海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。

オンライン・ショッピング

携帯自体も出始めでIphoneどころか、BlackberryやNokiaがぽつぽつと使われ始めたころ社会はまだ携帯文化に慣れていなかった。他人と一緒の時に携帯電話をいじるのは、人を無視した無礼なマナーという合意があったような時代。

人は一人でやってきてアメリカ人がでっかい指先でBlackberryをポチポチさわる。よそから電話を受けて他人に耳障りな会話を平気でする。おばちゃん、そういう客が目障りでどうしたもんかなぁと悩んでいた。繰り返すが携帯電が珍しかった時代。

おばちゃんは勤務時間が長く碌に買い物に行けなかったから、オンラインショップを多用するようになっていた。EbayでInstantBuyかアマゾン。どうしてもアメリカにないものは日本で買って転送で送らせていた。

携帯電話の迷惑を何か防げるグッズがないか、検索していたおばちゃんは見つけてしまったのですね。
邪魔ー。携帯電話の電波を邪魔ー。

おばちゃんはふと黒い心がムクムクもたげ色々調べてしまった。当時携帯の電波の状況は安定していなくて、しょっちゅうつながらないとかトラブルがあるようだった。

もし、ウチでつながらなくてもそれはよくある話よね?その会社はイスラエルにあり、邪魔―の他にも怪しげなグッズがいろいろあった。

ただ、アメリカ国土で邪魔ーは許されていない。もし、所持していたら連邦犯罪になるのかも。

邪魔―がOKなのはオーストラリアと日本だった。おばちゃんは会社にメールをして、日本に送れる?と聞いたらば、日本は禁止国じゃないから大丈夫よ。と返事が来た。

そうか、理論上イスラエルで物を買い、日本の転送住所に送って、転送からアメリカに来るよね。おばちゃんは無害のコンピューターパーツを買ってみたら日本経由で普通に届いた。むろんイケナイものは何も買っていない。

ある時はラップトップの調子がおかしいので、予備のハードディスクを買っておこうかと、近場で一つポチる。セラーから送ったよ~、通関があるから、。とメールが来てえっ?通関?何故?同じ州内で、どうして通関?

ハード・ディスクは3日も4日も届かず、1週間以上も経ってからやっと届いた。カナダから。EbayのアイテムのロケーションはCAだった。CAはCaliforniaだろう普通?!カナダの会社ならCANADAって書けよ。

ある時はEbayでエスニック風のパンツ(タイ産)が気に入って、ただ値段がGBPと書いてあったので、Sellerに問い合わせたらブリティッシュ・ポンドだという。アイテムのロケーションはオーストラリアである。変だなぁと思いながらも欲しかったので買ったらなんとドイツから届いた。
ネットには魑魅魍魎が巣食っている。

生き延びる

アッコちゃんが窓の外を見ながら、ぽつんと言った。
「ああ、あのアスファルトを均している人だって、資格や技能を持ってて仕事をしてるんだよね」

外の駐車場はアスファルトの敷直し最中でローラー車両に乗ったメキシカンが熱いアスファルトを均しているのだった。駐車場が半分使用不可能なので、客は来ず暇だった。

おばちゃんは、アッコちゃんが言うことが痛いほどわかった。好きな国で生きていくためには、何か技能がいるのである。

好きな仕事か、やりがいがあるのとか、そうでないのとか、、そんなこと以前に、ちゃんと雇われてお金がもらえる仕事が必要なのである。雇ってもらえる技能、仕事がもらえる技能。安定して暮らしていける仕事。

アッコちゃんは多磨美の卒業だったから、フォトショップもイラストレーターも扱えるのである。デザイン関係ならどうなのよ。と何時か聞いたことがある。
「私くらいの才能はその辺にいくらでもいるんです」

アッコちゃんはその後ウチをやめ、サポートしてくれる会社を見つけて、グリーンカードを取った。アメリカのビジネスの新陳代謝はとても早い。時流に遅れてた会社、時流を見ていない会社は消え新しいビジネスは生まれるが、いつまで持つか誰も知らない。

親方日の丸にすり寄っても、本家の長い不況のために営業所を縮小したり、いつ完全撤収してもおかしくない。ヤマハも人を減らし、リコーは突然アトランタに移転をした。家を売ってついてこれない従業員は首。

そしてまさか、世界のトヨタがテキサスにヘッドクオーターを移転するなどとカリフォルニアの従業員は誰も想像もつかなかった。日系社会は動転した。家を売ってテキサスに引っ越すか、やめるか。外地の将来はいつも真っ暗。先は読めない。

グリーンカードは取れたけど、アッコちゃんは結局接客業を選んだ。
人が好きなのだ。コロナのパンデミックの中、死んだほうがまし!くらいの苦境に立たされたことは想像できる。できれば逞しく生き延びていて欲しいと思う。

税金は滞納するな

税金は滞納しないほうがいい、
何故なら後でしっぺ返しを食らうからだ。これはウチのベストのお客さんだったボブと孫ヒューイの話である。

ボブはニューヨークの生まれだった。離婚した後カリフォルニアに移って、AT&Tを長く勤めてリタイアした。いい歳だったんだろうけど、肌はしわもなく頬はピンクで元金髪だった白髪がふさふさしていた。一人暮らだが、娘が近くに住んでいたのでカレッジを卒業した孫ヒューイがよく一緒に来た。

ボブはいつもヒューイに説教していた。カレッジを卒業しただけで、大学に行かないことを嘆いていた。
若くて怖いもの知らずのヒューイはまだ25で、ボブの言うことをてんで相手にしていなかった。

美人のガールフレンドはいるし、高級取りだったから。ガテン系の仕事なのだが、高所作業する職だそうで大学出の資格でもなかなか稼げない金を稼いでいたのだ。

しかし稼いだ金は遊びに使ってしまい、納税時期になると所得税も州税も払えなくて未納金に利子が付き、督促に追われていた、ボブにも泣きついていたようだった。

そんな時にメキシコ湾原油流出事故が起こった。ヒューイは税金未納のトラブルをほっておいて(税金を払えば済むはなしなのだが)テキサス州メキシコ湾に逃げた。
とりあえずカリフォルニア州にいなければ、未納金も追っかけてこないと思ったのだろう。多分、普通はあまり追っかけてこないと思う。

流出した石油の処理にメキシコ湾にはリグが建てられ、高所作業できる技術者が高い給料で募集されていたのだ。ヒューイとしては、テキサスでうんと稼いでカリフォルニアの税金を払えばいいと思っていたのだと思う。

ところが、カリフォルニア州はヒューイの上手をいった。ヒューイの給料が全額抑えられたのだ。裁判も経ずにいきなり給与を抑えられるはずないのだが?

実はテキサス州がヒューイに払うはずの給料は、カリフォルニア州から債券をテキサスが借りて支払うことになっていたのだ。

カリフォルニア州はテキサスの事故処理ペイロールにヒューイを発見して、さぞかし喜んだろう。
ヒューイ君、愕然。あてにしていた収入が全く入らず、文無しでカリフォルニアにシオシオ戻ってきた。

ボブのおじいちゃんは、激怒である。だから、言ったろ。税金問題を片づけておけって。弁護士費用なら出してやるって言ったろ?ばーかたれ。

ヒューイはストレスのあまりドカ食いしたのか、見分けがつかないほど真ん丸なデブになっていた。
教訓 税金の滞納はやめよう

アーノルド

モールの前の管理会社のマネージャーはアーノルドと言った。汚らしい歯をした痩せたジジイで、スクルージはこいつがモデルだったのだと思う。

土曜日・日曜日になるとモールの裏を後手にひょこひょこ歩いていた。ジャネットによると土日はよくモールを見張りに来るという。ビジネスの中にはめったに入ってこない。

おばちゃんがビジネスを買うときに、モールの面接をしたのがこのアーノルドだった。
おばちゃんは面接用に作ったビジネスモデルのコピーを一部アーノルドに渡し、経営ポイントの3つの数字を説明していったが、アーノルドはろくに数字を見もせず興味が無さそうに傍らにうっちゃった。

面接をするだけでこちらは$200ドル支払っているのに。

面接の結果は2週間から3週間で知らせるから。とアーノルドとの会見は終わった。経済は好調でビジネス売買も盛んだったが、モール側のマネージャーがNoと言えば、売り手と買い手が売買に合意していてもテナントの売買は成立しない。

2週間たってもアーノルドからは連絡がなく、不動産エージェントにもコンタクトがない。向こうがもったいをつけているのは分かっていたが、売買を進めるにはこちらから連絡するしかなかった。

売り手も私もエージェントも3人そろってたまたま女で、売り手のオーナーがアーノルドに電話を掛けた。
「ヘイ、アーノルド。面接の結果はどうなの。私?私はテナントのミカコ(仮名)よ。3年間商売してるじゃない。忘れたの?」
するとアーノルドは新しい看板のイメージを今度はオフィスにもってこいと言うのだった。

管理会社のオフィスはすぐ近くだったのでアポを取って訪れると、くすんだオフイスの外には真っ赤なイタリア車が止まっていた。オフィスに一歩入ると、秘書とアシスタントがいるのにシンとして物音一つしない。

アーノルドとアポがあるのだがというと、秘書は怯えた目をしアシスタントはごくっと息をのんで、ボスは今グッドムードじゃないから。と奥を指さした。

アーノルドは一番奥のデスクにひっくり返り、なんとデスクに足を乗せていた。デスクの正面に来客用のいすがあるので、おばちゃんは椅子の背を引き寄せ座ろうとした。

するとジジイは「座るな!」と言ったのである。
来いと言ったのはアーノルドだ。私は聞き間違えたのかと思ってもう一度椅子に座ろうとしたら、ホームレスを追い払うかのように、座るな、看板のイメージを置いて出てけ。とシッと手で追い払われたのだった。

おばちゃんは憤然として出口に向かったが、秘書は知らんぷりアシスタントは下を向いたまま「アーノルドに逆らっちゃダメなんだよ」とささやいた。

この時の秘書はマリアとか言ったが、売買エスクローが開始した後に辞め、以後オフィスに電話を掛けるたびに違う名前の秘書が答えるのだった

アーノルドがさんざんもったいをつけてOkを出したときにはすでに7月に入っており、面接から2か月半たっていた。エスクローはオープンして、おばちゃんは会社の設立などで忙しかったが、突然アーノルドから電話がきて、テナントの補償金を上げると通告された。

理由としては、おばちゃんたちにビジネス経験がないことだと。エージェントだってエスクローがすでにオープンした後に、補償金を吊り上げるなんて、聞いたことない、と言う。

エスクローは売買金額で合意があり頭金もすでに支払われているから、ここで売買をキャンセルしても、おばちゃんの頭金は戻ってこない。絶対逃げられなくなってから、補償金を吊り上げてきたのは汚いやり方だった。

むろん、エスクロー会社だってそんな追加条件は聞かされていない。エスクロー書類は全部作成し直しになる。

アーノルドはEmailに答えないので、ファックスで秘書と何度もやり取りして追加の支払金額と支払方法を確認して、小切手で支払った。

その時までおばちゃんはパン屋のクリスがアーノルドにどれだけ嫌がらせをされたか、全く知らなかったのだった。

エスクローがクローズするまで、売り手のミカコとエージェントのタカコ(仮名)とおばちゃんの3人女はあれこれと連絡を取り合うことになる。

ボブは25歳だった

ボブのおじいちゃんは2012年に亡くなった。
ウチのオープンからの守護天使みたいなお客さんだった。最初は前立腺がんが発覚し最新レーザーで手術した。治療のすばらしい成功例として、病院のプロモーションビデオに撮られたんだ、と自慢していた。

その1年後のフォローアップで胃癌が見つかった。転移ではなく単発の胃癌だった。頬っぺたはつやつやとピンクでとてもガンを抱えているように見えず、たまたま居合わせた外科医もあの人なら助かるよ、と断言するくらい元気に見えた。

当時注目されていた免疫を高めるという評判の海藻のサプルメントを買って、ボブに飲むように渡した。ウチの子が一人ボブの家に間借りをしてボブの一番のお気に入りだったが、胃がんが発覚した頃にはすでに卒業して日本に帰国してしまっていた。

ボブは代わりにカンボジアの留学生に部屋を貸したが、今度の子はヒトミほどフレンドリィーじゃないよ。ほとんど部屋から出てこなくて、話もしない。ヒトミはいい子だった、今どうしてる?と私に聞くのだった。

ボブは抗がん剤を始め、食欲が落ちた。
病院の抗がん剤治療って、すごいんだよ。患者がずらずら~と並んで、あんたはこのカクテルこの人はこのカクテルって、流れ作業みたいに射つんだ。ボブ、サプルメントを忘れずに飲んでね。

ボブは年のせいで膝も痛めてウチまでドライブしてきても、車からでるだけで3分もかかるようになった。この役立たずの膝め。とうとうボブはドライブをあきらめ、車を寄付してしまった。

ボブ大丈夫?生活に不自由はない?
すると、近くに住んでいる娘が、出勤前に寄ってスープだとかキャセロールだか置いてって、夕方また寄るんだ。看護婦の訪問もあるしな。

ただ寒くなってきてリビングにいても足が冷えて傷むんだ。私は使っていない電気毛布をボブに持って行った。

ある日、ボブの好物をもって家を訪れると、ボブは友達らしい男の人と話していた。やぁ、これは古い友達。俺はロングタイムケアホームにトライしてみることにしたから。

娘がな、ロングタイムホームがあるから行ってみないかと言うんで。ずっと行きっぱなしじゃなくて、ちょっと試しに1週間とかな。

たぶんボブはその時、もう自宅に戻ってくることはないと覚悟があったのかもしれない。友達ともお別れのつもりだったのかも。

ボブはもともとニューヨークの出身だった。結婚もニューヨークにいる時。ウチのカミさんがcheatして離婚したんだ。息子と2人の娘がいて、娘二人はカリフォルニアの近くに住んでいる。孫のヒューイは娘の子だ。

息子はどうしたのと聞くと、妻と別れた時に妻側と暮らしていたが、どう掛け違ったのかボブにいろんなトラブルを持ち込んでしりぬぐいさせるのだった。

重い口調で、息子は飛行機が好きで免許を取って飛行機に乗るが趣味だが、中古のセスナを買って払いきれずにボブにボブに泣きついてきた。離婚の時に見捨てられ親としてしてくれることもなかったのにセスナの残金くらい出せと。一度きりじゃなくて、ローンが払いきれずに最後はボブに押し付けてくる。

息子の話題が出たのは一度きりで、それ以降は娘の話や孫のでき。テキサスに行ってしまったヒューイの話をぽつぽつとした。

次の週から、ボブにメールを送っても返事が来なくなった。前は、頻繁に面白画像だの面白記事だのメールでやり取りしていたのにパタッと返事が止まった。

ボブはラップトップはもっていなかったから、娘がデスクトップをホームにもっていけるのだろうか?返事がないまま夏に入り、ある夜の明け方。夢を見た。

金髪で若いがっしりした体格の青年が両手を肩で広げて(ボブは肩幅は広くない、むしろ華奢)
Hi, M  I’m 25 now. Who am I? とおどけて言った。
ボブだ!すぐわかったよ。と目が覚めた。
ああ、ボブは死んだんだ。

しばらくしてボブの孫のヒューイが友達とやってきた。一時期風船みたいに太っていたが、もとのサイズに戻っていた。ボブは亡くなったのね?
ヒューイはうなずいて、夏に亡くなった。やっぱり。
おばちゃんは夢の事を話すと、ボブらしいや。きっとボブならやるね。

家は売りに出されていてZillowで家の中の写真を見ることが出来た。家具は処分されてもう何もなかった。返事は来ないけど、たまにボブにメールを書いた。
RIP

バンカメと戦う

アメリカで起こるトラブルは、電話一本でするすると直る、ってなことはまずない。
2回電話をかけてもらちが明かず3回でもどうだろう。
解決しない主な理由は、カスタマーサービスの人の質が低くてトラブル解決システムがきちんと動かないせい。

クレジットカードのカスタマーサービスは特にひどくて、バンカメ・カード事件は次のように起こった。
アメリカのクレジットカードの有効期間は短い。たいてい2年くらいだ。
当時持っていたバンカメBank of Americaがリニュアルしておばちゃんは新しいカードを受け取って
スーパーとか小売店で3~4回 使った後に、何気なくカードを見ると、
おばちゃんの名前と全く違っていた?

氏名であっていたのは、ラストネームの最初のアルファベット2文字。
なんじゃこれ!
おじちゃんのラストネームはスペルを並べると日本人に見えない。いつも行く銀行の窓口のおばちゃんは、
あなたの名前はフィリピンのタガログ語では「海」って意味よ。と教えられた。イヤ、タガログじゃなくて日本人だけど。
カードの赤の他人のスペルと似てるっちゃ似てる。

そのバンカメ・カード名義にびっくりしてすぐカスタマーサービスに電話を掛けた。
別人のカードを送ってきて、使っちゃったわ!あ~、私のカードは今どこよ。すぐキャンセルして。

あ~、ハイハイ、あなたのカードはまずキャンセルしました、と。
使っちゃったんですか~?
うん、90ドルちょっと使ったわ、ビルはちゃんと送って払うから。

で、カードのステートメントが届くと請求額が$0なんだね。どうなってるんだこれ。

で、また電話をかける。
あ~、カードが間違って届いて間違って使っちゃったから請求を送ってもらうはずだったのにチャージされていてないよ。
あ~、ハイハイ。忘れましたか?つけときます。来月払ってね。

次の月、また請求額がついてない。
電話をかける。
カスタマーサービス、間違って使われた名義人があなたを訴えると言ってます。
払わないとあなたを訴え、、、、、

だから最初から払うよって、言ってるじゃん。2月前から電話をかけてんじゃん、払うって、。
あれ、(記録を調べて)ほんとだ。じゃ、請求書送ります。
もう、いい加減にしてよ。何回電話をかけてると思ってんのさ。

次の月、請求書の請求額$0.どうなってんだこれ!怒!
カスタマーサービス:相手はdisputeして、払わないって言ってます。
おう、だから払うって言ってんじゃん。お前話を聞いてんのか?
お前じゃもう埒あかないから、スーパーバイザーと代われ。

スーパーバイザー:ポリシーを調べたところ、他人名義の支払いはできないことがわかりました。
なんだって?それがわかったんなら、なぜ説明しない。自分で使った分は自分で払うから。

スーパーバイザー:できません。他人のアカウントに支払いはできないんです。
おば:相手はdisuputeして払わないんだから、私が払うって言ってんじゃん。どうやったら払えるの?
スーパーバイザー:……………..

払えといったり、払おうとしたら払えませんと言ったり。延々と6か月ももめた。

決定的におばちゃんが切れたのは、払えというカスタマーサービスにぶつかったときに、銀行のバンカメの窓口で払えます。と言われOK,分かった家から近いバンカメの支店でこれから支払うから、店長に電話をかけておけと、支店の名前と住所と電話番号をいい、これから行くから。

バンカメの支店に着いたら、支店長にもちろん電話は来てないわ、クレジットカードとはそもそも組織が違うので、カードの支払いはできませんとマネージャーに言われ、カンカンになった。カードのカスタマーセンターのスージーだかナンシーができるといったんだよ。

それでとうとう堪忍袋の緒が切れて、おばちゃんはジオシティにバンカメ用のページを作って、最初の事件の発端から、カスタマーサービスの回答を時系列で並べて当のカードのアップ写真を載せて(名前とナンバーはバッテンで消したが)。

URLとページのコピーを同封して、カスタマーサービスに手紙でガンガン送った。バンカメは、おばちゃんにはっきり説明もせず事態はうやむやに終わった。

働く人の質は低いが、バンカメは使いやすい銀行なのだ。
オンラインバンキングも、何も知らなくても直感ですいすい振り込みも支払いも操作に悩むことなくできる。

ところが、自分の有利なようにコロコロポリシーを変えるという癖がある。
ビジネスをスタートした後、便利で近かったのでもう一度口座を開いたおばちゃんに、最低預金限度額minimum balanceを何度も変えて煮え湯を飲ませたのだった。

最低限度額はいくら?$0です。本当に?本当です?
今だけで将来は変わるんでしょ?いいえ、Forever$0です。キリッ!
って言ったんだよ。

それで1年後に、銀行から手紙が来て、来月から限度額は$100になります。限度額を下回るとペナルティで1月$15の口座手数料を頂戴します。

嘘つき!2回やられた。

サブプライムのババをごっそり掴んでリーマンショックの大不況でバンカメは大きな痛手をこうむった。
アメリカ政府の援助を受けて生き延びたのだった。
税金で生き延びたのにシレっと口を拭って、相変わらず好き勝手なビジネスを展開していたが、
Heartland だかHeartfordだかの保険会社と提携をして、毎月ステートメントに保険のパンフレットを
同封して送ってくるようになった。

あんまり評判のいい保険会社でもないが、補償額のわりに掛け金が極端に安いし、同封の加入申込用紙にチェックマークをいれるだけ、切手もいらない返信用紙に同封して送り返すだけの
超~お手軽さについつい、ひっかかって事故賠償保険月掛け4ドル?に申し込んでしまった。

アメリカの場合は印鑑なんて必要ないし、銀行印ももちろんないし、バンカメが提携しているので、
バンカメの口座から引き落としだから、面倒なことは何もない。
日本の申し込みが面倒なのとは対照的ね。

そんで、保険加入で半年くらい経った後にHeartlandから手紙が来た。先月の引き落としができてません。
先月分のお支払いをlate fees遅延の罰金’と一緒に送ってください。

おばちゃんは唖然とした。銀行引き落としなのに銀行が何で引き落とせなかったの?
残高はあるのに。限度額も勝手に上げて、$100ドルを下回ることはないのにさ。さらに遅延金を私が払うの?それは筋が違わなくない?
バンカメのミスを私がしりぬぐいするの?

あほと違うか、 電話でHeartlandのカスタマーサービス 電話をかけて、バンカメに来月2か月分を引き落とすように言ってやって。

Heartlandのカスタマーサービスに文句を言っても、そういう処理はできないんです。小切手で引き落とし不足分と遅延金をHeartlandに払ってください。
むかむかして保険なんか怒りでどうでもよくなっちゃって、おばちゃんはHearlandに苦情の手紙を書いた。

Hearlandさんへ、バンカメがミスしたんですね。銀行口座自動引き落としができないような銀行と提携したんですね。late feesをとるならバンカメから取ってね。

そもそもサブプライムで大やけどして国の税金を受けて生き延びたような銀行と手を組んだ、あんたが間抜け。バンカメのミスはバンカメに責任を取らせて。バンカメから遅延金を払わせられないようなら、保険をキャンセルしてね。
バイ!

アメリカの味 コーンド・ビーフ

アメリカでまずいのはアメリカ料理。
ただ、例外は少数あってハンバーガーとか肉料理にうまいものがある。

単純にゆでるか、オーブンで焼くかかする料理が多いい。料理が下手なアメリカ人庶民にとって、
いわゆる”炒めるwok”という技術は高度すぎ、ほとんどのアメリカ人はフライパンで炒めるという技が
できない。したがって、アメリカの料理法はみんなめちゃくちゃシンプルである。

その一、茹でる。
塩漬け牛肉をゆでる。corned beef

大人の手首から肘くらいで、厚みが10センチくらいの牛の塩漬け肉。香辛料と塩水で牛バラ肉を漬け込んだコーンドビーフがつけ汁ごとパックされて、スーパーで売っている。大きいものを選ぶと鍋に入らないので、2Kgくらいのを選ぶ。

そのままゆでると塩っぱすぎるから、鍋に流水を張ってしばらく塩抜きをするのだが困るのは、肉によって塩加減と厚みが違うので、どのくらい塩抜きすればいいかわからない。
薄すぎる肉は早めに止める。さもないと茹でたときに旨味が全部スープに逃げ、肉はダシガラになってしまう。

塩抜きができたら、鍋に肉を入れ水を張って一緒にパックについていたベイリーフや粒胡椒などのスパイスをいれて、水からゴトゴトと茹でる。沸騰したら弱火にして2時間以上、火が通るまで茹でるのだ。

茹であがる20分くらい前に、皮をむいて半切りのジャガイモ、ニンジン、丸のトウモロコシ、4分の1にバッサリカットした芯をつけたままのキャベツなどを鍋に放り込んで、一緒にゆでる。肉からでた塩味でちょうどよい野菜も味がつくことになってる。だから、肉の塩抜き加減が一番難しい。

澄んだ黄金色のスープの中にピンクの肉と野菜が沈んでいる。おばちゃんは西洋オデンと呼んでいた。

野菜も煮えたらいったん肉を取り出して、7ミリ~8ミリくらいにスライスして器に盛り、粒マスタードを付けて召し上がれ。

次の日は鶏の手羽かドラムスティックを追加する。
ビーフの出汁にチキンが追加されてスープはさらにリッチになる。鶏が煮えるころにはキャベツがクタクタのトロトロ。

おばちゃんはこのスープと肉とキャベツをすくって、白いご飯にかけるのが好き!サラサラといくらでも食べられる。

さらに肉が残ったら薄切りにして、バターとマスタードを塗ったパンにはさんで、コーンドビーフ・サンドイッチもうまい。この肉を食べ過ぎると、半端なくオナラが臭いんだ。肉のつけ汁に相当量のニンニクが入っているせいだね。

いつの大統領だったか、連日の外交晩さん会で手の込んだフレンチ料理が続いて、うんざりしていたところ、ホワイトハウスのスタッフの昼食がコーンド・ビーフだと知った大統領がスタッフのランチを横取りして、執務室でむさぼり食べて、やっぱりアメリカの家庭料理はほっとするわと言った逸話があった。

アメリカの家庭の味。

インドカレー

アメリカのインド料理屋ではどうして、ボールを出してくれないのか?とず~っと不満だった。

ラッシーというあのヨーグルトが好き。日本料理のお手皿のような銀色のちっちゃなボールにラッシーやデザートをよそう様になっていたのだが、おばちゃんはカップでもいいのでごくごく飲みたかった。塩味でさっぱりするじゃない。

アメリカのインド料理はほとんどバッフェスタイルで、そうでない店はあまり流行っていなかった。おじちゃんはこの食べ放題が大好きで、カレーが好きだったのもあるのかも。

ガーリック・ナンもお代わりがいくらでもできたけど、ナンはおなかに貯まる。
サラサラのジャスミンライスも好きなので、お代わりのナンを残さずに食べるといつも食べすぎになるのだった。

客の3分の1は常にインド系の客で、本国のお客も通う店なのだから水準程度の味ではあった。タンドーリ・チキンも食べ放題だが、骨付きをナイフとフォークでさばくのはなかなか面倒で手がだるくなるので、紙ナプキンでドラムスティックの足を包んでむしゃむしゃ食べる。

アメリカ人のテーブルマナーは日本人同じようなものなんで、手づかみでチキンを食べても目をひそめられることはかなったし、何よりインド料理は手で食べるのではないか?

ただし、おばちゃんは何十年とお店のお客を観察したけれど、インド人のお客ですら手でコメとカレーを
すくっている人がいなかった。アメリカナイズされましたって、ことなのか。まぁ、フォークの方が手が汚れないし。

何十年と通って、いつも同じおっさんのウエイターが、アイスティーとガーリンクなんだろ?とOk,Okとオーダーを受けた。おっさんは何年通っても、ぜんぜん年を取らないように見えたが、インド人は老けにくいのかしら。

代表的カレーはチキン。辛いのと辛くないの。マトンのカレー。豆のカレー。それとチーズのカレー。
おばちゃんは辛くないカレーと小さめのはんぺんみたないな大きさのチーズが入ったカレーが好きだった。
それにグリーンのちょっとすっぱめの漬物みたいな味がするレリッシュをちょっとかける。ラッシーをボールが小さいので2皿よそって、まずラッシーを片付けて次にタンドーリ・チキンに行く。

おじちゃんは早くもチキンの骨で皿の上にこんもりと山を築いており、それでもアメリカ人の骨のピラミッドよりはかわいらしいものだった。カレー味のジャガイモが入ったサモサもかじってみるが、野菜よりやはり肉。

チキンカレーをサラサラ米と一緒に流し込んで、皿のカレーをガーリック・ナンですくって汚れをとって、お代わりのチキンとマトンのカレーをよそいに行く。おばちゃんはもう満腹でデザートのカクテルフルーツが入ったヨーグルトで〆める。

ランチがカレーの日は、夜もおなかが空かない。軽くスープか果物で夜を済ませておしまい。夜寝るまで、指先にはカレーのスパイスの匂いがする。

日本に帰ってきたら、セブンのバターチキンがうまい。少し甘すぎるけど。ナンも妙に甘いのがあるけど、あれはどうしてだろう?

イラニアン・ケバブ

土曜日のランチによく行っていたのはイラニアン・レストラン。
店を一歩入った途端かおるサフランのにおい。

メニューは一通り試したけど、好きなのはソリターニ。肉とコメ。
牛ひき肉にスパイスを混ぜて味付けは塩だ。それを金属の長い串にガマの穂のように巻き付けて
グリルで焼く。もう一種類はやはり牛肉でブリスケッットかヒレあたりではないのかと思うのだが、
切れ目のない長い肉を串に刺して焼いたもの。筋も脂身も口に触らなくて柔らかい。

その2種類の肉が串を抜いてバスラミックライスの上にど~んと横たわっている。
付け合わせは焼いたホールトマトだけ。肉と米。

この米がまたひじょ~に軽い。どのくらい軽いかというと一度くしゃみをしたら、コメが吹っ飛んだくらい軽いコメ。その米が大皿に多分どんぶり2杯くらいの量。Rice of Bedという。

細長いバスラミックライスは、つやつやしてて一粒一粒油でコーティングされていて、軽く塩味がついている。白いコメの1割くらい黄色くサフランで染まったコメが混じっている。

テーブルにはイラン産の赤バジルの粉末がボトルであって、アクセントが欲しくなると軽く振りかける。もう、日本の振りかけの”ゆかり”そっくり。塩が入ってないだけ。
何度も言うけど、肉と米。

そのほかには、おじちゃんと”ザブトン”と呼んでいたイラン風のパンと”生の玉ねぎ”がある。
肉のひき肉のシーカカバブを一口食べ、柔らかいほうのブリスケットを食べて口が脂っぽくなったら、
半切りになった別皿の生の玉ねぎをナイフでくしに切る。

フォークで食べると雰囲気が出ない。左手に生玉ねぎをつまんで右手にフォーク。肉と米をフォークですくって、合間に左手の玉ねぎをかじって口直しをする。

おばちゃんは、ムダな教養がありすぎるからついつい旧約聖書を思い出してしまう。
モーゼに連れ出されたユダヤの民が砂漠で食べ物を嘆くシーン。エジプトでは肉を食べ玉ねぎをかじって腹いっぱい食べたのに、ここ砂漠には肉も玉ねぎもない!

読んだ当時のおばちゃんは、なんで玉ねぎ?まぁ、煮込みにするなら玉ねぎもいるかも。と思ったのだが、。シーカカバブの焼き肉は、生の玉ねぎのほうがうまい。

ちくわみたいに真ん中に穴が開いたひき肉を食べ、コメを食べる。
軽いコメは箸なんかでは面倒見切れないほどサラサラなので、ホークですくって食べる。軽いからどんぶり一杯分くらいは女でも食べられる。ブリスケットを食べ玉ねぎをかじる。

金曜日の夜に来ると、ベリーダンスのショーがあって、シンドバッドの冒険に出てきそうな衣装:ブラとスカートとたくさんのアクセサリーを付けた、とても40以下に見えないイラニアンのおばさんが髪を金髪に染め、それでもウエストラインはかなり絞っていて、腰をくねらせながら客席の間を踊る。

腰のスカートに5ドル札を挟むと、片頬で笑ってくれて腰を10回くらい振ってくれる。10ドル札だともう少し長くテーブルの周りをまわってくれる。日本からのお客さんを連れて行くととても喜ばれるレストランだった。

飲み物は発酵したヨーグルト。
甘みを付けたヨーグルトは後味を引くが、この発酵したヨーグルトは塩味がついていて肉料理にはさっぱりして飲める。一度発酵しているので、ソーダのようにプチプチと炭酸風味だ。おじちゃんは嫌っていたがおばちゃんは好き。

肉とコメという嫌われる要素がない料理なので、いろんな民族から好かれ、イラニアンスーパーのコーナーにも、シーカカバブコーナーができて、長い行列待ちだった。

同じケバブを食べようと思ったら東京までいかないとだめなのかしら?

ここでおばちゃんにちょっと脱線させって。
おばちゃんは英文科だから、英文学における聖書みたいなクラスもあって、新約も旧約も読んでる。
いろんなバージョンがあるが一番読みやすく面白かったのは文庫で出てる小説:旧約聖書。
エジプトで生ぬるく暮らしているユダヤの民をモーゼが脱出させる「出エジプト記」だ。

ユダヤの民に危機感をあおり、約束の地に民族を連れ出すモーゼ。民族の大脱出。連れ出したなら一直線にイスラエルに向かえばよいのに、モーゼは何故かシナイの砂漠をさまようのだわさ。

食うものもない砂漠でモーゼは神に祈り、天からマナ(パン)が降ってくるのだね。毎日マナを食ってれば生き延びられるのだが、そこでエジプトですべての財産を捨てさせられて身一つで逃れてきたエジプト生まれのユダヤ人がぶつくさ文句を言うわけだ。

この砂漠には肉もなければ玉ねぎもない。毎日同じマナばっかり。

やっぱり、食いものの習性はしぶとく残るのさ。
中には貧乏性がいて、明日マナが降らなかったらどうしようとか、今日降ってきたのをたくさん集めてためておこうとかね。

人間性の問題だからだから、おばちゃんもやりそうだ。貯めたマナはカビが生えて腐っちゃった。それでモーゼが怒るわけだ。神はちゃんと約束してマナを降らせるのに、神を疑ったってね。

モーゼのおっさんは、自分の民に相当手を焼いたんだね。信じられないのは延々とシナイの砂漠をさまようのね。40年だっけ?来る日も来る日も。

これが日本民族だったら、

「拙者モーゼは神に誓ったので、この命にかけても主らを約束の地に連れ申そうぞ!できなかったら、この皴腹をかっ切って詫びる」

とか言っちゃって土下座して、死に物狂いで日本人団を連れて砂漠を横断したにきまってる。
そんで、日本生まれがイスラエルの地に着いて、ああでもないこうでもない。日本ではこうだったとか、文句をたれまくって、イスラエルの統一国家誕生の大きな妨げになったに違いないわ。

モーゼはのらりくらりとうるさい仲間をかわしながら、砂漠を延々とひっぱってエジプト生まれがくたばっていくのを冷静に待った。連れ出した当の仲間が一人一人死んでいくのを待つのだね。

この信仰とか論理と鉄のメンタルがすごいね。日本民族は絶対できない。
自分がエジプトから引っ張り出した張本人なのに、仲間が砂漠で死に絶え、砂漠で生まれた神を信じる子供たちの民だけになってから、蜜と乳が流れる約束の地に入場した。

おばちゃんが恐ろしいと思うのは、モーゼが自分の民の絶滅計画・選別を決めたのはエジプト脱出の計画の当初からだったのか?
それとも砂漠をさまよっていた間に結論に至ったのか?
計画当初からだったなら、恐ろしいね。

民族と信仰と国家いう大きなものをコントロールするために壮大な計画を立て自分の民の選別をしていく。死んでいく人間からはモーゼなんか詐欺師じゃん。

ただ、大きなピクチャーから見れば、ユダヤの神を信じるユダヤの民の純粋を守ることとユダヤの国を建設するためには必要な戦略だったと。

こういう子孫がアメリカでも繁栄している。金融界、法曹界、不動産業、政界、宝石業界。名前の語尾がバーグ、スタイン、ゴールド、シルバー、ランドとかがついていれば子孫。

割と目先のことに熱くなり感情で動きやすい日本人は、個人の人間を殺しても民族を守るという大きな視野はないのじゃないだろうか?
まぁ、日本人のヒーローは感情的で自己犠牲が好きで、体力と気力が持たず早々と死んじまうから。
個の日本人がこのユダヤのネットワークにぶつかったりすると、て~んで歯が立たなかったりする。
当たり前か。

お客様は神様じゃない

ある朝、いつものようにコーヒーを買いに隣のパン屋に寄って、ジャネットがマグにディカフェを入れてくれる間に
ぼ~っと正面の壁を見ていると、メニュー表の上にプレートが貼ってあった。
We reserve the right to refuse service to anyone

なんだか穏やかでないから、ジャネットにあれは何?と聞いたら「ああ、Right to refuseね。あまりひどいお客さんは
うちにはいないけど、念のため」ふう~ん。

おばちゃんは自分のユニットに帰って、さっそく調べた。アメリカのサービス業の普通のポリシー宣言だ。うちは誰であってもお客にサービスしない権利があります。キリッ!

日本の小売業は「お客様は神様です」だ。これはキモチわるい。誰がそんなことを言い出したか、昭和生まれのおばちゃんは実は覚えている。

演歌歌手の三波春夫が広く広めた。ファンサービスの言葉だったんだよ。
彼がファンに媚びるのは勝手だが、このフレーズが日本でどんどん独り歩きして、日本の小売業・サービス業にまで広がってしまった。

お客というものは媚びて持ち上げてヒザまずくとどんどん冗長するものだ。結果、日本の小売業・サービス業は客にへりくだって、客自身は神様のように思い上がり、サイトに星をつけずに罵詈雑言を書いたり、するとサービス側は委縮してさらに這いつくばり風評を異常に気にして客を腫れ物に触るように仕える。

おばちゃんは、ばかげた風潮だと思う。
お客は神様ではない。お客と店は対等だ。そもそもお客と店は物品やサービスを介して相対するものであってどちらが神様か奴隷かという関係ではない。

アメリカでもウオールマートのおっさんがが「Customers are always right」というフレーズを大々的にぶっ放したが、
(オリジナルの発言者ではない、三波春夫と一緒)アメリカ社会では必ずしも賛成されていない。

理性的な判断だと思う。
日本のようにいったん大勢が決してしまうと流れに流される社会とは異なり、アメリカ社会というのは極端な意見はチェック補正能力が働くようである。

さて、とんでもないことを言い出す白人のお客やこれまたC国人などと日々戦っていたおばちゃんはこの
Right to refuseがスト~ンと胸に落ちた。力強い味方

おばちゃんはさっそくサイン屋にプレートを注文して、カウンターのよく見える壁に掲げた。このプレートはサービス業の護符だ。プライドだ。十数年の営業期間のうち、おばちゃんは何回かプレートを指さしてモンスターが退店した。

日本に帰ってきて小売業がお客様は神様です!と言っている割には客に便利がいいことはあんまりしようとしないことに
これまたおばちゃんは頭をひねった!

だって、醤油ラーメンと塩ラーメンが同じ値段でソフトクリームとセットなのは醤油だけなんだよ。おばちゃんは塩ラーメンとソフトクリームのセットがいいからセットを塩に変えて?と頼んだら、ウチは醤油だけがセットにしてるんです、だって。
醤油も塩も作る手間も値段も一緒よ?チェーン店なのにバカじゃないかしら?

ーーーここでちょっと閑話休題
おばちゃんは、融通の利かなさの原因をある程度推測できる。
① メニューを書き換えるのが嫌。
② レジに打ち込めないから困る。
スモールビジネスではレジに大規模ポスシステムをなかなか入れられないんだね。費用がかさむから。
あるいは一番単純なポスシステムを買う。ポスの設定は最初の一回業者がしてくれて、あとの変更は現場では
わかんないやつしかいない。

そうでなければ単品のレジを買って紙の伝票で処理するんだ。こういう小売店は頭が悪くてレジのLookUpTableをきっちり作り上げる人がいないのよ。

LookUpTableというのは、レジ機器の内部に物品のリストと値段を表にし記録させておくのよ。だいたい2000品ぐらい余裕で設定できるのよ。

だからフードコートのレジはキーの101をたたくと、醤油セット890円とレシートが出るのだね。塩セットを102に追加すれば解決じゃない。

物品の名前や金額を変えようと思ったらレジの数字ボタンをたたいて、気が狂いそうになりながら1字1字名前を編集し金額を変えたりする。そんな面倒くさいことはやりたくないって?バカみたい。

コンピューターと接続して、LPテーブルを編集すりゃいいのよ。たいていのレジはコンピューターとつながるから。紙のメニューは1回印刷屋で書き直すと3万はかかる。プラスティックのメニューならもっと。

でも、そういう客の好みとオーダーの幅を理解してレジに客の好みを追加していけば、客にも喜ばしく、売り上げも上がるのに、な~んにもできない無能の経営者が言葉だけはお客様は神様という。客がわがままだという。
それは違うよ。とおばちゃんは言う。

マーケティングは小売業の基本だ。客の好みが売り上げに直結する以上、
客の好みを把握してより広い顧客を獲得する。そのためにオプションとチョイスを選べるようにする。レジの編集ができなくて、なにが経営か?レジの売り上げ記録というのは思いがけない発見があるものだ。

レジとメニューくらいなんとかせい。そうすればセットものの追加なんて、自由自在にできるようになる。店も売り上げアップでWin客も好きなものが買えてWin
ーーーーーーーーーーー閑話おしまい

お客様は神様です、と言いながら客の便宜はあんまり払わないのが日本の小売業、サービス業だ。

AliExpressのほうが日本の小売業より融通が利くよ。いったん開封したら返品不可なんて、日本のルールは
おかしすぎる。XXXXオーヤマさんとか。返品されたらロスになるって?そんなこたぁない。

返品絶対不可だとお客さんは怒っちゃって戻ってこない。だから返品は初期不良と一緒にFactory Refurbish
(自社工場で点検修理で完成品としてまた出荷する)として安く売りゃいいのよ。

あのダイソンでさえやっている。購入客は返品できてWinFactory Refurbishで安く買える客がいてWin
売り手もロスがでなくてWin

とにかく日本の商業:小売り、サービス業というのは変な歪みがある。過度にへりくだったりイケ高だったり。
おばちゃんは力強く言いたい。お客とお店は対等よ

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