ビッグ・ベン と スモール・ベン

おじちゃんの会社と関係が深い企業の社長の名前が「勉」さんといい副社長も偶然「勉」さんだった。
社長は腹回りが巨大だったので「ビッグ・ベン」といい、副社長は「スモール・ベン」というあだ名だった。
陰では大便と小便と呼ぶときもあった。

小便もとい、スモール勉さんは人当たりの柔らかい人で「小便」などと口に出すのが申し訳ないくらいいい人だったけど、偶然ベンさんが重なってしまったので悪気はない。

この小・勉さんは秀才だった。
考えがシュッと走るのが見えるくらい頭のいい人で京大出だった。その奥さんは物静かな人だったけど、実は勉さんなんか問題じゃないくらい天才だった。

お茶の水の出身で、たぶん両親が東大なんか行かせると、縁遠くなるから女子大へ、と思ったのだと思う。なんという資源の浪費。ちゃんと東大に行かせていたら日本のマリー・キュリーが誕生していたのに。

うちの家庭教師の手引きで一度奥さんにお目にかかったが、多分この人は人間関係に苦労したんだろうなというのが感想だった。
一度聞いたこと読んだことは忘れない特殊なメモリーを持っていたのではないかと思う。小・勉さんは秀才の思考が走るのが見えるが、奥さんは、頭が良すぎるのでこちらの理解度がどのレベルかいちいち感がいている。


どういう風にかみ砕くとこちらにぴったりの答えができるか、光速で計算した後におずおずと答えを言ってみて、こちらの理解度を観察したうえでさらに会話をすすめてくるわけで、奥さんと手加減なしに同等に会話を楽しめる人はほとんどいなかったのではないか?

二人の子供を除いて。息子と娘も天才だった。

誰もが、ああ、あの奥さんのお子さんならね。と言うくらいで誰も京大出の小・勉さんの子供だからとは言わなかった。

息子はハイスクールを卒業したら、何の準備もなくいきなり東大に合格した。息子にも特殊なメモリーが引き継がれていたのかもしれない。息子だけ先に日本に帰して今頃はとっくに東大を卒業して世界のどこかの最先端の研究室にいるかもしれない。

娘も天才だった。
勉強というものがおおよそ必要でなかったのではないか。ハイスクールでは常にトップ。だが、天才といって脳の出来は抜群でも対人間スキルに関すると全く別物のようだった。

ギフテッドの子供というのは得てして、友達がいなかったり、人間関係がうまく築けないものらしいが
娘の場合は、へらへら笑うアメリカ人のボーイフレンドがいて、どう見ても彼女の脳みそだけを利用するために引っ付いて
いるとしか思えないのだが、彼女にとっては数少ない友達の一人だったのだろう。

ついでにうちのモールのイラン人のヘアサロンのオーナーの娘もギフテッドだった。
まったく可愛げがない娘で、8歳だったか学校には行ってなくて一日中モールの通路で遊んでいたが、計算がめちゃめちゃ早かった。CPUがインテル10GHzで内部キャッシュが1Gくらいの感じ。

アメリカの物品の値段はセントの位があるから、$12.58とか、$11.89とか。なるべくセントの位を89とかに
して桁を小さめに見えるようにしておくのがコツだが、この娘は、4桁の計算を見ただけでできる。

ウチの値段表を見ながら、これはいらないので引くといくら?とか聞くのだ。


電卓を取り出してパタパタやっているおばちゃんを、不思議そうに眺め、おばちゃんが計算を間違えると、
答えが何セント違っている原因はもしかして何かの関数が入っているのか?
と考え込むような様子があって、おばちゃんはむっとしたものだった。

インテル入ってなくて遅くて悪かったな。

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