アリスの穴

Alice In Wonderland

アメリカにはアリスの穴というのがある。不思議の国の不思議の穴。
おばちゃんが勝手に名付けた。

不思議の国のアリスがおっこちた摩訶不思議なトラブルの穴である。
日常のそこここに開いており落っこちると大変な目にあう。どうしてこんなミスが起きるのか腹が立って抗議をしようとしても誰のミスかわからない。何故自分に起こるのかもわからない。何もしないと事態は悪化するし無垢の本人がなぜか時間と忍耐力と金を費やさないと解決しない。自分以外のミスが原因なのに誰も謝らない。

なんで私がこんなことをしないといけないの?抗議の声を上げても周りの人は、さりげなく視線を外すだけ。
ああ、あるよねこんなこと。とりあえず自分ではなくてよかった。他人はほっと胸をなでおろす。

●例えば、50万ドルが差出人不明で自分の銀行口座に振り込まれるが、振り込み人不明だから銀行に口座凍結をされて自分の預金さえ引き出しができなくなる。

●永住権を持っているのに移民局がデータベースの個人記録をビザからグリーンカードへ書き換えるのを忘れてビザが失効して身分がイリーガルになっちゃったとか。

●車のローン付き売買契約を銀行がやったのだが、所有者の書き換えを忘れて、たまたまポリスが車のプレートをスキャンをして盗難車扱いされてしまい目の前で車を持っていかれてしまうとか。

●家の手抜き工事を修復するはずなのにガレージの壁に穴をあけられてしまうとか。

●ガソリン車なのにガスステーションの従業員がフルサービスを申し出てディーゼル油を給油されて車が動かなくなってしまうとか。

●行ったこともない遠方の街での駐車違反の罰金請求が来るとか。

●病院の支払い請求書が前の住所に送られてしまい不払いで債権回収会社Collect Agencyに債権が回されてしまい取り立て絵の電話がくるとか。

とにかく何気ない日常でいつもの生活が続くはずなの突如ぽっかりと地面に穴が開いていて落っこちてしまう。

怒りのあまり憤然と電話をかけまくっても担当者が捕まらず、手紙を書いても返事が来なくて弁護士の力を借りないと解決しなくなるまでこじれる。まったく自分は悪くないのに。

郵便局の窓口で「いったいどうしてくれるんだお前らのせいだ。お前らがやったんだ」とお兄ちゃんが頭から湯気をだして怒っていたのを見たことがあるが、きっと大事な郵便がアリスの穴に落っこちてダメになったのかもしれない。

だからアメリカの郵便局なんか信用してはいけなくて大事な書類はFedex かUPSにすればよかったのだ。
窓口のおばちゃんは謝れと言われても自分のミスじゃないと思っているので謝らない。窓口でもめても待っている行列の迷惑になるばかりだしミスの犯人さえわからない。文書で追及しても返事が返ってくるのかさえもわからない。

I need to talk to your supervisor.と叫び続けないといけないのもこんな時である。責任者を呼びつけても何がどうして起こったかは分からないのである。誰も責任を取らず降りかかった災厄は何日か何週間かpain in the assとなってキリキリと痛むのである。これがアメリカ

アリスの穴がアメリカにはどこにでも開いている。便利なサービスにも便利でないサービスでも、超金持ちでも貧乏人でもシステムに開いた穴にすっぽりと落ちる時がある。

坂本龍一さんがニューヨークの病院で検査結果を伝えられていなくて治療が遅れたことを非常に憤慨なさっていた。もっともであると思う。

検査室かドクターかそれともチャートやメッセージを伝達を頼まれたナースがチャートを忘れたのかもしれない。えらいことを忘れるもんだ。でも起こるのである。
偉大なるアーティストの深刻な病の場合なのに穴に落っこちてつくづく運が悪かったとしか言いようがない。

おばちゃんが日本に帰国して5年たった。
アリスの穴には出くわしていない。一度だけクレジットカードの金額のケタを入力し間違えられた時に取り消しと再入力があったが、その場で訂正をしてくれて担当者は気の毒なほど憔悴していた。


かつて現役だったころおばちゃんは自分でもお客の金額を間違えてキャンセルしたことがあるので何とも思わない。People do mistakes, so don’t you? 
従業員が20ドル前後の売り上げを2万ドル(ぼ~っとしてて2回同じ数字を入力した)で切ってしまったときはヤバくてキャンセルが大変だった。

日本では山の家のエアコンの取り付けも作業員は予約時間に来てスムース に取り付けられたし、洗濯機の買い替えの場合もトラブルのカケラもなく済んだ。光ケーブルの設置も滞りなくインストールされた。夢のようだ。


この国のトラブル値はものすご~く低くて日常生活はストレスがなくて本当にスムースだ。修羅場がやってこない。一年に何度も修羅場やがけっぷちに立ったことがあるおばちゃんにしてみると平和すぎてボケそうだ。


突然のけたたましい電話で、
「ねぇ、聞いて。うちのキッチンのカウンタートップが壊されたの!」
「へぇ?またなんで?」という会話がなくなってしまって刺激がなくなりすぎたかな、と近頃思ったりする。

アリスの穴がない日本に乾杯!

専業主婦の年収を換算すると1314万円

時々、コストも経費の観念も欠如している人間が湧く。
コンタクト・レンズの「原価」が一枚「5円」ということを耳に挟んで、たった原価5円の製品に数百倍もの金額を払わされてる、と憤慨するアホウ。
じゃあ、おばちゃんが5円あげるからコンタクトを一枚作ってみ?

莫大な開発費と精密工場の建築費、生産コストに輸送コスト、医師の検眼費用とクリニックなどがあって、初めて原価5円のコンタクト・レンズが消費者に手に入る。

さらに市場原理の観念も抜けている人が、時々ネットに沸いて炎上する。
瀬戸麻希という人はどういう人なのだろう?Amazonブランド登録専門とアカウントのタイトル名があるが?就労している社会人であることには間違いない。専業主婦は黒いスーツは着ないから。

その彼女が書くには
専業主婦の家事育児料金が時給1500円として24時間勤務 休日ゼロで1年365日を休みなしで働くと年収1341万円に換算できるそうだ。

そういう職業が成立するかどうか、考えてみなはれ。
求人広告で家政婦の月給を調べてみればよい。


アホ:いやいや、持ち場の家庭は夜勤もある24時間の仕事ですから、求人広告は月給でしか収入がないのはおかしいですよ。
だったら、24時間勤務の家政婦承ります。1500円時給24時間年収1341万円で雇ってください。と広告を出してみればよい。誰が雇ってくれるのか?職業として成立しない。市場で成立しない職業の年収を言い立てて、あんた頭は大丈夫か?

むろん瀬戸麻希さんは職業=24時間専業主婦が成立するとは思っているわけではないに違いない。なにか、専業主婦におもねって売り込みのターゲットにでも持ち上げるつもりで滑ったののだろ。

さらに経費だ。
おばちゃんは仕事で清掃サービスと契約していたが、彼らは自前の掃除道具と洗剤を持参して仕事をする。
専業主婦が職業であるなら主婦の職場は家、食費、衣料費、衛生費などの生活費などの必要経費と社会保障費、所得税、住民税、健康保険料は自腹で払ってくれ。

自分の職に必要な経費も雇い主のまる抱え、寝ている間も時給をはらえと。そんな従業員を雇う雇用主だどこにいる?
いるとしたらあなた(専業主婦)の夫だけだろう。あなたの夫は職業=主婦業をさせるために雇ったわけではく、愛があったので結婚したのだろう。

愛に時給を要求するのはやめれ!
愛に時給を請求していいのは夜の嬢だけかもしれない。
アホ:いいえ、そっちは請求に入ってません。
そんなら別会計か?

あなたの親はあなたが生んで嫁に出すまで(25歳としようか)親業を24時間体制で行いあなたを育てた。それから親の扶養から抜けて夫の扶養に入った。
1500円X24時間X365日X25年間=3億3525万円だ。父と母二人なので合計6億7050万円となる。食費、教育費、医療費、住居費などは一切含まれていない、最低限の両親の時給だけだ。

自分の夫や子供への家事育児を時給で計算するなら、あなたは自分の親の愛の時給も払うべきかもしれない。
それから自分の子供へも養育費を提示するか?

自分の時間をクライアントにそっくり請求する職業はおばちゃんが知っている限り一つある。
アメリカの弁護士だ。1案件いくらではなくて、時給請求の弁護士。
自分の時間をクライアントの問題解決のために○○時間使ってついでに朝ご飯のドーナツとランチ代まで請求書に載っている。砂時計を持っているのは本当だからな。

自分の時間と働きに報酬が欲しければ弁護士になったらどうだ?
時給ミニマム100ドルで、裁判所に出廷なら最低600ドル時給からだ。専業主婦よりずっと高い。インフレだから今はもっと上がっているだろう。
好かれるかって?んなわけない。

専業主婦が本当に言いたいことは、自分の働きが褒められることも少なければ認められることも少ないステイタスだ、と。自分の年収を換算するより夫と向き合え。
自分の労働と奉仕を家庭できちんと評価して受け止めてくれない夫だったら、さっさと家を出て離婚するか弁護士になろう

シウマイ弁当

おばちゃんは学校が横浜だったのでシウマイ弁当は1個260円だったころから愛好家だ。何せサークルの野外活動はランチがシウマイ弁当だったので青春の味なのだった。

横浜市内の大きな駅なら大抵シウマイ弁当は買えたのだが、アメリカには崎陽軒がなかった。当たり前だ。
シャウエッセンは現地のソーセージで埋め合わせがついたが、シウマイ弁当は口にするのが不可能だった。グリーンカードが取れた年に一時帰国して弁当はしっかり食べたが、持ち帰りは無理なので真空パックのシウマイだけをお土産に帰った。それから日本へ永住帰国するまで幻の味覚だった。

静岡と神奈川は隣り合っているが、シウマイ弁当が買えるのは東名上り 海老名サービスエリアだった。なんで上りなの?これから横浜方面上りに向かう人にまだお土産は必要ないでしょう?
横浜を離れる人にさあどうぞと下り海老名で売るべきものではないか?メロンパンなんかどうでもいいんだ。

東名で何度も煮え湯を飲まされて、この間シウマイ弁当を買える場所で検索をしたら足柄SEが出てきた。なんだ海老名より近いじゃない。
でも、伊豆から出撃して足柄でシウマイ弁当を買ってトンボ帰りするのは60歳過ぎてあまりにも人聞きがわるい。アホと違うか。もうちょっと別な方面でついでに弁当を買った体で大人の体面を保ちたい。

おお、小田原駅にあるではないか。高速料金を払わなくてもいい。
そうだ!小田原駅に行こう!

9時過ぎに家を車を出して、10時半には小田原駅の崎陽軒についた。
本日は、弁当の入荷が遅れておりまして12時半に到着予定でございます。
あら~!それじゃその時間に戻ってきます。


おじちゃんとおばちゃんは小田原の駅前で、伊豆より都会だねぇ。人が多くなったねぇ。とぶらついていたが、しかし、不安に駆られた。崎陽軒には行列ができる。以前静岡駅の弁当売り場でおばちゃんの前の人でシウマイ弁当が売り切れて悔しい思いをした。
行列が長くてもし買いそびれたらどうしよう?弁当の予約はできるかしらと、また構内に引き返して弁当の予約をした。

さらに駅をぶらついてパンを買ったり金目鯛の開きを買ったり(沼津港より安いじゃん)忘れずに竹輪とかまぼこも購入して、12時半に崎陽軒に戻った。首尾よく買えてルンルン。

また海沿いの国道をトコトコと走り、真鶴を超えて熱海の峠を越えて無事家に着いた。2時だった。


お茶を入れてウキウキと黄色い弁当のヒモを解き蓋を取った。
おばちゃんは家の女王さまであるから、おばちゃんのポジションはコタツのそばのビーズクッションである。人間をだめにするソファにどっかりとめり込んで、シウマイ弁当を召し上がろうと思った。

箸袋を破いて右手に箸を持ち左手で弁当本体を持ち上げようとしたら左手首がへたった。
ノリ佃煮を除くおかずが全部クッションとコタツ布団にこぼれた。
ああ!おばちゃんのシウマイ弁当が!

ご存じのようにシウマイ弁当のご飯は若干のもち米が混ぜられていてモチモチする。ご飯はしっかり弁当箱にへばりついて落下した米粒は一つもなかった。きっと弁当箱を逆さにしても落ちないだろう。
しばらくご飯とこぼれたおかずを眺めて、おばちゃんは箸でまずぶりの照り焼きを拾った。次は黄色い卵焼きだ。細かく散っているのはタケノコの煮つけだ。箸でつまんで弁当箱にもどす。汁気がなくてよかった。

やたらタケノコが多い。唐揚げはどうした?大事な唐揚げは1っ個しかないのに。
シウマイは?5個のシウマイの安否は?
シウマイは無事全部回収した。カマボコは白いのでよく目だった。回収する。大事なデザートのアンズはどこだ。私の大好きなアンズ?

今日のアンズはあまりにも小さくタケノコの大きさとほとんど変わらなかったので、タケノコにまじってすでに回収が済んでいた。
よく見ると、たった一つのから揚げも今日は極小でやはり回収済であった。

無事おかずがそろったのでおばちゃんは食べ始めた。
コロナのせいで3年ぶりくらいだ。
今日のぶりは少ししょっぱい。タケノコがいやに多いぞ。おじちゃんがタケノコの煮物はいつもより甘いなと言う。
シコシコとするシウマイはおいしくいただいて、極小だったアンズは甘酸っぱくて以外にも大変うまかった。デザートが上出来だったのでおばちゃんは満足。900円だ。

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ど~うでもいい話だが、
小田原駅の新幹線ホームの音楽は「お猿の駕籠屋」だ。
え~っさ、え~っさ、えさほいさっさ。
お猿の駕籠屋だ ほいさっさ。
小田原ちょうちんぶらさげて
ほら、やっとこ どっこい ほいさっさ。

食えない人

アイ子ちゃんが来た。
怒涛のようにやってきて嵐のように去っていった。

9月の2週目に来日して京都で懐石料理を食べまくって、それから日本海へ出て蟹をむさぼってから伊豆にやってきた。

今年は暑すぎたので彼女の好きなマツタケはまだ八百屋に出ていなかったから伊東の道の駅でイノシシ肉を買い、修善寺を観光でさっと流し「静岡の宝」と地元民が誇るレストランでランチ。夜はイノシシキムチ鍋。2日後は三島の老舗で鰻。

書斎に布団を引いてトイレと洗面所の案内して、コーヒーを飲むかと聞いたら“うん“と言うので、インスタントを入れたら、次から自分でコーヒーを入れて飲んでいたので気を使わなくて楽。

アイ子ちゃんが静かなのは、食べているときと寝ている時。
怒涛のように喋りまくって、今回初めて会ううちの猫は目を見張っていた。彼女のお父さんはいろんな動物を飼っていた家なので(猿もいたという)、あまり人馴れしていないうちの猫にはおびえさせるような動きを見せることもなく、しかし猫に遠慮することもなく喋り捲ったので、猫はどうしていいかわからず戸惑っていた。
うちの猫たちにしてみればこんなニギヤカな生き物は見たことがなかったから、目を真ん丸にして観察していた。

ここのところ、コロナで日米の行き来がなかなか面倒くさかった。アイ子ちゃんと会えたのは3年ぶりだ。アイ子ちゃんはおばちゃんの人生でも極めつけの才能を持った稀代の怪物である。

普通のおばさんに見えるが煮ても焼いても食えない人間。英語学校を経営したり家を転がしたりして遊んで暮らせるだけの資産は貯めたので仕事はリタイアした。夏はテニスとゴルフ冬はスキーで、多分使い過ぎの関節痛のほかは病気もせず最強の免疫を誇る。

アメリカ人の旦那を育てて弁護士にしたのは彼女。
旦那の資質を見抜いて学校に女子大の英語教師として勤めさせて、阪神大震災で経営していた“自分の”英語学校のビジネスがダメージを受けるとパートナーに売り、それから旦那に何がやりたいと聞いた。

アメリカ人のご主人は勉強しなおして弁護士を目指したいというので夫婦で渡米して旦那をロースクールに入れた。とにかくアイ子ちゃんの言う通りにすると自分の運が向いてくるので、今でも弁護士の旦那はアイ子ちゃんのことを僕のラッキー・チャームと呼んで彼女の言うことは至上命令なのだ。

おばちゃんもビジネスを経営していた時に、ご主人に契約書を見てもらったりアドバイスをもらって大いに助かった。

とにかくアイ子ちゃんはもう働くのはやめたのでスキーをしたいときは日本のアルプスへ。美味しいものを食べたいときは日本へ。将来は日本とアメリカと半々に過ごす予定だという。

うっとりするような美味が日本にある。
新鮮な魚介類。秋なら栗、薩摩芋、松茸きのこ。今ならモンブランが美味しい、アイ子ちゃんにモンブランと連呼されても、おばちゃんはいまだに地元でおいしい洋菓子店を見つけられていない。パン屋、イタリアン、フレンチと洋菓子は、都市部なら切磋琢磨して感激する美味が見つかるのだけど、ここのローカルの町ではまだ探し回っている最中。

山は山と繋がっているのでおばちゃんの裏山をちょっと走ると箱根に出てしまう。箱根の森美術館でアートを鑑賞しレストランにはモンブランがなかった。ああ、栗の生クリーム!

ホテルでお茶をすべく、沼津のホテルに行った。
ウエイトレスにモンブランはないかと聞くと“無い”と即答されたので、じゃあケーキ・セットがいいが今日のケーキは何?と質問する。
ウエートレスは銀のトレーに3種のケーキ盛りを席にもって来くると、アイ子ちゃんはと「ふ~ん、おいしそうなケーキじゃないから飲み物だけでいいわ」とけろっという。
可哀そうなウエイトレス。
アメリカ生活が長すぎて思っていることがそのまま口から出てしまうのだ。

3年前は2泊3日でうちに泊まり、彼女の大学卒業から最初の離婚までの人生譚をたっぷり聞いた。今回は4泊5日だったのでお母さまをアメリカに連れてくるための日本の不動産の売却の詳細を聞いた。その当時はまだ私たちもビジネスで忙しく、ゆっくりお茶をする暇もなかったからお母さまをアメリカに連れてきた当時の詳細は知らなかったのだ。

30世帯のアパート物件を売却するためには借家人の退去をしたほうが高く売れる。
通常は弁護士のサポートなども使うのだが、彼女はほとんど一人でやった。30世帯の退去には普通3000万かかるというところをほとんどゼロにしたので、地元の不動産関係者が目をむいて「XXX町・不動産の奇跡」と呼ばれたという。

20代の初めから親の不動産の経営の後を継ぎ、ついでに金貸しもやっていたから、さらにいろんなビジネスをやって成長したアイ子ちゃんにとって、30世帯の借家人との交渉は大したことではなかったのだろう。

一軒一軒の借家人の希望を聞いて、年老いた借家人には娘の住む町に別の住居を借りてやるとか、施設の手配をしてやるとか、相手の言うことを理解して相手の望むところを世話してあげたら感謝されて出て行った。私としては普通のことをやっただけという。自分の要求だけを押せば刺されるとケロケロと笑う。こういう人が自分は専業主婦だといい一見奥様のようにふるまうから恐ろしい。

アイ子ちゃんは、せっかく伊豆に来たからやっぱり温泉にもつかりたいという。露天風呂。のぼせるので、絶対露天風呂じゃないとダメという。

一方、おばちゃんは在米中一度も温泉に行けなかったので日本の温泉への郷愁が半端なかったのだが、いざ日本に帰国してあこがれていた温泉に入ったら、温泉=大浴場はトドの生育地だった。温泉に対するあこがれが一発で胡散霧消してしまった。

浴槽のへりに白いトドやピンクのトドがのたうって、憩っているというのを見て大いにショック。それ以来、見ず知らずの他人が入る温泉浴槽はご一緒したくない。

それでは客室についているプライベート浴槽はどうか?伊東にはごろごろ見つかったのだが、宿泊費用をみてぶっ飛んだ。どこかの社長様が若い彼女を連れて昼間はゴルフ、夜は二人でテラスの露天風呂!なのだろう。

アイ子ちゃんも伊東のプライベート温泉は“タカイ!”という。ミリオンも貯めこんだくせに。
鄙びた昔ながらの旅館の露天風呂でもいい、と言う。それなら近場にある。

おばちゃんは温泉は必要ないから近場の和風旅館に彼女を送って、次の日にはピックアップして一緒に鰻を食べて、アイ子ちゃんの知り合いが待つ別の町に送っていった。そこから彼女は日本アルプスで紅葉を見に向かうのである。

おじちゃんもおばちゃんも2匹の猫も、アイ子ちゃんを見送った後はちょっと酔ったみたいでふか~い深呼吸をするのだった。

追記。
次の日、ラインで起こされたらアイ子ちゃだった。
昨夜はすごかったんだって。すし屋でコースが予約されていて、アルプスのスキー仲間はガンガン飲み最後は運転手付きのロールスロイスで送ってくれたって。どんなスキー仲間だよ。

くらえ、カプサイシン

うちの庭に巣くうモグラどもは激辛好きなのかもしれん。

大事なヒューケラやペンステモンの下を穴だらけにしやがって。これ見よがしに出口もぼこぼこ作りやがって!

ーーーモグラは強いにおいが嫌いです、この棒にはモグラが嫌う唐辛子をたっぷり浸見込ませモグラ撃退用の新武器「来ん棒」です。モグラに荒らされたくないお庭に来ん棒を突き刺してください。モグラが嫌がって退避すること間違いなし。ーーってほんとかよ。

ジキタリスやカンパニュラ、ペンステモンが被害を受けないように、モグラの通り道にせっせと来ん棒を差したった。100本差したったから。ほんとにカプサイシンがしみ込んでるんやろな?うちの猫はくしゃみもせずに臭いを嗅いどったで?

どないなっとるんや、登りの段々庭はモコモコトンネルが増えとるやんけ。出口があちこちに、“こんにちは”しとるやんけ。ふざけるな。容赦せんからな。
くらえ!、おっちゃんが作ったハバネロ煮出し液!穴の出口にこれでもかとスプレーでハバネロ液を噴射してやったんねん。

唐辛子の1000倍のカプサイシンに触れて死んでしまえ!って。スプレーを握っていた右手でうっかり、むずがゆかった鼻をこすってしまい、あ~っ熱と激痛が。

宿根ネメシアがどうなっるかもう知らん。露出している穴にはスプレーしまくったった。
もう秋やからこれから新たに植える花はあまり無いねん。大事な花は掘り起こして避難させたわ。

雨上がりに庭に降りたら、ヒューケラの株がプルプルと微妙に揺れてる。
そしたら、いきなりミミズの上半身が土から躍り出てきて、地面の上でぴょんぴょん跳ねてるのさ。撃たれた松田優作のように、「なんだこりゃ!!」とおばちゃんは思ったわけよ。

ヒューケラの株と根もとの土がさらにモコモコ動いた。
Oh,LaLa!!!
モグラがミミズを追っかけてかぶりついたところが、死に物狂いのミミズは、最後の力で地上に飛び出したのか。力足らずに下半身は食われて上半身だけになったミミズは地面の上で絶命した。
ナンマイダブ。


人生60余年、モグラのハンティングをこの目で見るとは思わんかった。地下のモグラは見ておらんがのぉ。

来ん棒はどうした?ハバネロ液はどうした!お前らカプサイシン好きなんけ?
この庭はな、何年も放置されて草ボウボウのところをおじちゃんとおばちゃんが草取りをして、耕して園芸土と肥料を入れてフカフカにした庭なんや。ミミズは豊かな土壌の証なんや。それをタダで食い散らかしに来やがって。

今までなん十株も高かっい宿根草を植えて、おばちゃんがどんだけ金を使ったと思っとんねん。振動撃退機や捕獲機や忌避剤やチューインガムを全部コケにしやがって、それほどおばちゃんが憎いか。
見えんことをいいことにして、宿根草の根元にトンネルを掘りまくりやがって、花の根っこがみんな浮いてしまって高い花は枯れて死んだんや。お前らのせいや。
死ねぇ~、死んでしまえ!残ったハバネロを穴ぼこにぶち込んだ。

くっそ。地面の下では、ここでちょっとチーズでもあると味変でできまんな、と激辛好きのモグラどもがミミズの晩餐を味わっとるのではないやろか。
おばちゃんは、ピーターラビットの童話を今ではそれほど愛らしいと思わん。

女性上位

うちの猫は代々女性上位だ。
小柄で女王タイプのお母ちゃん猫に小心な息子。
おっとりして臆病なお兄ちゃんにきっつい釣り目の妹。

コタツがセットされて大喜びで潜りこんだお兄ちゃん猫の後から、気の強い妹が続いて入った。テーブルの脚がゴンと鳴り天板がバコンと動いて、お兄ちゃんのアメショーが追い出された。
子猫の時に一緒のツグラに寝ていたのに仲良くコタツで丸く眠れぬものか。

家じゅうの一番居心地が良い場所、夏なら涼しく風が来ないところ。冬ならあったかく静かなところ。今日も寒いのでこたつの中は一等地である。妹の紫音が天下を取ってコタツで長々と紐状で伸びている。

この子は子猫の時に、頭がいい天才猫かと思った。うちに来て自分の名前とパタパタ(猫じゃらし)という言葉をすぐ覚えたので歴代では一番賢い子じゃないかと思った。しばらくしたら化けの皮がはがれた。

自分の欲望だけに素直である。
遊んで欲しいときはパタパタを咥える。近づいておばちゃんの腕をトントンする。抱かれるのは死んでも嫌。膝には乗らない。
ところがオフィスでデスクトップを起動させると、キーボードを踏む。踏ん張って動かない。ちぎって捨てても床からよじ登ってくる。ずりずりとモニターに体をこするので、重たいブックエンドが落ちて、床に避難させていたアンティーク風ランプを割った。大損害である。

優雅な肢体から想像ができない程食い意地が張っていてアメショーのご飯をとるのがうまい。ものすごいスピードで自分のお茶碗からご飯を3分の2食べる。それから隣で食べているアメショーに近づく。

アメショーはいつもおっとりと味わいながらご飯を食べるのだが、舌なめずりしている妹が近づくと食欲をなくしてベッドルームに逃げてしまう。
紫苑はお兄ちゃんのお茶碗に顔を突っ込んで、たっぷり残ったご飯を全部平らげる。それから自分の茶碗に戻って残り3分の1を食べる。アメショーの倍ご飯を食べるのに痩せてスレンダーだ。運動量がすごいせいもある。全身筋肉でできてますねぇ、と獣医さんが感心してた。

リビングのキャットタワーでアメショーが寝ていると、小柄な紫音がのっそり近づいてどけという。アメショーは抵抗もせずにシオシオとタワーを降りてベッドルームのキャットタワーに落ち着く。くつろいで毛づくろいしているアメショーに、紫苑がまたやってくる。とどけという。お兄ちゃんはうろうろと家をうろついて落ち着ける場所を探す。うちで唯一のソファの下でぺったりと寝ていることがある。あまりにもしつこく紫苑が付け回すと、たまに切れる。

伏せ耳で妹にとびかかりトムとジェリーごっこが始まる。オフィスからリビング。リビングからベッドルーム。ものすごいスピードで紫音が逃げ、床が鳴る。紫苑がついにリビングのおばちゃんが寝そべっているコタツテーブルに逃げ込んできて、お兄ちゃんに追いつかれて首をかまれる。
ギャウンと紫音が一声鳴くと、おじちゃんもおばちゃんもお兄ちゃんアメショーを叱る。

お嬢様が止めてって言ってるじゃないか。鼻息荒いお兄ちゃんアメショーは、ベッドルームに引き上げてふてくされて横になる。アメショーは紫苑を本気噛みしているわけではないが、紫音はわざと大げさに悲鳴を上げる。困ったときだけはお嬢さんになる。その他の時は王女様だ。女王は?無論おばちゃんに決まってる。とにかく紫苑は家中が自分の縄張りだと思っている。

アメショーの天(テン)は不憫な子だった。
うちに来た時からウイルス性の風邪をひいていて、耳の感染症も頻繁にかかるので病院に行くことが多かった。一時期、感染症が重篤になりすぎて熱が42度まで上がって抗生物質の注射と服薬では収まらず、このままでは助からないと思ったおばちゃんが、大丈夫か、病院に入院しようかと言ったら、おばちゃんの目を見て一声「ニャン」と鳴いた。

天はうちに来た時から風邪気味で声が出なかったからほとんど鳴かない子で、声を聞いたことがなかった。獣医に連れて行って、注射では助からないから点滴でお願いしますと2日入院させて、大枚が飛んで行った。

成長期にそんな病気がちだったから、自分の名前を呼ばれても反応しない。ちょっと頭が悪いかもしれない。鳴かない子だが、治療でも暴れないしおっとりして獣医には評判がいい。天ちゃんは、すごくいい子です。去勢手術の前には、キャリアでぐうぐう寝ていたそうでクリニックでは「大物」と呼ばれている。

写真写りがやたらいい。いつ写しても絵になる。紫苑は、、?
紫苑は写真に写らない。動きが速すぎてブレしか撮れない。たまに撮れると、ラクダかロバに似ている。写真をお向かいのおばちゃんに見せたら、嫌だ、ほんとにロバみたいと言われたからやっぱりロバに似ているのだ。

天はそこそこ健康になったがやっぱり今でも鳴かない。
妹から逃げてベッドでくつろいでいるところに、おばちゃんがそっと近づき、手のひら全体でゆっくりお腹をさすってやると股を広げてゴロゴロいう。気持ちがいいと、左手がパーに開く。開いた水かきのところに指を突っ込んでモミもみするとブッホと鼻を鳴らす。ウイルス性鼻炎で鼻の通りが悪くなったのだ。

一応、天はおじちゃんの息子、紫苑はおばちゃんの娘ということになっているが二人とも抱かれるのが嫌いだし、息子・娘の自覚があるかどうかわからない。
とりあえず今日も女性上位で紫苑の天下だ

別荘地に秋風が吹く

寒い。
夕べ寝る前に予備のアンカを入れて寝たのだが、夜中にお兄ちゃん猫が夜具の上にそれもアンカの真上に乗ったものだから、蹴とばすわけにいかずおばちゃんの冷たい足がアンカに触れられることはなかった。

まだ9月ではあるが、台風も通り過ぎてこのまま一気に秋に突入するかもしれない。
妹猫は寒くなると毛色が濃くなる質なので、なるべく白っぽくしておきたいおばちゃんはコタツを出すことにした。

天袋からコタツ布団を下すと折りたたんだ布団の中に、お兄ちゃん猫がジャンプした。ナニこれおかあしゃん、僕の好きなお布団!
というわけで布団をかけてコタツが完成すると、2匹の猫は狂喜してコタツに飛び込んだ。6月前にしまってからわずか4か月だ。山の夏は短いのぉ。

「地方移住」した元外資の60代男性、移住先で「嫌われまくった」ワケ  
9/21(水) 現代ビジネス

https://news.yahoo.co.jp/articles/b915a5ecbad6ff1728f29c4ee2ab77729852daa7?page=1

別荘地の虫食い私有地を再開発し、既存のごみ置き場などのサービスにただ乗りする新規移住者と、先住移住者との闘い、嫌われるタイプは、、みたいな記事。

この記者は以前も同じような別荘地、移住をめぐるトラブルについての記事を書いていた。この記者のお嫌いなのは「外資系企業あがりのやり手」
外資のすかした男にガールフレンドでも取られた過去があるのかもしれない。

特に外資を渡り歩いた経験者を「外資ゴロ」と書いている。
俺が俺がと自慢話ばかりの退職者が、地元民(先住移住者も含む)とマウントを取りたがり嫌われていく事例が多いと書いている。
外資系勤めが「外資ゴロ」なら外国住みは「外国ゴロ」か?外資勤めが、常に自分をアピールしてギラギラ、ガツガツしているのは否定しない。おばちゃんも覚えがあるからだ。

一言でいえば、文化変容のせいなのよ。
外科医は短気で独断的になり、会計士は細かく杓子定規になり、保険の査定人はやくざまがいになる。外資に努めれば自分を押し出さないと認めてもらえないので、勢い自分アピールは強くなる。

ヨーロッパ10年アメリカ20年で山の近所に最近引っ越してきたご夫婦は、山の管理会社のやり方がぬるい。住人全員が払う環境保全費/管理費で、もっときめ細かいサービスができるはず、住民が結束して要求しましょう!と目の前でぶち上げたから、よくわかる。

「マウントの取り合い」も否定しない。
移住して生まれ育った地域でない場所で、人と知り合うときには自分が何をしてきたか何ができるかをアピールすれば、お互いの力量を図ることができる。自分はこういう人間ですとの申告を自慢と受け取るのは受け取り手にもよる。
ファースト・コンタクトで相手にどのような印象を与えるかというのも交渉の第一歩だからな。

マウントというのは日本に限らず、アメリカでも中国人同士でもベトナム人同士でも、日本国でも、井戸端会議、幼稚園、団地、町内、学校、職場と, 人と接する場所でまんべんなくあるから、少なくとも人間として生きてきたら誰でもマウントを経験しているはず。マウントが不快ならマウントから外れるポジション、地域、世界を選べばよい。

山のお散歩をしている隣人にこんにちわとあいさつをしても3分の1は無視されることがあるから。

この記事では、別荘地の中で取り残されていた私有地に開発の手が及んで先住移住者と新規移住者の摩擦も書かれている。実際古い別荘地に住んでいるおばちゃんの内部者から見ると、開発デベロッパーに乗せられて振興・新築別荘を買わされるほうがバカ。

今、日本では建築資材がどえらい値上がりをしているのである。
新築の物件を買うくらいなら、中古の別荘をリモデルしたほうが質としてましな住処ができる。コロナでこの山の物件も活気づいたが、土地だけの物件は売れない。20年もほったらかしだ。すでに立っている別荘は前のオーナーが基礎にも内部にもたっぷり金をかけて凝って作られている。建っている家の方が売れるのだ。

そもそも、別荘地の中で売れ残った私有地というのはどういう場所か。アクセスが良くて、見晴らしがよい土地はとっくに売れている。家が建てられないほど厄介な地形か、土地を売りたくなかった厄介な地元オーナーが持っていた土地だと思ったらいい。

おばちゃんが物件を探していてまず第一に分かったのは、
見晴らしがよく平らな土地にはとっくに別荘が建っている。
見晴らしが悪く平らな土地は、町かと思うほど家が立て込んでいる。
残った山の土地は「斜面」つまり崖地、基礎をうんと積むか、足が高い高いした家を建てる。
眺望のがけ地、安定の平地は隣が目の前。

さらに、別荘地の「代」はすでに子供か孫に世代になっているのだ。初代のオーナーはとっくにあの世に引っ越して、子供はこの土地に飽きているからめったに来ない。家は雑草に埋もれている。

新移住人もそろそろ平均年齢は後期高齢者になっているから、いがみ合うより、腰が痛い、目がかすむと自分の体が大事な年になっている。体力があまりない。

日本全土で空き家問題があり、毎年静岡市の人口くらいが消滅して日本は人口減。物件の価格が上がるのは都市圏の便利な土地だけ。人口が減っていく土地の不動産は値上がりしない。財産にならんのよ。寂れて消失しそうな別荘地はそこら中にある。
いまさら地方の新興別荘地を開発しても瞬間で過疎地に戻りそうだ。

小さな暮らし

ミニマリストになりたいとは思わないが気持ちはわかる。
自分の暮らしになるべく余分なものを纏いたくない。身一つでいたい。着るもの数着、コンピューターもタブレットもなし、携帯1台。ヤカンとマグカップが一つ。寝袋で寝るーーという極端な生活も目に入る物もないほどすがすがしい、、かもしれない。

そこまでいかなくても、家は小さいほうが好きだ。
田舎の実家はだだっ広くて建て増ししたので家族がどこにいるかわからない。母屋か、離れか、作業所かガレージか、はたまた畑か?こに2階住居部分を考慮に入れると範囲が広すぎて探せない。だから昔から2階建ての家が嫌い。住居は平屋がいい。

小さな平屋で身の回りのものはコタツの周りにあるのがいい。できれば家具メーカーさんにコタツに引き出しをいっぱいつけて欲しい。爪切りと耳かきとかゆみパッチ、目薬にヘアブラシなどサクサクと収納できる引き出しが欲しい。

人間をだめにするビーズクッションがあれば他にソファもいらない。
ビーズクッションは使うとヘタる。クッションの皮が伸びるというあなた、朗報です。ビーズクッション用に伸びない人工皮革のカバーがあるのだ。多少沈み込みとフィット感が薄れるが、ビロビロとだらしなく伸びきっていくことはない。

蔵書も陶器も帰国の時にほとんど処分したから今の本棚と食器棚に収まるだけであとの人生をやっていくことにする。
小さな家は小さなリビングで床面積も狭いからダイソンでくるくるするのもあっという間に終わる。猫がお砂を散らかしたらこまめにダイソンする。フローリング用の掃除ワックスシートをモップする。

先代のおばちゃんの残したモップとシートを見て日本人はなんて頭がいいんだろうと感激したね。シートの四隅を穴に押し込むだけでシートが固定できるなんで信じられなかったから。シートをセットするときはなんか楽しくないか?
ニャンコたちがお風呂のタイルを歩いた後でリビングのフロアに小梅ちゃんをスタンプしてしまったときは、モップでくるくるするのは嫌じゃない。さらにテレビで電動モップをみて感心してそれがリサイクルショップで売っていたので買ってしまった。

電動モップは、ウインウインと2枚のモップが反対方向に回転する。モップの柄は軽く支えるだけ。仕事をするワンコに綱をつけて散歩させている感じ。ご飯の後、誰がお茶碗を洗うかと一瞬の沈黙が落ちるとき、さりげなく立ち上がってダイソンでバキュームから電動モップでウインウインすると勝ったという気がする。床はきれいになるし。

自分たち二人の小さな家で自分たちで掃除をして修理をして庭の花を飾り、畑でとれたキュウリとナスを料理する。冷蔵庫だって70リッターの小さいものだ。ガロン入りの水も売ってないから日本では小さな冷蔵庫で十分じゃない。おじちゃんは四季それぞれにぎやかな日本のスーパーを覗くのが好きなのだ。

アイ子ちゃんはもう自分で掃除なんかしたくないと言う。
白人のテニスクラブのおばさんたちは、雑巾ってどうして使うの?って雑巾を絞って使うことも知らない人ばっかりなのよ。私は年を取ってそれなりの資産もできたから、掃除なんてもうしないわ。メイドサービスで掃除してもらうの。

コロナのせいでスーパーで買い物に行くよりアマゾンでみんな買うようになったので、時間が余るようになったそうだ。ゴルフの打ちっぱなしの練習を増やしたのと言っていた。運転するのも最低限になってきたと言う。

現役のころのおばちゃんは、朝出勤して寝に帰ってくるまで家は誰も住んでいない。家で食事をするのは定休日の夕ご飯だけだっただったからさして汚れもせず。平日はキッチンも使わないので お茶っ葉さえごみに出なかった。ケンモアのでかい冷蔵庫の中は水と調味料くらい。おおよそ生活しているというより出動して帰宅する基地みたいなものだった。
天井は高くSwiss Coffeeの真っ白な壁の家を愛してはいたけど、最後の十年はそこでしみじみ生活を営んだ記憶があまりない。

伊豆のちっちゃな家は好きだ。
床磨き溶剤を選んで、ウインウインしながら床をピカピカになったらささやかな満足感と幸せがある。ミニ洗濯機もなかなか楽しい。畑の大根を間引いて細い大根を炒め煮にしようか、漬物にしようかと考えるのが楽しい。コロナが収束してまた何か始めるとした吹っ飛んでしまうかもしれないささやかな生活である。

できればこの先も自分の力でできるだけの大きさで、小さな生活をしてゆきたい。

前略、越後製菓 様

もと日東製菓の「味千両」を販売してくださってありがとうございます。
なんというか、老舗の一家のお父ちゃんが放蕩して家業をつぶして一家離散のところを越後製菓が2代目の息子を引き取って養ってくれているようなありがたさというか、。

「味千両」は私の生まれ故郷に工場があり、子供のころから親しんできた大好きなあられです。
遡ること50年前、うちの中学校では夏休みにフィールドトリップとして山奥のキャンプ場で2泊3日のキャンプをする伝統がありました。ボーイスカウトの厳しいおっさんの罵倒と叱咤指導のもとにキャンプ設営が終わったころから、天気がおかしくなり夜半に入ると近づいてきた台風の暴風雨圏に入ったのか、大変な吹き降りでテントも吹き飛びそうになりました。

生徒は雨風と不安で眠れませんでしたがそれは教師も同じだったようです。深夜まで論議を重ねてキャンプは中止の結論を出したようで、翌朝に全員撤収の発表がありました。

キャンプ場はゴロタ石ばかりで眠ろうにも背中が痛く飯盒炊爨のご飯はひどい味。撤収が決まってうれしかったのですが、1年生230人の接収バスがありません。
帰宅予定は3日目の午後なのですから、一日早い撤収にバス会社も配車ができなかったようです。なんと徒歩で中学まで帰宅行軍ということになりました。

季節は夏なので八甲田山のように生徒がばったばったと死んじまうことはなかったのですが、何せ山奥で有名なキャンプ場なので里まで50Km以上はあったはずです。
クラス別に2列縦隊で山から徒歩で降りて来たのですが、急な撤退で飲み物食事も十分でなく前夜は暴風雨で生徒もほとんど寝てません。

朝からとぼとぼ歩き続けながら午後の3時ころにはみな疲労困憊していました。
教師がここで休憩、と指さす場所は工場敷地でした。川沿いの広い敷地に大きな岩が転がっていて、そこに生徒がてんでに座り込みました。きゃしゃで体力がなかった私はひざから下が熱をもって足がだるくてたまりません。工場には日東製菓の大きな看板が見えました。

ここがあの「味千両」と「サラダあられ」のちの「サラダ・セブン」を作っている工場なんだと思いあたりました。
もしかして、工場長が台風でキャンプを中止し徒歩で帰宅せねばならないかわいそうな生徒たちを気の毒に思い、元気づけに「味千両」あられでも配ばってくれるのではないかという私の「卑しい」希望はもちろん実現せず、230人を快く休憩させていただいただけで日東製菓さんに今でも感謝しています。

その後私は大学で横浜に出て東海圏から外れると「味千両」は関東のスーパーには売っていないのがショックでした。あられロスです。


ほろほろと崩れ程よい塩加減で袋を開けると止まらなくなる究極のあられが「味千両」。それがいきなり人生から消滅してしまって私は非常に絶望しましたが、割と好きな物に執着するタイプなので、その代わり「サラダあられ」があって救いになりました。

結婚してアパートにまぎこんできた野良猫の息子も、サラダあられの「醤油味」がお気に入りでした。平成になったばかりの頃、思い立って猫ともどもカリフォルニアに移住しました。

どんな日本食が手に入るかわかりませんでした。
まともな日本食がなくても、おばあちゃん自家製の紅ショウガか、ふりかけの「のりたま」があればとにかく食える。思い切って丸美屋食品に手紙を書いて、カリフォルニアでも「のりたま」が手に入るかどうか問い合わせたのですが、返事がきませんでした。
んで「のりたまふりかけ」と「サラダあられ」を引っ越し荷物として送りだしました。

心配したものの日系スーパーはありました。サラダあられもありました。ただし在庫が切れるといつ入ってくるかわかりませんでした。売り場にあったら買う。そこが勝負です。


日本から肉製品の輸入は禁止なので、好きだった日本のソーセージのシャウエッセンも食べられず、そのうちシャウエッセンの味も忘れてしまって、どうでもよくなった2010年前後、お菓子売り場に忘れもしない黄色とオレンジの袋「味千両」があるではないですか?

夢かと思って2袋買って帰って、奇跡の入庫なのにたった2袋を買って私は何をやっとるか?とまたスーパーに引き返して売り場の「味千両」を全部買い占めました。 次にいつ入荷するかわからないから。
それっきり2度と入荷しませんでしたが、。

買い占めた「味千両」がなくなると名残惜しくてパッケージの日東製菓の住所を切り取りました。次の日休憩時間に日東製菓のお客様相談室相手に、自分がいかに昔から「味千両」が好きで愛してきたかを切々としたため、航空郵便で日本に送ったのでした。返事は半年ほどたって忘れたころに来ました。

平成が終わるころ、帰国して静岡に落ち着きました。
「サラダあられ」あるいは「サラダ・セブン」はスーパーにあったりなかったり。オンラインでいろいろ調べてみるとなんと!日東製菓がなくなったと?!バブルで投資に失敗したらしい。オンラインで「サラダセブン」を買いあさりました。

ある日地元のスーパーでレジに並んでぼんやりしていると、レジ横に特設!越後製菓コーナーがありました。赤が特徴の越後製菓のラインの中に黄色とオレンジのデザインの「味千両」 があるではないですか?迷わず全部買い占めました。

袋の裏の製造会社を見てみると越後製菓となっていました。
越後製菓があの日東製菓の「味千両」を拾って保護していた!
捨てる神あれば拾う神あり。ありがたや。

私の勝手な想像ですが、こんなんではなかったでしょうか。
老舗の日東製菓さんはバブルの投資に失敗して、会社の清算という苦渋の決断を下した。が、その製品プロダクトラインすべてを閉鎖・廃版にするには社長はじめ工場長、事務員に至るまで身を切られるようにつらかったに違いない。


殿、せめて「サラダあられ」と「味千両」だけは生す手立てはないものでありましょうか?

同業他社の皆様、卒爾ながら情けをかけてはいただけぬか、
越後製菓、武士の情けじゃ。手を挙げてくだされ、弊社がお引き受けいたそうぞ。
かたじけない。しからば ここな「味千両」のレシピと工場長を新潟県に、、、、。
工場長、(涙、涙)われら日東の遺志をついでたもれ。
かしこまってござる、長として一生をかけ「味千両」を守りぬく所存。
恐惶敬白
~~みたいなことがあったのかもしれない。

それからは私はオンラインで「味千両」を12袋箱買いして非常に満足であります。再び巡り合った「味千両」は50年前と同じようにほろほろと口の中で砕け軽くて繊細なあられの傑作なのでした。
ただし、塩が昔と少し違う気がする。

越後製菓様、
「味千両」は「まま子」のような存在かもしれません。越後製菓コーナーに味千両が置いてあるのはまれ。あっても売切れればほとんど補充されません。生産量が少ないのかもしれません。よその子ですから。それでも老舗の粋を引いた直系の製品ですから末永く生産をつづけてやってください。
お願いです。

名残り紫陽花

雨が上がって庭に出られてうれしい。
今年のアジサイは花が終わっても不思議に色が残っている。茶色で縮まなかったのは梅雨が短かったからかしら。花びらがほんのりピンクで遠目でみればまだ生花と見える。

ドライフラワーにならんかな?とピンクが濃い花を枝ごと切って葉を落とした。
かさばるので束ねて通路の脇に置いて、エリゲロンの茂みをトリミングし、ギボウシは黄色い葉が出てきたので思い切って刈り取ってしまい、しつこい80円(トレニア)の芽をぬいて溜まった手箕の雑草を捨てようとテラスまで戻ってきたらアジサイがなかった。

おじちゃんにアジサイはどうしたと聞いたら、町内指定45リッターごみ袋を指さして、捨てたと言う。カップヌードルの空きカップも取っておくくせに。


一番のいい色はなくなってしまったので2番手の花を5本切る。
シャワーを浴びた後、アジサイを逆さにして浴室の天井からつるし真下に除湿器を置いて一晩除湿した。

次の日アジサイは見事にドライフラワーになっていたが、どうしたわけかピンクの色は飛んで水色と紫が残った。花弁が薄いものは枯れ葉色になってしまった。花瓶にさしてみてもアジサイだけでは色がさみしい。セリアに行ってゴールドのマニキュアを買ってきた。

枯葉色はマニュキュアをぺたぺた塗る。てっぺんから見るとところどころに金が光ってゴージャス。大きくしっかりと花弁が残っているものは根元にペタペタ塗る。マニュキュアが一瓶無くなった。仕上げに同じくセリアで買ったつぼみの人造花を挿して花瓶に生けた。
花瓶は実は海から揚がった古いタコツボ。メルカリで買った。渋くて好きだ。〆には金のおリボンを巻いてみた。
ばあさん、退屈しているのである。

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