外務省 在外手当 第二給与

引用が長くなるが、
元外務省主席分析官・佐藤優が2009年から週刊新潮で「週刊鳥頭ニュース」を連載していた。そこから興味のある部分をご紹介する。

●官僚は国民の税金を収奪して生きている吸血蝙蝠のような生き物だ。だからコスト感覚がほとんどない。外務省は本俸とは別に在外手当という第二給与があるこの金は仕事で使う経費なのだが精算義務がない

●チュニジアの日本大使館公使を務めたキャリア官僚の清井美紀恵/スティルマン・美紀恵氏は2000年に「女ひとり家を4軒持つ中毒記」という自慢本(佐藤優いわく)をマガジンハウスから出版した。

在外手当で40代のうちに目黒に一戸建て、世田谷にマンション、勝浦に別荘、パリにマンションを買った。外務人事審議会が在外手当の額をお手盛りで決めているから個人で蓄財が可能だった。


●外務省を改革するにはまず、外務人事審議会にメスを入れることから始めるとよい。と佐藤優は書く。

●さらに外務省の職員には少なからず性格異常者がいて、異常に興奮しやすくけんか腰で通訳するために外交交渉をブチ壊しにする人。
●横恋慕した人の相手の出張先に卑猥なファックスを送る人がときどきいる。(一人ではないのがすごい)
●法務省では盗撮で捕まった官僚がいるが、外務省ではレイプ未遂、強制わいせつ、痴漢、盗撮などを行った外務官僚などは個人情報保護法で氏名や官職が明らかにされない(2009年)。犯罪を起こしても処分されるような組織ではない。

佐藤優が連載をしていた当時から13年経つが外務人事審議会の在り方は是正されたのか?
第二給与という金が仕事で使う経費であるにも関わらず何故精算義務がないのか。我々国民は追及していかねばならない。この連載は新潮文庫で「鳥頭帝国」「鳥頭事変」として出版されている。

戦場カメラマンの証言

戦場カメラマンの鴨志田譲はカンボジアで取材中襲撃されて、日本大使館に逃げ込もうとしたら大使館員から日本人かどうか確認された”後”、門を閉めだされという。

彼がこのエピソードを、先輩のジャーナリスト橋田信―に話すと「馬鹿野郎、日本大使館なんて信用するな。そういう時はアメリカ大使館に逃げ込むんだ。彼らならとりあえず保護してくれる。」
橋田信一を慕っていたカメラマン宮島茂樹も海外の日本大使館について同じようことを書いている。

ジャーナリスト篠原氏は外務省も昔は気骨のある外交官がいた。と言う。
第2次世界大戦中、ポーランドの日本大使館は閉鎖されず連絡を取り合って法人の保護にあたった、それに比べてロシアは、、。と。

おばちゃんは、ちょっと待てよと思う。
戦前に海外に留学や赴任するような日本人は一般人ではなかった。
貴族・華族という身分制度のある日本でよほど裕福か特権階級の子弟かに限られていただろう。

外務省の外交官や外務省職員だって同じ階級の出身であったから、なじみの親戚みたいな人たちで、面倒を見るのも当たり前だったのではないか。日本に帰ればひょっとして役職や姻戚や出身のどこか‘でつながりがあった上級市民同士だった。狭い仲間うちの話で邦人保護は当たり前のことではなかったか?
戦争中の当時の外務省の人員が、特に気骨に富んで義侠心に優れていたわけではないと思う。

外務省は昔も今も特権階級を保護してきた。一般日本人も保護したことがあったなら、多分ついでだろう。

戦前の日本は一握りの特権階級が富と政権を握っていた階級社会だった。
第二次世界大戦に負けて死に物狂いで復興してきた日本は昭和の半ば~40年くらいまでは1ドル300円。
「ハワイ」は庶民には手が届かない映画スターなどが行ける憧れの外国だったのだよ。洗濯用の粉石けんの中に、ダイアモンドの当たりくじが入っていたり、農協で積み立てをして旅行に行くのがあこがれだった。まだ百年もたってない、80年前のこの間。

そのギャップが狭まったのは40年代の高度成長期からだった。
働けばとにかく見返りがあって得られて社会は急激に豊かになった。ちょうど今の中国と同じだ。父と長子が必至で働いて、私の世代が大学に行ける余裕ができた。
おばちゃんにしてみれば夢の国のハワイが近くなってきたのは、ついこの間のことだ。

おばちゃんの証言

90年代の在米日本領事館の窓口の領事館員は偉そうだったね。
窓口に来る日本語もおぼつかくなっているおばあちゃんでも特権階級で渡米してきた人か、戦争花嫁でやってきた人か言葉としゃべり方で見分けて戦争花嫁をバカにしている節があった。

永住権が取れて7年ぶりに帰国したときは空港の税関の職員に
何年いました?7年です。麻薬を持ってませんね?とスーツケースをひっかきまわされた。
GやJビザを持っている政府関係者には、「お国のためにご苦労様です。」とあいさつするのだと聞いている。

海外に住んで長ければ長いほど日本の領事館とかは当てにしないようになる。前にも書いたが、
地震の時でも、山火事が迫ってきて大学の裏の住宅地には警察から避難命令がでて、近くのおばちゃんのアパートでも昼間でも薄暗く灰が雪のように積り、どこに避難しようかと真剣に考えた時。

LAの暴動が起こって日頃黒人を馬鹿にしていたコリアンタウンでは連日略奪が起こり、のちにおじちゃんの同僚になる人は自分のビジネスが略奪にあって壊滅。用心のために持っていた銃も何の役にも立たなかった。

スーパーのヤオハンではガードを雇ってビルの屋根にマシンガン武装させて黒人からの襲撃を警戒していた。おばちゃんは買い物にも出ず緊張してテレビのニュースを見ていただけ。

領事館からは電話など無論受けたためしはない。Never!  


今回のロシアの領事館についても邦人保護するする気はなかった。今更驚くことではない。昔も今も一般人は関心外だから。よほど辺境のコミュニティが狭い外国では成り行きで保護する場合があるかもしれない。1968年に事例があるそうだ。

2年前、アメリカは素早く武漢に特別機を派遣してアメリカ人を救出したが、日本はぐずぐずと右を見て左を見て、批判をされてやっとチャーター機を飛ばした。
避難させた日本人に料金を請求したと聞いて、外交機密費は何のためにあるのかと思った

外務省の首席分析官が告白するくらい、外務省は腐っているらしいので海外在住者は何かあったら、アメリカ大使館に逃げ込もう。
日本領事館は昔も今も当てにならないのだから将来も当てにしないほうが良いのだ。


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