百年に一人の悪妻が生まれたわけ

百年に一度の悪妻

おばちゃんは、気を抜いてぼっとしていて、そういえば「百年に一人の悪妻」ってのはおじちゃんから聞かされたのを今ふと思い出した。

「うちの専務がお前のことを百年に一人の悪妻だと言っていた」とおじちゃんがわたしに言ったのだ。

うちのおっさん、専務から言われて、あの時何か言い返したんだろうか?

んにゃ、うちのおっさんは目上に言い返せるような人ではない。「はぁ、すいません」とでも頭を下げたのじゃないか。なんか、今ちょっとムカッと来た。30年も経つけど。

私は悪妻ではない。
悪妻とは夫に仇をなす妻のことであって、おばちゃんは100%おじちゃんを擁護する側なんで夫に悪の妻ではない。

また、不意に野村沙知代を思い出した、悪妻つながりで。

野村監督は野村沙知代と球団を比べて妻を取ったのではなかったか?

その時野村監督は何と言ったか?
「俺に野村沙知代は一人しかいない。」そう言って阪神をやめたんだっけ?

監督も妻も今の今まで好きではなかったけど、おっさん、なかなか良いことを言いよった、と気が付いた。

普通の日本人の男は絶対に言わないね。うちのおっさんが専務に「うちのかみさんは一人しかおりませんので」と言い返したら、会社を首になって日本に帰国しないといけなかったかもしれない。いや、帰国だったね。

でも、そもそもなんでそんな事態になったかというと、会社が契約書の雇用条件を守らなかったからではないか。
日本でサインした契約書の給料が税込みで、税抜きの金額だと思っているこちらの誤解に付け込んでサインさせたのである。
さらに総支配人とその妻が全人件費の3分の1を取り、車も保険もガソリンも会社もち住宅環境もその他大勢と段違いで、日本から起業で派遣された社員が不満を持っていたのである。

全員で総支配人に抗議したところ、

「えっ?給料?税込みよ?だってアメリカの税金は知らなかったんだもん。でも大丈夫この国の物価が安いから」

それで全員さらに激怒してアメリカ支店の開設の責任者の専務を呼べ!となった。

Jalに乗ってやってきた専務と団交することになり、何故かおばちゃんも特攻服を着てその席にいたのである。

特攻服というのはアーミーグリーンの街着のジャンプスーツで、おしゃれにバイクに乗りたいとき着ていたつなぎだった。

おばちゃんは背が高い。ライディングブーツをはくと170センチをゆうに超える。つなぎを着てブーツをはき、ある時、日本でヘルメットを抱えて知り合いの家を訪ね、庭に入ったら主のおばはんがおびえて警察を呼ばれそうになった。なかなか存在感がでるジャンプスーツだった。

おじちゃんはどちらかというと無口だ。

口下手なので、議論を尽くすのは苦手だ。おじちゃんの利益を守る人間はわたししかいない。

わたしが守らねば誰がおじちゃんを守る?引っ越し荷物にその服が入っていて、なめられてはいけないので団交にそのジャンプスーツを着て行った。

アメリカで起業をしようっていう企業がそもそも所得税制を知らないって、どういうことですか?

提携企業がいて聞けば教えてくれるでしょうに、それさえできなかったんですか?

ほかの板橋や根暗も不満をぶちまけたから、専務も言い抜けられず給料は見直すことになった。

どれだけ会社が対処するかわからないが、不満は表明したので団交は終わった。そのあと帰国のJalに乗る前に、専務が会社でおじちゃんに言ったセリフが百年の悪妻。

いや、悪妻上等。なんと言われてもおばちゃんは戦うよ。

わたしの男を守るために戦うよ。当り前じゃない。しくしく泣いてて誰が自分の男を助けてくれるのさ。

沙知代のカミさんは、野村監督には全方向100%の味方だったのだ。
今ならわかる。ただ、おばちゃんは野村沙知代ほど、性格が悪くも意地が悪くもないので安心して欲しい。

百年に一人の悪妻

おばちゃんは昔から愛想が悪く、頭が高い人と言われ、ついでに言えば、ダンナの会社の専務から100年にひとりの悪妻と言われた。
客商売には絶対向いてい無し、やってはアカン人でその自覚も十分あったのだけど、ダンナの夢を実現するのに私以外に実行者はいない。

愛想がない人が愛想を装わねばならない。
本当に愛想がある人になる努力ではなくて、(そんな努力をしたら死んでしまうと思った)とりあえず愛想があるように見えるようにするにはどうしたらいいか考た。
まずは、形からである。

ベーカリーの2軒隣はヘア・サロンでイラニアンのサラがオーナーだった。
新しい店舗がオープンすると、隣に挨拶に行くのはアメリカでも変わりはい。私が挨拶するとサラは、何人なの?何を売るの? 料金表を見せて?と「ニッ」と笑った。

イラニアンの切れ長できつい目が瞬きもせず、口の端だけキュと釣り上げた、それはそれは恐ろしい笑顔だった。般若に一番似ていた。牙がないだけ。

この人サラというは、人間が好きでも客が好きでも客商売が好きでもないけど、とりあえずあんたを襲ったりしないし、今は友好の印は見せておく。というのがよ~くわかる笑顔だった。

私にもまねできそうな笑顔のお手本は見つかったので、営業時間は口の端を持ち上げることにした。

おばちゃんの眉間はMicrosoftのおかげで縦皺が深い。
Windows95の時代からMicrosoftには苦労させられたからだ。

5年間のコンピューター修業時代は、おばちゃんの眉間に深~い溝を残した。この溝を何とかこれ以上深く怖く見せぬよう努力せねばならない。溝は後日、化学の力である程度何とかした。

ビジネスがスタートするまでビジネスモデルのシュミレーションで1年かけた。
ライセンスの役所の黒人のおばさんと窓口で言い合いになって、上役が仲裁にはいり別室に連れていかれた。

我に返ったので、「はっと我に返り悔いて謝罪をする」という映画のような芝居を打った。英語だから、何とでもいうぞ。ライセンスがパーになるかと思った。

注文した設備のオーダーがすっ飛んだときは、マネージャーに怒鳴ったら仕事が進んだ。なかなかいい方法だったが、ヘラヘラするベトナム人には通用しなかった。Ok, Okと軽請け合いするくせに、すぐ忘れるので納入のために毎週電話をかけるのだった。

オープンまでの課題を一つ一つクリアし、ビジネスをスタートさせたのであった。苦労?違う。おばちゃんは生きるために戦っただけ。

私が悪妻か良妻か、人からの評価には興味がなかった。
そんなことより、私が何をやらねばならぬのか、何がゴールなのか それを実現することが私の人生だった。


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