アメリカで起業する方法とは

アメリカで起業するのに一番簡単な方法は、1)すでに稼働しているビジネスを買い取ることだ、と書いた。
まぁ、現在日本にいてアメリカの就労ビザ永住権を持っていない人間にはまずビザの壁が大きく立ちはだかる。それはそうだ。

松居一代さんはEB1ビザをとって超速でアメリカの永住権を取ったが、松居一代さんでなくてもあなたに資金さえ用意があるならアメリカでビジネスの起業と永住権の取得がいっぺんにできる方法がある。

EB5という投資ビザがある。

2010年前後か?ガバメントが外国人の懐をかっぱぐと同時にアメリカの経済・雇用のブーストにも効果があるように、役人がこしらえたビザ・カテゴリだとおばちゃんは考えてる。


中国大陸の金をざくざく持っている共産党幹部が、我もとEB5を取り、そのおかげで米国中国人弁護士、不動産屋が大繁盛した、ガバメントの狙い通り。アメリカ人にもおこぼれが回ってきたはずだが、中国人はまず同国人を頼るという習性をガバメントの役人は知らなかったと見える。

EB5の5は$500,000ドルを意味する。とみんな知っている。50万ドル。ミリオンの半分 日本円が1:1として5千万円の資金をアメリカで投資するという条件をクリアできる外国人に発行される。

この50万ドルの投資は「現地ですでに稼働しているビジネスを買い取る」ことでもクリアできる。
1)の方法と同じではないか? このEB5はビジネスを買い取ると永住権がついてくる。これは美味しい。

すでに米国で就労ビザか永住権を持っている場合でも、ビジネスを買い取って起業しようと思うと、業種によって最低10万ドルから20万ドルはかかる。

EB5の場合は、50万ドルなので1)よりは投資金額が多い。それはしょうがない。だが、自分のビジネスと永住権が買えると思うと安いかもしれない。


すでに稼働しているビジネスは、つぶれずに利益を生み出してきたというのが証明されている。つまり引き継げば、自分でゼロから起業してクライアントもつかずに借金を抱えて、あえなく沈没というリスクを最初から回避できるわけだ。

超らくちんじゃん、と思うあなたはあんまりビジネスに向いていないかも。頭が悪すぎる。
恒常的に利益を生み出してきたドル箱のビジネスが、容易に売り物に出るわけがない。下り坂だから、経営者が見切りをつけたから売りに出されるのだ。

別のことをしたいから儲かっているけれど、このビジネスを売って資金にしたい、あるいはもうリタイアしたい。傷がない“売り物”はめったにない。そんな出物があったとしても、世情がわからない外国人に見分けられるわけがない。

「日本の海外進出をサポートする企業」は日本にある。アメリカで起業希望の日本人・日本企業相手に手厚いサポート・パッケージを用意している。起業には成功したがその後アメリカで生き延びていけるか?そんなところまでは誰も保証しない。

具体的には、おばちゃんから言えばどうでもいいセミナーを開催して、現地事情や商習慣・税制・法律などを解説し、食いついてくる企業や個人にはさらに現地セミナーを企画して修学旅行のように日本人をアメリカを連れまわしてアメリカンドリームを醸造する。セミナー産業。

実際起業の手続きには、現地の会計事務所・弁護士事務所と提携して会社設立の一連の業務で、さらに金を吸い取られることになっている。

買い取って投資しようというビジネスは、現地の不動産屋で出ている物件とそれほど違うわけではない。が、海外進出企業サポート産業が、見込みのある投資として紹介しお世話をして成り立っている。日米でかっぱぎの軍団が待ち構えているわけだ。

「セミナー」という単語がでたら、おばちゃんは用心する。金だけかかって内容がないからだ。なんなら、おばちゃんが企画してもできる。95%のオンラインで調べられる資料に5%に現地でしかわからない情報を混ぜる。人はこの5%に金を払う。

日本人がだれでも知っている小売り企業ドXXXXXは、こんなサービスを使わなかった。現地の不動産屋と会計事務所を使って米国内のチェーン・スーパーを買収した。

用心深いことには、いきなりアメリカ大陸に上陸せず、ハワイでスタートした。
ハワイは日系人が多いので日本のビジネスをそのまま持ってきて営業しながら、自分のビジネスのどこがアメリカにそぐわないのか、そこで予備訓練をしてから、アメリカ本土に上陸してビジネスを展開してきた。食えないやっちゃ、と思う。

セミナーに参加して明日は海外進出なんてふわふわ夢を見ている時点で、ダメだ。
今は、オンラインで米国内の弁護士・会計士・不動産屋に直接アクセスできるし、掲示板にはビジネス売りますの広告がある時代。

アメリカで起業できるビジネスは何か?何がアメリカでうけるか?日本にあってアメリカでは競争相手がなくて、受けそうなビジネスは何か?

アメリカでも日本でも世界でも「汎用」なビジネスは何か?何故かといえば、アメリカの日本人が渇望している日本の物であっても、汎用性がない場合、ビジネスの規模は日本人だけのローカルに留まる。

アメリカの日本人はラーメン屋に来てほしいと思っているが、アジア系にもアメリカ人にも受けなければビジネスは大きく育たない。汎用性=世界で通用するテイスト。

ビジネスの分野を絞る。最短で最速、しかも自分の実力で突破できそうな道はどこか?戦略と戦術を立てる。
最低資金でできるプランA,最敷居が低いプランB,最短プランC そのくらいのプランが立てられなければ起業をする能力がない。あきらめよう。

おばちゃんが警告しておくが、第二次世界大戦が終わってから日本人の渡米や企業進出が出来るようになっても、ある一つの日本のビジネスは、様々な時代にいろんな日本人がアメリカに持ってきてはやらせようとしたが、誰も成功しなかった。

そのビジネスはパチンコである。

日本で衰退がささやかれ始めたがこの巨大娯楽ビジネスはアメリカにはそぐわない。汎用性がない。カジノのスロットがある国でパチンコは徹底的にアメリカ人には受けない。アメリカのパチンコ起業は討ち死の歴史である。


留学生ビザ 応用編 学校を変える

F1学生ビザ応用編である。
留学生が学校を卒業したが、別の学校に再入学する方法。
ビザ知識に書いたが、留学ビザF1には重要なビザの本体I‐20 アイ・トゥエンティがある。パスポートと同じくらい留学生にとっては重要な書類だ。

このI-20 を通して、留学生の情報は身体的情報Biometric informationも含めてすべてアメリカ合衆国のイミグレに把握されている。
出席率、成績、取得した単位、最終の取得ディグリーなど、イミグレとU.S. government database SEVISはお見とおしなのだ。留学生にとってSEVISCIAより怖い組織だ。

留学ビザが終了する日

学校を卒業するとき、I-20 にはこの学校で学習が終わると推定される最終日つまりビザの失効する日付が記入される。この日時がスケジュールを決める。

留学生が卒業をして米国退去を1日でも遅れれば、何年後であろうが、次回訪米した際にオーバー・ステーとカウントされ空港で手錠をかけて強制送還される。
おじちゃんの同僚にいたのだ。たった1日のオーバーステイでLAXから強制送還が。10年入国できない

ビザに戻る。
留学生ビザF1最長で7年ある。例えばK君は2018年秋に入学しているので実質今年の9月で4年を使い切ったことになる。現在はOPTのトレーニング中で、このOPTの終わる日付がI-20に書かれている

その日が学生ビザが終わる日であって、他の就労ビザに切り替えるあるいは学校を変えるならこの日付より後であってはならない
イミグレの手続きはお役所仕事。ビザ変更は数か月かかると思ったらよい。1-20の日付を過ぎた後に、変更手続きをしてもアウトだと記憶していただきたい。現在2022年1月で5月の1-20に書かれた終了日まであと4か月しかない。

ウイスコンシン計画

別の学校に変わるには、I-20に書かれている卒業期日かOPTが終わる60日以内にI-20の情報を新大学にトランスファーし、新大学は5か月以内に入学せねばならない。

Marquetteマーケッティの今年2022年秋の新学期に入学するには、少なくとも2月にLSATを取らねばならない。マーケッティの入学要綱に書かれている。

LSATの申し込みのデッドラインは1月初めですでに過ぎている。K君の場合1-20のトランスファーが時間的にギリギリ。そして就労不可をさらに3年延長する。

F-1 students: we will have to transfer your record within 60 days of your I-20 end date or within 60 days of your OPT completion. Your courses (not orientation) at the new school must begin within 5 months of your I-20 end date or post-completion OPT end date.

なぜ配偶者も働けないビザをこの先数年もキープしなければならないのか。F1にしがみついているのはおろかである。
Lビザであれば、別に1-20を取らなくても(イミグレのコントロールがなくて)ウイスコンシンだろうがカリフォルニアだろうが、どこの大学にも入学できるからである。しかも授業料が7分の1から10分の1以下になる。配偶者は申請すれば就労が可になる場合がある。

学校を変更するリスク


学校を変わるのはやってできないことではないが、ヘタを打つと、イミグレから日本に一時帰国して、新1-20の審査の間、国外待機せよ、と要請が来る場合がある。

新規留学と同じなので、再度残高証明を求められて提出せねばならない。むろん、新学校のI―20が却下されて、そのままF1は失効、アメリカ再入国がF1で不可能になる場合もある。

かつてこれをトライした留学生からおばちゃんは残高証明の金を貸してくれと頼まれたことがある。

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Marquetteの入学要綱は本当にぞっとする。日本側がこれでイケると思うとしても、アメリカ側は同じ温度ではない。


例えば、配偶者のM子さんがケネディーもと在日大使に面会したのではないかと報道があった。元日本大使のキャロライン・ケネディーはラドクリフからハーバード、コロンビア大学でJDをとった弁護士である。

ケネディー大使に、うちのcommoner husbandがニューヨークで試験を落ちて、ウイスコンシンで弁護士になりますとは口が裂けても話せない。アメリカの常識でいえば、うちの夫はmoronです。と言うのに等しいではないか。

アメリカでも親バカはいる。子供のために裏口入学がばれて恥をかいたセレブもニュースになった。ある程度自覚はあるので、友達家族親族には、そんな恥部を口外しない。尊敬を失うことになるので。

K夫妻の一挙一同は日本のメディアが見張っている。この状態でこんなバカげたスキームを実行するアメリカ人はいない。計画の片棒を担ぐのも愚かだではないか。
参謀だってきっと言っている。It’s enough! It’s too much。
How is an I-20 is created?
After a school completes the admissions process, it collects necessary financial support and identification documentation for admitted international students requesting F-1 status. Those student names and biographic information are entered into a U.S. government database called SEVIS (Student and Exchange Visitor Information System). SEVIS processes the information and produces an I-20. The school official (called the Designated School Official or DSO) processes and signs the I-20 and then delivers it to the student. If a student needs to update or change information on their I-20, the DSO makes these requests through SEVIS to produce a new document.
How long does it take to transfer F-1 visa from one school to another?
Transfer Eligibility Requirements and Timing

You must request your current school (UW) to transfer/release your F-1 U.S. government SEVIS I-20 record to your new school before you can begin full-time studies there. The U.S. government calls this process a “SEVIS transfer.” (It is different from an “academic transfer.”)

アメリカで起業する

アメリカの移民はスモール・ビジネスが多い。
なんでか?
アメリカの企業が雇ってくれないからだ。英語に訛りがあって、米国の大学卒でもなく、正体も分からないからだ。だから、移住者は自分でビジネスを始める。
屋根屋、洗濯や、大工、電気屋、レストラン、ヘアサロン、不動産屋、会計士、弁護士。

客から考えた場合、
同じ日系人のビジネスなら騙されないという安心感がある。いい加減なことをすれば、狭い日系コミュニティですぐ噂が広がるし、多少高めでも行くのである。アメリカでスモールビジネスを起業すると、同胞は客として見込めるのだ。

永住権を取得していて技術があって資金があるなら、アメリカで起業をすることはさほど難しくない。一番簡単なのは、すでに稼働しているビジネスを買い取ることだ。

ショッピングモールを観察して洗濯屋でも、これ!といったビジネスが欲しければフラワーショップでもギフトショップでも、不動産屋が売買を仲介しいてくれる。

自分の手持ちの資金でビジネスの規模が決まる。
10万ドル、20万ドルの規模なら小売店のパパママで経営するビジネスの経営権が買えるだろう。
流れを書いてみるなら
まず、自分の資金で手が届くビジネスを見つけたとする。不動産エージェントに連絡し、相手オーナーに買いのオッファーを出す。相手からカウンターオッファーが返ってくる場合もある。
買い手売り手双方が金額に同意したとして、次のテージはモールの審査だ。

モールの管理会社が新テナント候補の審査をする。むろん審査を落とす場合もある。資金・資産不足、経験不足など。
インタビューの予約を取り、(審査予約で申請料を取るモールも多い)自分が経営することになるビジネスモデルを作成してインタビューでプレゼンテーションをする。

事務能力・スピーチ能力に自信のない人は会計事務所とか弁護士に代行を頼むこともできる。小売り・サービス業を開業しようという人間が事務能力とプレゼンテーションの能力がないとは、はなはだビジネスの将来が頼りないのであるが。

審査には資産状況、学歴、職歴の開示が必要なのは言うまでもない。アメリカでの逮捕歴や交通違反でもDUIなどの違反が出てきてしまうと、ビジネス・ライセンスが下りない場合がある。

モール側の審査が通れば不動産売買の仲介会社Escrow会社が間に立ち、売り手と買い手の双方に売買のアサイメントを指示してくる。

買い手はエスクローが支持してきた手続き:会社の設立、営業名称の登録、ビジネスライセンスの取得、銀行口座の開設などをこなしていく。

連邦は州のライセンスを取るのにさらに面接があったりするわけだが、必要フォームに記入して提出するだけのライセンスもあるし、辛抱強くこなしていけばライセンスは取れる。時間が多少かかるライセンスもある。

営業に必要なライセンスがすべて取れたら、次は実際営業をするテナント内部のリモデルの計画を遂行する。業者に必要な見積もりを出し業者の選定をし、営業開始日からさかのぼって施工の予約をる。

言語能力?そんなものはできるのが当たり前のこと。

言語能力だけあって実務能力がなくてもこれまた困るのだが。日本で生活している中国人、ベトナム人イラン人、が何ができて何ができないか?
他国で生きていくために何が第一に必要か彼らを見れば答えがわかると思う。

生き延びる

アッコちゃんが窓の外を見ながら、ぽつんと言った。
「ああ、あのアスファルトを均している人だって、資格や技能を持ってて仕事をしてるんだよね」

外の駐車場はアスファルトの敷直し最中でローラー車両に乗ったメキシカンが熱いアスファルトを均しているのだった。駐車場が半分使用不可能なので、客は来ず暇だった。

おばちゃんは、アッコちゃんが言うことが痛いほどわかった。好きな国で生きていくためには、何か技能がいるのである。

好きな仕事か、やりがいがあるのとか、そうでないのとか、、そんなこと以前に、ちゃんと雇われてお金がもらえる仕事が必要なのである。雇ってもらえる技能、仕事がもらえる技能。安定して暮らしていける仕事。

アッコちゃんは多磨美の卒業だったから、フォトショップもイラストレーターも扱えるのである。デザイン関係ならどうなのよ。と何時か聞いたことがある。
「私くらいの才能はその辺にいくらでもいるんです」

アッコちゃんはその後ウチをやめ、サポートしてくれる会社を見つけて、グリーンカードを取った。アメリカのビジネスの新陳代謝はとても早い。時流に遅れてた会社、時流を見ていない会社は消え新しいビジネスは生まれるが、いつまで持つか誰も知らない。

親方日の丸にすり寄っても、本家の長い不況のために営業所を縮小したり、いつ完全撤収してもおかしくない。ヤマハも人を減らし、リコーは突然アトランタに移転をした。家を売ってついてこれない従業員は首。

そしてまさか、世界のトヨタがテキサスにヘッドクオーターを移転するなどとカリフォルニアの従業員は誰も想像もつかなかった。日系社会は動転した。家を売ってテキサスに引っ越すか、やめるか。外地の将来はいつも真っ暗。先は読めない。

グリーンカードは取れたけど、アッコちゃんは結局接客業を選んだ。
人が好きなのだ。コロナのパンデミックの中、死んだほうがまし!くらいの苦境に立たされたことは想像できる。できれば逞しく生き延びていて欲しいと思う。

K国のマッサージビジネス

おばちゃんは、一時期同じモールのK国ビジネスに困ってしまったことがある。

いつものように最初はジャネットから噂を聞いた。新しくできたマッサージ・ビジネスがどうも怪しいというのだ。ジャネットだって立ち仕事で肩も凝るから、たまにはマッサージを受けたい。それで、ちょっと行ってみようと並びのテナントを覗いてみたそうだ。ジャネットが本気でマッサージを受けたかったのかどうだかと思うのだけど。

どうも入り口から受付への構造雰囲気が排他的。受付から後ろはドライウォールで天井から床まで仕切られていて、さらに内部にも通路が仕切られていて受付からのぞけないが、2つか3つキュービックがありそう。薄暗くて開放的とかWelcomingなムードではない。

待合室にすでに一人いたそうで、ジャネットが料金を受付に聞いていると、中から異様な雰囲気が流れてくるのだという。なんか、怪しいんじゃなくて、妖しい空気が。引っ返してウチに来るとほっぺたをピンクにしてな~んか変よ。あれはおかしい。

どうおかしいの?
普通のマッサージじゃないわね。Sexialな空気がする。
え~っ、この健全なモールでSexialなサービス??
そんなサービスを管理会社のロナルドとフレッドがよく許したね。
Sexialかどうか言わなかっただけじゃない?

パン屋のビジネスは朝が早いアメリカ人のために朝の7時からあけ、昼過ぎの3時にはもうドアを閉めて店に来る客はもういない。中では次の日のパンを仕込み、ベルギー人のパティシエが誕生ケーキやウエディングケーキを作っているのだ。夕方から夜にかけて、モールの雰囲気がけしからんことなってもパン屋の客は関係ない。

そのうち、夕方にモールの駐車場におっさんが乗る車が増えてきた気がする。マッサージやの右隣は洗濯屋で6時を過ぎるとあまりピックアップの客もいなくなる。左はメールサービスでインド人のマイクが一人いるだけ。

嫌だなぁ~。K国人のオーナーはテナントの誰にも開店の挨拶をしてこなかったので、名前もわからない。そのうち、女の名前と電話番号だけのサインが幹線道路からモールまで2~3本道路わきに突き刺してあった。

電話番号で検索をかけてみたら、モールのマッサージ屋でドンぴしゃ。
さらにビジネスサーチでとんでもない書き込みが引っかかった。なんと、アメリカ人のおっさんがこのマッサージ店の入店料金から、Extraのけしからんサービスの値段まで紹介していたのだ。

マッサージ嬢の名前はXXXXでフレンドリーな彼女の手を取って自分のXXXに、、なんて念を穿って書いとるんだわ。XXXのサービスはチップで50ドルあげればやってくれるよ。

何してくれとんねん、健全なモールで。この書き込みを読んで変な客が増えたらどうしてくれるん?
書き込みは一人じゃなかった。おばちゃんはページのURLを管理会社のフレッドに送って何とかすべきと言った。
するとフレッドはK国マッサージがどんなビジネスを展開しているか規制する気はない、と言ったんである。

さよか?
この健全なCountyではSexialサービスは違法だと思ったが、あんたが何もしないならポリスに通報するがよいかと書いたら、どうぞと返事が来た。

おばちゃん、これを書いた今、もしかしてフレッドにしてやられたのではないかと気が付いた!
私にポリスに通報させて手を汚さずに摘発させ有無を言わせぬ証拠を作っておいてから、モール側のポリシーに違反したとしてビジネスを追い出しにかかる。

くっそ、ユ〇ヤの悪知恵よ。
ローカルポリスにリポートをしたあと、しばらくしてマッサージやのオーナーが変わった、またK国だが、。閉鎖的な玄関はリモデルされて、健全なマッサージ屋に生まれ変わった。

今度のオーナーは50近くのおばはん韓国人で、リーマンショックで客が減ると、ビルの周りを歩いきながらぶつぶつ言っている。
あんた、何してんのさ?と聞くと
この店を買うのに大金をだしたのよ。一体どうしてくれるのよ。独り言をいいながらビルの周りを何週も歩くのだった。
知らんがな。

おばちゃん 時効の分だけ懺悔する

おばちゃんがリタイアをしてからだいぶ経つけど、お客も従業員もまだ現役かなぁ。遠い目。時効になった分だけ懺悔する。

一番の図々しい客は”初めて来てやったからまけろ、オマケをつけろ”といったメキシカンの2人組。
次は、”俺は年寄りだからシニアだからまけろ”と言った台湾人。あんたが”年を食っているからと言って、どうして私がディスカウントをしないといけないのか?”と、おばちゃんが目をじっと見て言ったらくじけて撤収した。

オープンしてまだ間がないときお客が電話オーダーの商品をピックアップに来て”これはオーダーの品と違う、俺はこれじゃないのが欲しいんだ!”でも電話を受けたのはおばちゃんで、絶対商品に間違いはない。客と言い合いになり、客が捨て台詞を吐いたのでおばちゃんもカッとなってそのレシートを丸めて

客にぶつけてやろうとしたら、おじちゃんが後ろから私の挙げた腕をつかんで、次いでおばちゃんの両肩をがしっと羽交い絞めにした。その間に客が悪態をついて外に出て行ったので、レシートをぶつけられずに誠に残念だった。とても客商売のオーナーにあるまじき振る舞いでした。
反省はしていませんが、やっと白状できてすっきりしました。

ローカルのフリーペーパーにディスカウント広告を出しました。店のチラシの金額を書き間違えて$1.50高く書いてしまいました。お客さんが手に取ったチラシを見て、あれ?おかしいな、という顔をした時に値段が間違っているのに気が付きました。アサちゃんにお客さんを任せて、チラシの金額を書き換えてプリントしなおし、お客さんの気がつかない間にこっそりチラシをすり替えました。

ウエブとキャッシャーの金額も書き換えて証拠を隠滅しました。
あれ、確か金額が違っていたはずのような?という顔のお客さんにどうしました?としらばっくれました。反省はしてますが、後悔はしてない。

昼寝の時に英語で電話がかかってきたら「No English」と一言
言って電話を切りました。眠かったんです。ごめんなさい。

C国人が電話予約をすっぽかし次はその旦那が別の電話番号でしれっと予約してきてあまりに腹が立ったので、出禁にしました。
店のWebのヘッダーにお客の名前と電話番号を2つ、しばらく晒しました。ウチ、AdSenceを張ってたのでトラフィックがあったと思います。
10年以上たっているので、時効ですよね?

〇山さんの目と鼻が整形だと噂を広めたのはおばちゃんです。マーちゃんが日本に行ってきてお土産と女性セブンを持ってきてくれて、雑誌は店に置いていたら、〇山さんが女性セブンの美容整形の広告をびりびり破って
持っていき、次に来た時に目と鼻が新品だったので整形だって広めてしまいました。もうみんな知っているから、無罪ですよね?

ドイツ育ちだと言うC国人がドクターのコンフェランスに来たといい、お会計でカードを出してきたけどDeclineされておばちゃんは、別のカードかキャッシュを出してんか?とゆうたら、お財布をホテルに忘れてカードはこれだけでキャッシュは”無い”と言いよるんですわ。

ドイツなまりの英語を話すC国人などという珍人やったけど、大陸産のC国人と同じように、ぐいぐい対応してしもうたんですが、ドイツ育ちのせいか真面目やったんです。

でもアメリカでカード一枚だけ、エマージェンシーのキャッシュも
持ってない。カードのカスタマーセンターに電話を掛けたら、ドイツ時間の夜中でカスタマーサービスがお休みなんや、言いよるんですわ。

カードのカスタマーサービスって24/7dayと違いますのん?電話が繋がれへんってドイツのカードカスタマーサービスあれへんのと違います。
ホテルに帰ってキャッシュを持って来てくれへん?金持ってきたら携帯電話を返すからと、携帯をカタに取りましてん。ちょっと、イケズすぎました?

もっと酷いのはどこで自白したらいいですか?

リタイヤ後はプログラミング

おばちゃんはつくづくプログラミングが出来ればなぁ。とSharpのキャッシャーを嘗め回しながら切望したのだよ。Sharpのキャッシャー内部のメモリには商品のPriceLookUpTableや税の設定、トランザクション・ジャーナルなどのデータが保存されている。

このSharp、腹が立つことに2種類のトランザクションのカウント・ナンバーが組み込まれて、例えて言うと性質は車のマイレージ・カウントと同じなんだ。つまり1つは製造後からの通しナンバーね。キャッシャーがチ~ンと鳴ると数字が一つ大きくなる。こいつは電池を抜いて、全部初期化をすると0になるがそれ以外変えられない。チ~ン で一つ。Shit。
もう一つのマイレージはその日のトータル。集計をして印刷をすればカウンターはゼロに戻る。

もし、トランザクションを同じマシンで打ち直せば?マイレージ1のカウンターがチーンと鳴った分だけ回る。昨日の終わりのナンバーと今日の初めのナンバーは続きでなければIRS(税務署)が気が付く。

IRSというのはポス(キャッシャー)の印刷レコードを信じていて信頼が厚い。書き直せないことになってるからさ。隣のパン屋のクリスもレジからは凧の足みたいなレシートがとぐろを巻いていて、ギフトショップのブランドンのとこも長いレシートのしっぽが出てる。

業務が終わった時にキャッシャーを集計モードにして「ENTER」をパンチすると、印刷レシートがシュルシュル出てきて、おばちゃんは疲れた手で紙を巻いて充実した一日の営業が終わるわけだ。

Sharpはシリアル接続でWindowsXPに繋がっている。付属ソフトをいじり倒すとデータのトランスファーができることが分かった。キャッシャーからコンピューターのSharpのディレクトリ¥DATAに内容がコピーされる。ほう?
マイレージカウンター1は手が出せない。どこに格納されているかもわからない。

おばちゃんは全く同じSharpのキャッシャーをもう一台買った。(なんでや?キャッシャー1が壊れたら業務ができへんやんけ?)ウチのリビングに転がっている自作コンピューターに接続し、1台目の”DATA”を2台目のSharp¥Dataに上書きするとあ~ら、不思議! キャッシャー2がキャッシャー1そっくりになった。

面白いね。あたしって天才!
もちろんこのキャッシャー2も書き換え不能のカウントナンバーがある。チ~ン!

仕事のSharp1をジェーン、予備Sharp2をマイケルとする。おばちゃんは、商品値段や新製品をしょっちゅう変えるので、LUテーブルも編集する必要があるのだ。ジェーンを変更したらマイケルも更新しておく。

なんでや? 仕事のジェーン1のケーブルをネズミがかじって使いものにならへん日があるかもしれんやろ!そしたらマイケルをすぐ差し替えられるやんけ!

お客というのは値段表に紙を貼って書き換えたり、修正液で塗り替えたりして値段を上げると、ムカッとする。値段を上げやがって!と。レシートも値段表もSleekで修正などと影もなくきれいなレシートだと値上げしても案外気が付かないもんだ。ここまでいいぃ?

おばちゃんは、同じ仕事をするのが嫌いなの。だから、昔っから字が下手なの。お習字が嫌いなの。わかりきっている作業を、なんで?何度も繰り返さないといけないのか?
そんなわけで、毎年2月になる前にジェーンを眺めながらう~ん、エディターが欲しいなぁと真剣に思う。

知り合いの台湾人のエミーさんがプログラマーで、聞いてみたことがある。

おば:ねぇ、エミーさんこのSharpをクラックしてエディターを作れない?
エミー:言語のソースはわかる?
おば:言語がわかんないとダメ?
エミー:ソースを見せてくれれば何とかなるけど、なければ私には無理。ウイルスソフトを作っているような人ならできるよ。
おば:そっか、残念。プログラミングを勉強していつか自分でエディターを作れるようになるかなぁ?

一日の業務が終わったらエディターを立ち上げてトランザクションを編集する、Refundや打ち直しの跡もない綺麗なトランザクションを印刷をする。美しい仕事よ!

人間のモチベーションとは意外なところから湧いて出るものだ。おばちゃんは割と根に持つタイプなので、商売をやめた今でもエディターの夢はあきらめていない。何年学校に行ったらいいの?

”会社は家族” 説が崩壊した日

「ねぇ、奥さん、あなたのために世界は回っているのではないんですよ」
電話の弁護士はホントにこう言った。渡米して2か月後のことだった。

渡米して最初の給料日が来ると、日本でサインしたはずの契約書とは全然足りない給料が渡された。え?
ダンナも日本から一緒に来た同僚たちも頭をかしげたのだ。アメリカのペイチェックは2週間に一度だった。もらった給料は、契約書で約束された月額の2分の1にも全然届かない。どういうことなんだろう?
福利厚生はどうなっているのだろう?日本での契約条件では現地の健康保険も加入するはずだったのに。

会社はアパートと最低限の家具を用意しておいてくれた。おばちゃんとおじちゃんは夫婦だったから、ワンベッドルームを。他の独身従業員は4人で3ベッドルームをシェアし寮として使用する。
4人が3ベッドでは、最初から数が合わない。誰かひとりジャンケンで負けて、大き目のウオークイン・クローゼットで寝ることになり、押し入れで人を寝かせるのか!、、と独身者みんな不満を募らせていた。

先発していた支社長と夫人は2ベッドルームで家具もベッドもランクが上だと、陰では非難と愚痴をささやきあっていた。そして、この給料である。会社に対して不信と不満が爆発した。

独身者の一人が明日全員で支社長に聞こうじゃないか。そうだそうしよう。意見はすぐまとまった。翌日、日本での契約交渉の本人だった支社長を囲んで皆が口々に不満を訴えると、支社長はしれっととんでもないことを言った。契約書の給与は税込みの総支給額である。なんでかというとアメリカの所得税を知らんかったんで。

はぁ!
この業界は給与の開示は、手取りが表示が慣習だった。アメリカの所得税が分からん?調べりゃすぐわかるだろう?なんだぁ?この会社は!支社長の上の日本の専務を呼べ。

新規の支社立ち上げのため、同行していた専務は2週間でとっくに帰国していた。面の皮が厚くにぶい支社長は、皆の不満がいまいち理解できないようで、さらに、爆弾を落とすのである。
「大丈夫 生活できるって、この国は日本より物価が安いから。」

わなわなと震えるとか、血が上って視野が暗くなるとかは本当に起こる。物価が安いからって?そういう問題じゃないだろう。

契約書!契約書には給与の条件が書いてなかっただろうか?会社の契約違反を訴えることはできるのだろうか?ここは日本ではないし、来たばっかりで右も左も分からない状態だった。

若きおばちゃんは、日系スーパーで現地のフリーペーパーを手に入れ、広告を探した。A法律事務所、xxxトラブル無料相談、C社電話相談!
これだ!とおばちゃんは電話をかけ生まれた初めて弁護士と名の付く人
と話したのであった。

電話の弁護士は、まず私の素性を聞き出した。氏名、会社の名、住所電話番号。正直に答えて、おばちゃんは説明にかかった。

会社の契約違反ではないだろうか?
こんな非道を許されていいのか?

そうしたら弁護士は事務的な声で、あなたは何ビザを持ってます?そのビザを取ったのは会社ですか?おばちゃんは、会社がビザを取ってアメリカに来たと述べた。

そうしたら、弁護士は面倒くさそうに、会社がビザを持っているんで、会社がビザを取り消せばあなたたちはこの国で働けないんですよ。日本へ帰るしかないんです。

そんな馬鹿な!
そしたら弁護士は冒頭の言葉を吐いたんである。

「ねぇ、奥さん、あなたのために世界は回っているのではないんですよ」弁護士はさらに追い打ちをかけ、この電話相談は50ドルですから、事務所に小切手を送ってください。

ぇ?無料電話相談じゃなかったの? どこに無料って書いてあります?おばちゃん、名前も住所も申告してたから、泣く泣く小切手を切るしかなかった。

会社は従業員を守ってくれる存在ではなかった。会社は家族でもない。養っていかねばならぬ義務も法律もないのであった。おばちゃん、おじちゃんのマナコからウロコがバラバラと落ちた瞬間だった。

アメリカのお役所と戦う

日本は物事がするする運んでスペースシャトルを打ち上げるアメリカが、なんでトラブルばっかりだったんだろう。役所のミスも多かった。

友達はDMV(免許車両登録局?)で免許試験をパスし、1月経っても免許が届かないのでアメリカ人の夫とDMVに問い合わせに行った。
窓口のおばちゃんは「アンタは試験に落ちてる」と言うのである。彼女はテストに受かった時にくれる引換証を見せても、とにかくDMVのコンピューター・システムには彼女がパスしたというレコードがない。
でもここにパスした引換証があるじゃない!と言ってもとにかくシステムがそうなんだからどうしようもない。

そんなのおかしいわ。彼女は窓口で激高して、だが旦那はあきらめた。6フィートのスカンジナビア系の旦那に襟をつかまれてズルズル窓口から引き離されて、その間中、彼女は:I hate America. I hate Americaと叫び続けたという。

結局彼女は、DMVがテストに落ちたと主張する日には日本にいたという証拠のパスポートを提出して無事免許証を手にした。

私が何回目かの免許更新の時、写真撮影のラインに並んでいたら隣のカウンターに80歳くらいのよろよろしたじい様が、紙切れを持ってカウンターの女の子に差しだした。アジア系の女の子は受け取って、ポンポンハンコを押しテストに合格したから、これは本免許が届くまでの臨時のレシートよ、と2枚つづりの一枚をじい様に差しだそうとしたときには、じい様すでに踵をかえして出口に向かおうとしていた。

女の子はヘイ!グランパ、と呼びかけたのだがじい様は止まらなかった。耳が遠かったのだ。女の子はハンコを押した紙をなんと、Whatever!ひらッとその辺にほかしたのだ!

移民局には書類を無くされた。プロセスの最後の健康診断をパスして、書き留めで移民局に送り無事配達のレシートも届いている。それなのに移民局からの通告書には健康診断書が提出されていない。
提出せねば移民申請を取り消すなどと高圧的な通知を送ってきた。移民局と争っても無駄だから健康診断書をもう一度送んなさいとアドバイスされた。

おじちゃんの場合はもっとひどかった。グリーンカードも受け取っていたのに、移民局はビザから永住権にレコードを書き換えるのを忘れた。おじちゃんは知らない間に、ビザ切れで違法状態になっていたのである。


それが分かったのは、おじちゃんの働いていた会社が日本に撤収し失業保険を申請したときだった。EDD(労働局?)は何度移民局に照会してもおじちゃんの永住権ナンバーはなくて、ビザは失効しているからケースはクローズすると。そんな馬鹿な。

事情を確認するためにはまず移民局に行かねばならない。移民局の予約を取るのは大変だった。予約を取るだけのためにオフィスの玄関にある予約システムで予約を取って、当日にまた来てやっと建物に入れる。おばちゃんは、永住権を申請していた3年間の移民局とやり取りした書類をすべて持参して窓口に辿り着いた。

窓口の女は、コンピューターを検索しておじちゃんのレコードは永住権が取れたときにビザから永住権に書き換えるのを忘れていたようだと言った。
そうか、おじちゃんはもう一度EDDに失業保険を申請するので、移民局がステイタスのアップデートを忘れたというステートメントを書いてくれと職員に言った。
やらない、と職員は言った。
では、移民局が間違えたのだという証拠を出してくれと言った。
ありません、と言った。

ねぇあんた、移民局が間違えたのは確かで、おじちゃんはEDDに失業保険を再申請するためには移民局のミステイクだと証明しなくちゃいけないのよ。分かる?

すると、窓口は移民局はいかなるステートメントも書かないし出しません。と言い切った。
じゃあ、どうすんだよ。あんたたちが間違えたんじゃん。職員はさすがに可哀そうだと思ったのか、ガバメントはいかなるステートメントも書かないけど、この窓口の私XXXという名前の職員が、レコ―ドのアップデートを忘れたようだと言っている。
と、アンタが自分でステートメントを書け。と言った。

おばちゃんはふざけるなと思ったのだが、じゃあ、おじちゃんのステータスはアクティブな永住権であると証明をしてくれと言った。そうしたら、レコードはすでにアップデートされている。証明も出す気がないのだった。

EDDの失業保険の再申請を認められるためには、最終的に裁判をするしかなかった。

EDDを訴える

EDD(労働局?)を訴える以外失業保険の再申請が出来ないと分かったので、おじちゃんは裁判をファイルした。大事な裁判だし、ここは通訳を頼んだ方がいいだろう。ガバメントのインナー裁判なので言語サポートとして料金は無料だった。

おじちゃんとおばちゃんはジャケットを着て、指定されたガバメントのビルの一室に辿り着いたのだが、そこは、、、、、。

チェックのシャツを着て袖をまくりあげてジーンズを穿き、ぶっといベルトをしたどこから見ても建設作業員みたいなおっさん達がうろうろしていた。誰もジャケットを着ていない。ここは本当に裁判室なのか?

時間になると別室に呼ばれて、そこには太った白人の裁判官?がいた。紺色の幼稚園児が着るようなフロックを着ている。普通のオフィスのようでデスクが一つ部屋の真ん中にあり、イスが向かい合わせに置いてあった。

通訳はどこだろう?後から来るのかな。裁判官はおじちゃんのファイルを取り出すと、氏名を確認した。おばちゃんは通訳を頼んだのですがと言うと、
そうだね、ではとデスクの上の電話の受話器を取り上げた。
えぇ?電話?!
ああ、君が予定の通訳かな?スタンバイしてくれ。では始めよう。
と電話の3ウエイボタンを押した。

裁判官は私たちに向き合ってこう言ったのである。
Well, appellant 何が起こったか説明してください」
それから電話のスピーカーがたどたどしい日本語で
お客さん、今日はジャッジが聞きたがってあります。しゃべるあります」

おばちゃん、椅子から転げ落ちそうなほどびっくりした。原告・訴人Appellant が“お客さん”!?法廷通訳が法廷用語を知らずにどうして、通訳ができるのだ?こんな通訳に任せたら勝てるものも負ける。
真っ青になった。

それでジャッジに、私はこの通訳がしゃべっている日本語が分からない。この人の日本語より私の英語の方がましだから、私が英語で話します。すると、ジャッジはあなたはすでに通訳を選んだのだから、認められない。と

しかし、ジャッジの質問ひとつ毎に通訳からはファニエスト外語学院みたいな日本語が電話から流れてきて、おばちゃんはおじちゃんと顔を見合わせ、ジャッジに英語で何を言っているのか分からない、ジャッジに直接英語で質問に答えた。

EDDは主人の永住権ナンバーがないと言っているのですが、主人は永住権を持っていてこれがグリーンカードです。移民局で確認したところグリーンカードに切り替える時ステイタスのアップデートを忘れたのです。

EDDの間違いではなく、移民局がミステイクをしたのです。
その頃にはジャッジは電話から聞こえる通訳の英語を無視して、何だと、グリーンカードがあるのに失業保険を拒否しただと!
話にならん。馬鹿げてる!木槌をバンと叩いておじちゃんのケースは決着した。

駐在員時代

簿記のクラスで教師のテリーがチャート・オブ・アカウント(勘定項目?)を解説していた。小売業の場合経費として減価償却費とか修繕費は理解できるのだけどInventory Loss(在庫減)がどういう状況で起こるのか分からなかったのでテリーに質問してみた。

商品在庫が減っちゃうんですか?どうしたら減るんですか?
う~ん、従業員が盗むんだ、。
おばちゃんはびっくりしてアメリカの簿記ってのは従業員の盗みまで「勘定」に入れるわけ?盗みを見込んで経費を考えるって、消耗しそうと思った。

そうしたらおじちゃんの会社でも物が消えるらしい。棚卸をすると目も当てられないくらい在庫が消えてるのだそうだ。支社長は性善説を口にし、従業員はみな家族!みんな仲良くとお題目を唱えるだけで対処をしようとしない。在庫がなくなると実際の管理するおじちゃんが困る。

従業員を家族だと言っているのは支社長だけで、そのくせ人件費が増えそうになるとシフトを容赦なく削っていく。会社に都合のいいことしかしない彼はパートのメキシカンから相当恨まれていた。しかし英語が全くできない支社長はメキシカンを含め現地で雇った従業員の不満を読めないのだった。

日本で契約した雇用条件はむろん健康保険などの福利厚生も含まれていたが、いざ渡米してみると支社長の裁量で適用されなかった。カリフォルニア州の法律では新規雇用の従業員には3か月間は試用期間として健康保険を加入させなくてもいいという規定がある。

日本での契約を無視して、渡米した限りは3か月は保険を入れなくていいんだと都合よく解釈して保険契約を放置した。4人部屋の同僚の一人が膵炎になって入院してしまった。
保険無しの入院である。10日あまりの入院で2万ドル請求されたと聞いた。従業員本人に支払い能力がないので、会社がかぶったのだ。

会社宛てに公的郵便物が届くと封を開けて見るらしい。当然読めないので、デスクに入れてそのままなのだという。秘書役のマネージャーに渡せばいいのだが、そのまま放置されるので期限切れの再通告が来てから知ったマネージャーが怒っていた。

日本での支社長を知っていた人の噂では彼が勤務した日本の支店では業績がすべて落ちたのだという。移動させる支店が無くなってアメリカに捨てられたんじゃないかという憶測もあった。

中年を過ぎて結婚したこれも同じ会社のお局さまは、専務のお手付きだったといううわさもあった。誰がこんなXXを支社長に据えたんだよ。日本の本社へも不満がたまった。ついに従業員の誰かが匿名で本社に手紙を送ったらしい。
すると、うわさされた専務が出張でやってきて「支社長は間違ったことをするかもしれないが、従ってやってくれ」なんだそれ?
間違ったことに従ったら会社がつぶれるじぇねえか?
ダメだこりゃ。

支店長は英語ができなかったが、スペイン語も覚えようとしなかった。パートのメキシカンを人として見ていなかったふしがある。誰かが誰かを馬鹿にしているときは言葉を知らなくても分かるものだ。

おじちゃんは英語よりスペイン語のほうが性に合っていたらしく辞書を片手にメキシカンと休憩時間などおしゃべりをしてこんなことやあんなことがあったと面白がっていた。コークをおごってやって英語日本語スペイン語ちゃんぽんでバカ話をする。

3ベッドルームに4人押し込められていた本社契約の同僚は、膵炎が日本に帰国したので3人に減って一部屋づつ使えるようになっていた。

支店長暗殺さる

ある時外の公園で、おじちゃんたち日本人とメキシカンが休憩時間バカ話をしていると見慣れない顔のメキシカンが混じっていた。パートのメキシカンが友達を連れてきたようだ。
いつものことだが会話は会社の不満、支店長への不満シフトを削られた怒りに流れるのだったが、その時に件のメキシカンが、そんなに嫌な奴ならAssassin/アサンシンしてやろうか?と尻ポケットをポンと叩いた。

Assassinという日常会話を超えた単語が不思議と一瞬で皆に理解されてしまい、日本勢は息を呑んだ。えっ!?メキシカンはすかさず300ドルでどうだ? と追い打ちをかけた。具体的な金額にも驚いたが、たった300ドル?誰も答えなかった。
たった300ドルでも自分がポケットから出すならもったいない金額だったからかもしれない。

別のメキシカンが沈黙を破って、話題は別に移り件のメキシカンはどこかに消えた。休憩が終わって仕事に戻ると300ドルの値段をつけられた支店長は、あ~、今度の日曜日の昼は暇?ウチのお局子がなんか作るからみんなで飲もうよ。

お局さんのメインディッシュは冷凍餃子と焼いたウインナーだったので、魅力がなかったのだがなかなかNoと言える雰囲気ではなく日曜日にアパートの歩道をプラプラ歩いて、巨大なユーカリの枝が幽霊みたいに垂れ下がっている支店長のアパートの階段を上るのだった。

支店長がホールドアップ

メキシカンから命は300ドルと値段をつけられた支店長はいつも元気だった。この人がメゲている時はほとんど見たことがない。ただ、支店長も1度だけ真っ青になった時があった。

支店の開業の時に会社の車として従業員も乗せられるワンボックスカーと支店長が通勤私用につかうセダンとの合計2台の車があった。無論2台とも会社名義の登録車である。最初にセダンを買って、次にワンボックスを買った。だから登録の更新・支払い通知も最初はセダンでひと月遅れにワンボックスが来る。

更新支払いが終わればライセンスプレートに貼る新しいステッカーが届く新しいステッカーを車のプレートに貼る。これだけ。更新料を払わなければ新しいステッカーがないから、人のステッカーを盗んで貼ったり偽造したりする輩もある。
ポリスはパトロールで登録切れの車を止めて、違法移民だったら車ごと押収するし、盗難車の場合もあるから、車内からDMVに照会し登録情報を確認するのだ。

ある時、支店長がワンボックスを運転していると、後ろにパトカーが付いた。支店長は気にせず平和に運転していた。ところがパトカーはライトを点滅させて路肩に止めるようにマイクで呼びかけた。支店長は自分の事だと思ってもいないし、心当たりも全くない訳だから平和に運転を続ける。

呼びかけを無視して逃げるワンボックスにパトカーは応援を呼んだ。わんわんうるさくて支店長はようやく気が付いたらしかったが、怖くなって一心に走る。ポリスはさらに応援を呼ぶ。
支店長はポリスが何を言っているか分からないから、とにかく安全なところに逃げたい。会社の駐車場に辿り着いたころにはパトカーが7台に増えていて前後左右どころか、円形に車を囲まれて降りてきたポリスに銃を向けらて、支店長は真っ青になってホールドアップした。

支店長はまだ更新がきていないワンボックスの方にセダン用のシールを間違って貼ってしまっていたのだった。見たかったわ支店長のホールドアップ。

名古屋が逃亡罪で逮捕

膵炎が一人日本に帰国したので、同僚は3人になっていた。そこそこアメリカにもなれたし、独身の同僚たちは好きに独身生活を送っていたようだ。

名古屋と根暗と板橋(それぞれ仮名)が残っていた。根暗はあこがれていたアメリカに来られたことが嬉しくてCostcoに行っては大きなステーキ肉を買い、休みはゴルフ場かアパートのプールで嬉しさをかみしめているようだった。名古屋もゴルフにつき合うのだが、アメリカの食事を片っ端から貶し、俺の口に合わないと不満をこぼした。3ベッドルームで一人がクローゼットに寝る羽目になっときは自分でなかったのを喜んでいた。

それを現地のおばさん事務員に、支店長からひどい仕打ちをされていると愚痴をいう。契約書と実際の給料が違うと一番うるさかったのは名古屋だった。
ところがいざ支店長と話し合うときは、一言もしゃべらず、意見を言う同僚を上目づかいに見て、でも支店長の言うことも一理あるし。と豹変した。

そのころ、おじちゃんを除いてみな免許を取り車を買ってそれぞれ出勤するようになっていた。ある朝、名古屋が出勤してこなかった。アパートにも帰ってこなかったらから板橋と根暗が心配していた。

名古屋は前の晩に日系のクラブで飲みすぎヨタヨタ運転するところをパトカーに目をつけられて、停止命令を無視して逃げて逮捕されていた。名古屋も英語があまりできなかったから、日系のボランティアがポリスから電話を受け通訳をして会社に電話をしてきて発覚した。
停止命令を無視して逃げようとしたことで罪状に逃亡罪が加算されて、罰金はシャレにならんことになるらしい。

名古屋は逮捕されたショックのあまり、こんな国に誰が居るか、何千ドルの罰金?!嫌や、払らわへん。俺は日本に帰るんやとヒステリーを起こしていた。そのあと名古屋は本当に日本に帰国してしまった。

アパートに届いた裁判の収監状を見て、会社のマネージャーがこの人はもうアメリカは入国出来ませんよ。と言った。おばちゃんたちは驚いて、どうしてと聞くと、逃亡罪がついてて裁判を無視したら重罪ですから、罰金どころか入国禁止になります。ハワイもグアムも一歩も足を踏み入れられませんね。ほう。
その後、本社から派遣された研修員の一人が強制送還の憂き目にあった。

強制送還


テクニカルな問題である。ビザ・ウエイバーではビザを取らずにアメリカに入国して90日間滞在できる。ただ~し、日付変更線を考えねばならない

オーバーステイで捕まったのだ。ある人物は’入国管理官にちょっとこちらへと別室に連れていかれ後ろでに手錠を掛けられたという。彼はなぜ拘束されるのか原因も分からず弁護士を呼ぶことも拒否され、10時間後一本だけ電話をゆるされて会社に電話を掛けてきた。

僕は手錠を掛けられてご飯も食べさせてくれないんです。次のJALで強制送還されるんですおいおいと泣きながら電話で話した、という。可哀そうに、いい子だったのに。

移民弁護士に聞くと、それは当然だと言った。
何故なら、ビザウエイバ90日間の時間は成田を出国しーまた成田に入国するまでの間をカウントする。出国から入国までがアメリカでの滞在時間とみなす。
もし、アメリカで90日間滞在し飛行機に乗るとハワイで日付変更線を過ぎてさらに1日プラスになる。つまり91日になってしまうのだ。北海道は90日目に飛行機に乗ったので、成田に到着して税関をくぐったら91日間アメリカにいたことになるのだった。

ナベさん

会社のマネージャーのナベさんは、色々な逸話があった。
もとはベトナム戦争の末期に渡米してきて気が付いたらビザが切れて違法状態になってしまった。その当時、兵隊さんに応募してベトナムに2期務めて除隊するとアメリカはイリーガルでも市民権をくれた。

california

ナベさんは思い切って軍に応募したら兵隊さんになってベトナムに連れていかれた。戦闘の前には2つのカプセルが渡されるのだという。一つは怖くなくなる薬。もう一つはベトコンにつかまって痛い思いをしたくない時に飲む薬。まぁ、二度と何にも感じなくなるんだけど。

戦闘の合間の休暇に佐世保に何回か寄ったのだそうだ。軍服を脱いで脱走してしまえば、日本人にまぎれて逃げられるわけだが、我慢した意味がなくなってしまうから出来なかったと。

外見はどこから見ても無害に見える小柄なその人は、サイドから髪をかぶせて頭頂をバーコードにして丸い眼鏡をかけている。目だけは感情がなかった。めったに瞬きをしない丸い目はなぁ~んも映してなかった。修羅場を超えてすぎて色んなものがそぎ落ちてしまっているのだった。

ナベさんは割と遠くに住んでいて、通勤に1時間以上かかる。引っ越せばと言われても絶対引っ越さなかった。健康保険も自分が掛けているものがあるので、会社の健康保険には入らなかった。

たぶん日本の会社がいつ撤退するか分からないから信用していなかったんだと思う。軍で通訳もやったから会社のややこしい手続きや交渉も任された。
アメリカの規制やルールが面倒くさいと、支店長や同僚は「でも日本ではXXXだったよぉ?」

ナベさんが「はィ?」と丸い目をゆっくり向ける。”日本では”という言葉はナベさんにはまったく意味がないのだった。”でも日本の常識では、、”と言いかけるとナベさんの目はまばたきもせず空白で、言いかけた日本の常識が
バラバラと崩れて飛散していくのだった。

彼がランチを取るところに出くわしたことがある。メニューに驚いた。
まず、味噌汁を食べる。フォークで。彼にとっては味噌汁はメインディッシュの前にいただくミソスープである。で、その日のメインディッシュはかけそばだった。

フォークで巻いて音をたてずに食べる。箸は2本あるので、持つのが面倒くさいらしい。もうサンマやアジがランチにでても区別はつかないのだと
言っていた。たぶん私生活では魚なんか食べないと思う。箸と炊飯器が自宅にあるかどうかも疑問だった。

ナベさんは市民権が取れたときに日本国籍は放棄してその時にいろんな物(文化とか感情とか色々)も捨ててしまったのだと思う。

法的にも100%アメリカ人なのだが日本語をしゃべって蕎麦を食べるナベさんを見ると、一体ナベさんの日本人はどのくらい残っているのか、ナベさん自身は自分を何人だと思っているのか疑問が消えないのだった。
たぶん一番近い答えは、何人かなんてどうでもいい、かもしれない

セクシャル・ハラスメント訴訟

本社雇用の板橋は本来は所長級の人なのだという。日本でいろいろあって、アメリカ支社を志願したらしい。仕事ができる明るい人だったが、ど~しても、昭和のおっさんだった。事務のおばさんや現地雇いの女性に軽口を言ってしまう。

私服のキャミソールを
曰く:おっ、いいねぇ。セクシーだね。
曰く:リリアちゃん今日も可愛いね。
日本のモーニング娘って知ってる?
リリアちゃは足がきれいだからきっとショーツが似合うよ!
ボーイフレンドはいるの?
日本人と付き合ったことあるの?とか、。

タイ人だろうがベトナム人だろうが日本人だろうが若い女性であれば挨拶代わりに、なにか容姿について言うことが、誉め言葉とコミニュケーションと固く信じて疑わない人だった。人柄は悪くないし日本では見過ごされるレベルであったから板橋さん、クリスティー嫌がってるじゃない。いやいや、意識してるだけだよ。まったく暖簾に腕押しだった。

それでやられたのである。
セクシャル・ハラスメントで会社が訴えられた。証言が沢山集まっていたので法廷に行けば負けるかもしれないし、何より訴えられたことが広まるのを恐れて会社=支社長は和解に走った。それで告訴すれば金を出す会社と現地で密かに広まったのだと思う。

セクシャル・ハラスメントで訴えられた事件は、多分同じく昭和のおっさんだった支社長にとっては、キャンプしてたら雷が落ちたとか、路肩を工事中の道路を走ってたらハンドルとられて脱輪した、という程度の”自然災害にあった”くらいの理解だったふしがある。
事故が過ぎ去れば元通り。和解した後も従業員に注意するくらいで終わらせてしまった。

この時に会社のポリシーに:禁止事項、罰則、相談窓口など両言語で明記して社内教育を徹底的にすべきだった。やっていたら、会社はもう1度訴えられることはなかっただろうに。
2回目はもう、誰も擁護しなかった。支社長は和解の条件をどれだけ下げるかに奔走した。

帰国したら、昭和どころか平成生まれでも挨拶・ギャグだとかのつもりでハラスメントが日常的に発信されているので、おばちゃんはショックだった。とてもこの人たちは世界に出せない。和解1回で会社の利益が何万ドルが飛んでいくのである。SEXIAL HARRASMENT IS CRIME.

駐在員メキシコに行く

 
メキシカンたちはいつも陽気だった。スペイン語と日本語は母音が同じだからメキシカンたちの日本語もメキメキ上達していった。おばちゃんがダンナをピックアップするとき、風邪を引いていて咳をしたら、「お大事に」と言われてびっくりした。ホセだった。前の会社からの引継ぎだから、後ろを向いて聞いていると日本語ネイティブに聞こえる。

ランチにはお互いの食べ物を交換したりして、本場もののタコをふるまってくれるのだ。生のグリーン唐辛子を左手にかじりながらタコを食べるのは日本人には無理だった。

メキシコに行ってみよう。休みを取っておじちゃんの同僚たちとティワナに行った。
フリーウエイの5番を下りサンディエゴを過ぎさらに南下すると国境に出る。車に乗ったままゲートを過ぎ、メキシコはティワナである。国境を過ぎたとたん道路は埃っぽく白くなり、休憩のトイレではお湯は全くでない。
赤い蛇口を一生懸命ひねっていると、そばのアメリカ人おばさんがWe are in Mexico.と言った。

ティワナのメインストリートは臭かった。なんの匂いかわからない。饐えた腐敗臭。リカーショップと土産物屋とドラッグストアが多い。おじちゃんは鮮やかなソンブレロが気に入って、スペイン語で高い高いと値切ろうとしてうまくいかなかった。売り子はおっさんや娘だが目が笑っていなかった。

染みが付いた歩道を裸足の6~7歳の女の子が手に砂糖でギトギト毒々しい菓子を差し出して買ってくれという。通りの歩道には動物がいた。
おばちゃんはどう見てもおかしいから目が離せなかった。シマシマのようだけど、シマウマではなさそうで
顔はどう見てもロバ。あまりにも不思議なので、近くまで寄るとなんと!
ロバにペンキでシマシマが書いてあったのだね。観光客を乗せて写真を撮るらしい。やっぱりラテン系だわ。どこか底が抜けていて明るい。

屋台村のようなメキシコ!っというレストランもあったのだが食中毒が怖いので残念だけどハードロックカフェでタコを食べる。メキシコの下痢はモンテスマの復讐と言う。ドリンクに入れる氷も汚染されていることがあって、とんでもない下痢を起こすことがあるのだ。

土産も買ったので夕暮れになってからティワナをうろつく勇気はない。引き上げることにした。国境のゲートでは行きと違って、全員のパスポートを要求された。おじちゃんたちはグリーンカードをだし、うっかりパスポートを忘れた。ティワナならアメリカと同じような気がして、。

同僚はパスポートを出し、ゲートの管理官が運転手役のパスポートのビザをみて学生か?と聞く。そうだStudentだと彼が答えるとI-20を見せろという。彼は答えに詰まってニューヨークの部屋に忘れてきたと。
おじちゃんたちも他も驚いて、タツヤ君(仮名)I-20 が無いの?
タツヤ君も青くなったが私たちも青くなった。どうしよう?
”忘れた”としばらく係官と問答をして、係官があちらのナンとか局に行けと遠くのオフィスを指さす。

入国ゲートは7,8レーンもあって端っこのオフィスはかなり遠かったから、タツヤ君は車を走らせたが中々近づけない、レーンは何方面かに分かれていて気が付くとオフィスに近づくはずがぐいんとカーブを描いてそのままフリーウエイに出てしまった。むろん逆走は不可能だった。
あれ、?これ5番じゃね?と誰かが言い、
そうだ5番だ。このまま走っちゃえ!

学生なのにI-20 忘れたなんて、メキシコだというのにパスポートを忘れたおじちゃんとおばちゃんは自分のことを棚に上げた。
もし国境でタツヤ君だけ止められたら、とんでもないことになるとこだった。タツヤ君一人を置いて帰るわけにいかなかったのだ。なんでかと言うと、タツヤ君は留学中の日本・本社社長の息子だった。のちの3代目若社長であった。

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