日本語は徒然草

帰国してびっくりしたのは日本ではいまだに「日本語は習得するのに非常に難しい言語」定説がはびこっていること。


読みと書きに関してはカナ・カタカナ・漢字が入り混じっていて取得するには確かに大きな壁かもしれない。しかし日本語を「聞く・話す」に関しては世界一難しい言語とは言いかねる。

嘘だと思ったら、アメリカの日本ビジネスを訪ねてみるといい。
裏方でメキシコ人が働いているだろうから、彼らの話す日本を聞けば日本生まれと聞き間違うほど完璧だ。

スペイン語の母音は「a」「e」「i」「o」「u」日本語の母音は「あ」「い」「う」「え」「お」母音がほとんど同じなので、メキシカンが「おはようごぜま~す」と出勤してくるのに言葉の違和感は全くない。
同時に日本人がスペイン語をカタカナ発音をするとスペイン語の達人に聞こえる。嘘やおまへん。

おじちゃんの会社のメキシカンなんて先代から務めているのもいたから本当に日本語がうまかった。おじちゃんを送って行って、風邪気味なのよねぇと咳をすれば後ろから「お大事に~」って言葉が返ってきたから。
だから、聞く話すに関しては日本語はとんでも難しい言語ではないのよね。

でも、なぜか日本の人は日本語は世界一取得に難しい言語なんだと、幾分誇らしげに言うわけ。掲示板とか新聞雑誌とか、どっかから資料を探してきて載せて、やっぱりこんなに日本語は難しいんだとやる。自分はしゃべってるのにさ。

そういう難しい言語を苦も無く話している自分が誇らしいのか?ーわからない。
日本語が世界一難しい言語なら、より優しい英語は学びやすいわけで、それなのに日本人が英語を簡単に話せないのはどうしたわけか?


漢字かな交じり文章が特に難しくて海外民族に読んでもらえない、というのはメリットにならないのに。

コリアンは言語については自分たちが発明したと誇らしげに言う。
で、もっとも固着している思想は“誰が文化の始祖か”
彼らの論理とは、手づかみでものを食べる蛮族の間で最初にを発明し文明化されたのが我ら韓民族。

その箸文化をまねしたのが日本民族。だから、文明文化の先輩である韓民族は日本人より上、偉い。今現在の韓国の経済・社会の状況がどうであれ世界で最初に発明した(文明化された)我々に尊敬を払え。我々が兄。という論法論理。
そんな論理は現世界でどうでもいいのだが、彼らだけは理解していない。

韓民族にとっては、我々が始祖・論理で始まる。フードコートで隣になったコリアンのおっさんから「トンカス」は韓国人が最初に発明したのだと、食事をしている間中つばをとばして力説されたから。「トンカツ」とまず発音できないのを自覚していただきたい。

この文明始祖思想は昔から韓国に“がん”としてはびこっているようで、近年イタリアの“ピザ”は韓国人が発明した。ラテン語の起源は韓国語などとぶち上げて、世界中の失笑をかったのだが、ただの自己自賛、自己中心論理である自覚もなければ反省もしていない。民族を挙げての思い込みというのはどうしても変えられないようだ。

日本人にとっての固着の思想は、外国人にとっては取得不可能なほど難しい日本語、となるのだが。
本当に言語として難しいのか?というより「何を言っているのかわからない」から理解が不能のほうが多いのではないかと思っている。

まず、主語が略される。論理的でない。2文3文を一つの文にくっつけるから、主語と述語が揺らぐ。形容詞がどこにかかっているのかわからない。やたら受動態を使う。公文書にも敬語を使う。

ちょっと脱線するが、--帰国してびっくりしたのは「させていただく」
自分という第一人称主語を使うと、それほど日本では攻撃されるのであろうか?私はこうします。と言わずに私はこうさせていただきます。2段も3段もへりくだって地べたに土下座して物を言う感じ。

なぜ、それほど自信がないしゃべり方をせねばならないのか。こんな語法はいつから始まったのか?日本社会が自立した個人を嫌い、自ら身を潜めなければならないほど攻撃的な世の中になったのか?おばちゃんはいや~な危機感を覚える。

そういう地べたに這いつくばった言語を話す人間が、世界の外交や政治の世界で論理的に自国の利益を主張できるのか? ここ30年で日本がへりくだり外交になったのは、見苦しいほど日常にはびこっている「へりくだり日本語」も一役買っているのではないか?

論理的でない
ワクチン接種のために「問診表」に記入しようとした困ってしまった。
●現在病気で、治療や投薬を受けていますか?Yes, No

おばちゃんにとって、この日本語文書はナンセンスだ。原文に「、」がある。要素が2つあり、どちらが重要かで意味もゆらぐ。
現在病気か と 治療投薬を受けているか というのは2つの異なった質問である。それをなぜ1文にせねばならないか?

おばちゃんの胆石は大きいものはカルシュウム化していて薬では金輪際溶けない。病気だが薬も飲んでないし治療もしてない。痛風持ちのお人や偏頭痛、群発性頭痛とか病気はあるが投薬していない病気症状は世にたくさんある。


だからこの質問は2問に分けるべき設問である。1)病気はあるか2)あるならなら病名と治療内容を書け。

●アナフラキシーとか蕁麻疹がでたようなアレルギーはありますか?
この文も同じ。アレルギーがあるか、蕁麻疹アナフィラキシーが起きたことがあるか?2つの質問。

質問者が「重篤なアレルギーがあるかどうか」だけを知りたいなら、「過去にアナフィラキシーか蕁麻疹を起こしたことがありますか、Yesなら原因のアレルゲンを書け」とすればよいのに。が、重篤だけでは本来の問診表としては不足だ。やはり、アレルギーはあるか、重篤はあるかと2つにわけないと正確ではない。

アメリカでさんざん問診を書かされたが、常にアレルギーはリストを書く方式だった。
もっとも論理的に正確で回答者が誤解できないように設計されていたのは生命保険の申請書だった。
Do you currently have, or have you been diagnosed with, or treated for, any of the following conditions?
YES. NO

こんな質問なら誤解も嘘つけないし。

で、おばちゃんは役場からのお知らせとか政府のパンフレットを読みながら、うわぁ~と日本語がわからなくてペンを握り占めるわけだ。日本語は難しい。

主語がないとか、論理的でないというのは言語的な膠着語という構造もあって今に始まったことではないが、さかのぼれば原因は「つれづれ草」とかにあるのではないか?とふと思った。

徒然なるままに日暮ぐらし、硯に向かいて心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく
書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

おばちゃんは、日本語を全否定するわけではない。日本文学は大好きだ。つれづれ草のリズムの良さの美しさは十分味わえるのだが、、
問題は”凡人”が「よしなし事」を「そこはかとなく」書きつくると主語がぼけて、何が言いたいのかわかんなくなってしまうのだ。

徒然草から1000年もずるずると思ったことを脈歴もなくかきつくる随筆というジャンルが成立したのだ。だからずるずる書けば、とりあえず随筆です、と言う。

小学校から高校まで作文・小論文でも「思ったこと=よしなし事」を起承転結なしに「そこはかとなく」書いてしまっても、先生本人たちも、ものぐるほしけるから、それでよしとなってきた伝統があるのだ、きっと。

だから、役所ではいまだにさっと読んで理解できる明快な日本語文章が書けず、おばちゃんはものぐるほしけるのだ。

この間、おばちゃんがファンの西原理恵子を読んでいて大笑いした。
高校生の息子さんが古文のわけのわからなさを西原の母に訴えるのだが、
「今どきの女子の会話だって何言ってんのかさっぱりわかんないのに、千年前の牛車に乗ったニートの腐女子の妄想文だよ?それのシク活用だよ。もう全く歯が立たない。犬と話すほうがまだマシ」


mikie@izu について

海外在住何十年の後、伊豆の山に惹かれて古い家を買ってしまい、 埋もれていた庭を掘り起こして、還暦の素人が庭を造りながら語る 60年の発酵した経験と人生。
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1件のコメント

  1. りんどう

    ワクチン接種の予診票、分かりにくい部分がありますね。確か厚労省が「コロナワクチン予診票確認のポイント」を2月にVer5.0としてアップしていたと思います。それを読むと予診票の問いのポイントは分かりますが、いちいちそんな事に手間をかけて記入する人は少ないと思います。こういう文書に関しては、欧米の合理性を見習うべきとも思います。確かに(今は分かりませんが)論文や説明文を書いたり、意見や考え方を分かりやすく端的に表す訓練は日本の教育では後回しにされてきたのかも知れません。アメリカで幼稚園の子どもたちが「show and tell」で一生懸命じぶんのお気に入りの品を説明したり、質問を受けたり、また、小学校でもレポートの宿題がとても多かったことなどを思い出します。考えをきちんと伝える事に重きを置くのは、他の人の考えを大切にする訓練にもつながるのでしょう。アメリカの良い面だと思います。古典には洋の東西を問わずさまざまな知恵が詰まっていて、生き生きと心に迫ってくる事がありますね。

  2. 私にとっては、日本語は難しい言語のひとつではないかなと思っています。一つの発音で打ち込むと、色々な意味の漢字が出てきますよね。それで、日本語を夫に教える時に、面倒くさいよね。。となります。それから、敬語の使い方。主語も使わない事が多いとか。只、男性女性で定冠詞や動詞が少し変わったりないし、リエゾンとかないとかは楽ですが。。

    前にこちらで紹介していらっしゃったyoshiepen’s journal の3月18日付記事で、H様の作文の事について書かれています。この記事については全く同感です。私は、本人は全く悪くなくて、周りの大人が悪いと思っています。Kさんに対しての箔付けとも似たような感じがします。はっきり言って、ダサ過ぎ。裸の王様のような感じ。英国のウイリアム王子やハリ-王子なんて、幼いころからそれ程箔付けはしていなくて、もっと健康的で自然な感じがします。少し話がずれましたが、作文は、例え下手でも本人が書くべきですね。

    • キャラメル

      H君の卒業文集の作文も盗作らしいです。SNSで大きな話題になっています。

      今までの盆栽だとか交通信号だとか、どうみても大人がやったでしょ?みたいなものもメディアに取材させて平然としているのはおかしい。

      15歳ともなれば、やっていいことと悪いことの区別ぐらいわかりそうなものですけどね。お母さんの日本語の言い間違いを色を成してバカにするみたいなリークがあったので、それを言えるくらいなら「僕こんなことしたくない」ぐらい言えるんじゃないかと…

  3. キャラメルさん、
    横から失礼します。お母さんの日本語については、週刊朝日にKさんが「紀子さまは帰国子女だから、日本語があまり理解できないのでしょう。僕の話もわかっていないご様子なんですよ」と言ったと出ていますね。インタ-出身の彼に言われてしまうなんて。。

    お母さんの経歴をWikiでチェックしたんですが、日本語が不得意と言うのはあり得ないと思います。3歳から6歳ごろまでアメリカの幼稚園と小学一年、6歳から10歳まで日本の学習院、11歳から13歳までウイ-ンの学校、13歳からずっと学習院中高、大学と大学院。その後もずっと日本。

    3歳から6歳頃までの英語は、その後日本で日常使わなければ忘れてしまうはず。でも、6歳からまたウイ-ンのアメリカンスク-ルに行っているようなので英語がまた復活したでしょう。それでも、2年だけです。学習院中学に入ってからはずっと日本語の授業だし、もちろん家族や友達との会話は日本語なので、日本語が定着しないなんてあり得ないと思います。私は帰国子女の友達や同僚がいたり、子供の語学の習得の関係で何歳まで海外にいさせるべきかと言う話もよく出ていたので、これは私の実感するところです。なので、このあり得ない事について、私はある疑惑を持っているのですが、コメントするのは控えさせて頂きます。

    • 前のコメントで、一部間違いがありました。「6歳からまたウイ-ンの。。」は、「11歳からまたウイ-ンの」に訂正させて頂きます。

    • キャラメル

      春子さん

      大いに横はいりしてください(笑)書いたことに反応があるのはうれしいです。

      私も、家族そろって海外にいるなら、日本語が習得できないということはないのでは?と思っていましたが、キコさんのスピーチで「人々」を「ひとひと」と読んでいたのうぃどこかの動画で聴きました。

      春子さんのお考えを是非お聞きしたいところですが、残念。

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