がんのゲノム解析

ガンのゲノム解析が進んでいる。
おばちゃんはSi-Fiが大好きだが、現実がSi-Fiにすごい勢いで追いつきつつある。これは面白い。好奇心で読み進んでみた。

「がん治療「最前線の大変化」がすごい!」9月19日 東洋経済オンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/12480a04b7c2eb3112fc0ea919fa6ccb445f56e1

—EGFR、ALK、ROS1  HEAR2……がんを引き起こす遺伝子変異の型。肺腺がんでは、がんの原因になる遺伝子異常が十数種類見つかり、対応する薬剤が次々と開発されている。

例えば遺伝子変異を特定し対応する薬剤が存在すれば、がん細胞の増殖や生存に必須となる分子を狙い撃ちにする「分子標的薬」で治療できる。
今やがん患者はがんの臓器別で診療科を選ぶのではなく、遺伝子変異型で治療をする流れになりつつある。――

遺伝子変異を特定するためにはまず、がん遺伝子パネル検査で自分の遺伝子検査をする必要がある。

がん遺伝子パネル検査は、全国11施設のがんゲノム医療中核拠点病院、または全国156施設のがんゲノム医療連携病院で受けることができる。治療経過を記載した紹介状や、検査のための病理組織検体などが必要 保険適用でき費用は患者負担割合が1割の場合は5万6千円、2割の場合は11万2千円、3割の場合は16万8千円だそうだ。―国立がんセンター中央病院

さらに、国立がん研究センター東病院消化管内科の中村能章医師はがんと遺伝子変異型と治療薬、さらに厚生省に治療薬が認可されたかどうかを一覧表を作成して!!!一目でガンの分子治療薬がわかるようにした。らしい、ところがこの記事のリポーターさんは肝心の一覧表へのリンクが書いて無い!困ったものだ。

思えば、アンジェリーナ・ジョリーが遺伝子検査を行って乳房を切除したのが2013年だった。
おばちゃんなんかよくぞ思い切った「攻撃こそ最高の防御!」さすが勇者アンジーと感心したものだったが。

研究はさらに進んでいるわけで、いったいどのくらいのがんの分子治療薬が進んでいるのだろう。記事を書いた東洋経済さんの記者さん、表はどこや?

中村医師が作った表が出てこないので、とりあえず肝臓がん、、胆嚢がん、すい臓がん (肝胆膵という)を検索してみた。

「胆道がんにおける大規模ゲノム解読」とう研究が見つかった。やはり国立がんセンターである。2015年
ポイントは3つ。
1、がんの発生に関係するドライバー遺伝子の発見
2、胆のうがんの患者では役40%にゲノム異常が存在しているのが明らかになった。
3、免疫チェックポイント療法に反応する患者のグループを同定(特定することね)した。

がん細胞は宿主の免疫チェックポイントをすり抜ける機構を持っているので、このすり抜け機構を阻害する薬が治療薬として有効であるとしている。
なるほど!

で、こういった研究やら遺伝子パネルを検索すると治験のプログラムに飛ばされてしまうのですね。すなわち、ゲノム解析も分子治療薬も標準治療ではない。一般の医療機関で標準治療を受けている場合には、最新の遺伝子治療薬はなかなか身近にはならないわけだ。

胆道がんのゲノム解析が2015年だったから、現在分子治療薬があるのかというと、胆のうがん治験プログラムで使われている薬はビントラフスプアルファこれが治験薬(免疫チェックポイント阻害薬)。そのほかゲムシタビン(増殖に必要なDNA合成を阻害する代謝拮抗薬)とシスプラチン(DNAの複製を阻害)である。

あ~らら、。治療法で調べると、後の二つの薬が出てくるのだが副作用があってがんの完治は難しいーとの記述である。胆道がんのチェックポイント阻害薬の効果はどこにもまだ報告されていない。当たり前だな治験中だから。

ちなみに、治験プログラムを読んでみるとなかなか興味深い。
●二十歳以上であること。
●目標とする登録患者数。524人! 半端な数字でんな。
胆道がんの患者数は年2万人足らずで登録患者を集めるのはなかなか大変ではないか?
●治験薬の初回投与前に腫瘍組織の提出ができること
●プラセボの併用もある。――へぇ?
●12週間以上の生存が見込まれる人ーーわっはっは。
すぐに死んでしまう患者では治験に参加できないのだ。参加資格=3か月以上生きられる人!

2022年4月でおばちゃんの人生は2つに分かれた。
一つはがんのない世界。もう一つはがんのある世界。
がんのない世界は、今まで通りなので改めてリサーチも計画も必要がない。がんがある世界はリサーチと戦略・戦術プランBがいる。ゴールはすでに決まっている。苦しい戦いはしない。病気と闘わずできるだけ楽に楽しく、その時やりたいことをやるというのが目標。

経過観察中でどちらに転ぶかわからないが、リサーチをするのは面白い。患者の会も見つけた。メールで問い合わせをしてみたが返事はまだない。何せ、主催者も患者で結成してから数年たっているようだから本人は今も息災なのかわからない。

12月のチェックの時に主治医と遺伝子パネル検査について相談してみても面白い。おばちゃんの遺伝子はEGFR,ERBB3,PTEN,TERTにドライバー遺伝子変異があるのかないのか。あるならがんは遺伝子異常のせいで、おばちゃんの生活習慣・人生の結果ではない。ほれ、みなはれ。うちのせいやおまへんで。

主治医はちょっと変わった人なので遺伝子パネル検査を面白がるか不快がるか見当がつかない。地方の医療機関では、治験のチェックポイント阻害の薬はまだ、参考文献の世界かもしれない。

経過観察中 4か月目

先週はまた血液検査。
アルブミンの値がLow
ガンマーカーの値は陰性。

なんで闘病記かというと、台風14号が接近中で外は雨。
庭にも出られないし、買い物に山を下りても雨がひどくなると帰宅が大変になるから、外出をあきらめてやることがない。つまり暇。

ガンで再発が心配とか、再発が怖くて夜も眠れないとか同病を探している人とかいるかもしれないので、のほほ~んとした闘病記をお贈りしたい。

困ったもんである。おばちゃんは夜はよく眠れるし毎日ご飯がおいしいので太ってしまった。
特に腹。
最初の胆のう切除で内視鏡手術では、どてっぱらに4か所穴をあけられたのだが、手術の解説記事を読んでみると、穴をあけた後は空気を入れて腹を膨らませるらしい。さして引き締まっていたわけでもないウエストは退院したら何やらふにゃと緩んでいた。
3週間後に今度は開腹手術で肝臓の一部とリンパ節を切除したのだったが、退院後の腹部ははっきり言ってダルダルだった。何故?

2回の手術で腹筋に力を入れると痛みがひどかったのだ。咳、くしゃみ、笑いなど腹筋を一ミリでも動かすと、腹腔に突っ込んだままのドレナージの管が内蔵に突き刺さり(おばちゃんの感触)痛くてたまらぬので、なるべく腹筋を動かさないようにしていた。

その結果、退院1か月後でもウエストが締まらない。
胆のうがもうないのでバターと肉を解禁して、うれしや!ついでに生クリーム主体のスイーツも全開したので日に日に皮下脂肪がウエストについた。

ゴムのパンツしかはけなくなって、秘伝のウエスト回転テーブル(ツイスト)を取り出したのが2か月目。ツイスト盤に乗ってきこきこき体をひねったところ、傷口が癒着していたのか、ここの穴、この傷口、切り取った肝臓!がねじれて腹が何か所も痛い。で、また1月休養。

3か月目からは毎晩10分ツイスト盤でウエストをひねっても痛みはもうない。でも、皮下脂肪もなかなか減ってくれない。悔しい。

胆のうガンはステージが0と1は外科手術で完治が目指せる。5年生存率が80%以上だ。
ステージ2の場合は、胆のう内部にできるガンが筋肉層を超えてはいるが胆のうの外に進出していない段階。5年成績は30%から60% 
胆のうガンは症例が少ないので、統計を取るがんセンターやクリニックによって数字が大きくばらけるのだ。30%から60%! ずいぶん違いまんな。

経過観察でやるのは血液検査とCT。検査項目で重要なのは腫瘍マーカーだ。
胆のうガンに反応する腫瘍マーカーは2種類。
CEA とCA-19

好奇心で腫瘍マーカーについて調べてみると、。
腫瘍マーカーは何種類もある。何故かというとガンが何種類もあるからだ。ガンによって生成される物質が違うので、その物質を探すマーカーも複数あるわけ。

ところが、ガンの種類によっては必ずしもマーカーによく反応するガンでない場合もある。
前立腺ガンやすい臓ガンはCEAマーカーによく反応する。胆のうガンは胆嚢炎などの炎症があると擬陽性が出やすいという。つまり、腫瘍マーカーの値は上がったり下がったりして必ずしもガンの存在指標にはならない。

どてっぱらに窓をつけて経過を観察するわけにいかないので、血液検査から大まかなあてずっぽうをしようというわけ。
CEA とCA-19が同時に急上昇して下がらなかったら再発を疑う。

この“再発”というのは用語として間違っているのではないかとおばちゃんは思う。
目に見える1センチのガン細胞があるとして1億個のガン細胞の集まりである。
1億個が集まるから肉眼で見えるわけで、4000個~5000個のコロニーは視認できるわけがない。外科医の目に見えないものは無いとしているのだが、実際は無いわけではなく見えるまで育ってないだけとの見方もできる。

胆のうと接していた肝臓は3分の1、近隣のリンパ節を切除して病理で細胞診を行った結果、転移はない。と結論された。ただ、おばちゃんが疑問に思うのはどのようにどのくらい検体を切り出したのだろうかという疑問である。病理細胞診を検索しても検体の容量や切り出し方法がよくわからない。

例えば切り取った臓器が卵大だとして、5か所で検体を切り出し切片にしてから顕微鏡で見てそこにがん細胞が見えれば陽性、見えなければ陰性。卵全体の分量からするとごく僅かな分量でしかない。5か所を50か所に増やしてもやはり卵の一部でしかない。

精密に検出するなら卵をすりつぶして、卵の全体液からガン細胞に反応する特定試薬などで抽出してから計測するなら正確性が期待できる。そんな方法とは思えん。“ランダム”に検体を切り出すとしたらーおばちゃんはひっかっかってしまうのだ。とても正確性は期待できないと思う。


うちの猫もお兄ちゃんのごはんを横取りして2倍食べているにも関わらず、どうしても太らない。時々下痢をするので、おかしいと思って何度も検便をした。2回目に寄生虫が見つかった。駆虫剤を飲ませてまた検便。陰性になって3か月、また下痢をしたので検便したらまた寄生虫が見つかった。検便もすり抜ける寄生虫がいる。便すべての容量を精査するのは不可能だから。

さらに検体を顕微検査できるのは切り出したものだけ。おばちゃんの残った3分の2の肝臓は体についているわけだから切り刻むわけにいかない。腹膜も目で視認するだけ。

切除した臓器のガンは1週間でできたものでもない。最低2~3年かかって成長してきたブツであると思う。1センチ1億個、数センチ・数億個のガン細胞の塊からは、血液やリンパ腺に乗って体中に転移することが可能。リンパ節も毎日リンパ液を流していたわけで何千個のガン細胞が移動したのか神様だけがご存じ。さらに血液やリンパに乗って移動したとしても必ずしもそこで生育するというわけでもなし。花の種を考えてみればよろしい。うちのリナリアの種は何千と地に落ちているはずなのに、数えるくらいしか育たない。

今この現在、おばちゃんの体の中に、ガン細胞が何個あるのか、再度定着して生育しつつあるのか、マーカーでも細胞診でもわからない。医者も知りえない。神様だけがご存じ。

というわけで、隣接の臓器や遠隔で視認できるがん細胞がみつかったとしてそれは再発とよぶのか、それとも「再発見」と呼ぶのが正解か。ただ、そんなに邪見にせんといて。ガン細胞だっておばちゃんが作った細胞である。ガンも身のうち。

とにかく、CEAと CA19が陰性であればひとまず視認できるようなガンコロニーは存在していないのかもしれない。主治医はそれでも12月には造影剤を入れてCTスキャンするという。肉眼で見えないような大きさでCTスキャンして見えますか?と聞くと、主治医は見えないほうがいいんです。

見えないこと=存在しないを確認するのが大事というのが主治医の見識のようである。
まあ、再発見されるのは術後6か月から2年の間が多いようだ。

困ったなぁ。
おばちゃんは何にも感じ無い。不安で押しつぶされそうとか、再発の不安におびえて、、とか、何にも感じない。60数年前に生産された車はもうビンテージでっせ。エンジンがもうあきまへんわ、となったら、さよか、ほなしょうがないねん。

痛みとか苦しさとかは嫌いだ。しかし肝臓切除の非常な痛みも麻酔で何とかなってしまったのを経験したのである。たとえ再発しても痛みは緩和ケアで何とかなるであろう。
飛行機で墜落して恐怖におびえながら爆死するとか、土砂崩れで突然押しつぶされるとか、何もできないうちに命を奪われるよりは、ガンというやつは始末がいい。治療をいろいろ選べるし時間がある。
もちろん5年生存して緩解!もあるわけ。

死んだら困りまっかぁ?と聞かれたら年に不足があるわけでもなし。
Gone with the wind というよりGo with the cancer でそんなにカリカリせんと明日やることを考えまひょか。といいたい。

台風が通過したら、庭の手入れをして寄せ植えが疲れてきたので新しいお花を植えて、来月はアイ子ちゃんが来るので三島で有名なウナギを食べに行こうかとか、横浜の大和にフォーが食べに行きたいとか。

若い方とか現役の働き盛りにガンの再発が心配な方にはあまり参考にならん記事になりました。
すんまへ~ん。

闘病記さまざま

東洋オンライン記事
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6d83e1b02ef2c4340eda97d900256cec87c5599
みづきの末期直腸がん(大腸がん)からの復活の記録―――闘病ブログ 
https://mizuki.us/

本人のプロフには2005年時点でカリフォルニア、シリコンバレーでご主人とIT企業を経営だったとある。自覚症状はあったが便秘や痔と思い医療機関に行くのが遅れた。無保険だったと書いてあるので、さもあるかなと思う。

ブログ主が宣告を受けた同じような頃、おじちゃんが勤めた会社が整理解散と決まった。加入していた健康保険を個人で掛けるといくらになるか保険ブローカーに見積もりしてもらったところ、1人$1200だった。非現実的な掛け金である。

3人以上のフルタイムがいる企業は健康保険に加入することができる、というのが法律上の建前だが、保険会社だって設立したてで利益が出ているか、企業の経歴などを審査にかけるので必ずしも加入できるとは限らない。
彼女たちの年齢が30代半ばなら保険料はまだ少なかったはずだが、会社側の保険料負担金を考えると、会社の利益が上がってきてから健康保険の加入をしようと考えていたとしても無理はない。

まず、無保険で診察してくれる医療機関を探すのは大変。
キャッシュプログラムがあるかどうか電話で聞くか、知り合いに紹介してもらうしかない。会社を立ち上げたばかりなら、予約を取ったら自分の代わりの人を手配して診察してもらう時間を作るのだ。症状が軽微なら診療の手配を考えるのも億劫。大したことがなければ大きな出費になるから。

アメリカで生きるということは親の庇護も会社の庇護もないということ。
頼れるものは自分と自分の配偶者だけ。どちらかに 「頭」「目」「足腰」に支障ができたらアメリカ生活が成り立たない、か、非常な困難になる。

車社会なので、電車なんかないし、バスは自分の行きたいところに走ってないし、自分で車を運転するから移動の自由があるのである。「頭」「目」「足腰」に異常がでたら移動の自由はない。

もしガンであったら。
生計のための仕事が不可能になって収入が減り、保険でカバーされない医療費の持ち出しがある。莫大な借金を抱えることになるかもしれない。だからガンになると自宅が一軒無くなるといわれている。

アメリカで生活する人生には常にブランB、プランCが必要なのである。
銀行口座の残高と自宅の今現在の評価額、解約できる生命保険の価値、その他金融資産と、負債の総額を常に念頭に置かねばならない。体に異常がでて就労ができなくなる、とどのようなプランBが必要か。常にシュミレーションをしておかなければならない。

一旦起業すると自分の生活だけではなく、従業員の生活も保障せねばならないのだ。
自分の体調が悪くて会社の営業ができなくても従業員の生活は保障せねばならない。2007年に甲状腺がんの疑いでバイオプシーをやった時もは、自己憐憫やショックに陥るのは贅沢であってそんな感情に割く時間もなかった。

自己憐憫、依頼心はアメリカで生きていくのには邪魔。
だから捨ててしまった。いったん捨ててしまうと拾って埃を払って又使うというわけにいかんものである。だからおばちゃんは今も可愛げがないのだ。“可愛げ、儚げ“の代わりにふてぶてしさと破れかぶれがある。

ちかごろ井上ひさしの「モッキンポット師」の一節をよく思い出す。
終戦後の貧しい日本で貧乏学生が必死で生きようとするだが、悪知恵が裏目に出る。面倒をみているカナダ人のカトリック神父である師が後始末をしなければならない羽目になる。

「助けてください。モッキンポット師。でないと僕らは死んでしまいます」と師に助けを求める。
モッキンポット師は不思議そうに「死んだら困りますか?」と問い返し、貧乏学生であった著者は絶句する。
カトリックの観念で「死」は「喪失・終末」ではない。

おばちゃんはカトリックではないが、「死んだら困りますか?」と正面切って問われたらどう答えるか。つい、商売をしていた現役に戻って、ええっと、私は今は引退したから、体の評価としては築6X年、査定額は0だな。社会的評価額も0に近いから、死んで困るのはおじちゃんだけか?

心持はどうかというと、これをやり遂げないと絶対困るというUnfinished businessesがもうない。面白そうなものがあったら挑戦するにやぶさかではない。できる間はやる。だが、やり終えなくてももう嘆く必要はないのじゃないか。おばちゃんのブログも書きたいと思う気持ちがある間は書き続けようと思う。

現在日本人の死因の1位はガン28%。
男性の3人のうち2人がガン、女性は2人に1人がガンで亡くなる。珍しい病気ではない。両親のどちらかがガン。あるいは家族にガン患者がいて不思議ではない。

ガンは宣告から時間はあるので、ある程度Unfinished businessesをやることができる。不慮の事故などで命を持っていかれるより始末のよい病気だと思うがどうだろう?

結局、ブログ主のみづきさんはアメリカ生活を切り上げて日本で闘病生活をおくられた。
保険をどうするか治療費をどうするかと考える必要がなくなってまずよかった。それでもブログのあちこちからはご本人の悲鳴が聞こえてくる。亡くなってから14年も読み継がれるのはそこに人間みづきさんがいるからだろう。自分がやったことは残らないかもしれないが、自分がいたということを彼女は書き残した。

いろいろなガンがあっていろいろなガン人生がある。みづきさんはおばちゃんの半分くらいの年齢だったのだから、まだアメリカでやりたかったこと、やり残したことがあったに違いない。謹んでご冥福を祈りたい。

梅雨明けの猛暑に

猛暑注意というのに外科と眼科に二日間受診した。
日よけをつけてもアッチチというほどオーブンみたいになったな車には参った。冷房を全開でも車はなかなか冷えてくれない。ダッシュボードの温度計が39度を示していた。

眼科は眼底出血の後もレーザーで縫い付けた網膜も異常なし、3か月後にまた再診。
外科も血液検査の結果は異状なし。
ガンマGTPも先月の半分に下がった。血液検査表はあっちこっちにあった「L」と「H」が消えてCマーカーのCEA値も2。

血液検査はこれから3か月ごとでCTスキャンは半年に1回、血液検査が異常なしでも。
胆のうCの場合、マーカーにあまり反応しないのでCEA数値もあてにならない。CEAが高くても再発じゃないかもしれないし、数値が低くても別の臓器に出てるかもしれないし。主治医がそう言う。

おばちゃん:出やすいのは肝臓と腹膜と肺ですか? 
主治医:まあそうね。
おばちゃん:大腸はどうですか?
主治医:あんまりないよ。まあ、出るときはどこだって出るから、脳でも。
おばちゃん:そうでしょうね。んじゃ、3か月後ということで。(ああ、面倒くさい。)

お向かいの中野のおばちゃんも胃のCで確定だそうだ。
7月4日に手術でちゃっちゃとやってくるわ!と電話で話した。Cは取りやすいところにあるそうだし腹腔鏡で切除だというのでまず大丈夫だろう。腹腔鏡は次の日から歩けるし。

中野のおばちゃん:そうよね、大丈夫よね。おばちゃんの声が心なし甘えてくる。


もっとダイジョブと言ってほしいのだ。
お向かいの中野のおばちゃんの友達には同じような高齢の元ドクターが2人いて、胃Cだと報告したら「あら、胃Cなの今は治療が進んでいるからダイジョブよ」と言われただけなのでもっと甘やかして安心させてほしいのだ。

おばちゃん:おばちゃんはもう80歳じゃないですか。大丈夫ですよ。進行が遅いし。きれいに取れれば転移のリスクが低いし。今どき 胃Cの標準治療は確立されているから難しい手術でもなし。全身麻酔なら手術は怖くないですよ。パチンと意識が切れるだけ。

中野のおばちゃん:そうね、進行は遅いし。

おばちゃん:だいたい、おばちゃんは80歳過ぎて、今まで社会にも周りの人にも貢献してきたし、やることやってきて人に自慢できる人生だったじゃないですか?
たとえ閻魔様の前に出たって私は自分の人生をやれるだけやってきました!って胸を張って言えるじゃないですか?ご主人だって息子さんだってもうあっちにいるし。会えますよ。

中野のおばちゃん:そうね。一昨年亡くなった猫のメロンちゃんも会えるし。

おばちゃん:でしょ?だから怖くないですよ。大体長生きするから幸せってってわけでもないでしょ。やることをやったか?ってことじゃないですか?102歳まで生きても友達・知り合いはみんな死んじゃってますよ。自分の子供と孫くらいが見に来るの。

中野のおばちゃん:そうよね。みんな知り合いが死んじゃっててもね。

おばちゃん:でしょう。だから大丈夫ですって。腹腔鏡だからすぐ何でも食べられるってわけではないかもしれないけど、病院食が合わなかったらビタミンゼリーはいいですよ。食べられないときにお勧め。

中野のおばちゃん:バーム・クーヘンとかカステラはどうかしら?

おばちゃん:あれはね、湿り気がないからのどにつっかえるんですよ。飲み物がすぐ手に取れないですからね。飴を持っていくと口がまずいときに重宝しますね。

お向かいのおばちゃんに、励ましだか何だかわからないことを言って励ました。
おばちゃんなんか「それがどうした」と思っている人に安心させてもらおうというと、こういうことになる。

5月の入院中に四人部屋に後から入ってきた「もと医療関係者」がいた。
本来コロナで見舞客がシャットアウトされているはずなのに、彼女にはどういうわけか見舞客がいて会話が全部聞こえたのだ。患者は当の病院に昔務めていたようで、見舞客も現在勤務中の人のようだ。

彼女は消化器系の手術でHCUに入ったのだという。
麻酔から覚めると隣のお婆ちゃん患者が血まみれで錯乱して叫んでいたり、別の老人患者が点滴のくだを引きちぎり隣の!ベッドの別の患者の上で暴れていたりした。全部で4人そんな錯乱患者を見たのだそうだ。

どういうことかというと、患者は手術の同意書にサインをしたのだが、何せ高齢だしちゃんと理解もしていたのか怪しく、その上田舎なんだから先生の言うことは絶対でお任せするしかないと不安を押し込めて内心はおびえて手術に臨んだのだろう。麻酔のさめかかるころにその恐怖心が噴出し錯乱した、ということらしい。

ははぁ!だから手術の同意書に「患者を拘束することがあります」って書いてあった。仕切られたカーテンの反対側で元医療関係者の話を聞いていた。なかなかためになる。


しかしなぁ?開腹・開胸手術なら全身麻酔で手術中はまったく意識がないし何をされたってわからないし。麻酔が覚めた後に痛みがやってくるのは嫌だが、それは手術が終わった証拠だし、生きている証拠でもある。正直、何が恐ろしいのか錯乱するほどの恐怖なのかはおばちゃんには理解できない。

こっそりここだけで告白するが、全身麻酔の術中〇というのは一番苦痛のない死に方かもしれない。痛みはゼロだしね。いくらお地蔵さんにお願いしてもぽっくりさんなんて宝くじに当たるより難しいかもしれないから。

大変難しい手術で成功はわかりません。覚悟しておいてください~~っていう手術があったとして、患者は表向きはチャレンジすると見せながら、内心密かに「シメタ、ハズレでも楽じゃん」って挑戦する患者がいないわけでもないだろう思ったりする。

術中〇は確かに怖ろし気なイメージがあったが、全身麻酔を経験した後は、はは~ん、こういう抜け道もあったのかと思ったりする。そんなのおばちゃんだけ?

リスクの高い手術に挑戦する日本の外科医はあまりいないかもしれないが。

ぼちぼち動いてます

シレネのロックガーデン

昨日手術後に初めて走ったかもしれない、雨が降っていたから。
乾いたカリフォルニアに住んでいた癖で、どうも傘をさすのが面倒くさい。

雨の日にはフード付きのジャケットを着る。おじちゃんも同じ。

ペーパードールじゃあるまいし、雨に濡れて破れないわよ。と白人のおばちゃんに言われてたからな。

ホームセンターについて車から出るときにフードをかぶって、小走りに入り口に入った。
あれ、私は今走ったのではないか? ヨタヨタとではあるが、退院後初めて走った。

2週間前は買い物に出ても店内にベンチがあったら一休みしていたのだが、最近はスーパーを一回りできる。背筋を伸ばすと傷口がひきつるのでかすかに右肩がかがみ気味になる。庭仕事は最初からしゃがんで草取りをするので立っているよりは痛みが少なくて楽だ。

2nd street

先週から左右に寝返りができるようになり、うつ伏せもたまにしてみる。
それ以前は寝返りがきつかった。肝臓は右にあって3分の1切り取られたから右を下にして横になると、傷口が押しつぶされるのか痛くて圧迫感があった。

もともとあった臓器がなくなったので隙間ができ、左右に寝返りを打つ時には内臓がぐるりんと動くようないや~な感覚と痛みがある。すっごく不思議な感覚よ。

例えば、お弁当を3分の1食べちゃって、また蓋をして揺さぶったら中身が片っ方に“寄さっっちゃった!”みたいな。肝臓が元の大きさまで再生するまではまだ時間がかかるらしい。

おばちゃんが生まれた年に作られた車は、とっくに廃車になって動いているものがほとんどないのだから血と肉で作られた還暦過ぎの人間が故障なく動いていることはまず偉いと思わないと。

見よこの威を払う雄姿。とうとうアカンサス・モリスが咲き始めた。
一昨日雑草を抜くときアカンサスの根っこを触ってしまったが、予想したよりも横に張っている。ちょっと植えるには狭い場所だったかしら?アカンサスは植え替え不可の宿根草らしい。困ったわ。

総武本線 内房まわり

グロ注意 虫とかグロとか嫌いな人は読まないでね。

おばちゃんの腹にはこの間、開腹手術をした傷跡が総武本線のように走っている。
1センチごと短いテープが張ってあるので、ますます鉄道路線に似ている。

テープは無理にはがさないで、自然にはがれるままにしてください。と言われているので毎晩、パジャマをめくって傷の治り具合を観察しているのだが、先ほどあることを発見して無い~と叫んだ。

何が無いかって?
マダニの刺し後が無くなったのだ。

おばちゃんは去年の6月に、お向かいの手入れをしていない山林の草刈りをして、お腹をマダニに刺された。その時は、マダニだとは知らずに切り傷を作ってかさぶたができたと思った。赤黒く触ると痛かったから。

草刈りをして汗まみれになった後で庭を見ながらシャワーを浴びる至福の時のはずだったのだが、シャワーの水流が腹を流れると、カサブタにか細い足が6本あって水に揺らいでいるのが見えた。

その瞬間、おばちゃんはぎゃ~と叫んだのでおじちゃんがお風呂に駆け付けて来た。
足!足がある!マダニ!おばちゃんもおじちゃんも動転して、静岡県はマダニの感染症で死亡患者が毎年のようにいて注意喚起のニュースが放送されるし、かかりつけの獣医でも警告のポスターが目立つように張ってある。

マダニに刺されたら病院で手術といわれていたので、おばちゃんはシャワーノズルを持ったまま動転した。病院、救急!時間はあいにく5時頃で、皮膚科はどこも受付終了の時間だった。救急へ!

頭がずぶぬれのまま、大急ぎで服を着て夜間救急病院に走った。
若い外科医がいたが、マダニの処置をするのは初めてらしく看護師さんに除去セット!なんて言うと、3種類のマダニの処理ツールが出てきて、外科医はどれがいいのと迷っていた。

はよ、してくれ。
マダニのいやらしいところは、人体にとりつくと柔らかいところに移動して、皮下に頭を食い入るのだ。注射器の先にピンセントがついているような器具でマダニをむしり取ったのだが、頭は皮下に残ってしまった。


先生、頭が残ってて取れてませんが、と言うと、
救急でできるのはここまでです。あとは改めて病院で処置してもらってくださいと言う。
どこの病院で?

次の月におじちゃんが帯状疱疹の疑いで皮膚科を受診したときに、ついでに取ってもらおうとしたら、やっぱり町医者では無理でJ大学病院に紹介状を書いてもらった。そのうちに行こうと思っていたがコロナもあって、胆石を優先させたらいろいろ手術でとんでもないことになってしまった。

腹腔鏡で胆のうを摘出した時には、マダニの頭は確かにまだあった。マッチ棒の先くらいの黒いほくろのようなものでチャンとおなかに残っていた。

で、夕べ見たら無かった。
みぞおちを東京駅とすると北千住あたりにマダニ頭。東京駅から総武線・内房で肝臓を取り囲むように切られたのだが。

北千住のマダニがない。どこへ行ってしまったんだろう?
もしかしてマダニの頭は記憶にあった北先住ではなくて、大手町あたりにあって切開されて縫い込まれてしまったのか?ヤバ~イ


娑婆に復帰

おばちゃんは悪運が強いようである。
昨日の再診で、主治医から肝臓とリンパには浸潤がなかったこと、検査で見つかった大腸ポリープも良性だったようだ。

ケシカランのはこの主治医は手術直後に立ち合いのおじちゃんには肝臓とリンパ節には浸潤が見られなかったと報告していたことだ、おばちゃんにはな~ンにも言わなかったのに。入院中毎日回診していたのにさ。

おじちゃんも私にな~んにも言わなかった。主治医からとっくに聞いていたと思ってたんだってさ。おばちゃんは何も聞いてない。私の体で私の肝臓なのに。

主治医のおっさんはたぶん優秀で面白い人なんだろうが、患者が聞きたいことは言わないのである。肝臓とリンパは視認で浸潤なし?手術中に病理室に検査だしたならちゃんと言って。

C細胞が1億個集まってやっと1センチの大きさ。おなかを開けて人間の目で視認してきれいな状態であってもC細胞がゼロというわけではないのであろう。C細胞なんかキノコの胞子みたいなものじゃん。どこで着床して育つかわかんないし。実際C細胞があるかどうかはもう神様だけがご存じ。

つ~わけで、主治医はおばちゃんの顔を見ながらお元気ですか?と聞くわけよ。
「はあ、元気ですが時々立ち眩みがします。」
「貧血はありません。」キッパリ。やったばかりの血液検査の結果を見ておっさんは言う。
「ゆっくり立ち上がってください。」当たり前のことを言いやがって。

来月も血液検査に出頭せよという。そのあとは3か月ごとに血液検査で場合によりCTスキャンを受ける。無罪放免とはいかない。要観察。ステージは2.

胆嚢Cは症例自体が少なくてステージ2以降は膵臓なみに予後が悪い。胆石のつもりで切ったらCが見つかったというのは全体の3%~5%らしい。ほとんどは肝臓に浸潤し黄疸が出てから発見されるので、ステージ2で見つかるのも早期発見のうちというが。

この主治医は肝・胆・膵の専門部門の胆専門医であるので、ここで扱った胆嚢C患者の5年成績はどのくらいですかと聞いたらば、追っかけてない。そこまでやってられないと、まことに正直なことをいう。

ここからネットで復習である。
どうしても病院・医療センターによって統計にばらつきがあるね。5年の成績はステージ0、1でおおむね80%-90%。良好だ。

ステージ2では急落する。
50%-20%でばらつきがある。肝・胆・膵の大学病院やCセンター専門によると、再発しやすいのは術後半年から2年らしい。術後2年を生き延びた患者の5年後の成績は80%を超える。
つまり、あと2年無事に過ごせば5年後で寛解の可能性があるといえる。

はあ、あと2年か。おばちゃんの頭の中ではここんとこ半分終了作業状態で稼働していたのである。巻き戻すのが面倒くせぇなとも思う。娑婆の生活とはいろんな規制があって、ああせい、こうせいと面倒くさいではないか。

頂上はあの角を曲がったとこよ~、。って言われて角を回ったらまだ8合目だった、、みたいな。
だぁああああ!って。まだ頂上まであるやんけ嘘つき。みたいな。
半分仙人になりかかってたのに、また興味を娑婆に引き戻して生活せねばならんわ。

とりあえず2年頑張りますわ。


闘病記

1-アイタタ、タ
2-五臓五腑になる入院記
3-再入院
4-発覚
5-告知
6-日本のチーム医療・パッケージ治療
7-闘痛記
8-異色・入院雑記

9-娑婆に復帰

日本とカリフォルニアの美しいもの

硬膜下麻酔が切れてお代わりが届くまでの半日ほど痛みに耐えていた間、気をそらすために考えていたことがある。

思い出せる一番古い記憶から、美しかったもの、楽しかった思い出、うれしかったシーンなどを一つ一つ思い出して意識を飛ばしていたのだよ。
おばちゃんの人生は日本・アメリカと真っ二つに割れている。幼少から青年期までは日本。社会人からリタイアまでアメリカ。

不思議なことに幼少期の日本の記憶のほうが鮮やかで、楽しかった感情も生き生きとして思い出せる。家族でバーベキューやいちご狩りに行った思い出。その時に着ていたお気に入りの服とか。からし色でジャージの生地まで思い出せる。
ああ、そうだった。炭火で生のシイタケを焼いて醤油だけの味付けなのにこんなにおいしいものか驚愕だった。あれ以上のおいしさのシイタケには出会ってない。

日本の自然は美しいんだ。
清冽な水の流れがあって、翡翠の新緑があって。前半生の美しい記憶は自然の美しさが必ずバックグラウンドになっている。

西海岸の思い出は自然ではなかった。元が砂漠だからさ。
ジャカランダの花のカーテンが美しくても背景の一か所の感じ。カリフォルニアのばさついた大地と植物フローラを美しいと感じる感性はどうしても生まれなかった。

これがカルフォルニアの木「ジョシュアツリ・ツリー」ですってガイドに言われたときは、がっかりして石をぶつけたくなったさ。
4季がある中西部から東海岸ならきっと雄大で目を見張る自然の美しさがあったに違いない。

アメリカの美しい記憶楽しかった思い出は人間が作った美しいものだったね。
建築物の壮麗さと美的センス。計画されて建築された都市の整然。デザインの美しさ。色彩の統一感。

おばちゃんたちはLACMAが好きで、あそこのホールの円天井のタイルはすごい。ゲッティセンターもそれなりの規模なんだが、LACMAの重厚さはやっぱり税金をたっぷりかけただけあると感心していた。
美術館の収集品もLACMAとゲッティは豊で、一日文化の粋に囲まれて過ごせる静かなところだった。

LAのサイエンスミュージウムは人類に感動するところだ。
人間が作ったスペースシャトルに感動する。スペースシャトルの打ち上げのナサのビデオで臨場感を高めて、スペースシャトルが「おんぶ」でLAに飛んできてサイエンスミュージアムまでの路上の牽引されて無事ミュージアムのスペースに収まるまでの動画。最後に実際のスペースシャトルと対面できる。

スペースシャトルの外装がタイルと石綿だと自分の目で確認出来て、それは衝撃だった。これで本当に宇宙を飛んだのか?!ああ、すごいものを見た。
シャトルを路上けん引したトラックはToyota Tacomaだ。日本でもトヨタのピックアップトラックを見ると無条件に好感を持つ。

人間が作った美しいものと、日本の自然の美しいものともう一度見てみたいと思う。
滋賀県の醒ヶ井という古いマスの養殖場があって俗化はしているのだが、山の清流と魚が美しいんだ。
明後日、再診の予定。
肝臓とリンパ腺と大腸のポリープの細胞診の結果がわかる。

異色・入院雑記

おばちゃんはコントロールされるのが嫌いだ。
山、高きが故に貴からず。親だからと言って教師だからと言ってその言に従うわけではない。相手に論理と根拠があれば耳を傾けるかもしれない。

腹腔鏡で胆嚢除去手術なら順調にいって4~5日から7日ほど入院らしい。3日目にこんなところに7日も居てたまるかと思った。

主な原因は病院食である。
作ってくださっている栄養士と調理師の皆さんには申し訳ないが、患者には塩分やらなにやらの制限があり、さらに予算の制限があり、時間の制限がある中で何百人分もの患者の食事を用意するのは大変であろうと思う。


ただ、煮汁にぷかぷか浮いているカボチャは論外であるし、キューリをすりおろして大葉と混ぜ酢だけで味付けをしてそれを5分粥のおかずに食べろとは無理目であった。

最初の入院では食欲が戻ってきたが、今回の入院ではさっぱり。
自家製の梅干しから作った梅ソースで粥は食べられるがその他おかず乳製品には胃が拒否権を発動していたのであった。鼻がむやみに敏感になっていて、食器の生臭さとも相まってお手上げであった。

かぼちゃに懲りて、今回持ち込んだ非常食はカロリーメイト、ビスコ、キットカット、ビタミンゼリー、フルーツ飴、日本茶パック。業務スーパーでカップヌードルに手をかけたところダメだ!とおじちゃんから制止された。

初回の入院はとにかく口から食品を入れると体が吸収して回復する実感があった。食事が食べられれば回復が早い。おばちゃんは病院に修行に来ているわけではない。口に突っ込めば吐いてしまうであろう食品をあえて口にして回復を遅らせる必要はない。体の修理に入院していて目的は体の回復である。食べられるものを食べればよいのだ。

次はカロリーメイトを試したが、これは意外とハズレだった。あまりにもドライでパサつくので飲み物がないと呑み込めない。売店のパウンドケーキのほうがましかな?病室から売店は遥かかなたで、ビザを取って北朝鮮に行くくらい遠かった。

導尿の管が入っているときはトイレに一人で行くのがやっと。
導尿が抜けると少しは自由度が高まるが、首の点滴が2本とひじが1本、硬膜下が1本ぶら下がっているので、立ち上がって移動時には、首の点滴をよっこらしょと肩にかけキャスターがバカになっているポールをガラガラと押しながら時々あさっての方に曲がりたがる点滴のキャスターを蹴っ飛ばす。


熱湯が出る休憩室にマグカップをもって遠征する。売店はさらにエレベーターに乗って下に降りねばならない。途中4回くらい休憩が必要であった。

硬膜下の点滴は外れ痛み止めはロキソニンになった。ロキソニン!か。この痛み止めの副作用は広く知られているようだから詳しくは書かない。

病室に帰ると昼食が来たが、おばちゃんはため息をついた。
看護師さんがどうしました?と聞くので痛むからロキソニンは飲みたいが食欲がないので、持ち込んだどの非常食を食べてからロキソニンを飲もうかなと考えてます、正直が駄々洩れした。

看護師はその後担当医にチクったようであった。
次の回診の時に担当医が食べたいものがあったらどんどん食べてよし、ただし看護師さんには軽く申告しておいてね、というのでその時初めて、病院では好きに食べてよくはないらしいということが分かった。

どうでもええやん。そんなこと。
アイ子ちゃんは帝王切開で入院した時に、病院食を一目見て出前を取りたいといった人であった。さすがに病院側から止められ3食ご主人に差し入れをさせた。

私もアイ子ちゃんも考え方は同じで、入院の目的は体の修理と回復である。修行でも病院の食事の規則を守ることも目的でもない。

最初の入院では食欲が出た後は回復が早く、担当医にプレゼンして5日目に退院した。
今回はどのようにプレゼンをしたらよいか?


担当の看護師も昼夜で毎日変わるのだが、担当医に言われた事:売店で買ってでも食べる。を看護師が変わるごとに申告しておいた。めでたく売店に行って日清カップヌードルを買い、ナースステーションの前を見よがしに通った。
リハビリ療法士は断った。スキップはまだできないけど今日は売店まで往復してきましたから!

お風呂に入りましょうという看護師には、私の目標は明後日家のお風呂に入ることなんで、大丈夫!ゴールと目標を強調する。

極めつけは朝の回診の時に、担当医におばちゃんの切り札のカードをさらした。「うん、それはうちに帰ったほうが絶対早く回復するね」と誰もが納得の情報だった。
これはおばちゃんの企業秘密なので公開できない。

めでたく術後9日目で退院した。ロキソニンはゴミ箱に捨てAdvilを飲んで家でシャワーを浴びた。


翌日はアイ子ちゃんにLine
越後屋さん、あなたいくらで円に換えた?

アイ子ちゃんは4月の初めに南加の家に帰り、私の入院中に円ドルがどこまで変わるか手ぐすねを引いて待機していたのである。


131円、手数料なし!
えっ?手数料なし?
そう、投資口座の円建てで手数料なしで投資できるのである。指値で131円。さらに投資口座なので利率がつく。食えない女である。越後屋~!

蛇足
大部屋の他の患者さんは皆さん従順であった。
患者さんは何人も変わったが、必ず皆さん主治医に聞くのである「私は何時お風呂に入れますか?」自分が入れる気分になったら入ればいいやん。回復の証拠だし、そんなことを何故医者に聞く?

退院時期も同じこと、導尿が取れて点滴が抜けて食事ができて自分でトイレに行け、痛みが我慢できる状態なら退院できるであろう。自分の体の声を聞けばよいのに。
今回は羊の群れに紛れ込んだシベリアンハスキーだったような気がしないでもない。


闘病記

1- アイタタ、タ
2-五臓五腑になる入院記
3-再入院
4-発覚
5-告知
6-日本のチーム医療・パッケージ治療
7-闘痛記
8-異色・入院雑記

日本のチーム医療・パッケージ治療

*この記事は入院中に書き退院してから手を入れてUpしました。記事の時間列が多少前後しております。

日本の医療体制:病院というのはがっちりシステムが組みあがっている。評価はまず横に置く。
何せ平成の間は日本にいなかったから、日本の医療進化過程はわからない。この国立病院ではとにかく大容量の人が動いていて巨大な有機体のようなチームが仕事をしている感じ。

治療の標準的手順などがカッチリ決まっていて、そこに患者個人の意思が入る隙間が極めて少ない。文句を言われないため。待たせないためのシステム。国立病院では患者が受診するところからお会計までいかにスムースに処理できるかに全力を集中している。


最初の総合病院に行った時もひっくり返るほど驚いたが、何かの受診番号だか指示書を受け取って衆人環視のなかで30秒紙を見て動かないと病院のスタッフが飛んでくる。
おばちゃんは人が飛んでくるまでの時間を計ったから。


このお手伝いスタッフの数も相当な人数だった。右も左もわからないおばちゃんにとっては助かったし便利だったが、ビジネスを経営したおばちゃんから見ると「不気味で腹の底が冷えた」現象だった

これらの膨大な人員を「お客=患者」が困ったときのためにトレーニングしサーポートだけのために勤務させるための人件費は一体いくら必要なのか。おばちゃんは人を雇うほうだったからどのくらいの期間トレーニングが必要か、人件費と社会保障費は半端ないことを実感として知っている。

そういう組織が作り上げられている総合病院で治療体制はどうなるのか、、というと。
そこそこ有能でベテランの専門家医がいる。一旦診断がつくと標準治療パッケージというやつが待っている。病気のステージごとにカテゴライズされてやるべき治療の指針と方法が決まっているようだ。

ステージ1で他に浸潤がないならついでにリンパ腺温存。
2では浸潤が目に見えない場合が多いから、用心のためにとりあえず切除。リンパ腺も廓清。3次いで化学療法。化学療法が効くか効かないかではなく「皆さんやっているから」標準としてパッケージであてがわれる。

診断からいかにスムーズに治療退院までもっていくかに医師とナースと組織が全力を挙げている。そういう流れの中に、「おまかせ」で治療をしてほしくない患者が混じるとどうなるか。

臓器の浸潤が目に見えない場合、手術中にサンプルをピックして病理検査結果が半時間で帰ってくる?1センチのがんは1億の細胞の集まり。それでやっと肉眼で確認できるわけだから、1つのゆで卵の正中線でサンプルをとり、細胞診でがん細胞が発見されなかったといってゆで卵全体ががん細胞フリーという意味ではない。目に見えない状態で播種があっても調べきれない。それはその通りである。

だが、目に見えないからという理由、予防のためだからととりあえず切ってしまえ。切られる患者としては大いに問題ではないか。
切り取られることで体への痛みとダメージは半端ない。その後に生涯続く影響があるのである。リンパ浮腫などはその代表だ。

乳がんのリンパ節郭清はアメリカではあまりやらないが、砂浜の一つまみをピックアップしてそこにCが混じっているかどうかは運に過ぎない。とにかく切ってしまったほうが医師としては一番楽。

「悪いところは全部取りました。再発を防ぐためにリンパ節の郭清をしました。念のために化学療法を始めましょう」日本の慣用句である。がん治療のお任せ治療パッケージである。

だからおばちゃんは転移がはっきりしない状態でリンパをとるのはどうなのか?予防の為とおっしゃるが、おばちゃんのフジコ・ヘミングウエイはFresh Madeではない。1年物でもなく少なくとも3年からの長い成育歴があるように見えた。過去3年の間リンパ節はせっせと体液を流していたのだ。

さらに言えば、再発予防にリンパ節を取って、それまでリンパ節に流れていた体液はその後どうなるのだ?溜まっていくわけ?担当医は、いや体の他に吸収されます。他に流れます。

やっぱり他に流れるのじゃん。
体液が効果的に流れるように自然が設計したリンパ節を取って、リンパ節をとって体液が他の部分に非効率的に流れるリンパの流れの改悪をどう理解したらいいのだ。いずれにせよ体液が流れるという点で、どこか肝臓付近に存在するかもしれないC細胞の移動と転移を止める目的は完全に達成はできないよね。

主治医は、ベテランで悪い人ではない。
プライベートでお話をしたら多分愉快な人だろうとおもう。がおばちゃんの治療に関しては何十年日本の医療界で生きてきた常識から一歩も出てこない。
アメリカの医師もアメリカの医療界の常識から一歩も出てこないので、その辺は一緒だが。

ただ、アメリカも常識から出てこないが、患者の意思は尊重してくれる
医療行為であっても裸にされて治療を受けるのは人間の尊厳を損なうので、裸で治療は拒否する人がいる。輸血を拒否する信仰もある。心臓停止の場合の救命措置拒否リクエストDNRがあれば尊重される。

日本のお任せ医療では主治医との術前のコンサルテーションは、病院が用意した免責事項を読み上げて患者にサインをさせる時間である。患者のオプションを指定できる約定ではない。


病状の説明と手術内容の解説時間は短い。
宣告と手術までの間は、きわめて短くて十分主治医と二人で検討したとはいいがたい。何せゴールデンウイークが迫っていて、早くスケジュールを組まないといけません。
主治医が提示する診断と手術内容をパッケージで差し出されてそれにサインしますか?しませんか?と言われているだけ。

それでもおばちゃんは、腹膜に播種があったらリンパ節の郭清と肝臓に手を付けるのもやめてもらって、観察して写真を撮って閉じてもらいたいと言った。
腹膜に播種があったら切りません。切っても無駄なんでと主治医は言った。
とりあえず、ここは同意ができた。

肝臓はどの部分をどのように切ります?こことここです。とイラストを見せてもらう。この2葉は肝臓全体ではなん%に当たりますか?予後QOLがかかっているからね。
大体20%ほどです。30%いかなくてよかった。肝臓は出血しやすいらしい。手術中に大出血もあるかもしれない。後記:結局3分の1切除した。念のために。

術中の大出血緊急事態に陥った場合のために、4年前作った「日本尊厳死協会」の会員証とリビングウイルのコピーと最終治療のやってほしくないリクエストを見せる。チャートに閉じてもらうつもりだったのに担当医は見るだけで受け取らない。

担当医は日本尊厳死協会の会員証をへぇー?初めて見ました。と言った。
そうなの?
おばちゃんは帰国してからいろいろ調べてこの協会にぶち当たったからおじちゃんと二人で加入した。日本の医療業界でも普通かと思っていたのだが、違うのか?

意思表示ができない状態になった時の「患者のやってほしくないリスト」に目を通して、ふ~んと言ったがまあここの辺は今は関係ないし、術中になんかあったとしても助かると思ったら僕はやりますから。

ここのへんで、おばちゃんは到底分かり合えない溝を確認した。
心臓が止まったら止まったら止まったでいいんだ。それが患者の意思なんだけど。

担当医さんにはニューヨークの治安の悪い総合病院のERで2年くらい働いてもらって、DNRを助けちゃって患者が医療費の支払いにパンクして予後が悪いから仕事もなくなった人からバンバン訴訟をされると、彼の常識もかなり変わると思う。

おばちゃんは20分では担当医の常識を変えられないので術中のDNRはあきらめた。

手術の当日、朝の回診でこの記事を書いているところに担当医が顔を出してどうですか?変わりはないですかと聞く。お互いちょっと緊張している。

何やってるの?ブログを書いてます。読者がいます。やりにくい患者だろうな、。
さぁ、あと4時間で手術だ。


闘病記

1- アイタタ、タ
2-五臓五腑になる入院記
3-再入院
4-発覚
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