海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。

ウーマンリブの誕生

ウーマンリブの始まりにおばちゃんは居合わせた。
アメリカで女が社会に進出し、経済力と力と発言力を得た課程は実は以下のようだったのだった。

おばちゃんはある日フードコートにいてジョイスとおしゃべりをしていたが、隣のテーブルにはAll Americanの家族が座って食事をしていた。

40代手前のお父さん、少し若いお母さんと2~3歳の男の子。教育・経済的ごく普通の平均的家庭休みの日らしい穏やかなランチ風景。

お母さんは男の子がご飯を食べるのを手伝いながら、私はXXXが欲しいわ!と言った。(XXXはよく聞き取れなかった)さっき見たXXXが素敵、あれがあるといいわね。
するとお父さんが、
お父さん:ウチにもXXXがあったんじゃないか?
お母さん:あるけど古いのよ。
お父さん:まだ使えるだろう?
お母さん:でも、でも、はぁ、、もういいわ。

この会話を読んでピンとこないあなたは男。そうなのよ、というのは女。

XXXを買う決定権はお母さんには無いのだね。お父さんが生活費のほとんどを稼ぎそして管理している。

お母さんは小切手と家族カードを持っているだろうけど、月一のステートメントが来ればお母さんの支払いもお父さんにきっちりチェックされるだろう。お母さんには自由になるお金がないのかもしれない。

だから女がXXXを自由に買うためにはパートでも働きにでて自分のお金を稼がないと言いたいことやりたいことができない。だから女は社会に進出していった。

アメリカの男は自分で稼いだ金を100%自分で管理する。
当たり前だ、どうして人に任せねばならない?

妻は自分で稼いだ金を管理する(好きなものを買う)。
アメリカ人の家庭で妻と夫が全く同等というわけでもないが、自分も稼ぐようになった妻は負けてはいない。ホントの話、おばちゃんは日本人の男が愚痴をこぼしているのをたまたま聞いてしまった。

日本生まれの男にしては珍しくアメリカ人の妻と結婚してしまったらしい。
彼が言うには、ハニー?水曜日の午後にはデービッドをあなたが迎えに行って歯医者に連れて行ってね。
ウチのサリー(仮名)がそう言うんだぜ!俺にどうしろっての?

水曜日の午後から会社を休めってか?(おばちゃん)そうだよ、お前が休めよ、と心で思ったりする。

家庭によって、力関係は若干変わる。
ウチの子の一人はアメリカ人と結婚して子供に手がかからなくなったので、働きに出た。

ダンナとの話し合いで、彼女が稼いだ給料は月に200ドルは家計に入れ、残りは自分で好きにしていいと言われていた。シフトが増えると収入が増えるのだが、ダンナにそれがバレると家計に入れる額が増やされるので、臨時のシフト分は黙っていてくれとお願いされた。

彼女の場合は、カードもダンナの支払いだったから経済的には余裕があった方だが、ダンナがオンラインでカードの使用を全部見ているのだという。

今、XXXのモールでショッピングした?と電話がかかってくると言っていた。ダンナと対等になるためにはダンナと同じだけ稼いで家の名義もローンも家事も育児も折半となるけどそういう関係もなかなかシンドイのだった。

メキシカンの場合は戦前の時代。
ダンナが稼ぎ、カミさんは家事と育児、子供が多いから。

買い物に行くときは家族全員でスーパーも家族連れでぞろぞろレジに並んで、支払いはお父ちゃんがする。

おじちゃんが会社のメキシカンに毎月家計費をカミさんにやれば?と言ったら、金を持ちなれないカミさんは
欲しいものを買ってあっという間に使い果たしてしまうのだという。

メキシカンがXXXが欲しい!自分で働いて買おう!と覚醒する日はたぶんすぐ来るだろう。それまではダンナに付いてきてもらってアレ買って!と言うしかない。

Costco コスコ

おばちゃんが渡米したときはPrice Club(プライス・クラブ)と言っていた。従業員がローラースケートで巨大な店舗の中を走っていた。ウソやおまへん!

ホントにびっくりして、こんな巨大な倉庫をてくてく歩くのはスケートじゃないと間に合わないよね、
おばちゃんだってローラースケートが欲しいと思った。滑れなかったけど。

プライス・クラブはその後合併してCostco (発音はコスコ tは無性音) となった。事故が多いので従業員はローラー・スケートから自転車になった。
(これはウソです)

普通のブランド製品が大量に安く売っているので消耗品を買いに行くのだけど、カートに山盛りでまさに買い出しだった。
一番丈夫なキッチンペーパーのBauntyとScottのトイレットロールでカートの半分は埋まり、アローヘッドの2ダースの飲料水と2ケースのバドワイザーを買うと軽かった当時のおばちゃんにははカートが重すぎて押すのが大変だった。

肉とチーズとCrestの歯磨きやら積んで入口から出口のサプルメントまで延々と歩かないと買い物が済まないし、
週末のレジ待ちの行列は半端なく長い。Costcoに行くのは間違いなく買い出しで力仕事だった。

おじちゃんはCostcoのアボカドが一番品質がいいと言って買うのだが食品はポーションが大きすぎて、ウチはクロワッサンもブルーベリーマフィンも横目で見るだけ。せめて半ダースだったらいいのに。

ただ、ペストリーとスイーツ売り場に”タライ”サイズのFlanがあって、おばちゃんはプリンが好きなのでいっぺん食べてみたいと思っていてずっと目が離せなかった。

ある時すごく疲れていた時についにFlanを買った。アメリカのパーティサイズ。直径30センチを超えるくらい、高さは5センチ。日本のプリンよりもっと濃厚で甘くて金属のスプーンでも差して倒れないくらいの固さのフラン。

クリームドリュブレに近い濃厚さなので、おじちゃんと二人でスプーンを持ちよーいドンで巨大な容器のフランを両側から攻略した。

3日目くらいに胸やけがしてギブアップした。3分の1くらいしか食べられなかった。あれがもっと小さなサイズだったらもっと頻繁にCostcoに行ったのに。

返品文化

買った商品がDefect(欠陥品)や動作しなかったわけではなく気に入らなかったという理由でも購入後30日の間にレシートをもっていけば大抵はリファンドか商品を取り換えてくれる。

ホリデーシーズンの後はカスタマーサービスに長い長い行列ができる。送り主がギフト用のレシートを同封してくれるので購入店にもっていけば好きな商品に取り換えられるからだ。

おばちゃんはTargetで安い扇風機を買ったが羽がペナペナで力がなかったので返品しに行き、代わりに加湿器を買った。
加湿器をしばらく使い、水のタンクの掃除がしにくいのでまた返品に行ってヒーターに取り換えた。季節は寒くなっていたので。

アメリカ全体に返品OKの”返品文化”が行き渡っているので、例えば日本の会社のように、”売買は常にファイナル・セール、初期不良品以外は返品不可”などとポリシーを規定すれば、アメリカ人から総スカンを食らってビジネスが立ち行かないことは明らかだと思う。

日本製のテレビや電化製品だってアメリカ国内で販売されている限りどんどん返品できる。

知り合いはDVDを買って堪能するまで見た後、ケースにビニールを再包装して(彼は仕事で包装する機械を持っていた)見なかったことにして返品していた。

パーティ用のドレスを買ってプライス・タグを取らずに人から見えないように内側に押し込んで、パーティが終わったら帰しに行く人。

口紅を半分も使ったのに気に入らないから別の色に取り換える人。

アパレルの日本向けオンライン・ショップ立ち上げて、商品がもし売れなかったら購入したショップに返品しようという企画していた知り合いもいた。実現はしなかったけど。

実現しなかったのにはちゃんとした理由があって、商品の仕入れがTargetなら年間の?返品金額が1500ドルに達するとブラックリストに載り購入ができなくなるという裏情報があった。

その情報が正しいのか都市伝説なのかは確かめなかったけれど、返品を想定してオンライン・ショップはさすがにやりすぎだと思う。

返品文化の弊害は第一に小売業の利益を圧迫する。いかに返品率を下げるかというのはアメリカ企業の頭痛の種だと思う。
Pain in the assと言うやつ。
ただ、アメリカ人でもかつて経営者Harry Gordon SelfridgeがCustomer is always right.とか言っちゃったもんだから、今さらアメリカ人の返品文化を別の方向へ修正するのはものすごく困難だと思う。
日本では”お客様は神様”と言うやつ。

返品文化の弊害は消費者自体にも跳ね返ってくるわけで、90年代から2000年前後、売り場の商品で箱に開封したあとが有れば返品された商品で、大抵ねじなどの部品が一つ二つ足りなかったり、故障していたりしてた。

だから商品を選ぶときは開封の後があるかどうか確かめて、商品が売り場で最後に残った一つだった場合は買ってはいけない。大抵カスをつかむから。

日本に帰国して寒い日本の冬のために猫用のヒートパッドをオンラインで購入したら、電気ケーブルがいやに短く
ナナちゃんが匂いを嗅いだだけで近寄りもしてくれなくて使えなかったから、ア〇〇スオー〇マに返品したいと連絡したら、開封しました?と質問されそりゃ、開封しますよ。使えるかどうか開封しないと分かんないじゃないですか?
そうしたら、一度開封したら返品不可です。と切り口上で以降返事がなかった。

おばちゃんは開封はしたけど使用はしてないのよ。商品としては何も棄損していないのだけど。
日本人は開封すると商品が穢れるとでも恐れているのかしらね。
日本の小売店のお客様は神様じゃないわ。ほとんど返品ができないから。

愛しのブルーベリー 

どこのホームセンターでも、園芸店でもブルーベリーの苗は大量に売られている。ブルーベリーが美味しく実のるには、日本の気候は少し気温が低いような気がするとおばちゃんは思うのだが、。

果物王国の南カリフォルニアの大粒ブルーベリーをどんぶりサイズのボールに入れて、ヨーグルトをぶっかけてワシワシ食べていたころを考えると、比べると残念ながら日本産は手が出ない。

おばちゃんはブルーベリーは嫌いではないが、かつて飛んでもなく高いブルーベリーを食べた経験があり、さらに日本のスーパーのお高いブルーベリーは見るだけ。

それは、6月の埃っぽい月曜日だった。内陸のTemeculaに観光農場があり、ブルーベリーのピッキングをしてアウトレットでご飯を食べて、ショッピングという予定を立てた。ナビはカサカサの内陸地方へ車を導き、白っぽい荒地のフリーウエイを走る。

内陸は暑い。
華氏95を軽く超えエアコンがフル稼働しても日差しが暑い。幹線道路からも離れた辺鄙な農場には、アメリカ人の肩の高さに剪定したブルーベリーの畝が、何列も並んでいた。

実を摘んでいる間はいくらでも食べていい。親指の先ほどあるふっくらと柔らかい実は、太陽に焙られて生あったかかった。熟した実を選んで、持ち帰り用コンテナに入れ、口に運びねぇ、あたしたちなんか、農作業してるみたいね。
ブルーベリー・ピッキングってこう何かファンシーでロマンチックにならないのかしらん?
私たち農夫じゃん。湿度は極端に低いので、汗をかくそばから蒸発してゆく。もういいや、ってくらい口とコンテナに詰め込んでから料金を払って、一路アウトレットへ。

フリーウエイの15番だかを北上しているときに、ホンダがグンと後ろに引っ張られた。回転数のメーターがスコンと左に落ちる。途端に車内が暑くなってきた。

エアコンが止まった。スピードも落ちてきて、アクセルを踏んでも反応しない。結局、車はフリーウエイを降りて停め牽引を頼んで近くの修理工場に入れてもらった。

「It’s a bad news, ma’am. 」
悪いニュースを伝える時、人はなんで嬉しそうなんだろう。
Alternatorが壊れていて替えの部品はないんだと。

ウチの出入りのガラージに再度けん引してもらうしか方法はない。本日二度目のAAAを呼んで、オレンジ・カウンティまで$320以上の牽引代。

Alternatorは工賃込みで$1700を超える支払いになり、我々は疲労困憊して、次の日にお隣のジャネットにおすそ分けのブルーベリーを上げるのだが
ジャネット、これは一粒2ドルか3ドルだから大事に食べてね。と弱弱しく言った。

魚を買いに行く

Newport Beachのピアの付け根にちっちゃな魚売り場がある。地元の漁師が自分の漁船をだして、捕れた魚をそこで売る。朝の7時か8時にはその日取れた魚が並んでいる。

日本のギンダラそっくりのButter Fish, タラの仲間のSand Bass真っ赤なキンキそっくりのCats Eye
ハマチYellow Tail いずれもサイズは30~50センチはある。

漁師のおっさんは、お客の注文に合わせて頭をゴンと落した後、よくしなうフィレ・ナイフでシュパッと両身をフィレにしてしまうと、頭と中骨は大きなまな板の下に置いたポリバケツに捨ててしまう。

これに悲鳴をあげたのが中国系。
なんてもったいない、白人の奥さんが要らないなら私に売って。
白人の漁師はこんなもん食うのか?と最初は我々を犬か猫のように見なしていたのが、アジア系が増えてくると、立派な商売になるのに気が付いた。

頭と中骨の扱いはもう少し上等になり、のこのこと昼過ぎに表われた我々は、皿に盛られた頭しかない時もあった。それでも取れたてのキンキやギンダラは美味だった。

早起きして丸ごとのキンキが手に入った時は、ウロコを落とし中身を洗って塩を振り、あからじめオーブンを上火に350度にセットして15分くらい温めた後に、オーブンの中段にキンキを入れて焼く。
新鮮すぎて身がハゼてしまうのだった。至福の時だった。

サンド・バスはおじさんがよく船釣り釣ってきたが、臭みがあって日本から連れてきた魚食専門猫も、フンと顔を背けてまたいで行った。

煮ても焼いても臭いので片栗をつけて空揚げにし、玉ねぎとトマトを乱切りにしたサルサに一日漬け込むとまあまあ食べられるようになる。

ギンダラは味噌に漬けるとうまい。
ただ、一般家庭だと切り身にして味噌だねを作って漬けて食べごろに出して、焦げやすいのを焼くのはかなり面倒だ。ギンダラを1本丸ごと買うと30~40ドルするのでハードルも高かった。

美味しい魚を食べるのは、中国人に買われないように早起きをしないといけないし、PCHの渋滞を潜り抜けないといけないし、なにかと大変なので魚から遠くなる生活になってしまった。

南カリフォルニア郊外の自然

ハミングバード

可愛らしくて美しいハミングバードはよく飛んでいたの。
蜂鳥と言われるくらいだから、甘い蜜を吸う。だからくちばしの長いハミングバードのために甘いシロップが入ったフィーダーを軒下に吊すの。

ハミングバードは赤と黄色が好きだそうで、吸い口は赤と黄色の花を模したプラスチックよ。
粉ジュースみたいなシロップを水で溶かしてフィーダーの胴体部分に入れてハミングバードが来るのを待った。

小っちゃいわよ。
小柄なものは100円ライターくらい。褐色や緑っぽい色や、日本の玉虫の羽みたいなメタルグリーンもいるから。鳥の鳴き声とは違うんだけど、ジジっとか、バチッとか音を立てるので、ハミングバードが来たなってわかるの。長~いくちばしをフィーダーの花に差し込んでホバリングしながら蜜を飲んでるの。

ちっちゃなハミングバードのさらにちっちゃな卵も見たことある。おばちゃんの小指の爪より小さかった。フィーダーが釣り下がっているのを覚えてくれて頻繁に来てくれると嬉しかったわぁ。

写真に撮るのはすごく難しかった。携帯なんてない時代だから、フイルムカメラを用意しておいて逃げないように素早くドアを開けて撮るのは不可能に近かったわよ。

動く宝石と言われて羽ばたきが撮れるような写真はものすごい値段がつくと言われてたこともあった。

ジャカランダ

ウチの目の前にも一本ジャカランダの木があって、家を買ったときにはまだ2メートルにも足らず、花も申し訳程度にしか咲いていなかった。帰国の前にはいつの間にか駐車場の屋根を超す高さに育っていてシーズンには空と地面が青く染まるようになっていた。

店の子の一人のアパートは植栽がジャカランダだったから、5月6に尋ねたときは、びっしりと花を咲かせたジャカランダアパートの敷地中に咲き誇って青紫の霞がかかったようになっていた。

落ちた花は地面を青紫と淡い青のグラデーションの絨毯を敷きつめたようになっていた。花にはかすかに甘いような香りがあって梢の花を摘み取ると、蜜よりももっと粘性の高いヤニみたいな粘りがあってこすっても落ちなかった。葉はねむの木に似ていて風によくそよいぎ、6月の微風にはさやさやと葉擦れがした。

カリフォルニアの初夏は気温が高くなることはあっても湿気が少なくて木陰は気温が下がるから、
肌もサラサラして過ごしやすい。ホントにスコ~ンと音がしそうなほど晴れた空、どこまでも青く澄んだ空。

カレッジに続く道路は中央分離帯に植えられたヤシの木が何キロも続いている。多分シティでも昔に植えらたと思われるヤシの木は手入れが行き届いていて一番太くたぶん根元は1メートル近く、高さは30メートル以上で、天辺のクラウンも大きく形よくティでは一番立派だったと思う。

この道とパシフィックコーストハイウエイをドライブするのはいかにもカリフォルニアと思われて快かった。

気候が変わると、爽やかな空気に心持も変わって明るい色彩の服を着たい、袖のない服がいい。襟元もあまり閉めたくない。

ヤシの木の根元の緑の芝生でゴロンとしたいと思うのだがこれだけはちょっと、お勧めしない。
乾燥している土地なので近づくと芝生はちょっとハゲちょろで、犬のXXXXの臭気がしたりするから。

草枯れる

ゴールデン・ステート州の気候は最高よ。カリフォルニアの夏の季語の一つは「草枯れる」
7月末を過ぎると毎日スコ~ンと青い空が広がり、まばらな雑草はチリチリと枯れ上がる。

フリーウエーから見える丘はまっ黄で夏の到来である。ヒートウエーブが襲ってきて唇は乾いて割れ鼻の穴も痛い。洗濯したジーンズを乾燥機に入れ忘れてうっかりベランダに置き忘れたりすると3時間後にはオブジェのように乾燥して固まっている。

雨なんか間違っても降らない。

ブッシュファイアー

こうなってくるとちょっとした不始末や雷で火事が発生する。ブッシュファイアーである。
93年?だかの時はひどかった。

大学の裏まで炎が迫ってきて、朝から灰が降り続け町はきなくさい臭いに包まれていた。

大学の裏の丘は火事の照り返しで赤く、テレビのニュースではそばの高級住宅地から住民が続々と避難してきて警察は住宅地の入口道路をブロックしてしまうのだった。

ペットのキャリアが見つからなかったのか、それとも動転するペットをキャリアに入れられなかったのかペットをカーペットでぐるぐる巻きにして逃げてきた住人もいた。

灰が降るアパートに一人、おばちゃんは真剣に避難を考えた。
炎がもっと近づいてきたらニャーにゃんをキャリアに入れ、おじちゃんの会社に避難しよう。

ところがおじちゃんが仕事から帰ってくると、会社のオフィスはすでに共同経営の会社の副社長一家が避難しているという。夜が明けると、消火隊は大学に迫りくる炎にバックファイアーを放射し炎の前線は燃えるものが無くなって止まった。

毎年夏のブッシュファイアーは慣れっこになってしまったが、2015年を過ぎて、干ばつはますますひどくなった。おじちゃんは町の東側の山の上にある湖で釣りをするのが楽しみだったのに、毎年岸が後退して水を追っかけて10メートルも下がらなけばいけなくなり、浅くなった水に藻が大量繁殖して、お魚さんも水を求め一番深い湖の真ん中に避難してしまった。

岸からの投げ釣りにはもう藻しか引っ掛からなくなった。2年前は30センチを超えるブラウントラウトやレインボーが釣れたのに。次の年には釣り場は閉鎖された。寂しかったね。

アソシエーション

おばちゃんが住んだOCの町はどの通りも絵葉書のように美しかった。
ヤシの木やジャカランダの街路樹にトリミングされた緑の芝生。

落葉樹はそれほどなかったが、道路はローラー付きのバキューム車が定期的に清掃する。商業エリアと住宅地は厳密に分かれているので、車で走ると様々な色やデザインの商業看板が道路沿いにあふれたり季節商品の旗がはためいたりすることはったくない。

おばちゃんが後にビジネスを立ち上げる時も、看板の大きさデザイン素材など、シティの規格にあっていないと申請が却下される。好き勝手に旗や看板を出すことは出来なかったし、公共の道路に何かの看板を出すことは公式にはほぼ不可能だった。

きっと信じてもらえないかもしれないけれど、おばちゃんが住んだコミュニティが外観の修復をしたとき、ドアも外側を塗り直すから、希望の色を3種類から選ぶように通知が来た。

カリフォルニアのランチスタイルの建築で屋根はオレンジがかったレンガ色、外壁はオフホワイトだったので、それに合わせるドアの色は:モスグリーン、テラコッタ、白。自分の好きな色を塗る選択肢はなかった。

前庭に植える植栽もコミュニティが選んだ植物がリストになっていて、その中からしか植えられない。
家の外の構造に手を加えるのは許されていなかった。

最初に引っ越した時に玄関にスクリーンドアをつけ、窓の外にラティースを立てかけ朝顔を植えようとしたら、アソシエーションからラティースを撤去せよと通知が来た。

3メーター近いラティースをホームセンターからウチのセダンで運ぶのは大変だったのに!ニャーにゃんをフロントデッキで遊ばせるのに、デッキの入口にペット用の柵を取り付けたら、いつ見られたのかそれも撤去せよと通知が来た。
アソシエーションの規則は住んでいるうちにだんだん厳しくなり、家に何かを追加するような変更を行うときは、
まず、アソシエーションの申請書を取り寄せ、変更する場所と追加の施工の内容と設計図をつけ、左右隣お向かいの4軒のOKをもらって、申請料200ドルをつけてアソシエーションの許可を取ること。
に進化した。

ウチはホリデーのしつらえはそれほど奨励されていなかったので楽だった。
知り合いの家のアソシエーションは、ハロウイーン、サンクスギビング、クリスマスは必ず前庭にホリデーのデコレーションをすることの規約があって中々大変だった。

外見を美しく整えること。そのためには色も規制し絵葉書ができるくらいに美しい景観が誕生するね。厳しいアソシエーションの規約があるコミュニティは外観が美しく保たれて結果財産価値も低下が食い止められる。

美しい家、美しい街路、美しい街を作るにはシティの規制とコミュニティの規制の上で、住民一軒一軒が
アソシエーション費用を毎月払うことで成り立っている。

アソシエーションが嫌で何も規制が無い住宅地に住むと、それぞれの家は好き勝手に色を塗り構造を変え通りの統一感は全くなくなりなんとなく”荒れ”が感じられるようになる。

すると敏感な白人層が逃げ出し、次に買って住む人は外観を気にしない傾向があって、ますます手入れをしなくなり”荒れ”が加速するようになり、ついには不動産価格が落ちてスラムとは言わないが低い下層が住む通りになる。

住人の肌色がだんだん濃くなるという傾向もあるのが事実だ。

おばちゃんが伊豆で家を買ったとき、環境保全費があって月額が高いね!と聞いたら年額だと!びっくりした。

OCの町の2か月分だった。その金額でこのコミュニティを美しく維持できるのだろうか?
雑草を刈り街路樹をトリミングし、ゴミ捨て場を清潔に保つ。これら最低の環境を整えるには費用が掛かるのだ。

自分の門の中だけをきれいにしても街並みは美しくならない。
日本の家も屋根の色と壁の色を3種類くらいに制限して商業用の看板は建物の外壁上だけに(飛び出さない)とどめるようにすれば、ぐちゃぐちゃした日本の街の外観も随分変わるのじゃないかしら。

黒瓦に白壁の伝統的日本の町並みと言うもなかなかすがすがしい光景だと思うわ。

ディカフェ コヒーを買う

隣のパン屋によって朝ごはんのペストリーとコーヒーを買う。おばちゃんは肝臓を壊してから、カフェイン過敏になったので飲むのはいつもディ・カフェだった。ただ!隣のコーヒーはディ・カフェもレギュラーも全く同じ黒のポットに保存されていて、ロシアンルーレットほどの確率で中身は入れ替わっていた。

コーヒーを飲みながら売り上げを記帳していると、心臓がどきどきしてきて、息が上がってくる。
はぁはぁしながら、ジャネットのおばちゃんまた、レギュラーカフェと間違えた、と。

アメリカはドリップ用の粉のコーヒーもディ・カフェがあるし、お湯を注ぐだけのインスタントのディ・カフェもある。インスタントだと、がくっと味が落ちるブランドが多いが、Folgerの緑ラベルはレギュラーに引けを取らないほどうまかった。

おばちゃんは日本でも普通にディ・カフェが買えると思っていたのにディ・カフェとは何ぞや?と聞かれるとこから始まるので自分でオンラインの捜索を開始した。

日本のCostcoで買えるMJBは味が嫌いだ。Folgerは扱ってない。輸入食品店ではドイツ製のインスタントもあったが日本製の3倍の値段であった。一瓶ポチって見たが、焦げすぎ苦すぎでうむ~という味だった。

UCCの一人用ドリップでディ・カフェがあったので嬉しさに箱で買ってしまった。このUCCおいしい。ところが心臓がどきどきしてきた。明け方まで眠れない。カフェインが大量に残っているようだ。

おばちゃん、Folgerの緑ラベルをAmazonUSから取り寄せようと思ったが、あまりの高さに憤慨した。もういいや、おばちゃん拗ねてしまって地元のスーパーでNescafeの黒ラベルを買ったのである。

むろん、デイ・カフェではない。ところが、黒ラベルはFolgerの味に近かった。うまい。なおかつ、おばちゃんのカフェインセンサーは反応しない。おばちゃん、以来黒ラベルの愛飲者。
幸せの青い鳥は身近にいたのだ。

スパイスを求めて

コロンブスがアメリカ大陸を偶然発見したそのそも理由はスパイスを求めて航海していたからである。
と世界史で習った。

中学生だったおばちゃんは、ホントか?たかがコショウくらいで大の大人がはるばる航海するかしら?
田舎の子供にしてみれば香辛料と言われたって、ラーメンに掛けるコショウしか思いつかない。教えている先生だってわかっているか怪しいものだ。

還暦を過ぎておばちゃんは”あるかな”と思う。何故ならおばちゃんはアメリカで使っていた数々の香辛料が恋しくてならないからだ。

スパイスを手に入れるために未知の航海に行こうじゃないか。
もう一ぺん食べたい。と意地汚く思う。チャイニーズスパーやイラニアンスーパーやら、ごくごく安い値段で本場のシーズニングやら調味料があった。

おじちゃんは嫌いだったけど、五品香が入ったもち米を砕いた調味料とか瓶入りの大根の漬物とか、
ガラスの棚でしまわれていたXOジャンとか甘酸っぱいソース、生のベトナム麺。

イラニアンではミックスされたシーズニング。日本人のおばちゃんに分かる材料は黄色いサフランと微塵のコリアンダーだけ、。牛挽肉に混ぜてカバブで焼くとか、ヨーグルトに混ぜて骨付きチキンを漬け込んで焼くんだ。再現をしようにもお手上げ!英語のレシピも見たことがない。魔法のスパイス。

アマゾンUSには売っているので取り寄せて冷凍するのだけど、香りは飛ぶし使えば減る。

中華食材は横浜中華街にあるのは知っている。
近くに住んでいたから。1缶50セント(ホント)だったフクロ茸の缶詰を500円だとか水煮のクワイが300円とかとんでもない値段で正直腹がたつ。買うと負ける気がする。

それでふと思いついたのが上野 アメ横。
カバブ屋さんがいるというし、そしたらスパイスがあるのではないか?おじちゃんに言ったら乗り気になってアメ横に遠征に行くことにした。スパイスを求めて東京上野へ。

カバブ屋さんはいた。
でもシーズニングは売ってないというのよ。スパイスがあるとしたら西日暮里だって。

コロンブスだってインドに行くはずがアメリカに着いちゃったんだから西日暮里なら近いじゃない。中華食材で五品香いりもち米の粉を買った後、電車に乗った。

西日暮里のイラン料理のご主人は来てくれたのは嬉しいけど売ってないと言った。
さらに、あのパックしたシーズニングと言うのは,結婚したけどまだ料理がよくできないという若奥さんが使うようなもんだって。
料理ができるようになった奥さんはサフランとかなんか混ぜて自分で味付けするんだって。

サフランが欲しかったら小伝馬町に行くといいよ。
小伝馬町か、サフランだけ手に入ってもおばちゃんには他に混ぜるスパイスが分からない。

おばちゃんたち伊豆から出てきたから胸のカラータイマーがピコピコ点滅し始めているんである。今日はとりあえずここまで。

次はおばちゃん神奈川県大和に行きたい。ベトナム人の定住センターがあったところだ。どうしても生麺が欲しい。

パンツの話

米国で暮らして衣類で困ったことは、下着だった。パンツがでかすぎる。

おばちゃんの身長はアメリカでも中の上で不自由しなかったが、お尻はアメリカ人の広大なヒップには及びもつかない。黒人のおばちゃんなど、腰のくびれはしっかりあって横にもさらに”後ろ”にも張り出していて、まっすぐ立っていても腰の後ろにテラスができて缶コークの一本でも置けそうである。

90年代の初頭は小さなアジア系が少なかったので、下着もSサイズは見つけるのに苦労した。
困って子供用を試してみたことがあるが、おしりの頬っぺたはよいのだが、ウエスト部分が狭すぎた。

子供サイズと広大な大人サイズの中間がない。日本人の先人に聞くと、アメリカ人の女の子は子供だと思っていても、ある日突然大人の体サイズになるのだという。本当かぁ?

本当でもウソでも、中間のティーンサイズはなかった。おばちゃんはポンと手を打ち、そうだアジア系が多いリトルサイゴンでも覗けばちょうどいいサイズがあるのではないか?

おばちゃんはリトルサイゴンまで遠征し、香港製のパンツを発見したのであったが、10年ほど倉庫で寝ていたのではあるまいかと疑うほど古臭いデザインで、「下ばき」とでも言いたい代物であった。

燃えよドラゴンに出てくる中国人娘が身に着けていてそうなパンツ。その後、時勢にそってビクトリアン・シークレットがアジアサイズを売るようになったので、不自由はなくなった。

日本に帰国してからは、下着ではないボトムのパンツに不自由している。おばちゃん、足が長いのですべてのボトムがちんちくりんである。

トールサイズのお店に行けば?といわれたが周囲50キロにはたぶんトールサイズ店舗はない。面倒くさいのでおばちゃんは、オンラインでアメリカ人サイズのボトムをオーダーしている。

駐在員の奥様会

ああ、怖ろしい。
おばちゃんは禁断の領域に踏み込んでしまうのかしら。伏字だらけになりそう。

おじちゃんの会社は商社でもなく独身社員とローカル社員だったので、もちろん奥様会などという怖ろしいものはなかった。

駐在員は長くても7年ほどで帰国するから、おばちゃんが永住権を取って一回りすると交友関係は同じ永住権者とローカルが中心になった。

友達のアイ子さんは駐在奥様に人気のお習い事を教えていた関係で、駐在の奥様たちと交友があった。日本を代表する一流企業の駐在員の奥様は何年かに一回奥様会を催すのだった。

アイ子さんはその中の一人、知り合いの奥様からどうしたらいいかしらと泣きつかれて困っていた。親睦を深めるため奥様会が今度あるのだが、その席で当然ながら自己紹介をせねばならない。It sounds normal. それで?と思うのだが

この自己紹介が大変なのだという。
自分のざっとした履歴:上の人の奥様より華々しいと大変!どのように”抑え”て紹介するか、会社の社員であるご主人とのなれそめエピソード!つまんないエピソードでは受けが悪い。

かといってロマンチック過ぎると”上の方”の妬みを買うかもしれない。つまらなすぎず華々し過ぎず、適度にユーモアを散らして自分の地位=ダンナの役職にふさわしい自己紹介を考えないといけないらしい。

服装バッグも上の人を超えてはいけない。アイ子さん、どうしたらいいでしょう?どんなエピソードを話したらいいのかしら。まるっきりのウソではバレるわよね?

かつての□コ□奥様会は、上座から下座まで地位順に席が作ってあったのだが、さすがに対外に聞こえが悪いと反省したのか、近年は席を決めるのにくじを引くそうだ。途中に軽いゲームを行って、さらに席替えをするのだそうだ。

ある情報によると、XXXの奥様会は集合時に席に座っていらっしゃった奥様は会社の上様のお局で、他の出席者が誰一人手を付けられないお茶と茶菓子をおひとりだけ悠々と召し上がっておられたそうである。

お局様は”卒業式から結婚式”とご自分の経歴を披露なさり、社会生活に穢れることなく、ひたすらご主人と会社のために尽くしてこられたことがご自慢であられたそうな。21世紀の時代に?!いくら席をシャッフルしようとも、”お局様”がどなたかは一目瞭然だったという。

○○○の場合はもう少し小規模の会社で割と皆さん庶民派で和気あいあいだったらしい。

X菱の場合は、超一流にも関わらず奥様会が無かった。
元社員の本人から聞いたが、かつてX菱奥様会でバトルがあったのだそうだ。奥様同士がご主人を巻き込んで会社を2分するような紛争が起きたそうで、以来ではX菱奥様会はご法度らしい。

深田祐介は奥様会や駐妻生活はあまり書かなかったけど、一流商社の△△△△の奥様によれば、ダンナは仕事・仕事・夜討ち・朝駆け・出張・出張で子供を抱えていて学校関係の手続きも自分でやり病気でも引っ越しでもダンナはあてにできず母子家庭と同じ環境なの!とこぼした。

商社マンの勤務は激務で、重圧のあまり同僚で気が狂う人も珍しくないのだ、とおっしゃっていた。△△△△の毎月の給与明細には、支給額の他に今月退職するとしたらあなたの退職金=金額が記載されているのだという。

日本に帰国したときに日本の教育に遅れないように日本語学校の宿題も付きっ切りになって奥様が教えていた。

ダンナは一流商社で働いていて頭がいいのは証明済みなので、子供の出来が悪ければ奥様の出来が悪いことになってしまう。奥様だって想像もできないほどの重圧にさらされていて無論壊れてしまう方もいる。アパートのドアから一歩も出られないようになって、こうなると日本に送り返すしかない。

奥様会ほどの大げさなものではなくても駐妻持ち回りのお茶会があって、今週はこの方、次はこの方とめぐっていく会社もあった。会社は奥方を現地の文化や学校で自分磨きをさせるために派遣したのではないので、現地交流禁止などとオフレを配布する会社もあった。

会社を一歩外に出ればただの知り合い、会社と配偶者は無関係といかないのが日本社会のややこしい文化であった。(アメリカでもあるが日本ほど支配が濃密でもない)

ベジタリアン色々

ジャイナ教のクラスメイトがいた。英作文のクラスで隣になったのがジャイナ教のおばさん。小太り。

おじちゃんはインド料理とナンが大好き。その当時はスーパーでナンは売っていなかったからジャイナ教のおばさんに聞いてみた。やっぱりナンはタンドーリじゃないと焼くのは無理なの?

いや、フライパンでもできるよ。っうことでレシピを教えてもらった。粉を練って適当に伸ばして、フライパンで焼くだけ。
仕上げにバターを塗って砂糖を掛ける。いや、それは何か別な料理ではあるまいか?

会話の過程でおばさんはジャイナ教でベジタリアンだと分かった。バターとタマゴとミルクはOK。肉や魚が無くて平気?と聞くと人間は命を奪わなくても植物性の物だけで十分生きていけるのよ、と言われた。それで、ナンにバターと砂糖なのかな。
大量のデンプン質とバターと砂糖で小太りのおばさんができてる?

その後いろんな段階のベジタリアンを知った。白人で「鮭」は食べるベジタリアン。魚は肉じゃないらしい。仏教のベジタリアン。ほぼヴィーガンだった。ヴィーガンになっちゃったアイ子ちゃんの息子。焼き鳥が好きな子だったのに、キノコなんかぐにゅぐにゅしてて気持ち悪いって言ってたのに。ヴィーガンになってモリモリ野菜を食べてる。

さらに強烈になるとカーボン抜きを主張する人。レストランに勤めてるマコちゃんが言うには、白人のベジタリアンのおばさんが「ご飯抜きのスシ」を作れとごねて困ったという。サラダを食べてればいいやん、とマコちゃんは思うのだが、

白人ベジタリアンがサラダはサラダ。スシが食べたい、ただしご飯はいらない。ロールの中身だけ海苔で巻けばいいの?
ベシャベシャになるやん。そしたら、ソイペーパーは無いか?ソイペーパーで巻けと。

日本の皆様はきっと頭をかしげるだろうけど、黒い色と生臭い匂い海苔が嫌いという人がいる。
日本の食品会社さんも大弱りだったろうが、海苔の代わりにソイ(大豆)ペーパーという海苔の代用品を発明してしまった。

段ボールをつぶして春巻き並みに薄くしたみたいな色と匂い。おばちゃんはキライ。そのソイペーパーでスシの中身を巻けと。日本食レストランは顧客のわがままに振り回されて大変!
キュウリとアボカドをかじってればいいやん!とおばちゃんは思ったりする。

脳外科医が救急車に乗る

アメリカ人はすべて確定申告をしているという事実はあまり知られていないかもしれない。
年が明け2月が始まるとそろそろ所得税の申告時期だ。
おじちゃんは勤めていた会社が使っている同じ会計事務所に申告書類を作ってもらっていた。
だって、会社の従業員の給与業務を請け負っていた会計事務所なので、所得の資料は全部持っているわけだったし。

3年目にうっかりして一部の書類を会計事務所に送るのを忘れた。申告書類が届かないのでどうしたわけかおばちゃんが会計事務所に問い合わせ、ついでに早くしてねと催促してしまって、そうしたら会計事務所は完成した申告書類を送ってきてそこに手紙が同封しあった。

その手紙には:
給与所得だけのあなたの申告書を作成するのはわが事務所にとってはBrain Surgeon脳外科医が ambulance救急車に乗っているようなものだ。能力の無駄遣いなので、来年は別の会計事務所に行ってね?と書いてあった。おばちゃんは大いに不快になり、どうせウチはまともに控除も無い給与所得者よと拗ねた。

国民全員が申告するわけだから、安い申告サービスも沢山あった。どの町にも支店があるチェーンの申告サービスなどは30ドルくらいで出来る場合もあって、知らなかったとはいえ脳外科医に風邪ひき程度の治療をそれなりの料金でお願いしてたわけだから、まぁ、件の会計事務所の言い分も一理も二理もあるわけ。チェーン申告サービスはシーズン中は混んでいて予約が取りにくい。すぐそばにあってガスステーション並みに気軽なので何年かご厄介になった。

後に起業して、事業の申告をするときに紹介されたのは元IRS(税務署員)だった。
この会計士を使うようになって知ったことは、例のチェーン・申告サービスは一番間違いが多く、税務署からAudit(監査)を掛けられる数もダントツに多いのだと知ってまたびっくり。

彼女によると、税務署が一番目をつけるのは、ホーム・オフィス小企業。自宅をオフィスにして会社の経費として自宅のローンの半分とか3分の1などを会社の経費として申告している場合は、一番レッドフラグが立つのだという。

アメリカに会計士・税理士に関するジョークがある。

小学生:1足す1は? 2です。
大学生:1足す1は?  2です。
会計士:1足す1は?
    手をモミながら、いくつにしたいですか?

ウチの会計士は税務署員上がりなので、決算数字が税務署の注意を引かないように申告できますと言った。「監査保険」をつけてさらに50ドル料金を支払うなら実際監査が入った場合におばちゃんを煩わせることなく会計士がすべて税務署に対応することになっていた。おばちゃんは一度も監査に入られることなく幸せだったが、料金は脳外科医会計士の5倍以上だった。

ニコチンパッチで死にかける

おばちゃんはアメリカで2回死にかかった。
一回目はメタボリック・アシドーシスになった時。2回目はタバコで。

1回目の時、事件の遠い原因だったアルコールはすっぱりやめた。外国でシラフで生きていくのも大変なのに、酔っぱらいながら生き延びられない。だからやめた。

2回目のタバコはちょっと違う。おばちゃんはニコチン中毒という状態に倦んでいた。体も部屋も臭くなり、歯はシミがついて汚い。タバコを切らすのが不安。切れないように在庫を確保しておく。

そういう状態自体がなんかストレス。タバコを止められるなら、やめてみたい。そんな時ニコチンパッチが保険適用になった。

おばちゃんはその時のかかりつけのドクターに行って、ニコチンパッチの処方を頼んだ。
ドクターは処方量を決めるために、おばちゃんにどのくらいタバコを吸うのか聞いた。正直に2箱吸います、と申告した。

夫婦二人で吸うので、おばちゃんたちはスオッチ時計を男女用それぞれ。マルボロの電源付きキャンプ用クーラーボックス大。マルボロの寝袋3袋、おじちゃん用のマルボロキャップ。マルボロのリバーシブルジャケット男用。セブンスターの目覚まし時計など、2人のタバコの空き箱で様々なグッズが
集まってしまうのだった。

ほう?一日2箱も?それは量が多いですね。
XXXミリのパッチかな。

おばちゃんは薬局でニコチンパッチを受け取るとずっしり重かった。サロンパスを円形にして1.3倍くらいの大きさにしたものと思ってくりゃい。うゎー婆さんの膏薬かい。見えないように貼ろう。

寝る前に最後の一服を吸い、灰皿とライターを処分して休んだ。朝起きると枕もとのタバコの代わりに置いたニコチンパッチの最初の一枚を取り、肩に貼った。頑張ってくれよ~と肩をモミモミした。

おじちゃんを仕事場に送り届けてアパートに帰る途中。突然、尾底骨から何かが脊椎を駆け上がり脳で爆発した!同時に心拍が160くらいになり、視野が外側から欠け始めて
中心の30センチくらいしか見えなくなった。後は真っ暗である。

道路は幹線道路で3車線あるうちの真ん中レーンを60マイルで走っていて、前後左右側には同じく車が走っている。息が苦しくて前がよく見えない。ハンドル操作を間違えればどこかにぶつかる。
不運なことに一番右端のレーンはフリーウエイの登り口で右脇道に入れない。
フリーウエイの入口が過ぎたら車線を右に変更して交通量の少ない脇道へ入ろう。

ニコチンパッチのせいだと直感で分かった。貼ったままにしておけば心不全で死ぬか道路で爆死するだろう。ハンドルにへばりついた右手を離して、シャツの首から手を突っ込み
左肩からパッチをむしり取った。もし腰に貼っていたらおばちゃんは間違いなく死んでいた。
運転席に座った状態でぴったりしたジーンズの下に手を入れるのは難しい。

パッチを捨てても視野は戻らなかった。心拍も早すぎて呼吸が難しい。その状態で右レーンに移り
次の信号で右に曲がった。アパートまではとても持たない。手前のショッピングモールに入りパーキングで止めた。目が見えずハンドルに突っ伏した。

時間はわからない。ようやく視野が戻ってきて目の前には公衆電話があった。25セントを探してよろよろ車を降り、エマージェンシーだとドクターに電話をした。

ドクターにどうしたらよいでしょうと聞くと、ドクターも動転している。クリニックに来てください、というが、そんなことは無理だ。救急車を呼んだ方がいいですか?

ドクターは嬉しくないようだ。タクシーは呼べませんか?
いまこの状態でタクシー会社を調べ電話してこの場所を説明するのはムリだ。もうしばらく休んでアパートに辿り着き、ドクターに電話をかけてもらってアパートにタクシーを派遣してもらった。

どう考えてもニコチンのオーバードースだった。
おばちゃんは診療ベッドに横たわって点滴を射たれながら、赤んぼがタバコを1本食べれば死ぬし、
成人のニコチンの致死量ってどんだけなんだろうか?膏薬みたいなパッチは一体何グラムのニコチンが含まれているのか、とかこの治療費は払えないか、とか つれづれに考えた。

おば:ドクターにどうしたんでしょうね?
ニコチンが多すぎたように思いますが。
医者:でも、あなたは1日2箱吸うヘビースモーカーですよね?
   最強のパッチを処方しました。
おば:はぁ、確かに2箱吸いますが、
   マルボロはマルボロでも「ライト」を吸ってます。
医者:「ライト」って何ですか?知りません。
    僕タバコを吸わないですから。」語尾が裏返っていた。

おばちゃんは、もう消耗しすぎて「どっひぁ~ん!」とも言えなかった。

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