液体ムヒ

おばちゃんは液体ムヒをもって、家じゅうのケーブルに塗りまくっている。ケーブルがかゆがっているから。んなわけがあるかい。

おばちゃんの弱点は猫である。
紫音もストレス・マックスだったし、おばちゃんたちも限界だった。3月からおばちゃんたちがバイトに出れば、紫音は一人でお留守番の時が長くなる。

猫の鳴き声に頭がかき乱されると、おばちゃんはアホになる。理性的にものが考えられなくなるナァ~オと鳴かれると、その瞬間何を考えていたかわかんなくなる。おじちゃんが何かを話していても聞こえない。

ーーねぇ、アンタ、
もしも、いま道ばたで子猫が落っこちていたら拾う?
寒空を見上げて、う~ん、拾うね。ーーそうだよね、拾うよね。

おばちゃんは心神喪失状態のまま月齢の低い子を探してしまった、、。テンの命日に生まれた子はすでにもらわれたようだった。今の季節に子猫は多くない。ちっちゃな男の子がいた。テンはお腹にバカボンの渦巻きがあったのだが、。渦巻はない。目がつぶらで大きい。

正月明けにシャンプーをしましたと、相手から写真が入った。2か月の子猫をシャンプー?おかしくないか?それでも新幹線のチケットを取って、あと何日寝ると、“お迎え“ 詩音はX日でお姉ちゃん。カレンダーを消していった。

引き取りの2日前にラインが入った。
くしゃくしゃの子猫の前足が青く光っている写真。ごめんなさい、この子は真菌症でお引き渡しができません。

たたき落された気分であった。
真菌症?先代の猫が持っていたので消毒薬やブラックライトもある。相手が治療をするというので涙を呑んで待つことにした。子猫の写真を獣医さんに見せたら、もしかして治りかけかも、と。

2週間待ったら動画が送られてきた。
子猫が猫じゃらしで遊ぶ動画であったが、猫の顔が涙目のくちゃくちゃであった。

何かがおかしい。胸に禿げた跡があるし、顔まで真菌症が進んでいるようであればうちでは面倒が見きれないかも。そう言うと、相手は、顔にはありません。胸は治った跡ですという。
それでもおばちゃんたちは疑惑がぬぐい切れない。


胸にハゲ跡が?前足だけのはずだったのでは?
2か月の体力のない子猫をシャンプーしたのは言語道断だったが、あれは真菌治療の抗菌シャンプーだったのだろう。むろん相手方はきれいにするためでしたと言った。そんなわけあるか。

テンJr.と名前まで付けてしまっておじちゃんたちはもう「うちの子」の心持なのである。さらにまた1週間待って、辛抱がたまらなくなってどうでもいいから迎えに行くことにした。うちの子を引き取りに。

お迎えしたその足で獣医に行きたかったが予約が一杯で次の日。
獣医はむつかしい顔をして、ブラックライトを子猫の全身にかざすと、前足、後ろ足、しっぽ、背中、耳、鼻粘膜全体に真菌反応があります。つまり、全身。 

全身?!おじちゃんとおばちゃんは絶句して、確かに動画で見たより実際は小さくて弱弱しかったがまさか全身に真菌とは。獣医はさらに「ヒネた子です。」と言った。

「ヒネた」とはどういう意味か分からなかったので、聞けば、
「健康な子猫でも元気でもありません。まともに育つかどうかは半々です。」

真菌の治療には内服薬が効果的だが、なにぶん600gあるかどうかというガリガリ。処方量を最低でとりあえずやってみましょう。紫音ちゃんへの隔離はきっちりやってくださいと言われた。

真菌症の正体はカビである。人畜共通の皮膚疾患で汚染された毛がつくと感染する可能性がある。抗菌シャンプーと消毒薬はすでに用意してあったが隔離ゲージの消毒が大変だ!

前日の長距離移動で、テン・ジュニアの食欲はあまりなく弱弱しい。無事に育つかわかんないんだね、意気消沈していると、おじちゃんが、俺が元気で丈夫な子猫に育ててやる。

おじちゃんはお掃除おじさんと、洗濯おじさんに変身した。
朝晩ふたりで使い捨て手袋をはめ、おじちゃんは専用エプロンをしてジュニアに消毒薬を塗る。すぐに離すと、消毒薬を舐めてしまうので最低5分消毒薬がしみこむまでジュニアと猫じゃらしで遊ぶ。


その間に、ケージに敷いた冬用マットとペットシーツを取り換える。真菌はアルコールでは死滅しないので、1リットル当たり5ccの濃度に薄めたハイターでケージの網や床を拭き掃除する。猫砂は2日に一回取り換えた。マットはまず熱湯に漬けて消毒し、そのあとハイターをいれて洗濯である。マットも毛布も色が抜けてボロボロになってしまった。
水道、ガス代、電気代が恐怖!

薬を飲ませて4日目にジュニアが動かなくなった。弱弱しくぐったりと寝ている。涙目でますます顔が野良猫のようだ。
3か月未満の子猫はあっけなく死んでしまうので、無理やり診察を入れてもらった。やはり薬が強かったのかもしれない。いったん服薬を中止し、点滴と抗生物質を注射して様子を見ましょう。


点滴を刺されるとジュニアはキャ~と鳴き叫び、初めて子猫の声を聞いた気がする。
翌日もまだ弱弱しいく同じ処置を繰り返した。

つぎの日、驚くべきことにジュニアはシャッキ~ンと、イケナイお薬を入れた人のように、食欲と元気が回復してケージをガシガシとよじ登るようになった。体重が700gを超えた。

紫音はケージの前でちっちゃい声でシーというが、最初の遭遇の時の敵意とは打って変わって、むしろ心配でジュニアの様子をうかがっている。峠を越したのかもしれない。
薬は一日おきにして、ご飯を食べさせて遊ばせて体力をつける。抵抗力がつけば真菌は薬がなくても治るのだ。

夜、8時にいきなり紫音が吐いた。そのあと、すごい下痢。
おじちゃんが、食べさせすぎたのかもと言う。テンに手をかけすぎて、いじけた紫音をなだめるために、紫音の好きな缶を好きなだけ食べさせたから。

ジュニアがまだ全快といかないのに紫音が調子を崩した。
空えずきをする。チュールは少し食べたがその分また下痢。ふらふらと歩いて、床にぱったり横たわる。何かを誤飲したか誤食したか、異常事態なので次の日に診察を入れた。紫音はヒモが大好物である。遊ぶだけではなく、ゴム紐は食べるのも好き。室内には、マスクも絶対置かないようにしてあるのだが、何か誤食をしたのかもしれない。

獣医さんによれば、腹部の触診も異常ないが腸炎を治めるために点滴と下痢止めを入れた。次の日は定休日なので、心配な状態なら懇意のクリニックを教えてもらった。
次の日も、空えずきはやまず水を飲んでも下痢をする。紹介されたクリニックでもやはり見立ては異食は考えにくく、下痢を止めるために点滴と注射をした。

次の日紫音は8分どおり復活。テンは最後の服薬も終わって、体重は900gを超えた。再診で問題なければケージから出す。

獣医さんはテンを診察して、あれ?顔が変わりましたね?
猫を飼って40余年、無職のおじ+おばが全力で子猫のケアをしたのだから顔もまともになった。ブラックライトの検査では残念なことに、肛門9時の方向に2ミリくらいの真菌が残っていた。ただ全身状態はいいですから、ケージの外に出してもいいでしょう。と許可が出た。

おじちゃん特製の”平屋建て増し次の間付きの暖房完備のゴージャス・ケージ”を開けると、テンがおそるおそる出ると見せかけ、実は超スピードでリビングを縦横無尽に走り始めた。ジイさん婆さん猫用においてあったスポンジの猫階段を初めて正しい使い方をしてくれた。

こたつもよじ登る。ラップ・トップのキーボードも走りぬけていく。おかげでおばちゃんは、Microsoftの知らないオプション・ウインドウを初めて見た。

しっぽの中ほどは真菌で剥げて、すかすかのススキのようなしっぽには節があるように見えるのだが、そのしっぽを最大限に膨らませて、紫音の後を追う。キッチンの猫柵を上る。冷蔵庫の隙間に入る。テレビ台の裏に入る。おばちゃんはリビングのじゅうたんの上で3か月ぶりに泣いてしまった。

そして、テンはあらゆる電気コードをガシガシかじろうとする。子猫の時代とはほんの数か月しかないので、おばちゃんは子猫のいたずらがどうだったか忘れてしまうのだ。

それでおばちゃんは液体ムヒを手に持ち、テンの後をついていってテンがかじりつく電気コードにムヒをちょんちょん塗っているのである。

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おばちゃんの弱点は猫だ。
10月に天が亡くなってから、紫音の鳴き声は半端でない。
おじちゃんがトイレに行ったと鳴き、ベランダに出たと鳴き、おばちゃんがキッチンに行ったと鳴く。

午後4時になると、テレビの前に出てきて明後日のほうを向いたまま鳴く。紫音の鳴き声は、道路からも庭からも聞こえる。この子が初めてさかりがついた時の鳴き声も、夫婦二人でうろたえるほどうるさかった。山中の雄猫がウチの家に寄ってくるのではないかと本気で心配した。
さらにこの子の運動能力の高さ。運動量。体全体が筋肉でできているようなムチみたいな細見の体。ジャンプ力は半端でない。

この猫種が今の日本で人気がなくなったのがわかる。とても街中の集合住宅で飼える猫ではない。最初は兄弟猫で来てもらおうかと考えていたのだけど、そうしなくてよかった。家がボロボロになるところだった。

その子が午後4時になると鳴く。
力いっぱい鳴いてアタシをかまえと。
ごはんはいらない。遊べ!
猫じゃらしで2時間。人間様は飽きてしまう。休憩!とコタツに潜ると紫音はキッチンに行く。
カウンターに飛び乗って、置いてある猫缶のフタ、プラスティックのスプーンをお手玉して床に落とす。小さくて動かしやすいものはみな落とす。

こらっ、とおコタから叱るとリビングに戻ってきて鳴く。猫じゃらしを目の前まで咥えてきて落とす。遊べ。もう、お父ちゃんもお母ちゃんも飽きちゃった。コタツで寝なさい。
いや~~と鳴く。ほとほと疲れてしまう。

紫音はさみしがり屋の種なので単独飼いはそもそも想定してなくて、アメショーの天と同時にお迎えしたのだが、その天が亡くなって遊び相手も、話し相手も、猫仲間も無くなった紫音はストレスの塊。悲しいのはおばちゃんたちも同じ。一体どぉ~したらいいの?

紫音の性格ははっきりしている。妥協は許さない。嫌いなものは嫌い。やりたくないことはしない。自分が世界の中心で自分への愛を叫ぶプリンセス。

おばちゃんはそういう性格が嫌いではない。前のナナちゃんも性格は似たようなものでキツかった。そういう猫を好んで飼ったのはおばちゃんなので、自業自得なのだが。

単独飼いすべきでない詩音をこのまま一猫生を一人で生きさせるのは忍びない。
で、かかりつけの獣医さんは地域の保護猫を引き取っている方と猫を紹介してくれた。相性としては去勢の男の子のほうが良いというので、月齢が低い6か月の男の子をお試し同居で預かってきた。

白キジの保護猫を連れてきて、用意していたケージに入れると詩音はものすごいヒステリー。
ケージにかけた毛布の下から”おぼっちゃん”(性格がいいのでそういう名前だった)の一部が見えるとヒスる。ものすごくイラついているのがわかる。
ご飯を食べる量が減って、キリキリ走り回りお昼寝も全くせずたまにケージに寄って行って中をうかがう。興奮しきっていて精魂尽きたのか夜になったらおじちゃんの枕もとで爆睡した。よほど神経が張っていたのだろう。

次の日も同じ。
とにかくぼっちゃんが家にいることが許せないみたいだ。
ぼっちゃんは保護猫のお母さんが生んだ猫で兄弟5人のうちたった一人の男の子だったせいか、兄妹うけがよくおっとりといい子に育った。

とってもいい子。何匹も猫を飼ってきたおばちゃんたちが、一目ですなおでいい子だとわかる子。多分紫音以外の猫となら問題なく同居で暮らして行けたのではないかと思う。

紫音の鳴き声はマックスで、3日目にはおばちゃんたちの神経も擦り切れてきた。
紫音はもうボロボロ。イライラでソファーの背やカウンターに飛び乗ったり腹立ちまぎれにおもちゃに噛みついて振り投げたりする。嫌いなものはキライなんだと思う。
長く同居して慣れるというより神経が擦り切れることになるのではないか。おばちゃんたちが予想した反応とは違う。
天ではないからダメなんだろう。

もっと月齢の低い子猫だったらどうだっただろう。
しかし今は冬なのだ。子猫がわらわらと生まれる季節はまだ3か月も先である。
おばちゃんたちは疲れてしまった。どうしていいかわからない。おぼっちゃんがかわいそうなので、チュールと猫鰹節をつけて保護舎に返した。これだけいい子ならきっと里親が見つかるだろう。

おじちゃんに肩のり

というわけで紫音もおばちゃんたちもへとへとである。
買い物の帰りに百均に寄ったら、おじちゃんがゼンマイ仕掛けのネズミを買った。ネズミがフロアを走りだすと、紫音がびっくりしてソファの下でスタックしたネズミを捕ろうと必死。気に入ったみたい。しかしゼンマイ仕掛けはすぐ切れる。絨毯の段差が登れなくて止まる。
そこでラジコンのネズミを探して買った。届いたころには紫音は半分飽きていた。
タスケテくれ。春はまだ先。
書き忘れたが、紫音は肩乗り猫である。おじちゃんとおばちゃんの左肩は紫音につけられたバーコードでいっぱい。

シルバータビー

おばちゃんは 猫を亡くしても同じ種の猫は飼えなかった。
白キジの息子は唯一の息子であって、2番目の白キジがいていいわけがない。ひとり息子の記憶を上書きするような同じ種同じ毛皮の猫を飼えるわけがない。
ショートコートのブルーはナナちゃんだけで同じアビーがいたらナナちゃんの思い出が薄れてしまう。

アメショウーの天は丸顔でおじちゃんの好みだった。
シルバータビーでやや横長の丸い頭とぱっちりした目。とどんくさくて声が出なくてフゴフゴ鼻を鳴らす。おじちゃんの膝には乗らないくせに、気が向くとおばちゃんの膝を狙ってじりじりとやってくる。あごの下を撫でられるのがお気に入り。

耳道が狭いために細菌感染で死にかかり手術をしたのだが、病院を嫌がらなかった。天ちゃん、大物ですね、とドクターに言われておっとりした性格はきつい性格の紫音にぴったりの相棒だった。

紫苑に食べかけのごはんを取られても文句を言わず黙ってお気に入りのキャットタワーかベッドの上で昼寝をするのだった。おじちゃんの枕もとのヒートパッドを紫音に取られたのでおばちゃんの足元に丸くなって眠る。おばちゃんは重みを感じてなるべく寝返りをしないように注意して眠るのだった。

紫音と天はトムとジェリーのようにベッドルームからリビング、リビングからオフィースと二匹で全力疾走を繰り返してじゃれあっていた。天は突然電池が切れてお気に入りのマットで爆睡する。活発な紫音についていくのが大変なのだ。

ふわふわとしたアメショウの毛ざわり。太目の足。水かきの間に指を入れてモミもみすると点は気持ちがよいのか指をパーに開く。もっとやってって。
アメショウにもう一度会いたい。それは天ではないかもしれないけれどもう一度モフモフしたい。
さみしい。

家の冬支度

今朝は寒かった。10度を切っていたと思う。おまけに午後から雨だ。
窓の近くは空気が冷たい。

家も冬支度を始めないと。
普段使わないオフィスは断熱パネルを張った雨戸を閉めサッシを閉めた窓にプチプチの断熱ビニールを張る。これで4度以上違う。

お風呂のでっかい窓にはウレタンの断熱材を張った。
浴室が外気温に近くなるので冬は野菜置き場になることもある。糠みそのぬか床はベランダに移動した。

床下からどうしても熱が逃げるので、コタツ敷きは何重にもしてあるのだがそれでも十分ではない。薄いアルミ加工の敷物。段ボール、ベルギー絨毯、冬用コタツ敷。ニトリでさらにモフモフ敷を買って今年はさらに防寒仕様を厳重にした。

おかげで空気がひんやりするなぁと思ったらずっぷしコタツに潜る。で、セブンで買ったアイスを食べる。山のセブンは10月に入ると、おばちゃんのお気に入りのかき氷系のアイスを仕入れなくなってしまうのが不満。スーパーカップとかキャンディーバーみたいなものしかなくなってしまうのよ。棒つきアイスって嫌いよ。

気温が下がるとガスの種火とかも熱量が必要なのか、2割ほどガス料金が上がる。電気代は5桁になってうむ~とうなる。猫用のヒートパッドが、リビングとベッドルールに合計5つくらいあって、おじちゃんは猫たちが寒くないように全部スイッチを入れておくので、電気代が夏の2倍になってしまうのだ。起きたらベッドルームのヒートパッドは必要ないから消すようにいくら注意しても、いや昼間でも天がベッドルームで寝ることがあるし、両方いるだろうと譲らなかった。

しばらく前に電力会社を変えて、ついでに料金引き落としの口座もおじちゃんの銀行に変えた。つけっぱなしにしたければすればいいけど、電気料金はおじちゃんの口座から落ちてるよ、と言ったら早速ヒートパッドにタイマーをかました。天が突然死してしまってからヒートパッドはたった2つになってしまったのだけど。


相棒の天が亡くなって紫音の不定哀訴がひどい。
夕方5ごろから鳴き始めて付きっ切りで遊ばないと鳴きやまない。後追いがひどい。おじちゃんがベランダに出ると戻ってくるまで鳴く。

顔つきが変わってしまった。
二匹とも2歳4か月と5か月で猫だけの世界があって二匹で飛び回っていたころは、紫音もそれなりの成猫の顔立ちだったのに、鳴きながら後追いするこの頃の紫音は子猫の顔立ちに戻ってしまった。
ひどく幼くてあどけない。

鳴き続ける紫音におじちゃんもおばちゃんもストレスマックスである。お兄ちゃんはもう居ないんだよ。寂しいね。でもあんたはこのままだと我儘で自己中心的で人間を呼びつける嫌な猫になってしまうよ。と紫音に言い聞かせている。
紫音も心さみしい冬が始まる。

出た日が命日

おばちゃんは何がつらくて悲しいかというと、うちの猫の命日が小室圭の合格発表の日になってしまったことだ。

ただいま~とお買い物から帰ってきて、天は玄関内の内ゲートで待っていた。
天ちゃん、お出迎えありがとう。天は身をひるがえしてリビングに飛んでいった。おじちゃんとおばちゃんは買い物を冷蔵庫にしまって人間用のお弁当をあっため、おじちゃんが猫缶を開けて天と紫音を呼んだ。
紫苑は食べ始めたのに天が来ない。

おじちゃんはお茶碗を持ったまま天を呼んで、洗面所を開けたりトイレを開けたり。おかしいなぁ、コタツにいる?って。おばちゃんがコタツ布団をめくっても天はいない。
クローゼットに閉じこめられていない?ジャケットをしまう一瞬にクローゼットに入り込むことがあるから。
おじちゃんはベッドルームに探しに行き、食べるばかりになったお弁当を前にしておばちゃんも立ち上がりベッドルームに行った。

天、どうしたんだお前!
おじちゃんがぐったりした天を抱えてゆすった。天はぽっかり目を明いて口が半開きだった。
息してる?人工呼吸!心臓マッサージ。
心臓はどこだ?
胸でしょ?
One Thousand, Two Thousand, Three Thousand, Breathe って3回目で人工呼吸!
動物病院に電話をして連れてきてくれというのでおじちゃんが天を抱き15分で動物病院についた。獣医さんはすぐ救命処置に入ってくれたが天の鼓動は戻らなかった。

うちに来た時からウイルス性の風邪をひいていてアメショーで耳道が狭かった。耳からの細菌感染症を繰り返し一度は死にかけたので耳道切開の手術をした。心臓も普通より肥大していますと言われていて、ああ、この子の寿命は短いだろうな、とおばちゃんの悪い予感は当たって、天は2歳4か月で逝ってしまった。

紫苑もおじちゃんたちも茫然である。
さっきまで飛び回っていたのに。目を離した十分で逝ってしまうなんて。
おじちゃんはリビングで一晩天を横に添い寝してお別れをして、紫苑は何度も天のそばにやってきて匂いを嗅ぐ。次の日、天はあっという間に骨になってしまった。

なんでまた、NYBEの発表が次の日なんだ。
おばちゃんはNYBE Resultサイトのチェックしながら泣いていたわけよ。紫苑も天を探しながら鳴くわけよ。
Twitterから合格の情報が先に入ってきておばちゃんはページの更新をして合格の速報をした。

ちくしょう。
天の命日が小室圭が合格発表の日になっちゃたじゃねぇか。どうしてくれるんだ。

女性上位

うちの猫は代々女性上位だ。
小柄で女王タイプのお母ちゃん猫に小心な息子。
おっとりして臆病なお兄ちゃんにきっつい釣り目の妹。

コタツがセットされて大喜びで潜りこんだお兄ちゃん猫の後から、気の強い妹が続いて入った。テーブルの脚がゴンと鳴り天板がバコンと動いて、お兄ちゃんのアメショーが追い出された。
子猫の時に一緒のツグラに寝ていたのに仲良くコタツで丸く眠れぬものか。

家じゅうの一番居心地が良い場所、夏なら涼しく風が来ないところ。冬ならあったかく静かなところ。今日も寒いのでこたつの中は一等地である。妹の紫音が天下を取ってコタツで長々と紐状で伸びている。

この子は子猫の時に、頭がいい天才猫かと思った。うちに来て自分の名前とパタパタ(猫じゃらし)という言葉をすぐ覚えたので歴代では一番賢い子じゃないかと思った。しばらくしたら化けの皮がはがれた。

自分の欲望だけに素直である。
遊んで欲しいときはパタパタを咥える。近づいておばちゃんの腕をトントンする。抱かれるのは死んでも嫌。膝には乗らない。
ところがオフィスでデスクトップを起動させると、キーボードを踏む。踏ん張って動かない。ちぎって捨てても床からよじ登ってくる。ずりずりとモニターに体をこするので、重たいブックエンドが落ちて、床に避難させていたアンティーク風ランプを割った。大損害である。

優雅な肢体から想像ができない程食い意地が張っていてアメショーのご飯をとるのがうまい。ものすごいスピードで自分のお茶碗からご飯を3分の2食べる。それから隣で食べているアメショーに近づく。

アメショーはいつもおっとりと味わいながらご飯を食べるのだが、舌なめずりしている妹が近づくと食欲をなくしてベッドルームに逃げてしまう。
紫苑はお兄ちゃんのお茶碗に顔を突っ込んで、たっぷり残ったご飯を全部平らげる。それから自分の茶碗に戻って残り3分の1を食べる。アメショーの倍ご飯を食べるのに痩せてスレンダーだ。運動量がすごいせいもある。全身筋肉でできてますねぇ、と獣医さんが感心してた。

リビングのキャットタワーでアメショーが寝ていると、小柄な紫音がのっそり近づいてどけという。アメショーは抵抗もせずにシオシオとタワーを降りてベッドルームのキャットタワーに落ち着く。くつろいで毛づくろいしているアメショーに、紫苑がまたやってくる。とどけという。お兄ちゃんはうろうろと家をうろついて落ち着ける場所を探す。うちで唯一のソファの下でぺったりと寝ていることがある。あまりにもしつこく紫苑が付け回すと、たまに切れる。

伏せ耳で妹にとびかかりトムとジェリーごっこが始まる。オフィスからリビング。リビングからベッドルーム。ものすごいスピードで紫音が逃げ、床が鳴る。紫苑がついにリビングのおばちゃんが寝そべっているコタツテーブルに逃げ込んできて、お兄ちゃんに追いつかれて首をかまれる。
ギャウンと紫音が一声鳴くと、おじちゃんもおばちゃんもお兄ちゃんアメショーを叱る。

お嬢様が止めてって言ってるじゃないか。鼻息荒いお兄ちゃんアメショーは、ベッドルームに引き上げてふてくされて横になる。アメショーは紫苑を本気噛みしているわけではないが、紫音はわざと大げさに悲鳴を上げる。困ったときだけはお嬢さんになる。その他の時は王女様だ。女王は?無論おばちゃんに決まってる。とにかく紫苑は家中が自分の縄張りだと思っている。

アメショーの天(テン)は不憫な子だった。
うちに来た時からウイルス性の風邪をひいていて、耳の感染症も頻繁にかかるので病院に行くことが多かった。一時期、感染症が重篤になりすぎて熱が42度まで上がって抗生物質の注射と服薬では収まらず、このままでは助からないと思ったおばちゃんが、大丈夫か、病院に入院しようかと言ったら、おばちゃんの目を見て一声「ニャン」と鳴いた。

天はうちに来た時から風邪気味で声が出なかったからほとんど鳴かない子で、声を聞いたことがなかった。獣医に連れて行って、注射では助からないから点滴でお願いしますと2日入院させて、大枚が飛んで行った。

成長期にそんな病気がちだったから、自分の名前を呼ばれても反応しない。ちょっと頭が悪いかもしれない。鳴かない子だが、治療でも暴れないしおっとりして獣医には評判がいい。天ちゃんは、すごくいい子です。去勢手術の前には、キャリアでぐうぐう寝ていたそうでクリニックでは「大物」と呼ばれている。

写真写りがやたらいい。いつ写しても絵になる。紫苑は、、?
紫苑は写真に写らない。動きが速すぎてブレしか撮れない。たまに撮れると、ラクダかロバに似ている。写真をお向かいのおばちゃんに見せたら、嫌だ、ほんとにロバみたいと言われたからやっぱりロバに似ているのだ。

天はそこそこ健康になったがやっぱり今でも鳴かない。
妹から逃げてベッドでくつろいでいるところに、おばちゃんがそっと近づき、手のひら全体でゆっくりお腹をさすってやると股を広げてゴロゴロいう。気持ちがいいと、左手がパーに開く。開いた水かきのところに指を突っ込んでモミもみするとブッホと鼻を鳴らす。ウイルス性鼻炎で鼻の通りが悪くなったのだ。

一応、天はおじちゃんの息子、紫苑はおばちゃんの娘ということになっているが二人とも抱かれるのが嫌いだし、息子・娘の自覚があるかどうかわからない。
とりあえず今日も女性上位で紫苑の天下だ

ロングビーチのキャット・ショー

ロングビーチのコンベンション・ホールは、入口でアドミッションを支払い、ホールに入ると見たことがない景色が広がっていた。

会議用の細長いテーブルの上に猫の横長ケージが乗ってそのケージが先頭のステージまで波のように続いている。CFA主催のキャット・ショーで今日のメインはスフィンクス。入口で白人のカップルが2匹のスフィンクスを出場登録をしていた。

ケージの中にいる猫様はスフィンクスだけではなかった。長毛や短毛、図鑑で見られる様々な猫がケージの中で鳴きもせずすましていた。

そのケージたるやまた目を奪わんばかりのフリルとレースときらびやかな色の奔流だった。他の猫を刺激せぬよう覆いをかけるように推奨されていたせい。

本物の家よりゴージャスに両開きカーテンの縁はフリルで飾られレースで二重になっているもの。
あるいは猫の毛色に合わせた淡い色でドレープをたっぷりとったサテンのカーテン。

おばちゃんは後にネットで調べて、この猫のケージのカーテンを専門で作るカーテン屋さんがいて、一作1200ドルから2000ドルもすることを知ってひっくり返った。

参加者は99%の白人。
女性が圧倒的に多いがカップルでの参加もある。おじちゃんとおばちゃんは人生初の光景に圧倒され、きらびやかなケージの合間の通路を口を開けながら歩いた。お猫様は皆きちんとお座りしている。

実際の審査の呼び出しがあるまで自分のケージが控室だ。ケージの前でスチール椅子に座った白人のおばちゃんが人間用の瓶入り離乳食をスプーンで掬って猫様に差しだし猫様はスプーンから女王様のように召し上がっていた。

鳴かない、動じない、怯えない。長毛の猫様はブリーダーの白人婆さんがブラシで毛並みを整えるのに余念がなかった。

長毛の猫は見たことがないほど純白でチカチカ光っていた。次のケージも猫様は静かに座っていた。
ベンガルだったかもしれない。おばちゃんは短毛の猫が好きなので、白人のおばちゃんにどこからいらしたのと聞くとアリゾナから、と。長いドライブが大変じゃない?そうね、でもこの子達は訓練しているから。

後にテレビの番組で猫のブリーダーストーリーを見たが、ブリーダーはキャットショーに出すために、子猫の時からでっかくうるさいフーバーの掃除機をわざと猫のそばで動かしたり、鍋やフライパンの底を麺棒でガンガンたたきながら猫を追い回す光景が映った。

怯えたりびっくりしてリングから逃げ出したりしたらそれだけで失格になってしまう。普通の家猫よりもずっとタフで動じない猫たちに育つのだ。野良猫を保護して育てたおばちゃんにはとても信じられない世界だった。

日本から連れてきたニャーにゃんに死なれてしまって、おばちゃんは何か月も動けなかった。
フリーウエイをドライブしているとふっと涙が出てくる。ニャーにゃんが生まれてから離れたのは一時帰国した10日間だけ。その家族がいなくなってしまった。心配したおじちゃんが頼んだのか、日中に友達が花をもって尋ねてきたりした。

日本のように野良猫がその辺を歩いていたりしない。コヨーテに食われてしまうから。アニマルシェルターに行ってみたけど、その時にいた若い保護猫は気難しくて単独飼いを推奨されていておばちゃんたちの要望とは合わなかった。もし、シェルターに引き取りを希望したとしても外国籍の私たちは譲渡の順位は随分低かっただろう。

ニャーにゃんは典型的な日本猫だったけど、顔が三角で耳と目が大きかった。おばちゃんにはこのタイプが刷り込まれていて長毛が混じったり丸顔の猫は別の動物のように見えた。

ナナちゃんの健康診断とIペットショップと提携の獣医に連れていったらそこの先生が当のブリーダーだったナナちゃんが3か月で風邪を引いてペットショップから診察を頼まれた時も、偶然この獣医のエリザベスが診ていた。ナナちゃんを褒め、もしキャットショーに出せば絶対チャンピオンが取れる子よと言う。

おばちゃんたちは家族が欲しかったので、チャンピオンが欲しくて飼ったわけではない。
でも褒められて悪い気がしなかったので猫雑誌を買ってみた。そこに全米のキャットショーのイベント・スケジュールやブリーダーの広告がわんさと載っていたのであった。おばちゃんたちはロングビーチのキャットショーに来てみた、どんなもんかと。

リング

そしてとんでもない世界があるもんだと圧倒された。並みいるケージの先頭にはリングがいくつかあって、そこにはブリード専門のジャッジがいる。スフィンクス、ヒマラヤン、ベンガルそして、無論ドメスティック(家猫)もあった。

まずジャッジがスタンバイしていたケージから猫を取り出すとステージの上に置いて、骨格、顔立ち、シッポの長さ、毛並みの色、瞳の色などそのブリードを特徴とする要素をチェックしていく。

特徴がそろっていればOK。次には猫じゃらしを取り出し、猫の反応を見る。怯えたりジャッジにかみついたりひっかいたりしたら合格はもらえない。猫じゃらしにじゃれついて猫らしい反応ができた猫は合格。

ジャッジがお腹の下に手を入れてお猫様を差し上げて合格!と宣言すると、リングの真ん前に5席ほどギャラリー席があって、そこに陣取った白人のおばちゃん、おばちゃんの友達がきゃーエミリーmy sweet heart!とパチパチ拍手する。
ジャッジは猫をケージに戻してケージに布のおリボンをつける。ケージにはすでに赤のおリボンが3つ黄色のおリボンが2つついていたりする。

ブリーダーで獣医のエリザベスによると、並みのおリボンを10個獲得すると、チャンピオン・リーグに出場する資格ができるのだという。チャンピオンリーグで5個おリボンが溜まるとグランド・チャンピオンに出場権ができる。

ウチのアルフレッドがグランドチャンピオンを取るのは大変だったと言う。キャットショーは全米を巡回して土曜・日曜日に開催される。まず猫のエントリー費用がかかり、他州の場合は泊りがけで土曜日曜をつぶして連れて行かねばならない。並みのおリボン10個とチャンピオン5個を取ってさらにグランドチャンピオンを取る費用を考えると総額いくらになるだろう?

おばちゃんはグランドチャンピオンなどというお猫様やお犬様が世にいることは知っていたが、何か並みにないExtraodinary/卓越した何かが猫にあって賞を獲得したのかと思っていた。猫や犬がブリードの特徴に収まっていればおリボンは取れるようだ。

ただ賞をとるにはまず飼い主が並外れた情熱と費用がいる。世の輝やけるグランドチャンピオンの賞は、飼い主がExtraordinaryな情熱と金を費やしたという勲章である。あなたの猫や犬だって美しくて可愛い。
ニャーにゃんだって可愛かった。無冠のチャンピオンだ。ただ、ショーに出ていないだけの話。物珍しさにおばちゃんたちはもう少し探検することにした。

リングにはいろんな猫種がいた。ギャラリーが多いのは当時の人気のブリードだった。
ベンガルとかロシアンブルーとか。椅子が足りないので後ろに立って、Oh, loveryだのMy girlだとワンピースのおばさんたちが甲高い声援を送っている。Domestic Cat家猫のリングは家族で応援してた。It’s an american family.つぅ感じのファミリー。

ケージの列の間で誰かがCat out!と叫んだ。猫が逃げたらしい。
テーブルの下を駆け回ったらしいがすぐ捕まった。Cat out of the bagと言い回しを思い出してなんだかおかしかった。

猫専属カメラマン

一通りリングを回って展示エリアに来るとそこには撮影テントがあった。猫専用のポートレート撮影カメラマンがアメリカン・カールの撮影をしているところだった。
おばちゃんたちは観察した。テントの中に小高いステージがありブルーグレーのサテンが敷き詰めてあった。背景は少しブルーが強いサテン。

お猫様はポーズを取り、カメラマンはフロアにしゃがんでカメラ目線を欲しかったのか、なんと左手に猫じゃらしをつかんで背中に回し、猫じゃらしの先っちょを自分の頭の上に出して、振った。猫がカメラマンに視線を向けると、右手で撮影スイッチを押して一丁上がり。1枚700ドルするようだ。すごいわ、猫専属のカメラマンで生活できるなんて。

こうしてプロが撮影したポートレートをCFAの猫雑誌に載せる。2004年度グランド・チャンピオンとか。次のコーナーは猫のおもちゃ、キャットタワー、キャットフードなど猫グッズが一杯。
おばちゃんたちは記念に猫じゃらしを一本買って帰ることにした。

ナナちゃん

おばちゃんはアルフレッドを見た時、えぇっこのぶちゃいくがチャンピオンでナナちゃんのMating相手?グランドチャンピオンのアルフレッドはぶちゃいくだった。やぶにらみCrossed Eyeで顔がへちゃっていた。どっちかと言うとヨーダに似ていた。

おばちゃんはナナちゃんにどうしても家族が欲しくて獣医のエリザベスがブリーダーだったから、Matingを申し入れてみた。
エリザベスがナナちゃんをほめてキャットショーに出してはどうかと言ったくらいだったので、アルフレッドとMatingさせるのには異存がなかった。ま、いろいろ交渉の課程はあったが、。

アルフレッドはめっちゃ人懐っこかった。部屋に入った瞬間に足にまとわりついてゴロゴロと鳴いた。気がつかない間におばちゃんの床に置いたバッグにスプレーされていた。ナナちゃんがお泊りするので、ナナちゃんが好きなカリカリを持参したのに。

獣医のエリザベスの家は海辺の一軒家で2階のベランダはすべて金網で覆われていた。アルフレッドの住居スペースだった。去勢していない雄猫はスプレーをするので、雄猫専用の小屋が無いと家が一軒ダメになってしまう。水洗いできるベランダをアルフレッドの居住空間に当てたのだろう。主人と二人で金網を張ったのよ。5000ドルかかったわ。暖かいカリフォルニアといえども冬の戸外は結構寒い。アルフレッドちゃんは吹きっさらしで生活していたので毛がバサバサになっていた。

ナナちゃんはMatingのために2泊か、運がよければ1泊することになっていた。翌日エリザベスから連絡が来て、念のためもう一泊すると。3日目に引き取りに行くとエリザベスはたぶん大丈夫だと思う。うちのアルフレッドのSpermは優秀だから。出産まじかになったら無料で診察してあげる、と。ナナちゃんはその時0.8歳だった。

ナナちゃん出産する

出産予定日から10日くらい前、エリザベスは自宅まで診察に来てくれた。
Mating料のおまけの診察だから触診だけだけどお腹にいるのは多分3子、もしかすると4子だそうだ。おばちゃんは手元に2匹残すか、それとも3匹とも残そうかもうワクワクしてしまって出産予定日が待ち遠しくてならなかった。

おばちゃんは子供のころから猫を飼っていたので、何回か出産につき合ったことがある。おじちゃんは始めて。

ナナちゃんは夕方産気づいて用意した産室もハウスもバスケットも無視して洗面所の下で最初の子を産んだ。2子目は2時間かかってやっと生まれたが頭のすごく大きな子だった。
産道に引っ掛かっていたのかしら。3子目は産室で産んでくれたので、産室に毛布を掛けておばちゃんたちはリビングに退却した。

寝る前におじちゃんが産室の毛布をそっと持ち上げて中を覗くと、なんと4匹目の赤ちゃんがいた。
エリザベスはやっぱり正しかった。大きなオマケをもらったみたいで二人とも幸せに寝付いた。
おじちゃんは毎日飛んで帰ってきてナナちゃんの産室をそっと覗く。

最初と2番目に生まれたのがルディ、3番目と4番目の子が赤毛。子猫の脳みそって毛虫なみじゃないかと思う。な~んにも考えていなくてただ転げまわるモフモフの塊。おじちゃんの大好物。

子猫たちは問題もなくあっという間に育ちおじちゃんは子猫も登れるキャットタワーを自作して
ナナちゃん一家の運動会を見て幸せに浸っていた。生まれるのに時間がかかった2番目は

とりわけおっちょこちょいで頭がでかすぎて不細工。オマケで生まれた末子の赤毛は骨格は大きいものの痩せて便秘気味だった。おばちゃんは4匹のしっぽを持ち上げて覗くと1番目と3番目が女の子ではないかと思われた。おじちゃんもおばちゃんも女の子と男の子を残したい。

2人の知り合いから女の子を譲ってとお願いが来ていておばちゃんたちはどの子を残そうかと悩んだ。1番目の1ちゃんと4番目の4ちゃんはどうか?でもどうも男の子か女の子か確証がないので、一匹づつしっぽを持ち上げ写真を4匹分撮って印刷し、ニャ―にゃんの時からお世話になっている獣医のトムのところに写真を持ち込んだ。

トムが受付まで出てくるのを辛抱強く待ち、トムに写真を見せてどの子が女の子ですか?と聞いた。するとトムは4つの写真を指さしてboy, boy, boy, boyと言った。

おばちゃんは耳が信じられずその場で呆然として立ったまま、いやひと腹で全部男の子なんて何かの間違いに違いない。写真の見せ方が悪かったのよ。再度トムを捕まえた。
ドクター、よっく見て!
どの子が女の子?
トムはまたしても
boy, boy, boy, boyと指をさした。
アビーは男の子を生みやすいんだよ
と言った。おばちゃんの楽しき家族計画はガラガラと崩れていった。

ナナちゃんの4匹の息子たちのうち、長男の一ちゃんはグレンデールに、3ちゃんはLAにお婿に行った。おじちゃんが頭のおっきい久太郎がお気に入りで、オマケで生まれた八助はちょっとひ弱でいつも便秘気味だったので人様にもらっていただくより、手元に置こう。2匹も3匹も一緒じゃんと。家に残した。

久太郎

頭でっかちの久太郎は食べるのが大好き。もともと大きい頭でコロコロ太るととてもアビィに見えない。アビィの恥さらしみたいな体系になってきて毛色も姿もタヌキに近かった。キッチンでガサゴソ音がすると飛んできて、食べるものが出てくるかもとキッチンから離れなかった。よだれが多い子で、食べ物を期待しているときはいつも口元がうるうるしていた。

おばちゃんがサラダに入れるキュウリを輪切りにしていて、輪切りが一切れ床に落ちると、デブにしては俊敏に飛びつくので口が卑しくておばちゃんは恥ずかしかった。

この子は人懐っこくてバスルームも一緒に入ってきて洗面用ベイスンの上に乗るのがお気に入りだったが、ある時おばちゃんは、ピチャンと水音がするので変だな、水漏れかしらとあたりを見渡すと
なんと!驚いたことにベイスンの上の久太郎のよだれが床に落ちる音だった。

何故か久太郎は油症だった。小梅ちゃんが油っぽくて窓ガラスに手をつくと跡がついた。玄関先が見える窓ガラスには久太郎が鼻を押し付けて手をついた跡がハンコみたいに模様になっていた。
久太郎が走るとぷっくりお腹がよさよさと左右に揺れて、小熊が転げてくるようだった。
八ちゃんはお兄ちゃんの陰にいつも隠れて、自己主張せずおとなしく遊んでもらえるのを待っていた。

ナナちゃんと大きくなった息子たちは仲のいい親子とはいえなかった。ナナちゃんの遊び盛りの1歳前に子供を産ませてしまったし、おばちゃんたちは独立して仕事を始めてしまって朝出勤すると夜までかまってやることができなかったから。ナナと久太郎はあまり目を合わせない。
久太郎は自分の半分くらいの大きさのナナちゃんを怖がっていて、シャーと威嚇されるとおじちゃんの後ろに隠れるのだった。

突然死

九太郎は3歳になる前に突然死した。
9月の早朝5時に母のナナちゃんがものすごい悲鳴をあげおばちゃんたちは飛び起きてリビングに行くと、そこにはぱっちりと目を開いた九太郎が床に倒れており八助が倒れたお兄ちゃんに顔をかしげて静かに見ていた。ナナちゃんは二人に向かって聞いたことがないような威嚇をしていた。ナナちゃんが八助にとびかかろうとする。

おばちゃんたちは何が起こったのか分からない。九太郎の体はまだ暖かかったが息がなかった。もがいた様子もなければ吐いた形跡もなくただ、ぱったりと倒れて死んでいた。久太郎は太りすぎだったけど、健康診断でも何も引っ掛かる数値は無くもうすぐ3歳になるはずだった。

八助は攻撃して来るナナちゃんに怯えて逃げた。
ナナちゃんは久太郎を殺したのは八助と思い込んでいるように八助の姿が見えるたびにヒスるので別室に隔離した。

ナナちゃん以上におばちゃんたちもショックだった。トムのクリニックの緊急番号に電話を入れ起こったこと状況を話すと、久太郎の死は心臓が原因だろうと言った。
ナナちゃんが狂ったように残った息子に飛びかかろうとするんです。ナナもきっと怖ろしい思いをしたんでしょう。

久太郎が死んでも仕事にはいかねばならない。おばちゃんたちは九太郎をベッドに寝かせ仕事に行った。隣のパン屋でコーヒーを買う時ジャネットに息子の一人が亡くなったのよ、と泣き崩れてしまった。昼休みに家に帰って久太郎をトムのクリニックに連れて行って、久太郎も真っ白な骨になって帰ってきた。ニャーにゃんのUrn骨壺は小さすぎるので、九太郎も入るようにネットで泣きながら大きなUrn骨壺を探した。

ニャーにゃん

日本から連れていった猫は完全室内猫で日本の地面を歩いたことがなかった。おばちゃんたちの都合で、よその国に連れていってニャーにゃんに何かあったらどうしようかと心配したが、最初の1年を過ぎると年中温暖な気候で冬毛も生えなくなって、リビングの窓から緑の芝生を日がな眺めて穏やかに毎日過ごしていておばちゃんも幸せだった。

試しに首輪にリースをつけて芝生に出してみると、へっぴり腰でヘタって歩けないのだった。
抱き上げてほ~ら鳥さんだね。ブタさんが散歩してるね(ちょうどミニブタのブームだった)
芝生の前庭には街路樹があって、その一本は根元から緩やかに横に張り出していて、人間でも猫でも登ってくれと言っているようだった。

ニャーにゃんも抱かれて外に出るのが慣れたころ街路樹の枝にニャーにゃんを乗せてみた。
爪を立てて身をすくめていたが、危険がないと分かると静かに通りを眺めていた。

たまに通行人がニャーにゃんに気が付いてそれはなんていう動物?と聞くのがおもしろかった。
猫だよ。
ニャーにゃん7Kgもある白キジの男の子だった。90年代の初めに、ペットの猫を外国に連れていくなんておかしな人はあまりいなくて、猫の移住の資料はほとんどなかった。

飛行機会社は料金を払えばチケットはとれた。アメリカの検疫が心配だったので、LAXの検疫に電話
をかけてもらったが、日本で得られる情報以上の詳細は分からなかった。

かかりつけの獣医さんと相談して、うてる予防注射は全部うった。生まれてからのカルテを全部英訳してもらった。100%室内猫を移動中に怯えさせないように、2日ほど預けてニャーにゃんにあう安定剤を選んでもらった。後はニャーにゃんに耐えてもらうしかない。

おばちゃん、飛行中は息子のニャ―にゃんが無事かどうか心配で喉がカラカラだった。LAXのラッゲジクレームで水色のキャリアーを確認したときは、キャリアーに抱きついてオイオイ泣きそうになった。Jalのスカーフをしたスチワーデスのお姉さんたちが、心配して寄ってきたほどだった。

アパートに辿り着くと、ニャーにゃんはベッドの下に滑り込み1週間出てこなかった。
水とご飯はベッドの下に差し入れた。当時 使い捨ての砂はまだなくて、トイレはなかなか面倒だったから、おばちゃんが人間トイレでできるように訓練した。おっきい方は愛用のバスケットで出来る。代々の猫で一番賢い子だった。3歳だった。

ニャーにゃんは日本生まれの日本育ちだったから、和食しか食べなかった。魚味のカリカリ、おかか、煮干し、かまぼこ。おやつは焼きのりとオカキ(醤油味で海苔付きだとなお可)

アメリカの常識だと、猫は家禽類をたべるもの。猫缶はチキンかターキーが主流。
魚味の猫缶は少数で、ニャーにゃんはマグロとかサケは見向きもしなかった。
缶を開けると、見るからに鮮度が悪そう。人間も肉食の国だから、魚の猫缶のクオリティは
日本とダンチでおいしくなかった。日本育ちのグルメが飛びつくわけがないよね。

引っ越し荷物に入れた日本のカリカリが尽きる前に、ニャ―にゃんが食べられるカリカリをとっかえひっかえ買ってみた。お試しサイズがあったので、それは助かった。不満でもミックス味は食べると分かったから、主食が決まって一安心。

ニャーにゃんはお食事マナーもキレイであった。おばちゃんが、テーブルには絶対乗らないように、自分のお席(厚めのクッションを引いて)に座って食べるようにしつけた。
テーブルマットに主食と副食2を乗せて今日はどれを召し上がる?これ?これ?これか~?
と3つの皿を順々に指すと、ニャーにゃんはこれ~!と一つの皿を指さすので、おばちゃんか、おじちゃんが手のひらに載せてニャ―にゃんに召し上がっていただくのである。

ただ、焼きのりが食卓にある場合は別。ニャ―にゃんの目を盗んでこっそり食べるか、
ニャ―にゃんに一枚あげて彼が召し上がっている間におじちゃんとおばちゃんが大急ぎで食べるのであった。そうでないと、テーブルに乗り出してくるから。

おじちゃんが仕事で同僚に”ウチは海苔も食べられないんだよ、。”と愚痴をこぼすと、おじちゃん家は海苔も買えない貧乏と思われた。

海岸線が長いくせにアメリカの魚はだめだが、海老・カニは意外と安い。特にチャイニーズ・スーパーに行くと水槽があって、活けのロブスターもいた。一匹7~8ドルだったと思う。誕生日だったかな、
おばちゃんはきばって一匹ロブスターを買ってきた。シンクに置いた紙袋の中でガサガサ音がする。
ニャーにゃんは警戒心まるだしで、恐る恐るキッチンに入ってきた。

おばちゃんはいたずらっ気をだして、動いているロブスターの胴体を持つとほらっ!とニャーにゃんに見せた。

その瞬間、ニャ―にゃんのしっぽは最大に膨らみ恐怖のあまりキャッと40センチほどジャンプしたのであった。そして盛大にちびった。

生まれて初めての粗相であったから、ごめんよぉ、とおばちゃんは掃除した。

もう、お母ちゃんが悪かった。ニャーにゃんに謝り倒したのだが、このトラウマは終生残ってしまったのだった。どういう風にと言うと、気に入らないことがあるとか、気に入らないことがあったとか、おしっこを掛けるようになってしまった。

おばちゃん、西海岸で一番という獣医さんにかかっていたからニャ―にゃんを連れてカウンセリングに行ったのであった。
獣医のTomは西海岸で最初に猫だけのクリニックを開いた伝説の人でクリニックの中には、クリニックの飼い猫なんだか長期入院の猫だかわからない猫が自由にのったり徘徊していた。

ニャーにゃんは診察テーブルに乗って、トムが手を伸ばした途端聞いたこともないほど、ぐるんごろん喉を鳴らして
自分から体をすりつけていった。お母ちゃん以外にこんなになついたことがないのに!

トムは猫たらしだった。
多分、猫にまみれているせいで猫の匂いが染みついているのだわ。カールした灰色の髪に深く落ち着いた声でゆっくりしゃべる。
「去勢手術をしても、10匹に1匹くらい雄の本能が蘇るケースがあります。」
トムは静かな声で、いつも致命的な宣言をするのだった。生きたロブスターを見せて以来、おしっこスプレーをするように
なってしまったニャ―にゃん。蘇るって、えっ、どうなんの?

トムはうっすらと微笑みながら安定剤を処方してくれた。クリニックのそばの人間用の処方箋薬局ではニャ―にゃん用のちっちゃなハート型をした安定剤をくれた。
こ~んなちっちゃな錠剤見たことがない。
ところでなんの薬だろう?
ボトルにはヴァリューム(Valium)と書いてあった。
ひぇ~、あの人間用のヴァリューム?!
かの有名なヴァリューム!誰もがご厄介になると言うヴァリューム、うつ病の!

ちっちゃなハート型の錠剤をニャ―にゃんに飲ませると、ニャ―にゃんはぬいぐるみになってしまった。
日がなソファーの背に箱ずわりして目を半眼にしたまま動かなくなった。
英語の家庭教師のスージーに話すと、スージーはひっくり返って笑った。猫にヴァリューム!

トムはそもそもスージーから紹介されたんである。人間に効くからもちろん猫に効くのよ。それでおばちゃんは、ニャ―にゃんのお薬を一錠試してみることにした。

効き目はものすごかった。!眠くてしょうがない、とろとろズルズル。な~んかだるくて何もする気になれない。
気が付くとうたた寝していて2日ぐらい役に立たなかったのであった。ニャ―にゃんは7キロあったが、1錠で人間も寝てしまう安定剤は合わないのではないか?

おばちゃんは、ニャ―にゃんにスプレーを止めてほしかったので、ぬいぐるみが欲しいわけではなかったおばちゃんはトムに再びアポイントメントを取ったのだった。獣医のトムの声は静かで深~くて、ニャ―にゃんだけでなくおばちゃんもごろにゃ~んとなつきたくなるほど安心する響きだった。

おば:人間用のヴァリュームで大丈夫なんですか?
トム:猫には違った効き方をするんだよ。
ヴァリュームの他の薬を試してみようか。

次の薬もやっぱり人間用の安定剤だったが、ニャ―にゃんはぬいぐるみから解凍された。動く猫のゾンビくらいになった。

三白眼でゆるく歩きカリカリを食べ、宙をにらんで放心していたと思うと、むっくり起き上がってトイレに行った。帰ってくるとごろんとリビングに寝転んだ。おばちゃんはリビングのコヒーテーブルで宿題をやりながらニャ―にゃんを見守っていた。

おばちゃんはトイレに行こうと、よっこらしょと立ち上がり膝をコーヒーテーブルにぶつけた。その瞬間カタンと小さな音がした。

トイレから帰ってくると、ニャ―にゃんはコーヒーテーブルの影にかがんで「カリカリカリ」と何かを食べていた。
おばちゃんの人生のなかで3番目くらいに怖ろしい音だった。コーヒーテーブルから安定剤の瓶が落ちており、
ふたが開いてこぼれた錠剤をニャ―にゃんは無関心にただポリポリと噛んでいた。

おばちゃんはひぃと悲鳴をあげトムのクリニックにエマージェンシーだからこれからすぐ猫を連れていきますと叫んだ。
トムは最初信じなかった。
でもおばちゃんが、ニャ―にゃんがぼりぼり食べていたんです。ホントです。というと処置室に連れていった。後で電話をするから待てと。

夕方トムから電話があり、
胃洗浄をしたら、思ったよりたくさんの錠剤が出てきてどれだけ吸収されたか分からないので、
今夜はクリニックで様子を見ると言われた。どうしよう。おばちゃんは胸が潰れそうだった。

たった一人の息子なのに。眠れぬ夜をすごして、翌日の昼過ぎクリニックから
迎えに来ていいよと電話があった。

ニャ―にゃんはよだれをたらしていてトロンとしていた。トムが胃洗浄をしたときに、歯が一本折れてしまった。でも、いまは安定しているから連れて帰っていいよ。トムの大きな白い手の甲には生々し血のにじんだ切り傷があった。

ニャ―にゃんはアディクトになってたんでしょうか?自発的にポリポリ食べてたんですよ?
トムは、動物はアディクトになりませんね。
自発的に薬物を取らないので、。
そうかなぁ?

おばちゃんはこの日以来、ニャ―にゃんのスプレーを直すことは諦めた。ニャ―にゃんは顔が三角で耳と目が大きな美猫で今までで一番賢い息子だから。猫生に一つくらい傷があるものよ。と腹をくくった。もとはと言えば、おばちゃんがロブスターを見せたせいだし。

ニャ―にゃんのスプレー場所はソファだった。おばちゃんが一番長くいる場所なので、何か不満があると
やってきて読んでいる本から顔をあげないと、ソファの横に行って、しっぽを上げる。おばちゃんが気が付いてニャ―にゃん、何がしたいの?ご飯?遊ぶの?

おばちゃんが気付いてくれないと、立てたしっぽをプルプルと振ると同時におしっこを掛ける。雄猫のおしっこというのはたまらんほど臭い。

布張りのソファの生地を石鹸と漂白剤で洗い、猫用の洗剤とスプレーで洗い、いくら洗っても、また同じ場所に掛けるので
ソファはとうとう穴が開いてしまった。布はやわだからダメだわ。引っ越しの時にソファは捨てて、革のカウチを買った。

日本にいるときは、あまり鳴きもしない静かな子だったのに、スプレーをし始めてから、本来の利かん気が花咲いたのか、
ニャーにゃんは不満があると、大きな声で鳴くようになった。おばちゃんが何かに気を取られていると、その近くで不満をぶつける。
ソファーにスプレーし、キッチンの柱にスプレーし、プリンターにスプレーした。

健康診断でニャ―にゃんをクリニックに連れていってトムに愚痴を言うのだったが、そばの看護婦がスプレー掛けは一生治らないから、普通に飼うのは無理よ、、ね。

聞こえるか聞こえないかぐらいで言った。彼女の口ぶりの百分の1くらいに、眠らせるしかないかも。という響きが含まれているのを、まぎれもなく聞き取った。
ふん、アメリカ人は問題があるペットを眠らせることがあるから。
おばちゃんはニャ―にゃんがおしっこ掛けをするからと言って、見放したりしない!ふん!

しかし、ニャ―にゃんはシッポをフルフルするだけで、おばちゃんが慌てて駆けつけてなんでもしてくれるのを学習してずんずん増長していった。革のソファもやっぱり被害にあり、ただ掃除はまだ楽だった。
キッチンの柱は洗剤であまりにも洗うので、ペイントが落ちてしまった。

このアパートから引っ越すときに、臭いはどうしても取れず、清掃代としてなんぼか支払わねばならなかったのだ。
アパートのマネージャーは事務的に処理したが、
引っ越し屋さんはそうではなかった。

前のアパートから今のアパートへ引っ越すときに、一番近い運送屋さんを頼んだのだが、偶然にまた同じ引っ越しクルーに当たった。クルーのチーフはまだ若い金髪の男だったが、革のソファを肩に担いでトラックに積んだ後部屋に戻ってきた。

カンカンに怒っていた。
アンタ、あのソファに猫のおしっこがついてたぞ。俺は猫のシッコを顔に付けるために、引っ越し屋をやってるんじゃねぇ!
とおばちゃんにすごんだ。

ソファは掃除してあったはずだけど、革に染みこんだ臭いはやはり落ちなかった。
おばちゃんはしまったぁ!と思ったのだが、ここで金髪男にヘソを曲げられると引っ越しができない。

本当にごめんなさい。
ウチの猫がきっと引っ越しでナーバスになっていて、知らない間に、おしっこを掛けたのかもしれない。
貴方の顔につくとは私も全く知らなかった。これで、クリーニングをしてください。と20ドル札をお兄ちゃんの胸ポケットに押し込んだのであった。

手下の小柄なメキシカンがボスは、月曜日が嫌いなんだ。月曜日はいつも機嫌が悪いんだよ。ネバーマインドと慰めてくれた。

ニャ―にゃんは日本にいた時から完全室内猫だったから他の猫を見た経験がなかった。カリフォルニアの最初のアパートは1階だったので、リビングからでもベッドルームからでも外が見えた。窓から街路樹を走るリスや芝生を食べるウサギや
鳥が飛んでいくのは映画のように楽しかったのだろう。

日がな眺めているのはいいのだが、困るのは偶に近所の飼い猫が窓の外を横切っていくことだった。途端にシャーっと尾を膨らませ、ついでにスプレーもするのだった。おばちゃん、段ボールをばらして30センチくらいの幅に切り、外が見えるすべての窓にガムテープで止めた。

そのころ二階に引っ越してきた中国人は時間を全く無視して、夜の11時に掃除機を掛けたりカンカン中華鍋を振って料理をし始めるので、おばちゃんはイライラしていた。管理オフィスにどうにかしてくれと文句を言うと、掃除・洗濯・料理などの生活に必要な活動は住人に権利があって制限をすることができないと教えられた。

夜の10時過ぎにパーティー・音楽などがうるさければ、隣人は警察にリポートする権利はあるそう。まぁ、子どもいるような人は、迷惑を掛けないように一階に、頭上がうるさいのが嫌な人は、上の階がいいわよ。ウチの他のアパートで上の階が開いているところがあれば引っ越せるから。

おばちゃんは3ブロック先に3階建ての3階の部屋を見つけ引っ越した。ニャ―にゃんは他の猫に神経質になることはなくなった。

3階でエレベーターはなかったけど、築浅で広いし小奇麗だし、玄関にゴミ袋を出しておけばアパートの管理が持って行ってくれるし、クリーニングが必要な服をビニール袋に入れドアノブにぶら下げておくと、クリーニング屋さんに出してくれる。高かったが、。

ちっちゃなデッキがリビング側に付いていて、おじちゃんがプランターに花唐辛子を植えた。なかなかにぎやかな色でかわいらしかったが、どういうわけか、鳩が巣を作った。

日本よりず~っと小柄な鳩のつがいが、ぷーぽぷーぽと鳴き、ニャ―にゃんが見守って麗しい愛の家族が実現したのだった。つがいはタマゴを3つ産んで温めある晩気付くとヒナに孵っていた。

んま~、おじちゃんもおばちゃんもメルヘン気分になって、ヒナが順調に育っていくのが楽しみだった。
一緒のお家で育つからみんな家族!と思っていたのは人間だけで、ある晩帰ってくるとドア閉め忘れたデッキに鳩の巣が散らばっていた。ヒナは一羽デッキの上で死んでいた。もう二匹はどうした?おじちゃんとおばちゃんは一階の垣根に落ちたかも、。パニックになりながら探したけれど、ヒナも見つからず、親鳩は二度と戻ってこなかった。

ニャ―にゃんは大慌てしている私たちを横目でちらっと見ながら毛づくろいをしていた。おじちゃんが、ニャ―にゃんがやったんでしょ。可愛かったのに、。ニャ―にゃん、ここは3階だからプランターに飛びついて落ちたらどうするの?
ヒナさん死んじゃったから、ニャ―にゃんも死んじゃうよ。

アパートは2年ごとの契約更新で随分高くなってきたのでおばちゃんは家を買う決心をした。外が見えるリビングが1階じゃなくて、ニャ―にゃんが落ちるような危険がない家。そんな家あるのかしら。
あったのである。

おばちゃん カリフォルニアで家を買う暑くも寒くもない10月の休みの日、風がないのでおじちゃんと
家のそばの公園でバドミントンをして遊んでいた。帰ってくるとニャ―にゃんはオイラも遊んでくれよ、
とふくらはぎに体をぶつけてきた。ニャ―にゃんのお気に入りの黄色い猫じゃらしで

いつものように”遮蔽物からこんにちは、パタパタはどっちだ”を遊んでいると、ニャ―にゃんの息がだんだん上がってきて、突然向こう向きに倒れた。

お腹は呼吸で上下しているので、ニャ―にゃんどうしたの?と正面に回ると、ニャ―にゃんは半眼で泡を吹いてた。
クリニックのトムに電話を掛けると、その状態なら提携しているクリティカル治療のエマージェンシーに
直接行ってくれと言われて始めてニャ―にゃんをアニマル・エマージェンシーに連れていった。

診察が終わるのを待っていると、ナースが現れてニャ―にゃんは心臓に原因があって一晩心電図を取らないと
正確な診断ができないこと、料金は$900ドルだがやるかどうか聞かれた。無論やる。

おばちゃんたちは暗澹と家に帰った。次の日ニャーにゃんをピックアップすると、検査結果と診断はトムに送ってあるから、詳しい話はトムから聞いてくれと言うことだった。

ニャーにゃんは拡張型心筋症だった。心臓移植ができれば助かるかもしれないが、とトムが言った。原因は何ですか?
タウリンが不足すると発症する場合があります、。ではタウリンを処方してください。
発症してしまった後に、どれほどの効果があるかでもおばちゃんは一縷の望みをかけて薬局でタウリンを買った。

ニャーにゃんの食欲はほとんど無くなって、好きなかまぼこもパックを切ったその日だけほんの少量口をつけた。
おばちゃんは少しでもましなかまぼこや練り物、魚を求めてOC中を走り回った。

かまぼこや竹輪は冷凍の状態で日本から輸入される。どこの食料品店でも、解凍して売っているのだった。これでは食欲の落ちたニャーにゃんには食べてもらえない。自分でかまぼこは作れないの?

ネットからかまぼこの作り方を印刷した。おじちゃんは魚屋に鯛を一本注文し、届いた鯛を下ろしてフードプロセッサーにかけ、驚くべきことにレシピはペーストを水で洗えとあるのだった。

取っておいたかまぼこ板にペーストを塗りつけて蒸し3本のかまぼこはできた。ニャーにゃんは申し訳程度に食べてくれた。その頃になると、ニャ―にゃんはトイレに歩くのがやっとでベッドにはもう飛び上がれなかった。
ベッドに抱き上げようとニャーにゃんを抱くとギャーとすごい悲鳴をあげる。心臓が痛むのだと思う。

ニャーにゃんをベッドで寝かせるのはあきらめて、私たちが床に降りることにした。寝るときはリビングに毛布を敷き、ニャ―にゃんのトイレバスケットと水を周りにセットして休んだ。

おばちゃんは一度寝付くと目を覚まさないのだが、明け方キッチンの電話がなり最初のリングで目が覚め床から起き上がり、2度目のリングで受話器を取った。日本からの、母の訃報だった。

おじちゃんはニャーにゃんがいるから日本には行かない。Jalに電話をかけて当日のチケットを取った。

2~3日前からOCには灰が降っていた。北のランチョー・クーカモンガで大規模な山火事が発生しており、
その灰がOCまで流れて降っていたのだった。LAXに着いた時も空は不気味な鉛色で、チェックインするどころか出発便はどれもキャンセルされていた。Jalに聞いても空の状態が悪すぎるので、いつ飛べるか分からないと。

ひょっとしたら別のキャリアなら飛べるのではないかと望を抱いて、反対側のANAのカウンターでどれか飛ぶ飛行機はありませんかと聞いた。そうしたら、
「空の気象状況はウチのせいじゃないんで、そんなことを聞かれても困る」
おばちゃんは飛ばないことを責めていたんじゃない。飛ぶかどうか聞いただけ。ANAは生きている限り使わない。その時決めた。

7時間LAXでひたすらアナウンスを聞いて、夕方ついに飛行機は飛んだ。着陸したとき成田はすでに真夜中近くで、おばちゃんはJalの配慮で東京にホテルを取った。ほとんど眠ることなく朝一番の新幹線で実家に着くと、
姉がアンタ喪服はどうするの?私は母から私用の喪服を作って保管してあると聞かされていたので、お母さんが作ってくれているから、お母さんに聞いて。と言ってしまって、そうだ、その母が亡くなってもう居ないのだと呆然とした。

ニャーにゃんは葬儀から帰ってきてもまだ生きていた。ある日、よろよろと立ち上がると玄関に向かい、
ドアを開けろとしぐさをした。玄関デッキにでて青い空を見ていた。痩せて力が亡くなった体はふらふら揺れていた。

おばちゃんが夜中にふと目を覚ますと、毛布の上のニャ―にゃんがいなかった。おじちゃんにニャーにゃんがいないとゆすって起こしどこに行ったか二人で探すと、バスルームの床で冷たくなっていた。

おばちゃんたちは冷たくなったニャーにゃんをバスタオルで包みトムのクリニックに連れていった。渡米以来ずっと知ってるちょっと冷たくてつっけんどんの受付のおばちゃんが、哀れみを浮かべてAshes to Ashes, Dust to Dust と言った時おばちゃんは我慢が切れて号泣してしまった。ニャーにゃんは真っ白なサラサラの灰になって帰ってきた。

海外から猫を連れて帰国する

IDチップ

アメリカからペットの猫を日本に連れて帰るにはかなりシンドイ手続きがいる。ポイントはIDチップとワクチンと時間だ。
猫を連れて日本に帰国することを考えておられる方がいたら参考に手順を書いてみたいと思う。

ナナちゃんと八助は生後6週間でAVIDのマイクロチップをうめこんであった。定期検診やワクチンの証明書など
生まれてからのすべての診療記録も保存してあった。追加の狂犬病のワクチンは一度だけ、時間についてはかなり順当に連れて帰れたと思う。

帰国を思い立ってもIDチップも狂犬病ワクチンの証明書もなければ最低8か月の準備期間をみておかないと時間が足らず連れて行くのが難しい。ふと帰国を思い立って連れて帰れるものではないので米国でペットを飼っている人に警告しておきたい。

日本語でも英語でもペットを日本に連れて帰るための手引き書があるの。どちらでも内容は同じだが、最新版の日本語版は用語が日本語化されているので英語版と突き合わせて読むと理解が深まる。

第一段階 IDチップ/マイクロチップ


手引書にもあるがまずIDチップの埋め込み。IDチップを打ちこんで初めて固有ペットの特定ができる。例えあなたの猫が毎年3年ごとの狂犬病のワクチンを打っていてもIDチップが入っていなけれそれまでのワクチンは無効である。

IDチップを打ってからワクチンの2回接種がいる。IDチップの打ち込みと同時に最初の1回めのワクチンを打つことは
認められている。

成田の検疫で要求されるIDチップはISO規格である。もし、これからIDチップを打つならISO規格かどうか確認し、
そうでないならISO規格のIDチップを打つVETを探す。

検疫にはIDチップを読み込むスキャナーがあるがISO規格だけではなく米国内で使用されているメジャーなIDチップはカバーしている。成田検疫のスキャナーのモデル/種類は検疫でリストが公開されている。

しかし、2000年の初めのころにウチのナナちゃんと八助に打ったIDチップはISOではなく当時アメリカのメジャーではあったが成田のスキャナーで読めるかどうかは100%の確認が取れなかった。最後の1年は日系の獣医に変え、彼女のスキャナーではウチの子2人ともスキャンできたので、成田でもたぶん大丈夫だろうと言うことだった。

IDチップがISO規格でなくて成田のスキャナーで読み込み可能でない場合、読めるスキャナーを自分で持参し成田に携帯することが可能だった。

もし、すでに埋め込んでいるIDチップの規格がISOでなく、成田の検疫のスキャナーが読み取り可能かどうか確信が無くかつ、読み取り可能なスキャナーを米国内で手に入れることができない場合新たにISO規格のチップを埋め込むことは可能だが、その埋め込みから2回のワクチンを打たねばならぬことを理解されたい。

つまり過去に打ったワクチンはカウントされない。あくまでもIDチップにひもつけられたワクチンが2回接種が必要なのだ。

おばちゃんは念には念を入れてスキャナーを持参しようと思い調べたが、二人に打ち込まれたIDチップの会社は
新規スキャナーの製造をすでに中止していた。
だからEbayで昔の規格のスキャナーを2回購入したのだが、どちらもナナちゃんたちのIDは読めなかった。

日系獣医はまず大丈夫だというのだが、もし成田のスキャナーがIDを読めなかった場合は、読めるスキャナーを手に入れるまで検疫に収監されるか、あるいはすでになくなったアメリカの家に送り返されることになる。
そんなことになった、らおばちゃんは成田検疫の軒先を借りて首をくくるつもりだった。

ワクチン

IDチップの規格をクリアしたら次は狂犬病のワクチンである。狂犬病のワクチンにも規定がある。過去の射ったワクチンのCertificateを確認してみよう。そこには
ワクチンの種類
ワクチンの製造会社
製造ロット番号などが記載されているはず。

この中で一番重要なのはワクチンの種類である。日本国が受け入れるのは、
inactivated / killed virus vaccine あるいは
recombinant / modified vaccine のみ。

Certificate上のワクチンや製造会社によっては種類の表記が違うことがあるのでVetにワクチンがActiveかInactiveか確認を取ろう。もし、Activeワクチンを受けていたら日本では入国が許可されないので帰国を遅らせInactiveワクチンを射ちなおす。

定期的にヘルスチェックとワクチンを受けている場合なら1年-2年前のワクチンを一回目とカウントし、帰国年に2回目のワクチンを射つ。そして狂犬病の抗体検査を行う。

最新の入国手引きによると、2回目のワクチンと同日同時に抗体検査のための採血が可能になった。抗体検査は日本が認める米国内の機関(私の時はカンサスだった)でないと認められない。この機関リストも手引書にリンクがある。Vetのクリニックが日系であれば、間違えることは無い。

抗体検査の結果、抗体値が0.5IU以上あれば条件をクリアである。抗体検査のため血液を採取した日を0日として
180日の待期期間が始まる。180日以降に出国日を設定せねばならない。

警告


本来狂犬病のワクチンは3年に一度くらいの間隔で接種しているはず。Vetには最低1年の間隔を空けるように接種を推奨されていると思う。
何故なら1年以内に複数回の狂犬病のワクチンを射つとワクチン性の癌が発生する危険がある。

隣のジャネットは猫のスーキーに定期的にワクチン射っていたがCertificateをちゃんと管理していなかった。
猫の具合が悪くなり、行きつけのVetはあいにく夏休みで別のクリニックに連れて行った。
そこでは、狂犬病のワクチンの接種済みを証明するか今この場でもう一度接種するかしなければ診療をしないと言われ、
仕方なくもう一度ワクチンを注射した。しばらくたって、猫のスーキ―の注射の患部は癌化し手術した。

繰り返すが、日本国の規格に合った2回のワクチン接種が証明されねばならない。Vetに接種された2回の内1回がActiveであったら日本入国はできない。

Inactiveのワクチンを2回接種して入国条件がクリアできる。1年未満の間にワクチンを複数回射ち直すことになる場合は、猫の健康に高いリスクがあることを認識されたい。

前項のIDチップでも、IDチップのスキャナーが手に入らずISO規格のチップを入れ直すことを考えておられる場合、
ISOチップにひもつけて短い時間で2回のワクチンを接種する場合もまた高いリスクがある。

この上記のトラブルと健康リスクを回避ためには、最低帰国時期を1年遅らせ帰国計画を仕切り直すことも考えに入れたほうがよい。

猫を連れて日本に帰国する時は、思い立ってチケットを購入して連れて帰ることは不可能であると思われたい。

少なくとも1年以上前から計画し日ごろから猫の診療記録Certificateなどを管理をしておくこと。
そして帰国年にはもし可能なら日系のVetに転院してワクチン注射、抗体検査と最後の健康診断を依頼すると安心度が増す。

届けい出書


180日の待期期間以降に出国のフライトを決める。
フライトの40日前になったら帰国予定の空港の検疫所に届け出書を提出する。
コンタクト方法は:NACCS、ネット、Faxどれでも可。入国予定の空港の検疫のコンタクトリストも掲載されていて提出書類のリストは同サイトからダウンロードできる。
提出書類は:届け出書 抗体検査証明書 ワクチン接種Certificates FormAC

この項のポイントは3つ
1)検疫にまず届け出書を提出しケースオープンするので 要求される書類を提出し
 (数回の送信返信があると想定されたい)
  最終的に届け出受理書を受け取ること。届け出受理書は飛行機のチェックインで見せて初めてペット搭乗が可能。

2)フライト予定日10日前からフライトの前までにUSDA Certifiedの獣医師で最後の健康診断を受けること。Vetのサインを忘れると無効

3)健康診断書と上記すべての書類を揃えてフライトまでにUSDAで 輸出書類の裏書スタンプを取得すること。スタンプが無ければ 書類は無効である。

それぞれのポイントを解説します
1)ダウンロードした届け出書に記入して到着予定の空港の検疫に提出するが、ペットが複数なら1匹につき1セットの書類を提出する。届け出書を提出した後、検疫から返信してケースがオープンする。検疫はワクチンの証明書、自分で記入するFormAなどを送るように言ってくるので書類を送信する。

FormCは最終の健康診断書だが、これはUSDA Certifiedの獣医である必要があった。かかりつけの獣医は資格があるかどうか確認してね。
現在、最終健康診断はフライトの10日前以内に行う。ケースオープンしていろんな書類を送った。何故か検疫からFormCを送れ!と言われた。

FormC/は最後の健康診断である。スケジュール的に30日も先。当然まだ診断は行われていない。
診察をしないペットに30日の先付け日付で診断書/FormCを出す獣医は米国(もしかすると日本にも)にいないが、
そこは日系の獣医に変えた利点で、同じ日系として説得した。

曰く、これは日本国検疫の予行演習であるので、形だけエンピツで記入していただいてサインはしなくてもいいです、と。
日本の検疫には:診察がまだなのでFormCにサインはできないそうですが、FormCはとりあえず項目に記入してもらって送ります、と送信した。

書類はアプルーブされ届け出受理書が送られてくる。届け出受理書はペットごとに受理ナンバーが振られ帰国予定の空港の検疫は、いつどのフライトでどんな猫が検疫に到着するのかすべての情報を持っている
ことになる。

フライト予定の10日以内に最終健康診断を受け、受理書とすべての書類をもってUSDAに書類の裏書スタンプ
をもらう。

フライト当日:チェックインで輸出許可と受理書を見せて搭乗。入国空港検疫は、届け出書にある猫の個体識別を
スキャナーで確認すれば、拘留期間なしで入国ができる。

念のためすべてのオリジナル書類とCertificatesはコピーを取り2セットのうちコピーは機内預けのスーツケースの中に。
オリジナルは手持ちで成田まで持参した。

USDAも日本検疫も役所であって国家の規則ルールで動いている。融通や例外は一切期待できない。USDAの裏書スタンプで失敗が無いように私たちはスケジュールを練った。

南加州のUSDAの窓口時間は月曜日から金曜日時間は7時半から11時まで 午前中のみ 予約不可
もし書類に不備が発見されても2-3日後に再度提出できるように
・週の初めにUSDAに行く
・週の初めにUSDAに行けるように、最終健康診断は木曜日から週の末に行う
受け付けは午前中のみなので、トラフィックで遅れたり迷ったりしないように前の週にEl Segundoオフィスまで下見に行った。

USDAの窓口の悲劇

USDAの受付で待っているときに私たちは恐ろしいものを見た。一番多い間違いはIDチップとワクチン接種期間を理解しておらずマイクロチップが入っていない時期のワクチンも2回にカウントしていたオーナーが多かったこと。

少なくとも3~4人は書類をチェックされた時点で返された。マイクロチップを入れてから2回のワクチンが必須だ。
マイクロチップの埋め込み=個体の特定特定の個体にワクチンを2回接種すべし。

健康診断をした獣医がFormCににサインをしていなくて申請書を突っ返された人、
玄関先で必死にVetに電話を掛けていたがVetが捕まらなかった。フライトが1日-2日後に迫っているのは他人にもよくわかった。
電話口でVetはもう帰った!と絶望的な返事を聞いたらしい。11時までにサインをもらってここ窓口に帰ってこられなければ、フライトをキャンセルするしかないのかも。

気の毒だったのはスウェーデンに出国予定の男性。届け出書に不備があってUSDA窓口の黒人のおっさんから
何度も突っ返されていた。
聞くともなしに聞いていると、これは可哀そう。窓口のおっさんに言わせるとスウェーデンの輸出届け出書が古い形式なのだという。最新版をダウンロードして書き直せと言っている。

スウェーデン人?はスウェーデンの検疫サイトでダウンロードできる書類をダウンロードしているので、そのほかに公開されている最新版フォームは無いんだ!最新版なんてどこにあるんだ!
と泣きつかんばかりに抗議していた。黒人のおっさんは国家の公式表明をするだけである。

窓口の書類チェックで何人も返されている申請者たちを見ると、皆必死だった。2017年当時、健康診断がフライトの1週間前で時間的余裕がほとんどなかった。
フライトが金曜午後か土日なら健康診断とUSDAの裏書とを実質の平日5日間内に収めねばならない。

もし、フライトを木曜日に取ったなら健康診断とUSDAは月火水の3日間で済ませねばならぬ。健康診断とUSDAのどちらか一つに不備があれ木曜のフライト/出国はアウトだった。
窓口に11時過ぎにやってきてすごすごと帰った申請者も多分多いだろう。
金曜の11時5分に窓口にやってきてフライトが週末ならアウト。

ペットを連れて出国するのは、ワクチンの接種間隔も待期期間も健康診断もUSDAも常に時間と
スケジューリングが大問題だった。

猫のキャリアー


航空会社のページにはペットを連れて旅行する場合の情報ページがある。

私の場合はフライトはJALで、JALの場合はペットのキャリアーは航空輸送用で飛行機マークがついていて、
キャリアーの中でペットが自由に態勢を変えられる大きさのキャリアーを要求していた。上記の規格のキャリアーを新規購入し、上下四隅を結索バンドで固定する。

航空会社にフライト予約を取った後、ペット輸送に関する誓約書に記入し送付する。キャリアーのサイズ縦・横・高さとペットの重量を連絡する。

当時JALではペットは客席内に持ち込むことは出来なかった。現在はコロナ禍なのでガラガラの機内にもしかすると
同乗できるかもしれない。ただ、緊張と不安で鳴くペットはほかの乗客の迷惑を考えると難しい。

90年代初め私が日本から連れてきた先代の猫は当時3歳で神経質な猫のために安定剤を飲ませていた。
航空会社の規則も緩くかったのだ。しかし現在は航空輸送するペットに安定剤を飲ませることは多くの航空会社で推奨されていない。窒息のリスクが高いので。

航空会社によりペットの輸送にかかわるルールは違うと思う。帰国予定の航空会社のページを参考にされたい。

費用
大雑把な帰国にかかる費用として2017年当時
一匹当たり
マイクロチップ埋め込み
+読み込みスキャナー(もし必要な場合$110-$130)
+ワクチン1回-2回分
+抗体検査料$350
+健康診断料
+USDA$121
+JAL$400
+AirFlight用キャリアー$26

帰国直後

母猫のナナと息子の八助はフライトの間お互い相手の声が聞こえるよう側に置くようにリクエストをした。
成田の検疫ではスキャナーも無事パスしてすぐ入国ができた。キャリアーの中にセットした飲み水は残念ながらこぼれていて輸送中に水分が取れたかどうかは不明。もし、日本の地方にさらに乗り換えで帰る方はトランジットの空港で
水が飲ませられる器具を持参すると良いと思う。

猫トイレは日本には持ち込んでこなかった。米国から楽天で猫用トイレと砂を購入して、一時落ち着く予定の
家に時間指定配達にしておいたので帰国してすぐ使えた。猫砂は日本製の方が臭いが少なくて優秀だと思う。

キャット・フードは帰国荷物で持ち帰ってきた。封を切らないカリカリ大袋と缶詰にオヤツを数袋。
届け出書を検疫でやり取りする間に封を切らない状態でキャットフードを持ち込むのはOK
と返事をもらっていたから。日本で販売されているキャットフードはほとんどがシーフード。チキンは数種類でターキーはほとんどないので要注意。持ち帰るなら大目に。

気をつけないといけないのは日本の気候/気温。我々は日本の大寒に帰国してしまった。
日本の家の暖房器具は灯油ストーブと炬燵だけであったので、カリフォルニア生まれ育ちの猫は寒さに震えあがった。
人間もだが。

もし、猫の健康を考えるなら日本の3月過ぎから9月ごろに帰国を計画することをお勧めする。特にショート・コートの猫は要注意。ナナちゃんは下毛がほとんどなかったので、寒さが応えるらしくコタツに潜ったまま出られず、トイレも我慢したので
膀胱炎になってしまった。低気圧と雨が降り湿度が高くなると体調を崩すようだ。

その後伊豆に住まいを定め、2年目くらいまでは、室内温度は20度を切らぬように温度管理が重要だった。
雨で気温が20度を切り、湿気で猫たちはてきめんにお腹を壊しナナちゃんは膀胱炎を発症した。

3年後にはナナちゃんのショートコートに下毛が増えた。とにかく日本の冬は寒い。5か月続く。
年齢が高い猫は大事にしてね。
あなたの猫も無事に入国できますように。2017年

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