海外から猫を連れて帰国する

IDチップ

アメリカからペットの猫を日本に連れて帰るにはかなりシンドイ手続きがいる。ポイントはIDチップとワクチンと時間だ。
猫を連れて日本に帰国することを考えておられる方がいたら参考に手順を書いてみたいと思う。

ナナちゃんと八助は生後6週間でAVIDのマイクロチップをうめこんであった。定期検診やワクチンの証明書など
生まれてからのすべての診療記録も保存してあった。追加の狂犬病のワクチンは一度だけ、時間についてはかなり順当に連れて帰れたと思う。

帰国を思い立ってもIDチップも狂犬病ワクチンの証明書もなければ最低8か月の準備期間をみておかないと時間が足らず連れて行くのが難しい。ふと帰国を思い立って連れて帰れるものではないので米国でペットを飼っている人に警告しておきたい。

日本語でも英語でもペットを日本に連れて帰るための手引き書があるの。どちらでも内容は同じだが、最新版の日本語版は用語が日本語化されているので英語版と突き合わせて読むと理解が深まる。

第一段階 IDチップ/マイクロチップ


手引書にもあるがまずIDチップの埋め込み。IDチップを打ちこんで初めて固有ペットの特定ができる。例えあなたの猫が毎年3年ごとの狂犬病のワクチンを打っていてもIDチップが入っていなけれそれまでのワクチンは無効である。

IDチップを打ってからワクチンの2回接種がいる。IDチップの打ち込みと同時に最初の1回めのワクチンを打つことは
認められている。

成田の検疫で要求されるIDチップはISO規格である。もし、これからIDチップを打つならISO規格かどうか確認し、
そうでないならISO規格のIDチップを打つVETを探す。

検疫にはIDチップを読み込むスキャナーがあるがISO規格だけではなく米国内で使用されているメジャーなIDチップはカバーしている。成田検疫のスキャナーのモデル/種類は検疫でリストが公開されている。

しかし、2000年の初めのころにウチのナナちゃんと八助に打ったIDチップはISOではなく当時アメリカのメジャーではあったが成田のスキャナーで読めるかどうかは100%の確認が取れなかった。最後の1年は日系の獣医に変え、彼女のスキャナーではウチの子2人ともスキャンできたので、成田でもたぶん大丈夫だろうと言うことだった。

IDチップがISO規格でなくて成田のスキャナーで読み込み可能でない場合、読めるスキャナーを自分で持参し成田に携帯することが可能だった。

もし、すでに埋め込んでいるIDチップの規格がISOでなく、成田の検疫のスキャナーが読み取り可能かどうか確信が無くかつ、読み取り可能なスキャナーを米国内で手に入れることができない場合新たにISO規格のチップを埋め込むことは可能だが、その埋め込みから2回のワクチンを打たねばならぬことを理解されたい。

つまり過去に打ったワクチンはカウントされない。あくまでもIDチップにひもつけられたワクチンが2回接種が必要なのだ。

おばちゃんは念には念を入れてスキャナーを持参しようと思い調べたが、二人に打ち込まれたIDチップの会社は
新規スキャナーの製造をすでに中止していた。
だからEbayで昔の規格のスキャナーを2回購入したのだが、どちらもナナちゃんたちのIDは読めなかった。

日系獣医はまず大丈夫だというのだが、もし成田のスキャナーがIDを読めなかった場合は、読めるスキャナーを手に入れるまで検疫に収監されるか、あるいはすでになくなったアメリカの家に送り返されることになる。
そんなことになった、らおばちゃんは成田検疫の軒先を借りて首をくくるつもりだった。

ワクチン

IDチップの規格をクリアしたら次は狂犬病のワクチンである。狂犬病のワクチンにも規定がある。過去の射ったワクチンのCertificateを確認してみよう。そこには
ワクチンの種類
ワクチンの製造会社
製造ロット番号などが記載されているはず。

この中で一番重要なのはワクチンの種類である。日本国が受け入れるのは、
inactivated / killed virus vaccine あるいは
recombinant / modified vaccine のみ。

Certificate上のワクチンや製造会社によっては種類の表記が違うことがあるのでVetにワクチンがActiveかInactiveか確認を取ろう。もし、Activeワクチンを受けていたら日本では入国が許可されないので帰国を遅らせInactiveワクチンを射ちなおす。

定期的にヘルスチェックとワクチンを受けている場合なら1年-2年前のワクチンを一回目とカウントし、帰国年に2回目のワクチンを射つ。そして狂犬病の抗体検査を行う。

最新の入国手引きによると、2回目のワクチンと同日同時に抗体検査のための採血が可能になった。抗体検査は日本が認める米国内の機関(私の時はカンサスだった)でないと認められない。この機関リストも手引書にリンクがある。Vetのクリニックが日系であれば、間違えることは無い。

抗体検査の結果、抗体値が0.5IU以上あれば条件をクリアである。抗体検査のため血液を採取した日を0日として
180日の待期期間が始まる。180日以降に出国日を設定せねばならない。

警告


本来狂犬病のワクチンは3年に一度くらいの間隔で接種しているはず。Vetには最低1年の間隔を空けるように接種を推奨されていると思う。
何故なら1年以内に複数回の狂犬病のワクチンを射つとワクチン性の癌が発生する危険がある。

隣のジャネットは猫のスーキーに定期的にワクチン射っていたがCertificateをちゃんと管理していなかった。
猫の具合が悪くなり、行きつけのVetはあいにく夏休みで別のクリニックに連れて行った。
そこでは、狂犬病のワクチンの接種済みを証明するか今この場でもう一度接種するかしなければ診療をしないと言われ、
仕方なくもう一度ワクチンを注射した。しばらくたって、猫のスーキ―の注射の患部は癌化し手術した。

繰り返すが、日本国の規格に合った2回のワクチン接種が証明されねばならない。Vetに接種された2回の内1回がActiveであったら日本入国はできない。

Inactiveのワクチンを2回接種して入国条件がクリアできる。1年未満の間にワクチンを複数回射ち直すことになる場合は、猫の健康に高いリスクがあることを認識されたい。

前項のIDチップでも、IDチップのスキャナーが手に入らずISO規格のチップを入れ直すことを考えておられる場合、
ISOチップにひもつけて短い時間で2回のワクチンを接種する場合もまた高いリスクがある。

この上記のトラブルと健康リスクを回避ためには、最低帰国時期を1年遅らせ帰国計画を仕切り直すことも考えに入れたほうがよい。

猫を連れて日本に帰国する時は、思い立ってチケットを購入して連れて帰ることは不可能であると思われたい。

少なくとも1年以上前から計画し日ごろから猫の診療記録Certificateなどを管理をしておくこと。
そして帰国年にはもし可能なら日系のVetに転院してワクチン注射、抗体検査と最後の健康診断を依頼すると安心度が増す。

届けい出書


180日の待期期間以降に出国のフライトを決める。
フライトの40日前になったら帰国予定の空港の検疫所に届け出書を提出する。
コンタクト方法は:NACCS、ネット、Faxどれでも可。入国予定の空港の検疫のコンタクトリストも掲載されていて提出書類のリストは同サイトからダウンロードできる。
提出書類は:届け出書 抗体検査証明書 ワクチン接種Certificates FormAC

この項のポイントは3つ
1)検疫にまず届け出書を提出しケースオープンするので 要求される書類を提出し
 (数回の送信返信があると想定されたい)
  最終的に届け出受理書を受け取ること。届け出受理書は飛行機のチェックインで見せて初めてペット搭乗が可能。

2)フライト予定日10日前からフライトの前までにUSDA Certifiedの獣医師で最後の健康診断を受けること。Vetのサインを忘れると無効

3)健康診断書と上記すべての書類を揃えてフライトまでにUSDAで 輸出書類の裏書スタンプを取得すること。スタンプが無ければ 書類は無効である。

それぞれのポイントを解説します
1)ダウンロードした届け出書に記入して到着予定の空港の検疫に提出するが、ペットが複数なら1匹につき1セットの書類を提出する。届け出書を提出した後、検疫から返信してケースがオープンする。検疫はワクチンの証明書、自分で記入するFormAなどを送るように言ってくるので書類を送信する。

FormCは最終の健康診断書だが、これはUSDA Certifiedの獣医である必要があった。かかりつけの獣医は資格があるかどうか確認してね。
現在、最終健康診断はフライトの10日前以内に行う。ケースオープンしていろんな書類を送った。何故か検疫からFormCを送れ!と言われた。

FormC/は最後の健康診断である。スケジュール的に30日も先。当然まだ診断は行われていない。
診察をしないペットに30日の先付け日付で診断書/FormCを出す獣医は米国(もしかすると日本にも)にいないが、
そこは日系の獣医に変えた利点で、同じ日系として説得した。

曰く、これは日本国検疫の予行演習であるので、形だけエンピツで記入していただいてサインはしなくてもいいです、と。
日本の検疫には:診察がまだなのでFormCにサインはできないそうですが、FormCはとりあえず項目に記入してもらって送ります、と送信した。

書類はアプルーブされ届け出受理書が送られてくる。届け出受理書はペットごとに受理ナンバーが振られ帰国予定の空港の検疫は、いつどのフライトでどんな猫が検疫に到着するのかすべての情報を持っている
ことになる。

フライト予定の10日以内に最終健康診断を受け、受理書とすべての書類をもってUSDAに書類の裏書スタンプ
をもらう。

フライト当日:チェックインで輸出許可と受理書を見せて搭乗。入国空港検疫は、届け出書にある猫の個体識別を
スキャナーで確認すれば、拘留期間なしで入国ができる。

念のためすべてのオリジナル書類とCertificatesはコピーを取り2セットのうちコピーは機内預けのスーツケースの中に。
オリジナルは手持ちで成田まで持参した。

USDAも日本検疫も役所であって国家の規則ルールで動いている。融通や例外は一切期待できない。USDAの裏書スタンプで失敗が無いように私たちはスケジュールを練った。

南加州のUSDAの窓口時間は月曜日から金曜日時間は7時半から11時まで 午前中のみ 予約不可
もし書類に不備が発見されても2-3日後に再度提出できるように
・週の初めにUSDAに行く
・週の初めにUSDAに行けるように、最終健康診断は木曜日から週の末に行う
受け付けは午前中のみなので、トラフィックで遅れたり迷ったりしないように前の週にEl Segundoオフィスまで下見に行った。

USDAの窓口の悲劇

USDAの受付で待っているときに私たちは恐ろしいものを見た。一番多い間違いはIDチップとワクチン接種期間を理解しておらずマイクロチップが入っていない時期のワクチンも2回にカウントしていたオーナーが多かったこと。

少なくとも3~4人は書類をチェックされた時点で返された。マイクロチップを入れてから2回のワクチンが必須だ。
マイクロチップの埋め込み=個体の特定特定の個体にワクチンを2回接種すべし。

健康診断をした獣医がFormCににサインをしていなくて申請書を突っ返された人、
玄関先で必死にVetに電話を掛けていたがVetが捕まらなかった。フライトが1日-2日後に迫っているのは他人にもよくわかった。
電話口でVetはもう帰った!と絶望的な返事を聞いたらしい。11時までにサインをもらってここ窓口に帰ってこられなければ、フライトをキャンセルするしかないのかも。

気の毒だったのはスウェーデンに出国予定の男性。届け出書に不備があってUSDA窓口の黒人のおっさんから
何度も突っ返されていた。
聞くともなしに聞いていると、これは可哀そう。窓口のおっさんに言わせるとスウェーデンの輸出届け出書が古い形式なのだという。最新版をダウンロードして書き直せと言っている。

スウェーデン人?はスウェーデンの検疫サイトでダウンロードできる書類をダウンロードしているので、そのほかに公開されている最新版フォームは無いんだ!最新版なんてどこにあるんだ!
と泣きつかんばかりに抗議していた。黒人のおっさんは国家の公式表明をするだけである。

窓口の書類チェックで何人も返されている申請者たちを見ると、皆必死だった。2017年当時、健康診断がフライトの1週間前で時間的余裕がほとんどなかった。
フライトが金曜午後か土日なら健康診断とUSDAの裏書とを実質の平日5日間内に収めねばならない。

もし、フライトを木曜日に取ったなら健康診断とUSDAは月火水の3日間で済ませねばならぬ。健康診断とUSDAのどちらか一つに不備があれ木曜のフライト/出国はアウトだった。
窓口に11時過ぎにやってきてすごすごと帰った申請者も多分多いだろう。
金曜の11時5分に窓口にやってきてフライトが週末ならアウト。

ペットを連れて出国するのは、ワクチンの接種間隔も待期期間も健康診断もUSDAも常に時間と
スケジューリングが大問題だった。

猫のキャリアー


航空会社のページにはペットを連れて旅行する場合の情報ページがある。

私の場合はフライトはJALで、JALの場合はペットのキャリアーは航空輸送用で飛行機マークがついていて、
キャリアーの中でペットが自由に態勢を変えられる大きさのキャリアーを要求していた。上記の規格のキャリアーを新規購入し、上下四隅を結索バンドで固定する。

航空会社にフライト予約を取った後、ペット輸送に関する誓約書に記入し送付する。キャリアーのサイズ縦・横・高さとペットの重量を連絡する。

当時JALではペットは客席内に持ち込むことは出来なかった。現在はコロナ禍なのでガラガラの機内にもしかすると
同乗できるかもしれない。ただ、緊張と不安で鳴くペットはほかの乗客の迷惑を考えると難しい。

90年代初め私が日本から連れてきた先代の猫は当時3歳で神経質な猫のために安定剤を飲ませていた。
航空会社の規則も緩くかったのだ。しかし現在は航空輸送するペットに安定剤を飲ませることは多くの航空会社で推奨されていない。窒息のリスクが高いので。

航空会社によりペットの輸送にかかわるルールは違うと思う。帰国予定の航空会社のページを参考にされたい。

費用
大雑把な帰国にかかる費用として2017年当時
一匹当たり
マイクロチップ埋め込み
+読み込みスキャナー(もし必要な場合$110-$130)
+ワクチン1回-2回分
+抗体検査料$350
+健康診断料
+USDA$121
+JAL$400
+AirFlight用キャリアー$26

帰国直後

母猫のナナと息子の八助はフライトの間お互い相手の声が聞こえるよう側に置くようにリクエストをした。
成田の検疫ではスキャナーも無事パスしてすぐ入国ができた。キャリアーの中にセットした飲み水は残念ながらこぼれていて輸送中に水分が取れたかどうかは不明。もし、日本の地方にさらに乗り換えで帰る方はトランジットの空港で
水が飲ませられる器具を持参すると良いと思う。

猫トイレは日本には持ち込んでこなかった。米国から楽天で猫用トイレと砂を購入して、一時落ち着く予定の
家に時間指定配達にしておいたので帰国してすぐ使えた。猫砂は日本製の方が臭いが少なくて優秀だと思う。

キャット・フードは帰国荷物で持ち帰ってきた。封を切らないカリカリ大袋と缶詰にオヤツを数袋。
届け出書を検疫でやり取りする間に封を切らない状態でキャットフードを持ち込むのはOK
と返事をもらっていたから。日本で販売されているキャットフードはほとんどがシーフード。チキンは数種類でターキーはほとんどないので要注意。持ち帰るなら大目に。

気をつけないといけないのは日本の気候/気温。我々は日本の大寒に帰国してしまった。
日本の家の暖房器具は灯油ストーブと炬燵だけであったので、カリフォルニア生まれ育ちの猫は寒さに震えあがった。
人間もだが。

もし、猫の健康を考えるなら日本の3月過ぎから9月ごろに帰国を計画することをお勧めする。特にショート・コートの猫は要注意。ナナちゃんは下毛がほとんどなかったので、寒さが応えるらしくコタツに潜ったまま出られず、トイレも我慢したので
膀胱炎になってしまった。低気圧と雨が降り湿度が高くなると体調を崩すようだ。

その後伊豆に住まいを定め、2年目くらいまでは、室内温度は20度を切らぬように温度管理が重要だった。
雨で気温が20度を切り、湿気で猫たちはてきめんにお腹を壊しナナちゃんは膀胱炎を発症した。

3年後にはナナちゃんのショートコートに下毛が増えた。とにかく日本の冬は寒い。5か月続く。
年齢が高い猫は大事にしてね。
あなたの猫も無事に入国できますように。2017年

ロングビーチ ルート47

おばちゃんは在米中怖ろしい経験は色々したがロングビーチのルート47だけは二度と走りたくない。

その頃おばちゃんとおじちゃんは休みのたびに、大穴が出た宝くじ売り場を訪れてロトを買うのが楽しみにしていた。カリフォルニア・ロトの当たり売り場はオンラインで公開されていて3回のジャックポットが同じ売り場で出ていたりするのだ。

その日に向かっていた売り場はローリングヒルズだったと思う。405を北上して710番に入ってからナビは車を工業地帯に誘導していった。

おばちゃんはおかしいなと思いながらも、脇道にそれようにも両側は工場の入口のように見えるし、対向車はトラックだらけだからそのままズルズル走って工場地帯の端まで来てしまったら突き当りは海で橋だった。

Uターンもできないし引き返す方法がない。その日はどんよりとした曇りで朝方降った雨で路面がぬれていた。恐る恐る橋に乗り入れるとそこは、!

工事中だったのよ!
路面はコンクリートでもアスファルトでもなく、穴あきの鉄板だったのよ!
穴から50m下の海が見えるのよ!穴あき鉄板は雨でぬれていて、登りなのよ。マップで見ると水平に見えるけど、橋は太鼓橋。おばちゃんのお尻は恐怖で縮みあがってアクセルがうまく踏めなかったわ。
滑るのが怖いのでギアをローに落とした。

おばちゃんは高いところが嫌い。橋も嫌い。高い橋はダブルで怖いのよ。まして海の上!
怖い怖い怖い。おばちゃんは泣きながら走った。おじちゃんは何も助けてくれなかった。

あんだけ怖い思いをしたのに、たどり着いたコンビニはすごくさびれていた。がっかりして10ドルだけ買って、日本スーパーによって帰ろうとすると、ナビがまたじりじりと47番に誘導しようとするのよ。
誰がその手に乗るか、バカナビ。できるだけ近道を通ろう47番から帰ろうとするナビと戦い東へ東へ走らせて、無事家に着いたのだった。

人生にもう少し刺激が欲しいとき、工事中のルート47を走ってみるといいと思います。

DNR 救命拒否

Do Not Resuscitate 救命拒否
おばちゃんは左胸にDNRと入れ墨をしようと思ってことがある。アメリカの医療費が高いからだ。

半端に救命措置をされて植物状態になって、あるいは後遺症が残って家族に莫大な金銭的・精神的な負担をかけてしまう場合があるからだ。だから一旦心肺停止の状態になったら救命措置をしないで欲しい。

その為に胸にDNRの入れ墨をする人がいる。おばちゃんはリビングウイルを用意してあったけど、いつも身に付けているわけではないので、病院用に入れ墨を入れることを考えていた。

実行することがなく日本に帰国したけれど、日本のドクターはDNRを尊重してくれるのかしらん?日本語で検索すると余命が限られた人のリクエストみたいに定義されているんだけどなぁ?

本家だといついかなる時でもDNR。余命?病気?まったく関係なし、心肺停止はいつでも起こる可能性があるわけだから。その時に蘇生措置をしないでくれ、という本人の意思。

言い換えれば、蘇生するチャンスがどのくらいあるか医師に決定してもらわなくて結構。本人が心臓が止まったらそれでいいのでさわらないでね。と言うこと。

もし、DNRを無視して蘇生措置をすれば100%訴えられる。裁判でも病院には勝ち目がないだろう。医師だって半端に救命してしまって後で告訴されるリスクを犯すより、何もしないほうが楽だと思うのだけど。

おばちゃんはショッピングモールの面接のときにリビングウイルを用意しておくように言われたので、それまでの手書きの遺言書を弁護士で法的に整ったものにして、隣のパン屋のジャネットとクリスに証人としてサインをもらった。

何故なら数年前、悪しき例をみてしまったから。ある日本女性が仲間とビジネスを始めしかし、リビングウイルも何も用意していなかった。ある日事務所で急死してしまった。

リース契約や名義はすべて彼女一人の名義で離婚して子供もいなかったので、彼女の死で何もかもが凍結された。ショッピングモール側でものすごく困った。物件のリース契約も凍結されて動かせなくなってしまったからだ。

結局、裁判所の裁定を1年待ち処理ができるようになった。と言ってもアメリカに身寄りがないので、別れたご主人が始末をした。もし、彼女が救命で心臓だけ動いてしまって植物状態でもなっていたら怖ろしく厄介な事態になっていただろう。

いつだったか母が、人間いつまで生きられるか分からないが、今日死んでもいいという日は無い。と言っていた。

そうかな?と思う。
おばちゃんは人の言うことも聞かずやりたいことをやってきて責任も自分で取ってきたつもり。今パタっと心臓が止まったとしてもそれなりの人生だったと悔いはない。

無尽蔵のソーダ水を飲む

静岡県のどこかの学校には、ひねるとお茶が出てくる蛇口があるそうね。四国のどこかにはオレンジ・ジュースが出てくる蛇口もあるらしい。

おばちゃんは一時ソーダ水のアディクトだった時があって、ダイエットコークがないと喉の渇きが収まらなかった。そんな時、家のすべての蛇口からソーダ水が出るようになってしまった。
ウソやおまへん、ホンマどす!
葉っぱもやってまへん! アル中は治ってます。

おばちゃん、夕方の6時だかにそろそろご飯の支度でもと思って、キッチンに行って水道の蛇口を開けると、、、、。いきなり道路工事の杭打ち機かと思うほどのカンカンカンカンカン、、と音と同時にしゃっくりしてるような水流が出てきた。おばちゃん、思わずキャーと叫んで後ずっさった。

水はばんばん音としぶきを散らしてシンクに飛び散る。
何だこれは!
おばちゃんは怖くなって蛇口を閉めた。とにかく水を使わないと料理ができないので、恐る恐る蛇口を開けると、カンカンカン、ブシュ、ブシュ、ブシュと痙攣するように水がほとばしる。また、蛇口を閉めた。

これは困った。
これが何なのか、どうしていいかわからず、リビングのそばの洗面所に行って蛇口をひねってみるとカンカンカンとブシュ、ブシュ、、。蛇口を閉める。メインベッドルームの洗面所に行って蛇口をひねるとカンカンカンとブシュ、ブシュ、、。家の中のすべての蛇口から同じ現象が起こる。

一体どうしたらいいのよ。
もしかして水を流しっぱなしにしたら止まるかも?もう一度キッチンに戻って、水道をだす、出す。
5分出してもブシュブシュ水は一向に静かになる兆候はなかった。いつもより水が白いように見えて、おばちゃんはグラスに水を汲んでみた。観察してみた。一口飲んでみた。
一瞬でぶ~と吐き出した。
何故なら炭酸水だったから。まぎれもない炭酸水。プチプチの。

これはもう専門家を呼ぶしかないと思い、プラマーに電話を掛けた。水道屋は、
水道:奥さんちのユニットの他で、誰か今日水道工事をしてない?
おば:したかもしれない。
水道:そのせいだよ。工事の時に水道管に空気が入ったんだね。
その空気が水道管をトラベルして、お宅のボイラーでぎゅっと圧縮されて水が炭酸水になっちゃったんだよ。たまにあるんだよ。家中の蛇口をみんな閉めて、ボイラーを停めて一晩置きゃぁ空気が抜けて治るよ。

おばちゃんは水道屋に言われた通りにして、翌朝起きたら治っていた。でも、せっかく炭酸水が浴びるほど出たんだから、少しぐらい貯めておけばよかったかな?バスタブに。

白アリと戦う

Fumigationという言葉を聞いたことがあるだろうか?
日本語だと燻蒸消毒とかなるのかな。シロアリを駆除するために家を丸ごと包んで消毒するのである。ウソやおまへ!

カリフォルニアの気候は乾燥してあったかくアリの天国である。もともとアリがカリフォルニアの原住民と冗談を言われるほど、アリはどこにでもいてシロアリもそのへんにいるのである。

おばちゃんが最初にウチのガレージ・ドアの前にパラパラと粉が落ちているのに気付いた。粉末の”本だし”そっくりの粉。おばちゃんはもしやと思って、家のアソシエーションに連絡した。

アソシエーションの返事は:シロアリの穴がどこにあるか調べて。ガレージのドアでも中心から内側ならあんたが自分で消毒して。外だったら消毒を予約して。

ガレージドアの厚みはだいたい8センチくらいだが、厚みの中心4センチより内側なら、住人の管理責任がある。消毒は自腹でせよ。と言っているのだ。

おばちゃんはドアを詳細に調べたが微妙だった。とりあえずアソシエーションの消毒を呼んだ。消毒のおっさんはドアの穴を調べて、地面に落ちた糞を調べて問題個所はかろうじて「家の外側」と判断してくれた。

おばちゃんは、念のためにガレジドアが接地する地面にも消毒してくれと言った。地面下にもシロアリは巣を作るのである。アスファルトの上から地下30センチくらいにぶすっと針をさしてガスを注入する。その後、家には問題が起きなかった。

ところが、ウチがテナントになっているモールがリノベーションの際にFumigationをすることになった。何せ、築40年は経っているビルである。パン屋のジャネットがモールのそばに家を買ったとき、すでにモールは20年も営業しており、この辺はシロアリにやられている家が多いのよと言った。

建物のどの辺がシロアリにやられているかもう調べない家丸ごと消毒してしまうのである。
ファミゲーションはまず建物をすっぽりテントで覆う。このテントが何を思ったかサーカスのテントのようにカラフルな色なのである。
町中をドライブすると、こんなところにサーカスが??と思った経験があるが、やっとそういであったのかとフに落ちるのである。

消毒会社からファミゲーションの手順と準備の手引きを渡される。猛毒ガスを密閉したテントに吹き込んで一日置くのである。毒性のガスであるから、ガスの送り込みが始まったらテントはシールされ内には一歩も入れない。死んじまうから。

テナント内部のすべての食品は2重のビニール袋に入れて、さらに冷蔵庫か冷凍庫で保管する。
ガスは壁、ガラス、家具には表面に付くが滞留はしないので仕舞う必要はないと。

食品を一つ一つビニール袋(消毒会社から支給された厚めのもの)にいれ口を絞ってクルクルひねる。さらに輪ゴムで縛ってそれをさらに2枚目のビニール袋にそっくり入れ口を絞ってクルクル、、2重の袋入れ完了。その作業が延々と続くのである。

お向かいのロミオのイタリアンはそんな面倒くさい仕事ができるかい!と、冷蔵トラックを1台レンタルし在庫をボンボン放り込んで準備を済ませた。

ファミゲーション前日、くたくたに疲れて帰宅して眠ったが、おばちゃん、午前3時ころふと目が覚めてしまいそういえば、なんか包み忘れたものがあった!おじちゃんを起こさないように、そっと着かえてそっと車をだし、モールに着いて包み忘れたものを始末して

帰ってきたら、おじちゃんが目を吊り上げて怒った。だって、忘れてたんだもん。

ファミゲーションは無事に済み、猛毒ガスは表面に滞留しないと言われていたが念のためあちこち拭き掃除して、ホッと一息つくと目の前にしまい忘れた爪楊枝があった。食品でもないわけだから、何気なくおばちゃんは爪楊枝を一本抜き咥えた。

次の瞬間、爪楊枝を吐き捨てた。爪楊枝は変なケミカルの味がし、ぶわっと唾液が湧き出しておばちゃんは水道に走った。口を念入りにすすいで、さらにすすいで恐怖にハアハアした。危うく”耳なし芳一”になるところだった。

金髪に惚れるな 一番アカンやつ

金髪に惚れるな若い日本人の女の子が働き始めて、アメリカ人の金髪よさげな男の子を見ると
大抵、キャーあの人素敵。かっこいい!と言うもんである。
それはしょうがない。

映画と外国テレビシリーズでしか見たことがない本物の白人美男が目の前にいるのである。
だが、おばちゃんは、言う。金髪はよせ。あんたは白人の真実を知らない。

「イギリスの皇室を見よ、アメリカのおっさんを見よ金髪ふっさふさのおっさんががどんだけ残っているか」
白人金髪碧眼のハゲ率は激しく高い!カレッジの年なのに、室内で野球帽をかぶる男の子は怪しい。
25歳まえにあ~あ。という羽目になるに決まってる。
       
金髪の女の子の場合はどうか。ハゲる心配はない。ねえ(若き頃の)おばちゃん!俺あんなきれいな子を見たことがないです。肌は真っ白で、足なが~いし。俺、ぽ~としてしまいます。
やはりおばちゃんは よせという。

金髪女は頭が悪い。
ちやほやされて育ったのでうぬぼれが激しくて性格が悪い。来たばっかりのあんたは知らんだろうが、
金髪の女性は出産のたびに少しずつ、髪が黒くなる。という研究結果もある。

いま目に見える外観に騙されてはいけない。さらさら金髪、ミルクの肌色、くびれた腰が、たった10年でガサガサ竹ぼうき(ホント!)のような髪、薄茶のそばかすで埋まった肌、テーブルの下に入らぬ腹。という変化が来る場合があることをおばちゃんは知っている。

確かに若い白人で金髪ブルー・アイズの青年、少女は美しい。色んな人種を長年見ていると、髪の色と肌、目の色は釣り合って生まれてくると分かる。明るい肌には明るい髪。日本人がいくら真似しようとしても不可能な遺伝子のなせる業。

金髪ギャルメイクの日本女子が、米国に降りたって本物のブロンドの前にきまりが悪くなり自前の髪に戻すのは留学生あるある話である。

ちなみに、おばちゃんが推奨するお付き合いのお相手は「日系人」3世かその辺。
アメリカの日系人の世代は4世がすでに40代を過ぎている。ただ、次々と来米する日本人が土着し、新移民は常に新一世と呼ばれる。

お付き合い相手が3世の場合は、下手をすると1世の世代が生きているかもしれないし、母国出身ということで、大事にしてくれる。3世4世は薄~い日本文化の背景があるアメリカ人である。

自分がアメリカ社会で失敗をしても、家族が日系人なら暖か~い目で見てくれるし、社会的経済的基盤は
しっかりあるので、そこに「横入」してぬくぬく暮らすことが可能である。
むろん、3世、4世でもぴーぴー言ってる場合もある。

海外で一番アカン奴


日本人ではないのに日本語をしゃべって近づいてくる奴。

胡散臭くて絶対怪しい。
ごくまれに、日本人の配偶者で気のいいひとの場合もあるが、大抵は危ない。日本人女で食ってきた男もいるのである。

たまたま近くに住んでいた男は、50歳も前なのにかかわらずリタイアしていた。

自宅を下宿屋にして、日本人留学生を3人住まわせていた。若い女を食い放題である。
それぞれの留学生は自分だけが関係があると思い込んでいるから、あわよくば、アメリカ男と結婚して永住権の夢を見ている。

ある時3股がばれて、私の彼よ、きーっと留学生同士が乱闘になった。2人が部屋を出て、30過ぎの”自分探し”が勝利者となり、男と結婚したと聞いた。

多分、ヒルのようにへばりついて男も逃げられなかったのだろう。結婚後に男はウチにフラっと寄ると、誰か日本人留学生で部屋を探している娘はいないかと、しれっと聞いてきた。知らなぁい。

アジア系好きはアメリカに確実にいるのである。留学生や”自分探し”が「求む!永住権」の札をぶら下げている限り、獲物に不自由しないのである。

もう一つ困る場合は:
日本人の配偶者で日本語がわかるにも関わらず、人前では絶対日本語を話さないアメリカ人である。
こちらは日本語が分からんと思っているので、同僚と日本語で内輪話やゴシップをしゃべるのであるが、後日、XXXのダンナだったと分かることがある。

しまった!食えん奴だ。
気をつけよう、日本語が分かる奴

アイ子ちゃん

アイ子ちゃんは当時無職だった。ダンナは学生だった。一人息子のジョージ君を日本語学校へ行かせるため停留所でスクールバスを待っていた。
同じくお子さんを持つ日本人駐在員の奥様と出くわすので当然皆さん同じ日本人としてご挨拶をなさる。日本を代表する会社の駐在員の奥様方であった。

「○○○商社の〇子でございます。」
「xxx商事のx子でございます。」
「△△△産業の△子でございます。」
アイ子ちゃんは困って
「無職のマッセルでございます。」

ご主人は確かに無職で学生であったが、バージニアから生まれ故郷のカリフォルニアへ、ロースクールの最終学年を終えるために戻ってきたところだった。

アメリカの教育制度のありがたいところで、年齢制限がない。勉強したいときにいつでも学校に戻れるのは素晴らしい制度だと思う。30過ぎても40過ぎても努力すれば人生の仕切り直しができる。

そもそもアイ子ちゃんとご主人は日本で知り合って日本で結婚しご主人は短大の教師、アイ子ちゃんはビジネスを経営していた。自然災害で地元の経済が落ち込んだのがきっかけで、ご主人の生まれ故郷カリフォルニアに移住することにした。

アイ子ちゃんはビジネスを売ったので、経済的には困っていなかった。
ご主人にこれからどうしたい?と聞いたら学校に戻って弁護士を目指したい、というのでダンナを応援することにした。その時で二人とも40を過ぎていた。

弁護士の旦那と結婚したのではなく、旦那を弁護士としてプロデュースした人。

私が当時バージニア州にいたアイ子ちゃんとどのように知り合ったかと言うと、掲示板であった。法学のクラス関係でどうしても2年ほどバージニアの大学で単位を取りたいというご主人とバージニアに2年ほど暮らしていた時に、周りに日本人はいない。

日本語を書けるWindows98があったのだが調子が悪く診てもらえるコンピューターショップもなく、それでも趣味のWebページを日本語で作りたい。アイ子ちゃんがが海外在住者用掲示板に質問を書き込み、カリフォルニアの私が読んで返信したのがきっかけ。

膨大なメールのやり取りでアイ子ちゃんのWebは完成した。同じころご主人のバージニアでの法律クラスの単位も無事に取れて、カリフォルニアに帰ってくる?!と報告があった。

カリフォルニアが故郷だとは全く聞いて無かったので、驚いたが、もっと信じられなかったのはアイ子ちゃんも私も同年代でさらにアイ子ちゃんの家がウチから5分だったこと。

アイ子ちゃんの家転がし


アイ子ちゃんの得意は家転がし。
大阪商人で不動産屋だったお父様の代わりに学生の時代から家作を管理していたから、不動産の目利きは確かだった。本業は色々変わったが家転がしは余技。

そもそも彼女には家は一生に一度の買い物とか、終の栖とかの観念が無かった。家族の構成が変わるとか仕事の通勤に便利かどうか価値として上がりそうな家を買い、価値が上がったら売る。気軽に転居して資産として住替えていくもの。

これから発展する土地で人口が増える街ならねらい目。人気の場所でも高くなりすぎた物件は手を出さない。築。古かったり売りにくいから。

アメリカで最初に買った家はタウンハウスだった。バージニアに行っている間にタウンハウスは人に貸し、OCに帰ってご主人のジョンがバーイグザムをパスしたので、今度は内陸に家を探し始めた。

内陸の法律事務所からジョンにオッファーがあったから。OCのタウンハウスは買ったときの2倍の値段で売れて、それを頭金に内陸に一軒家を買った。

モデルハウスってわかるだろうか?デベロッパーが購入者に内覧させるためモデルとして建て公開している家。分譲が終わるとモデルハウスが最後に売り出され、新築なのに相場より安い。まあ、嫌がる人もいるから。ジョンはいずれOCにまた戻るつもりなのでアイ子ちゃんはお買い得のモデルハウスを買った。

経済は上り調子でローンの利率は下がり反対に家の価格は上がっていった。
2007年から2008年には経済は完全バブル化し家の売買は過熱化して、アイ子ちゃんの頭の中で警報が鳴り始めた。バブルはいずれはじける。
2009年には自分で家を売って売買書類の処理はダンナのジョンにやらせた。家は買ったときの2倍近くになっていて、同じ通りの物件の中では最高価格で売り抜けた。

そのあと、リーマンショックで家の価格は3分の2に落ち、住人はローンが払えず、銀行は裁判所にフォークロージャ―の手続きをするのだが、件数が多すぎて裁定まで1年かかるありさま。

アイ子ちゃんはまたOCに引っ越してきてバブルのはじけた後の築浅一軒家を買った。子供が巣立ったらもう一段ランクの高い住宅地に買い移って”あがり”だそうだ。

おばちゃんの住所録のアイ子ちゃんの欄は何行もある。家と家の間にアパートにも住んで住所が何度も変わるので、住所録をキープするのが大変!

逆鱗に触れる

誰だって触れられたくないウイークポイントはある。
出身地や家族や民族やそれ程重大な要素でなくても髪の生え具合や足の長さや、言葉の訛りが触れられたくないことなんて場合もある。ある日、おばちゃんは中国人の代理教師の逆鱗に触ってしまった。

アカウンティングのテリー先生が都合が悪くて、中国系の代理講師が来たことがあった。講師と言っても卒業生に毛が生えたくらいの年で彼はまだ20代の後半くらいだったと思う。まるっちい顔をした小柄な普通の台湾系。

いつもの生徒を当てまくるテリーではなかったこともあって、おばちゃんはちょっと彼を侮っていた。席の順番に質問を当てるのではなく、適当に目についた生徒に質問を振るので、自分に当たるまいとタカをくくっていたのもあった。

気を抜いて聞いていたので、代理教師が私を指して質問していたのに気づくのが遅れつい正直にすいません、あなたのアクセントが耳慣れないので言っていることが分かりませんでした。もう一度お願いします。

その瞬間、おばちゃんは代理教師の逆鱗に触れ導火線に火をつけてしまったのだね。多分大学を優秀で卒業しアカウンティングを専攻しテリーの代理を任されるくらいにイケイケGoGoだった彼にアンタの英語は分からんよ。と正面切って言っちゃったんだわさ。

それから代理教師はすごかった。敵意丸出しで、ヘイ、ミスMこの問題3の答えは?
ヘイ、ミスM この項目はアセットなのそれともイクイティ?
へい、ミスM 減価償却が経費になるのはいつ?

他の生徒を差し置いておばちゃんを集中攻撃する。白人の生徒からしてみれば、何やら外国人代理教師がヒステリックに外国人をいじめている図。勝手にやってと、誰も介入しない。

果ては、ミスM ホワイトボードに書くマーカーのインクが切れたから隣の教室から持ってきて、と。おばちゃんは席から立ちあがって、正直このまま退室しようかと思わないでもなかった。

ただ、おばちゃんの中の大人が、この代理教師はそんなに英語のアクセントにコンプレックスがあったのかしら?私を攻撃すればするほどそのコンプレックスが生徒全体にあらわになるわけだが、。外国人だから英語のアクセントがあるのはお互い様なのに、色んな考えが渦巻いていた。

おばちゃんは衆知に辱めを受けていたわけだけど、最後まで授業を受けた。

正直に言えば昔ESLで一緒になったベネゼラ人の二人組の女の方が、もっと腹が立ったその時に、マシンガンをぶっ放してこの女どもをハチの巣にしてやりたいと心から憎んだから。

だって、Hear の過去形 Heard の発音がおかしい、違うWrong、まだ違う
One more time, say it again. HEARD say, HEARD Again!
と際限なく言わせたのだ。
途中から明らかにふたりでおばちゃん一人をいたぶるのを楽しんでいた。
だから許せなかったのだよ。

人種差別、人種区別、人種攻撃そんなものはどこにでもある。バカにされたら跳ね返す力をつけてやり返せ。代理教師が攻撃してくる理由は理解できる、だが楽しんで人を貶めるベネゼラ女たちは許せなかった。

ビッグ・ベン と スモール・ベン

おじちゃんの会社と関係が深い企業の社長の名前が「勉」さんといい副社長も偶然「勉」さんだった。
社長は腹回りが巨大だったので「ビッグ・ベン」といい、副社長は「スモール・ベン」というあだ名だった。
陰では大便と小便と呼ぶときもあった。

小便もとい、スモール勉さんは人当たりの柔らかい人で「小便」などと口に出すのが申し訳ないくらいいい人だったけど、偶然ベンさんが重なってしまったので悪気はない。

この小・勉さんは秀才だった。
考えがシュッと走るのが見えるくらい頭のいい人で京大出だった。その奥さんは物静かな人だったけど、実は勉さんなんか問題じゃないくらい天才だった。

お茶の水の出身で、たぶん両親が東大なんか行かせると、縁遠くなるから女子大へ、と思ったのだと思う。なんという資源の浪費。ちゃんと東大に行かせていたら日本のマリー・キュリーが誕生していたのに。

うちの家庭教師の手引きで一度奥さんにお目にかかったが、多分この人は人間関係に苦労したんだろうなというのが感想だった。
一度聞いたこと読んだことは忘れない特殊なメモリーを持っていたのではないかと思う。小・勉さんは秀才の思考が走るのが見えるが、奥さんは、頭が良すぎるのでこちらの理解度がどのレベルかいちいち感がいている。


どういう風にかみ砕くとこちらにぴったりの答えができるか、光速で計算した後におずおずと答えを言ってみて、こちらの理解度を観察したうえでさらに会話をすすめてくるわけで、奥さんと手加減なしに同等に会話を楽しめる人はほとんどいなかったのではないか?

二人の子供を除いて。息子と娘も天才だった。

誰もが、ああ、あの奥さんのお子さんならね。と言うくらいで誰も京大出の小・勉さんの子供だからとは言わなかった。

息子はハイスクールを卒業したら、何の準備もなくいきなり東大に合格した。息子にも特殊なメモリーが引き継がれていたのかもしれない。息子だけ先に日本に帰して今頃はとっくに東大を卒業して世界のどこかの最先端の研究室にいるかもしれない。

娘も天才だった。
勉強というものがおおよそ必要でなかったのではないか。ハイスクールでは常にトップ。だが、天才といって脳の出来は抜群でも対人間スキルに関すると全く別物のようだった。

ギフテッドの子供というのは得てして、友達がいなかったり、人間関係がうまく築けないものらしいが
娘の場合は、へらへら笑うアメリカ人のボーイフレンドがいて、どう見ても彼女の脳みそだけを利用するために引っ付いて
いるとしか思えないのだが、彼女にとっては数少ない友達の一人だったのだろう。

ついでにうちのモールのイラン人のヘアサロンのオーナーの娘もギフテッドだった。
まったく可愛げがない娘で、8歳だったか学校には行ってなくて一日中モールの通路で遊んでいたが、計算がめちゃめちゃ早かった。CPUがインテル10GHzで内部キャッシュが1Gくらいの感じ。

アメリカの物品の値段はセントの位があるから、$12.58とか、$11.89とか。なるべくセントの位を89とかに
して桁を小さめに見えるようにしておくのがコツだが、この娘は、4桁の計算を見ただけでできる。

ウチの値段表を見ながら、これはいらないので引くといくら?とか聞くのだ。


電卓を取り出してパタパタやっているおばちゃんを、不思議そうに眺め、おばちゃんが計算を間違えると、
答えが何セント違っている原因はもしかして何かの関数が入っているのか?
と考え込むような様子があって、おばちゃんはむっとしたものだった。

インテル入ってなくて遅くて悪かったな。

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