とほほの女王

そりゃ、おばちゃんだって渡米したばっかりの90年代初頭は、ういういしくて見るもの聞くものめずらしくて
98年ころは今は無きGeocitiesでいくつかページを書き散らしていたのである。(あっ、誰かGeocitiesを保存しているやつがいたっけ)チャイニーズレストランがどうたら、アメリカの歯医者がどうたらとか無邪気なスカみたいなページ。

そのころGeoの住人も海外在住は多くなく、旅行雑誌のコラムみたいな記事はつまんなくなってくるし
もっと堪えるネタはないかと観察していたらおじちゃんの会社があった。

おじちゃんの会社のネタを書いていい?と聞いたら「俺を首にする気か?」と言われ露頭に迷ってまで
書くこともできず。
酒もやめたので、コンピューターにどっぷりつかった。文芸誌と小説を忘れてコンピューターの参考書を買い、
週刊アスキーを買う。

ちょうどウエスト・バージニア州のA子ちゃんとネットで知り合って、おばちゃんにEmailを書くと5分以内に返事が返ってくると言われた頃。LineもTextもない時代に。

朝、おじちゃんを送って行って帰ってきたらコンピューターの前に座り、Pearlとは何ぞやスクリプトとは何ぞや初めましてのプログラムはたった10行なのになんで動かんのか?

朝からコーヒーだけでそういえば、おしっこがしたかったけど
トイレに行くのを忘れとったわ。
上の空でトイレに行く途中、はっっ!もしかして3行目のコマンドはコロン:ではなくてセミコロン;ではないか?
トイレに行かずに書斎に引き返して、やっぱりセミコロン;でも動かんのぉ?そういえば、おしっこに、。
立ち上がってトイレに行く途中、はっとして4行目が、, カンマでなく.ピリオドではないか?引き返して、やっぱり動かんのぉ?

気が付くと夜になっていて上の空でおじちゃんを迎えに行って帰ってくると、なんだか心臓がどきどきする。
息も上がってきてドキドキはぁはぁなんか苦しい。あたし苦しいからエマージェンシーに行くわ!

おじちゃんを乗せてERの前まで行って、このドアを入ると一発$100ドルだ。くそっと腹が立ち、そういえば
私は今日水を飲んだっけ?

おばちゃん、脱水症状を起こしてたんですね。ERの料金がもったいないので、家に引き返して水を飲んだ。
やっぱ、プログラミングはセンスよね。あたし、向いてないみたい。
今はHtmlもほとんど忘れた。

週刊アスキーが面白いのでコラムのファンになり、おばちゃんも投稿してみっか?と投稿したら採用された。
ちょうど「新幹線より早い男」さんとか「かよのダンナ」さんとか「ご隠居」さんが活躍していたころだ。
女がただでさえ珍しかったので、おばちゃんは「とほほの女王」で
ミケ猫@カリフォルニ屋が誕生した。

そうだった。おばちゃん、すっかり忘れていたわ。なんせ、店の経営が忙しかったから。

コンピューターも仕事の集計とデザイン専用になってしまい明日のためにその1、今週のプロモーション!
などを考えているとWin03サーバーのセキュリティパッチ?ちょっと今暇がないから。息抜きは掲示板!てことになりおばちゃんは実務一筋にまい進したのだ。

ブログ?とんでもない。
おばちゃんの商売は客商売なので、どんなにおいしいネタが転がっていても書いたら廃業。書くならチラシに広告、店のWeb。OCに今でもいたらやっぱり書けないよなぁ。

帰国して見るもの聞くもの珍しくカウンターショックでブログをはじめようとしたら、日本語がメタメタだった。とても文章にならんのであきらめて庭いじりに専念していた。

無心で草取りをしていると日本語の文章がぷくぷく湧く。文章が頭の中を走っていって内容が面白いので、自分で一人で笑う。
しつこく湧いてくるようになったので、キーボードを叩いて頭から取り出すことにした。すっきりした。
そういえば今のうちに記憶も取り出して置かないと、おじちゃんからお前なにカリフォルニアの夢の話をしてんだよ。と言われてしまうことがあるかもしれない。

日系人から見た日本人の英語

渡米した年代によって米国に住む日本人の外来語の日本語解像度が違う。

どういうことかというと、米国に住む日本人たちもと日本人たちは、故郷を離れた後に誕生した日本語あるいは翻訳語はもう分からない。戦後渡米したおばあちゃん世代になると、「掃除機」という日本語は覚えきれない。Vacuum Cleanerである。

70年代前半から80年以前の世代はMicrowaveであって「電子レンジ」は何回聞いても忘れてしまう。そもそも掃除機とか電子レンジとか日常生活で日本語で発音する必要がないし。

90年代はコンピューターかな。「パソコン」と発音する在米日本人はいなかった。コンピューターはコンピューターでWindowsかMacかまれにPublicかPersonalの違いを言う時はあるが。

2000年代、
チョコレートのGodivaが日本に紹介されてゴディバとして覚えた日本人世代。渡米してゴダイバと発音されいて驚く。

日本にIkeaオープンしたのは2006年らしい。
IkeaUSAは1985年開業なのでIkeaはアイケアだった。日本に帰国したら、イケアと呼ばれていて「池谷」に聞こえてなんだか変だ。原語には近いのかも。

ごめんなさい。DeNAはディーナとしか読めない。

おばちゃんがOCで日系組織の会報に携わっていたころ。外地に住む日本人コミュニティとして業界別とか出身地別とかさまざまな形の日系組織があり、奨学金をだしたりイベントを組織したり会報を発行していた。

その会報の編集を手伝ったのだが、ドラフトが出来上がるとそれを幹事さんに見せる。幹事さんは日本人以外に2世もいた。

OCの時事記事なので当然地名・固有名詞は英語なのだが、紙面上アルファベットの縦書きでいくか、カタカナで書くか物凄く悩んだ。

アルファベットの縦書きはスペースも取って、すごく読みにくい。もし、名詞が日本語化しているものだったら日本語で書いた。
その時に困るのがL とR、 BとVの書き分け。BとVはカタカナでも書き分けられてもLとRの区別は日本語に存在しないので、目をつぶる。

そうだ、時はちょうどハロウィーンで行事の記事だった。Jack O Lantern ジャック・オ・ランターンとGarage Sale ガレージ・セール2世幹事さんがこの2つのカタカナに引っ掛かった。

2世のテリーさんは日本語も読めるし、しゃべれるのだがカタカナの日本語表記ルールについては詳しくない。そんなものあるとも思っていない。英語の発音を正確に日本語にすべしと思っている。

テリーさんはジャック・オ・ランターン?ジャッコ・ランターンだろう!
ガレージ・セール?だから日本人はダメなんだ。
グラージ・セールと書きなさい。
いつまでたっても英語がうまくならないんだ!

Yes,テリーさん、とおばちゃんはカタカナを直した。なるべく英語の発音に近いカタカナをはめて

様々な英語のなまり

ジョイスに鍛えられたから、おばちゃんは中国訛りの英語の聞き取りには強い。Rの発音がきついメキシコ訛りは聞き取りが難しかった。
Number1をナンベルワンと言われて、Rがル・ラになっちゃうとお手上げ。スペイン語をしゃべるおじちゃんに代わってもらうしかない。

2000年過ぎるとカスタマーサービスにインド系が嫌っというほど増えて、聞き取りに苦労するようになった。
インド系は業務の知識もちゃんとあり、話し方も丁寧だったがやはりRの発音がきついので聞き取りに努力が要った。
ギブアップして、別の人に代わってくれと言ったこともあった。高級エステでもないのに「Madam」と呼びかけられたのは丁寧だっていうのはわかるが、何を言ってるかわからなければしょうがないじゃないか。

ベトナム語に「Z」の音がないとか、ジョイスは「ピッツア」の「っあ」の発音ができないみたいで、いつも「ぴっつうあ」
と意識して発音していた。パキスタン人に言わせると彼の母国語には母音子音が大体そろっているので、
ほかの言語を取得する時に苦労する音が無いのだという。そう言われればイラン人の英語の発音もそれほど聞き取りに苦労はなかったわ。

CNNのスポーツ担当のイギリス女性の英語はひっくり返った。あの人はCNNのジョークなのだろうか?
何をしゃべっているのかさっぱり分からない。フエンとかファンとか、コクニー?

NetFlixでノルウェー製作の「RAGNOROK」を英語の吹き替えで見ると面白い。吹き替えの人も英語のうまいヘタがあって、主人公のお母ちゃんの英語は極端にノルウエー。北欧系の重ったさがあって、どういうわけか
語尾が上がってしまう。

日本の方言でも肯定なのに語尾が上がる地方があって、県民ショウを見た!あれをもっとすごくした感じ。
RAGNOROKのお母ちゃんが何をしゃべっても語尾がたたみこむように常に尻上がりになる。
おばちゃんの頭の中では彼女の英語が東北弁で翻訳される。

腹がたった英語のスピーチがあって、それは何を隠そう帰国してから聞いたToeicテスト用のスピーチだった。イギリス訛りが強すぎませんか?
おばちゃんが聞いたテストのスピーチはどっか文房具会社?の頭の悪そうな営業マンがこんなことを言う:

ねえ、XXの会社の仕入れ担当って誰だっけ?
スジ―?マギー?それとも誰だっけ知ってる?
XX会社の電話番号はどこ。あ~、もしもしXX会社のXXですが、
文房具の仕入れはXXXさんが担当ですか、
私は今回担当で、、、

おばちゃんは聞いてかっと頭に血が上ったね。ちょっと待て!、お前は担当の名前も忘れたのか、
会社の電話番号も分かっていないのか。それで電話をかけてホントに仕事ができるのか?
待てと言ったら待て!
一区切りの会話で人が聞いて覚えられる新規の固有名詞は3つまで。お前は固有名詞をボロボロName Dropしている。

相手に理解してもらおうと思うなら、こんなしゃべり方は最低だ。これは英語のスピーチというより、もっと大事なものを忘れている。

この兄ちゃんはぺらぺらとメリハリもなくどうでもいいことを垂れ流している。

新規固有名詞が沢山あって、短期記憶(短気記憶)が悪くなったおばちゃんは、ついて行けなくて怒ったのであった。
こんな奴はセールスとして失格である。おばちゃんは雇わない。

二世の交渉術 二世いろいろ

2世のトオル君は舌を巻くほど交渉がうまかった。商才もあった。小さ体にリュックを背負っている小学生のころから、同級生に爪楊枝とかコークを売って稼いでいた。「爪楊枝?」

おばちゃんが驚くと、学校だとガムが禁止されているので、んか口に入れる味が付いたものだったら売れるんですよ。ミントの味が付いた爪楊枝があるんです。

コークはね歯を腐らすとか言って大人からは嫌われてるんで、リュックに入るだけ入れて持ってくと、ぬるくても売れるんですねぇ。

こうして稼いだ金をコンピューターや日本のアニメにつぎ込んでいた。トオル君は完ぺきに近いバイリンだったから、長じて大学に入っても、日系の店ではバイトとして喜ばれた。

サンクスギビングの翌日はブラック・フライデーである。今年はどんな目玉商品が出るのか、電気屋や小売り業界の広告が話題になる季節だった。トオル君とつるんでいる日系の子弟は、サンクスギビングのディナーをパスしてどこの店に並ぶか決める。
なにせ目当てのコンピューターやグラフィック・カードが定価の半額とか3分の1になる年に1回のチャンスなのだ。

2世グループは首尾よくBestBuyの先頭近くに並び、イワタニのガスコンロで鍋を食べながら時間をつぶしていた。

すると、ねぇおばちゃん別のグループが近づいてきたんですよ。そいつらは俺たちの順番を買いたといって。
金を出すから順番を譲ってくれと。そいつらも欲しいものがあって、順番が先じゃないと売り切れる心配があるから。

それで俺らは相談して、今全員の順番を売って列の最後尾に並び直しても、先頭からXX番目になって、
俺たちの欲しいものは何とか手に入るかもしれない。だから一人あたり順番はXXドルで売ればもうかる。

売買は無事成立して、アメリカグループも満足2世グループも余剰の小遣いが稼げて満足。
おばちゃんはこの話を聞いて、トオル君にアンタは弁護士が向いているから、今からでも遅くない。
大学のコースを弁護士に変えなさいと言った。

嫌ですよ。俺、日本に行くんですもん。だから大学は最短で最小限の努力で済むように一番簡単なクラスをとってるんですから。トオル君はバイリンのくせに大学で、日本語のクラスを取りまくっていたのである。

おばちゃん、「電車でGo」のクラスがあるんですよ。信じられます?トオル君にとっては遊んでいるようなクラスである。

日本語上級クラスを総なめにしたけど、悲しいかな卒業単位が1クラス分足りないんである。電車にGoの日本人先生に相談したら、お前が取るクラスはもうない。自分で課題を見つけて提出するようにと言われてしまって
頭を抱えていた。

おばちゃんの言うことも聞かず、トオル君は大学を卒業して日本へ行ってしまった。おばちゃんも親の言うことを聞かない人なのでトオル君を責められないが、トオル君!君は弁護士に向いている、日本での人生に疲れたら学校に戻りなさい。

ある日このRobert って誰ですか?よく見るけど。トオル君は伝票を見ながら、おばちゃんに聞いた。

「はぁ?ロバートってボブじゃない。よく来るボブのおじいちゃんだよ」
「なんでロバートがボブなんですか?」
「知らんがな。ボブはロバートの愛称だよ。あんたこの国に生まれて何年育ってんのよ。」
「ボブってロバートの愛称だったんですかぁ!」
「じゃあ、ビルは何の愛称だか言ってみ?」
「ビル?」
「Williamじゃ、ビル・クリントンの正式名称はウイリアム・クリントン」

2世のトオル君は日系社会でも珍しい、完璧バイリンに近かったが、時々ポカっと言語や文化の穴がある。
両親は日本人で親戚はこの国にいないから、生活を通してアメリカの歴史や文化を伝えてくれる親戚身内や
従妹もおじさんもいないから。

トオル君は日本語の発音には全く訛りがない。僕、英語をしゃべるとテキサス出身かって聞かれるんですけど。
テキサス訛りみたいなのがあるらしいです。なんででしょうね?

トオル君のお母さんはトオル君が5つの時に夫婦喧嘩をして、トオル君を連れて日本に逃げた。日本に1年いてカリフォルニアに帰ってきて、元鞘にもどったがトオル君はきれいさっぱり英語を忘れていた。

お母さんから、なんであんた英語を忘れるのよと怒られて幼稚園に戻って英語を思い出した。トオル君の日本語がキレイなのはこの体験のせいかもしれない。

アメリカで生まれて育つと自動的にバイリンガルになると考えたりするかもしれないけれど、大~きな間違いである。

日本語に訛りがないのがまず珍しい。さ・し・す・せ・そ が シャ・シ・シュ・シェ・ショになりやすい。
資生堂がシシェイ堂に聞こえる。可愛いけどね。

のちに面接した2世の男の子はかすかにシャ・シュ・ショだったが、「僕、あんまり日本語は話したくないんです。英語の発音が悪くなるから」ふぅん?

トオル君の友達もシャ・シュ・ショ2世だ。自分達でも発音の自覚があるので、1世の親世代の私たちには
あまり日本語を話したがらない。

アメリカで子供が生まれて外の世界に出るようになるころ、両親も子供も最初の言語のコンフリクトに遭遇する。お母さんが幼稚園に送っていくと子供が親に言う。
「マミー、英語をしゃべって!」自分の親が他と違う言語をしゃべるのが恥ずかしくなるから。
子供が小学生の高学年になると
「マミー、日本語をしゃべって」
自分の親の英語の発音が恥ずかしくなるから。

これらの子供に日本人としての自覚を持たせて日本語と文化を伝えていくのがどれほど難しいことか。日本語学校は土曜日・日曜日にある。親しい友達が週末にキャンプに行ったりフェスティバルに行こうと誘われたりするのに、2世は断って日本語学校に行かねばならない。

日本語で日本の社会だの歴史だのやるのだ。日本語と日本の教育を受けてアメリカでどんなアドバンテージがあるだろう?電車でGoができるとか?


漢字が読めるようになってもそれがどうした?英語でデベートに勝てるわけではない。日本の伝統文化を受け継いだところで、それがどうした。興味を持つアメリカ人はたいていアメリカ社会の主流ではない。


実際アメリカ社会で、日本人であることが有利に働くことは少ない。体格もアジア系で華奢にできていて、スポーツでもレギュラー・メンバーに入ることが難しい。

日本語学校は大抵遠い。子どもを送っていき迎えに行き、親が必死になって土曜日・日曜日を全部つぶしたのに!当の子どもは日本語学校に行くモチベーションも薄れ、日本語をしゃべるのも面倒くさくなる。
お母さんがしゃべりかけても英語で返事をするようになる。

Mammy never mindお母ちゃん、キ~となる。夫婦ふたり働いていて、とても子供のために週末をつぶせない場合、バイリンは絶望的である。

日系社会は日本語と文化の喪失を恐れて、いろんなプログラムを組織してきた。交換で中学生を日本に遊びに行かせる旅行滞在型研修?ブルーなんとか言ったと思う。

知り合いのお嬢さんが選ばれて、1週間日本に行ったのだが、お嬢さんはかすかにシャ・シュ・ショ2世だったから、お母様が日本滞在中は日本語を話すなと彼女に命じた。お嬢さんは言いつけ通り、日本語が分からないふりをして現地の皆様が彼女のことをどう話すかたっぷり聞いた。

最後に空港に送られて、お嬢さんは日本語できちんと挨拶をして機上の人となった。見送り方はポカンと、、。

まぁ、お母様も日本に生まれた日本人であって、故国では英語だけを話す人間を日本人がどのように遇し
日本語が頼りない日本人をどのように軽んじるかよく知っていたから。

変な人 おかしくなっちゃった人

日本で外語のアラビア語を出てアメリカに来たらプログラマーになっちゃったとか、駐在の両親に連れられてきたらハイスクールでいじめられ奮起したらIT会社の副社長になった人とか、

化粧品XXXの販売員で売り上げ日本一だったとか日本でアパレル企業立ち上げて会社を売った後渡米して色んなものを売る超セールス力の持ち主とか、チェーン店でエンパイアを築いた人とか、

順当にUCLAを卒業してIT企業を始めた人とかたたき上げでタクシードライバーをしながらCPAの資格取った人とか、家転がしで資産を築いた人とか

とにかく生きていかねばならないので努力したら自分の知らない才能が花咲いた。いろいろすごい才能を持つ人がいた外地だった。

が、たま~にどうしてこの人がここに?と思う人もいるわけ。
ある時日系スーパーで顔見知りで世間話をしていると、そこにさらに顔見知りAが加わって噂話に花が咲くわけ。そこでAがXXXのYって奴を知ってるか?と話を振りああ、前はLAのXXXに居たよね。あいつはダメだよ、流れ者だから。

A以外は全員????何を言ってんだこいつと思った。LAなら車でたかが50分、何が違う?よそ者と言うほどでなし。それを言うならわしら全員アメリカでよそ者やん。日本からここまで1万キロ流れて来てんの、みんな。
うちらみんな流れ者やんか!アホかいな。

ちなみに
多少頭が悪くてもめげない人、努力する人、勘がいい人、体力がある人
人脈が作れる人、戦うことができる人 は生き残って
酒や薬の問題がある人、体が弱い人、自我が弱い人、戦いから逃げる人
人を当てにする人、家族に問題がある人は日本に帰った。

おかしくなっちゃった人

おかしい人じゃなくて、おかしくなっちゃった人。海外生活のプレッシャーに負けておかしくなっちゃう人は一定の割合で発生するね。一番悲劇的だったのは駐在員の奥様が子供を橋の下に投げて自分も身を投げるつもりができずに逮捕されちゃった例。ご主人の勤める会社が火消しにまわったのか会社の名前が出ることなく奥様の噂だけが駆け回っていた。

駐在の奥様が外国になじめず家から出られなくなっちゃう場合はたまにあるので、その時に日本に帰国させてそれ以上壊れてしまう事は無いのだろうが、ご主人の方がいっぱいいっぱいで奥様まで手が回らずに手遅れになってしまうこともたまにある。

ご主人が慣れない環境と激務でおかしくなるのもよくある。毎月の給与明細に退職金は$XXXXと書かれている例の一流商社では気が狂っちゃう人もよくいるらしい。

その会社のメキシコ駐在カップルが休暇でOCに来てたらしい。メキシコではインフラに問題があることも多くて、バケーションで米国に骨休めに来させることがあった。

日本レストランに勤めていた知り合いのマコちゃんの話によると、ご主人が要注意だったそうだ。米国支社の先輩に慰労されていたらしかった。テーブルではにこやかに談笑していてどこから見てもエリート商社マンだが、
レストランの手洗いで狂うのだという。

手洗いの備え付け紙タオルを山ほど引っ張り出し床と洗面台にまき散らす。トイレットペーパーも引き出して床に丸めて捨て、明らかに後から踏みにじった跡があるのだという。マコちゃんはお手洗いの滞在時間が長いので気になって男性が出た後にチェックしに行って発見した。

これが初めてではなくて二回目なので、お客で来店してきた時から目を離さないようにしていたそうだ。人前では正常に見えるのだが一歩人目がつかない場所で誤作動を起こしているような場合、いずれどこかで異常が発覚したかもしれない。

頭のおかしいトルコ人。
この人は一時期日本のバラエティ番組に出演していたらしい。日本人にちやほやされたことが忘れられず、日系のスーパーや日系の店舗に出没しては不信をかっていた。

銀色のアタッシュケースを持ち歩き、人がいる場所でケースを開け、中の大小の葉巻にしゃべりかけていたとか、携帯が珍しい時代に携帯電話を持ち歩き、人込みで立ち止まって日本語で会話するフリをしていた、とか。

どう考えても携帯電話が繋がっていないのが分かるのだという。日本人だと分かるとすり寄って行って話しかけ、自分は日本料理が好きだ、鰻の刺身を食べられるレストランを知らないか?とか日本好きをアピールするのだという。トルコ系のコミュニティで保護していればいいのだが、。

テリーさんと外地の日本男児

テリーさんは日本生まれ日本育ちだったが20歳になるかならない年で渡米して、結婚したカミさんがアメリカ人だったから40年も経つ間に、日本語を忘れてしまった。

日本語のヒアリングはある程度できるのだが、書くのと読むのはもう不可能になっている。英語しかしゃべらない。
おばちゃんが雇われたのは、日本企業へのマーケティングと日本からくるEmailの問い合わせをテリーさんに翻訳すること。仕事の中身は退屈でつまんなかったから割愛するけど。

テリーさんの結婚は子供が全員成人したところで終結してでっかいアメリカ人の奥さんと離婚した。子供は全員男でフットボール選手かと思うほどのサイズ。テリーさんは165センチそこそこなのに。

このテリーさん、離婚してから正反対の趣味に走った。つき合う女の子は小さくて、華奢で女らしい娘。
アメリカ人女でなければ誰でもいい。その気持ちは分からないでもないが。

独身生活を謳歌していたテリーさんに、女の子は必ず質問を突き付けてくるのだという。

いいか、必ず一年経ったら皆聞いてくるんだ。”ねぇ、私たちはどこを目指してるの?
この先どうするの?”

何故それを聞く?テリーさんは人生を楽しんでいるので質問の意味が分からない。それで、一年後には女の子にみんな逃げられてバケーション先で引っかけた女の子が残った。

”妊娠させちゃって” ついでに ”てへっ”って付けたいほど。61歳のテリーさん20歳のメキシカン娘を妊娠させて、誇らしいのが半分、崖っぷちに追い詰められてるのが半分。

カトリックのメキシカンだから無論堕胎なんて選択はない。
ショットガンを持った親と兄弟が出てきたわけではなかったが産む!と言い張る20歳の娘に降参して、正式に結婚することになった。

ただ娘はアメリカに住むのを拒否した。嫌!アメリカ人はメキシカンを馬鹿にしているからアメリカには住まないわ!
テリーさんはしょうがなくボーダーの南に家を一軒買った。彼はサンディエゴに住んで、週末は国境を越えてメキシコに61歳通い婿。

40歳近い息子たちは大困惑である。
ステップ・マザーが自分のカミさんより若い。自分の子供より小さい腹違いの弟か妹が、これから生まれて来るんである。

テリーさんは遺言書も書き換えメキシコ娘と結婚して、子供を産ませて家もくれてやるつもりのようだ。1年たったらどうなるか分からないけれど。

外地の日本男児

テリーさんのほかにもおばちゃんはいろんな日本人男児を見た。ちらっと見たその男たちの結婚と食の人生を書いてみる。

行きつけの日本食レストランで夕ご飯を食べていると、カウンターに座った日本のおっさんがやけに目を引いた。お盆にのった定食を食べているようだ。一口食べるごとに天井を仰ぎ、肩を震わせお椀の味噌汁を飲んでう~とかあ~とかウルサイ。
食べ終わるとカウンターの中の板前さんに1週間ぶりにまともなご飯を食べたんですぅ、とかおっさんの嘆きが聞こえた。

多分単独の出張か、家族に先行して赴任してきたのだろう。スーパーでサンドイッチとかパックされた空揚げとか冷凍のピザ、ファーストフードのテイクアウトで凌いできたのかも。
35歳過ぎに単身で渡米すると、米と醤油と魚が無くては1週間でパニックになってしまう日本男児。

おじちゃんの会社の同僚にはコリアン嫁と結婚した日本男児がいて一緒にランチに行くと、ああ、白いご飯だ!とお茶碗のごはんをむさぼり食べるという。

聞いてください、ウチの嫁はコリアンで健康にいいのよと米に五穀を入れるんです。
黒い豆とか麦とかひえとかモソモソしてうまくないんですぅ。白いごはんが食べられるのは、お昼だけ。オイオイ。おかずについては何とかイケるらしい。

トムさんが結婚したのはクロアチア人で大学の時のクラスメートだった。
自宅に日本食は存在しない。
でもこの人の賢いところは、日本スーパーのそばにオフィスを借りたところだ。ランチは日本のお弁当を選び放題。アンパンでも和菓子でも徒歩2分で好きなだけ買える。

歯科医のBさんはアメリカ人の奥さんに首ったけ。ブロンドですごく可愛い奥さん。一言目にはウチのマリリンがマリリンがとデレデレ。
マリリンが作るなら冷凍のピザでも缶詰のスープでも美味に違いない。

不思議と日本男児と結婚するアメリカ女性は、夫に一歩下がって従うような古風なタイプが多い。
どこでそんなアメリカ人女性を見つけてこられるのか、なんか古風な娘を探す特殊なセンサーでもあるのか?それとも彼女らをひきつける磁石でも持っているのか?

コミュニティ新聞のRさんの奥さんもアメリカ人で外食はいつも日本料理だったので、奥さんの方が日本化していたのかも。常に夫をたてている感じ。二人並んで座っていると、亭主関白という言葉が浮かんでくるのが常だった。

Kさんは2世のコリアンと結婚して食生活はアメリカン。ただ、Kさん本人は元は板前さんだったそうで、日本食が食べたくなれば自分で作って奥さんと子供に食べさせる方だという。
う~ん、女としてあらまほしき夫はKさんかな。

ラスベガスで骨休め

神は創造に疲れて7日目に休んだ。人間も休める時にきっちり休まないと商売と言うのは続けられない。

そうだ、ラスベガスに行こう!今までは会社の旅行だとか、取引先の人の接待だとかで連れていってもらったが、アナハイムから往復バスが出ているのでバスで行こう。

独立してから驚いたのは、おじちゃんが仕事モードとお休みモードのスイッチを持っていたことだった。おばちゃんは初めての経営で四六時中経営のことばっかり考えていて休まる時がなかった。

自宅に帰ってくるとおじちゃんはテレビは見ているけれど、何を聞いても生返事。おじちゃんは仕事モードのスイッチを切っていたのだ。やるべきことは沢山あるのに、何も考えていないとはどうしたことか、。ふがいないおっさんや。

ところが全速力で7日間稼働すると余力と言うものが無くなってくる。夜になるとスイッチを切って朝はまたフレッシュに活動できるおじちゃんと、夜通し考えて疲れ切って朝の仕事を始めるおばちゃんとのギャップが明らかになってきた。

結果と言うのはすぐ出ない、続けられなければ結果が出ない。7日稼働しても生まれるのは結果でなくて焦りと疲労だった。そこでおばちゃんも休みスイッチの必要が分かった。アイデアというのは贅沢な時間に生まれる。

一泊2日の休みならカリフォルニアからラスベガスは都民が熱海・箱根に行くようなものである。ベタ過ぎて新鮮味がないけれど、骨休めだから。目的はホテルのバフェとショーだった。

キンキンに冷房が効いたバスに乗って、ストリップの中ほどのホテルに着いて、通りに出て安売りチケット屋で今夜のショーを探す。うまくするといいホテルのショーがやったぁ!と言う値段で買える。

一度は「ジュベリー」がドリンク付きの最前列のテーブルで取れてしまって超ラッキーだった。もう、踊り子さんが1m先で踊ってる。ダンサーの足と言うものは、意外と逞しい。

網タイツに包まれた太ももに青タンがいくつもあるのがモロ見えである。長い足を振り回して踊るのである、ぶつけるのも無理ない。うっとり美しいショーを見るなら、最前列でないほうがいいかもしれない。

踊り子さんに劣らぬ短い衣装の若いサーバーがドリンクを運んできてコークは1杯8ドル2人分チップ込みで20ドル。次の日のランチはブッフェで幸せになってバスに乗って帰ってくる。おばちゃんはバクチは嫌いだ。

ラスベガスの真ん中を走っているカジノ通りをLas Vegas Boulevard 通称ストリップともいう。
Stripteaseとはまったく関係がない。細長い土地をストリップと言うのである。ガザストリップとかね。

地理はシンプルだ。空港から北に向かうラスベガス・ブルーバードの両側に有名どころのカジノが軒を連ねている。ピラミッドを模したルクソールから超高層タワーアトラクションで有名な北のスフィアまで一本なので歩こうと思えばできないこともない。
ただ気候はひどいからストリップを絶え間なく走っているバスを使う方が楽だ。1日パスなら乗り放題だし。

高級カジノを除いてホテルの宿泊費は高くない。安ければ20ドルからあるし。
昔からラスベガスはギャンブルで人の懐をカッパぐつもりなので、宿泊費と食事は高くなかった。ただリセッションの後からはレストランがどんどん値上がりしてきた。

おばちゃんたちはショーとブッフェが目的。オンラインでホテルとショーを予約するサイトがある。
いいショーの手ごろな席はすぐ売り切れてしまうのであとは安くて見ずらい席か、超お高いいい席かどちらかになる。

最初に見たシルク・ド・ソレイユのミスティアは確か35ドルくらい。当時人気だったホワイト・ライオンのショーが売り切れだったから残っているチケットがシルクドソレイユだった。なんとキレイなサーカスなんだろうというのが感想。

その後ラスベガスに行くたびにシルク・ド・ソレイユのショーの値段は上がっており、「オー」のころには100ドル前後になっていた。ジョイスが、すごい!「オー」がすごいというので、一体「水」がどうすごいのか、すでにチケットは売り切れが多く買うのも大変になっていた。

やっとチケットを確保できて席も悪くなかったが、ジョイスがうまくすごさを説明できないのが分かった。
確かにオーは「水」のショーだ。舞台に深いプールがある。高く漕いだブランコからパフォーマが飛び込む。水しぶきは上がるので確かに水であることは間違いない。

次のシーンにあっという間に「水」が舞台から引いて乾いた舞台に変化する。水はどこに行ったか分からないさらに次の瞬間にまた深いプールが出現し鮮やかな衣装のアーティスティックスイマーが水の中で華麗なパフォーマンスを見せる。

Oneだけは見られなかった。チケットが高すぎ常に売り切れでストリップのあちこちにあるTix4tonightでキャンセル待ちをしても取れなかったから。

色んな雑誌がシルクドソレイユの特集を組み、パフォーマーの高い報酬などが知られるにつれてチケットの価格は下がらなくなったのね。2020年に破産宣告をして同じ規模と質のショーはもう二度と見られないかと思うとおばちゃんは悲しいわ。

90年代の始めはシルク・ド・ソレイユのミスティアが35ドルだったのが夢みたいだ。Open jaw 口ポカ~ンのすげ~というショウが見たい。
きらびやかでゴージャスで美しくて日常性を吹っ飛ばしてくれるショウ。ジュディ・オングと小林幸子を白人化して踊りまくり超美形の体操選手が色とりどりの衣装で「立体ステージ」の上・横・空中でパフォーマンスする。お~、見た後は知能指数が10くらい落ちた気がするが、すごいもん見た!とリフレッシュができる。

後ろの席は安いけが見づらいからどうしても不満が残る。でも、いい席は200ドル以上するから二人分は考える。そこで安売りチケット屋がある。

ストリップのあちこちにTix4tonightとかボックスがあるので、キャンセルチケットを探すのだ。今は携帯があるので、キャンセルが出た時知らせてくれてそれでチケットを押さえることができる。

ショーは6時半か7時から始まって2時間ほどで終わるからそうすると有名どころのブッフェディナーは終わっている。9時過ぎにも食べられる手ごろなレストランを探すのが大変。

次の日のランチはシーザースパレスのブッキャナンかアリアのブッフェが楽しみ。ただ、行列が長くなってホテルでも何とかクラブを作って会員を先に入れるようになったので会員になっとかないと。

カジノの盛衰は激しい。サビれたカジノからは人が遠のき、もっと人目を引く新しいカジノが次次とオープンしてニュースで報道される。

2010年ころは人手ががっくり減って、ストリップを渡る歩道橋にスッテンテンになった旅行者とホームレスが物乞いをしていた。
アリアの前の歩道橋を上がっていたら、ばったり知り合いの夫婦にあったこともあった。カジノは超うるさいパチンコ屋とタカラズカと競馬場と演舞場、映画館とショッピングモールと地下街を足したような街である。こんな街は世界中ここだけだわ。


日本人社会の狭さ

売り手のミカコとエージェントのタカコに買い手のおばちゃんで女ばっかり3人そろって売買のエスクローはそろそろクローズしようとしていた。

9月にタカコに呼び出されてファイナル・ドキュメントにサインする時になって、おばちゃんの姓名を改めて書面で読んでタカコが突然「xxxx姓」ってご主人はxxxにお勤めでした?と聞いた。

おばちゃんは、そうですが、言うと、タカコが、ウチの主人もxxxに勤めていましたと。
おば:えっ!? まさか。主人がよく話していた同僚のXXXさん?
タカコ:私の主人がXXXです。
なんと、まぁ。二人の旦那は半年前まで同僚だったと。
エスクローがクローズする今まで知らなかったと。これが外地の日本人社会の怖いとこである。

知り合った知人のルームメイトが、ウチで働いている子だったり。よく寄るお店の売り子が古い知り合いの娘さんだったり、。もぅ、どこが繋がっているのか怖ろしいのである。

従業員の面接をするときは、働いた会社を聞いて知り合いの名前を20人もあげてもらえば、どこらへんのつながりがあるか、わかってしまうのである。

外地だから同じ日本人同士助け合って、仲良く、、、いかない場合もある。会社の同僚なのに、嫌い合っているとか。パーティーでは参加者を聞き出して、あいつが来るなら絶対いかないとか、。

一番絶望的だったのは、Plaintif(訴人)とDefendant(原告)が同じ場所で訴人側の弁護士と一緒にバッティングしてしまったのである。裁判所でもないのに。

ちょっと違うケースだが、知人は夏休みに家族でニューヨークに遊びに行き、エンパイアステートビルの一階で肩をたたかれ、振り向いたらお家の隣の家族に会ったという。

私がもう一人の親友アイ子ちゃんと知り合ったのは、オンラインの掲示板。
その時彼女はウエストバージニアから書き込みをしていた。彼女の夫が学校を卒業してカリフォルニアに帰ると言うので、カリフォルニアのどの辺と聞いたところウチから車で5分だった。

ローカル・フリーペーパーの笑い話の投稿に、掲示板で知り合った人とOffで会いましょうと待ち合わせをして顔を合わせたら、いつも行く寿司屋の板前さんだったという笑えない笑い話があった。

売り手のタカコはどうなったかと言うと、サンディエゴからさらに別の州に引っ越した。後々おばちゃんが日本帰国を報告すると、なんと伊豆に家を買っていた。
それも、おばちゃんが今いる山を一つ越したところで車でわずか30分だ。お互い伊豆には地縁も他縁も何もない。

少額裁判 外伝 秘書を突破する方法

さてコンピュータースキルはおばちゃんをすごく助けてくれた。

例のエステティシャンのせいでコートに行くことになってしまったが、彼女の違法行為を立証するのはなかなか難しかった。密室で第三者がいなかったのね。幸いと言うかおばちゃんはエステで施術を受ける2時間前に整形外科にボトックスを射ちに行ってた。クーポンを配ってて安かったんだよ。

ドクターが注射を打つ前におばちゃんの眉間(マイクロソフトのおかげで皺が深くなった)を撮影し、注射を打った後にまた写真を撮った。
そうだ!あの整形外科のカルテ・コピーがあれば、少なくとも同日2時間前の顔にレーザーの跡はなかったことが証明できる。

おばちゃんは早速整形外科に電話し秘書に要件を伝えたが、断られた。この国では患者にMedical Releaseの権利がある。自分のカルテをコピーしてもらう権利がある。それなのにこのドクターも秘書も外国人で患者の権利に疎いらしい。困ったわ。

おばちゃんは手紙を書いてカルテのコピーが欲しい。コピーなどの事務費は払いますとクリニックに送った。秘書から返事がきてドクターはこのような要求を受けません。患者の権利を知らないらしいクリニックにホントに困ってしまった。

弁護士を使えば確実にMedicalReleaseはとれるけど、証拠固めの段階でコスパが悪すぎ。おばちゃんはどうしたらドクターKに直接こちらの要求を伝えられるか考えた。電話では秘書の壁が突破できないから郵便を使うしかない。

秘書が封筒を開けずにドクターに渡すようにするにはどうしたらよいか?
この国で暮らしていてビジネスをやっていて一番緊張する郵便物はガバメント系である。

白の横長サイズ10封筒で左端に州のロゴが付き、差出人の役所フォントはHelveticaだ。税金の未払いとか、ライセンスの更新とか、クレームの通告とか、。秘書にはさわってほしくない封筒であったりする。

そこでPhotoshopの出番である。まず同心円を書きフリー画像でギリシャの女神像を拾い女神の背景にリンゴの木かなんかを配置する。オレンジの木だと詐欺罪に問われるのも嫌だからね。

パイナップルでもよかったかも。同心円の間にネットで拾ったラテン語を円のカーブに沿わせて配置する。

確か「税金は払ったか」だったような気がする。ロゴの下にはこれまたラテン語で「鉄は熱いうちに打て」を配置した。
そのロゴをサイズ10の封筒の左端に印刷し宛名は無論ドクター本人宛てである。

中の手紙にはMedicalReleaseは患者の権利であるので私のカルテのコピーと顔の写真を送ってくださいとお願いした。事務費として10ドルの小切手と返信用封筒を同封した。返事が来た。チャンとカルテのコピーが入っていた。小切手はそのまま返されてきた。


カバーレターがあってドクターKは何故かすごく怒っていたみたい。おばちゃんはOCに住んでるから封筒に住所OCと書くのは不思議じゃないし自作のロゴはメディカル・ボードや州政府とは似ても似つかないから、おばちゃんは何も間違ったことをしていない。

Eate you alive!

ほんの出来心だったんである。軽い冗談のつもりだった。

ニャ―にゃんは相変わらずおしっこ掛けが止まらず、おばちゃんは絶望的にソファの拭き掃除をして、その日チャイニーズ・スーパーに行ったら生の竹の子が買えたので、おばちゃんは嬉しくてキッチンで竹の子の皮を剥いでディスポーザーで砕いて始末しようとしたら、繊維が詰まってディスポーザーが壊れてしまい、

アパートの管理に電話をして、修理をリクエストし、メキシカンのハンディマンがやってきて壊れたディスポーザーを外して、すぐ戻ってくると出て行ったきり夕方になっても戻ってこず、

そういえば今日は金曜日で、5時過ぎにメキシカンが間違っても仕事に戻ってくるはずがないことが確定してしまい、この間、怪我をした右足の甲はズキズキ痛んで、

それと言うのもシ、シアーズにショッピングに行ったらつるつるのビニール包装の重い重いブロックが胸の高さに積んであって、それが滑って足の甲を直撃しおばちゃんは怪我をし打撲と流血だったにも関わらずシアーズの裏の事務所でバンドエイドを一枚張っただけでソーリーとも言われずに、むかむかしていたんである。

スーパーの買い物を下ろそうにも、ウチのパーキングのロットは部屋から遠いので、一番そばのロットにとりあえず止めて荷物だけ下ろそうとしたところ、ロットの持ち主に怒られてしまい、

おばちゃんは足が痛いので、ケンケンをしながら
荷物を一つ一つ部屋に運んで、、、キッチンのディスポーザーが壊れたんである。いろいろ、フツフツと人生が煮えた。

斜め向かいのベトナム人は最近子犬を飼ったらしく、一日中ひゃんひゃんと鳴いているのが傷に響いた。
これは家庭教師だったスージーの憶測だが、斜め向かいのベトナム人は家族で、観察するところガバメントの何かのプログラムにあずかっているのではないか、と。働いているようではないし、例えば難民プログラムだとか。

税金を払っているかどうかはおばちゃんはどうでもいいが、犬はしつけて欲しい。子犬を飼ったらドッグスクールに連れていって、最低限のしつけをして欲しい。散歩に連れていっているようではないので、子犬が無駄鳴きするのも飼い方を知らないのかもしれない。

とにかく暑くて窓は全開にしている季節だったから、子犬の鳴き声はよく響いておばちゃんのイライラを増幅した。おばちゃんはもう6時だしバドワイザーをブシュッと開けた。バドはかったるいビールだと思う。

味が頼りないのでおばちゃんはジムビームに切り替えた。香ばしい花のような飲み口でその晩はどんどんグラスがすすんでしまい、おばちゃんはすっかり酔っぱらってしまった。

そうしたら、例の子犬がヒステリックに鳴き始めおばちゃんはキッチンに行くと網戸にした窓から子犬に向かって

「黙れバカ犬、黙らないと生きたまま食っちまうぞ」
と英語で叫んだ。
それが聞こえたか聞こえなかったかは知らないが、子犬はどこかへやられたようだ。犬を食べる民族と思われたのかもしれない。

おばちゃんは自分が書いたブログを読み返してみて、いたいけな子犬を脅かしたり、役所の職員を怒鳴ったり
近所の人と喧嘩をしたり、短気でがさつでこらえ性のないアカン人のように見えて、ちょっと落ち込んでいるのである。

おばちゃんは本来争いごとが嫌いで、対戦するようなスポーツはとてもできず、一人本を読んだりコンピューターをいじったりすくない友達を大事にしてたまにおしゃべりする静かな人であった。はず。

東京ボンバーズ

若い人は知らないかもしれないが(これをいっぺん言ってみたかった!)東京ボンバーズって知っているかしらん?
ローラーゲーム!70年代のアメリカ直輸入のスポーツ番組で傾斜したトラックを2チームのローラースケートチームが相手をつぶしあいながら、トラックを何週かごぼう抜きすると勝が決まる。

長い金髪をなびかせたアメリカ人の女の子が、日本人選手をどつき、髪を引っ張ったり、蹴倒すなど悪行の限りを尽くす。
お茶の間に放映されたがこんな野蛮なゲームを女の子は見てはイカンと親に禁止されたスポーツ?番組だった。

アメリカ人チームは悪辣で、日本チームのエース佐々木ヨーコを審判に見えないように背後から髪を引っ張ってバランスをくずさせ、倒れたヨーコを別のアメリカ人チームメートが蹴るのである。

華奢なヨーコは、海老のように丸まりそれでも憤然と立ち上がってコースにもどり前に出ようとするところを、さらに肘ウチを食らって、レールにもんどりを打つのであった。

番組の終了10分前になると、またも足を引っかけられ倒れたヨーコは審判にアピールするのだが、アメリカ人の違反の時だけあさっての方を見ている審判はノーカウントを宣言する。

怒りのあまりヨーコはついに自分のヘルメットをトラックにたたきつけて、トラックに猛然と突進し、邪魔するアメリカ選手を肘ウチでレールにすっ飛ばし、つかみかかってくる金髪を肩で突き飛ばす。

日本人チームメートのアシストを受けて、ヨーコは彗星のようにグループの先頭に飛び出し、満身創痍の勇者はコースを一周し、東京ボンバーズは勝つのだった。

忍び難きをしのび、耐えがたきを耐えてから相手をぶちのめし、勝利を勝ち取るのである。

相手が何もしないのにいきなりキレたら、それはただのアブナイ人である。

おばちゃんも「忍び難き」と「耐えがたき」がいろいろあったのだが、「忍び難き」はあんまり思い出したくない。「耐えがたき」を思い出すと暗くなる。
おばちゃんが怒鳴ったり喧嘩したりしたが、それは忍び難きと耐えがたきがあったからと思っていただきたい。

おばちゃんは今静かに、伊豆の山で庭の草取りをしながら、おだやか~な生活に感謝している。
おばちゃんは静かな人である、スイッチを入れなければ。

ケンカの達人 ジョイス

アメリカで戦い方を教えてくれたのはいろんな人だった。なかでも親友のジョイスは、アメリカ人にどんなふうに交渉すればいいか目の前でお手本を見せてくれたときもあった。当て逃げのアメリカ人を通せんぼして止めたのも彼女だった。

ジョイスは客家系の台湾人である。中国人がケンカをするとき、相手のしゃべるのを聞きながら自分もしゃべり、双方同時にしゃべりながら言い合いをする。相手もジョイスもしゃべるのを止めない。自分がしゃべっているのに、相手の言うことを聞いているの?聞いてる、とジョイスは言った。
中国人は特殊だと思う。

普通のアメリカ人も同時にしゃべり倒して言い合いをしているのはよくある景色だった。相手のしゃべることをたぶん聞いてはいるが理解していない。
おばちゃんも、何度も相手と言い合いになった時があり、その中でふと相手が何を言っているか聞こうとして、自分のしゃべりを止めると、、負ける。

150センチあるかどうかの小柄なジョイスが、大きなアメリカ人に一歩も引かず、相手の矛盾をつぶしていきついには相手が黙ってしまうのだった。

私がかかりつけ(PCP)ドクターにアポを取りたいのだが、電話をしても受付で予約がいっぱいで2週間先になると言われてしまった。と愚痴をこぼすと、ジョイスはもう一度電話をしてこう言えと言った。If somethinge happen on me, Dr. A is all responsible under the law.私が教わった通りに秘書に言うと、秘書はエマージェンシー料金を25ドルもらうがいいかと聞き、次の日に予約をねじ込んだ。やれば、できるじゃないか!

とにかくPushせいと言われた。色んな所で、いろんな人がPUSHしろ言った。物事を動かすためにはPushが必要。
Fightともいわれた。この場合のファイト/戦う は物理的に争うことではなくて、自分の立場を明確にし自分の立場をサポートしてくれる意見や証拠や人を固めて、正義のラインを自分の方に引き寄せること。

保険の査定や契約違反や交通違反で捕まった時や行列に横入りする奴をはじき出すときも戦う。戦って決着がつかなければ、法廷に行って解決が気に入らなければ、結局コブシでカタつけるいると言うのもまたアメリカだった。

遅刻の達人

ジョイスは約束の時間が守れなかった。”貴方が来れる時間に”って約束するのだけど、約束の時間に間に合ったことがなかった。サンフランシスコで1度、ラスベガスで1度、飛行機を遅らせたことがあるからたぶん治らないと思う。

渡米して最初の年にESLで知り合ったのだが台湾系の客家だった。その時点で彼女は20年ほど住んでいたので、英語のおしゃべりに不自由があったわけではなく、文法がダメとか英文が書けないとかの自覚があったみたいで、カレッジの作文クラスや文法のクラスをとっていた。ただし、ファイナルまで受けてクラスを終了することはほとんどなかった。

何故かというと彼女の親戚たちは学校の試験時期などお構いなしに訪ねてきて、そうするとジョイスは親戚のおもてなしが最優先になってテストをほっぽらかす。学校の事務局からはこれ以上ドロップするクラスが増えるともうクラスの登録さえ許さないと最後通告を受けていたが、どれほど止む得ない理由があったかと窓口で力説するので事務の方が根負けするのだった。

電気ガスなどのユティリティの支払いは請求書を受け取って期限までに支払えないので、ガス電気水道アソシエションなどすべてのハウスホールドにかかわる支払いの窓口(地上オフィス)の場所を知っていた。

期限当日に請求書をもって窓口まで行くから約束のレストランで待っていて彼女が走ってくると、まず、なぜ遅れたのか事情を15分は聞かされる。誠実な人柄で信義に厚いのだが、時間と納期だけは守れない。

旦那デービッドの愚痴やガールズトークなどおばちゃんの英会話は彼女で鍛えられたようなものだった。レストランでご飯を食べ2時間おしゃべりをしてそれ以上テーブルを占領するのも申し訳ないから外に出て、駐車場で立ち話で話していると、アメリカ人のティーンががやがやと側を抜けてファーストフードに入り、出てきたら同じティーエージャーが同じ場所に立っておしゃべりを続けている私たちにあきれて、女ども早よウチ帰れ!と言われた。

ある時はショッピングモールのフードコートで待ち合わせ、さんざんおしゃべりをして周りのテーブルにも人がいなくなり、モップを持ったジャニターが掃除を始めても動かず、でも膀胱の方が満タンになってきたので二人で御手洗いに行ったら用をたしている間にトイレも電気が消された。

フードコートにはもう誰もいなくて無論電気も消えていた。キャー怖い!と私が言うとジョイスは前はどこそこのモールで閉じ込められたと言っていた。出口の鍵はまだかかっていなかったので助かった。

家族とか親族とか友達にはとことん尽くす。アメリカ人に理不尽なことを言われたら、こう言いかえせとかこう戦えとか、アメリカで生きていくためには何をわきまえて何をすればならないのか教えてもらった。ただ、時間は守れなかったけど。

直伝の餃子

ジョイスは客家出身で台湾経由でアメリカに来たから、ジョイスが作る餃子が中国人の伝統餃子だと断言はできない。ある時、夕食に招かれていたので時間に行ったら大慌てで準備中だった。若きおばちゃんは料理が嫌いではなかったので、一緒に作ろうと言って手伝った。

餃子の具や包み方は家それぞれの伝統があるのだという。ジョイスは白菜を微塵に刻んでいた。ボールの白菜を短い時間電子レンジにかけ、ギューッと水を絞った。
味付けの塩や調味料を入れた。(ここはよく見てなかった)ひき肉を混ぜて白ワインを少し足した。台湾だったら紹興酒なのかも。ネギも玉ねぎもニラもニンニクも入れない。

焼き方はフライパンで蒸し焼き、鍋貼だった。もしかして私のことを考えて、あえて鍋貼だったのかもしれない。出来上がった餃子は唐辛子ソースオイル?HotOilをつけて食べる。酢醤油は付けないの?と聞いたら酢醤油って何?とそういえばレストランでも酢醤油はないもんね、。

ジョイスはFreshなおかずはいつ作るの?と私に聞いた。FreshFoodsが分からない。いろんな角度から話して分かったことは、ジョイスは家族全員がそろっている日曜日に大鍋いっぱいのスープを作る。これが今週のスープ。それと何種類かのおかず。

で、次の日はスープを温めておかずを温めて、目先を変えてスーパーの蝋肉(チャーシュー)を買ってきておかずに追加したりするらしい。

はぁ、そうかそれで分かった。このさっきから何だろうと思っていた黒いチャーシューは何回目かにチンした中華スーパーの蝋肉(チャーシュー)だったのだ。私もよく買ったけど、買った当日は赤っぽいのね。何回かチンすると黒くなってくるのだ。

油の使用量も質問がかみ合わなかった。ジョイスは1月に30リッター缶を何缶使うの?と聞くのだが私は3~4か月に500ミリを1本使うかなぁ?と答えたりしてお互い質問が間違って聞こえてるのだと思っていた。ジョイスはその時下の娘が3人家にいたから5人家族で多分30リッターの油を2~3缶使っていたのだろう。


お互いの食文化が違いすぎて信じられなかった。だって、ほうれん草のお浸しは塩を一つまみ入れて茹でると言ったら、えっ?青菜は油を入れて茹でるものでしょう?と返事が返ってきてお互い驚いた。

ジョイスの家はきれいだったけど、この油の使用量のせいで中国人の住んだ家は買うものじゃないと言われていた。インド人のキッチンもスパイスが染みつくので同じく買うものじゃないと言われていた。

まぁ、ジョイスみたいに今週のスープとおかずを週末にまとめてお料理をするのがどれほど中国的に伝統的一般的なのか分からないけれど、二人でおしゃべりをして夜の9時に帰ってもジョイスはチンすれば家族に夕食を出せるわけでそれが女二人でゆっくりおしゃべりできる秘密だったのだろう。

純白のジャガー

ジョイスの前の旦那は台湾人で母親が宝石商だった。乗っていた車がジャガーで、ジョイスは何かジャガーに特別な思い入れがあるようだった。

中国人も韓国人もベンツ大好きなのに?ジョイスはあくまでもジャガー、白のジャガー。

デービッドが乗っていたのは古いホンダでジョイスはBMWだった。ホンダが限界になりとうとう真っ白なジャガーを買った。ジョイスのBMWはデービッドに下げ渡しになり、普段はジョイスがジャガーを運転していた。

ある時二人で旅行社に行ってバケーションの相談をして外に出ると、ジャガーの周りをポリスが取り囲んでいる。運転手はお前か?と聞かれデービッドがそうだと答えると登録証を出せという。

ポリスは登録証をパトカーに持ち込んで照会を掛けた。さらにポリスはこの車はお前の車ではないといい、押収するから車から自分の持ち物を出せといい、トランクも開けてテニス用具だとか荷物を全部下ろさせた。レッカー車を呼んで引いて行ってしまった。

その頃には、モールのにいた買い物客も野次馬になって眺めている。
デービッドは何を言ってもポリスに相手にされず恥ずかしさと困惑でわなわな震えていたという。物静かな人が、。

タクシーで家に帰って電話をかけまくると、ドジをやったのはローンを組んだ銀行だと分かった。ディーラーから買って名義変更を忘れたのだ。ジャガーを取り戻さねばならない。

真っ白な新車のジャガーはその時、ポリス御用達しの露天のジャンクヤードに放置されていて、引き取りに行ったときは、新車のボディに擦り傷がつき運転席はドロドロに汚れていたという。

デービッドは激怒してとにかくドジをやったのは銀行なので今月のローンは絶対払わないし傷ついたボディを何とかせい!と抗議していた。名義変更を忘れるのもアメリカよね。

先日、これまた物静かでホントにいいひとだったSさんが荒れ狂って一枚の写真を公開していた。家の中がハリケーンが通ったみたいにひっちゃかめっちゃかになった写真。
奥さんと一緒に家に帰ってきたらドアが開けっ放しで惨状が見えたそう。めちゃくちゃにしたのはFBIだった。隣の家と間違えて家宅捜索したんだって!

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