”会社は家族” 説が崩壊した日

「ねぇ、奥さん、あなたのために世界は回っているのではないんですよ」
電話の弁護士はホントにこう言った。渡米して2か月後のことだった。

渡米して最初の給料日が来ると、日本でサインしたはずの契約書とは全然足りない給料が渡された。え?
ダンナも日本から一緒に来た同僚たちも頭をかしげたのだ。アメリカのペイチェックは2週間に一度だった。もらった給料は、契約書で約束された月額の2分の1にも全然届かない。どういうことなんだろう?
福利厚生はどうなっているのだろう?日本での契約条件では現地の健康保険も加入するはずだったのに。

会社はアパートと最低限の家具を用意しておいてくれた。おばちゃんとおじちゃんは夫婦だったから、ワンベッドルームを。他の独身従業員は4人で3ベッドルームをシェアし寮として使用する。
4人が3ベッドでは、最初から数が合わない。誰かひとりジャンケンで負けて、大き目のウオークイン・クローゼットで寝ることになり、押し入れで人を寝かせるのか!、、と独身者みんな不満を募らせていた。

先発していた支社長と夫人は2ベッドルームで家具もベッドもランクが上だと、陰では非難と愚痴をささやきあっていた。そして、この給料である。会社に対して不信と不満が爆発した。

独身者の一人が明日全員で支社長に聞こうじゃないか。そうだそうしよう。意見はすぐまとまった。翌日、日本での契約交渉の本人だった支社長を囲んで皆が口々に不満を訴えると、支社長はしれっととんでもないことを言った。契約書の給与は税込みの総支給額である。なんでかというとアメリカの所得税を知らんかったんで。

はぁ!
この業界は給与の開示は、手取りが表示が慣習だった。アメリカの所得税が分からん?調べりゃすぐわかるだろう?なんだぁ?この会社は!支社長の上の日本の専務を呼べ。

新規の支社立ち上げのため、同行していた専務は2週間でとっくに帰国していた。面の皮が厚くにぶい支社長は、皆の不満がいまいち理解できないようで、さらに、爆弾を落とすのである。
「大丈夫 生活できるって、この国は日本より物価が安いから。」

わなわなと震えるとか、血が上って視野が暗くなるとかは本当に起こる。物価が安いからって?そういう問題じゃないだろう。

契約書!契約書には給与の条件が書いてなかっただろうか?会社の契約違反を訴えることはできるのだろうか?ここは日本ではないし、来たばっかりで右も左も分からない状態だった。

若きおばちゃんは、日系スーパーで現地のフリーペーパーを手に入れ、広告を探した。A法律事務所、xxxトラブル無料相談、C社電話相談!
これだ!とおばちゃんは電話をかけ生まれた初めて弁護士と名の付く人
と話したのであった。

電話の弁護士は、まず私の素性を聞き出した。氏名、会社の名、住所電話番号。正直に答えて、おばちゃんは説明にかかった。

会社の契約違反ではないだろうか?
こんな非道を許されていいのか?

そうしたら弁護士は事務的な声で、あなたは何ビザを持ってます?そのビザを取ったのは会社ですか?おばちゃんは、会社がビザを取ってアメリカに来たと述べた。

そうしたら、弁護士は面倒くさそうに、会社がビザを持っているんで、会社がビザを取り消せばあなたたちはこの国で働けないんですよ。日本へ帰るしかないんです。

そんな馬鹿な!
そしたら弁護士は冒頭の言葉を吐いたんである。

「ねぇ、奥さん、あなたのために世界は回っているのではないんですよ」弁護士はさらに追い打ちをかけ、この電話相談は50ドルですから、事務所に小切手を送ってください。

ぇ?無料電話相談じゃなかったの? どこに無料って書いてあります?おばちゃん、名前も住所も申告してたから、泣く泣く小切手を切るしかなかった。

会社は従業員を守ってくれる存在ではなかった。会社は家族でもない。養っていかねばならぬ義務も法律もないのであった。おばちゃん、おじちゃんのマナコからウロコがバラバラと落ちた瞬間だった。

カリフォルニアで家を買う

序章 ルビコン川を渡る

アメリカの銀行は非常に敏感である。毎日金利レートが変わる。銀行ショップをした結果、日系銀行に決まった。一番レートが良かったのだ。同じ日本人だから安くしてくれたわけではない、日系銀行はいつも動きが鈍くレートを上げるのが遅い。だからレートが低かった。

何のことはない渡米以来ず~と使っていた銀行である。経済は好調でローンレートは7%から8% 30年均等レートでも支払いは、アパートの家賃より安い。

引っ越したアパートは非常に小奇麗で広かったが、リースの2回目の更新でガクッと家賃が上がったのである。こんな家賃なら家を買った方が安い。

アメリカでは友達のダンナは不動産屋リアルターか弁護士と相場が決まっている。親友ジョイスのダンナもリアルターで、家を探しを頼んだ。物件が活発に動いている時ですぐ手ごろな物件が見つかった。
それも、アパートからわずか1ブロック先に。

私は即決し、ローン資料、手続きの解説指南、銀行資料など集め始めた。もちろんダンナに家を見せに行くのも忘れなかった。ほ~らここよ、見て、なかなかいいでしょ?

大雑把に言えば、ローンというのは頭金を20%入れ、均等金利か変動金利か経済をにらんでローンレートを固定する。忘れてならないのは、ローンの支払いだけでなく、家には固定資産税と、アソシエーション費がかかることだ。

アソシエーションとは聞きなれないかもしれないが、家は無軌道に建築されることはなく、デベロッパーが住宅地を開発し、そのひと塊の住宅地が管理組合(アソシエーション)を作って道路・敷地の整備メンテを行うのである。これが郊外の住宅地が公園のように美しく整備されている秘密である。

house

ウチのアソシエーションは月に$125でさらに地区のアソシエーションに2重に加入していて、こちらは$25/月。道路の芝生は定期的に刈られ、街路樹は美しく選定されて、薪になりリクエストすればもらえる。
ゴミ置き場の清掃はアソシエーションがするので、おばちゃんが早起きし箒とジョウロで掃除する必要もなければ、当番が憂鬱などという現象も起きない。美しく住宅地を保つには金が要るのである。

ローンの支払い+固定資産税/月 + アソシエーション費/月の合計が月収の4分の1程度であれば買ってもよい物件である。あるいは年収の5倍くらいが無理なく支払いができる物件。

アメリカに土着するか、故国に帰国するか故国に帰れなくなるターニングポイントTimes To No Returnは色々ある。その一つは「家を買う」である。
おばちゃんとダンナは意識することなく、この川を渡っていたのであった。

アリとキリギリス

ローンはめでたくアプルーブされ、エスクローがオープンした。物件やビジネスの売買はエスクロー会社が売り手、銀行、買い手の仲介に入って契約をクローズする。

おばちゃんの周りの?いやアメリカに住んで家を買った人間を観察するに及んで、実にキリギリスが多いのを知っている。白い人も、茶色の人も、黄色い人も毎年4月と9月に固定資産税の支払時にはキリギリスになって、キリキリと鳴く。色んなキリギリスを見ていたおばちゃんは、アリん子になると決めていた。

銀行のローン・オフィサーOfficerには固定資産税(PropertyTax)は月のローン支払いと分割込みImpoundにしてねとリクエストした。ローン申し込み書には、星印でImpoundと書いた。ローンのプレ・アプルーブルでもImpoundを忘れないでね?と念を押した。
最終ローンドキュメントを見ると、やっぱりというか当然というか固定資産税の分割手続きは忘れ去られていた。
電話でローン・オフィサーに嫌味を言うと、固定資産税の分割支払い手続きは、いつでもできるからえへへ、申込書をすぐ送るわ~。謝罪も反省もない。

経済はますます活性化していて、家を買ったばかりなのに、毎月銀行からはリファイナンスしませんか?とお知らせが来る。
一般に、金利レートが2%下がると、リファイナンスの手数料を払ってもリファイナンスしたほうが、トータルの支払いが安くなる、と言われていた。

今のように、ネットでリファイナンス可否を自動計算してくれるサービスがなかったが、毎日下がる金利を見ていると、買ったばかりでもリファイナンスすべきか迷った。
だって、聞かれるんだもん。あんたのレートいくつって?もし高いレートを応えれば、あなたにはマヌケというレッテルが張られる。

たった1年で30年均等レートは8%から6%に向かっていたのである。家を売ってくれとDMやはがきが届き、時にはリアルターがお客を連れて、直接家に訪ねてきたりした。
その時アメリカはその時サブプライムの奈落に向けて、着々と崖を登っていたのである。窓口は弾よけ毎日下がり続けるプライムレートと30年均等モーゲージを見続けて、おばちゃんはついにリファイナンスを決意した。

エクセルをひっぱたき、ローン計算グラフを確認してまた去年と銀行支店にリファイナンスの申し込みをしたのである。今度は申込書に固定資産税・分割支払いと大きな字でぐるりと丸をつけ、ローンフォフィサーのマークの注意を喚起したのであった。

リファイナンスの手続きは、家の購入ローンと同じようなもので、4週間から6週間はかかる。おばちゃんはハガキを4枚用意して、裏側に赤いリボンをデザイン印刷し、私のローンはインパウンドよ、忘れないで!と大書してある。宛名はもちろん銀行のローン係のマークである。隔週1枚づつ出す。

日本の銀行の従業員は、教育・家庭・資産・人品劣らぬ人を選別されているのだろうが、アメリカは違う。
支店長は別室か、一番奥まった快適なデスクにおり、融資係は別のデスクだ。窓口(Teller)は人種性別年齢様々でとりわけ能力・資格がいる仕事でもないし、給料は最低賃金ミニマム。

難しい計算はコンピューターがするのだ、高給取りは要らない。カレッジのインターンに当たったこともある。はっきり言って、いくらでも取り換えが効く強盗の弾よけだ。アメリカでガスステーションとコンビニと銀行の窓口はアパート入居の審査に通るかすら怪しいくらい給料が低く労働条件が悪い。

さて、毎週マークにリマインダーのハガキを送ったにも関わらず、マークはまた忘れた。こういう時、つくづくアメリカだなぁと思う。ついでに言えば、ローン残高の計算も間違っていた。
申請中の間、1回はローンの支払いがめぐってくるのだが、それがローン残高から引かれていなかったのだ。指摘すると、UPSで小切手を送ってきた。ありがとう!エクセル。この後もさらに1回、ビジネス資金捻出のためリファイナンスをすることになる。

下がり続けるレート

おばちゃんがコミュニティ・カレッジで簿記会計(Accounting)のクラスをとり、コンピューター修業をしている間にもアメリカの金利は下がり続けた。

当時の誰だったか金融局だったか忘れたが、「アメリカ人の持ち家率を上げよ」という呼び声に従って、銀行はローン申し込みの条件を緩め続けた。

給与明細なし、Stated Incomeという本人が申請収入を裏付けもなしにローンを通してバカバカ家を売りまくった。家にとどくDMとチラシはますます扇動的になった。頭金は$5000ドルぽっきりで、あなたにも家が持てる!さらには、頭金0ドルも登場した。

多くの不動産屋は客に売る前に、自分の自宅ローンからキャッシュ・アウトしておいしそうな物件を自分で買い、賃貸に出した。ローン金利は毎月のように下がるので、自宅のリファイナンスをする。キャッシュアウトをしても、物件の評価額が上がり続けるので、銀行から借りだすイクイティEquityが常にあるのだった。

例えば自宅の評価額を100として、ローンの残高を70とする評価額があっという間に120になる。この時にリファイナンスすると、銀行は評価額120と、ローン残高の70の差額50の80%までキャッシュとして貸してくれる。ローンには当然だがこのキャッシュ・アウト分が残高に組み込まれる。

そのころ、主人の会社は清算とアメリカからの撤収を決めた。若かったおばちゃんはニュースを聞かされ怖かった。怖かったけど、独立するには今しかないと思った。渡米してから13年経っていた。


独立だ

新ビジネスがオープンして5年以内に閉鎖する率は75%。経営の本を読んで知った最初の事実だった。ダンナに経費の目安になるレシートを持ってきてもらい物件の広さsfと家賃にNNN(共益費)原価率、人件費など固定費と変動費を関数で組み込んだエクセル・シートで損益の分岐点をシュミレーションした。

同時に不動産屋を契約して、独立するための物件を探した。毎週違ったショッピングモールに遠征し、空きテナントはないか売りテナントはないか探した。不動産屋はリストアップした物件情報をくれるだけである。
ある時、リストの一軒を内見させてもらうときに、不動産屋も同行し私に「で、奥さん、買収の資金はどう用意してるんですか?」と聞かれた。

奥さんと呼ばれたこともむっとしたが、リファイナンスでキャッシュ・アウトと応えると、ため息をつかれて「ビジネスをやりたい人が今資金を用意していないって、どういうことですか、ローンをはねられたらどうするんですか?」一番痛いポイントをぐっさりである。
よし、リファイナンスでキャッシュアウトだ。自宅の評価額は買ったときの2倍になっていた。
 

キャッシュ・アウト

また、銀行のショップである。
リファイナンスでキャッシュ・アウトするためにはどの銀行が有利かWellsFargoは一番超使いやすく、いろんなオプションが付いていたが、レートが少し高かった。結局、馴染みの日系銀行がベストだったのだ。
また、あのローン・オフィサーのマークか。

金利は5%を切るかどうかという時勢だったが、変動金利は5%以下だったのだ。おばちゃんは悩んだ。ローンの返済中に金利が上がるか、下がるかは経済次第だったが、今の金利4.875は過去10年でも最低だ。

銀行の変動プランでは変動中の1年に上がる金利は2%が上限で、下限の制限はなかった。
だから、今の金利で3年固定し+以降変動金利を選らべば、(アームという)最低金利の3年の間に、返済できるものを早期返済できる。変動金利に移る時に、またリファイナンスすることもできる。おばちゃんはキャッシュ・アウトし銀行に資金を積んで物件探しを続けた。

house

世間はバブルに狂乱しており、人は銀行からローンのキャッシュ・アウトをし手にしたキャッシュで車を買い替え、高価な家具を買い、旅行に行っていた。

ついに起業

おばちゃんのビジネスは無事船出し、経営は安定し始めて月の利益の余剰分をせっせとローン元金返済にぶち込んでいた。

サブプライム・ローンは2008年にはじけた。
おばちゃんの均等金利もちょうど終わった。次の年は変動金利に移行するのである。胸騒ぎがするなか、(これが本物のリセッションだとは、2008年ではまだ誰も気が付いていなかったのだ)それでもプライムレートはさほど変わらなかった。むしろ、金利はさらに下がっていた。

もう一度リファイナンスをして、変動金利から均等に戻すべきだろうか?毎朝チェックするガバメントのオンラインのプライムレート・チャートもも下がっていた。

おばちゃんのローンのインデックス(指標)は1年物の国債ボンドに銀行の1.275%をプラスする。一年物のレートも下がっていた。これはもしかすると、もっと下がるのではないか?リファイナンスを待って様子を見たほうが良いのではないか?


大嵐へ

リセッションの影響はセールの数字に表れてきた。アメリカのビジネスがスローな月は4月と9月である。4月がタックス・リターン所得税の申告期と同時に所得税の納付期と固定資産税の納付期がかさなる。9月は固定資産税と、子供の新学期(Go Back to Shcool)である。

いつものGo Back to Schoolとなんとなく違う。売り上げの数字がおかしいのである。おばちゃんはビジネスの素人であったから、素直にすべての数字を記録し分析してきた。
支払いはクレジットと現金の2種類だが、客単価で見ると、クレジットカードの客単価は必ず現金の客単価より大きいのである。5%多い。

つまりカードの客は自分の懐具合より気が大きくなって、5%大目に使うのだ。ところが、この9月は客単価が逆転した。おばちゃんは弱気になって、店内の改装を考え、業者に出かけた。
そこで、驚くべきことに同じ目論見を持った同業者がごろごろいたのだった。業者のマネージャーが首をひねって、今月はどうしてこんなに改装希望が多いのか変だなと言っていた。

キャッシュ・アウトを重ねローン残高が膨れ上がった人々がこの月、あれ?お金がない。カードが限度額に近くなっているのに気が付いたのだ。
2000年から続いたバブルは崩壊した。

バブルの崩壊 未曽有のレートへ

変動金利の銀行ローンなんてバクチみたいなものだ。おばちゃんは均等レートの最初の3年だけおいしい思いをしたらまたリファイナンスをして均等に戻すつもりだった。

”国債の1年物ですよ。レートは動きますよ。ビッグサンダーマウンテンじゃないですかお客をひっかけるにはもってこいじゃないですか?ええっ?下がりませんよ。3%以下に下がるわけないっしょ!1年ものですよ!
ウチ(銀行)の金利を2.75くらい乗っけておけば固いです。絶~たい儲かりますって!”銀行の商品開発はきっとこんな風に人の懐を狙っていたに違いない。

ウチのローンの指標「1年物米国債」は確かに長期10年や30年より良く上下した。おばちゃんは銀行のローン・センターにしつこく電話して、ウチが変動制に移行する日時、変動金利を決定する時期と方法を聞き出した。

ローン開始した日の45日前で、かつ土日を挟まない連続した5日間の平均。そんな情報を知りたがる奴は今までいなかったらしく、カスタマーサービスは何度も中断して上司と相談するのであった。

おばちゃんはエクセルで短期金利3か月、1年、5年、と長期10年、30年を縦軸にとり、毎朝US Tresureryから発表される金利データーを貼り付けていった。
前日より安ければ、セルの色は青へ、高ければ赤へ変わる書式をセットした。データのセルは時々赤になり緩やかな青の波のうねりが続き

2008年11月19日についに1年米国債金利は1%の壁を破ったのであった。
銀行の商品開発のまさかの予想を裏切って、金利はさらに未曽有のレートに突入していく。

1年国債レートが切り上げ1%として計算し、銀行の2.75%を乗せると金利は3.75%である。次の変動が切り替わるのは4月でまだ5か月ある。もしかして、これはチャンスではあるまいか。リファイナンスは中止して、低金利の間に元金をさらに返済する。

来年1.25%下がれば、月の支払いが下がるのでその分さらに元金にぶち込む。元金が減ればさらに支払いが減る道理である。おばちゃんの背中にはダンナと猫とさらにビジネスと従業員がかぶさっているので、リファイナンスの時期を絶対間違えるわけにはいかないのであった。


1年もの米国債のレートは2009年4月に0.6%になりウチのローンレートは3.375%になった。元金を減らすチャンスだ。支払いが少なくなった分にさらに追加できるだけ追加して、元金の支払い用とメモを書いて小切手を同封し銀行に郵便で送る。ローン残高は毎月3桁ドル分だけ減っていった。

Under The water 溺れる人

ビジネスのセールは思わしくなかった。ショッピングモールのテナントも憂い顔が多くなったが、お互い愚痴をこぼすというより、なんとなく現実から目を背けて、経済はきっと回復するだろうし、もうちょっとの我慢かも。

そして、ネイルサロンが夜逃げした。最初にネイルサロンがこの頃営業していないと気が付いたのは誰だったか?使われていないネイル用チェアがうっすらホコリをかぶり、人の気配は全くなかった。
2階の旅行社の電話が通じなくなった。不動産会社のオフィスは撤収した。マーシャル・アートが道場を畳み、ディナー・サービスが昼逃げした。

テナント・オーナーはみな目が座ってきて踏みとどまるためには何とかせねばならないのだが、声を上げるのも怖くて追い詰められてきた。家賃のチェックを送る時には、苦しい事情をメモして送るのだが、管理会社からは返事とか電話とか反応というものが一切なかった。

そして、イタリアンのロミオと息子が立ち上がった。
イタリアンの店舗はうちの3倍はあり、ひと月のレントは$20,000ドルを超えるはず。固定費と人件費が高くてウチよりはずっと苦しいだろう。ロミオが昼過ぎにフラっと立ち寄って、日曜にみんなで話さないか?テナントが協力して、皆でローランドと戦7676おうぜ。洗濯屋とギフトショップとエクササイズとめがね屋にパン屋も来る。

モールの管理会社は前年に変わり、前のごーつく張りのマネージャー、アーノルドは横領がばれて新管理会社のローランドとランドオーナーにキュッという目に合わされていた。

ローランドは傲慢な男だった。大家の権威を笠を着て、土地と施設を自分の物のようにふるまっていた。保険屋のジェフでも、あのローランドがマネージャーである限り、大家が下劣に見えるね。と吐き捨てた。

日曜の午後にテナントはそろった。ロミオが口を切って、は2週間もローランドと交渉したが話にならん。アンタたちはどうだ?他のテナントも、個別にローランドと交渉しようとして相手にされていなかったことが分かった。

俺たちはみんな不況でセールを減らしている。モールの収入源である俺たちテナントがセールを減らしてるんだ、大家だって理解すべきだ。
テナント一同でローランドに家賃減額の要求しよう!

テナントは全員商売人だ。金を支払うのが客で、客がいなくなれば商売が成り立たない。この論理は、不動産にだって当てはまるはず。客であるテナントが家賃を払わねば、大家は金が入らない。夜逃げされて家賃が入らないより、半分負けてテナントに家賃を払ってもらった方が得だろう?
ユダヤ人ならそんな計算は自明だろうが?

テナントの代表としてアメリカ育ちのロミオの息子が家賃減額要求の手紙を書き、テナント連合は署名を連ねて要求書を送ったが、ローランドはテナントそれぞれに返事を返してきた。その返事がさらにテナントを激怒させた。

なぜなら、ローランドの返事は、いつもの管理会社のロゴ入りレター用紙ではなく、Memoとでっかいサブジェクトが入ったWordのテンプレートで内容は:テナントが困難の時に協力するのは大変良いことだ、麗しい。ただ、家賃の件に関しては考慮の他である。
自筆署名すら入っていなかった。わざわざテンプレートのMemoで送ってきたのは、会社のレター用紙を使い会社の時事連絡としてさえ残したくないとう意思が透けていた。

house

イタリアンは家賃を保留し始め、私は支払いを遅らせ、その他のテナントも払える金額だけの額面で小切手を送った。ただし、パン屋のクリスだけはいい子ぶりっこだったので月末に満額支払っていた。

さらにテナントが逃げた。ビルの2階に入っていたビジネスは1つを除きすべていなくなった。売りビジネスの広告がすさまじい勢いで増え、テ夜逃げで立ち行かなくなったショッピング・モール物件もあちっこちから売りに出された。

あくどいユダヤ商法


前の管理会社のアーノルドはアメリカ人ではあり得ない汚い乱杭歯の主で、ドけちで不愉快なユダヤ人だった。雨漏りがするときは、一番安い大工をよこすので、次の雨にはまた漏った。こいつが、2階に入れるテナントを大家に報告せず、家賃をポケットに入れていたのがばれて、首になった時は
テナントみんなざま見ろと思った。

さらにアーノルドから新管理会社が引き継ぐとき、私が後から追加で求められたテナント補償金は、実はアーノルドが懐に入れていたことが分かった。
私が秘書とやり取りしたメールとFax、支払い小切手のコピーなどすべて見せたら、ローランドは実に低い声で、補償金の確かに残高は確認したと言った。きっとどうやってアーノルドをとっちめるか考えていたに違いない。しかし、豚が首になったあとにサメが来たのだ。

新しい管理会社のマネージャー・ローランドとメンテ担当のフレッドは義理の兄弟だった。どっちかの女兄弟が片方の妻になっている。多分、ローランドの妹がフレッドの妻かも。なんでかというと、ローランドには女の影がない。ホモじゃないかと噂されていた。二人はここの女地主と昔からの知り合いだった。同じ教会仲間。JJJの連合である。

おばちゃんはここで、拡声器でさらに声を大にして宣言する。私に人種偏見はない。ユダヤ人にも偏見はない。アンネの日記もちゃんと読んでる。私が書く人の描写は「経験」であって「偏見」でない。誤解のないように明記しておく。

さて、新管理会社のローランドは転がり落ちて悪化する不況にテナントの要求を無視できなくなった。個々のテナントとレントの減額・リース延長・追加条件交渉を始めた。

おばちゃんは、これらの交渉を通して、ユダヤ商法の初歩を色々学んだ。まず、テナントの連帯を分断し、余分な情報を与えない。お土産をぶら下げながら、条件を追加して元を取る。契約書でがんじがらめにしておいて、時が来たら貸しを倍にして取り返す。

管理会社のサメ兄弟はコバンザメ程度で、アメリカ社会を考えれば、ホオジロザメやワニがうようよいるわけで、とりわけこの兄弟だけが性悪なのでもない。管理会社/大家が動いたおかげで、テナントは不況を乗り越えるめどがついたのである。

その後国債レートはさらに下がり、
ローン金利は
2010年 3.125% 2011年3.0% 
2012年 3.0% 2013年 2.875% 
2014年 2.875% 
銀行が設定した理論上の最低値2.75に迫る
最低金利を2年も享受し、(銀行 涙目!)
2015年 3.00%に戻ったので、
そろそろリファイナンス時だと知ったのであった。


百年に一人の悪妻が生まれたわけ

百年に一度の悪妻

おばちゃんは、気を抜いてぼっとしていて、そういえば「百年に一人の悪妻」ってのはおじちゃんから聞かされたのを今ふと思い出した。

「うちの専務がお前のことを百年に一人の悪妻だと言っていた」とおじちゃんがわたしに言ったのだ。

うちのおっさん、専務から言われて、あの時何か言い返したんだろうか?

んにゃ、うちのおっさんは目上に言い返せるような人ではない。「はぁ、すいません」とでも頭を下げたのじゃないか。なんか、今ちょっとムカッと来た。30年も経つけど。

私は悪妻ではない。
悪妻とは夫に仇をなす妻のことであって、おばちゃんは100%おじちゃんを擁護する側なんで夫に悪の妻ではない。

また、不意に野村沙知代を思い出した、悪妻つながりで。

野村監督は野村沙知代と球団を比べて妻を取ったのではなかったか?

その時野村監督は何と言ったか?
「俺に野村沙知代は一人しかいない。」そう言って阪神をやめたんだっけ?

監督も妻も今の今まで好きではなかったけど、おっさん、なかなか良いことを言いよった、と気が付いた。

普通の日本人の男は絶対に言わないね。うちのおっさんが専務に「うちのかみさんは一人しかおりませんので」と言い返したら、会社を首になって日本に帰国しないといけなかったかもしれない。いや、帰国だったね。

でも、そもそもなんでそんな事態になったかというと、会社が契約書の雇用条件を守らなかったからではないか。
日本でサインした契約書の給料が税込みで、税抜きの金額だと思っているこちらの誤解に付け込んでサインさせたのである。
さらに総支配人とその妻が全人件費の3分の1を取り、車も保険もガソリンも会社もち住宅環境もその他大勢と段違いで、日本から起業で派遣された社員が不満を持っていたのである。

全員で総支配人に抗議したところ、

「えっ?給料?税込みよ?だってアメリカの税金は知らなかったんだもん。でも大丈夫この国の物価が安いから」

それで全員さらに激怒してアメリカ支店の開設の責任者の専務を呼べ!となった。

Jalに乗ってやってきた専務と団交することになり、何故かおばちゃんも特攻服を着てその席にいたのである。

特攻服というのはアーミーグリーンの街着のジャンプスーツで、おしゃれにバイクに乗りたいとき着ていたつなぎだった。

おばちゃんは背が高い。ライディングブーツをはくと170センチをゆうに超える。つなぎを着てブーツをはき、ある時、日本でヘルメットを抱えて知り合いの家を訪ね、庭に入ったら主のおばはんがおびえて警察を呼ばれそうになった。なかなか存在感がでるジャンプスーツだった。

おじちゃんはどちらかというと無口だ。

口下手なので、議論を尽くすのは苦手だ。おじちゃんの利益を守る人間はわたししかいない。

わたしが守らねば誰がおじちゃんを守る?引っ越し荷物にその服が入っていて、なめられてはいけないので団交にそのジャンプスーツを着て行った。

アメリカで起業をしようっていう企業がそもそも所得税制を知らないって、どういうことですか?

提携企業がいて聞けば教えてくれるでしょうに、それさえできなかったんですか?

ほかの板橋や根暗も不満をぶちまけたから、専務も言い抜けられず給料は見直すことになった。

どれだけ会社が対処するかわからないが、不満は表明したので団交は終わった。そのあと帰国のJalに乗る前に、専務が会社でおじちゃんに言ったセリフが百年の悪妻。

いや、悪妻上等。なんと言われてもおばちゃんは戦うよ。

わたしの男を守るために戦うよ。当り前じゃない。しくしく泣いてて誰が自分の男を助けてくれるのさ。

沙知代のカミさんは、野村監督には全方向100%の味方だったのだ。
今ならわかる。ただ、おばちゃんは野村沙知代ほど、性格が悪くも意地が悪くもないので安心して欲しい。

百年に一人の悪妻

おばちゃんは昔から愛想が悪く、頭が高い人と言われ、ついでに言えば、ダンナの会社の専務から100年にひとりの悪妻と言われた。
客商売には絶対向いてい無し、やってはアカン人でその自覚も十分あったのだけど、ダンナの夢を実現するのに私以外に実行者はいない。

愛想がない人が愛想を装わねばならない。
本当に愛想がある人になる努力ではなくて、(そんな努力をしたら死んでしまうと思った)とりあえず愛想があるように見えるようにするにはどうしたらいいか考た。
まずは、形からである。

ベーカリーの2軒隣はヘア・サロンでイラニアンのサラがオーナーだった。
新しい店舗がオープンすると、隣に挨拶に行くのはアメリカでも変わりはい。私が挨拶するとサラは、何人なの?何を売るの? 料金表を見せて?と「ニッ」と笑った。

イラニアンの切れ長できつい目が瞬きもせず、口の端だけキュと釣り上げた、それはそれは恐ろしい笑顔だった。般若に一番似ていた。牙がないだけ。

この人サラというは、人間が好きでも客が好きでも客商売が好きでもないけど、とりあえずあんたを襲ったりしないし、今は友好の印は見せておく。というのがよ~くわかる笑顔だった。

私にもまねできそうな笑顔のお手本は見つかったので、営業時間は口の端を持ち上げることにした。

おばちゃんの眉間はMicrosoftのおかげで縦皺が深い。
Windows95の時代からMicrosoftには苦労させられたからだ。

5年間のコンピューター修業時代は、おばちゃんの眉間に深~い溝を残した。この溝を何とかこれ以上深く怖く見せぬよう努力せねばならない。溝は後日、化学の力である程度何とかした。

ビジネスがスタートするまでビジネスモデルのシュミレーションで1年かけた。
ライセンスの役所の黒人のおばさんと窓口で言い合いになって、上役が仲裁にはいり別室に連れていかれた。

我に返ったので、「はっと我に返り悔いて謝罪をする」という映画のような芝居を打った。英語だから、何とでもいうぞ。ライセンスがパーになるかと思った。

注文した設備のオーダーがすっ飛んだときは、マネージャーに怒鳴ったら仕事が進んだ。なかなかいい方法だったが、ヘラヘラするベトナム人には通用しなかった。Ok, Okと軽請け合いするくせに、すぐ忘れるので納入のために毎週電話をかけるのだった。

オープンまでの課題を一つ一つクリアし、ビジネスをスタートさせたのであった。苦労?違う。おばちゃんは生きるために戦っただけ。

私が悪妻か良妻か、人からの評価には興味がなかった。
そんなことより、私が何をやらねばならぬのか、何がゴールなのか それを実現することが私の人生だった。


  • footer