胆のうがん もうすぐ3年

裏山を箱根・仙石原に向かって車を走らせていると、アイ子ちゃんが
で、そのご体はどうなの?とストレートをかましてきた。

ん~、今んとこはガンマーカーも上がってないしCTの画像に怪しい影は見えないよ。
術後一番危険な2年は過ぎたね。

なぜか最近の検索で調べると胆のうがんステージ2の5年生存率が60~65%に上がってきたのよ。手術前後は同じガンセンターの統計で生存率が27%~30%だったのにさ。

これは治療率が上がったというより、統計の集計例が変わったんだと思う。
胆のうがんはもともと症例が少ない。患者数は年間で1万7~8千人で治療する病院がすべて統計をあげてくるとは限らないしね。
10年の生存率はChatGTP もGeminiもほとんど同じ文面で、気の毒ですがステージ2の10年後の予後は3割を切ります。詳しくは専門医にお尋ねください。と返答する。

ウチのタヌキ主治医はというと、自分の切る年間の胆のうがん患者は10~12例しかないのに、(病院のウエブの肝胆膵 外科における治療例にはちゃ~んと患者数が載ってる)

先生の患者の転起は?生存率は?とおばちゃんが一度聞いたとき、
あ~~、僕わかんない、切るだけで精一杯。術後の転起まで追っかけてらんない。とはぐらかされたしねぇ。
な~にがわかんないだよ、年間10人しかいないのに

このタヌキ主治医は患者が一番知りたいことを一番教えたくないのだ。
理由は明白:そんなことを知ってどうする?と。

もうすぐ外科部長という肝臓・胆嚢・膵臓のプロは、数百人の症例経験があるわけだ。
胆石のつもりだったのに切除した胆嚢は、機嫌の悪い灰色の髪を振り乱したフジコ・ヘミングウエイみたにおどおどろしく、病理に回したらガンだった。

ガンの分化度と悪性度の報告を受けて、おばちゃんを呼びだし、メスをもって腹を再度開いて肝臓とリンパを切除し、胆管、十二指腸その他臓器への浸潤はないか転移の見落としが無いか、この人が自分の目で確かめたのである。

検索をかければネットにはガンの外科医のリポートが転がっていて、ガン切除の予後は自分の経験では患者の筋肉量が物を言うと述べてあった。末期がんになると予後の“長さ”は脂肪量に比例するそうである。

おばちゃんはタヌキ主治医がキライではないので生存率を問い詰める気がない。

――腹を開けた時の感触でいうと、んまあ5割くらい行けんのと違うかな?10年はどうかな?う~ん、あくまでカンみたいなもんだし、そんな事患者さんに言えるかいな。――

てなところだと思う。正直に言ってそれでどうなるという話である。患者さんは幸せになるのか?という話である。

患者にとって幸せなこととは何か?
おばちゃんが最初の内視鏡で胆のうを切除した後は、これで痛みに怯えることなくヤマザキの雪苺娘を好きなだけ食べられるから、憂いが無くなり幸せだった。
3週間の間は。
この時が一番幸せだったわ。

術後3週間目のフォローアップで、切除した胆嚢がガン化していたから再度開腹して肝臓の3分の1とリンパを切除すると言われたときは、世界がガラガラ崩れた。

世界が変わってしまったのでおばちゃんのライフ・プランもAとプランBの2頭立てとなった。以降2頭立てのママである。とりあえず緊急性も無く苦痛も無い時期が長い方がシアワセではないか。知らない時間がよりシアワセな時間であるよ。

2週間前はCTと血液検査だった。
CTは撮ったイメージが外来のコンピューターに回るまで2時間以上かかるのだが、意外に早く診察が回ってきた。最近は待合室で呼ばれるまでの間にあまりドキドキしなくなった。

血液検査を手に取ると、CAとCEAのガンマーカーは正常、貧血はなし。栄養失調も脱出。あ~、数値はOKみたいですね。とおばちゃん。

すると、主治医が、あれ、そういえばCT撮りましたっけ?今日。CTだ、CTだ
と机のモニターをスクロールする。おばちゃんの腹の輪切りが猛スピードで上下する。

そんなスピードでは怪しい数ミリが見つからんだろうと、おばちゃんは内心思いつつ

いや~先生、CAと CEAとこないだの Dupan とSpanのマーカーも異状がなかったんでしょう?だったら大丈夫でしょ?
だって、病院のCTの画像度は3ミリ単位でおっしゃって、すると3ミリを超えて成長した細胞じゃないとCTに映んないだから。だから映るくらいに成長している4ミリの転移があれば、4つのガンマーカーのどれかは異常値がでますって。

するとタヌキの主治医が、そういわれるとそうなんだよな。ん~、じゃあ今回も逆流性食道炎の薬を出しますか?と聞く。

先生、それがですね、私ここんとこ腹筋を鍛えてまして、ある程度腹筋がついたんですよ。
そしたら、なんと!胃液の逆流がすこし収まったんです。
先生に聞きましたよね、胃の括約筋を鍛える方法は無いかって?
胃自体はやっぱり無理ですけど、胃の上に筋肉をつけたら胃液の逆流がすこし収まりました。

へぇ~?!そう?

おばちゃんが腹筋を鍛えているのは、ガンの再発を防止するためではなく下っ腹が出てしまってジーンズがぴしっと履けなくなるのがイヤなのである。ジーンズの流行はローライズからハイライズ、ミッドライズに復活してきて、一番好きなブーツカットをまたかっこよく履きたいというのが一番の目標である。カッコいい婆さんになるのだ!

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日本で生きる

そろそろなんとかせねばならんと感じてはいた。

山の家に暮らして今年の5月で満8年になる。

去年のカリフォルニアIDの更新の時はReal IDに切り替えるのが不可能だったので従来のIDを更新した。4年先の更新はもう無いなとは観念した。

永住権は大使館に年金を申請するときに放棄した。
だからLegal Alien の身分証明ができない。California のReal IDの取得はできないのだ。

いずれ米国のすべては切っていくことになるはずだったのだが、それとも8年はよく持ったというべきか。
将来、米国に入国するときは、ESTAを取ってツーリストとして入国する。

アメリカに帰って、イヤ、行って何をしたいかと言えば、今更何かを成し遂げることは何もなくて、ショッピングをしてラスベガスでショーを見る・・くらいかな。
アメリカサイズ丈のジーンズとパンツを死ぬまでの分買いまくりたい。

Amazonでアメリカ製を買えばいいではないか、と言うかも知れないが、おばちゃんは日米Amazonのアカウントのお守をするのがもう疲れた。

Ebay Paypalもアカウントを日米2づつ管理するのが面倒くさい。当分ドルはひどくは下がらないだろうから、お買い物のドルの支払いはキャンというほど身に染みる。もういいや、支払いは日本のカードだけで。

困るのはMicrosoftのアカウントである。
今や、アカウントはみんな紐つきになってしまった。アメリカでOfficeを使っていた時はサブスクリプションなどまだなかった時代だったが、今はソフトはアカウントからサブスクリプトする時代である。

問題は使っていたおばちゃんが国をまたいで移住してしまったことだ。

移住した後でもアカウントは米国にひもづけのまま、支払いも米国に紐づけドル決済。ドルが120円くらいまでは、ドルで払った方が日本のライセンスを買うよりず~と安かったのだ。
Officeの2年のライセンスが66ドルだったし、Photoshopの1年ライセンスは日本の3分の2だった。やってられっか、って日本料金!

ところが、MSはサブスクリプションを自動更新にしてくれたので、おばちゃんはライセンスの更新などすっかり忘れ気が付いたらドルは150円を超えてドル高で同じサブスクリプションの支払いは日本より高くなってしまった。

これをどうするか、。
MSのアカウントの住所は米国、メールも米国、支払いメソッドも米国。ほっておくと今年の5月に自動更新で日本金額より高くなってしまう。円を送金するのも面倒だ。

まず、日本住所を追加した。日本のカードも追加した。サブスクリプションの自動更新を止めた。しかし、MSアカウントのページには、次にサブスクを再開するなら99ドルと提案される。
あかん、国の紐づけが外れていない。日本のカードで更新すると多分米国のサブスクリプションをドルで買うことになる。困る

オンラインチャットで相談。
こんな案件は普通じゃなくて、MS専門窓口に回された。夕方6時近くだったので時間切れ。5月にOfficeが切れる前に紐づけの国を変更せねば。

日米と言わず国をまたぐと、制度の隙間で得なこと、便利なこと、規制が及ばない事象がそこここにある。しかし、これらの制度の網が今や急速に狭まりつつある。
多重国籍者や国をまたいで暮らす人間の出入国、パスポートや銀行口座や租税情報や、それらの隙間人間の情報を国同士で交換する体制が密になりつつあるのだ。

マイナンバーカードの紐づけへの圧力はまぎれもない規制への第一歩である。先月には大手の銀行Rが海外からのオンラインバンキングを停止した。
住民票を抜いて日本の非居住者になると銀行口座の凍結がされてしまうが、住民票を抜かずに国と国を渡り歩くことは可能だ。ただ、国としては好ましくないのでマイナンバーで非居住者をあぶりだし、情報交換で居住国に通報するということもやるようだ。

ヨーロッパ居住中の日本人が突然居住国から日本の銀行口座はありますね、申告せよと通知が来て、申告をしたところ無申告のペナルティを含んで莫大な罰金が来たという。
どう考えても日本国がヨーロッパ某国に通報している。

米国のTax Returnにも国外に資産はありますか?というチェックボックスがあった。国外=日本に銀行口座があり居住実態があるか、無いか、残高が増えたりするとそのうち決意を迫られることになるかもしれない。

4月にはおばちゃんが原告の一人クレジット集団訴訟がホントにホントに最終の結審+賠償金の支払いが始まるらしいので、それを受け取った後は日本に紐づけ一本で行こうと思う。
私は日本で生きる。

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コタツムリ 再び

また、コタツムリになってしまった。

10日ばかりコタツに居ついている。
朝起きてコーヒーを入れてコタツに入り、人をダメにするソファによりかかって、コンピューターでニュースを読みLine,動画チャンネル、Netflixを見る。夜12時になるまでコタツ。
コタツを出るときはトイレかキッチンでお茶を入れるとき。1日の歩数は多分100歩内と思われる。
だって、外は寒いやん。

山の知り合いは、ここの冬は寒すぎる。もっと熱を!と犬を連れて沖縄に避寒に行ってしまった。気温20度のビーチを犬と散歩する写真を送ってよこし、沖縄は僕にとって人生の楽園です。おかげで血圧も下がりましたと言う。

それはよかった。
おばちゃんは面倒くさい移動はまっぴらごめんで、動画のチャンネルなら世界どこでもワープできるし、寒くも暑くも疲れもしないのでごく幸せである。
コタツはおばちゃんの楽園である。

2月の終わりになれば、花壇の土を掘って天地返しをし、たい肥を入れお花の植え付けの準備をするので、コタツムリはそれまでの待機所。

ただ、体のあちこちがフヨフヨになってきた。
おばちゃんは昭和の長身、166センチ後半・・現役時代は。ただし、2センチ縮んだ。BMIは長らく20以下を保っている。
3か月ごとの血液検査では総蛋白が基準値以下で、主治医からは栄養失調と言われている。肉や魚のごちそうは頂いているのに、消化と吸収に難があるらしい。

そして、体重は減りもせず体脂肪量だけが増えた。34.7%に達するに至って、おばちゃんも危機感を覚えた。筋肉が溶けて脂肪に置き換わっているのである。やせ型の隠れ肥満

なんや~これ。サルコペニアと違いますか?
寒いから散歩はしたくない、でも脂肪は何とかしたいそれも下腹の。
そこでおばちゃんは考えた、脂肪を燃焼させタンパク質の吸収をよくするサプリはないか? ありました。

オリゴ糖でできたサプリで腸内環境を整え、タンパク質の吸収を助ける。ただ脂肪を燃焼させるには運動が不可欠である。外に出るのはイヤでコタツで動かないおばちゃんがどうやって運動をするか。

できるのである、腹筋が。
人をダメにするソファに寄っかかったまま膝を立てて軽く上体を起こす。全身を寝た状態からおきあがる腹筋をするより、よほど効率的だ。腹筋と言うより上体起こしと言うべきかもしれない。

Netflixを見ながら一日400~回くらいの軽い上体起こしをする。おかげで若干腹が締まってきた。1月の血液検査ではアルブミンがかろうじて最低値に盛り返した。
なかなか、やっては見るもんである。
暖かいし、外に出なくていいし、腹筋もできるし、コタツはおばちゃんの楽園である。

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おばちゃん、悶絶する

楽天クレジットカードの12月分請求が来た。
なんじゃこれは?と、金額に悶絶した。

ささやかな年末年始の準備をした。しかしながらインフレのため膨張した家計をぎゅーっと引き締めたのである。にもかかわらず、先月より5割増し。こっそりSHEINで何やら買ったけど送料無料に毛が生えたくらいのはず、。

はて、?
もしや、12月、レンタルサーバーの更新料では?
そういえばWordpressのためにレンタルサーバーを借りてまる3年になるはず。最初のサインアップで3年、分確か500ドル以上かかった。あれから世界的なインフレである。まさか同じ金額であるはずがあるまい。1割か、いや2割は上がっているはず。そこにドル高が・・・・。

楽天ナビでチェックしてみるとそのまさかのホスティング更新料でおおよそ800ドルであった。そこにドル為替が乗ってデスクトップが一台買える金額になっていた。

現役時代から使っていた海外サーバーでもう一つWordpress用のドメインをセットした2021年の年末、楽天はカードが日本国外の使用と言うことでストップが入ったものだった、が。
ひょっとしてまた楽天がカードを止めにくるかな~とゆるく期待してて、その時は忘れずに更新料をチェックしなきゃと思っていたのだった。うす~く。

ただ、あの時カードを止められた楽天に電話して、あたしはアメリカで仕事してたし、サーバーはずっと海外だから止めてもらっちゃ困る、とくぎを刺した。その釘がよく効いたものとみえる。とほほ。

おばちゃんは庶民なので、これだけの金額を払ったサービスを使わずにほかしておくなどともったいないことはとてもできない。
去年はほとんどブログをお休みしてしまったが、再開しようと思う。

胆のうがんが再発して、とっくにあえなくなってしまったとお思いの方も、もしやいるかもしれないが、今のところCTもガンマーカーも異状なしである。
去年から今年様々なことがあったが、ゆるゆると書いていこうと思う。

2025年、節分の鬼が笑いそうな2月になってしまったが今年もよろしくお願いいたします。

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アメリカでも日本のTV番組は見られる。
カリフォルニアではKTVという現地放送がNHKや日本の人気番組を放送していた。きわめて限られた番組数だったが。

その番組の一つが「ケンミンショー」で愛知県の名古屋人は鶏の手羽を食べるとき、ある裏技を使って一挙動に食べられるとか、別の県民の赤飯は甘納豆で炊いて甘いとか。サラダを寒天で固めて食べる地方とか。
地方での伝統習慣が実は日本・全国区でみると異習慣・本流ではないと諭されてショックを受ける地元ケンミン。軽い揶揄も入っている気がする、そんな習慣・風習は全国区ではないんですよ~と。
驚きうろたえる地元民を全国区の日本人が面白がって観る。

なかなか新機軸だった。おじちゃんもおばちゃんも毎週欠かさず見ていた。ただ受け取り方は若干違っていたかもしれない。十年も帰国したことのない日本は遠い国である。その遠い、多分この先一生訪れることがないかもしれない故国の一部で珍しい風習や言い方や言葉があると言っても同じ日本語を話す日本人ではないか。極地でも全国区でもエキゾチックな風習。

日本人にとってお正月は大事な神聖な祝日であったのだが、長年の外国暮らしでは正月はNew Years Day=年の最初の日。最大の祝日はクリスマスとサンクスギビングに変わってしまっていた。お正月の“神聖さ”は時間とともに蒸発していったのだ。日本の歴史と習慣に敬意を払うが、かつての正月の「神聖さ」の観念は今でも戻ってこない。

餅が四角いか丸いかで侃々諤々。
餅は丸いもんどすえぇ。雑煮は吸い物地だろう。こうあらねば正しい正月じゃない。
餅があるだけでましじゃない。餅がそもそもない世界もあるんだから。自分中心の世界観は世界の真実じゃない。

UTubeでは長年海外で暮らした日本人が帰国してぶち当たる文化のギャップとか人付き合いのトラブルとかを取り上げたチャンネルもある。帰国者の逆カルチャーショックね。

海外生活で変わってしまった常識が日本の移住先で軋轢を起こすわけだ。
思っていることを発言・主張して現地人を不快困惑させるとか。イエスかノーか詰めてくるとか、どこでも飲み物を飲むとか。頭は下げないとか。何が日本の常識かもう忘れてしまっているので自分の欧米化した常識で物を言う。

日本の常識が非合理的だと思うから「海外では」と言うと嫌われるらしい。「ではの守(カミ)」と言って。「XXXでは」と言えば、「XXX」に行けば?と内心思われているらしい。

雑煮の餅は四角い。
この辺では赤飯は甘いの!
わが社ではとか。
ではの守」は日本の隅々すべての場面にいるのに自覚がないらしい。ミクロがマクロを笑ってどうする。

固定観念と言うのは物差しが一つしかないことだ
「xxx地方では」というたった一つの物差しは、生息レベルがアップすると「日本では」と言う2つ目の物差しになり、「欧州では」「米国では」と常識と物差しの数が多くなり多様性が増えていく。

おばちゃんはアメリカで小売業をしていたから、お客はアメリカ人をはじめ、台湾生まれの中国人、香港系の中国人、韓国人、大人として移住してきたベトナム人、アメリカで育ったベトナム人、移民の2世、移民の3世、など様々な文化と人種と固有の物差しを背景にしたお客がいた。みんな好みが違う。

それぞれのお客の態度や交渉術の違いは、彼らの文化・社会の常識の違いだった。誰か一人の一つの常識だけが世界の真理でも正義であると断言できるわけではない。

アラブの正義」という言葉があるほど独特の常識と物差しはアラブ人がお隣に住むとよくわかる。
ある日、あまり話をしない隣人が突然自宅に来て、自分のごみが多すぎてゴミ箱に入らないからお前のゴミ箱を貸せ、と頭ごなしに命令したりする。Please という言葉も使わずYou shouldお前が貸すべき!と頭から言ったりする。移住したばかりだったので、アラブの物差しだけがあり、より人に支持されている物差しを学ぶ時間がなかったのだろう。

究極の真理というのはわからないが、支持されるコモン・常識というのはあるかもしれない。
より公平で、弱者の権利も守り、双方に理があり、合理的で広く支持されていたら、常識=物差しとしても定着しているかもしれない。

日本にも外国人が定住するようになった。
スーパー、リサイクルショップ、サイゼリアなどで見かける。多くは南米、アジア系だ。おばちゃんは日本人が非白人系の彼らをどのように思っているかは知っている。何故ならおばちゃんが米国移民だったからだ。

彼らの日本語には訛りがある。
ジョイスが「お前の英語は訛りがある」とアメリカ人から言われたときに言い返した。
「私は英語に訛りがあるかもしれないがそれは自国語をしゃべれる証拠だが、あんたは英語の他に何語がしゃべれるんだ。」
移民には2つの物差しがある。労働をしているからと言って必ずしも能力や知力が落ちるわけではないことを知っておいた方がいい。

物差しは多い方がいい。
いろんな社会の物差しを多く持っていれば、たった一つの常識にしがみついて笑われるということが無くなる。

日本の若者も地方から都会に出てより大きな物差しを学び、海外の違った物差しにも接しながら現在の閉塞している日本社会の常識を広げていってほしいものだ。

最後に「International」という言葉がある。
私は使わない。私が知っているのは米国人と中国人の友達と様々なx系の客の常識の範囲だけであって、世界に共通するInternationalっていったいどういう現象をいうのかいまだにわからないからだ。
日本人に英語を詰め込めば英語をしゃべる日本人ができる。インターナショナルになったわけではない

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65歳のピアス その後

病院で施術してもらったピアスはどうなったかと言うと、そろそろ5週間が経つという時、おじちゃんがお前再来週はCTスキャンの予定じゃなかったっけ?ピアスはどうすんだ、と言った。

そうだCTだった。ピアスを取らなきゃ。
おばちゃんは耳たぶのネジのようなピアスの頭を引っ張ったが痛いだけでミリも動かなかった。変。
おじちゃんを呼んでネジの頭を抜いてもらおうとしたがやはり、痛くて騒いだのでおじちゃんは怯んで手を引いた。

どうすりゃいいんだ。

ネットを調べると施術した病院で抜いてもらうか、ファーストピアスの取り方動画を見て取れとある。
買い物に山を下りた時、病院の前を通ったのだが駐車場は空っぽだった。土曜午前は診察日になっているはずなのに。

家に帰って「ファーストピアスの抜き方」動画を見つけるとおじちゃんに見せた。便利な世の中で助かる
ピンセットが有能らしい。
おじちゃんが動画学習をすませておばちゃんの眉毛抜きを使ってピアスは抜けた。

ちょっと早かったようだった。
ピアス穴からまだ浸出液がにじみだしていて傷口が完全に癒えていなかった。しまった!このまま何も入れずにおくときっと傷口がくっついてしまうに違いない。
おばちゃんはそう判断して購入したフック式のピアスをつけてみた。ぶらぶらしてるピアスが揺れるとかすかに傷口が痛む。痛むがとりあえず何かぶら下げておくしかない。

ぶらぶらさせながらお風呂に入り卓球の練習に行き、寒いものだから朝晩セーターにピアスが引っかかり、痛ててと言いながら着替えをしていた。一週間後に両耳たぶが赤く腫れ熱を持つようになった。ちょっと危機感を持つようになったのが土曜日。またもや施術の病院は休みだった。

さてどうするか。3日後にCT検査である。ピアスは外したら最後傷口がくっつき、アクセサリーのピアスを入れようにもあっちこっち傷口に触れて痛むだろう。自分では絶対痛くて入れられない。ほっておくならくっついて施術も痛みを耐えた過程も全部パーになってしまう。

ネットで調べた土曜診療の病院は最初の2軒はオンラインの情報が古くて今は休診と言われ、2時間かかって診療中の病院にたどり着いた。
ドクターに化膿止めを処方してもらって、樹脂製のピアスがあるので炎症が収まるまでそれに付け替えるとよいとアドバイスをもらった。アクセサリー屋さんに寄るとボディピアスが使えますということでプラスティック製を買った。

CTスキャンは無事に済み、今回もガンやその他怪しい影は見つからなかった。もう1~2週間プラスティック・ピアスで過ごした後は好きなアクセサリーピアスにしようと思う。割と耳たぶが福々しく厚いのでピンネジで止めるタイプよりフック式がつけやすいようである。

病院でステンレス・ピアスを外すのは4週間後(傷口が癒えたころ)と言われたが、ネットでは2か月から4か月は着けたままと言う情報もあった。
おばちゃんは65歳だから20歳よりは傷の治りが遅かったのだ。CT検査さえなければ3か月くらいつけておけばよかったかもしれない。

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老化とファッション2

アメリカに長く住んでいると日本は遠い国だった。
日本でどんなファッションが流行っているのか疎くなる。留学生が飛行機で降り立ったままの服装で日系スーパーに現れると、ああ、今日本ではこんなファッションが流行っているのかと観察したのだった。

平成の終わりに日本に永住帰国したら、日本の女性はみな蒸し暑い真夏に中東のようにワンピースを着、ボトムにはパンツを履いていた。胸もウエストもなく二の腕も洋服に隠れていた。shapeless

おばちゃんの覚えている日本の夏はノースリーブのワンピース、アッパッパのおばさんたち。そんな風俗はもう婆さんにもいなかった。

更年期の時に分かったのだが人間の肩と腕は効率の良いラジエターである。
体に熱がこもるときは、キャミソールだと腕と肩から体の熱が放出できる。それでホットフラッシュが襲ってきた更年期にパジャマも含めすべての半そでを捨ててしまった。一説には、社交界の礼装:ローブデコルテとは、更年期のおばはんがおばはんのために創始したという説があるらしい。説の真偽は定かではないが、夏はキャミとスリーブレスが過ごしやすいと思う。

この亜熱帯の猛暑の日本の夏に何枚も重ね着をするなんて正気?
夏に涼しい服を着てはいけないのか?さらにキャミソールというのは日本では下着のことらしい、というのを発見してショックだった。
アイ子ちゃんが10月の残暑のころ京都の旧友を尋ねたら、キャミソール姿の彼女に何か羽織ってはいかが?と言われたそうだ。露出が多すぎると。

アイ子ちゃんもおばちゃんの二の腕も20代のように細くも光輝いてもいないが、恥じずものだとは思っていない。もっとぶっといアメリカ人だって二の腕は隠すべきものと思っていない。

3人に2人はデブというアメリカで日本の二倍はあろうかというサイズの中で暮らしてきてた。
彼らにくらべればアジア系の太ももや二の腕は少女のサイズである。ボトムだってスケールが違う。ビクトリアン・シークレットがアジア系の下着をだすまでおばちゃんは小さな下着ショーツを求めて子供用やベトナムの洋品店をさまよっていた。
黒人女性でヒップが張り出し腰の後ろにコーラ缶が一本乗りそうなサイズに並べば渡辺直美だって小づくりだ。

日本のファッションはいつから、何故、胸を隠しウエストをチュニックやお尻まで届くトップで覆い、土管のような女性の体が感じられないファッションが一般的になったのだろう。

元CAだったという50代のスタイリストさんの動画では、
プチブランドでピックアップしたトップスをこれだと二の腕が隠せます。シャツは後ろ身だけが長いのでお尻が隠れますよ。とポイントを解説している。
何故隠す?

元モデルのMarie Anneおばちゃんは60代の女性に
自分の体を受け入れよ、体を隠すなとおっしゃる。
腹が出てても隠すな。ウエストはベルトで作れ。
だぶだぶな服を着るな。Shapelessになるな、とおっしゃる。

おばちゃんは思わず膝を打って、その通り!
渡辺直美だってちゃんとウエストを作って見せてるじゃないか?デブでもメリハリがありShapelessよりも好感が持てる。

Ripped Jeansは履くな。
スエットやゆるいスポーツウエアを普段着にするな。
それらは「Gave Upした人」に見えるという。楽な洋服を選ぶなと言うわけではなく、ジーンズでも楽だしスエットよりちゃんとして見える。60代に似合うジーンズはストレートかブーツカット ハイライズをおすすめという。

おばちゃんは高身長165cmで最盛期は167cmだったが いつの間にか縮んでしまった。ありがたいことに股下は縮んでないようだ。
日本で販売されているアジアサイズのジーンズはみんな短すぎるから、メンズのリーバイス28inchを買ったのだが試着ではわからなかった不具合が出てきた。

やはりメンズとレディースはヒップ周りのカーブが微妙に違う。太もも腰回りも太すぎる。おばちゃんはお尻が小さいのだがメンズの大きなヒップポケットが歩くたびにお尻にぶつかりペコペコして不快だ。
アメリカならどのメーカーも太ももも丈もぴったりだったのに。米国サイズのジーンズは日本で手に入らないのか? グアムまでショッピングに行った方がいいのか。

懲りずにSheinでトールサイズのハイライズを3本買ったが生地もヘナヘナ満足するものがなかった。
かくなる上は、古巣の横浜に遠征して女性用トールサイズを片っ端から試着してこようと思う。

Marie Anneおばちゃんのレクチャーは今年66歳になる老後ファッション迷子のおばちゃんには方向性を示してくれる納得の動画であった。

さて、ここからは日米仏文化ファッション感の違いというか歴史伝統の違いも含めてファッション動画の面白かったものをご紹介。

今年の流行のブーツはビニール水道管のように足の甲の上で幅広く直線で立ち上がってる。
〇元CA日本人スタイリストさんは、水道管ブーツを特に否定はしていなかったが流行は気になるようであった。
〇フランス人の元モデルMarie Anneおばちゃんに言わせれば、ジバンシーはどうかしてるわよ。生クリームの絞り袋みたいなブーツを作って変ね。
下着のようなキンキラのショーツをモデルがそのまま履いたり、レギンズの“上“に履いたり。
ショーツを評してMarieAnneは
ジバンシーは頭おかしいんじゃない?
トラウザーの上にパンツを履いていいのはスーパーマンだけよ!
胸がすくようなコメントを吐いてくれて爆笑させていただいた。


アメリカ人のブロンド、ファッションアドバイザーの動画ではコメント欄がすごいことになってた。
ヨーロッパに旅行するならこんなファッションは避けましょう!
彼女は“カジュアル・ファッションのアメリカ人“がヨーロッパ旅行をするときには避けるべきアイテムを解説していたんだが、、、。

レギンズにウインド・ブレーカーは止めましょうね。シックChicには見えません。
ヨーロッパでは野球キャップはかぶりません。
ラスベガスに行くみたいな露出の多いぶっ飛んだドレスは止めましょう。エレガントなChicなドレスにしましょう。バックパックやウエストポーチより普通のバッグで。サンダルはダメ、ビーチに行くんじゃないから。

この動画を見ていて頭に浮かんでくるのは:
でっかくてその辺のTシャツを無造作に着て野球キャップをかぶりジーンズのうえに太鼓腹がせり出して水のペットと観光マップを握りしめたアメリカ人のおっさん。
くせ毛が突っ立っち、ブラの紐がトップからはみ出して首の付け根にはそばかすが目立ち腹と胸は同じ高さ。ガハガハと笑うたびに肉が揺れるカミさん。
典型的なアメリカ人像。NYは知らないがもうちょっとオサレな人が多いのかしら?

この動画につけられていたコメントがすごかった。
動画の主はアメリカ人向けにアドバイスをしてるはずなのだが、ヨーロッパ人も目ざとく視聴していてねっちりしたコメントをつけていた。

●ヨーロッパの人間として、守ってほしいのは声のボリュームよ。金切声みたいなのは止めて。
●ヨーロッパの人間だけど、北アメリカ大陸から来た人の一番顕著なポイントは「ボディ・ランゲージ」と声のでかさよ。
●ヨーロッパの人間だけど、アメリカ旅行中に旅行者に見えない方法という動画を見てみたいと思うわ。
●あたしはアメリカ生まれのアメリカ人だけどドイツに住んでる。どんな服を着ててもアメリカ人はすぐわかるのよ。ボディ・ランゲージで。でもアメリカ人でいることが悪ってわけじゃないわ。
●あたしはアメリカ人だけど2週間アムステルダムに旅行したわ。そこら中レギンズにウインドブレーカーを着た人ばっかりだったわよ。

でっかくてガサツで時にはぶしつけだったりするのだが、陽気で何かの時には頼りになる人たちなのだ。そんなに言わないであげてほしい。

Marie Anneおばちゃんも同じような動画をだしていてParisはこんなスタイルはNGよ。と
へそ出しやレギンズ姿にバッテンをつけているのだが、コメントは好意的で賛同が多かった。

日本に旅行に来るときはこんなマナーはNGよと、C語とV語とO国英語で動画を発信する人がいてもいいかな。

老化とファッション 1

それは62歳で始まった。

お出かけのスカートを履いて鏡を見たら、膝っ小僧に皺が寄っていた。
60・61歳ではまだまだイケると思っていた。膝に影もなかったから!

64歳の時は頬がたれ始めた。
肌を引っ張り上げていた筋と張りが無くなったのであった。統計を読むと62歳から老化・衰えが顕著になるようである。ふ~ん。統計とドンピシャだったので感服する。

 さて去年65歳になってどうだったかと言うと、40代の洋服はまったく似合わなくなった。
色も長さもスタイルも。中間色と鈍い色はくすんだ肌を目立たせるだけだし、皺の膝っ小僧がみえるサイズ2のスカートはどこで履くのか。Y2Kがリバイバルだそうだが、おばちゃんのクローゼットには当時のジーンズが現役であったのだ。

と言うわけで、年末もクローゼットをひっくり返して似合わなくなった服を町役場のリサイクルに持っていった。45リッターの袋で3袋。
この服はどこでどのくらいの値段で買ったと思いだすとと処分できない。品質や値段は目をつぶる。記憶があってどうしても捨てられない数着は残してセンチメンタル・メモリー箱に入れた。

別荘地の散歩道には時々、おっ!と声が出るほどいいフランネルやツイードのパンツを野良用に履いた爺様とか、40年前の銀座で最高ファッションだったのではないかと言うお洋服をお召しになった婆様とかが幽霊のように歩いておられるのを観察できる。

まだまだ着られるから。
物は最高ブランドでいいものだから、という理由でお召しになっていられるのだと思う。素~晴らしい懐古パンツの一点を現代ものと合わせると古いスタイルも生き返るのかもしれないが、あいにく合わせるその他のお洋服も同年代のファッションである。

年末最後の卓球サークルに行った。
76歳の〇藤さんとは仲がいい。いつも隣に座るのだが〇藤さんのスポーツウエアは洗濯を重ねて色落ちしている。シューズは年季が入っていて今にも生地を親指が突き破ってきそうだ。

おばちゃんはそれとなく、オフハウスなどは行かれたことがあります?リサイクルショップって洋服もスポーツ用品もあってなかなか面白いですよ。今度ご一緒しましょうかと誘った。
〇藤さんは耳が遠いので、服?ああ、服なら沢山あってね。家内の服もそのまま。処分しないといけないけど捨てられなくてね。とおっしゃった。

なるほど、。
〇藤さんは、もうこのまま手持ちの服だけで行く、とお思いなのだ。
亡くなった奥様の服も堆積している家で。

これはイカンと思い、おばちゃんはファッション動画を研究した。
干からびた干物のまま化石化したくない。

ファッション動画は沢山あった。
もとCAだったらしい50代の日本人スタイリストとか、元モデルのフランス人とか、アメリカ人のスタイリストとか。

60代にはどんな服が似合うのか。
それぞれ国も文化も違うのであったが、共通していたのは:レギンズはやめろ。大きな花柄は婆見え。スエット・スポーツウエアは厳禁。スカートならひざ丈とか。

これでさらに処分する洋服が増えた。
いろんなファッション診断から判断すると、おばちゃんは秋色や追加で黒白が合うようである。丸顔で肩幅がしっかりある厚みのない逆トライアングル。

でこぼこの少ない厚みがなくお尻が小さい。
20代のころは少年のお尻と言われ、男と間違われるのが嫌で髪を伸ばしてきた。髪をショートにすれば和田アキ子になってしまう。フェミニンを狙った花柄はダメと言われ、女らしさを出したいフリフリ白シャツは「オスカル」になってしまうそうだからこれも禁じ手らしい。Aliで一番フリフリ・ブリブリの白シフォンを面接のために買ったのに一度も着てない!

おばちゃんはせっかちである。
Sheinでマニッシュな白シャツとかストライプのシャツ、ハイライズのジーンズやパンツをあさった。Shein のアカウントはVipのS3レベルになってしまった。
毎日のようにヤマトや国際宅急便が届くのでおじちゃんから、また買ったのかどうせ捨てるくせに。と嫌味を言われた。

白ぽい杉綾だと思ったらただの“織”だったコート。トールサイズのジーンズは安っちかったり。買った品で満足できるアイテムは半分くらい。
Sheinにどれほどのクオリティを期待してんねん?と聞かれれば面目ない。
ユニクロはSheinよりよっぽど生地も縫製もクオリティが高いのだが、ユニクロのPlainさがどうにも性に合わない。土管のようなクロップドパンツは特に嫌いだ。日本人の短い足がさらに短く見える。

コートとジーンズは店頭で買った方がよいようだ。
一番近くのアウトレットはおばちゃんの好きなブランドもなくリーバイスすら品数が少なくてトールサイズは無いというから、今週は横浜までショッピングに行こうと思う。
まだ要るのか!とおじちゃんから嫌味が飛んだ。

かっちょいい66歳になるために、おばちゃんは、ハイライズ ブーツカット、股下78cm~80cmを探しに行くのである。

FIP寛解後

今年の冬は羽毛布団は無しね。
おじちゃんは消臭スプレーと雑巾で黙々とベッドルームを掃除していた。

テンのスプレーはますます快調。
いつどこでマーキングされるかわからないので、とてもじゃないが羽毛布団は使えない。
一昨日も寝具一式をコインランドリーに担いでいったばかりだ。敷く毛布1,掛ける毛布が3枚、キルトのベッドスプレッド。
ウチの東芝ザブーンでやると仮定すると、朝洗濯を始め乾燥ができるのは夜の11時頃になる計算。とてもやってられないので山のふもとのコインランドリーまで遠征した。

山の冬の最低温度はマイナス1度。
今は5度くらいだろうが羽毛布団にオシッコされることを考えたら叫びだしたくなるから、毛布で頑張る。

おじちゃんの枕元が一番被害にあうので特大のペットシーツを引いてしまった。
おじちゃんは被害に気が付くと黙々と掃除シーツの交換をしている。

紫音のベッドも被害にある。
ベッドとモフモフ毛布の上にやられるので、何回もハイターをぶち込んで洗濯をしてきたのだが、猫の鼻では匂いが残っているのだろうと思う。何度もやられる。モフモフ敷物の下にペットシーツを引きたいが、紫音がペットシーツの縁を嚙み食べてしまうので、モフモフは洗濯のし過ぎでよれてきた。

おじちゃんは目ざとい。
真夜中でも朝方の5時でもテンが騒いでスプレーをすると起きて掃除をしている。
この前SHIENからワンピースが届いて思ったより生地が薄くて冬は着られないわねととりあえずベッドの上に置いたところに、見慣れない物・匂いだからあっという間にスプレーをされた。お気に入りの黄色のセーターもたっぷり液体がしみ込んだ。

おじちゃんは風呂場の専用バケツにもっていき洗い流してからワイドハイターと逆性せっけん液に付け込んだ。
一度も着ていないのに、おばちゃんは泣泣。今度やったらオムツの刑!と悔しくて言った。

おじちゃんは、獣医さんがオムツは膀胱炎になりやすいしオムツ自体が臭くなってそこらに匂いが付きますよ。って言ってたじゃないか。オムツは着けたら可哀そうだろう。洗濯と掃除を黙ってしてる。

3日前は寒すぎたのかテンがあまり動かず猫タワーで熟睡しているので、おじちゃんとおばちゃんは心配になって、息をしているかどうか時々テンをゆすって確かめてみる。

年末のテンの診察は異常がなかったら来なくていいと言われていたのだが、連れて行こうか迷っていたらクリニックから電話が来て猫の風邪が流行っているのであえて来なくてもよいと言われた。

猫の流行り風邪!?
FIPあがりのうちのテンをリスクにさらせないので行かないことにした。

今朝は腹を空かせていたテンが急いでカリカリを食べその後吐いたので、おじちゃんは大丈夫か、大丈夫かとテンを目で追っている。

年明けにはYahooのクーポンが使えるのでペット専用の体重計を買うつもりだ。
今使っている人間用のタニタでは10g単位が正確にでないのでペット専用が欲しいのだ。たまたまYahooの宝くじをクリックしたらお買物券が1500円当たり、その有効期限が1月1日からなのだ。

3日前に屋根の葺き替えは終わった。
同じ色のトーンの合板が家外壁の色ぴったり合って満足だ。玄関まわりの掃除をして正月飾りを飾った。新しい年を迎えられる。
皆様もよいお年を。

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日本永住帰国前夜・・・ビジネスを畳むには

南カリフォルニアで成功したビジネスオーナーの先人がかつて言った。

“アメリカで個人事業をしていて年老いたらビジネスを畳み日本へ帰国すると言っていた人で本当に実行した人はほとんどいない”。
世話になったおばちゃんたちが帰国のあいさつに伺った時の話である。

アメリカで起業をすることはできる、資金計画根性があれば。
起業はできるがビジネスを畳んで撤収することの方が難しい。何故か?

ビジネスはビジネス契約があるからである。
一言でいえば経営する事業所のリース契約。
日本のリース契約は知らないが、アメリカの場合、テナントを借りるためには分厚い契約書にサインする必要がある。契約書にサインする側に都合のいいことは何も載っていない(たびたび書いているが)

リース期間の終わらないうちに中途撤収するなら、ペナルティ条項目として残りのレントの全額支払い義務などのがあるのは当たり前。リーマンショックの前ではレントの期間は10年単位が普通だったが、起業してわずか数年で失敗しても撤収するために残りのレントを全額かぶれば莫大な借金しか残らない。これを避けるにはリース途中でビジネス営業権を誰かに売るか(起業コストはとても回収できない)、リースが切れるまでしがみついて赤字経営を続けるか、どちらかしか撤収のチャンスがない。

たとえ起業してビジネスがうまくいっていたとしても、ビジネスオーナーに非可逆的な健康障害が起きた時にはやはり進退の危機になる。頭、目、腰、手足のどれか一つでも機能しなくなったらビジネスの存続は難しい。

交通事故で2年後に半身不随になった人、仕事中に脳梗塞で亡くなった人。末期がんが発覚した人など。たとえ亡くなってしまっても契約のペナルティは関係者にかぶさってくるのでビジネスの継続はおろか、リース残りの期間は赤字が積みあがっていくだけになる。

おばちゃんは起業してから様々なビジネスのオーナーが病気や事故や経済の変化によって没落したり、追い詰められたり、そしてリーマン不況ではたくさんの夜逃げオーナーを見た。

だからビジネスが軌道に乗った後に常にビジネスをどのように終わらせるか、撤収するか、で頭を悩ませていた。日本側に売りビジネスの広告を出したこともある。

ビジネスを売ることは起業することより難しい。
買い手に魅力のあるビジネスか、買い手が経営していける汎用性のあるものか、あるいは魅力的なロケーションか。売るタイミングも非常に重要。リーマンショックのさ中には営業権はタダでもいい,リースの引継ぎだけが条件という売りビジネスがあふれていた。不況では売れるものでも売れないのだ。

安全に撤収するためにはそれまでちょくちょく延長したリースの切れ目を狙うしかない。
おばちゃんたちのリースが切れる日時はわかっているので、ビジネスのクローズを決めた。夫婦二人で話し合って日本への帰国も決めた。

アメリカで私たちができること、やりたいことは全力でやった。だから日本に帰国してもいい。それからリースが切れるまでの1年半のタイムスケジュールを決めた。今度は閉業のために手順を踏んでいったのだ。

家という不動産も買う時より売るときの方が難しい。
幸いリーマン不況の影は遠くなって、その時カリフォルニアの不動産業界は売り手市場だった。物件が払底していて誰もが家を欲しがっており、家はリストに載ってからたった1日で売れた。買った時の3倍の値段だった。それからアパートに引っ越し日本帰国のために家財道具も最低限に減らして暮らした。

冒頭の先人の関係者にジャンクの買取、整理の専門家がいたのでビジネスで必要だった器具や処分できるものは処分した。これを買う時にいくらしたか、などと考えると始末はできなくなる。十分役目は果たして役に立った、だから処分した。

築いたビジネス、3年かかって取得した永住権、16年住んだ我が家、お客、友人、黄金の気候。
四捨五入すれば30年、アメリカを十分楽しんだと思う。人生の第三のフェーズは終わったのでおばちゃんたちは日本に帰国した。

SNNやニュースを見ていると、わが同胞はアメリカで頑張っている。
かつての同業者もまだ現役だ。コロナのパンデミックのなかでどれほどビジネスに苦労したか十分すぎるほどわかる。
アメリカでは病気・事故・老齢・時勢の変化、どれか一つに襲われてもビジネスの継続に大変な苦労が伴う。コロナも収束して健やかな老後を過ごされんことを祈ってる。

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