1の回収を頼んだのだという。うまい!座布団1枚。

リトル・サイゴン

最初にリトルサイゴンに連れて行ってくれたのはおじちゃんの同僚だった。リトルサイゴンはそんな名前の町があるわけではなく、ある信号を超えたとたんに通りの両側に並ぶショッピングモールや商店がほとんどベトナムのビジネスに変わってしまうところ。

看板はアルファベットのヒゲが生えたベトナム語になり、モールの入り口のアーチは朱色で漢字の看板もついているので、街路樹のヤシが風になびいていてもアジアの南国の雰囲気が濃厚になる。

歩行者はスリムで小柄で髪が黒くなり、横断歩道の信号で小さな婆さんが黒いアッパッパと短い黒いステテコみたいな服を着て、信号の根元にしゃがんでいる。ああ、ここはアメリカではないわ!

おじちゃんの同僚が通りで一番大きなモールに車を入れると、駐車場はほとんど満車で、家族連れがぞろぞろモールの建物に向かっている。ここは気をつけてくださいね。
この人たちは血の気が多くて熱いので、一つの空きパーキングをどっちが先に見つけたかで争って、殺し合いをしたことがありますから。

ひゃ~こんな細っこい華奢な人たちが!
ビルに一歩入ると嗅いだことがないスパイスの匂いがしてクリスマスかサンクスギビングのような人込みがあるのだった。白人の姿はない。

ジューススタンドにはサトウキビ・ジュースと絞り器があり、カエルの卵みたいのが底に沈んだ、あるいは小豆のアンコを水で薄めたみたいな、緑色のジュースにどう見ても白玉が沈んでいる食べ物か飲み物かわからないドリンクが、プラスティックのカップに入ってカウンターにずらりと並んでいた。

まず、ご飯を食べましょうや。ここのフォーはこの辺で一番美味しいっていいますから。
モールの一階は衣料品、雑貨、化粧品、宝石店(圧倒的に金が多い)の他に何件もレストランがあった。
その一つは大衆の麺料理店みたいで、スティールのテーブルセットには小柄なよくしゃべる人たちで埋まっていた。んっご、ミャナゥ、ミャんごぅ、と猫が鳴くような話声。

どう見てもベトナムの庶民のおっさんが三ツ矢サイダーのコップみたいなグラスに氷を満杯にしてそれにビールを注いでいた。テーブルの真ん中には砂糖の大瓶があり、女と子供はまず砂糖瓶をつかむと、自分の水のグラスにたっぷり注ぎ、それからカレー用みたいな大きな金属スプーンで砂糖が解けるまでかき回すのだった。ここでは砂糖水はタダのソフトドリンクらしい。

おばちゃんたちはメニューを見てもわからないので、一番ポピュラーな牛肉のフォーを注文してもらった。フォーが来るまで周囲のテーブルを観察していると、別皿の緑の葉っぱをむしりどんぶりに入れテーブルの砂糖をスープに足し、赤いソースを足しライムを絞るらしい。

フォーが来ると、生まれて初めての匂いにたじろいだ。モールに一歩踏み込んだ時、匂ったのはこのスープとスパイスのような気がする。

初めてのフォーは澄んだ金色チキン出汁だった。スープ上にチキンの油の球が薄く浮き、濁りのないうまみがでたスープ。牛肉の赤身の薄切りが麺の上に載っていて、スープに浸かっている牛肉は煮えて真ん中はまだ赤みが残っていてやわらかい。
別皿のハーブはシャンツアイ、どう見ても軸のままのミント大き目の雑草みたいな葉っぱも(後でわかったけどバジル)が生のもやしと皿に乗っかっていた。生のもやしはどうすればいいのか。スープにライム?大丈夫か?

おじちゃんの同僚が、この生のもやしは僕もあまり得意ではないのですが、こうするといいですよ、と米の麺を箸で持ち上げると、別皿のもやしを手でつかんで麺の下に落として麺をもやしの上に戻した。スープがまだ熱いですから、こうすると火が通ります。

それから別皿の青いシャンツアイを手でちぎり、スープの上に申し訳程度に散らしライムと唐辛子ソースはお好みで、といった。おばちゃんは初めてのフォーのスープを一口すすった。甘い。
いろんなハーブのに香りがする。シャンツアイ/コリアンダーをを少しむしって強烈な匂いにひるんだ。麺にミント?こちらも一枚ちぎって入れた

麺は冷や麦より少し太めの角切り。フルフルモチっとしてラーメン麺ほど腰があるわけではないが、のびると滑らかに柔らかくなる。
薄切りの生の牛肉は衝撃だった。しゃぶしゃぶだって、少しくらい赤みが残っている牛肉がうまいから。ライムをスープに絞った瞬間に、味が変わる。おう、さわやか?!
ミントの葉はスープと舌をリセットする。

ラーメンほどギトギト脂ぎっていなくて、それとも京風ラーメンにもっとコクとうまみを足して、ハーブのアクセントを足したみたい?
スープもハーブを入れるごとに風味が変わりライムで味の七変化。スープも牛肉も麺もとても神経が通っていて繊細。これは結構料理好きのおばちゃんにも絶対再現できない。

札幌で生の蟹の寿司を食べた時よりも衝撃!なんといっても、自分の文化圏に全くない味とハーブに
踏み込んだという発見が大きかった。蟹はいろんな料理法があって、素材としての味は知っているわけで、フォーの場合は、スープがどんな素材を使ってできるのかそれすら想像ができなかったから。
まさに新しい天体の発見だった。

それ以来、フォーに病みつきになったかというとそうではなく、リトルサイゴンはやはり安全に不安があって3~4年後、自宅の街にベトナム人経営のフォー屋ができてから爆発した。メニューの大方を試してみて、やはり熱いフォーが一番。毎週土曜日のランチはフォー。

崖っぷちのひと

アメリカでは崖っぷちの人がいっぱいいた。

アメリカのビジネスは浮き沈みが激しい。時代はものすごい勢いで動くので順調だったビジネスでも気が付いたら売り上げが落ちていて、ビジネスを売りに出して捨て値に近い金額で売って、さらに一時所得で税金を取られると何も残らないという事態によくある。

そのビジネスを拾うのがコリアンか中国人だ。韓国は国を挙げて国民の「移民」を奨励していたからアメリカに移住をする韓国人に国が金を貸した。その金で日本人の寿司屋を買いあさったので、カリフォルニア州の日本料理店の経営者の8割は韓国人か中国人と言われた。

さらにアメリカ政府が移民の懐を狙って、新しいEB5というビザカテゴリを新設した。50万ドル以上の投資をするなら永住権をあげましょう、というやつ。これがほとんど中国人御用達しになって、カリフォルニアに住む中華系不動産や会計士や弁護士が大陸からやってくる共産党上部のEB5ビザ相手に大忙しになった。

なんせ、50万ドルのビジネス物件をポンと買い、ついでに紹介すれば自宅と車をキャッシュでボンボコ買う。この中国人たちがトランプの政策で中国人ヘイトが高まると、一斉に家を売ってどこかに消えた。中華系の不動産や弁護士は一気に客がいなくなった。

バブルの前でも日本人経営者の日本人向けの日本レストランは全体の2割くらいしか無かった。日本本土の不況のために、米国支社をどんどん縮小閉鎖して駐在員も日本に帰ってしまうので、日本人だけを客層としていると経営が先細りになり気が付いたら煮えカエルになっている。

あるオーナーは次々とビジネスを買収して地元では成功者として知られていた。
夫妻で旅行に出かけた時、上空でひどいタービュランスにあってこれで最後と覚悟して、留守の息子に電話をかけた。事務所の金庫にはキャッシュで30万ドルあるから、遺言と金庫のダイアルナンバーを教えた、。という逸話を当の本人から聞いた。飛行機は無事に着陸したものの日本から来たビジネスが近所で営業を開始したら、経営が傾き商売はコリアンに売った。

朝起きたら銀行に入金があるというネットワークビジネスのトップに近い人。
日本でもよく知られているネットワークビジネスで日本の創業者?に近い人は、カリフォルニアの自宅が7億に近いといわれていた。遊んで暮らしていたが、超~退屈らしく”金持ちのための金持ちによる金持ちのサロン”を作りたいと趣味でサロンを開業してしまった。

抜かりなく広告も打ちまくったので、金持ちでない一般の日本人も店舗に行列をなす騒ぎになった。残念ながら価格は金持ち用に設定されていたので、ぼったくられた日本人客は2度行かず、オーナー本人の意図とは裏腹に、実は彼が思うような金持ち人口はそれほどエリアに存在しない事実が明らかになってしまった。行列に並んだ日本人がネガティブ・キャンペーンのソースになるという逆宣伝になってしまい見る間に客がいなくなった。

ネットワークビジネスから入る収入は全部つぎ込んでも赤字の補填に追い付かず奥さんに泣きついて融資を断られ、家を売るか、という土壇場に追い詰められた。

道楽の商売でも商売の赤字というのはとんでもない金額になる。
リーマンショックが襲ってくると、知り合いの不動産会社は解散。コミュニティ新聞のクラシファイドには売り店舗がずらずら並び、販売価格がゼロというのも珍しくなかった。とにかく経営権を引き継いでくれればいいので店舗価格はゼロ。

あっちこっちでレイオフがあり、来月のローンが払えない。夫婦二人で無職になっちゃって、家を出ても行くところがないから裁判所が退去手続きをすますまで家に居座る人たち。

すごかったのは、政府からスモールビジネス用の資金を借り出し
Grant?あんなものは返さなくていいんだよ。と政府に返済せず、家はローンが払えなくなってforeclosureになったが引き渡しまで時間があるので、借家人を入れて家賃を取り、それを自分が住む安ホテルの費用と生活費にしていた人。さらに幸い?けがをして障害年金をしっかりもらうことになってこれだけふてぶてしいと脱帽するしかない。

ビジネスの寿命は短い。一時期隆盛を誇っても、20年後は保証されていない。いい大学をでて上場会社に就職をすれば生涯安泰なんて日本の夢は存在しない。

トヨタはテキサスに移転しちゃうし。そんな、外地で生き延びるには、すばしっこさと抜け目なさと叩かれ強さ崖っぷちで踏みとどまる粘り強さがいる。

不況が襲ってきたら?まず売り上げに貢献しない人を切る。会社は家族でもお父ちゃんでもない。切る。
切って身を小さくして生き延びて嵐が過ぎ去ったらまた人を雇う。

アメリカの経済の立ち直りが早いのは、雇用を企業に強要する労働法がないからだ。雇用、雇用と日本政府がお題目を唱える限り、日本の企業が赤字を垂れ流しながら不要の雇用を抱えて、結果として日本経済の立ち直りは遅い。政府が払う失業保険を企業に肩代わりさせているのと同じだ。

コロナのせいで世界中は崖っぷちだ。崖っぷちなんだから、まずできるだけ身軽になる。誰かが救ってくれるかもしれないなんて、考えるだけ無駄だ。身をちっちゃくしてどこの隙間ditchだったら生き延びていけるかしぶとくなろう。

工事現場で暮らす

おじちゃんとおばちゃんはかつて工事現場で暮らしたことがある。工事現場に行って、キャンプしたのではなく、自宅が工事現場になってしまった。

それはこういうわけだった。
おばちゃんが家を買う前から、家を建てたビルダーを家の住人+管理組合が訴えていた。曰く、壁に設計通りの断熱材が入っていない、設置されたヒーターがジャンク品バスタブがバッタモンですぐ穴が開く玄関デッキの床が設計ミスで漏る、、など。

おばちゃんが家を買った後に、ビルダーと住人側が修理賠償で最終決着した。住民ミーティングで修理の計画が発表され、詳細は各戸に通知されることになる。届いた手紙にはうちの修理箇所と修理スケジュール、家のオーナーがすべき準備の詳細が書かれていた。

ウチのユニットの場合、リビングの壁とメインバスルームのバスタブ玄関デッキ、ガラージの壁、となる。
オーナーが準備するのは、隣と共有するリビングの壁からすべての家具を除くこと。玄関デッキを建築当時の原状に戻すこと。

玄関デッキは前の住人がリモデルし、石とレンガでオサレに張り直してあったからだ。これをぶっ壊せってか?
前の住人からは、契約時にこんなことを聞いていない。前の住人が作ったのだから、彼が払うべきだ!とオンラインWhitePageで前の住人の行方捜査を開始した。


彼の新住所ダラスに手紙をだして、玄関デッキの除去費用を払うように要請したのであったが、Fredは、それは自分のさらに前の住人がやったので俺の責任とちゃがう。という。不動産エージェントは、AsIsのコンディションで買った場合諦めろという。
おばちゃん、しぶしぶハンディマンを雇って玄関デッキをぶっ壊した。

次はリビングの壁である。壁には本棚が5つあった。6段本棚が5つ。本ぎっしり。引っ越しと同じじゃない。壁の修理が終わったらまた戻すんである。くそ、と言いながら本棚と中身をオフィスとメインベッドルームに移した。

アメリカ人の朝は早い。
7時半にモーニンと玄関を入ってくる。おばちゃん、おじちゃんまだねぼけてパジャマである。メキシカンの作業員はリビングの一番大きな壁をぶっ壊した。
すごいホコリ。

表面の次になんか漆喰みたいなボードもある。これもぶっ壊した。おばちゃん、見ていられなくなって逃げる。夕方5時に、今日はこれでお終いっと帰ってしまう。

壁はベニヤ板がむき出しである。天井近くはすき間があって空間は隣とつながっているようだ。隣はその当時、中国人であっち側のしゃべり声もかすかに聞こえる。夜7時ころには、ニンニクのニオイいっぱい。空心菜のニンニクいためか?

6週~7週間、おばちゃんと、おじちゃんがどういう風にリビングでご飯を食べたか、あまり記憶がない。メキシカンの大工はリビングとキッチンとオフィスとの境目にビニールシートでカーテンをたらしてシールした。
メキシカンの兄ちゃんが壁にとりついている間おばちゃんはカーテンを開けてキッチンでコーヒーをいれて、カーテン閉めてオフィスに籠る。

住宅地のユニットを丸ごと修理にかかっているので、工事は遅遅として進まない。夜になってやっと静かになり、おじちゃんと二人で裸になった壁をしみじみ調べるのだった。

断熱材を入れ漆喰ボードをいれなんかぬるぬるしたペーストを塗り、最後にペイントを吹き付けて、何週間かかけてリビングの壁は完成した。そのころにはおばちゃんはホコリのアレルギーになっていた。

次は玄関デッキである。ハンディマンが表面の石とモルタルをはがしたら、下にはオイルシートが貼ってあった。何せ建築当時のオイルシートである。古くてところどころ破れている。

デッキの工事の前日、メキシカンのおっさんは何を思ったかいきなり水をかけてデッキブラシでこすった!何やっているのよ。オイルシートを洗ってどうするの?英語が分からないのか、メキシカンのおっさんはニカニカ笑ってOk、Okという。

オイルシートは当然破れる、水は階下に染みる。下はウチのガレージである。案の上、真っ白なガレージの天井に茶色のシミができていた。おばちゃんキィーである。

ガレージの壁もキャビネットを外せと言われた。おじちゃん、ぶつぶつ言いながらでっかいキャビネットを外した。ガンガン内側から壁を破っている。何をどう直すのか?買い物から帰ってきたら、当の壁に外が見える大きな穴が開いていた。

もう我慢できない。おばちゃんは壁の穴と天井のシミと、玄関デッキの写真を撮ってプリントアウトすると、コミュニティの中に設置された工事監督のトレーラー迄歩いて行った。

見てよ、このうちの損害!壁に穴が開いちゃったのよ!すると白人の監督は、It happens all the time. No problem.心配すんな。ちゃんとペイントするからと面倒くさそうにと言いよった。

メキシコ人のNoProblemは信用できない。アメリカ人のNoProbolemも用心したほうがいい。
修理が最終課程に入って、ウチのガレージの穴はまだ開いたままだった。穴はいつ修理してくれるのと、プリントアウトをもって何度も管理トレーラーに行った。

その後いつやったのか、ある日ガレージの壁の穴は魔法のように消えており、天井のシミだけが残っていた。
おばちゃんはまたもやトレーラーに行くと、監督はメキシカンを呼びよせウチのガレージに行かせた。

監督補佐みたいなメキシカンは白のスプレー缶をシャカシャカ振ると天井のシミに向かってシャーとペイントを吹きかけた。お終い!
えっ?これでお終い?
おっさんは、ガレージの天井にこれ以上何をしろと?と帰っていった。

深田祐介のエッセイに、アメリカ製の車ががたがた音がするので、調べたらボディの間からコークの瓶が出てきた!というエピソードがあるが、ウチの場合は、ガレージの穴が開いた壁の間にソーダのアルミ缶があった。壁をふさぐ前におばちゃんもソーダのかわりに記念として何か入れておけばよかった。

のちのち先人の日本人おばさまに工事の愚痴をこぼすと、あら~、あなたラッキーだったじゃない。
アメリカのデベロッパーは住宅地を完成させて売った後、会社を解散しちゃうのよ。あとで訴えられた時困るから。

そうか、おばちゃんはラッキーだったのか、うちのビルダーは逃げ足が遅い、トロい奴やったんや。
とアメリカ土民化したおばちゃんは思った。

ガレージの攻防

ウチのアパートの部屋のガラージの前に、まっ白いBMWを停める隣の小太りで白人のおっさんがいた。たびたび止めるので、私はガラージから車を出すのに、思いっきり切り返さないと出られない。

ある日、当のおっさんがランドリールームから帰ってきたらしく、自分の部屋に入ろうとするので、文句を言った。するとそいつは
「俺の部屋のガラージ・ドアが壊れて、
 アパートの管理オフィスに修理をするように言ったが、
 修理がまだ来ねえんだ。だから文句はオフィスに言え」
「そんなの関係ねぇ。ウチの前に停めるのが邪魔だってんの。
  あんたの目の前にパーキングがあるからそこに停めろ」
アメ人「俺の愛車をそこへ停めたら、誰かぶつけたんだ。
  このへっこみ見てくれや」
「そんなの関係ねぇわ。どけろ、ガラージから出にくい」
アメ人「If you can’t get out from that garage, drive different county」と私の人種にあてこすってバカにしてきたのだ。
それで、私は「Then, you drive!」と

手に持っていた私の愛車の鍵を、おっさんの頭を狙って思いっきり投げつけてやった。
すると、何ということか!

おっさんはランドリーを抱えたまま右手でひょいと鍵を受け止めやがって、怒髪天ついている私をすりぬけて私の車に乗り、一動作で車を出してきやがったのだ。こうなったら止められない。

私はアパートの管理事務所に駆け込み、たった今あったことをチクって対処を要請した。すると、オフィスのお姉ちゃんは3枚複写の紙をくれた。

人のガラージ・ドアの前に停めるのは交通違反だから、もし次に違反駐車を発見したら、この違反リポート・チケットに時間と場所と相手の車のナンバーを記入して、ここに持ってきてね。ここから警察に回るので、彼は罰金を払うことになるから。若きおばちゃんは、違反チケットを握って思った。やったる!と思った。

おばちゃんは待ち伏せに入った。
違反切符を車に張れるのは現行犯の時のみである。隣のおっさんがいつ車を止めるのか、まずは知らねばならない。アパートの部屋からはガラージ・ドアが見えないので、頻繁に斥候にでる。

結果、おっさんは夜8~11時に帰宅し、朝は5~6時に出勤することが分かった。当時私は夜10時半から11時に主人を迎えに車を出すので、違反を捕まえるなら、夜がいい。ところが敵もさるもの、奴の帰宅時間が遅くなって
どうしても現場が捕まらない。

おばちゃん、早起きは大っ嫌いだったけど彼奴をとっちめるために早起きをして、ついに違反駐車を抑え、違反シールをあいつの車に張ることに成功した。複写の違反切符を管理事務所に届けて、おばちゃん勝利宣言である。ざまみろ。

その夜、ダンナを迎えに行こうとガラージの前まで来ると、あいつの車に貼ったはずの違反切符が丸めて、ウチのがラージ・ドアの前に捨ててあった。腹いせだろう。ふん!
おばちゃんはアメリカに勝った。

日系社会のピラミッド

西海岸でも東海岸でも日本人日系社会の構造というのは大体同じではないだろうか。

ピラミッドの構成というのは下からこうなっている。

自分探し

30代に入る直前から30代の後半まで、離婚組も多い。子供まで連れてくる猛者もいた。F1の学生ビザだが、語学学校だけでカレッジに正式入学するだけの学力も根性も金も計画もないので、1~2年うろうろして帰国する。

この辺はアメリカに住んでいるという住人枠にも入れにくい。昭和の時代に「アメしょん」という言葉があった。アメリカでおしっこをしてきた人という意味である。むろん自分の幻想以上に素晴らしい自分がアメリカで落っこちているわけではないので金が尽きたら帰る

留学生

語学留学か、ユニバーシティを卒業する留学生かに分かれる。語学留学は自分探しと大差がない。留学をする芸人はこの辺。アパートを2・3人でシェアするか、個人宅に間借りする。

ユニバーシティを卒業するだけの学力がある留学生の場合。
卒業後の進路は分かれる。OPTでもう一年アメリカにいるか運よくH1Bのスポンサーになってくれる日本の会社を見つけてビザをとるか。
抽選で半分以上ハネられるので非常に運がいい人がビザを取れる。取れなければ日本に帰る。
卒業するだけの学力があるので、日本でも大手企業に就職するチャンスがある。未来の駐在員候補だ。

ビザの会社員

ラッキー!ビザが取れてスポンサー企業に勤められるが贅沢できるような給料はもらえない。でも安い1Bのアパートには何とか住めるか、あるいは2人でシェアする。勤めている間に永住権のスポンサーになってくれる企業を探す。目指せ永住権!!グリーンカードさえ手に入れば、もっと稼げる会社に移る

駐在員

この人たちは別枠。
日本の企業から派遣されて日本企業で働いて日本の本社に向かって仕事をしている人達なので、現地の人間関係より会社の人間関係のほうが大事。

現地ローカルの日本人と友達になる場合もあるが、いづれ帰国することが決まっているので会社の人とは話せないことを話すあとくされのない関係を築く。日本に帰った時に自慢できるようにできるだけアメリカを旅行し、どれだけ子供に英語をたたきこめるか必死。
3年から最長7年で日本に帰る人。お辞儀の習慣を忘れない人たち。
なので、現地のローカル日本人社会からはいずれ帰る人枠。
ただし、現地ローカルの日系催しもののスポンサーだの、チャリティーだのにはしっかり協賛してもらう。


やっと永住権

やった~!やっと取れた。これで堂々アメリカで生きていける!
同じく永住権を持ってる彼女と結婚して家を買った。2人で稼いだらローンが払える。在米の企業の寿命は短く、つぶれたり合併したりするから親方日の丸は安心だと思って、日本の会社のローカルにもぐりこんだのに、、日本に撤収しちゃった!

あの、トヨタがテキサスに引っ越す!日本スーパーがトヨタを追っかけてテキサスに行く!うちのカミさんは、スーパーなのに?リコーはアトランタに引っ越すって?嘘だろっ?

必死でためていた貯金を崩して職探し。永住権を取って明日は安泰と思っていたのに、実はお先真っ暗なのに気が付く。日本には帰れない。だって今帰ったら負けじゃん。

自営業者・永住権

もうピンキリ。
ドカンと当たって御殿を建てる成功者から、夜なべに広告を織り込みをする細々とした自営業。ネットワークビジネスをてがけて次は当たるかも
とネットワークまみれになっている人。日本?帰らないよ。帰ったら負けじゃん。

ゆうゆう永住権

もともと資産を持っていた裕福な層で永住権もさほど苦労なく取り、勤めている企業でも管理者かオーナー。がつがつ働く必要もなく、子供は現地の大学を出て医者とか弁護士とか将来安泰なコースに乗っている。ボンボンで育ちすぎて、あ~、こりゃ親の会社を継いだらつぶすわ!という2代目もいないわけではない。

こういう層の日本人1世-2世が日系協会で役をやったり寄付を出したり、賞をもらったり日本企業の駐在員役員とゴルフをしたり総領事館などの上の人とお付き合いをするのである。
日本?東京に家があるからたまに帰るわ。で?

市民権と超優秀な日本人

永住権を取って5年以上たつと市民権の申請資格ができる。
仕事も家もあり日本人でいる優位性がないと考える人は市民権をとる。永住権者は福祉で保護されないが、アメリカ市民は福祉の権利がある。考えたくはないが、仕事をしくじって最悪の結果になったとき市民権持ちなら、アメリカ国家が面倒を見てくれる。

または、アメリカで育った子供はアメリカ人になっちゃって、もう将来家族で日本帰国の選択肢はゼロになって、市民権をえらぶ親も多い。日本?今更帰ってもしょうがない。

超優秀な日本人
ぐいぐい頭角を現すので、アメリカ社会に進出していき10年もたつと日本食なんかなくても生きていけるし日系スーパーにもたまによる程度で、日系にかかわらず生きている。アメリカの企業が自分の実力を評価してくれるのだ。なんで今更日系企業に?

やっと永住者、自営業永住者、ゆうゆう永住者、市民権者は
もう日本のニュースは見ない。Yahooのヘッドラインくらいは見るが内容は興味もないから読まない

日本の総理大臣?誰?
ゆうゆう生活者以外、遊んでいる暇がないわ。仕事が忙しい、子育てがある。学校からfundraisingのが回ってきて、寄付に回るかクッキーを売りに行くか、子供がスポーツでレギュラーになるかどうかの瀬戸際だから、仕事を早めに終わってもやらないといけない。二つ仕事を掛け持ちしてる。
日本?はっ?だれか死んだ?家族でも死なない限り当分帰国できないし。

50代中ごろまで、ひーひー仕事と子育てに手いっぱいだ。稀の休暇に安いチケットを買って日本に「行く」
永住権を取って家を買って子どもを産むと、自分のいるべき本拠地はアメリカになるので、自然と「帰る」という言葉は使わなくなる。

日本は「行く」ところで、アメリカの家が「帰る」ところ。
日本に住む人を「日本の人」という。ローカルの自分たちはいずれアメリカで死んで土になるので、新1世

さあ、アメリカで永住権もとれて50過ぎたとする。ここからが問題だ。

この50代半ばまで、仕事と子育てに追われるのは日本の社会でも同じだろうと思う。
ただ、アメリカの社会は日本よりずっと浮き沈みが激しい。コロナの蔓延でエンターテイメント、旅行、フードサービス、流通にどれくらいの痛手を被ったか想像することが恐ろしい。

私は、永住権を目指してアメリカ人とデートを繰り返す女の子に言い聞かせた。「永住権」というのはただのステータスだ。グリーンカードを持っていても、アメリカ国土での「生活能力」を保証する魔法のカードではない。
企業の破産、解散、首切りはしょっちゅうある。爪を磨くより、技能を磨け!看護師になれ、。看護師はリーマンショックでもレイオフがなかったわ。


50代過ぎの永住権者

永住者の運命は50代半ばから大きく変わっていくのだ。
在米日本人は24時間全力疾走している。
寝ている間も英語で夢を見るように努力する。昼間、アメリカ人/中国人にこんなこと言われてああ言ってやればよかった、こう言い返せばよかったと寝入る間にクチクチ考える。

夢にあいつが出てきたら英語で言ってやろう。ちゃんと言えた、ざまミロ。普段の生活でもとっさの時には
Watch Out!とか Dorop it. とかOuch!とか英語で出てくるようになる。

あなたの姓名はタナカかスズキか?
タナカか?それはよかった。
アメリカ人がわかる日本人の名前はスズキかタナカくらいだ。コ~ムロだとか、なんとかいう姓だったら死にかかっても意識不明でも英語で自分の姓を言う練習をせねばならない。なんでか?

2009年5月の土曜日、うちの従業員が出勤してこなかった。真面目でいい子だったから何かあったに違いない。ガールフレンドも部屋に帰ってこなかった彼を心配してポリスに電話をしていた。おばちゃんも心配でポリスに電話をした。そうしたら言われたね。
”21歳以上でしょ?大人が行方不明の場合72時間経過しないと捜査をしない。名前?そんな名前の事故者はいないね。”

何かに巻き込まれたに違いないのだ。何度ポリスに電話をしても答えは同じで、ガールフレンドに部屋にある車の登録証のコピーを探せといった。
たまたま知り合いに元シェリフがいたので車の登録証のコピーを渡してポリスに照会してもらったところ、救急病院のICUで意識不明で見つかった。JohnDoe として。


あなたが長年住んでる永住権者でも事故で意識不明ならJaneDoeだ。
包帯をぐるぐる巻きで、顔もわからない彼を見て、ICUのナースに医療費はいくらくらいになりそうか聞いたら、一晩15000ドルくらいだと聞いて、膝から崩れおれそうになったのはまた別の話。

ID?そんなものは事故現場で燃えてしまった
パラメディックスによると、レスキューした当時は意識はあったけど本人の名前がわからなかったと。日本人の名前なんか、言ったってわかんないくせに。アメリカで独身者なら、死にかかっても名前を言えないと。永久に身元は分からない。誰かが探してくれなければ。

そんな50代でも仕事さえ順調ならアメリカに住んでいられる。仕事をしくじったら?ある日、首になったら?50代だと再就職がなぁ。日本だって難しいだろうが、外地なら余計パイが狭いんだ。いろんな伝手を探して田舎の州に行くとか。

家を売れば一息付ける。カリフォルニア州の不動産が高いから、
ローンが残っていても家を売ればおつりがくる。ラスベガスに移るとか、あそこはカリフォルニアで仕事がなくなった人が、最後にすがるとこであったりする。景気が良かったころはね。

会社がコケずに家のローンもほとんど終わって、目出度く60代に入ったとしよう、仲良し6人組も、何とか生き延びてきた。毎週ランチに集まってくる元気な60代。日本に生きている60代よりず~とEnegetic!なんせ、アメリカを生き延びてきたからさ。

で、ある日突然一人がぽくっといく。美容に気を付けていて細身で元美人。
脂身は食べないとか砂糖は取らないとか細かいことを言ってた人。

次にもう一人がガンで倒れる。
残りの仲良しがクッキーかなんか持ってお見舞いに行く。アメリカの医者は保険によって治療しても効果がないとわかると治療してくれない。ホスピスに移ると毎月5000ドルが飛んでいく。

もう一人はランチをすっぽかすようになった。
認知症だった。
生活には不自由がなくて、ずっと働いたことがなかった人だし。ランチの約束しても忘れるし、貸したものは返ってこないし友達の関係では面倒が見切れなくて結局、離婚した元旦那が施設に入れた。
一人息子以外はアメリカに誰も身寄りがいない。日本の弟とは親の遺産の取り分でもめて縁が切れた。親の介護に指一本上げていないのに、遺産を主張するのはどうかな。

そうこうしていると、もう一人はアーカンソーに移るという。
旦那がもともとアーカンソーの出身なのだ。子供はアメリカ人に育ったから、サンクスギビングとクリスマスには顔を見せるよ。それだけよ。アーカンソーで旦那が先に死んだら、冬は地面の1メートル下まで凍るという州でたった一人アメリカ人の中で暮らす。

60代半ばから70代にかけてさらに運命が大きく変わっていく。
友達
外国で老いた身の始末をするには、友達なんか100人いても役に立たない。クッキーをもってお見舞いに来るだけだ。

子供がいればどうか?
日本生まれの一人娘は40代でアメリカでも不自由なく生活している。残った母を施設に入れて、2月に一回訪れると母が泣く。
そこそこの財産があったのに、入居時にバカっと入居料を取られてさらに施設の施設料が「毎日5ドルずつ」上がるのだ。医療費はまた別。みるみるうちに財産が減っていき、娘の前で早く死にたい。と泣く。


アメリカでリタイアして老後を過ごすには、年金のほかに50万ドルが必要といわれる。家やアパートを一棟持っていたとしても、施設と医療費が計算よりずっとかかって呆然とする。

施設は100%アメリカ風だから、和食なんてお目にかかることはない。カリフォルニアでも日系が経営している施設は片手の指で足りるはずだ。フィリピン産のナースが、ミセス今日はSushiよというからまさかと思ったら、グリーンサラダに茹でたコメがまぶしてあったと言う話がある。

残った肉親を一人で支えるのも大変。今更日本の親族にも頼れない。長い間に疎遠になってしまってアメリカの従妹?あなた誰だっけ?と言われる。

施設費用や医療費にもびくともしない財産があるゆうゆう永住権者の一人息子が、クリニックを開業してこれからというときに日本人特有の病気にかかっているのが判明した。アメリカでその病気の専門医はコロラドにしかいないという。コロラドに通うか日本に帰って治療するか。

アメリカでクリニックを開き医者をやっていると、それは成功者と考えるのだが、一時期かかっていたドクターはオフィスが3つあり、クリニックの間を走り回っていた。

いつ電話をしても、フリーウエイを走っていると患者で噂になった。むろんドクターが一人で患者さんを診るので、一人で3つ掛け持ちするしかない。
考えてみれば、一人で開業している医師は一人自営主。妻子がいても妻は働いていないから、ご主人に何かあったときはそれでお終いじゃないか。ドクターでも弁護士でも一人自営業はつらいなぁと思うのである。

50代末から70代の人生の変遷を観察して、アメリカで平和な老後を迎えるには絶対必要な3つがあることを痛感する。むろん配偶者が健在であることが前提でのことだが
1、金 2、複数の子供 3、健康

先住の日本人の奥様、Kさんが「永住権を持っていても60過ぎるころになると、急に日本に里心がつくのか帰国する人が多く出るのよ」
Kさん、それは里心と違う。里心で帰国するのではない。

3つの条件を全部持っている永住権者はそんなに多くない。子供がいない夫婦という点で、まずアメリカで余生を過ごすのは難しい。それに気が付くのは50を過ぎてからだ。


全力疾走で走ってきてある日ふと前と回りを見て、これはだめだと感じる。危機管理の中で生きてきた人間だから、自分の前に待ち受けているものが見えてしまう。

先が見える人と見たくない人。
決意ができる人とできない人。
永住権を捨てられない人。
子供を連れていけない人。
市民権をとってしまった人。
アメリカに足をとられたまま、決断ができず莫大な医療費を抱えたような時には、日本に帰るのが遅すぎるのだ。

生きにくかった日本を脱出して、あこがれていた海外の生活のためにいろんなものを捨てて24時間全力疾走をしてきた。そして人生の終わりが見えてくる時に、今度はアメリカで築いたものを捨てて最終的に守らなければならぬものがあるのに気づく。

死に物狂いで生きて来たから、撤収しても別に悔いはないか。終わりが見えてくるまで走れるだけ走ればよい。

”会社は家族” 説が崩壊した日

「ねぇ、奥さん、あなたのために世界は回っているのではないんですよ」
電話の弁護士はホントにこう言った。渡米して2か月後のことだった。

渡米して最初の給料日が来ると、日本でサインしたはずの契約書とは全然足りない給料が渡された。え?
ダンナも日本から一緒に来た同僚たちも頭をかしげたのだ。アメリカのペイチェックは2週間に一度だった。もらった給料は、契約書で約束された月額の2分の1にも全然届かない。どういうことなんだろう?
福利厚生はどうなっているのだろう?日本での契約条件では現地の健康保険も加入するはずだったのに。

会社はアパートと最低限の家具を用意しておいてくれた。おばちゃんとおじちゃんは夫婦だったから、ワンベッドルームを。他の独身従業員は4人で3ベッドルームをシェアし寮として使用する。
4人が3ベッドでは、最初から数が合わない。誰かひとりジャンケンで負けて、大き目のウオークイン・クローゼットで寝ることになり、押し入れで人を寝かせるのか!、、と独身者みんな不満を募らせていた。

先発していた支社長と夫人は2ベッドルームで家具もベッドもランクが上だと、陰では非難と愚痴をささやきあっていた。そして、この給料である。会社に対して不信と不満が爆発した。

独身者の一人が明日全員で支社長に聞こうじゃないか。そうだそうしよう。意見はすぐまとまった。翌日、日本での契約交渉の本人だった支社長を囲んで皆が口々に不満を訴えると、支社長はしれっととんでもないことを言った。契約書の給与は税込みの総支給額である。なんでかというとアメリカの所得税を知らんかったんで。

はぁ!
この業界は給与の開示は、手取りが表示が慣習だった。アメリカの所得税が分からん?調べりゃすぐわかるだろう?なんだぁ?この会社は!支社長の上の日本の専務を呼べ。

新規の支社立ち上げのため、同行していた専務は2週間でとっくに帰国していた。面の皮が厚くにぶい支社長は、皆の不満がいまいち理解できないようで、さらに、爆弾を落とすのである。
「大丈夫 生活できるって、この国は日本より物価が安いから。」

わなわなと震えるとか、血が上って視野が暗くなるとかは本当に起こる。物価が安いからって?そういう問題じゃないだろう。

契約書!契約書には給与の条件が書いてなかっただろうか?会社の契約違反を訴えることはできるのだろうか?ここは日本ではないし、来たばっかりで右も左も分からない状態だった。

若きおばちゃんは、日系スーパーで現地のフリーペーパーを手に入れ、広告を探した。A法律事務所、xxxトラブル無料相談、C社電話相談!
これだ!とおばちゃんは電話をかけ生まれた初めて弁護士と名の付く人
と話したのであった。

電話の弁護士は、まず私の素性を聞き出した。氏名、会社の名、住所電話番号。正直に答えて、おばちゃんは説明にかかった。

会社の契約違反ではないだろうか?
こんな非道を許されていいのか?

そうしたら弁護士は事務的な声で、あなたは何ビザを持ってます?そのビザを取ったのは会社ですか?おばちゃんは、会社がビザを取ってアメリカに来たと述べた。

そうしたら、弁護士は面倒くさそうに、会社がビザを持っているんで、会社がビザを取り消せばあなたたちはこの国で働けないんですよ。日本へ帰るしかないんです。

そんな馬鹿な!
そしたら弁護士は冒頭の言葉を吐いたんである。

「ねぇ、奥さん、あなたのために世界は回っているのではないんですよ」弁護士はさらに追い打ちをかけ、この電話相談は50ドルですから、事務所に小切手を送ってください。

ぇ?無料電話相談じゃなかったの? どこに無料って書いてあります?おばちゃん、名前も住所も申告してたから、泣く泣く小切手を切るしかなかった。

会社は従業員を守ってくれる存在ではなかった。会社は家族でもない。養っていかねばならぬ義務も法律もないのであった。おばちゃん、おじちゃんのマナコからウロコがバラバラと落ちた瞬間だった。

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